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2013/01/23

「生命」 と 「コスト」 と 「環境負荷」

昨日の "「さっさと死ねるように」 というのは、自然の人情じゃなかろうか" という記事では、麻生さんの発言中の 「政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うとますます寝覚めが悪い」 という部分には、敢えて触れないでおいた。金の問題には無頓着なので、とにかく 「死ぬ時にゃ、さっさと死なせてくれ」 というのが主要問題と考えていたのである。

ところが、山辺響さんから 「人情の点では確かにそのとおりなのですが、麻生さんの発言は、コスト削減という観点からの発言ですから、ちょっとどうかと……」 というコメントがついて、この側面からもきちんと書いておく方がいいかもしれないと、少しは思い直した。

で、私の考えをストレートに言うと、「お前は命を金に換算して論ずる気か!」 と非難されそうなので、念のために断っておくが、「命はかけがえのないもの」 というのは、当然の前提である。「命より金が大切」 といわんばかりの人がいるが、それは私としても到底理解できない。

その上で敢えて言うが、医療はつきつめると 「コスト = お金」 の問題に行き当たる。現実の医療現場がいかに経済原則で動いているかを知れば、これは否定できない。患者の命を第一にする素晴らしいお医者さんもいるが、そうでないケースだってやたらと多い。

ややもすると、患者の命を救うよりも、より高額の報酬、あるいは自らの立場を護って、高額所得者としての地位にしがみつくことの方が大切だったりするとしか思われないようなケースがある。聞けば聞くほど、いくらでもある。

iPS 細胞による治療で、ガタがきてしまった臓器を新品に取り替えることができるようになれば、人間の寿命はどんどん延びると言われても、それに何百万円、いや、何千万円かもしれないが、とんでもない費用がかかると知れば、手放しで喜んでもいられない。

山中教授には甚だ恐縮だが、少なくとも私にとっては、それはほとんど 「無駄金」 である。そんなに大金を投入してまで、100年とか 150年とかに延びた人生で長期ストレスを浴び続ける意味があるほどには、この世が魅力的なものとは思われない。せいぜいフツーの寿命の間にきちんと生きて、いろいろ学ばせてもらえれば、それで十分だ。

誤解を恐れずに言えば、過度の延命治療や終末医療にかけるコストは、かなり非効率である。非効率ならば、削減するのは当然だ。役所の無駄遣いには厳しく当たり、医療の非効率は黙認するというのは、やはりどこかおかしい。「生命を大切にするためのコスト」 にも、やはり使いようというものがあるだろう。

また、寿命が短かくてもそれは必ずしも悪いことばかりではない。当人にとっても周囲にとっても、さらに密度の濃い 「学び」 があるだろう。私はこれでも輪廻転生を信じているから、次に生まれた時の財産になると考えている。

もっと言えば、コストの問題ばかりではない。「環境負荷」 のこともある。

私はただ生きているだけで、環境によろしくない負荷をかけていることに少なからぬ負い目を感じている。それで多少は生産的な仕事をしている時でも、エアコンを使わなかったり、エコ運転を心掛けたり、少額ながら植林事業に寄付したりと、いろいろ気を使っている。

それが、もうそろそろ死ぬしかないという時になって、集中治療室か何かに入れられて、過分なエネルギーを使った治療をされたら、政府の金を使わせてもらう以上に夢見が悪い。聞けば延命治療や終末医療の環境負荷は、結構なものらしいのである。

私は 「健康のためなら命も惜しくない」 という 「健康オタク」 のメタファーをよく使うが、「自分の命のためなら、地球の命は惜しくない」 とは、決して言いたくないのである。

というわけで、私としてはいよいよ死ぬ時になって、まさに文字通りの 「死に金」 を使ってもらうよりは、後に残る世代のために使ってもらいたいし、大袈裟な延命治療や終末医療のために環境負荷をかけるのは、はなはだ不本意なのである。

最後に念のため付け加えるが、当人が 「どうしても 1秒でも長く生きたい」 と願ったり、家族親族が 「とにかく生きていてもらいたい」 と願ったりするケースにおいてまで、「さっさと死なせてやれ」 とまで言う気はない。それはそれで、何かの意味があるのだろうから、十分に尊重しておきたい。

そしてその分、周囲が包括的にコストや環境負荷の削減に取り組むのも、また何かの意味があるだろう。

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哲学・精神世界」カテゴリの記事

コメント

そう、だから「人情としては」ありなんですよ。「とっとと死にたい」というのも「一秒でも長く生きていたい」というのも。

政策としては、どうなのかなぁ。

投稿: 山辺響 | 2013/01/23 11:39

政策にしてやらないと、結局、役人も医師も製薬会社も研究者も…この問題自体が、週末医療に携わる連中の既得権益になってしまい、やはり経済の問題に行き着いてしまう…ということですよね?´д` ;

投稿: もりけん | 2013/01/23 22:25

うんうん。かなり同意です。(*´ェ`*)

投稿: hiroyuki | 2013/01/23 23:06

チュウブに繋がれたまま(殆ど意識がない状態)で数ヶ月ベッド上にあるとしたら、費用は莫大なものになります。平均的サラリーマンの所得税の100人分は使うでしょう。家族も大変、国家も大変。こうなると政治の問題として扱うのはむしろ健全といえます。

こういう問題を政治問題とするのは極めて困難。場合によっては政治家の首が飛びます。麻生さんはいいこと言ったのに、「個人の意見を述べただけ」と一歩引いてしまったのが残念。麻生さんはべらんめえ口調で言葉が足らない。もっと丁寧に言葉を選んで主張をすればよかった。

投稿: ハマッコー | 2013/01/24 02:13

山辺響 さん:

>政策としては、どうなのかなぁ。

私としては、政策にしなければならないんじゃないかという気がします。

高齢者に対する過度の延命治療の保険からの支出には限度を設けるとか。

投稿: tak | 2013/01/24 20:48

もりけん さん:

>この問題自体が、週末医療に携わる連中の既得権益になってしまい、やはり経済の問題に行き着いてしまう…ということですよね?´д` ;

同感です。

投稿: tak | 2013/01/24 20:49

hiroyuki さん;

ありがとうございます。

投稿: tak | 2013/01/24 20:50

ハマッコー さん:

>こうなると政治の問題として扱うのはむしろ健全といえます。

それは言えると思います。

問題は、刺激に対して時々弱い反応を示し、意識がまったくないわけではないようだという患者に対して、チューブを外しちゃっていいかという確認を求めることができないということです。

私の知人でも、こういう状態の人がいます。
必死に話しかけると、微妙に反応を示すこともあるんですが、自分の置かれた状態を認識できているのかどうかは、さっぱりわからない。

交通事故の被害者なので、医療費は保険から出ているようですが、それにしても、この先どうなるのか、難しい問題です。

私としては、そんな時には「さっさと死なせてくれろ」と、前もって意思表明してあります。

投稿: tak | 2013/01/24 20:59

むちゃくちゃを承知で ですが、、、

>チュウブに繋がれたまま(殆ど意識がない状態)で数ヶ月ベッド上にあるとしたら、費用は莫大なものになります。平均的サラリーマンの所得税の100人分は使うでしょう。

これは これで 昨今の消費拡大という意味では 道路なんぞの公共投資よりは 意味があるのでは と 思っています。 (人としての尊厳とか そういうことは別問題ですが)

麻生さんの持つ 政府支出としての 「いわゆる」公共投資は 善。 医療費は 悪。 という感覚は 理解し難いところです。

もっとも 最近 自分的には 景気を良くしようとすることが果たして「善」なのか こちらも疑問に思い出したところなので 複雑ですが。

投稿: SAm_Y | 2013/01/24 22:35

コストを意識して政策化するという文脈だと、「どこで線を引くのか」という問題が出てくると思います。病気の高齢者に限らず、費用が便益を大幅に上回る人はたくさんいるわけで、そういう人に対する医療その他の措置をどう捉えるのか、という話です。

「自分がそういう状態に陥ったら延命治療は最低限に留めて死なせて欲しい」とあらかじめ表明しておく、というのは個人の主体的な判断として良いと思うし、そういう社会的な風潮、文化の結果として医療コストが自然に抑制されるならいいかな…とも思いますが、それはそれで、ある種の社会的圧力にはなるのかなぁと、考え込んでしまうところです。

takさんのおっしゃる環境負荷を持ち出すと話はますますややこしく(面白く?)なってくるな…。ホームレスよりも活発に働いている生産的な人の方が環境負荷は高そうだ、とか。

投稿: 山辺響 | 2013/01/25 13:06

SAm_Y さん:

>これは これで 昨今の消費拡大という意味では 道路なんぞの公共投資よりは 意味があるのでは と 思っています。 (人としての尊厳とか そういうことは別問題ですが)

まあ、人は必ず死ぬんで、日本国民のほぼ全員に金を注ぎ込めますが、財源はどうなるのか。

それから、医療業界が潤うことの波及効果というのは、果たしてどのくらいなのかなあ。

製薬業界、医療機器業界に及んで、あとはとても限定的に建設業界に及んで……。

裾野はそれほど広くなさそうな気がします。

投稿: tak | 2013/01/25 23:57

山辺響 さん:

私の個人的な考えですが、iPS 細胞を活用した医療が可能になったとしても、当面保険適用外にすべきだと思います。

歯科治療で、ちょっと見かけのいい義歯を入れると保険が効きませんが、それよりも納得されるんじゃなかろうかと。

それから、過度の(線引きはむずかしいものの)延命治療も、保険適用外にすべきではないかと。

そろそろ死んでもいい頃になっても、まだ少しでも余計に生きたい(生かしておきたい)というのは、かなりの贅沢だと思いますので。

ただし新生児に関しては、かなりの障害があろうともできるだけ生かす方向にすべきだと思います。

投稿: tak | 2013/01/26 00:03

経済という文脈で考えると、医療技術が進歩して今は「過度な」延命治療とされるものが将来的にもっと低コストでできるようになる、あるいは経済(財政)状況が大幅に好転してコストのかかる延命治療も許容できるようになる…という流れも(特に後者は実現性が低そうですが)ありうるわけか。

「かつては助からなかった病気が今では治る」とか「貧困国では命取りの病気でも日本では普通に治る」というのとパラレルな話だと考えれば、それも「あり」なのかなぁ。

投稿: 山辺響 | 2013/01/28 18:22

山辺響 さん:

経済原則からの考察以上に、私は 「あまりに長く生きすぎる」 ということに、人間のメンタリティは耐えきれないだろうと思っています。

適当な時に死ぬからいいのだと。

投稿: tak | 2013/01/28 23:41

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