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2013/11/06

「病葉 (わくらば)」 という言葉

「わくらば」 という言葉がある。この言葉を知ったのは、その昔に中曽根美樹という歌手が 「川は流れる」 という歌を歌った時で、たった今ググってみたら、昭和 36年の歌だというから、私が小学校 3年の時だ。

その歌は、「病葉 (わくらば) を/今日も浮かべて/街の谷/川は流れる」 という歌い出しだった。当時の歌謡曲としてもなかなかきれいなメロディで、結構ヒットしたと思う。ただ、小学校 3年生の子供のことだから、耳から聞こえてくる歌詞が詩的すぎてさっぱりわからなかった。

子供の耳には 「ワクラバを今日も浮かべて、マチノタに川は流れる」 と聞こえて、「ワクラバってなんだ?」 「マチノタって、どんなにのたくってるんだ?」 と思っていたのである。

「ワクラバ」 に関しては、国語辞典で調べると 「病気で枯れた葉」 とある。「へぇ、そんな意味だったのか!」 と、いっぺんにしらけた。通学路の途中に 「和倉」 という表札の家があり、その家のしわくちゃばあさんが思い出された。要するに、かなり興醒めなイメージをもってしまったのである。

ところが後に知ったのだが、文芸の世界では、「病葉」 という言葉はかなり風情のある言葉としてイメージされているようなのだ。俳句では夏の季語として定着しており、「夏に散る落ち葉」 という意味で、その奥に 「夏に散るのは何らかの病気を得ているのだろう」 という 「はかなさ」 を浮き彫りにしているような気がする。

単なる 「しわくちゃばあさん」 のイメージではないみたいなのだ。そりゃそうだろう。そうでなければとても叙情的な歌の文句、しかも最初の歌い出しに使われたりしない。高浜虚子の俳句に 「病葉や大地に何の病ある」 「病葉にたまれば太し雨雫」 というのがある。やはり夏という季節の中の、ある種のはかなさを感じさせる。

こだわった迫り方をすれば、「病葉」 の 「病」 という字を 「わくら」 と読ませるのは、少なくとも私の手持ちの 『大辞林』 では、他に例がない。つまりかなり特殊な言葉なのである。

ググってみると、「赤らむ葉 (アカラムハ)」 が転じて 「わくらば」 になったとする説と、古語の 「わくらばに」 (「偶然に、まれに」 という意味で、今でも 「邂逅」 を 「わくらば」 と読むこともある) が、「夏なのに秋のように散る」 という意味合いに通じて 「病葉」 に転じたという説がある (参照)。

後者は、言葉の最後の 「ば」 という音が 「葉」 に通じるので、なるほどそういうこともあったのかもしれないと思わせる。日本語というのはかなり叙情的に奥の深い言語のようで、「病葉」 を単に即物的に 「病気で枯れた葉」 と説明するのでは全然足りない。

辞書で調べただけで言葉をわかった気になるのは、とてもアブナい。

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