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2012年10月に作成された投稿

2012/10/31

労働の報酬と満足度は、単純には比較できない

昨日も書いたことだが、60歳の定年になってからも元の会社にとどまると、仕事の内容はほとんど変わらないのに、身分は 「嘱託」 ということになり、給料は大体元の 4割以下ぐらいになってしまうらしい。それについて私は、「そりゃひどい」 と書いた。そんなにも給料を減らすなら、週に 3日か 4日ぐらいの勤務にして、負担を減らすべきだろう。

とはいえ、高い報酬を得ることが仕事のモチベーションを高めるかといえば、そうとも限らないらしい。「認知的不協和」 ということを提唱したアメリカの心理学者、レオン・フェスティンガーの興味深い実験がある。

フェスティンガーは、単調な作業を行わせた学生に報酬を支払い、次に同じ作業をする学生に、その作業の楽しさを伝えさせるという実験を行った。実験では学生を 2つのグループに分け、片方には 1ドル、他方には 20ドル (だったかな?) の報酬を与えた。そして、どちらのグループが 「仕事の楽しさ」 を伝えられるかをリサーチしたのである。

単純に考えたら、どうでもいい単調な作業で 20ドルもの金をもらえたグループの方が、「楽しかった」 と伝えるだろうと思いがちだろう。しかし実際には、たった 1ドルの報酬を受けた学生の方が、報酬が多い学生よりも楽しさを伝える度合いが強かった。

フェスティンガーは、割に合わない報酬しか得られなかった者は、認知に修正を加えて不協和を解消しようとする心理が強く働いたのだと説明する。そのまま受け取れば、馬鹿馬鹿しい労働をしたということになるのだが、それでは気持ちに収まりがつかない。そこで、「本当は面白かったのかもしれない」 と、思う心理が働くのである。

これを、「仕事の価値は報酬の多寡によって決まるものではない」 という結論に強引に結びつけたがる人もいるが、それはちょっと単純すぎるというもので、「仕事の楽しさは、心のもちかた次第」 というぐらいに控えめに言う方が正しいだろう。

この実験は 「単調な仕事」、つまり、フツーに考えれば 「つまらない仕事」 を前提にして行われたものだ。高度な知的処理や経験が必要な仕事でも、「報酬が少ない方が楽しいと感じる」 ということは言えない。まったく言えない。高度な仕事に対して正当な報酬が得られなかったら、多くは 「報われていない」 と不満を感じるだろう。

ただし、「本当に人の役に立つ仕事を成し遂げた」 という実感さえあれば、たとえ報酬がそれほど高くなくても、かなりの満足感を得ることができるというのは、経験から言っても事実である。周囲に喜ばれるというのは、多少の金をもらうより嬉しい場合がある。

社会のために役立つというわけでもない利己的な仕事の場合は、それこそ 「濡れ手に粟」 みたいなボロ儲けでもできないと満足しないが、「社会や地域に明らかに貢献できる仕事」 というのは、安月給でも案外楽しんで続けられるものである。

人間というのは、それほど利己的な存在ではない。

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2012/10/30

定年以後の仕事

この夏で還暦を迎えたわけで、普通なら定年だ。最近は定年になってもあと 5年は元の職場にいられるそうだが、その制度を利用して会社にとどまった友人たちに聞くところでは、身分は 「嘱託」 というやつで、給料はほとんど定年前の 4割程度になってしまうのだそうだ。

給料が 4割程度なら、週給 3日制とかで楽ができるのかと思ったら、そんなことはなく、仕事の内容はほとんど変わらないという。そりゃひどい。給料明細を眺めて、「ああ、俺の時給は、680円か。コンビニのバイトと同じレベルだよ」 なんて呟いたのは、一人や二人じゃないようなのである。

私も脱サラしてからは自営業みたいなものだが、最近は 「勤め人をしてても、定年の年だし」 と思うと、必死に営業して収入を増やそうなんてことは考えなくなってしまった。コンビニのバイトよりはちょっとだけ上の時給でやっていければ、十分満足である。

必死に営業して収入を増やすより、それほど金にはならなくても、本当にやりたい仕事を続けていきたい。もう家のローンや子供の学費を払ったりすることもないから、仕事はえり好みさせてもらう。

そんなわけで、前と同じ忙しさで収入が半分以下という身の上よりは、私は少しは恵まれているかもしれない。とはいいながら、月末には締切に追われたりして妙に忙しくなったりするのだが。

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2012/10/29

iPhone 5 のおすすめケース TUNEWEAR eggshell

iPhone 5 をゲットして 2日経った。なかなか気持ちよく使っている。今日は iPhone 5 用のおすすめケースを紹介したい。何よりも私がとても気に入って使っているのであって、決してメーカーから金をもらってのステマというわけじゃないので、よろしく。

それは、TUNEWEAR eggshell for iPhone 5 という製品で、"eggshell" というぐらいなので、卵の殻みたいに薄い。薄いけれど、しっかりフィットする。そして、何より嬉しいのが、背面にストラップを装着するための小さな穴が開いていることだ。この穴に付属のリングストラップを通してもいいし、要らなかったら使わなくてもいい。

このリングストラップは、写真のように本体を挟み込むと、ちょうどいい斜めの角度で立てることができる。また、イヤフォンを巻き付けておくこともできる。

Imgp0365

iPhone にケースを付けるなんて、しかもストラップを付けるなんて、野暮にもほどがあるという人もいるが、私はかなりドジなので、ケータイにストラップが付いていないと、必ず落っことしたりどこかに忘れたりする。これは確実である。だから、このリングストラップにさらに落下防止用のコイル状ストラップを付けて、ベルトループと結んでいる。

私は 3GS からの iPhone ユーザーだが、いつも何らかの形でストラップを付けているので、今に至るまで "Find iPhone" (iPhone を探す) というアプリを使ったことは、たった 1度しかない。1度で済んでいるというのは、私にとって画期的なことだ。その時は自宅内にあったが、私はたいていマナーモードにしているので、コールしても探しにくいのだ。

このケースは、ストラップを取り付ける位置が本体の下の方になっているというのが、またいい。これまでの iPhone 4 で使っていたケースは、本体の左上の角にストラップホールがあるので、電話する時に耳に当てると、コイルストラップがベルトから伸びきって、妙に引っ張られてしまう。これは絶対に、下の方に取り付ける方が使いやすいのだ。

写真でわかるように、本体には液晶保護フィルムが貼ってある。フィルムを貼らないと、液晶が指紋だらけになるだけでなく、ポケットにしまう時にボタンとこすれたりして、液晶画面がキズだらけになる。その意味でも、フィルムは貼った方がいい。

私が使っているのは、「気泡が絶対に発生しない」 というタイプだ。私は不器用だから、フツーのタイプのフィルムを貼ると、もう無惨なほどに気泡だらけになる。ここはちょっと無骨でもこのタイプにした。

「iPhone は裸で使うのでなければ意味がない」 というスタイリッシュなユーザーからみたら、まったく無骨そのものの使い方で、それは私も重々感じてはいるのだが、何しろドジなので、どうしても必要なのである。お目こぼし頂きたい。

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2012/10/28

衣替えにとまどう季節

秋が深まってきた。9月までは残暑が無茶苦茶に厳しく、10月になっても時々、外を歩いているだけで大汗をかく日もあったが、下旬に入ると、さすがに秋らしくなった。

それでも、まだジャケットは春夏用の背中が一重仕立てのものだ。昨日なんて、半袖のポロシャツの上に一重仕立てのジャケットを着ていた。さすがに日が暮れると涼しくなったが、ウールの総裏付きジャケットなんて 11月の声を聞くまでは着られない。衣替えにとまどう季節である。

10月になると秋冬物を着ていたのは、何年前までだろうか。最近は衣替えの時期が、ほぼ 1ヶ月遅れになっている。そして衣替えをした途端に、すぐに冬になってコートが欲しくなる。

暑くもなく寒くもない快適なシーズンは、近頃では本当に短くなった。今日はこの辺で失礼。

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2012/10/27

iPhone 5 を入手

今月 7日にソフトバンクショップで iPhone 5 を予約した時は、供給がタイトなので 1ヶ月ぐらいかかると言われていたのだが、今日入荷したと連絡があったので、さっそく購入した。32GB のホワイトである。

触ってみての第一印象は、「薄い!」 ということである。画面が縦長になったということ以上に、この薄さは驚きだ。ケースを付けてようやく、裸のままの iPhone 4 とほぼ同じぐらいの厚さになる。持った感じもかなり軽い。

使用感に関しては、やはり 「速い!」 と思った。一つ一つの操作のレスポンスがいい。これまでにしてもそれほど遅いという気はしなかったが、それよりも一瞬速いという印象なので、かなり快速感がある。まあ、この快速感もすぐに慣れてフツーのことになるのだろうが。

ネット接続は LTE 対応になったので、これはもう、かなり速い。ウェブページの表示が、本当に 「あっという間」 だ。ところが我が家は、SBM の カバーエリアのギリギリのところにあるらしく、接続が LTE になったり 3G になったりする。LTE 接続の時はアンテナが 5本のうち 2本しか立たないが、それでも速い。3G になると、がっくり遅くなる。

これに関しては、SBM のLTE エリア拡大を待つしかない。iPhone 5 のテザリングは LTE エリアでしか使えないというので、これに関してはちょっぴり期待はずれである。我が家でインターネットに接続する分には、光回線の Wifi で行けるが、問題は実家に帰った時だ。しばらくは、E-mobile の Pocket Wifi の契約を解除できないかもしれない。

(LTE エリアでしかテザリングできないというのは、どうやら私の誤解だったようで、3G エリアでもできるようである。「LTE 対応の端末でしかできない」 という SBM の説明が、ちょっと言葉足らずだったようだ。この記事のコメントを参照)

設定に関しては、ショップで受け取ってすぐに iCloud を効かせたたら、連絡先があっという間にいつものリストになった。これだから iCloud はありがたい。ただ、アプリの同期が iTunes につないでもなかなかうまくいかなくて、結局 App Store を立ち上げて、かなりの数のアプリをインストールし直したので、かなり手間がかかった。

まあ、App Store は一度購入したアプリは何度インストールし直してもお金はかからないからいいのだが、これはストレスだったなあ。まあ、ちょっとした面倒はあったが、夜が明ければとくに気負いもなく、バリバリ使いこなせる。

新しい PC を買ったりしたら、細かい部分の設定にまで 2~3日を覚悟しなければならないから、iPhone の簡便さはありがたい。

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2012/10/26

Kindle ストアで、さっそく 2冊購入した

Kindle ストアが日本でもオープンしたので、私もさっそく iPhone アプリの "Kindle" をインストールしてみた。こういうことに関しては、私はちょっとだけ新しもの好きなのだ。「ちょっとだけ」 というのは、やってはみるけど、すぐにはまりまくったりはしないということだ。

例えば私は、2007年 12月という、比較的早い時期に Twitter のアカウントを取得しているが、ぼちぼち実効的に始めたのは 2010年 1月からである。この間の約 2年間は、自分がTwiiter のアカウントを取得したことすら忘れていたので、改めて始めようとした時に、「Twitter の中に自分の偽物がいる!」 と思ってしまったことを、記事にしている (参照)。

というわけで、私は iPhone と iPad に "Kindle" をインストールしてはみたが、実際に 電子ブックを 10冊も 20冊も (電子ブックの場合、「冊」 といっていいのかなあ?) 買いまくったかといえば、そんなことはない。なぜかといえば、買いたい本があまりないからである。

現状の日本版 Kindle ストアは、郊外のステーションビルによくある書店みたいなもので、ベストセラーとハウツー本とコミックしか置いてないみたいな印象なのだ。よく言われることだが、本好きという種族は、ベストセラーをあまり買わないのである。だから、ステーションビルの書店では買う本が見つからないと同様、Kindle ストアでも見つからない。

書籍のカテゴリー分けにしても、例えば 「人文・思想 - 文化人類学・民俗学」 というカテゴリーを覗くと、トップに表示されるのは "あなたの 「ふつう」 はだいじょうぶ? 女のマナー常識 555 (PHP文庫)"、"お墓は、要らない (学研新書) "、"お嬢様ルール入門 正統派マナーから気になるライフスタイルまで (PHP文庫) " というようなことで、ちょっと脱力だ。

もっとも、ステーションビルの書店と違うのは、「0円」 という値段の品揃えが結構あって、これは 「青空文庫」 的なコレクションである。こっちの方がずっとおもしろい。私はさっそく、和辻哲郎の 「古寺巡礼」 をダウンロードして読み始めた。これが、私の Kindle での最初の購入である。(購入といっても、無料だが)

新・リストラなう日記 たぬきちの首 のたぬきちさんは、「電子書籍で読まれるべきは、紙ではもう手に入らない本なのだ」 と喝破しておられて、本日付の記事で、深沢七郎・著 『風流夢譚』 の Kindle 版が出ることを期待しておられる (参照)。

そして、さすが Amazon である。その日のうちに出ている (参照)。著作権はまだ切れていなくて、315円の値段がついているが、たぬきちさんのおっしゃるように、これが Kindle のベストセラーになったら素敵だろう。<・p>

そう思って、私は既に紙媒体の海賊版 『風流無譚』 を持っている (蛇の道は何とやらである) のだが、ついぽっちりしてダウンロードしてしまった。まあ、315円なら、スタバのコーヒー 1杯分くらいだからいいだろう。これが、私の Kindle での 2冊目の購入となったのである。

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2012/10/25

石原新党、ドラフト、Windows 8 では、三題噺にもならない

今日、都内での会議の帰り道、地下鉄の KIOSK で売られている夕刊紙の見出しを見たら、東スポのトップがプロ野球ドラフトの結果ではなく、石原都知事が辞任して新党をどーちゃらこーちゃらという話だった。東スポという世界の中でさえ、ドラフトのニュース・バリューは、石原さんの 80歳の気まぐれに負けちゃうのだね。

石原さんは次の総選挙に出るということについて 「最後のご奉公」 と言っているようだが、確か昨年都知事選に出た時も 「身命を賭して最後のご奉公」 と言っていたはずだ。なんだかなあ。

あのじいさんだらけの自民党ですら、比例区に 73歳定年制を設けているのだから、そろそろ縁側で猫でも撫でていたらどうかと思うが、もしそうなったとしても、石原さんに撫でられる猫にはなりたくない。新聞読みながら、膝の上の猫の頭をポカポカ叩いていそうな気がする。

というわけで、プロ野球のドラフトは石原さんの辞任というニュースの陰に隠れて、ちょっと気の毒なことになってしまった。まあ、私としては初めからあまり興味がないからいいのだが。

そしてもっと気の毒なことになってしまったのが、「Windows 8 発売前夜祭」 というニュースだ。はっきり言って、私の周りでは誰も意識していない。それどころか、今でも Windows XP を使い続けているユーザーがいくらでもいる。

この前夜祭では、日本マイクロソフトの樋口社長が 「Windows 95でブームが起きたが、それを超えられる画期的な OS」 と語ったというが、「じゃあ、Windows 7 までは 95 を越えていなかったとでもいうのか? それとも MS にとって重要なのは 『ブーム』 なのか?」 と突っ込みたくなった。

今日の記事は、石原新党、ドラフト、Windows 8 で三題噺風に仕上げようと思っていたのだが、まともにはつながりそうにない。まあ、無理に共通項を挙げるとすれば、「誰も新鮮さを感じなくなっている」 ということだろうかね。

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2012/10/24

一晩だけの帰郷

実は、昨日仕事で山形市に行ったついでに、前日に脚を伸ばして、酒田の実家に泊まった。山形市での仕事が朝からだったので、どうせ前泊しなければならず、それならいっそのこと酒田の実家に泊まってしまおうというわけだ。酒田から山形までは 120km の道のりがあるので、当日は早起きして酒田を出発しなければならなかったが。

実家は今、空き家である。昨年の 10月に父が死に、我が家も妹一家も関東に暮らしているので、住む人間がいないのだ。かと言って売り払ってしまうのもはばかられる。あの家を売り払ってしまったら、墓参りや法事で帰郷しても、ホテル泊まりというわびしいことになってしまう。

そんなわけで、無人の実家に時々は風を通しに行かなければならない。夕方に実家に到着して玄関の鍵を開けて気付いたのだが、実家でたった一人で夜を明かすというのは、生まれて初めての経験である。これはなんだか奇妙な感覚だった。これまでは、必ず家族がいたのだから。

たった一人でテレビのスイッチを入れたが、父が死んでからは BS の契約を切ってしまったので映らない。地デジの NHK と民放をざっと眺めてみたが、全然つまらないので早々にスイッチを切った。暮れていく夜空を、白鳥の群れの飛んでいく声がする。酒田の最上川河口は、日本有数の白鳥飛来地で、1万羽近くが越冬する。

一人で湯を沸かして茶を淹れ、コンビニで買ってきた弁当を食べ (日が暮れてからの地方都市というのは、気楽に飯の食えるレストランが極端に少ないのだ)、風呂を沸かして入った。近所の日帰り温泉にでも行こうかと思ったが、一日中運転したので、これ以上ハンドルを握るのが嫌になってしまっていた。

仏壇に線香を上げ、メールのチェックをして返事を書き、ブログを更新し、ちょっと残っていた仕事を片付けると 9時を過ぎた。風を通すのが目的だったから、窓という窓を開け放していたが、さすがに東北で、寒風が通り抜ける。窓を閉めてもまだ寒い。

仕方なく暖房を入れてみると、築 5年足らずの高断熱住宅だけのことはある。あっという間に暖まって、寝る段になって暖房を切ってもずっと暖かいままだ。薄手の布団をかけただけで、夜明けまでぐっすりと眠った。

朝 5時半に起きて、念入りに火と電源の始末をし、戸締まりをして 7時に出発した。ゴミはすべて持ち帰りである。今回の帰郷は要するに、家に風を通して寝るだけだった。親戚にも誰にも会わずじまいである。あまりにも呆気ない帰郷だ。

今度来る時は、いくら何でももう少しゆったりしたスケジュールにしようと思った。ただそれは、冬を越して春になってからのことになるだろう。

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2012/10/23

最近の橋下氏を巡る報道

週刊朝日の 「ハシシタ」 記事事件だが、あれって、一体どういうことなんだろう。

ジャーナリズムとしてごく普通の常識さえあれば、あんな記事は掲載しないはずだ。その 「ごく普通の常識」 がどこかに飛んでいってしまうほど、朝日的価値観からすると、抹殺したくなるような存在なのだろうか。橋下さんという人って、それほどヘビーな存在なのだろうか。

朝日的価値観だけではなく、文春的価値観からしてもそんなところがあるようだ。朝日の問題が大きすぎてあまり大きく取り上げられてはいないが、橋下氏が宗教団体から資金をもらっているという週刊文春の記事も出ている。これはどうやらガセネタのようだが、橋下氏は、右からも左からも怪しい記事で攻撃されているわけだ。

私は昨年 11月に 「橋下不支持宣言」 を書いたとおり、彼を支持することはないが、このところのジャーナリズムの様子を見ていると、かなりヒステリックに彼を貶めようとしているという印象がある。これはどうも、「何かあるぞ」 と思ってしまっても不思議じゃない。

私としては橋下氏を支持することはないけれど、「そこまで無茶苦茶な扱いはしなくていいだろうよ」 と思っているのだが。

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2012/10/22

Facebook とモバイル・デバイス

CNET によると、Facebook の創設者で CEO のマーク・ザッカーバーグ氏が、投資会社 Y・コンビネーターのスタートアップ・スクールで、SNS における情報共有の進展について語ったという。(参照

彼はこのことについて、「ソーシャルネットワーキングの世界におけるムーアの法則のようなもの」 と述べ、「(共有の) 速度は 10年毎に 2倍になるとわれわれは考えている。なので、今から 10年で、人は今日の 1000倍の情報を共有するようになる」 と述べたと伝えられる。

「今日の 1000倍の情報」 を共有できたとしても、人間の脳はそれを取り扱うことができないんじゃないかと危惧するが、まあ、そこはそれ、デジタル・デバイスという外部メモリーを使ってこなしていくことになるのだろう。

ここで 「デジタル・デバイス」 という言い方をしたのは、それは決して PC の役割ではなくなるんじゃないかと思うからだ。近々、PC は専門的な仕事をするための道具という位置づけになって、ごくフツーの人が気軽に情報にアクセスするのには、スマホやタブレットなどの、モバイル・デバイスを使うことになるだろう。

現に、30歳以下の連中の平均的な PC リテラシーは、少なくとも進展してはいないんじゃないかという印象がある。彼らの多くは、ケータイやスマホはとても上手に使いこなすが、PC のオフィス・ソフトなどの取り扱いに関しては、その辺のオッサンより下手なんじゃないかと思うほどだ。

Facebook にしても、多くのユーザーはモバイル・デバイスを使って読んだり書いたりしている。ところが、Facebook は機能が豊富すぎるために、本当に使いやすいクライアント・アプリがまだ提供されていない。

機能が単純な Twitter は、クライアント・アプリがいくらでもあるが、Facebook となると、iPhone、iPad 向けの公式アプリは、限定された機能しか使えない。例えば、最近はウェブページのシェアはできるようになったが、Facebook 上の写真のシェアは、依然としてできない。(有料アプリで、できるものもあるが)

Facebook はどうやら、PC で操作するものという前提で開発されているように思う。モバイル・デバイス上では、その機能をフルに使うことができない。iPad では Safari 上で Facebook を操作すれば、フルに近い機能が使えるが、iPhone だと Safari を使っても、限定された表示しかできない。

Facebook に限界があるとすれば、このあたりなのではなかろうか。モバイル・デバイスで取り扱うには、ヘビーすぎるのである。アプリの開発者がいくらがんばっても、Facebook 自身の進化に追いつけない。要するに、機能があまりにもてんこ盛りなのである。

もしかしたら、モバイル・デバイス用には、一般ユーザー向けのアプリと、上級機能を専門にこなすアプリの 2本立てでインストールしなければならないのかもしれない。既にそんなような傾向は見て取れる。

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2012/10/21

Surface の OS Windows RT って?

間もなく発売される予定の、Microsoft のタブレット端末 "Surface" の OS として記されている "Windows RT" って一体何だ? と思って調べたら、Windows 8 のタブレット端末バージョンなんだそうだ (参照)。 この件に関して、Sslashdot に 「Windows 8 と Windows RT の違いは混乱を招くか」 という記事がある。

私は、Microsoft は PC からタブレットまで、全て同じ Windows 8 で動かす戦略なのかと思っていたら、自社のタブレットにだけは、ちゃっかりと専用 OS を用意しているらしい。他のメーカーに作らせているタブレットは Windows 8 で、いかにも 「重そう」 と思わせといて、自社のタブレットは、サクサク動かす魂胆のようだ。

(コメント欄で RT欲しい人 さん から、Windows RT は他社にも供給されているとの指摘をしていただいたので、訂正)

問題は、メトロじゃない、最近は 「Windows 8 スタイル」 と言うことになったらしいが、あのタイルとやらを使ったデスクトップが、両方に共通なので、同じ OS じゃないかと誤解されるおそれがあるということだ。Microsoft の現場でも、「Windows RT はタッチ操作に最適化された Windows 8」 などと、怪しい説明をしているらしい。

Windows 8 と Windows RT の間には、Mac OS と iOS ぐらいの差があるようなのだが、Microsoft はこれまで、その辺をあまり明確に説明してこなかった。実際には、Surface で従来の Windows 用のアプリを動かそうとしても、動かないということのようなので、混乱しないように注意しなければならない。

こんなことなら、フツーに考えたら、PC の OS である Windows 8 のデスクトップに、あんなふうにタイルとやらを貼ってしまう必要があったのかと疑問を感じてしまう。私は、PC を操作するのに、いちいち手を伸ばして画面にタッチするなんて、嫌だよ。また肩凝りの原因が増えちゃうじゃないか。

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2012/10/20

ブロードバンドはもはや生活必需品

Slashdot によると、9月にニューヨークで開催された "UN ソーシャル・グッド・サミット 2012"で発せられた 「ブロードバンドは贅沢か、基本的人権か」 という問いかけに、「基本的人権」 と答えた人が圧倒的に多かったという (参照)。

これは Mashable の Lance Ulanoff 氏が観衆に向けて、挙手による回答を求めたものだったようだが、パネリストとして同席していた ITU 事務総局長の Hamadoun Touré 氏と Ericsson CEO の Hans Vestberg 氏も、「基本的人権」 との意見に同調していたそうだ。以下、Slashdot からの引用である。

Touré 氏は、よりよいヘルスケアや教育、持続可能な経済や社会開発を可能にするオンラインの世界に誰もが接続できるようにする必要があると述べ、Vestberg 氏はブロードバンド人口が 10%増えると持続可能な GDP が 1%増えると述べたという。3G以上のモバイルブロードバンド契約者は 10億人を超えており、5年以内に 50億人に達すると予想されているそうだ。

いやはや、この設問、気持ちはわかるが、ちょっと乱暴すぎる気がしないか? 私ならごく慎ましく 「ブロードバンドは贅沢品か、生活必需品か」 とでも聞くだろう。「基本的人権」 とは、いくらなんでも言い過ぎだ。

と思って、本家の元記事を当たってみると、"Is Mobile Broadband a Luxury Or a Human Right?" というのが原文だった (参照)。"Human right" は普通に訳したら 「人権」 であり、「基本的人権」 というのはいささか訳しすぎだろう。ちょっとセンセーショナルな線を狙いすぎだ。

観客の多くは、「ブロードバンドはもはや、決して贅沢品じゃない」 という意味合いで、「人としての権利」 と答えたに違いない。設問が二者択一なのだから、そうと答える方が、より抵抗が少なかったんだろう。

私は既に、生活していく上での多くの情報をインターネットから得ているし、買い物や移動のためのチケット購入などにインターネットを使っている。これがなかったら、もう今の暮らしは維持できない。

ちょっと前まで、テレビ CM の最後に 「詳しくはウェブで」 という一言を付け加えると、一部の視聴者から猛烈な反発があったそうだ。「インターネットを使いこなせない視聴者への配慮に欠ける」 というわけだ。ところが今となっては、「インターネットは使えて当たり前」 になったので、遠慮なく 「詳しくはウェブで」 がくっつくようになった。

実際には、今でもインターネットを使いこなせない人がいくらでもいるが、そのほとんどはビジネスの現役を終えた人たちである。もし仕事相手にメールもウェブ閲覧もできない人が混じっていたら、不便でしょうがない。お引き取りいただくか、必死に学んで使えるようになってもらうしかない。

その意味でも、Vestberg 氏が主張するように、ブロードバンド人口が 10%増えるごとに持続可能な GDP が 1%増えるというのは、本当のところだと思う。「持続可能な GDP」 というのがミソだ。ブロードバンドの活用で、無駄な CO2 排出が、かなり抑えられるだろう。

モノを 「モノの形」 のままで運んだら、結構な CO2 が排出されるし、時間もかかる。それを重さのないデジタルな情報に還元してやれば、そりゃ電気は使うからまったくゼロにはならないにしろ、環境負荷は格段に減るし、ほぼ一瞬で済む。その意味でも、ブロードバンドは今よりもっと活用されていい。

私は今となっては、ブロードバンドができさえすれば、どんな田舎に住んでもいいと思っている。というより、都会には住みたくない。自然の中でハイタッチな情報に接してさえいられれば、他のかなりの部分はデジタル情報で十分である。

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2012/10/19

葬式って、お金がかかるのだよ

一昨日、「結婚式と葬式」 という記事を書いたのだが、とにかく、葬式が多い。今月はもう、3回も葬式に出たというのは、その記事に書いた通りである。そして、その葬式というのは金がかかる。とにかく金がかかる。

昨年の父の葬式は、生命保険で十分おつりが来たが、その保険金が下りてくるまではちょっと時間がかかる。死んだ当人の銀行口座に多少の預金があっても、死んでしまった途端に口座がロックされるから、死にそうだとわかった時点で、引き出しておかなければならないが、それもなかなか心情的にやりにくくて、後で手続きがやたら面倒になる。

世界には冠婚葬祭にものすごく金をかける国がいくらでもあって、日本なんてまだ可愛らしいものだという人もあるが、大金持ちでも有力者でもない人が、平均的にこんなにも金をかけるのは、ちょっと珍しいんではあるまいか。

昨年、父の葬式をした時、「集まった香典で、なんとかチャラになるものだよ」 なんて教えてくれる人もいたが、実際はそうもいかなかった。「香典返し」 というものがあって、それはもらった額の半額が相場だというのである。てことは、葬式にかかった費用の倍の香典がなければいけないが、そんなには集まるものじゃないと、やってみて初めてわかった。

昔の冠婚葬祭は自宅でやったものだが、今はなかなかそうもいかない。それで結婚式場や葬儀場が増えてくるわけだが、結婚式の場合は、ホテルやレストランを借り切って、自分たちのカスタムメイドでやるというのが増えてきたようだ。

しかし葬式というのは、たいていは突然のことだから、自分で企画を立てて準備しておくというのも、そうする人がいないでもないらしいが、なかなかそうもいかない。それでつい、葬儀場に一切お任せということになってしまいがちだ。

最近は 「イオンのお葬式」 などの格安プランも増えているらしいが、なかなか普及していない。それに、日本人はとにかく 「横並び主義」 だから、他と比べてみすぼらしいことはしたくないなんて思う。

実際上、あまり早く死にすぎると、仕事などの関係者がどっさり弔問に来るだろうから、あまり安上がりに済ませるわけにもいかない。それならば、現役を引退してしばらくはひっそりと生き延び、世間に忘れられたころに安らかに死ぬというのが、葬式を簡単に済ませることにつながりそうだ。

よし、そうすることにしよう。

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2012/10/18

人民元切り上げ圧力を、他人事だから呑気に考える

米国の大統領候補者、オバマ氏とロムニー氏が、揃って人民元切り上げに向けた圧力を強める姿勢を示していることに対して、中国は当然ながら反発姿勢をみせているようだ。

2人の候補者の主張が対立せずに、ほぼ共通しているようにみえる事案というのは、多分この 「人民元切り上げ圧力強化」 ということだけだろうから、これは米国内ではよっぽど、反対意見の出ようのない一致した主張なのだと思われる。

考えてみれば、いや、それほど考えるまでもなく、そりゃそうだと納得される。これだけ経済的に力を増している国の通貨が、何十年も実質的にほぼ固定相場制のままで推移しているのは、「反則」 以外の何物でもない。

翻って、日本円の対ドルレートを考えてみよう。私の子供の頃は、「1ドル = 360円」 という固定相場制の時代だった。この体制は 1949年から 71年までの 22年間も続き、おかげで、日本製品の輸出は絶好調で、高度成長の真っ只中にあった。ちょうど、今の中国と同じようなものである。

1971年、私が大学に入った年の末から、ニクソン・ショックによって移行したスミソニアン体制により、1ドル = 308円 となったが、その影響は案外あっさりと吸収された。しかし 1973年 2月からは変動相場制に移行し、以後は多少の上がり下がりはあっても、長期的に見れば明らかに円高の方向に進んできたのである。

1977~78年頃頃、円は一時的に 180円を突破して、「日本経済は壊滅的な打撃を受ける」 なんて言われたが、その後は一時的に円安傾向に戻り、しばらくは 1ドル = 200円から 250円ぐらいの相場で動いていた。

ところが、私が日本の繊維業界を対外的に報道するという仕事をしていた 1980年代も後半に入ると、プラザ合意をきっかけにあれよあれよという間に円高が進んだ。おかげで私の商売は成立しなくなった。なにしろ、円が高すぎて日本の繊維製品の輸出なんて、夢物語みたいなことになってしまったのだ。

以後、私のビジネスは紆余曲折しながら現在に至る。もうそろそろ、半分は隠居みたいな暮らしに入りたいのだが、まともな蓄えができなかったから、なかなかそうもいかないのである。

1986年頃には、1ドル = 150円台にまで円高が進んだ。今でこそ、このレベルでは円安扱いにされてしまうが、当時は 「未曾有の円高」 だった。マスコミは 「日本経済は死ぬ」 と騒ぎ立てたが、どこでどううまくやったか知らないが、何とか生き延びた。

この頃は、米国に出張した時なんか、いろいろな品物の値段がものすごく安く感じられて、買い物が好きじゃない私まで、靴だの本だの美術作品だのを気軽に買いまくったものだ。「買わなきゃ損」 みたいな感覚だったしね。

しかし円高の勢いはこんなところでは済まない。1990年代の半ばに 1ドル = 100円の大台を突破し、一時は 70円台という 「超円高」 になった。いくらなんでもこれでは行きすぎだというので、その後は上がったり下がったりの繰り返しになったが、最近はまたしても 70円台という状態になっている。

フツーに言ったら、このレートは無茶である。私の個人的印象では 「1ドル = 100~120円」 ぐらいが、ちょうどバランスのいいところだと思うのだが、70円台というのでは、米国人が日本に来たら、ものすごく物価の高い国に思えるだろう。実はデフレなのに。

こんな具合だと、プラザ合意の前の感覚では、日本経済はこの間に何度死んだか数え切れないほどだと思うのだが、それでも死なずに済んでいるのだから、不思議なものである。経済というのは本当にわけがわからない。ごちゃごちゃやっている間に、なんとかなるものである。

話を中国の人民元切り上げの件に戻すと、何だかんだと言っても、人民元がこのまま長期的に 「実質固定相場」 のままで維持されるというのは、考えにくい。中国政府も介入に手心を加えざるを得ない状態になるだろうから、人民元の対ドルレートは確実に上がっていくだろう。他人事だから、呑気にそう考える。

そうなると、「中国の安い労働力」 というのは、過去のお話になってしまう。問題は、中国が過去に日本がもちこたえて見せた時のような 「わけのわからない底力」 を発揮できるのかどうかということだ。どんなものなんだろうなあ。

下手すると、人民元がチョー高くなって、中国が世界中の不動産と株と軍備を買い占めるなんてことにならないとも限らず、それもまた困ったものなのだが。

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2012/10/17

結婚式と葬式

先月の 30日に姪の結婚式に出席した。このところ、礼服を着るのは葬式ばかりでうんざりしていたところだったので、「ああ、やっぱり結婚式はいいなあ」 と思ったのだが、その翌月になって、3回連続で葬式である。こんなことになるとは、思いもよらなかった。

7日に、知人の葬儀、今日は友人の父の葬儀、そして明日はちょっとした恩人の葬儀である。人は生まれて来た限りは、最期に死んで見せるのがつとめである。だから 「死」 は決して特別なことではないのだが、短期間にこんなに葬儀が続くと、さすがにちょっとセンチメンタルな気分になってしまう。

20代から 30代にかけての頃は、しょっちゅう結婚式に出席していた。思えば華やかな時代だった。結婚式というのは二次会も含めてなかなか楽しいもので、何度続こうが、ご祝儀を包むのがちょっとしんどくなるぐらいで、基本的には歓迎だった。

ところが、葬式は楽しくない。できれば出たくないが、出ないわけにはいかない。恩や義理のある人の葬儀なら、なおさらである。

どうしてこんなに葬式ばかり続くのか考えてみて、すぐにそれも道理と気付いた。

結婚しない人はいても、死なない人はいない。それだけでも、葬式の方が多くなる計算である、その上に葬式は 1人で 1度だが、結婚式は 2人で 1度だから、人間の数の半分にしかならない。何度も結婚する人もいるが、しない人もいるから、やはり、葬式の回数の方がずっと多くなるのは自然のことだ。

しかも最近は少子化で、この年になっても結婚適齢期 (とやら) を迎える甥や姪が少ない。一方で、寿命にさしかかった友人・知人は少なくない。親が今にも死にそうな友人・知人となると、それ以上にいる。これでは、結婚式に出る機会は少なく、葬式に出る機会ばかり増えるはずである。

年を取れば取るほど、自分の死について考えることも増えるわけだ。

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2012/10/16

全端末の OS を Windows 8 にする人なんて、いるの?

Slashdot の 「Microsoft の戦略に踊らされて、全端末の OS を Windows 8 に統一するかい?」 という記事を読んで、「へえ、MS はユーザーの手持ちの端末を、PC から タブレット、スマホにいたるまで、すべて Windows 8 に置き換えさせることを、本気で目論んでいるのか」 と、びっくりした。

まあ、MS が大好きで、Windows の操作感から離れられない (とはいえ、Windows 8 はかなり操作感も変わるみたいなのだが) という人は、そうするかも知れないが、フツーに考えたら、そりゃ無理だろう。

モバイル端末の OS としての Windows 8 は、いくらなんでも、デビューが遅過ぎだ。多くの消費者は、既に iOS かアンドロイドの端末を持っている。それを捨てて、Windows 8 の端末をお持ちなさいといっても、それは無理というものである。

PC の OS としての Windows 8 は、嫌がおうにも自然にシェアを広げていくだろう。手持ちの Windows PC がオシャカになって買い換えたら、当然のごとくに Windows 8 マシンになってしまう。事実上の選択の余地がほとんどないのだから、こればかりは自然の流れである。

しかし、「だったら、タブレットもスマホも、Windows 8 に揃える方が、使いやすいですよ」 なんて言われても、それに乗っかる人は少ないだろう。現に、iPhone や アンドロイド・スマホのユーザーの多くは、Windows PC を使っていて、それで不便でしょうがないとは全然思っていない。

逆に私なんぞは、「次に買う PC は Mac にしちゃおう」 と思っている。「Windows のユーザーインターフェイスが、慣れ親しんだ姿から変わってしまうなら、これ以上使い続ける意味がない」 ということだ。その昔、Windows 3.1 が短期間で 95 に変わった時とは、わけが違う。

XP 以降の Windows というのは、ユーザー・ニーズとはほとんど関係なく、サプライヤー側の都合のみによるアップデートで売れ続けてきた、世にも珍しい商品である。それをいえば、MS Office はそれが極端すぎるほどで、ユーザーは既存バージョンの操作にようやく慣れた時点で、まったく新しい操作を強要され、混乱に突き落とされた。

そんなわけで、「PC が Windows 8 になるんですから、いっそタブレットもスマホも Windows 8 で揃えましょう」 という戦略とはまったく逆の効果が私には作用してしまっていて、「Windows 8 にするぐらいなら、次に買う PC の方を スマホに揃えてしまおう」 と考えているのである。

どうやら私の体の中には、すっかりリンゴのエキスが浸透してしまったらしい。

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2012/10/15

土壌放射能汚染マップ ―― 千葉県北西部と茨城県南部

「ベスト アンド ワースト」 というサイトに 「千葉県北西部と茨城県南部の土壌放射能汚染マップの恐怖!-千葉県我孫子市では最高76万7000ベクレル!」 という記事があって、我孫子市からそう遠くない茨城県南西部に居住している身としては、かなり気持ちが悪い。

この記事は常総生協が 9月26日に公開した 「千葉県北西部、茨城県南部の放射性セシウム土壌沈着測定結果」 (参照) を紹介したもの。各市町を 1平方メートルのメッシュに区切ってサンプルの土壌を採取し、放射性セシウム濃度を計測してマップにしている。

これによると、千葉県我孫子市には最高で 76万ベクレル/㎡ の地点が存在するなど、千葉県西北部の数値が高い。ちなみに記事によると、チェルノブイリの避難基準と比較すれば、1位の 「我孫子市寿2」、2位の 「我孫子市青山××」、3位の 「流山市加南部中学校体育館横県道歩道」 は、「強制移住」 レベルとなるという。

もっとも、この調査は市民自身が土壌を採取して送付するという手法で行われたようなので、厳密な測定法に沿っているのかどうかは不明だ。さらに、特定の狭い地域にホットスポットが集中し、その周辺の数値はさほど高くないという現象も見られるので、これがどういうことなのか、慎重に読み取ることが必要だろう。

また、人間はそこにずっと立ちつくしているというわけではないので、過剰に意識して騒ぎ立てるのもどうかと思う。ただ、採取された土壌から高濃度のセシウムが測定されたという単純事実は残るので、いずれにしても、その近辺に子供を近づけないなどの注意はするにこしたことはない。

いずれにしても、気持ちの悪い数値が発表されたものだとは思うのである。

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2012/10/14

読売は森口氏の嘘を 3年以上信じ続けていたらしい

どうやら読売新聞は iPS 治療で虚言垂れ流しの森口尚史氏と、ずっと前からの付き合いだったようで、2010年 5月 1日付の 「iPS で C型肝炎治療法発見、副作用検査に活用」 という記事は、Chopin - Archives によると、こんな具合の書き出しである。(参照

ヒトの iPS 細胞 (新型万能細胞) などを使って、C型肝炎を治療する効果的で副作用も少ない薬の組み合わせを見つけ出すことに、森口尚史・米ハーバード大学研究員らと東京医科歯科大学のグループが成功した。

これに関して東京医科歯科大は 12日の記者会見で、「東京医科歯科大で (森口氏の iPS 関連の) 実験及び研究が行われた事実はない」 と完全否定している。

さらに読売新聞はこれに先立つ同年 2月 24日付でも、「肝臓がん細胞から iPS 成功、再生医療へ一歩」 という見出しで、こんな書き出しの記事を書いている。(参照

肝臓がんの細胞に低分子化合物を加えるだけで、人間の iPS 細胞(新型万能細胞) を作り出すことに成功したと、米ハーバード大の森口尚史研究員らが23日、東京で開かれた国際会議で発表した。

この記事には、「東京で開かれた国際会議」 が何という会議なのかすら言及がない。それに森口氏がハーバードに在籍したのは、1999年 11月から 2000年初めにかけての約 1ヶ月とされているので、2010年の時点で 「森口尚史・米ハーバード大学研究員」 と記述しているのは、お笑い草だ。

ためしにもうちょっと検索してみたら、2009年 9月 2日付でも、「肝臓がん細胞、9割が正常変化…マウスで成功」 という記事がある。(参照) こんな内容だ。

肝臓のがん細胞のほとんどを、正常な細胞に変化させることに、米ハーバード大の森口尚史研究員 (肝臓医学) らが、マウスの実験で成功した。

   (中略)

森口研究員は 「今後は iPS 細胞から作った肝臓の細胞を使って、より副作用が少なく治療効果の高い化学物質の投与量を探りたい」 としている。

私は昨日、今月 11日付の例の記事について、読売は 「スクープを取りたい一心で、『えいや!』 とばかりに載っけてしまったんだろう」 と書いたが、実はそんなもんじゃないようだ。昨日や今日の付き合いではなく、少なくとも 3年前からの関係だったのである。

この間、フツーのジャーナリストの感覚なら、過去に書いた 2本の記事の内容の信憑性に、「なんだか、ちょっとヤバかったかも」 と疑問を感じて、わなわなしてしまうところである。

「あのおっさんの言うこと、もし本当だったら、山中教授も裸足で逃げ出すほどの画期的なことのはずなのに、他ではまるで話題にすらなってないというのは、一体どういうことなんだ?」 「こりゃ、そのまま信じたら危なすぎるかも」 と気付くのに、3年間というのは十分な時間ではないか。

その意味で、読売新聞のリテラシーって、ちょっとまともじゃないみたいなのである。信じられないことだが、事実が証明している。おじさんはもう、びっくりである。

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2012/10/13

iPS 細胞臨床適用記事の教訓

例の日本人による iPS 細胞の臨床適用という記事は、どうやら 「世紀の (というにはお粗末な) 大誤報」 ということに落ち着きそうだ。

私はこのニュースを 12日の産経朝刊で知ったのだが、その発端は 11日付読売新聞の 「スクープ記事」 だったらしい。読売新聞はこのことについて、哀れさを醸し出すような言い訳記事を発表している (参照)。

この件についての私の疑問は、次の 3つに集約される。

  1. 森口尚史という人は、なんでまた嘘とすぐにバレるようなことを、マスコミに語ったのか?
  2. 読売新聞の記者は、森口氏にインタビューした際、どうして 「いくら何でも、怪しすぎ」 と疑わなかったのか? もし記者が疑わなかったとしても、編集デスクの段階で、「あまりにもリスキー」 という常識的な判断ができなかったのか。
  3. 読売の 「スクープ」 記事が載ってから、どうして多くのメディアが 「疑いもなく」 後追い記事を報じてしまったのか。

最初の疑問について一つだけ言えることは、虚言癖の人というのは、これといった目的もなく嘘を言いたくてたまらないもののようだということである。すぐにバレるような嘘でも、それを吹聴することによって一時的な陶酔を得ることの方が大切と思っているかのようなのだ。

これについては、私は 6年前の民主党のいわゆる 「偽メール事件」 の際に、「虚言癖のオジサン」 というタイトルで書いているので、興味があったらご一読いただきたい。今回の森口氏という人も、要するに 「虚言癖のオジサン」 の一人なんだと思うのである。この手の人は、案外どこにでもいる。

それよりも一番の問題は、読売新聞社内部の判断のまずさである。まず森口氏に直接インタビューした記者には、「iPS 細胞の研究成果は、まだ臨床適用の段階にない」 という常識的な知識がなかったのだろうか。もしあったとしたら、森口氏の言うことはにわかには信じがたいだろうから、慎重に裏付け取材をするはずだ。

しかしこの記者は多分、そんな悠長なことをしていたら、11日に開かれる米トランスレーショナル幹細胞学会で当人が公に発表してしまう (実際には、森口氏はバックレてしまったのだが) から、自社のスクープにならなくなってしまうと判断したのだろう。つまり、功を焦ってしまったのだ。

そしてこの原稿を送りつけられた読売本社の編集部も、常識的に考えたらリスキーではあるが、スクープを取りたい一心で、「えいや!」 とばかりに載っけてしまったんだろう。ハーバード大学やマサチューセッツ総合病院に確認を取ろうにも、英語でさっさと話を運べるやつが手近にいなかったのかもしれない。

私だったらとりあえず、マサチューセッツ総合病院に電話して 「ヨミウリという日本のメジャーな新聞社だが、当社の役員がドクター・モリグチの治療を受けたいと希望している」 とでも言ってみるだろう。そうすれば、「当病院には、モリグチという名のドクターはいない」 と返事されるだろうから、一発で怪しいとわかるはずだ。

発端は、わけのわからないオッサンの妄言。そしてスクープ取りたいとの欲に目がくらんだ読売の記者と編集部。さらに 「横並び」 でないと気が済まない日本のマスコミ体質。今回の誤報騒動は、この 3つの要素の合わせ技によるものだったのだろう。

ただ、これはもしかして、長い目で見れば案外 「いいこと」 だったのかもしれない。「マスコミの言うことは、とりあえず、まともに信じちゃダメ」 という教訓を、他ならぬマスコミ自身が与えてくれたのだから。

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2012/10/12

iPS 細胞を使った再生医療は、私個人としては 「余計なお世話」

山中伸弥氏のノーベル医学賞受賞で、世の中は盛り上がっている。彼の研究は再生医療に新しい道を開くものと受け取られているが、申し訳ないけど、私はこのことに関しては両手を上げて歓迎するという気になれない。

彼の研究成果である iPS 細胞 (人工多能性幹細胞) というのは、それが登場する前に注目されていた ES 細胞 (胚性幹細胞) にとって代わるものだ。

ES 細胞というのは、受精した卵子から作り出される。ということは、一つの生命を犠牲にする必要がある。これを人間に応用すれば、生まれてきて一人の人間となるはずの受精卵を、「殺す」 ということである。他からもってきた細胞を使うことによる拒絶反応以上に、こうした生命倫理的な問題が大きかったのだ。

山中教授の研究成果である iPS 細胞は、この生命倫理と拒絶反応という 2つの問題を解決するものだ。治療に応用するにあたって受精卵を他からもってくる必要がなく、自分の細胞を使えばいいし、自分の細胞だから、拒絶反応もない。

ES 細胞が注目されていた頃、私は 「他人の命を犠牲にしてまで、自分が生き延びようなんていう気には、さらさらなれない」 と、この分野の研究がいかに進もうとも、自分への適用は拒否することに決めていた。第一に、そんな治療をしてもらうほどの大金も払えないし。

iPS 細胞を使っての治療なら、上述の二つの問題は解決する。例えば、小さな子供の心臓疾患などで、これまでは心臓移植しか治療の道がなかったような場合でも、iPS 細胞の技術を慎重に適用すれば、拒絶反応もなく治療できるかもしれない。その意味では、かなりの数の人を救える可能性がある。このことについては、高く評価する。

ただ、私個人に関しては、もし自分の臓器が何かの病気でイカれてしまったとしても、iPS 技術を使って新品に交換して生き延びようなどとは思わない。「思わないだろう」 ではなく、「決して思わない」 のである。

今日の新聞には、日本の研究者が米国で心不全患者に対し、iPS 細胞の臨床応用に成功したとの記事が出ているが、このニュースはかなり怪しくて、もう少し様子を見てみないとなんとも言えないところがある。

私は今年の 7月、還暦を迎えた誕生日の翌日に、「人間がちゃんと死ねるように」 という記事で、「このまま医療が進歩していったら、人間、死ねなくなっちゃう。ガンになっても死ねないんじゃ、どうやって死ねばいいの?」 と書いた。

私は死にたくてたまらないというわけではないが、それでも、人間は死ななきゃいけないものである。生まれた限りは、きちんと死んでみせるのがつとめである。私は件の記事で、次のように書いている。

そもそも、生命というのは個体としては生まれたり死んだりしながら、種として保存されるようにプログラミングされていることを忘れてはならない。

そのようにプログラミングされている命が、個体として死ななくなってしまったら、その個体には精神的に、大変なストレスがかかってしまうだろう。「死なない」 というのは、人間の手に余ってしまう。

私は、死ぬ時が来たら自然に喜んであの世に行きたい。仏教では 「生老病死」 を 「四苦」 という。「四苦八苦」 の四苦だ。老いて病んで死ぬこと以前に、そもそも 「生まれてきて生きること」 も苦しみの一つであることを、見落としてはならない。死ななきゃいいってもんじゃないのだ。

みんなそれなりにストレスに満ちた暮らしをしているのに、どうしてそんなにしてまで、いつまでもこの世にしがみついて長生きしたいと思うのか、私には到底理解できないのである。

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2012/10/11

デスクトップ PC は絶対に無くならないだろうが

Slashdot に 「デスクトップ PC は絶対に無くならない?」 という記事がある。内容的には、デスクトップが存続する 10 の理由を挙げた PC World の記事 を紹介したものである。

その 10 の理由というのを、以下に引用する。

  1. デスクトップ PC は、安い
    (同レベルのノート型と比較すると、低価格)
  2. よりパワフルである
    (同レベルのノート型より、プロセッサの処理能力が高い)
  3. 周辺機器をどっさりつなげる
  4. マルチスクリーンで作業できる
    (大型ディスプレイがつなげる。ノート型はマルチスクリーンに対応していない場合が多い)
  5. 臨場感のあるゲームができる
  6. 修理が簡単
  7. クリエイティブなソフトウェアを効率的に使える
    (Photoshop などのクリエイティブなソフトウェアも、デスクトップの方が使いやすい)
  8. リサイクルが容易
    (ネットワーク上のストレージにしたり、観賞用水槽にしたりできる)
  9. 安定性と耐久力に優れる
  10. 自作できる

なるほど。もっともらしい理由が並べられている。ただし、価格や処理能力に関しては、最近では決定的な違いはなくなってきた。それにそのほかの理由に関しても、そんなにどっさり周辺機器をつなぐ人は多くないし、マルチスクリーンのニーズもそんなに高くない。よほど特殊で高度な作業をするのでなければ、ノート PC で十分だろう。

最近ではどこのオフィスをのぞいても、机の上にでっかいデスクトップ PC が鎮座ましましているということは少なくなった。大抵は、ノート PC で 1人 1台体制が確保されている。手軽に持ち運びできるというのが、ノート型の最大のメリットだ。

私も以前はデスクトップをメインマシンとし、ノート型はサブマシンとして使っていたが、最近ではノート型が十分メインマシンとして使える性能を持っているので、1台で済ませている。それがいつ頃からかと、自分の過去記事を探したら、一昨年の 5月以後だった。ずっと前からのような気がしていたが、まだ 2年半にもなっていないのだった。

つまり私自身も 2年半前までは、ノート型は 「頼りない」 というイメージをもっていて、「やっぱり、メインマシンはデスクトップじゃなきゃね」 と思っていたということだ。しかし今となっては、デスクトップを買おうという発想すらなくなった。次に買うのも、当然ながら MacBook Pro と決めている。

デスクトップ PC は確かになくなりはしないだろうが、どんどん少なくなっていくのは確実だと思う。

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2012/10/10

外出先で BS をネットで見たい

近頃、テレビを見る時間が少しだけ増えた。以前は、1日に 10分もテレビを見ない人だったが、最近は 2時間ぐらい見る日もあるという程度に増えた。とはいえ、見るのは ほとんど BS で、それも Wowow の 192 番である。

Wowow の 192 番というのは、スポーツと音楽などのライブが中心だ。このチャンネルで私は、サッカー (リーガ・エスパニョーラ) と格闘技、音楽や演劇のライブを見る。他のチャンネルを見ることはほとんどない。

というわけで、私はテレビを見ることが増えたとはいえ、iPhone に ワンセグ・チューナーを付けるなんていうようなニーズはない。だってワンセグって、地デジしか見られないんでしょ。だったら、全然意味がない。

逆に、iPhone で BS が見られるチューナーが発売されるなんてことになったら、私は多分買ってしまうだろう。NTT 東日本の 「フレッツ TV」 というサービスで、ネット経由で地デジも BS も見ることができるらしいが、外出している時に見られるのでなければ、意味がない。自宅でなら、既にフツーにアンテナで受信しているのだし。

LTE の高速回線なら、BS のネット配信を見ることができないものだろうか。誰か対応してくれてもいいような気がするのだが。

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2012/10/09

iPhone 5 を予約したのだが

一昨日、iPhone 5 を購入しようとしてソフトバンク・ショップに行った。手持ちの iPhone 4 は近頃、ホームボタンの反応が鈍くてちょっとストレスを感じるし、バッテリーもかなりへたってきた。2年縛りが 11月に解けるので、月割り残を 1ヶ月分余計に負担しても、早めに新機種に乗り換えたいと思ったのだ。

ところが、iPhone 5 の供給はまだまだタイトで、予約の受付しかできないという。しかも、予約して実際に入手できるまでには、約 1ヶ月かかるらしい。おかげで、2年縛りの月割り残は支払わなくてもよくなったが、ホームボタンの効きの悪さとバッテリーのへたりは、あと 1ヶ月我慢しなければならない。

予約にあたっては、テザリングの申し込みもしっかりとしておいた。私は Wifi 版の iPad を併用しているので、テザリングは必要条件なのである。これまでは E-mobile のPocket Wifi を使ってテザリングしていたが、iPhone でつなげるなら、E-mobile は解約できる。

ただ、1ヶ月のテザリング使用が 7GB を越えると、それ以後は速度が 128kb/s に絞られるというので、月間 7GB って具体的にはどのくらいなんだろうとググってみたら、SMB のサポートサイトによるとこんなところらしい。(参照

メールの送受信なら       およそ 1,870万通
ホームページの閲覧なら   およそ 50,600ページ
動画の視聴なら           およそ 33時間
音楽のダウンロードなら    およそ 1,790曲

これは、「それぞれの操作のみを行なった場合」 なので、総合的に目安を見極めなければならないが、私がテザリングを使うのは外出先だけなので、7GB 制限というのはそれほど気にしなくてもよさそうだ。どうやらこの制限は、iPhone を無線 LAN ルータ代りとして無制限に使われることを防ぐためのもののようだ。

それよりも問題なのは、実は最近まで見過ごしていたのだが、iPhone のテザリングは LTE エリアのみで可能ということだ。SBM は LTE エリアを急ピッチで拡大中だし、イー・アクセスの買収に伴い、発表通りに両社のエリアで相互乗り入れが始まるならば、この問題はかなり小さくなるだろうが、地方出張の機会が多い私にしてみれば、やはり心配である。

(LTE エリアでしかテザリングできないというのは、どうやら私の誤解だったようで、3G エリアでもできるようである。「LTE 対応の端末でしかできない」 という SBM の説明が、ちょっと言葉足らずだったようだ)

エリアマップをみると一応私の実家もカバーされてはいるが、実際に安定的につながるかどうかは、使ってみないとわからない。さらに人口の少ないところでは、テザリングはまず不可能だろう。

幸か不幸か、今使っている E-mobile の 2年縛りが、来年 3月まで解けないので、この間ならいつでも E-mobile を使える。ということは、大きなリスクなしに、4ヶ月かけて iPhone のテザリングの使い心地をしっかりチェックできるということだ。

もし、iPhone のテザリングがあまりにも頼りなかったら、当分の間 E-mobile との 2本立てを継続する方がいいだろう。SBM の回線が十分に整備されたと見極められた時点で、満を持して E-mobile を解約すればいいのだ。

E-mobile を機種交換すると PC か iPad が 1台無料でもらえるなんていうキャンペーンもあって、ちょっと目がくらみかけていたが、それをやっちまうと、あと 2年間縛られてしまう。1年ぐらいで見極めをつけてしまえば、iPad を買い換える費用ぐらいは十分に浮いてしまうじゃないかと、気を取り直した。

いやはや、問題が複雑な上に不明確で、さらに刻々変化するので、ここまで考えを整理するには結構手間がかかった。いずれにしても iPhone のテザリングに関しては、今後しっかりとレポートするつもりなので、これから購入を検討される方の参考になれば幸いだ。

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2012/10/08

「思考停止」 を巡る冒険

米国在住の emi さんが、"Joking Around" と、「マクドナルド」 という興味深い記事を 2本、立て続けに書いておられる。後者は私が一昨日書いた 「マクドナルドのセットメニューって、ビミョーにボッてるのね」 という記事にトラックバックされている。それに加えて、私は昨日、「ビニール傘と日本人」 という記事を書いた。

ここにあげた 4つの記事をつなぐキーワードは、「思考停止」 である。発端となった私のマクドナルドのセットメニューに関する記事の最後の 2行は、こんなものだった。

それにしてもマックに限らず、「深く考えさせない戦略」 というのは、現代社会にかなり深く浸透してるよね。

これは、マクドナルドが 「実はビミョーに割高かもしれない」 セットメニューに、客を巧妙に誘導する戦略をとっているらしいということを言っている。よーく考えれば、単品組み合わせでオーダーする方がボリュームがあって安いということに客が思い至らないように、店の造りと雰囲気ができあがっているのである。

これに関して emi さんは、「もし私がカネ儲けをするのなら」 と視点を変えて、次のように書いておられる。

今の日本人は、いわゆる思考停止を好んで行う。
自分は何が好きか嫌いか、何をしたいかしたくないか、わからない。
「わからない」 と口にすることを恥ずかしいとさえ思わない。
決めること、考えることを強いられるとストレスを感じ、逃げたくなる。
誰かに説明/解説/決断/判断をしてもらうと安心する。

これは社会的および教育的にはとんでもなく重大な問題であり
愛国心のある者なら危機感を覚えるはず。
だが、もし私がカネ儲けをするのなら、これを使わない手はないと思う。
消費者が考えることを放棄したがるのならば
そこにはカネをむしり取る隙ができる。

この発想に従って、考えることをおっくうがる消費者に、「決めるの苦手でしょう?こちらでやりますよ」 「簡単にしておきましたよ」 「難しいことは知らなくていいんですよ」 「考えるのはやめて休んでいてください」 「みなさんそうしてますよ」 とたたみかける戦略をとるというのだ。なるほど。マクドナルドのメニューはこの線に沿っている。

emi さんは、「そしてこの問題に気づいていないのは日本の外にはあまりいない」 として、「日本人に思考をさせないために、カネを出させるために、世界は必死で知恵を絞り、さまざまな仕掛けをしてくる。がんばれ、ニッポン」 と結んでおられる。emi さんて、案外憂国の情に溢れてる。

そしてこのことは、emi さんの 4日前の 「珍しくアメリカを褒めてみる」 の 1行で始まる "Joking Around" という記事にも関連する。

内容は、emi さんの済んでいるアパートの管理人から、「コンクリートのシーリングをするため、木曜は朝 9時から夕方 4時までガレージを使わないでください」 という、紙切れ 1枚のお知らせが、前日の水曜日にあり、住人はそれに文句も言わず、当然のこととしてきっちり従ったというものだ。

emi さんは、これに関して次のように指摘する。

日本だったらこうはいかないと思う。
「あ、すみません、お知らせ見ませんでした」
「忘れてました」
「ちょっとぐらいいいじゃないの」
「そもそも前日にお知らせってありえない」
「家賃払ってるのはこっちだぞ」 etc. etc.
いろんな言い訳やクレームで足並みを乱す人がきっと出てくる。

米国では、ルールはルールである。「アパートの管理人がガレージを使うなといえば、たとえ周知がイマイチでも、テナント側に言い訳は許されない。従うのが当たり前なのだ。そうすることで皆も自分も気持ちよく暮らせる」 ということだが、日本では 「いいじゃない、ちょっとぐらい」 という意識が常につきまとう。

私はこの記事に、次のようなコメントを付けさせてもらった。

日本では「目に余る」という状態になった時、別の言い方をすると、「打たれるほどの 『出る杭』 になった時に、初めて 「ルール違反」 と認識されるようなのです。
多くの人が同じぐらいのレベルでルールを破っているうちは、それは見過ごされるべきであるという無意識的合意があるように思えます。
ということなので、「出る杭」 になってしまうと、時にはわけのわからない理由で取り締まられます。

これに対して、emi さんは次のレスを付けてくれた。

「ルール違反かどうか」 よりも 「みんながしているかどうか」 のほうが重要というわけですね。これも思考停止の一例でしょう。

まさに 「みんなで渡れば恐くない」 という意識が支配している。日本を出てみるとわかるが、外国では信号無視が当たり前だが、「みんなで渡れば」 なんてことは、全くない。それぞれがてんでばらばらに、「勝手に単独で」、つまり 「自分の判断で」 信号を無視する。

私は10年以上も前に、「赤信号は、本当に皆で渡れば恐くないか?」 という記事を書いて、「赤信号は一人で渡るから恐くない」 と主張している。よく見もせずに、前に倣えでぞろぞろと渡ったら、危なくてしょうがない。

昨日の記事でちょっとだけ触れたが、有名な 「沈没船ジョーク」 は、船が沈没しそうになった時、いろいろな国から来た乗客を率先して海に飛び込ませるために、どのように声をかければいいかというものだ。

アメリカ人には 「今飛び込めば、英雄になれます」、ドイツ人には 「飛び込むのが規則です」、イタリア人には 「美女が泳いでます」、フランス人には 「決して飛び込まないでください」、そして日本人には、「みなさん、飛び込んでいらっしゃいますから」 と伝える。なるほど、それぞれの国民性をよく表わしている。

確かに、日本人はもう少し 「自分で考えてみる」 という訓練を積む必要があるだろう。私は常々、「ほんのちょっとだけ 『へそ曲がり』 になればいいだけ」 と言っている。へそ曲がり的に考えると、大抵の場合、付和雷同するよりずっといいソリューションが見つかるものだ。

ちなみに沈没船ジョークには最近、「韓国人には」 というのが付け加えられていて、「ぐずぐずしてると、日本人が先に飛び込んじゃいますよ」 と言うのだそうだ。これは効果抜群だろうなあ。

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2012/10/07

ビニール傘と日本人

日本の傘の需要は、Wikipedia によると年間 1億 - 1億3000万本で推移しており、そのうちビニール傘は半数以上の 6000万~7000万本を占めているという (参照)。あまり遠出をしない小さな子供と年寄りを除いた日本人の多くは、毎年 1本以上はビニール傘を買っているというのが実感だろう。

ビニール傘は透明なので、風の強い日に斜めにさしていても前が見えるというメリットがあるし、どこのコンビニでも安く買えるから、雨が降り出してからでも手軽に入手できる。こんなに便利なアイテムだが、日本以外で目にすることはほとんどない。どうして外国では普及しないのだろうと、不思議がる人が多い。

しかしこれは、ビニール傘に限定して考えるから不思議なのであって、そもそも諸外国、とくに西洋では、雨が降ったぐらいではあまり傘をささないということを考えれば、そんなに不思議でもない。傘そのものをあまり使わないのだから、ビニール傘なんてものもさらに要らないのである。

アメリカ中西部の家庭では、「家に 1本も傘がない」 というのが珍しくないという。外出はほとんど車を使うので、雨が降っても玄関から車までちょっと走ればいい。それぐらいのことで、わざわざ傘をさす方が面倒くさい。

私自身の印象でも、西洋人はあまり傘をささない。多少の雨ぐらいなら濡れて歩くし、土砂降りになったら雨宿りする。日本ではちょっと雨が降るだけで、歩道に傘の花が咲き乱れるが、西洋ではそんな景色はあまりみかけない。

「日本人は、どうしてちょっと雨が降っただけで、傘をさしたがるのか?」 と知り合いのアメリカ人 (多分、中西部出身) に聞かれたことがある。そんなことを聞かれても、急には答えようがないので、「日本人は体質的に、雨に濡れると体が溶けやすいからね」 と答えておいた。

冗談は抜きにして真面目に考えると、日本人が少しの雨でもすぐに傘をさす理由としては、次のようなことが考えられる。

  1. 日本は湿度が高いので、雨に濡れるといつまでも乾きにくい。
  2. 日本人は体格的に細身の人が多いので、雨に濡れると体が冷えやすいため、濡れないようにする意識が高い。(最近はちょっと事情が違ってきたようだが)
  3. 西洋では傘は贅沢品で、高貴な人が日除けとして使うという文化が継続したが、日本では江戸時代に下級武士に傘張りの内職が広まり、それまで高級品だった傘が急に普及して、雨避けとして傘をさす文化が一般化した。
    (英語では、雨傘を "umbrella"、日傘を "parasol" と呼ぶが、語原はどちらも 「日除け」 の意味である)

以上の 3点セットで、日本人がすぐに傘をさしたがる表向きの理由は説明できるんじゃないかと思う。ただ、私はもう一つ 4番目の理由を挙げておきたい。

それは、日本人が 「右に倣え体質」 だからというものである。街を歩いていて雨が降り始めると、どんな小糠雨でも、日本人はそそくさと傘を広げ始め、開いた傘の数は加速度的に増えていく。それはまさに、あっという間である。

私なんぞは不精だから、「濡れた傘はいつまでも乾かなくて処置に困るけれど、体は体温があるからすぐに乾く」 なんて言って、そのまま歩いているのだが、周囲ではほとんど全員が傘をさしているので、通り過ぎる人たちが私を憐憫の目で見るようになる。「この人、傘持ってないんだ。かわいそうに」 ってな感じである。

いや、私は傘を持ってないわけじゃない。それどころか私は、いつもバッグの底に折りたたみ傘を忍ばせている人である。それは、朝の天気予報によって持ったり持たなかったりという判断をするのが面倒なので、常に入れっぱなしにしてあるのだ。つまり基本的に面倒くさがりなだけなので、持っているけど、取り出してさすのが億劫なのである。

「別に、少しぐらい濡れたって構わないんだから、放っといてよ」 と思っていても、そのうちに周囲からは、憐憫を通り越して、「雨なのに傘をささない変わり者」 という、奇異の目で見られるようになってしまう。そうなると、私も一応日本人なので、さすがにちょっと居心地悪い。

さらに何人かの団体で歩くケースになると、仲間内で一人だけ雨に濡れている者がいるというのは見過ごせないことであるらしく、ご親切なことに、無理に傘をさしかけられて相合い傘を強要される。

「いえいえ結構です。ちゃんと傘、持ってますから」 と、バッグから折りたたみ傘を取り出すと、「なんだ、ちゃんと持ってるのに、どうして使わないの?」 ってな感じで、「かなり変な人」 と思われる。

このシチュエーションは、感覚的にさらに居心地悪い。日本という国で暮らす者として余計なストレスを感じないためには、雨が降ってきたらすぐに素直に傘をさす方がいいようなのである。いくら面倒であっても。

というわけで、日本人がすぐに傘をさしたがるのは、横並びをよしとする文化のなせる技でもある。要するに、「回りを見ると、みんなさしてるから」 というのが、隠された一番大きな理由なのだよ、きっと。かの有名な 「沈没船ジョーク」 みたいだが。

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2012/10/06

マクドナルドのセットメニューって、ビミョーにボッてるのね

マクドナルドでレジ・カウンターに置かれる 「メニュー表」 が廃止されたことが話題になっている。客はレジ上方の 「メニューボード」 と呼ばれるパネルや、通路に張られたポスターを見て、並んでいる間に注文を決め、レジでは予め決めたメニューを店員に伝えるだけというシステムになったようなのだ。

私はマックで食ったことはここ 10年以上ないが、最後にマックの店で注文しようとした時のことを、9年以上前に書いている (参照) ので、ここにコピペしてみよう。

ようやく自分の番になって、何とかセットを注文すると、女の子が甲高い声の早口で、何やら聞いてくる。

女の子  「○*△■◎◇▽▲○◆ かぁ?」
私    「?? はぁ??」
女の子  「○*△■◎◇▽▲○◆ かぁ?」
私    「なんだか、わかんない …… 」
女の子  「○*△■◎◇▽▲○◆ かぁ?」
私    「あなたが何を言ってるのか、さっぱりわからないということなんだけど」
女の子   「○*△■◎◇▽▲○◆ かぁ?」
私    「ハァ、もういいです。今までのことは忘れてね。サヨナラ」

というわけで、私はせっかく長時間並んで自分の番になったのに、カウンターの女の子にわけのわからない宇宙語でたたみかけられて薄気味悪くなり、注文をキャンセルしてそそくさと立ち去ったのであった。店としては、プラスアルファの注文をさせようとして、元も子もなくしてしまったということになる。

この記事の結びで私は、「さんざん並ばせるだけ並ばせて、カウンターに到着したとたんに、無茶苦茶な早口でたたみかけるなんていうのは、顧客無視の発想である。それよりも、並んでいる間に情報がわかりやすく提供され、その間に客が注文を決めて店側に伝えられるシステムにする方が、ずっと効率的ではないか」 と書いている。

で、今回、ようやくマクドナルドが私の考えに近い線での改革を行ったのだと思ったのだが、どうやらそれは、微妙に違うらしい。結果として、客に十分な情報を与えずに、メニューボードで目立っている 「セットメニュー」 を注文するように誘導するという意図がみえみえのようなのだ。

これと関連して、「自主制作されたマクドナルドメニュー画像が便利すぎる!」 というのが、ネット上で話題になっている。その 「便利すぎるメニュー画像」 というのが、これだ。(クリックすると、拡大表示される)

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なるほど、これはわかりやすい。ハンバーガーのセットは 480円だが、ハンバーガー、コーヒー (S) 、フライポテト (S) を単品で頼めば、合わせて 410円で済むというのが、一目でわかる。フライポテトを M サイズにしても合計 450円で、まだセットメニューより 30円安い。

さらに、ビッグマックセット 650円なりを注文するより、ハンバーガー 3個とコーヒー (S) を単品で頼んで 400円で済ませる方が、ずっとたっぷり食えるというのも、よくわかる。ハンバーガー 2個とポテトフライ (M)、コーヒー (M) の単品組み合わせでも 600円で、ビッグマックセットより 50円安い。

つまり、マックのセットメニューというのはお得なようでいて、実はビミョーにボッていたのだね。これでは店側としては、じっくり検討できる親切な情報を出したがらないのも道理である。客を少しだけアセらせて、深く考えさせないという戦略だったのだ。なるほど、なるほど。

それにしてもマックに限らず、「深く考えさせない戦略」 というのは、現代社会にかなり深く浸透してるよね。

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2012/10/05

やっと iOS 6 にアップデートした

本日遅ればせながら、iPhone と iPad の OS を iOS 6 にアップデートした。どちらもそれほど時間がかからず、正確な時間は計っていないが、多分 30分足らずで終了したと思う。アップデート後も、不具合というほどの不具合は出ていないので、まあ、OK だと思う。

心配した地図アプリは、確かに見た目の印象が 「スカスカ」 だ。しかし拡大して表示すれば必要な情報はそれなりに詰まっているし、それほど 「使い物にならない」 というほどではないんじゃないかと思う。道路の名称 (何号線なのか) が一目で見やすいのは、Google Maps よりありがたいほどだ。

とはいいながら、念のために Safari で表示する Google Maps のショートカット・アイコンをホーム画面に追加しておいたので、「なんじゃ、こりゃ?」 みたいなことがあったら、即座に他の地図で確認できる。まあ、Apple 版の地図もしょっちゅう修正されるだろうから、来年の今頃にはかなりレベルアップされていることだろう。

あとは App Store の表示がわかりやすくなった、Facebook との連携が OS ベースで図られた (これまでは Twitter だけ) など、細かい改良点があるが、iOS 5 と比べて大きく変わったというほどの印象はない。

これを 「失望した」 と取るか、「変わりすぎてわけがわからなくなるより、ずっとまし」 と取るかは、人によるだろうが、私は大きな変化には否定的なので、後者である。この程度が好ましい。MS Office の UI が、「リボン」 なんてものに変わった直後は、これまでの資産 (慣れ) が否定されてしまったので、使いにくくてしょうがなかった。(それは今でもだが)

さらに Windows 8 なんて OS になると、ますますこれまでの 「慣れ」 が役に立たなくなってしまうようで、使う気になれないでいる。進化するのはいいことだが、急に変わりすぎるのは考え物だ。その意味で、iOS のバージョンアップはちょうどいい具合だと思う。

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2012/10/04

野球がポストシーズンとなって

仕事などで、どこかに車で出かけて、日が暮れてから戻ってくる時、カーラジオのどこを選曲してもプロ野球のナイターばかりという季節が終わって、ちょっとホッとしている。10月からは、野球以外の番組がスタートしているのだ。

申し訳ないけど、カーラジオでナイター中継を聞くのはつまらない。いや、テレビで見るならおもしろいというわけではなく、どちらかといえば、テレビで見るよりラジオで聞く方が、まだましだとは思う。

野球というのは、案外動きの少ないスポーツだから、ラジオのアナウンサーの実況でも大体の様子がわかる。そして気の利いた解説者とのやりとりがあると、少しは救われる。しかしテレビはしゃべりが少ないから、自分でのめり込まないかぎりは、全然つまらない。

これが、サッカーだと全然違う。サッカーは動きが激しいので、ピッチ上の展開は密度が濃すぎて、ラジオの言葉だけによる実況だけでは、とても追いつかない。テレビでさえ、四角く切り取られた画面以外の動きが見えなったり、ゴチャゴチャした中での一瞬の動きが見えなかったりする。ましてや、ラジオではフォローしきれないのだ。

というわけで、私はサッカーの試合をテレビで見るのは好きだが、野球はあまり見る気がしない。そしてラジオで聞くとなると、野球はサッカーよりましだが、やっぱりそれほどそそられはしないということだ。

そんなわけで、私はラジオの番組が一斉にナイターから離れ、バラエティに富んだラジオらしいプログラムになる今の季節を、心から歓迎する。そして来年の春になって一斉に野球中継が始まる頃になると、「ああ、また半年間の辛抱か」 と思ってしまうのである。

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2012/10/03

「新幹線」 と 「新妻」 の違い

高崎まで日帰り出張。帰り道、いつものようにカーラジオで TBS ラジオを聞いていると、今日から始まった "Wanted" という番組で、「新番組はいつまで新しいのか?」 という考察を行っていた。

キャスターのえのきどいちろう氏によると、新番組として緊張感とともにスタートしても、30分も経てば、キャスターの中の新番組感覚というのは色褪せるのだそうだ。しかし、「新幹線」 はいつまで経っても新幹線だし、「新大阪」 も 「新横浜」 も、駅ができて以来、何十年経っても 「新」 の一文字が取れないのがおもしろいところだという。

しかし 「新婚さん」 はあっという間に新婚さんじゃなくなるし、「新妻」 もじきにトウが立つ。「新人」 も 「新入社員」 も、いつまでもそのままでいられては困る。「新車」 は、購入してちょっと乗ったとたんに 「中古車」 になる。

「新幹線」 と 「新妻」 の違いは、前者が既存のものに対して新たにできたものの、固有名詞的な呼称であるのに対し、後者は 「フレッシュな状態」 を表現する形容詞としての 「新」 がついた呼び名ということだろう。

だから、「新幹線」 はフレッシュじゃなくなっても新幹線だし、「新宿」 は何百年経っても新宿だ。New York がいつまで経っても New York なのは、英国の領土になった時、英国北部の都市 York にちなんで 「新しいヨークだぜ!」 という意味で付けられた地名だから、今さら変えようがない。

「新国劇」 も、歌舞伎よりは新しいので、いくら古色蒼然としてしまっても、新国劇だし、いいおっさんが 「私は 『新人類』 のハシリ」 なんて、苔生したようなことを言ってても、「ハイハイ」 と聞いてるしかないのである。

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2012/10/02

太陽光発電は公共投資としてかなりおいしいらしい

MSN 産経ニュースの 「プラチナ日本」 に、三菱総研理事長の小宮山宏氏が、「未来につながる公共投資」 として、太陽光発電の有用性を述べている。「脱原発」 とは言っていないが、太陽光発電の拡大は、当然ながら原子力発電の比率を下げることになる。

産経新聞は全体として原発維持のトーンで書かれた記事が目立つが、この記事に関しては、間接的ながら脱原発につながる道を開くものとして、注目されていいと思う。

小宮山氏の主張の基本は、「太陽電池はコストが課題といわれているが、公共投資先として考えれば、既に安い電力になっている」 ということだ。その根拠の一つは、太陽光パネルの耐用年数がかなり長いということである。巷間言われているような 「15~20年が寿命」 なんていうのは、まったく根拠がない。

例えば奈良の壺阪寺の太陽光パネルは、30年経っても順調に稼働中である。まだ一度もへたっていないのだから、耐用年数が何年なんてことはいえない。最新の設備はさらに進化しているのだから、うまくメンテしながら使い続ければ、ほとんど半永久的みたいなものかもしれない。

第二の根拠は、年金などの公共投資先としてきわめて有望であるということだ。1kwh あたりの設置価格が 30万円で、生産した電力をを 42円で買い取ってもらえるということは、年間平均で 46,000円の売電が可能であり、初期投資に対する利益率は 15%にもなる。そして、それが 20年間保証される。

20年経っても壊れないのだから、あとは延々とコスト・ゼロで発電し続けられる。こんなおいしい話は詐欺でもなければないほどだが、ちゃんと政府が保証してくれているお話で、決して怪しいものじゃない。しかも、早めの投資ほど有利だ。

「太陽光発電のコストは国民が負担することになる」 と言われているが、公共投資によって経済が刺激され、拡大するならば、コンクリートや箱モノ的な、後から金食い虫になってしまうものを作るより、ずっと生産的である。文字通りの重い負担にはならない。

原発を建設する予算があるのなら、メガ・ソーラーを作る方がずっとましである。原発なんて、せっかく作っても廃止される可能性があるじゃないか。再生可能エネルギーなら廃止のリスクがない。

もっとも、私としては太陽光発電の基本は、個人住宅の屋根とか、工場の屋根や敷地とか、ビルの壁面とか、小規模な設備を数多く点在させることに意味があると思っているので、メガ・ソーラーに頼りすぎるのはいささか邪道だと思っているのだが。

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2012/10/01

SBM が E-mobile を買収するというので

ソフトバンクモバイル (SBM) が E-mobile を展開するイー・アクセスを買収しちゃう (参照) というのは、寝耳に水の話だった。

SBM と E-mobile の合計累計契約者数は約3400万件とみられ、au の 3600万件に迫るとされる。しかし、私のような iPhone と E-mobile Pocket Wifi の 2台持ちが、これを期に iPhone に一本化するだろうから、3400万という数字はかなり減ってしまうんじゃあるまいか。

先月 22日付の 「iPhone 5 が発売になったが」 という記事で私は、SBM 版 iPhone 5 でテザリング解禁になっても、接続が不安なので、E-mobile 機種交換で LTE にして、2台持ち体制を維持する可能性があるというようなことを書いたが、これできっぱり、E-mobile は解約に決定だ。

同時に、SBM 版 iPhone のテザリング接続が問題なかったら、E-mobile は契約解除が続出するだろうという心配もしていたが、これで OK だ。一挙両得である。めでたし、めでたし。

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