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2016/04/28

「おもてなし」 の 「語源」 について、再び

私は自分でも 「アスペルガー一歩手前」 というほどだから、言葉をずいぶん文字通りに解釈する傾向が強い。例えば 「ラジオの音を低くして」 と言われたりすると、「このラジオ、トーン・コントロールがないから、低くはできないんだけどなあ」 なんて思ってから、「ああ、そうか、ボリュームを小さくするってことね」 と、ようやく気付いたりする。音の 「大小」 と 「高低」 を、言葉の上でしっかり区別しちゃうのだ。

フツーの人はそこまでビョーキじゃないだろうが、「語源」 という言葉をものすごくテキトーに使っている人が多いようだということに、4日前の "「おもてなし」 の語源が 「裏表がない」 とは、乱暴すぎる" という記事を書いていて気がついた。ネットを検索すると、"「おもてなし」 という言葉の 「語源」 が 「裏表がない」 ということ" としているページが、やたらと多いのである。本当に数え切れないほどだ (参照)。

例えば検索結果の筆頭に来ている、もっともらしい名称の某協会のページには、次のように書かれている。

「おもてなし」 とは、「もてなし」 に丁寧語 「お」 を付けた言葉である。「もてなし」 の語源は 「モノを持って成し遂げる」 という意味です。お客様に応対する扱い、待遇とも言われます。「おもてなし」 のもう一つの語源は 「表裏なし」 です。つまり表裏のない 「心」 でお客様をお迎えするという意味になります。

「モノを持って成し遂げる」 という説に関しては後述することにして、ここではまず、"「おもてなし」 とは、「もてなし」 に丁寧語 「お」 を付けた言葉である" と、きちんと説明しておきながら、そのすぐ痕に "「おもてなし」 のもう一つの語源は 「表裏なし」 です" なんて言うことについて触れよう。このテキストを作成した人は、こんなことを書いて矛盾も気持ち悪さも感じなかったんだろうか?

なんとなく教え諭す風に書いてあるところから察すると、この人は 「語源」 という言葉の意味を知らずに書いているので、矛盾も気持ち悪さも感じていないとしか思えない。「語源」 という単語を、「言葉を (無理矢理に) 解釈したところの深イイ意味」 ぐらいのつもりで語っているようなのである。

今さら言うのも馬鹿馬鹿しいが、「語源」 を Goo 国語辞書で引くと、このようにある。(参照

個々の単語の本来の形や意味。また、個々の単語の成立の由来や起源。

「おもてなし」 という単語の 「本来の形」 は 「もてなし」 なのだから、その 「語源」 に 「表/裏」 という概念が介在する余地はない。つまりこの単語の 「成立の由来や起源」 に 「表/裏」 なんて、まったく関係がない。ということは、しつこく繰り返すが、「裏表なし」 は 「おもてなし」 の 「語源」 であるはずがない。後からこじつけた解釈を 「語源」 なんて言っちゃいけない。。

誤解されないように言っておくが、私は 「裏表のない心でもてなす」 ことに意義を唱えているわけではない。そのように解釈してそのように実行するのは、なかなかいいことである。ただし、"「おもてなし」 の 「語源」 は 「裏表なし」" などという寝言を言うのだけはやめてもらいたい。「語源」 とさえ言わなければ問題ないが、それを言った時点で、おのれの無知をさらけ出したことになり、せっかくの 「深イイ」 が台無しになる。

例えば 「『働く』 とは、傍 (はた) を楽にすることですよ。周囲のために働くという気持ちが大切ですよ」 とか言うのは素敵だ。しかし、"「働く」 の 「語源」 は 「傍を楽にする」" なんて言ってしまったら、その瞬間、アウトだ。まあ、この誤解もネット上に溢れていて、かなり気持ち悪いのだが。

さて、再び例の 「某協会」 のページにもどると、次のようにある。

「おもてなし」 には、目に見える 「モノ」 と、目に見えない 「コト」 があると言われます。

(中略)

おもてなしとは 「思い遣り」 を出来る限りの 「モノ」 と 「コト」 で、表裏の無い心で誠実に伝えることです。

おいおい、"出来る限りの 「モノ」 と 「コト」 で云々" と言う前に、あなたは "「もてなし」 の語源は 「モノを持って成し遂げる」 という意味です" と言っていたではないか。急に 「コト」 が加わってしまったことに何の説明もないのは、いくらなんでも唐突すぎる。このテキストを書いた人が、ここでもう一つ気持ち悪くならなかったというのも、やっぱりおかしい。

私が 3日前の記事で書いたように、「おもてなし」 は 「モノを以て」 ということとは関係がない。だから、「裏表なし」 「モノを以て成し遂げる」 という妙ちくりんな語源説は、はっきり言ってデタラメである。

このデタラメがこんなにも広まってしまったのは、ネット上のコピペや引用あるいは勝手に取り込むことで広がったという要素が大きいと思われる。一見もっともらしく、「深イイ」 みたいな気がしてしまうので、あちこちで (敢えて言わせてもらうが) 無知な人たちが、いい気持ちになって安易に広めてしまったようなのだ。

おかげで 「語源」 という言葉の意味をちゃんと踏まえてる人間には、気持ち悪くてしょうがない状態になってしまっているのである。上記の 「働く = 傍を楽にする」 と合わせて、「二大気持ち悪い語源説」 と言っていいかもしれない。

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