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2016/09/08

『秋桜』 という歌の世界

昨日クルマを運転していたら、カーラジオから 『秋桜』 という歌が流れてきた。山口百恵のバージョンではなく、作曲者のさだまさし自身の歌ったものである。聞きたかったら、こちら でも聞ける。

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この曲、今やスタンダードになっているみたいなのだ。翌日に嫁ぐことの決まっている娘が、母親への想いを綴るという想定の歌で、こんな歌詞がある。

明日嫁ぐ私に 苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った

小津安二郎の世界みたいな 「古き良き時代」 を感じさせるしっとりとした雰囲気だが、帰宅してから調べてみると、1977年のヒットである。高度成長が終わり、オイルショックまで経験してしまってからの歌だ。

実は、この歌は個人的にはあまりしっくりこない。その理由を考えてみると、「明日嫁ぐ私」 が、実家で母親に手伝ってもらいながら荷造りをするなんてシチュエーションが、あまりにも遠い世界のことのように思われるからだと気がついた。少なくとも、オイルショック後の世界じゃない。

私が妻と結婚したのはちょうどこの頃だが、その 2〜3年前から既に一緒に暮らしていた。ずっとそのままでも別に構わなかったのだが、一応区切りをつけるために結婚式を挙げ、新しく戸籍を作ったのがこの頃である。

そうした個人的事情から考えてみても、『秋桜』 の歌の世界はかけ離れすぎている。懐メロならわかるが、1977年という時代に、さだまさしが作って山口百恵が歌うという必然性が、さっぱり理解できなかったのである。

ましてや、作者のさだまさし自身がギターソロで歌うとなると、私のちょっと苦手な 「クロスジェンダー・パフォーマンス」 の世界になってしまうのだよ (参照 1参照 2)。彼は 『関白宣言』 なんていう歌は冗談めかして作っても、見ようによってはその裏側の世界みたいな 『秋桜』 という歌となると、こんなにもシリアスに作ってしまうのだね。

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コメント

さだまさしは好んで聴いていたわけじゃないので、改めて正面から聴いてみましたが、少々脳内が混乱してきますね。
こういう歌詞(嫁入り前の娘と母の心情)を男が朗々と歌い上げていることに。
確かに時代背景も最低二十年はズレてますね。

松山千春の「恋」
 愛することに疲れたみたい、嫌いになったわけじゃない...男はいつも待たせるだけで、女いつもは待ちくたびれて...

同じく松山千春の「旅立ち」
 私の瞳が濡れているのは泪なんかじゃないわ、泣いたりしない...

この二曲を松山千春が歌っても違和感を感じないのは、別れを決意し、自立していく女性の心情を歌っているからでしょうか。

でもよくわからない。

投稿: ハマッコー | 2016/09/09 00:04

ハマッコー さん:

まあ、いずれにしても、男が女心を歌うと、男にとって都合のいい女を描きがちですね。ムード歌謡なんて、まさに「都合良すぎ」 ですが。

投稿: tak | 2016/09/09 13:27

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