当たり前の中の一ひねり
ほんの些細なことだが、今年の夏に軽自動車に乗り換えて (参照)、自分のクルマの前の方のナンバープレートが横っちょにずれていることに気付いた。「ふぅん、真ん中じゃないんだ。へえ、そうなんだ」 と思ったものの、軽自動車のほとんどがそうだと気付いたのは、うかつなことについ最近のことである。
近所のスーパーの駐車場でみてみると、ほとんどすべての軽自動車のフロントのナンバープレートは、真ん中よりちょっと右側にずれている。左の写真をクリックすると拡大されるが、黄色のナンバープレート (軽自動車は黄色のナンバープレートと決められているらしい) は、ことごとくそうなっているのがわかるだろう。一方、普通車の白いナンバープレートはすべてきちんと真ん中に取り付けられている。
「へえ、ウチのクルマだけじゃなくて、軽自動車ってみんなそうなんだ。知らなかった!」 目からウロコとは、このことである。
軽自動車のナンバープレートが、ここまで揃いも揃ってずれてるというのは、きっと理由があるに違いない。まあ、普通に考えればラジエーターの関係なんだろうと想像がつく。軽自動車のラジエーターはやはり普通車のそれより小さいだろうし、クルマ自体の幅も狭いから、ナンバープレートで塞いで冷却効率を落とさないために、ちょっと横にずらしてるんだろう。
そう思ってググって調べてみると、果たしてその通りだった。当たり前すぎる結論で、ちょっとシラけてしまうほどである。
改めて考えてみると軽自動車というのは、「当たり前」 を突き詰めに突き詰めてデザインされているのだとわかる。軽自動車としての制約の中で最大限の性能と効率を実現するために、とことん当たり前を追求した結果が、こんなようなスタイルになるのだろう。
世の中には、「当たり前をとことん追求した結果のグッドデザイン」 と、「当たり前をうまく否定したグッドデザイン」 というのがある。そのどちらも美しい。そしてその中間に、「中途半端に当たり前のデザイン」 という広大なゾーンがあり、それらはあんまり美しさを感じない。まあ、「当たり前を下手に否定した結果、ぶちこわしになったデザイン」 というのよりは多少はマシかもしれないが。
「当たり前」 というのは、とことん追求するか、あるいは上手に否定してしまうか、そのどちらかでないとあんまり意味がないもののようなのである。
私としては、当たり前の中にさりげなくちょっとだけ当たり前を否定した 「一ひねり」 を加えたデザインというのが好みである。このブログも、そんなところを目指しているのだが、実はそれって、結構難しい。
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