« 「後期高齢者」 という呼称を巡る冒険 | トップページ | 「刺身のつま」 を巡る第二弾 »

2012/09/20

「付け合わせの野菜を食べない」 という習慣を巡る冒険

昨日は 「後期高齢者」 という呼称にことさら反発して立腹するのは、どうしてもよくわからないというようなことを書いたが、今日は 「どうしてもよくわからない」 第二弾である。それは、刺身のつまとか、付け合わせのパセリ、大葉などを残す人が多いが、それがどうしてもよくわからないというお話である。

先日も親しい知人 3人で食事をした時、私以外の 2人が天ぷらの盛り合わせに添えられた大葉を残すので、「どうして残すの? もったいないと思わない?」 と聞いてみた。3人は常々、「日本では捨てられてしまう食物が多い。なんともったいないことだ」 なんてことを本気で言う人たちなので、私にはとても意外だったのである。

もしかしたら 3人は私に指摘されて、「そういえばそうだ」 と納得し、残した大葉を食べてくれるかもしれないと思っていたが、もごもごと口を濁して、そのままに放置している。そこで私は重ねて、「大葉、嫌いなの?」 と聞いた。

2人とも 「別に嫌いじゃない」 と言う。「じゃあ、どうして食べないの?」 と聞くと、「どうでもいいじゃないの、そんなこと」 と、不愉快さを露骨に見せた。常々 「食物を捨てるのはもったいない」 と思っているし、大葉が嫌いなわけじゃないけど、天ぷらの付け合わせの大葉を食べないことで突っ込まれるのは、ちょっと腹が立つみたいなのである。

ちなみに私は、茶碗には飯粒一粒も残さない人である。盛りそばのかけらも丹念にざるからつまんで食べる (これは、そば食いとしてのマナーである)。付け合わせのキャベツの細切れも、箸でつまめるだけつまんで食べる。洗い場に返す食器は、できるだけきれいにして返したい。食べきれないとわかっているなら、「少なめ」 を所望すればいい。

食器洗いの人だって、飯粒だらけ、残飯だらけの食器を返されたら、あまりいい気はしない。6年半前に 「仏道修行は広く深い」 という記事で書いたように、私は家では、自分で使った食器は食べ終わってすぐに自分で洗うから、食器洗いの人の気持ちはよくわかるのである。学生時代も、皿洗いのバイトはよくやったし。

付け合わせの野菜を食べない人というのは、多分、「そういうものだ」 という美学に基づいているのだろう。刺身のつまを食べるのは 「カッコ悪いこと」 という価値観が、子供の頃から身に付いている。だから、いくら 「もったいない」 とか 「体のためによい」 とか言われても、どうしても箸が出ない。「そんなカッコ悪いこと、したくない」 と思っている。

常々 「食べ物を捨てるのはもったいない」 だの 「残飯を出さないように」 だのを言わないオッサンなら、別にいいのだが、普段からそんな立派なことを言ってる限りは、ここはもう、すっぱりとその価値観を切り替えて、付け合わせの野菜は食べてもらいたいと思うのである。そうでないと、言うこととすることが別の人になってしまう。

25歳までヘビースモーカーだった私が、きっぱりと禁煙できたのも、「カッコいい」 と思って始めた喫煙という習慣を、「カッコ悪い」 という価値観に切り替えたからである。「カッコいい」 と思っているうちは、「他人に迷惑」 とか 「体に悪い」 とかいっても、タバコは止められない。

付け合わせの野菜を食べるのをカッコ悪いと思っているのなら、「世界では飢餓に苦しむ人がいるのに、食べ物の 30%を捨てる日本人は嘆かわしい」 なんて、もっともらしいことを口にするのは、はっきり言って欺瞞である。

そして、欺瞞を嫌う人が、何を言われても口を濁して、天ぷらに添えられた大葉を食べようとしないというのは、繰り返しになるけれど、どうにも理解できないのである。

|

« 「後期高齢者」 という呼称を巡る冒険 | トップページ | 「刺身のつま」 を巡る第二弾 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

庄内拓明さん

こんにちわ。久しぶりにコメントさせていただきます。
ただ単に、自分の野菜好きを言うことになるだけかもしれませんが、付け合わせの野菜はすべて食べる主義です。
刺身の大根のつまから、紫蘇、カツやフライのキャベツ、パセリの類まで、めったに残しません。
父が昔生きていた頃、『ご飯粒一つも作れないんだから、残さず食べなさい』と言っていました。父が言っていた教訓はそれぐらいですが、食事でお茶碗にご飯粒が一つ付いていたりすると、その言葉が去来します。
でも世の中の人はパセリを残す人が多いくらいだから、よく洗っていないんじゃないかと疑いを持つ時もあり、そういう時はその日の気分です。coldsweats01

投稿: keicoco | 2012/09/21 10:14

私も久しぶりに一言。
いつもパセリもつまも平らげてますが、それらは食べるものという納得をしたからです。
付け合せのパセリは、小学生のころ金持ちの坊ちゃんが目の前でぱくっと食べるのを見て、あ、食べるものだと知ったから。
刺身のつまは、中学か高校のころ、テレビであれは食べるために添えてあるんですという料理人の話を聞いたから。
パセリやつまとは関係ありませんが、さんまを丸ごと食べるようになったのは、目の前でバクバクと頭からさんまを食べている人を見て、あー魚ってこういうふうに豪快に食べるんやと感心したから。
こうしてみると、自分が独自に始めた習慣ではなくて、「権威のある人からの教え」とそれを「価値と受け止める感覚」があったのでしょうね。
正しい理屈で指摘をしても、それに反感をもたれたらそこで終わりになってしまうので、教育、指導、説得、政治というのは難しい技なんでしょうね。

投稿: 亀之助 | 2012/09/21 11:38

takさんはさらっと書いていらっしゃいますが、きっぱりと価値観を切り替えるって、一般的にはとても難しいことなのでしょう。不真面目なこと、高価なものを身につけること、異性にモテること、などなど、人によって「カッコいい」ポイントはいろいろでしょうが、それを180度ひっくり返し、以降ふたたび反転させることなく保つことができる人は多くないと思います。

私にとって身近な例でいうなら、「英語ができるようになりたい」と言いつつ、実は「英語はペラペラ喋るのがカッコいい。それも、ある朝起きたら突然ペラペラがいちばんカッコいい」と信じているとなると、なんというか、状況はかなり厳しいわけです。

変わる用意のある人が適切なタイミングで適切な刺激を受ける…というような条件がそろうと変化が起きるんでしょうね。

投稿: emi | 2012/09/21 15:51

居酒屋とかで頼む刺身のツマに関しては、ツマだけ残っていると、下げられてしまう店が多いような気がします。ということは、お店としては「食べないもの」と認識しているのかなぁ。

でも我が家もkeicocoさん同様、基本的には全部食べる主義です。下げられようとしているのを「あ、それもいただきます」というのはちょっとかっこわるいので、下げられないように、刺身を残しつつ(笑)

ただ、首尾一貫しているかというとそうでもない…。飲み屋ではなく、スーパーで30%引きとかになっている刺身を買ってくることも多いのですが(ウチでは売れ残りそうな刺身の「救済」と称しています)、そういうのに添えられているツマは捨てちゃうことが多いかなぁ…。

投稿: 山辺響 | 2012/09/21 18:25

keicoco さん:

>父が昔生きていた頃、『ご飯粒一つも作れないんだから、残さず食べなさい』と言っていました。

立派な教え。
ほかのことはすべて、その応用問題で解けそうな気がするほどです。

>でも世の中の人はパセリを残す人が多いくらいだから、よく洗っていないんじゃないかと疑いを持つ時もあり、そういう時はその日の気分です。

一時、大阪の吉兆で刺身のツマを使い回ししたとかいうのが話題になりましたが、そんなひどいことをさせないためにも、その時その時で平らげて完結させたいと… ^^;)

あ、これ、今日のネタにしよう。

投稿: tak | 2012/09/21 22:44

亀之助 さん:

>こうしてみると、自分が独自に始めた習慣ではなくて、「権威のある人からの教え」とそれを「価値と受け止める感覚」があったのでしょうね。

なるほど。わかるような気がします。

私の場合は、「食えるものなら、とにかく食う」 という自主的アグレッシブさからきていますが ^^;)

投稿: tak | 2012/09/21 22:58

emi さん:

>きっぱりと価値観を切り替えるって、一般的にはとても難しいことなのでしょう。

うぅん、そうなんでしょうかね。
そうなのかもしれませんね。

私の場合は 「自分で決めた原則」に律儀に沿ってしまうタイプでして (何しろアスペルガー一歩手前ですから)、そのかわり、「原則の大転換」ってのも、納得してしまえば、あっさりしちゃいます。

ですから、「ブログを毎日更新しよう」と決めてしまうと、もう 9年近くもやっちゃうわけです。そして、もしかしたら、10年目あたりで、「更新は週に一度にしよう」なんて、大転換をしないとも限りません ^^;)

>「英語ができるようになりたい」と言いつつ、実は「英語はペラペラ喋るのがカッコいい。それも、ある朝起きたら突然ペラペラがいちばんカッコいい」

「玉の輿に乗りたい。合コンで遊びまくっているうちに、どこかの御曹司に求婚されたい」 とか、「スリムになりたい。おいしいものはしっかり食べつつ、どんどん痩せていくっていうのが最高」 とか、「ビジネスで成功したい。いいスポンサーを見つけて、クルーザーで世界一周しているうちに億万長者になりたい」とかいうのと同じことかな (^o^)

>変わる用意のある人が適切なタイミングで適切な刺激を受ける…というような条件がそろうと変化が起きるんでしょうね。

基本的に 「変わる用意がある」 というのが重要ですね。これがないと、どうしようもない。

投稿: tak | 2012/09/21 23:13

山辺響 さん:

>居酒屋とかで頼む刺身のツマに関しては、ツマだけ残っていると、下げられてしまう店が多いような気がします。

あれは腹立ちます (^o^)
私は刺身よりツマの方が好きなぐらいなので、「まだ食うんだから、下げないでよ!」 と制止します。
(何しろ、原則に忠実なアスペルガー一歩手前なので、周囲のことは気にしません ^^;)

>ということは、お店としては「食べないもの」と認識しているのかなぁ。

というより、使い回しするためです。
(半分冗談です。残り半分はマジだったりするケースもあるらしいのが悲しい ^^;)

>下げられようとしているのを「あ、それもいただきます」というのはちょっとかっこわるいので、下げられないように、刺身を残しつつ(笑)

「おいこら、何で食えるものを下げるんだ! ふざけんじゃねえ、この野郎!」 ぐらいに見得を切れば、カッコ悪くないかも (^o^)

投稿: tak | 2012/09/21 23:22

俺も全部食べる方ですね。
魚の頭は無理なのもありますが、
エビのしっぽぐらいなら食べます。

投稿: hiroyuki | 2012/09/24 21:40

hiroyuki さん:

私もほぼ同じです。

エビのしっぽの美味しさを知らない人は気の毒だと、私は思っています。

投稿: tak | 2012/09/24 23:19

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/42004/55698636

この記事へのトラックバック一覧です: 「付け合わせの野菜を食べない」 という習慣を巡る冒険:

« 「後期高齢者」 という呼称を巡る冒険 | トップページ | 「刺身のつま」 を巡る第二弾 »