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2011/06/18

是々非々ということ

「是々非々」 という言葉がある。『荀子』 に出てくる言葉で、「是を是とし非を非とする、これを智といい、是を非とし非を是とする、これを愚という」 というのがオリジナル (本当のほんまもんのオリジナルは当然漢文だが) だそうだ。

菅首相の 「脱原発」 発言を、原発容認派は 「単なる思いつき」 「根拠なし」 と批判し、反原発派の中にも 「どうせすぐに辞めるあの人が言ってるんでは、意味がない」 と批判する人が多い。これって要するに、「菅さんが嫌いだから、何を言っても反対する」 というお話に聞こえる。

昨日の記事でも書いたが、同じ 「単なる思いつき」 「根拠なし」 の数値目標でも、菅さん以外の人が言えばすんなり受け入れられることがある。そもそも大企業の掲げる数値目標なんか、実現性の裏付けなんてほとんどないのが多い。「裏付けは努力して後から付ける」 というのが、日本の正しい数値目標のあり方のようなのだ。

そんなような 「日本の正しい数値目標」 の属性を伴った発言でも、菅さんが言ったことだと、とたんに批判の的になる。

一方、左巻きの反原発運動家も、菅さんのいう 「脱原発」 ではダメみたいなのだ。同じようなことでも、「誰が言うか」 で判断されてしまう。まあ、それはそれでありがちなことで、実際に同じことでも A さんが言えば通るが、B さんが言ったんでは反発されるということがある。世の中とはそうしたものである。

しかし私は、どちらかと言えば 「人」 ではなく 「内容」 で判断したいのだ。「是々非々」 である。箸にも棒にもかからない人でも、時々はまともなことをいう。

それから関連事項として、最近の 「反原発」 は必ずしも 「左翼の金科玉条」 じゃないということを言いたい。ちょっと前までは私も、「反原発」 の立場を明らかにしたら、左翼と一緒にされるから嫌だなあと思っていた。福島以後になって、それを言っても左巻きと思われなくなったので、その点に限っては少し気が楽になった。

何しろ、いわゆる 「日の丸条例」 を仕切った大阪の橋下知事が 「反原発」 とまでは行かなくても、少なくとも 「脱原発」 みたいなのである。左翼でなくても脱原発を言い出せるんだから、少しはいい時代になったのかもしれない。昔だったら 「日の丸」 と 「脱原発」 はあり得ない組み合わせだった。

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