« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年12月に作成された投稿

2015/12/31

今年の私的 10大ニュース — エコ生活が進展

大晦日にあたって、今年の私的な 10大ニュースをまとめてみようと思う。自分のブログを今年の 1月から振り返ってみると、こんなところかなあという感じである。

  1. 自転車乗りが板に付いた
    自分用のスポーツバイクを買ったのは昨年暮れだが、本格的に乗り始めたのは今年になってからで、ずいぶん自転車乗りが板についた。仕事の現場まで片道 60kmの道のりを自転車で行っても、余裕で日帰りできる体になったのが嬉しい。
  2. 太陽光発電開始
    本来なら今年初めには工事完了の予定だったが、よほど工事が混んでいるらしく、遅れに遅れて 4月に稼働した。11月は雨が多かったので消費量が発電量をほんの僅か上回り、12月はまだ最終結果が出ていないが、トントンになりそう。それでもトータルで見れば、電力収支は十分黒字で、さらに金銭的には売電価格の方が高いから、ローンの支払いも、東電から買いっぱなしだった頃と比べると負担が軽い。オススメである。
  3. 軽自動車に乗り換えた
    子供たちが全員独立し、夫婦 2人で乗る以上のことは滅多になくなったので、軽自動車に乗り換えた。最近の軽自動車の性能は大したもので、力不足はほとんど感じていない。さらに自転車を使うことが増えたので、ガソリン消費量は飛躍的に減少した。
  4. 我を張ることが少なくなった
    還暦を過ぎて我を張ることが少なくなったので、生き方が楽になった。これは嬉しいことである。
  5. 取手駅前の月極駐車場解約、自転車に切り替え
    これまで月極で借りていた取手駅前の駐車場を解約し、つくばエクスプレス守谷駅前の駐輪場の定期利用に切り替え。エコ生活が加速している。
  6. 常総市の水害
    9月の水害は、本当に驚いた。地球温暖化の影響を身近に感じてしまった。
  7. 水害ボランティア体験
    上記の水害関連だが、この年になって始めて災害ボランティアを経験。これはなかなか貴重なことだった。
  8. 全都道府県制覇
    この夏に鳥取県に足を踏み入れて一泊し、これで全都道府県で一泊以上したことになる。さらにその 2ヶ月後に鳥取県への出張が入り、これで全都道府県に出張したということにもなった。
  9. 2度目の沖縄旅行
    大好きな沖縄に 2度目の出張で行くことができた。この時は三線を衝動買いしてしまった。安物だけどね。次は石垣島や宮古島にも行きたいなあ。
  10. カモガヤ花粉症
    今年の初夏、どうもおかしいと思ったら、カモガヤという植物のアレルギーによる花粉症を、夫婦揃って発症してしまった。個人的には春のスギ花粉症と合わせて、何の因果か 1年のうち半分は何らかの花粉症に悩まされる体になってしまった。

なお、エクストラ・ニュースとして、「リザーブ・ブログの更新を停止した」 というのを挙げておきたい。ココログが当てにならない時期が長かったので、しばらく保険の意味で別のブログ・サービスも利用していたが、最近はようやくまともになったココログに集中することにした。

こうして振り返ってみると、今年はとくに大きなことはなかったが、エコ生活が進展し、地に足の付いたライフスタイルになってきたような気がする。

それでは、よいお年を!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/30

寂寥感あふれる "RIZIN" という総合格闘技イベントを見て

日本では久しぶりの総合格闘技テレビ中継となった、フジテレビの  "RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX" というのを見たが、はっきり言ってわくわくしなかった。UFC と比べると、役者が落ちすぎるし、格闘技の中継の仕方もよくわかっていないようだった。

やたらと扇情的な演出で盛り上げたがっているのはわかるが、その内容が「昔の名前で出ています」 的な選手とまだまだこれからの選手の試合がほとんどなので、表面的な演出が上滑りしてシラける。さらに派手な音楽の入場シーンを延々と流すくせに、試合の 1ラウンド目を端折って 2ラウンド目から放送するなんていうのは、本末転倒だ。

メインの桜庭和志 対 青木真也の試合は、寂寥感が漂った。桜庭は何もできないうちに、1ラウンドでセコンドからのタオル投入で破れた。青木はレフリーに 「早く試合を止めてくれ」 と言っていたようだし、見ている私も 「さっさと止めろ!」 と心の中で叫んでいた。しかしレフリーは試合を止めず、タオル投入になった。あれはレフリーとして恥ずかしい結果だ。あんなことをしていては、選手が壊れてしまう。

しかし、桜庭はあのホイス・グレーシーを圧倒した往年の桜庭ではなく、試合前から既に壊れていた。ここ数年、出場した試合ではすべてボロボロに負けているが、コンディションが悪すぎると思う。何しろものすごくバランスが悪くなっていて、ちょっとしたはずみでダウンし、ボコボコにパウンドをくらう。

あれは酒の飲み過ぎから来てるんじゃないかと、私は疑っている。スポーツ選手が現役の頃から酒を浴びるほど飲んではいけない。

大晦日はさらに、「曙 対 ボブ・サップ」 なんていう試合が予定されているらしい。見世物小屋じゃあるまいし。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/29

「最終的かつ不可逆的」 を幻の流行語大賞に

昨日の記事で日韓の 「従軍慰安婦問題」 について、「この問題については、これ以上のことはあまり言う気になれない」 と書いたが、一つだけ書きそびれたことがあるので、ここで付け加えたい。

それは、この両国合意が 2ヶ月早ければよかったのにということだ。遅くとも 10月末あたりまでに合意に達し、マスコミが大きく取り上げていれば、12月 1日発表の 「新語流行語大賞」 では 「最終的かつ不可逆的」 というのが断トツの支持で大賞に選出されただろうに。

こんな時期の発表となってしまったので、もう来年の大賞の頃には色褪せてしまっているだろうから、返す返すも残念だ。せめて今年のうちに 「幻の流行語大賞」 扱いにしてあげたいものである。

それにしても、我々が普段 「最終的かつ不可逆的」 ということからいかに離れたいい加減な約束を連発しているか、ちょっと考えてみるだけで寒気がしてしまう。

結婚式で夫婦となることの誓いなんていうのは、「神の前での誓い」 という絶対的なものであるはずなのに、近頃は芸能人のみならず、ごくフツーのカップルでも簡単に離婚する。離婚するかもしれないのなら、あんなに嬉々として誓わなければいいのにと、私なんかいつも思ってしまうのだよね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/12/28

矛の納め時を逸すると、ヤバいことになりそうだから

年末ギリギリのタイミングで、日韓両政府が 「従軍慰安婦問題」 で合意に至った。もっと散々もめにもめたようなポーズを取った挙げ句に、「両国の苦渋に満ちた妥協によって」 とかなんとか言って、ようやく落としどころにたどり着いたりするものと思っていたが、こんなタイミングで呆気なく片付くとは予想していなかった。

とはいえ、考えてみれば例の産経新聞前ソウル支局長が、韓国外交部から出されたという何だかわけのわからない 「配慮を求める文書」 一発で、あっさり無罪になったということの裏側が、今になって 「なるほどね」 と理解される。せっかく舞台裏で話が進んでいるのに、妙な判決で日韓関係がこじれたらたまらんと思ったのだろう。

ただフツーの国の裁判所だったら、たとえそんなような 「配慮を求める文書」 なんてものを受け取ったとしても、表面上は知らんぷりをするところだろうが、判決前に律儀に読み上げたりするんだから、びっくりだ。ただ、そのくらいしないと、韓国内世論をなだめきれないと思ったのかもしれない。

要するに、舞台裏で結構話が進んでいたということだ。これまでさんざん噛みついてきた韓国としても、矛の納め時を逸するとヤバいことになりそうだと悟ったのだろう。まあ、いろいろあるからね。

この問題については、これ以上のことはあまり言う気になれない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015/12/27

忘年会と会社の看板

忘年会の季節である。その昔、団体職員などという名のサラリーマンをしていた頃は、12月に入ると週に 1度以上のペースで忘年会に出ていた。何とか部会、かんとか委員会など、自分の担当する集まりすべてで忘年会なんてものをやるから、こちらは酒浸りになってしまう。

こうした集まりの忘年会は、企業から手弁当で派遣されたメンバーへの一種の 「ご苦労さん会」 みたいなものなので、決まって会費無料である。ただで飲み食いできるのだから、メンバーは大喜びで集まる。そして年末とてやや羽目を外す。

しかし彼らは一度きりだからいいが、こちらは毎週 1〜2度それに付き合わなければならないのだから、いくらなんでもうっとうしくなる。思えば私は団体職員としていろいろな部会や委員会を担当し始めた頃から、大勢で酒を飲むのがだんだん嫌いになってきたような気がする。

仕事関係で大勢の宴会をやるというのは、かなり気詰まりなところがある。「今夜は無礼講で」 なんていいながら、日本のビジネス社会の縦割り感覚に根ざした慣行を守ることだけは、無言のうちにしっかり要求される。

そしてなんだかんだ言いながら、自分がいかに仕事のことだけ考えて生きているかを、さりげなくアピールする者が続出する。仕事以外の話をしても、当たり障りのない野球やゴルフの話なんかの他は、結局シラける。

私としては 「仕事のことだけ考えて生きているやつ」 となんか、あまり付き合いたいと思わないのだが、こうしたグループは同業者の集まりで、まあ、いわば仕事上での情報交換には格好の場となるから、みんな喜んで仕事の話に付き合う。無礼講だったはずの忘年会も、結局仕事の話に終始する。

しかしそうしたメンバーも年上の者から順々に定年になり、一度だけ型どおりの 「お別れ会」 なんかを開いてもらうだけで去って行く。そして一度去ってしまうと、仕事を離れたお付き合いを継続するなんてことは、極めて希なことになる。

たまに会社を定年になってからも独立して、それまでの仕事を継続する者がいる。そうなると、まあそれまでのいきさつもあるから、少しは付き合いが続く。しかしそれもやはり以前勤めていた会社の看板の威光が色褪せるまでの 2〜3年のことで、それ以上続くことは滅多にない。ある時期から急に疎遠になっていく。

70歳を過ぎても付き合いが続くのは、勤めていた会社の看板の威光が失せても、その人のもつ人間的魅力の方が優っている場合だけである。しかしそれは滅多にないケースだ。

今の私はもう完全に、大勢で酒を飲むのはうっとうしいと思っているオッサンだから、そうした 「滅多にない稀なケース」 の人間的魅力の勝ったオッサン (おっと、オバサンもいるか)と時々付き合えばいいという今の状況が、至極快適に感じられるのである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015/12/26

当たり前の中の一ひねり

ほんの些細なことだが、今年の夏に軽自動車に乗り換えて (参照)、自分のクルマの前の方のナンバープレートが横っちょにずれていることに気付いた。「ふぅん、真ん中じゃないんだ。へえ、そうなんだ」 と思ったものの、軽自動車のほとんどがそうだと気付いたのは、うかつなことについ最近のことである。

Img_4384

近所のスーパーの駐車場でみてみると、ほとんどすべての軽自動車のフロントのナンバープレートは、真ん中よりちょっと右側にずれている。左の写真をクリックすると拡大されるが、黄色のナンバープレート (軽自動車は黄色のナンバープレートと決められているらしい) は、ことごとくそうなっているのがわかるだろう。一方、普通車の白いナンバープレートはすべてきちんと真ん中に取り付けられている。

「へえ、ウチのクルマだけじゃなくて、軽自動車ってみんなそうなんだ。知らなかった!」 目からウロコとは、このことである。

軽自動車のナンバープレートが、ここまで揃いも揃ってずれてるというのは、きっと理由があるに違いない。まあ、普通に考えればラジエーターの関係なんだろうと想像がつく。軽自動車のラジエーターはやはり普通車のそれより小さいだろうし、クルマ自体の幅も狭いから、ナンバープレートで塞いで冷却効率を落とさないために、ちょっと横にずらしてるんだろう。

そう思ってググって調べてみると、果たしてその通りだった。当たり前すぎる結論で、ちょっとシラけてしまうほどである。

改めて考えてみると軽自動車というのは、「当たり前」 を突き詰めに突き詰めてデザインされているのだとわかる。軽自動車としての制約の中で最大限の性能と効率を実現するために、とことん当たり前を追求した結果が、こんなようなスタイルになるのだろう。

世の中には、「当たり前をとことん追求した結果のグッドデザイン」 と、「当たり前をうまく否定したグッドデザイン」 というのがある。そのどちらも美しい。そしてその中間に、「中途半端に当たり前のデザイン」 という広大なゾーンがあり、それらはあんまり美しさを感じない。まあ、「当たり前を下手に否定した結果、ぶちこわしになったデザイン」 というのよりは多少はマシかもしれないが。

「当たり前」 というのは、とことん追求するか、あるいは上手に否定してしまうか、そのどちらかでないとあんまり意味がないもののようなのである。

私としては、当たり前の中にさりげなくちょっとだけ当たり前を否定した 「一ひねり」 を加えたデザインというのが好みである。このブログも、そんなところを目指しているのだが、実はそれって、結構難しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/12/25

12年間の毎日更新を達成

私事で恐縮だが、この ”Today's Crack" は本日で 12年間連続での毎日更新を達成した。干支が一回りしてしまったのだから、まあ、結構な期間である。

ブログ・サービスというものが存在しなかった平成 14年 (2002年) から、個人サイト内のコラムとして描き始め、その年の 8月から、「ほぼ毎日更新」 になった。そしてさらに 4ヶ月後の 12月 26日から 「正真正銘の毎日更新」 になったので、本日で 連続更新 12年目を満了した。

この間、平成 16年 7月にこのココログのブログ・サービスを使い始めたので、更新作業がかなり楽になった。ココログのシステムはいろいろ不具合の発生する期間が長く、かなり苛立ったこともあったが、まあ、このブログ・サービスがなかったら 12年も毎日更新を続けることは難しかったかもしれない。

私はココログの有料会員だが、わずかばかりの会費でその機能をこれだけ使い倒すほど使っていられるのだから、その意味ではしっかりと感謝しなければならない。ココログさん、ありがとう。

ブログを毎日更新することで、一体何の得があるのかと聞かれることがある。はっきり言って金銭的な見返りはほとんどない。たまにこのブログを読んだ出版社から雑誌などの原稿を依頼されることはあるが、それほど何度もあるわけじゃない。

メリットがあるとすれば、多様な物事を多少は掘り下げて考えるクセが付いたと言うことかもしれない。ブログによくあるのは、「今日はこれこれのことをした」 という日記風の記事だが、私としては一応読者を意識しているので、「それがどうした」 みたいなことでは収めず、「これこれのことで、こんなことに気がついた」 というところまで掘り下げるようにしている。

例えば、普通一般では「 台風の語源は、英語の "typhoon" である」 ということで済まされがちだが、私は 「じゃあ、英語の "typhoon" の語源はどうなってるんだ?」 というところまで突き詰めないと気が済まない体になってしまった。そんなところから、4年前の 「台風の語源は英語の "typhoon" というけど……」 「『台風』 と "typhoon" と 『将軍』 の関係を巡る冒険」 という 2つのウンチク記事ができたりしてしまう。

それからつい最近まで私は、「こうしてブログの毎日更新を続けていられるのも、自分が健康であるおかげ」 と思っていたが、もしかしたら 「ブログを毎日更新し続けているから、健康でいられる」 という逆説も成立するかもしれないと気がついた。ブログを止めたら案外すぐに風邪で寝込んだりしてしまうかもしれない。やりたいことと健康は、持ちつ持たれつだ。

とにかく明日から 13年目に突入する。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015/12/24

サンタクロースは本当にいる

日が暮れればクリスマス・イブである。近頃では自分でも忘れていたのだが、急に 「そういえば、今年もあのページにアクセスが集中してるんだろうな」 と思いついて調べてみたら、今月初め頃から 1日に 500以上のアクセスを集め始め、一昨日からは 1000 を超している。そして今日は、夕方 4時前だというのに、1200 を超してしまった。

「あのページ」 というのは、当ブログの古くからの読者はとっくにご存じだろうが、"サンタクロースは本当にいる! クリスマス・イブは、「大きな愛」 を知るチャンス" という、私の本宅サイトの中のページである。なにしろ 「サンタクロース/本当にいるの」 というキーワードでググってみれば、このページが 829,000件のトップにランクされているのだから、これはもう我ながら大したものである。

これは私の書いたテキストの中でも、最も美しい言葉のページである。何のてらいもなく、多くの人に読んで戴きたいと思っている。少なく見積もっても既に 3万人以上の方に読んでもらっているはずだが、まだまだ多くの人に読んでもらうために、今日はこんな記事にしておこうと思ったというわけだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/23

「妻をディスっても、うどんはディスるな」 ってことなのかも

昨日の 「男と女のディスり合い」 という記事の続編を書く。というか、例の香川県の 「うどんかるた」 に関するニュースには、別の視点からの解釈が可能で、むしろその方が自然なんじゃなかろうかという気がしてきたのである。

改めてコトの経緯をざっと書いておくと、香川県製作の 「うどんかるた」 の 「つ」の読み札、「強いコシ/色白太目/まるで妻」 について、県に電話で 「良いイメージで受け取らない人もいるのでは」 と指摘があったというのが発端である。香川県はこの句の作者に問い合わせ、「うどんと妻を愛する気持ちをうどんの特長に込めた句で悪意はない」との意思が確認されたので、修正せずにかるたの販売に踏み切ったというものだ。

私はこの句に対して苦言が寄せられたというのは、当初 「妻をディスるのは不愉快」 という視点からだと思ったのだが、実はそうじゃないんじゃないかという気がしてきたのである。この苦言は、讃岐うどんを愛する県民が、「こんな句では、讃岐うどんのイメージが下がってしまう」 と心配したところから発したんじゃなかろうか。

「良いイメージで受け取らない人もいるのでは」 という指摘は、「太ったオバサンなんかと一緒にされたら、我が愛する讃岐うどんのイメージがおかしくなってしまう」 ということなのではあるまいか。ただひたすらうどんのイメージを心配したのであって、「妻云々」 はどうでもいい。なにしろ、あんなにまでうどんを愛する香川県民のことだもの。

ということは、「うどんと妻を愛する気持ちをうどんの特長に込めた句で悪意はない」 なんて言い訳は、まったくナンセンスになってしまう。「妻を愛する気持ち」 なんてどうでもいいけど、「うどんをディスるのだけはやめてくれ」 ということだとしたらね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/22

男と女のディスり合い

昔は 「犬が人に噛みついてもニュースにならないが、人が犬に噛みついたらニュースになる」 という警句があったが、今の時代は犬が人に噛みつけば十分ニュースになる。要するによくあることはニュースにならないが、滅多にないことはニュースになる。昔は犬が人を噛むなんて、日常茶飯事だったということだ。

その意味で、"うどんかるた 「妻愛する句で悪意ない」 変更せず発売へ" という朝日新聞の記事を読んで、「夫をディスるのはよくあることだが、妻をディスったらちょっと問題」 という世の中なのだなあと、しみじみと思ってしまった。こうしたケースでは、「男女平等」 という理念がほとんど意味をなさない。

問題のかるたは、香川県製作の 「うどんかるた」 の、「つ」の読み札。「強いコシ/色白太目/まるで妻」 というものだ。これについて県に電話で 「良いイメージで受け取らない人もいるのでは」 と指摘があったため、発売を延期して再検討していたという。

検討を重ねた結果、「うどんと妻を愛する気持ちをうどんの特長に込めた句で悪意はない」という、この句の作者の意図が確認されたため、修正なしで発売されることになった。うむ、これに関しては完全に 「言った者勝ち」 という結果となったわけだね。

個人的には 「うどんと妻を愛する気持ち」 を込めたというのは理解できず、単純に悪趣味だと思う。もう少し掘り下げると、「夫をディスる CM」 というのは昔から当たり前にいくらでもあったが、かるたで妻をディスると 「人が犬に噛みついた」 ように受け取られる世の中になったのが、ちょっと興味深い。

夫 (または父) をディスる CM として最も有名になったのが、某通販会社の「パパは返品ね」 というやつだ。

これは制作者の意図としては、昔の放し飼いの犬が人に噛みついた程度のことと考えていたようで、放し飼い禁止になった時代の感覚では、さすがに 「不愉快」 と批判された。

ただ、ファブリーズの CM で、松岡修造パパと息子たちが家庭内の悪習発生源とされたり、マンナンライフの CM で姉弟喧嘩に仲裁に入った父親が 「パパは黙ってて!」 と一括されてすごすご引き下がったりとか、父親を小馬鹿する CM はいくらでもあった。ただそれらは、あまり問題にされることはなかった。「パパは返品ね」 は、希有なやり過ぎ例である。

世間では結局のところ夫や父の方が優位なので、CM で少々ディスられようが 「金持ち喧嘩せず」 であまり問題にされないが、実際には弱い立場の妻や母が変な言い方されると、敏感に反応するという見方もある。しかし、決してそれだけじゃないように思うがなあ。

ブラックユーモアはあってもいいが、日本のそれはかなり趣味が悪いよね。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015/12/21

「大洋横断」 という名のバス

今日の話は、まあどうでもいい話である。どうでもいい話ではあるが、私としては本当にびっくりしてしまった事件なので、ちょっと書かせていただくわけだ。

Img_4315それは先日、某高速道路を走っていた時のこと。目の前のバスのロゴに驚いてしまった。あまりに新鮮な驚きだったので、ついカーナビ代わりに使っていた iPhone のカメラ機能を立ち上げてシャッターを押してしまったのである。(左の写真をクリックすると、拡大表示される)

そのバスには "TRANS OCEAN BUS" と書いてあった。「大洋横断バス」 (「大陸」 ではなく 「大洋」: 念のため) というのである。「日本トランスオーシャン航空」 という名の航空会社はあるが、バスで大洋横断というのは、常識を遙かに超えた気宇壮大さである。その気宇壮大な名前のバスが、内陸の高速道路をゆったりと走っていたのだから、これが驚かずにいられるだろうか。

途中のサービスエリアでトイレ休憩したついでにちょっとググってみたら、これがなんと、私の生まれた山形県の会社ではないか。会社所在地は山形県新庄市で、海岸に面した私の故郷、酒田市から最上川沿いに約 50km遡った新庄盆地、つまり海のないところにある。

どんな経緯でこういう社名にしたのだろうと、私としては興味津々なのだが、どうググってもそれに関する情報は見つからなかった。ああ、気になる。本当に気になる。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015/12/20

カーナビと紙の道路地図

今日は仕事で水戸に出向き、そこから明日の仕事先である前橋に入って前泊している。水戸から前橋に行くには、ちょっと前までは北関東道がつながっておらず、かなりの時間がかかったものだが、いつ頃からだったかしっかり開通したので、案外楽に来られるようになった。

最近は高速道路網が結構整備されてきて、圏央道も古河から中央道、東名までつながった。それまでは、つくばの地から東京都内を抜けて東名に行くのは、考えるだけでうっとうしい話だったが、最近は案外気楽に行けるようになった。

ただ、そのルートがまだしっかりと理解できておらず、運転はカーナビ頼りである。確信をもって辿っているわけではないので、時々は 「はて、これでいいんだろうな」 と不安になる。

今日も北関東道を友部から辿り、栃木都賀で東北道と合流した辺りで、「佐野藤岡方面」 なんていう案内が出たので 「ありゃ、逆方向に入っちゃったかな?」 と思ってしまったが、一時的に南方向に向かって、岩舟で群馬方面に向かうのだった。このあたりはちょっとややこしい。

そもそも私の頭の中では、北関東道と東関道と圏央道の区別すらもあいまいで、ドライブ計画を練ろうにもかなり曖昧になってしまう。昔は道路地図と首っ引きできちんと理解して運転していたものだが、カーナビに頼ればいい時代になって、自分の頭の中の地図が曖昧になってしまった。

私の車には今、道路地図が常備されていないが、やっぱりカーナビとは別に大きな紙の地図上でも理解しておく方が、精神衛生にもいいような気がしてきた。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015/12/19

『スターウォーズ』 の新作が話題だが

『スターウォーズ』 の新作公開とやらで巷はえらい話題だが、申し訳ないことに私はまったく興味がない。『スターウォーズ』 だけでなく、『ロッキー』、『ジョーズ』 なども、全然見る気がしない。

先日カーラジオで聞いていただけなので、誰がそんなことを言っているのかも忘れてしまったが、アメリカン・ニューシネマは 1967〜8年から 1976年までのものなんだそうだ。で、1976年前後からアメリカ映画は新しい段階に入る。そういえば、スピルバーグの 『ジョーズ』 は 1975年、ジョン・G・アヴィルドセンの 『ロッキー』 は 1976年、 ジョージ・ルーカスの 『スターウォーズ』 は 1977年の公開だ。

私は音楽的にはリアルタイムでザ・ビートルズとボブ・ディランで育ち、映画は同様にアメリカン・ニューシネマで育った。『俺たちに明日はない』  『卒業』 『イージーライダー』 『明日に向かって撃て』 『ファイブ・イージーピ・ーセズ』 『真夜中のカーボーイ』 『スケアクロウ』 『ロンググッドバイ』 なんかは、私にとっての 「映画のスタンダード」 である。

何しろ私は、これらのアメリカン・ニューシネマを一渡り見てから遡る形で 『サウンド・オブ・ミュージック』 とか 『第三の男』 とか 『マイ・フェア・レディ』 とか 『街の灯』 とかの 「クラシック」 を見たのだよね。こんな形で遡ったから、私の中にはジョン・ウェインの西部劇みたいな 「アクション大作」 の系譜はないのだ。

これが、私が 『スターウォーズ』 にも 『ロッキー』 にも 『ジョーズ』 にも興味を抱けない理由である。同様に 『ミッション・インポッシブル』 にも 『マトリックス』 にも興味が向かない。

4年前に間違って、トムクルーズの 『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』 というのを見てしまったが、映画を見てあれほど後悔したことは、後にも先にもない。それは、こちらの記事に書いた通りである。

ならば、日本映画ならどうなるかというと、それはもう、小津安二郎監督作品ということになってしまうのだよね。要するに 「ハリウッド大作」 みたいなものには、ちっとも興味が向かない体になってしまっているのだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015/12/18

産経新聞ソウル支局長の 「無罪」 判決と、大統領のレイムダック化

韓国のセウォル号沈没事件当時のパククネ大統領の 「謎の 7時間」 に関する 「うわさ」 を報じた加藤達也前ソウル支局長報道が名誉毀損に問われていた裁判で、ソウル中央地裁は 「無罪」 を言い渡した。このニュースからいろいろな要素が読み取れる。

まず、韓国外交部が 「配慮」 を求める文書を地裁に出していたという点に、世界が驚いた。行政機構である外交部が、司法機構である裁判所に 「ちょっと、頼むよ」 なんてな文書を出すこと自体 「三権分立」 の常識に反するものだが、韓国では 「別に、いいじゃん」 てなことのようで、判決文読み上げに先立ち、裁判長が公式にその文書を読み上げたというのだから、ますますびっくりだ。

それから今回の判決が韓国内では非難囂々になるかと思いきや、どうもそんな感じではなく 「当然だよね」 という受け止められ方をしているらしい。外交部の出した 「文書」 が、なんだか 「葵のご紋章」 みたいな働きをしたように読み取れる。そしてどうやらパククネ大統領は既にレイムダックになりかかっているようだ。

韓国内の主要マスコミの論調も 「韓日関係の改善のためには妥当な判決」 などとしている。「何が何でも反日」 という空気ではなくなってきているようなのだね。やっぱり経済の調子がおかしくなると、どうしても弱気に振れる。

とはいえ、この事件の発端であるパククネ大統領の 「謎の 7時間」 に関しては、それが 「虚偽」 であるとするだけの明確な証拠が示されたわけでもなんでもないのに、裁判長が 「噂は虚偽である」 と言っただけで 「虚偽」 ということになってしまった。大きな声で言ってしまえば、それでけりがつく。

つまり、「大統領があの時、どこにいたかは知ったことじゃないけど、とにかく産経新聞の記事は嘘っぱち。ただ、嘘っぱちではあるけれど、民主主義の理念と対日関係に考慮して、それは不問にしてやろうじゃないか」 ってなことであるようだ。

だったら、初めから起訴なんてしなければよかったのに、起訴した時点では、まだ大統領に忠誠を尽くすポーズを取ることに意味を見いだせる状況だったのだろう。あれからちょっとレイムダック化が進んだということだ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015/12/17

無駄な苦行はしない、させない

部活の最中に熱中症で倒れ、低酸素脳症にによる障害で、今も寝たきりで意思疎通ができない状態となってしまった女性に、県が 2億 3000万円の賠償を行うという最高裁判決が下された。判決は、出張のため練習の冒頭しか立ち会わなかったテニス部顧問の教諭に関して、「部員の体調変化に応じて指導できない以上、十分な水分補給をするよう指示すべきだった」と、責任を認めた。(参照

この事件は 8年も前のことで、障害を負った女性は既に 25歳になっているが、現在も両親の介護に頼っている。昔は 「運動中は水を飲むな」 なんて乱暴なことが言われていたが、8年前なら適切な指導をしていれば防げたかもしれない。

それにしても、本当に昔は無茶苦茶な指導がされていた。運動中は喉が渇いても水を飲んではならないというのである。私が合気道をやっていたのはせいぜい 20年ほど前までのことだが、やはり稽古中に水を飲むのが憚られていた。

とはいえ、師匠が直接 「稽古中は水を飲むな」 と言われていたわけではない。そんなことは一言も聞かなかった。ただ、運動をするものの (誤った) 常識として、「運動している間に水を飲んだらヘロヘロになって、体が続かなくなる」 なんて言われていたのである。

ただ、真夏に汗だくになって稽古をしていて喉が渇かないわけがない。「水を飲んだらヘロヘロになる」 なんて言われるが、飲まなければもっとヘロヘロになる。どうしても我慢ができなくなったら、頭から水をかぶるようなふりをして、その水を口にも入れて乾きを癒やしていた。

そうでもしなかったら、多分熱中症で倒れていただろう。当時、稽古仲間の誰も倒れなかったということは、みんなそんな風にこっそり水分補給をしていたからだろうと思われる。昔は 「軍人は要領をもって本分とすべし」 なんて言われていたらしいが、理不尽な空気の中で生き抜くには、確かに必要な知惠である。

ちなみに、運動でハードワークをしている最中に水を飲んだらヘロヘロになるというのは、まんざら嘘でもない。水を飲んだ直後に頭がガンガンして動けなくなるというのは、本当にあり得る。私自身も経験しているし。

ただそれは、我慢に我慢を重ねた末に耐えきれなくなって水をがぶ飲みした時のことで、こまめに少しずつ水分補給をしていれば、そんな事態にはならない。「運動中は水を飲むな」 と言われ、下手に我慢した挙げ句、急に大量の水分を摂ると、体がそれをこなしきれずに変調をきたすのだ。つまりこれも、間違った観念の副産物である。

私は常々、「同じことをするなら苦しんでやる方がいい」 というメンタリティが問題なのだと思っている。水を我慢して死にそうになってまでやるのが運動選手として誉められるべき態度で、ちょこちょこ水分補給なんかしてると、「あいつ、楽しやがって」 なんて思われてしまう空気が、ちょっと前までは確実にあったのだ。

何でもかんでも 「楽してやる」 のがいいとは思わないが、少なくとも 「無駄な苦行はしない、させない」 という意識をもつだけで、この国はもっと住みやすくなると思うのだがなあ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/16

「夫婦同姓/別姓」 ってやたら面倒な要素がちりばめられている

例の 「夫婦同姓/別姓」 を巡る裁判の最高裁判決が出た。判決は 「夫婦同姓は 『合憲』」 というもの。それが 「結婚の際に氏の変更を強制されない自由 を 『人格権』 として認める憲法に違反している」 として訴えていた原告の主張は、次のように退けられた。(以下、朝日新聞より

判決は、「結婚の際に氏の変更を強制されない自由」 は憲法で保障された人格権にあたるとは言えないと指摘。夫婦が同じ名字を名乗ることは社会に定着しており、「家族の呼称を一つに定めることは合理性が認められる」 と判断した。

読んでみれば、極めて穏健な当たり障りのない判決である。まあ、こんなようなところに落ち着くだろうと私は初めから思っていたので、別に全然驚かない。この類いのことを最高裁に判断させたら、たいていこんな具合になる。

要するに 「夫婦同姓は違憲だ」 と主張して訴訟に持ち込んだら、「違憲とはいえない」 という判決になるのは初めから目に見えている。だったら視点を裏返して、「夫婦別姓は違憲か?」 というトーンだったらどうなるだろうか。まあ 「架空の話で裁判はできない」 ってなことになるのだろうね。

「夫婦同姓を強いられたことにより、精神的苦痛を味わった」 ということで、「損害賠償」 に絞って訴えたらどうなるだろう。うぅむ、それでも今回の判決にあるように、「旧姓の通称使用が広まることにより一定程度緩和」 されるということで、「そうしたらいいじゃん。はい、おしまい」 とされてしまいそうだ。

それならばより具体的に、「運転免許証の書き換えなどの法的手続きなどで、時間的、経済的負担を強いられた」 とか、「旧姓時代の論文などの著作物に関しての取り扱いが煩雑になり、データベース変更申請などに膨大な時間的、経済的負担を強いられた」 とかいって、それに要した金額をいちいち実費で国に請求してみたらどうだろう。これなら、憲法判断を離れたドライな判断が可能かもしれない。

そして多くの女性たち (多くは女性だろうが、少数の男性も含めることができるかもしれない) が同様の訴訟を起こしたら、「面倒くさいから、夫婦別姓、認めちゃおうか」 ってな空気になるかもしれない。

あるいはそうしたデータベースに関しては、「例の 『マイナンバー』 を援用して、姓が変わっても同一著作者であることがわかるようにすればいい」 なんて言い出すかもしれない。そんなことをマイナンバーで紐付けられたら、個人情報的にたまらんと思うが、下手すると 「それでいいじゃないか」 ってなことになりかねない。

これ、かなり面倒な要素がどっさり散りばめられた問題なのだと、実感しているところである。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015/12/15

「バター不足」 に見る、商人の悲しい業

日本経済新聞が 「バターはどこへ消えた? メーカーと小売店食い違い」 と、今年も去年に引き続いてバター供給不足を伝えている。ただ去年と違うのは、受給の川上と川下で、言ってることが食い違っていることだ。

大手乳業メーカーは 「在庫は十分にあるはずだ」 「足元は一昨年並みの在庫が積んであり、この冬は潤沢に供給できる」 とコメントし、農林水産省も 「緊急輸入でバターの供給は十分」としている。それなのに店頭ではバター不足なのだ。クリスマスケーキなどで大量のバターを使う全日本洋菓子工業会は、「一体どこにあるのだろうというのが業界の疑問だ」 と言っている。

「一体どこにある?」 という疑問への答えは簡単だ。「流通の各段階で少しずつ隠されている」 のである。それぞれの企業が大量に隠しているというわけではないが、各段階でやっちゃうから、「塵も積もれば山となる」 のである。

まずメーカーは 「隠している」 とは言わないが、「本格的需要増に備えて」 とかなんとか都合のいい理由で出荷を微妙に調整し、それを受けて一次卸は在庫の一部を倉庫の奥深くに隠す。すると危機感を覚えた二次卸も隠しまくって、小売りに対しては 「入荷が少ないので、ご理解下さい」 なんてシラを切る。

このあたりの事情は、4年前に "「米不足」 の風評に踊らされると、高い買い物をすることになる" という記事に書いている。4年前にしても、平成 5年 (1993年) の 「記録的な冷夏による米不足」 といわれた時も、ほとぼりが冷めた頃にはいつの間にか店頭には米が潤沢に並んでいた。ちっとも不足なんかしていなかったのである。「米とバターは違う」 なんてことにはならない。

まったくもって、商人というのは悲しい業を抱えているものである。皆が隠すから、自分とこでも隠さざるを得ないような気になってしまう。そんなことをしても、隠す作業の手間に見合うほどの利益なんて得られるとは思われないのに。

今回の 「バター不足」 にしても、そのうち在庫負担 (常温じゃ保存できないんだし) に耐えきれなくなって、クリスマス需要の直前にはどっと出てくるに決まっている。それが過ぎたら、今度は 「不良在庫」 になるからね。

だから、今の時期にあせって必要以上にバターを買い溜めしたりすると、一番高い時に無駄な買い物をすることになるから、止めといた方がいいよ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015/12/14

「小学校茶」 なんてものがあるのかと思った

先日クルマを運転しながら聞くともなしにラジオを聞いていたら、「風邪のひき初めには 『小学校茶』 が効く」 と言っていた。「小学校茶」 とは初耳である。最近の小学校ではそんな妙なものを飲ませるようになったのか。

帰宅してググってみたが、静岡や宇治の小学校が子どものうちからお茶に親しむ環境作りをしているとかいう話のほかには、それらしいのが見つからない。蛇口から冷茶が出てくる給茶機が備えられている小学校があるというのだが、それがどうしたってなもんだ。これが 「小学校茶」 と呼ばれているわけでもなさそうだし。

「一体何だったんだろう」 といろいろ調べてみた結果、どうやら 「生姜紅茶」 を聞き違えたんだろうという結論に達した。私の耳もだいぶヤキが回ってしまったのかなあ。いや、あのラジオ・キャスターはどう聞いても 「ショウガッコウチャ」 としか聞こえない言い方だったぞ。

改めて調べてみると 「生姜紅茶ってどんな効果があるの? 風邪予防にもなるって本当?」 というページが見つかった。免疫力を高めるとか冷え性を改善するとか、なかなか結構なことが書いてある。結構すぎて、生姜には 「結構 (ママ) を良くし、冷え性改善効果がある」 なんてなことになっているのがご愛敬だが。

ちなみに生姜紅茶というのは、ダイエットの世界ではかなり知られたものらしい。体を暖めて代謝をよくするので、脂肪を燃やす効果があるというのである。納豆を食えとか、なんちゃらきのこが効くとかいうのよりは、少しはマシかもしれない。

ただ私はコーヒーはよく飲むが、紅茶というのはあまりピンとこない。嫌いってわけじゃないが、同じ飲むならいつもコーヒーの方を選んでしまうのだよね。だって、コーヒーの方がうまいし。(これについての記事は、こちらを参照)

それに最近はいい具合に馬鹿になってきたみたいで、風邪なんてほとんど引かなくなったし、自転車に乗り付けているおかげでダイエットにも成功している。あまり必要ないかもしれない。

だったら、「謎の小学校茶」 ということにしておいてもよかったなあ。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2015/12/13

何だかんだ言っても、この国はまだまだ捨てたもんじゃない

先週の金曜、例の大雨と強風で首都圏の鉄道が乱れまくった日に、私は仕事で神奈川県まで往復した。帰りは上野で夕方 5時前に常磐線に乗れたので、うまい具合に座れた。しかしだんだん混んできて、北千住で多くの乗客が乗り込んできた頃には、座れない人も出てきた。

北千住駅を出発してふと見ると、どうみても 80歳前後と思われる婦人が、ドアのそばに立っている。こうした場面で私はほぼ脊髄反射的に座席を譲ってしまうクセがあるので、いつものように立とうとすると、私よりも早く隣の青年がさっと立ち上がった。

「おお、若いのに感心なやつだ」 と私は思った。ここで 「若いのに」 というのはかなり妙な文脈になってしまうが、ここしばらく若いヤツが老人に席を譲るのを見たことがないので、ついそう思ってしまったのである。この国もまだまだ捨てたもんじゃない。

ところが、そこで信じられないことが起きた。青年が立って空けた座席に、20歳前後の女の子がさっと座ってしまったのである。周囲はほとんど凍り付いたような反応だったが、その女の子はまるで気付かず、スマホ・ゲームに熱中している。

そこで私が立ち上がる番になったわけだ。下手に事を荒立てるのも面倒だし、元々譲ろうと思っていた席だから、全然構わない。今度こそ変なヤツが割り込んだりしないように、その老婦人に 「どうぞ座って下さい」 と声をかけ、確実に席を譲ると、周囲の雰囲気はやや和らいだ。

最初に席を立った青年は上から厚かましい女の子をずっとにらみつけていたが、その女の子は全然気付くことなく、スマホ・ゲームに熱中し続けた。

この国はまだまだ捨てたもんじゃないが、うんざりするほど厭になってしまうこともないではない。しかし私は、席を譲った青年がいたことの方を、ずっと心に留めておこうと思った。その方が精神衛生にいい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/12

「軽減税率」 で 1兆円減収って、何それ?

「軽減税率」 が最近のニュースでしきりに取り上げられ、それに関する 「必要財源」 が 6千億円とか 1兆円とか、いろいろなことが言われているのだが、金の話に疎い私としては、そのあたりのことが 「素朴な疑問」 として晴れないままでいる。

そもそも、「これから増税する」 のに、「税収減の穴埋めに財源が必要」 という話が出てくるのが、さっぱりわからない。「既に 10%に増税してしまったのだが、食料品だけは元の 8%に戻す」 というなら、確かに減収は生じるだろう。それならわかる。

しかし 10%への増税はまだ行われておらず、「食料品だけは 8%のままとどめる (減らすというわけじゃない)」 だけなのに、つまり税収は今より減るわけでもないのに、どうして 「税収減を埋め合わせるための必要財源」 なんてものを想定しなければならないのか、さっぱりわからないのである。

この疑問を晴らすために、いろいろとネット検索してみたのだが、少なくとも現時点では納得できる回答が見つかっていない。軽減税率をスムーズに実現するために、コンピュータ・システムの変更や機器導入などで、一時的に予算が必要なのかとも思ったが、そうやらそうでもないらしい。どんなニュースをみても 「税収減の穴埋めに必要な財源は約1兆円にのぼる」 (朝日新聞デジタル) などと説明されているだけだ。

本当に 「軽減税率で税収が減る」 というなら、そもそもその前提となる 「増税」 そのものをしなけりゃいいじゃん! と思ってしまう。あるいは、「すべてを 10%に増税した場合として想定されていた税収に比較すると減ってしまう」 ということなのか。もしこれが正解なのだとしたら (多分正解なんだろうが)、そんな 「取らぬ狸の皮算用」 でゴタゴタしているという悲しいお話になってしまう。

「一律 10%」 で想定された税収に比較したら減ってしまうというなら、食料品以外の税率を 12%ぐらいするという手もあるだろう。諸外国では 17%とか 20%とかいう税率が当たり前なんだし。

まてよ、ここで深読みしちゃおう。こんなようなストーリーで、近い将来にさらなる増税という話にもっていくために、あえて今から 「税収減」 とか 「財源確保」 とか、一見もっともらしいけど実は無茶なことを言ってるわけなのね。そうなのね、財務省さん。きっとそうなのね。

さらに言えば、これから予定されている 「法人税減税」 の話になると、「必要財源」 なんて話がまったく出てこないのも、さっぱりわからない。法人税が軽減されることで企業業績が上向く可能性を想定せずに単純計算だけでいえば、こっちの方が明らかに税収が減るだろうに。

こんなことを思ってしまう私って、単に物知らずなだけなんだろうか? もののわかった方がいらしたら、教えて戴きたいものである。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015/12/11

まるで 「台風一過」 みたいだった

今日は仕事で神奈川県の相模原市まで行ったのだが、台風並に発達した低気圧が暴風雨をもたらしたおかげで、鉄道が乱れてスケジュールが少し狂ってしまった。雨に関しては、事前の予報では一日中降ってもおかしくなかったのが、昼前にはすっかり晴れて、私の 「晴れ男伝説」 はさらに継続したのだが、強風がおさまらなかったのが誤算だった。

自宅を出たのは午前 9時過ぎ。電車の乱れは十分に予測されたので、予定より 30分早めに出たのである。土砂降りだった雨が駅に着く頃にはほとんどあがりかけて、結局傘は一度もささずにすんだ。常磐線も少しは遅れたが、「まあ、なんとか挽回できるだろう」 と思っていた。

ところが新宿で京王線に乗り換えようとして驚いた。特急と急行がすべて運休で、その他の電車にもかなりの遅れが出ている。出発してものろのろ運転だ。結局現場に到着したのは予定より 30分遅れた。出発が 30分早かったのだから、想定より 1時間遅れである。

そして電車に乗っている間からして、妙に蒸し暑い。聞けば三重県では夏日になったというではないか。近頃の長期的な温暖化に加え、例のエルニーニョががんばっているせいなのか、まるで秋頃のような空である。雨が止んだとたんに 「台風一過」 を思わせる晴天になったのもそのせいだろう。とにかく 「冬晴れ」 という様相ではなかった。

強風の日が暮れても収まらず、帰りの電車にも影響が残っていた。今年の冬は様々な 「異常気象」 を覚悟しなければならないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/12/10

「靖国神社爆発音事件」 容疑者の自首同様の再入国

先月 23日の 「靖国神社爆発音事件」 を起こした直後に韓国に出国したとされていた韓国人容疑者が、昨日 9日にノコノコと再来日し、間髪を入れずに警視庁に逮捕されたというニュースを聞いて、初めは 「はあ? 何それ?」 と驚いた。フツーに考えたら、あまりにもお間抜け過ぎる。

この場合、日本の空港で入国手続きをとることは、ほとんど自首したのと同じである。「どうぞ捕まえてください」 と言っているようなものだ。ところが当人は警察の調べに対し、「よくわからない」 などと、まったくよくわからないことを言っているらしい。

そもそも韓国側で容疑者の日本に向けた出国を認めた時点で、それは 「ちょっとした事件」 である。韓国当局があっさりと出国させたというのは、「やらせ」 の臭いがプンプンするわけなのである。

韓国としては、日本から容疑者の身柄引き渡し要求があった場合、引き渡すかどうか微妙なところがあった。4年前に、靖国神社の門に放火して韓国に渡った中国人に対して日本から身柄引き渡し要求があった際に、韓国は 「政治犯」 として引き渡しを拒否し、中国に出国させたという前例がある。

これを機に、日韓摩擦がさらに強まったわけだが、それだけでなく、世界的にも 「韓国って、よくわからん国だよね」 という認識が強まってしまったということがある。それだけに、今回は韓国にとって相当なジレンマがあっただろうと思われる。

易々と容疑者引き渡しに応じてしまっては、国内の反日強硬派から 「腰抜け」 と非難されるだろうし、かといって引き渡しを拒否すれば国際的評判がますますおかしくなってしまう。どちらの道も難しい。

今回は形として、当人が自発的に (かどうかアヤシいが) 自首同様の行動をしてくれたおかげで、韓国当局とすれば肩の荷が降りた思いなのではないかと思う。問題は、チョン容疑者に 「お前、日本に再入国して、ちょっと捕まってこい」 と言い含めたのは誰だったのかという一点である。

だって、それなりの地位にある人間が裏で手を回しでもしなかったら、渦中の人物がそんなにあっさりと韓国から日本に向けて出国できたわけがないじゃないか。まあ、今回の事件程度では、有罪になってくらいこんでもせいぜい数年で娑婆に戻れるだろうから、当人も割り切れない思いながら 「自首同様の再入国」 に同意したんじゃなかろうか。

それにしても、お隣の国はよくわからんところがある。あとは日本の警察が、「どうして再入国なんかしたんだ?」 と問い詰めるかどうかだが、そこまではしないかなあ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/09

靴下がずり落ちて、足首あたりでたるんでしまう

どうでもいい些細な話で恐縮なのだが、このところちょっと気にかかってしまっているので、書いちゃうことにする。

Img_4251 それは、近頃どうも靴下がずり落ちて、本来は脛の中程あたりまでの長さのはずなのに、足首あたりでたるんでしまうというお話だ。いや、これは近頃に限った話ではなく、若い頃も本当に靴下がずり落ちやすかった。ふと気付くとずり落ちていて、何度引っ張り上げても無駄だった。

ところがいつの頃からか、靴下がずり落ちにくくなった。私は靴下のリブ編みの技術が上がったか、フィット感が改良されたかのおかげで、もう靴下がずり落ちることでイライラすることはなくなったのだと思っていた。

ところが最近になって、またしてもよくずり落ちるようになったのである。外からはズボンの裾に隠れて見えないが、気付いてみれば足首辺りでたるんでしまっている。靴下製造の技術が急に低下したわけでもあるまいに、一体どうなってるんだと内心イライラしていた。

そしてその原因に、ようやく気付いた。これは一時運動不足で衰えていたふくらはぎの筋肉が最近また発達して、太くなってしまったからのようなのである。それで重力の法則に従い、細い足首の方にずり落ちてきてしまうのだ。

若い頃は結構しっかりと運動していたので、足腰はかなり強かった。脚にもそれなりに筋肉が付いていて、足首はしっかりしまっていた。娘たちには 「お父さん、美脚だね」 なんて言われていたほどなのである。

ところが 50歳を過ぎた頃から運動不足になり、脚の筋肉が衰えていたようなのである。太ももとふくらはぎが衰えて、脚全体が細くなってしまい、足首もしまりがなくなっていた。それで、靴下がずり落ちなくなっていた。

しかし昨年の冬から自転車を始めて、最近は片道 30km以内なら、天気さえ良ければどこでも自転車で行くようになった。50〜60kmでも、時間の余裕さえあれば自転車で行く。しかも冬でも汗をかくほど、目一杯のスピードで漕ぐ。自然、足腰の筋肉が復活して、メリハリのついたプロポーションが戻ってきた。

するとなんと、靴下のずり落ちまでが復活してしまったのである。普通の長さのソックスだと、ふくらはぎの一番太い部分のちょっと下ぐらいまでの長さだから、歩いているうちにどんどん細い方へ細い方へとずり落ちる。それであっという間に足首のあたりでたるんでしまっている。

夏から秋にかけては足首あたりまでの短いソックスを愛用していたから、普通の長さの靴下がずり落ちるようになったことには気付かなかった。最近冬らしい寒さになり、ようやくスタンダードな靴下をはくようになってようやく、「ありゃりゃ?」 となってしまったのである。

サッカー選手がはいてるみたいな、膝下あたりまでのストッキング・タイプにすれば、押さえが効いてずり落ちずに済むだろうが、わざわざそんなのを買ってきてはくのも面倒な気がする。しばらくは足首でたるんだ状態で我慢しておこう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/08

「ケサランパサラン」 を巡る冒険

お恥ずかしい話だが、私は還暦をとうに過ぎたこの年まで、「ケサランパサラン」 という生き物が実在するのだと思っていた。だって田舎にいた頃はしょっちゅう目撃していて、「またケサランパサランが飛んで来た」 なんてフツーに言っていたのだもの。まさに日常茶飯事だったのである。

YouTube で検索してみたら、田舎でいつも見ていたものと同じと思われる動画が見つかったので、下に埋め込んでおこう。動画をアップしてくれた Shino Takeo さん、ありがとう。

ところがこの動画のタイトルは、『ケサランパサラン(白い綿毛が付いたガガイモの種子)』 ということになっている。「なぬ !? ガガイモだと? それって一体何なんだ?」 私はかなりのショックを覚えてしまったね。

Wikipedia に当たってみると、「ケサランパサラン、ケセランパセランは江戸時代以降の民間伝承上の謎の生物とされる物体である」 とある (参照) 。へえ! しかし謎の生物といっても  「ツチノコ」 なんてのとは、わけが違うだろう。このケサランパサランを紹介した Wiki ページにも、姫路市立動物園に展示されているケサランパサランの画像が載ってるし。

このページを読み進むと、「穴の開いた桐の箱の中でおしろいを与えることで飼育でき、増殖したり、持ち主に幸せを呼んだりすると言われている」 なんてことまで書いてある。へえ、そんなことはちっとも知らなかった。子どもの頃は、ケサランパサランとの遭遇があまりにも日常茶飯事だったので、そこまで追求する気にもならなかった。

さらにケサランパサランの正体としては、次のように書かれてある。

“動物の毛玉” “植物の花の冠毛” などいくつかの説がある。またはこれらすべてを総称してケサランパサランとして認識されている可能性もある。

ケサランパサランの正体には、次のような説があるという。

  • ワシなどの猛禽類がウサギなどの小動物を食べた際に排泄される毛玉(ペリット)
  • 小動物が捕食された際に食べ残された毛皮の皮膚の部分が縮まり、毛を外側にして丸まったもの
  • 牛や馬などの動物の胆石や結石
  • アザミやオキナグサ、ブタナなどの植物の花の冠毛が寄り集まって固まったもの
  • ガガイモの種の綿毛
  • 綿状のカビ (白粉を与えると増えるというのはこのためだとも言われる)
  • オーケン石 (okenite) や、雪虫、アオバハゴロモの幼虫

ここに挙げられたものをそれぞれ可能な限り画像検索してみたが、私の知っているケサランパサランに最も近くて納得できそうなのは、「ガガイモの種」 説 (上記の YouTube 動画でもそう言ってるし) だった。「綿状のカビ」 にも、ちょっと近いのがあるが、ガガイモの種ほどじゃない。

そういえば、私の田舎の隣の市にある加茂水族館 (クラゲの展示では世界一といわれる) で、ケサランパサランが展示されているのを見たことがあるが、それは私にとってお馴染みのものじゃなく、もう少し質感のある物体だった。もしかしたら猛禽類が排泄した毛玉って、こんなのかもしれない。Google 画像検索の結果にリンクを張っておくので、こちらをクリックしてご覧頂きたい。

もう少しググってみると、「分裂増殖させたものがネット販売されている」 なんて情報まで見つかった。探してみたら、確かにケサランパサランのショップがあるではないか (参照)。世の中、なかなか油断がならないものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/12/07

夫婦別姓でもいいじゃないか

「夫婦同姓」が憲法違反かどうかを問う訴訟の判決が近付いていて、「夫婦別姓」 賛成か反対かという話題が大いに盛り上がっている。私はこの問題についてかなりグズグズな態度を取っていて、5年前には 「消極的反対」 という立場だったが、3年近く前に 「消極的容認」 ということにチェンジした。

2010年 9月 15日の記事で、私は 「個人的にはどうでもいいが、社会全体への影響という視点で、夫婦別姓によって生じたきしみの妙なとばっちりを浴びるのはまっぴらご免なので、『消極的反対』 の立場を取っている」 と書いている。前提として、「夫婦別姓でも個人的には全然構わないんだけどね」 というのがあるのだ。

「夫婦別姓によって生じたきしみ」 って何だ? といわれそうだが、それは主に子どもの問題である。記事の中で私は、「私個人は、父か母と名字が違っていたとしても、別に抵抗は感じないが、世の中にはそのことで疎外感を覚えてしまう子供もいるだろう」 と書いている。「そんなヤツいるのか?」 と言われそうだが、世の中にはうっとうしくなるほどウェットな感情に支配される子どもって。現実にいるのだ。

「家族の絆」 というものに過剰な幻想を抱いてしまうタイプの子は、父と母の姓が違うことについて妙な感情を抱き、勝手な疎外感を覚えてしまうこともあるだろう。私はそんなヤツとは付き合いきれないから、とばっちりを受けたくないので 「消極的反対」 という立場だったのである。

しかし 3年前に私は、この問題については割り切ることにした。個人的には夫婦同姓を支持するが、どうしても別姓でいたいという人にまでそれを強制するのは忍びないので、『夫婦別姓』 を消極的に容認してもいい」 という立場に鞍替えしたのである。「個人的には夫婦同姓を支持する」 とはいえ、仮に自分がまだ独身であるとして、どうしても 「別姓にしたい」 という相手と結婚することになったなら、「同姓」 には執着しないということだ。

現時点で 「夫婦別姓に賛成」 という人でも、具体的に聞いてみればそうした意見の人が多数派なんじゃなかろうかと思う。父母の姓が違うことによって子どもが複雑な思いを抱くことになるんじゃないかという問題には、それぞれの夫婦がしっかり対応してくれというしかない。

要するに、この問題に関する私の立場が 「消極的反対」 から 「消極的容認」 に変わったとはいえ、その中身はそんなに変わっていないということだ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015/12/06

日本の仏教寺院がものすごい勢いで消滅しているらしい

今、日本のお寺が危ないらしい。収入源である檀家が過疎・高齢化などで減少し、一方で寺の側も住職の後継者不足という問題があり、今後「寺の消滅」が加速する可能性があると、朝日新聞が報じている (参照)。

宗教のニュース・サイトである World Religion News でも "BUDDHIST TEMPLES ARE CLOSING IN JAPAN AT A STARTLING RATE" (日本で仏教寺院が驚くべきペースで閉鎖している) という記事で、「77,000 の寺院の 40%が機能を停止する」 「既に 20,000 が無住職になっている」 と述べている。

何となくわかる。既に自分の家の宗旨 (浄土真宗とか曹洞宗とか) なんて知らない人もずいぶん多いぐらいだから、寺離れは既に確実に進んでいる。多くの人が地方から大都市部に移住し、その最初の世代は 「墓参りのために帰郷する」 という意識があっても、第二、第三世代になると、自分の家の墓がどこにあるかを知らなくなる。

そうするうちに近郊に墓地を買い求めるようになる。そうした 「霊園」 と称する施設は、特定の宗旨の寺に属するというよりも、お彼岸やお盆になると近所から坊さんを呼んでお経をあげてもらうなんてことになり、田舎の寺との縁は切れてしまう。そうなると、田舎の寺は無縁の墓だらけになり、管理もままならなくなる。

要するに日本の仏教界では、長らく続いてきた 「檀家制度」 というものが機能しなくなりつつあるのだ。「葬式仏教」 として機能してきたものが、人口流動化に対応できなくなっている。仏教寺院がこれからも存在したいと願うならば、死んだ者よりも、今生きている者を相手にする方向に舵取りしなければならないだろう。

今後は 「哲学宗教」 としての 「仏教文化の維持発展」 という役割を、寺院は話さなければならない。ただそのためには、77,000 もの数の寺院は必要ないのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/12/05

信頼できるノート PC は MacBook と Let's Note なのかな

12月 3日付の iPhone Mania の記事 (参照) によると、米国の消費者雑誌「コンシューマー・レポート」が 5万 8,000人の読者を対象にノート PC の信頼度・満足度調査を実施した結果、Apple の MacBook の圧勝だったという。週あたりの平均使用時間は MacBook の方が 3時間長いのに、故障発生は Windows ノート PC の方がずっと高いのだそうだ。

しかも Windows ノートは最初から問題のあることが多く、何度も故障する傾向があるらしい。一方、MacBook は故障発生率は低いが、一度故障してしまうと修理代が高いという問題はある。私自身は昨年 1月に MacBook Pro に乗り換えて 1年と 11ヶ月、つまり 2年近く経つが、幸いなことに故障は 1度も経験していない。

それまで 20年近く Windows PC を使ったが、いろいろなソフトウェアをインストールしてハードに使い続けると、大体 2年を過ぎた辺りで何をするにも重くなり始め、3年ぐらい経つと 「もう潮時かな」 と思うほどハードウェア的な不具合が頻発しがちだった。一方、今使っている MacBook の快適さは買った時とほとんど変わらない。なるほど信頼度が高いのは間違いない。

しかし私がこの記事で注目してしまったのは、末尾にある次の件である。

しかし ZD Net は、単純にノート PC というくくりで比較するだけでなく、価格帯も考慮して調査すれば、違った結果が出るかも知れないと指摘しています。実際、10万円はする MacBook に対し、Windows ノート PC は 3~4万円が普通なので、単純比較はすべきではないかもしれません。

何だと? MacBook は 10万円で、Windows ノート PC は 3〜4万円が普通だって? 米国では、ノート PC がそんなに安いのか?

というわけで念のために ZD Net の元記事をあたったところ、次のようなテキストだった。

But you - and probably the survey respondents - can buy a $400 Windows notebook, so I'd like the results better if they'd controlled for product price. Maybe a $850 Windows machine is just as reliable as an $850 MacBook Air .

「Windows ノートは 400ドル、MacBook は 850ドルが普通だが、価格が 850ドルの Windows マシンなら MacBook と同じぐらいの信頼性があるかもしれない」 という内容だ。日本語記事は値段に関して 400ドルを 3〜4万円なんてことにしてあるが、まあ、1ドル 80円という時代もあったので、辛うじて誤訳じゃないということにしておこう。ただそれだと、MacBook は 7〜8万円としなければならないはずだが。

日本では Windows ノート PC で 48,000円 (1ドル 120円換算の 400ドル) といったらかなりの廉価版で、ミドルレンジだと 6〜7万円以上払うことが多いし、店頭では 10万円台の Windows ノートがいくらでもある。そして MacBook では、MacBook Air の一番安い 11インチ 128GB モデルがようやく 10万円ちょぼちょぼだ。

ということは、米国ではノート PC がかなり安く買えて、しかも Windows ノートとなるとやたらに安いってことになる。そして日本のノート PC は総じて米国より高価格だが、Windows ノートと MacBook の価格差は米国ほど大きくない。

経験からすると、日本のノート PC の信頼性は MacBook 以外では辛うじて Panasonic の Let's Note がいい線行っているように思える。ただ、Let's Note の値段は MacBook とほとんど変わらない。なるほどね。結局は値段次第なのだ。

新幹線やスタバで PC 広げて仕事をしているようなヘビーユーザーをみると、使用機種は MacBook と Let's Note で 7割以上を占める印象なのもうなずける。いつも持ち歩くモバイル・ノートは、多少の振動や衝撃では壊れにくい耐久性が求められるからね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/04

「はてな」 と 「楽天」 のリザーブ・ブログの更新を停止した

突然、私事中の私事みたいなお知らせで恐縮だが、はてなダイヤリーと楽天ブログでやっていた自分のリザーブ・ブログの更新を、12月 2日をもって停止した。

こちらのココログにしかアクセスしない方には、はっきり言ってどうでもいいことだが、私はこれまで、この "Today's Crack" とまったく同じ内容の "Today's Crack 2" というブログを 「はてなダイヤリー」 で運営し、同様にもう一つの "Wakalog" も、「楽天ブログ」 に同じ内容の "tak's Outpost" というのを持ってきたのである。

一人で 2つのブログを毎日更新するだけでも手間と言えば手間なのに、なんでまた同じ内容のブログをもう一つずつ持つなんていうチョー手間のかかることをしてきたかというと、実はこのココログというブログ・サービスをあまり信用していなかったので、緊急避難先をもっておくに越したことはないと考えていたからだ。数年前までのココログはしゅっちゅう不具合を発生させて、とても安心して使い続けられる代物ではなかったのである。

とにかく、日頃の更新を行うにしても異常に重かった。さらに 「システム・メンテをするので、半日運用を停止する」 との予告があれば、たいてい 1日近くかかる。2006年 3月には、「午前 10時から午後 2時までの 5時間かかる」 という予告だったのに、実際には 30時間経ってようやく管理画面にアクセスできた。この時は、「はてな」 にリザーブを作っておいて本当によかったと思った。この時の経過は、同年 3月 10日の記事で書いている。

この年はココログの厄年だったようで、あまりの不具合のひどさと対応の悪さが響き、7月には、ココログ側で設置した 「【特設】ココログレスポンス問題お知らせブログ」 というのが、ユーザーの怒りの声で炎上しまくった (参照)。

さらにこの年の 12月には、運営会社であるニフティの東証第二部上場に合わせ、システムを大幅バージョンアップするという触れ込みだったが、53時間かけたのにバージョンアップに失敗して、結局元に戻すという大失態を演じた。こんな馬韓なことをしたために、せっかく上場した日の株価の終値が売り出し価格より下がってしまうというおまけまで付いたのだった(参照)。

この頃は、「ココログって日本のブログ・サービスの草分けなんだけど、スタートが早かった分、システムはお粗末なままで運用されてるんだろうなあ」 と、半分以上あきらめの境地に達していたのである。「これ以上ひどくなったら、他のサービスに引っ越そうか」 なんてことまで考えていた。

ところがあれから 10年近く経ち、さすがにココログのシステムも安定してきたようで、相変わらず重いことは重いのだが、PC を蹴飛ばしたくなるほどの重さではなくなったし、メンテ時間が予定の 2倍も 3倍もかかってしまうなんていう不具合はほとんどなくなった。当たり前のことだが、ユーザーとしてはありがたいことである。

というわけで最近は、「リザーブ・ブログを持っていてよかった」 と思うこともなくなり、それどころかかえって負担に感じていたのである。そしてついに、いっそのこと更新を停止してしまおうと決めたわけだ。

ところが、この記事を書いてアップロードしようとしたら、いきなりシステムに不具合が生じ、せっかく書いた記事が消えてしまうというハプニングが生じた。これは記憶が鮮明なうちに急いで書き直したのだが、せっかく珍しく誉めてやったのに、そんな時に限ってココログには裏切られる。

そんなこんなで、まだまだ油断は禁物だが、せっかく停止したリザーブを 1日で復活なんてことまでは、しなくて済みそうだ。いずれにしてもニフティ (ココログの運営会社) には、年期の入ったユーザーが多いのだ。私もインターネットが本格化する前の 「パソコン通信」 時代からやってる古株だし、愛着がないわけではないしね (参照)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/03

「ラッスンゴレライ」 って、全然知らなかったなあ

昨日の "「新語・流行語大賞」 も変わらなければならないので" という記事に、kaki さんから 「google の検索ランキングの方がしっくりします」 というコメントが寄せられた。紹介された公式 Twitter のページに行ってみると、「2015年 Google 検索による流行語ランキング」 というもので、次のようになっている。

大賞  マイナンバー
2位  ラッスンゴレライ
3位  エンブレム
4位  ドローン
5位  北陸新幹線
6位  あったかいんだから
7位  大阪都構想
8位  火花
9位  おにぎらず
10位  モラハラ

大賞が 「マイナンバー」 というのは、「新語・流行語大賞」 の方の選考委員の方々の意識からは外れてしまっていたようだ。しかしイベント性という余計な縛りを取り払えば、「爆買い」 「トリプルスリー」 なんかより納得感があるかもしれない。

ただ、この Google 検索のベスト 10 の中には、私にとって馴染みのなかった言葉が 3つも含まれている。世の中の人が興味を持って検索してみた言葉の上位 10 の中の 3割なのだから、ちょっとショックである。

まず、2位の 「ラッスンゴレライ」 は、見たことも聞いたこともなく、実際に Google 検索して YouTube の動画 (下に貼っておく) を見てみるまで、どんなものだか想像すらできなかった。そして動画を見てからさえ、しかとは理解できていない。

まあ、これに関しては 「こういうもんなのね」 と思えばいいだけで、ことさら理解する必要なんてないのだろう。「あばらかべっそん」 の新しめのやつと思えばいいのかもしれない。ただ、「原爆云々」 という瓢箪から駒的な現象もあった (参照) らしいし、状況をいろいろ考察してみたら少しは面白いかもしれないが、それはずっと後回しにしておこう。

さらに、6位の 「あったかいんだから」 と、9位の 「おにぎらず」 も、一度か二度、どこかで聞いたことがあるような気はするのだが、詳しくは何も知らなかった。

あわててググってみたが、「あったかいんだから」 に関しては 「ラッスンゴレライ」 同様に、YouTube で見てみてもしっくりとはわからない (参照)。おそらくテレビでリアルタイムに接してないといけないんだろう。

「おにぎらず」 は、おにぎりを簡単に作るための道具か何かかと思ったが、さにあらず、「おにぎらず」 という名の食い物そのもののことだった (参照)。コンビニで売られるようにでもなったら本物だろうが、おそらくそのうち 「昔流行ったことがあったよね」 なんて言われる程度に廃れるだろう。

いずれにしても Google の方が妙な意図が働かないだけ、 「流行語大賞」 よりも 「なるほどね」 と思わせるところはある。知らなかったことについて、少なくともどんなようなものかを知るきっかけにもなったことだし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/12/02

「新語・流行語大賞」 も変わらなければならないので

「新語・流行語大賞」 というものがまだ存続していて、今年の大賞は 「爆買い」 と 「トリプルスリー」 に決定したんだそうだ。

これは七夕とか 「レコード大賞」 とかのように、年に一度の伝統行事化していてマスコミのニュース・ネタとしてはとても手頃だから、この時期になると必ずそれなりのニュースになる。しかし今となっては、世の中で果たす使命としては、もう終わりかけているような気がする。

このイベントのスポンサーは、生涯学習を商売にしているユーキャンという会社が前面に出ているが、昔は出版社の自由国民社だった。自由国民社といえば 『現代用語の基礎知識』 で知られ、二番煎じだった 『イミダス』 や 『知恵蔵』 がなくなった今でも、この 『現代用語の基礎知識』 だけは続いているらしい。つい 「らしい」 と言ってしまうのが悲しいところだが。

思えば、 『イミダス』 や 『知恵蔵』 が 2007年版 (2006年発行) をもって終了してしまった時点で、年間ベースの 「流行語」 というもののマーケッタビリティも、かなり低下してしまっていたのだろう。そのために、このイベントも単に 「伝統行事」 の一つになってしまった。

言葉の移り変わりのペースがものすごく刹那的になったり、あるいは局所的な使われ方をするようになったために、発表される頃には 「今さら感覚」 たっぷりになっていたり、「何それ? 知らない」 なんて言われてしまったりする。この感覚は、レコード大賞などとかなり共通する。

ただ、そのあたりはイベントの主催者もそれなりに感じているようで、今年の大賞は、これまでとほんの少しだけ違った方向に進もうとしているのが感じられる。何しろ選考委員をつとめるのが、姜尚中、俵万智、鳥越俊太郎、室井滋、やくみつる、箭内道彦、清水均(『現代用語の基礎知識』編集長) の 7名である。

この顔ぶれは、こうしたものにありがちな広告代理店的発想の 「話題になりさえすりゃいいじゃん!」 という感覚と、辛うじて一線を引いている。イベントとしての新たな存在意義を模索したくなったとしても不思議ではない。

その意味で、選考委員長の鳥越俊太郎氏は 「今年はやはり政治の季節だったんだな」 とコメントし、、姜尚中氏は 「今年はある意味で、主役は永田町にいた」 と同意したと伝えられている。これまでのミーハー的スタンスを脱して、ちょっとだけ硬派の要素を加えたいという意思が感じられる。たまたま今年の傾向がそうだったんだと言われればそれまでだが。

いずれにしても年に一度というのは、これまでのミーハー的色彩を保つには呑気すぎる時代になったのだから、イベントを続けたいなら新たな方向を探る必要があるのだろう。ただ急に大きくは変われないから、今年の大賞は  「爆買い」 と 「トリプルスリー」 なんていう中途半端なところに落ち着いたのかも知れない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015/12/01

台東区の公式ウェブサイトが 89の言語対応だというのだが

台東区の公式ウェブサイトが 89の外国語に対応したというので 「すげえなあ!」 と思っていたら、なんとそれは機械翻訳によるものなんだそうだ (参照)。ずいぶん無茶なことをするものである。

とはいえ、英語ページぐらいはまともに翻訳しているのかと思ったが、さにあらず。開こうとクリックすると、最初に次のような 「機械翻訳によるものだから、正確じゃないよ」 という警告が表示される。お役所の公式ウェブサイトのくせに、かなり人を馬鹿にした話である。

The following pages are translated by a web-based automated translation service, J-SERVER PROFESSIONAL, powered by Kodensha Co., Ltd.

Please keep in mind that the translation system isn't 100% accurate. It's possible that some words, including proper nouns, might be translated inaccurately.

そもそもこの警告自体からして妙な英語ではあり、機械翻訳だからマズいというより先に、元の日本語からしてお下手なんじゃないかと疑わせるに十分な雰囲気がありありだ。つまり、お下手な日本語と機械翻訳による不調法の合わせ技で、台東区の外国語ページはかなりアヤシいものになっていると思われる。

それは東京スカイツリーを英語で説明したページ (参照) に目を通すだけで明らかだ。機械翻訳と知って読むから 「あれあれ、まあまあ」 と苦笑するぐらいで済むが、そうと知らなかったら、「これを翻訳した馬鹿を呼びつけて、翻訳料を返還させろ!」 と言いたくなるだろう。

というか、それ以前に元の日本語ページでも、「現在建設中の東京スカイツリー【2011年12月竣工】。台東区内で多くの場所で見ることが出来るようになりました」 (2015年 12月1日現在) なんて書いてある (参照) んだから、「この日本語テキストを書いた馬鹿を呼びつけろ!」 と言いたくなるのだが。

結論をいえば、89の言語なんて欲張るよりもまず、元の日本語ページからしっかり書き直して、その上で英語、中国語、韓国語の 3カ国語だけでも、きちんとしたオーソリティに翻訳させるべきだろう。そうでもしないと、台東区の品格を貶めるだけなんじゃあるまいか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »