« ASUS が 「アスース」 でなくなっていたので、ちょっと一安心 | トップページ | 「南無阿弥陀仏」 とは »

2013/06/27

一人出家すれば九族天に生まる

仏教には 「一人出家すれば九族天に生まる」 という聖句がある。自分が一人出家すれば、九族が天に生まれるというのである。

九族というのは、自分から上は父母の代、祖父母の代、曾祖父母の代、高祖父母の代の 4代、そして自分から下の子の代、孫の代、曾孫の代、玄孫の代の 4代を含めている。自分からみて両方に 4代ずつだから、自分の代も入れて、九族になる。ただ、どうして 「族」 という字なのかは知らない。「尊属・卑属」 は 「属」 の字を使うしね。

「出家」 というのは、必ずしも家を出て僧侶になることとは限らないという説もある。『維摩経』 に出てくる維摩詰のように、俗世間にいたままで悟りの境涯に達して、自由自在の生き方をすることでもいいというのである。出家する、あるいは仏道を悟るというのは、それほどの功徳のあることのようなのだ。

ただ、この聖句を 「自分が出家した、あるいは悟ったお陰で、九族が悉く救われるのだ」 と考えると、結構傲慢なことになるような気がする。本来は 「有情非情同時成道」 なのだから、別に自分が無理して出家しなくても、九族は既に悉く成仏しているのである。

「気付いてみれば、(自分も含め) 九族はことごとく天に生まれており、迷っている霊などどこにもいなかった」 ということが、出家してみて初めて、ありありとわかるというのが、本来の意義なのではあるまいか。

ちなみに、この聖句の読み方は、「「一人 (いちにん) 出家すれば……」 が正しい。原典は漢語だから、「ひとり」 ではなく 「いちにん」 と読む。「日々是好日」 が 「ひびこれこうじつ」 ではなく 「にちにちこれこうじつ」 がよりオーセンティックとされているのと同様である。

|

« ASUS が 「アスース」 でなくなっていたので、ちょっと一安心 | トップページ | 「南無阿弥陀仏」 とは »

哲学・精神世界」カテゴリの記事

コメント

tak-shonaiさんこんばんは~
え?出家してもしなくても、関係ない。だれでも人はそのままですばらしいのだから、と言う意味なんですかね?
だったら、一人出家すれば・・・・という言葉は、誰かの希望的な言葉だったんでしょうかね?救われたくて。

私が今、考えてみますに、
世を捨てて帰依しなくても、人間は、そのままで良いのだよ。
という意味なのかしら?禅問答ですね。

投稿: tokiko | 2013/08/15 16:20

tokiko さん:

本文で触れているように、出家してみて、あるいは、悟ってみて、初めてありありと自覚されるんでしょうね。

迷いというのは、自覚していない状態なのかも。

投稿: tak | 2013/08/15 18:10

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/42004/57677641

この記事へのトラックバック一覧です: 一人出家すれば九族天に生まる:

« ASUS が 「アスース」 でなくなっていたので、ちょっと一安心 | トップページ | 「南無阿弥陀仏」 とは »