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2011/06/10

オーストラリア人の思い込み

親愛なる先輩の alex さんが、「虐殺者としてのオーストラリア人 アボリジニ カンガルー ラクダ」 というオーストラリア批判の記事を書いておられる。捕鯨問題で、環境テログループ 「シーシェパード」 に国内の港を使わせているオーストラリアが、アボリジニを虐殺した歴史をもち、カンガルーをむごたらしく殺し、ラクダ肉を食べようというキャンペーンを張っているというのである。

詳しくはリンク先の記事を読んでいただきたいが、私も過去に仕事関係でオーストラリア人とかなり密接に付き合った経験があるので、彼らの国民性みたいなものについては、その辺の日本人よりも理解しているつもりである。

とはいえ、何事も完全に理解するのは不可能だから、かなりのバイアスがあるのは当たり前で、要するに、私なりの偏見に満ちた理解だということをお断りした上で、「オーストラリア人はめちゃくちゃ大雑把で、自分の都合以外の客観的な理屈があるとは、発想すらできないところがある」 と、極論に近い印象を語ろうと思う。

私は 1990年代前半に、ウール関連の仕事をしていた。ウールといえばオーストラリアは最大の羊毛原産国で、とくに衣料用の原毛 (主に 「メリノ種」 という羊から取れる繊細な原毛) では、今でも多分、全世界の 80%以上を供給していると思う。

で、ウールの世界には今でも 「ウールマーク」 というのがあって、信頼のおける羊毛製品であるということを保証する建前になっている。当時はこのウールマークは、一定の品質基準を満たすメーカーは無料でライセンシーになり、自社製品に付けることができた。

ところが、このマークのスポンサーであるオーストラリアの羊毛公社 (当時) は、他国で取れた羊毛を使った製品まで 「ただ乗り」 的にウールマークを付けるのはけしからんといって、新しいキャンペーンに乗り出した。ちなみに羊毛公社というのは、日本で言えば農協みたいな存在だったと思ってもらえればいい。

新規に開始したのは、もしかしたら憶えている方もおいでと思う (テレビでもずいぶん CM を流したので) が、「メリノ・キャンペーン」 というものだった。メリノ種の羊のほとんどはオーストラリアで飼育されているから、「メリノ」 を強調すれば、自分たちのウールだけが売れると、単純に考えたようなのである。

私は当時、「何と馬鹿なことを」 と思った。元々、衣料用ウールの 80%以上はオーストラリア産のメリノ・ウールなのだから、「ウール」 とさえ言っておけば、歩留まり 8割以上で自分たちのウールを宣伝できたのに、その大切な財産をドブに捨てたのだ。

それまでの 「ウール・キャンペーン」 を継続していれば、ウールの高イメージを引き継げたのに、誰も知らない 「メリノ」 なんてものに多額のコストをかけてしまったので、消費者は 「 メリノって、何? 新しい繊維? ふぅん、ウールって、時代遅れなの?」 と思うばかりで、ウールのイメージを下げ、メリノというわけのわからない言葉のみを残す結果となった。

オーストラリアの農協もその愚かしさに気付いたみたいで、今では 「メリノ」 なんて言葉で宣伝しようとは誰も思わないが、当時は本気でやっていたのだ。

さらに当時、オーストラリアの羊毛市場には 「フロア・プライス」 というものがあった。羊毛の競売市場で一定の値段が付かなかったら、バイヤーには売らず、羊毛公社がその一定の値段で買い取ってしまうというのである。つまり、「こっちの指定する以上の高いお金を出さなきゃ、君たちには羊毛を売ってあげないよ」 という制度だ。

これはオーストラリアの羊飼育農家には、一時的にはありがたい制度である。市場で羊毛価格の相場が下がっても、農協みたいなところが一定以上の価格で買い取ってくれるのである。ウハウハではないか。農家は市場の需給を無視し、どんどん羊を増やして羊毛生産を拡大する。

こんな市場原理を無視したシステムが続くわけがない。市場の羊毛相場は 90年以後下がり続け、ということは、多くの原毛がバイヤーに買い取られることなく、農協みたいなところが馬鹿みたいな値段で買い取って、倉庫にしまいこむことになった。洋服の素材はウールばかりじゃないから、ウールがなくてもアパレル業界はそれほど困らないのである。

で、オーストラリアの農協の倉庫は一杯になり、買取資金も底を突き、ついにこのフロアプライス制度は廃止された。廃止される直前まで、フロアプライスは平均 800豪セント/kg だったのだが、廃止直後の実勢価格は 400豪セント台までさがった。つまり、オーストラリアの農協は実態の倍近い値段で原毛を買って、無駄に溜め込んでいたのである。

とまあ、ビジネス上でこんな馬鹿みたいな状況を目撃し、しかもその悪影響を私自身もかぶった経験があるものだから、オーストラリア人の思い込みによる暴走には付き合いきれないという印象を、今でももっているのである。

最後にもう一度お断りしておくが、これって、私のバイアスがかなり混じっていることは避けられないので、その辺はご理解いただきたい。

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コメント


オーストラリア人って、ある意味、日本人にとって盲点だと思うんです
tak shonaiさんのように、リアルでつきあいのある人間は少ない
昔、インドネシアで二人、仲が良かった知り合いがいましたが、移民したばかりのドイツ系でしたから参考にならない(笑)
そのオーストラリア人が、環境テロ団体とおなじ論調で日本を誹謗中傷すると、日本人は思わず、説得されそうになる(笑)
反捕鯨がスタイリッシュだと思う女性もいる(笑)
女性に限らないんですが(笑)具体例を思いだしたもので

キリスト教的思考は独善的ですが、その悪いところを集めたのがオーストラリア人(笑)
仏教徒は食物連鎖を輪廻と重ねて考えますが、彼らには神が決めた食物指定動物(笑)がある
そこから外れるものは聖獣
もしくは駆除が必要な害獣
かっては鯨油が占めていた位置を石油が代替して、鯨は聖獣へ
まだ、言い足りませんが(笑)

投稿: alex99 | 2011/06/10 14:32

alex さん:

>キリスト教的思考は独善的ですが、その悪いところを集めたのがオーストラリア人(笑)

キリスト教的思考そのものが独善的とは、私は考えません。それが悪く現れると独善的になるということで、よく現れると、けっこういい面もあります。

できればよく現れてもらいたいものです。

投稿: tak | 2011/06/11 01:05

そうでしょうかね?
一神教と独善というのはセットだと思いますが

投稿: alex99 | 2011/06/11 04:20

無神論者の私が言うことですが
宗教って、要するに、「まやかし」じゃありませんか?
人間が「あれかし」として作った願望の世界

投稿: alex99 | 2011/06/11 04:23


これは独り言なんで、コメントは結構です(笑)

投稿: alex99 | 2011/06/11 10:56

alex さん:

それではコメントは差し控えます。

投稿: tak | 2011/06/11 22:19

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