« デスクトップ PC は絶対に無くならないだろうが | トップページ | iPS 細胞臨床適用記事の教訓 »

2012/10/12

iPS 細胞を使った再生医療は、私個人としては 「余計なお世話」

山中伸弥氏のノーベル医学賞受賞で、世の中は盛り上がっている。彼の研究は再生医療に新しい道を開くものと受け取られているが、申し訳ないけど、私はこのことに関しては両手を上げて歓迎するという気になれない。

彼の研究成果である iPS 細胞 (人工多能性幹細胞) というのは、それが登場する前に注目されていた ES 細胞 (胚性幹細胞) にとって代わるものだ。

ES 細胞というのは、受精した卵子から作り出される。ということは、一つの生命を犠牲にする必要がある。これを人間に応用すれば、生まれてきて一人の人間となるはずの受精卵を、「殺す」 ということである。他からもってきた細胞を使うことによる拒絶反応以上に、こうした生命倫理的な問題が大きかったのだ。

山中教授の研究成果である iPS 細胞は、この生命倫理と拒絶反応という 2つの問題を解決するものだ。治療に応用するにあたって受精卵を他からもってくる必要がなく、自分の細胞を使えばいいし、自分の細胞だから、拒絶反応もない。

ES 細胞が注目されていた頃、私は 「他人の命を犠牲にしてまで、自分が生き延びようなんていう気には、さらさらなれない」 と、この分野の研究がいかに進もうとも、自分への適用は拒否することに決めていた。第一に、そんな治療をしてもらうほどの大金も払えないし。

iPS 細胞を使っての治療なら、上述の二つの問題は解決する。例えば、小さな子供の心臓疾患などで、これまでは心臓移植しか治療の道がなかったような場合でも、iPS 細胞の技術を慎重に適用すれば、拒絶反応もなく治療できるかもしれない。その意味では、かなりの数の人を救える可能性がある。このことについては、高く評価する。

ただ、私個人に関しては、もし自分の臓器が何かの病気でイカれてしまったとしても、iPS 技術を使って新品に交換して生き延びようなどとは思わない。「思わないだろう」 ではなく、「決して思わない」 のである。

今日の新聞には、日本の研究者が米国で心不全患者に対し、iPS 細胞の臨床応用に成功したとの記事が出ているが、このニュースはかなり怪しくて、もう少し様子を見てみないとなんとも言えないところがある。

私は今年の 7月、還暦を迎えた誕生日の翌日に、「人間がちゃんと死ねるように」 という記事で、「このまま医療が進歩していったら、人間、死ねなくなっちゃう。ガンになっても死ねないんじゃ、どうやって死ねばいいの?」 と書いた。

私は死にたくてたまらないというわけではないが、それでも、人間は死ななきゃいけないものである。生まれた限りは、きちんと死んでみせるのがつとめである。私は件の記事で、次のように書いている。

そもそも、生命というのは個体としては生まれたり死んだりしながら、種として保存されるようにプログラミングされていることを忘れてはならない。

そのようにプログラミングされている命が、個体として死ななくなってしまったら、その個体には精神的に、大変なストレスがかかってしまうだろう。「死なない」 というのは、人間の手に余ってしまう。

私は、死ぬ時が来たら自然に喜んであの世に行きたい。仏教では 「生老病死」 を 「四苦」 という。「四苦八苦」 の四苦だ。老いて病んで死ぬこと以前に、そもそも 「生まれてきて生きること」 も苦しみの一つであることを、見落としてはならない。死ななきゃいいってもんじゃないのだ。

みんなそれなりにストレスに満ちた暮らしをしているのに、どうしてそんなにしてまで、いつまでもこの世にしがみついて長生きしたいと思うのか、私には到底理解できないのである。

|

« デスクトップ PC は絶対に無くならないだろうが | トップページ | iPS 細胞臨床適用記事の教訓 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

確かにあんまり早死にするのも嫌ですけど、
そんなに長生きをしたいとは思わないですねー(^-^)
適度に寿命が来てくれるのがいいです。

投稿: hiroyuki | 2012/10/12 17:01

hiroyuki さん:

そうですね。

最近は 「ぴんぴんころり」を PPK と略していうらしいですが、さっきまでぴんぴんしていた人が、急にころりと逝くというのも稀なケースでしょうから、少しは伏せてしまうことも覚悟しておかなければいけませんね。

ただ、いよいよ伏せてしまったら、あまり余計なことはせずに、速やかにあの世に逝かせてくれということで。

投稿: tak | 2012/10/12 17:55

何の因果か長生きの家系です。
残念ながらPPKには程遠く、
少なからぬ年月を歯無し、胃無し、ボケや寝たきり、痛い痛い、で過ごしたのが多い。

よって小生には、”長生きの恐怖”があります。
どうせ長生きせにゃならぬのなら、iPSでもなんでも使って、死ぬまで元気でいたい。

投稿: McC | 2012/10/12 21:39

あたくしは、iPSでも何でも使って長生きして、原発のない、人と動物たちと自然が調和して生きている世界を見てみたい(おいおい、マイケル・ジャクソンのパクりかよ)でゲス。

投稿: ゲス野郎ゲスマリオ | 2012/10/12 22:13

McC さん:

>どうせ長生きせにゃならぬのなら、iPSでもなんでも使って、死ぬまで元気でいたい。

金かかりますよ。きっと (^o^)

投稿: tak | 2012/10/12 23:41

ゲス野郎ゲスマリオ さん:

長生きしなくても、想像力を発揮すれば見られますよ (^o^)

投稿: tak | 2012/10/12 23:48

生まれた限りは、きちんと死んで見せるのがつとめであると書いておられましたが、
わたしはそのことについていつも意識しています。
家のことなどの自分の身の上をきちんんと整理してから死ななければならないと思っているので、常に身軽を心がけています。一番の幸せがぐうたらしているときなのに、大きなものを所有したら扱いかねる状態(そこから勉強していくこともありますが)に陥ることは、現状から見てもわかるので、あまり所持しないように心がけています。ips細胞のようなものがでてきたら、しまりがない人間には、しまりがなかったらふにゃふにゃ人間になってしまします。

命を所有するのはいろんな意味でたいそうなことですね。

投稿: BEKAO | 2012/10/24 12:47

BEKAO さん:

>家のことなどの自分の身の上をきちんんと整理してから死ななければならないと思っているので、常に身軽を心がけています。

きちんと死んでみせるというのは、それまでの生き方をみせることですね。

>命を所有するのはいろんな意味でたいそうなことですね。

恐縮ながら、「命を所有する」という感覚がわかりません。

命は所有するものではなく、我々自身が「命そのものの現われ」だと思っていますので。

投稿: tak | 2012/10/25 09:13

>きちんと死んでみせるというのは、それまでの生き方をみせることですね。

まさしくその通りです。

>命は所有するものではなく、我々自身が「命そのものの現われ」だと思っている

おぉそうかと思わされました。
命(自分自身の人生)を輝かせるのも干からびさせてカピカピにさすのも自分自身ですしね。


私の書いた文について追記させていただくと、『たいそう』なは、わたしが住んでいるところの方言で、めんどくさいという意味があります(共通語ではなかった”)。
『めんどくさいけどすごく貴重な体験』

と、前向きに(BYリチャード:アリーマイラブ)
少し疲れ気味で。いけませんなぁ、わたし。めんどうだと感じてしまう自分を反省です。

投稿: BEKAO | 2012/10/25 12:33

やはり!!気になりました。。

「めんどう・・」
この・・がネックです。
・・が「命そのものの現われ」ですよね。

投稿: BEKAO | 2012/10/25 13:12

BEKAO さん:

>私の書いた文について追記させていただくと、『たいそう』なは、わたしが住んでいるところの方言で、めんどくさいという意味があります(共通語ではなかった”)。

そのニュアンスはちゃんと伝わっていますので、感覚的表現としてセーフです。

>「めんどう・・」
>この・・がネックです。
>・・が「命そのものの現われ」ですよね。

しかし、ここまでくると、個人的な感覚に依拠しすぎていて、アウトだと思いますよ。
通じません。

投稿: tak | 2012/10/25 23:59

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/42004/55870755

この記事へのトラックバック一覧です: iPS 細胞を使った再生医療は、私個人としては 「余計なお世話」:

« デスクトップ PC は絶対に無くならないだろうが | トップページ | iPS 細胞臨床適用記事の教訓 »