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2017/04/04

「花見」 という名のもとに子どもに帰る風習

東京では桜が満開になって、週末には桜吹雪になるそうだが、ここ、つくばの地では今日あたりはまだ下の写真のように、三分咲きになったかならないかという程度である。週末には満開になるだろうが、天気は下り坂で冷たい雨風になりそうだ。

170404

満開になったばかりの桜は、ちょっとやそっとの雨風には持ちこたえるので、急には 「花散らしの雨」 にはならない (ちなみに 「花散らし」 の本当の意味に関しては、私のこの過去記事を参照のこと) だろうが、花見をするには生憎の天気となりそうだ。まあ、自然のことだから、そうそう人間に都合には合わせてもらえない。

ところで今日は、「花より団子」 というお話である。自分が満開の桜を意識的に愛でるようになったのは、10歳を過ぎた頃からだったんじゃないかという気がするのだ。それまでは桜が満開になっても、それほどの感慨を覚えた記憶がない。

父が脱サラ前に務めていた会社では 1950年代末まで、桜の満開の頃にバスをチャーターして、家族連れの花見をする習慣があったようで、昔のアルバムをひっくり返すと、隣町の鶴岡市の大山公園で、車座になって派手な花見をしている写真がある。そして私にもそこに参加した記憶が確実に残っている。多分幼稚園に通っていた頃だ。

ところが私の記憶にあるのは、バスでの移動と、車座になってご馳走を食べたこと、そして何よりも会社のオッちゃんたちがやたら酒を飲みまくって、歌を歌ったり大声でわめき散らしたりしている異様な光景だけで、桜がきれいだったなんていう印象は皆無なのだ。

そんなわけで、満開の桜を愛でるようになるのは、こちらの心がそれなりに成熟して、桜というものに何らかの特別な意味を発見するようになってからだった。それ以前は 「なんだか咲いてるなあ」 というだけの即物的な印象すらない。つまり、満開の桜の美しさというのは、どちらかというと桜そのものよりも、こちらの心の方にあるもののようで、もっと慎重な言い方をすれば、桜そのものと、こちらの心の間にあるようなのだ。

仏教的道歌ででいえば、「鐘が鳴るのか撞木が鳴るか鐘と撞木の間 (あい) が鳴る」 みたいなことである。鐘だけでは鳴らないし、撞木だけでももちろん鳴らない。両方があって始めて鐘の音が鳴るように、桜の美しさも、こちらの受け取りようがあって始めて成立する。

そんな関係が成立するまでは、単に 「花より団子」 の世界なのである。そしてたとえ成立したとしても、そんなことは忘れて飲めや歌えに興じる方がいいと、ある意味子どもの時代に戻りたがる大人もかなり多い。桜の下に集まり、花なんか見ないでひたすらどんちゃん騒ぎをするのは、あれは子どもが酒を飲んでいるようなものと考えるとわかりやすい。

「花見」 という美名に隠れて、子どもに帰ってしまっているのだ。「花散らし」 の方は大人になる儀式なのにね (くどいようだが、過去記事参照)。そして何しろ花見はいわば子どもの仕業だから、後始末までは思いが至らず、圧倒的なゴミの山を残して立ち去ってしまうことが多い。今どきは本当の子どもの方が、まだずっと始末がいいのである。

酒の力で子どもに帰った大人たちの狼藉は、翌朝にボランティアの大人が出てきて掃除することになる。

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コメント

まさにその通りですね。上野公園なんて花見でなくて、堂々とどんちゃん騒ぎする理由ができたとばかりに集まっているだけですね。宴会の後はそのままにしておいてやればいいと思う。誰かが片づけるからまたごみを残して帰るんですね。宴会やりたい人は前の組が残したごみを片付けてからやればよい。

然もなくば場所代をを一回二時間一万円徴収すればいいのです。東京都も大量のごみを収集車で集めているんですから。

投稿: ハマッコー | 2017/04/05 11:20

ハマッコー さん:

まさに、今の時期に早朝の上野公園を訪れると、唖然とするほどのゴミの山ですからね。

私としては、監視員をおいてゴミの持ち帰りを徹底すべきだと思っています。持ち込んだもののうち、飲み食いした分は減ってるんですから、持ち帰れないわけがない。

帰り道のどこかに放置して帰る不届き者が絶対にいるでしょうから、途中の監視カメラをフル稼働させる必要もありますね ^^;)

投稿: tak | 2017/04/05 14:22

馬鹿騒ぎをしたひ「大きな子ども」にとつて、桜なぞ単なる口実に過ぎなひと思ゐますね。私も会社のお花見や飲み会では嫌な思いもしました。今は地元荒川の桜を一人静かに楽しめますし、一人静かに飲めるのでハツピイです(笑)

投稿: 萩原千間 | 2017/04/06 08:26

「咲いた 桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る」

花散らしはこの都々逸?で理解しました♪

投稿: ちくりん | 2017/04/06 08:57

萩原千間 さん:

北海道では 「観楓会(かんぷうかい)」というのがあって、これは紅葉狩りみたいなのではなく、秋の終わりの週末に、会社から貸し切りバスで温泉地の観光旅館に直行し、皆で宴会場のどんちゃん騒ぎを繰り広げ、翌朝はそのまま戻ってくるというイベントだそうです。

北海道はそれが終わると厳しく長い冬になるので、その前の束の間のお楽しみなんでしょうね。それなら許せるような気がします。

ただし、桜の下でどんちゃん騒ぎをして、ゴミの山を残して帰るというのは、どうもね。

投稿: tak | 2017/04/06 22:27

ちくりん さん:

>咲いた桜になぜ駒つなぐ駒が勇めば 花が散る

なかなか乙なダブルミーニングですね (^o^)

投稿: tak | 2017/04/06 22:29

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