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2013/05/22

「護憲」 と 「反原発」

こんなことを言うと反発をくらってしまうかもしれなが、「護憲」 と 「反原発」 を同じ人が唱えると、私は少々違和感を覚えてしまう。

まず、原発問題から。

日本列島にこれだけ多くの原発建設が可能だったのは、政府と電力会社が 「安全神話」 を広めたからである。地元の反対を抑えるために、「原発は絶対安全」 というプロパガンダを行った。想定されるリスクとそれぞれに対する対処方法を具体的に示して納得させたわけではなく、「そもそも事故は起きない」 という論理で進めてきたのである。

「絶対安全」 という、根拠の薄弱な建前が一人歩きしたために、実際の運用までそれに沿ってユルユルになり、それが今回の福島の 「人災」 につながった。もし、「原発は危険」 という前提であたっていれば、もっとマシな安全対策がとられていたはずである。

で、今度は 「護憲」。とくに 「第九条」 についてだ。

今月 14日に書いた  "「戦争がなくならないのは、「平和は総論で語られ、戦争は各論で説かれる」 から" ということともつながるが、「平和」 というのは決して 「当たり前」 の状態ではない。歴史を振り返っても、いつもどこかで紛争があったし、今もある。だから 「平和、平和」 と唱えてさえいれば平和でいられるというわけではない。

憲法前文には 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」 と書かれている。しかし 「諸国民」 は確かに総論では平和を愛するかもしれないが、いつも 「各論の都合」 で戦争、あるいは少なくも紛争を繰り返してきたのである。

原発の安全が 「神話」 だったと同じぐらい、世界の平和も 「神話」 なのだ。これだけ国際紛争が絶えない現実が、それを証明している。だから、「諸国民の公正と信義に信頼」 するだけで戦争が回避できるなどとは、私は考えない。少なくとも、「各論」 のレベルで実効性のある抑止力をもたなければならない。

というわけで、「反原発」 と 「護憲」 を現実に運用しようとしたら、根本的な部分で必ず矛盾が生じると思ってしまうのである。

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コメント

護憲と反原発の双方を唱える伝統的左翼(とは真正左翼の人たちからは認めてもらえなさそうですが)の私としては、しみじみ考えなきゃいけない論件だと思います……。

投稿: 山辺響 | 2013/05/22 13:54

まぁ一つには、脱(反)原発はリアルな選択の問題であるのに対して、憲法(特に前文)なんて、かなりの程度、理想を掲げたお題目でいいじゃん、というのはありますね。

だから、「今まで掲げていた理想はちょっと違うから、新しい理想を掲げる」という改憲ならまだしも、「現実に合わなくなったから」という改憲はナンセンスだと思うのです。合わないのが当然なんだから。

ただ、現実を動かしていくなかで、ちょっとでも理想の方に近づくように働きかけるよ~ということで。

日本:「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼しますよ~。
他国:そんなこと言って、世界有数の軍事費使っているじゃない。
日本:いやぁ、そこはそれ、まぁ大人の事情と言うことで、ごにょごにょ。

…という感じで、いいんじゃないかと。

その意味で、かつて土井たか子が主張した「自衛隊違憲合法論」などは、無理矢理感はありましたけど、秀逸だったなと。

で、護憲派の私でも「そこはF35じゃなくてユーロファイターの方が運用(=戦争)しやすいだろうがよ」とか思ったりするのです。

そういえば先日『護憲派の軍事戦略』という本を読みました。

投稿: 山辺響 | 2013/05/22 16:40

山辺響 さん:

>日本:いやぁ、そこはそれ、まぁ大人の事情と言うことで、ごにょごにょ。

…… という、怪しいバランスが、これまでかなり成功的に機能してきたわけですよね (^o^)

で、改憲というのは、一時的にこのバランスを崩すことになり、その意味では、結構リスキーなことではあります。

そのリスクを冒してでも、「すっきりしたい!」 と思えるかどうかという問題なのかも知れません。

「すっきりした軍事力」を持たないと、現実的にはいつまでも 「米国に護ってもらう」 立場となり、その分、「対米従属」、つまり米国の言うことには逆らえない日本であり続けます。

一方、自前の軍事力を持つことは、即ち米国にとっては、「いつも言いなりになる日本」 でなくなる可能性を意味します。

ある意味、自前の軍事力をもって、その上で米国との協調路線を堅持しちゃったら、それこそ危なくてしょうがないし ^^;)

自前の軍事力をもったら、ある程度の独自路線に向かうのが自然の流れでしょうね。言葉を換えれば、「独自路線」なんてものを引き受ける度胸がなかったら、改憲も無理ということです。

それで、米国の論調は 「阿部政権のエクストリーム」 には不快感を示しているのだろうなと。

まあ、いずれにしても、これまでのバランスがそのまま維持されると考える方がどうかしているので、常にリスク対応で新しいバランスをとりながら進まなければならないんだろうと思っている次第です。

投稿: tak | 2013/05/23 01:15

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