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2015年3月に作成された投稿

2015/03/31

京都は危ない

仕事で日本中のあちこちにでかけることが多い私だが、これまで一番多く旅行で訪問した都市は、圧倒的に京都だろう。直接京都に行ったわけではなくても、関西、北陸 (金沢とか福井とか) に行った時には、宿泊は京都でということが多い。神戸や福井で一日がかりの仕事をすると、その夜は京都に泊まり、翌日はスケジュールを空けておいて、京都の神社仏閣巡りをして帰るのが楽しみである。

そんなわけで、これまで京都には何度行ったか数え切れないくらいだ。二泊できることはほとんどないので、朝から夕方までかけて京都のあちこちを巡り、夜に帰ってくることが多い。ゆったりとした滞在はできないが、行く度に重点エリアを決めて集中的に足でかせぐ。そんなわけで、これまでにようやく京都市内の主なエリアは巡ることができたと思う。

まだまだ網の目から漏れているスポットもあるが、ざっとした観光案内パンフレットに出ているところはほとんど足を運んだ。最近は新規エリアに行くというよりは、気に入ったスポットの再訪が多くなっている。

京都は奥が深い。何度訪問しても、まだまだ知らないところがある。その奥の深さは、長い歴史を経たことによる 「闇」 の部分が大きいことにもよる。

京都の街は、表面的な観光旅行をする気なら、気軽にざっと見て回れる。その段階を経ると、ちょっと深入りしてみたくなる。しかしそれにはちょっとしたリスクを冒す覚悟が必要だと思う。何しろ一歩踏み込むと、いろいろな情念がとぐろを巻いているのだ。東北の田舎町出身の私には、ちょっと危なすぎである。

あまり深入りしすぎないように、これからもちょっとずつかじっていこうと思っている。

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2015/03/30

京都で夜桜見物

出張で関西に来て、今夜は京都に泊まっている。昨日までは朝晩は結構な冷え込みで、今朝も多少寒かったが、日が昇ってからはかなり暖かく、ようやく本格的な春が来たような気がした。

Image_2東京では桜が咲いて今日は満開と伝えられたが、ちらりと眺めただけで新幹線に乗った。途中で川の土手に、山の麓に、工場敷地の縁に薄いピンクの桜らしきものが見えたが、何しろ新幹線のスピードである。よくわからないままに今日の現場に着き、仕事にけりをつけた。

観光シーズンに入ったせいで満室ばかりの中、楽天トラベルでようやく見つけた京都四条のビジネスホテルにチェックインし、食事に出かけた。四条河原の横の掘沿いは桜が満開で、食事を忘れてゆっくりと夜桜見物をしてしまった。

明日帰宅したら、つくばの里にも花が咲いているだろうか。

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2015/03/29

投票率を本気で上げたいなら

投票率向上へ投票所の選択可能に…総務省研究会」 という記事を読んだ。中身はこんなようなものである。

総務省の「投票環境の向上方策等に関する研究会」は、選挙の投票率向上のため、有権者が選挙当日の投票所を選べたり、期日前投票の投票時間を柔軟にすることなどを柱とした報告をまとめた。

具体的にどういうことかというと、「期日前投票所が駅構内やショッピングセンターなどに既に設けられていることを踏まえ、当日もこうした場所の利用を可能にするよう求めた」 というのである。うぅむ、お役人の発想というのは、この程度のものなのかなあ。

選挙で投票しない人が多いのは、投票所の場所が不便だからではない。いつも棄権する有権者で、「もう少し便利なところに投票所があれば、自分も投票するのになあ」 なんて思っている人はいない。「有権者は全員投票したがっているのに、投票所が不便な場所にあるために投票率が上がらない」 なんて考えているとしたら、お役人の頭の中は、まだまだゴーマンだ。

有権者の半数、あるいは半数以上が投票しないのは、「選挙なんて、関係ないもんね」と思っているからである。「関係ないもんね」 と思っている人間に、いくら 「駅やショッピングセンターで投票できますよ」 なんて言っても無駄だ。それどころか、「インターネットで投票できます」 と言ってもダメだろう。

期日前投票はたいてい平日になるから、駅に投票所が設けられるのは実際に期日前投票をする人のニーズに沿っている。しかし選挙に関心がなく、日曜日は遊びに出かけるだけという人にとっては、駅に投票所があったとしても、「それが何か?」 ということになるだけだ。

おいしいものを食わせてくれるレストランは、どんなに不便な場所にあっても、お客は遠方からでもやってくる。どんなに便利な場所にあっても、まずいものしか食わせてくれないレストランは、閑古鳥が鳴く。

投票率が上がらないのは、政治が 「まずいものしか食わせてくれない」 からである。さらに若年層の投票率が低いのは、若年層が食ってくれそうなメニューを、政治家が知らないからである。「若年層向けの政策」 らしきものをおざなりに訴えても、その味付けが年寄りっぽいので、見向きもされない。

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2015/03/28

例の墜落事故に絡んで

例のジャーマンウィングの墜落事故で、副操縦士が精神的に病んでいたらしいとのニュースがもっぱらの評判である。私なんかの年になると、32年前の日航機羽田沖逆噴射事故というのを思い出してしまう。この事故は、心身症の機長が羽田空港への着陸数膳にエンジンを逆噴射させ、墜落させたものだった。

この事故は着陸寸前に起きたもので、乗客全員死亡というようなことにはならなかったが、社会全体に大きなショックを与えた。それで日本の航空会社は、乗務員の心身の健康を慎重にチェックするようになったといわれるほどだ。

こんなニュースがあると、私なんかは 「床屋の客はよく平気でいられるな」 と思う。何しろ鋭利な刃物をもった理髪師に対し、頸動脈部分を無防備な状態でさらけだしているのだから、考えてみると怖い。

私なんかは椅子に座らされたまま、30分も 40分もじっとしていなければならないのが苦痛でしょうがないので、フツーの床屋には 40年以上行ったことがない。頭を洗ったり髭を剃ったりするぐらいは自分でできるのだから、床屋に余計な金を払って、その間じっとしていなければならないというのが、まことにもって理不尽なことに感じられるのである。

というわけで、私は心身症になった理髪師に頸動脈を掻き切られるリスクはほとんどないが、フツーに床屋で髭なんかをあたってもらっている客というのは、よほど人を信じやすいということなのだろう。

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2015/03/27

漂白される追憶のキャット・アレイ

前からほんの少しずつ進んでいた常磐線取手駅西口再開発の進展に、最近やや加速度がついているような気がする。この 1週間ほどのうちに、「ビジネス旅館 つつみ」 が取り壊されて、更地になっていた。これには驚いてしまった。

Img_1693 「ビジネス旅館 つつみ」 というのは、取手駅西口の、細い路地をさらに外れた原っぱの奥で、多分 50年ぐらいは営業していただろうと思われる、民家に毛の生えたような旅館だ。21世紀に入って 15年も経った世の中とは思われない佇まいだった。

よくまあ、こんな旅館が続いてきたなという気がする。おそらく取手より先に自宅のある人が、取手止まりの最終列車に乗ってきて放り出され、仕方なく夜を明かすために重宝していたのだと思われる。

それについては、6年前に 「ウェブに乗りにくい情報 Part 2」 という記事で書いている。この記事には sandiegan88 さんという方から、「私は常磐線沿線に住んでいますが、定宿にしています。家庭的な温かな旅館です」 というコメントが寄せられた。なるほど、それでようやく 「ビジネス旅館 つつみ」 のレーゾン・デートルがわかったのだった。

そして私は、酒を飲んで帰ってきて運転できない時などに、話のタネに一度泊まってみてもいいかなと思いながら、最近はとくに酒を飲む機会も減ってしまったこともあり、ついに話のタネにできないうちに永遠に姿を消してしまったのである。ちょっと残念な気がする。

この 「ビジネス旅館 つつみ」 のある路地には、野良猫がたくさん住み着いていたので、私は密かに 「キャット・アレイ」 と呼んでいた。多分近所の誰かが餌をやっていたのだろう。糞害に悩む居住者が、「猫に餌をやらないでください」 という張り紙をしても、猫に餌をやることだけが楽しみという人には、まったく効き目がなかったようだ。

しかしここ数年、この路地にもついに開発の波が及んで、さしもの猫たちも住みにくくなったとみえる。ぱったりと姿を消していた。「キャット・アレイ」 という名前もまったく似合わない路地になってしまっていた。

猫がいなくなっただけではない。うら寂しいパチンコ・スロット店も閉店し、その 2階のビリヤード店も潰れ、客の入っているのを見たことがないオバサン向けブティックも消滅し、さらにそのブティックのあった小さなビルも解体された。そして今、すべて更地化されて綺麗に開発されようとしている。

あのキャット・アレイの猥雑さは漂白され、やがてどうでもいい街並みになる。

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2015/03/26

日本語の上手な人は、絵の上手な人よりずっと少ない

一昨日の "「聞き流すだけ」 というおとぎ話" という記事で、日本人の英語力の傾向について 「読み書きはバッチリでも会話は苦手」 と思われているらしいが、それは大変な誤解であるという旨を書いた。日本語の読み書きですら問題のある人がものすごく多いのに、英語の読み書きはバッチリなんてことが、あるはずないじゃないか。

そう思っていたら。今朝の新聞の折り込みチラシに、こんなのがあった。

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一番上に 「このチラシは表面の広告売り出し店舗のみで実施しています」 とある。私は何しろ言葉を文字通り受け取りたがる 「アスペルガー症候群一歩手前」 と自認しているほどだから、初めはこのコピーを読んで頭の中が白くなってしまった。

まず 「表面の広告売り出し店舗」 というのがわからない。表面的な広告を売り出すのか? それって、一体どういうことなんだ? 「このチラシは……実施しています」 というのはさらにわからない。「チラシ」 が、「表面の広告売り出し店舗のみ」 で、何を 「実施して」 いるんだ?

ちょっと整理してみて、「表面の」 というのは 「ひょうめん」 ではなく 「おもて面」 なんだろうというのは、割にあっさりと理解できた。しかしこのチラシを見ても、どっちが表でどっちが裏なのだかさっぱりわからない。でもまあこの広告主は、この文言が書いてある反対側の面を 「表(おもて)面」 と規定しているのだろうと思うことにした。そうしないと一歩も先に進めない。

もう少し整理してみて、この文脈は 「広告売り出し店舗のみ」 で、「チラシを実施している」 ということなんだろうと想像できた。さらにもう一歩踏み込んで、初めて 「この広告チラシの内容である 『売り出し』 を実施する店舗のみ」 で 「チラシの内容の売り出しを実施する」 という、入れ子構造みたいなところに辿り着く。

つまり広告主は、「自社の展開する支店全部でこのチラシにある売り出しが実施されるわけじゃない」 ってことを言いたかったんだろう。「売り出しの実施されるのは、チラシに書いてある店舗のみですから、お間違いなく」 ということだ。多分、これで正解だと思う。

というわけで、元の文言を添削するとすれば、「このチラシの売り出しは、表の面に記載された店舗のみで実施されます」 ということになるだろう。さらにチラシ編集の基本的な問題を改善して、実施店舗をこのコピーのすぐ下に記載し、「このチラシの売り出しは、下記の店舗のみで実施されます」 とすべきだった。

ついでに写真の下の方にある 「参考税込価格」 という気持ち悪い言葉も、シンプルに 「税込価格」 とすべきだろう。これでようやく 「まともな日本語による、わかりやすいチラシ」 になる。

この田舎の中堅スーパー・チェーンのチラシを見るだけでも、日本語の読み書きがきちんとできる人は、かなり少ないんだとわかる。チラシの内容をチェックする際に、「ちょっと待てよ、この日本語ってメチャクチャだぜ!」 と気付く人が、このスーパーの広告部門には一人もいなかったわけなのだから。

日本語をまともに使える人が少ないということは、私の以下の過去記事からもわかる。(本当はもっといくらでもあるのだが、あえて 4本に絞り込んでおいた)

「見れることができます」 とか 「可能できます」 とか
「あの節はどうも…」 で気持ち悪くならないのは、ちょっと問題
「二人前」 の正しい読み方
「すべからく」 という単語のリスク

会社の玄関ロビーや応接室に、立派な額に入れて誇らしげに飾ってある 「社訓」 なんかでも、主語と述語が全然かみ合っていなかったりするのが、結構多い。下手すると、本来意図しているのであろうこととは反対の意味になっているのまである。こういうのを掲示するのが好きなのはワンマン社長に多いから、まともに日本語のできる人に相談したりすることはなかったんだろうね。

私は、まともな日本語を使える日本人は、まともな絵が描ける日本人よりもずっと少ないとみている。ただ、それは絵が下手っぴで日本語をまあまあ使える私からみた場合の感慨で、本当に絵の上手な人からみたら、また違うのかもしれないが。

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2015/03/25

自衛隊が 「わが軍」 であることを巡る冒険

安倍首相が国会答弁でうっかり口を滑らせ、自衛隊を 「わが軍」 と言ったことが、ちょっとした波紋を呼んでいる。今朝のラジオ番組ではニュース解説者が 「ちょっと前だったら、国会審議がストップしてしまうほどの問題発現」 と言っていた。自衛隊は 「自衛隊」 であって、「軍」 ではないという合意が形成されているからだそうだ。

しかし、自衛隊って、どこからどう見ても 「軍隊」 だよね。あれをして 「軍隊じゃない」 なんていう人には、「じゃあ、軍隊って何なの?」 と聞いてみたい。

自衛隊の英語の公式名称は "Japan Self-Defense Forces" (略称は JSDF) というのだそうだ。ちなみに "Forces" と複数形なのは 、Japan Ground Self-Defense Force (JGSDF: 陸上自衛隊)Japan Maritime Self-Defense Force (JMSDF; 海上自衛隊Japan Air Self-Defense Force (JASDF: 航空自衛隊) を含む総称だからである。

で、"force" というのは  「威力、暴力、軍隊」 といった意味の単語であり、"Japan Self-Defense Forces" はフツーに直訳すれば 「日本自己防衛軍」 である。さらにフツーに考えれば自己防衛しない軍隊なんてあり得ないのだから、これはかなり妙な表現である。その妙な表現の解釈を無理くりに、「自己防衛しかしない軍隊」 ということに落ち着かせているのが現状だ。

「あれはあくまでも 『自衛隊』 であって、『軍隊』 じゃないんです」 なんていう妙な論理は、少なくとも実質的に国際共通語として機能している英語では、語ることができない。語ることができないから、日本人が日本人に対して日本語でどう言いくるめようとも、国際的には自衛隊は 「軍隊」 と認識されている。これは当然すぎるほど当然の事実である。軍隊以外の何だというのだ。

そしていくら 「自己防衛しかしない軍隊」 と言い張っても、憲法 9条は 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」 と謳っているのだから、フツーに考えれば 「武力を行使するための組織」 である自衛隊は憲法違反であり、それを無理くりな解釈で合憲としているだけである。

自衛隊の存在を認めつつ 「憲法 9条を守れ」 というのは、自己矛盾も甚だしい。まともに考えれば、自衛隊を認めるならば、それだけで憲法 9条は改正しなければ辻褄が合わない。逆にどうしても憲法を守れというなら、自衛隊は解散しなければならないし、もし日本が他国に侵略されても、パルチザン的に抵抗することすら憲法違反になる。パルチザンだって、武力を使うのだから。

ちゃんと 「隊」 と言えば 「自衛隊」 であって 「軍隊」 ではないから問題にしないが、その同じ組織を「軍」 と表現してしまったら 「軍隊」 になってしまうから問題にせざるを得ないというアホな理屈こそ、まともな人間の考えることと思われない。

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2015/03/24

「聞き流すだけ」 というおとぎ話

「英語の読み書きはバッチリでも、会話となるとちょっと……という人、多いですよね」 というのは、かの有名な 「聞き流すだけ」 という英会話教材のラジオ CM の一節である。この教材は、そういう人にもオススメなのだそうだ。

しかしこの CM でわかるように、この教材は基本的に英語がわかっていない、というか、言葉ということのわかっていない人をだまして、高い金で売りつけるための商品としか思われない。というのは、「英語の読み書きはバッチリでも、会話となるとちょっと……という人」 なんて、絶対に多くない。少なくとも、私はそんな人を一人も知らない。

「英語の読み書きはバッチリ」 というのは、News Week とシェイクスピアをすらすら読みこなして、学位論文やビジネスレターを、機関銃の如き速さでタイプできるような人を言うのである。"This is a pen." を読んだり書いたりできるぐらいでは、「バッチリ」 の 「バ」 の字にも及ばない。

とりあえず会話は度外視して、「英語の読み書きはバッチリ」 という人だけをとってみても、日本人は当然ながら米国人でも少数派だ。それは 「(まともな) 日本語の読み書きはバッチリ」 という日本人が少ないのと同様である。主語と述語の矛盾しない日本語の文章をきちんと書ける人は、そんなにいない。「読み書き」 を馬鹿にしちゃいけないのである。

つまりこの教材は、その程度のことにすら思いが至らず、単に雰囲気でフラフラッとだまされてしまいやすい人をターゲットにした商品なのだと、考えざるを得ないのである。英語を聞き取る練習にだけなら、多分なるだろう。しかしほんの数ヶ月で英語が 「口をついて出る」 なんてことを期待しちゃいけない。

カーラジオを聞いていると、最近この教材には寝ながら聞き流しできる 「枕スピーカー」 というものが付いてくるという特典があると言っている。「枕スピーカーだと?」 と、私は運転しながらこけそうになった。これって、既に 「ピロースピーカー」 という言い方が定着してる商品じゃないか。

「英語教材の CM で 『枕スピーカー』 だなんてちょっとなあ。『枕営業』じゃあるまいし」 と思っていたら。ある時期からしばらく、フツーに 「ピロースピーカー」 と言うようになった。ようやくまともになったと思っていると、近頃また 「枕スピーカー」 という言い方に逆戻りしている。

ここまで徹底されると、「ピロー」 という言葉すら知らない人、つまり雰囲気だけで 「英語をしゃべれたらカッコいいなあ」 と思っている人に、ターゲットを明確に絞り込んでいるとしか思われない。"Pillow" が 「枕」 であるとわかるまともな人は、そう簡単には引っかかってくれないから、ここは 「枕スピーカー」 と言っとく方が効果があるということなのだろう。

それからスピードラーニングを (…… あ、うっかり商品名を言っちゃった) 聞き流したおかげで、ニュージーランドでホームステイした時に、ホストファミリーの言っていることがみんなわかったという体験も CM で紹介されている。しかしニュージーランド英語のアクセント (訛り) がかなり手強いことを知っている人は、こんなおとぎ話には決して引っかからない。

世の中には楽して金儲けができると思っている人が、少しいる。楽してダイエットできると思っている人は、それよりもちょっとだけ多くいる。もしかしたら 1日 5分聞き流すだけで、英会話ができるようになると思う人も、ダイエットの場合と同じぐらいいるのかもしれない。

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2015/03/23

「上野東京ライン」 初乗車体験

昨日の記事で触れた 「上野東京ライン」 という電車を、初めて実質的なメリットを生む形で利用してみた。昨日は神田で下車したため、結局は上野で山手線に乗り換えてしまったのだが、今日は新幹線で新大阪から戻ってきて、品川で下車し、上野東京ラインに乗って常磐線取手まで戻ってきた。

品川で新幹線を降り、iPhone の乗換案内アプリで検索したところ、走れば間に合うような時刻に、取手行きの始発電車が出るとわかった。しかし品川〜取手間は約 1時間かかるので、一応トイレに寄っておきたいなんて考えて、1本後の電車に乗ることにした。1本後の電車は、乗換案内アプリによると 11分待たなければならない。でも、まあいいや。

で、トイレを済ませて品川駅の 10番線ホームに降りてみると、前の電車が出て 5分後ぐらいなのに、次の取手行き快速電車が、今まさに発車しようとしているので、よくわからないままに飛び乗った。本当によくわからないが、とりあえず品川発の常磐快速電車の本数は、十分に確保されていることだけはわかった。

始発だったのでなんとか座れて、それから延々 1時間乗車した。上野からだと 42分ぐらいで取手に付くので、ほとんど 5割増しの乗車時間である。まだ慣れていないだけなのかもしれないが、これが案外長く感じる。横長の座席に、進行方向に対して横向きで 1時間乗るというのは、正直言って途中で嫌になる。

それでもまあ、東京駅で新幹線を降りて、山手線か京浜東北線に乗り換え、さらにまた上野駅で乗り換えるよりは面倒がないから、これからも大阪方面から新幹線で帰ってきたら今回のルートにしたいと思う。ただ、次はもうどうせ終点までの乗車なのだから、途中で眠ってしまおう。今回は物珍しさでずっと寝なかったら、退屈してしまったのだと思うことにしよう。

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2015/03/22

「上野東京ライン」 というのを、今日まで知らなかった

いやはや、知らなかった。JR 常磐線快速電車が上野駅を通り越して東京駅に停車し、さらに品川駅まで伸びていたなんて。

明日は朝イチの新幹線で大阪に出張しなければならないので、今日は夕方までの仕事を終えてから神田のビジネスホテルまで来て前泊である。本当は今日のうちに大阪に入っておきたいところだが、夕方過ぎまで水戸方面の仕事が入っていたので、今日は神田止まり。日曜でも仕事になってしまうのが、零細企業の辛いところだ。

で、夜の 7時過ぎに、いつもの取手駅から快速電車に乗って都心に向かったが、この快速電車の終点がこれまでのように上野駅じゃなくて、品川駅だという。いつからそんなことになったのかと、インターネットで調べたら、今月 14日のダイヤ改正で、常磐線だけでなく、栃木県や群馬県に行く宇都宮線、高崎線まで上野を通り過ぎるのが新設され、これを 「上野東京ライン」 というのだそうだ。ついに私も、世の中の情報から取り残されるようになってしまったのか。

今日のところは乗車区間は神田までだったので、いつものように上野駅で降りて山手線で神田まで来たが、明日の帰り道は、品川駅で新幹線を下車して、品川始発の快速電車に乗れるわけだ。これまでは、東京駅から上野駅までの区間がうっとうしかったが、それが解消される。

ああ、ついにまた一つ、時代が変わってしまったな。

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2015/03/21

「八紘一宇」 を巡る冒険

にわかに脚光を浴びている 「八紘一宇」 という言葉だが、それに関連して九州の宮崎にある 「八紘一宇の塔」 というのまで話題になっている。実は私は、この塔を見に行ったことがある。8年前の 6月、宮崎市に出張した折に、話の種にもなるから、是非見ておいた方がいいと薦められ、この塔の建てられている平和台公園というところを訪ねたのだ。

Cimg7612話の種ということだったが、あれからずっとそんなきっかけもなく、記憶の片隅に眠っていたのだが、例の三原じゅん子議員の唐突な 「八紘一宇発言」 に誘われるように、8年の眠りから覚めてしまった。ネタというのはじっと寝かせておけば、いつかは使えることもあるものである。

左上の写真が、その時に撮った写真である。この日は晴れ男の私としては珍しく、あまり天気がよろしくなく、時折小糠雨が降ったりしていたが、平和台公園に行った時は雨が上がって、傘をさすこともなくゆっくりと見物できた。

Cimg7620右の写真は、その壮大さを強調するためにアップで撮ったものだ。「八紘一宇」 という文字がはっきりとわかるだろう。昭和15年に、皇紀 2600年を祝して宮崎神宮の拡大整備を行い、その一環として、当時の宮崎県知事の肝いりで 「八紘一宇の精神を体現した日本一の塔」 を建造したのだという。

この塔をデザインしたのは大分県出身の彫刻家、日名子実三で、「報酬は一銭もいらないから、是非やらせてくれ」 と願い出て実現したと伝えられている。日名子実三という人は日本サッカー協会 (当時・大日本蹴球協会) のシンボルマークもデザインしており、このモチーフが、神武東征の道案内をした八咫烏というのだから、その愛国者ぶりがうかがわれる。

で、この塔を見物した感想だが、これまでとくに話の種にすることもなく 8年近くも寝かせっぱなしだったことでもわかってもらえるように、個人的にはそれほど感動しなかったのである。四方に「荒御魂(あらみたま)」 「和御魂(にぎみたま)」 「幸御魂(さちみたま)」 「奇御魂(くしみたま)」の四神像が配置され、なかなか荘厳なものではあるのだが、「造るの、大変だったろうな」 と思っただけだった。

私は伝統的保守派を自認していて、「八紘一宇」 という言葉にしても、ステロタイプな悪イメージはもっていない。「六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや」 という理念は、実はニュートラルなものであって、それが侵略的なイメージになってしまったのは、戦前の軍部が勝手な政治利用をしたためだと思っている。言葉そのものに罪はない。

とはいえ、私としては是が非でも 「八紘一宇」 という言葉の復権を成し遂げなければならないと意気込むほどの義理があるわけではなく、三原じゅん子議員だってそれは同様だと思う。何で急に思い出したように国会の場で言い出したのか、伝統的保守派にしては妙にリベラルな私としては、彼女の気が知れない。

この記事を 「経済・政治・国際」 ではなく 「比較文化・フォークロア」 というカテゴリーに入れておくということで、私のコンセプトを端的に示しておこうと思う。

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2015/03/20

地下鉄サリン事件からの長くて短い 20年

あの地下鉄サリン事件から、今日で 20年経ったのだそうだ。20年も経つと、記憶がゴチャゴチャになっているもので、私はいつの間にか、自分はほんの数分の差で被害に遭わずに済んだのだと思い込んでいた。

というのは私はあの頃、都心の霞ヶ関近くのオフィスに通っていたことがあって、毎朝地下鉄の国会議事堂前駅を利用していた。そしてオフィスに到着した途端に妻からの安否問い合わせの電話がかかってきて、それで初めて事件を知ったと記憶していたのである。それで自分は間一髪で命が助かったと、神に感謝する思いすら抱いていたのだ。

ところが今日、事件を振り返るラジオ番組で、あの事件は朝の 8時頃に発生したと言っていたので、「あれ?」 と頭が混乱してしまったのである。私がオフィスに到着したのは 9時15分頃だったはずなので、自分の記憶がトンチンカンになっていることにようやく気付いたのだ。

よく調べてみると、私は事件の 2年前まで霞ヶ関近くのオフィスに通っていたが、事件の起きた年には転職して神田のオフィスに移っており、地下鉄は利用せず、JR のみで通勤していたのである。それで、オフィスに着くまで事件のことは何も知らなかったのだ。

私の頭の中で時系列的な混乱が発生していたのは、それだけ地下鉄サリン事件が衝撃的だったことを物語る。あまりの衝撃のため、「自分は数分差で難を逃れたのだ」 と思い込んでしまったのだ。実際には 2年ぐらいの差で難を逃れたのであり、しかも時間差があるから、転職していなかったとしても地下鉄がストップし、地上に避難させられていたはずだ。

そして改めて驚いてしまったのは、20年前の朝 9時過ぎに神田のオフィスに到着し、妻からの電話を受けるまで、その朝 8時頃に起きた事件について、全然知らなかったということについてである。神田のオフィスでは、その電話をきっかけにしてテレビのスイッチを入れ、「こりゃ、一体どういうことだ!」 と、初めて大騒ぎになったのだ。

20年前というのは、それほどまでに情報の伝わるのが遅い、呑気な時代だったのである。今だったら、JR 車内の液晶ディスプレイでほぼリアルタイムのニュースが報じられ、衝撃的な事件で地下鉄が大混乱し、都心での乗り換えができないと繰り返しアナウンスされ、インターネット情報がスマホでどんどん拡散され、Twitter は 「謎の毒ガス発生」 で持ちきりになっていただろう。

当時のニュースの第一報は、「地下鉄構内で毒ガスのようなものが発生して、乗客に被害が発生し、地上に避難した人たちも苦痛を訴えている」 というようなものだった。「テロ」 ということにはほとんど言及がなく、あくまで 「謎の毒ガス発生」 と報じられていたのである。

今だったらとりあえず 「テロ」 の可能性が取り沙汰されるだろうが、当時はオウム真理教との関連が明確になるまで、テロ事件とは断定されていなかったように思う。この点についても、やはり呑気な時代だったのだ。

思えば Windows 95 の日本語版がリリースされたのはこの年の秋だったから、この頃はまだ、Windows 3.1 なんていう MS-DOS ベースの OS を使っていたのである。インターネットは全然身近なものじゃなく、「パソコン通信」 なるテキスト・ベースの通信で満足していた。そして、ガラケーさえ持っていなかったので、妻は私の安否を確認するためオフィスに電話を入れるしかなかったのである。

あの頃、インターネットというものが十分に身近なメディアになっていたとしたら、オウム真理教という団体の怪しい活動はもっとフツーに語られるところとなっていて、当局としても、もっとしっかり監視対象にしていただろうと思われる。それがなかったから、怪しいとわかっていながら、実際には野放しに近い状態になっていたのだ。

こんなことを考えると、この 20年の間に世の中は大きく変わってしまったのだと、ちょっと唖然としてしまうのである。

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2015/03/19

なんで五人囃子だけが雰囲気違ってるのか、初めてわかった

emi さんのブログの 「五人囃子」 という記事で、雛飾りの五人囃子には 「能楽バージョン」 と 「雅楽バージョン」 があると、初めて知った。それに関しては、ひな祭り文化普及協會というところのサイトにも、しっかりと書いてある (参照)。いやはや、驚いたには驚いたが、積年の違和感が解消されてすっきりした。

実は長年にわたって、何となくモヤモヤしていたのである。平安の 「宮廷文化」 を思わせる雰囲気に満ちた雛飾りの中で、五人囃子だけはちょっとした異星人の如くに異質ではないか。 「武家文化」 の臭いがプンプンしているのである。そしてそれは、武士の式楽として発展した能楽の囃子方をモデルとしているからだったのである。

桃の節句に蜷人形を飾る風習はかなり昔からあったものとされている。しかし現代のスタンダードになっている様式、つまり、上から男雛/女雛、三人官女、五人囃子、右大臣/左大臣という順に飾る雛飾りは、江戸時代後期になって初めて確定したものだ。

となれば、その頃は江戸文化が隆盛を極めていたから、武士の文化である能楽が五人囃子という形で混入するのも無理もなかったのだろう。関西のひな人形には雅楽バージョンというのがあって、それは衣装から楽器に至るまで雅楽風になっているというのだが、私は直には見たことがない。

江戸の民衆にしたって、「お囃子」 といったら神楽囃子か長唄あたりが一番先にイメージされたのだろうが、それではいくら何でも、やんごとなきひな飾りにはそぐわない。それで仕方なく能楽の囃子方をモデルにしたのだろう。上方ならいざしらず、まさか雅楽なんてところにまでは、思いが至らなかったに違いない。

大人っぽい人形の並ぶ中で、五人囃子だけが稚児であるというのも、そのココロは平安の宮廷文化の中に紛れ込んだ 「新人類」 ということなのかもしれない。

ちなみに、我が故郷の庄内はひな祭りの盛んな土地柄で、今まさに 「ひな街道」 という催しが、本番の 4月 3日にかけて盛り上がりつつある。庄内のひな祭りは、月遅れで行われるのである。

本来の旧暦 3月 3日ということなら、もっと遅くてもいいのだが、それだと新暦換算したら毎年日程が変わってしまうのでやりにくい。それで 4月 3日に固定されている。なんで月遅れかというと、新暦の 3月 3日だと、まだ雪が残っていて春の雰囲気にはほど遠いのだもの。

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2015/03/18

公共交通機関の利用を増やすには

Wired に 「公共交通を無料にしたら、という社会実験の結果」 という記事がある。都市生活者が移動するのに自分の自動車やバイクを使いまくったら、排出される二酸化炭素が増大して大気汚染を引き起こし、渋滞による交通マヒの原因となり、さらに交通事故の増加にもつながる。だったら、公共交通を無料にしたらどうなるのか。

記事によると、1970年代から始まった公共交通機関無料化の取り組みの多くは、大きな成果を収められなかったとしている。自動車で通勤していた人たちは自分たちのスタイルを変えず、無料化になったバスに乗ったのは、それまで徒歩で通勤していた人たちや、暇人と子供たちだけで、大きな変化は認められなかった。

2002年のある研究は、「『無料』 という言葉が引き寄せるのは、車に乗る人がより多い裕福な人々ではなく、野蛮で疎外された若者たちの大群である」 と説明したという。つまり、公共交通の無料化は、本来の目的を達成することができなかったのだ。

ところがそれから、状況はかなり変わってきているらしい。記事は次のように述べる。

しかし、2012年、米国のもうひとつの分析が、全米 40の小都市や世界の他の数多くの都市の活動を評価した。こうした都市は、公共交通の無料システムを研究して維持し、成功を収めていた。利用者は大きく増え、ある小都市や大学都市においては、数カ月で20%から60%となった。一定の季節に人でいっぱいになる観光地においても同様だった。

どうやら 「単なる無料化」 だけでは不十分だったが、利用者の便宜をきちんと考慮した無料化は、成果を上げる例が多いとわかってきたようなのだ。無料でなくてもどうせ自治体からの助成は必要なのだから、その枠を広げて地元の活性化を図ればいいのだ。きっと元は取れる。

ちなみに、私自身の場合について考えてみよう。我が家から最寄りの常磐線取手駅までは、距離が 10km 足らずだが、バスに乗ると運賃がなんと 420円もかかる。クルマで行けばガソリンを 1リットルも消費しないから、せいぜい 100円かそこらなのに、420円とはいくら利用者が少ない田舎路線としても高すぎる。

高すぎる上に時間がかかる。クルマでいけば 20分足らずなのに、バスだと 30分以上、時には 40分もかかる。さらに本数が少ない。ラッシュアワーだと 15分に 1本ぐらいだが、それ以外の時間帯は 1時間に 1〜2本しかない。これではバスに乗りたいとは思わない。私も勤め人時代から取手駅の近くに駐車場を借りて、駅まではクルマで通勤してきた。

今は毎日通勤することはないが、それでも取手駅近くの駐車場は借り続けている。荷物が少ない時は自転車で行くことが増えたが、出張などで荷物の多い時はクルマを使わざるを得ないからだ。

毎日通勤する生活ではなくなった今、できれば駐車場の契約を打ち切って、自転車かバスを使うことにしたいのは山々である。それを躊躇させるのは、やはりバスの本数が少なく、時間と金がかかるという現実だ。

もしバス会社が、1日中図体のでかいバスを走らせずに、省コストで小回りのきく小型バスを、本数を増やし、低運賃で走らせてくれたら、私は喜んでバスを使うと思う。あえて 「無料だったら」 と言わないのは、こんな郊外の田舎町では、無料では到底維持できないだろうからだ。しかし片道 200円台だったら、駐車場の契約を打ち切って十分にコストが合う。

田舎のバス路線が不便で高いのは、まさに不便で高いという理由で敬遠されるからである。だから田舎では、遠方からの来客はクルマで駅まで迎えに行き、帰りも駅まで送るのが常識だ。バスで来てバスで帰ってくれとは、気の毒で到底言えない。しかし便利で安くしてくれれば、それも十分 「あり」 だ。

そして利用客は増え、交通渋滞は減り、空気もきれいになる。

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2015/03/17

「同性パートナー条例」 について考える

渋谷区に同性のカップルを家族に準じた扱いにする、いわゆる 「同性パートナー条例」 を制定する動きのあることが、結構な話題になっている。この条例が可決されれば、同性カップルのアパート入居に関する困難や病院での面会を断られるケースを、とりあえずは救済することができるが、それ以上の法的な意味は、今のところなさそうだ。

アパートの入居ということなら、「ルームシェア」 ということにしてうまく対処すればそれほどの問題はないだろうし、表立って 「同性パートナー」 ということにしたために、かえって別の理由をつけて断られるなんてことになりかねないことを、私は危惧する。病院の面会ということなら、わけを話せば何が何でも断られるということもないのではないか。

というぐあいに、私は渋谷区の条例がきちんと期待通りの効果を発揮するかどうかということに、あまり楽観的な見通しをもっていない。ただでさえ LGBT に対する差別があるのに、行政に対して進んでカミングアウトするカップルが続出するとも思えない。

とはいえ、これは小さいけれども大きな一歩であるとは思う。それだけにこの条例に反発する動きもかなり強いようで、下手すると、LGBT の当事者が穏健に (「条例がないよりはいいかも」 程度に) 賛成するよりも、頑固な保守勢力の 「何が何でも反対!」 とする動きの方がずっと派手に見えたりする。この類いの問題はいつも、反対勢力の方が額に青筋立てたがる。

客観的にみれば、同性愛者の権利が認められても、それによって異性愛者の権利が侵害されたり、従来の 「異性婚」 を基盤とする社会制度が致命的な打撃をこうむるということはない。同性パートナー条例に反対するのは要するに、「心理的に不愉快」 だから、「LGBT は、いつまでも日陰者でいるべきだ」 と言っているに過ぎない。

「異性婚による伝統的な社会基盤が脅かされる」 という主張も、あまり説得力はない。日本は実は伝統的に、同性愛に寛容な文化をもってきたのである。前近代的な価値観ではあまりにもフツーのことだったからこそ、近代的な法制度の整備において、表立ってそれを組み込むことがなかったのである。

私としては、「日陰者でいることに甘んじることをよしとしない LGBT は、社会的に認められるべきだろう」 という考えである。あえてカミングアウトすることを好まない人もいるだろうから、それはそれでいいが、きちんと社会的に認めてもらいたいという人に関しては、認めないという理由はないと思うのである。

「自分は LGBT は嫌いだ」 という人でも、それを認めることによってこうむる具体的な不利益があるとは、私はイメージしにくい。たとえあったとしても、LGBT であることを社会的に認めてもらえないことによる不利益に比べれば、微々たるものだろう。

同性パートナー条例に反対する人は、もし自分の息子や娘が LGBT で、「同性とカップルであることを、社会的にも認めてもらいたい」 と言い出したら、どう反応するつもりなのだろう。自分の身内に限っては、そんなことは絶対にあり得ないと思っているのだとしたら、それは考えが足りないというべきだ。

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2015/03/16

新幹線が長野から金沢まで延びて

「長野新幹線」 と言っていた路線が金沢まで延びて、晴れて 「北陸新幹線」 という名前になった。これまで東京方面から金沢に行くのはかなり手間がかかっていた。JR を使って行くのも大変だが、飛行機で小松空港まで行くというのも今イチ中途半端で、何となく行きづらかったのである。

ところが 3月 14日からは 2時間半ぐらいで行けるようになった。これなら、大阪に行くのとほとんど変わらない。金沢がかなり身近になったし、富山にも気軽に行けるようになった。こうなると、金沢に用事ができて出張するのが楽しみである。

一方、同じ北陸でも関東から福井に行くのは、まだ手間がかかる。調べてみると、北陸新幹線で金沢まで行き、そこから福井を目指すよりも、これまでと同じように東海道新幹線で米原に行き、そこから特急しらさぎに乗り換える方が速く着けるようだ。

ということは、福井に出張するときは、帰りに京都まで来て一泊し、翌日に京都観光をして帰るという特権がまだ生き続けることになる。手間はかかるが、ありがたい。ただ、北陸新幹線がさらに延長してしまうと、それはできなくなる。そうなったらそうなったで、金沢に一泊して小京都の観光をすればいいのだが。

新幹線が長野から金沢まで延びたことで、旅行の段取りが結構変わってくる。速く金沢方面に用事ができないかなあ。

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2015/03/15

『たのやく』 という雑誌を巡る冒険

仕事で結構いろいろなところに出張するので、ビジネスホテルに泊まることが多い。で、泊まるのは日本全国至る所にあるチェーンのホテルになりがちだ。その中でも泊まる機会の多いのが、東横インである。

このホテル、「東急イン」 と 「東横線」 を運営する 「東急電鉄」 とはまったく無関係なのに、紛らわしい名前を名乗っているので、「舟本一夫」 とか 「鳥倉千代子」 といった怪しい路線を連想させて、抵抗を感じていた。しかしここまで日本全国に増殖してしまうと、やはり便利といえば便利なので、つい予約してしまったりする。

で、最近もこの東横インに泊まって、朝にチェックアウトしようと部屋を出るとき、デスク脇のラックに収まっている 『たのやく』 という雑誌が目に留まった。そういえばこれ、どこの東横インに泊まっても部屋に置いてある気がする。しかし、手にとってページをめくってみたことは一度もない。

初めてこの雑誌のタイトルを目にした頃は、「なんじゃ、こりゃ?」 と思っていた。そうでなくても、「東横イン」 というのは 「舟本一夫路線」 じゃないかという偏見がある。田んぼの農薬の広告雑誌でなければ、ホテル経営者の独善的な倫理感を押しつける怪しい雑誌なんだろうぐらいに思っていた。

ところが、今日思い立ってググってみたところ、どうやらそうじゃなくて、「たのやく出版」 という雑誌社が出しているちょっと変わった雑誌であるらしい。同社のサイトのトップページには、次のようにある。

「たのやく」はさまざまな雑誌・書籍の“転載記事”により構成された雑誌。書店やコンビニでは売られていません。読めるのは、ホテルの客室だけ。いままでにない一風変わった雑誌ですが、着実に発行部数を伸ばし、2015年 2月号実績で 70,000部、読者は「東横 INN 日本全国 242店舗 46,758室」×「30日」×「稼働率 80%」= 112万人/月(年間 1,344万人)が見込まれる媒体です。

というわけで、独自の記事を載せず、他の本からの転載だけでやっている雑誌で、東横インの客室だけで読めるのだそうだ。「人のふんどし的雑誌」  は 「人のふんどし的ホテル」 とコラボしたがるようなのである。

ちなみに Wikipedia によると、この雑誌の前身は 2003年創刊の『楽しく読めてときどき役立つ本』で、それを縮めて 「たのやく」 なんだそうだ (参照)。へえ!

上述の如くたのやく出版としては、この雑誌の読者は 「東横 INN 日本全国 242店舗 46,758室」×「30日」×「稼働率 80%」=112万人/月 (年間 1,344万人) が見込まれる」 と謳っているが、これはどうみても手前味噌すぎる数字だ。

「年間  1,344万人」 といったら、ほとんど日本人の 10人に 1人ということになってしまうが、そんなはずはない。宿泊者にはリピーターと連泊客がかなりいるはずだから、好意的にみてもこの半分以下になるだろうし、そもそも稼働率 80%というのは、東京などの大都市圏の数字に近く、全国平均にしたらもっと落ちるはずだ。

その上 「ホテル宿泊者 = たのやく読者」 と見込んでいるのも、あまりにも乱暴な理屈である。ホテル宿泊客全員がこの雑誌を手にとって読むわけがない。現に活字大好き人間で飛行機の機内誌や特急列車の車内誌などは読まずにいられない私が、これまで何度泊まっても手に取ってみる気にさえならなかったのだから、実際の読者はもっとずっと少ないだろう。

「たのやく/評判」 というキーワードでググってみても、ひっかかるのは 「たのやく出版」 という会社に関する情報ばかりで、雑誌の中身に関して書かれたページは探すのに苦労する、というか、ほとんど見つからない。つまり、読んでいる人はものすごく少ないってことだ。

中には 「この度、当誌の記事を 『たのやく』 に転載していただきました」 なんていう記事を誇らしげにネットに載せている雑誌もあるが、そんなの取り立てていうほど名誉なことでも何でもないだろうね。

東横インとたのやく出版にはちょっと気の毒な記事になってしまったが、悪しからず。

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2015/03/14

アレグラ FX 服用の経過報告

ほぼ 1週間前の "「アレグラ FX」 服用実験中 »" という記事を受けての、経過報告である。ただ、実は経過報告とはいえ、あまり価値があるとは言えない。というのは、1週間前にこの薬を購入して、たった 3錠しか服用していないのである。

まず、購入してから 2錠飲んだところ、つまり翌日から、幸か不幸か寒の戻りと雨模様が重なり、花粉の飛散量が急減して、アレグラなんて飲まなくても、それほど苦痛を感じるほどじゃなくなってしまったのだ。そうなると元々薬嫌いだから、飲もうとも思わなくなる。

三日前あたりからまた天気がよくなったので、花粉飛散量は増えているらしいが、気温がまだそれほど上がっていないので、先週ほどじゃない。とはいえ、一昨日は外に出ただけで 「結構来てるな」 と感じたので、朝に 1錠飲んで外出した。おかげで鼻水とクシャミに関しては、かなり効果があると実感した。

それがわかるのは、目が猛烈に痒いのに鼻の方は案外楽だったからである。この薬、目の痒さまでは面倒見てくれないが、クシャミと鼻水には効果があるようなのだ。個人差はあるのかもしれないが。その日はその 1錠だけで眠りについたが、まあ、それほど苦痛じゃなかった。<

そして昨日は天気が良く風も強くて 「杉花粉日和」 だったが、日中は外出せずに自宅でデスクワークをしていたので、全然服用していない。しかしそのせいか、ずっと屋内にいたのに、前日にあちこち出歩いていた時よりも、クシャミと鼻水に悩まされた。ということは、間違いなく効果はあるようなのだ。

そんなわけで、私としては何が何でも服用しつづけるのではなく、辛くなりそうな雲行きの時だけ、ちょっと飲んでおくというぐらいにしておきたいと思う。何しろ、薬なんてあまり飲み続けたいとは思わないもので。

ちなみに、前の記事への乙痴庵さんからのコメントで、アレグラの副作用に 「悪夢」 というのがあるという情報をいただき、改めて注意書きを調べてみたら、確かにそう書いてあった。「悪夢」 なんていう副作用があるのだね。

Img_1590

私は寝る前に服用したのは 1度きりで、幸いにも悪夢にうなされることはなかったと報告しておく。

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2015/03/13

サントリーの チューハイ 「The O.N.E (ザ・ワン)」 を試してみた

3月 10日に新発売となった、サントリーの チューハイ 「The O.N.E (ザ・ワン)」 を試してみた。これは、アルコール度数 1%のドライチューハイである。「酔いすぎたくはないけどお酒のある時間は楽しみたい」 というニーズに応えるため開発されたのだそうだ。

Img_1585私としても、こうした類いのお酒があるといいなあと思っていた。3月 7日の記事で、「酒を飲まなくなって久しい」 (参照) なんて書いてはいるが、酒が嫌いになったわけではない。酔っ払うのがうっとうしくなっただけで、酒そのものはむしろ好きなのである。

というわけで、「どれどれ、アルコール度数 1%のお酒というのはどんなものか」 と期待半分、物好き半分で、さっそく買ってきて飲んでみたのである。

で、試飲の印象。残念ながら、あまり美味しいとは思わなかった。確かにドライではあるが、「コク」 という要素がほとんどない。そのせいで、「お酒を飲んでいるなあ」 という楽しい気分があまりしないのである。完全に酔っ払いたくはないが、ほろ酔い気分にもなれないのは、ちょっと物足りない気がする。これだったら、アルコール度数は 2% とか 2.5% とかあった方がいいのかもしれない。

とはいえ、美味しさという点では、アサヒの 「スーパードライ」 が出たての頃も 「ドライだが、コクが全然ない」 という共通した印象だったことを思い出す。あんなにコクのなかったスーパードライが、今では結構イケるビールになっているのは、徐々に改良されたためだと思う。

だからこの 「The O.N.E」 というチューハイも、徐々に改良されていくうちにそれなりのコクがプラスされる可能性はあると思う。年に 1度ぐらいは追跡試飲してみて、その進化のプロセスを追ってみたいと思う。

ただ私としては、チューハイなんかよりは 「アルコール度数がビール並みの純米吟醸酒」 というのがあると、どんなにうれしいかと思う。そのぐらいの日本酒なら、ちびちび飲みながらブログを書いても、すうっと眠りに落ちたりしないだろう。

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2015/03/12

あの日、Twitter に 「くじら」 は出なかったが

@IT というサイトに 「変化するリーダーの資質: あの日、Twitter のくじらが出なかったもう1つの理由」 という記事がある。1年以上前の記事だが、私は今日初めて知った。4年前の 3月 11日、日本中で Twitter にアクセスが殺到したはずなのに、あの有名な 「くじら」 が登場しなかったということについての記事である。

「くじら」 とは、Twitter にアクセスが殺到し、サーバーが処理しきれなくなった時に画面に登場する画像である。「もうちょっと時間が経ってから、もう一度アクセスしてみてね」 といったようなメッセージとともに、くじらの絵が現れるのだ。そういえばあの震災直後、Twitter で情報収集と発信をしまくったように記憶するが、確かに「くじら」 を見たという印象はない。

震災の発生は、米国時間では木曜日の夜だった。日本で起こった地震をニュースを知った Twitter のエンジニアは、「日本時間の土日に大量のアクセスがあり、Twitter がダウンしてしまったら、二次被害につながる可能性がある」 と直観し、翌週にセットアップする予定だったサーバーをすぐにラックに入れて、日本向けのサーバー容量を 3倍に増やしたのだそうだ。

これは誰に指示されたわけでもなく、独自の判断だったという。彼はいつも上司に 「上からの命令で動くのではなく、自分自身の判断で行動しなさい」 と言われていたので、その通りに実行しただけと語っているのだ。この適切な判断による行動のおかげで、日本では電話回線がパンクしていたのに、Twitter を通じて情報交換ができた。Good job 以上の、excellent job である。

このエピソードを紹介した元日本マイクロソフト会長の古川享氏は、このエンジニアの上司のようなタイプが、新しい時代のリーダー像だと指摘している。なるほどね。ただ日本の管理職の多くは、普段は 「自分で考えて行動しろ」 と言っていても、それが不幸にして失敗に終わったりすると、「お前が勝手なことをするからだ」 と部下を責め、責任を押しつけたがる。そして成功すると今度は自分の手柄にしたがる。

これでは、自分で考えて行動する部下なんて育たないよね。

それからこの記事の最後にある古川氏のコメントが、私にはビミョーにしっくりこない。彼は次のように言っている

「自分が死んだとき、せっかくだったら、代わりに誰かがいるような存在ではなくて、(自ら行動を起こして)社会に変化をもたらした人だと認識してもらいたいよね。残りの人生、そういう証を残せるように、一生をささげるのがいいよね」

私は別に気張らなくても、自分が 「代わりに誰かいるような存在」 だなんて一度も思ったことがないし、だからといって 「社会に変化をもたらした人だと認識してもらいたい」 なんて思ったこともない。私の感覚では、自分に対する周囲の認識まで思い通りにしたいなんていうのは、ちょっとゴーマンだと思うがなあ。

私はむしろ、自分の適切な判断で Twitter に 「くじら」 が出るのを防いでおきながら、「ボスの教えに従っただけ」 と、半分は上司の手柄として語ったエンジニアの人間性を高く評価したいと思っているのだよ。

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2015/03/11

3・11 の震災から 4年

ラジオを聞きながら、水戸方面から車を運転して帰ってきた。その間、ずっとあの 3・11 東日本大震災関連の番組が流れていた。あれからもう4年経ってしまったのだなと思っている。あっという間だったようでもあり、ずいぶん前の出来事だったようでもある。ただ、印象は今でも生々しい。

あの震災のもっとも酷い被災地は、岩手、宮城、福島の 3県で、とくに福島は原発事故による二次災害が加わり、深刻な事態となった。そして私の住む茨城県はあまり注目されなかったが、海岸地帯はやはり津波による大きな被害を負った。さらに潮来周辺は地盤の液状化で、見るも無惨な状況だった。

私の住むつくば周辺地域は震度 6弱だったが、被害は他と比べればまだ軽い方で、我が家の周辺は水も電気も止まらなかった。ガスは当時はプロパンガスだったので、これも止まらずに済んだ。つまりライフラインの被害はなく、最低限のくらしは維持できた。ただし、食い物が手に入らなかったので、毎日何を食って生きていたのか、今ではあまり記憶にない。

被害は軽かったとはいえ、周囲の家は屋根の瓦が落ちたり、塀や家具が倒れたり、駐車場の地面が浮き上がって停めてあった車がその上で亀の子になったりと、かなり大変な状況だった。我が家も皿やガラスが割れ、本棚の本がガラガラに落ちたりしていたが、とりあえず家屋の被害はなかったので、近所の家の倒れた塀を持ち上げたり、落ちた瓦の瓦礫を片付けたりするのを、ずっと手伝っていた。

電車は動かず、ガソリンが全然手に入らないので、どこにも出かけられなかった。だから被害の後片付けを手伝うぐらいしか、することがなかったのである。その間にも余震はひっきりなしで、多くの人が常にゆらゆら揺れているような感覚にとらわれていた。あれは 「地震酔い」 という症状らしい。

何ヶ月経っても大きな余震が続き、毎晩、大きな揺れで何度か飛び起きていた。翌月に徳島に出張し、ビジネスホテルで一晩ぐっすりと寝た時は、「ああ、揺り起こされずにぐっすり眠れるというのは、なんて幸せなんだ!」 と感激したほどである。

家族、親類縁者のほとんどは無事だったが、妻の弟の嫁の実家が宮城県の女川にあり、そこで 7人家族のうち 5人が津波に呑まれて亡くなったと聞いたのは、3月末に近い頃だった。遺体が発見されるまでは一縷の望みを抱いていたが、やはりだめだった。女川では「遺体が発見されただけよかった」 という状態だったようで、かける言葉もなかった。

震災について、「あの記憶を風化させてはならない」 という声がある一方で、「できることなら忘れてしまいたい」 と言う人もいる。ひどい被害にあったり、家族を失ったりした人ほど、「忘れてしまいたい」 と思いつつも忘れられずに苦しんでいるようだ。今でもフラッシュバックに悩む人も多いらしい。

忘れてしまいたいという人ほど、忘れることができない状態にある一方で、毎年の 3・11 の度に思い出す以外は、ほとんど記憶から薄れてしまっている人もいる。忘れてしまっている人は幸せだが、新たな地震で被害に遭わないとも限らない。1年に 1度でも、鮮明に思い出すことは必要なのかもしれない。

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2015/03/10

Apple Watch と 新しい MacBook が発表されて

Apple Watch と、新しい MacBook が発表された。今やどっぷりと Apple 文化にそまってしまった身としては、それらについて一言ぐらい書いておかなければならないような気がする。

ただ、Apple Watch については、昨年の 9月 9日に "Apple Watch のデザインが 「フツー」 っぽくてありがたい" という記事を書いており、今回の発表のニュースを読んだからといって、そこから大きく変わることはない。「欲しい」 とは思うが、第二世代か第三世代が市場に出てくるまで待ってから買うことになるだろうというスタンスは同じである。

マスメディアではものすごく広い価格レンジ (42,000円〜2,180,000円) が話題になっているが、そりゃ、とりあえず話題にしようと思ったら、それを取り上げるのが手っ取り早いのだから、当然である。ただ某テレビ局のニュース・ショーの某フルダチ氏のように、そればっかり言い過ぎるのは、「他の要素は全然理解できないのよね」 と言っているのと同じである。

どうせ実際に売れるのは、手ごろな価格の "Sport" シリーズのものばかりとわかりきっている。デジタル・デバイスとしての機能はどれも同じなのだから、200万円以上のものを買うのは、物好きな金持ちが 「お宝」 になるのを期待して買うのだ。

バッテリーが通常使用で 18時間しかもたないというのは、ちょっと残念だ。ただ、"All-day battery" という表示について、「オールデイなのに、24時間じゃなく 18時間しかもたないというのは矛盾」 なんて書いてあるメディアもあるが、"overnight" (一昼夜) じゃなく "all-day" なんだから、日のあるうちの 18時間ということで、別に矛盾しない。

まあ、人間の方だって 24時間起きてるわけじゃないのだから、寝てる間に充電してくださいってことなんだろう。別に致命的欠陥ってわけじゃない。そのうちもっと長持ちするように改良されるだろうし。

新しい MacBook については、地味だけれど、かなり魅力的だと思う。Retina ディスプレイだし、薄いし軽いし、どこにでも持ち歩くには便利だ。MacBook Air に置き換わるものと考えてもいいぐらいだと思う。私は今、出張には iPad を持ち歩いているが、こっちの方がいいかもしれないなんて思っている。

今は、自宅で仕事に使う MacBook (15インチ)、持ち歩く iPad、スマホの iPhone というセットでやっているが、何年かしたら、自宅で仕事に使う iMac、持ち歩く MacBook、スマホの iPhone というセットに置き換わっている可能性がある。昔はデスクトップ PC と 持ち歩く ノート PC という使い分けをすると、同期に苦労したが、今はクラウドを使えば全然問題ないし。

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2015/03/09

わずか 20分の間に 2度唖然とした交通事情

今日の昼頃、道路交通に関することで立て続けに 2件、唖然とするような出来事に出くわしてしまった。思わず Twitter に tweet してしまったので、紹介しよう。

まず 1件目 (参照)。

小糠雨とも言えない、降っているかいないかわからない程度の雨で、歩行者だって誰も傘なんかさしていないのに、自転車で傘さして、ヨロヨロと右側通行しているおっさんがいる。そんなに事故にあいたいのか?

2件目はそれからわずか 20分後だ (参照)。

いかにも無神経そうなオバさんの運転する車だけど、かなりトロトロ走ってくるので横断歩道を渡り始めたら、私の前を強引にすり抜けようとして、思いっきり歩道の縁石にぶち当たり、私を責めるような目で睨みつけてきた。こんな人に免許を与えちゃいけない。

2件目に関しては、私が横断歩道を渡っている目の前に無理矢理に突っ込んできて、自爆してしまったのである。ガリガリっと大きな音をさせて、歩道の縁石にバンパーの左前をこすってしまったようだが、こちらはそんなことに関わっているほど暇ではないので、さっさとその場を後にした。

そのオバさんドライバーが追いかけてきて文句を言うようだったら、そのまま警察に連れて行ってあげようかと思ったが、さすがにそれはなかった。

それにしても、世の中には起きなくてもいい交通事故というのが結構あるが、その多くはこんな感じで発生してしまうのだろうなあと、ため息をつきながら、ちょっと遠くを眺める視線になってしまったのである。

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2015/03/08

砂糖の摂りすぎは、やっぱり良くないらしい

Gigazine が "「1日の砂糖摂取量ガイドライン」が更新され缶ジュース1本でもアウト” と伝えている。WHO が肥満や生活習慣病を予防するために脂肪・炭水化物・糖類などの1日の摂取量を示すガイドラインが改定され、単糖 (ブドウ糖、フルクトース)、二糖 (ショ糖、砂糖) を含む 「遊離糖類」 の摂取目標が、1日に摂取する全カロリー 10%未満から、5%未満に改定されたのだそうだ。

元々 10%以上だと、肥満やむし歯になる確率が急上昇すると警告されていたが、遊離糖類の過剰摂取に関する警告は、今回さらに厳しくなったというわけだ。日本の砂糖業界は、「砂糖は頭の栄養として必要な栄養素で、体に害はない」 みたいなプロモーションをしているが、砂糖を売って儲けている業界と、第三者機関の WHO の、どちらを信じるかということになれば、そりゃ深く考える必要もなかろう。

1日 5%未満という摂取目標を大ざっぱに砂糖に換算すると 25g (小さじ 6杯分に) となり、Gigazine の表現によると、「ソーダなどの缶飲料は 1本で約 40gの砂糖が含まれているため、1日 1本ジュースを飲むだけでも摂取目標を越えてしまう」 のだそうだ。ただ、この表現はソーダとジュースを混同してしまってるんじゃないかなあ。

さらに 「遊離糖類にはハチミツ、シロップ、野菜ジュースなどの糖分も含まれますが、果物や野菜に含まれる糖分や、牛乳に自然に含まれる乳糖は含まれていないとのこと」 とある。これも何だかよくわからない。野菜ジュースの糖分はアウトだが、野菜に含まれる糖分は OK ということに読み取れるが、じゃあ、野菜ジュースに含まれる 「アウトの糖分」 はどこから来たのだろう?

念のため、記事中に明示されている元ネタのページ (英文) に当たってみた。それによると、遊離糖類には、「ハチミツ、シロップ、フルーツジュースと濃縮フルーツジュース (野菜ジュースじゃない) の中に自然に存在する糖分」 が含まれ、「生の果物、生野菜」 の糖分は含まれないということのようである。

どうやら生の果物や生野菜の糖分は問題ないが、生ジュース以外の加工されたジュースに含まれる糖分は悪さをするということのように読み取れる。紙パック入りの 「ジュース」 は、あまりよろしくないということになる。

ふうん、絞りたての生ジュースでないと、糖分が変質してしまうのだろうか。厄介な話だなあ。つまるところ、食品に自然な形で含まれる糖類 (その元の形の炭水化物) はそれほど問題ないが、それを精製して 「遊離糖類」 にしてしまうと、あまりよくないということなのだろうね。

そして WHO はこうして、遊離糖類によるカロリー摂取を、1日の摂取カロリーの 5%以内に抑えろと言っているのだが、実際のヨーロッパ諸国では、ハンガリーとノルウェーが一番低くて 7%~8%未満だが、その他ではスペインやイギリスが16%~17%、ポルトガルが 25%と基準を定めているという。なんだ、どこもひどい状況じゃないか。

欧米では料理に砂糖をほとんど使わない代わりに、ケーキやコーヒーにコテコテに使う。一方日本では、飲み物やデザートでメチャクチャなほど砂糖を摂取することがない代わりに、料理にやたらと砂糖を使う。私は日本の料理は甘すぎると、常々思っている。ただでさえ砂糖をたっぷり使った料理を食べている日本人が、コーラなどの清涼飲料水を飲みまくったら、かなり過剰摂取になってしまうだろう。

私自身についていえば、我が家の料理はまったく砂糖を使わないし、コーヒーはブラック。やたらと甘いケーキをむしゃむしゃ食う習慣もないから、遊離糖類の摂取はずいぶん少ない方だと思う。とはいえ、クッキーやキャンディを口に入れれば嫌でも砂糖も一緒に食ってしまうことになるのだから、もっと思いっきり甘味を減らしてもいいぐらいなのだろう。

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2015/03/07

あっさり死ぬための健康

度々書いているが、酒を飲まなくなって久しい。このブログを書き始めた頃 (12〜3年前) は、「週に一度は休肝日を作らなきゃいけないなあ」 なんて思いながら、まったく果たせなかった。つまり、毎日酒を飲んでいたのである。量はそんなに飲まなかったが、それでも毎日飲まずにはいられなかった。

このブログを書くにも、酒をちびちびやりながらということが珍しくなかったし、多少の酒が入っても、別に思考回路が酩酊してしまうこともなかった。今、同じことをやったら、キーボードを叩きながらすうっと眠ってしまうかもしれない。

昔は 「週に一度の休肝日」 が実行できなかったのに、今は週に一度ぐらいしか酒を飲まない。変われば変わるものである。というわけで、禁煙は 37年以上で、節酒も 8年以上になる。さらに昨年末からはスポーツ自転車で運動を欠かさないというライフスタイルになって、3か月経った。こうしたライフスタイルは、実感としてまちがいなく健康にいい。

健康的な暮らしをするのは、とくに健康志向だからというわけではない。それよりも、不健康なライフスタイルを維持するのが、体力的にしんどくなったからだ。酒も飲まず、煙草も吸わず、そして定期的に運動をするライフスタイルの方が、ずっと楽なのである。人間、楽な方がいい。

新しく始めた自転車は、結構ハードにこぎまくるから冬でも汗だくになる。太もももパンパンだ。それでもやらないより楽だとわかったから、止められない。これぞスポーツの魔力である。

自転車に乗り始める前は、メタボになりかかっていた。それほど目立つ肥満というわけではないものの、靴下を穿こうとして上体を前屈させると、下腹についた脂肪のせいで呼吸が圧迫されて、 「うっ」 となっていたのである。それも今は解消され、楽に靴下をはけるし、駅の階段も駆け上がれる。この若い頃のような楽さ加減を取り戻したら、再び失おうとは思わない。

運動をするもう一つのメリットは、ほんの少しだけハードな運動をする方が、無駄に長生きせずに済みそうだということである。スポーツで一流といわれる地位にまで上り詰めた人というのは、案外若死にだったりするが、それは過度のトレーニングで体に必要以上のストレスをかけ続けた結果だろう。

一方そこまでの無理をせず、適度にハードな運動をした人というのは、年をとっても寝込むほどの大病をせず、しかもある程度のところでポックリと逝くケースが多いように見受けられる。これこそが私の狙い目である。惚けて寝たきりの状態になって生き続けるよりは、動けるうちは元気に動いて、動けなくなりそうなタイミングで、あっさりとおさらばしたい。

というわけで、私はこの 「健康的なライフスタイル」 を維持したいと思っているが、それは長生きするためではなく、適当なところであっさりと死ぬためである。

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2015/03/06

「アレグラ FX」 服用実験中

最近、外に出て風に吹かれると、スギ花粉のせいで目が開けていられないほどグショグショになる。いつもの年は目はそれほどでもなくて、鼻のムズムズの方が耐えられなくなるパターンが多いのだが、今年は鼻も辛いが、目がそれ以上にしんどい。これまでに経験したことがないほどの痒みと涙だ。

いくらなんでもおかしいと思い、ネットで検索してみたら、今シーズンの茨城県はスギ花粉の飛散量が全国一で、昨春の 8倍ぐらい飛んでいるのだそうだ (参照)。おかしいおかしいと思っていたが、それで納得した。道理で辛いはずだ。

Img_1525111目も痒いが鼻水も辛いので、薬局で 「アレグラ FX」 という薬を買ってきた。そういえばこれは、一昨年の秋に書いた "「2013年ヒット商品ベスト 30」 の 3分の 2 以上を知らない私 " という記事で、「名前も初耳でどんなものだか想像も付かない商品」 として挙げていたものである。この年のヒット商品の中で 17位にランクされていたのに、全然知らなかったのだ。

一昨年には全然知らなかった薬に、今年になって世話になろうとはちっとも思わなかった。世の中は何が起こるかわからないものである。まあ、ヒット商品のベスト 17にランクされるのだから、効かないということもないのだろう。

「用法」 というのをみると、朝夕 1錠ずつ、毎日 2回服用するということになっているので、夕方の 6時過ぎに 1錠飲んでみた。それから 2時間以上経ったのだが、今のところ、あまり効いているという実感はない。あいかわらず鼻水に苦戦している。明日の朝に 2錠目を飲んだら、少しは効いてくるだろうか。もし効かなかったら、ここでぼろくそに書こうかと思っている。

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2015/03/05

どんなにバタ臭くても 「邦楽」 なのは、思い切りドメスティックだからなのね

5年近く前に書いた "「邦楽」 と 「洋楽」" という記事で、日本のロックやなんやらが 「邦楽」 というジャンルに分けられていることに、思いっきり違和感を示した。「邦楽なんていってるけど、どう見ても (聞いても) 洋楽じゃん!」 と思っていたのだ。私にとっての 「邦楽」 とは、長唄とか清元とかいった類いのものなのである。

昔 NHK テレビに 「邦楽百選」 というのがあった。今は 「邦楽のひととき」 という番組になっているようだが、そこでは謡曲とか長唄とかが流れている。それこそが、私にとっての邦楽なのだが、今は何ということか、「純邦楽」 なんていわれるらしい。ということは、残りは 「不純邦楽」 である。

そんなこんなで私も認識が少しずつ柔らかくなって、昨年 4月には "なるほど、日本のロックは 「邦楽」 なのかもしれない" と、やや理解を示す記事を書いたのである。作りとしてはまごう事なき洋楽なのだけれど、その演奏を聴くとやっぱり、本場のロックとは違ったものに聞こえるのである。「和風」 ってわけではないが、どう聞いても 「日本的」 なのだ。なるほど、これは 「邦楽」 なのかもしれんなあというわけだ。

で、今回さらに理解を示そうと思ったのは、「なるほど、日本のロックは 『邦楽』 以外の何者でもない」 と、しみじみ思ったからである。というのは、「洋楽/邦楽」 というこれほどまでに無意味に思われるなジャンル分けが実効的であるということは、私が思ってきたほど無意味じゃないと気付いたのである。

そう気付くきっかけとなったのは、もし日系二世の米国人が慣れない日本語で作詩し、生粋の日本人が作曲し、黒人と白人の米国人の中に日本人ボーカリストが 1人混じったバンドが演奏し、米国のレーベルからリリースされた曲は、洋楽だろうか、邦楽だろうかと考えてみたことである。はてさて、どっちなんだろう。

しばらく考えてみて、「そんなことを考えても意味がない」 と気付いた。そんなこと、現状ではあり得ないからである。宇多田ヒカルが一時、米国で活動したりしていたが、あれは 「特殊ケース」 である。あれについて 「邦楽か洋楽か」 なんて、誰も問題にしなかった。問題にする必要がないほどのレアケースだったのである。

あんなようなレアケースを別として、日本人のロックを 「邦楽」 というジャンルに閉じ込めるカテゴライゼーションがしっかり実効的であるということは、要するに、日本のロックが思い切りドメスティックであることの証左であると気付いたのだ。

日本人が作って演奏して、日本の会社からリリースして、日本人がプロモートして、日本人が買って、日本のメディアでしか流れないのだから、思いっきり日本だけで完結している。なるほど、ドメスティックな 「邦楽」 である。

多少は周辺のアジア諸国やヨーロッパのカウンター・カルチャーの世界に漏れ出している部分もあるらしいが、メインストリームとしては、こんなにまでドメスティックなやり方だけで商売になってきたのだから、「邦楽」 でいいのである。

ただし今後日本の市場が縮小して、日本のロックが意識的に外国の市場に意識的に打って出なければならない事態になったら、「邦楽」 なんて馬鹿なことは言っていられない。その時になって "Japanese Rock" なんていうジャンルが (一時の "British Rock" みたいに) 国際的に認知されることがあるかもしれないが、それはドメスティックに完結する 「邦楽」 とは別物になっていなければならないはずである。

今のままの 「邦楽」を、ある種の際物扱いにするなら話は別だが。

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2015/03/04

ゴルフ業界の 「2015年」 問題

東洋経済 Online に "ゴルフ離れは若者だけの問題ではなかった! 「2015年問題」 におびえる関係者たち" という記事がある。ゴルフにおける 「2015年問題」 というのは、1947~49年生まれの団塊世代が全員 65歳以上となり、年金受給者となることが端緒になるのだそうだ。つまり、金がなくてゴルフどころではなくなるということである。

しかし本当の問題は、団塊世代が年金受給者になることだけだろうか? それよりも、「接待ゴルフが大好きだった世代が、会社からいなくなってしまう」 ということが大きいのではなかろうか? 会社の仕事の延長としてゴルフをしていた連中は、60歳定年以後も嘱託か何かの名目で会社に残っても、ゴルフをする機会は大幅に減っただろう。

それでもたまには昔からの縁で、仕事の延長としてのゴルフをすることもあったろうが、65歳を過ぎて会社から完全に離れてしまったら、それはなくなる。よっぽど好きな人は自腹で続けるかもしれないが、大方はそんな余裕はなくなるだろう。そもそも、「本当に好き」 でゴルフをするというよりは、「仕事として」 やっていたのだから、会社を離れたら自腹を切ってまでゴルフをする理由がない。

実際のところ、還暦を過ぎた知人の家にお邪魔すると、玄関の片隅にゴルフバッグが置かれていることがあるが、あまり使われている形跡はない。65歳を過ぎてしまうと、ほとんど埃をかぶっている。バリバリ仕事をしていた頃の郷愁のシンボルとして、捨てずに置いてあるだけという風情である。

つまり、ほとんどの人は仕事との関連でゴルフをしていただけで、本当の楽しみとしてしていたわけじゃないのではないかと、私は思ってしまうのだよね。

そんな関連で、同じ東洋経済 Online の記事で、"ゴルフをしないビジネスマンが損すること 「ぜいたくな遊び」と敬遠していたら…" というのがある。どんな内容かというと、ゴルフをすると、ビジネス面でいろいろないいことがあるというのである。

ゴルフ場で一緒に回っているうちに、初対面の人とでも打ち解けたり、思わぬ本音やニュースを聞くことができたりするというのである。しかしそれは私に言わせれば、ほとんど半日もかけて、たった数人と仲良くなるというだけのことではないかと思う。さらにお馴染みのメンバーばかりだったとしたら、「いつものお付き合い」 にしかならない。

そもそもこうした主張は、「酒を飲み交わすのは仕事に役に立つ」 というのとほとんど同じである。酒の場ではその人のナマの姿が見えたり、本音を聞くことができたりするから、ビジネスの役に立つというのは、さももっともらしく聞こえるが、酒でも飲まなければ相手の人となりや本音がうかがえないというのは、鈍感なのである。そんなのは、普通に接していてもわからなければならない。

酒に酔ってぐだぐだになり、しらふではできない馬鹿なことを一緒にやって、「妙な共犯関係」 を結ぶことが 「腹を割った付き合い」 だと思っているうちは、どうせ大したことはできない。そんなのは、学生時代に卒業しておけばいい。

酒を飲み交わしたり、ゴルフをしたりするなというのではない。そうしたことが 「仕事の役に立つ」 なんて言い草をエクスキューズにし、会社の金を使いまくって自分の楽しみに興じることがさもしいと、私は言うのである。

ゴルフをする人間の数が減るのだから、ゴルフ業界が苦しくなり、潰れるゴルフ場が出るのも当たり前である。私はゴルフ場が潰れたら、「元の森林にして返せ」 と言いたい者である。

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2015/03/03

大塚家具の騒動を外野から眺めて

大塚家具という会社が創業者の身内同士でゴチャゴチャしているというニュースが、やたら流れている。私はこの会社にちっとも興味がないので、個人的にはどうでもいいことなのだが、改めてニュースを読むと、トラブルの元となっている経営方針というか、マーケティング方針の違いというのは、結構多くの企業にも当てはまる問題なんじゃないかと思った。

職人気質の創業社長が昔ながらの 「いいものさえ作ったら売れる!」 というコンセプトに固執し、高度成長期とバブルの時期にそれが実際の身の丈以上に売れすぎた結果、きちんとマーケティングしなければもたないぐらいの企業規模となる。バブル崩壊以後は企業規模が中途半端に大きすぎて、ドラスティックな改革も小回りを利かせた経営もできず、その結果、創業社長と二代目 (あるいは三代目) 社長の間で確執が生じる。

結構多くの企業で、いや企業だけではなく、農家などでも親父と息子が農業経営の方針で対立して口も利かなくなるなんていうのは、よく聞く話だ。大抵は大塚家具の場合と共通したパターンである。

私は大塚家具に関しては、新橋から有明方面に向かう 「ゆりかもめ」 の車内にあった吊り広告で見て、"IDC" というやたら大規模なショールーム兼ショップを運営している会社という認識しかなかった。今となっては古典的な販売システムである。コストがかかって大変だろうと思っていた。

そもそも "IDC" というのは、家具屋さんなんだから "Interior Design Center" かなんかの略かと思っていたが、当の大塚家具によると "International Design Center" なんだそうだ。なんだかなあ。

この会社の経営方針の対立というのは、創業社長が従来の会員制システム (といっても厳密なメンバーシップってわけじゃないらしいが) による 「まとめ買い」 主体の需要に対応しようとしているのに対し、娘がもっとオープンな単品買いにも対応したマーケティングに転換しようとしたのが発端らしい。

これ、外部からみてもなかなか難しい問題である。中間所得層がちょっとがんばれば見た目の麗しい 「中の上」 か 「上の下」 クラスの家具をまとめ買いできた時代は終わってしまい、市場は 「ステイタス・シンボル」 を求めるお金持ちと、「安くてそこそこの品物」 で満足するフツーの貧乏人とに二極化している。大塚家具のプライス・ゾーンは、このどっちでもない中途半端なところなのだろう。

高度成長期とその後しばらくは、日本において最も成長していたセクターは、この 「中途半端なところ」 の品物を供給する企業だった。安くもないけど、メチャクチャ高くもなく、デザイン面ではちょっとダサさも感じさせるが、ディテールに関してはヨーロッパの高級品に迫る技術で作られているというのが、多くの日本製品の売り物だったのである。

大塚家具の商品も、多分そうしたものなのだろう。つまり、「そこそこの値段の、無難で良質な家具」 というコンセプトが売り物というイメージが強い。だが、今やそのレンジの商品の市場規模は、見る影もなく縮小してしまった。

私としても、家具なんてニトリかイケアで買えば十分と思っている。その中にほんの何点か、ちょっとこだわりの 「いいもの」 を混ぜておけば、十分満足だ。すべて大塚家具で取り揃えて、自分の家の中をよくある 「ちょっとした小金持ち」 のインテリアにしてしまおうとは、絶対に思わない。

そもそも、「一生モノの家具、代々伝えられる家具」なんてものを高い金を出して買ったとしても、子孫がそれを喜んで受け継いでくれるとも限らない。豪勢な嫁入り道具を持たされたが、マンションの部屋に入りきれなくて (というより、本当のところは新婚夫婦の趣味に合わなくて)、実家に送り返して蔵に眠らせているなんて話をあちこちで聞くにつけても、トゥーマッチなモノを所有するのはリスクである。それが国宝級のお宝とでもいうなら、別のリスクのお話になるが。

大塚家具という会社は、高度成長期の日本に最適化して伸びてしまったから、今になって体質改善に苦労しているという典型的な例なんだろう。従来手法を維持するにしても、新しいマーケティングを採用するにしても、多分どちらの道も多くは望めないだろうと思う。いっそ高級ゾーンと普及ゾーンの 2つのマーケットに対応するために、分社してしまえばいいのに。

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2015/03/02

遺伝子治療について思うこと

最近 「遺伝子治療」 というのがやたら話題になっている。遺伝子的欠陥を、人工的に修復・修正する治療法だという。例えば、DNA の異常な部分に正常な DNA を組み込んでやって、問題を解決してしまうというような手法らしい。これを応用すれば、患者の幹細胞を取り出して修復を重ねることで、不老不死になることも可能と言われている。

こんなようなニュースが流れる度に、大方の反応は好意的であるように思われる。病気が治り、長生きできるようになるのは、ほとんど無条件に 「いいこと」 と思われているようなのだ。そしてこのような分野の研究で成果を出すのは、人類に 「貢献」 していると見なされるようなのである。

しかし私はこんなような話を聞く度に、「みんな、どうしてそんなにしてまで長生きしたいかなあ」 と不思議に思う。遺伝子治療なんて、かなり高額な治療になってしまうだろうに、べらぼうなコストをかけてまで長生きしたくなるほど、自分の人生に価値があるとでも思っているのだろうか。

前にも書いたことがあるが、人間に限らずすべての生物の遺伝子というのは、基本的には 「生まれて生きて、子孫を残して死ぬ」 ようにプログラムされているのだ。この部分まで立ち入って 「生まれて生きて、子孫はどうでもよくて、自分はいつまでも死なない」 というように変えてしまったら、ハードウェアとしての肉体は部品交換しながら永続できても、ソフトウェアとしての 「心」 の方が絶えきれないだろうと思う。

肉体の永続性に、無理矢理にでも心を追従させようとするなら、究極的に 「どんくさい心」 にしなければ無理だろう。というのは、心というのはどんなに楽しい刺激に対しても、そのうち飽きて退屈するようになってしまうからだ。退屈を避けるために常に新しい刺激を追い求め続ける人生というのも、相当にしんどいだろう。それだけで、生きていくのが辛くなりそうだ。

辛くならないためには、究極的にどんくさくならなければならない。しかし単に生き続けるためにどんくさくなるのは、私なら真っ平ごめんである。ただひたすら無感動にメシ食ってウンコして寝るだけの人生を、誰が求めるだろうか。

私は外部的に遺伝子治療をするよりも、もっとずっと安上がりで楽しい方法を採用したいと思う。その方法というのは、最近一部で話題になっている 「遺伝子のスイッチをオン・オフする」 ということだ。

どうやら遺伝子、つまり DNA というのはスイッチをもっているらしい。人間の遺伝子はすべて都合がいいものというわけでもなく、中には都合の悪い遺伝子もある。悪い遺伝子を全然持っていないという人はいないらしい。しかし悪い遺伝子をもっていても、そのスイッチをオフにし、いい遺伝子をオンにすることで、健康な人生を送ることができるらしい。

そんなことを言うと、まるでノー天気な夢物語のように聞こえるかもしれないが、現代の生命科学はどうもそれが正しいと証明する方向に進んでいるようなのだ。「遺伝子/スイッチ/オン/オフ」 というキーワードでググってみると、まんざらおとぎ話でもない話がどんどん検索される。

筑波大学名誉教授の村上和雄氏によると、人間のいい遺伝子のスイッチは、喜び、感謝、笑いなど、プラスの想念によって 「オン」 になるという。彼が糖尿病の患者に漫才を聞かせて実験したところ、さんざん笑った後には血糖値が下がっていたという。今では 「笑いは健康にいい」 というのが医学的にも常識になりつつある。

喜んで、感謝して、笑っていれば健康でいられる確率が高いというのは、福音である。この他にも、「他のために尽くす」 という行為も健康にいいらしい。そうした人生を送ってさえいれば、別に遺伝子を組み換えたりしなくても、まあまあ健康でいられるらしい。体が健康であるだけでなく、心も楽しいのだから、こんないいことはない。

そしていかに喜び、感謝し、笑っていても、肉体の耐用年数には限界があるだろうから、その時が来たらあっさりと死ねばいいのである。それでも死にたくないなんて思うから、ストレスになる。「死ぬ時はあっさり死のう」 と覚悟を決めれば、人生の悩みの大方は解決する。

私なんぞも還暦を過ぎちゃったから、「大体あと 20年ぐらいの人生かな」 なんて思っている。そのくらい生きさえすれば、満足もいいところだ。もっと短くても別に構わないが、この健康さでは急に死ぬようなこともなさそうだ。下手するとあと 40年ぐらい生きてしまう可能性だってなくはない。そうなったらそうなったで、何とか楽しく生きてみようと思うばかりである。

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2015/03/01

微妙な色の 「ボディコン」 ドレス

"このドレス、何色に見えますか?「青と黒」「白と金」人によって違う不思議!" というページが、やたらと話題になっている。このページにあるドレスの写真だが、そのボーダーストライプが人によって 「青と黒」 に見えたり、「白と金」に見えたりするのだそうだ。

お昼にクルマを運転しながら聞いていたラジオ番組で紹介されていたのだが、なにしろラジオなので実際には見えない。目的地に着いてから iPhone で検索して表示させてみると、なるほど、微妙な色合いのドレスが表示された。これ、ラジオでは 「青と黒」 に見える人と 「白と金」 に見える人 がほぼ半々に分かれると言われていたが、私としては藤色とスモーキーブラウンの組み合わせに見える。へそ曲がりでごめん。

ただ、インターネット上で表示される色というのはなかなかくせ者で、オリジナルの色とは似ても似つかない色に見えたりする。プロジェクターを使ったプレゼンで、「この緑の部分が……」 と言うと、「緑なんてありません」 なんて指摘されることがある。スクリーンを振り返ると、手元の PC では確かに緑になっている部分が、青く映っていたりする。ましてやインターネットになってしまったら、ますます色の誤差が大きくなっているだろう。

このドレス、実は 「青に黒のレース」 というのが正解なんだそうだ。Amazon の物販ページにある "Roman Women's Lace Detail Bodycon Dress Royal Blue" という商品の色は確かに、青と黒に見える。ただ、このページを見ても、青のことは "Royal Blue" と明確に記されているが、レースの部分の色についての具体的言及はない。ただ黒く見えるというだけである。

だったら、どうして先に紹介したページの画像は 「白と金」 に見えたりするのかというと、思うに、逆光の画像なので、人間の目が実際に見えた色よりずっと明るい色に翻訳しなおしているのではなかろうか。私は藤色とスモーキーブラウン程度に翻訳しちゃったわけである。しかし実は、この写真に関しては、翻訳しなおすほどには、逆光の影響は強くないということのようなのだ。

しかしそんなことよりも私が 「へえ〜!」 と驚いてしまったのは、本場の英語でも、この類いのデザインのドレスを  "Bodycon Dress" というということだ。「ボディコン」 というのは、"body-conscious" を縮めた和製英語だとばかり思っていたが、英国でもそういうのだと知って、まさに 「目からウロコ」 である。

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