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2017年2月に作成された投稿

2017/02/28

4LDK のマンションの広さ

SUUMO よいう不動産物件サイトの広告で、「4LDKって…ひ、広い!」 というのがある。なんでも、埼玉の新築マンション情報なのだそうだ。でも正直なところ、4LDK って、そんなに広いわけじゃないのだよね。とくに首都圏のマンションなんて、名目 8畳の部屋が、田舎の 6畳間ぐらいのものなんだから。

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実は我が家だって 4LDK である。昔の田園地帯を造成した住宅地の一戸建てだから、多分首都圏のマンションの 4LDK より広いと思う。だけど、我が家の周囲の元から住んでいる人たちの、御殿みたいな家に比べたら、おもちゃみたいなものだ。

何しろ、8畳間のあるマンションに引っ越して 「いやあ、8畳間って広いねえ」 なんて言ってる人に、田舎のオッサンが 「ウチには 10畳以下の部屋なんてねえよとは、気の毒で言えなかったよ」 と苦笑いしていたぐらいのものである。家のサイズに関する感覚というのは、都会と田舎ではかなり違う。

そして米国あたりの人間のスペース感覚はさらに広大だ。ニューヨークの住宅なんて日本人の感覚とそんなに変わらないが、中西部の住宅となると、もう、広いなんてものじゃない。少なくとも 20畳ぐらいのスペースのリビングルームに、ソファが点在している。日本の 「応接 3点セット」 みたいな、コンパクトにまとまったものじゃないのだ。

家族があんなに離れたソファに座るのだから、声だって自然に大きくなる。あのスペースに日本人が入ったら、いつの間にか自然に真ん中に寄り集まって小さな車座になってしまう。

都会に住んでいたら、人間の感覚はどうしてもチマチマしたものになってしまう。時々は自然の中に出て、思いっきり空気を吸って歩き回ることが必要だ。マンションの 4LDK ごときで、「ひ、広い!」 なんて言ってちゃいけないのである。

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2017/02/27

例の森友学園の問題で思うこと

例の森友学園とやらの問題が、大きく取り上げられている。私の個人的立場としては、私立の学校がどんな教育方針を採ろうが知ったこっちゃないが、それが時の権力と癒着してしまったら問題だと考える。そして森友学園の場合は政権との距離が半端なく近そうなので、いくらなんでもヤバいんじゃないかと思うのである。

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ここの幼稚園では、「教育勅語」 を園児に朗唱させているという。このことに関しては、そりゃ私立の幼稚園の教育方針なんだから、別に構わないと思う。個人的には自分の子どもをそんなような幼稚園に入れたいとは決して思わないが、そういうのがお好きな人たちは入れたがるんだろう。

教育勅語がお好きな人たちは、「愛国心や親孝行など、人間として当然のことが謳われている。何がいけないんだ」 と言う。確かに、教育勅語を冷静に読んで見れば、それは言える。そう思うだけ、私の立場は読みもせずにヒステリックに批判するだけの人とは違う。

しかし私は、愛国心や親孝行を教えるのに、今どき敢えて教育勅語を持ち出す必要があるとは思わない。あれは変な手垢がついているところがあるから、敬して遠ざけておきたい。敬して遠ざけずに好んで朗唱したがるような人たちは、フツーの愛国心や親孝行以上のものをそこに期待しているのである。

私は九段の辺りを通りかかって時間があったら、靖国神社に参拝することもある。親戚に戦死した人がいるので、慰霊したいと思うからである。しかし境内にある博物館の 「遊就館」 の展示に関しては、ちょっと複雑な思いがある。

あの博物館の展示のトーンは、どう見ても太平洋戦争 (彼らは 「大東亜戦争」 と言ってるのかな) の全面的肯定だ。しかし私は、「国のために」 と命を捨てた人たちの慰霊と、あの戦争の全面的肯定とは、それほど単純にリンクするものではなかろうと思っている。まったくリンクしないというわけでもないが、あの展示はあまりにも直接的すぎて、私には違和感があるのだ。

中にはああいうトーンに違和感を覚えずに、「そうだそうだ、行け行け!」 と思ってしまうような人たちもいて、安倍首相なんかはそうした勢力の代表的存在なのだろう。昔の左翼運動は小さな違いで分裂に分裂を重ね自滅したが、教育勅語や靖国神社のお好きな人たちの情緒的結束力というのはかなりのもので、思いっきりまとまってしまう。

そして、まとまっている自分たち以外の勢力との対立軸を強調する傾向があるので、そんなメンタリティから時にはヘイトスピーチも生じたりする。安倍首相は米国では 「和解の力 (the power of reconsiliation)」 なんてスピーチをした (参照) のだが、彼らは相手によって和解と対立を露骨に使い分ける。戦争してるわけでもないのに。

その辺に結構な違和感を覚えてしまうので、私なんか靖国神社には参拝するくせに、そっちの方の動きに同調しようとは決して思わないのだよね。

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2017/02/26

茨城県内の圏央道が全部開通

本日明け方に圏央道 (首都圏中央連絡自動車道) の、茨城県内に残されていた不通区間、境古河 IC - つくば中央 IC 間が開通して、常磐道が中央自動車道、東名自動車道とつながった。つくば地域に居住する私にとっては、都心を抜けて山梨県や神奈川県以西に行くのがやたら億劫に感じられていたが、これからはかなり楽になるだろう。

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これまでも関越道に乗るのは、案外抵抗がなかった。常磐道を都心方面に行き、三郷から外環道に入って、練馬の大泉 JCT 経由で行けたからだ。しかし中央道、東名高速に乗るには、練馬から一般道 (環八) に降りるか、外環道の美女木から首都高に入らなければならない。どちらにしても延々と渋滞するので、ものすごく気が重かったのである。

何の用があるわけでもなく、ただ通過するだけの都心で渋滞に巻き込まれるのは、本当にばかばかしい気がしていた。これからは都心の渋滞を気にすることなく西に行けるというだけで、気分が軽くなる。

クルマで中央道、東名高速を通って西に行く機会は、年に 3〜4度ぐらいのもので、実際には鉄道を利用することの方が多いのだが、2人以上での移動だと、クルマの方が安く付くし小回りがきいたりする。だから、やはりこれはありがたい。

移動が短時間で済むだけでなく、渋滞による排気ガスの減少で、少しは空気もきれいになるだろう。ここまで来るのに、半世紀近くもの時間がかかった。本来ならもっと早く実現してもよかったと思うがなあ。

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2017/02/25

午後 3時に退社してまで同僚とツルんで飲みたいか

例のプレミアムフライデーというのが、昨日スタートしたらしく、いろいろなニュースで大々的に取り上げられている。実際にはこの制度の恩恵に浴している人なんて極めて少数派で、これら少数派が繰り出す飲食店や小売店で働く人たちにとっては、「いつもよりちょっと忙しい金曜の午後」 になっているだけなのだが。

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これに関するニュースをちょっとだけチェックしてみたのだが、何となく目立つのが、金曜の午後 3時に退社して、同僚と一緒に飲み屋に繰り出すというパターンだ。「金曜の明るいうちから、気兼ねなくみんなと飲めるのは嬉しい!」 みたいな、ありがちなコメントの連続である。

この 「同僚と一緒に飲み会」 というのは、テレビ・ニュース的に一番取り上げやすいパターンなので目立っているだけなのか、あるいは本当に、午後 3時に退社したらそのまま同じ顔ぶれで飲み屋に繰り出す種族が多いのか、ちょっと判断に迷うところだが、少なくとも特殊なケースではないみたいのである。

試しに 「プレミアムフライデー 同僚と飲み」 というキーワードでググると、結構な数のページがヒットする。やっぱりかなり多いパターンではあるらしい。これ、「なんだかなあ」 と思ってしまうのだよね。

せっかく金曜の午後 3時に退社するという幸運に恵まれながら、それでもなお、会社の同じ顔ぶれ同士でツルんでウダウダ、あるいはダハダハと酒を飲むしかないというのは、私みたいな人間からすると、ちょっと信じられない光景である。「そこまでして、会社の同僚と付き合いたいかね」 と思ってしまうのだ。

これ、下手すると 「毎月最後の金曜日は、恒例の飲み会」 みたいなことで定着してしまいかねないなんて、余計な心配までしてしまう。そして私みたいに 「そんなのはご免だからね」 という人間は 「あいつ、付き合いが悪い」 なんてことになって、出世にひびいたりしたら、どえらく馬鹿馬鹿しい話である。

プレミアムフライデーの恩恵に浴することのできる企業では、「ツルんで飲みに行くという因習的行為は望ましくない」 という空気を作るぐらいのことをしないと、半年後ぐらいにはかえってストレスの元になっちゃうんじゃないかなあ。

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2017/02/24

LP ガス小売価格は、めちゃくちゃ不透明なのだ

NHK が、「LP ガスの料金値下げなどへ新たな行政指針」 というニュースを流していた。4月から始まる都市ガスの小売り自由化にともない、全国で 2400万世帯が利用する LP ガスについても事業者間の競争を促すための新たな行政指針を、経済産業省がまとめたという。(参照

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我が家は今では都市ガスになったが、なにしろ田園地帯を造成した住宅地のため、数年前まではガス管が通っておらず、LP ガスに頼っていた。引っ越してから 30年以上にわたって、同じ LP ガス業者と契約していたのだが、あの東日本大震災から半年ぐらい経ったある日、別の会社のセールスマンが訪ねてきて、かなり安い料金での提供を申し出た。それまでと比べると、明らかに 30%ぐらい安くなる。

なんでそんなに安くできるのかと訊ねると、「フツー、新規契約だとどこの業者でもこのくらい安い値段でのオファーができる」 というのである。それが本当だとすれば、私は質問の仕方を間違えたことになる。本来は 「じゃあ、ウチはどうしてそんなに高いガスを買わされてきたのか」 と訊ねるべきだったのである。

そのセールスマンは、「これまで、円安傾向などを理由として、何度か値上げを承諾させられたでしょう」 と言う。うむ、確かに年に 1度以上は 「円安で輸入価格が上がっているので、値上げさせていただきます」 というオファーがあり、それを疑いもせず了承してきた。つまり我が家で購入する LP ガスの値段は、毎年少しずつ上がってきていた。

彼はさらに続ける。「これまで、円安を理由に値上げの申し出があったでしょうが、それなら、円高の時には値下げしてもらえましたか?」

うむ、そう言われてみれば、円安に振れたらさっさと値上げを呑まされたが、円高になったからといって値下げしてもらったことは一度もない。結局値上げされる一方で 30年以上買い続けてきたのである。

というわけで、LP ガスというのは、同じ業者と長年契約し続けていると、知らぬ間に相場よりかなり高い価格で買ってしまうことになるのだという。その業者は 「ここまで内情をバラした以上、当社では状況によっては仕方なく値上げさせていただくこともありますが、逆の状況になったら、ちゃんと値下げします」 と言う。

そこで、その業者と契約することに決めたのだが、LP ガス業界というのはわけのわからない慣習があるらしく、実際に新たな契約を結んで、その業者からの LP ガス提供を受けるまでには、3ヶ月近くかかった。それまでの業者が、頼みもしないのに勝手にボンベ交換をしてしまうのである。詳しい事情は忘れたが、そうされると、別の業者がそれを撤去して新たなボンベに付け替えるわけにいかないのだそうだ。

すったもんだのやりとりの挙げ句、ようやく新たな契約に切り替えて、それまでより安い価格で LP ガスを購入することができるようになったのだが、その 2年後ぐらいに東京ガスの配管工事が完成して、LP ガスの契約の必要がなくなり、今に至る。

NHK ニュースによると、料金メニューを公表している LP ガス事業者は全国 2万社のうち 150社程度と、全体の 1%にも満たず、小売価格の不透明さが指摘されているのだという。うむ、確かにそのようだ。同じ業者から買っても、客ごとに別の値段を請求されているわけである。何しろ長期に渡る顧客ほどボラれているというのだから、ひどいものだ。

もし長年にわたって同じ業者から LP ガスの提供を受け続けている方がいたら、一度別の業者に乗り換えてみるといい。多分、ずっと安い価格で買えると思うから。インターネット上で LP ガスの適正価格がわかる 「プロパンガス価格適正化協会」 というサイトもあるので、トライすることを薦めたい。

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2017/02/23

世の中に 「堂々たる駄々っ子」 が増えている

北陸への出張に出ている間、見逃していた新聞をざっと眺めてみると、まあ要するに、世界は 2人の駄々っ子にかき回されているみたいなのである。2人の駄々っ子とは、もちろん、ドナルド・トランプと金正恩だ。

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昨年末までは 「ドナルド・トランプの頭の中って、一体どうなってるんだ?」 と、わけのわからなさを感じていたが、年明け頃からそんなことはなくなった。要するに 「わかりやすすぎるおっさん」 なのである。あんまりわかりやすすぎるので、初めのうちは難しく考えてわからなくなっていたのだった。

この人、特別深い考えなんかないようなのだ。ただ単純に思ったことは口に出さないと気が済まないし、口に出してしまったらやらずには気が済まない駄々っ子なのである。「深い考えがない」 というのはもう公然の事実のようで、とにかく客観的な現状分析なんかしていない。自分の思い込みだけで突っ走る。

まともな現状分析なんかしていないから、とにかく 「なんじゃ、そりゃ?」 と言いたくなるような認識をまくしたてる。そのもっとも顕著な話が、「大統領就任式には史上最大の人数が集まった」 という発表だ。誰がどう見ても世迷い言なのに、側近のケリーアン・コンウェイ大統領顧問に 「オルタナ・ファクト (alternative facts: もうひとつの事実)」 とまで言わせている (参照)。

こんなめちゃくちゃな論理で政治をやられたら、国民はたまったものじゃない。気に入らない事実は 「ジャーナリズムが作ったでたらめ」 と決めつけ、自分の気に入る 「オルタナ・ファクト」 だけをわめき散らすというのは、誰かさんともろに共通する手法だ。

誰かさんというのは、もちろん北朝鮮の金正恩で、今回の金正男暗殺事件にしても、「我が国の顔に泥を塗るための韓国の陰謀だ」 なんて言い張っている。この国はいつもこの調子で、「オルタナ・ファクト」 のオンパレードだ。まともに取り合うことさえ馬鹿馬鹿しい。

そして米国までがそんなふうなことになっているのは、「堂々と駄々っ子でいさえすれば、どうにでもなる」 という風潮を作ってしまいそうで、困ったことだというしかない。で、そんな見地で世界を見回すと、世の中には堂々たる駄々っ子が増えてきているようなのだ。妙に大人でいるよりも、駄々っ子でいる方が楽だし、少なくとも損にはならないというようなことになってしまいつつある。

これは由々しき問題だよ、まったく。「堂々たる駄々っ子」 じゃなくて 「申し訳なさそうな駄々っ子」 とか 「おずおずした駄々っ子」 (両方とも、「そんなのありか?」 と言われそうだが、案外 「あり」 なのだよ) なら許せるんだけど。

【語句についての注釈】

"Alternative facts" という英語を 「オルタナ・ファクト (もう一つの事実)」 と言い換えるのは、あまりいい翻訳じゃないと思うのだが、ほかに適当な日本語が見当たらないので、ちょっと気持ち悪いけど我慢している。ううむ、何と言ったらいいのだろう。

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2017/02/22

視聴者投稿のタテ位置動画に思う

最近テレビでニュースを見ていると、視聴者から提供されたと思われる動画が登場することがある。そこで気になるのが、こうした素人から提供された動画は、ほとんどがタテ位置 (ケータイを縦に構えた際の、縦長の構図) ということだ。

中にはタテ位置でしかるべしという必然性のあるものもたまにはあるのだが、ほとんどはそうじゃない。ニュースになるような動きのある絵というのは、被写体が横に移動しているものが圧倒的多数なので、それをタテ位置で表示されると、イラっとしてしまう。

上に貼った写真なんかでも、縦位置だと残念なことになる。ヨコ位置だったら新幹線の横に伸びる姿と、背景の富士山がスッキリと映り込むのだが、こんな構図のタテ位置で動画を撮るとしたら、無神経にもほどがある。しかし、その無神経タテ位置動画が、世の中に溢れているのである。

例えばクルマの窓から外の景色を撮影していた際に、たまたま反対車線の多重衝突事故を写してしまったなんていうケースがタテ位置動画なんかだったりすると、「なんで、横に走っているクルマから景色を撮るのに、初めからヨコ位置で構えておかなかったんだよ!」と言いたくなってしまう。

これって、ケータイを片手で構えることで身に付いてしまった習性なんだろうと思う。とくに人物を撮る時には、片手でタテ位置に構えるのが自然なんだろう。

しかし横に長いものが横に移動しているのを動画で撮影する時には、90度傾けてヨコ位置にしてもらいたいのである。とくにテレビニュースに投稿しようなんて思うなら、是非そうしてほしい。何しろテレビ画面はヨコ位置なのだから。

テレビニュースにタテ位置動画が登場すると、数秒も経たないうちにズームで上下をカットし、ヨコ位置で表示されることが多い。そうした編集をしたくなる気持ちは、とてもよくわかる。

しかし、今の世の中、とくに若い人にとってはタテ位置画像というのがデフォルトになってしまっているようで、中には「テレビ画面もタテ位置になる」 なんて言ってる人までいる。これは道具が人間の感覚を変えてしまうという好例になると思う。

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2017/02/21

日本もなかなか広いものだ

能登から帰ってきた。昨夜から雪が降り出し、朝に七尾の港を散策する頃まで降ったり止んだりしていたので、なかなか寒かった。昨日は関東に春二番 (?) をもたらした南風のせいで、雨になっていたようだが、今日の風は本当に冷たかった。

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七尾の港のなんとか市場というところで、牡蠣か海鮮丼かを食べようと思っていたのだが、朝が早すぎて開いておらず、泣く泣く諦めて特急に乗って帰って来た。金沢で新幹線に乗り換える時に、ちょっとだけ余裕をみていたので、市内を散策したり食事したりできたのだが、やはり身を切るような冷たい風だった。

新幹線に乗って Facebook をのぞいてみると、知り合いの何人かが伊豆の河津桜見物に行っていて、いい陽気に似合った幸せそうな表情の写真を載せている。とくに昨日はぽかぽか陽気で、既に葉桜になっているのもあったという。こちらは寒風に震え上がっているというのに、どえらい違いだ。

日本もこれでなかなか広いものである。とくに昨今の冬から春に移る時分というのは、北から南にかけて季節感の違いが大きい。

写真は北陸新幹線の車窓から、長野近辺の景色を撮ったもの。この程度の雪なら、それはそれでなかなかいいものである。

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2017/02/20

冷たい雨の能登に来ている

仕事で石川県の七尾市というところに来ている。能登半島の真ん中よりちょっと南で、富山湾、七尾湾に面している。晴れ男の私としては珍しく、一日中冷たい雨に降られたが、まあ、雪になるよりはいいだろう。写真は日がとっぷりと暮れた七尾駅前である。

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私は一昨年に 「全都道府県制覇」 を達成している。単に足を踏み入れただけ、あるいは通過しただけというのではなく、全ての都道府県で一泊以上したという記録だ。しかし能登に来るのは初めてである。これまでは石川県は金沢にしか行ったことがなかった。

全都道府県は制覇したものの、旧国名で呼ばれる地域を全部制覇したわけではない。その意味で、同じ石川県でも金沢のある加賀国には何度も行ったが、ここ能登国は未踏の地だったのである。しかしこれで、未踏の国が一つ減った。

まだ豊前 (大分県北部)、大隅 (鹿児島県東部)、但馬 (兵庫県北部)、石見 (島根県西部)、飛騨 (岐阜県北部) と、淡路、壱岐、対馬、隠岐、佐渡の離島が残っている。但馬、淡路は、通過したことだけはあるので、それを大目に見てもらって、「行ったことはある」 とすれば、残りは 8つの国である。

このうち、石見、飛騨は行ける可能性が高いが、残り、とくに壱岐、対馬、隠岐の離島はよほど意識しないと難しい。しかし佐渡は是非行ってみたいなあ。

ちなみに、来る前に友人に 「今度、七尾に行くことになったよ」 というと、「それ、『風の盆』 の街じゃないか、いいなあ」 と言われたので、「あ、そうか、風の盆か」 と喜んでいたのだが、ふと 「ありゃ、風の盆は、『越中おわら節』 だから、能登じゃないよな」 と気付いた。

よく考えてみれば、風の盆は同じ北陸でも富山県の八尾町 (やつおまち) で、七尾市より 1個多いのだった。

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2017/02/19

月イチの午後 3時退社より、毎日定時退社の方が

一昨日の記事で、月末の金曜日は午後 3時で退社しようという 「プレミアムフライデー」 というものについて書いたが、これって、果たして根付くんだろうか。私は正直言ってとても悲観的だ。

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政府主導のキャンペーンでは 「クールビズ」 というのが最も成功した部類だと思う。これなんか、暑い夏に好んでスーツとネクタイ姿でいたいのはファッション人間過ぎるやつかよほどの変わり者で、たいていは涼しい格好をしたいのだから、ちょうどいい免罪符を与えたようなカタチになって広まった。

ちなみにこのクールビズ・キャンペーンの旗振りをしたのは、当時の環境相だった小池百合子さんだった。この人、やることにそつがないよね。そつがなさ過ぎて可愛くないところもあるけど。

話は戻って、「給料日直後の金曜日ぐらい (とはならない月も、確率として年に 1〜2度あるが)、早めに退社したいよね」 という思いは、多くの人がもっているだろう。しかし、「暑い夏はスーツとネクタイから解放されたいよね」 という思いと比べると、どうもグッとくるものがないし、「3時にあがって、どうするの?」 なんてことになる人も多いだろう。

それよりも私なんか、「月イチの午後 3時退社なんかより、毎日定時退社したいよね」 という方が、ずっとマシな発想だと思う。毎日夜の 9時とか 10時とかまで会社にいるような種族は、午後 3時に退社しても、なんとなく早めに帰宅して風呂入って寝ちゃうんじゃなかろうか。なにしろ、お疲れだろうし。

そこへ行くと私なんか、会社勤めしていた頃も、まず大体定時退社していたなあ。退社時刻になったら、「お先に!」 ってなもんである。誰にも遠慮なんかしなかった。だって、やるべき仕事は効率よくさっさと済ませていたし。

時々、締め切り間際の仕事がたまったら、そりゃ 9時とか 10時とかまでやったりもしていたが、そんなのは 1ヶ月に 1度ぐらいのものだから、かえって新鮮だったりした。まあ、私の場合はどちらかというと、「企業内独立事業主」 みたいな、自由な仕事が多かったから、何の抵抗もなくそれができたということもあるだろうけど。

むしろ 「月末の金曜日は、絶対に残業しないで定時退社する日」 とする方が、とりあえずは広まると思う。名前は 「スペシャリー・オーディナリーフライデー」 (特別普通の金曜日) とでもしようか。いずれにしても、定時退社がフツーにできないような仕事はまともなもんじゃないと思うがなあ。

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2017/02/18

情報の断絶と発覚

本日昼過ぎに開いた Google ニュースである。"<タリウム事件> 薬品執着 「皆知っていた" というのがトップで、その 3つ下に ”ベトナム人、大麻栽培容疑 男女再逮捕、末端価格1億円以上 群馬” という記事がある。

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「タリウム事件」 というのは、もう忘れている人も多いだろうが、2012年に起きた元名古屋大女子学生が、同級生 2人に硫酸タリウムを飲ませ、さらに 14年に知人の高齢女性を殺害したという事件である。この容疑者は高校の頃から毒物と殺人に対して異常な興味を抱いており、今回の裁判でそのことについて元同級生が証言したというニュースである。

要するに、この 「元女子大生」 がかなりアブナイ存在だったというのは、周囲の人間は教師も含めみんな知っていたというのである。こんなアブナイ人間でも、郷里の仙台を離れて名古屋で一人暮らしを始め、衝動を抑えることもなくあっさりと殺人事件を起こしてしまったのである。周囲の人間は皆知っていても、そのサークルから一歩出てしまうと、誰も知らないという 「情報の断絶」 がある。

一方で、その 3つ下のニュースは、ベトナム人男女が自宅のアパートの一室で、大麻を栽培していたのが発覚し、逮捕されてしまったというニュースである。大麻栽培が違法行為ということは当然知っていただろうから、よほど警戒してこっそりと育てていたのだろうが、天網恢々疎にして漏らさずというわけで、ちゃんと捕まってしまったわけである。

これには、「なんだかなあ」 と思わざるを得ない。周囲の者はみんな知っていたという情報が、殺人犯罪抑止にはちっとも役に立たず、一方では極力バレないようにこっそりとやっていたことが、なぜかしっかりバレて捕まってしまう。

世の中というのは、なかなかうまく運ばないことも多いようなのである。

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2017/02/17

プレミアムフライデーでお金を使いましょうというキャンペーン

今日、出張先のホテルのテレビで朝のニュースを見ていて、「プレミアムフライデー」 という言葉を初めて知った。経済産業省の呼びかけで、毎月月末の金曜日の終業時間を午後 3時に早めるよう企業に呼びかけているのだそうだ。ふーん、またぞろ 「みんなで渡ればこわくない」 方式のキャンペーンが始まっているわけね。

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で、その初回実施日が、今月の 24日になるのだそうだよ。ちっとも知らなかった。何しろ私は、一応自宅が仕事場ということになっているが、時と場合によっては土曜だろうが日曜だろうが、はたまた祝日だろうが、あちこちに出かけたり出張したりで、曜日なんて全然関係のないスタイルの仕事だからね。

その趣旨というのは、経済産業省のサイトでが次のように謳われている。(参照

個人が幸せや楽しさを感じられる体験 (買物や家族との外食、観光等) や、そのための時間の創出を促すことで、

  1. 充実感・満足感を実感できる生活スタイルの変革への機会になる
  2. 地域等のコミュニティ機能強化や一体感の醸成につながる
  3. (単なる安売りではなく) デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる

といった効果につなげていく取組です。

ただ、具体的にどんなことが提案されているのかといえば、経済産業省のプレミアムフライデー公式サイトをみる限り、こんなようなことなのである。

ちょっと長めの休日で普段は行けない 「2.5日旅」 へ
大切な人と夕方からゆっくり 「アーリーディナー」
平日昼間にゆったり贅沢 「午後ブラショッピング」
友達みんなで集まってゆっくり 「夕飲み」
平日昼間に好きな街を 「アフタヌーン街歩き」
昼からたっぷり 「アフター3エンタメ」 を楽しもう
家族でそろって料理を作って 「午後バー」 しよう
月末金曜日はうちの会社もみんなで 「早あがり」

「午後ブラショッピング」 とか 「アフタヌーン街歩き」 とか 「アフター3エンタメ」 とか 「午後バー」 とか、なんだか気恥ずかしくなるようなカタカナ混じりの造語が満載で、書き写しているだけでちょっと気恥ずかしくなってしまう。

要するに、「金曜日は仕事を早仕舞いして、お洒落なお金の使い方をしましょう」 ということのようなのだ。だからこそ 「プレミアム」 なのであって、金のかからない過ごし方をされても困るみたいなのである。つまり、お役所のリリースにある 3項目の趣旨の中では、「(単なる安売りではなく) デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる」 というのが最重要ポイントなのだね。

決してそのまま帰宅して、ネット・サーフィンやゲームに熱中したりするためのプロモーションではないのである。さらに言えば、ジョギングやポタリングなど、金を使わなず汗をかくというのも、趣旨にそぐわないようなので、オタク、ジョガー、サイクリスト諸氏は、くれぐれも趣旨を取り違えないように。

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2017/02/16

「老い遅れ」 という言葉を初めて知った

「近頃、老眼が進んじゃってさ」 とつぶやいたら、「老い遅れるよりはいいわよ」 と、一緒に仕事をしている女性に言われた。彼女は 70歳を過ぎて、実はいろいろ病気を抱えてはいるらしいが、すこぶる元気で快活に見える。それにしても 「老い遅れる」 という言葉を、この時初めて知った。

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帰宅してググってみると、これは黒井千次著の 『老いのかたち』 という本に出ている言葉らしい。初版は 2010年 4月というから、結構前の本だ。この本は 4章立てになっていて、それぞれ 「病気待ちの列」 「友を送る-これも同窓会」 「老い遅れに気をつけて」 「普通高齢者がイチバン」 というタイトルだという。

第3章の 「老い遅れに気をつけて」 を踏まえて、彼女は 「老い遅れるよりはいいわよ」 と言ったのだろう。私は黒井千次氏の本を 1冊も読んだことがないので、どんな具合に書かれているのか知らないが、まあ、先輩からのありがたい言葉として受け取っておこう。

黒井千次氏はさらに、2014年に 『老いの味わい』 という本も出しているらしい。それだけでなく、『老いるということ』 (2006年)、『老いのつぶやき』 (2012年)、『老いへの歩み』 (2015年) と、「老い」 をテーマに何冊もの本を出している。ふむ、「老い」 というのは、案外商売になるのだな。

私はかなり老い遅れている傾向があるのだが、ある日突然がくっとこないように、少しは老い遅れに気をつけて生きてみようと思う。

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2017/02/15

コンパクト・デジカメ市場の縮小

"ニコン、1型コンパクト 「DL」 シリーズの発売中止を決定" というのがちょっとした注目ニュースになっている。DL シリーズというのは、コンパクトデジカメの中ではちょっとだけ高級なラインで、これなら採算が取れるだろうと思われていたみたいなのだが、やっぱりダメだったようだ。実は私の手持ちのコンデジもニコンなので、ちょっとびっくりしている。

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私のは ”COOLPIX S9700” というモデル (上の写真) で、2014年 2月 27日の販売開始となっている (参照) から、既にほぼ 3年経ってしまっている。DL シリーズよりはずっと安いレンジのものだが、それでも光学 30倍という結構な望遠機能があるし、ど素人としては今でもちっとも不満がない。

この年の 10月 7日の Today's Crack に、このカメラを使って秋の名月を撮った写真を掲載しているのだが、月の表面の陰影まで結構きれいに撮れている。その 10年前の、単なる白く光る丸い環みたいな月の写真と比べれば、性能の向上は一目瞭然だ。(参照

ところが、こんなに優秀でコンパクトなカメラを、近頃ではほとんど持ち歩くことがないのである。私は毎日更新の 「和歌ログ」 に、その日に撮った写真を必ず載せることにしているので、カメラは必需品なのだが、最近は iPhone のカメラで十分なのだ。これじゃあ、コンデジは売れない。

最近の iPhone のカメラ機能はかなり優秀で、3年前ぐらいの和歌ログの写真 (コンデジで撮影したもの) と比較しても、全く遜色がない。5年前ぐらいのと比べれば、最近の iPhone の写真の方がずっときれいに撮れている。

写真そのものにこだわりがあるわけじゃなく、せいぜいブログの写真がフツーに撮れればいいという、私程度のニーズなら、本当にスマホで十分な世の中になった。ちょっと気合いを入れた写真を撮るという場合でも、上述のお月様の写真のように、安物のコンデジで十分に足りてしまうし、これ以上のスペックは素人には当面必要ない。

こうなると、デジカメの商売で儲けようと思ったら、まともな一眼レフかミラーレス一眼の製品で地道にやっていくしかないのだろう。一番安い価格帯のコンデジは既にスマホとの競争に敗れているし、本日話題にしたニコンの DL シリーズみたいなのは、一番中途半端で儲からないレンジになってしまっている。

デジタル製品の市場というのは、わずか数年で様変わりしてしまう。気ぜわしいことである。

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2017/02/14

「平等に貧しくなろう」 というのは

中日新聞に掲載された上野千鶴子氏のインタビュー記事が、ネット界隈でえらく話題になっている。というか、ほとんど炎上状態だ (参照)。

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それにしても 「平等に貧しくなろう」 という見出しは、インパクトは強いが、かなり言葉足らずだと思う。念のため確認しておくが、この記事は上野氏の 「寄稿」 ではなく、インタビューをした大森雅弥という記者がまとめた記事である。だからこのタイトルも、上野氏の書いた原稿のタイトルではなく、新聞社側が付けたものだ。

このことをしっかりと押さえた上で考えると、とりあえず大きな話題になることを主目的としたなら見出しなら大成功だが、インタビュー内容をきちんと伝えようというなら、ほかにも見出しの付けようはあった。

新聞記事をきちんと初めから終わりまで読む人は少数派で、多くは見出しだけで判断してしまうのだから、こんな見出しでは物議を醸すことは初めからわかっていただろう。わかっていてやった確信犯なら、これだけ話題になったのは大成功ということになる。

それにしても人間のメンタリティとはおもしろいものである。「経済成長がすべてではない」 と言えば、とりあえず 100%近い賛同を得ることができる。「金を儲けさえすればいいってもんじゃない」 という言い方をしても、同様の賛同が得られるだろう。

「経済成長路線のほかにも道はある」 という言い方でも、そんなに抵抗はなかろうし、「金のせいで道を誤る人は多い」 と言うのも、「うん、確かにそうだよね」 と反応してもらえる。多くの人が 「必ずしも経済的に豊かでなくても、幸せになる道はいくらでもある」 という言い方をしていて、それなりの共感を呼ぶ。

ところがそれを直接的に 「平等に貧しくなろう」 と言っちゃうと、「とんでもない、それはご免だ!」 ということになる。

「金がすべてじゃない」 というのはうなずけるし、「貧しくても幸せな人はいくらでもいる」 というのも、「そりゃ、そうかもしれないね」 と反応できる。しかし、「あんたも平等にその世界に入って、清貧の美徳を味わいましょう」 と言われると、「それはイヤだ!」 という。他人が 「清く貧しく美しく」 暮らす分にはいいが、自分だけは楽してリッチになりたいのである。

そんなわけで、「みんなで平等に貧しくなろう」 と言っても、どうせわかってもらえるはずがないから、まず自分が率先して 「金はそんなにないけど、結構気楽で幸せなんだよね」 というライフスタイル・モデルを築いて実行すればいいのである。

要するに金儲けにあくせくするより、「まあ、金はないけど楽しく暮らしてるわいな」 という生き方をする人が増えさえすればいいんでしょ。それがどうしても嫌なら、人口減少時代に移民が持ち込んでくる馴染みのない異文化に濃厚に接してもストレスを感じなくて済むように、タフな心になる準備をしておくことだ。

じいさんばあさんだけの世の中になるのは嫌だけど、自分が子どもを 3人以上育てるのもしんどい。その上、向こう三軒両隣に移民がゴロゴロ住んで、わけのわからない外国語が行き交うようになるのもまっぴらで、だけど、きちんと経済的に豊かな暮らしだけはしたいというのは、今や駄々っ子の言い草である。その点については、受け入れてもいいと思う。

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2017/02/13

ずらりと並ぶ額装された表彰状、感謝状

茶の間の鴨居の上に、じいさんの代からのいろいろな表彰状やら感謝状やらをずらりと並べて飾ってある家がある。「すげえなあ!」 とは思うが、自分でもそうしようという気は毛頭ない。まあ、早く言えばそんな趣味はないのだよね。

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私の父は家族にも知られずにいろいろな公職を引き受けていたらしく、何とかの役職を何十年続けたことによる表彰なんてのを受けるために、時々県庁所在地の山形市に出かけることがあった。周囲の人は 「おめでとう」 とか言っていろいろなお祝いをしてくれるのだが、当人は嬉しそうでもなんでもなく、ただ面倒くさそうだった。

で、表彰を受けて帰って来た父に 「その賞状、見せれ」 (ミスタイプじゃなくて、庄内弁なのでよろしく) と言っても、「汽車の網棚に置き忘れてきた」 とか 「駅のゴミ箱に捨ててきた」 とか、滅相もないことを言うのだった。子どもの頃は 「額に入れて飾ればハクがつくのに」 なんて思っていたが、父にはそんな発想がなかったようなのである。

父が死んでから遺品の整理をしていて、丸筒に入れられたまま押し入れの奥に放り込んである表彰状とか感謝状とかをいくつか見つけたりはしたのだが、もらった表彰状をすべてまとめて大切に保管してあるのではなく、1本の丸筒に 1枚だけ入ってる (要するに、もらったまま) 状態のものが何本か、あちこちに無造作に放り込んであるという風情である。多くは本当にどこかに忘れたか捨ててきたようなのだ。世間的栄達には興味のない人だった。

ところが自分自身も大したことはしていないのに、還暦を過ぎてみれば、それなりにいろいろなところから表彰状とか感謝状とかを頂いてはいるのである。こういうことは、ただ一定の年数を大過なく務めさえすれば、自動的にくれるという世の中の仕組みになっているようなのだ。

そしてもらった表彰状や感謝状は、父みたいに 「置き忘れてきた」 とか 「捨ててきた」 とかいう極端なことはないにしても、やっぱり押し入れの奥に無造作に放り込んであるだけで、額装して人目に付くようなところに飾ろうなんていう気には、到底なれないのである。

世の中には 「私も〇〇の役職を長年やったんだから、そろそろ表彰してもらいたい」 とか堂々と口にしたりする人もいて、「すげえなあ」 と思ったりする。「すげえなあ」 と思うのは、その長年の功績に対してではなく、そういうことを堂々と公言するメンタリティに対してである。

中には、国から勲章をもらうためにお手盛りの業界団体を設立して、その理事長に就任したという人までいる。国に対する長年の働きかけが実ってようやく勲章をもらうと、その御仁は間もなく死んでしまい、その最初で最後の理事長が死んでしまった途端に、年に 1度の総会以外にすることがなかった業界団体は、自然消滅してしまった。というわけで、勲章そのものよりも 「名誉欲の強い人だったなあ」 という記憶の方が強烈な印象として残っている。

で、私と言えば、「蛙の子は蛙」 ということなのか、そういうことには全然興味がなくて、くれるというものはもらわないと角が立つし、単なる形式的なものを 「いらない」 と言ってごねる方がよほど面倒なので、ありがたくもらうけど、ただそれっきりのことになってしまうのだよね。

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2017/02/12

トランプと安倍首相の気持ち悪すぎる握手

今日は久しぶりで妻と近くのインド料理店で外食をした。この店では、ちょっと前までは歌あり踊りありの賑やかなインド映画をエンドレスで放映していて、私はそれがお気に入りだったのだが、最近はどういうわけか、ずっと日本のどうでもいいテレビ放送を流すようになってしまい、ちょっとがっかりである。

今日はその店のテレビで、ドナルド・トランプと安倍首相の握手の模様を見せられて、ちょっと気持ち悪くなった。めちゃくちゃ悪趣味な握手の直後は、さしもの安倍首相も何とも言えない表情を見せていたが、米国人の多くはそれ以上に恥ずかしいと感じてしまっただろう。

こちらとしても、せっかくのおいしい料理が運ばれてくる直前にあんなものを見せられてしまったので、「今のは忘れようね、忘れよう!」 と言っていたのだが、忘れ切る前に料理が出てきてしまったので、ちょっとあせってしまったよ。

トランプはどういうわけか、安倍首相をちょっと気に入ってしまったようなのだが、そのありがた迷惑なパフォーマンスのせいで、日本での安倍人気が落ちてしまうんじゃなかろうか。まあ、私としてはそれでもちっとも構わないのだけどね。

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2017/02/11

ネクタイを締める時、何で面倒な結び方をするのか

ネクタイなんて平均すると 1ヶ月に 1度もする機会がないのだが、たまにする時でも結び方は、一番単純で簡単なプレーン・ノットである。まるでパズルみたいに、やたら何度もぐるぐるやるウィンザー・ノットというのを大昔に教えてもらったけど、やったことないから、できたとしてもものすごく時間がかかるだろう。

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ところが、周囲のネクタイ族の多くは、やたら面倒なウィンザー・ノットにこだわっているようにみえるのだ。だって、みんな結び目がやたら大きいもの。私は長い間、みんなどうしてそんな手のかかるやり方をするのだろうと、不思議でしょうがなかった。

よくわからないが、日本人特有の妙な職人気質が、無駄に面倒くさいやり方にこだわらせてしまうのかと思っていた。ところがどうも、すべてがそんなわけじゃないと、最近初めてわかったのである。

古くからの知り合いに聞いたところでは、彼は背が低いので、プレーン・ノットではネクタイが長すぎて、先端がベルト・バックルのはるか下まで垂れ下がってしまうのだそうだ。そこで、ウィンザー・ノットで無駄に何度もぐるぐる巻いて、ようやく締め終わった時にちょうどいい長さになるというのである。

なんだ、そうだったのか。私は身長が 178cm あって、日本人としては長身の部類に入るので、プレーンノットで苦もなくちょうどいい長さに収まる。しかしなるほど、小柄な人ならプレーン・ノットだと長すぎて、妙にぶらぶらしてしまうのかもしれない。そこまでは気付かなかった。要するに日本人がウィンザー・ノットが好きなのは、単に小柄だから、そうでもしないと収まりが付かないからだったのか。

そうなると、よく考えたら大抵のネクタイのサイズは、日本人には長すぎるということである。洋服にはサイズがあるのだから、ネクタイにだってサイズがあってもいいような気がするのだが、そんなのはあまり聞いたことがない。小柄な人は面倒くさい結び方で調節しろということのようなのだ。しかしそれだと、小柄な上に結び目がやたら大きくなって、もっさりして見えると思うがなあ。

S, M, L と、サイズ別のネクタイを売り出したら、もしかしたら売れるんじゃあるまいか。ただしネクタイの場合は small, medium, large じゃなくて、short, midium, long ということになる。いや、そもそもネクタイを好んで締めるような人は、どうやら面倒な締め方の方が好きみたいだから、サイズなんかあっても無視して、色柄優先で選んでしまうのかもしれないなあ。

【翌日 追記】

自分でも忘れていたが、3年前に 「ネクタイの締め方に関する偏見」 という記事を書いていて、その中で 次のように書いている。

乱暴な言い方かもしれないが、クルマを買う時にほとんど自動的に 4ドアセダンを選択するオッサンは、日頃ネクタイをする機会が多くて、しかも間違いなくウィンザーノットで結ぶとみて間違いないと思う。

ウィンザーノットでネクタイを締めるのが好きなオッサンたちは、4ドアセダンに乗り、何かの集まりの二次会では、スナックとかバーとかに繰り出しておねえちゃんとチークダンスに興じ、カラオケでは演歌を歌うのである。

うぅむ、確かに乱暴な言い方ではあるが、かなり当たってるんじゃないかなあ。

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2017/02/10

トランプは任期一杯までもつんだろうか

ドナルド・トランプが Twitter で 「私の娘のイヴァンカはノードストロームに不当な扱いを受けている」 と発言しているというので、かなりビックリしてしまった。百貨店が自らの判断でブランド取り扱いを止めるのに現職の大統領が口出しするなんて、前代未聞である。

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トランプだけでなく、大統領顧問のケリーアン・コンウェイというおばさんまでテレビ番組で、「イバンカの製品を買いに行ってください。すばらしい製品ラインだから。私もいくつか持っています。いっそのことここで無料のCMを流しましょう」 と発言した (参照) というのだから、ビックリ以上の成り行きである。今の米国っていったいどうなってるんだ。

トランプが大統領になってしまったとたんに、米国はとてつもなく下品な国になってしまったという印象だ。この駄々っ子にこのまま好き放題なことを言わせていたら、政治がマヒして国がまともに運営されなくなってしまう。この大統領は任期一杯までもたないんじゃないかという気がしてきた。

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2017/02/09

空港での足止め体験

昨日の TBS ラジオで、「空港で 30分以上足止めをくったことがあるか」 というアンケートをしていて、聴取者から様々な足止め体験が寄せられていた。中にはかなりしんどい体験もあって、私の体験なんて、全然生やさしいものだと思ったりした。

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30分ぐらいの足止めなら、何度経験したか覚えていないぐらいだが、今でも印象に残っているのは、11年前のニューヨークでのことだ。平成 16年 5月 18日の記事に 「シカゴ大荒れ」 というのがあり、出張でシカゴのイベントに行った際に、ニューヨークのラガーディア空港で 3時間待たされたと書いてある。(まだ ”Today's Crack” がココログに移る前なので、「知のヴァーリトゥード」 のサイト内のコラムになっている)

この時は、米国中西部の 5月によく発生する 「サンダーストーム」 (大嵐) の影響で、飛行機が出発を延期したのだが、なにしろ外国の空港の出発ゲートで、3時間も何もすることなくゴロゴロしているというのも、結構しんどいものがある。シカゴのホテルへの到着は夜中過ぎになったのだが、ニューヨークとシカゴの間には 1時間の時差があるので、時計の上では 2時間遅れで済んだのが不思議な心持ちだった。

この時の出張にはまだオマケのお話があって、サンフランシスコから日本に戻る便で大量のオーバーブッキングがあり、客が乗り切れないというので、またしてもかなり待たされた。どういうわけか、なかなか予定通りに移動できない出張だったのである。

出発ゲートでのアナウンスによると、「ホノルル経由の別便に乗り換えてもいい」 と申し出れば、「ホノルルでの無料宿泊のほか、300ドルの小切手またはユナイテッド航空で使える 600ドル相当のクーポン券が提供される」 とのことだったので、かなり心が動いたのだが、翌日からの予定が結構つまっていたので諦めた。ただ、今でも 「予定をキャンセルすれば、無料でハワイの一夜を過ごせたのに」 と思い返すことがある。

それから昨年の 5月には、北海道の釧路空港からの帰りに、予定していた便に乗れず、千歳空港近くのホテルで一泊したことがある。このことについては、「ひょんなことから千歳でもう一泊」 という記事に書いている。

釧路空港から搭乗予定だった羽田行きの飛行機 (羽田からの折り返し便) が、濃霧のため釧路に着けずに羽田に引き返す可能性が高いので、便の変更をして一度新千歳空港まで行き、そこから羽田行きの便に乗り継ぐのが確実と言われ、その通りにしたのだった。ところがその乗り継ぎ便が機体トラブルで飛べなくなってしまい、しかたなく近くのホテルで予定外の一泊をしたのである。

まあ、ホテル代は ANA に請求したからよかったのだが。元々乗る予定だった釧路から羽田への直行便は、少々遅れはしたが、ちゃんと運航できたようなので、余計なことをしなければその夜のうちに家に帰れたみたいなのだ。人生、どこでどう転ぶか知れたものではない。

で、今気付いたのだが、私が経験した大きな足止めは、2つとも 5月の出来事なのである。5月って、案外気象の安定しない時期なのだね。

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2017/02/08

花粉症がもう佳境に入っている

気象庁のサイトをみると、本日の茨城県の花粉飛散状況は軒並み薄い黄色で示され、「少ない」 ということにされてしまっている (参照)。ああ、これで花粉飛散が 「少ない」 というなら、これから多くなったらどんなことになってしまうのか、今から気が重い。

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ニュースで 「2月上旬からスギ花粉が飛び始めるようですが……」 なんて言っていた 1月中旬 から、何となく鼻が詰まりやすい感じがしていて、1月末にはもう、疑いもなく目の縁が痒くなっていた。時々くしゃみも止まらなくなる。何が 「2月上旬から」 だ。白々しいにもほどがあるよと思っていた。そしてまさに 2月上旬になった今、もうすっかり佳境に入っちゃってる。

なにしろティッシュペーパーの消費が激しくなる。たくさん使う時に限って、ちょっと値の張る 「しっとりタイプ」 でないと、鼻の穴の周囲が痛くなっちゃう。大した出費じゃないが、心理的にはストレスなんだよね。これが。

私は花粉症ぐらいでは医者にかかったり、薬に頼ったりなんかしたくない性分なので、ただひたすら時節の移るのを待つことが多いのだが、一昨年はあまりに辛かったので、市販の 「アレグラ FX」 というのを服用した。効果は確かにあると実感した。

今年はこの分だと、再び 「アレグラ FX」 を飲まなければいけないかもしれない。しかしこの薬には下の写真にあるように、「悪夢」 という副作用があるというので、ちょっとビビっている。一昨年は大丈夫だったのだけどね。

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2017/02/07

「デューダ」 って、スウェーデン語で 「虐殺する」 って意味らしい

"DODA" という名の転職情報誌があり、これをなぜか 「デューダ」 と読みならわしていて、昔は転職することをよく 「デューダする」 なんて言っていた。私は 「なんで "DODA" が 『デューダ』 なんだよ」 とずっと思っていたが、今日、ふと思い立って Wikipedia に当たってみたら、「当初は DÖDA とドイツ語表記であり、このため読みがデューダとなり、後に Ö は O に変更されたが、読みはデューダのままとなった」 とある。(参照

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「へえ、そうか、ドイツ語読みだったのか」 と思い、ここまでは納得した。元々は 「アルバイトニュース」 という求人誌を出していた会社だけあって、ドイツ語にこだわってみたのかもしれない。(「アルバイト」 って、元はドイツ語だからね。念のため)

ただ、それだけで済ませられないのが、知りたがり病の昂じている私の悪いクセである。「で、döda って、どういう意味のドイツ語なの?」 という疑問が当然のように湧いてくる。さらに、どうして途中で Ö を O に変えたのかもたまらなく気になる。しかしなぜか、Wikipedia にはそのあたりの説明がまったくないのである。

で、オンラインのドイツ語辞書で "döda" を調べてみたが、該当する単語が出てこない。どうもドイツ語にはそんな単語はないみたいなのである。「なんだ、『なんちゃってドイツ語』 かよ!」 と、拍子抜けした。要するに 「雰囲気のもの」 というだけのことなのね。

とはいえ、ドイツ語以外で "döda" という単語があるのかもしれないと、念のため多言語で調べてみると、スウェーデン語に該当単語がみつかった。それが上の画像である。英語にすると、"slay, murder, kill, slaughter, assassinate" という意味の単語であるという。(参照

「なぬ!」 である。スウェーデン語の "döda" という単語って、「殺害する、殺す、虐殺する、暗殺する」 という意味だったのかよ! よりによって、転職情報誌の名前がそれか! もしかして、「転職者は殺してやる!」 って裏の意味を込めたりしてたのか?

念のため、日本語訳のウェブページの画像も載せておく。確かにこんなことなのである。(参照

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まあ、精一杯好意的に考えれば、当初この  "DÖDA" という雑誌名を考えた時は、スウェーデン語では物騒な意味になるなんてことは、ちっとも知らなかったんだろうね。あの当時 (1989年創刊だから、バブルの最盛期だ) 特有の軽いノリで、まさに 「雰囲気のもの」 として洒落みたいに命名しちゃったんだろう。

ところが後になって、「ちょっと、ちょっと、ヤバいっすよ、"DÖDA" って、スウェーデン語で 『殺す』 とか 『虐殺する』 とかいう意味になっちゃうらしいっす!」 ということが判明したので、しょうがないからとりあえず、Ö を O にしれっと変更することで、「これ、スウェーデン語じゃないっすから、よろしく」 とトボけることにしたんだろう。うん、そうとしか考えられないじゃないか。

初めからきちんと調べておけば、こんなややこしいことにはならなかったのにね。

【補足】

スウェーデン語の "döda" の発音は、こちら で聴ける。「発音したユーザ ret001 (スウェーデンの男性)」 という表示の左側にある 「▷印」 をポチッとすると聴けるが、「ディユタ」 に聞こえないこともないビミョーな発音である。

それにしても、スウェーデン語の単語をネイティブが発音したのをいながらにして聴けるとは、世の中、便利になったものだ。

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2017/02/06

「万歳三唱の作法」 を巡る冒険

「代理選挙」 と言われた千代田区長選挙で、小池都知事が指示する石川雅己氏が圧勝した。個人的には 5選目というところにちょっとひっかかってしまうが、まあ、与謝野さんよりはいいか。で、下の写真は当選を喜ぶ小池さんと石川さんである (毎日新聞一面より)。

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この写真を見て、「小池さんって、そつのない人だなあ」 と思った。というのは、万歳の手の平が内側を向いているからである。些細なことだが、これが 「正しい万歳の仕方」 と言われている作法で、一方、手の平を正面に向けるのは 「ごめんなさい、降参です」 と言っているようなものだから正しくないと、ことさらにこだわりのある人は主張する。

2010年に衆議院の木村太郎議員 (自民党) が、当時の鳩山由紀夫首相の万歳三唱 (手の平を正面に向けていたらしい) について、「正式な万歳とは違うように見受けられた。日本国の首相として、万歳の仕方をしっかりと身につけておくべきだ。首相は作法を知っているか」 と質問主意書を出したことがあった。これなんか、「ことさらなこだわり」 の典型例だろう。

巷間、明治時代に発布された太政官布告と称される 「万歳三唱令」 というものが流布しているらしく、そこには 「万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し、同時に両腕を垂直に高々と挙ぐるべし。その際、両手指がまっすぐに伸び、かつ両掌過ちなく内側に向くこと肝要なり」 (原文は漢字カタカナ混じり) と書かれているという。これが木村氏の 「質問主意書」 の根拠となったらしい。

しかしこの 「万歳三唱令」 というのは偽書ということが明らかになっていて (参照:国会図書館データベース日経新聞記事)、実際にはそんなお触れが出されたことはない。そもそも万歳の時の手の平の向きなんて意識している日本人は滅多にいないし、ましてや右足を半歩踏み出すなんて、見たこともない。で、この時の答弁書は 「万歳三唱の所作については、公式に定められたものがあるとは承知していない」 という素っ気ないものだった。

私としても万歳の時の手の平の向きなんてどうでもいいと思ってはいるが、世の中にはいろんなイチャモンをつけたがる人がいるので、何かの行事で万歳をする際には、予防線を張る意味で、手の平だけは一応内側に向けている。実際に、「あんたの万歳の仕方は間違ってる」 としゃしゃり出る人を目撃したこともあるし、「あいつは万歳のしかたも知らない」 なんて陰口をたたくやつもいるのでね。

というわけで、「おっ、小池さんも、お隣の石川さんも、きちんと予防線を張ってるな」 と思ったのである。写真を見る限り、後ろにいる人たちはそんなこと全然意識していないみたいだけど。

とまあ、今日はそれだけのお話。

【同日 追記】

「万歳三唱令」 の画像が見つかった。なかなかよくできているが、「明治二十二年四月一日施行」 とあるのがミソだ。(参照

私もこれくらいできのいいエイプリルフール・ネタを作りたいものだ。

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2017/02/05

石原慎太郎のやり口が通用する時代じゃなくなった

下に示したのは、東京都が発行している 「東京いちばガイドブック」 というパンフレットの 2015年度版の一部である。内容は築地市場がどうして豊洲に移転するのかというテーマについて、総合的に説明した物だ。(画像をクリックすると、全体の PDF ファイルを見ることができる)

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都庁のサイトの中にある "TOKYO ICHIBA PROJECT" というページには、「東京いちば ガイドブック」 の2012年度版から 2015年度版までの PDF ファイルが登録されているが、2016年度版というのは見当たらない。原稿は準備されていたのだろうが、いくらなんでも出せなかったんだろうね。

こパンフレットには Q&A 方式でいろいろな疑問に対する回答が載っており、「土壌汚染対策はどうなったの?」 という質問 (上図の左中段) には、「土壌汚染対策は完了し、用地の安全性が確認できました」 と、図入りで回答されている。ずいぶん白々しいことを書いたものである。

そもそも築地市場が豊洲に移転することが決まったのは 12年以上前のことで、2004年 7月には 「豊洲新市場基本計画」 が策定された。決定前から 「築地市場が豊洲の東京ガス施設跡に移るらしい」 という話は知れ渡っていて、「よりによって、そんな土壌汚染があるとわかっている場所に、どうして移転したがってるんだろうね」 と囁かれていた。

要するに、豊洲の土地が土壌汚染問題を抱えているということは、今に降って湧いた問題じゃなく、初めから知られていたのである。当時私は、仕事の関係で毎日のように 「東京ベイエリア」 と呼ばれる地域に足を運んでいたので、これを結構身近なことと認識していた。そして 「石原慎太郎のことだから問題はすべて無視して、強引に事を運んでしまうんだろうな」 と、とても悲観的に考えていたのである。

ところがここにきて、豊洲の土壌汚染問題が今さらのように大きく取り上げられ、都が実施した汚染対策なんておざなりなものだという事実が明るみに出された。そこでようやく、移転が棚上げされる事態に至ったわけである。私に言わせたら、「遅すぎるよ!」 ということになるのだが。

この間の推移を早く言ってしまえば、「日本の民度も、ようやくこの程度には向上してきた」 ということになるのだと思う。12年以上前は経済原則最優先で、東京都としては 「土壌汚染問題なんて、テキトーに言いくるめて乗り切れる」 と踏んでいたのだろう。だからこそ、あれだけ危ない危ないと言われていたにもかかわらず、施設がほとんど完成してしまうまで、立ち止まることもなく突っ走ってしまったのだ。

ところが今になってようやく国民、都民の環境問題、食の安全問題に対する意識が高まってきた。まだまだ十分なレベルに達しているとは言いがたいが、「豊洲ってヤバいんじゃないの?」 と、大きな声で言えるところまでは辿り着いたのである。

早く言えば、10数年前の都知事とお役所の連中が、都民を甘く見ていたのだ。1年や 2年で完結してしまうプロジェクトなら、ダッシュで既成事実を作ってしまえたのだろうが、いかんせん、規模が大きすぎて 10数年もかかってしまったので、その間に都民も少しは利口になって、容易には口車に乗らなくなったのである。

思えば壮大な無駄遣いをしてしまったものである。もはや石原慎太郎のやり口が通用する時代じゃなくなったのだ。

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2017/02/04

Dress like a woman (女らしい服装をしろ) というお話

本当にそう言ったのかどうか、確たるソースさえアヤシいのだが、ドナルド・トランプが 「ホワイトハウスで働く女性には、女性らしい服装をしてもらいたい」 と発言したという、いかにもありそうな話が俄然一人歩きしちゃっていて、Twitter は "#dresslikeawoman" のハッシュタグで大賑わいになっている (参照)。

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Twitter をちょっとのぞいてみればわかるように、アップされている写真や画像は、たいていトランプの求めているような 「女性らしい服装」 なんかじゃなく、かなり勇ましいとかマニッシュとかのばかりだ。そしてどれもみな 「美しい」 ってのがいい。

私は昔から 「〇〇らしく振る舞う」 ってのが、どうにも居心地悪く感じてしまう性分で、何をやらせても 「らしくない人」 と思われてきたところがある。「〇〇らしくない」 存在ではあっても、「あいつらしい」 と思ってもらえさえすれば、受け入れられるものである。

まあ、「らしくない」 といえば、ドナルド・トランプ自身ほど 「大統領らしくない」 人もいない。私がいくら 「らしくない」 のが好きといっても、ああいうのはちょっとディレクションが違いすぎて笑ってしまうほかない。最も大統領らしくない振る舞いをする人が、女性には女性らしい服装を求めるというのも、なかなかのパラドックスである。他人にことさらに礼儀作法を求めるやつが、最も無礼なんてのは、よくある話だ。

鈴木清順の伝説の名画 『けんかえれじい』 に、おもしろいくだりがある。高橋英樹演じる主人公の南部麒六は、旧制中学を舞台に喧嘩に明け暮れる名物男。岡山の中学でも喧嘩事件を起こし、会津の喜多方中学に転校を余儀なくされるが、その中学の校長室に麗々しく飾られているのが 「良志久」 (らしく) という掛け軸だ。

校長は 「男は男らしく、学生は学生らしく」 と、本分を守ることを厳しく言い渡す。ところがここでも南部麒六は、会津中学の連中と華々しい集団果たし合いをして勝ってしまう。すると、あれだけ 「学生は学生らしく」 と言っていた校長が、戦果を聞いて大喜びではしゃぎまわってしまい、真面目一方の教頭がうろたえながら、会津弁で 「校長ぉう〜! らはぁすぃぐぅ!」 と叫ぶのがなかなかよかった。

それから "like a woman" と言ったらどうしても出てくるのが、Bob Dylan の ”Like A Woman" である。忘れられないのが、The Concert For Bangladesh 1971 での、Leon Russel, George Harrison との共演版だ。

歌詞の中で繰り返されるのは、このリフレイン。(一部引用だから、JASRAC はおとなしくしていてね)

She takes just like a woman.
She makes love just like a woman.
And then she aches just like a woman.
But she breaks just like a little girl.

なにしろノーベル賞作家の歌詞だから、結構象徴的で訳しにくいが、ざっといえば 「彼女は一人前の女らしく物事を進める/彼女は一人前の女らしくセックスする/彼女は一人前の女らしく痛みを感じる/だけど、小さな女の子みたいにボロボロになる」 というような感じだ。

大統領も、小さな男の子みたいにボロボロになるかもしれないしね。

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2017/02/03

恵方巻の大量廃棄が発生しているらしい

今日は節分、新聞チラシはもう恵方巻のオンパレードである。すごいなあと思う。我が家では食わんけどね。

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私がこのブログで恵方巻というものに触れたのは、もう 12年も前のことになる。この食い物が世間に知れ渡り始めた頃に、「恵方巻の社会学」 という記事で、「世の中では豆まきに取って代わって、節分の恒例になる可能性がある」 と書いている。

当時、「こんなのは一過性ですぐに廃れる」 などという見方もあったが、私は定着するとみていた。4年後の 「再び恵方巻を語る」 という記事でも書いているが、それは次のような理由による。

  1. 今どき、どこの家庭も少子高齢化で、豆まきを喜ぶ子どもが少なくなった。
  2. いい年をした大人が、日が暮れてから声を張り上げて 「鬼は外、福は内」 なんてやるのは、こっ恥ずかしい。
  3. 最近の感覚では床に落ちた豆を拾って食べるなんて、ばっちい気もする。
  4. しかしながら、節分に何もやらないというのも、日本人として何となく淋しい。
  5. 恵方巻なら、声を張り上げることもなく、無言なのだから隣近所に気兼ねがいらない。
  6. コンビニで買ってきたビニール・パックの太巻きを食うだけだから、清潔でお手軽だ。

とまあ、こんな理由で、私は恵方巻が世の中に根付くとみていたのだ。繰り返すが、我が家ではやらんけどね。

しかし近頃、この恵方巻が過熱しすぎて、コンビニやスーパーでの大量廃棄が発生しているらしい (参照)。コンビニのバイトまで結構な量の売り上げノルマを課せられた上に、売れなかった分は自腹で購入を迫られ、それでも残ったのがゴミとして大量に捨てられているらしい。

これは由々しき問題である。世界には食糧不足で餓死する子どもまでいるというのに、一方でそんなことをしているのは罰当たりもいいところだ。

こんなことになるなら、恵方巻なんていう風習はさっさと風化させて廃れるようにもって行く方がいい。我が家はもとよりこんなものは食わないからいいが、何となく惰性でやってるのなら、来年から止めちまうにこしたことはなかろう。

「恵方巻って、だっさーい!」 というイメージを広めてしまえばいい。元々、そんなに楽しいものでもないのだから、どうしても続けたいなら細々とやってもらいたい。流行り始めてから既に干支も一回り以上してしまったのだから、世の風潮が変わるのも当然ということだ。

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2017/02/02

またぞろ "winmail.dat" が増えてきたので

近頃、またぞろ "winmail.dat" という添付ファイル付きのメールを受け取ることが多くなった。ほとんどは差出人が会社で使用しているメルアドから送付されたものである。ということは、私のような社外の人間にも、社内仕様のまま何も疑いもなくメールしているのだろう。

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マイクロソフトの Outlook を使って送付された添付ファイル付きメールを、Outlook 以外のメーラーで開こうとすると、元々の添付ファイルが "winmail.dat" という、どうにも扱いに困る形になってしまう。このバグ (敢えて 「バグ」 と言わせてもらう) については、10年以上前からネット上でもうんざりするほど指摘されているが、一向に改善される気配がない。

マイクロソフトは自社仕様をデフォルトと勘違いしているのか、あるいは自社仕様をごり押ししてデフォルトにしたいのか、いずれにしても傲慢な姿勢である。また Outlook ユーザーの多くも、自分の送った添付ファイルが開けなくて困る人がいるとは知らないか、あるいは知っていても、それは相手のスキル不足のせいだと勘違いしているようなのだ。

これについては私もこれまで、「"winmail.dat" で戸惑う人が増えているみたいなのだ」、「"winmail.dat" の一番簡単な開き方」 など、何度か触れてきた。こうした記事で触れているように、 "winmail.dat" が送付されてしまった場合でも、実は Outlook なしで開こうと思えば開ける。"Winmail Openner" など、それ用のソフトがあるし、そんなソフトを使わなくても最も簡単な方法としては、Gmail に転送すれば開ける (もちろん、初めから Gmail で受ければフツーに開ける)。

私としては 10年ぐらい前までは 「添付されたファイルは、Outlook 以外のメーラーでは開けないので、開ける仕様で送り直してください」 と返信していたのだが、いくら言ってもわからないようなので諦めて、最近ではおとなしく Gmail に転送する形で開いている。私が Gmail アカウントを持っているのは、この問題への対応だけが目的と言ってもいいぐらいだ。

しかし最近、OS が Windows 10 にアップグレードされていることに伴う現象なのかもしれないが、またしても "winmail.dat" が増えてきたので、おとなしく気を利かせるのもいかがなものかと思い始めている。「あなたから届いた添付ファイルが開けません」 と返信してやる方が親切なのではなかろうかということだ。

Outlook でも、添付ファイルを誰でも開ける形で送付する方法はある。設定をちょっとだけ変更しさえすればいいのだ。やり方は 「Outlook:Winmail.datファイルが添付されないようにするには」  というページに詳しく紹介されている。決して難しいことではない。

Outlook ユーザーには、この点についてしっかり認識してもらいたい。Outlook をデフォルト・メーラーとしている企業の システム担当者は、上述の設定変更をするように社員に徹底すべきである。

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2017/02/01

有休を取る理由

「マイナビ ウーマン」 が 1月 30日付で 「お詫び」 を出している (参照)。"2017年1月25日および2017年1月27日に掲載した 「有給休暇」 「生理休暇」 についての記事に関して、法的趣旨を誤解させる表現がございました”として、2つの記事を削除している。

170201

しかし世の中というのは甘くないようで、削除された記事も Google キャッシュ や 魚拓で読むことができる。「有給休暇」 に関する記事は こちらの魚拓、「生理休暇」 に関する記事は、こちらの Google キャッシュに残されているが、ここでは有給休暇に関する記事について述べる。

この記事は有給休暇の "「社会人としてありえない」理由" をアンケート調査し、寄せられたものの中から 6つ選んで紹介している。「(1) 寝坊したから、(2) 二日酔いがヒドいから、(3) やる気が出ないから、(4) 彼氏と大ゲンカしたから、振られたから、(5) 体が痛いから、(6) 天気が悪いから」 というものだ。

ここにあげられた理由には、自分で 「こんな理由で有給休暇を取ってしまった」 という告白と、「こんなひどい理由で有休を取った同僚や後輩がいる」 というチクリの 2通りある。比率としては、きちんと数えたわけじゃ内が、半々ぐらいの印象だ。

例えば (1) の 「寝坊したから」 という理由にも、次のように 告白とチクリがある。

「寝坊したからそのまま休んだこと」 (33歳/情報・IT/秘書・アシスタント職)

「寝坊したから今日は有給にしてくださいと言って、大事な会議の日に休んだ同僚。会社をなめてると思ったから」 (29歳/人材派遣・人材紹介/事務系専門職)

しかしここで私がふと思ってしまったのは、「有休を取るのに理由を求めるのがフツーなのかなあ」 ということだ。そしてもっと言えば、理由を述べるのに 「寝坊したから」 なんて正直すぎることを言うナイーブなやつがいるんだなあと、驚いてしまったのである。

「彼氏と大ゲンカしたから、振られたから」 なんて正直なことを言うよりも、何かもっともらしい理由をでっち上げればよかったのにと思うのは、私だけじゃないだろう。そして大抵はそんなもんだろうに。

そもそも有休を取るのにその理由を明らかにする義務は、法律的にはない。会社側が 「済まんが、そういう理由だったら、有休は別の日に取ることにして、今日は出てきてくれんか」 と言う (これは法的には認められている) ために、理由開示を求めるのは違法ではないが、それに対して正直に答えるかどうかは、社員の側の自由ということになっている。少なくとも法律としては。

で、現実的には理由を述べないとちょっとカッコつかないみたいな場合には、社員の側でも 「急に親戚が死んじゃって」 とか、テキトーなことを言ってしまえばいいじゃないか。そんなわけで、親戚中を何人も殺してしまっている強者もいる。

この記事は 「有休を取ることは働く人の権利ですが、常識ある使い方をしたいですね」 とまとめられていて、これが問題となって 「お詫び」 と記事削除ということになったらしい。私だったら、「理由を述べるんなら、それなりにもっともらしいことを言っとく方がいいでしょうね」 という方向でまとめたいところである。

そんなわけで、"「彼氏と大ゲンカして、次の日に仮病で休む」 (25歳/団体・公益法人・官公庁/事務系専門職)" という告白調の回答には、「グッジョブ!」 なんて思ってしまったのだよね。

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