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2013/03/21

迷子になれるのも才能

ウチの娘たちは子供の頃、どこかに連れて行くとあっという間に迷子になっていた。迷子になってもしばらくは当人としては迷子になったとは気付かず、親の方が必至に探して、ようやく何か (ホームセンターのペット売り場の犬とか、ガチャポンとか、何かのイベントとか) に夢中で見とれているのを見つけるのだった。

何かに夢中になってしまっているので、迷子になっているとの自覚がない。自覚が生じる前に、親が見つけて事なきを得るのだが、見つけるのが遅れると、ようよく自分が迷子になっていることに気付き、大声で泣いて保護され、店内アナウンスで呼び出される。しかしそうなったことは、長女がたった一度経験しただけで、大抵はノー天気なものだった。

どうしてこんなことを言いだしたかというと、今日仕事で会った女性が、「私は子供の頃、迷子になることができなかった」 と言っていたからだ。「我を忘れて何かに夢中になることができず、いつも周囲から一歩引いたところで、しかも離れすぎるのは不安なので、微妙な距離感を保つのに必死だった」 というのである。

彼女は家族に対してさえ本当に心を開いたことがなかった。悪いことに、彼女は家族に 「手のかからない子」 「放っておいても安心な子」 と思われていた。「つかず離れずの距離」 を細心の努力で保っている彼女を、親は安心して放っておいた。

親は安心していたのだが、彼女にはそれは通じなかった。幼い彼女の心には、「私は親に愛されていないのではないか」 という疑念を生じさせた。彼女は、自分が親の関心の対象たり得ていないと思って育った。

彼女は成人して神経症になった。長い時間かかってようやく親の愛に気付き、30歳を過ぎてやっと心の病から立ち直った。

子供は親に少しは心配をかけて、心配してもらって親の愛を確認する。「いい子すぎる」 というのは、かなり問題なのだ。いい子すぎて心の病になった人を、私は数人知っている。彼/彼女らは、本当にいい子たちなのだ。ただちょっと 「できすぎ」 なだけなのである。そして 「できすぎ」 ほどやっかいなことはない。

それで私は、簡単にさっさと迷子になれるというのも才能の一つなのだということを、初めて学んだ。親に 「適度な心配」 をかけるというのは、かなりの才能なのだ。

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コメント

俺も俺の兄弟も迷子になったことはないような…
モムーリ!o(゚Д゚)っ

投稿: ひろゆき | 2013/03/23 16:33

ひろゆき さん:

>俺も俺の兄弟も迷子になったことはないような…

それを聞くと、確かに迷子になれるのも才能なんだと確信します。

迷える子羊になって、初めて救われるのかも。

投稿: tak | 2013/03/23 17:19

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