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2012/02/15

ドクターストップで禁煙するという、恥ずべきエゴイズム

昨日、前の記事とカブる嫌煙記事を敢えて書いた勢いで、さらにキツい記事を、7年前の記事 とカブるけれど,重ねて敢えて書く。私は以前に書いたことの繰り返しはなるべく避けたいと思っているが、7年前に私のブログを知らなかった人の多くは、初めて読むことになるだろうから、前に書いたことを繰り返すのもたまにはいいだろう。

それは、「タバコを止める理由」 についてである。

私は 「健康問題でドクターストップがかかって、タバコを止めた」 という人を何人も知っている。タバコを止めたということに関しては祝福したいほどだが、その一方で私は、「ドクターストップで禁煙した」 という人を、内心密かに軽蔑するものである。

それまでは、周囲の迷惑も顧みず、平気でスパスパ吸って不愉快な煙を垂れ流しにしておきながら、自分の命が危ないとなると、急に掌を返すように禁煙するというのは、あまりにも自分勝手な恥ずべき姿ではないか。

「そうかい、あんたは周囲の人間の健康はどうでもいいけど、自分の命だけは惜しいのかい」 と、嫌味の一つも言ってやりたくなる。

これが言い過ぎとは、決して思わない。これだけタバコの副流煙の害が言われているのだから、喫煙者が自分の吸うタバコで周囲に健康被害をもたらしているということを自覚できないわけがないではないか。

ドクターストップがかかって禁煙したという人は、周囲に対して 「私はお前らの健康なんてどうなっても知ったことじゃないが、自分の命だけはこんなにも惜しくてたまらないのだよ」 と宣言しているのと同じなのである。

これって、あまりにも恥知らずなことではなかろうか。喫煙者には、そうした恥知らずな姿をさらす前に、適当な時期に自らの意志でタバコを止めることをお勧めする。

そしてまた、もしタバコの副流煙の害を知らない喫煙者がいたとしたら、その無知そのものが罪である。釈尊は、「知って犯す罪より、知らずに犯す罪の方が重い」 とおっしゃった (参照: 「無明」 と 「罪」 ) が、周囲の迷惑に無頓着な喫煙者の傲慢な態度をみていると、釈尊のおっしゃった意味がよくわかる。

(注)
周囲に迷惑が及ばないようにかなり注意して喫煙している人も、少数ながら存在する。そうした 「優良喫煙者」 に関しては、上述の限りではない。

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