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2013/10/27

謝り方と、その受け入れ方を知らない国同士だと……

昨日の "「とりあえず平身低頭」 の文化と、「謝りつつもしっかり弁明」 の文化" という記事を読んで、「tak-shonai のことだから、この記事は落語のマクラみたいなもので、本当に言いたいことは翌日あたりに出てくるんじゃないか」 と感じられた、プロの Today's Crack リーダーの方もいらっしゃるのではないかと思う。

まあ、私としてもそんなようなことを思ってもらえるような、ちょっと気を持たせた書き方をしたので、本編が続いて出てくると予感された方には、「ピンポン! その通り!」 と言わせて頂きたい。

まあ、何を言いたかったのかというと、昨今の日韓の軋轢は、「謝りつつもしっかり弁明」 という文化に馴染んでいない国同士だから、いつまでもゴタゴタが続いてしまうんじゃないかと、私としては感じているということなのだよね。

「ごめんね、済まなかったね」 と謝りはするものの、「とはいえ、あの時はいろいろあったし、一連の大きな流れの中でのできことだったわけで、そのあたりのことはそっちとしてもしっかり理解して、これから先は後腐れなしで行こうよね」 という言い方が、日韓両国の間ではあまり意味をなさないみたいなのである。不幸なことに。

どちらの国も一度 「ごめんね」 と言ってしまうと、「私がとことん悪うございました」 ということになってしまって、一切の弁明が存在せず、「あとは煮るなり焼くなり、お好きなように」 みたいになる空気がある。とくに韓国には、それが日本よりもなお色濃く存在するような感じなのである。

「そっちが悪かったと認めるんなら、あとはその贖罪のために、とことん俺たちの言い分を飲むってわけだな」 と言わんばかりの空気なのである。こんな中では、まともな話し合いなどできるわけがないし、一方で日本からあちらの国への 「戦後補償」 も際限なく膨らむ。

「先の大戦のことに関して、ドイツはきちんと謝ったのに、日本はあいまいにしたまま」 みたいな批判をする人もあるが、ドイツにしても、「あれはナチスのやったこと」 という基本的な前提におけるアポロジーをしたわけで、その上であればこそ、ドイツはきちんと名誉回復し、後腐れなくやってこれたのだ。

そうした論理的な素地のないまま、日韓の間で単に情緒的な謝罪なんかした日には、危なくてしょうがない。アポロジーの受け入れ方にだって、常識ってものがあるのだが、その常識のないところで情緒だけで対応してしまうと、大人同士の関係にならず、その後の展開がものすごく極端に走ってしまうだろうことが、容易に想像できる。

日韓両国間の不幸は、一つにはこのあたりにあるんじゃないかと思うのである。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

昨日のエントリーからの見事な「筋はこび」でした。
日韓関係の件、takさんの論で行くとすっきりするような気がします。

ところで、英語のapologyですが、調べてみたところ、おおもとの
ラテン語やギリシア語でも「弁解、自己弁護」が基本の意味で、
「謝罪」の意はなかったようです。
私はスペイン語とフランス語を少しかじっていますが、
よく考えると、この両言語で謝罪する時は、基本は
「弁解します」か「許してくれ」だと思います。
「弁解」は文字通りですが、「許してくれ」も
「~だから許してくれ」という弁解向きの表現ですよね。

投稿: hokkaidense | 2013/10/27 16:13

hokkaidense さん:

>ところで、英語のapologyですが、調べてみたところ、おおもとのラテン語やギリシア語でも「弁解、自己弁護」が基本の意味で、「謝罪」の意はなかったようです。

ありがとうございます。そこまでは知りませんでした。

ただ、英語を使って仕事をしたことのある人は、多分ほとんど感じているでしょうが、apology は、「私が全面的に悪うございました。どんな報いも甘んじてお受けします」というようなニュアンスではないですね。

もしかしたら、「謝罪」というのは国民的誤訳かもしれません。

「弁解なんて卑怯なマネをするより、ただひたすら誠心誠意お詫びすれば、相手は許してくれる」 というのは、少なくとも国際スタンダードでは通じにくい話です。

「私が悪うございました」 と言ったら、文字通り、「そうか、お前が悪かったんだな」 でケリがついてしまいます。
誰が見ても 「自己犠牲」 の崇高な精神の上に成り立ったものだと、話は別ですが。

国際舞台では、「謝罪」 すらも一種のネゴシエーションなんだと感じています。

投稿: tak | 2013/10/27 23:00

丸山真男が書いているような無責任の構造があるんじゃないかなぁと思います。敗戦の時点で、天皇制廃止とまでは言わずとも昭和天皇が退位でもしていれば、ドイツの場合と同じように「あれは過去のこと」という位置付けができたかもしれないけど……。

投稿: 山辺響 | 2013/10/28 14:43

山辺響 さん:

天皇制廃止とか、昭和天皇退位とかという事態になっていたら、かえって日本は滅茶苦茶なことになっていたと、私は思っています。

昭和天皇はむしろ、戦争を終らせることの功績の方がずっと大きかったというのが、私の見方です。

ただ、この問題はどう行っても水掛け論になるので、あまり深入りしようとは思いませんが。

投稿: tak | 2013/10/29 10:49

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