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2012年5月に作成された投稿

2012/05/31

とりあえず、うつじゃなさそうだ

Gigazine に 「インターネットの使い方でうつ病かどうかがわかるという研究結果が明らかに」 という記事が載っている。ミズーリ大学の研究によると、うつ病の傾向のある人は健康な人とは違ったインターネットの使い方をする傾向があるのだそうだ。

その傾向とは、次のようなものらしい。

  • 必要以上のファイル共有サービスを利用する。
  • 複数のアプリケーションを行ったり来たりして、よりランダムなインターネットの使い方をする。
  • 頻繁に E メールやチャットをする。
  • オンラインゲームや動画に関連した多くのアプリケーションを必要以上に使う。

幸か不幸か、私はこの 4項目のどれにも当てはまらない。とりあえず、うつじゃなさそうだし、今後もうつになる可能性は低いとみていいだろう。よかった。

最初の 「ファイル共有サービス」 ってのは、多分オンライン・ストレージみたいなサービスのことなんだろう。私は先月 17日の「Dropbox というアプリに感嘆」 という記事で、「ファイル共有のためなら、いろいろな無料のオンライン・ストレージがあり、私もこれまで、いろいろなサービスを使ってきてはいた」 と書いている。

で、告白すると、行き当たりばったりにいろいろなサービスを使ってはきたが、どれもこれも使いにくくてかなわないので、Dropbox 以外のサービスはことごとく、使い捨てにしてしまって、今では ID もパスワードも忘れてしまった。というわけで、「必要以上のファイル共有サービスを利用」 なんか、全然していないのである。

「複数のアプリケーションを行ったり来たりして、よりランダムなインターネットの使い方をする」 というのは、なんだかさっぱりわからない。途中でメモ帳を立ち上げて コピペしたりするのとはわけが違うようだ。ブラウジングしながら急にゲームに走ったりというようなことだろうか。いやはや、とにかく私は、そんなような発想はない。

「頻繁に E メールやチャットをする」 というのも当てはまらない。メールや電話は最低限にしておきたいし、チャットは過去に 1度しかしたことがない。

「オンラインゲームや動画に関連した多くのアプリケーションを必要以上に使う」 というのも全然当てはまらない。オンラインゲームどころか、PC でゲームをするという発想がないし、動画も YouTube に時々行く程度だ。

こうして考えてみると、私は PC を仕事とブログ以外にほとんど使っていないということに気付いたのである。いやはや、それもまた少し味気ないかもしれないな。

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2012/05/30

国の施策なんて、大抵 「秘密会議」 で決まる

内閣府原子力委員会の使用済み核燃料の再処理政策を論議してきた小委員会が、経産省・資源エネルギー庁、電気事業者らの原発推進側だけを集めて、「勉強会」 と称する秘密会議を開いていたと、毎日新聞がスクープした (参照)。

4月 24日に開催された 「秘密会議」 では、表紙に 「取扱注意」 と記載された報告原案が配布され、この原案の結論部分にあたる 「総合評価」 は、再処理に有利になるよう求める事業者側の意向でかなり書き換えられたらしい。そしてその書き換えられたものが、後日の小委員会に提出された。つまり、原発推進側に事前に 「お伺い」 を立てたわけだ。

というわけで、これはけしからんと問題になっているわけだが、こうした検討委員会とか諮問委員会とかでは、似たような 「秘密会議」 がもたれることなんて、そんなに珍しいことではないと思う。政府が主催するこうした委員会の報告書なんて大抵そんな感じで、裏側で進行した 「話し合い」 の内容が強く反映されたものになる。

私も以前は業界団体のはしくれに在籍していたので、経産省 (その前は通産省) が主催する (あるいは、業界団体に委託した形で進められる) 様々な検討委員会の委員として、結構いろいろな会議に出席していたから、その辺のことは実感している。

委員として参加していても、それほど重要メンバーというわけじゃなく、いわば 「並び大名」 みたいにメンツ合わせ的なポジションで参加している場合は、月に 1度とかの頻度で開催される検討委員会に出席すると、「ありゃりゃ、いつの間にこんなに話が進んでたの?」 と呆れてしまうほどに、できあがりすぎた筋書きの議案や資料が配付される。

それでちょっとした質疑応答があって、それで終わりだ。つまり公式会議は、裏側で決められた筋書きをシャンシャンシャンで承認するためのセレモニーに過ぎない。よっぽどひどいことでもない限り、その筋書きについてごねすぎると、「空気を読めないヤツ」 として白眼視される。

委員会の討議内容が、たまたま自分の所属組織の活動内容にかなり密接に関連しすぎていたりすると、私までその 「秘密会議」 に招集されることがある。主催者はごく当然のごとく 「プレミーティング」 とか 「事前打ち合わせ」 とか称して呼びつけるのだが、他のメンバーには知らせずに行われるのだから。「秘密会議」 には違いない。

会議の会場は、参加する有力企業や団体の会議室とか、つまり 「会場借用料」 の発生しないところが使われる場合が多い。そりゃ、秘密会議で領収書をもらえないお話だから、当然だ。

ここで例えば、いつも決まってゴネる委員を煙に巻くための文言の検討とか、当たり障りのないところで散々しゃべらせてガス抜きするための、プログラムの検討なんかが行われたりする。

まあ、はっきり言って姑息な話ばかりになりがちで、当然ながら出席していてもあまりいい気持ちはしない。で、そうした 「事前打ち合わせ」 には、経産省の役人も出席してきちんと内容をウォッチしている。そんなのは当然のごとく行われている。

昔の料亭が、今はどこかの会議室に舞台を変えたと思えばいいのかもしれない。まあ、国の施策なんて大抵そんな風に動いているわけなので、反対派の意見なんて通らないことになっているわけなのである。

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2012/05/29

芸人 vs 片山

今日は遅くなってしまったので、短く書いて寝ることにする。

昨夜、帰宅途中にカーラジオを聞いたら、カンニング竹山という芸人が、片山さつき批判を叫びまくっていた。あんまり叫びまくるものだから、いくら片山さつき嫌いの私でもさすがに不愉快になるぐらいのものだった。

で、わかったのは、芸人にはうじゃうじゃ仲間がいて、論点をズラしまくってでもかばってくれるが、片山さんはよっぽど友達がいないみたいで、表立っては誰もかばってくれないみたいだということである。もつべきものは友達である。

そして、ジャニーズ事務所と吉本ってのは、結構えげつない力をもってるんだなあということだ。以上。

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2012/05/28

ユニクロ vs ジーユー

120528_mq売されてからもう 10日以上経つので、旧聞になってしまうかもしれないが、「テストするモノ批評誌」 として知る人ぞ知る 『MONOQLO』 7月号の 「ユニクロ vs ジーユー」 という企画に、私も協力させてもらっているのでご報告する。

私が参加したのは、「銀座店覆面調査」 というコーナーで、なかなかおもしろい仕事だった。覆面調査なんて、生まれて初めてだったしね。ちなみに紙面では 「辛口論客 庄内拓明氏」 (下画像参照) と紹介されているが、実際は結構甘口コメントを発している。

というのは、ユニクロの商品というのは、品番や個別商品によっては当然ながら多少の当たりはずれがあるとはいえ、全体的にはやはり圧倒的なコスト・パフォーマンスがあるのだから、甘口になるのもしょうがない。

私がユニクロの商品について書くと、必ず 「ユニクロはやっぱり安かろう悪かろうだ」 といったようなコメントがつくのだが、それはよっぽどの外れ商品を買ってしまった人か、あるいはユニクロ商品を買ったことのない人が発しているのだと思っている。

120528_ts中には、「手のひらですーっと撫でると (品質の悪さが) わかるんです」 という人までいた (参照) が、そんな超能力は一流アパレル・メーカーのベテラン品質管理スタッフだって持ち合わせない。手のひらですーっと撫でるだけでわかるのは 「風合い」 のみで、「品質」 までわかるというなら、誰も高い検査測定器を買ったりはしない。

そして 「風合い」 というのは、ある意味 「好きずき」 の問題であって、「品質的に高い低い」 の問題ではない。強いてワイルドな風合いに作ってあるものを、スムーズな風合いの好きな人が触ってみて 「これは品質が悪い」 というのは、乱暴な話なのである。

私は基本的に、ユニクロは目で見て一見してわかる部分とスペックで表示される部分については、価格の割には 「過剰品質」 と言っていいほどだと思う。ただし、「わかる人にはわかって、わからない人にはわからない」 というような微妙な感覚的部分に関しては、今でもまだ 「田舎出のカジュアル屋」 的なところが、確実に残っている。

それから、廉価版ブランド 「ジーユー (g.u.) に関して言えば、日本市場ではまれに見る 「割り切り型マーチャンダイジング」 だと思う。「この値段なんだから、品質はこんなもんさ」 という納得の上で作られているという意味で、つまり 「今シーズンだけ着られれば十分」 というつもりで買うものなのだ。

しかし、日本は 「この値段なんだから、品質はこんなもんさ」 という納得のない消費者が結構多いという、世界でも稀な市場なので、値段だけで買ってしまうとがっかりしてしまう人が出てくると思う。

基本的に 「いいものを大切に長く着たい」 という人のために作られているのではないから、その価値観でジーユーの品質を批判しても、見当はずれというものである。批判するなら 「使い捨てファッション」 を選択するライフスタイルそのものを、エコ的な観点から批判すればいい。それならわかる。

私自身もそうした観点から、ユニクロは着てもジーユーは決して着ないし。

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2012/05/27

ビジネスホテルの予約が取りにくい事情

去年の震災以後、仙台のホテルが取りにくい。楽天のホテル予約サイトでも、とくに駅前のホテルがいつも満室という状態になっている。建築関係の仕事でずっと仙台のホテル暮らしをしている友人によると、まともなホテルはほとんど企業が抑えてしまっているのだそうだ。

しかたがないから、最近 2度ほど仙台に出張したが、前夜に車で福島まで行って高速インターに近いホテルに泊まり、翌朝に仙台入りするというパターンをとった。ただ、高速道路が震災復旧工事中で渋滞することがあるので、かなり余裕を持って早朝に出発しなければならないのが痛い。

ちなみに、仙台は復興需要で建築業界が大忙しだそうだ。景気がいいといっても背景が複雑なので、手放しでは喜べないが、まあ、ぱったりと火が消えてしまうよりはいいだろう。

ところで今、東京都心のビジネス・ホテルも予約が取りにくいんだそうだ。とくに東京の東側のビジネスホテルが、週末に満室になるという。しかも若いグループやカップルの宿泊が多いというから、あまりフツーじゃないパターンだ。

種明かしをすると、これは東京スカイツリー見物の需要なのだそうである。今月 17日の 「行列に並んでもホットスポットに行きたいか?」 という記事で、そうまでして見物したいのは、全体の 15%ぐらいしかいないというようなことを書いたが、何しろ話題がビッグなので、たかが 15%といっても、分母がデカいから馬鹿にならない。

下手したら復興プラス・スカイツリー・バブルみたいなことになりかねないところを、この夏の電力事情の逼迫が抑えることになるのかもしれない。

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2012/05/26

久しぶりに物欲を刺激された

iPad を MacBook Air に変える、ロジテックのキーボード」というのが話題だ。これ、iPad のカバーとして使え、さらに開いて iPad をスリットにいれて立ててしまえば、キーボードとして使える。

私は iPad 用の外付け折りたたみキーボードを持っていて、出張の時に使ったりしているが、使い勝手はこの新製品に方が良さそうだ。単なる外付けキーボードだと、iPad を立てるためにカバーが必要になるが、カバーを兼ねたものなら、持ち運びがコンパクトになる。

これはかなり物欲を刺激されてしまったぞ。

ちなみに今日は寝不足なので、この辺で失礼。

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2012/05/25

エアコンもテレビも消してしまえばいいんでしょ

テレビを消すことによる節電効果はエアコンの1.7倍との試算」 というのが話題になっている。私は野村総研の試算によるものと思っていたが、どうやらそうではなく、野村総研がそんなような試算をしていると知った週刊ポストが、独自に試算してみた結果なんだそうだ。なぁんだ。

それによると、「省エネ性能カタログ 2011年夏版」に掲載された 42型液晶テレビの消費電力は 148Wで、エアコン (冷房能力 2.8kW) の消費電力の平均値 (冷房期間消費電力量÷総冷房時間) は 116.5W となっているので、テレビを消すことによる節電効果はエアコンの約 1.3倍なんだそうだ。

この前提で計算すると、たとえば午後 2~4時の時間帯にすべての世帯でテレビを消せば、200~300万kWもの節電になると述べられているという。

ふぅん、私はテレビというものをほとんどみないし、昨年の震災以後、エアコンのコンセントを抜いてしまったから、どっちがどうでもほとんど影響ないのだが、この記事を素朴に読み取れば、「エアコンを消せ」 とか 「設定温度を上げろ」 とかいうキャンペーンをするテレビが、テレビそのものを消せとは決して言わないというのは、お笑いぐさということになる。

しかし、この試算をしたのが週刊ポストということになると、どうも 「テレビを消して週刊誌を読め」 と言っているように聞こえてしょうがない。週刊誌を読めば紙の消費が増えるから、やっぱりエコのためにはならないので、いっそのこと週刊ポストも、「週刊誌を買うのを控えよう」 ぐらいは言ってしかるべきかもしれない。

ついでに、発表された試算の内容をみると、42型液晶テレビというのは、かなり大きな部類に入るんじゃないかと思う。それに対して冷房能力 2.8kW のエアコンというのは、一般的なスペックといえるんじゃなかろうか。どうもハンディキャップマッチみたいな気がするのだが、どうなんだろう。

それから、午後 2~4時の時間帯にすべての世帯でテレビを消せば、200~300万kWもの節電になるというのも、元々、この時間帯はあまりテレビのスイッチが入っていない時間帯なんじゃなかろうか。でもまあ、エアコンを点けている分、テレビを消せという主張ならわからなくもない。

とりあえず、私の感覚だと、どっちがどうとかいうより、要するにエアコンもテレビを消してしまえばいいんじゃないの? ということになるのだけどね。

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2012/05/24

とりあえず、Google Chrome に乗り換えてみたが

昨日、「Google Chrome がブラウザー・シェア No.1 になったらしい」 という記事の中で、「私も Firefox を卒業して Chrome に乗り換える時期が来たのかなあ」 と書いたら、めぐみ さんが 「Chrome快適ですよー。 私は長らく Firefox でしたが、Chrome に乗り換えてからはほとんどそれだけを使ってます」 と、とてもサウンズグッドなコメントを書いてくれた。

さらに 山辺響 さんが、「SRware Iron です」 という書込みをしてくれた。SRware Iron というのは Google Chrome ベースのブラウザーだが、個人情報保護強化や広告ブロックなどが図られているという (参照)。昨今の Google は個人情報をスキャンするというのがかなり気にかかっていたので、これにはかなり惹かれた。

どちらにしようか迷いながらあちこちググっていると、Unchrome というソフトが Chrome を匿名化して、個人情報の送付を阻止してくれるということがわかった。それなら OK ということで、Google Chrome と Unchrome の抱き合わせで使うことにした。個人情報問題が気になる人にはオススメである。

面倒くさいような気がしていたブックマークのインポートも一瞬の間に済んで、改めて再起動させてみると、Firefox とは比べものにならないほど速い。軽快そのものである。何でもっと早くから Chrome にしなかったかなあと思うほどだ。

ただ、問題が 2つ見つかった。1つ目は、フォントがダサくて、行間が狭すぎるため、CSS で行間を設定していないサイトのテキストが読みにくいこと。ただ、これはデフォルトのフォントを 「メイリオ」 に変えることで、ある程度解決した。Chrome ユーザーにはオススメの解決策である。

ただ、2つ目の問題はどうしようもない。それは、このココログの記事を書く時、管理ページの作成画面で、「記事の作成」 「HTML の編集」 という 2つのモードが使えないことである。また、画像挿入を指定するポップアップ・ウィンドウの機能も使えない。これは iPad の Safari でも同様の問題なのだが、これが使えないと、記事作成が結構面倒くさい。

これって、Chrome/Safari 側の問題なのか、ココログ側の問題なのかわからないが、何とか対応してくれないかなあ。

というわけで、妥協策として、Chrome をデフォルトとして使い、ココログ記事作成の時だけは、しかたなく Firefox を起動させることにした。当面はこの折衷策で行ってみようと思う。ただ、あまり煩雑だと泣く泣く Firefox に戻ることになるかもしれない。なんだか、心の底まではすっきりしないなあ。

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2012/05/23

Google Chrome がブラウザー・シェア No.1 になったらしい

大変だ。Google Chrome が世界シェア No.1 になってしまったらしい。Slashdot.jp の記事によると、先週の日曜日に Internet Explorer (以下 "IE" と表記する) を抜き去って、世界で最も使用される Web ブラウザとなったというのである。(参照

日本では考えられないことだ。私は IE 以外のブラウザーを使っている人を、周囲で見たことがない。唯一私のみが IE 嫌いで Firefox を使っている。日本人というのは、よっぽどあてがい扶持が好きな民族だと思う。

そして私でもセカンド・ブラウザーとして使わなければならないほど、IE は生活に浸透している。オンラインバンキングやネット購入などの電子証明書方式のサイトは、IE 以外で使えないことが多いのでしかたがないのだ。

翻って Slashdot の記事をみると、こんなふうになっている。

Statcounter による 2011/5 〜 2012/5 の調査によれば、43.9 % あった Internet Explorer の世界シェアは、31.4 % にまで減少している。一方、Google Chrome は同じ調査期間内で 19.6 % から 32 % に世界シェアが上昇中だ。Internet Explorer はまだ米国内では No.1 の地位にいるが、2012 年 2 月以降、37.8 % から 30.9 % に暴落、一方で Google Chrome は 23.8 % から 27.1 % に増えている。現在のペースであれば、米国内でも 6 月末までに Internet Explorer を Chrome が抜いていくことになるだろうとしている。

へえ! ってなものである。そんなにすごいことになっているのかと、試しに私のサイトのアクセス解析をみると、相変わらずブラウザのメインは IE で、今月に入ってからのシェアは、IE の 8.0 が 19.7%、9.0 が 14.3%、7.0 が 9.3%、そして今もしつこく残る IE 6.0 が 5.3% と、合わせて 48.6%。依然として圧倒的なシェアを占めている。

しかし、2番手の交代が明らかになっている。長らく 2番だった Firefox が 11 と 12 を合わせて 10.4% にとどまり、15.6% まで伸張した Google Chrome の後塵を拝してしまっているではないか。ふぅん、知らんうちに、日本でも少しは地殻変動が起きていたんだ。考えてみれば、IE のシェアが 50% を切ったというのも大変なことだ。

ちなみに、私のサイトに来る人は昔から IE 嫌いの傾向がやや強いらしく、日本全体の IE シェアと比べると、少しだけだが低い数字を示し続けてきた。だから、今でも日本全体では IE は 50% を越えているのだろう。よくまあ、こんなに使いづらいブラウザを放り出さないものだと思う。

私は Netscape 時代からずっと Mozilla 系のブラウザを使い続けてきたのだが、最近は Firefox の起動の遅さにかなりジレてきている。いつもは PC での作業を終えても Firefox を起動させたままで休止状態にしているので、あまりイラつかないで済むのだが、たまに再起動すると、本当にイライラする。

私も Firefox を卒業して Chrome に乗り換える時期が来たのかなあ。

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2012/05/22

今日の関東の天気は、東京タワーの怨念?

夜が白々としてきた頃から、寝ぼけながらも 「何だか寒いなあ」 という気がしていた。きっと布団を蹴飛ばしてしまったに違いないと思い、寝ぼけながらも改めて布団をかけ直して潜り込もうとしたが、別に寝相が悪いわけでもないと気付いた。これはどうも、世の中が寒いのだ。

何となく寒々しい気がしながら起きて、妻に 「おはよう。今朝って寒いの?」 なんて妙な質問をすると、妻は既にラジオで天気予報を聞いていて 「今日はこのまま気温が上がらなくて、3月下旬の寒さなんですって」 と言う。へぇ、やっぱり、世の中が寒いのは気のせいではなかったのだ。

ところがニュースを聞いているうちに 「こりゃ、何だか変なことになっているな」 と気付いた。東海から西は、きちんと暖かいらしい。いや、それどころか北海道では 25度以上の夏日になるところもあるという。翻って、関東はせいぜい 16度だというのだから、北海道の方が 10度近くも暖かい。寒くて荒れ模様なのは、関東だけなのだ。

さらにこの寒くて荒れ模様の天気は本日限定で、明日は一転して晴れ、気温は 10度も上がって、6月下旬の陽気になるという。天気の極端な変化にはもう慣れてしまった気がしていたが、そうまで極端だと、いくらなんでも驚く。

ニュースは 「今日は東京スカイツリーの開業日ですが、あいにくの天気になってしまいましたね」 などと言っている。

ここで、「あぁそうであったか」 と気付いた。東京スカイツリーの開業日にわざわざ当て込んだような、本日の関東限定の寒い荒れ模様は、東京タワーの怨念であったかと、個人的にはすっかり納得した。そうだ、誰が笑おうと、そうに違いない。

ちなみに 「東京タワーの開業日も雨が降った」 という情報があるが、東京タワーの開業日に展望台に昇った人の多くは、「天気が良くて遠くまで見えた」 と証言していると、私は聞いている。一体どっちが本当なんだ?

近頃はこういうことを調べるのに苦労はいらない。インターネットでサクサクと解決する。気象庁の気象統計情報によると、東京タワーが開業した 1958年 12月 23日の東京の降水量は 15.6mm の雨が降ったが、少なくとも昼過ぎまでは天気がもったようだ。

午前 10時台と 11時台は 「0.0mm」 の降水量が記録されているが、これはつまり、「降ったような気がしたが、記録的には 0.1 mm にも達しない」 というようなことだった。(参照) そして 14時以後になって、1時間ごとに 0.3mm、1.2mm、0,3mm という降水量が記録されているが、いずれにしてもごく小雨だ。

17時台になってようやく雨らしい雨になり、3,1mm という記録があるが、その時間帯はちょうど冬至の頃とて、とっくに日が暮れていただろうから、そのせいで遠くの景色が見えなくなってがっかりしたということもなかろう。

つまり、今日の東京スカイツリーの開業日の雨は、53年半前の東京タワーの開業日の雨とは比べものにならないほどの 「まともな雨」 だったのである。しかも雷までゴロゴロ鳴ったとあれば、これが怨念でなくて何であろうか。

怨霊と雷は、切っても切れないものなのである。怨霊のスーパースターである菅原道真公の場合は、死後しばらくしてから内裏の清涼殿に落雷があり、大納言藤原清貫ら、数人が雷に撃たれて死んだ。

3日前の 「行列に並んでもホットスポットに行きたいか?」 という記事には、乙痴庵 さんが 「スカイツリーが開業する前に東京タワーに昇っておかねば」 というようなことを書き込んでくださったが、中にはスカイツリーの開業日に合わせて東京タワーに昇ろうという人もかなり多くいたらしく、芝の辺りは悪天候にもかかわらず妙な混雑をみせたらしい。

ここは多くの人に東京タワーに昇ってもらい、その怨霊を鎮めなければなるまい。ちなみに私はこれまでに 5~6回昇っているから、もういい。

【追伸】

夜のニュースによると、東京スカイツリーのエレベーターが、強風が原因とみられる故障で停まるという事故があったという。これはますます、怨念を鎮めなければ。

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2012/05/21

金環日食が見えちゃった

金環日食について一昨日の記事で、「ものすごく運が良ければ、20日は晴天の下で仕事ができて、その晴天が 21日の朝までもってくれるかもしれない」 と書いたが、結果から言うと、ものすごく運が良かったようで、金環日食がきれいに見えちゃったのである。

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しかも、日食観測用グラスなんて気の利いたものを買ってない私にはおあつらえ向きに、いい具合にちょうどいい厚さの雲がフィルターになってくれて、肉眼でしっかり見えたのだった。私は、天気に関しては無茶苦茶運のいい男のようなのである。

写真はやや左側に、かけ始めた太陽が映っている (クリックで拡大される)。金環日食になったところもきれいに見えたのだが、残念なことに写真には取り損ねた。明るすぎて、同心円状に暗くなった太陽が、カメラには認識できなかったようだ。

昨夜は甲府のビジネスホテルに泊まり、一応、窓のカーテンは開けたままにして寝た。こうしておけば、朝になれば自然に明るくなって目が覚める。最近のホテルの窓は磨りガラスになっているか、そうでなければ大抵レースのカーテンも付いているから、外から丸見えにはならない。そもそも、大抵高いところに部屋があるから、大丈夫だ。

目覚まし時計なんて設定しておくと、大音響が鳴って、壁の薄いビジネスホテルでは隣近所に迷惑になるから、私はいつもそうしている。

で、今朝も 6時前に明るくなって自然に目が覚めた。窓を開けてみると、昇る朝日がもろに見える。「なんだ、こんなに晴れちゃったら、金環日食が見えちゃうじゃないか」 というわけで、「儲けもの」 の幸運に、少しだけ心が躍った。

7時にホテルの朝食を食べてちょっとコーヒーを飲み、7時 20分におもむろに外に出てみると、写真のように、ちょうど太陽が雲に覆われたところだった。しかし、これが幸いだった。肉眼ではまともに見えない日食が、雲のフィルターを通してよく見える。

そうこうしているうちに、太陽はどんどん欠けていって、7時半頃にきれいな金環日食になった。雲のおかげで、肉眼で十分に見える。となりで見ていたオッサンの日食観測グラスを借りて見ると、影絵に毛が生えたみたいで、全然臨場感がなく、おもしろくも何ともない。これはやっぱり、肉眼で見る方がずっといい。雲のフィルターよ、ありがとう!

それにしても、金環日食というのは、全然暗くならないのだということがわかった。いや、少しは暗くなったのかもしれないが、気付かなければ全然気付かないという程度の違いでしかない。実際、興味のない人は全然気にしないで会社に急いでいる。

気象予報士の森田正光さんによると、赤瀬川源平さんが 「皆既日食の価値が 1万円だとすれば、金環日食なんて 100円程度のものだ」 と言ったというのだが、なるほど、そんな程度のものである。雲のフィルターがなかったら、太陽が欠けたということにすら気付かないほどだ。

そうこうしているうちに、私は子どもの頃のことを思い出した。いつのことだったろうかと Wikipedia で調べたら、1963年 7月 21日とわかった。私が小学校 5年生の時である。この日、日食が見えるというので、小学校のクラスは大騒ぎになり、みんなでセルロイドの下敷越しに太陽を見ていたことがある。

その時も、影絵芝居のような欠けた太陽が下敷に映ったのを眺めて、私は 「なんだ、こんなものか」 と、ちょっとしらけたのを憶えている。やっぱり、日食というのは皆既日食でないとあまりドラマチックじゃないようなのだ。

とはいえ、この目で直接、金環食を見ることができて、話の種になったというのは、やはりラッキーだったと思っている。

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2012/05/20

「PC 定年問題」 の根本的な意味

IT Media が 「PC 定年問題」 というのを論じている。その中には、企業でも Ultrabook を活用すべきだとか、Windows XP ではセキュリティ的に限界だとかいうトーンの記事が満載なのだが、私の実感としては、野放図に使い続けた Windows XP マシンは、もう使い物にならないということでしかないと思っている。

私が関係している中小企業では、今でも Windows XP マシンを使っているところが多い。私としては、XP でも上手に使い続ければまだまだ十分に使えると思っているのだが、彼らの PC の多くはもう、使い物にならない状態だ。何しろ、動作が遅すぎるのである。

起動するまで延々と 5分以上待たされる。下手すると 10分ぐらいかかるのもある。

起動しても、プログラムが立ち上がるまでにまたしても延々と待たされる。さらにプログラムが立ち上がっても、一つ一つの動作が異常に遅い。フリーズしてしまったのかと疑い始めた頃に、ようやく反応する。

私なら到底耐えられないほどの遅さである。

この異常な重さを解消するには、デスクトップに置かれた山のようなファイルをきちんと整理し、デフラグをし、あちこちに溜まった屑ファイルを削除し、プリインストールされてはいたものの、一度も使ったことのないアプリケーションをアンインストールし、それでもダメなら、OS を再インストールしてやらなければならないだろう。

そんなことをするぐらいなら、PC そのものを買い換える方がずっと手っ取り早い。しかし、私はそれを勧めるのに躊躇する。

彼らの多くは、速くなった PC を使ったとしても、その投資に見合っただけの効率アップが得られるかどうか、疑問なのだ。もしかしたら、今のままのトロッとしたスピードで十分なのかもしれないのである。時速 40km/h しか出せない人にスポーツカーを運転させてもしょうがない。

私は、多くのユーザーにとっての 「PC 定年問題」 とは、個々のマシンのアップデートではなく、「PC というデバイスの定年」 を意味するのではないかという気がしている。

近頃私は「PC を買い換えろ」 と勧めるなんて無意味と気付いたので、「どうせまともに使いこなせていない PC なんか、さっさと見切りをつけて、iPad にしちゃいなさい」 と、あちこちで言っている。

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2012/05/19

金環日食の朝の天気は?

明後日、金環日食なんだそうだ。それを見ることができればとてもエキサイティングなことなんだろうが、実は私は、あまり期待していない。それどころか、それは朝の 6時頃から徐々に始まるらしいということも、今日初めて知ったというほど、興味がない。

私が金環日食を期待していないのは、明後日の朝、空が曇っていて太陽が見えなかったとしてもがっかりしないように、予防線を張っているのである。私は前々から、この日は曇るか雨だろうと予測していた。多分、日食は見えないだろう。天気予報でもそんなようなことを言っているし。

何ゆえ晴れないかと思っているかと言えば、その前日、つまり明日、私は出張で山梨県に行くことになっているからだ。この日の仕事は野外での写真撮影があるから、晴れないと困るのである。そして私は有名な晴れ男で、出張では、90%以上の確率で晴れるのである。そして翌日からは大抵雨になるのだ。

つまり、天気は私の出張に合わせて、辛うじてもってくれるというパターンが多いのである。それで私としては、金環日食よりも自分の仕事の方が大事なので (申し訳ないが、何しろ金がかかってるし)、大分前から 20日は晴れて 21日は曇りか雨になるだろうと、覚悟を決めていたのである。

そう覚悟を決めていたから、日食観測グラスとかいうようなグッズも、まったく買う気になれなかったのである。そして実際に、買わなくてよかったというような天気になってしまいそうなのだ。楽しみにしている人には、甚だ恐縮だが。

明後日の朝は、甲府のホテルで迎えることになる。ものすごく運が良ければ、20日は晴天の下で仕事ができて、その晴天が 21日の朝までもってくれるかもしれない。そういえば、甲府というところは、日照時間が日本一長いのだそうだ。とはいえそれはもう、それこそ天にお任せである。

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2012/05/18

「世間の空気」 と一体化している人

先日カーラジオを聞きながら運転していたら、「誰かとどこかで」 という番組で永六輔さんが、「最近タレントが、自分の不祥事をカメラの前で涙ぐみながら詫びるのを見たけど、あれって、一体誰に謝っていたんだろう」 と、いかにも不思議そうにおっしゃった。

アシスタントの遠藤泰子さんが 「視聴者にでしょうかねえ」 と言うと、永さんは 「だって、視聴者は別に迷惑を被ってないもの」 と、さらに不思議そうにおっしゃる。「お騒がせして申し訳ありませんなんて言って、頭を下げてるんだけど、別にそんなことなくて、視聴者は逆におもしろがってるだけなんじゃないの?」

この 「自分の不祥事を、カメラの前で涙ぐみながら詫びる」 という行為は、私も最近、たまたまテレビで見た。なんだか知らないが、「二股交際疑惑」 なんだそうだ。私はその二股交際劇の登場人物は、この謝っているやつも含めて三人とも知らない。

だからその間の事情はさっぱりわからない。わからないけれど、改めてググってみるほどの意味があるとも思えない。ほかのことなら、わからないままだと夜眠れなくなっちゃったりすることもあるのだけれど、この類のことは、わからなくても全然構わない。夜もよく眠れる。

とまあ、その程度のことなので、私としてはそれを見ておもしろがっている視聴者のレベルにも達していなくて、「何だか知らんけど、こいつ、何で謝ってるんだ?」 と思いながら、ぼんやりと眺めていた。

少なくとも、私自身はあのタレントに 「謝られている」 とは全然思わなかった。だって、全然知らん男が知らんところで、知らん女二人にちょっかい出していたなんてことで、私には謝られる理由が全然ない。あれは、誰か別の人間に謝っていたんだろうと思っていたが、そうだとして、よく考えると、はて、一体誰に謝っていたんだ?

永六輔さんが不思議がるのも無理もないのである。

後から考え直すと、あれは多分 「世間の空気」 というものに対して、一応謝ったふりをしていたんじゃなかろうかと思う。謝ったふりをしつつも、そんなことをしている自分が何だか情けなくなって、思わず涙ぐんじゃったりしたのかもしれない。

だから、自分が 「世間の空気」 というものの一部と感じている人たち、あるいは 「我こそは世間の空気である」 と自認している人にしてみれば、もしかしたら、あれは自分に対して謝っているんだと感じることができたのかもしれない。してみると、「世間の空気」 というものは、ずいぶんエラそうなのである。

なるほど、世間には何だか知らないけれど、自分の手柄でもないどうでもいいことを、ずいぶんエラそうに得々と話したがる人が少なくないのも道理であると、還暦も近くなった今日、ようやく納得したわけである。

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2012/05/17

行列に並んでもホットスポットに行きたいか?

東京スカイツリーの開業が迫ってきて、7月までの展望台への入場チケットは日時指定の完全予約制で、しかもインターネット予約に関しては抽選性だったのだそうだ。それでも蓋を開けてみたら相当な混雑が予想されるという。

それで、ちょっと前に聴取者参加型のラジオ番組で、「話題のスポットに並んででも行きたいか」 というアンケートを取っていた。その結果、「並んでまで行きたいとは思わない」 という回答が 85%以上の圧倒的多数を占めて、番組的には拍子抜けだったようだが、私としては 「ごくノーマルな結果」 と思ったのだった。

この番組の後半には、異常にホットスポット好きの番組ディレクターが登場して、「長蛇の列ができるほどホットなうちに行ってこそ意味がある」 と熱っぽく、しかしややあざとく語っていた。「並んででも行きたい」 というのがあまりにも少数派で、サクラさえ成立しないような状況だったため、仕方なく身内で済ませたというような印象だった。

ただ、85%の多数派の 「期間限定でさえなければ、大抵はちょっと待てば空く」 という、とても当たり前の見解は、少数派にとっては 「ぶちこわし」 でしかないもののようなのである。ちなみに私自身も、この件に関してはごく当たり前にぶちこわし的多数派の一人なのだが。

ちまたでは 「行列のできる美味しい店」 が話題になるが、フツーの多数派は、行列に並ばなければ食べられないおいしい店よりも、すぐに食べられるフツーの店もしくはそれほどおいしくない店の方を選んでしまうらしい。それが 「日本のフツー」 のようなのである。

「行列のできる店」 や 「長蛇の列のできるホットスポット」 が話題になるのは、「犬が人に噛みついてもニュースにならないが、人が犬に噛みついたらニュースになる」 というような現象とみてもいいだろう。つまり、「フツーじゃない」 から目立つのだ。

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2012/05/16

「熱い心」 は 「アツい心」 に変わってきているようなのだ

昨日 "「熱い/暑い」 と 「厚い」 のアクセントの違い"という記事の中で、「熱い心」 「熱い戦い」 などの 「熱い」 の部分のアクセントを平板に言う人というのは、きっと漢字で考えていないのだろうというようなことを書いた。頭の中は平仮名なんじゃなかろうかと。

この記事に、S太郎さんが次のようなコメントを付けてくれた。

試しに 「熱い戦い」 と 「アツい戦い」 でググってみましたが、「熱い戦い」 が9,040,000 件に対し 「アツい戦い」 が21,800,000 件でした。

びっくりである。もう人々の頭の中には 「熱戦」 と同義の 「熱い戦い」 というコンセプトはなく、さらに平仮名ですらなく、カタカナの 「アツい戦い」 しかないのか。平板アクセントで言う人の頭の中にあるのは、「アツい戦い」 という言葉だったのか。そのように思考する人が、既に 「熱い戦い」 派の 20倍以上にもなっているのか。

しかし、ここでふと気を取り直した。「アツい戦い」 でググると、「アツい」 と 「戦い」 が一つながりになっていなくても拾ってしまう。そこで念のため、クォーテーションマークを付けて、一つながりの言葉のみを拾うようにすると、次のような結果になった。

”熱い戦い”   1,240,000件
"アツい戦い"   122,000件

かなりホッとした。「アツい戦い」 派は 「熱い戦い」 派の 10%弱である。いや、しかし、「アツい戦い」 と入力するには手間がかかるから、この見た目の数字以上に、頭の中が 「アツい戦い」 になっちゃっている人は多いだろう。

さらに念を入れて、「熱い心/アツい心」 でもググってみると、下記のように 「アツい」 派は 「熱い] 派の 15.6%ほどになっている。「熱い戦い/アツい戦い」 のケースよりもずっと平板アクセントに誘われてしまう数字である。

"熱い心"  352,000件
"アツい心"   54,600件

人々の頭の中の 「熱い」 という言葉は、かなりの割合で 「アツい」 に振れてしまっているということがわかった。それで、「熱い」 という言葉の本来持つ 「つ」 にアクセントを置く言い方ではなく、平板に流れているのだと。

S太郎さんがちょっと極端な数値を示してくれなかったら、こんなことを調べてみるという発想すらわかなかっただろう。その意味で、クォーテーションマークを忘れてくれたことに感謝である。何が幸いするかわからない。

「熱い戦い」 とか 「熱い心」 とかいうのは、時代とともに本来の熱気を失ってしまって、「アツい戦い」 とか 「アツい心」 とかいう程度の生ぬるさに落ち着いてしまい、それとともにアクセントもクールな平板型に変化してしまったのではないかという仮説である。

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2012/05/15

「熱い/暑い」 と 「厚い」 のアクセントの違い

最近、というより、かなり前から気になっているアクセントの混乱がある。それは 「熱い心」 とか 「熱い戦い」 という場合の 「熱い」 のアクセントである。これを平板で言う人がかなり多いのだ。アナウンサーの中にも平板で言う人が珍しくない。

当然ながら 「熱い」 の本来のアクセントは、中高型、つまり 真ん中の 「つ」 にある。語源としては 「暑い」 と同じなのだから、考えるまでもなくそうなる。(関西アクセントだと 「あ」 にあるようだが、ここではいわゆる 「標準語」 を基準とする) 「暑い日」 や 「暑い夏」 という場合の 「暑い」 を平板型アクセントで言ったら、かなりの違和感になる。

ちなみに 「熱い鉄板」 は、大抵の人がちゃんと 「つ」 にアクセントをおいて発音する。これを平板で言ったら、意味が変わってしまう。 「厚い鉄板」 に聞こえてしまうからだ。ところが、「熱い心」 や 「熱い戦い」 はなぜか、多くの人が 「厚い心」 とか 「厚い戦い」 のアクセントで言う。

これを平板で言ってしまう人というのは、発音する時に頭の中に漢字が浮かんでいないんじゃないかと思う。多分平仮名で考えているのだ。それを漢字にさせたら、「厚い心」 とか 「厚い戦い」 (「熱い戦い」 は 「熱戦」 なんだから 「厚い戦い」 のはずはないのだが) とか書いてしまう人が何割かいると思う。

つまり、まともに意味を考えずに、単なる慣用句として使っているのだ。きっと。

翻って、庄内弁で考えると、「熱い/暑い」 と 「厚い」 は、明確に区別される。なにしろ、別の単語になるのだ。庄内弁では 「熱い/暑い」 は 「あちぇ」 あるいは 「あっちぇ」 であり、「厚い」 は 「あっづ」 である。「あっちぇ鉄板」 と 「あっづ鉄板」 は、間違いようがない。

共通語においても、「熱い」 は極まると 「あっちっち!」 なんて言うが、「厚い」 はいくら強調してもそんな言い方には決してならない。「くそ暑い」 とは言うが、「くそ厚い」 とは言わない。そして 「分厚い」 とは言うが 「ぶ暑い」 とは言わない。

もしかして、古代においては 「熱い/暑い」 と 「厚い」 は、意味だけでなく発音まで微妙に違っていたのかもしれないと、私は思っている。

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2012/05/14

東北出張、山場を越える

東北出張、3日目が無事に終わって、さっき宮古市から盛岡に戻ってきたばかりである。明日は盛岡でのちょっとした用を済ませたら、後は延々と東北道、磐越道、常磐道を辿って家に帰るだけだ。山は越したのでホッとしている。ただ、明日は 520km の道のりを運転する。無理せずにゆったり帰ろうと思う。

ところで、ふとしたことから、東京の小石川植物園に 「ニュートンのリンゴの木」 というのがあると知った。あの、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見したといわれる、そのリンゴの木なんだそうである。1964年に英国国立物理学研究所所長サザランド卿から東大の柴田雄次教授に贈られたのだという。

それでちょっと笑ってしまったのは、この木に合格祈願する受験生がいるという話である。こんなにも科学的なお話をネタにして、合格祈願するといのは、どういうメンタリティなのだろうか。同じ祈願するなら、近くの湯島天神にでも行く方がいいだろうと思うのだが。

それに、「リンゴの落ちるのを見て大発見した」 という、その木に祈願したら、自分も 「落ちてしまう」 というような気がしないのだろうか。

それとも、あれはリンゴの実が木から 「落ちた」 のではなく、地面の方が上に上がってきたと捉えるべきであり、リンゴの実は地面とともに上昇する木から離れたために、昇ってくる地面と衝突したということなのだろうか。そうだとしたら、壮大な発想の転換である。立派なものである。

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2012/05/13

東北出張 2日目を無事に終える

仙台での仕事を終えて、今し方、ようやく盛岡のホテルに入った。いやはや、仙台から盛岡までは、何だかんだ言っても 200km 近くあるのだね。私のイメージでは 100km ちょっとと錯覚していたから、運転し始めてから高速道路上で 「盛岡、まだか、遠いなあ!」 と、ちょっとじれてしまった。

高速道路に乗ってから間もなく日が暮れてしまって、周囲の景色はほとんど見えなくなったし、運転していても退屈きわまりない。その退屈が 200km 近く続くのだから、やっぱり高速道路というのはあまり楽しいものではない。

明日は宮古市まで往復しなければならない。やれやれ。寝不足にならないように、今日のところはこれで失礼。

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2012/05/12

例の控訴の件について

あんまり馬鹿馬鹿しいから、わざわざ書くこともないと思っていたのだが、やっぱり一応書いておく。今日から東北出張で、往復 1,400km 以上を三泊四日で運転するので、福島のホテルでささっと書いて眠ってしまいたいのだ。

何かと言えば、小沢さんの件の控訴についてである。私は何度も書いたように、あれは無罪でいいんだと思っている。これ以上裁判しても、馬鹿馬鹿しいだけだ。それなのに、指定弁護人とやらは、「重大な事実誤認がある」 なんてことを言って、控訴してしまった。

これでまた 1~2年、(いや、2~3年?) どうでもいい裁判が続くことになる。さらに、控訴審でも多分無罪になるだろうから、指定弁護人はそれではメンツが立たず、きっと最高裁まで上告したがるだろう。そうなれば、さらに時間がかかる。

そうこうしているうちに、小沢さんは 70歳をあっさりと越して、じじいになる。そうでなくても健康不安を抱えているのだから、もうほとんど 「終わった政治家」 だ。まあ、私は既に 「終わってる」 と思っているので、それに関してはどうでもいいが、馬鹿馬鹿しい話がまだまだ続くことにはうんざりしているのである。

今日はこれでおしまい。

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2012/05/11

Google というサービス

Google という会社のサービスには、本当にお世話になっている。私の PC のブラウザを立ち上げると、最初に表示されるのは iGoogle というページで、このページに表示された最新ニュースに目を通すことから、私の一日は始まるといってもいい。

何か知りたいことがあれば、とりあえずググってみる。図書館に行かなくても、居ながらにして最新情報にアクセスできる。学生時代にインターネットというものがあったなら、私の知識量は膨大なものになっていただろう。

その他にも、Gmail や マップ、カレンダー、YouTube など、Google のサービスはかなりヘビーに使っている。それどころか、Google Apps でオリジナル・ドメインのメルアドまで誂えて、仕事上で使っている。

こんなに便利なものをいつもほとんど無料で使えわせてもらい、さらに私のサイトやブログには Google 検索経由でのアクセスがしょっちゅうあって賑わっているのだから、まさに Google には足を向けては寝られない。

それでも、と私は言いたいのである。Google のサービスは使いにくいと。

これは個人的な印象なので、「そうじゃないだろ!」 と言う人がいても全然不思議じゃないのだが、Google を本当に使いこなすのはむずかしい。かなりのヘビー・ユーザーである私でも、戸惑うことが結構ある。

一番戸惑うのが、Youtube である。Google に統合される前はごくシンプルな動画投稿サイトで、扱いもそれほど煩わしくはなかったという印象がある。ところが Google と一緒になって機能が統合されてからは、自分の 「お気に入り」 に登録した動画を探すだけでも、「あれ、どこをポッチリすればいいんだっけ?」 と、戸惑うことが多い。

機能がやたら豊富になった上に、Google 本体との連携を取るために、ユーザー・インターフェイスにいろんなものがゴチャゴチャ詰め込まれている。ユーザーにしてみれば Google は別物という印象なのに、無理矢理統合されているので、その辺りの操作になかなか慣れることができない。要するに、「直観的」 じゃないのである。

直観的ではない代わりにとても論理的なので、一貫したメソッドに従えば操作に戸惑うことはないはずなのだが、論理的メソッドというのは、レンガを積むようなものである。下から 5段目の層に到達するには、きちんと一番下から順に積み上げなければならない。それなしに、いきなり 5段目に相当する空間にレンガを置くことはできない。

つまり、何かする度に基本とか前提とかに立ち返って再出発することを求められるのが 「論理」 というもので、結構 「面倒くさい」 のである。だから人はいつも、感覚的あるいは直観的なショートカットで論理を端折りたいと思う。そして、こうしたショートカットに堪能なのが Apple である。残念ながら、Google はそれがお下手だ。

Google のコンセプトやメソッドは、多分スマートすぎるのである。このままの勢いでますますスマートになっていかれたら、単純な検索やカレンダー、メールとかの機能以外は、フツーのユーザーには 「面倒くさいモノ」 になる。そう、決して 「難しすぎ」 というわけではなく、学べばちゃんと理解できるはずなのだが、「面倒」 なのである。

これって、PC 創世記の頃の MS-DOS の操作感覚に、少し似ている気がする。きちんとモノにすれば便利でたまらないほどなのだが、それまでがうっとうしい。Google のサービスには、そんな感覚がつきまとう。

それは、Android にしても同様だ。私は今年 2月 20日に "「スマホが使いにくい」 とこぼす人" という記事を書いて、年寄りがスマホを使いたいというなら、Aandroid ではなく iPhone を勧めた方がいいと主張した。おもしろいことに、この記事を紹介したはてなブックマークには、2通りのコメントが付いた。(参照

「そうそう、高齢者にスマホをおすすめして、それが Android だったりすると手が付けられない。iPhone 一択」 という経験論的賛同コメントと、「使いにくいと言う人のほぼ 100% がAndroid 説 (筆者はiPhoneユーザ) 」 という、ちょっと斜に構えたコメントだ。

斜に構えた方のコメントは、「筆者はiPhoneユーザ」 という注釈、つまり 「ユーザ」 という標記を選択しているということからも、それなりの PC ヘビー・ユーザーであることがうかがわれる。うん、確かに、PC ヘビー・ユーザーなら、アンドロイドでも問題はないのだよ。

ただ、私は PC ヘビー・ユーザーだけれど、今後も Android は選択しないと思う。

Google plus に関しては、私も行きがかり上、勢いで登録してしまった。時々何かの拍子に間違って 「+」 ボタンをクリックすることがある (だって、iGoogle の左上の、一番クリックしちゃいそうな位置にあるのだもの) ので、Google の発表した 「1億人以上のアクティブ・ユーザー」 の中に数えられているのだと思う。

ただ、Twitter と Facebook をやって、それ以外に Google plus まで本当にアクティブにやるほどの暇は、今のところないのだよね。Google Drive にしても、ちょっと疑問を感じちゃって、手つかずになっているし (参照)。

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2012/05/10

芝居小屋の無駄な広さと、英語を学ぶ意味

歌舞伎は江戸の庶民の最大の娯楽だったが、そうは言っても、フツーの江戸っ子がしょっちゅう歌舞伎見物に通っていたというわけじゃない。なにしろ、歌舞伎上演が御上に認可された劇場は、江戸に三つしかなく、江戸三座と言われていたが、それはちょっと辺鄙な場所にあったのだ。

江戸の中心から離れた浅草の先の街外れに、吉原と同様 「悪場所」 として隔離されていたから、「ちょっと芝居見物にでも行っつくらぁ」 なんて言って、気軽に出かけるようなところでもなかったのである。というわけで、いつも満員盛況というわけじゃなかった。

大抵の興業では閑古鳥が鳴くとまでは行かなくても、広い芝居小屋の客席で、余裕たっぷりに座ったり寝ころんだりして見ていられるぐらいの入りでしかなかったらしいのである。まあ、そんなものなんだろう。

で、当時もそれを不思議がる者がいたのは当然の話で、「どうして芝居小屋は、大した客も入らないのに、無駄に大きくしつらえてあるのだ」 と、ある若い男が常連客に聞いたというのである。その疑問に、見巧者の常連はこう答えた。

「いつもはガラガラでも、年に一度の顔見せや、大立者の襲名披露などでは、押すな押すなの大入りになる。芝居小屋というのは、その年に一度か二度の大入りのために、無駄に見えるようでも大きく作ってあるのだ」

不意にこんなことを思い出したのは、英語教育を専門とされる emi さんがブログで、こんなふうなことを書いておられるからだ。(参照

ものすごい "そもそも論"だけど
日本人に英語教育なんて要るんだろうか。

"9割" かどうかはともかく
日本にいる日本人のほとんどは英語を必要としない。
中途半端にかじった学習者を増やすことは
英語力の向上になんら貢献しないどころか、有害でさえある。

なるほど,確かに私は今、日本に住んで英語をほとんど必要としない生活をしている。時々和歌ログの和歌を英語の haiku にしたりしてはいる (参照) が、それはせいぜい趣味の世界の話で、必要に迫られてやっているわけじゃない。

昔、外資系に勤めていた頃は、毎日英語で考えている時間の方が長いぐらいだったが、あのちょっと特殊な仕事を離れてしまったら、英語がなくてもとくには困らない。

しかし、と、上述の芝居小屋の比喩を思い出すのである。年に 1度か 2度、ここぞという時に英語が必要になった時、なんとかこなせるのと、尻込みして逃げるのとでは、やっぱり人生に対する関わり方まで違ってくるほどの差異を生じるだろう。

さらに、同じことでも日本語で考えるのと英語で考えるのとでは、思考の経路どころか結論まで変わってくることがある。母国語以外の外国語を学ぶというのは、デュアル思考をするためでもあるんじゃなかろうか。それで、日本語思考のドツボにはまりすぎないで済んだり、逆に日本思考の素敵さが際立ってわかったりすることもある。

とは言っても、年に 1度か 2度の 「ここぞという時」 に、尻込みして逃げたところで人生が台無しになるわけじゃないから、「別にいいじゃん」 と言われれば、まあ、それはそれで、それっきりではある。結局は 「趣味の世界のモノ」 でしかないのかもしれない。

ただ、小さいけれど確実なメリットとしては、PC を比較的自然に使いこなせるということがある。PC というのは所詮アメリカ人だから、基本的に英語の世界で動いている。PC 用語を 「わけのわからないカタカナ語」 としてしか取り扱えないよりは、「なるほどという意味のある英語」 として捉えられる方が、「体感的な使い方」 ができると、私は思っている。

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2012/05/09

スーパームーンに毒づくにしても……

Twitter でいつも haiku (英語の俳句) を tweet してくれている @CoyoteSings さんの 5月 7日の作品が素敵だ。こないだのスーパームーンにちなんだ haiku で、こんなのである。(参照

stupid moon • so damn big and bright • when he's not here..

直訳すれば、「愚かな月 くそデカくて明るい 彼がここにいない時」 ということだが、五・七・五で翻訳するとしたら、「馬鹿な月 無駄に明るい 一人の夜」 というような感じになるだろうか。ちょっと艶っぽい。

だが、この haiku を無理に翻訳してみて、ちょっとした 「異文化的要素」 に気付いた。@CoyoteSings さんは、くそデカくて明るすぎる月に毒づいてはいるが、それは、恋人がそばにいないのに、無駄に明るすぎるということについて言っているのである。つまり、恋人と一緒に過ごす夜ならば、明るい月はむしろ歓迎なのだ。

しかし、これが日本の話となると、つまりちょっと三味線の音なんかが入ってしまうと、ちょっと感覚が違ってくるんじゃあるかいか。都々逸だったら、こんなふうなものになってしまうような気がする。

なんて無粋なスーパームーン 忍び逢ふ夜に主は来ぬ

あるいは

主の来ぬのはお前のせいよ 無駄に明るい今日の月

人目を忍んで逢う約束だったのに、えぇ、いまいましいねぇ、月が明るすぎて、愛しい男が通ってこれないじゃないかという、そういう視点から月に毒づくということになりそうなのである。

大きな月明かりの元で恋人とともに過ごすことがハッピーという文化と、三日月程度のほの明かりの下の忍び逢いにときめく文化。この違いはちょっとおもしろい。

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2012/05/08

フィリップ・トルシエは蕎麦好きなんだって

元サッカー日本代表の監督、フィリップ・トルシエという男は、なんとなく付き合いたくないタイプの男だなあと私はそれとなく思っていた。それでなくても、パリの人間はやたらと理屈っぽくて、「俺はそうは思わない」 というだけのために、愚にも付かない議論をふっかけてくるようなところがあるし。

しかし昨夜、彼に対する私の印象が変わった。もしかしたら、付き合っておもしろい男かもしれない。まあ、お近づきになれる可能性は小さいし、それにその付き合い方にしても、やっぱり難しいところはあるかもしれないが。

彼に関する印象が変わったのは、虎ノ門の砂場という蕎麦屋で無料配布している 『新そば』 という季刊の PR 誌 (142号) に、「蕎麦と異文化と私」 というフィリップ・トルシエのエッセイが載っているのを発見したからだ。

Img_5277

彼が初めて蕎麦を食した時の印象は、「何とも不思議なパスタ」 で、まるで異文化そのものの味だったとある。ところが、彼はそれに続けて、次のように書いている。

けれども、くり返し蕎麦をいただく機会を得るうち、少しずつ蕎麦になじみ、その美味しさがわかるようになった。今では、すっかりその魅力にとりつかれてしまい、日本食で何が好きかと聞かれれば、真っ先に 「蕎麦」 と答えてしまう。

へぇ、意外である。彼は文化に関する間口の広い男のようだ。だって、最初は 「異文化そのもの」 で馴染めなかった蕎麦という摩訶不思議な食べ物を食う機会を、あえて遠ざけなかったんだから。すすめられる度、嫌がらずに、とりあえず食ったんだから。

しかしそれもそのはず、彼は若いうちにサッカー指導者となって、アフリカに渡り、それから 20年以上、多くの国で多様な文化の中で生きてきた。その中で、それぞれの国の文化を受け入れる度量は獲得したもののようだ。

彼はこのエッセイの中で、沖縄の 「美濃作」 という蕎麦屋の 「月桃蕎麦」 というメニューを紹介している。これは南国の植物、月桃 (げっとう) の葉を打ち込んだものだそうで、緑色をしていて、「のど越しも良く、実に美味しい」 とある。そんなことを知ってしまったら、私も次に沖縄に行くことがあったら、食べずにはいられないではないか。

文化の多様性を積極的に楽しむ姿勢をもった男は、注目しておきたい。というわけで、これからはフィリップ・トルシエという男に対するアンテナの向きを少し調整しておこうと思う。

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2012/05/07

東京の明治通りというのは一筋縄ではいかないみたいなのだ

高校を出て大学に入るため初めて上京した時、住んだアパートの最寄り駅は池袋だったが、住所としては板橋区で、山手通りという道路に沿ったところにあった。そして高田馬場で降りて早稲田に向かう時、途中で明治通りという道路を横切る。

しばらくして、東京には 「環七 (環状七号線)」 「環八 (環状八号線)」 という道路があるが、実は山手通りが環状六号線で、明治通りが環状五号線なんだと教わった。それじゃあ、環状四号線も三号線もあるんだろうなあと思ったまま、深く追求もせずに今日まできてしまった。

ただ環状一号線は内堀通りなんだろうなあとだけは思っていた。じゃあ、外堀通りは環状何号線なんだろうという疑問は漠然といだいたまま、ふと気付けば 40年以上経っていたのである。それを思って、今日は本当に驚いた。この疑問をそのままにしておいては、死ぬ時に後悔するだろう。

この疑問を今日まで曖昧にしてきてしまったのは、ただひとえに、学生時代にこんな疑問を解決しようと思ったら、なかなか大変だったからである。図書館に行って本を何冊かひっくりかえさなければ、調べはつかなかっただろう。

しかし今はインターネットがある。ググってみたら、あっけないほどすぐに解決した。以下、Wikipedia からの引用である。(参照

東京都市計画道路の環状線

  • 環状第 1号線(内堀通り・永代通り・日比谷通り・晴海通り)
  • 環状第 2号線(外堀通り・新大橋通り・東京都道483号有明線・東京都道484号豊洲有明線)
  • 環状第 3号線(清澄通り・春日通り・外苑東通り・環三通り・播磨坂桜並木(環三通り)・言問通り・水戸街道・三ツ目通り)
  • 環状第 4号線(外苑西通り・不忍通り・明治通り・丸八通り)
  • 環状第 5の 1号線(明治通り)・環状第 5の 2号線(明治通り)
  • 環状第 6号線(山手通り)
  • 環状第 7号線(環七通り)
  • 環状第 8号線(環八通り)
  • 東京湾環状線
  • 外郭環状線の 2
  • 外郭環状葛飾線

そうか、「環状一号線は内堀通り」 という直観は正しかったが、永代通り、日比谷通り、晴海通りとの合わせ技でようやく環状線の体をなしているということまでは思い至らなかった。それに、明治通りは 「環状第 4号線」 の要素でありながら、「環状第 5の 1号線(明治通り)・環状第 5の 2号線(明治通り)」 ということにもなっている。

これもまた Wikipedia で 「明治通り (東京都)」に当たってみると、"1927年(昭和2年)の都市計画に基づき、東京初の環状道路となる「環状5号線」 として整備された" とある。ほほう、そうだったのか。「明治通り」 のくせに、昭和になるまでは整備されなかったのだな。

まるで浦安にあるのに 「東京ディズニーランド」 というような話だ。しかし 「環状第 5の 1号線 (明治通り)・環状第 5の 2号線 (明治通り)」 に関して明確に説明する記述は見当たらない。

ただ確かに、明治通りを車で行くと、単純に真っ直ぐ続く道というわけでなく、不規則に角を曲がらされるところがある。かなり一筋縄ではいかない道のようなのである。これはそのうち、明治通りというのをしっかりと捉え直さなければいけない気がしてきたぞ。やっかいだなあ、まったく。

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2012/05/06

つくば市内で起きた竜巻

GW 最後の日、日曜日だというのに、私は休みじゃない。東京都内で仕事をし、昼過ぎから雷雨との予報だったので、3時過ぎにはあたふたと上野駅に向かった。何しろ、JR 常磐線は雷とか大雨とか突風に弱いのだ。ちょっとしたことで運転見合わせなんてことになるから、帰れなくなったら大変だ。

地下鉄を上野駅で降り、地上に出るとまるで日が沈んだように暗い。雷が鳴り響き、雹がバラバラと降っている。「ヤバい。常磐線動くかな」 と心配になったが、空はすぐに明るくなり、電車はダイヤ通りに動いて取手駅に着いた。取手駅周辺の道路は、いかにも大雨直後という濡れ方だ。

「やれやれ、何事もなく帰れてよかった」 と、駅から少し歩いた所にある駐車場に停めておいた車に戻り、カーラジオのスイッチを入れると、とんでもないニュースが聞こえてきた。つくば市で竜巻が発生し、住宅が 100棟以上倒壊したなんて言っている。穏やかじゃない。

自宅に帰ると、我が家周辺でもものすごい雹が降ったそうだが、竜巻被害はなかった。しかしテレビでつくば市北条地区の竜巻被害の様子を見て、家人は茫然としている。こんなすごい竜巻が日本で発生したとは、少なくとも私の記憶にはない。まるでアメリカ中西部みたいだ。

北条地区というのは、つくば市の中心部から筑波山に向かい、ちょっと東に行った辺りにあるのどかな地域である。近くには北畠親房が 『神皇正統記』 を書いたという小田城跡もあって、今頃の季節のうららかな日に訪ねると、まるで桃源郷に来たような気がする。それだけに、テレビ画面で瓦礫だらけになったところを見ると心が痛む。

それにしても、近頃本当に気候が極端だ。地球温暖化というのは、地球がまんべんなく暖まるのではなく、気候変動が極端化するのだと、このブログでも何度も書いたが、それを確認するようなことが身近であった。いい気分ではない。

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2012/05/05

明日の満月は大きいらしい

今日は仕事で水戸まで行ったのだが、行きも帰りも常磐道が大渋滞で、疲れた。連休の昨日と一昨日が、雨でほとんど潰れたので、お天気になった今日、どっと行楽客が繰り出したようだ。

ところで、明日の夜はスーパームーンになるそうだ。今年一番の大きな満月が見られるというのだが、要するに月が地球に一番近づくのでそんなことになるらしい。昨年は 3月 20日がここ10数年で一番月が接近したということで、ぎょっとするほど大きな満月だった。

月の引力が地震発生に影響するなんてことが言われているので、昨年の大震災はこれに関係あるのかと思って、この日に "地震と 「スーパームーン」” という記事を書いたが、3月 11日は、むしろ月は地球から遠い位置にあったようで、直接の影響は考えにくいということだった。

というわけで、明日は地震とは関係なく、大きな満月を楽しむことにしよう。もしかして地震は来るかもしれないが、そうでなくても近頃はしょっちゅう揺れているから、あまり気にしないでおこうと思う。

今日は本当に疲れたので、この辺で失礼。

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2012/05/04

素人相手の IT ビジネスは疲れる

私は仕事として、中小企業や団体、個人商店などのパソコン使用のコンサルをすることがあるのだが、これがもう、本当にやっかいなのである。

まず、ID と パスワードということに関しては、私の担当している事業所の約半数で、PC のディスプレイのフレームに、パスワードを記したポストイットが貼り付けられている。しかも 1枚だけでなく、何枚も貼り付けてあるという強者もいる。

「これ、一体何ですか?」
「えぇと、これは PC を起動する時のパスワードでしょ。こっちは、メールのパスワード。それからこれは、えぇと、何だっけな? 忘れちゃった」

てな会話はしょっちゅうである。PC 起動の際のパスワードとメールを読む時のパスワードが別物であるということをわかっているだけ、まだましだ。ただ、メールを読む時は一々パスワードを入力しなくてもいい設定にしてあげてるんだから、もう剥がしといてもらいたいんだけどなあ。

それから、プロバイダから割り当てられた乱数表で作ったようなパスワードは、さっさと憶えやすいのに変更しておいてもらわないと、いざというときに、また大騒ぎになる。

実は、オジサン、オバサンの PC ユーザーのお守りをしていて、一番多い依頼は、「前に作った書類 (あるいは、前に撮った写真) がどこに行ったかわからなくなっちゃったから、なんとか探して欲しい」 というものである。「あぁあ、またかよ」 ってなもんだ。

ファイルを迷子にしてしまったオジサンの PC を立ち上げてみると、ドキュメント・フォルダ (Windows XP の頃までは 「マイ ドキュメント」 といわれていたやつ) の中がわけのわからないファイルで一杯だ。ほとんどが Word ファイルで、Excel ファイルはほんの少ししかない。こうした状態でファイルが行方不明になる要因は、次の二つだ。

  1. Word 文書のファイル・ネームが、自動的に文書の 1行目の文字 (「拝啓」 とか 「お問い合せ」 とか  「お願い」 とか 「○○様」 とか 「リスト」 とか 「予定表」 とか 「お世話になっております」 とかがやたら多い) となっていて、内容がわからないので探しようがない。
  2. 自動的に付けられたファイル・ネームは既に存在していることが多いので、つい上書きしてしまい、前に作ったファイルが消えてしまう。Excel ファイルをいくつ作っても、"book1" という名前のまま上書きするので、前のファイルは全て消えているという人もいた。

というわけで、私は 「新たなフォルダを作って内容ごとに管理保存するといっても、なかなか難しいでしょうから、せめて新規文書は後から探しやすいように、内容のわかるファイル・ネームを自分で付けて保存してくださいね」 と、何度も何度も懇願するように言うのだが、これがまともに実行されたことは数えるほどしかない。

ドキュメント・フォルダを開いてみると、わけのわからない書きかけの文書の方が、完成文書よりずっと多い。多分、書きかけた書類のありかがわからなくなって、何度も最初から書き直した結果がこれだ。それで、どうでもいい書きかけはいつまでも残って、重要ファイルは決まってどこかに消える。

そもそも PC で文書を作るのは、単に 「印刷文字で清書するため」 で、一度印刷した文書はそれで用済みと思っている人がまだいる。それは貴重な 「データ」 であり、後で何度も使い廻すものだとまともに認識している人は、実際のところそれほど多くない。まともに認識していさえすれば、もう少しまともなファイル管理をするだろうというものだ。

そんなこんなで近頃私は、「ファイルを保存する時は、余計なことは何も考えなくていいから、自動的に付けられる文字の前に、ちょこちょこっと日付を入れるクセを付けてください」 とお願い (まさに、こちらがこれ以上くだらないことで煩わされないための 「お願い」 だ) することにしている。

例えば最初の行が 「拝啓」 で始まる手紙の Word 文書を保存する時は、自動でふられる 「拝啓」 の前に、その日の日付を入れる。2012年 5月 4日だったら、何も考えずに 「120504拝啓.doc」 あるいは 「120504拝啓.docx」 というファイルネームにする。

そうすれば 1年後に探す時にも、ドキュメント・フォルダを開けば全てのファイルが時系列でずらりと順序よく並ぶから、「えぇと、去年の今頃に書いた手紙なんだけど……」 と憶えてさえいれば何とかなる。ああ、自動的にこうした日付が入るシステムだったら、どんなに楽だろうか。

ところがせっかくそれを教えてあげても、後からドキュメント・フォルダを開けてみると、「拝啓」 の後に日付を付けちゃって、全然時系列で並んでいなかったり、ちゃんと前に付けてあっても、全角と半角がむちゃくちゃに入り混じって、ものすごく見づらくなっていたりする。

さらに、せっかくファイル・ネームに日付を入れるクセを付けても、重要文書を保存する時に限って狙い澄ましたように、その原則を忘れていたりするものだから、かえって探しにくくなっていることもある。こうしたマーフィーの法則は、ここぞという大切なファイルを保存する時ほど発動しやすいようなのだ。

そして、ファイルが探せなくなる 2番目の理由 ―― 同じファイル・ネームで上書きしてしまうということになると、これはもうお手上げだ。毎年の恒例行事の参加者リストなんて、去年のリストが 10年以上前に作ったファイルネームのままで保存されている。

「平成12年度お客様感謝会出席者名簿」 なんていう名前のファイルで毎年延々と上書きされているので、「3年前は誰が来てくれてたっけ?」 なんていっても、もう調べようがない。だから言ってるでしょ。ファイルは 「データ」 であって、清書原稿じゃないんだって。

それから、ファイルの保存場所が決まっていないという人も多い。何も考えずに、デフォルトの 「ドキュメント」 フォルダに日付を入れて保存しさえすれば、どんなに時間が経っても必ず探し当てられるのに、気まぐれにいろんな場所に保存する。

どこかの親切な (あるいは余計なお世話好きな) 人が、「OS を再インストールしても消えないように、マイドキュメントは D ドライブに入れとくといいよ」 なんて言って、中途半端な設定をしてくれた結果、保存場所が C ドライブと D ドライブと、さらにデスクトップの 3カ所に分散したりしている。

それだけでなく、下書きがデスクトップにあって、一応の完成ファイルが C ドライブ、さらに翌年に書き直したのが D ドライブにあったりして、どれが本物なんだかわけがわからない。

なぜか 「マイ ドキュメント」 というフォルダが、あちこちにある人もいる。C ドライブのなんとかいうフォルダの中に 「マイ ドキュメント」 というサブフォルダがあり、さらにその中に …… なんていうこともあって、もう収拾がつかない。

よっぽど意識的にやらなければ、こんな芸当はできないだろうと思ってしまうが、当人はまったく無意識のうちに、あっけらかんとドラッグ&ドロップでコピーしたり移動したりしてしまう。そして、あっちのマイドキュメントに保存したものをこっちのマイドキュメントで探し、「ファイルがなくなった!」 と大騒ぎする。

こんな人は 「新しいフォルダ」 「新しいフォルダ(1)」 「新しいフォルダ(2)」 「新しいフォルダ(3)」 …… と、延々と続く新しいフォルダを作って自爆するのが得意でもある。何がどこに入っているのかさっぱりわからないし、ほとんど同じだが少しずつ違う内容のファイルがあちこちにあったりする。まさに念入りに時間をかけて作られたカオスである。

「一杯撮りためた写真が、どこに行ったかわからなくなって……」 という人がいたので、コンピュータの中を "*.jpg" で検索してあげると、出てくるわ出てくるわ、ありとあらゆるところにいろんな写真が保存されている。それらを全部カット&ペーストで、デフォルトのピクチャ・フォルダに移動してあげた。

驚いたことに、すべての写真に 「平成○年○月○日○○懇親会 1」 「……2」 「…… 3」 とか  「平成○年○月○日○○京都旅行 1」 「……2」 「…… 3」 とか、ご丁寧な名前が付いている。番号はたいてい 10ぐらい、多いのは 50ぐらいまで続く。この人のことだから、ファイルネームを付けるのに、コピペじゃなくていちいち手入力したんだろうなあ。

「いちいち名前なんか付けないで、いついつの懇親会とか旅行とか、それ用のフォルダを作って、まとめてごそっと放り込めばいいんですよ」 と教えてあげると、「いやあ、新しいフォルダを作るのが面倒で ……」 なんて言う。写真一つ一つに 50回も名前を付けて保存する方が、何十倍も面倒だと思うがなあ。

最近のずっこけ例に、こんなのがある。あるお店のウェブサイトを構築するという小仕事をしたのだが、1年ほど経ってから 「何度お願いしても、内容が全然更新されていなくて、最初に作ってもらった時のまま、放りっぱなしになっている」 とクレームが入った。

こちらは依頼が入るたびに、きちんと確認しながらコンテンツを更新しているので、「それはきっとキャッシュを拾ってるんですから、F5 キーを押して最新の表示を見てください」 と言ってきたのだが、どうも様子がおかしい。いくら押しても更新されないというのである。

一体どうなってるんだと、久しぶりにその店を訪問して、彼の PC で自店のサイトを表示させてみた。すると、彼はなぜか I E を立ち上げずに、ローカルのデスクトップに置かれたフォルダを開き、「慣れないもんだから、こうしないとアクセスできないんだよね」 なんて言って、その中の "index.html" というファイルをクリックする。

「ちょっと待ってくださいよ! それって、去年こっちから確認用にとお渡しした最初のデータでしょ! いつまでもそんな用済みのデータを見てないで、今生きてるインターネットの方を見てくださいよ」

そう、彼は自分のローカル PC に保存された確認用の一番初期のファイルを、ずっとインターネットだと思って見ていたのである。せっかく I E の 「お気に入り」 に登録してあげてるんだから、素直にそこからアクセスすればいいのに、自分のホームページはちょっと特別なアクセス・ルートがあるとでも思っていたのだろうか。

「あなたは、みんなが見てる "あっち" じゃなくて、古いまんまの "こっち" ばかり見てたんですよ」 と説明してあげたのだが、どうして自分の店のホームページが "あっち" にあるのか、どうもしっかりとはわかってくれなかったみたいなのである。

フツーの企業がお休みの GW になると、急にこういうのが増える。ああ、疲れるなあ。

私が最近、「いつまで経ってもヒイヒイ言ってるんなら、パソコンなんていうやっかいなものはさっさと諦めて、早いとこ iPad に乗り換えなさい」 と、周り中のオジサン、オバサンに薦めているのは、こんなことからでもある。

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2012/05/03

Facebook にページをもってみた

実は長年 (というほど長くもないが、ネットの世界の時間感覚では十分長いかもしれない) 内心の懸案としていた Facebook Page というものを、やっと作った。これは Facebook に登録していない人でも自由に表示して見ることができるので、よろしければ こちら をクリックして、ご覧いただきたい。

ここで発表する前に、2~3日の助走期間として、とりあえず Today's Crack と Wakalog の新着を紹介するシェア記事をいくつかアップしておいた。初めの 2日間は Today's Crack のシェア記事で、Free Tibet のバナーが表示されているが、これは私のブログで一番上にある目立った画像として自動的に拾われたようだ。

私はチベット開放を望んでいるが、記事紹介のシェアをするたびにこのバナーが表示されるのもナンなので、自分のプロフィル写真を少し大きめに作り替えてみたら、3日目からはそれが表示されるようになった。急に目立ちたがりになったわけじゃなく、そういう事情なので、ご容赦いただきたい。

Facebook の私のページは、なにしろできたばかりなので、Google 検索にもひっかからない。誰も知らないページを使って、既に少しは知られたと自負している自分のブログの記事を紹介するというのも、まるで本末転倒のような気がするが、しばらく転がしているうちに新しい可能性が見えてくるかもしれない。

もしあなたが既に Facebook に登録しているのであれば、私のページのカバー画像 (高野山・金剛峰寺の石庭) の下にある 「いいね!」 ボタンをクリックすれば、以後は私が更新する度に、自動的にあなたの Facebook ニュースフィードの中に表示される。

本日はそっけないことに、"「いいね!」と言っている人はまだいません" と表示されていて、まことに寂しい限りなので、もしよかったら、慈善事業のつもりでぽっちりしてもらえると嬉しい。

当初、これをぽっちりすると、ぽっちりした人の実名が表示されてしまうものと思っていたが、それはどうも私の誤解だったようで、そんなことはないとわかった。ただ、もしもあなたの Facebook 上の友達もぽっちりしたら、お互い同士で 「あれ、あんたも tak-shonai 読んでたの?」 とわかることにはなるようだ。

ということは、「自分が tak-shonai を読んでいるなんていう恥ずかしい事実 (?) を、友達には絶対に知られたくない」 という事情でさえなければ、安心して 「いいね!」 をぽっちりしても大丈夫ということのようである。

私は Twitter では 360人ちょっとのフォロワーがいるのだが、日本では Facebook は Twitter ほど普及していないといわれるから、どうなるかわからない。ただ自分で使い始めてみると、Facebook というのは Twitter なんて足元にも近づけないほどの充実したシステムなのだとわかった。

長い目でみたら、日本でも Facebook の勝利ということになりそうな気がするのだが、さて、どんな展開になることやら。気長にやってみることにしよう。

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2012/05/02

怪しいバス運行会社

例の関越道のツァーバス事故関連で、事故を起こした運転手は元中国籍で 10年前に日本国籍を取得していたと報じられた (参照)。以下、少し引用しておく。

自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された河野化山 (こうの・かざん) 容疑者(43)は元中国籍で 93年 12月に来日、94年に日本国籍を取得したと供述している。通常の日常会話はできるが、難しい日本語は理解できないといい、取り調べは中国語通訳を通じて行っている。中国残留孤児の家族という情報もある。

私は運転手が元中国人だからといって、どうのこうの言うわけじゃない、とはいえ、「難しい日本語は理解できない」 という人物を、40数人の乗客の命をたった 1人で預かる長距離夜行バスの運転手という業務に就かせるのは、いかがなものだったろうかと思ってしまう。これはごく自然の反応だろう。

運転手がとても疲れていた様子だったという報道で、「運転手は休憩中に突っ伏して寝ていた」 「何語か分からないような不明瞭であやふやな車内アナウンスだった」 (参照) という記事があった。しかし、「休憩中に突っ伏して寝ていた」 ほどの過労と、「何語かわからない不明瞭であやふやな車内アナウンス」 とは、別のファクターだったようだ。

そして、バス運行会社の 「陸援隊」 という会社もかなり怪しいところのある会社のようだ。何しろ、監査に入っても作成と保存の義務づけられている書類が見つからないなど、ずさんな運営が見て取れる。

千葉県印西市にある同社は成田空港に近いことを生かし、外国人向けのツアー運行を請け負っていたというが、昨年の東日本大震災以後の外国人観光客の減少で、夜行バスに参入したとみられる (参照)。

千葉県内のバス会社社長によると、陸援隊は中国の春節 (旧正月) や夏休みの時期になると、敷地にバスが 1台も止まっていないほど繁盛していたという。ただ、震災後は需要が激減し、「夜行バスに参入し始めたらしい」 と説明する。

ということは、陸援隊の運転手は長距離の夜行バス運転には、それほど慣れていなかったとみてもいいだろう。日本語が不自由な上に、夜通し 1人で長距離運転するのに慣れていない運転手のバスには、知ってさえいたら乗りたいとは思わない。

いや、長距離の夜行でなくても、日本語が不自由な運転手のバスというのは、やっぱり居心地が悪い。というのは、10年近く前のことだが、私にもちょっとした経験がある。

その日私は、ある企業の日帰り懇親ツァーに同行するため、その会社のチャーターしたバスに同乗した。それは中型のバスだったと記憶している。大型というほどではないが、マイクロバスよりは明らかに大きかった。

最初のトイレ休憩の、常磐道守谷サービスエリアに入った時、そのバスの運転手はなぜか、バス専用の駐車スペースをあっさりと通り過ぎ、強引に普通車のスペースに割り込んで行った。

「おいおい、大丈夫かよ」 と私はびっくりしたが、彼は厚かましくもギリギリのスペースに駐車した。まあ、バス専用のスペースよりはトイレに近いので、彼なりのサービスのつもりなのかもしれないと、決して褒められたことじゃないが無理矢理納得して、私もトイレに向かった。

ところがトイレ休憩が終わって発車する時になって、とんでもないことになった。ギリギリのスペースに駐車したので、そこから無理矢理出ようとして、右側に駐車していた車に内輪差で接触し、「ガリガリッ」 と、大きな音がしたのである。ところが、その運転手はブレーキをかけるわけでもなく、構わず行ってしまおうとする。

「おい、待て待て、止まれよ!」 さすがに乗客のほとんどが声をあげ、バスを停車させた。誰も当て逃げの共犯者なんかになりたくない。「相手の車の人が戻ってくるまで待てよ」

接触された車の持ち主は、戻ってきてびっくりしていたが、バスの運転手は何だかわけのわからないことを口の中でもぞもぞ言うばかりで、話をしようにもまるで要領を得ない。「こりゃ、外国人だな」 と、その時初めてわかった。

しかたがないので、バス運転手の免許証を出させて (こんなんでよくまあ、大型二種免許を取れたものである)、内容を相手にメモしてもらい、改めてバス運行会社に連絡して示談に持ち込んでもらうことになった。何かの証言が必要になったら、バスの乗客全員が証人になるとの約束付きで、やっと出発できた。

「この運転手、やばいよ。交代させらんないの?」 という話に当然にもなったが、運行会社に連絡してみてもらちがあかない。仕方なく、その日のツァーが終わるまで同じバスに乗っていたものの、なんとなく運転が危なっかしいのである。全員内心ではヒヤヒヤしていた。そしてその運転手の口からは、不始末を詫びる言葉は遂に一言も発せられなかった。

今回のニュースの続報を知り、同じような経験を思い出した人は、決して少なくないんじゃなかろうか。私なんか、あの時のバス運行会社は、「陸援隊」 という会社だったんじゃないかと、つい思ったほどである。いくら料金が安くても、怪しい運行会社のバスは頼むものじゃない。

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2012/05/01

「伝統」 をファンタジーにしちゃった教育

私は酒田市立第一中学校という中学校 (通称: 一中) を出たのだが、当時は毎週月曜の朝に全校生徒が体育館に集められ、「朝会」 というのに出席させられた。この朝会では校長の話があり、私の在校していた 3年間はずっと Y という校長だったのだが、彼の話は 「伝統ある一中生徒、心を一つにして……」 という決まり文句以外、何も憶えていない。

この決まり文句、Y 校長は 「心を一つにして」 という部分を、「こころをシトチにして」 と発音するので、入学して最初の朝会では思わずこけてしまったが、それからは毎度のこととて、誰もクスリともしなくなった。

で、「伝統ある一中」 というのも、戦後の学制改革で 「新制中学」 になってから、当時はまだ 10数年しか経っていないし、なんだか意味不明だなあと思っていた。もっとも木造の校舎自体は、歴史を十分感じさせるものだったが、それは要するに、オンボロですきま風だらけというだけの話だったし。

まあ、そのオンボロ校舎が使われていた戦前の高等小学校とか国民学校とかの時代まで含めれば、「伝統ある」 ということなのかもしれないが、ことさらに毎週の朝会で繰り返すほどありがたい意味のある 「伝統」 だったのかどうか、私は今でも疑問に思っている。

第一、「伝統ある一中」 の 「伝統」 とやらの中身が一体どういうものだったのか、誰もわかっていなかったし、具体的に語られたことは一度もなかった。つまり、校長の繰り返していた 「伝統」 というのは、実体のないファンタジーでしかなかったのだ。

で、こうしたファンタジーとしての 「伝統」 を、わけもわからずありがたがっていた一方で、現代の教育からはどんどんと 「伝統的なもの」 が排除されているらしい。例えば、二宮金次郎の像が学校からどんどん撤去されていると聞く。

薪を背負って書物を読みながら歩く二宮金次郎の像は、勤勉と向学心の象徴として、昔はどこの学校にでもあったものだ。それが撤去される理由というのがふるっていて、「子どもに労働をさせるのはいかがなものか」 とか 「歩きながら本を読むのはあぶない」 とかいうお笑いぐさみたいな話のようなのである。

私は二宮金次郎の像を是が非でも保存しろと言っているわけではない。それほど思い入れがあるわけでもないのである。ただ、像を撤去する理由というのが馬鹿馬鹿しすぎて説得力がないので、つい二宮金次郎の味方をしてしまいたくなってしまうのである。

当時は子どもが家事労働を手伝うのは当たり前の話だったし、子どもが薪を背負って歩くような時代には自動車は走っていなかったいうことを教えるのが、それこそ教育というものだろう。そしてまともな教育をしていれば、そんな馬鹿なことを言う大人もいなくなるだろうというものだ。

これもみな、「伝統」 というものを単なるファンタジーにしてきた教育の結果なのかもしれない。

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