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2017年8月に作成された投稿

2017/08/31

「動機が正しくても……」 を身を以て示した麻生さん

「ヒトラーはいくら動機が正しくても……」 発言の麻生さん、肝心の 「ヒトラーの動機」 なるものの説明がまったくないままに発言撤回したのは、年のせいで頭の回路がちょっとおかしくなっちゃってるんじゃあるまいか。来月は 77歳を迎えるというのだから、そのあたりが心配になったりしてしまうよね。

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麻生さんは発言撤回の際に 「政治家にとって結果を出すことがすべてであることを強調する趣旨で、悪しき政治家の例としてヒトラーをあげた」 と述べておられる。ふむふむ、異論はあるだろうが、「政治家にとって結果を出すことがすべてであることを強調する」 というテーゼを、ここではとりあえず仮に 「正しい」 としておこう。

そしてそれを強調したいというのが、例の発言の 「動機」 であるとみられるわけだが、いくらその 「動機」 が正しいとしても、結果として周囲からこんなにまで責められてしまっては、まったくの逆効果だった。なにしろ 「政治家にとってのすべて」 である 「結果」 が出せなかったわけだからね。

なるほど、なるほど。麻生さんの言いたいことは、今回の事例を見てとてもよくわかった。まさに言いたかったことを、身を以て示してくれたわけだ。まったくもって 「動機」 が正しくても、方法論と論理展開がめちゃくちゃだと散々な結果になる。

しかし、そもそも 「動機が正しくても結果が出なければダメ」 なんていうのは、わざわざ言われるまでもないことで、世の中ではそれを 「骨折り損のくたびれ儲け」 と言う。子どもでも知っている 「世間知」 である。

今回の話は麻生派の研修会で持ち出されたというのだが、いくら政治家でも、こんなことをわざわざ 「研修」 しないとわからないってわけじゃなかろう。麻生さんのケースは、余計なことを下手すぎる言い方で言ったために、「くたびれ儲け」 よりさらにひどい結果を呼ぶという馬鹿馬鹿しいことになってしまった。

麻生さん、こんな脈絡もはっきりしないくだらなすぎる話で墓穴を掘ってしまったわけで、やっぱり 「頭の回路」 が心配になってしまうわけなのである。繰り返すが来月は 77歳で、数え年の 「喜寿」 をとっくに過ぎているわけだし。そういえば最近、持ち前のユニーク発言がほとんど伝わってこなくなった。

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2017/08/30

茨城県知事選挙の結果

茨城県知事選挙は、自民・公明推薦という、全然魅力を感じない看板をつけた大井川和彦氏が、7選を目指した橋本昌氏を破って初当選した。茨城県在住の私としては、この選挙では誰に投票するか、本当に悩んでしまったことを告白しておく。

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そもそも私は、自分の住んでいる県の知事が既に 6期 (24年) も務めていることに屈辱的な思いを抱いてきた。県に限らず、同じ人間がこんなにも長期にわたって地方自治体の首長を務めていたら、弊害が出るに決まっている。茨城県に住んでいると、県庁の職員が知事の顔色ばかりうかがって、「ソンタク」 なんてもんじゃなくなっているという話をよく聞いていた。

というわけで、いくらなんでも橋本さんは 6期で引退して、7期目はないと思っていたのだが、臆面もなく 7選を目指して出馬すると伝えられた。あまつさえ県内の農業団体や医師会、連合茨城などから推薦を受けているという。私としては 「おいおい、よくまあ恥ずかしげもなく……」 と思ってしまったのである。長い間のうちに、よっぽど共通の利害関係をもつお友達が増えてしまったとみえる。

一方の大井川和彦氏は早いうちから運動を開始していて、大方は 「次は、あの若い人で決まりだね」 と思っていたフシがある。ところがこの人、「自民・公明推薦」 なんていう余計な看板を打ち出してきてしまった。こんな看板のせいで、かえって票を失って接戦になってしまったんじゃないかと思うほどだ。

選挙戦の中で、橋本氏は 「原発再稼働を認可しない」 という方針を打ち出した。これ、結構 "sounds good" なお話である。とくに 「反原発」 の立場を明らかにしている私としては、心が動いた。

ただでさえ大井川氏が 「自民・公明推薦」 なんていう余計な 「ヒモ付き」 で出馬したのが気にくわないのに、橋本氏は 「非原発」 というのだから、当初の 「あの若い人で決まりじゃん」 という思いが、完全に振り出しに戻ってしまった。「多選阻止」 の原則を貫くか、一度だけ 「原発不認可路線」 に乗るか、難しい選択となってしまったのである。

で、よくよく迷った挙げ句、橋本さんの 「原発再稼働を認可しない」 というのは、単に選挙向けの付け焼き刃っぽさが目立ち、信念あってのことじゃなさそうだという結論に達した。当選してしまったら、どう変わるか知れたものじゃない。当選したとしても次はいくらなんでも最後だろうから、何でもできてしまう。

それよりも 「多選 (しかも 「超多選」) 阻止」 の方を優先すべきという結論に達し、この際明らかにしてしまうが、大井川氏に投票してしまった。ただこれは、ひたすら 「多選阻止」 を重視した結果であり、大井川氏の政策を全面的に支持したからというわけではない。彼が 「自公推薦」 でさえなかったら、少なくとも私はこんなに悩まずに済んだのだ。

だから、自民党は 「茨城県知事選挙で信任を得た」 なんて思い上がったことは言わない方がいい。そして大井川新知事には、くれぐれも自民党中央の言いなりにならないでいただきたいのである。こんなことを言っても、行きがかり上、無理だろうけどね。

ちなみにこの記事は、本当は昨日付でアップするつもりだったのだが、北朝鮮のミサイル発射というニュースの影響で 1日遅れになってしまった。まあ、その程度のバリューの話である。

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2017/08/29

今回の 「J アラート」 で、いろいろ考えた

早朝から突然スマホがピロピロ鳴り出し、地域の有線放送もなにやらヒュンヒュン言い出して、何かと思えば 「北朝鮮がミサイルを発射」 したと言う。これが 「J アラート」 ってやつらしい。「急いで頑丈な建物や地下に避難しろ」 というのだが、我が家の近くにはそんな建物なんてない。これで実際に避難した人って、本当にいるんだろうか。結果として 「大して役に立たないシステム」 だとわかった。

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というわけで、私は 「へえ、そりゃヤバいじゃん」 とは思いつつも、椅子から立ち上がりもせず、iPhone で Radiko を起動させて情報確認している間に、ミサイルは日本上空を飛び越えて太平洋に落下していた。そもそも Radiko は実際のラジオより遅れて受信されると知っていながら、そんな呑気なことをするのだから、本当に差し迫った気持ちにはならなかったということだ。

ただ、この騒動を通じて考えたことがいくつかある。脈絡はなくなるが、ちょっと挙げてみよう。断っておくが、ミサイルが飛んできたからといってことさらに深刻なことなんか考えなかったので、その点はよろしく。

まず、「どうせ役に立たない」 とわかっていた J アラートを、今回初めて発動させた意味って、何なんだろうということだ。考えられるのは、政府は 「とりあえず、1度使ってみよう」 と考えたのではなかろうか。経験知はやってみて初めて得られるからね。発動してもそう簡単にパニックになることはないとわかっただけでも、収穫なのかもしれない。

もう一つは、国民の危機意識を煽って、政府批判に傾いた世論の矛先を、今ささらながらの感はあるが、北朝鮮に向けようとしたのだろう。これは十分にあり得る。外的危機が差し迫れば、国内の政治批判どころではなくなるし、それどころか国防費増強の絶好のプロパガンダにもなる。

さらにはっきりわかったのは、世の 「ネトウヨ」 と呼ばれる種族の大多数は、朝に弱いらしいということだ。朝の 7時頃に Twetter を立ち上げて 「ミサイル」 で検索してみても、目立つのはニュースをシェアしただけの誰でも知ってる話ばかりで、ネトウヨ的な書き込みはほとんど見当たらなかった。

ネトウヨたちとしては、口汚く北朝鮮を非難する書き込みをするには、まだ頭が覚醒していなかったのだろう。あるいはぐっすり寝込んでいて、J アラートに気付かなかった可能性だってある。いずれにしても彼らのほとんどは夜型人間であるらしい。

それから、「周囲に不審な落下物を発見したら、警察や消防署に連絡してください」 という呼びかけが発せられたことについてである。私は当初、「そんな呼びかけをしたら、『玄関の前に変なものが落ちてました』 なんていう見当外れな通報が殺到するぞ」 なんて思ったが、少なくとも朝のうちはそんなことはなかったようだ。国民の常識はそこまで落ちていなかったということで安心した。

最後にちょっとした 「言葉の誤用ネタ」 だが、某政治家 (名前忘れた) が朝のラジオ番組に出て今回の騒動に激高してか、「決して許されざることではない!」 と口走ったのには、コケてしまった。怒りの気持ちが強すぎて、つい二重否定 (つまり結果として肯定) になってしまったのかもしれないが、言ってしまってからも自分では気付かなかったようで、そのまま平然と話を続けていた。

これに限らず、政治家には日本語の不自由な人が案外多い。こんなことから失言問題にもつながるのかもしれない。なにしろ、つい変なことを口走っても、自分で気持ち悪くなったりしないみたいなので。

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2017/08/28

「かばち」 と 「かまち」

「J タウンネット」 というサイトに、"横浜 「~じゃんとか言わない」 広島 「かばちたれって何?」 ... 地元の 「意外と使わない方言」 を聞いてみた" という記事がある。この見出し、ちょっとまずくて、横浜の 「〜じゃん」 は決して言わないわけじゃなく、実際は 「横浜だけじゃないじゃん」 ってことなのだが、「かばちたれ」 は確かに、何度広島に行っても聞いたことがない。

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愛媛県の 「ぞなもし」 は、漱石の 『坊っちゃん』 の中だけの言葉と思っていた方がよさそうだし、宮城県の 「だっぺよ」 というのもほとんど聞かなくて、完全に 「〜だっちゃ」 が優勢だ。「だっぺよ」 はむしろ茨城弁だと思う。妻が仙台出身で茨城在住の私が言うのだから間違いない。茨城に 30年も住んでいると、「〜だっぺよ」 がうつっちゃいそうで怖いほどだ。

さて、今日の本題の 「かばちたれ」 である。これ、映画の 『仁義なき戦い』 あたりから全国に知られた言葉だと思うが、「かばち」 というのは 「小理窟」 ってなニュアンスの言葉と理解している。「かばちたれ」 というのは、「つまらない小理窟をつべこべ言い立てる、口だけ達者なうっとうしいやつ」 というような意味だろう。

試しに辞書 (『大辞林』) を引いてみると、「① [「輔・頷」 などと書く] 上下のあごの骨。かまち。[新撰字鏡] ② [西日本方言] 生意気な口をきくこと。口達者なこと。また、その人」 とある。へえ、元々は 「上下のあごの骨」 という意味だったなんて、初めて知った。あごの骨を活発に動かすから 「口達者」 ってなことになったのだろう。

さらに注目すべきは、「かまち」 とも言うという点だ。「かまち」 は 「上がり框」 (玄関などの土間から家に上がるところの横木) などというように、家の造作を指す言葉である。ついでだからこれも 『大辞林』 で引いてみると、「【框】 ① 戸・窓・障子などの周囲の枠。② 床の間や床などの端にわたす化粧横木。上がり框・床框・縁框など」 となっている。

こうしてみると、「框」 も 「かばち (上下のあごの骨)」 も、いわば 「枠組み」 みたいなものだから、元は同じ言葉だったのだろうと想像される。そして 「かばち」 をフルに使うやつが 「口達者」 ということになるのは、なかなかおもしろい言葉の変化だ。広島の若年層がこの言葉を知らないというのは、なんだか残念な話である。

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2017/08/27

「近頃天気がおかしい」 と毎年言っているが

昨日は新潟に日帰り出張した。超ピストン旅行である。新潟は前日は大雨だったそうだが、昨日はカラっとした晴天で、気持ちのいい一日だった。下の写真は帰りの新幹線の窓から撮ったものである。

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「8月になってからまともに晴れた日が少ない」 ということだったが、まあ、晴れ男の私が訪れるとこんな感じになってしまう。ところがつくばの里に帰ってみると、湿度の高いじっとりとした夜だった。昨日までのような暑さではないが、ジメジメ感がうっとうしい。

今年の夏は本当におかしな天気で推移中である。梅雨入りが宣言されたとたんに猛烈な暑さになり、7月の初め頃は 「本当は梅雨明けしちゃってるんじゃないの?」 とみんな言っていた。そして気象庁が梅雨明けを宣言したとたんにジメジメした天気になり、「本当の梅雨が始まったみたいだね」 ということになった。8月始めは本当にぐずついた天気が続いたが、しばらくすると猛暑になった。

本当に天気の浮き沈みの激しい夏である。毎年のように 「近頃は天気がおかしい」 と言っているが、今年の夏はおかしさ加減が並外れている。こんな調子で天気がおかしくなり続けたら、4〜5年先は一体どうなっているだろうかと、本当に心配になってしまう。

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2017/08/26

若者は 「海離れ」 しているらしい

1ヶ月ちょっと前の 「海の日」 関連の記事なので、今頃取り上げるのは遅いかもしれないが、"若者の 「海離れ」 が判明。10代・20代の4割は 「海に親しみ」 を感じない" という話がある。今の若者は、海に関してあまり心が躍らないみたいなのだ。

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ちなみに私は日本海に面した港町で生まれ育ったので、 「海に親しみを感じる」 どころじゃない。海はいつもそばにあったし、高校時代はよく授業を抜け出して、砂浜の波打ち際で寝転がっていた。そして夏休みになれば、3回以上は海水浴に行っていた。

ところが最近の若者は 「海離れ」 しているようなのだ。決して泳がないってわけじゃなく、泳ぐのはリゾート・プールということのようなのだね。だから浜辺で砂だらけになり、時々打ち寄せる大波でひっくり返るなんていうような体験はあまりしていないのだろう。

それに昔は、若者向けの歌と言えば 「海、渚、浜辺、波」 なんていうキーワードのオンパレードだった。そうした単語を散りばめさえすれば、歌になったのである。そういえば最近の歌は、こうした単語がそれほど目立たないような気がする。つまりサーファー以外にはあまり 「需要」 がなくなったわけだ。

件の記事にある 「海に親しみを感じる」 かどうかという設問の解答を表すグラフをみると、10〜20代と40〜60代の傾向が真逆になっているのがわかる。これまたずいぶん極端な結果だ。人間の感性が変わって来てしまっているようなのである。

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これ、プールが増えたことで、子どもの頃から海に行く体験が減っていることと、実際に海に行くと、体が砂だらけになって、帰る時に洗い流すのが結構面倒だったりする体験などの合わせ技なのではないかと思う。つまりプールによる疑似体験の方が、面倒がないのだ。

人間の感性がナマの自然から、離れてきてしまっているのをつくづく感じる話だ。ちなみに、上の写真は茨城県の磯崎神社の鳥居に打ち寄せる波である。

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2017/08/25

舛添前都知事の書道の腕が大したことないのは事実だが

netgeek というサイトに "【悲報】 シルク舛添要一、書道がド下手な上に 「金」 の字を間違える" という記事があった。テレビ番組に出演した舛添前都知事が、月収 11万円と生活苦を訴え、書道の腕前を披露するために 「お金」 と書くことを所望されて、それに応えたという。

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で、netgeek では "こっこれは…! はっきり言ってド下手だ。しかも 「金」 の漢字を間違えている。「お」 の点についても、位置と縦に書いているところがおかしい" と、ツッコまれている。しかし私は舛添さんをかばうわけじゃないが、上手な字じゃないことは確かとしても、続くツッコミこそが 「おかしい」 と、指摘せざるを得ない。

「金」 の字を間違えているというツッコミに関しては、「お前、異体字ってものを知らないな」 とツッコミ返せばこと足りる。漢字というのは今の IT の世界の標準フォントだけじゃなく、いろいろの字体があるのだ。石碑にも舛添氏と同じ書き方のものがある (参照)。「お」 の字にしても、まあ、こんな風に書かないということもない。

近頃の若いモンは、PC や印刷物でしか字を知らないから、漢字にしてもいろいろな字体があると思っていないようなのだね。これは文化の衰弱の始まりなんじゃなかろうか。

舛添氏が出張経費でのシルク服を購入を 「書道をする時に普通の服だと腕が引っかかるので」 と説明していたことについて、記事は 「趣味レベルでも書道はやっていないということが明白になった」 としている。しかし、少なくとも 「金」 を異体字で書いてみせるぐらいには、書道に親しんでいるようなのである。「痛い字」 と言っていいほど下手には違いないけどね。

とまあ、ものを知らないと、同じものをみても全く反対の結論に到達することがあるので、自分も含めてよほど注意しなければならない。

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2017/08/24

定年以後に増えるのは 「パソコン・スマホを操作する時間」

@nifty news に 「定年以降に増えるのは家で過ごす時間やパソコン・スマホを操作する時間」 という記事がある。ランキングの 1位は 「家でゆっくり過ごす時間」 で 45.5%、2位は 「パソコンやスマホを操作する時間」 で39.5%という調査結果になったのだそうだ。

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ただ、この数字は 「総合ランキング」 のものであり、60代以上に限ると 「パソコンやスマホを操作する時間」 が過半数の 55.0%で 1位になるが、30代以下だとベスト 5 に入らず、40代でようやく 25.8%で 5位に入るという。しかしそもそも、「30代以下の定年」 って一体何だ? それって、あったとしても極々特殊なケースなんじゃあるまいか。一般的なケースと特殊なケースをこんなにも安易に比較してどうなるんだ?

初めは 「最近増えたのは、どんなことをする時間?」 という調査だったのではないか思ったのだが、この記事の書き出しには堂々と 「定年以降、生活においてどのような時間が増えたと思いますか? という調査です」 とある。そうなると、30代や 40代の人間まで対象にしてこんな調査をするという発想から説明してもらわなければならないが、まあ、最大限譲って、敢えてそこは問わないことにしよう。いずれにしてもこの記事、ライターの質が低いよね。

そこを敢えて問わずに、ここで問題にしたいのは、定年を迎えた 60代以上の人の過半数は、「パソコンやスマホを操作する」 という行為に、ある種 「独立した意味」 をもたせているらしいということだ。若い世代だと、「パソコンやスマホを操作する」 というのは、「ゲームやメール、SNS など、ある目的のための手段」 にすぎないだろうと思うのだが、60代以上だと、パソコンやスマホの操作自体が 「自己目的化」 されてしまっているような気がする。

昔の 「オーディオ・マニア」 と言われた人たちの多くが、音質の良いオーディオ機器を揃えることに夢中になり、それで聞く音楽に関しては、割とどうでもいいイージーリスニングみたいなものばっかりだったみたいなことを思い出す。「好きな音楽を聞く」 というより、「いい音で聴く」 という物理的なことが優先されていた。

若い世代は 「パソコンする」 とか 「スマホする」 とか、ほとんど言わない (多分 「パソコンで○○する」 とか 「スマホで○○する」 ってことになるのだろう) が、60代 (本当は 70代以上だと思うが) は 「パソコンする」 と平気でのたまう。今回はその点に注目するために、記事のわからなさについては敢えて目をつむったわけだ。

そもそも今どきはデスクワーク主体の人間なら、仕事をしている時間というのはほとんど 「パソコンしてる」 の時間だったはずだ。ということは事務職の人間が退職したら、パソコンを操作する時間は減って当然なのである。逆に、定年以後にその時間が増えたということは、「仕事ではあんまり使っていなかったのね」 ということになる。

手書きで書いたものを、アシスタントの女の子に 「PC で清書」 させていたクチなのかもしれない。ということは、やっぱり彼らの頭の中では 「パソコンする」 ということに、ちょっとしたコンプレックス混じりの思いがあっても不思議ではないのである。

というわけで、その点に限って、この記事は興味深いということができる。仕事をしている間はあまり使わなかったけど、定年を迎えてから急に 「これからはパソコンぐらい使えなきゃね」 となるというのは、なかなかおもしろい現象だ。この 「パソコンぐらい」 の 「ぐらい」 が、妙な方向に向かって重すぎる言葉になっているという印象がある。

私の周囲にも定年以後に 「これからはパソコンぐらい使えなきゃ」 と言って 「パソコン教室」 とやらに通い、お絵かきとメールのやり取りはできるようになったものの、何年経っても添付ファイルが扱えないという人が複数いるので、この 「パソコンぐらい」 の意味するところが、かなりもやもやと霧のように漂っている。

そして最後にまた繰り返すが、この記事のライターの質の低さは何とかしてもらいたい。

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2017/08/23

桃を食って前歯が欠けた

実は昨日、桃を食っていて下の前歯が欠けてしまい、今、歯科医で義歯を誂えてもらっている。煎餅とか漬物とか、あるいは同じ果物でもリンゴとか、もっと歯ごたえのあるもので欠けたならまだ諦めも付くが、こともあろうに桃ごときで歯が欠けるとは、我ながらショックである。

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『吾輩は猫である』 に出てくる水島寒月君は、寺田寅彦がモデルと言われているが、この人が椎茸を食って前歯が欠けたまま、恩師の苦沙彌 (くしゃみ) 先生の家に年始に来て、「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々 (じじ) 臭いね」 と茶化される。椎茸で欠けて爺々臭いのだから、桃で欠けるのはさらに爺々臭いだろう。

歯科医の先生は 「欠ける時はどんな柔らかいものを食べていても欠けます」 と言ってくれた。「元々ヒビが入っていたんでしょうから」

これはある意味、ありがたい慰めの言葉なのだろうが、自分の歯に桃ごときで欠ける原因になるほどのヒビが入っていたというのだから、よく考えればその方がショックである。

先月は白内障の手術をしたし、自分では若いつもりでいても、65歳の年はごまかせないと思ってしまったよ。やれやれ。

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2017/08/22

松山千春の神対応?

Twitter で Jizi_t さんが、例の離陸が遅れた ANA 機内での松山千春の 「神対応」 (参照) について、「余計いらっとするやん。私、あの人の歌好きやないねんもん (-_-;) 」 と  tweet しておられる (参照)。実は私も同感なので、「よくぞ言ってくれました」 との意味で 「いいね」 させていただいた。

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産経新聞の記事を読む限りでは、歌い終わると 「機内のムードは一変して拍手と歓声が沸き起こった」 とある。まあ、彼の歌の好きな人にとっては 「災い転じて福」 となったのかもしれないが、逆に 「余計いらっと」 しちゃった人も確実にいただろう。私だったら個人的な趣味として、口直しに iPhone で好きな曲を聞き直しちゃうところだ。

でもまあ、全体的にはイライラ感が和らげられたらしいから、よしとしておこう。それでも Jizi_t さんの言うように 「神対応」 とはちょっと言い過ぎだと思う。これに類した状況で、ミュージシャンがボランティア的なパフォーマンスをすることは、そんなに稀なことじゃないしね。

それから最後に一言。松山千春が機内で 「1フレーズ」 歌ったという tweet があるようだが、それって、「1コーラス」 の間違いだろうね。いくらなんでも 「1フレーズ」 じゃかえって人を馬鹿にした話になってしまう。

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2017/08/21

未制覇の県庁所在地

私は仕事で日本中のあちこちに出張することが多く、世間はお盆休みだった時期も、関西から九州まで駆け抜けていた。ちなみに日本の全都道府県制覇を達成したのは一昨年の 8月のことで、最後まで残っていたのは、鳥取県だった (参照)。さすがに日本で一番人口の少ない県というだけあって、なかなか用事ができなかったのである。

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ちなみに私の 「全都道府県制覇」 というのは、単に通り過ぎただけというのは勘定に入れていない。足を踏み入れたというだけでなく、ちゃんとした目的があって行き、一泊以上したという事実をもって、「制覇」 としている。

ただ、すべての都道府県で一泊以上はしたものの、すべての県庁所在地で一泊以上したというわけではない。そもそも私は、自分の出身県である山形県の県庁所在地、山形市では泊まったことが一度もない。山形市に用があって行っても、夜は温泉のある隣の天童市に泊まったり、ちょっと足を伸ばして実家に戻ったりしてしまうからだ。

その他、ざっと挙げると、群馬県では高崎市に泊まったことはあっても、県庁所在地の前橋市に泊まったことがない。栃木県でも日光には泊まったし、キャンプだって何度もしたが、宇都宮市での宿泊経験はない。3度行ったことのある大分県でも、さすがに大分市に泊まるよりは、3度とも温泉のある別府市に泊まった。これは人情というものである。

それから青森県では南部側の八戸市には 2度泊まり、八幡平では何度かキャンプしたが、津軽側の青森市にはまともに泊まったことがない。「まともに」 というのは、中学生の頃に北海道に渡る際に、台風で青函連絡船が止まり (当時は青函トンネルがなかった)、青森駅構内の列車で一晩過ごしたことがあるだけだからだ。一度でいいから青森市内でまともに一晩過ごしてみたいものである。

それどころか、通り過ぎたことはあっても、駅に降り立ったことすらない県庁所在地というのもあり、それは静岡市だ。東海道新幹線で通過したことは何度あるか数え切れないほどだし、静岡市より人口の多い浜松市には数度行き、袋井市なんていうところに 2度も泊まったが、県庁所在地である静岡市には不思議に縁がない。

さらに縁のないのは、三重県の県庁所在地、津市である。名張市、伊勢市、伊賀市には泊まったことがあるが、津市は伊勢に行くときにちらりとかすめただけで、申し訳ないが印象すら残っていない。

印象のなさで言えば、山口県山口市というところも、一度も行ったことがないような気がしていたが、よく思い出してみると、これまで 2度も行ったことがあるのだった。しかし用事があったのは山口市だったが、その時に泊まったのは防府市と萩市だったのだよね。申し訳ないけど、2度も行ったにしては、全然印象がない。

ただ今後の希望としては、静岡市と津市に行くよりも、島根県の出雲より向こうと、飛騨の高山に行ってみたい。島根県の松江市と出雲市には何度も行ったが、旧国名でいう石見国には、まだ足を踏み入れたことがなく、岐阜県でも行ったのは南側の美濃国だけで、北側の飛騨国は踏破していないのである。

そんなわけで、石見と飛騨は近いうちに是非行ってみたい。

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2017/08/20

シンバルを土に埋めるという荒技

1週間前の話になってしまうが、TBS ラジオの 『日曜天国』 という番組に、ドラム奏者の、むらたたむさんという女性がゲストで登場していて、「シンバルを土に埋めると、いい音になるらしい」 という話が出た。ドラマーの中には、実際にそうする人がいるらしい。

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「土に埋めるなんて、大島紬みたいだな」 と思ってしまった。大島紬というのは奄美大島の独特の土壌の中に埋めることで、染料が化学反応を起こしてあの深い色合いが出るという。シンバルも土に埋めて多少錆びさせてからの方が、いい音になると主張する人がいるというのである。

実際問題として新品のピカピカのものより、いい具合にサビが浮いて熟成されたシンバルの方が、シブい音が出るような気もする。そういえば、いい感じのドラマーのシンバルで、ピッカピカの新品というのはあまり見ない。

しかし、本当のところはどうなんだろう。聞き比べたこともないし、単なる都市伝説に過ぎないような気もする。一流のドラマーのシンバルがピカピカじゃないのは、単に年季が入っているだけという方が説得力ある気もするし。

それに土に埋めるにしても、1週間やそこらではあまり変わらないだろうから、結構長期間埋めておかなければならないだろう。なかなかスパンの長い話で、そんなことをする度胸のある人はそんなに多くないんじゃあるまいか。

ここまで考えて、「シンバルを土に埋める」 というのは、大島紬というよりジーンズの 「ケミカルウォッシュ」 のようなものだと気付いた。放っておけばそのうちに実現できる効果を、時間をかけずに無理矢理獲得するという点で、とても似ている。

さらケミカルウォッシュというのは、昔の旧制高校のバンカラ学生が、制服や帽子、マントを石でこすったり、手拭いを醤油で煮しめたりしていたという伝統と共通すると思っている。ケミカルウォッシュや、その原型のストーンウォッシュは、日本で誕生した加工法だからね。だから 「シンバルを土に埋める」 というのも、とても日本的な発想かもしれない。

そもそも、楽器を土に埋めるなんていうのは、シンバル以外には考えられない。同じ金属でも金管楽器なんか埋めたらとんでもないことになるだろうし、そもそもトランペットがサビサビだったりしたら恥だろう。ましてや自分の楽器を土に埋めるギタリストなんていない。

シンバルを土に埋めるという荒技、実際にやってみた人がいたら、是非コメント欄でその効果をレポートしてもらいたい。

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2017/08/19

食器洗い乾燥機は、ウチのライフスタイルに合わなかった

Business Journal に  「超便利でいいことずくめの食器洗い乾燥機、なぜ売れない? 誤解だらけのデメリット」 という記事がある。百年コンサルティング代表取締役の鈴木貴博さんという人の記事で、基本的に 「食器洗い乾燥機ってこんなに便利なんだから、是非使いましょうよ」 というトーンで書かれている。

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ただ、私は個人的にこの見解には 「そうかなあ」 と思ってしまう。我が家のライフスタイルに食器洗い乾燥機は合わないと、経験則から認識しているからだ。なにしろ我が家では、実際に 2台の食器洗い乾燥機を使ったことがあるのだが、どちらも便利さよりもストレスを感じる方が多かった。

最初に食器洗い乾燥機を買ったのは、我が家の娘 3人がまだ小さかった頃だから、20年以上前のことだったと思う。ウチの食器洗いは、きちんと決められているわけじゃないが、夫の私が担当することが多い。で、個人的な印象としては、「買ったはいいが、使うのはかなりのストレス」 というものだった。

何しろ当時は 5人家族だったから、食器の量が多い。食器洗い乾燥機の中に大きさも形もバラバラの食器をそれなりにうまくセットするだけで、結構な手間がかかる。単に並べればいいだけではなく、食器にくっついた残飯などは拭き取ってからセットする方がいいというので、「洗う前にこんな作業をするんだったら、さっさと手洗いする方が早いわ」 と思っていた。

で、実際やってみると、食器洗い機の中に食器をきちんとセットする時間と、手洗いで済ませる時間の差はごく僅かでしかないのだ。しかも食器洗い機だと、セットしてから延々と電力を使って回し続けなければならない。手洗いならとっくに終わっているのに、ゴーゴージャブジャブやられるのって、結構なストレスなのである。

これは我が家の食事が、あまり脂っこくないということも関係している。ほとんど水とアクリルたわしだけでチャチャッと洗えて、たまに石けん (食器洗い洗剤じゃない) を使えば済む。私は荒れ性じゃないので、冬でも冷たい水で洗う方が手がきれいになるし、水桶に溜めて洗えば、食器洗い機派が言うほどに水の使用量も多くならない。

たまに来客があって食器の数が増えると、食器洗い機では 1度で洗うことができず、入りきれない分は手洗いすることになる。だったらわざわざ 2ラインにわけるより、全部手洗いする方がずっと早く片付く。で、数年して自然に故障したのを機に処分してしまった。使わずに放ったらかしにすると案外故障も早いのかもしれないが、「厄介払い」 という気がして、惜しいとは思わなかった。

2台目は、娘たちがそれぞれ独立して夫婦 2人だけの生活になってから、娘の 1人がプレゼントしてくれたものである。せっかくプレゼントしてもらって申し訳ないが、家族 5人でも食器洗い機がストレスになるというライフスタイルなので、夫婦 2人だけだと、ますます手洗いであっという間に終わる。手間をかけてセットして、延々とゴーゴージャブジャブする気にはならない。というわけで、2台目もそれほど使う機会もないまま、いつの間にか故障したのを機に処分してしまった。

食器洗い機で不便なのは、食器、とくにグラスやカップなどを、洗浄作業中に取り出して使いにくいことだ。つい棚から別の食器を出して使ってしまいがちになり、日常的に使う食器の数が増える。少ない数の食器をこまめに繰り返し使う方が、私の性分には合っているので、これもストレスになる。

「使いもしないで偏見で言ってる」 というわけじゃなく、実際に 2台も使った上で言うのだが、少なくとも我が家のライフスタイルでは、食器は手洗いの方がずっとストレスがない。

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2017/08/18

「モリリン株式会社」 という社名のアクセント

高速道路を運転しながらラジオを聞きっぱなしでいると、時々ラジオショッピングで 「モリリンの寝具」 や 「モリリンのタオルセット」 などが紹介されるのを聞くことがある。「モリリン」 という会社は繊維業界で長く仕事をしていた私にはお馴染みの会社で、しかも江戸時代初期から続くという老舗である。

ただ、テレビショッピングやラジオショッピングの音声情報として 「モリリン」 という名前を聞くと、ちょっとガクっときてしまったりする。というのは、繊維業界では 「モリリン」 の名称はどこにもアクセントをおかず、平板で呼ばれるのが普通だが、テレビやラジオの MC は上の動画にあるように、初めの 「モ」 にアクセントを置いて発音される。『ドラゴンボール』 に出てくる 「クリリン」 と同じアクセントになってしまうのだ。

「はあ〜」 とため息をつきながら、私は思う。「モリリン (平板型アクセント) も、最近では 『モリリン』 (『クリリン型アクセント』) なんて、どこか外国の会社みたいな感じで呼ばれるようになってしまったのか。世の中、変わってしまったのだなあ」

モリリン株式会社の社名は、Wikipedia にあるように (参照)、江戸時代の創業当時の名称だった 「森林右衛門商店」 を由来としているという。読み方はもちろん 「しんりんえもん」 じゃなく、「森」 (もり) が苗字で 「林右衛門」 (りんえもん) が名前だから、略して 「もりりん」 なのだ。

そして 「榎本健一」 が 「エノケン」 と呼ばれ、「マツモトキヨシ」 が 「マツキヨ」、「木村拓哉」 が 「キムタク」 と呼ばれるように、少なくとも東日本では姓名を縮めて呼ぶ時は平板型のアクセントになると相場が決まっている。だから 「モリリン」 も、業界では平板型で呼ばれていた。

ただしかし、西日本ではそうとばかりも言い切れないと思い当たった。モリリンは愛知県一宮市に本社を置く会社なのだが、そういえばあの辺りから先の西日本の人たちは 「平板型」 ではなく、またちょっと変わったアクセントを置いていたような気もするなあと思い、いろいろ検索してみたら、24年前の TVCM でその痕跡を発見した。

なんと、「モ」 の次の 「リ」 にアクセントが置かれてる。「手間賃」 「果樹林」 と同じアクセントだ。もしかして、これがオリジナル・アクセントなのか、それとも関西型なのか。いずれにしても、「クリリン型」 の 「モリリン」 と同じ会社とは思われないほどである。

とにかく、こうして時代は変わるのである。あるいはカタカナの 「モリリン」 にした時から、こうなることは運命づけられていたのかもしれない。でも漢字の 「森林」 では 「しんりん」 と呼ばれちゃっただろうしね。

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2017/08/17

「物言わぬ人たち」 の、電車内の価値観

「電車の中でスマホを操作しっぱなしは、いかがなものか」 なんてよく言われるが、私は 「そんなどうでもいいこと、放っといてくれ」 と思う。車内で新聞を広げるよりずっと迷惑にならないし、そんなことより、もっと大事なことがいくらでもあるだろう。

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ちなみに私が地方出張で電車移動する時なんて、まさにずっとスマホをのぞき込んでいる。何しろ初めて乗る電車というのが多いし、地方は本数が少ないので、降車駅や乗り換えを間違えたら大変なことになる。「乗換案内」 アプリを駆使しなければならないのだ。さらに訪問先の情報もすべてスマホに保存してあるので、到着前にしっかりと頭に入れておかなければならない。

昔だったら手帳にメモするか、あるいは A4 サイズの用紙にプリントアウトしたものをクリアフォルダーにびっしりつめて、それとにらめっこしていたものだが、最近はスマホがあれば紙はいらないのでありがたい。何しろ、紙って案外重いから、できるだけ減らしたいではないか。

ところが電車内で A4 用紙の束を必死に読んでいれば 「仕事熱心な人」 と思ってもらえるが、スマホをのぞき込んでいるのは、「暗くてうっとうしいやつ」 ということになってしまうらしい。電車内というのは、「紙媒体は OK だが スマホは No Good」 という 「物言わぬ人たち」 の価値感が実効支配する空間であるらしい。

話は変わるが、先日、出張から帰って来て、秋葉原から 「つくばエクスプレス」 に乗った。日はすっかり暮れて、勤め帰りのオッさんが多い。私は運良く座ることができたが、出発する頃には、車内の座席はすべて埋まり、立っている人もいた。

そんな中、ドアをはさんで離れた位置に、1人の中年女性がつり革に掴まって立っていた。それ自体はどうということもないことなのだが、問題は彼女の背負ったリュックである。ファスナーが大きく開きっぱなしで、中からモノがこぼれ落ちそうなのだ。

「リュックが開きっぱなしですよ」 と一声かけてあげようかと思ったが、私からはちょっと距離がありすぎて、小さな声で注意して上げるには席を立ち、10歩ぐらい歩かなければならない。それならわざわざ私が言わなくても、近くの人が注意してあげるだろう。

ところが近くにいる人たちは、誰も声をかけない。中身がこぼれ落ちそうなリュックがよほど気になるらしく、皆がちらちら眺めてはいるのだが、アクションをとる者が一人もいないのだ。私には信じられない光景である。まあ、そもそも空いているわけでもない電車内でリュック背負ったままというオバさん自身も、「ちょっとね」 ということではあるのだが。

よほど席を立って彼女の近くまで行き、一声かけてあげようかと思った時に、彼女の目の前の座席が空いた。私は 「よかった。座る時にリュックを降ろせば、いやでも気付く」 と安心したのだが、彼女はなんとリュックを背負ったままどっかりと座ってしまった。そして次の駅ですっくと立ち上がり、そのまま降りて行ったのである。その後どうなったかは、知らない。

電車内でスマホを操作する人を陰で非難する人というのは、もしかしたら、リュックの口からモノがこぼれそうになっているオバさんに、一言注意してあげる親切さも持ち合わせない 「物言わぬ人たち」 と、かなり重なるんじゃあるまいか。確たる根拠はないのだが、私はこの夜、直感的にそう思ってしまった。

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2017/08/16

リモートワークになったら、「サボる」 か?

「しらべえ」 というサイトのちょっと前の記事だが、"リモートワーク導入で社員の 3割 「サボる自覚」 喫煙との関係も?" というのがある。喫煙者とゲーマーは、とくにサボりたがる傾向が強んだそうだ。

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私は今は自由業だし、企業に務めていた頃にしても、あちこち出向いて取材し、原稿にして送っちゃえばいいという仕事が多かったから、まあ 「自然にリモートワーク」 みたいなことになっていた。だから空き時間には喫茶店で時間を潰したり、大幅に時間が空いてしまったら映画なんか見たりするのが、ごくフツーだった。要するに 「やるべきことをやりさえすれば、あとは自由でしょ」 ってなもんだ。

だから、上記の記事の調査にしても、「リモートワーク」 において 「サボる」 と答えた人たちが、どういう意味で言ってるのか、よくわからないのである。単に 「9時から 5時まで、1時間の昼休みをはさんで PC に向かいっぱなし」 でさえあれば 「サボってない」 と思っているのだろうか。

オフィスに縛り付けられるシステムから離れたら、「サボる/サボらない」 の意味合いが全く違うんだから、こんなアンケートをとってもナンセンスでしかないと思うがなあ。「さっさと仕事をこなして、あとは残った時間を自由に使いますか?」 という質問だったらわかる。そしてその質問には、「はい」 と答える以外の選択肢なんかないだろう。

ちなみに喫煙ということでいえば、タバコなんかすってる暇があったら、さっさと仕事をこなしてしまって、残った時間を自分のために有意義に使う方がいいだろう。その意味でも、喫煙は非生産的である。

さらにいえば、「みんな一緒」 の環境から離れてしまうと仕事ができないタイプの人にとっては、リモートワークというのは、とまどいがちな労働環境になってしまうのかもしれないなあ。

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2017/08/15

「ちょっとデキる女」 の話し方スタイル

ちょっと古い記事だが、AERA dot. で、北原みのりさんという人が 「週刊朝日」 に書いたという 「三浦瑠麗を真似してみた」 というのを読んだ。テレビも週刊誌もあまり縁のない私は、北村みのり/三浦瑠麗というお二人の名前を知らず、「瑠麗って何て読むの?」 なんて思ったほどだから、まあ、何の先入観もなく読めたわけだ。

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北原さんによると、三浦瑠麗さんという人は 「今をときめく国際政治学者で、東京大学卒業、30代、美人」 であり、「オジサンは右も左も関わらず、メロメロ」 というほど、とにかくオジサン受けがいいらしい。「たとえご発言に中身がなくても、自信に満ちた調子で場を制する様子は、対論側が視野狭く、物知らない人に見えてくるほど」 なのだそうだ。ふぅん。

そしてこの週刊朝日の記事の内容というのは、会議でオジサンたちに疎ましがられ気味の北原さんの友人が、「会社で三浦瑠麗を真似してみた」 ところ、「びっくりするくらい、オジサンたちの受けがいい! 企画がすぐに通った!!!」 のだそうだ。つまり三浦瑠麗さんという人は、話の内容よりもその 「スタイル」 に説得力があるらしい。

その 「スタイル」 というのはどんなものか、以下に引用しよう。

それはまず顎を引き、首を傾け、上目遣いで相手をじっと見つめることからはじまる。語る時も同様、首を傾げたまま、斜め下から目力強めに、でも口元には笑みを忘れず、かといってそれは媚ではなく寛容と不敵さを絶妙に混ぜること。そして発言する時も、自分の意見をまず述べない。まずは「◯◯さんが仰ることはごもっともなんです」 と肯定した上で、「◯◯さんが仰るのは、こういうことですよね」 と頼まれてもいないのに解説をし、それから 「ただ私が申し上げたいのは2点です」 と論点の数を言ってから意見を言う。

よくそこに気付いたね。これは私も、ほかでもない小池都知事の話し方として気付いていたこととかなり共通する。三浦瑠麗さんという人の話し方を聞いたことがないので、何とも言えないが、ニュアンスとしては多分、小池さんの方がちょっとソフト・バージョンなんじゃあるまいか。

いずれにしても 「ちょっとデキる女性」 がこんなふうなやり方、つまり 「上目遣いで斜め下から目力強め」 で、相手の言い分を一応は理解したふりの話し方をすると、日本のオジサンたちには効果抜群のようなのだ。ただ、せっかく前々からこのことに気付いていたのに、私は男なので、このやり方をそのまま踏襲しても意味がない。甚だ残念である。

というわけで、私は小池都知事という人に関して 「団塊の世代以前の価値感とスタイルを壊してくれること」 を期待しつつも (参照)、「この人、やることにそつがないよね。そつがなさ過ぎて可愛くないところもあるけど」 と (参照)、ちょっと警戒もしている。

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2017/08/14

太田市美術館・図書館 の "BITO" 騒動

ネットで調べ物をしていたら、どういう関連かだかしらないが古いニュースへのリンクが表示され、ちょっとした気紛れでクリックして読んでしまった。群馬県にある 「太田市美術館・図書館」 という施設関連のドタバタである。

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この施設は当初は 「おおた BITO 太田市美術館・図書館」 という名称とされていて、そのロゴをデザインしたのが、あの 2020 東京オリンピックの公式エンブレム問題ですったもんだした佐野研二氏だった。このデザインが、ジョッシュ・ディバインというデザイナーがアメリカの Dot Textile design firm のためにデザインしたものとそっくりというので、物議を醸していたのである。

ただ、上の画像で示したとおり、フツーに見ればこの程度で 「盗作」 なんていわれたら、世の多くのデザイナーがメシを食えないことになってしまう。しかし東京オリンピック関連の余波が大きかった時とあって市民の反発が大きく、アンケートの結果、改めてデザインを公募すると報じられたのが、一昨年の 10月のことだった (参照)。

このニュースは当時ちらっと見て知っていたが、私はデザインの類似性は全然気にならず、むしろ 「BITO って何だ?」 ということの方が気にかかっていた。佐野氏のデザインに表示されている正式英文名称であるらしい "Art Musium + Library, Ota" の、どこをどういじれば ”BITO" になるんだ?

そのわけがわかったのは、昨年 1月 6日付の "太田市、「おおた BITO」 の愛称使用中止 他者が商標申請中" という記事のおかげである。私はこのニュースを今日になるまで見落としていたので、当初の疑問が解けるまでに 1年 10ヶ月かかったわけだ。

記事によると、"BITO" という愛称の使用を諦めたゴタゴタの事情は以下のようなことらしい。

清水聖義市長は、「昨年夏ごろから登録申請をしている人がいる。愛称を使うと、あれは自分のものだと言う。残念だが使わないことにする」 と述べた。愛称の BITO は、美術館 の「び (BI)」 と図書館の 「と (TO)」 の頭文字をローマ字で表現し、昨年 6月に決定していた。

これを読んで、「BITO って、それかよ!」 と脱力してしまった。「ビトに行ぐべ」 程度の略称ならいいが、金をかけてロゴまで作ろうと気張っていた正式愛称の由来としては、ベタすぎるんじゃあるまいか。残念がってる市長さんには悪いけど、使用中止になって結果オーライだったねと、お喜び申しあげたいほどのものだ。

「太田市美術館・図書館」 のサイトをみると、英文名称は当初の "Art Museum + Library, Ota" ではなく、ごくさりげなく "Art Museum & Library, Ota" になっていて、とくに愛称はつけられていない。新たな愛称を考える前に力尽きてしまったのだろうか。

ちなみに建物は平田晃久氏デザインの素敵なもののようで (参照)、太田市に行く機会があったら是非立ち寄りたいと思うほどだ。駅からも近いようだし。

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2017/08/13

「エスカレーターの手すりにつかまろう」 という気持ち悪いポスター

「うひゃあ!」 と思ってしまったポスターがある。日本民営鉄道協会に加盟する鉄道各社や商業施設が展開しているらしい 「みんなで手すりにつかまろう」 というキャンペーンのものだ。降りエスカレーターの右側にブルーのスーツ姿の男性、左側にピンクのコート姿の女性が異様なほど整然と並び、手すりにつかまっている。

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「こんな世の中はゴメンだ!」 と思うのは私だけじゃないはずだ。マジでファシズムを感じて気持ち悪くなってしまう。いったいどんなつもりで、こんなデザインのポスターを採用したのだろう。「エスカレーターに乗ったら、片側空けずにしっかり並んで手すりにつかまれ」 と主張する人たちって、こういうのを見て心地良く感じるのだろうか。

一方、日経ビジネスは "「エスカレーターで歩くな」 と無茶言う人の末路  江戸川大学の斗鬼正一・社会学部現代社会学科教授に聞く" という記事を載せていて、私はこっちの記事の内容の方がずっとしっくりくる。

記事中で斗鬼教授は、エスカレーターにおける 「片側空け」 は世界中の先進国の都市部に見られる自然発生的なルールであるとしている。私の経験則からしても、それはまったく特殊なことじゃなく、取り立ててどうこういうほどのことでもないと思っている。

鉄道各社は 「片側を歩いたり走ったりすることで事故につながる」 と言っているが、かといって両側を塞ぐことで安全が確保されるかと言ったら、それはきわめて疑問だと思う。空いたエスカレーターの途中の一つのステップだけ両側がふさがれていたとしたら、私なんか 「こいつら、どんな悪意があるんだ?」 と、思ってしまう。

「中には急ぐ必要のある人もいるんだから、ちゃんと通してあげなよ」 と思ってしまうのだ。私個人としては、「片側を十分に空ける」 乗り方の方が、ずっと安全だと思う。接触の危険があるのは、狭い隙間を無理に駆け上がったり駆け下りたりする時だ。

件の記事は、「とりあえず新しいルールが作られるまでは、歩きたい人は止まっている人に気をつけて、止まっている人も歩いていく人のためになるべくスペースを空けるなど、互いに思いやりながらエスカレーターを使うしかなさそうですね」 という言葉で結ばれているが、私はそれに全面的に賛成するものである。

ちなみに思いっきり個人的な感覚で言ってしまうと、私は 「エスカレーターに乗るとき、皆、なんでわざわざ止まるんだろう?」 と不思議に思っている。それまで歩いてきたんだから、わざわざ止まる方がずっと面倒くさい。

これはまあ、私が幸いなことに足腰丈夫なので、「ことさらに止まるよりは歩き続けて、さっさと登り切る方がずっとせいせいする」 と思っているからこその、個人的わがままだとは十分承知している。だから 「わざわざ止まるんじゃねえよ!」 なんて叫んだりは決してしない。

しかし空港なんかによくある 「歩く歩道」 だと、「こんなので、なんでわざわざ立ち止まるんだろう?」 と、マジで不思議なのだよね。

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2017/08/12

ビジネスホテルでのインターネット接続

出張でよくビジネスホテルに泊まり、インターネット接続サービスを利用することが多い。最近のビジネスホテルは無料のインターネット接続サービス付きが当たり前になっているが、気をつけるべき点はかなりある。

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基本的に私は、ホテルの無料 Wifi というのをあまり信用していないので、有線接続も可能ならば、できるだけそちらを選択する。もっとも私の PC は Mac Pro で、Wifi 接続が基本なので、自前の小型 Wifi ルーターを使う。これで PC も iPhone もしっかり Wifi 接続できるし、セキュリティの面でもより安全・便利でオススメである。

ホテルによってはエレベーターに 「電波状態が混乱しますので、小型ルーターのご使用はお控えください」 なんて貼り紙をしているところもあるが、小型ルーターごときで電波が混乱するなんてあり得ないので、無視して使っている。混乱するとしたら、電波状態ではなく、無知なユーザーの頭だろう。そもそも、こんな貼り紙のあるホテルほど、Wifi が使い物にならないし。

地方の安いホテルでは無料 Wifi オンリーで、有線接続のコネクタがないところもある。ちょっと前までインターネット接続サービスなんて考えたこともなく、最近になってようやく導入コストの安い Wifi オンリーで対応し始めたのだろう。

しかしこの手のホテルでは、昨年 2月 16日に書いたように (参照)、Wifi の接続スピードが遅くて使い物にならない場合が多い。とくに廊下の片隅に、上の写真のようなちゃっちいルーターが置いていあるだけというようケースでは、離れた部屋ではまずまともに使えない。こんなところでは有線接続サービスもまずないので、実質的には 「インターネット接続不可」 ということになる場合が多い。

その時には最後の手段として、iPhone をルーター代わりにして接続する。これが可能になったおかげで、どんなに便利になったかしれない。ただし接続スピードが 4G なので、大きなファイルのやり取りには時間がかかることを覚悟しなければならない。

有線接続に対応しておらず、Wifi オンリーで、接続スピードもまずまず満足できるというようなケースでは、仕方なく素直に Wifi 接続する。セキュリティに多少の不安は残るが、本当にアブナイのは大手企業のエンジニアなどが泊まる高級ビジネスホテルらしいので、私が泊まるような安いホテルはそんなには狙われないだろうと割り切っている。

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2017/08/11

「ハット (hat)」 と 「キャップ (cap)」 の違いの、例外事項

一般的に、「ハット (hat)」 と 「キャップ (cap)」 の違いというのは、ぐるりにつばのあるのがハットで、ない、あるいは部分的なひさししかないのがキャップであるとされている。一般的にはこれで間違いないが、世の中は例外というのが付きもので、そうとも言い切れない場合がある。

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それを嫌でも思うのが、Bob Dylan の "Leopard Skin Pillbox Hat (豹皮の縁なし帽)" という歌を聞く時だ。ちょっと横道だが、近頃 YouTube でちょっとレアなパフォーマンスを見つけたので、ささやかなサービスとして下に埋め込んでおく。私も一瞬、本人の昔のビデオかと思っちゃったよ。(種明かしは こちら

話を元に戻すが、"pillbox hat" (ピルボックス・ハット) というのは、最初の画像にあるように、かなりハイソなイメージのファッション・アイテムで、ジャクリーン・オナシスやオードリー・ヘップバーンなんかでお馴染みだ。Wikipedia では、次のように説明されている。

A pillbox hat is a small hat, usually worn by women, with a flat crown, straight, upright sides, and no brim. It is named after the small cylindrical or hexagonal cases that pills used to be sold in.

(普通は女性が身につける小さな帽子で、平らなクラウン (上部) とまっすぐなサイド (側面)をもち、つばはない。薬を売るときの小さな円筒形または六角形のケースにちなんで名付けられた)

というわけで、このピルボックス・ハットにおいては Wikipedia の解説にある通り、つばがないのに 「ハット」 と名付けられている。こうした例外は他にもあるのかもしれないが、私はこれ以外に知らない。「キャップ」 は頭をすっぽりと覆わなければなれないから、まあ、「広義のハット」 と言うほかないんだろうね。

ちなみに、「ピルボックス・キャップ」 というものもあり、これは上部が平らな野球帽みたいなもので、一時メイジャーリーグのピッツバーグ・パイレーツが公式キャップとしていた。こんなやつだが、これを懐かしく思う人は、結構なお年だ。

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このデザインの原型は、大昔の軍隊の帽子であるらしい。そういえば、今でも宮殿の儀仗兵なんかが被っていそうだ。

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2017/08/10

女性のパンツを洗って乾かして取り込んで 「たたむ」 ことについて

Huffpost に 「女性のパンツは誰が洗濯するのか問題、『男尊女子』 の酒井順子さんと考える」 という記事がある。我が家では洗濯は私の担当で、出張などで不在の時以外には、ほとんど私がやっている。その際に妻のパンツだけ特別扱いにして分別し、自分で洗わせるなんて考えたこともないから、それがそんなに大問題だったとはちっとも知らなかった。

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Huffpost の記事は、酒井順子さんという方の次のような言葉で始まる。

「あと 20、30年も経ったら、妻のパンツや娘のブラジャーを夫が洗濯するのも、当たり前のことになっていくと思う。そこに抵抗感を覚えるのは過渡期の人間の感覚なのかな、と思います」

「あと 20、30年も経ったら」 という書き出しに、私はひっくり返りそうになった。我が家のライフスタイルとしては、そんなことを大げさに語ることの方が、よっぽどどうにかしている。20年も経ったら私は 85歳になっていて、生きているかどうかも知れたものではないし、30年なんて、ほとんど 「永遠」 と同義語だ。

私が洗濯を担当するのは、はっきりした記憶がないほど昔からで、今は独立したウチの 3人の娘たちが同居していた頃からずっと続いている。私は妻と娘たちのパンツもブラも 「単なる洗濯物」 として、洗って干して取り込んできた。ただし、たたむことまでは考えたことがなく、ただ取り込んで籠に放り込むだけである。

記事中で酒井さんは、下着をたたむことについて 「大昔は 『それくらいは自分が』 と思っていたんですが、『いや、男に平気でパンツをたたんでもらえるようになるべきでは?』 と考えを改めて、意識を変えました」 と言っている。しかし私の感覚としては、そこまで期待されても困る。それは 「沽券にかかわる」 なんていうつまらない理由からではなく、「洗濯物をたたんで収納するのは、それぞれのスタイルがあるから」 だ。

洗濯機に放り込んで洗い、乾かして取り込むまでは、誰がやってもそれほどの違いはない。しかし 「たたむ」 という作業には、それぞれのスタイルと美意識というものがある。私は自分の服を妻のやり方でたたまれると軽い違和感を覚えるので、出張に出る時も 「自分の服は帰ってから自分でたたんでしまうから、取り込んだらテキトーに籠に放り込んどいて」 と言っている。

というわけで、自分の洗濯物を妻にたたませないのだから、当然私も妻のパンツをたたまない。それは各自の作業である。

そもそも私の感覚では、パンツをきちんとたたむ意味がわからないので、自分のパンツはテキトーにくるくるっと丸めて引き出しに収納するだけだ。ましてや、あんな小さな女物のパンツのたたみ方なんて見当もつかない。「取り込んでから先のことは、自分のやり方で気の済むようにやってください」 としか言いようがない。

というわけで酒井さん、最後の最後で期待に添えなくて、ごめんね。

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2017/08/09

「日本ファーストの会」 という、まずいネーミング

若狭勝さんという衆院議員が小池都知事と連携して、「日本ファーストの会」 というのを作るのだそうだ。ネーミング・センスないなあと思う。「都民ファーストの会」 は 「東京ファースト」 じゃないから広く支持されたのである。「国民ファースト」 ならぬ 「日本ファースト」 では、ドナルド・トランプの 「アメリカ・ファースト」 と同じに見られてしまう。

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ただし 「日本ファースト」 をあわてて 「国民ファースト」 に言い換えたとしても、「都民ファースト」 ほどの好感度は期待できないだろう。言葉のもつイメージというのは、なかなかむずかしいものである。

そんなことを思っていたところ、今日になって若狭氏自身が 「日本ファースト」 は新党の名前ではないと言い出した。BLOGOS の記事には次のようにある (参照)。

私が設立して先日発表した 「日本ファースト」 という政治団体の名称につき、マスコミの方を含め、多くの人に誤解があるようですので、説明させていただきます。

これは、あくまで 『輝照塾』 という政治塾を運営する政治団体の名称であって、将来設立される新党の名称ではありません。

要するに 「日本ファーストの会」 という政治団体で 『輝照塾』 という政治塾を運営し、ゆくゆくは新党を設立するつもりだが、その名前はまだ決まっていないという。それだけのことなのに、もって廻っていろいろなことを言うから、わかりにくくなる。

これ、フツーのマーケティング感覚からすれば、とても下手なやり方だ。「日本ファースト」 という、まずいネーミングには違いないが、仮にもインパクトのある名称の団体を、 『輝照塾』 なんていう古色蒼然たるネーミングの政治塾の、単なる運営団体に位置付けているのだから。

『輝照塾』 という政治塾を粛々と運営したいなら、運営団体も 「輝照塾事務局」 とかにすれば、少なくとも混乱はない。しかもこれによって、「○○ファースト」 という使い勝手のいいネーミングを、ここぞという時まで温存できる。逆に 「日本ファースト」 というインパクトのある名称を早い時点から訴求したいなら、政治塾も思い切って「日本ファースト塾」 にすればいい。

「将来設立される新党の名称ではありません」 というのだが、既に確実に 「将来設立される新党」 に余計な負のイメージを背負わせてしまっている。いずれにしても、どうでもいいところで余計なことをゴチャゴチャ言っている割に、実質的に期待できそうな動きは何もないではないか。

そもそも、「将来の政権交代を担える党をつくる」 として動いているのは、若狭氏だけではなく、民進党からも細野豪志氏が離党して同じようなことを言っている。しかしそうした言葉を真に受ける国民は、今や少ない。「民進党もダメだったし、もう甘い期待は抱かないよ」 と思っている。

柳の下の泥鰌は既に採り尽くし、下手な料理人が寄ってたかって腐らせてしまったのだ。

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2017/08/08

「机に座る」 という言い方

先日、NHK ラジオの朝の番組を聴いていたら、「毎日ラジオを聞きながら机に座ります」 という投稿が紹介された。投稿者は 72歳の聴取者だという。「昔は 『机に座る』 とフツーに言ってたな」 と、何となく懐かしい気がしたが、若い人にはちょっと違和感のある言い回しだろう。

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今どきは 「机に座る」 なんて言ったら、机に直接腰を下ろすという行儀の悪い行為と思われてしまうが、昔の大人は日常的にそう言い習わしていた。ところが私が小学校の頃、つまり昭和 30年代後半頃から 「机に座る」 なんて聞くと、「座るのは机じゃなくて、椅子でしょ」 なんて、無粋なことを言う子どもが増えた気がする。

かく言う私も、昭和 30年代の子どもだから、「机に座る」 という言い方を聞くと、特に面倒なことは言わないが、「これは 『机に向かって座る』 の省略形だからね」 と、心の片隅で軽く確認してから納得しているようなところがある。最近はそんな言い方を聞くことが少なくなったから、久しぶりにその面倒なプロセスを思い出してしまった。

「机に座る」 という言い方が何の違和感もなく、ごく一般的に使われていたのは、昔は 「机」 と言えば 「座卓」 がほとんどだったからだろう。上の写真は、文豪夏目漱石の書斎の写真だが、しっかりと座卓で、火鉢に鉄瓶がかけてあるという道具立ても、隔世の感がある。

こんなようなライフスタイルだと、「机に座る」 というのはごく自然な言い回しだったろう。「机に向かって座る」 なんて言ったら、ちょっとくどくなってしまう。「机に座る」 で違和感を生じてしまうのは、時代が下って机と椅子のセットが当たり前になってからのことだろう。

で、最近は 「机に向かって椅子に座る」 ことを、単に 「机に向かう」 と言うのがごく一般的になってしまった。さらに最近は、「PC に向かう」 という言い方がどんどん増えていると思う。まことにもって、言葉は生き物である。

ちなみに私は、座卓でデスクワークすると腰にきてしまう。昔の日本人とは体のつくりが変わってしまったのだろう。

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2017/08/07

加計学園問題をみる基本的な視点

加計学園問題で、安倍首相の政治私物化が悪いと叫ぶ人は、文科省の前川・前事務次官を全面的に擁護する。一方で、元々獣医学部は足りなかったのだから、獣医学会と文科省が死守しようとしている 「岩盤規制」 こそが悪いのだと叫ぶ人もいる。

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両者とも 「自分の側が全面的に正しく、相手は間違っている」 とのスタンスなのだが、これ、きちんと分けて考える必要があるよね。安倍首相と加計学園が悪いのだから、獣医学部新設なんて認めないというのが極論なら、獣医が足りないのだから、獣医学部を新設しようとする加計学園は救いの神であるとするのも同様に極論だ。こんなの、ちょっと考えれば当たり前のことなのに、どうしてごっちゃにして語られてるんだ。

獣医が足りないというのは、事実なのだろう。そして、獣医学部新設に手を挙げたのが加計学園しかなかったというのも、何だかちょっとアヤシいが、まあ、事実としておこう。しかし正式に獣医学部新設を認めてきちんと公募すれば、ほかに出てきても不思議ではない。

問題は、初めから内輪で 「加計学園ありき」 で進められてきたことである。こんなにもあからさまに 「加計学園で決まりだよね、何しろ安倍首相のお友達だし」 という空気が充ち満ちていたのだから、ほかに手を挙げるところが見当たらなかったというのも仕方がない。

獣医学部の新設提案について、内閣府が一昨年に愛媛県と今治市をヒアリングした際、加計学園幹部が同席していたのに、議事要旨に記載がなかった (参照) というのは、いくらなんでもひどすぎる。初めからストーリーは決められていたのだ。公正なプロセスなんて期待できなかったのである。

愛媛県でとくに獣医師不足が顕著で、今治市での新設が望まれていたという指摘もあるが、大学生なんて、卒業したらどこに移って就職するかわからないのである。だから立地が今治市でなければならないという理由はない。

マスコミやネット界隈の論調というのはともすると、一方が正しくて他方が間違ってると決めつけたがるところがあるが、世の中、そんなに単純なものなら苦労はない。規制緩和は一つの課題ではあるが、だからといって、こんなにもアヤシすぎる加計学園を擁護する理由にはならないし、安倍首相のスキャンダルを放置するわけにもいかない。

で、今、より問題にしなければならないのは、安倍首相の 「政治私物化」 であるというのも明らかではないか。獣医師不足を安倍首相の免罪符に使おうなんていうのは、あまりにも甘すぎる。

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2017/08/06

アジサイが 「まだ梅雨なんでしょ」 と咲き始めた

関東の今年の梅雨は、実は 8月に入ってから始まってまだ明けていないんじゃないかとまで思っている。気象庁の速報値では、関東の梅雨は 6月 7日頃から 7月 19日頃までとなっているが、その間は我が家の太陽光発電データをみる限りずっと好調で、雨による不調な日があってもそれは 2日と続かなかった。

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ところが、気象庁が 「関東の梅雨は明けたとみられる」 と言ってから、7月 23〜27日の 4日間、ずっと不調で発電量が使用量を下回り、8月に入ってからはいつもの夏より発電量がずっと小さいままの状態が続いている。「実はまだ梅雨なんじゃないの」 と多くの人たちが言い出すわけだ。

で、そんなことを言い出すのは人間だけじゃなくて、我が家の裏のアジサイまで 「まだ梅雨なんでしょ」 と言わんばかりに新しい花房をつけてしまった。アジサイの花の季節は 7月中旬には終わって、あれだけきれいだった花房は薄茶色の枯れ草色になってしまっていたが、今日の昼頃に見ると、なんと瑞々しい色の新しい花房がついている。

自然までが、梅雨はまだ明けていないと勘違いして、というか、実際は正しい判断なのかもしれないが、そんなような動きをしてしまっているようなのである。わけのわからない時代になってしまった。

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2017/08/05

日本の人口減少の要因は、欧米よりもずっと 「文化的」

先進国での人口減少が問題になっている。ところが、ウェブ・ニュースを見る限り、欧米と日本における人口減少の要因は異なっているようなのだ。欧米では単純生理学的に男性の精子数が大きく減少しているのが原因だが、日本の場合は、どうやらメンタルな問題が大きいようなのである。

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CNN ニュースによると、欧米の男性の精子数はここ 40年で 6割も減少しているらしく (参照)、次のように伝えられている。

北米や欧州、オーストラリア、ニュージーランドの先進諸国に住む男性のグループでは、精子の濃度が毎年平均1.4%ずつ下降し、全体ではマイナス52.4%。総数は同1.6%ずつ減少し、全体で59.3%減になっていることが分かった。

一方、「南米やアジア、アフリカに住む男性のグループでは目立った変化がみられなかった」 というのだからおもしろい。道理で南米、アジア、アフリカでは、依然として人口が増え続けているわけである。

ところが人口増加が著しいアジアの中で、日本だけはどんどん減少している。豪メディア "news.com.au" は、2045年には毎年 90万人規模の減少ペースに達すると報じ、「これは毎年 (豪首都) キャンベラに相当する都市 2つ分の人口が消えてゆくに等しい」 としている。(参照

欧米のジャーナリズムは、日本における人口減少の要因は、不安定な経済状況に加え、「男女不平等」、「奇妙な性文化」 にあると指摘している。一家の経済を、男性が一手に引き受けて支えなければならないというプレッシャーが、男性の結婚率を低下させているというのである。また日本特有の性文化が 「セックスレス」 を招いているともいう。多くの若者が、アニメなどのバーチャルな性文化に逃避していると指摘している。

いやはや、人口減少という問題に関しても、ストレートに物理的な欧米に比べ、日本ではかなり屈折した文化的要因が大きいというのは、なかなか興味深いところである。日本て、妙なところでものすごく 「文化的」 なのだよね。

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2017/08/04

糖度の高い果物ばかり増えて

昨日、若者の果物離れについて書いたが、最近最も消費量の減っているのが 「みかん」 なんだそうだ。なるほど、昔はこたつを囲んでいつ果てるともなくみかんを食いまくるというのが冬の定番だったが、近頃はこたつのない家も多いしね。ちなみに我が家もこたつはない。

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というわけで、みかんの消費低迷の要因は、「こたつが減ったこと」 なんて言われているが、私は個人的に、「みかんの糖度が上がりすぎたため」 と思っている。最近のみかんは甘すぎて、そうたくさんは食べられないのだ。私の場合、昔は一度に 10個は平気で食っていたが、今のみかんは 3〜4個食べると、口の中が甘ったるくなってしまう。

要するに甘さがしつこいので、そんなには食えないのだ。みかん農家は、甘すぎてたくさん食べられないみかんを作って、「消費量が減った」 と嘆いていることになるのではなかろうか。できそこないで甘くないみかんはあっても、それらはみかん特有の酸味もないので、単に 「味気ないミカン」 になってしまう。

これはかなり前の話だが、昔ながらの酸っぱいみかんの好きな人が八百屋の店先でみかんを買おうとして、「おじさん、このみかん、酸っぱい?」 と聞くと、店主は威勢良く 「奥さん、ウチのみかんは酸っぱかないよ。みんな甘いよ!」 と答えた。それを聞いて、「あ、そう、じゃ、いらない」 と言って帰りかけると、店主は 「あ、ちょっとちょっと、奥さん、そりゃ、みかんなんだから少しは酸っぱいよ。でも、甘いんだよ!」 と、あせりまくっていたという。

「このみかん、酸っぱい?」 と聞かれて 「酸っぱいよ!」 と答える八百屋は、日本中にないだろう。かくほど左様に、今の日本では 「甘い果物」 ばかりが求められて、糖度を上げさえすれば高く売れるということになっている。その結果として、店頭は本来の味わいがどこかに行ってしまったような甘い果物ばかりになり、手頃な値段の 「みかんらしいみかん」、「りんごらしいりんご」 が姿を消してしまった。

私は今でも、あのいかにもりんごらしい酸味のきいたスタンダードな紅玉が食べたいと思うことがあるのだが、近所のスーパーをのぞいても 1個 200円もするような 「蜜がたっぷりの甘いりんご」 ばかりである。私は、ああいうのは贈答品と思っているから、自分で買ってまで食べる気はしない。

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2017/08/03

若者の果物離れとは

若者の果物離れが言われて久しい。とくに 20代の若年層は、60代以上の半分しか果物を食べないんだそうだ。そんな中、AERA が "若者のフルーツ離れ  「面倒」 「汚れる」 に現れた救世主とは?" というニュースを紹介している。

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大げさな見出しだが。中身は大したことない。紹介されているのは、「ぶどうのシャインマスカット」 と 「バナナ」 の 2つのみ。シャインマスカットというのは、「高価だが、上品な甘さで大粒なのに皮ごと食べられ、種もない」 ので、「これほど消費者ニーズに合った品種はなかった。救世主」 なんて言われているという。

しかし量的にみれば JA 全農やまなしの場合、たかだか 「14年に約 1100トンの販売量が今年は 2千トン超の見込み」 という程度のもので、消費が減ったといわれるみかんの数十万トンというレベルとは比較にならない。

バナナにいたっては、日本バナナ輸入組合などは 「夜バナナダイエット」 を PR するという話で、それが 「救世主」 なんてことになるのかなあと思うばかりである。まあ、果物の消費は全体的にはずっと低迷したままのようだ。

その要因は、「ダイエット志向の若者に糖分が嫌われた」 とか 「皮を剥くのが面倒」 とか 「手がべとべとになるから」 とかいろいろ言われているが、実は一部で指摘されている 「日本の果物は高すぎる」 ということにとどめを刺すと思う。日本の果物はムダに高級化しすぎて、日常的にひょいひょい食べるものじゃなくなっている。

桐の箱に入れて贈答品として打っている山形のサクランボなんて、その代表格だ。やれ、「甘い」 だの 「とろける」 だのというのがありがたがられるので、生産者もそっちの方向に向かわざるを得ないのだろう。ただそれだと、食の細った高齢者には喜ばれても、量を食べたい若者のニーズからはかけ離れる。その意味で、上述のシャインマスカットも、「高価」 というだけでアウトである。

勝手に高級化して値段を高くして、若者が買いにくいものにしてしまい、そのくせ 「若者のフルーツ離れを食い止めるには」 なんてことを言うのは、話が逆なのではなかろうか。日本の若者は金がないのだから、腹の足しにならないくせに値段ばかり高い果物より、ちゃんと 「食った気がするもの」 を買うに決まっている。

もらえば食うが、自分が買うとなったら、1個 200円もするリンゴなんかより、100円ちょっとのカップラーメンを買うに決まっている。安くてバンバン食える果物が増えれば、そりゃ、買って食いもするさ。値段の安いバナナは消費が増えているという事実をみれば、それは明白だ。

ちなみに私自身も、学生時代に自分で果物を買って食った記憶はほとんどない。それでも実家に帰れば、夏は桃やスイカ、冬は食っても食ってもなくならない箱買いのミカンが溢れていたので、食いまくっていた。

そして今も、果物は買って食うというより、もらい物の場合が多いのだよね。季節になれば到来物であふれる。必死に食わないと腐らせてしまうので、消費量は案外多いと思う。

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2017/08/02

伊丹市の小学生がヤマカガシに噛まれたというニュース

兵庫県伊丹市の小学生がヤマカガシに噛まれて一時重体に陥ったというニュースは、当初噛まれたのは公園内ということだったが、後になって 「山林内にある参道」 だったと訂正された (参照)。都市部の公園内で噛まれたんじゃないと知って、多くのヘビ嫌いはちょっと安心しただろう。

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ヤマカガシというヘビが毒をもっているとは知っていたが、マムシやハブより強い猛毒だとは、今回のニュースで初めて知った。ただマムシほど攻撃的じゃないので、あまり知られていなかったのだろう。

ヘビに噛まれた小学生というのは、山林内の参道で見つけたヘビを捕まえる際に左手の指を噛まれ、リュックサックに入れて公園に行き、血を洗い流した後に、友人宅でリュックからヘビを取り出そうとして、今度は右手首を噛まれたというのが真相のようだ。昔の腕白坊主の経験からすると、これ、ちょっと扱いが無防備すぎる。

捕まえるにしても、できれば木の小枝などを使えば噛まれる危険性は減るし、リュックから出す時に手首を噛まれたというのも問題だ。もしかしたら無造作にリュックに手を突っ込んだんじゃあるまいか。最近の子はヘビの扱い方を知らないのかなあ。

昔はヘビとみると捕まえて振り回し、叩きつけて殺してしまわないと気が済まない子もいたが、私としてはそんな残酷なことをしたくないので、せいぜい木の枝でちょっかい出して遊ぶ程度だった。大抵のヘビはそんなことをされるとすぐにシュルシュルと逃げるが、マムシは気が荒いので向かってくるらしい。「らしい」 というのは、私は幸か不幸かマムシに遭遇したことがないので、向かってこられた経験がないのである。

今の家に引っ越して来た約 35年前頃は、この辺りでもヘビをしょっちゅう見かけたが、最近はほとんど見ない。一昨年の 5月に久しぶりで玄関先に現れた時は、つい嬉しくなって写真に撮り、この欄の記事にした (参照)。上の写真は、その時のものである。

そういえばその昔、隣家の雨戸の戸袋に棲み着いたヘビを駆除してあげたこともある。あの時は戸袋を覗いたら鎌首もたげて威嚇してきたので、一瞬マムシかと思ってひるんだが、そうじゃなさそうだったので庭箒の柄にからませて引きずり出し、尻尾をもって裏の川土手に放り投げた。殺生は好まないので、本来の居場所に戻してあげたわけである。

ところが世の中には、マムシ大好きという人もいる。妻の弟嫁の実家の親父さんは、マムシを捕まえて焼酎に漬け、「ヘビ焼酎」 を作るのが趣味だった。家に行くと、台所に一升瓶がずらりと並び、その底にはとぐろをまいたマムシが沈んでいたという。実は私もそのヘビ焼酎を 1本戴いて、今でも怪我の特効薬にしている。臭いが強いから、そう滅多には使わないのだけどね。

その親父さんも、6年前の東日本大震災の津波で亡くなった。合掌。

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2017/08/01

iOS でアプリを強制終了するのは、無意味らしい

Gigazine の 7月 31日付の記事によると、「iOS でアプリを強制終了するのは無意味で、むしろバッテリーを消費してしまう」 のだそうだ。へぇー! ちっとも知らなかった。私はこれまで、1日に 1度以上はホームボタンをダブルクリックし、使っていないアプリをスワイプして強制終了させていたよ。それがリソースとバッテリーの節約になるものと思っていた。

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実は本日の記事は、この iOS で多数のアプリを立ち上げている時の対処法について書こうとしていたのだった。「使っていないアプリはこまめに終了しとく方がいいだろうね」 という話にしたくて、念のため関連情報を検索したところ、たまたま昨日付のこの記事に行き着いたのである。偶然とは恐ろしいものだ。記事の結論を、当初の想定とは反対にしなきゃいけないではないか。

なにしろ、ふと気付いた時に iPhone のホームボタンをダブルクリックしてみると、大抵は 20ぐらいのアプリが立ち上がっているのである。「連絡先」 や 「メッセージ」 のアプリは当然として、「時計」 「カレンダー」 「カメラ」 「写真」 もほとんど常に立ち上がりっぱなしである。

ネット・ニュースや天気予報も専用アプリで確認し、「乗換案内」 で電車の時刻を調べ、マップで行き先の所在を確認し、Evernote に放り込んでおいた資料を調べ、ブログや Facebook をのぞく。さらに私は、複数のメール ID を、紛れがないようにアカウントごとに別のアプリで管理しているので、メール・アプリだけで、いつも 3つか 4つは立ち上がっている。

その上、クルマの運転をしながら iTunes の曲を聴くし、電車に乗る時は改札口でのタッチ・アンド・ゴーで Suica アプリが自動的に立ち上がる。出張の際のホテルやレンタカーの予約は楽天トラベルで済ませるし、気になる言葉があれば日本語でも英語でもすぐに辞書を引く。そうこうしているうちに、立ち上がっているアプリはどんどん増えてしまうのだ。

つい終了させたくなるが、Apple によれば、使っていないアプリは、立ち上がっているように見えても裏で凍結状態なので、そのままにしておけばいいというのだ。それにしても、たまには終了させてあげないと、いつの間にか 30とか 40とかのアプリが立ち上がっちゃっているんじゃあるまいか。そんなこと気にしなくていいというのだが、ついいくつか終了させたくなっちゃうような気がするなあ。

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