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2013/12/24

小学校から英語を正式教科にするんだそうだが

文部科学省は中学校の英語授業を、原則として英語で行う方針を決めたのだそうだ。さらに、20年度から小学校の英語教育の開始時期を現行の 5年生から 3年生に引き下げ、5,6年生では英語を正式な教科とするという。

私はこの問題に関して、6年半ほど前に 「早けりゃいいってもんじゃなかろう」 という記事を書いていて、今でも言いたいことはほとんど変わっていない。私は要するに、安易な英語教育の早期化は、子どもたちが 「英語嫌い」 になるのを早めるだけという結果になると思っているのである。

私は件の記事の中で次のように言っている。

どうせ小学校 5~6年の英語なんて言うのは "Good Morning." "Thank you very much." "My name is ****." に毛の生えた決まり文句ぐらいのものだろうから、そんなのは後になってすぐに覚えられる。

中学校に入ってからほんの数時間で覚えられるものに、小学校高学年の貴重な時間を百何十時間も割くというのは、やはり馬鹿馬鹿しい気がするのである。

英語に限らず、人間が言語を操るには 「言葉センス」 というのが結構大きな役割を果たす。野球をする際の 「野球センスがいい」 とかいうのと同様に、「言葉センス」 というのがあるのだ。言葉センスのいい子は、別に学校で詰め込まれなくても、環境さえ整えれば、日本語でも英語でも勝手に上達する。

考えてもみるがいい。いくら学校で体育や音楽や美術を教えても、すべての子どもたちがスポーツや音楽や絵が得意になるわけじゃない。義務教育で 9年も音楽をやりながら、楽譜を読める大人がこんなにも少ない事実をみれば、小学校から英語を教え始めたところで、英語力が全体的に底上げされるなんて、期待できるわけがないとわかる。

英語を体育や音楽や美術と一緒にするなという人もあるかも知れない。それならば、同じ言語系の 「国語」 を例に取ってみよう。小学校から中学、高校まで、10年以上も 「国語」 を教えられたからといって、日本語をまともに使える日本人がどれだけいるか。

情感を的確に言葉で表現したり、ものごとの筋道を順序立てて論理的に説明できたり、人に読ませてわかるような文章を書けたりする日本人がどれだけいるか、考えてみるがいい。

学校だけでなく、日常生活でどっぷり浸かっている日本語にしてからが、学校で何年教わっても、まともに使いこなせないのである。ましてや英語となったら、「高校卒業時点で 『英検 2級か準 1級程度』 の語学力を習得させる」 なんて、ほとんどおとぎ話である。

日本という国は、何も英語なんか使えるようにならなくても、日常生活ではほとんど困らないから、他の国と比較して英語力が落ちるのは当然なのである。英語を身に付けなければ学問やビジネスができないみたいな国だったら、英語力は嫌でも高まる。

逆にこの国では、英語を学ぶ時間を処世術の修行に当てる方が、まともに出世できたりする。こつこつと英語を学んでいっぱしの 「英語使い」 になると、下手したら企業内で疎んじられ、特殊なケースでしか出番が用意されない便利屋扱いになってしまったりする。つまりこの国では、英語を必要とされるのは、「特殊なケース」 でしかないのだ。

私が期待するのは、せめて子どもたちが 「英語嫌い」 にならないように、楽しく英語に接することができるような環境を作ってもらうことだ。そして英語が 「特殊なケース」 以外でも気楽に使われる 「便利な道具」 になればしめたものだ。それだけで、日本人も多面的な思考ができるようになる。

しかしこれも他の教科と同様に、個々の教師の質によって、楽しく学べたり、苦痛でしかなかったりするのだろう。せいぜい、いい教師に巡り会えるように祈ることだ。

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