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2017年6月に作成された投稿

2017/06/30

「4K 有機 EL ビエラ」 って、70万円もするらしい

パナソニックが、「ビエラ史上最高峰の漆黒と色再現性を実現した」 という 「4K 有機 EL ビエラ」 の出荷を開始したという (参照)。

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「それ、何すか?」 と思ったら、テレビなんだそうだ。価格.com で値段を調べたら、大きさにもよるが、Y418,800 から ¥761.000 もしている。私は 10万円でも要らんな。7〜8年前に妻と娘が選んだ我が家の液晶テレビでも、トゥーマッチと思っているぐらいだから。

昔のテレビの画面を見ると、その解像度の低さに驚く。しかし今の時代の高解像度画面を見慣れたからこそ、昔のテレビの性能の悪さがわかるのであって、昔は別に不満を感じることもなく見ていた。テレビの画面なんてどうせバーチャルなのだから、人間の肉眼が識別できる以上の解像度をもってこられても、「それがどうした?」 というようなものだと思う。

今はテレビ画面の再現性追求が話題だが、昔は 「オーディオマニア」 というのがいて (今でもいるのだろうが)、音響装置にやたら金をかけていた。知り合いのオーディオマニアが 「ウチのステレオを聴かせてやる」 と無理矢理誘うので訪問したら、レコード棚にあったのは、BGM に使われるようなイージー・リスニングと歌謡曲ばっかりだったということがある。

正直なところ 「大枚はたいて聞くような音楽かなあ」 と思ったわけだが、要するに彼は、「音楽」 より 「音」 が好きという種族なんだろうね。テレビにしても、フツーの娯楽番組を見るぐらいで 70万円もかける意味があるのかなあという気がする。

あるいは高解像度テレビ向けの特別放送みたいな企画がどんどん登場するのかもしれない。しかしそういうのって、とくに初期の企画であればあるほど、即物的に迫力ある画像が連続して現れるだけで、「それがどうした?」 になってしまいそうな気がする。想像するだに疲れそうだ。

私は音楽を聴くにしても、iPhone とごくフツーのイヤフォンを使って十分満足している。慎ましい音を聞きながらでも、脳内ではオリジナルの素晴らしい音に変換されている。要は、時々ちゃんとしたナマの音楽を聴くことで、想像力を鍛えればいいのだ。

テレビにしても、今あるフツーの液晶テレビで何の不満もない。ナマの素晴らしい景色に接していれば、ごくフツーのテレビでみる景色も脳内変換でしっかり味わえる。要はちゃんとしたナマの経験を持っているかどうかなんじゃないかなあ。ちゃんとした山登りの経験があれば、小さな写真を見るだけで追体験できる。

私の好きな小津安二郎の映画を見るのに、有機 EL の 4K 液晶なんか使ってもしょうがないと思うし。

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2017/06/29

稲田防衛相の使命感を巡る冒険

稲田防衛相周辺が炎上の真っ最中だ。都議選候補の選挙演説で 「自衛隊としてもお願いしたい」 と、つい口走っちゃったというのだから、そりゃ、やっぱり問題だ。

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もし小池都知事が特定候補の応援で 「東京都庁としてもお願い」 なんて言ったら、自民党は大騒ぎして追求するだろうが、身内の話は躍起になって火消ししようとしている。政治の世界というのは、かくまで身勝手で付き合いきれないものである。

稲田さんという人は過去にも問題発言のタネには事欠かない人で、今年の春には 「教育勅語の精神を取り戻すべきだ」 と国会で発言してしまっている (参照)。日の丸とか靖国とか、教育勅語とかがよほどお好きのようなのである。

彼女は、心の底では 「自分は究極的には決して間違ったことは言ってない」 と確信しているのだろう。だからつい余計なことを言ってしまう。ただしそれは彼女の強い 「情念的思い込み」 のほとばしりというものなので、政治という一応曲がりなりにも (曲がり過ぎなりにも?)  「論理の世界」 とされている場では、「超法規的過ぎて、問題だよね」 という話になってしまいがちだ。

彼女は早稲田大学法学部卒で司法試験にも通っているのだから、決して 「お馬鹿さん」 というわけではないだろう。しかしユングの性格分類論 (参照) によれば、あのタイプの女性の 「頭の良さ」 というのは、えてして 「論理性」 からではなく、「直感的ひらめき」 や 「感情論 (好き嫌い)」 みたいなところからくることが多い。

というわけで、彼女は彼女自身の使命を果たすべく心の底から真剣に発言しているのだろうが、何しろ 「個人的直感」 や 「好き嫌い」 をソースとしているので、普遍的な論理性のみならず常識にも欠けてしまいがちだ。志を同じくする安倍さんの覚えはめでたいようだが、フツーの目で見れば 「ちょっとイタい人」 ということになってしまう。

彼女の大好きらしい 「教育勅語」 に関して言えば、冷静に読めば、左翼の方々が蛇蝎の如く嫌うほど悪魔的文言が連なっているわけじゃない。むしろそこに書いてある通りに生きたら、世間では 「立派な人」 として尊敬されるだろうとさえ思う。(参照

しかしだからといって、それをそのままま現代の教育現場に復活させる必要はない。新しい理念も加えつつ、別の言葉で書き直せばいいのであって、ナマのままの 「教育勅語」 を復活させようという主張には、別の 「添付ファイル」 みたいなものがあると見られるのも自然のことだろう。迂闊に受け入れたら、妙なウィルスに感染しちゃいそうだからね。

個人的には 「教育勅語」 には 「自由」 に関する言及がないのが不満で、これをそのまま金科玉条とされたらかなわんなと思う。

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2017/06/28

将棋と親孝行

中学生だという藤井聡太四段が無傷の 29連勝を達成したというので、世の中はちょっとした将棋ブームなんだそうだが、私は駒の動かし方を辛うじて知っている程度なので、まるで遠くの景色を眺めるような思いでニュースに接している。

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私は将棋とかチェスとか囲碁とかのセンスはからきしのようで、将棋とチェスは人と対戦しても勝ったことが一度もない。そもそも好きでもなんでもないので、子どもの頃に同級生に無理矢理誘われて何度かやってみただけだが、いつもあっという間に負けていた。

負けても 「これで解放される」 と思うだけで、「負けて悔しい」 という気持ちがちっとも理解できず、そのため、負けないために練習して上達しようという気にも、当然ながらなれない。藤井四段は 「負けず嫌い」 なんだそうだが、そのあたりからして、私とは全然違う。私は勝負師の資質がまったくないようなのだ。

どうしてまた、自分がこんなにも将棋が弱いのかということに関しては、既にかなり前に自己分析済みだ。それは、勝負を始める前の最初の布陣 (上の写真ね) が、あまりにも完成された美しい姿と思っているために、駒を動かすのを忍びなく感じてしまうのである。

しかし実際に将棋を始まってしまうと、駒を動かさざるを得ない。勝とうという意識がなくて、ただひたすら動かすのに抵抗があるだけの私としては、なるべく当たり障りのない部分の駒を嫌々ながらチマチマ動かすのみなので、勝てるはずがない。しばらくすればバランスが崩れまくった盤面から早く抜け出したくてたまらなくなり、あっさり負けてほっとする。

「なんだか、前にもこんなことを書いたことがあるなあ」 という気がして、自分のブログを検索してみたら、ほぼ 4年前に 「オセロ・ゲームのアプリ」 というタイトルで、将棋に関し、"最初に駒が並べられた状態がとても美しく感じられて、「この素敵なバランスを、どうしてわざわざ崩さなければならないんだ?」 なんて思ってしまうほどの 「平和主義者」 なので、てんでお話にならない" なんてことを書いている。

この時の記事では、オセロ・ゲームは嫌いじゃないので、時々 iPhone のアプリで楽しんでいるみたいなことを書いているが、実は今ではオセロもすっかり面倒くさくなってしまって、遠ざかって久しい。要するに、この手のゲームには才能がないみたいなのである。

ただ、6年前の東日本大震災の年の秋に亡くなった父は、将棋や囲碁が得意だった。会社勤めをしていた頃、社内の将棋だか囲碁だかの大会で優勝したこともあったらしい。

大昔に、たまには将棋や囲碁の相手をすることで親孝行したいと思い立ったことがあり、ちょっとだけ練習してみたのだが、すぐに自らの才能のなさを思い知って諦めた。とくに囲碁なんて、眺めていてもどっちが勝ったのかすらわからず、入門書を読んでも結局理解できなかった。とことん向いていないようなのである。

というわけで、親孝行できなくて、ごめんね。

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2017/06/27

洋服のサイズというもの

6月 21日の記事で、「私は 50代半ばまでアパレル業界周辺でメシを食っていた」 と書いた。「紺屋の白袴」 で自分自身のファッションに関しては無頓着なので、意外に思われる方がいるかも知れないが、実は 「元プロ」 なので、アパレルやファッションに関しては結構詳しいのである。

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今日は 「洋服のサイズ」 ということについてちょっと書いてみよう。ほかの工業製品では 「サイズ」 というのはかなり厳密なもので、表示されたサイズと実寸はほとんど変わらないが、洋服のサイズというのは、見ようによってはずいぶんいい加減なものだ。

例えば同じ 「M サイズ」 という表示で販売されている洋服でも、実際の寸法はそれぞれ違っていて、ピッタンピッタンのものもあればダブダブのものもある。「じゃあ、サイズ表示なんて意味ないじゃないか」 という人もあるだろうが、「まったく無意味」 というわけじゃない。

実は洋服は、いわゆる 「ヌード寸法」 (かなり妙な言葉だが) というのを基準にしている。どういうことかというと、洋服そのものの寸法という概念ではなく、着る人の体の寸法に沿っているのだ。つまり 「M サイズの洋服」 というのは、服そのもののサイズが 「M サイズ」 というわけではなく、「M サイズの人のために作られた洋服」 ということなのだ。

だからその時々のトレンドによって、ルーズフィットが流行れば M サイズがそれまでの L サイズより大きくもなり、タイトフィットが流行れば それまでの S サイズより小さくなることだってある。この辺がアパレル業界の 「いわく言いがたい」 ところで、「感性優先」 と言えば言えるが、要するに 「いい加減」 なのである。消費者がみんなトレンドに沿った服を着るわけでもないし、トレンドと無関係の服だってあるしね。

婦人服の公式なサイズに関しては こちら のページに詳しく載っているが、一般的にファッショナブルな洋服ほど広いサイズに対応せず、「カッコいい」 と思われるサイズに絞り込んで作られる傾向がある。そんなわけで、身も蓋もない言い方だが 「イレギュラーな体型」 の人 (極端なやせ形長身とか、身長の低いおでぶさんとか) は、着る服を選ぶのに苦労することになる。

S、M、L のサイズ対応に関しては、紳士服の場合は 「L サイズ」 と言えば要するに 「ガタイのいい人 (縦も横も大きな人)」 のための洋服ということになるが、婦人服の 「L サイズ」 というのは、身長はそれほど変わらず、「横幅だけが大きいオバサン向け」 の洋服である場合が多い。

上のボディの写真を見ても、右側にいくほど大きなサイズということになるが、横だけふっくらして、縦はほとんど変わらないというのがおわかりだろう。日本女性の体型出現率というデータをみると、身長は 158cm を中心にしてそれほど大きな差がなく、横幅だけが多様ということになっているようなのだ。

というわけで、モデルみたいな長身ですっきりした女性というのは、実は合う服を探すのが案外大変で、お金がかかる構造になっている。女性のおでぶさん向けは、探せば案外見つかるのだが、長身の女性向けのカジュアルウェアがごくフツーに出てきたのは、最近のことだ。

そんなこともあって、男は 「俺のサイズは、L ね」 なんて平気で言うが、女性は 「私は L サイズでないと……」 とは言いにくかったりする。男にはよくわからない話だが、フツーのサイズの洋服をパッツンパッツンで着てるオバサンがいるのは、そうした事情もあるのだよね。

私自身は何を買うにも大抵 「L サイズ」 で間違いない (ただし米国で買う場合は 「M サイズ」 ね) ので、かなり楽な体型ということになる。ユニクロの L サイズなんて、私を基準にして作ってるんじゃないかと思うほどだ。

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2017/06/26

海苔の値上がりと、コンビニおにぎり

近頃、電気、ガス、タバコ、オリーブオイル、生命保険、ティッシュペーパーなど、いろいろなものの値上げが相次いでるんだそうだ。ちっとも知らなかった。何しろあまり活発な消費者じゃないからね。先日は海苔の値上げが報じられていた。

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我が家は電気は太陽光発電で自家発電しているし、ガスはそれほど使わないし、タバコは吸わないし、響くのは花粉症だからティッシュペーパーの値上がりぐらいかなあと思う。海苔もほとんど食わなくて、その存在すら忘れているほどだし。

というわけで、私は海苔が値上げされても全然困らない。海苔の値上げが最も響く分野って、何だろうと考えてみると、もしかしたらコンビニのおにぎりなのかもしれない。私自身はコンビニおにぎりをほとんど食べないのだが、あれって、びっしりと海苔が巻いてあるからなあ。

どうしてあんなに海苔を使うのか、さっぱりわからない。それに食べる直前まで海苔が乾いた状態に維持されるように、プラスティック・フィルムでおにぎり本体と分離してあったりするし、あんな余計なことをする意味もわからない。たまに出先でコンビニおにぎりが支給されたりすると、ちょっと食べるだけで 「プラごみ」 の山になる。

今回の海苔の値上げをきっかけに、日本人の多くがコンビニおにぎりをあまり食わないように心がければ、資源の節約にもなるかもしれない。でもそれは、あまり期待できないだろうなあ。

ちなみに私は、シンプルな塩むすびが好みで、ツナマヨネーズのおにぎりなんてその存在すら驚きで、一度も食べたことがない。

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2017/06/25

「ゆとり世代の行動」 って、そんなにひどいだろうか

うちの末娘は 「あたし、『ゆとり』 だから」 と半分自嘲的に言う。いわゆる 「ゆとり教育」 の世代なので、ビシッとしてないんだそうだ。私なんか、「いいじゃん、別に」 と思う。「ゆとり」 はなきゃいかんものと思ってるしね。

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Yomerumo News というサイトに "【激怒】 ゆとり世代の信じられない行動 15選!  「私ゆとり世代ですから」 と開き直る" というのがある。そこに挙げられている 「信じられない行動」 というのは、こんなようなものだ。

  1. 「辞めちまえ!」 と怒ると本当に辞める
  2. 上司や先輩にお酒を注がない
  3. 重役のスピーチ中にガムを噛んでいる
  4. 飲みに誘うと 「残業代出ますか?」
  5. 意外とネットは使いこなせない
  6. 欠勤の連絡を親がしてくる
  7. 寝坊で遅刻するのは仕方がない
  8. 頼まれていない仕事はやらない
  9. 社外秘の資料を SNS にアップする
  10. 冠婚葬祭のマナーがない
  11. 言っちゃいけないことをあっさり言う
  12. 冗談が通用しない
  13. 批判的なコメントはスルーする
  14. LINEで欠勤報告
  15. 「私ゆとり世代ですから」 と開き直る

こんなので 「激怒」 する方がおかしいと、私なんか思う。とくに 1番目の 「辞めちまえ」 なんて言うのはそもそもパワハラで、そんなこと言う方がよっぽど 「信じられない行動」 である。そんな上司のいる職場にいるぐらいなら、さっさと辞める方がいいと考えるのも不思議じゃない。

2番目の 「酒を注がない」 なんてのも、私なんか勝手に酒を注がれるのが迷惑でしょうがないから、注がれないのはかえってありがたい。ガムだって、「クチャクチャ」 と音をさせなければ、気にならない。

飲みに誘うと 「残業代出ますか?」 と聞かれるというのはちょっとネタっぽいが、ゆとり世代にとっては、半分は本音に近いところもあるだろう。私なんか年齢だけはオッサンだが、同年代のオッサンと一緒に酒飲むのが苦痛だから、その気持ちはよくわかる。

オッサンの方も、「ゆとり世代」 が気に入らなかったら、初めから飲みになんか誘わなければいい。気に入らない者同士で飲んでもつまらないし、「飲みニケ—ション」 の機能なんて果たせないから、経費の無駄だ。

ネットの使い方なんて、必要ならすぐに覚えるし、少なくともオッサンの世代の平均よりは上だろう。欠勤の連絡を親がするのは 「ちょっとね」 と思うが、本人が相当しんどかったんだろうと思いやればいい。寝坊で遅刻なんて、別に 「ゆとり」 でなくても経験あるだろうし、二日酔いでムッとするような酒臭い臭いを発散しながら出勤して、ただウダウダしているよりはまだいい。

頼まれていない仕事までするのは、「余計なお世話」 になりかねないし、そうでなくても 「サービス残業」 などの労働強化につながるから考え物だ。「社外秘の資料を SNS にアップする」 なんてのは、相当お馬鹿な特殊ケースだろうし、ネットでなくても、口が軽くて酒飲みながら余計なことをペラペラしゃべっちゃうやつは、おっさん世代にもいくらでもいる。

冠婚葬祭のマナーなんて、そもそも多くの世代にわたってかなりいい加減なものだし、若いやつが慣れてないのは当然でそのうち少しは慣れる。「言っちゃいけないことをあっさり言う」 「冗談が通用しない」 「批判的なコメントはスルーする」 なんてのは、実はオッサン世代の方がひどい。

「LINE で欠勤報告」 というのも、使えるものならどんどん使えばいいだろう。もっとも私自身は LINE は嫌いだが (参照)。

最後に "「私ゆとり世代ですから」 と開き直る" というのがあるが、あれは多くの場合、開き直っているのではなく、自嘲的ジョークとして言っているのである。それが通じないから、「オッサンは冗談が通用しない」 と言いたくもなるのである。

世代論で開き直るのは、実はオッサンの世代の方がひどい。「俺は古い男だから」 なんてのを免罪符にして押しつけがましいことを言うのは、オッサンの私からみても本当にうっとうしかったりする。

こうしてみると、「ゆとり世代」 の行動をとやかく言うのは、「ゆとりのない世代」 のことさらな思い込みからくることが多い。行きすぎさえしなければ、ゆとりはある方がいいに決まってる。

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2017/06/24

余計なことを言って必要なことをしない政治家

例の豊田真由子議員の 「暴言・暴行」 に関して、元官房長官の河村健夫氏が 「かわいそうだ。男性の衆院議員なら、あんなのはいっぱいいる。気持ちは分かる」 と発言し、その後で自身の Facebook で 「発言を取り消しさせていただきます」 とコメントした。(参照

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この河村氏に限らず、とにかく政治家というのは、余計なことを言いたがる人種のようで、よっぽど因業な商売なのだと思ってしまう。こういうこと、官僚だったら口が裂けても言わない。また普通のビジネスマンでもかなり四方八方に気を使って、不用意なことを言わないように気をつけるものだが、政治家という商売はそういう感覚が育たないようなのだね。

いずれにしても、政治家にはあの手の暴言を吐き、 暴行に及ぶ輩がいくらでもいて、それは当たり前のことであり、たまたま録音を週刊誌に持ち込まれた豊田氏は不運であるという見解のようなのだから、この国も行く末を案じてしまうよね。まあ、ビジネスの世界にも暴力的な上司がいないわけじゃないけど。

とはいえビジネスの世界では、内向きに理不尽なことをしても、外向きにはなんとか取り繕うという空気がある。豊田氏はまさにそんな感じだったようだが、河村氏は外向きにまで余計なことを言っちゃうのだから、ある意味、豊田氏以下である。

それに、発言撤回に使った河村氏の Facebook をみて、そのカバー写真の残念さに笑ってしまった。PC で見ると、写真をクリックすれば完全に表示されるが、何もしなければ上の写真のように、自分の顔が半分切れたまま表示される。(スマホだと、iPhone の Safari でなら完全に表示されるが)

設定画面で写真の位置関係を修正すれば、ちゃんと表示されるのだが、これ、自分で見て気にならないのかなあ。余計なことは言いたがっても、当たり前のことをするノウハウは、しっかり欠如しているようなのだね。お気の毒なことである。

あるいは河村氏は Facebook の更新なんて秘書に任せっぱなしで、自分のページを PC で見たことなんんかないのかもしれない。そうだとしたら、こんな表示になっているのを自分でも知らずにいて、ある日気付いた時点で、「顔が半分切れた表示なんかにしやがって、これ以上俺の評判を落とすな!」 と、秘書をどつきまくるのな。

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2017/06/23

馬鹿はひたすら 「進め!」 と叫ぶ

近頃、『腰まで泥まみれ』 という昔のフォークソングを思い出して歌っている。原曲は Pete Seeger 作詞・作曲の "Waist Deep in the Big Muddy" という歌。中川五郎の訳詞で、日本でも 60年代後半から 70年頃まで多くのフォークシンガーが歌っていた。

その歌が今、もう一度意味をもってよみがえっているように思う。比較的新しいところでは元ちとせも歌っているし、訳詞した中川五郎が沖縄で歌うビデオ (2012年制作) も YouTube に収録されているので、ちょっと聞いてみてもらいたい。歌の内容は次のようなものだ。

昔、軍隊の演習で隊長は歩いて川を渡れと命令したが、軍曹は 「危ない、引き返そう」 と諫める。しかし隊長は 「そんな弱気でどうするか、俺についてこい」 と渡り始める。腰まで、そして首まで泥まみれとなったところで、隊長は溺れ、軍曹以下の隊員は引き返して命拾いする。

この歌にはとりたてて押しつけがましい教訓は含まれない。ただ歌の後半、「馬鹿は叫ぶ、進め!」 というフレーズが繰り返されるだけだ。

この歌は60年代のベトナム戦争が泥沼にはまりかけていた状況を反映したものと言われるが、いつの時代でも馬鹿はただ闇雲に 「進め!」 と叫ぶ。 Pete Seeger の原詞では、「馬鹿」 は "big fool" で、タイトルの "Big Muddy" (大きな泥地) と共通の、ズブズブのイメージが喚起される。

そして途中までは "the big fool said to push on" (馬鹿は 「進め」 と言った) と過去形だが、最後は  "the big fool says to push on" (馬鹿は 「進め」 と言う) と現在形で繰り返される。今も変わらないのだ。

ここにことさらではないが明確なメッセージがあるだろう。あれから 50年以上経ち、21世紀となった今も、馬鹿どもは相変わらず 「進め!」 と叫びたがり、「お友達」 同士で寄り集まり、幻想に酔いながら好き放題をし、泥沼の中で自滅の道を辿る。

最後に元祖 Peet Seeger のビデオも紹介しておく。最後のリフレインで現在形の繰り返しになるのに注目だ。彼がこの歌を最初にテレビで歌った時には、実際の放送ではカットされていたという。

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2017/06/22

北朝鮮のミサイルから身を守るための (?) CM

政府が 23日から放映するという、北朝鮮の弾道ミサイルから身を守るための CM というのが、話題になっている。

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読売新聞の記事によると、身を守るための 「避難行動」 というのは、次の 3点であるらしい。(参照

  1. 頑丈な建物や地下に避難する
  2. 建物がない場合は物陰に身を隠すか地面に伏せて頭を守る
  3. 屋内の場合は窓から離れるか窓のない部屋に移動する

Twitter 上では、「せめて竹槍で迎撃するくらい言って欲しい」 という tweet もあるほどで、とくに 2番目などは、牧歌的と言ってもいいほどの内容だ。「頑丈な建物や地下」 と 「物陰」 の落差が、ほのぼのとしている。

この牧歌性は、北朝鮮からの弾道ミサイルとやらの脅威を、政府はとりたてて差し迫ったものと考えていないことの現れなのだろう。本当に 「頑丈な建物や地下に避難する」 ことが必要な事態が生じるとしたら、それは政府の外交努力の怠慢というものだ。

まあ、脅威は差し迫ったものではないけれど、政府としては一応こんなような CM を流しておいて、「安倍政権支持率低下の勢いから目を逸らすことができたら、ちょっと嬉しいかも」 なんてことなんじゃないかと、よほどのへそ曲がりでなくてもフツーに感じ取っちゃうんじゃあるまいか。

とはいえこの記事を書いている途中で、そんな思惑を吹っ飛ばすような強烈な女性代議士 (安倍チルドレン) のスキャンダルが先に出ちゃったので (もう知れわたっちゃってるから、わざわざ Youtube にリンクするまでもないよね)、安倍さんの悪運も尽きちゃってるのかなという気がしてしまう。

ちなみに、上杉隆氏が 「約18年前、田中眞紀子さんの取材を思い出しました」 と tweet していたのには、「さもありなん」 と笑ってしまった。(参照

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2017/06/21

アパレル業界は 「殺される」 のではなく 「自滅」 している

日経 BP の 『誰がアパレルを殺すのか』 という本が注目されている。注目されていると言っても、限られた業界人たちの間だけのことかもしれないが、まあ、業界の裾野はアパレル業界だけじゃなくて小売業界、出版業界などに至るまで広がっているから、その範囲は案外広い。

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この本の内容は 『日経ビジネス Online』 で連載されていた (参照) もので、私はそれをリアルタイムで読んでいたし、今でもネットで読めるみたいだから、改めて買う必要はないと思っている。意外に思われるかもしれないが、私は 50代半ばまでアパレル業界周辺でメシを食っていた人なので、このあたりのことについては少しは詳しいのだ。

で、あえてエラソーなことを言ってしまえば、この本の内容は、アパレル業界を冷めた目で見ている者にとっては、「知ってた!」 の一言で済ませてもいいようなことである。昨年の 10月頃はこのシリーズの  「百貨店 3社トップ激白、“衣料崩壊” 後の針路」 という記事に反応して 「百貨店は付き合いきれない業界」 という記事まで書いている。

まさに率直に言わせてもらえば、アパレルと百貨店というのは一蓮托生の 「付き合いきれない業界」 という印象を持っている。付き合いきれない業界だからこそ、当然の如くに揃って自滅の道を辿っているのだ。「アパレルは銀行が最も金を貸したがらない業界」 なんて言われ始めて久しいし。

ファッション・ビジネス・コンサルタントの坂口昌章氏はこの本について  Facebook で、「『アパレル企業は誰に殺されたの』 というキャッチーな見出しが注目を集めているが、実は誰に殺されたのでもなく、長年の不摂生が祟り、成人病を患い、特定の原因もわからず、老衰で死んでいくのかもしれない」 (参照) と書いておられる。

この見方には全面的に賛成だ。まさに的確な指摘である。アパレル業界は、誰かに 「殺される」 のではなく 「自滅」 しているのである。どうしても 「殺す」 という表現を使いたければ、「自分で自分の首を絞めて殺している」 としか言いようがない。

遙か昔、ビジネス・スーツや 「お出かけ着」 は百貨店で誂えるという時代があった。しかし今や、そうした刷り込みのされた世代は、とっくにそうした服の需要から離れた 「高齢者」 になっていて、一方、若い世代は百貨店なんかで服を買わない。つまり百貨店の言うところの 「お客様」 なんて、既に幻になっているか、そうでないとしても極端に縮小しているのだ。

そして百貨店以外のチャネルの洋服のほとんどは、単価が安い。多少売れたとしても、高度成長期のような金額には遙かに及ばない。つまり昔のやり方を踏襲していては儲からない構造になっているのだが、それにきちんと対応している企業は少ない。

私は今、アパレル関連の仕事からは極力遠ざかっている。まともな報酬が期待できないし、もはや感覚的に 「付き合いきれない」 のだから、どうしようもない。ただ、中には少しはまともな努力をしている企業もあるので、そこに期待するのみである。

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2017/06/20

はっきり言って、LINE は嫌いだ

唐突だが、ここではっきり言っておこう。私は LINE が嫌いだ。知人、親戚、家族の多くがこれで連絡を取りたがるから、仕方なく自分の iPhone にもインストールしてはある。しかし自分から積極的に使おうと思ったことは一度もない。

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5月 22日の記事で触れたように、私の iPhone はガラスにひびが入ってしまったので、先日、修理という名目で 「本体交換」 した。実質は 「機種交換」 と同じ結果になったのだが、iCloud と iTunes でバックアップをしっかり取ってあったので、データはほとんど苦もなく元の状態に復元できた。

しかし LINE だけは復元できなかったのである。ごくフツーに機種交換しただけでは、元の機種で登録したアカウントが引き継がれないようなのだ。そういえば前に、iPad で iPhone と同じLINE アカウントを登録しようとしてもできなかった。どうやら LINE アカウントは、原則的にデバイスに依存するようなのである。デバイスが個人のアイデンティティより優先するなんて、そんなの SNS としてありか?

実際には複数のデバイスで同じアカウントを使う手はあるようなのだ。「Line 移行」 でググると、そのやり方を解説したページがどっと検索される。しかしそもそもの話、こんなことでググる必要があるなんてことが信じられない。移行にはやれ QR コードを撮影してどうこうとかいう手続きが必要らしい。しかし元々好きでもないものでそんな面倒なことをする気はないので、放ってある。

で、新しい iPhone 7Plus にインストールした LINE には、元のアカウントが設定できなかった。QR コードなんて撮影していないからね。それにしても、自分で作った自分のアカウントを自分で当たり前に引き継げないなんて、一体どういうことなんだ。アカウントとパスワードさえわかっていれば、どのデバイスでもログインできるという常識が、LINE には通じないようなのである。

しかたなく新しいアカウントを設定した。するとどういうわけか、「連絡先」 に登録してある知り合いで LINE を使っている人たちと、自動的に 「友達関係」 が成立してしまったようで、あちこちから 「友達申請ありがとう」 とかいうメッセージが大量に送られてきた。

こちらはそんな申請をした覚えはまったくないので、戸惑うばかりである。よくわからないが、「友達申請」 と 「友達関係の成立」 の差がないらしいことにも戸惑う。さらにテキストのメッセージだけならまだしも、妙な 「絵」 がどんどん送られてくるのである。これ、「スタンプ」 というらしいのだが、はっきり言って意味がわからん。

そうかと思うと、妻は外出先から 「LINE にメッセージを送ったのに、読んでくれてないの?」 なんて電話をしてきた。妻はどうやら前の iPhone 上のアカウントにメッセージを送ったようなのである。既に述べたように前のアカウントは引き継がれていないので、そちらに送られたメッセージなんか読めない。これって、本当にできそこない仕様だよね。

こんなわけのわからない SNS は、できれば遠ざけておきたいのだが、なぜか日本では LINE ユーザーがやたらと多いらしく、とにかく当たり前のように LINE で連絡を取りたがる知り合いが多いので、それを受け取るためと、最低限の返信をするだけのために、しぶしぶ使っている。

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2017/06/19

クマよけの音

タケノコ採りなどで山に入った人が、クマに襲われる事故が相次いでいる。昔は腰に鈴をぶら下げたり、ラジオを鳴らしっ放しにしていればクマは近付いてこないと言われていたが、最近ではクマの方もそうした音に耐性がついて、恐れなくなってしまったようなのだ。

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5月下旬にクマに襲われて死亡した秋田県の女性は、鈴を 2個ぶら下げていたというが、効き目がなかった。6月 2日付の毎日新聞は、「そもそも鈴の音が聞こえる範囲には限りがある」、「山菜を採るためしゃがんでいれば鳴らない」 と、鈴への過信に警鐘を鳴らす。

さらにラジオの音についても、「近年はクマが車のエンジン音など人工音を聞く機会が増えている」 ために、音への警戒心が薄れており、「音を聞いたクマが、餌となる物があると考え、おびき寄せられている可能性がある」 とさえ言われる。やつらも生き物だから、学んで慣れるのだ。

私は昔、クマのいる山をよく単独行した。クマがいるような山だからこそ、歩いて自然との一体感を感じ、いい気持ちになれる。そんな自然の中で、いくらクマよけとはいえ、人工的な音を出すのは気が引ける。しかしそうした大自然の中だからこそ、クマとの余計な軋轢を避けるために、敢えてぶち壊しのような音を鳴らさなければならないと考えていた。

私はその頃から、クマよけの鈴なんてあまり信じていなかった。あんなのは音が心地良すぎる、人にとって心地良いのだから、クマだってある程度慣れてしまえば、恐れなくなるだろう。同様に、東北の山の中でも受信できる NHK の番組は、牧歌的すぎてクマが恐れない。ギンギンのパンクロックでも流してくれれば別だが。

私は大自然の中を単独行する時、腰にシエラカップをぶら下げて、時々思いっきり叩いてガシャガシャという金属音を立てていた。そんな音を突然聞いたら、人間だって驚いて身じろぎする。クマに驚いてもらうためには、そのくらいの音でなければならないだろう。

幸か不幸か、私は山歩きをしていてクマに出会ったことがない。よほどの幸運でなければ、自然の中でクマを目撃するなんてことはできないと思っていたが、最近はそんな呑気な話でもなくなっているようなのだ。お互いのためにも、いきなりクマと出くわすなんて事態は避けた方がいい。

自然との調和を乱さないような慎ましい音では、クマよけにならない。思いっきりぶちこわしの不快音でなければならないのだ。余計なトラブルを避けるために、こればかりは仕方がない。のべつ幕なしに鳴らすわけじゃないから、勘弁してもらおう。

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2017/06/18

茨城県の 「男余り率」 は、日本一

ちょっと古い話で恐縮だが、東洋経済 Online の昨年 11月23日付で、「ソロ男プロジェクト・リーダー/独身研究家」 という不思議な肩書きの荒川和久さんという人が、"茨城県が 1位! 「ニッポン男余り現象」の正体  47都道府県「男余りランキング」 一挙公開" という記事を書いている。

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上の "都道府県別 「男余り MAP (20代〜30代)」 という地図は、荒川さんが作成したもので、一見して、フォッサマグナの東側の男余り率が高いように見える。とくに私の住む茨城県の 20〜30代の男余り率は 17.1%で、日本最高となっており、下位 3県 (鹿児島県 1.0%、福岡県 2.9%、奈良県 3.3%) とは、かなり極端な差がある。

茨城県というところは確かに、周囲を見渡しても独身男がやたら多い気がする。さらに私の生まれた山形県の男余り率も、10位に入る 14.1%だ。私は東京で暮らしている間に結婚し、住宅の安い茨城県に移転してきたのだが、山形県から直接茨城県に来ていたら、結婚できたかどうか、知れたものではないという気がしてきた。

荒川さんは、こうした男余りの原因の 1つに 「再婚の際のマッチングに男女差があること」 を挙げている。離婚して再婚する際には、男性が初婚の女性を選ぶ傾向が強いらしいのだ。再婚男と初婚女のマッチングが多いのは、「時間差一夫多妻制」 のようなものと言っている。

なるほど、それでアグレッシブな男は初婚の女性を相手に結婚を繰り返し、ちょっと奥手っぽいおとなしめの男はいつまでも独身ということになるわけだ。これは私の周囲を見たところの印象とかなり一致する。

念のため補足しておくが、「アグレッシブな男が初婚の女性を相手に結婚を繰り返す」 というのは、もう一歩踏み込んでみれば、「粗野で口下手だが、積極性だけはあるというタイプの男が、初婚の女性と結婚するも、すぐに家庭内暴力などで愛想を尽かされて離婚」 を繰り返すというのが多いということなんじゃなかろうか。つまり 「コミュニケーション下手なので、何度結婚しても破綻する」 ということなのだと思う。

それで愛想尽かしをした方の女性は、「もう男はこりごり」 と、再婚率が低くなる。周りを見ればいい年して独身の男はいくらでもいるのだが、そうした男たちは大抵口下手なので、バツイチ女性には痛い思いをした経験則から、見向きもされない。悪循環である。

その点、関西以西の男は平均的にコミュニケーション力が高いので、初婚女性に愛想を尽かされて再婚を繰り返すということが少ないんじゃないかと想像してしまう。それで、「時間差一夫多妻制」 が薄められ、マッチングが満遍なく実現しやすい。

確かに茨城県の男というのは、ちゃんとしたコミュニケーションを面倒くさがるタイプが多いような気がする。県別魅力度ランキング調査で茨城県はいつも最下位の 47位が指定席 (参照) というのは、そうしたイメージの問題なんだと思ってしまうのだよね。

いくら 「メロンの生産日本一」 とか 「偕楽園や袋田の滝など、観光資源も豊富」 なんて言っても、それが魅力度アップにつながることはないのだ。こんな勘違いをしてるから、茨城県庁の 「魅力度アップ」 キャンペーンは功を奏さないのだろうね。

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2017/06/17

ウシガエルの鳴く日

6月 7日の 「ヨシキリの鳴き声 2」 という記事で、「人間は太古の昔から、カエルや鳥の声に囲まれて来たので、それをうるさくは感じない遺伝子になってしまったのだろう」 と書いた。それはあのウシガエルの鳴き声でも同じで、昼となく夜となく 「ブォー、ブォー」 と盛大に鳴いているが、案外平気で安眠できる。

中にはウシガエルの鳴き声を知らない人もいて、気味悪がって 「何の騒音でしょう?」 なんてネットで質問している人までいる。ウシガエルの滅多にいない北海道生まれの人は、本州に引っ越して初めてウシガエルの声を聞くと、本当にびっくりしてしまうようだ。

かくいう私も、山形県庄内地方で暮らしていた高校時代までは、ウシガエルの鳴き声なんて聞いたことがなかった。大学に入って東京に住むようになり、善福寺公園の池の畔ではらわたを震わせるような鳴き声聞いて、「これが噂のウシガエルか!」 と、ちょっと感動したのを覚えている。

「うるさくて眠れない」 なんて言う人は、自然の音への耐性がないのだろう。あるいはウシガエルは20世紀になってから日本に入ってきた外来種だから、遺伝子がものすごくドメスティックな人は、ダイナミックな鳴き声に弱いかもしれない (などとテキトーなことを言う)。

というわけで、ウシガエルの鳴き声を知らない人のために、裏の川土手で取った音声入り動画をアップしてみた。風の音、ヨシキリの声の中で、一際大きく響いてくるのが、ウシガエルの鳴き声である。途中でモンシロチョウが飛ぶ姿もちらりと映っている。

都会のコンクリート・ジャングルの中で暮らしている人は、この動画でちょっとだけリラックスできるかもしれない。いや、驚いちゃうかな。

夜になるとその鳴き声はさらに賑やかになる。10日の 「和歌ログ」 にあげたのだが、こんな具合である。(暗くてよく見えないので、画像サイズは小さめにした)

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2017/06/16

納豆の 「タレ」 再考

最近は北朝鮮のミサイルだの、森友学園だの加計学園だのと、うっとうしいニュースばかりで、そんなのはなんだかこのブログで取り上げる気になれない。とくに森友、加計両学園の問題は、フツーに考えれば安倍政権のゴーマンさが問題というのは明らかなので、今さら書く気にもなれない。それで、つい身近でチマチマしたことを書く方向に振れてしまっている。

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で、今日は 「納豆のタレ」 問題だ。これ、5年ちょっと前にも "納豆に付いてくる 「タレ」 は 「余計なお世話」 の最たるもの" というタイトルで書いたことがあるが、その後日談である。

とにかくこの 「タレ」 というのは、袋を開けようとすると 10回に 8回はこぼしてしまい、下手すると服に飛ばしてシミを作ってしまう。5年前の記事では、こんなことを書いている。

昔、私の上司がビジネスホテルの朝食で納豆のタレのビニール袋を開けようとして、あっという間に自分のネクタイにぶっかけてしまったことがある。しかもその直前に、私が 「注意してくださいよ。飛び散りますから」 と言い、彼も 「そうなんだよね、これ、注意しないとやばいんだよね」 と言いつつ、やっぱりやらかしてしまったのだ。

ことほど左様にこれ、かなりやっかいな代物なのである。「アメリカだったら、きっと訴訟をおこすやつがいるぞ」 と書いたら、アメリカ在住の emi さんが 「間違いないです」 とお墨付きのコメントをくれた。

そもそも私は、この 「タレ」 の濃厚な 「グルタミンソーダ感」 に抵抗があって、あまり好きじゃないのだが、捨てるということにそれ以上の抵抗があって、5年前にこの記事を書いた頃までは、嫌々ながら使っていた。そしていくら慣れても、10回に 5回以上は、1〜2滴テーブルにこぼしてしまっていた。

しかしこの記事を書いたことをきっかけとして、ついに 「こんな馬鹿馬鹿しいことでストレスを感じ続けるよりは、思いっきり捨ててしまおう」 と決心がつき、それ以来さっさとゴミ箱に捨てて醤油で済ませるようになった。こう決めてしまってからは、朝食が想像以上にストレスフリーになったのである。

さらに最近は、スーパーでたった 1種類だけ 「タレ付きでない納豆」 を発見し、それを我が家御用達と決めている。これなら 「タレ」 を捨てることによる良心の小さな呵責からも解放される。あまりにも快適なので、世の中の納豆の少なくとも半分はタレを付けずに流通させるべきだと考えるまでになった。

しかし今回は、その 「タレ付きでない納豆」 がたまたま品切れだったため、仕方なく 「タレ付き」 を買ってきてしまった。そして、このタレをポイと捨ててしまうことによる小さなストレスを、思い出してしまったのである。

そうそう、念のために書いておくが、私は 「カラシ」 の方もいらないのだよね。

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2017/06/15

日本一の桃太郎通りの、堂々たる風景

岡山で 3日間を過ごし、また新幹線に乗って、今度は九州に上陸した。今朝までいた岡山は、梅雨というのに天気にも恵まれ、仕事もうまく運び、後楽園の流店でまったりできて (参照)、おいしいものもしっかり食べることができたし、心残りはない。

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岡山駅の目の前に、「桃太郎通り」 という通りがあって、マンホールのふたが、なかなか誇り高いデザインになっている。猿が 「日本一」 と書かれた旗を掲げているのが、立派なものである。

私は行く先々で、おもしろいマンホールのふた発見したら写真に収めることにしているが、このふたは、なかなかのものだ。これからは、旅先でおもしろいマンホールがあったら、ここで紹介するのもいいかもしれない。

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で、この通り沿いでちょっとびっくりの光景を見てしまった。1台の軽自動車が舗道上に止まっているのである。歩道の敷石に片輪を乗り上げているとかいうのでもなく、ど真ん中に堂々と駐車しているのだ。これだけのことをする度胸のあるドライバーは少ないだろう。

この自動車、遙か遠くの後方から歩いてくるにもかなり目立っていた。「すごいなあ、しかしいくら何でも、ちょっと停まってるだけで、すぐに発進するんだろうなあ」 と思いながら近付いたのだが、全然動く気配がない。

そばを通り過ぎる時に車内を覗いたのだが、無人である。時は午後 4時半を廻ったところ。まさか、このクルマの運転手、目の前の大衆酒場にシケこんでしまったわけじゃあるまいな。かなり通り過ぎて振り向いても、まったくそのままだったので、つい引き返して写真に撮ってしまった。

フツーに考えれば、ちょっとだけというなら路肩に停まるだろうから、本格的に長時間停まるつもりなのかもしれない。そういえば一昨日も、狭い歩道一杯に堂々と駐車しているクルマを目撃した。歩行者が仕方なく車道に出て通るほどの威風堂々だった。

岡山という所は、こうしたことには大らかなのかなあ。

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2017/06/14

後楽園の流店がウチにも欲しい!

私は昨年、日本の全都道府県制覇を達成しているだけあって、結構あちこちの名所に足を踏み入れている。日本三名園ということでいえば、水戸の偕楽園はすぐ近所ってわけじゃないにしても、クルマで 1時間ちょっとで行けるところだから何度も行っているし、金沢の兼六園にも 2度行った。そして昨日の和歌ログに書いた通り、今回、岡山の後楽園にも 2度目の訪問を果たした (参照)。

地元といえば地元、水戸の偕楽園は何といっても梅の季節が最高だ。しかし早朝でなければならず、遅くとも朝の 9時頃までに行くことが肝心だ。それを過ぎて昼近くになってしまうと、人混みがひどくなり、さらにせっかくの梅の香りが、出店の焼きそばソースの臭いに消されてしまう。

加賀の兼六園は冬の季節がいいと思っている。たまたま自分の行ったのが冬の季節だったということもあるが、あの 「雪吊り」 というのがなかなかの風情だ。私は雪釣りの施された松の下に入ると、ピラミッド・パワーを感じてしまう。(参照

そして今回再訪の後楽園のお気に入りは、「流店」 だ。何しろ今回は、ほとんどこの 「流店」 だけが目当てで、後楽園を再訪したのである。寄せ棟造り (周囲に壁はないのですっかり素通し) の中を水路が通っているという、なかなか珍しい建物だ。これなら夏でも涼しいだろう。今回もこの建物に上がり込んで、前回同様 30分以上まったりしてしまった。

この中に入ったら、ただ水の流れとその中の石の妙だけを眺め、あとは水と風の音を聞くだけで至福の時間となる。岡山の歴代藩主も同じような至福を味わったのだろう。今回は初めのうちは韓国人のカップルがやたら大きな声でしゃべくり続けていて、ちょっと気に障ったが、彼らが去ってしまってからはなかなかいい時間が過ごせた。

ああ、こんなのがウチにもあったら、どんなに幸せかと思う。しかし、誂えるとなったらとんでもない大金が必要だろうなあ。

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2017/06/13

Facebook で、可愛い女の子からの友達申請が届く

Facebook で、見た目が今風の女の子から友達申請が来る。割とよく来るのだが、大抵知らない子である。下のような感じの顔写真が添えられているのだが、はっきり言ってどれもみな韓国のアイドルみたいで、区別が付かない。

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そもそも自分の基本情報はほとんど何も公開していないのに、写真だけはものすごく写りのいいやつをしっかり載せているという時点で、「こいつ、アヤシ過ぎ!」と疑わなければならない。とくにこの手の 「ガチガチのステロタイプ今時のねーちゃん風」 は、何か企みがあるに決まっていて、私なんか一目で 「はい、サヨナラ!」と言いたくなる。

秒刊 Sunday というサイトに "Facebook に突然来るかわいい子からの 「友達申請」 に了承するとどうなるかやってみた" というニュースがある。「たまちゃん」 というライターによって、ほぼ 4年前に書かれた古いエントリーだが、参考にはなる。

たまちゃんが試しに、一見可愛い娘からの友達申請を承認したところ、まず 「メールが届くようになる」 と報告されている。しかも 「どんどんメールが来る」 のだそうだ。この件に関しては、次のようにレポートされている。

念のため相手が人間かどうかを確認するため内容を空白で送信。するとすぐに返信が来て 「メールが来てよかった!」 とさぞかしお喜びの様子。こちらは空白で送信しているにもかかわらず、それを無視し一方的に相手の思うままに送信してくるメールは明らかに 「自動送信システム」 などの bot を疑うべきだ。

なるほど、なるほど。想像通りの展開だ。その後さらに 「空白メール」 を返信し続けたところ、メールは来なくなってしまったという。つまり、たまちゃんの方がスパムと認定されてしまったようだ。

相手のアドレスを辿るとメールサービスのサイトに行き着く。このサイトというのがむちゃくちゃアヤシくて、登録した覚えがないのに、自分が登録されてしまっているのだそうだ。そのうえログインもユルくて、他人のアドレスでも勝手にログインできてしまうらしい。いずれにしても 「ハニートラップ」 の温床とみられる。

そしてこの記事は "Facebook の可愛い娘はやはり 「美人局」 だった!  案の定 「架空請求」 300円なり" という続編に続く。どういうことかというと、このメールサービスからは自由に脱退できるが、脱退する前に、「未払い使用料の 300円を払え」 と言ってきたのだそうだ。

そもそも入会なんてしていないのだから、こんなのは無視していればいいのだが、やれ未払い分の数十万円を支払えなどという悪質なものと比べれば可愛らしい金額なので、つい払ってから脱退する人がいるらしい。ただ 「塵も積もれば」 で、1人 300円でも 100人が払えば 30,000円、1,000人が払えば 300,000円になる。ちょっとしたボロい商売になってしまうわけだ。

たとえ、申請を承認しただけで、アヤシいメールサービスの被害なんかに遭わなかったとしても、自分の友達としてこんな 「アヤシ過ぎ」 の顔写真が登録されているというだけで、「こいつ、ネットの常識に欠けるお人好しだな」 と思われるに決まってるので (要するに 「恥さらし」 ね)、妙な友達申請が来ても削除するに限る。

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2017/06/12

想念の具象化 その 4

想念の具象化 その 3」 という記事を書いたのは、3年以上前のことだった。そもそもの発端は約 14年前に書いた話で、要するに私はそれまで、毎年 1度以上はクルマのタイヤをパンクさせてしまう男だったのである。

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ところがそれまで抱いていた 「パンクはするものだ」 という想念を 「パンクなんてしないものだ」 と変えたとたんに、突然パンクしなくなったという、ウソのような本当の話なのだ。みっちりと繰り返すのは面倒なので、ことの次第を記した記事を、以下に時系列で示し、遡って読む時間のない人のために、要約を記しておく。

「パンク男」 を返上したい (2003年 7月 7日)

それまで 「パンクはしょっちゅうするものだ」 と思い込んでいたのだが、タイヤ屋のオヤジさんに、「しない人は全然しませんよ」 と言われ、「それじゃあ、自分もパンクしない男になりたい」 と思った顛末。

想念の具象化 (2006年 9月 25日)

それまで毎年のようにパンクしていたのに、「パンクなんてしないものだ」 という想念をもってからというもの、3年以上パンクしていないことに気付いた。

想念の具象化 その 2 (2008年 2月 19日)

本当に久しぶり、4年 8ヶ月ぶりにパンクしてしまったが、毎年 1度以上パンクしていた頃と比べたら、雲泥の差と実感した。

想念の具象化 その 3 (2014年 4月 14日)

「パンクはしないもの」 という想念を持続したおかげで、それからさらに 6年以上、1度もパンクせずに済んでいる。

そしてそれからまた 3年以上、つまり最後にパンクしてから数えれば 9年以上経ったが、その間に 1度もパンクしていない。約 14年前まで、「パンクはするものだ」 と思い込んでいた頃には、毎年 1度以上パンクしていたのに、「パンクなんてしない」 という想念に一転させてからというもの、14年間で 1度しかパンクしていないのだから、我ながら驚きである。

そして、もうすぐ 「10年間パンクなし」 という、クルマを運転するようになってから 1度も経験したことのない快挙を達成しそうな勢いなのだ。くどいようだが繰り返す。この変化の要因は 1つしか思い浮かばず、それは単に、自分の想念を 「パンクなんてしない」 と変えたことである。

この事実の受け取り方には 2種類あるだろう。1つは 「たまたまそうなっただけさ」 という解釈。そしてもう 1つは、「想念を変えると、人生も変わる」 という解釈だ。私としては、後者の解釈で行きたいと思っている。その方がずっと当然の流れと思うからだ。「そんなの疑似科学だ」 と言う人がいても、一向に構わない。

現実的なことを言えば、「パンクなんてしない」 と強く想念することで、釘やガラス片の多そうな所 (道路の端など) は意識的に避けたり、慎重に進んだりするという変化は当然あったしね。想念だけが変わって行動には全然反映されないなんてことの方が、科学的に考えても不自然だ。もし反映されなかったら、それは想念の変わりようが中途半端だってことだ。

これは神社で高額の祈祷料を払って 「交通安全祈願」 なんかしてもらうよりも、ずっと手軽に実現できる。何しろ金は 1円もかからないのだから。それに私は 「水からの伝言」 みたいに 「タイヤからの伝言」 なんて本を出して儲けようって気はさらさらないので、妙なツッコミは無用である。

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2017/06/11

気象庁が梅雨入りを発表すると、雨が続かないという皮肉

気象庁は 6月 7日に 「関東甲信越地方の梅雨入り」 を発表したが、毎年のことながらまったく皮肉なことに、それ以後は雨が少なくなっている。我が家の太陽光発電のモニター・パネルも写真の通り、発表直後の 7、8日の 2日間だけは発電量が少なかったが、それからは順調に持ち直した。しかも 8日には既に、発電量が消費量を僅かながら上回っている。

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梅雨入り発表後に、なぜか天気が回復して雨が少なくなるというのは、まったく珍しいことではなく、近頃はほとんど毎年のように繰り返される現象なんじゃないかという気がしている。7年前の 2010年の梅雨入り直後には、次のようなことまで書いている (参照)。自分の 「和歌ログ」 を辿って判明した事実だ。

昨年 (梅雨入り宣言後 翌日に中休み) (これは 2009年のこと)
一昨年 (同、三日目に中休み)   (同 2008年のこと)
3年前 (同、翌日に中休み)      (同 2007年のこと)
4年前 (同、翌日に中休み)      (同 2006年のこと)
5年前 (同、二日後に中休み)    (同 2005年のこと)

というわけで、2005年から 2010年までは、毎年のように梅雨入り宣言した翌日か、遅くても 3日語には 「梅雨の中休み」 に入っちゃってるのだ。

それは、2010年以降でも似たようなもので、昨年の 7月 29日には 「梅雨入りが宣言されるとすぐに天気が回復して晴天が続き、梅雨明けになっても天気はそれほどもたない。昔の常識が通じない天気になっている」 と書いている (参照)。

というわけで、今日も雲は多めながら、日射しは順調に届いている。雨不足になると困ってしまう農家は、「気象庁は下手に梅雨入りを発表しないでもらいたい」 なんて思っているかもしれない。

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2017/06/10

「ウッフン系」 廃品回収車がやってくる

3〜4ヶ月に 1度ぐらいのペースだと思うのだが。私が密かに 「ウッフン系」 と名付けている廃品回収車がやってくる。例の 「ご家庭内でご不要のものがございましたら、無料で回収させていただいております」 ってやつなのだが、スピーカーから聞こえてくるのは、なぜかウッフン系のお姉さんの声なのだ。

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先日ちょっとだけ録音した音声が、上の絵をクリックすると聴ける。風の強い日だったので雑音も入っているが、まあ、こんなような甘ったるい吐息混じりのアナウンスが延々と聞こえてくるので、毎回、妻と 2人でウケまくっている。もちろん、回収車の運転席にはアナウンスとは似ても似つかないオッサンが 1人いるだけなのだが。

で、今日はこんなウッフン系の話だけで終わるわけではない。この類いの (別にウッフン系のお姉さんの声のクルマに限らず) 廃品回収車は、実は結構アブないらしいというお話である。

そもそも廃品回収という業務は、役所から許可をもらう必要があるというのだが、スピーカーを搭載して 「流し」 で回収している業者のほとんどは、無許可でやっているようなのだ。で、「無料で回収しております」 なんてふれ回っているくせに、トラックに積み込んでしまってから 「この品物の回収には 3000円もらわないと……」 なんて言い出すことがある。

実は私も 10年以上前のこと、ふれ廻ってきた (ウッフン系ではなかったのだが) 業者に壊れた家電製品を渡したことがある。するとそのオッサンは、それを荷台に積み込んでから、「3000円かかります」 なんて言うのだ。

「なんだよ、無料って言ってたじゃない」
「いや、この種類の家電は、手数料が必要なんで……」
「じゃあ、持ってかなくていいよ。返してくれ」
「いや、一度積み込んじゃったから、降ろすのは大変……」
「ふざけんじゃないよ。じゃあ俺が自分で降ろすわ」

というわけで、「文句あるか」 とばかりに、わしわしと強引に取り返したわけだが、気の弱い女性だったら、言われるままに 3000円払っちゃうところだったろう。多分、行政で正当な手続きで引き取ってもらえば、もっと安く済むはずだ。

それに、このタイプの廃品回収業者には、引き取った廃品の中から金になる部品だけを取り出して、後は山の中なんかにどさっと捨ててしまう輩がいるらしい。言語道断である。というわけで、スピーカーでふれ回ってる廃品回収業者は、どんなにウッフン系のお姉さんの声でも、相手にしない方がいいというのが、今日の結論だ。

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2017/06/09

巨人が 13連敗してるんだね

先日電車に乗っていたら、隣に座った若いサラリーマン風の 2人がやたら熱心に 「巨人はどうしたら連敗脱出できるか」 を語り合っていた。やれ、誰それと誰それを 3番、4番に据えて、守備陣をどうだかしてテコ入れするとか、ずいぶん専門的な用語を使って、それはそれは、日本の将来でも語るような情熱だった。

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その時は、「一体、何をそんなに力んでるんだろう」 と思っていたが、昨日ふと思い立って新聞をみると、巨人は 12連敗してるんだった。へぇ、ちっとも知らなかった。そして昨日の夜にまたしても負けて 13連敗なんだそうだ。

元々、いわゆる巨人ファンという人種にはあまり好感を抱いていない。彼らは 「勝って当たり前、負ければ機嫌が悪くなる」 というところがある。「負けて当たり前、勝てば上機嫌」 という阪神ファンとは対照的で、要するにゴーマンなところのある種族だと思っている。

そのゴーマンな巨人ファンが、あれだけ悲壮になっちゃってるんだから、やはりこれは一大事なのだろう。その昔、長島さん (巨人は嫌いだが、長島さんは好きなのだ) が監督を務めた年に最下位になったことがあると思うが、それ以来のニュースである。

しかし、そろそろ日本の野球界も変わっていいんじゃなかろうか。日本全国に巨人ファンが溢れているというのは異常としか思われない。それぞれの地域でご当地チームを応援するのが、望ましいというか、当たり前の姿なんじゃなかろうか。

最近は夜のテレビでもナイター中継が減ったようだ。ちょっと前まではどのチャンネルも巨人戦ナイターを中継していたが、あれこそ馬鹿馬鹿しい姿である。まだラジオはそんなようなところがあるが、そのうち変わってくるだろう。

巨人は今シーズンばかりでなく、4〜5年間ぐらいはボロボロに負け続けて、妙な幻想を壊してしまうぐらいでちょうどいい。「巨人にしがみついていれば商売になる」 という状況を木っ端微塵にしてしまえば、プロ野球界だけでなく、日本人のおかしな精神風土も少しは変わるかもしれない。

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2017/06/08

白内障手術を受けることになった

先月 26日に書いた "「寄り目」 って、できてフツーだったとは!" という記事で、私は目を寄せることができないので、近くのモノを見るのが苦手ということを書いた。これもまた 「斜視」 の一種なんだそうだ。

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で、このほど 「斜視」 の検査をしたところ、とりあえず白内障の手術をすることが先だろうということになった。10年以上前から眼科にかかると 「白内障の兆候がありますが、まだ手術するほどではありません」 と言われ続けてきたのだが、ついに 「そろそろ手術する方がいいかも」 となってしまったのである。

白内障手術にあたっては、その前に 「手術前検査」 というのを受けなければならないのだそうだ。私は今月末まではスケジュールが立て込んでいるので、月末に予約した。で、この手術を受けると、しばらく瞳孔が開きっぱなしみたいになるので、「付き添い」 が必要なんだそうだ。

というわけで、なんだか情けない気がしてしまうが、月末に妻に付き添ってもらって眼科にかかることになったわけだ。そしてさらに、その後 3ヶ月以内に、本番の手術を受けることになる。

こんなことがあったので、周囲の知り合いに聞いてみると、なんと白内障手術経験者がゴロゴロいると知ったのである。年寄りくさい話だと思っていたが、早い人は 50代のうちに経験していて、「ちっとも大変な手術じゃないから、安心しろ」 という。それに、手術すると感動的なほどモノがよく見えるようになるらしい。

何しろ私は今、目だけが年寄りじみてしまっていて、視界はぼやけるし、小さな字が読みにくいし、眩しさに極端に弱いしで、まさに 「弱り目にたたり目」 状態なのだ。眩しさに弱いのは、眼球の中のゴミのせいで、光が乱反射してわけがわからなくなってしまうのだそうだ。これが解消されるだけでも、私としてはありがたい。

手術本番は多分来月になり、手術後に改めて最適な眼鏡を誂えるのがいいだろうということだ。まあ、65歳の誕生日を迎えて 「高齢者」 の称号を得る夏本番ぐらいまでには、若い目玉を取り戻して少しはモノを見るのが楽になっていることを期待しよう。

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2017/06/07

ヨシキリの鳴き声 2

裏の川原でオオヨシキリが 1日中賑やかに鳴いている。この鳥は夜になっても 「キリキリキリ……」 と鳴き続けるから、一体いつ寝ているのだろうと思うほどだ。下の写真は、日本野鳥の会発行の 「野鳥観察ハンディ図鑑 水辺の鳥」 の P19 で、スズメよりちょっと大きい鳥だそうだ。

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「〜だそうだ」 などと曖昧な書き方をしてしまったのは、鳴き声はずっと聞き通しているものの、姿を見たことはほとんどないので、図鑑を頼りにするしかないからだ。大昔にバードウォッチング用に買った双眼鏡で、声のする方を追ってみたが、残念ながら見つけることができなかった。

オオヨシキリの声は、YouTubeで検索するといくつも出てくる。ついでに実際に鳴いている画像もみることができるので、オススメだ。なるほど、こんなこんな風に止まって鳴いていたのか。

念のため検索してみたら、このブログで 6年前の 5月にも 「ヨシキリの鳴き声」 というタイトルの記事を書いている。15年も続けていると、大抵のことは既に書いてしまっているようだ。我ながら油断がならない。というわけで、今回のタイトルは 「ヨシキリの鳴き声 2」 とする。

上述の記事でも書いているが、私の実の祖父で昭和初期の自由律の俳人だった唯一郎の句集に、次のような句がある。

はつきりと行々子の巣が見える六月の朝空 (参照

月が來る行々子啼くにまかして歩むなり (参照

「行々子」 というのはヨシキリの別名で、そう言われてみれば、「キリキリキリ…」 としか聞こえていなかった鳴き声が、「ギョウギョウシ、ギョウギョウシ…」 と聞こえてくるから不思議だ。

オオヨシキリの鳴き声があまりにも賑やかで、夜になっても続くので、さぞうるさくて眠れないのではないかと心配する人もいるが、自然というのはよくできたもので、こうした音というのはそのうちに 「聞こえても聞こえない音」 になってしまい、全然気にならずに眠れる。

同じことはカエルの鳴き声でも言えて、このつくばの地に引っ越して来た頃はあまりにも盛大な 「筑波山麓合唱団」 の声におそれをなしたほどだが、実際には全然気にならずに眠れる。静かすぎるよりも安眠できるほどだ。

(ちなみに上記の 「〜合唱団」 のリンクをクリックすると、若かりし頃のデュークエイセスの見事なコーラスが聴けて、さらに歌い終わってからちょっと嬉しいサプライズまである)

谷川のそばのキャンプ地で、囂々とした水の響きがとどろいていてもまったく気にならずに眠れるし、人間の耳というのはよくできたものである。自然の音というのはどんなにけたたましいようでも、いつの間にか耳に馴染んで気にならなくなってしまうのだ。逆に人工的な音や不自然な異常音などは、たとえ小さな音でも気になって神経に障る。

人間は太古の昔から、カエルや鳥の声に囲まれて来たので、それをうるさくは感じない遺伝子になってしまったのだろう。都会に住み慣れてしまうと、クルマの音ぐらいはうるさく感じなくて済む耳になっているかもしれない。ただしそうなったとしても、無意識の部分ではストレスにはなるだろうなあ。

都会暮らしの人が泊まりがけで田舎に行ったりすると、夜になると 「シーン」 という音が聞こえるなんて話を聞いたことがある。もっと耳を澄ませば、微かな風の音や虫の声が聞き分けられると思うのだが。

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2017/06/06

都議会選に関する世論調査の結果

毎日新聞の実施した都議選に関する世論調査が発表された。支持政党に関しては 「支持政党なし」 が最多の 44%を占める。相変わらず、「無党派層」 ばかりが多い国である。

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「投票に行きますか」 という設問への回答では、「必ず行く」 が 64%。「たぶん行く」 が29%で、合計すれば 93%となるが、これは 「ウソばっか!」 と言いたくなる数字でしかない。これまでの選挙でも、「必ず行く」 という回答から 20%ぐらい差し引いた投票率にしかならないのが常だ。ということは、今回の都議選も、40%台の投票率に落ち着くだろう。

支持政党に関する問いでは、44%の 「支持政党なし」 という回答に次いで、自民党が 23%。都民ファーストの会は 7%と、小池都知事への 63%という高い支持が反映されていない。あとは共産党が 6%で、民進党は公明党と同じ 4%と、目も当てられない。

相変わらず 「支持政党なし」 がトップというのも、「なんだかなあ」 と思ってしまう現象だが、自民党を支持しない層にとって、「この党なら任せてもいい」 と積極的に思える政党が見当たらないのだから、仕方がないのかもしれない。本来なら民進党がもっとがんばってもいいはずなのだが、蓮舫代表があんな具合だから、何も期待する気になれない。

いずれにしても、旗幟鮮明にすることを好まない国民である。そのくせ 「投票に行くか?」 と聞かれると、3人に 2人ほどはつい 「必ず行く」 なんて 「いい子ちゃん」 ぶっちゃうのだから、よくわからないところがある。

実際にどの党に投票するかという問いに対しては、自民党が 17%、都民ファーストの会が 11%と、その差がかなり縮まる。さらに無党派層の大半がまだ投票先を決めていないので、それが小池支持の流れに乗ってどっと都民ファーストの会に流れる可能性もある。

これをきっかけに、安倍一強体制にほころびが出たら、かなりおもしろいことになるのだが。

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2017/06/05

ストラディバリウスの音を聞き分けられるか

いつだったか忘れたが (3〜4年前だった気がするが)、テレビでストラディバリウスの音色を聞き分けることができるかどうかという企画を見た。娯楽番組のことだから全然厳密なものではなく、プロの演奏家が 2台のバイオリンを弾き、どちらがストラトバリウスかを、出演していた何人かのタレントたちが当てるという趣向だったように思う。

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2台のバイオリンのうち、1台は正真正銘のストラトバリウスだが、もう 1台は安物ではないにしても、ごく普通の普及品ということだった。そして出演者たちは、それら 2台の演奏を聞いても違いがわからないらしく、完全に戸惑っていた。

しかしその番組を見ていた (聴いていた?) 私にとっては、「なんでまた、この違いがわからないかなあ?」 と言いたくなるほど、音色の違いは歴然としていて、簡単に言い当てることができた。しかしたまたま一緒にその番組を見ていた友人たちは、「全然わからん」 と匙を投げていた。

友人たちは、「tak は、さすがに昔から音楽やってただけあって、耳がいいなあ」 と感心してくれて、私もちょっと悦に入っていたのだが、それからしばらくして、「ストラディバリウスと現代のバイオリンの音色は大差なし」 というレポートが出され、わけがわからくなった。はたして私の耳は、本当にいいのだろうか。

権威あるレポートによると、ストラディバリウスと現代の最高級品のバイオリンの 「音色の良さ」 には、ほとんど違いがないらしい。それどころか、超一流のバイオリニストたちの多くは、現代の最高級品の音色を支持したというのである。その詳細は、こちらの記事に書かれている。

じゃあ、あの時のテレビでは、どうしてあんなにも歴然とした違いがあったのだろう。一緒に見ていた友人たちは 「さっぱりわからん」 と言っていたが、私にははっきりとわかったのだから、やはり 「音の艶」 にはちゃんと差があったのだ。

考えられる理由の 1つは、あの番組では、ストラディバリウスと比較されたのが、「ごく普通の普及品」 だったからというものだ。それなら、違いがわかって当然だ。普通のリスナーの耳には違いがわかりにくいというのは、ちょっと悲しい現実だが、少なくとも 「聞く耳」 さえ持っていれば、ちゃんとわかる。

もう 1つ考えられる要素は、テレビの音響技術者が音をコントロールしたのではないかということだ。ほとんどのテレビ視聴者にとって 「違いなんてさっぱりわからない」 なんてことになったら、さすがにまずいという配慮が働いて、「聴く人が聴けば、ちゃんとわかる」 程度にコントロールした音を電波に乗せたということは、十分に考えられる。

もしかしたら、「ストラディバリウスと現代の最高級品を聞き分ける」 というテーマだったとしても、テレビの音響技術者は、現代の最高級品の音質を意図的に落として電波に乗せたりしたかもしれない。そのくらいの微妙な演出 (ビミョーなソンタク?) は、ありがちなことではないかという気がする。

というわけで、私は本当に 「ストラトバリウスと普及品の音の違い」 を聞き分けることができたのかどうか、よく考えるとわからなくなってしまった。もしかしたら、音響技術者の演出に乗せられただけなのかもしれない。何しろ、ナマ音を聞いたのではなく、ごくフツーのテレビを通して聞いただけなのだから。

いや、それでもやはり、「私は音が聞き分けられた」 ということにしようと思う。ストラディバリウスと現代の最高級品の違いは、最高レベルのプロでも言い当てることは難しいというのだが、どこにでもある普及品との違いぐらいなら、私のレベルでも聞けばちゃんとわかると信じたい。

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2017/06/04

セルフのガソリンスタンドで、給油キャップの忘れ物

Livedoor News に 「【注意】 引火の可能性も! 意外に多いセルフスタンドでの給油キャップ締め忘れ」 と報じられている。のっけから 「おっちょこちょいなドライバーは各地にいるようで、どこのセルフスタンドでも、大抵複数個の忘れ物の給油キャップを保管しているとのこと!」 とある。

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つい 「おっちょこちょいで、悪うござんしたね!」 と言いたくなってしまったのは、私自身も給油キャップを置き忘れてしまったことがあるからだ。「確か、ブログに書いたことがあったなあ」 と検索してみたら、それは 9年近く前のことだった (参照)。

70〜80Km ぐらい離れたところにあるセルフのスタンドに置き忘れてしまったので、ディーラーに頼んでスペアのキャップを取り寄せてもらった。ところが間が悪いというか、いいというか、その日のうちにそのスタンドの近くまで行かなければならない用事ができて、ついでに立ち寄ってみたら、私の忘れたキャップがちゃんと保管してあったというお粗末である。

「キャップの忘れ物はなかったか?」 と訪ねると、ちょっとした箱を持ってきてくれて、「この中のどれですか?」 と言う。なんと 30個ぐらいの給油キャップの忘れ物が、ゴロゴロ保管してあったのだ。おっちょこちょいは私だけじゃないのだね。

私のクルマはあれから代替わりして、上の写真のように給油キャップが紐付きで車体から離れないようになった。これならいくらおっちょこちょいでも、そのままキャップをぶら下げて走り出すなんてことはあるまい。たとえ走り出したとしても、キャップが車体にぶつかる音で、気付かないはずがない。

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2017/06/03

ココログの Facebook, Twitter との連携

ココログの管理ページに 「ココログが Twitter カードに対応しました」 とのお知らせが掲載されていた。どういうことかというと、「ココログの記事をTwitter に表示する際に、記事画像や記事概要を見やすく表示する Twitterカードに対応しました」 とある。

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この 「お知らせ」 は 5月30日付で、なるほど、Twitter をみると、それ以前の表示は、画像が 「ココログ」 のロゴ表示だけで、大した意味のないものになっているが、30日以降は記事に載せた写真がきちんと表示されている。

しかし同様の機能は、Facebook ではとっくの昔から実現されていた。ご覧のように、5月 29日以前の記事も、掲載した画像入りで掲載されている。

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ただし、多くのココログ・ユーザーの Facebook 上の更新通知は、以前の Twitter と同様に、ココログのロゴ画面が表示されるだけになっている。この仕様を変更して記事上の写真を表示させるようにするには、どうしたらいいのかというと、自動では連携させず、Facebook 上で手動リンクさせる必要があるようだ。

そしてここが重要なポイントなのだが、一度リンクさせたら、そのページを確定する前にブラウザの 「再表示」 を選択してやり直す。「再表示」 を実行すると直前にリンクさせた項目は消滅するから、もう一度作業をやり直すと、記事上の画像とともに表示される。(おわかりだろうか)

まあ、いろいろと試してみるとおもしろいかもしれない。

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2017/06/02

「パイノパイノパイ」 から始まる冒険

先月 12日の 「笠置シヅ子の偉大さ」、27日の 「川上音二郎の 『オッペケペ節』 オリジナル」 という記事の流れで、行きがかり上、「東京節」 から始まるいろいろを紹介しよう。「東京節」 と言ってわからなくても 「パイノパイノパイ」 と言えば、「ああ、あれか!」 と思い当たる人も多いと思う。まずは桜井敏雄となぎら健壱の最強コンビによるパフォーマンスを、下に埋め込んでおく。

これは添田唖蝉坊の息子の添田知道 (さつき) の作詞によるもので、原曲は米国の 『ジョージア・マーチ』 (Marching Through Georgia)。実にちゃんとした行進曲なのだが、こなし方によっては 「パイノパイノパイ」 になってしまう。

この歌のリフレイン 「ラメちゃんタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ」 の、「ラメチャン」 というのが何なのか、子どもの頃から謎だったが、最近 Wikipedia で調べたらあっさり解決した。これは 「出鱈目」 の 「らめ」 に 「ちゃん」 が付いたものというのである (参照)。私はまた、きんきらきんの 「ラメ」 かと思っていたよ。これ、「パイノパイノパイ」 と 「フライフライフライ」 でちゃんと韻を踏んでいるのだから立派なものである。

この歌をドリフターズの歌で知っているという人は、まだ若い層で、私はあのバージョンは個人的には好きになれない。だからここにも埋め込まない。私がこの歌を最初に知ったのは、森山加代子のバージョンだった。森山良子じゃなく、森山加代子である。こんなのだ。

森山加代子はなかなかスゴい人で、昭和 30年代に、今ではキワモノ扱いされそうな 「じんじろげ」 なんていう歌まで世に出していた。これ、聞いていても意味がさっぱりわからないが、歌唱力は圧倒的なものである。なにしろ、一発録音の時代だったのだよ。

妻に 「"パイノパイノパイ" って歌は、誰の歌で知ってる?」 と聞いたら、「エノケンで知ってる」 と言っていた。大したものである。ただ、YouTube でエノケンの 『パイノパイノパイ』 を探したが見つからず、その代わり、『ダイナ』 が見つかった。エノケンが 『ダイナ』 を歌うとこうなる。『月光値千金』 と 『私の青空』 との圧倒的メドレーを紹介しよう。

「ああ、いいなあ」 と、私はため息をついてしまうのである。

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2017/06/01

難読中の難読地名 「十六島」

一泊二日で出雲に出張し、今帰って来たところだ。出雲といえば、一昨年 2月に行った 「出雲市十六島町」 という地名の町を思い出す。出雲大社の後背の山をぐるっと時計回りに回り込んで日本海岸に出て、さらにその先に角のように張り出した、ちょっとした半島状の断崖絶壁に囲まれた海が 「十六島湾」 という。その辺りが 「十六島町」 だ。

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上の写真が一昨年冬に撮った十六島湾の写真で、対岸に見えるのが出雲大社の後背の山地である。つまり、絶海の孤島ではないが、陸の孤島と言ってもいいというか、その言い方がものすごく似つかわしいところだ。

で、問題は 「十六島」 の読み方で、これがとてつもない難読地名なのである。「さて、何と読むでしょう」 というクイズを出されても、フツーに推し量ることができるようなものじゃないから、初めから正解を書いておく。「うっぷるい」 と読むのだ。私の知る中でもトップランクの難読地名だ。

この地名を初めて聞いた時、アイヌ語が語源なのかと思ったほどで、実際にアイヌ語語源説というのもある (参照)。しかし北海道からあまりにも遠いので、ちょっと信じがたい。東北や北陸ぐらいまでは、アイヌ語を語源として考えるとしっくり来る地名がいくらでもあるが、出雲はいくら何でも遠すぎる気がする。

同様に朝鮮語の 「巨岩」 を意味する 「ウルプロイ」 が語源だとする説もあるが、これもまたにわかには信じがたい。こうした 「外国語で似た言葉がある」 というもっともらしい語源説は、言い出したらキリがない。

で、いろいろ調べてみると、「打ち振るい」 が語源という説がある。十六島特産の 「十六島海苔」 を食すと、災いを振るい落とすというので、「打ち振るい海苔」 と言われ、それが十六島の地名となったというのである (参照)。

まあ、そこまでもっともらしくこじつけなくても、冬には地を震わすほどの荒波が打ち付けるということから、「打ち振るう」 が 「うっぷるい」 の語源になったとういう説は少しは信憑性があるように思われる、日本の古代では、今の 「はひふへほ」 を 「ぱぴぷぺぽ」 と発音していたわけだし、今でも複合語では 「風邪っぴき」 などと半濁音が復活してしまうことがある。

湾の中なら波も静かになるんじゃないかと考えられるかもしれないが、なにしろ西に向かって開けた湾なので、冬の季節風をまともに受けて、しかも湾の奥の岩場に集約されてしまうので、すごい波になる。岩海苔取りも、ちょっと荒れたら命がけだ。

また、出雲風土記にも出てくる 「於豆振 (おずふれ、おつふり)」 が 「うっぷるい」 の古い形の地名であるとして、「小津」 という地名から変化したものとの説もある (参照)。これもまた捨てがたい。

で、その語源はいいとして、どうしてまた 「十六島」 という漢字が当てられたのかという疑問も残る。何しろ、この辺りにはそんなような島なんてないのである。これは本当にわからない。もしかしたら、岩海苔を採る岩場を 「シマ」 と言って、それが沢山あるから 「十六島」 という漢字が当てられたのかもしれない。

というわけで、難しい話はこのくらいにして、十六島特産の岩海苔 「十六島海苔」 は、本当においしいという話で締めたい。出雲に旅すると、あちこちのちょっとした店で食べることができるし、土産物屋でも買える。今回は買い忘れてしまったので、ちょっと残念な気がしている。

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