先月 6日の "「自転車は車道」 の原則は、地方都市ではまったくの愚策" という記事についてさらに深く考えるため、一昨日、"「自転車の車道通行」 ということの、理屈と実感" という記事を書いた。この中で私は、地方都市、もっと言えば、歩道なんてあっても、歩行者なんてほとんどいない地方道では、やはり自転車は歩道を走る方がいいと書いた。
ここでもう一度念のためにはっきりさせておかなければならないのは、前節の繰り返しになるが、私が 「自転車は歩道を走る方がいい」 と主張するのは、「地方都市、もっと言えば、歩道なんてあっても、歩行者なんてほとんどいない地方道」 でのことである。
都会在住の方は 「そんな道路があるのか?」 と不思議に思われるかもしれないが、ちょっと田舎に来てみればわかる。地方都市ではそんなような道路ばっかりなのである。歩道に歩行者があふれ、自転車がその歩行者の間を危なっかしく縫って走り、一方車道はいつも渋滞気味で、車がのろのろ走っているというのは、大都会特有の現象なのである。
大都会の歩道は結構幅が広く、車道との間に小洒落た並木や植え込みがあったりする。そんな道路では、なるほど、自転車が歩道を走ったら、車道の車からはとても認識しにくく、その認識しにくい自転車が、歩行者よりずっと速いスピードで突然交差点に出現するということになるだろう。それはその通りだろう。その理屈は十分に理解した。
しかし、地方都市の田舎道では様相が全然違う。
地方都市では新しく建設されたバイパスや地方幹線などを除けば、ほとんどの地方道では道幅 (全幅) そのものがとても狭い。車線も当然狭くなるので、大型トラックやバスは常に右側車輪でセンターラインを踏んで通行しなければならないようなところがいくらでもあり、それどころか、センターライン超えなければならないところだってある。
都会でも住宅街の道路は狭いが、そこに大型のバスやダンプカーがどんどん入ってくるなんてことは滅多にない。しかし地方都市では、狭い道路を大型車両がどんどん走るのである。(田舎ほど砂利運搬なんてことが多いからね)
我が家のある住宅団地からちょっと出た狭い県道なんか、見に来てもらいたい。ダンプカーがひっきりなしに通るのだよ。センターラインを踏みながら。交通事情に関しては、田舎というのは今は、ちっとものどかじゃないのだ。
そんな道路では、歩道がないことも多く、あったとしてもブロックで区切られただけの車道と同一平面で、そして人が 2人すれ違うのもやっとという狭さのところが多い。小洒落た並木や植え込みなんてものは、どこの世界のお話かということになる。
そんな状況なので、「車道を走る車からは、歩道を走行する自転車が認識しにくい」 なんてことは全然ない。それどころか、自転車が歩道を走っていても、車はそのすぐそばを通り過ぎるのだ。
そして、狭い歩道で自転車同士がすれ違う時など、後ろも確認せずに突然車道に飛び出してくるのもおなじみのケースである。そんな時にいつでも避けることができるように、車の方で常に気を付けている。
繰り返すが、地方のほとんどの道路では、歩道を走る自転車が車から 「認識しにくい」 なんてことは、全然ないのだ。それどころか、自転車が車道を走ろうが歩道を走ろうが、車を運転する者としては、常に意識せざるを得ないのである。
それだからこそ一方では、自転車の方も車道を走行するのが怖くてたまらない状況でもある。大型車両が常に右側車輪でセンターラインを踏んでいなければならないような幅しかない、つまり自らの居場所がない車道を自転車で走れなんて、そんな不人情なことは、私にはとても言えない。それが地方都市での実感だ。
自転車が車道を走ると自動車の運転者がストレスを感じるという私の主張に対して、一昨日の記事では 「運転者のエゴ」 と指摘するコメントがついたが、これは 「エゴ」 とは言い切れないと私は思っている。
ごく客観的な状況として、とにかく道路の幅が狭いので、自動車は自転車をスレスレの間隔で追い越さなければならない (当然、その際には十分にスピードを落とすが)。しかし 1台の車が自転車を追い越すのを躊躇すれば、その後ろには対向車線が空いて追い越しが可能になるまで、時速 10数キロ程度の渋滞が続く。これは現実によくある現象だ。
しかし 1台の自転車が、自動車のパレードを延々と先導するというのは、ある意味社会的損失だ。それを避けたいと願うのは、決して自動車運転者のエゴというわけではなかろう。自転車側でもそんな漫画的事態の主人公になるのは嫌だから、自然の反応として、自ら歩道に逃げ込むことになる。
それでも、自転車はあくまで車道を通行し、車はその後ろを我慢して時速 10数キロで延々と進行しろ (先頭の自転車の前はガラ空きなのに) というのは、机上の空論でしかない。厳密にはエゴかもしれないが、これは否定してもしきれないエゴである。
要するに、地方都市の道路では多くの場合、自転車の車道走行を可能たらしめる物理的な車線幅がないのだ。私は車に乗っているだけでなく、自転車に乗ることだってあるが、そんな物理的に幅が足りない車道を走るのはまっぴらご免だから、当然のこととして歩道を走行する。
「健康のためなら命も惜しくない」 というジョークを私はよく持ち出すが、「遵法のためなら危険も顧みない」 なんてことは言いたくないのである。これは決して私ばかりではなく、近所の人に聞いてみてもほとんど同様だ。中には 「自分は法規を守りたいから車道を走るが、本心を言えば、怖くてたまらない」 という人もいたが。
こんな状況だから、自転車がガラ空きの歩道に逃げ込みたくなるのは、当然なのである。私は、地方都市における最も単純なソリューションは、自転車が歩道を走ることだと思っている。もっと言えば、どうせ誰も通らない歩道をカラ空きのまま放っておくのはもったいないから、実質的に自転車専用道として使えばいいじゃないかということだ。
自転車が歩道を走行するのは、車から認識しづらいから危険という指摘は、地方の道路においては、上述の如くあまり当てはまらない (だって、本当に十分認識しやすいというより、意識し続けざるを得ないのだもの) から、もう持ち出す必要がないだろう。
ただ、歩道を実質自転車専用道とみなすのは、通学時間帯 (ほんの 30分ぐらいのものだ) などは除かなければならないという条件付きになることは言うまでもない。
最後に、自転車に乗るすべての者も車両を運転しているのだという自覚をもつべきだとうことには大賛成である。大賛成だが、そして既に十分に高い意識をもった自転車愛好者には甚だ恐縮だが、私はそれが早期に実現されると期待しても無理だと実感している。
とりあえずは、「そんな意識で車道を走ったら、あんた自身の命が危ないから、どうか歩道を走っておくれ」 と言いたいのである。
繰り返しになるが、普段は自動車を運転して、「車両意識」 は十分にもっているつもりの私自身でさえ、車道を自転車で走るのはコワイと思うほど、地方都市の道路は物理的な幅が狭いところを大型車両がどんどん走るのだし。
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