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2016/07/01

良い PTA とは、別に何もしなくて済んじゃう PTA である

Yomiuri Online に 「お父さんが知らない、妻が PTA を嫌がる三つの理由」 という記事がある。その 「三つの理由」 とは、次のようなようなことらしい。

「強制的にやらされるから」
「目的が見えないから」
「平日日中の活動が中心だから」

とまあ、もっともらしい三つの項目が挙げられているが、なんだかとってつけたような話である。この記事では、PTA を本来の意味でのボランティア活動として、希望者のみが、仕事が終わってからの夜間、あるいは休日を中心に活動するようになってから、うまく行くようになったという例が紹介されている。

この例ではまず "PTA" (Parent - Teacher - Association) の名称を 「"PTO"  (Parent - Teacher - Organization、学校応援団)」 と変えたのだそうだ。これがどうして 「学校応援団」 ということになるのかよくわからないのだが、まあ、「雰囲気のモノ」 なんだろう。

そして総会や入学式で 「ハッピーなもの」 というイメージを訴求するフォトムービーでプレゼンし、休日中心の活動としたところ、強制的参加ではないのに、全家庭が参加しているのだという。ふぅん、ただ、この記事でもやはり 「目的が見えない」 という点に関しては改善されているようには見受けられないのだよね。強いて言えば、PTA、じゃない、PTO 活動をすること自体が、PTO 活動の目的なのかもしれない。

私の考えで言えば、PTA (あるいは PTO でもいいけど) なんて、別に何にもすることがないのが一番いいのだと思う。年度初めの総会で、一応役員を決め、会長は一応名誉職としていろいろな会合で取って付けたような挨拶をし、もし将来的に市会議員にでも立候補なんていう野心があるなら、それを利用して好きなだけ顔を売ればいい。そこから先のことは知らない。

そして 1年の間、特段何もせず、おざなりの広報紙を半年に 1度ぐらい出して、後は最後の総会でテキトーに活動報告をすればいい。目立った活動なんて何もしなくていい。というか、しない方がいい。

もし、しょっちゅう集まって会議をしなければならないようなことがあったら、それは学校で何か大きな問題が生じた時である。問題がなかったら、無理に活動なんてしなくていい。「便りのないのが良い便り」 というのと同様に、「活動のないのが良い活動」 なのである。

迷惑なのは、妙に PTA 活動に熱心な人がいて、多くの親たちを自分のやりたい活動に巻き込みたがるケースが生じた時である。声の大きなおばさんがますます声を張り上げて音頭を取り、さして必要でもない活動に皆をかき集めたがると、とたんに不満がたまる。

実はウチの子どもが小学生の時に、まさにそんなケースが生じた。PTA の図書委員長だったかになったのが妙にアグレッシブなオバサンで、図書委員になったお母さんたちをかき集めて、週に何度か町立図書館 (当時は 「市」 でなくて 「町」 だったのよね) で何だかの活動を行うように決めちゃったのである。

これには、なりたくてなったわけじゃない図書委員のお母さんたちがうろたえた。実は私の妻もたまたま図書委員になってしまっていて、「図書館は好きだけど、なんでそんなことしなければいけないの?」 ってなことになった。

そこで私は 「なにを馬鹿なことを!」 と憤り、すぐに町立図書館の館長に直接かけあったのである。「どうして特定の町立小学校の PTA が、その分限を越えて町立図書館の活動なんてしなければならないのか」 と質問すると、図書館長としても、なんだか強引なオファーがあったので、断るに断り切れないで受けちゃったってなことだったようなのだ。

そこで私は 「一町立小学校の PTA が、町立図書館の運営に関わるのは、その任務の枠を逸脱している」 と問題提起した。「そんなにやりたかったら、PTA を巻き込まず、一町民の立場でボランティアをかき集めてやればいいでしょ!」

するとそれまで不満に思いながらも耐えていたお母さんたちが、「そうよ、そうなのよね!」 と一斉に声を上げ始め、妙なプロジェクトはあっという間に立ち消えになった。当たり前である。そんなの、ちょっと考えればあり得ない話じゃないか。

その時に私が強調したのは、「良い PTA とは、別に何もしなくて済んでしまう PTA ではないでしょうか。しょっちゅう集まって、どうしたらいいか討議を重ねなければならないような事態になったら、そりゃ大変です。なるべくそんなことにならないように希望したいですね」 ということだった。

これは親たちの本音そのものである。PTA 活動なんて、不必要な建前だけで流されるから、みんな嫌になるのだ。この主張は、当人が思っていた以上に大いなる賛同を得てしまったなあ。

今どき、みんな暇なわけじゃないし、わけのわからない PTA 活動なんかより、もっと楽しくてやり甲斐のある活動も他にたくさんあるのだ。

要するに、何もしなくて済んじゃう PTA が一番なのである。何かやりたかったら、PTA なんかじゃなく、他のもっと広がりを持った舞台でやるべきなのだ。

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コメント

ウチの小僧が小学校高学年のとき、PTAの経験しました。

前年度、月1回の会議所要時間が約2時間…。
当年度アタクシが議事を進行するようになり、最短40分のときもあり、皆さんの負担感を軽減させました。

それからは動きが良くなったと、自負しております。

その他にも、総会にパワポ持ち込んで活動報告を動画や画像で紹介し、それまでおしゃべり中心(一般参加者)だった総会を、「シーン」とさせた実績があります。


あれはあれで、楽しかったなぁ〜。
(メートル上々)

投稿: 乙痴庵 | 2016/07/02 00:28

なにか、日本社会の根底には(大層になつてきたぞ)、「本当はゐやなんだけど、自分からは言ひ出しにくゐ。自分から言ひ出して割を喰ふのは嫌だ」という古めかしひ感覚が連面と横たわつてゐるよふに思ふ。もしかして前の戦争も…?

まぁ、私は子どもがゐなゐ(といふか妻帯者でもなひ)ので、PTAの活動につひてはよく知らなひのですが、前述したよふな日本社会の学校および教師の「見張り役」としての存在価値は充分にあるのではなひでせうかね。

投稿: はぎ腹みづ禰 | 2016/07/02 10:16

はぎ腹みづ禰 さん:

>日本社会の学校および教師の「見張り役」としての存在価値は充分にあるのではなひでせうかね。

見張っているだけで済めば OK。それだけで済まなくなって、アクションを取らなければならないような事態になったら、エラいことです。

投稿: tak | 2016/07/02 21:51

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