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2015年11月に作成された投稿

2015/11/30

信号制御器まで 「高齢化」 しているらしい

昨日は高齢ドライバーの増加について書いた。運転の覚束ないドライバーが増えているのだから、十分に注意しなければならないという話である。ところが高齢化しているのはドライバーばかりではなく、信号制御機もかなりくたびれてきているらしい。

信号制御機というのは、信号の色をコントロールする機器で、これが故障すると信号で赤と青が同時に点灯してしまったりする (参照)。警視庁によると、全国の信号機に付属する制御機の約 2割にあたる 4万基超が、更新時期を過ぎているという。そして 10年以内に 3割を越えるペースらしいのである。

信号機の 3台 に 1台近くが 「お古」 の制御機でコントロールされているとなると、結構心配だ。今のところ事故につながることはなかったというが、これからもそうだとは限らない。あぶなくてしょうがないじゃないか。

日本のインフラも全体的にずいぶんお古になってきてしまっているようで、信号機に限らず、あちこちで不具合が生じるようになってきている。ビルや橋などもずいぶん危ないと言われて久しいし、トンネルの側壁や天井の崩壊などのニュースも記憶に新しい。

こんなのは、「気をつけろ」 と言われても 「どうやって気をつけたらいいんだ?」 と言いたくなってしまう。運を天に任せるしかないとは、なかなか心臓に悪い話である。

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2015/11/29

高齢ドライバーが増えるにつれて

今日午前、東大阪市で 60代の男性の運転するクルマが商店街を暴走し、歩行者 1人が重傷を負うという事故があったと報じられた。運転していた男性は、アクセルとブレーキを踏み間違えたらしい。(参照

先月は宮崎市で 73歳の男性が歩道を暴走し、2人が死亡する事故が起きた。このケースでは、運転していた男性は認知症の治療を開始していて、さらにてんかん発作を起こしていたと伝えられている。警視庁によると、昨年の 75歳以上の運転者による死亡事故の 4割は、運転者の認知機能の衰えが疑われるという。(参照

日本社会では高齢化が大変なスピードで進んでいるのだから、運転者の高齢化も進むのは自然の理屈である。私の住んでいる茨城県は公共交通機関が手薄だから、どこに行くにもクルマで行くのが当たり前で、周囲を見ても、70歳や 80歳になってもこれまで通りにクルマを運転している人がいくらでもいる。

私の知っている高齢ドライバーの中にも、「最近、どうもアルツが入ってきてるみたいだな」 と思われる人がいる。 彼は 75歳を過ぎて、滅多に運転はしなくなったようだが、そうなると家に閉じこもりっぱなしになり、ますますぼうっとした感じになってきた。外出はさせたし、運転はさせたくなしで、二律背反の悩みが生じる。

いずれにしても、今後はますます運転の覚束ない高齢ドライバーが増えるので、自分さえ交通ルールを守っていればいいという時代ではなくなる。相手が思いもかけない危険運転をする可能性を考慮して、よほど気をつけなければならない。

かくいう私も還暦を過ぎて、運転には気をつけなければならないと思うようになった。幸いにしてブレーキとアクセルを踏み間違えるようなことはないが、一番問題なのは体力が続かなくなったことだ。50代までは 7時間や 8時間は平気で運転したが、最近は 3〜4時間運転すると眠気に襲われる。

だから眠くなったら無理をせず、ちょっとだけ仮眠を取るようにしている。20分寝ると眠気が十分に収まるのは経験則で知った。逆に 30分以上寝てしまうと、体全体が睡眠モードに入ってしまって、運転できるほどに覚醒するまでかなり時間がかかる。

今後は年を追うごとにさらに長時間運転がきつくなるだろう。気だけは若いつもりだが、クルマの運転は無理をしないようにしたいと思う。自分だけでなく、周囲の命にも関わることだからね。

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2015/11/28

本格的なエルニーニョで暖冬になるらしい

今年は昨年に続いて秋の訪れが早いような気がしていたが、そのまま冬の様相にはなるというわけではなく、暖冬傾向が顕著なのだそうだ。確かに日が落ちてしまえば結構寒くは感じるが、日のあるうちはあまり厚着をしなくて済んでいる。

これはどうやらエルニーニョと関連しているらしい。今年本格的な夏になる前に、エルニーニョが発生していると伝えられた。これは昨年から発生すると言われながらまるで狼少年のようにすっぽかされていたのが、ついに本当に発生したものである。

エルニーニョの年は夏は冷夏、冬は暖冬になりやすいと言われていて、今年の夏は冷夏になると思っていたのだが、夏の前半は 「エルニーニョなんて本当なのか?」 と言いたくなるほどの猛暑が続いた。しかし 8月後半からはすっかり空気が入れ替わったように、秋らしい天気になったので、「やっぱりエルニーニョは本当らしい」 と納得していたのである。

そして今月になってからは、各地で紅葉が遅れているとか、初雪がなかなか降らないとか、いよいよ暖冬を思わせるニュースが続いている。今回のエルニーニョはなかなか本格的なものらしいのである。

ただ、暖冬になると関東では雪が降りやすいということがある。日本海側の雪は冬型の気圧配置によってもたらされるので、冬らしい冬ほど雪が多いが、関東の雪はメカニズムが違い、春先の南岸低気圧が東に進む際に、ちょっと気温が低いと雨ではなく雪が降るという現象だ。それだけに、暖冬でいかにも早春みたいな陽気になると、関東ではかえって雪が降りやすい。

関東の人たちは雪に対する備えがいい加減なので、ちょっと降っただけで交通がマヒしてしまう。私は根が田舎者だから、冬になったらクルマにスタッドレスタイヤをはかせるが、そんなのは関東では極々少数派だ。そのせいで、自分のクルマは動けるのに周りがスリップしまくるせいでこちらも動けなくなったりする。

それを考えると、ちょっとうっとうしい気がしてしまうのだよね。

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2015/11/27

MacBook Air が打ち切られるって?

iPad Pro を買うよりは、MacBook Air を買いたいと思っている」 と書いてから 10日も経っていないのに、いきなり 「ウソだよね…MacBook Airが打ち切られる可能性も」 なんていうニュースを読まされて、私自身も 「ウソだよね!」 と言いたくなっている。こんな記事だ。

すでにアップルは、現行モデルを最後にMacBook Air のラインナップを打ち切る可能性が高いとの噂が出てきていますよ。やっぱり、Smart Keyboard のキーボードカバーとセットで、MacBook ライクに使える 「iPad Pro」 の影響も大きいのでしょうか?

私は近頃、出張に持ち歩くのは iPad ではなく、MacBook になってきている。その理由を、10月 31日の記事で次のように書いている。

iPad を使う機会が減ったのは、どうしても込み入った仕事ができないからである。メールや SNS、ホテルの予約ぐらいなら、PC より手軽にできる強みがあるが、その程度のことなら、つい iPhone の方を使ってしまう。そして iPhone ではこなしきれない仕事は iPad ではなく、どうしても MacBook に頼ってしまうのである。

で、愛用の MacBook Pro (15インチモデル) は重いので、そのうち MacBook Air の 11インチモデルを買いたいと思っているわけなのだ。その MacBook Air が消滅してしまう可能性があるというのは、ちょっと聞き捨てならない。

ただ、記事は最後の方で、「Touch ID および 3D Touch を装備した新モデルの発売が行なわれるとの噂も出てきており」 と言っているので、私としてはそっちの方に期待したいと思う。もしそれが叶わなければ、MacBook の最軽量モデルを買ってしまうことになるかもしれない。

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2015/11/26

既に LED 化しちゃったので、蛍光灯がなくなっても全然困らない

政府のいわゆる 「トップランナー制度」 による省エネ対策の一環で、日本国内では白熱灯や蛍光灯の製造と輸入ができなくなり、照明は実質的に LED に一本化される見込みとなった (参照)。

これに先立ち、既に国内での白熱灯生産は終了している。2008年に政府が白熱灯生産の中止を呼びかけ、その 4年後の 2012年には実際に国内では白熱灯が作られなくなったのである。実は私は 2008年の 4月に、この白熱灯生産中止に関してちょっと抵抗するトーンの記事を書いている (参照)。

私は蛍光灯の光が嫌いで、それまでずっと白熱灯を使ってきた。日本の家庭では蛍光灯のシェアが圧倒的なのだが、我が家の照明はほのぼのとしたオレンジ色の白熱灯で通していたのである。

しかしその白熱灯がなくなるというので、私はあせった。家の中の照明を蛍光灯なんかに切り替えるのは御免蒙りたい。それじゃあ、どうしたらいいんだ? その答えが、LED だった。LED には白熱灯に近い色合いの電球がある。蛍光灯にもないわけじゃなかったが、どうにも薄っぺらすぎる感覚なので、自分の家に導入する気には到底なれなかったのである。

回答を見つけてからは、行動は早かった。2012年に白熱灯生産が終了される前年の 2011年にあの東日本大震災があり、原発が大問題となったため、我が家は消費電力削減に突っ走ったのである。「原発がなければ電力供給が危ういなんていうなら、使わなきゃいいんだろ、使わなきゃ!」 ってなものだ。

それで、我が家は東日本大震災から 2年間、エアコンのコンセントを抜きっぱなしにした。本当に、真夏でも汗をだらだら流しながら耐えたのである。そして家中の照明を一気に LED 化した。それまでも白熱灯が切れる度に LED に置き換えていたのだが、この際とばかり、すぱっと切り替えたのである。

つまり我が家は蛍光灯をすっ飛ばして、既に LED 化を終了しているので、今さら蛍光灯がなくなっても全然困らないのだ。やる時は一気にやっちゃった方がいい。

ちなみにエアコンに関しては、真夏のどうしようもなく暑い時に限り使うようにしている。さすがに還暦を過ぎるとやせ我慢もきかなくなってきた。しかし今年から導入した太陽光発電パネルのおかげで、エアコンを点けても自前の発電量の方が大きいので、「文句あるか」 ってなもんだ。

太陽光発電と LED、オススメである。地球に対する後ろめたさというストレスが、ものすごく軽くなる。

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2015/11/25

「12ケース乱雑放り込み法」 という書類整理

紙の書類の整理が下手な私だが、どうやら 2年以上まともに続いて成功している方式がある。それは今年の 1月 17日の当ブログで紹介した方法だ (参照)。下の写真のように、単に月ごとの書類を 12個のファイルケースに乱雑に放り込んでいくというだけの、メチャクチャ簡単なやりかたである。

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書類に穴をあけ、フォルダに綴じていくなんていう几帳面なやり方はとうてい性に合わないので、このやり方にたどり着いた。とにかく過去 1年間の書類はこれで保存しておけるし、1年以上経ったらごっそりと捨てるだけだ。迷わず捨てて、困ったことは一度もない。そして本日、この方式に 「12ケース乱雑放り込み法」 と名を付けてみた。

今年 1月の記事でも書いたのだが、書類を紙の形で保存するなんてのはほとんど 「気休め」 であり、後から取り出して使うなんてことはあまりない。ざくっとした印象でいえば、8割以上の書類は 2度と取り出してみる必要はなく、そのまま 1年後に廃棄されるだけだ。

問題は残る 2割の書類を、たまに取り出して確認してみる必要が生じるということである。そんな場合でも、大体いつ頃の書類かさえわかれば、さっと取り出して見ることができる。そして用が済んだらまた同じ場所に、ごく乱雑に放り込むだけだ。

この方式が 「気休め」 というのは、今どきはほとんどの書類をデジタル・データで処理しているので、本当に必要な書類は PC の中にあるからだ。私は、紙の書類はご覧のように乱雑に保存してあるだけだが、デジタル・ファイルはとても綺麗に整理してある。

その理由は簡単だ。デジタル・ファイルは保存するときにしっかりと最適なフォルダに保存すれば、あとは何度開いてみても、「閉じる」 をクリックすれば一瞬の間に元の場所に戻るのである。紙の書類はいちいち元の場所にしまい直さなければならないが、デジタル・ファイルはその手間がいらない。

これは本当に福音なのである。紙の書類の整理が面倒なのは、出してみる度にしまい直さなければならないからで、それを怠ると始末に負えないほど乱雑になってしまう。ところがデジタル・ファイルは、最初にしっかりとしまっておけば、後は 「閉じる」 だけで自動的に元の場所に戻るのだ。

だからこそ、どっかの会議で配られた紙の書類なんて、「気休め」 みたいなやり方で保存しておけばいい。「気休め」 で済むからこそ、2割ぐらいの割合で生じる 「ちょっと取り出して見るだけ」 とかいう必要性に関しても、ささっと対応できる。

それ以上にシリアスに必要な書類だったら、紙の形ではなく、デジタル・データとして送ってもらえばしっかりと保存できる。それだけのことだ。

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2015/11/24

マイナンバーが届いた

昨日、マイナンバーの通知書が届いた。私は不在だったのだが、妻が簡易書留を受け取ってくれていた。思っていたよりずっと簡単に受け取れたらしく、「あっけなすぎ」 なんて言っていた。

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封筒を開けてみると、家族のマイナンバーを通知するカードが入っていて、それぞれに 「個人番号カード交付申請書」 なるものが付いている。これに記入して申請すると、いわゆる 「マイナンバーカード」 というものがもらえるらしい。同封されたパンフレットのようなものには、このカードを是非持ってもらいたいみたいなことが書いてある。

しかし私は、当面はそんなカードは申請しないでおこうと思っている。もってなくても全然不便はないし、あればあったで気苦労の方が多そうだからだ。それにカードの運用に関しては当面はいろいろな予期せぬ問題が発生しちゃうだろうから、それらが一巡するまで待っても遅くはなかろう。

それに、先月 18日の記事には下記のようなことを書いていて、その考えは今でも変わっていないのだよね。

個人番号カードなんて案外まともに機能しなくて、10年後には 「そういえば昔、そんなカードがあったねえ。ウチでも引き出しの奥で眠ってるはずだけど」 なんてことにならないとも限らないし。

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2015/11/23

「楽することに罪の意識を感じる」 傾向

ちょっと古い話になってしまって恐縮だが、今年の秋頃に 「日本の学生のパソコンスキルは、先進国で最低レベル」 というニュースが話題になった。

15歳の生徒を対象とした調査によると、表計算ソフトでグラフを作れる者、パワーポイント等でプレゼン資料を作れる者の割合は、日本ではどちらも約 30%程度だが、これは調査した 45カ国のなかでは断トツに低い数字で、ちょっと数えてみると、対象国の 3分の 1 以上となる 16カ国の生徒は、70%以上が 「どちらもできる」 と回答している。

さらに、内閣府が 2013年に 7カ国の 10代の若者を対象として実施した調査によると、PC の所持率は大差のついた最下位で、ケータイ、スマホは辛うじて 「あまり大きな差のない最下位」 である。「なんだかなあ」 と思ってしまうのは、携帯ゲーム機器の所持率がトップということだ。

先日、30代半ばの知人と半日一緒に行動する機会があったので、この方面の話をしてみたのだが、彼も 「中年以上の人たちは、『若い層はとくに教わらなくても PC を使いこなせる』 と誤解しているようですが、そんなことないですよ。若くても PC を使えないヤツはものすごく多いです」 と言っていた。「僕らの年代は、メールと LINE ができれば、それで OK と思ってるんですよ」

私は近頃、「日本人は基本的に、PC やスマホは 『悪』 と思っているんじゃないか」 と思うようになった。中学校では生徒のケータイの所持を禁止しているところが多いらしいし、高校でもやたらと制限を付けているところがある。どうも社会的心理の奥底で抵抗があるようなのだ。

最近私はこれに関して、「日本人は生産性や効率を優先するこを嫌う」 と考えるに至っている。汗をかいて苦労して、面倒な思いをして仕事することが 「善」 で、手間を省いて楽して片付けることをよしとしない。

例えば、メールの決まり文句、「お世話になっております」 なんて文言は、1年間に 何百回打つかわからないのだから、私は 「おせわに」 という短縮形で単語登録してある。同様に 「よろしくお願いいたします」 も 「よろおね」 だ。さらに、関連の深い企業名や個人名といった固有名詞も、短縮形で単語登録してある。こうすることで誤変換で失礼なことになるのも防げる。

ところが業務で PC を使っている連中でも、単語登録を効果的に使っているのは極めて少ない。「どうしてやらないの?」 と聞くと、「いちいち登録するのが面倒」 なんて言い訳をするが、私にしてみれば、たった一度 10秒ぐらいの手間をかければ、あとは一生楽ができるのに、どうしてやらないのかと思う。

効率を無視して面倒な手順の方に流れるのは、根源的にはどうやら 「楽することをよしとしない」 という潜在的メンタリティによるのではないかと、ようやく気がついた。単なる決まり文句の挨拶文でも、きちんとキーを打たないと失礼にあたるんじゃないかと、心のどこかで恐れている。

馬鹿馬鹿しいことのようだが、名刺をもらう時にはかしこまって両手でおしいただかなければならないと教育される国だから、そうしたことが潜在意識にまで叩き込まれているというのは十分にあり得る。

まあ、そうした 「誠実な心情」 はわからないでもないが、業務で何百回も何千回も使う定型文なんだから、一度単語登録してしまうと、その快適さからは離れられなくなる。ましてや固有名詞になると快適さというレベルだけではなく 「隆史」 さんを 「孝志」 さんなどと変換してしまうリスクを回避できるので、必須の業務手順に加えるべきですらである。

ところが日本人の多くはどうやら、「得意先の部長の名前を単語登録して楽に打つなんて失礼なこと」 などと、心の片隅で引っかかっているフシがある。そんな余計なことを考えているせいで、公式文書で宛名を誤変換して顰蹙を買ったりする。

日々の暮らしであまりにも効率優先になると 「ちょっとした喜びの発見」 がなくなって、知らぬ間にストレスがたまったりしてしまうが、少なくともオフィス・ワークにおける PC を使ったルーティーンでは、楽できるところでは楽する方がいい。「楽することに罪の意識を感じる」 という傾向が心の片隅にあるものだから、日本の生産性はいつまで経っても上がらない。

ちなみに私は昔から楽をするのが大好きだから、千以上の単語や決まり文句を単語登録してある。おかげで業務がはかどりすぎて、人の分まで仕事を手伝うことになり、ますます面倒なことになるのが不本意だったが、今は独立して基本的に自分の仕事さえこなせばいいので、快適にやっている。

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2015/11/22

ホテル事情が落ち着くのはいつ頃なんだろう

外国人観光客の急増で、ホテルがタイトになっていることについては前にも何度か触れた。本当に近頃、ホテルが予約しにくいのである。とくに東京 23区内なんて、1週間前になるとカプセルホテルに至るまで、予約しづらい状態になる。

予約しづらいのは、東京 23区内だけでなく、京都、大阪などの大都市圏でも同様で、まともなホテルに泊まろうとすると、かなり周辺のベッドタウン的なところまで行かなければならない。さらに最近では、外国の観光客も地方の観光地まで足を伸ばすようで、とくに夏休みなどのハイシーズンでなくても、小樽、長崎、那覇などのホテルも取りにくくなった。

こんな状態がますますひどくなったら、2020年の東京オリンピックの年なんて、本当にホテルに泊まれなくなってしまうんじゃないかと心配になる。近頃は数人で部屋をシェアするなど、いろいろな形態のホテルが新規にサービスを始めているらしいが、そんなんでは焼け石に水のような気がする。

ただ、中国のバブルが完全に弾けちゃったりしたら、今度は一転してガラガラになってしまうだろうから、新規増設にもリスクがつきまとう。そんなに急にホテルが増えるなんてこともなかろう。

だったらもう、中国の経済が落ち着いてしまって、日本に押し寄せるような勢いがなくなってしまったら、日本のホテル事情も需給バランスが取れるに違いない。その日が来るのは、一体いつ頃なのだろうか。

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2015/11/21

特攻隊と自爆テロ

誰と誰がなんて無粋なことを言ってもしょうがないからあえて明らかにはしないが、Twitter 上で太平洋戦争末期の特攻隊と IS の自爆テロとを、「同じだ」 とか 「明らかに違う」 とか、感情的なまでに言い合っているスレッドがある。

宣戦布告を交わした戦争中の軍艦を対象にした特攻隊と、平時の一般人をも巻き込む自爆テロとは、明らかに違うものだ。しかしその攻撃を仕掛ける者の精神的なモチベーションに限ると、あえて倫理的な要素を度外視すればかなり共通したものもあるだろう。

このように特攻隊と自爆テロとは、共通した側面とまったく違う要素が混在している。それをして、明らかに相容れない 2つの立場から 「同じだ」 「明らかに違う」 と言い合いしても不毛なことで、得られるものはなさそうに思われるのだ。

それは煎じ詰めれば、世の中には 「正しい歴史認識」 なるものがあるとして、相手に対してそれを認めろと一方的に迫る態度である。私はそれは戯れ言に過ぎないと言っている (参照)。近頃の韓国の反日主義による一方的な歴史認識に関して 「なんだかなあ」 なんて思う日本人が増えたが、特攻隊と自爆テロの問題になると、韓国と同じになってしまうのはナンセンスである。

私の父は少年の頃に志願して予科練に行き、特攻隊に選抜された。幸か不幸か、特攻攻撃をかける前に終戦になって生き残ったのだが、いつも 「俺はイスラム過激派の連中と同じことをしようとしていたんだ」 と、半ば自嘲的に語っていた。そしてそうした経験があるからこそ、戦時中の日本のやり方については、かなり批判的だった。

しかし特攻隊を完全に否定してはいなかった。当時の日本の軍国主義にかなり批判的でありながらも、特攻隊員の意識の底にはある種崇高な精神性が宿っていたことを、いくら否定しようとも否定しきれないと考えていた節がある。それについては、息子である私も共感するところだ。

ものごとというのは、一方的な視点でまとめてしまおうとしても、それは不可能なのである。現実というのは、いろいろな要素が矛盾を包含しながらとぐろをまいてしまっているのだから、その矛盾を認めなければ必ず一方的な見方に堕してしまう。

そして矛盾だらけだからこそ、どんな処方箋をもってしても完全な解決なんてできないのだ。

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2015/11/20

「ホワイエ」 を巡る冒険

ロビーのことを 「ホワイエ」 なんて言うようになったのはいつ頃からだったろう?

記憶を辿れば、この言葉は新しいカタカナ語好きのファッション業界で遅くとも前世紀末には当たり前に使われていたから、カタカナ語としてある程度認知されてから、少なくとも 20年ぐらいは経っていると思う。

初めのうちは 「どうしてフツーに 『ロビー』と言わないのだろう?」と思っていた。そのうちに、まあ、カタカナ語でいろいろ言い代えるのが好きな業界だから、「チョッキ」 を 「ベスト」 とか 「ジレ」 とか言いたいのと同じようなものと理解した。(英和辞書で "gilet" を引くと 「チョッキ」 と出てくる)

しかしそのうちに、いくらなんでも 「ホワイエ」 の標記と発音はダサいだろうと思うようになった。ちょっと調べればわかることだが、これは元々はフランス語のようで、つづりは "foyer" である。発音は 「フヮイエ」 って感じ。頭にアクセントはおかない。

それから、この言葉の元々の意味は 「火」 とか 「暖炉」 とかいうことのようなのである。そこから 「人の集まるくつろぎの場」 というわけで、英語のロビーとほぼ同じ意味でも使われるようになったらしい。

英語にも外来語として入っていて、フツーは 「フォイアー」 って感じで発音する。スノプな連中はフランス語的に発音して、最後に 「ネスパ?」 なんていうのかもしれないが。

待てよ、そうすると、"foyer" って、英語の "fire" と共通した語源になるんだろうか? その疑問からあちこちググって調べてみると、「火」 というのは世界の言語でかなり共通した要素を持つ言葉というのがわかった。

そのフランス語バージョンが "foyer" で、英語バージョンが "fire"  である。ちなみに、ドイツ語では "feuer"、スペイン語では "fuego"、イタリア語では "focolare"、中国語では「火」(フォア) となる。日本語は 「火」 で、奈良時代の発音を昭和の世に伝えていた私の祖母は 「フィ」 と発音していた (参照)。

ものごとは調べてみるものである。火というものは、人類文明の中でかなり根源的な意味合いを持つもののようなのだ。

最後に付け加えるが、私はフツーの会話で 「ホワイエ」 という言葉を使ったことは一度もない。あまりにも気恥ずかしくてね。

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2015/11/19

心をコントロールすることと体の関係

3日前の記事の続きである。慢性腰痛はストレスによるところが大きいとわかってきているが、実は腰痛だけではない。心や体の不調の多くは、ストレスに関係がある。ガンですらストレスが大きな要因となっている。まさに 「病は気から」 である。

9年前に 「ビスケット 1枚で元気が出る不思議」 という記事を書いた。登山でシャリバテになり、腹が減って一歩も動けなくなった時に、ビスケット 1枚かじるだけで、すぐにまた歩けるようになるという話である。

腹に入れたばかりのビスケットが一瞬で消化され、エネルギーに変わるわけがない。そのプロセスは時間がかかるはずなのに、すぐに歩き始められるというのは、脳の働きによるものなのだろう。

シャリバテする時というのは、「食糧補給がままならないみたいだから、これ以上の運動は止めろ」 と、脳が命令しているに違いない。そしてビスケット 1枚食べた途端に、「なぁんだ、食料補給がままならないと思ったのは勘違いだったから、運動再開してもいいよ」 と、脳が命令するのである。すると、何事もなかったように歩き始められるのだ。

かくのごとく、心と体は密接に関連している。それがわかれば、心をコントロールすれば大抵の体の不調は解消できるということになる。もっといえば、心のコントロールが上手になれば、病院や整体治療院通いで大金を使わずに済むことになる。

さらに、物理的に食べることよりも脳内の働きの方がずっと重要なのだとわかれば、ダイエットにも役立つ。そんなに必死になって食べ物を腹の中に入れてやらなくても、動けなくなったり死んだりすることは決してないのだ。それさえ心の奥底で理解できれば、つい食べ過ぎて太ることもなくなる。

問題は 「心のコントロール」 といっても潜在意識にまで関わることだからすぐにできるというわけではなく、結構なトレーニングが必要になるということだ。継続的な 「瞑想」 が体にもいいというのは、こうした視点からも説明がつく。それを 「非科学的」 と決めつけるのは、実は科学的視点からも時代遅れになりつつある。

「ない」 ということを証明するのは、「ある」 と証明するよりずっと難しい。まだ十分に解明されていないというだけのことを、安易に 「非科学的」 と決めつけるのは、それこそが非科学的態度というものだ。

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2015/11/18

タブレットと PC

Apple のティム・クック CEO は、「Mac と iPad の融合型製品には興味がない」 と断言しているらしい (参照)。これは Microsoft を意識しての発言だろう。競合商品 (とみられる)MS の Surface Book に関しては前にも 「タブレットであると同時にノートブックでもあろうとしているが、結局どちらにもなれていない。薄っぺらな製品だ」 と酷評している (参照)。

Apple は結局、タブレットと PC を別のカテゴリーとして進化させたいのだろう。一つのマシンで両方の機能を持たせている Microsoft とは正反対の路線である。私としては、方向的には Apple の方が正しいと思う。

私は先月末にも書いた (参照) ように、iPad Pro を買うよりは、MacBook Air を買いたいと思っている。つまり私自身は iPad を使うべきユーザーではなく、それではこなしきれない専門領域に、ちょっとだけ踏み込んでしまっているユーザーなのだ。

しかしコンシューマー・ユーズに徹しているごくフツーのユーザーは、MacBook なんて買う必要がない。それよりも、画面が綺麗で使って楽しい iPad の方がずっとニーズに合っているだろう。

確かにこれら 2つのニーズに対応するには、何も 1つのマシンにまとめてしまう必要はなく、それぞれのマシンとして進化すればいい。逆に Microsoft は、結局のところタブレットを 「お手軽な PC」 にしてしまいたいのだろう。これは私からすると、「タブレットの意義をわかっていない」 ことによる路線ということになる。

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2015/11/17

ファッションはカッコ悪い

つい 10年ぐらい前まで、私は繊維産業をバックグラウンドとしていて、とくにアパレル業界関連で収入の大半を得ていた。しかし正直言ってこの業界、深く関われば関わるほど、愛着が薄れていくのだった。そして今、私はアパレル業界とはほとんど関わりのないところで収入を得ている。

どうしてアパレル業界への愛着が薄れてしまったのかというと、構造的に 「持続可能なビジネス・モデル」 を作りにくい産業だと気付いたからである。ファッションというのは基本的に、「古いものをどんどん捨てて、新しいものをどんどん買う」 という消費モデルがないと、利益を上げられないのだ。

それで、「2015-16 秋冬コレクション」 なんてものを発表してしまったらすぐに、「1016 春夏コレクション」 の製作に取りかからなければならない。今はもう 「2016-17 秋冬コレクション」 を視野に入れている頃だ。どんどん新しいものを作り続けなければならない。

新しいものを作って、それを買ってもらうためには、古いものをどんどん陳腐化させていかなければならない。1年前に作ったものを自分で陳腐化させて、新しいものを買ってもらうというのが、ファッション産業の基本的なビジネス・モデルである。

つまり、「まだ着られるもの」 を 「もう着られないもの」 にしていくのが、ビジネスとしてのアパレル産業なのである。「ファッション人間」 といわれる人たちは、そうした意識付けをリードする人たちだ。私はアパレル業界でメシを食いながら、「ファッション人間にはなりたくない」 という思いを年々強くしていたのである。

もちろん、ファッションには別の価値感も存在する。「いいものを長く着続ける」 ことに価値を見出すトラディショナルな消費者もいるのである。しかしアパレル産業はそうした 「趣味のいいライフスタイル」 をあまりオススメしない。それをやられてしまったら、自分たちが干上がってしまうからだ。基本的には 「どんどん買って、どんどん捨てる」 ことで成り立っているのだからしょうがない。

さらに、繊維産業は石油産業とともに 「最大の環境汚染源の一つ」 と言われている。その最大の要因は、「染色」 の工程だ。繊維を染めるために、繊維業界は大量の水を使い、化学染料で汚染して、河川に垂れ流しにしている。中国は今、それで環境を汚染しまくっているのだ。

今、繊維業界は環境意識を高めようとして、節電や紙資源の節約などを呼びかけている。しかし基本的にファッション業界というのは紙を大量に使う。デザイン画を何度も描き直し、パターンを何度も引き直し、仕様書を何度も書き直し、挙げ句の果てに製品ラベルやラッピング、ショッピングバッグにまで紙を使いまくる。

本来は紙を使わずにデジタル・データでやっていけるはずなのだが、ファッションに関わる感覚人間たちは紙でないとピンとこないみたいで、やはり紙をどんどん使いまくる。元々資源を無駄遣いし、水を汚す構造の上に成り立っているのだから、ほんの少しばかり省エネを心がけたところで、持続可能なオペレーションとはなりにくい。

私はこれまでの 「ファッションはカッコいい」 という意識を、「ファッションはカッコ悪い」 という方向に変えなければならないとまで思っている。ちょっと考えてみれば、本当に時代遅れでカッコ悪い産業なのだ。

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2015/11/16

慢性腰痛は心的ストレスによるところが大きいらしい

慢性腰痛の多くはこれまで原因不明とされてきたが、実は心的ストレスが大きな要因となっていることがわかってきているのだそうだ。福島県立医科大学の紺野愼一教授は、それに着目して 「リエゾン療法」 という療法を提唱しているという。

もののわかった人に聞くと、米国辺りでは腰痛とストレスの関係は既に常識になりつつあって、日本は 30年遅れているという。腰が痛いと言ってはやたらと湿布薬を貼ったり、マッサージや整体に通って一時的に回復し、またすぐにぶり返すという悪循環に陥っている人が大勢いる。(参照

整体やマッサージの世界では、「腰痛治療の名人」 といわれる人が大勢いる。そんな人にかかると、骨盤が歪んで片方の足が長くなっているだの何だの言って、妙にグリグリやられ、その直後は確かに楽になったような気がする。

これ、実は私もかなり昔のことだが、経験がある。体をあちこち捻られ、骨がボキボキ音を立てたりすると、本当に楽になったような気がするのである。しかし腰痛の原因がなくなったわけじゃないから、またすぐにおかしくなる。そしてまたその 「名人」 の元に通う。

しかし 2〜3度通ったところで気付く。「これって、『楽になったような気がする』 だけなんじゃないか?」 と。いつまで経ってもそれに気付かずに、何十年も通い続ける人もいるかもしれないが、フツーは気付くんじゃないかと思う。

そう、「気がする」 というところがポイントなのだ。だから 「腰痛はストレスが原因」 と知った時もことさら反発を感じることなく、「そうなんだろうな」 と素直に思った。

いや、慢性腰痛だけではない。心や体の不調の多くは、心的ストレスによるところが大きいとわかってきている。ガンですらストレスが大きな要因となっているのだ。まさに 「病は気から」 である。

念のため断っておくが、私はマッサージや整体の人に恨みがあるわけでもなんでもないから、急性の腰痛で治療してもらうことまで否定しているわけじゃない。そのあたりよろしくね。

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2015/11/15

深い悲しみと戸惑い

昨日の朝早くから岐阜・長野方面に出張し、今日の 10時半過ぎに帰宅した。昨夜、長野のホテルにチェックインしたのもかなり遅くなってからのことだったので、パリの同時テロについては、「なんか、あったらしいな」 ぐらいには知っていたが、詳しい情報は得ていなかった。

ホテルでもニュース番組をじっくり見る前に、倒れ込むように寝入ってしまったので、128人も亡くなったとは知らなかった。今朝になって詳しい情報に触れて驚いた。そしてこの事態に対し、どんな反応をしたらいいのか、まだ戸惑っている。

Facebook ではフランスに連帯して、プロフィル写真をトリコロールに染め分けるユーザーが続出していて、 それに対して 「パリだけじゃない」 との批判も寄せられている。「パレスチナ、シリア、イラクではもっと多数の罪のない人々がテロの犠牲になっている」 というわけだ。まあ、私は自分の写真をトリコロールにする気はない。

繰り返すが、とにかく戸惑っているのだ。自分の立場を旗幟鮮明にできないのである。

深い悲しみは共有する。しかしだからといって、「テロとの戦い」 を声高に言う気にもなれない。何もしないわけにはいかないだろうが、戦いは戦いを呼ぶ。報復はさらなる報復につながるだけだ。

今は深い悲しみと戸惑いの表明だけにとどめておく。

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2015/11/14

いろいろいるからおもしろい

LGBT への差別撤廃を求める動きが、前よりはフツーに出てきた。その中で、LGBT に関する偏見を是正したいあまり、SNS などで「(LGBTである) 私たちに対する世間の見方は誤っている!」 という声高な主張も目立ってきている。

まあ、世間があまりにもステロタイプな偏見で見たがるので、LGBT である人たちはかなりフラストレイティブな状態に陥っているだろうから、そこから抜けだそうとしてつい主張しすぎたりするのも、わかるような気がする。しかしそれを言ったら、LGBT 以外にも職業や趣味などによってステロタイプな偏見で見られることにうんざりしている人は多い。昔は 「文士は肺病病みの社会不適合者」 という偏見があったしね。

私は性的マイノリティに関する偏見はほとんどもっていない。そもそも性的な自己認識は 10人いれば 10通り (あるいはそれ以上) あると思っているから、「こうでなければならない」 なんていう意識とは無縁である。

そもそも 「男らしい男」 であろうとしてマチョを気取っている男よりも、多少なよっとしている男の方が付き合いやすい気がしているほどだ。

「男らしい男」 であろうとしてマチョを気取っている男が苦手なのは、彼らの多く (全てではない) が 「男は男らしくあらねばならぬ」 という価値感に縛られているからである。個人的に 「男らしい男」 でいてくれる分には全然構わないが、他人にまでその価値感を押し付ける傾向にはうんざりしてしまうのだ。

煎じ詰めると、「自分はまとも」 と思っている人の多くは、「他人もそうでなければならない」 と思っている。セクシャリティの分野では、それがことさら顕著だ。「自分はまとも」 であっても 「いろいろいるからおもしろいよね」 と思ってくれさえすれば多くの問題は解決するのに、そうでないから、「いわゆるまとも」 以外の人はフラストレーションの塊になってしまいやすい。

「いわゆるまとも」 な人がこんな感じでゴーマンなので、LGBT 側でも先鋭化したセクターが出てきているのではないかと、私は思う。お互いに 「いろいろいるからおもしろい」 と、多様性を受け入れることができれば、多くのストレスが解消するはずなのに。

「LGBT が増えたら少子化問題が解決しない」 なんていう 「まともな人」 もいるが、余計な取り越し苦労である。あんまり増えないから、マイノリティなのである。

少子化問題を解決したいなら、職場のマタハラが生まれる構造を解消することの方がずっと重要だ。

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2015/11/13

駅までの移動は、基本自転車にする

30数年間、JR 常磐線取手駅の近くに月極駐車場を借りてきた。取手駅までバスで行くと、たった 8km ほどで片道 400円以上、往復で 1,000円近くのバス代になるし、やたらゆっくり行くので 30分ぐらいかかる。一方、クルマで行くと 20分足らずだし、燃費だって往復でガソリン 1ℓ ぐらい (120円ぐらいかな) のものだ。

それを考えて、毎月 8,000円を払って月極駐車場を確保していた。都心に務めていた頃は、月に 20日は使っていたから、定期券を買ってバスを利用するよりもずっと安上がりだったのである。しかし勤めを辞めて自宅をベースに仕事をするようになってからは、月極駐車場の稼働率はぐっと下がってしまった。

それでも、時々都心に出たり出張に出たりするときのために借り続けてきたが、これならバスを使う方がコストが安いと気付いた。バスだと往復に時間がかかり、終バスに乗り遅れるリスクもあるが、月に 1度ぐらいタクシーを使ったとしても (実際には年に 2〜3度ぐらいだろうが)、トントンぐらいで済む。

そしてさらに考えを巡らせ、自転車で行けばいいじゃないかと気付いた。駐輪場の定期利用にすれば、半年で 8,000円で済む。これまでの駐車場の 6分の 1 だ。雨さえ降らなければ、往復 1,000円近いバス代もかからないし、かなりお得な上に健康にもいい。駐輪場の一時利用ならさらに安いが、朝の早いうちに満車になってしまうので、常にスペースが確保される定期利用の方が安心だ。

そしてついに、半年の空き待ちの結果、つくばエクスプレスの守谷駅東口の駐輪場を確保することができた。これからは、都心に出るときは守谷駅まで自転車である。JR 常磐線より快適で、多少の雨風でも運休が少ないから、信頼性が高い。というわけで月極駐車場は解約だ。茨城県に越してきて 30年以上経って、移動手段ががらりと変わることになる。

人生、還暦を過ぎても革新が起こりうる。

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2015/11/12

リベラル保守の受け皿が出てきてくれないと困る

民主党の前原誠司元外相と細野豪志政調会長、維新の党の江田憲司前代表が会談して、民主党が「解党」 すべきだとの認識で一致したというのは、まあ、今さらどうでもいいが、解党しないよりはややマシかもしれないと思う程度に受け取った。ことほどさように、民主党には失望しているのだよ。

私は自分の政治的立場を 「リベラル保守」 だと思っている。基本的には保守だが、各論的にはかなりリベラルだ。一般的に日本の保守層にはかなりハードライナーが多くて、リベラルな方向には拒否反応を示すことが多い。例えば夫婦別姓や同性婚などは 「日本の伝統に馴染まない」 とかわけのわからないことを言って頭から反対するが、私は認めてもいいと思う。保守なんだけどね。

要するに立憲君主制に則ってリベラルな国家運営がなされることが、私の希望なのである。自民党は立憲君主制に則るという点では OK だが、リベラルな国家運営という点では、はなはだ心許ない。基本的に田舎のおっさんの集まりだから。

私のような日本のリベラル保守にとって不幸なのは、きちんとした受け皿となる政党が、この国にないことだ。先々月にも書いたことだが、自民党が 「右翼バネ」 を発揮すると、民主党が余計な 「左翼バネ」 を発揮して、昔の社会党みたいになってしまっている (参照)。それでは選挙になっても、私みたいな者の投票する先がなくなってしまうではないか。

私はこれまで、選挙があるたびにきちんと投票してきたが、そろそろ付き合いきれない気がしてきている。私みたいなものまで棄権するようになってしまうと、日本の投票率は壊滅的なまでに低下して、民主主義国家の名に値しないものになってしまう。

何とかして付き合いきれる政党が出現してくれないと、民主主義は危機から這い上がれなくなってしまう。民主党の解党がその第一歩になる可能性があるなら、やってみてもらいたいものだ。少なくとも、このまま社会党になってしまうよりはずっといい。

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2015/11/11

野球の国際試合は盛り上がらない

大抵の競技スポーツでは、国際大会が盛り上がる。とくにサッカーなんかは、普段は J リーグを見ない人たちでも手に汗握りながらワールドカップを観戦する。先日のラグビーに至っては、国内の試合なんかほとんど見たことのない層が、五郎丸のキックに熱狂した。その他でもバレーボール、アイススケート、陸上競技など、多くの国際大会は国内大会より注目される。

その逆なのが、野球である。今、WBSC プレミア 12 なる国際大会が開催されているが、あまり、というか、ほとんど話題になっていない。大体において、この大会が例の WBC (ワールド・ベースボール・クラシック) とどう違うのかも、あまりわかっていない。

野球の国際大会が盛り上がらないのは、本当の一流どころの選手たちが参加しないからだ。米国の メジャー・リーグの選手たちは、自分たちのポストシーズンに戦われるワールド・シリーズの勝者こそが本当の世界一だと思っていて、そこで活躍すれば収入が増えるから、そのほかの大会に出ようというモチベーションがない。

WBC やプレミア 12 の出場国は、いくら頑張ってもしょせんは MLB より格下としか見られないのだから、本当に命がけで頑張ろうという気になれないだろう。そんなわけで、大会自体も申し分のない権威とはならない。だから大会の運営もなんとなく垢抜けない。

そうなると、スポンサーも付きにくいし大々的なプロモーションもできない。大きな金が動かないと、魅力も生じにくい。「なんか、やってるみたいだな」 程度のことにしかならないのである。

それからもう一つ大きな要因は、野球とベースボールの落差である。日本人は野球が好きなのであって、ベースボールが好きなのではないんじゃないかという気がするのだ。中南米の国では野球が上手なやつは米国のメジャー・リーグで身を立てようと思うが、日本では自国のプロ野球がそこそこ盛んなので、そこで満足してガラパゴス化する。

最近は BS テレビで米国のメジャー・リーグの中継が行われるようになったが、ちょっと眺めているだけで、日本の野球とは雰囲気が明らかに違うとわかる。日本のプロ野球は、どうもエキサイティングな感覚に欠ける。別のスポーツを見ているような気さえする。

このままだと、日本の野球はどんどん 「ドメスティックなおっさんのスポーツ」 になって行くんじゃないかと危ぶまれるのである。野球観戦といえば、ゆったりとした進行のゲームを、ビール片手にだはだは言いながら眺めるイメージだが、サッカーはピッチと一体になった観客がピョンピョン 「縦ノリ」 しながら見ている。観客のシンパシーの度合いが違う。

今後は国際試合で盛り上がるスポーツでないと、発展は望めないんじゃないかと思うのだがね。

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2015/11/10

郵便の配達ミスは、想像以上に多いようだ

マイナンバー通知書の配達ミスが取り沙汰されている。別の家に届けてしまった事例だけでなく、簡易書留受け取りの際のサインを郵便局員が偽装するという不祥事まで起きている。

私はかなり前から、「郵便は時々ちゃんと届かないことがある」 と言い続けている。10年以上前に団体職員という仕事をしていた時、会員企業宛に一度に 300通以上の郵便物を送ると、10回に 1回は 「うちには届かなかった」 というクレームが来ていた。そのうちの半分ぐらいは、届いていたのに社内処理で紛失したのだろうと思うが、そうとも言い切れないケースもかなりあったのである。

というわけで私は、「郵便物は時々途中で消えちゃうから、必ず届くものと全面的に信頼するのはアブない」 とずっと言い続けていたのだが、周囲からは 「そんな馬鹿な」 と聞いてもらえなかった。日本人の多くは郵便局をよほど信頼しているものとみえる。

しかし 2012年 3月 29日の 「郵便物が途中で消える件」 という記事で、次のような事件について触れた。

郵便事業会社三島支店 (静岡県三島市) で昨年 5~11月、男性配達員の社員がはがきや封書などの郵便物 100通以上を配達せずに隠し、事実を知った当時の支店長らが協議の上、隠蔽のため一部をシュレッダーにかけて処分していたことが 28日、分かった。

やはり、郵便物がきちんと届かずに消えてしまうという事例はあったのである。そして今回、簡易書留を使ったマイナンバー通知書という、間違ってはならないケースでさえも配達ミスが生じるとわかった。ということは、普通郵便だったらごく当たり前に配達ミスが起きていたとしても、何の不思議もないだろう。

田舎に行くと、同じ地区に同じ苗字の家がずらりと並んでいることがある。そんなところでは配達ミスが日常茶飯事だそうで、住民同士で間違えて配達された郵便を届け合っているという話をよく聞く。住所の番地がちゃんと違っているのに、こんな具合に配達ミスはざらに生じる。案外いい加減なものである。

私は重要書類を送りつけなければならない時などは、郵便ではなく宅急便を使うことが多い。もちろんコピーは手元に残しておく。それ以上に重要な書類となったら、内容証明郵便ということになるだろうが、それはこれまでに 2度しか使ったことがない。

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2015/11/09

疲れた時こそ運動するといい

先月 29日に仕事の一環で赤城山登山をしたことには既に触れた (参照) が、それ以後もいろいろと体を使う仕事が続き、今月に入ってからはクルマで山梨県に行き (参照)、野外イベントに付き合ってから、3日の夜は大渋滞に巻き込まれながら帰宅した。その後も、6日まではあちこちにクルマで長距離移動して結構ヘトヘトになってしまっていたのである。

還暦を過ぎてしまうと、一晩ゆっくりと寝たところですっかり回復はしない。そこで 7日は 「積極的休養」 というのを実行してみることにした。これは筋肉疲労を取るには、ぐだぐだ寝て過ごすよりも軽い運動をする方がいいということで、ジョギングなどをする方が疲労回復になるというのである。

私の場合は筋肉疲労と神経疲労がミックスしてしまっていたので、いっそ自転車で長距離ポタリングでもする方が、体と神経の両方の疲れが取れるだろうと思ったわけだ。それで 7日の土曜日、雨は翌日の日曜日まで降らないという天気予報を信じて、朝から自転車で出かけたのである。

筋肉的にも結構疲れているので、さすがに走り始めはスピードが出ない。結構な向かい風でもあったので、いつもは時速 25km ぐらいで走っている道を、せいぜい 20km 前後で行く。午後になって折り返せば楽になると思っていたのだが、風向きというのは変わるものである。帰り道も案外な向かい風になった (参照)。

それでも、ペダルを漕いでいるうちに体がほぐれて、帰り道はコンスタントに時速 25km ぐらい出せるようになった。疲れで精神的にもぐったりしていたのに、だんだん元気まで出てきた。

この日は合計 70km ぐらい走ったのだが、走り終えると爽快な気分になっていたのである。やってみるものである。

そんなこんなで、「疲れている時には運動が一番」 なんて思っていた時に、"ランナーズハイは大麻と同様の効果? 「内因性カンナビノイド」に起因"  なんていう記事を読んで、「なるほど」 と納得してしまったのである。道理で身も心もすっきりするわけだ。

ランナーズハイというのは、長距離を走ったりある程度のまとまった運動をした後に気分がすかっとする現象を言うのだが、自転車で長距離を走ったあともかなりそんな状態になる。薬物を使わずに、自然にスッキリして、おまけにダイエットまでできるのだから、一石二鳥である。

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2015/11/08

スーパー・オタクは、別のマーケットを形成してくれ

「新しい (という気がする) もの」 を作り、提案し続けることによってメシを食っている人にとっては、「安心できるお馴染み」 的なものは、それだけで 「悪」 ということになるみたいなのである。Google のデザイン担当バイスプレジデントが、「Windows 10 はフラットデザインにした XP だ」 と批判しているという (参照)。

それは Matias Duarte という人なのだが、確かに Windows 10 に関して 「XP にフラットデザインのスキンをかぶせたもの」 とか 「10年前のWindows」 だとか tweet している。それだけでなく、「Windows 8で新しい試みをした Microsoft が好きだった」 なんてことも言っている。

こうした主張を聞く度に私は、「OS としての Windows のバージョンアップは、そういう 『新規 のものが好きな人たちだけの楽しみ』 としてやってもらいたい」 と思うのである。Windows を 「楽しみ」 としてでなく、単に 「日々の仕事の道具」 として使っているユーザーの多く (本当は 「圧倒的多数」 と言いたいのだが) は、「余計なバージョンアップは迷惑千万」 と感じているはずだ。

例えば、クルマを 「楽しみ」 ではなく 「移動のための道具」 として使っているドライバーは、アクセル・ペダルやブレーキ・ペダルの位置を変更されたり、方向指示器の使い方を 「画期的なもの」 なんかにされたら、「大迷惑」 と感じるどころか、命の問題になってしまうだろう。

PC の場合は多少戸惑っても命の危険はないのでまだマシだが、それでもいっぱしベテランの PC ユーザーを自認していたのに、いきなり初心者レベルにまでたたき落とされたような気がして、大変なストレスになる。新しいシステムを試すのが楽しみで PC を使っているのではなく、日々の仕事を効率よくこなすために使っているだけなのだから、それは当然の反応だ。

PC 関係のプロが喜ぶものと、フツーのユーザーが求めるものとの間には、今ではかなり大きなギャップが生じてしまっている。革新的なファッション・デザイナーの作るぶっとんだ洋服をみて、フツーの消費者が 「そんな服、一体どこに着ていくの?」 と感じてしまうような感覚と似たものがある。

私は最近、PC の世界でも 「アヴァンギャルドなユーザー」 と 「ベーシックなユーザー」 というカテゴリーを想定したシステム開発が行われるべきだと思うようになっている。クルマの世界で、「ポルシェでなきゃ」 というようなスポーツカー愛好者と、「フツーに動いて燃費がよければ、それでいいわ」 というベーシックなユーザーとに、同じクルマを提案してもしょうがない。それと同じである。

そのためにはちょっと逆説的に聞こえるかもしれないが、「ギンギンに革新的なシステム」 を求めるスーパー・オタク的なユーザーがある程度のマーケットを形成してくれなければならない。そうでないと、いつまでも圧倒的多数を占める 「フツーのユーザー」 が、ごく少数の 「スーパー・オタク」 のニーズに付き合わされて迷惑することになる。

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2015/11/07

「せーの!」 でジャンプするより、「縦ノリ」 の方がずっと強いらしい

昨日の "全人類が 「せーの!」 でジャンプしても、月の引力に全然敵わない" という記事に、ハマッコーさんからとても興味深いコメントをいただいた。

地球上の 60億人が一箇所に集まってジャンプしても何も起きないという。しかしこれは一昨年のニュースだが、大阪市浪速区のライブハウスで、観客らのジャンプにより、隣接する「クボタ」の本社ビルが大きく揺れて大迷惑を蒙っていたらしいのである。(参照

ロック・コンサートやスポーツ観戦などで観客が一斉にピョンピョンしちゃうのを、その世界では 「縦ノリ」 というらしい。この縦ノリで、隣のビルが揺れるほどの振動を発生させてしまうというのである。

平成 11年に京セラドームでライブが行われた時は、観客の縦ノリで、隣接するマンションが震度 3 相当の揺れを感じてしまったらしい。だったら、全人類が 「せーの!」 でジャンプしちゃったら、とんでもないことになってしまいそうだ。

しかし、ここでよく考えてみると、地上に集まった人間が 「せーの!」 で 1度きりのジャンプを行うのと、ビルの中に集まった人間が一定のリズムに合わせて継続的にピョンピョンするのでは、話が違ってくる。

まず、地上でのジャンプとビルの中でのジャンプという違いに注目しよう。野外コンサートで 1万人規模の観客が 「縦ノリ」 で大いに盛り上がっても、周囲で地震を感じたという話は聞いたことがない。ということは、ビルの中での継続的なジャンプは、まずそのビルを揺らし、そのビルの揺れが周囲に影響しているのだと考えられる。

さらに、1度きりのジャンプではビルだってそんなには揺れないだろう。やはり 「一定のリズムの継続的なピョンピョン」 つまり 「縦ノリ」 が問題なのだと考えられる。バケツに水を入れて運ぶと、いくら静かに歩いても、そのうちだんだん波立ちがはげしくなり、ついに縁から水がこぼれてしまう。これと同じように、「一定のリズムの継続的ピョンピョン」 が、ビルの揺れを激しくしてしまうのだと考えられる。

初めは小さな振動でも、同じリズムでずっとジャンプし続けられたら、それがだんだん増幅して大きな揺れになってしまうのだろう。そしてそのビルの大きな揺れが周囲に伝わってしまうのだと考えられる。

じゃあ、とてつもなく大きなビルを作って、とてつもなく多数の人間を詰め込み、そこで思いっきり縦ノリをしてもらうと、周囲は大地震になってしまうなんてことがあるだろうか?

これは相当に詳細なシミュレーションをしてみなければわからないと思う。単純に揺れが増幅して大地震並みに揺れるかもしれないし、あるいはどこかで波が干渉して打ち消し合う現象が生じて、揺れが大きくなったり小さくなったりしてしまうかもしれない。

もっと言えば、「そんな大きなビルなんか誰も作らないよ」 ということになるだろう。それにできたとしても、周囲に大地震を起こすより先に、自分のビルが壊れてしまわないか心配だ。最近はくい打ち施工のデータ偽装も横行しているし。

まあ、どうなるかは誰もわからない。どうせわからないのだから、人口の多い国は核開発なんかに金を使うより、「全国民で縦ノリしちゃうぞ!」 というのが、周辺国への最大の 「空恐ろしい脅威」 になるかもしれない。

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2015/11/06

全人類が 「せーの!」 でジャンプしても、月の引力に全然敵わない

約 11年前の記事で私は、「日本人全員が、タイミングを合わせて一斉にジャンプしてみたら、震度 1ぐらいの地震なら引き起こされるかもしれない」 なんてことを書いた。まあ、私自身の名誉のために付け加えれば、これはほとんどジョークとして書いたので、そのすぐ後にカッコ付きで 「(無理か)」 と付け加えている。(参照

ただ、いつもの悪いクセでつい興に乗りすぎてしまい、続けてこんなヨタ話まで書いている。

しかし、「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起こる」 というバタフライ効果があるぐらいだから、もしかしたら、海の向こうのカリフォルニアあたりで大地震を引き起こすことになるという可能性だって、ゼロではない。人口の多い国は、莫大な金をかけて核兵器なんか開発するよりも、「せーのでジャンプしちゃうぞ」 という方がずっと空恐ろしい脅威になったりして。

このことに関連して、今朝のラジオを聞いていたら、どんなタイトルだか忘れたが、最近の新刊書で、地球上の全人類 60億人が一箇所にあつまって一斉にジャンプしたらどうなるかという話に触れられていたそうだ。で、その本によると結論的には 「別に何も起こらない」 というのである。

念のためググってみたら、「Yahoo 知恵袋」 に、地球の質量は全人類の合計質量の 10兆倍以上だから、大型タンカーの上で蚤が跳ねるようなもので、何の影響もないという答えが載っていた。(参照

「ふぅん、そうなんだ!」 と私はある意味、感動してしまったのである。というのは、11年前の私の記事は、「月の引力は潮の干満を引き起こすだけでなく、実は地球そのものも微妙に変形させている」 という事実から発展したものだったのだ。月の引力のせいで、 1日 2回、地表面が約  20cmも上下するのだそうである。

月の引力の影響力というのは、それほどすごいものだったのだ。全世界の人間が一箇所に集まって、「せーの!」 でジャンプしても何も起こらないというのに、月は人知れず、毎日毎日 2度ずつ地面を 20cm も押したり引いたりし、時には地震発生の最後の引き金になっている可能性があるというのである。

人間は自然の力には敵わないと、つくづく思ってしまったね。

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2015/11/05

自転車で転倒しやすい三大要因

昨年暮れから自転車に乗り始めて 10ヶ月以上経ち、かなり体ができてきて、片道 30km 以内なら晴れてさえいればためらいなく自転車で出かけるようになった。時間の余裕さえあれば、片道 50〜60km ぐらいでも、それほど悲壮感なくひょいと出かける。これまでの最長は、往復 120km である。

考えてみれば、クルマでも 100km を越したらちょっとしたドライブだ。それでも自転車ででかけるというのは、自転車を漕いでいるとクルマでは得られない快感があるからだ。それに時速 20〜30km ぐらいのスピードで走っていると、クルマのスピードでは見えないものまで見えてきて楽しい。

ただしかし、自転車には危険がつきものである。その代表的なのが転倒だ。時速 10km 程度だったら、転んでも大したことはないが、その倍以上のスピードだと、転んだときのダメージは結構なものである。私も 1度だけだが、トラックの幅寄せを避けようとして歩道の敷石に接触し、派手にぶっ飛んで合気道の前受け身を取って助かったことがある。腕の打撲で、1週間以上痛かった。

自転車を長く乗っていると、大抵の人は 2度や 3度は派手に転んでいるようだ。転ぶ原因は、私の場合は敷石との接触だったが、圧倒的に多いのがスリップのようだ。クルマでは全然気にならないような物で、自転車はつるりと滑って転倒するのである。

私は転倒しやすい三大要因は、ブラックアイスバーン、濡れた鉄板、濡れ落ち葉だと思っている。

ブラックアイスバーンというのは、雪が凍って白くなっているのではなく、遠目からは単に路面が濡れて黒光りしているだけに見えるが、実は表面が凍結しているというものだ。東北以北では案外お馴染みでクルマの運転でも注意するのが常識になっているが、関東でも状況によっては発生するから注意しなければならない。

関東でブラックアイスバーンが多いのは、吹きさらしの橋の上や、日陰になった路面である。凍っているようには見えないので軽い気持ちで突っ込むと、微妙な重心の移動だけでものすごく派手にすっ転ぶ。

濡れた鉄板というのは、代表的なのがマンホールの蓋だ。それだけでなく、工事現場などで大きな鉄板で道路をカバーしていることもある。こんなのは、ちょっと雨に濡れただけでスケートリンクのように滑りやすくなる。都会というところは、街中の路面に滑りやすいものがある。

さらに今の季節は、濡れ落ち葉が滑りやすい。濡れ落ち葉がびっしりと重なっているなんていうのが、一番危ない。ちょっと傾斜のある路面でそんなところに乗り上げると、信じられないくらいに滑る。

もっと言えば、大雨などで道の端にたまった浮き砂なども案外滑る。自転車に乗っていると、こうしたことも含めて、周囲の状況に神経を集中しながらペダルを漕がなければならない。体だけでなく、案外脳トレにもなると思う。

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2015/11/04

「どてら富士」 というもの

故郷の山の姿というのは、誰にとっても格別な思いのある者だが、富士山となると、これはもう、日本人全ての 「故郷の山」 みたいなものなんじゃなかろうか。旅をしていて富士山の姿がきれいに拝めると、ほんとうに感動する。

昨日、仕事で山梨県に行ったとき、富士山の姿がきれいに眺められた。しかしよく見ると、反対側は雲に蔽われているようで、多分東海道新幹線の窓からは、雲の上に頂上だけがぽつんと見えていたのではなかろうか。

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富士山には実にいろいろな見え方がある。昨日のような富士山を、飛行機の上から見たことが 2度あり、どちらも写真に収めておいた。飛行機からはこんな風に見える富士山が、地上からは昨日のように見えるのだと思う。

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どちらも、どてらを羽織ったように見えるので、私は密かに 「どてら富士」 と名付けている。雲のもこもこ感覚が、どてらに見えてしまうのだ。

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2015/11/03

「バイキング料理」 という言葉

昨年 9月 9日の記事で、「バイキング料理」 についてちらっと触れた。英語のつもりで "viking style" なんて言っても、これは和製英語だからまず通じない。英語では "smorgasbord" というらしいのだが、実際の場面で使われているのを聞いたことがない。フツーは "buffet" (英語式の発音は 「バフェイ」 と聞こえる) というようだ。

「バイキング料理」 と聞くと、北欧の海賊たちが大盛りにした料理を自分の皿にとって、わしわし食いまくる情景を思い浮かべる。誰だか知らないが、昔の日本人が考え出した言葉なのだろうと思っていたが、その発祥は明確には知らなかった。それでふと気が向いて調べてみたら、あっけないほどすぐにわかった。

Wikipedia の 「食べ放題」 というページに、次のような記述がある。

1957年(昭和32年)、当時の帝国ホテル支配人の犬丸徹三が旅先のデンマークでスモーガスボードを目にしたのがきっかけとされる。犬丸は内容的に「これはいける」と確信し、当時パリのリッツ・ホテルで研修中で後に帝国ホテルコック長となる村上信夫に料理内容の研究を指示した。一方「スモーガスボード」が非常に言いにくく馴染みが無いものだったため、新しいレストランの名称を社内公募した。その結果「北欧と言えばバイキング」という発想と、当時帝国ホテル脇の日比谷映画劇場で上映されていた『バイキング』(1958年)という映画の中の豪快な食事シーンが印象的だったことから、これを『バイキング』と名付けることに決定[2]、帝国ホテル内に『バイキングレストラン』を1958年(昭和33年)にオープンした。このレストランは大変好評を博しバイキングはビュッフェレストランの代名詞となった。

いやはや、事の発端が帝国ホテルだったとは知らなかった。裏を取るために帝国ホテル自身のサイトをみると、確かにそのように書いてある (参照)。もっと庶民的な、上野か浅草の大型の食堂か何かかと思っていたが、なんと超一流ホテルのレストランだったわけだ。

少し考えてみれば、それもなるほどと納得がいく。戦後しばらくの日本では、欧米の新しい習俗を採り入れる時に、向こうでは庶民的なものでも、当初は 「高級路線」 にしてしまうのが常だった。

あのマクドナルド・ハンバーガーでも、第一号店は銀座にオープンしたのである。「アメリカのお洒落な食べ物」 として訴求し、受け入れられたのだった。とにかく、「舶来は高級」 でなければならなかったのだ。今から見れば、隔世の感がある。もしかしたら今の若い子たちは、「舶来」 という言葉すら知らないかもしれない。

そして上述の Wikipedia ページによると、この 「バイキング」 という言葉は、日本経由でシンガポールに入り、彼の地では一般的に使われるらしい。「日本でしか通じない」 というわけでもないことの、唯一の反証といえるだろう。

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2015/11/02

「談合坂ほうとう」 のサンプルと実物が違いすぎる

食い物屋、レストランで、サンプルやメニューの写真として表示されているものと実際に出されるものが、ものすごく違うことがある。サンプルはボリュームたっぷりなのに、実際の料理の量は半分ぐらいだったりすることは珍しくない。

とはいいながら、見るからにまったく別の料理に見えてしまうというケースは、それほど多くない。「一応同じ料理に見える」 というのは、重要な要素である。そうでないと、出された料理に 「何だ、こりゃあ?」 と言いたくなってしまう。

今日は、中央道を通って甲府に来ているが、途中の談合坂 SA で食事をして驚いた。フードコートの 「瓦家」 という店で 「談合坂ほうとう」 というのを食べたのだが、サンプルと実際に供されたものが、あまりにも違いすぎる。

Img_4000

左がサンプル、右が実際に出された 「談合坂ほうとう」 である。食って腹の中に収まってしまえば同じかもしれないが、見た目は似て非なるものとしか言いようがない。面倒くさい人だったら、「金返せ!」 と言うだろう。

まあ、それも面倒だから、私としては素直に食べたのである。ピリ辛系でまずくはなかったから、一応許しておく。

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2015/11/01

茨城の 「よがっぺ運転」 というもの

私が縁あって居住している茨城県というところは、昔からクルマの運転が荒いと言われている。交通事故死亡者数は毎年全国のワースト 3 に名を連ね (時々は ワースト 1 になり)、とくに飲酒運転による死亡者数が多かったりする。

その運転は 「よがっぺ運転」 などと揶揄され、「このくらいはよがっぺ (このくらいはいいだろう)」 とばかりに、無茶苦茶なルール違反をする。「茨城県民は制限速度の 2倍までは出していいと思っている」 なんていうジョークもある。

30年以上前に茨城県に引っ越してきて、すぐに 「茨城は運転が荒い」 という噂が本当だったと思った。運転していて、目の前の信号が青から黄色、赤に変わることがある。そんな時、心ならずも停まらずに交差点を通過してしまい、「ちょっとヤバかったかな」 と思ってバックミラーを見ると、後ろから 3〜4台のクルマが続いて交差点を突っ切って来ていたりする。「よがっぺ運転」 というのは本当だと実感した。

そんな土地柄だから、スーパーマーケットの駐車場で、駐車スペースでないところにクルマを停める運転者は珍しくない。ちょっと離れたところを見ればいくらでも空いているのに、少しでもスーパー入り口に近いところに停めようとする。それがとんでもないところに勝手に停めるから、迷惑だったりする。

それにしても今回の目撃例は、かなり腹が立った。

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よりによって、盲人用の点字ブロックの上に軽トラックを停めている馬鹿者がいる。「よがっぺ運転」 にもほどがある。ちっともよかぁないのである。敢えてナンバーを晒しておく。

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