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2014/05/18

未執行の死刑囚が、130人もいるんだってさ

2日前に、中山進という名の 66歳の死刑囚が食道がんのために死亡したというニュースが流れた。そのニュースの最後に、刑の執行が停止された袴田巌さんを除いて、日本には 130人の死刑囚がいると触れられた。私はせいぜい 30〜40人ぐらいのものだと思っていたので、「そんなに多かったのか!」 と驚いた。

死刑判決が言い渡されるケースって、そんなに多いのかと思って調べたら、「死刑執行・判決推移」 というページが見つかった。戦後の死刑判決と執行の数が掲載されている。それによると、戦後しばらくは死刑判決確定がやたら多く、昭和 38年 (1963年) まではずっと 2桁で、とくに昭和 24年 (1949年) なんかは、77件の死刑判決確定があった。

それからずっと減少して、昭和 63年 (1988年) の 11件を除いてずっと 1桁が続いていたが、平成 16年 (2004年) から再び増加して、平成 22年 (2010年) と昨年を除いて、2桁となっている。今年はまだ 2件 (5月 16日現在) なので、また 1桁台に戻れるかもしれない。

このデータは、先月 7日に書いた 「凶悪犯罪は増加しているか」 という記事の補完にもなると思うが、今の世の中は昔ほど物騒じゃないのだ。少なくとも、死刑になるほどの凶悪事件は、バブル崩壊以後の世の中で一時的に揺り戻しがあったものの、昔に比べればずいぶん減っている。

ただ、死刑判決を受ける者が毎年数名以上いるのに、実際の死刑執行は比較的少なく、平成 20年 (2008年) の 15件を除いて、ずっと 1桁台となっている。つまり近年は死刑判決確定に死刑執行が追いついておらず、平成 15年 (2003年) までは死刑囚の数はだいたい 50名ぐらいだったのに、それからどんどん増えて、ほぼ 10年で 2.3倍になってしまった。

その間、執行前に獄死や自殺で一生を終える死刑囚もいて、さらに少数ながら恩赦や再審で無罪となった者もある。それがなかったら、もっとずっと増えてしまったところだ。

私は死刑制度に関しては明確に反対を唱えているわけではないが、個人的には近年とみに疑問が大きくなってきている。6年近く前に 「死刑制度では旗幟鮮明じゃない私」 という記事を書いた時点より、さらに 「死刑制度はない方がいいかもしれない」 という方向に傾きつつある。

私が問題にしたいのは、「死刑が凶悪犯罪の抑止力として、果たして本当に機能するのか」 ということだ。前述の記事で、私は次のように書いた。

池田小殺人事件の宅間某のように、「おぉ、俺は死にたいんじゃ、さっさと死刑にしてくれ」 と開き直るものがいる (略)

自分で自分をコントロールできず、自殺すらできない者が、国家の手で強制的に処刑してくれることを期待して凶悪事件を起こすという可能性すらある。

ここで例に挙げた宅間某は、世の中に恨みを抱き、絶望の果てに自暴自棄になり、国家の手で処刑されて死ぬことを望んだ。確実に死刑になるためには、なるべく残虐な殺人を犯す必要がある。それで小学校に乱入して罪もない子供たちの命を奪った。(参照

そして裁判でも、一片の反省の態度すら見せることなく、死刑を言い渡された時も平然としていた。さらに、国家は彼の死刑をさっさと執行してしまったのである。ほかに執行されないままで何年も刑務所暮らしをしている死刑囚が多いというのに、本人の望んだとおりの早期執行となった。いともご丁寧なアフターサービスである。

これって、おかしくないだろうか。死刑制度が凶悪事件を抑止するどころか、結果論ではあるが、凶悪事件にインセンティブを与えたのである。宅間某にとって 「国家による自殺幇助」 として機能してしまったところの死刑制度がなかったら、彼はわざわざあんなにも残虐な犯罪に及んだろうか。

それに、現実に死刑を執行されずに何年も獄中生活をする者が 130人もいるのだから、「実質 『終身刑』 とそんなに変わりないじゃん!」 と言いたくもなるではないか。だったら、初めから死刑を廃止して 「終身刑」 を最高刑としても、そんなに変わりないような気がするのである。

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コメント

死刑宣告して執行しないのが一番残酷な刑かもしれません。
毎朝毎朝、刑務官の靴の音が自分の房の前で止まるかも知れないとびくびくするようですから。

終身刑だと、もしかしたら住居食事医療付きの“別荘”になってしまうかも知れない。私はそこの住人になったことがないので“別荘”が快適なのかどうか分かりませんが。

世界的に見ると日本のはそこそこ快適な“別荘”みたいですよ。
そうなるとやはり、終身刑が最高刑となると、被害者の家族からすれば絶えられないでしょう。家族からすれば「この世の空気を吸わせてなるもんか」という強い感情があるでしょうから。
死刑制度は犯罪の抑止にはならないでしょう。人が人を殺めるときに死刑の事なんか考えないと思います。憎しみの感情とか金に対する欲がそれを上回ると思います。

死刑制度は残された家族のためにあると思います。

投稿: ハマッコー | 2014/05/19 01:05

ハマッコー さん:

>死刑制度は犯罪の抑止にはならないでしょう。人が人を殺めるときに死刑の事なんか考えないと思います。憎しみの感情とか金に対する欲がそれを上回ると思います。

まさに。人を殺すほどに平静な心理状態から離れた人間が、「まてよ、これって、捕まったら死刑だから、止めとこうか」 なんて考えませんよね。

>終身刑が最高刑となると、被害者の家族からすれば絶えられないでしょう。家族からすれば「この世の空気を吸わせてなるもんか」という強い感情があるでしょうから。

>死刑制度は残された家族のためにあると思います。

この問題に関しては、6年半前に ”死刑の「目的」” という記事で書きました。私は残された家族のための国によるオフィシャルな復讐制度というものには違和感を覚えます。

現実に「この世の空気を吸わせてなるもんか」とは思わない家族もいて、彼らは心の底から「生きて悔悟し、被害者を弔うまでになってもらいたい」と思っているようです。機械的判例主義で死刑になったら、こうした家族の思いは無になります。

実際、死刑執行に至るまでの間に心から反省し、獄中で読経三昧になった受刑者もいるようですし、ここまで来ると、なかなか死刑を執行しにくく、そのまま獄死して、「事実上の終身刑」で終わったりします。

そうした心境にまでなれば、いつ死刑が執行されるかと、毎日怯えて暮らすという状態でもないでしょうから、「心理的な残酷さ」からも解放されているでしょう。

個人的には、被害者遺族が、無期懲役判決になった被告に、「それじゃ足りない、ぜひ死刑にしてくれ」と請願することの方に、強い違和感を覚えます。私はそこまで粘着質じゃないので。

上述の記事でも書いたことですが、冷静に考えて導かれる「死刑の目的」は、究極的には凶悪犯罪者の 「社会からの排除」であると思います。

ただ、この目的ならば「終身刑」でも足ります。

投稿: tak | 2014/05/19 09:51

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