雷の時に河川敷の大木の下で雨宿りするとは
朝日新聞デジタルが 「落雷で 50代男性死亡 東京・荒川河川敷」 というニュースを伝えている。今日の 3時 45分頃、東京都北区の荒川河川敷の大きな木の下で雨宿りをしていた 3人が落雷を受け、その中の 1人が死亡したものだ。大変気の毒なことである。
雷が鳴っている時に大きな木の下にいたら落雷に遭いやすいというのは、かなり常識的な知識のはずだ。とくに河川敷のようなだだっ広い土地で大木の下にい たら、雷に 「どうぞ私を狙って落ちてきてください」 と言っているようなものだ。しかしこの常識的知識は、実はそれほど普及していないのだろうか。
あるいは、そのぐらいの常識は、知っていたのかもしれない。そうだとしたら、「雨に濡れるのは嫌だ」 → 「雨宿りにちょうどいい木がある」 → 「他にも 2人いるし、大丈夫だろう」 という 「正常化の偏見 (normalcy bias)」 が働いたのだろうと思うしかない。
落雷事故ではないが、私は自転車の無灯火走行に出会うたび、似たようなことを思う。とくに、街灯の少ない真っ暗な道で車を運転している時に、右側を無灯火で走ってくる自転車がいると、「ひやりハッと」 どころか、ぞっとする。
雷の時に河川敷の大木の下で雨宿りする人と、暗い夜道を無灯火の自転車で右側走行する人というのは、甚だ恐縮だが、根本的にメンタリティが共通していると思う。自分がそんなに危険な行為に及んでいるとの自覚なしで、死んでも全然不思議じゃないほどの危険を冒してしまうのだ。
こうしたことについては、私はかなり悲観的な思いを抱いている。単に常識的知識を普及させるだけで解決できるとは、到底思えないのだ。世の中には、自分の身を守るための情報がとても届きにくい人と、たとえその情報が届いても、自分に関係のある情報として受け取ることができない人というのが、少なからずいるようなのである。
ということは、周囲がよほど注意してあげるしかないのだ。
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コメント
夫は、車を運転している時に、車道の左側を対向してくる自転車があると、
わざと左側ギリギリに幅寄せして車を停め、進路妨害をします。
そして助手席にいる私が、窓を開けて注意するのです。
「そんな走り方していたら死ぬよ」と。
万一事故ったら、車はどんな場合でも「前方不注意」を免れないから
車のほうがかわいそうですよね。
投稿: さくら | 2013/07/09 10:15
家の中でも危険が一杯なのに、外へ出たらさらに危険がいっぱい。
私は駅のホームの端は歩かない。階段はなるべく手すりを利用するといった具合です。
実際、藤沢駅で階段で転倒した男が前を歩いていた老婦人にぶつかり、転倒させて死なせてしまった事故が最近ありました。(このケースでは加害者ですが)
往来の烈しい横断歩道で二歳半くらいの子供の手をつながないで歩いている親を見ると、何考えているんだろうと思ってしまいます。正常化の偏見の一例でしょうね。
投稿: ハマッコー | 2013/07/09 21:44
さくら さん:
多分、そこまでしても伝わらないんですよ。
「意地悪された」ぐらいにしか思わないんじゃないかなあ。
私はこのあたりは、まことに悲観的です。
投稿: tak | 2013/07/09 23:11
ハマッコー さん:
>往来の烈しい横断歩道で二歳半くらいの子供の手をつながないで歩いている親を見ると、何考えているんだろうと思ってしまいます。正常化の偏見の一例でしょうね。
まさに。
私は、ファミレスの禁煙席は大人ばかりで、喫煙席は家族連ればかりという光景をみると、世をはかなんでしまいます。
投稿: tak | 2013/07/09 23:13