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2014/02/21

「IT は楽するためにある」 という原点を忘れないように

私が仕事に IT を活用し始めたのは、1985〜6年頃からだったと思う。富士通の OASYS というワープロ専用機を自費で買ったのが始まりだった。当時は完全に物書き (英語と日本語の半々) の記者だったから、テキスト作成以外の機能はとりあえず必要なかったのである。

ワープロを使い始めて、すぐに天国だと思った。いくら長文の記事でも、とにかく思いついたところから書き始め、後から順序を入れ替えて編集を重ねれば、労せずしてまともな記事になる。紙に鉛筆で書くスタイルの何倍もはかどる。

さらに OASYS に MS-DOS を読み込ませて (つまり、ワープロ専用機を簡易 PC として使って)、英文ワープロソフトの Word Star を走らせれば、スペルチェックまでしてくれる。

その後は MS-DOS ベースの PC を経て Windows 3.1 を、これも自費で購入して使い始めた。大企業勤務経験のない私は、IT はとりあえず自費で購入して、社内で先進的に使い始めるものだった。当時の中小企業の IT 化なんて、どこもそんな感じで進展したのである。まず個人が突っ走って、組織はやっとついてくる。

こんなスタイルでやっていると、仕事の効率は社内の誰よりも上がる。面倒な仕事でもさくさく片付く。ところが、さくさく片付いたらさっさと家に帰れるかというと、そういうわけじゃない。空いた時間を使って、人よりも余計に仕事をしなければならなくなる。そんなわけで、同じような給料で、同僚より余計に仕事をすることになる。

さくさく仕上げて楽するために導入した IT のはずなのに、さくさく仕上げた分、仕事量が増えるというジレンマに陥る。それだけではない。コンピュータを遅れて使い始めた連中に使い方を教えたり、トラブルを解決してやったりという、余計な仕事まで生じる。

楽するために使い始めた IT だったはずなのに、そのためにかえって忙しくなってしまうのだ。

日経ビジネスに 「そのPCにスマホ、本当に役立ってますか?」 という記事がある。パソコンもスマホも普及していなかった昭和末期と今を比べても、日本の労働生産性 (従業員1人当たりの付加価値) は大して変わっていないのだそうだ。

さもありなん。日本の会社には 「楽するために IT を始めた層」 と、「押し付けられて仕方なく始めた層」 がある。後者の場合は 「IT に使われている」 という状態で、今でも 「電卓の方がいい」 と言っているオッサンがいるほどだから、本来期待される生産性を、まったくあげていない。

「楽するために始めた」 という連中も、チームワークを旨とする組織の中で、「仕方なく始めた」 連中のボトルネックに完全に足を引っ張られている。そのために高いコストをかけて作った社内のシステムも、当初期待された効率を発揮するに至らない。

企業の IT 導入は、元々忙しかった社員をますます忙しくし、暇だった社員がますます足を引っ張るという結果になりがちだ。それで両方にフラストレーションが発生する。

こうした事態を避けるには、高度に IT 化された仕事と、せいぜい電卓と FAX 程度で仕事をするという仕事に完全分離すればいい。そうすればとりあえず、ハイテクで効率を追う仕事と、アナログの良さを発揮した職人芸的仕事の棲み分けができる。

私の場合は、その中間を埋めるような仕事が向いているのだと思う。今、独立して好きなように仕事をしているが、大体そんなようなところでメシを食っているような気がする。この程度が一番いい。 IT に振り回されるほどの仕事をするのは、ごめん被りたい。

仕事を高度に IT 化しすぎると、楽するためのプロセスだったはずなのに、必ず途中でおかしなことになって、人間の心がフラストレーションまみれになってしまう。「IT は楽するためのもの」 という元々の発想を忘れると、IT のせいで楽ができなくなる。

人間というのは、どこかでアナログ的 「遊び」 がないと、まともに生きて行けないのだ。

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