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2016/11/14

「幸福」 と 「幸せ」 とは、ビミョーに違ってる

小学校 6年の頃だったと思うが、「幸福」 というテーマで作文を書かされたことがある。何かの作文コンクールの、その年のテーマがそんなことだったように記憶している。年端もいかぬ子どもに幸福論を語らせるとは、コンクールの主催者もなかなかいい度胸だが、あるいは 「僕はいい両親のもとに生まれて幸せ」 みたいな、プリミティブな予定調和の内容でも期待したのだろうか。

Maneineko

当時の私はずいぶんませていて、「なんだか知らないが 『僕は幸せです』 みたいな見え透いたことは金輪際書かんぞ」 と思っていた。そこでまず、「幸福とはなんぞや」 というところから論を始め、「一時的な 『幸福感』 みたいなものを覚えることはしょっちゅうあるが、そんなのは長続きしたためしがない」 と書き進めたのである。

「長続きする 『完全な幸福』 というのは、すべてが完全に満たされ、それが他との衝突や自己矛盾を一切生ぜず、しかも永続するものでなければならない」 と思い当たり、そして即座に、「そんなことは不可能である」 と断定せざるを得なかった。子供心にも、「そんなのあり得ん」 という結論に達するのに時間はかからなかったのである。

というわけで、私は 「この世に本当の幸福なんてあり得ないから、別に期待しない」 という、まったく可愛げのない作文を提出し、当然ながら教師には全然ほめられなかった。教師としてはやっぱり、子どもらしく可愛らしい作文を期待していたんだろうなあ。

念のために言っておくが、子どもの頃の私が妙に根クラだったなんていうわけじゃない。むしろ快活な性格だった。ただ、大上段に振りかぶって 「幸福」 なんてものを語らせられたから、そう結論せざるを得なかっただけの話である。

だから作文では 「幸福なんてあり得ない」 と書きながら、実際には 「僕は幸福です」 なんてことを白々しく書いた子たちより、ずっと楽しく暮らしていた。「自分は不幸だ」 なんて思ったことは一度もなかったし、「別に 『完全なる幸福』 なんてものに恵まれなくても、人生はまんざら捨てたもんじゃない」 と、ポジティブに考えていたのである。

で、あれから約半世紀、とっくに還暦を過ぎてしまった身としては、「そんな風に思えるってことは、要するに 『幸せ』 ってことじゃないの?」 と思い至る程度に、性格が丸くなってしまったのを感じる。「こんな感じで暮らせるってことは、ありがたいことだわな」 と思えることは、すなわち 「幸せ」 なんだろう。

小学生の頃に 「幸福」 なんて熟語で迫られてしまったから、こちらとしてもムキになって大げさに反応してしまったが、「幸せ」 という和言葉で書けと言われたら、案外 「自分は幸せなのかも」 と素直に書けたかもしれない。「幸福」 と 「幸せ」 とは、ビミョーに違ってる。

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コメント

前から読ませていただいておりましたが、初めてコメントさせていただきます
ひねくれたことを考える人というのは素直な人よりずっと多いようで、「幸福は義務です」で検索すると面白いものが読めますよ

投稿: 柘榴 | 2016/11/16 05:49

柘榴 さん:

ごめんなさい。ゲーム苦手なもんで、「面白い」と感じる以前にシンパシー不足でなかなか読み進めませんでした。
とはいえ、一応 1ページ分に表示されたリンク先は読みましたけど。

投稿: tak | 2016/11/16 17:10

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