自宅があるから引きこもりが続く?
毎日新聞によると、自宅に放火し、全焼させたとして現住建造物等放火罪に問われた被告の動機というのが、「自宅があるから引きこもりが続く」 と考えたことだったという。自宅を焼いてしまえば、引きこもりようがなくなるというわけだ。(参照)
金沢地裁で被告は起訴内容を認め、検察側が 「動機に酌量の余地はない」 とする一方、弁護側は 「自分の気持ちを制御できない状態だった」 などと訴えた。検察、弁護側ともに犯行時の被告が心神耗弱状態だったという認識では一致しているようだ。まあ、心神耗弱でもなければ、自宅に放火なんかしないだろうし。
ただ心神耗弱とはいえ、放火した時の被告の心理のベースにあったのは、どんな思いだったのだろうかと、気にかかる。大分前のことだが、我が家の近所でも、引きこもりの息子が自宅に放火したという事件があったし。
「引きこもる場所をなくして、社会に出ざるを得ない状態に身を置きたい」 という、ややポジティブに見えないこともない 「背水の陣」 志向だったのか、あるいは、「俺が引きこもってしまうのは、引きこもらせる自宅が悪いんだ」 という、「悪いのは自分じゃない」 と言わんばかりのネガティブな甘えだったのか、そのあたりがよくわからない。
あるいは心神耗弱というだけに、こうした別方向の思いがごちゃごちゃに交錯していたのかもしれない。そうだとすると、交錯した状態で自分の行動をコントロールできない状態に陥っていたのだろう。
あるいは、「悪いのは自宅だ」 というネガティブな思いが、「自宅さえなければ社会復帰できるかも」 という幻想に裏打ちされて、初めて放火するという行動が可能になったのかもしれない。
馬鹿な行動を起こすのは大抵、馬鹿げた考えの裏に一見もっともらしい理屈が寄り添った時である。もっともらしい理屈というのは、かなり危ないのだ。それは馬鹿な行動を起こすための引き金になりうる。
うつの一番ひどい時には、悶々とするだけで自殺するほど元気もないが、その状態から少し脱却しかけた時に、自殺するに足るぐらいの元気が生じて、実行してしまいやすいというのと似ているかも知れない。
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