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2014/11/21

「個性的」 であることと 「追従的」 であること

Gigazine に 「なぜ流行に敏感な人たちは誰もが同じような格好をしているのか、を数学者が解明」 という記事がある。しかし、この記事の日本語タイトルはかなり問題で、紹介している記事の内容と基本的に矛盾する。そしてその矛盾は図らずも、現代の 「流行」 という現象の重層性を表していると思う。

紹介されている内容の元記事のタイトルは、"The mathematician who proved why hipsters all look alike" というものだ。直訳すれば、「ヒップスターたちはどうして同じように見えるのかを証明した数学者」 ということになる。原文の 「ヒップスター」 を、日本語記事のタイトルでは 「流行に敏感な人たち」 と訳しているわけだ。

ところが元記事をみると、ヒップスターは 「流行に敏感な人たち」 とは捉えられていない。むしろ逆だ。元記事ではヒップスター (hipster)  と対照的な人たちのことを コンフォーミスト (conformist)と呼んでいて、むしろこちらの方が、流行を追うとされている。

ここではっきりさせておこう。"hipster" とは、「ヒップな人」 のことである。じゃあ、「ヒップ」 って何だ? ということになろうが、日本語で適当な言葉が見当たらない。 「ヒッピー」 という言葉の元になったということからも、見当をつけていただきたい。

ただ、"hipster" を英和辞書で引くと、私の手持ちの Wisdom 英和辞書では、「流行の先端を行く人」 という説明が出ている。ここが問題だ。流行には二通りあることを理解しないと、わけがわからなくなる。

早く言えば流行には、「当たり障りのない流行」 と、「ぶっ飛んだ流行」 とがあるのだ。「当たり障りのない流行」 とは、百貨店の店員などが、「今シーズンの流行は、オーソドックスなトレンチコートでございます」 なんて言って薦める場合のものだ。

ごくフツーのおばさんやおねえさんが、新しい服を買うときに流行遅れにならないように取り入れる、ごくフツーの 「はやり」 ってな意味である。そして、こうしたごくフツーの流行に従うのは、「ヒップスター」 ではなく、「コンフォーミスト」 たちなのである。ここをしっかりと踏まえる必要がある。

Conformist とは、直訳すれば 「体制順応的な」 という意味である。つまり、商業的なファッション雑誌などで 「今シーズンの流行はオーソドックスなトレンチコート」 なんていう記事を読むと、素直に受け入れて、オーソドックスなトレンチコートを買ってしまうのが、「コンフォーミスト」 だ。つまり、彼らは彼らなりに 「流行に敏感」 なのだが、別の言葉で言えば 「追従的」 なのである。

一方、ヒップスターは 「フツーのファッション情報」 には従わない。もっとぶっ飛んだ格好をしたがる。つまり 「敏感」 ではあるが、決して 「追従的」 じゃない。フツーの流行に追従するよりは、個性的でありたいという願望をもっている。ところが、「個性的でありたい」 と念願すると、結果としてみな同じような格好になってしまうのはどうしてかというのが、問題の研究の骨子なのである。

つまり、日本語の紹介記事のタイトルが間違っているのだ。文字通りに単純に考えれば、「流行に敏感な人」 が 「同じような格好になる」 のは、一定の流行に沿えばそうなるのが当たり前なのだから、「なぜ」 と問う意味がない。数学的に掘り下げる意味のない、ナンセンスな問いを、こうした記事のタイトルにしちゃいけない。

「なぜ流行に敏感な人たちは誰もが同じような格好をしているのか」 ではなく、「流行に追従しない人たちがみな同じに見えるのはどうしてか」 とすべきだったのである。こう表現すればこそ、「流行に追従しないくせに同じになってしまう」 というパラドクスが浮き彫りにされるのだ。

ここに 「流行の重層性」 というものが垣間見える。多数派が従うに抵抗を感じない程度の 「包括的ではあるが、ディテールのアレンジで多少は違いを演出できる」 というような流行と、「個性的であろう」 とする少数派がつい陥ってしまいがちな、「ぶっ飛んではいるが、結果として同じに見えてしまう流行」 とがある。

で、その 「ぶっ飛んではいるが、結果として同じに見えてしまう流行」 というのがどうして生じるかを数学的に解明したのが、元記事で紹介されている Jonathan Touboul という数学者で、彼は人間の脳のニューロンによる認識のタイムラグが、そのような現象を生じさせるとしている。

しかし私の考えでは、多分そればかりではなく、「個性的でありたい」 と願う一群ですらも、その 「個性的でありたい」 と願う志向性によって、「似たもの同士」 が集まって同じになりたがるという心理的傾向をもつのだと思う。「個性的でありたい」 ということも、一つの表面的なアイコンに陥りがちなのだ。

ラジカルな意味できちんと 「個性的」 であり続けるというのは、多分、ものすごく複雑で疲れる作業なのだろう。

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コメント

tak-shonaiさんごきげんよう~
あっははは・・すっごく分かりやすくて面白い記事でした~
すんばらしいな~~
これほどまでにちゃんと説明してくださってありがとうございます。
私も常に個性的でありたいと願いつつ
流行に染まりつつ
あまりはみ出ないようにと心得つつ
偶にとんがった婆さまをみつけると、「わたしゃ負けたよ」とがっくりするんです。あっははは・・・

投稿: tokiko6565 | 2014/11/25 12:31

tokiko さん:

>偶にとんがった婆さまをみつけると、「わたしゃ負けたよ」とがっくりするんです。あっははは・・・

女性は思いっきりとんがって浮いてしまっても、それはそれなりの存在感となりますから、いいですね。

男が同じことをやると、単なる 「アホ」になりかねません。

投稿: tak | 2014/11/25 20:43

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