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2017年3月に作成された投稿

2017/03/31

パククネ前大統領、韓国のお約束通りに逮捕

韓国のパククネ前大統領が逮捕された。そういうことになるだろうとは思われていたが、やはりお約束通りのようにそうなった。

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方々で指摘されていることではあるが、韓国で大統領なんてやっちゃうと、その末路は大抵まともには収まらない。パククネ以前の大統領は、ざっと見ただけでも、次のような具合だ。

李承晩: 亡命・長男自殺
朴正煕: 暗殺
全斗煥: 光州事件の民衆殺害の罪で無期懲役の刑を受け、後に特赦
盧泰愚: 懲役刑を受け、後に特赦
金泳三: 次男逮捕
金大中: 親族が5人逮捕
盧武鉉: 不正蓄財疑惑の中で自殺
李明博: 実兄逮捕

上記以外にも大統領は一時的な代行職を除いて 2人いるが、その 2人にしても決して平穏な人生を全うしたわけじゃなかった。

1960年に李承晩の後を継いだ尹潽善は、朴正煕に追われるような形で自ら下野し、野党政治家となったため、いい目も見なかった代わりに、悲惨な末路を辿ることもなかったと見られていた。しかし10数年経ってから 「民主救国宣言」 を出したところ、非合法活動として起訴され、お約束通りに、実刑判決を受けた。

朴正煕の後に大統領となった崔圭夏は、全斗煥らによるクーデターであっという間に政権を追われている。大統領職にあったのは、10ヶ月足らずでしかなかった。

というわけで、韓国の大統領を務めた人物は、100%の確率で安寧な人生を全うしていないのである。1993年の文民政権発足以後に誕生した金泳三ら、5人全ての大統領が、「大統領になったことを後悔する」 といった旨の発言しているというのだから、尋常じゃない。これは偶然の結果と言うよりも、韓国社会の構造や、こう言っちゃナンだが、民衆のメンタリティに問題があるとしか思えない。

朝鮮日報は、韓国大統領が不正蓄財事件を起こし続ける問題の原因として、「帝王的大統領制」ともいわれる圧倒的な権力によって、大統領の親類や側近が 「虎の威を借る」 ことが可能な制度にあると指摘している 。つまり、大統領の一族郎党がよってたかっていい目を見たがる構造があるようなのだ。

そんなことだから、大統領の任期が切れて 「フツーの人」 になった途端に、恨み骨髄に徹した民衆に、よってたかって断罪されるという反動が生じる。これって、中国史の 「易姓革命」 みたいなものと指摘する人もいる。つまり、前王朝の歴史を全否定して、初めて次の王朝の存在基盤が確立するのだ。

こうしたメンタリティというのは、現代の民主主義の世の中においては 「極端すぎ」 に思われる。ちょっと韓国以外の世の中に出た経験のある人なら、悲惨な末路が約束された韓国大統領になろうなんて決して思わないだろう。国連事務総長を務めた潘基文が早々に大統領レースから降りたのは、賢明なことというより、ごくフツーの感覚だと思う。

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2017/03/30

家電 (イエデン) と FAX

最近は、家電 (イエデン = 固定電話) と FAX の使用頻度がめっきり減ってしまって、音声通話はほとんどスマホを使っている。FAX にしても、ここ 2年近くまったく受発信していないと気付いた。今どきはほとんどメールに置き換わってしまった。

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思えば 3年ぐらい前まではイエデンもそれなりの使用頻度があった。実家の親はケータイなんか馴染みがないので、何か用事があればイエデンにかかってきていたものだ。ところが私の方は両親ともにあの世に行ってしまい、妻の父は残っているものの、最近は電話なんかかけてくることは皆無になった。

両親の世代の親戚 (つまり伯父母、叔父母の世代) も、ずいぶんこの世にいなくなったか、いても電話するほどの元気もないという状態で、その子供たち (つまり従兄弟、従姉妹たち) から下の世代は、ケータイで連絡を取り合っている。ということは、イエデンにかかってくるのは、アヤシいセールス電話が 90%以上ということである。

だから最近は、イエデンの呼び出し音が鳴っても、相手の番号が非表示なら出ないし、表示されても覚えのない番号なら出ない。もしまともな電話だったら留守電が残るのでこちらからかけ直すが、この 1年以上そんなこともなかった。電話は本当にケータイの世の中になった。

FAX というのも、ほぼ完全にメールに置き換った。我が家の FAX 機は業務用に導入したもので、A3 サイズの受発信もできるタイプなのだが、今は完全に宝の持ち腐れである。上の写真の、電話機の奥にある黒い物体が、その持ち腐れた宝だ。

例の森友学園問題で、籠池氏が首相サイドからアヤシい FAX を受け取ったなんていうニュースには、「いつの時代の話だよ?」 と言いたくなった。そんなことだから、この問題は魑魅魍魎テイストたっぷりになってしまうのだ。

私は 2015年 10月の 「芸能人の結婚発表と FAX」 という記事で、「どうして芸能人の結婚発表はマスコミ各社に FAX で送りつけられるのか」 という疑問を呈したことがある。芸能界のこの傾向は、それから 1年半後の今もまだまだ健在のようだが、昨今は離婚と引退の発表が FAX というケースが多いようだ。ビミョーに時代を感じさせる。

ところで、我が家のイエデンの子機の方の調子がおかしくなって、雑音がひどくて通話にならなくなってしまった。親機の方は全然大丈夫なので放っておいてもいいのだが、今日、ケーズ電気で子機付きの電話機が 5600円という値段で出ていたので、衝動買い的に交換してしまった。イエデンにも 1年に 2〜3回まともな電話がかかってくることがあるので、その対策である。

今後 10年ぐらいで 20回ぐらいまともな電話がかかってくるとして、1回あたりのコストは 280円ということになる。それを考えると、いくら子機付き 5600円でも、高かったかなあ。

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2017/03/29

籠池理事長の駆け込み寺は、あの本の著者だったのか

このところ、九州の片田舎に二泊三日で出張したり、急ぎの仕事に追いまくられたりして、あまり最新の情報に接していなかった。だから、例の森友問題の籠池氏が駆け込んだ 「菅野完」 というジャーナリストにしても、「誰? それ」 としか思っていなかった。

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出張先のホテルに夜遅くチェックインして、ニュースで菅野氏がマンション前で大勢の取材陣にインタビューを受ける姿をみても、「この関西弁のオッちゃん、誰?」 と思っていた。どうしてこのオッちゃんが急にしゃしゃり出てきたのかわからなかったが、どうせ 「森友学園問題は魑魅魍魎」 と思っていたから、あまり気にもしていなかった。

ところが今日になって、ふと 「あれ、この名前、どっかで見たことあると思ったら、『日本会議の研究』 の著者と同じ名前じゃん」 と気付いた。今頃になって気付くとは、私のアンテナ感度もずいぶん鈍ってしまったものである。

で、念のためググって見たら、まさにあの本の著者が今、籠池理事長の駆け込み寺みたいなことになっているらしいのだ。へえ、世の中わからないものである。いや、わかりやすすぎるとも言うべきか。いずれにしても、これはちょっとおもしろいことになったのではなかろうか。

というわけで、今になってこの森友学園問題に改めてキャッチアップするために、再び興味を持ち直しているところである。それにしても、我ながらなんだかズレてしまっているなあ。

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2017/03/28

政治がつきあいきれない

政治が混迷していて、はっきり言って 「つきあいきれない」 状態になっている。私は米国や英国のような二大政党による政権交代が繰り返されるシステムがこの国にも根付けばいいと考えているのだが、どうもそんなことにはなりそうにない。きっと精神風土が違うんだろうと、ほとんど諦めかけている。

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ちょっと前までは、野党が、つまり民進党がだらしないから、こんな状況から抜け出せないのだと考えていた。しかしどうやら、民進党がだらしないというよりは、民進党がだらしなくならざるを得ない政治風土が、この国にあるのだと思えるようになった。

なにしろ 「ソンタク」 で動く政治だもの。表舞台では明確な論戦が行われず、避難の応酬にしかならない。そして舞台裏ですべてが進行する。舞台裏で動くのだもの。明確なことなんか言えない。「みなまで言わなくても、あとは官僚が適当にソンタクしてくれる」 という環境がなければならない。

そうなると、政権が度々移行してしまったら、ソンタクの加減がわからなくなって、やりにくくてしょうがないことになるだろう。だったら、阿吽の呼吸で通じてしまう自民党政権が続く方が楽だ。いや、私がそんなふうに思っているのじゃなく、あの界隈の連中が確実にそう思っているのだ。

民進党の蓮舫代表は、近頃とみに人相が悪くなってしまった。何を言っても言葉に重みがないし、ブーメランになってしまう確率が異常に高いので、仲間内でもまともにつきあってもらえないのだろう。「ソンタク」 の 「ソ」 の字も通じそうにない雰囲気を漂わせているしね。

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2017/03/27

iCloud のログイン情報がハッキングされたというのだが

Forbes Japan の記事によると、「ターキッシュ・クライム・ファミリー (トルコ犯罪一家)」 というハッカー集団が、 icloud.com と me.com のドメインのメールアカウント最大 5億5900万件のログイン情報を入手したと主張して、Apple に「身代金」 を要求しているのだそうだ。なんだかアヤシい話ではあるのだが。

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記事は次のように伝えている。

ニュースサイト 「マザーボード (Motherboard)」 の先週の報道によれば、ハッカー集団は、データ消去と引き換えに、仮想通貨のビットコインもしくはイーサで 7万5000ドル (約840万円)、または iTunes ギフトカードで 10万ドル (約1100万円) を 4月 7日までに支払うようアップルに要求。従わなければ、パスワードを使用して iPhone をリセットし、電話番号、画像、動画、メールなどの個人情報を削除すると脅迫している。

というわけで、こちらとしても一応念のために、iCloud のパスワードを変更した。実を言うとここしばらく iCloud のパスワードを放りっぱなしにしといたので、何もなくてもそろそろ変更のタイミングになっていた。ある意味、ちょうどいい機会である。

とはいえ、このニュース自体ちょっとアヤシい。5億件以上ものログイン情報を入手したにしては、「身代金」 の要求がかわいらしすぎる。ハッカー集団を名乗ってはいるが、もしかしたら個人犯罪かもしれない。

で、もし 「身代金」 が支払われなかったら、入手したパスワードを使って世界中の多くの iPhone をリセットして、iCloud 上に保存されたデータを消去してしまうと言っているわけだが、それを実行するのはかなりの 「手間」 である。たとえ本当にパスワードが漏れていたとしても、5億件以上の iPhone の全てをリセットするなんて、結構な力技になる。実際にはできないんじゃなかろうか。

今回のニュースは、Apple ユーザーの iCloud パスワード変更を促しただけという結果に終わるだろうと思う。

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2017/03/26

通販は認知症の敵になる

日経ビジネスに "その名は 「通販」。認知症介護の予想外の敵" という記事がある。宇宙作家クラブ会員の松浦晋也さんという方の書かれたものだ。

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記事は認知症の母との悪戦苦闘の記録である。そして今回は通販との戦いに焦点を当てたものだ。なにしろ女性は買い物が好きだから、認知症になってもテレビショッピングをしまくる。しかも必要でもないものを 「定期購入契約」 とやらで買うので、白髪染めやら洗剤やら何やらが、毎月届くのだそうだ。

買ったところで使わないのだから、未使用の同じ商品が家の中に山と積まれることになる。そして当人は買ったことさえ忘れているので、「どうしてそんなものを買ったんだ」 と問い詰めても、「そんな覚えはない」 と言い張る。認知症の老人を論理的に問い詰めても埒があかないことはわかっていも、神経の消耗は大変なものだろう。

私の母も体が動かなくなって寝込んでしまう前は、徐々に進行する認知症のせいで、かなりとんちんかんなことが多くあった。実家は母が寝込んでしまってから近所の新築の家に引っ越したので、1週間近くかけてその荷造りを手伝ったことがあったが、古い家の物置きには、母がいつの間にか買い込んだ手つかずの品物が売るほどたまっていたのを思い出す。

母はテレビショッピングなどにはそれほど馴染みがなかったので、ほとんどの商品は近くのスーパーで買い込んだタオルや洗剤、ティッシュペーパーなどの日用品だったが、中には通販で買い込んだらしきものもいくつか混じっていた。あの頃はまだ通販がそれほど一般的ではなかったからまだいいが、今の世の中で認知症になった女性なら、確かにいろいろなものを、ものすごい勢いで買いまくるだろう。

若い女性で通販に慣れ親しんでいる女性が、何十年か経って認知症になってしまったら、どんなに不必要なものを買いまくるか、考えるだに恐ろしくなる。認知症とはいえ、慣れ親しんだ行動はすいすいこなしてしまうのだ。

通販業界は認知症の老人によるとんちんかんな購入申し込みへの対策を考えないと、トラブル処理にずいぶん無駄なコストをかけることになるだろう。かくいう私も、Amazon で要りもしないものを買いまくらないように、くれぐれも注意しようと思う。

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2017/03/25

「ソンタク力」 の発揮どころ

3月 18日の記事に "今年の流行語大賞の有力候補に 「忖度」 というのが挙げられると思う" と書いたが、それ以後の様子を見ていて、この思いはますます強まった。今のところ断トツの最有力候補だろう。

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世の中にはミーティングルームの壁に 「忖度力」 と大きく書かれた紙の貼られた会社もあるらしい (参照)。日本人は本当に 「忖度」 が好きなのだなあと感心していると、渦中の人物の一人、大阪の松井府知事は 「忖度には、悪い忖度といい忖度がある」 なんて言い出したらしい (参照)。こうなると、お笑いじみてくる。

まあ、フツーはいわゆる 「配慮」 ぐらいで十分なんじゃないかとも思う。ことさら 「忖度」 なんていうから、考えすぎてしまう。このまま行ったら、「配慮の度が過ぎたのが忖度」 で、「事大主義の別名」 なんてところまで零落しかねない。

「忖度 = ソンタク」 という言葉がここまでおかしくなってしまったのは、18日の記事でも書いたように、立場の上の者にばかり妙なソンタクをしてしまう風土がこの国にできてしまったからだ。上の者は部下に対して簡潔明瞭な指示を出すべきで、部下は妙なソンタクなんかせずに、それを粛々と実行すればいい。

そもそも立場が上の者が下の者に対して、「そんなこと俺に皆まで言わすほど、おめえも野暮じゃねえよな。わかってるよな、な?」 ってなことになるのは、グレーゾーンの中でもかなり黒っぽい領域のことになるに決まってる。そんなことをソンタクさせるのは、ある種のパワハラだ。

その逆に、指示を出すとかいう権限のない立場の弱い者に対しては、権限のある者が声なき声を拾ってきちんと忖度すればいいのだ。今の世の中、それが逆になってしまっているから、今回のようなおかしなことになる。

繰り返すが、立場の弱い者に対してさりげなく発揮してこその 「忖度力」 だろうよ。「ソンタクの成るソンタクは誰もする成らぬソンタクするがソンタク」 という道歌もあることだし。…… ないか。

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2017/03/24

アイコンでびっしりと埋め尽くされたデスクトップ

今日、出張の帰りに長崎空港の搭乗ゲートで時間待ちしていたら、斜め前の席で Let's Note を取り出して仕事をし始めたにいちゃんがいた。今どきとりたてて珍しい光景というわけでもなんでもないのだが、私が度肝を抜かれてしまったのは、彼のデスクトップをびっしりと埋め尽くしたアイコンの壮観さにである。

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あまりに驚いたので、悪趣味なことについパパラッチしてしまったのが、上の写真である。彼自身、ずらりと並んだアイコンにてこずっているみたいで、この壮観なデスクトップをずいぶん長い間表示させたままで、目的のファイルを探していた。おかげでこちらも、余裕を持って盗撮 (?) できてしまったのだよ。ごめんね。

私だってデスクトップに何も置いてないわけじゃないが、せいぜいメールで送られた添付ファイルの中で、確認が済めば保存しておく必要もないやつとか、当日のブログで使う写真とかを、仮置きするだけだ。そして用が済んだらさっさと削除する。保存しておく必要のあるファイルは、"My Documents" フォルダの中にさらにフォルダごとに分類して入れておく。

この分類は長い間のうちに確立されたシステムで、大雑把すぎず、かといって細分化しすぎず、最も自然に放り込めて、さらに後から見つけやすい絶妙のソート・メソッドによっている。もっともその 「絶妙さ加減」 というのは個人的なもので、誰に薦めても 「最適」 というわけじゃないから、各人が自分で磨き上げなければならない。

というわけで、私のリアルのデスクトップ (つまり作業机の上) は結構乱雑だが、PC の中は人に誇れるほどきっちり分類・整理されている。どんな昔に作った些細な書類でも、必要とあらばあっという間に見つけて開くことができるのだ。

ところが上の写真のような状態だと、必要なファイルを見つけるだけで手間取ってしまうだろう。ご苦労さまなことである。

巷では、デスクトップにあまり多くのファイルを置いておくと起動に手間がかかると言う人もいれば、それは俗説で、実際にはそんなに変わらないと言う人もいる。試しにググって見たら、「エンジョイマガジン」 というサイトに "「デスクトップに重いファイルを多数置くと起動が遅くなる」はホント?" というページが見つかった。

このページを書いた人は、デスクトップをきれいさっぱり空にした状態と、ファイルをどっさり置いた状態、そしてショートカットを置いた状態で、起動に要する時間を計ってみたというのである。OS は、画像から察すると、Windows 7 のようだ。

結論から言ってしまうと、デスクトップをすっきりした状態だと、起動には 150.195秒かかり、 ファイルをどっさり置くと 192.801秒かかったという。この 約 42秒の差をどうみるかだが、やっぱりちょっと大きいと感じてしまうのが人情だろう。

しかしまあ、今どきの PC はスリープ状態にしておくことが多いので、イチから起動するなんて 1週間に 1度ぐらいのものだろうから (私は仕事が終わるといちいち電源切って、毎朝再起動する人の気が知れない)、気にするほどのことじゃないと言う向きもあろう。そうなると、あとは気分の問題である。

突き詰めたら好きずきの問題に過ぎないかもしれないが、やっぱりデスクトップはすっきりさせておく方が、見栄えがいい。とくに、自分の PC を使ってプレゼンをする機会の多い人なんかは、公衆の面前の大スクリーンに、内容がもろに想像できちゃうようなファイルネームの付いたアイコンがびっしり貼ってあるというのは、避ける方がいいと思うよ。

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2017/03/23

世の中にはいろいろなローラがいるみたいなのだ

今日は案外どうでもいい話題である。CM なんかでよく見る顔に、ローラという子がいる。個人的にはあんまり近くにいられたくないタイプだが、いろいろとよく登場するのだから人気があるんだろう。このほど長崎から諫早に向かう快速電車で、JR 九州の鹿児島旅行プロモーションの吊り広告でも目撃した。

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で、「ん?」 と思ったのである。この吊り広告には ”KAGOSHIMA by Rola" とある。「ローラによる鹿児島」 というのも、「なんじゃ、そりゃ?」 という感じだが、それよりも 「ありゃ、ローラって、"Laura" じゃなかったのか?」 と、ちょっと意外な気がしてしまったのだ。

私の知ってるローラは、ローラ・ニーロ (Laura Nyro) でも、ローラ・ブラニガン (Laura Branigan) でも、ローラ・フレイザー(Laura Fraser) でも、みんな Laura である。Laura 以外のローラがいたとは、新しい発見である。

そういえば昔イタリアに、ラウラ・アントネッリ (Laura Antonelli) という女優もいたなあ。彼女も英語読みだったら 「ローラ」 にほかならない。しかし今回鹿児島旅行のプロモーションをしているタレントの名前は、ローラはローラでも、いわゆるフツーの Laura じゃないようなのである。

あまりのことに驚いてインターネットに当たってみると、本当に世の中にはいろいろなローラがいるみたいなのだ。「ローラ」 というカタカナでググると、「ローラ (Laura, Lola, Rola) は、女性の名前」 とある (参照)。「へえ!」 ってなもんである。それぞれみんな異なる発音だ。多くの日本人の耳には、あまり区別が付かないことではあるが。

例えば、中国に ローラ・チャン (Rola Chen) という女優がいるし、イタリアには ローラ・パニーニ (Lola Pagnani) という女優が、ルーマニアにはローラ・ボベスコ  (Lola Bobesco) というバイオリニストがいるという。まあ、見当たらないのは Rora ぐらいのものだ。

世の中にはまだ知らないいろいろのことがあるものなのだね。

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2017/03/22

「マイクーポンのお知らせ」 というスパム

最近のスパムメールの流行りは、「マイクーポンのお知らせ」 みたいなやつだ。スパムと言っても、いかにもアヤシいところから来るのではなく、いわゆるフツーのメジャーなサービスサイトから来たりするので、本当に厄介だ。例えばこんなようなやつだ。

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10万円以上で 5000円引きが使えるなんていっても、よく考えれば 5%以下のディスカウントでしかない。世の中ちょっと探してみれば、そんなもんじゃないディスカウントがいくらでも見つかる。というか、そんなちゃっちい割引を探す方が難しいぐらいのものなのだが、「マイクーポン」 という言い方をすると、嬉しいご褒美みたいな気がしてしまうのだろうか。

こうしたメールは、利用しているポータルサイトからまで来るので、うかつに配信停止の手続きなんかすると、他の知らせまで止まっちゃいかねないから困ってしまう。それでこの類いものとわかったら読まずに即刻削除することにしているので、私に関する限りはいくら送りつけてもまったく無駄なのだが、近頃は増える一方のような気がする。

「お得なクーポン」 なんて言っているが、大抵はどこかの店とか通販サイトとかで必要でもないモノを買ったりすると、割引クーポンが付くというシステムらしい。多くの場合、自分の本当に必要なものを買ってもクーポンなんてもらえないのに。要りもしないものを買うとついてくるというのである。

つまり 「お得」 という名の無駄遣い促進システムだ。向こうも商売だから、慈善事業をしているわけじゃない。付与するクーポン分は元の値段の中に含んでいるはずだ。ということは、意識してクーポンをゲットしなけりゃ、その分だけ高い買い物をすることになる。だったらクーポンなんて付かないフツーのサイトで、お買い得商品を探して買う方がマシだ。

せっかくもらったクーポンは使わなきゃ損という人もいるが、そのクーポンを使って、またしてもあまり必要でもないものを買ったり、温泉旅館やリゾートホテルの宿泊なんかに使わなきゃいけないのだから、結局は売り手の論理でしかない。クーポンなんか使わなくても、上手に計画すれば費用のかからない旅行なんていくらでもできる。

まあ、世の中にはさんざん無駄な買い物をして貯めたクーポンで、あらかじめセットされたプランで温泉旅館なんかに泊まり、「ああ、お得な楽しみをゲットしちゃったわ」 なんてルンルンしている人もいるらしいので、それはそれで 「どうぞお幸せに長生きしてね」 というほかないのだが。

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2017/03/21

バリケンという鳥のいることを初めて知った

バリケンという鳥をご存じだろうか? 実は私も今日初めて知った。雨の中、つくば市の赤塚公園というところを歩いていると、なんだかニワトリの大きいんだか、七面鳥の小さいんだか、よくわからん鳥がぼうっとつっ立っている。「何だ? ありゃ!」 と言うと、一緒に歩いていた後輩が 「tak さん、知らないんですか。バリケンってやつですよ。この辺じゃ知らない人いませんよ」 と言う。

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近付いて行っても飛び去る気配はない。というか、どうやら飛ぶことはできないようだ。結構でぶっちょで、羽も小さいから、まあ、飛べたとしてもちょこっと程度だろう。写真を撮ろうとすると露骨にうっとうしがるような素振りは見せるが、走って逃げるということもない。見た目は強面だが、至って呑気な鳥という印象だ。

帰宅してからググってみると、Wikipedia で 「ノバリケン」 という項目が見つかった (参照)。野生のバリケンで、「野バリケン」 というココロらしい。カモ目カモ科の鳥である中米産ノバリケンを家禽化したものが、バリケンということのようなのである。日本においては家禽化されたバリケンの方が先に知られ、後になって 「元々の野生の方は 『ノバリケン』 ってことにしようか」 ってなことだったのだろう。

Wikipedia には 「食用家禽として日本に持ち込まれたが、あまり普及していない。飛行能力が残っており日本各地で逃げ出したものが散見される」 とある。おお、やはりちょこっとは飛べるもののようだ。まあ、そんなことを言えば、ニワトリだって木の枝ぐらいまでは飛んだりするからね。

この Wikipedia には、つくば市の洞峰 (どうほう) 公園で目撃されたバリケンの写真が載っている。とすると、やはりつくば市周辺はバリケンが多く見られる地域ではあるのだろう。私の自宅近辺では見たことがないけどね。

それにしても、この年になって初めて見る鳥というのがあって、しかもその鳥はつくば市では知らぬ者とていないというのだから、人生というのはよくよくわからないものである。

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2017/03/20

「スチールカメラ」 という言い方は、何とかならんかなあ

こんなことはとっくの昔に書いたとばかり思っていたのだが、自分のサイト内を検索しても出てこない。どうやらまだ書いていないようなので、今さらながら書く。何かというと 「スチールカメラ」 という表記についてである。

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世の中では、静止画像 (つまり動画じゃない画像) を写すカメラのことを 「スチールカメラ」 と呼び慣わしている。で、その心は 「動かない = 固い = 鉄のかたまり」 みたいな連想で、鉄鋼 (steel) という意味をかぶせて 「スチールカメラ」 と言うのだなんて思っている人までいる。

しかしそれは言うまでもなく誤りで、本当は "still" (動かない、静かな) という英語から来た言葉である。筋から言えば、カメラという道具が発明された時には静止画像しか写せなかったので、わざわざ区別する必要はなかったのだが、世の中が進んで動画を撮影できるカメラ ("movie camera" または "video camera") が一般化してしまったので、それと区別するために "still camera" と言うようになったようだ。

ところがそれがカタカナ語として取り入れられる時に、どういうわけか 「スチールカメラ」 になってしまった。世の中にはその間違いが気になって仕方がない人もいるようで、上に示したように、「スチルカメラ」 と表記するのが正しいと指摘したページまである。(「標記」 じゃなくて 「表記」 だろとか、「鉄」 じゃなくて 「鉄鋼」 だろとか、いろいろツッコミどころは満載だけど)

ともあれ私としては、どうせそこまで言うなら 「スチル」 なんて中途半端な段階にとどめず、 「スティル・カメラ」 が正しいと言って欲しいところなのである。今どき、「スティル」 と発音できない人なんでいないだろうからね。

昔は Steve という名前を 「スチーブ」 なんて表記した時代もあったが、「スティーブ」 になって久しいじゃないか。アップルの創始者の名前の表記は 「スティーブ・ジョブズ」 がごくフツーで、「スチーブ・ジョブズ」 なんて言う人に、私は会ったことがない。どうしてカメラだけが今の世の中で 「スチル」 なんだ。

いや、それどころか一時はやたら混乱していた時期があったようで、「スチルビデオカメラ」 なんてものまで存在していたようなのだ。今どきはコンデジでもスマホでも、動画が撮影できるのは当たり前になってしまったので、そんなのは廃れてしまったようなのだが。

さらについでだから言っちゃうと、オフィスなどの間仕切りをするついたてのことをカタカナ英語では 「パーテーション」 と称するが、あれは本当は 「パーティション (partition)」 が正しい (「パーティーション」 と伸ばさずに、「パーティション」 ね)。どうも日本人はカタカナ語を形成する時に、寸詰まりよりはスラッと伸ばして発音する方が 「それっぽい」 と感じるもののようなのだ。

ちなみに、今どきは滅多にやらないが、ハードディスクなどの記憶領域を分割することは、「パーティション」 と言うことの方が多い。若い人は知らないだろうけど、一時代前までは、「パーティションを切る」 なんて言い方をしたものだ。

これ、「スチールカメラ」 とか 「スチルカメラ」 みたいなことで 「パーチション」 なんかにならなくて本当によかったと思うが、仮に 「パーテーションを切る」 なんて言っちゃうと、ハードディスクの話なのにオフィスのついたてみたいで、ちょっと変な感じがしてしまうのかなあ。元は同じ言葉 (partition) なのに。

【3月 22日 追記】

野球の 「スクイズ」 は、"squeeze" (スクウィーズ = 絞る) が元なのに、伸ばさないで寸詰まりになっている。見るからに忙しく緊迫した場面になるから、呑気に伸ばしていられないのかな。

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2017/03/19

チャック・ベリーが死んだ

チャック・ベリーが死んだ。90歳だったという。ずいぶん長生きしたものだ。ジョン・レノンもジョージ・ハリスンもとっくに死んでいるのに、チャック・ベリーが生きていたとは、死んだというニュースが流れるまで意識していなかった。というわけで今、改めて彼のベストアルバムを聴いている。

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私はチャック・ベリーをリアルタイムで聞いていたわけじゃない。彼のデビュー曲とされている "Maybellene" が出たのは 1955年で、私はその時まだ 3歳だった。この年に日本で大ヒットした春日八郎の 『別れの一本杉』 や、菅原都々子の 『月がとっても青いから』 なんかでも、後になって懐メロとして半ば冗談みたいに知ったのだもの、チャック・ベリーなんて知るわけない。

私がチャック・ベリーを意識したのは、完全にビートルズを通じてである。ビートルズなら、私は完全にリアルタイムで聞いていたのだよ。彼らのデビュー曲は 1962年の "Love Me Do" だが、日本で本格的に話題になったのは翌年の 1963年頃からだったと思う。私は小学校 5年生だったが、「歌謡曲なんかより、ずっとカッコいいぜ!」 と、一発で夢中になった。ちょっとマセていたのかもしれない。

蛇足だが、私はビートルズとボブ・ディランを歌いたいがために、英語をしっかりと勉強したのだった。当時は 「不良の音楽」 扱いされていたが、後になってこの英語で仕事ができたのだから、ずいぶん役に立ったのである。

このビートルズが、初期には案外チャック・ベリーの曲をレコーディングしていたのだ。当時の私は "Roll Over Beethoven" や "Rock'n Roll Music" なんかはビートルズのオリジナルだとばかり思っていたが、「伝説のロックンローラーの曲をビートルズがカバーしてるんだ」 と聞かされ、初めてチャック・ベリーという偉大なる存在を意識した。

「そう言えば、あの ”Johnny B. Goode" というご機嫌な曲も、このチャック・ベリーというおっさんの曲だったのか! すげぇや!」 ってなもんである。有名な 「ダック・ウォーク」 を初めて動画で見たのは、中学校に入ってからだったと思う。昔は今みたいに情報があっという間に入ってくるわけじゃなかったのだ。

で、当時の私はこのダック・ウォークを真似したなあ。若い頃のチャック・ベリーぐらいにぐっと腰を落としてやるのは、結構足腰が強くないとできないのだよ。彼が長生きしたのは、ダック・ウォークで鍛えたからかもしれない。うん、きっとそうだ。そうに違いない。

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2017/03/18

立場が上のオッサンに対して 「ソンタク」 なんてしたがるから

今年の流行語大賞の有力候補に 「忖度」 というのが挙げられると思う。試しに "SONTAKU" でググってみたら、そんな名前のメンズウェア・ブランドまであった (参照)。やはり日本人、「ソンタク」 が大好きみたいなのだ。

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『大辞林』 によれば 「忖度」 とは、次のようなことになる。

( 名 ) スル
〔「忖」 も 「度」 もはかる意〕
他人の気持ちをおしはかること。推察。 「相手の心中を-する」

全部言わなくても意を汲んでもらえるというのは、ある意味では日本の美風でもあるが、なんでもかんでもソンタクしちゃうのはやり過ぎだ。今どきの世の中、みんな同じようなことを考えているわけじゃ決してないから、どこかでやり過ぎや行き違いが生じる。

とくに会社や役人の世界なんかでは、ついつい 「上に対してのソンタク」 ばっかり横行しちゃうのが問題だ。今や 「ソンタク」 という言葉は 「他人の気持ちをおしはかること」 というより 「上の意向をおしはかること」 という意味に堕落しちゃってる。

とくに中堅からやや上ぐらいの役人になると、上からの見えない圧力なんか、加えられる前から敏感に感じてしまって前もって準備したりしている。一般の人たちの苦労なんて、どうでもいいと思ってるくせにね。私が 「忖度」 というもっともらしい漢字で書くより、茶化して 「ソンタク」 と書きたくなる所以である。

「あいつは言われたことしかしない」 なんて、部下のことを悪く言いたがるオッサンがいるが、「言われたこと」 をしっかりやれさえすれば、そりゃ立派なものじゃないか。意図したことをみなまでやってもらえないのは、しっかりと指示しない上司の責任なのだ。

こんなことぐらい、世界の常識である。言わなくても気を利かしてもらえると期待するのは、日本のオヤジの甘えに他ならない。言わないことまで喜んでやってもらいたかったら、まず自分が魅力的なオヤジにならなきゃいけない。

私が 「ソンタク懐疑派」 なのは、ソンタクの好きなやつというのは、えてして強いやつの意向ばかりおしはかり、弱い立場のやつのことは無視するからである。結局のところ 「上司の覚えをめでたくして出世したい」 というだけのことなのだ。

私は昔から意識的に 「気の利かないヤツ」 で押し通してきた。上からの指示に対しては、敢えて必要以上のことはしない。文句を言われても 「そんなん、皆まで言うてくれなわかりませんやん」 と、トボければいい。

そのかわり本当に必要なことがあれば、何も言われなくても誰にも理解されなくてもとことんやる。私の嫌いなサービス残業を続けてでもやっちゃう。半年経てば現場ではしっかり理解される。こうして蓄えた財産のおかげで、組織内では出世しなかったが、フリーランスになってからはものすごくやりやすかった。

そんなようなところで、私は 「ソンタク」 なんかより 「シンシャク (斟酌)」 の方を大切にしたいなんて思っているのだよね。まあ、多分にニュアンスの違いだけってところもあるかもしれないけど。

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2017/03/17

右翼同士で内輪揉めが始まった

先月 27日の 「例の森友学園の問題で思うこと」 という記事で、「昔の左翼運動は小さな違いで分裂に分裂を重ね自滅したが、教育勅語や靖国神社のお好きな人たちの情緒的結束力というのはかなりのもので、思いっきりまとまってしまう」 と書いたが、ごく最近はどうやら事情が違ってきてしまったらしい。右翼同士でも、揉める時にはいろいろ揉めてしまうもののようなのだ。

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昔、三島由紀夫は東大 (駒場) での全共闘との討論集会で、「たとえば安田講堂で全学連の諸君がたてこもった時に、天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う」 と発言した。右翼というのはこのくらいの度量の広さというか、情緒的共感力というか、そんな感じのメンタリティを持ち合わせているものと思っていた。

ところが近頃の森友学園問題をみていると、どうやらそうした美しい気概は消え失せてしまったようで、右翼的な姿勢の目立つ政治家たちが、ひたすら保身に走るようになっている。これまで (表面的には) 理念先行で突っ走ってきた右翼の世界も、実利的な損得を無視できなくなったということのようだ。

そうなると当然ながら、三島の憧憬の根源であった 「天皇という言葉の一言」 などはまったく聞かれなくなる。損得がからむと、右翼といえども根本的理念などに構っていられなくなるもののようだ。

安倍首相は先月半ばまでは 「妻から(籠池)先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている」 と言っていたのだが、2月下旬に入ってからは 「教育の詳細は全く承知していない」 「『がんばれ』 とか園児に言ってもらいたくない」 などと手のひれ返ししてしまった。昭恵夫人の新設予定だった小学校の名誉校長就任にしても、森友学園側は 「承認してもらった」 と言い、首相サイドは 「断った」 と言い張っている。

稲田防衛大臣に至っては、森友学園の代理人弁護士として出廷したことをトボけようとしてトボけ切れず、あげくの果てに 「失礼なことをされた」 とか 「一切関係を絶ってます」 とか、言わなくてもいいことまで口走っている。裏で何があったか知らないが、憂国の女傑としては、はなはだセコい印象だ。

橋下徹元大阪府知事は、「大阪府が無理筋の認可を出したのは、『近畿財務局の方から、これはもうなんとか条件付きでもいいから認可を出してくれ、出してくれ』 と圧力をかけられたから」 などと、露骨なまでに国に責任をなすりつけようとしている。この人、「国の言うことなんか簡単には聞かん」 という姿勢が売りだったのに、あれは単なる営業用ポーズだったのか。

その一方で、巷には籠池氏にすさまじい絶叫エールを送り続ける、チョー純真な愛国オバサンもいて、なかなかエラいことになっている。その声は、以下のビデオで聞ける。

このオバサン、かなりうるさいが、何かあったらトボけりゃいいと思っている政治家たちよりは、ある意味ブレることもなくしっかり忠義立てしているともいえそうだ。潔いといえば潔い。それは 「損得抜き」 の立場にいるからだろうね。

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2017/03/16

西武新宿線の駅名、どうして 「下井草〜井荻〜上井草」 なのか

大学時代の昭和 47〜48年頃に、西武新宿線の下井草駅近くに住んだことがあった。風呂なし、トイレ共同の汚いアパートで、駅に近いことだけが取り柄の住処だった。その下井草駅は、ふと思い立って Google マップで検索してみたら、今は橋上駅になっている。

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橋上駅になったので、西武新宿線も高架になり、踏切がなくなったのかと思ったら、どうやらそうではなく、駅舎が線路の上にできたというだけで、昨年夏に立体交差化の計画は発表されたものの、まだ実現されていない(参照)。西武鉄道というのは、池袋線は一昨年になってようやく全面高架化が完成したらしいが、新宿線はまだ遅れている。この方面にはとにかく金をかけたがらない会社だ。

ところで、西武新宿線の鷺宮駅の西隣には、私の住んでいた 「下井草」 があり、隣が 「井荻」、その次が 「上井草」 という駅である。これ、どうして 「下井草〜井草〜上井草」 じゃなくて、間の駅が 「井荻」 というややこしいことになっているのかというのが、昔から疑問だったが、そこに住んでいるとあまりに身近すぎて、ついぞ調べることもなく放りっぱなしになっていた。

で、今頃になってふと思い出してたまらなく気にかかってしまい、何はともあれググってみたらすぐに理由がわかった。下井草に住んでいた 40数年前は、こんなことを調べるにもいちいち図書館に足を運ばなければならなかったことを考えると、ずいぶん便利な世の中になったものである。

最もわかりやすかったのが、Wikipedia の 「上井草」 の項である。こんなことのようだ。

江戸時代の多摩郡上井草村の流れを汲む地名である。江戸時代初期に井草村が分割され、上井草村と下井草村が成立した。

(中略)

1889年の町村制施行により、上井草村・下井草村・上荻窪村・下荻窪村が合併し、東多摩郡井荻村となった。1896年に東多摩郡は豊多摩郡になり、井荻村は1926年に井荻町となる。

「井荻村」 という地名になったのは、察しのいい方は既にピンときていると思うが、「井荻町」 の項 に、次のようにある。

東多摩郡上井草村、下井草村、上荻窪村、下荻窪村が合併する際、井草の 「井」 と荻窪の 「荻」 とを組み合わせて命名。

というわけで、「井荻」 というのは両方から一文字ずつ取って組み合わせるという、ありがちな手法で便宜的についた地名ということである。で、現在の西武新宿線の下井草と上井草の間の駅名として残っているというわけだ。なんだかややこしい話なのだが、とりあえず 40年ぶりで疑問が解消された。

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2017/03/15

日本の退屈な授業じゃ、そりゃあ居眠りもするさ

国立青少年教育振興機構の発表によると、日本の高校生の授業は米国、中国、韓国に比べて受け身的で、生徒はきちんとノートを取るが居眠りもよくしていて、グループワークには消極的なのだそうだ (参照)。世間では 「日本の生徒はよく居眠りをする」 と話題になっているが、授業が退屈なのだもの。そりゃあ居眠りもするさ。退屈なら眠くなるのは、国会だって同じだ。

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授業については、91.2%の高校生が 「教科書に従ってその内容を覚える」 ことが中心と感じていて、「個人で調べ、まとめ、発表する」 は16.6%、「グループで課題を決め、考え、調べる」 は 11.9%で、どちらも 4カ国中最低だった。ようするに、日本の高校の授業はつまらないということだ。

そんな中で日本の高校生は、「授業中、きちんとノートを取る」 というのが 79.4%と、驚異的な数字で 4カ国中トップだが、その一方で 「授業中、居眠りをする」 というのも 15.4%と、断然トップとなっている。私の印象では、居眠りをするのが 15.4%というのは少なすぎる気がするが、最近の高校生は眠気を我慢しているのだろうか。

私の高校時代は、勉強は家に帰ってから自分でやるもので、授業は睡眠補給のための時間と思っていた。自分のペースで自分で考えながらやる方がずっと勉強になるし、実質的にはかどる。こんなことだから自覚的に学ぼうとする日本の高校生は、どうしても 「夜型」 になる。

国立青少年教育振興機構なんていう組織が、こんなような調査結果を発表したというのは、国としてもこれまでの旧態依然とした教育ではまずいと思っているからなのだろう。しかし日本の高校の授業が退屈なのは、昔からずっと繰り返されてきたメソッドが抜き差しならぬほど定着しているからで、急に変えようといっても到底無理だと思う。

何しろ日本の学校の先生というのは、この国の教育システムの中で、可もなく不可もない程度の成績で大学を出て、そして可もなく不可もない教育システムの中に回帰してメシを食おうと思った人が多数派なのだ。斬新なことをしたいと思う人材の多くは、学校の先生なんかにはなるまい。

だから多くの先生たちは、今さら斬新なことをしろと言われても、戸惑ってしまうだろう。その上、部活の顧問なんかしてやたら過重労働になっている。教育の成果は、大学受験かスポーツでいい結果を残すことでしかアピールできないのだから、あまり多くは望めない。

となれば、生徒としてもまともな勉強をしようと思ったら学校のシステムなんかに頼らず、自分で好きなことをするしかない。で、学校に行っている時間というのは 「無駄な時間」 ということになるから、せいぜい睡眠補給のために有効に使うのである。

というわけで、私は授業中の居眠りを全然否定しないのである。

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2017/03/14

痛みのダブルパンチ

暑さ寒さも彼岸までと言い、その彼岸はまだなので、時々冷え込んだりするのも無理はない。今夜は北関東で雪になるかも知れないというほどの冷え込みだが、昨日に書いた通り、最近はちょっと寒さ強くなってしまっていて、周囲の人たちが寒がるほどには寒さを感じない。

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寒さは苦にならないものの、このところ、痛みのダブルパンチにひいひい言っている。

まずは 3〜4日前に庭に出る時に、思い切りサッシに挟んでしまった左手中指の爪だ。結構どす黒く内出血してしまい、まだズキズキと痛んでいる。挟んだ直後は、内出血した爪が確実に剥がれてしまうだろうと思っていたが、今のところはそうならずに済んでいる。しかしそのうちぱっかり剥がれてしまう可能性も、まだ残っている。

もう一つは、歯の痛みだ。虫歯で穴が開いているというわけでもないのに、右上奥歯のその奥が痛む。いや、痛むといっても普段は大したことはない。ただ何かの噛み合わせでカチンと当たると、猛烈に痛い。そしてもう一つ、暖かいものを食べるととたんにズキズキになる。

昨夜、カレーライスを食べたらいきなりズキズキと痛み出したので、驚いてしまった。冷たいものを食べて歯にしみるというのは子どもの頃に経験があるが、暖かいもので歯が痛むなんてことがあるとは、全然知らなかった。

ようやく歯科医の予約が取れて今日の夕方に治療に行ったら、歯の奥の神経のところに何かの拍子に細菌が入り、神経の一部をダメにしてしまったのだろうと診断された。どうせダメにするなら全部ダメにすればいいのだが、一部だけに止まるので、その部分にガスが溜まり、暖かいものを食べるとそのガスが膨張して、残った神経を圧迫するのだそうだ。

そのうち、横になっただけで痛みを感じて、寝られなくなるという。早めに治療に行ってよかった。歯の奥の神経を取ってもらって、仮の歯をかぶせてもらっているが、まだ安定していないので、体が温まると痛む可能性があると言われた。いや、そんなことを言われなくても今でも結構痛い。鎮痛剤を多めに処方してもらってはいるものの、そういうのって、あまり飲みたくないんだがなあ。

それにしても、普段のとりたててどこも痛くないという状態のありがたさが身にしみることである。

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2017/03/13

寒い冬ではあったらしいが

昨年秋の初め頃にラニーニャが発生していたらしく (参照)、そうなると冬は厳冬になりやすいという話だった。で、実際どうなったかというと、東京では 54年ぶりに 11月に雪が降ったりして、我がつくばの地も白くなった (参照)。そして 1月中旬には 「ちょっとないほどの冷え込み」 なんて記事も書いている。

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上の写真は、先月中頃に広島に出張した時、新幹線の中でついうつらうつらして、ふと目が覚めると雪景色だったので驚いた時のものだ。思わず 「俺って、広島行きの 『のぞみ』 に乗ったはずだけど、どうしちゃったんだ?」 と思ったが、そこは関ヶ原の風景だった。

まあ、関ヶ原なら雪景色でも不思議じゃないが、ちょっと意表を突かれた気がした。やはりこの冬は厳冬だったらしい。とくに雪に関する注意報も何も聞いていなかったのに、こんな状態だったのだもの。

しかし確かに寒い冬だったような気はするが、私としてはそんなに凍えるほどの寒さだったような実感が残っているかといえば、それほどでもないのである。周囲の人は 「寒い冬だったねえ」 なんて言っているが、「まあ、そんな気もするね」 程度の感じでしかないのだよね。

若い頃はズボン下なんてものをはかなかったが、40代半ばを過ぎた頃から宗旨替えをして、「寒いものは寒いんだから、伊達の薄着は馬鹿馬鹿しい」 と、平気でズボン下をはくようになっていた。とくにユニクロがヒートテック製品なんてものを大々的に売り出すようになってからは、本当に欠かせないものになっていたのである。

ところが、一昨年の冬辺りから、ズボン下をはかなくなった。それは自転車を始めて、10km や 20km ぐらいならガンガンペダルを漕ぐようになったからだと思う。腰から下に若い頃の筋肉が戻ってきて、あまり寒さを感じなくなったのだ。筋肉の発する熱量というのは、結構なものである。

というわけで、寒いとは感じていたものの、それほどべらぼうな寒さとは思わないうちに、梅が咲いて春になってしまったようなのである。昨日辺りも光は十分に春の日射しなのだが、風は北風で、周囲の人は 「寒い寒い」 と震えていた。私は 「ずいぶん暖かくなったじゃん!」 と言っていたのだが。

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2017/03/12

自然に対して 「戦闘」 を挑む愚かさ

ちょっと古い話で恐縮だが、Japan DailyNK の 2015年 1月 19日付記事に "北朝鮮、森林破壊に危機感 「自然との戦争を宣言した」" というのがある。下の写真は、韓国のインターネット掲示板で話題になった北朝鮮の 「回復不能なまでのはげ山」 で、「火星の景色か」 というコメントまで付いたそうだ。

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この記事の中には、次のような件がある。

金正恩氏は、2015年の 「新年の辞」 でも 「森林の回復戦闘を力強く繰り広げ祖国の山々を緑の森に覆われた黄金山に転換させなければならない」 と全国の樹林化事業を強調している。

これを読んで、森林回復事業を 「森林回復戦闘」 などと呼んでいる限りは、この国の自然は回復しないだろうと、絶望的になった。そもそもの発想からして間違いなのだ。森林の回復は 「戦闘」 ではなく 「調和」 によるのでなければ、一歩も前進できないだろう。

この記事の載った 1年半後の、2016年 7月 4日付では、"悲惨! 北朝鮮 「森林レンジャー」、盗伐団に相次ぎ惨殺される" という記事がある。個人耕作地を没収し、苗木を植える 「山林復旧戦闘 (森林造成事業)」 という事業が反発を招き、山林監視を行う山林保護員 (森林レンジャー) が惨殺されるという事件が起きているという。

「盗伐団」 とは言っても、そのほとんどは薪を切りに山に入った一般の住民であるらしい。民衆は将来の森林よりも、目先の食料の方を求めているわけだ。そのため、段々畑を潰して森林を造成しようとする森林保護員を鎌で惨殺するという行為に及んでいるというのである。

彼らはこの半世紀以上、自然に対して 「戦闘的姿勢」 なんかで立ち向かっていたのだから、当然にもこんなことになる。だから発想を変えなければならないわけなのだが、彼らの辞書には 「調和」 の文字がないようなのだ。

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2017/03/11

あれから 6年経った

また 3月 11日という日が来た。あれから 6年経った。このブログの過去記事を振り返ると、あれから毎年 3月 11日には地震を振り返っていろいろなことを書いている。しかし 6年も経つと、正直なところ記憶は確実に風化しつつある。忘れないために、6年前の和歌ログに載せた写真を、ここにもう一度載せる。

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安倍首相は 6年経って 「節目を越えた」 として、これまで続いてきた記者会見を今年は行わないのだそうだ。あの人は原発も 「アンダー・コントロール」 の状態にあると思っているらしいから、そんなことになるのだろうが、私としてはそんなわけにはいかない。

載せた写真は、地震直後の私の書斎の床である。いろいろなものが本棚や机の上から落ちて散乱して足の踏み場もない状態である。当時使っていた PC のキーボードもぶっ飛んでいる。階下では台所の棚の戸が飛んで、食器がだいぶ割れた。それでも停電もせず、水道も止まらなかったのは不幸中の幸いだった。

おかげでこのブログも、和歌ログも、一日も中断せず更新を続けられたのは、ちょっとした奇跡だった。だって、周り中少なくとも一晩以上は停電しまくっていたのだから。我が家が茨城県のもう少し北にあったら、少なくとも 1週間は更新が途絶えて各方面に心配をかけていたかもしれない。

そしてさらにもう少し北に行って、福島県に位置していたとしたら、今頃こんな風に呑気に PC のキーボードを打っていられたかどうか、甚だ疑問だ。もしかして今でも避難先でストレスまみれになっていなければならなかったかもしれないのだ。

繰り返す。6年目なのである。小学校に入ったばかりの子が 6年生になったら、顔つきだって変わる。記憶が風化していくのも当然だ。しかし毎年書き続けることで、少しでもそれに抵抗しよう。来年の今日もまた、書くことがあるはずだ。

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2017/03/10

バットやラケットなどを使う球技が苦手

今の丈夫で病気知らずみたいな私を知っている人には、「小学校の 4年生までは虚弱児だった」 なんて言っても信じてもらえないが。本当のことなのである。小学校 4年生、いや、5年生の春ぐらいまでは、私は痩せてガリガリな体格で、かき氷を食べてもすぐに下痢してしまうようなもやしっ子だった。

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ところが 5年生の夏ぐらいから 「ありゃ、俺って、こんなに丈夫だったっけ?」 と、自分で驚くほどめきめき健康になった。それまでは運動会の徒競走でいつもビリから 2番目だった (私よりもっと遅いでぶっちょが 1人いたのだ) のが、急に トップから 2番目になり、翌年は僅差のトップ争いをするようになった。そして中学校に入るとしっかりトップでテープを切るようになり、女の子にキャアキャア言われる楽しみを味わった。

小学校 6年までは自分でも自分の健康さが信じ切れないようなところがあり、走って人を追い越したりすると妙な違和感を覚えたりもしていたが、中学校になると、「クラス対抗リレーには、俺が出なくて誰が出る」 みたいな自信までついていた。わずか数年間でエラい変化である。

ところが小学校高学年になってようやく丈夫で健康になったような子は、残念ながら運動全般が得意ってわけにはいかない。例えばバットやラケットなどの専門用具を使った細かいテクニックが必要なスポーツは、今イチ入り込めない。

基本的に素手でやるバレーボールやバスケットボールなどはいい。特別上手というわけじゃないが、少なくとも下手じゃない。しかし野球や卓球、テニスなど、「ソフトボールより小さなボールを、バットやラケットなどの用具を使って操る」 というのは、ちょっと苦手なのである。

ああした類いの種目は、かなり幼い頃から親しむことによって得られる 「慣れ」 とか 「勘」 みたいな要素が大きな比重を占めると思うのだが、それが私には欠けている。体力では劣らなくても、細かいコントロールのテクニックで負けてしまうのだ。

同様に体操競技も苦手である。何しろ高いところが苦手みたいなところもあるので、跳び箱や鉄棒で回転するなんてのが下手なのだ。これでも合気道の黒帯だから、投げ技で取る受け身はどうってことないが、人の身長より高いところで回転するのは心臓に悪い。

ガキの時分から日が暮れるまで野球をやったり、草っ原で飛んだり跳ねたり、でんぐり返ったりというような幼児体験が、虚弱児だった私には決定的に欠けているのだ。そういうわけで、私の心の底にはちょっとねじ曲がった運動コンプレックスが残っている。

というわけで、「体力がものを言う」 みたいなことなら、還暦をとっくに過ぎた今でも 「任せてちょーだい」 と言えるのだが、細かいテクニックとなると 「ちょっとゴメンね」 になることがあるのだよね。

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2017/03/09

ツンツンの髪の毛 その 2

8年近く前に 「ツンツンの髪の毛」 という記事を書いたことがある。髪の毛の硬い友人が、「いやはや、俺は立った髪を寝かすのに苦労してるのに、最近の若い奴らは、わざわざ時間をかけて、髪の毛をツンツン立たせてるんだねえ」 と言っていたことから説き起こしたものだ。

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この記事では、その友人の言葉を受けて私も次のように書いている。

確かに近頃、駅のトイレに入ると、鏡の前で必死になって髪の毛を少しずつつまみ、微妙な立たせ方を実現するのに余念のない若い子が多い。それはそれは真剣な形相なのだ。彼らの髪の毛は自然かつ無造作に立っているように見えるが、実は圧倒的な人工の技によるもののようなのだ。

というわけで、その頃の私は 「ツンツンの髪の毛」 に多少の違和感を覚えていた形跡があるのだが、最近は、朝起きるとツンツンに立っている髪の毛を、そのままに放っておくことが多くなった。上の写真は今日の夕方 6時頃の髪の毛を iPhone で撮ったものである。iPhone はレンズが裏表両方に付いているので、自分の写真を撮れちゃうのだね。この機能は、今回初めて使った。

朝起きた時にはもっとずっとツンツンなのだが、「放っておけば寝るだろう」 と思ってそのままにしちゃう。確かに昔は髪の毛が太くて自重があったので、放っておけば髪の毛は自然に寝た。しかし最近は髪の毛が細く (つまり薄く) 軽くなったせいか、髪を洗って (私の場合は石けんで洗うのだよ) 寝て、翌日夕方の 6時になっても自然にこんなような具合に立ったままなのである。

昔だったら 「寝癖のままで、だらしない!」 なんて不興を買ったかもしれないが、近頃の風潮として、髪の毛が立っていても誰も余計なことを言わなくなったので、私もこれ幸いと余計な手間をかけないでいる。グリースやヘアワックスを塗りつけるなんてこともなしに、こんな感じに立ったまま寝ないので、もしかしたら若い人の中には羨ましく思う人もいるかもしれない。

で、「tak さん、いつまでも若いねえ」 なんて言われることもあるのだが、先に述べたように、これは髪の毛が細く軽くなったせいなので、いつまでも若いってわけじゃ決してないのだよ。残念なことに。だから、ちょっと手の平に水を付けて撫でつけさえすれば、すぐに寝ちゃうのだ。面倒がなくて、いいといえばいいのだけれど。

念のため: 私の年は、このブログの 「プロフィール」 をクリックすれば知れるので、わざわざコメント欄で聞いてきたりしないようにね。

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2017/03/08

「リアルなもの」 と 「リアルに感じられるもの」

世の中で、一体何がリアルで、何がフェイクなのだろうかと考える時がある。現実にしかと存在するものがリアルであるとは、全然限らない。その反対に、作り物でしかないはずなのに、妙にリアルに感じられるものもあったりする。

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この写真は、かの有名な、と言ってしまうと、その存在すら知らない人があまりにも多すぎることにビックリしてしまうこともあるのだが、まあ、私の中では十分に有名な、上野公園のシロナガスクジラである。公園内の国立科学博物館のシンボルみたいになっている。

この写真、実は撮影した時にはごく平凡に全身を写していた。こんな具合である。修学旅行で来た高校生なんかも、多分こんなような構図で撮影しちゃうだろう。

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で、この写真を改めて PC 画面上で見た時、「我ながらつまんねえ写真、撮っちまったなあ!」 と思ったのである。まあ、それは私だけじゃないみたいで、「上野公園 シロナガスクジラ」 というキーワードで画像検索すると、こう言っちゃ悪いが、ほとんどはつまらなすぎる構図だ (参照)。

で、ちょっとだけ細工しちゃおうということになり、落ち着いたのが、上の方の写真だ。この方が、少なくとも私にはリアルに感じられる。とくに、口元に辛うじて存在するちっこい目が、なんともいい。

こんなのは、同じ写真の一部を切り取って拡大しただけなのだから、大した加工を施したわけじゃない。ただそれだけのことなのに、「つまらなすぎる写真」 だったもののリアルさが、ちょっとだけ増したような気がするのである。

多分、「何をリアルと感じるか」 というのは、各人の脳内プログラムによるのだろう。それぞれの人が生まれた時から、いや、生まれる前からの経験で脳内に形成したプログラムによって、あるものをリアルと感じ、あるものをフェイクと感じる。

まあ、同じ人間だから、その感じ方には一定の法則みたいなものもあるんだろうが、細かいことを言えば人によってかなり違う。ある人が感動するほどリアリティを感じているのに、別の人はちっとも心を動かされないなんてことはいくらでもある。

卑近な例で言えば、団塊の世代より上の多くのおっさんたちが 「これぞ心の音楽」 と感じてしまう 「ズンチャチャ、ズンチャ」 リズムの演歌を、最近の若い連中は 「自分たちとは全く無関係の音」 と感じる。コンビニの店先に小さな音で演歌を流すと、ウンコ座りでたむろするヤンキーたちが自然にいなくなるというほどのものである。

逆に最近の 「ピコピコ音楽」 は、団塊の世代には音楽とも感じられない奇異なものにしか受け取られない。同じ日本人でも、脳内プログラムがかなり違ってしまっているのである。

何が言いたいのかというと、世の中には 「リアルなものがある」 というより、「リアルと感じられるものがあるだけ」 なんじゃないかということだ。本当にリアルなものは、多分現実世界ではなく、別の世界にあるのだ。

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2017/03/07

百貨店という業態は、既にオワコン

日本経済新聞が "「百貨店離れ」 誤算の連鎖 三越伊勢丹 HD 社長交代" という記事を報じている。主力の百貨店事業の不振で、2017年 3月期の純利益が前期比で半減する見通しのため、現社長の大西氏が業績悪化の責任を取り、任期途中で辞任するのだそうだ。

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私はずっと前から 「百貨店は歴史的使命を終えかけている」 と言ってきた (参照) が、最近は 「既に終わった」 と言ってもいいんじゃないかとさえ思っている。はやりの言い方では 「オワコン」 (終わったコンテンツ) そのものである。

百貨店の売上高はバブル期ピークの 1991年には 9兆 7130億円に達したが、昨年は 5兆 9780億円と、約 60%にまで落ち込んだ。6兆円を割り込んだのは、36年ぶりという。つまり 36年前の、インターネットもケータイもなく、FAX すらも普及していなかった、遙かイニシエの時代の売り上げに戻ったということだよ。

36年前といったら、私がまだ 20代の頃で、その頃はファッショナブルな洋服を買おうと思ったら、百貨店に行くしかなかった。その前の 1960年代から 70年代半ばまでは専門店 (今はなき 「鈴屋」 とかね) の時代だったが、70年代後半からは完全に百貨店の時代だった。とくに DC ブランドなんて言われた時代は、百貨店の全盛期だったろう。

その頃は、ユニクロはなかった。H&M もなかった。ファッショナブルを気取ろうと思ったら、百貨店で洋服を買うしかなかった。ほかに買う店がないのだから、儲かって当然だったのである。ところが今は、服を買う店は百貨店の他にいくらでもある。しかも百貨店の服の半額以下でそれなりの洋服が買える。

これは前にも書いたことだが、知り合いに 「最近、百貨店で服買った?」 と聞くと、90%以上が 「この何年も、百貨店で服を買ったことなんてない」 と答える。百貨店で服を買うのは、今どきになってもほかのチャネルで買うのが何となく憚られると思っている裕福で世間知らずな層だけである。いや、裕福な層でも服なんかに必要以上の金をかけるのは馬鹿馬鹿しいと思い始めている。

長くアパレル関連でメシを食った私が言うのだから、これは部外者のやっかみじゃない。私は別にファッションが好きでアパレルの仕事をしたわけじゃないから、ファッション大好き人間には見えないことが、ちゃんとよく見える。

去年あたりに、百貨店の売り上げがやや持ち直したように見えたことがあったが、あれはアベノミクスによる一時的な景気の復調と、中国からの観光客のいわゆる 「インバウンド消費」 のせいであって、百貨店業界が構造的に再び浮上したというわけじゃない。

このほど三越伊勢丹 HD の社長を辞めることになった大西氏という人は、伊勢丹新宿店のメンズ売り場で名を馳せた人である。バブルのちょっと前頃から、伊勢丹新宿店のメンズ売り場というのは、「ファッション・マーチャンダイジングのお手本」 みたいにもてはやされていたが、私は全然別の冷めた見方をしていた。

「伊勢丹のメンズ売り場が好調なのは、その裏手にホストクラブがどっさりあって、ホストのお兄さんたちがしょっちゅう高級スーツを買うのだもの、当然じゃん」 と思っていたのである。あんなにバブリーなメンズウェアを、フツーの男たちは着ない。着る必要がないのだ。

フツーじゃない男たちを相手に磨いたマーチャンダイジング手法を、フツーの都市の百貨店に適用したところで、通用しないのである。どうしてそこに気付かないかなあと、私はずっと不思議だった。甘い夢は、よくよくダメになるまで見続けたいもののようなのだ。

危なすぎる罠である。

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2017/03/06

「鼻茸」 というものがあるらしい

今は薬の世話になっているので、なんとか楽になっているが、先月初め頃は花粉症の症状があまりにもひどいので、うんざりしていた。いや、うんざりしていられるだけならまだいいのだが、鼻水とクシャミで 「ひいひい言っていた」 という方が正確なところだろう。

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で、ある時、ラジオでその方面の専門医師が花粉症対策について語っているのを、興味津々で聞いた。興味津々で聞いたはいいが、要するに、あまりひどかったら早めに医者にかかって薬を処方してもらえということだった。で、それを素直に聞いて、医者に行ったのである。

要するにあれは医者の宣伝みたいなものだね。ただ、この放送でちょっと印象に残ったのが、「花粉症もあまりにひどいと、『ハナタケ』 になってしまうことがある」 というくだりだった。

「ハナタケ? そりゃ一体何じゃ?」

試しに iPhone で 「はなたけ」 と入力してみると、即座に 「鼻茸」 と変換される。「鼻のキノコか? 冬虫夏草みたいなものなのか?」 思わず、鼻の穴からキノコが生えてきている図を想像してしまった。そんなことになったら、さぞ大変だろう。自分に限ってはそんな妙なことになりたくないものだ。

わけがわからない時は、とりあえずググってみるのが習慣みたいになっているので、Google 先生に聞いてみると、Wikipedia で簡単に調べがついた。「副鼻腔にできるポリープ状の病状で、鼻の内部における粘膜が膨れて茸 (キノコ) のような状態になったものを指す。鼻ポリープとも呼ばれる」 とある (参照)。

この鼻茸というのができてしまうと鼻づまりの状態になり、「ひどくなると鼻で息が全くできなくなったり、鼻の穴から鼻茸が顔を出すこともある」 とある。私が咄嗟に想像した 「鼻の穴からキノコが生えてきている図」 も、まんざら見当違いじゃないらしい。いやはや、私は花粉症とはいえ、鼻茸なんてものが生えていないだけ幸いである。

くわばら、くわばら。

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2017/03/05

「中学英語で十分」 は、文法に関しては本当に本当だと思う

日経ビジネスに "「中学英語で十分」 は本当だった" という記事がある。書いているのは池田和弘さんという人で、大阪観光大学国際交流学部准教授だそうだ。

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私が中学生だったのは半世紀も前のことだから、今の英語教育がどうなっているのか知らないが、本職の方がそう言うのだから、本当なのだろう。そしてそれは、私が高校英語の授業で感じたこととほとんど同じである。

この記事では 「中学英語で高校文法は完全にカバーできます」 とされている。これはまさに実感で、私も高校の英文法教科書の内容は、「こんなの全部知ってることじゃん!」 と思っていた。「こんな当たり前のことを今さら繰り返すより、もっと役に立つことがあるだろうに」 と、かなり馬鹿馬鹿しく思っていたほどである。

本当に、英文法なんていうのは中学レベルで十分だ。そりゃ、難しいことを掘り下げればいくらでも難しくできるが、日本人がとりあえず 「使える英語」 を身につけるというレベルを求めるというなら、これは本当に本当だ。

もちろん文法だけじゃ英語は使えないから、高校に入ったら単語と英語独特のうまい言い回しを沢山覚えればいい。そうすれば、いきなり米国に出張に行くことになってもちゃんと役に立つ。留学経験があるわけでも、大学の英文科で学んだわけでもないこの私がそうだったんだから、まず間違いない。日本の高校では既に知っているはずの文法をこむずかしく繰り返すから、英語嫌いが増えるんじゃないかとさえ思う。

高校の授業では文法の繰り返しに無駄な時間を割くよりも、とにかく英文を読み込むことと、リスニングに慣れることを重視してくれれば、日本人の英語アレルギーもかなり減るだろうにと思う。今どきは学校の授業でネイティブ・スピーカーのしゃべる英語の録音を流すことぐらい、たやすくできるだろうに、それをやらないのは、学校の教師の発音のまずさがバレバレになってしまうからに違いないと思っている。

そんなわけで、学校でまともなリスニングを学べないから、「スピードラーニング」 なんていうイージーな商売がもてはやされる。

余談だが、最近このスピードラーニングのラジオ CM を聞いていて、たまげてしまったことがある。男性が 「ご紹介はシライ (白井?) さんです」 と言うと、女性の声が 「は〜い、シライシ (白石?) です!」 と続くのである。あまりの違和感に、Twitter で 「何の仕掛けなん?」 と tweet している人もいるほどだ (参照)。

これ、どうやら男性の方の口跡がおそろしく悪いというだけのことのようだが、それがノーチェックで放送電波に乗っかってしまうというのが、ちょっとコワい。こんなにも発音に無頓着な企業がリスニング教材を扱ってるなんて、「スピードラーニング、大丈夫なのか?」 と言いたくなってしまうよね。

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2017/03/04

早朝から、下手すると夜明け前から働き始める米国人

プレミアムフライデーというものがスタートしているが、世間では悪評紛々である。ただ、私も懐疑派ではあるが、「今月なんて 3月 31日になっちゃうんだから、早く帰れるわけないじゃん」 なんて言い方をされると、何しろへそ曲がりなもので、「初めから締めがわかってるんなら、そこに合わせて仕事して、さっさと仕上げて帰ればいいじゃん」 と思ってしまうのだよね。

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ところで、NewSphere が 「アメリカ人が働き始める時間を調べたら、驚きの結果が!」 という記事を載せている。日本人は、「米国人は遅く働き始めてさっさと帰るんだろう」 なんて思いがちだが、実は彼らはかなり早くオフィスに着いて働き始めているということが、American Community Survey (ACS) による調査で明らかになった。ちょっと引用してみよう。

最も多いのは、午前 7時 45分から午前 7時 59分で、全米の労働者の 7.5%がこの時間帯に勤務を開始している。また、午前 7時から午前 8時 15分の間に全米の労働者の 33.4%が勤務を開始している。

(中略)

Entrepreneur によると、スターバックスのハワード・シュルツ CEO は毎朝午前 4時半に起きて午前 6時までにはオフィスに到着しているという。P&G の前 CEO の A.G.ラフリー氏も、午前 6時半から午前 7時の間にデスクに座っているという。アップルのティム・クック CEOは、午前4時半には起床してEメールで指示を出すという。アメリカのエグゼクティブは、一般的なアメリカ人よりもさらに朝が早いようだ。

というわけで、米国ではかなり朝早くから働き始める人が多いようなのである。このことについては私は 40年前から実感していて、初めてニューヨークに出張した時に、時差ボケで夜明け前から起き出してホテルの窓から街を見下ろすと、夜明けの 5時半頃にはあちこちのビルの窓に明かりが点き始めて、中でデスクに向かっている人が見えたのを覚えている。

日本ではみんな揃って 9時とか 9時半とかに働き始め、みんな揃って残業するのがお約束みたいになっているが、米国では、さっさと働き始めたいやつは夜明け前から仕事を始め、けりが付いたらさっさと帰るのが当たり前みたいなのである。もちろん、けりが付かなかったら夜遅くまで仕事を続けるのだろうが、いずれにしても、一緒に働き始めて一緒に残業するなんてことはないみたいなのだ。

さらに米国では、エグゼクティブほど早く出社して働き始めるようなのである。「俺の会社の俺の仕事」 と思ってるから、そうなるのかもしれない。日本ではフツーのサラリーマンも 「俺の会社」 とは言うものの、その実体は 「俺が雇われてる会社」 ということだから、ちょっと意識が違う。

日本の、とくに東京都心の企業で朝の 7時前に働き始めようなんてことになったら、5時半には家を出なければならない人が多いだろう。残業がなければそれも可能だろうが、前日に夜の 9時まで働いて夜中に帰宅し、3〜4時間の睡眠でまた家を出るなんて生活を続けたら、社員の半分ぐらいが過労自殺してしまうに違いない。

仕事を終えてからちょっとしたいことがあるから、朝早くから集中して仕事をし、夜遅くなる前にさっさと退社するというのが、彼の国のワークスタイルのようなのだ。日本人の多くが朝の 9時過ぎからだらだらと仕事を始め、夜の 9時を過ぎるまでだらだらと残業し、疲れて帰宅するという生活に甘んじられるのは、仕事のほかにあんまりしたいことがないからなのかなあ。

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2017/03/03

縦書き、横書き

emi さんが 「縦書き」 について書いておられる (参照)。東アジア系の友人たちへの取材の結果、「伝統を守りたがる日・台と、簡略化、合理化をよしとする中・韓で、考え方がきれいに分かれてるっぽい」 という結論になったのだそうだ。

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ふぅむ、なるほど。ただ、そこへ行くと私なんかは自分の中で 「伝統派」 と 「合理派」 の二極分化があるみたいな気がしていて、縦書き横書き問題を突き詰めると居心地の悪さを感じてしまうところがある。

私は普段は何の問題もなく、断然横書き派である。横書きの便利な点は、日本語も欧米語も数字も、問題なく混在させることができるという点だ。昔はいざ知らず、現代の日本語文にはこれらの混在が当然のようになっていて、それを縦書き表記しようとするとかなり面倒なことになる。

細かいことを言うと、日本語テキストで数字を全角で入力されると、数値の途中で改行されてしまうようなことがあり、とても読みにくい。だから私は、英数字は半角に統一すべきだと思っていて、そのためにも横書きは現代文には必須というようなところがある。

ただ、全面的に横書きオンリーでいいかというと、そうも言い切れない。例えば私は 「和歌ログ」 というサイトも持っていて、そこでは毎日のように和歌を詠んでいる。上手か下手かは別問題として。

で、この 「和歌ログ」 においては、できれば縦書きで運営したいという気があるのだが、それをやろうとするとかなり面倒なことになり、毎日のことなので対応しきれないという現実から、しかたなく横書きで表記している。それでも 「和歌」 と謳っている以上、内心忸怩たる思いは捨てきれないのだよね。

とかなんとか言っているくせに、時々は横書き表記を逆手にとって、旧仮名表記の和歌の中にアルファベットを混在させるなんていう無茶までやらかしている。伝統派なんだかアバンギャルドなんだか、わかったものじゃない。こんな具合だ。

"Crisp" といふ言葉ある彼の国のぱりりとしたる感触思ふ

木の葉散り実の地に落つる頃なれば "fall" といふも腑に落ちたりき

木枯らしの吹く坂東の駅前のライブ Georgia On My Mind

現代の日本語においては、フツーのテキストなら横書きでいいと思う。いっそのこと、新聞なども横書きにしちゃうべきだと思っているほどだ。ただ、美学、芸術学的分野においては、そんなに簡単には割り切れない。

とくに書道などの分野では、草書体の横書きなんて存在し得ないのだから、縦書きは捨てられるはずがない。横書きですら右から書く方がいい。あれは横書きというより 1行に 1文字の縦書きなのである。

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2017/03/02

最近、大いびきをかく人が減ったような気がするが

最近、大いびきをかく人が減ってきたんじゃないかと思う。昔は、社員旅行などの団体旅行で大きな部屋に布団を並べて寝たりすることがあると、必ずあちこちから雷のような大いびきがひぎき渡り、大変なことになったものだが、最近ではそれが減ったような気がするのである。

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若い頃に務めていた会社では毎年社員旅行があり、夜になると大部屋で大勢が寝たものだが、それはそれは大変ないびきの大合唱になっていた。中には 「三拍子揃った〇〇さん」 と言われる人がいて、誰よりも早く大音響のいびきをかいて寝つき、それが収まったと思うと、地獄の底から響くような歯ぎしりに変わる。そして突然がばっと起き上がり、「どないやちゅうねん!」 などと絶叫し、またぱたりと寝るのである。

あそこまでいくと、誰も彼と同じ部屋になりたがらず、運悪く同室になってしまうと 「やれやれ」 と身の不運を嘆くのだった。そして翌朝は寝不足で眼を赤くして朝食会場に現れる。

ここまで行かなくても、社員旅行などでいびきの大合唱になるのは、その前の宴会で酒を飲み過ぎるのがいけないと思っていた。とにかく大酒を飲みまくったやつほど早く寝つき、そしてほどなく大いびきをかき始めるのである。

最近の団体旅行で、あまり大いびきに悩まされなくなったのは、ここぞとばかり酒を飲みまくる輩が、昔ほどいなくなったせいではなかろうか。昔の団塊の世代以上の連中は、とにかく団体旅行とくれば飲んだくれずにはおられないというのが多かった。こうした世代の連中が定年になって姿を消した今は、そんなに命がけで飲みまくる者もなく、従って寝付いてもあまり大いびきををかかない。

それに最近は、団体旅行でも大部屋で布団をいくつも並べて寝るということがなく、せいぜいホテルの部屋で、多くても 3〜4人で寝るというケースが多い。この 3〜4人の中に大いびきをかくやつがいたら最悪だが、その確率は高くない。

ところが先日、ちょっとしたグループ旅行で、ホテルの部屋で 4人で寝ることがあり、その中の 1人が大いびきだった。最近では珍しい不運である。寝る前に酒盛りをしたわけでもないのだから、彼は病的ないびきかきだったのだろう。あまり長生きしそうにない。

とにかく大いびきをかくやつというのは、例外なく自分だけは寝つきがよく、あっという間に熟睡に落ちる。そしてほどなく大音響のいびきをかき始める。私は iPhone で音楽を聴きながら寝入ったのであまり被害はなかったが、同室の残り 2人はさんざんな目に遭ったようだ。気の毒に。

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2017/03/01

あのやたらとつま先の長い 「スワールトゥ・シューズ」 を巡る冒険

最近街で、やたらとつま先の長い靴を履いてる男を多く見かけるようになった。当人はカッコいいつもりで履いているのかも知れないが、申し訳ないけど、靴は丈夫で歩きやすければいいと思っている私には、やたらチャラい感じがするだけなのである。とくにつま先の極端に長いデザインのものだと、魔法使いのおばあさんの靴にしか思われない。

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あんなにつま先が長いと、自分の足指の先に無駄な部分があって (業界用語では 「捨て寸」 と言うらしい)、歩く時にやたらとつま先をぶつけまくったり、人の足を踏んだりしなんだろうか。まあ、私の足を蹴ったり踏んだりしないでくれさえすれば、そんなことはどうでもいいけど。

あのつま先の長い靴を、ファッション業界では 「スワールトゥ・シューズ」 というらしい。これでも昔は、ファッション関係の記事を書きまくっていた時代もあったので、そのくらいのことは何となく知っている。Google で画像検索してみると、上の写真のようなことになり、99%以上が男性用である (写真をクリックすると、実際の検索結果の Google ページが表示される)。

この 「スワールトゥ・シューズ」 というものには賛否両論あり、「ビジネスで履く靴じゃない」 という指摘があるかと思うと、一方では 「ビジネス用スワールトゥ・シューズ」 なんていうのもある。はっきり言ってわけがわからない。

で、元の英語はどうなのかというと、どうやら "swirl toe shoes" となるようなのだ。「スワール」 と読まれるだろうと思われる英単語を調べても、”swirl" 以外に見つからないのだから、ほぼ間違いないと思う。で、"swirl" という単語の意味は、動詞と名詞があるが、動詞だと 「渦巻く」、名詞だと 「渦」 というようなことになる。

どうしてつま先の長い靴が 「渦巻きつま先」 ということになるのか、私にはよくわからないが、とにかくそのように言うらしい。そしてさらにわからなくなるのだが、英語の "swirl toe shoes" で画像検索すると、下のようになる。(これも画像クリックで、該当ページが表示される)

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一見してわかるのは、女性用シューズがやたら多いことである。どうやら、日本語の 「スワールトゥ・シューズ」 のほとんどが男性用なのに対し、英語の ”swirl toe shoes" になると、なぜか女性用の方がずっと多いということのようなのだ。

どうやら、「スワールトゥ・シューズ」 と ”swirl toe shoes" というのは、ぴったりと一致するカテゴリーではなさそうなのである。「コート」 と "coat" がぴったり一致しないのと同じような現象なのだと思われる。メンズ・シューズのカテゴリーに限ってやたらと 「スワールトゥ・シューズ」 がフィーチャーされるというのは、案外日本特有の現象なのかも知れない。

ただでさえやたら足の大きい西欧の男性が、つま先の必要以上に長い靴なんか履いたら、邪魔くさくてしょうがなくなるだろう。とすると、小柄な男性の多い市場なればこその話なのかなあ。足を大きく見せたいという深層意識の現れとみることもできる。

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