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2017年10月に作成された投稿

2017/10/31

「上りは右側を 下りは左側を」 という案内表示

みうら@素数大富豪という人の tweet に、思わず笑ってしまった (参照)。「朝夕のラッシュ時は 上りは右側を 下りは左側を」 と書いてある駅構内の案内表示板らしきものの写真に、ただ一言、「…ぶつかるよね?」 とコメントしている。

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確かにこれだとぶつかるよね。早く言えば、「逆走」 状態になる。右側にこだわるなら、上りも下りも右側通行で、つまりフツーに対面通行すればいい。しかし駅の階段は往々にして 「右側通行」 なんて書いてあっても、それを遵守する人はあまりいない。勝手放題に手近なサイドで上り下りされている。

この案内表示を作った人は、こうした混乱状態を何とかしようとして、この案内表示を作ったんだろう。しかし痛恨なことに、下る人は階段の反対側にいるというごく当たり前のことを忘れたために、こんなことになってしまったわけだ。

まあ、この案内表示は多分、階段の下に貼ってあるのだろうね。これから階段を上ろうとする人に、「右側を上ってくださいよ。反対の左側は上から下ってくる人がいるから」 と言いたいのだろう。

この場合、階段を反対側から下ろうとしている人にはこの表示は見えないわけだから、実際問題として、とりあえず大混乱になることはないだろう。階段の上の方の表示は、上りと下りだけを入れ替えて、「下りは右側を 上りは左側を」 とすればいい。同じ看板だと大変なことになるが。

ただし、より妥当な言葉の使い方をするなら、「右側は上り専用、左側は下り専用」 とでもしておけば、Twitter のお笑いネタにされることもなかった。ただこれも、反対側の表示は右と左を入れ替える必要があるので、実際にはややこしいだけになってしまうが。

こうした表示って、実は案外むずかしいし、こうした表示もやってしまいがちなことだから、私も気をつけなければならない。

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2017/10/30

「前原誠司 = インケツ」 論

民進党の全国幹事会で、前原誠司代表がこの間のどうしようもないゴタゴタの責任を取る形で、辞任を表明した。そして民進党自体は、これからも存続するのだそうだ。存続したところで、どうなるものでもないという気がするが。

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私はだいぶ前から、「前原誠司」 の名前を聞くと、恐縮ながら条件反射的に 「インケツ」 という言葉が思い浮かぶようになっていた。「インケツ」 というのは、あまり一般的な言葉ではないので、下に Wikipedia の解説 (参照) を引用しておく。

インケツとは賭博用語から来た俗語で、「最低」 「最悪」などの意味。 元の意味は花札もしくはトランプの 『おいちょかぶ』 で数字が 1 (最低は 0でブタやブッツリと言われる) になることを指す。 それが転じて 「縁起が悪い」 あるいは 「貧乏神」 また 「疫病神」 という意味に使われるようになった。

昔の 「ホリエモン偽メール事件」 で、ガセネタにのった追求の後押しをするはしゃぎ振りをみせ、ついに自殺者まで出してしまったり (参照)、2005年の選挙に負けて 「自民党が改革政党で、民主党は抵抗勢力だというレッテルを張られた」 なんて、マーケティング的には言っちゃいけないことを口走ったり (参照)、とにかく何をやらせても情けない結果しか出せなかった。

この時、民主党は 「前原氏による日記形式の簡易HP 『ブログ』 を始めることなどを検討している」 なんて、もって回った風な発表をしているが、実際に検討したんだかしてないんだか、ついに実現していない。この時私は、「ブログなんて、その気になれば 30分もかからずに作れるのだから、『検討』 なんてしてる暇があったら、さっさと始めちゃえばいい」 と書いているが、全然その気がなかったのだね。

ただそれでも、「前原 = インケツ」 と書くのは、あまりにも失礼なような気がして、これまではぐっと堪えていたのである。しかし今回の御粗末すぎるゴタゴタで我慢できなくなったので、ついに思い切って大っぴらに書かせていただく。

「前原誠司は、インケツである」 —— ああ、せいせいした。文句があったら、自らこのイメージを払拭してみせてくれ。

これを書くに当たって、試しに 「前原誠司 インケツ」 の 2語でググってみたところ、1640件もヒットした。なんだ、同じことを思っている人がずいぶん多かったんじゃないか。

で、前原さんが辞任した後は、あの岡田克也氏が新代表になる可能性が高いという。しかしこの岡田さんという人も、やはりインケツ要素が大きい気がするのだよね。私は 5年前に次のように書いている。(参照

民主党のメディア戦略は昔からとてもお下手で、7年前の 「郵政選挙」 の時に、小泉さんブームで沸き立つ自民党に惨敗した時も、岡田さんの登場する TVCM がものすごく暗かった。やっぱりどす黒いモノクロで、岡田さんが虚空に向かってなにやら難しいことをつぶやいたかと思うと、自ら歩いて画面の外 (下手側) に去るという、暗示的すぎるものだった。

キャンペーン CM で、暗い顔した党代表が自分で歩いて去ってしまうなんて、あれでは自ら惨敗ムードを増幅しているようなものだったが……

というわけで、結論としては、いまさら民進党でもあるまいということだ。

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2017/10/29

高校の 「髪の黒初め強要」 問題

例の大阪府立高校の 「黒染め強要で不登校」 問題って、昨日まではお話にならないほど馬鹿馬鹿しすぎる話だと思ってスルーしていたのだが、遅ればせながらちょっとだけ書いてみることにする。髪の毛の 「黒初め強要」 なんてのは、今の世の中であってはならない人権侵害で、これで 「以上、終わり」 としたいところだが、問題の根はもうちょっと深いらしい。

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ウチの 3人娘が高校生だった、遙か 12〜3年以上前は、「地毛証明書」 を提出しろなんてことを言われた覚えがないので、「黒初め強要」 なんていう馬鹿馬鹿しい制度がいつ頃から始まったのか知らない。いずれにしても茶髪に染める生徒が増えだして以後のことなんだろう。茶髪にしたがる生徒がいなければ、そもそもこんな話も発生しない。

問題は、茶髪に染めたがる生徒の一部 (あるいは多く?) が、どうやら素行に問題ありと言われるようなタイプであることのようだ。この点に関しても私としては少々疑問があって、「茶髪はイケないこと」 と決めつける学校側の態度が、必要以上に彼ら、あるいは彼女らを 「素行不良」 の側に追い込んでいるのじゃないかと思う。「髪の毛の色なんて、別にどうでもいいじゃん」 と言う方が、実は健全だと思うのだよね。

実際問題としては、似合いもしないくせにことさらな茶髪に染めているのは、「私は結構 DQN です」 と自己宣伝しているようなところがあって、放っておけば自然に落ち着くところに落ち着く。どうせ就職の時期になれば、黒く染め直すことになってしまうんだろうし。

つまり最近の高校の茶髪問題は、生徒側と学校側がコラボして作り上げた 「窮極の馬鹿馬鹿しい世界」 としか言いようがない。生徒側は 「手間暇かけても、カッコよく茶髪にしたいのよ!」 とこだわり、学校側は 「黒髪以外では、教育に差し支える!」 とこだわる。どちらのこだわりも、はっきり言ってレベルが低すぎる。

低レベルのこだわりがぶつかり合って、問題を必要以上にややこしくしているのだ。「そんなこと、こだわらなきゃいいじゃん」 って話なのだが、どうしてもこだわりたいんだろうなあ、お互いに。

問題をますます馬鹿馬鹿しいものにしているのは、元々髪の毛の色が黒くない生徒に対してまで 「黒く染めろ」 だのと馬鹿なことを言い出す学校側の 「こだわり過剰」 な態度である。これは 「学校というのは、こんなにも下らないものですよ」 と自己宣伝して、自らの権威を落とす行為としか言いようがない。多様性を認めないところに、まともな教育なんてあり得ない。

件の高校は 「生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めをさせることになる」 なんてことまで言ったと伝えられるが、そんなことを言う方がずっと教育に悪いということに、どうして気付かないものだろうか。これで訴訟を起こされたら、学校側に勝ち目はない。

ちなみに 「地毛証明書」 なんてことを聞いて私は、「そんな証明書、どこで発行してもらうんだ?」 と思ったが、なんと、親が署名捺印して提出するんだそうだ。これには笑ってしまったね。そんなことなら、初めから全員が 「ウチの子は生まれつき茶髪です」 として提出すればいい。完全に真っ黒な髪なんて、案外少ないんだから。

証明書の内容の真偽判定なんて、学校の機能にはないし、仮に虚偽の証明書を提出しても、「私文書偽造」 で告発されるなんてことはないだろう。ということは、こんなのは単に紙とインクと労力の無駄遣いである。

今回の告発を機に、こんなような馬鹿な話は学校から根絶されることを期待するが、実際には 「生来の髪の毛の色によっては、黒初めを強要しない」 なんて、さらに細かいところに落とし込まれてしまい、ますます話が馬鹿馬鹿しくなってしまうんだろうなあ。

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2017/10/28

立憲民主党と Twitter

立憲民主党の枝野代表が、「ツイッターを担当してくれたチームが非常に優秀だった」 と語ったという (参照)。選挙期間中から、「立憲民主党には、かなりよくわかった Twitter 担当者がついてるな」 と思っていたのだが、枝野さんにこうして名指しで言ってもらえたら、彼らも嬉しいだろう。

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立憲民主党、Twitterフォロワー数で自民党抜き首位に」 というニュースの紹介で、「中の人が 1番びっくりしてます」 なんて tweet しているのには、脊髄反射的に親近感を抱いてしまったよ。「中の人」 なんて言い方は、これまでの政治の世界ではついぞ聞かなかったからね。

政治の世界の 「言葉の体系」 というのは、とにかく馴染めないものだった。若い層の投票率が低いのは、彼らが政治の世界を 「自分たちとは関係のない世界」 と感じているからに他ならない。そしてその 「関係のない世界」 と感じさせる最も大きな要因は、「言葉」 なのだと思う。

その点、立憲民主党の tweet は、政治の世界に染まっていない、ナマの人格に近い言葉で語りかけるものだった。この党の Twetter のフォロワー数を大きく伸ばしたのは、この 「新しい言葉」 である。「新しい言葉」 と言っても、ネットの世界では 「当たり前の言葉」 なのだが。

フォロワーの大部分が 「サクラ」 だという人もいるが、資金力のない新しい党が、そんなことに大金を使うというのに、私は懐疑的である。事実、私の知り合いは軒並みフォローしているが、別にサクラでもなんでもなく、自発的なものだ。私はそこに新しい可能性を期待してみたいと思う。

願わくは、立憲民主党が、彼らの作った 「政治の世界の新しい言葉」 を裏切ることなく、「新しい理念」 に沿った政治活動を行ってもらいたい。あっという間に政治の世界の言葉に染まってしまったら、フォロワーたちも離れてしまうだろう。

立憲民主党の 「中の人たち」 には、ネットの声に敏感でいてもらいたいし、ネットの住民も真摯な発言をする方向で行きたいものだ。これは新しい方向性を保証するワンセットである。

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2017/10/27

「片食」 (片餉) という単位

今朝の NHK ラジオ 『すっぴん』 という番組の、高橋源一郎さんが担当している、「源ちゃんのゲンダイ国語」 というコーナーで、『はかりきれない世界の単位』 (著・米澤敬)  という本が紹介されていた。 「単位」 についてのウンチクを語り尽くした本らしい。さっそく Amazon で注文した。

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日本語には 「一個」 とか 「一台」 とか 「一丁」 とか 「1降り」 (刀を数える場合) とか、いろいろな数え方の単位がある。三味線を 「一棹 (さお)、二竿……」 と数えるのはまだ知られているが、世界にはさらにレアな単位があるらしいのである。

今朝の番組で紹介されていたのは、「源ちゃんのゲンダイ国語」 というコーナーだから、当然と言えば当然だが、日本語の 「カタゲ」 という単位だ。これ、食事の回数を数える単位で、漢字では 「片食」 と書くらしい。この番組の関係者は高橋源一郎さん始め、誰も知らなかった言葉だという。手持ちの 『大辞林』 にも載っていなかった。

しかしこれ、私の生まれた山形県庄内地方では、今はどうだか知らないが、昔は案外フツーに使われていた。もっとも庄内弁のことだから、一食のことを 「ひとがだげ」 と、しっかり訛る。例えば人に食べ物をおすそ分けする時など、「"ひとがだげ" ばりで、もっけだんども……」 (一食分ばかりで、恐縮だけど) なんて言うのである。

後半の 「もっけだ」 に関しては、12年も前の "方言ブームと 「もっけだ」 の意味" という記事で詳しく触れているので改めて書かないが、さらに庄内弁では 「片食」 という単位がしっかりと生きていたわけだ。いやはや、庄内弁は古語の宝庫である。

で、さらに話は重箱の隅に至るのだが、「カタゲ」 の語源というのは、昔の食生活に由来するらしい。昔は一日二食が庶民の標準だった (参照) から、その片方の一食のことを 「片食」 というようになったと言われている。

そしてその漢字表記は、「片食」 ばかりではなく 「片餉」 というものもある。「夕餉 (ゆうげ)」 の 「餉」 である。ちょっとググってみたら、泉鏡花などは小説の中で 「片餉」 と表記していたようだ。「ふりがな文庫」 というサイトに、以下の例文がある。(参照

余り旨そうなので、こっちは里心が着きました。建場 (たてば) 々々で飲酒 (や) りますから、滅多に持出した事のない仕込の片餉 (かたげ)、油揚 (あぶらげ) の煮染 (にしめ) に沢庵というのを、もくもくと頬張りはじめた。 (『唄立山心中一曲』)

個人的には、「片食」 よりも 「片餉」 という表記に惹かれるなあ。

それから最後に触れておくが、私はこの放送で遠藤賢次が死んだことを初めて知って、ショックだった。追悼の意味で、下に 『夜汽車のブルース』 の動画を埋め込んでおく。1970年、中津川フォーク・ジャンボリーでのパフォーマンスだ。『カレーライス』 の方がお好きだったら、こちらへどうぞ。

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2017/10/26

こう切り出さないと、話が続かなくなる人たち

5年ほど前に、「こう切り出さないと、話が続かなくなる人たち」 というコレクションをしたことがあった。そのうち貯まったら、このブログのネタにでもしようと思っているうちに、すっかり忘れてしまっていたが、最近、iPhone の 「メモ帳」 アプリの奥の方に眠っているのが見つかった。

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手紙で言えば 「拝啓」 とか 「前略」 みたいなもので、まずはこう切り出さないと、次の話が出てこないという 「決まり文句」 が、職業やキャラによって案外固定しているのではないかと思ったので、ちょっと気付く度に書き留めていたのである。

5年ほど前のネタだから、もうすっかり古くなっているんじゃないかと思ったが、案外まだ通用しそうなのだ。ちょっと下に挙げてみよう。

野球選手: 「いや、そうですね」

野球選手のコメントは決まって 「そうですね」 で始まると言われるが、よく聞けば、「いや、そうですね」 がものすごく多い。英語で言ったら、"No, that's right." なんていう妙なフレーズになりそうだ。私は 「いや」 の後に肯定形をつなぐのは、気持ち悪くてできない。これ、きっと野球選手の職業病かもしれない。

官僚: 「お答えいたします。その件に関しましては………」

官僚の答弁というのは、「お答えします」 と言う割に、まともな答えになっていないことが多い。

ギャル:  「つぅかさぁ…」

意味のない接続詞。とにかく、ギャルはこれで始めないと話しづらいらしい。

ブックオフ店員: 「いらっしゃいませこんにちはぁ!」

近頃は一時ほど、このワンフレーズが店の中をエコーしまくるというほどのことはなくなってきたような気もするが。

ビジネスホテルのフロント: 「申し訳ございません…」

別にクレーム付けているわけでもなんでもないのに、なぜか最初にこのフレーズが出てくる場合が多い。

アントレプレナー: 「そういうことじゃなくってぇ…」

ホリエモンなんかが得意とするフレーズ。何が何でも文脈を自分サイドに引っ張ってこなければ話ができない。

広告プランナー: 「つか、逆にいうと…」

上記のアントレプレナーと同様、どうしても自分の文脈でないと話ができないので、こんな言い方をする。よく聞いてみると 「逆」 ってわけでもなく、要するに事前に用意してきた話に引っ張り込みたいだけ。

お笑い芸人がちょっとマジメなコメントを求められた時: 「俺、そういうの、わかんないんだけどぉ…」

わかんなきゃ、言わなきゃいいのに、なんかもっともらしいことを言おうとする。

中小企業のワンマン経営者: 「おぅ、あれ、やってくれた?」

いきなり 「あれ」 じゃ、わかんないよね。

元気なばあさん同士: 「今度、どこ行く?」
陰気なばあさん同士: 「近頃、具合が良くなくて…」

これはワンセット、本当によく聞く。元気なばあさんは本当にお出かけ好きだし、陰気なばあさんは、暗に病気自慢している。

姑: 「嫁が…」
嫁: 「姑が…」

言うまでもなく、これもワンセット。

市民運動家:  「それって、おかしくないですか?」

そんなこと言っても、相手は 「おかしいのは百も承知で言ってんだよ」 と言いたいのをグッと堪えてるだけで、まともな議論にならない。

とまあ、5年も経っているのに、あんまり代わり映えしないみたいなのである。

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2017/10/25

漫画 『桜田です!』 が好きだ

下の画像は、「漫画」 という 1語で、Google の画像検索をしてみた上位の結果である。私のような 「昔の漫画ファン」 からみると、絵が黒っぽすぎて、つまり、線が多くてコントラストが強すぎて、疲れてしまう。

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私は少なくとも 30代後半までは漫画が好きだった。ところが今では毎日新聞朝刊に連載されている、いしかわじゅん作の 『桜田です』 しか読まない。要するに、いしかわじゅんさんの画風がほとんど唯一受け入れられるものになってしまったのだ。

1710242 いしかわじゅんさんの漫画は、左にあるように、白っぽい、つまり線が少ない。シンプルなのである。これ、私が子どもの頃から親しんだ漫画にとても近い雰囲気なのだ。

私は本当に小さな子どもの頃から結構な漫画ファンで、さすがに 『のらくろ』 までは遡らないが、前谷惟光の 『ロボット三等兵』山根赤鬼の 『よたろうくん』 (双子の兄の、山根青鬼の方は、残念ながらあまり記憶にない)、わちさんぺいの 『ナガシマくん』 などを、とても楽しみにして読んでいた。リンクをクリックしてみていただければわかるが、どれも単純な線の呑気な画風である。

そしてその後に登場した真打ちが、赤塚不二夫大先生である。『おそ松くん』 と 『天才バカボン』 は、記念すべき金字塔で、とくに 『天才バカボン』 は私の人生に少なからぬ影響を与えたといってもいいほどのものだ。

そしてその頃から登場していたのが 「劇画」 というジャンルである。『ゴルゴ 13』 なんかがその代表格とされていて、一時一世を風靡したが、今となっては 「劇画」 というのはすっかり死語になってしまった感がある。

ただ、「劇画」 は死語になってしまったが、今の漫画の多くは 「劇画風の漫画」 とか 「劇画の影響を受けた漫画」 と言っていいもののように思われるのだ。何しろ、絵が黒っぽくて線がやたらに多いというのは、どうみても劇画の影響としか思われない。

というわけで、私は毎日 『桜田です!』 を読むのを楽しみにしていて、密かに 「聖なるサクラダ・ファミリア」 と読んでいるほどなのである

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2017/10/24

日本海側の人たちの危機意識?

麻生さんが衆院選の真っ最中、東京目黒区での街頭演説で、「日本海側に朝鮮半島から武装したテロリストが、難民に混じって上陸してくる。日本海側の人たちはみんな、そうした危機意識をもっている」 という意味の発言をしたらしい (参照)。要するに、日本人は日本海側の住民をのぞいて国を守る意識が低すぎるから、何とかしろというわけだ。

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確かに北朝鮮で何かあったら、日本にも難民が漂着する可能性はあるだろう。そしてその中に武装テロリストが混じるという可能性だって、皆無ではなかろう。しかし、日本海側の人間がみんな、それに対する真剣な危機意識をもっているなんていうのは、言い過ぎだ。よく言って 「ウソ」、悪く言えば 「煽情的なデマ」 である。

もっとも、根も葉もないでたらめというわけでもない。東北日本海側の港町で育った私は子どもの頃、あまり遅くまで外で遊んでいると、大人に 「早く帰らないと、朝鮮人にさらわれるぞ」 と脅かされたものだ。「まさかね」 と思っていたが、現実に日本人拉致問題が発生したのだから、結果として単なる脅かしでもなかったわけだ。

また、高校時代になると夜遊びもしていたわけだが、庄内浜の松林で沖合の船との間で何やら光による交信をしている怪しい人物をみかけて、慌てて逃げてきたこともある。あれは北朝鮮のスパイだったのかもしれない。

とまあ、「日本海側」 で生まれ育った人間として、こんなような経験はもっているのだが、だからといって、麻生さんが言うように、「押し寄せる難民のなかにテロリストが紛れ込む」 なんていう話を皆が真剣に信じて危機意識を高めているなんてことは、ないと言っていい。政治的煽りのために日本海側の住民の名をかたらないででいただきたいと思った次第である。

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2017/10/23

「排除」 と 「シカト」

今月 19日の "「排除の論理」 への反発って、一体何なんだろう" という記事で、私は希望の党の小池さんの 「排除発言」 への反発について、ちょっと情緒的すぎるんじゃないかという疑問を呈しておいた。そしてその疑問はまだくすぶったままなので、改めてもう一度書いてみようと思う。

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「排除」 という言葉そのものは、「良い言葉」 でも 「悪い言葉」 でもない。ニュートラルなもので、それをニュートラルなままで使ったり善悪の意味を込めたりするのは、使う人間の側である。で、小池さんが 「排除」 という発言をした場面では、当人としては完全に 「ニュートラル」 な意味で使っていたように思う。その場面を、日刊スポーツの記事から引用してみよう。(参照

質問で引用された、「(民進党議員は)公認申請すれば排除されない」 という前原誠司氏の言葉に反応し、「排除されないということはございません。排除いたします」 と発言。すぐ 「絞らせていただく」 と言い直したが、戦略を持って言葉を発する小池氏らしくない対応だった。

小池さんは関西学院大を中退してカイロ大学に留学したという経歴の持ち主で、アラビア語ができて、英語も結構堪能だ。それだけに 「排除」 という言葉を、つい英語の "exclude" 的に論理的な意味で使ってしまったという印象である。"Exclude" は、単に "include" (包含する) の対義語で、ことさらなまでの情緒的な意味はない。

ただ、さすがに 「排除いたします」 ではきつく受け取られてしまうかもしれないと思ったのか、「絞らせていただく」 と言い直しているが、日本人の心情には 「排除」 という言葉がぐさりと突き刺さってしまったようなのだ。日本語というのは本当に過度にセンチメンタルな言葉で、論理を語るのに向いていない。

前述の 19日の記事でも書いたように、この件だけに限って言えば、民進党議員を最大限に受け入れてしまったら、後になって内部分裂のタネになるに決まっているのだから、そんな危険は避けて当然なのだ。ただ、「排除」 という言葉が妙に一人歩きしすぎただけとしか思われない。

日本人のメンタリティというのはとても情緒的な 「身内主義」 で、「仲良しこよし」 が大好きなので、「排除」 というのは好まない。ただ好まないのは 「意識的な排除」 であって、実は日常的には、「異端的なもの」 を 「無意識的に排除」 している。無意識のものだけに、自分でそれに気付いていないだけだ。

なにしろ、ちょっと毛色の変わった人間は仲間に入れてもらえないのである。「シカト」 という行為が 「いじめ」 の最大要素になっているぐらいのものだ。「排除」 という言葉に過剰反応しまくる人こそが、普段は 「多様性」 を認めず、ちょっと変わったやつをシカトしまくる人なんじゃないかと、私は疑っているほどなのである。

ただ。小池さんと希望の党に関しては、私は別の視点からとっくに見切りを付けているので、これ以上の弁護をしようとは全然思わない。

それから最後に、ちょっとだけ触れておくが、例の日刊スポーツの記事の見出しは 「天敵フリー記者指名で……」 となっているが、これを見たとき私は 「天敵を排除した記者会見での指名」 なのだと思った。「デューティフリー」 が 「免税」 で、「スモークフリー」 が 「タバコの煙に悩まされない」 という意味なのと同じと思ったのである。

ところがこれは 「天敵であるフリー記者を指名」 という意味のようで、それだとまったく意味が逆だ。このあたりも日本語感覚と英語感覚の違いで、ちょっとコワいところである。

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2017/10/22

台風と選挙

甲州方面への出張から帰ってきて一息ついたところである。帰路は台風の影響が出始めていて、中央線の特急も運休予定が告げられていた。私は運休になる直前の便で帰ってくることができたが、常磐線も水戸以北で遅れが出ていた。というわけで、予定通りに帰宅できたのは、幸運だった。

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帰宅して選挙速報を見ようとテレビのスイッチを入れると、選挙どころではなく、台風情報が飛び込んできた。台風進路を見れば、我がつくばの地を直撃する勢いである。そんなことになるかもしれないと思ってはいたが、いざ現実となると、こちらは出張の疲れが出て、今さらながら備えをしようという気にもなれない。

昔は我が家の周辺はちょっと雨が降ると道路が冠水し、下手すると床下浸水なども起こる洪水地域だったが、最近は治水が進んでそんなことも滅多に起こらなくなったから、まあ、なんとかやりすごせるだろう。

さらに選挙結果に関しては、与党が 3分の 2 以上に達しそうだというので、馬鹿馬鹿しくなった。立憲民主党が野党第一党を狙う勢いというのはいいが、自民党が票を取り過ぎている。これに関してはもう、どうこう言うのも面倒くさい。

というわけで、今夜は早めにお休みなさい。

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2017/10/21

最高裁裁判官が、ほとんど同年代のオッサンだった

衆院選と同時に、最高裁裁判官の国民審査というのがある。そんなことを言われても普段そんなところの裁判官なんて意識したことがないから、判断の材料に乏しく、新聞と一緒に届けられる 「広報」 というのを読むしかない。

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というわけで、先日期日前投票をする前に、一応広報に目を通してみた。よくわかったというわけじゃないが、総選挙の定数に関して政府寄りの 「違憲とは言えない」 なんて判断を示したという 3人には、×印をつけさせていただいた。そのせいで罷免されるなんてことはどう転んでもあり得ないだろうけど、自分なりの 「落とし前」 である。

で、この広報を読んでいて驚いたのだが、今回の国民審査の対象となる 7人の裁判官が、全員私とほとんど同年代なのだ。具体的には、1つ年上が 3人、タメが 2人、1つ年下と 2つ年下がそれぞれ 1人ずつである。次の国民審査では多分、「なんだ、全員年下じゃん!」 ってなことになるだろう。

最高裁の裁判官というのは、いろいろなところでキャリアを積んだ末にたどり着く終着駅みたいなもので、要するに 「じじいばっかり」 だと思っていた。それがなんと、ほとんど全員同年代というのだから、複雑な思いがしている。

そして、というか、ところがというか、広報に載った顔写真をみると、全員が結構な 「じじい顔」 なのである。生年月日のデータを見なかったら、5〜10歳ぐらい年上と思ってしまうところだった。これじゃあ、一緒に酒を飲んでも話が合わないだろうなあと思ってしまったのである。

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2017/10/20

松茸が不作なんだそうだが

この秋は松茸が不作なんだそうだ。Jcast ニュースに "秋の味覚「マツタケ」、長雨で不作 お値段 3倍、ネットショップは受付休止" とある。国産松茸の 6割を占めるという長野県では、例年の 1割しか入荷していないというニュースもある (参照)。不作ということで値段も高騰しているらしいが、どうせ私は松茸なんて買うつもりがないから、関係のない話である。

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そもそも私は、松茸のおいしさというのがさっぱりわからない。自分では買ったことがないが、昔は業界内でいろいろあって、国産松茸のもらいものが結構あった。それできちんと七輪の炭火であぶったり、松茸ご飯にしたりして食っていたのである。

ただ、到来物だから一応ありがたがって食ってはみても、正直なところ世の中で言われるほどの絶妙のおいしさなんて感じたことがない。「ふぅん、この程度のものなのね、要するにフツーのキノコだよね」 と思うだけで、感動して舌鼓を打つようなことなんて、一度もなかった。

一説には 「香り松茸、味しめじ」 と言って、松茸は香りを味わうもので、食べておいしいのはシメジだなんてことにもなっているが、香りにしたって、そんなに高い金を払ってまでありがたがるようなものとは思われなかった。個人的には安い椎茸が一番好きで、松茸をありがたがるのは、多分に 「雰囲気のもの」 か 「迷信」 に過ぎないと思っている。

そんなことを言うと、「お前の食べたのはきっと中国産か何かで、国産は全然違う。一度食わしてやるから、楽しみにしとけ」 なんて言う人が現れる。しかし私が毎年食っていたのは、信州の業界関係者から大げさな籠に入れて届けられる正真正銘の贈答用国産品だった。さらに言えば 「一度国産を食わしてやる」 なんて言う人に、本当にご馳走になったことは一度もない。

というわけで、初めのうちは到来物をありがたがって食っていたが、何年か続くと、もう食う気もしなくなっていた。面倒なのでそのまま誰かにあげると、ものすごく大げさにありがたがられて、そこそこの返礼が届いたりするので、その方がずっとよかった。

「国産の松茸はまったく違う」 という話が一人歩きしているが、個人的な感覚では 「どこがそんなに違うの?」 という程度のものでしかない。中国産と国産を明確に言い当てられる人がいたら、お目にかかりたいぐらいのものだ。ほとんどは、「国産」 と表示してあるのを大げさにありがたがっているだけとしか思われない。

カナダに長く住んだ人の話では、森を散歩するとリュック一杯分ぐらいの松茸が採れて、それを大鍋で佃煮にして食うと美味かったという。カナダの松茸はビミョーに種類が違うらしいが、この話にはちょっとそそられる。

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2017/10/19

「排除の論理」 への反発って、一体何なんだろう

衆院選の投票日が間近に迫っているが、希望の党の失速傾向が顕著なんだそうで、結局のところ、自民・公明の与党が安定多数を占めるものと予想されている。そんなことを言われると、私としてはもう馬鹿馬鹿しさを通り越してしまう。

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とはいえ、私はさっさと期日前投票を済ませている。土日祝日が休みというような勤め人ではないので、週末に地元にいられることが少ない私としては、フツーの投票日に投票したことが、ここ 10年で多分 1〜2度しかないと思う。

巷の報道によれば、希望の党失速の要因は、小池さんの 「排除の論理」 への反発なんだそうだ。時事通信は "玄葉氏、「排除なければ 200議席」=小池氏発言に恨み節 【17衆院選】" というニュースを伝えている。

私自身は、希望の党には複雑な思いを抱いていた。小池さんの政治理念は安倍政権とそんなに変わるところがなく、「結局は自民党だった人だもんね」 と思ってしまうのだが、先月頃までは 「安倍政権の議席を減らすには、希望の党に投票するしかないかも」 なんて思っていた。

先月 29日の 「今は 「希望の党」 の推移を見守るしかないのかなあ」 という記事も、そんなような煮え切らないスタンスで書いている。ただ、この時点では希望の党はまだそんなにイメージを下げていなかった。おかしくなったのは、その後の半月足らずのことである。

その要因が、小池さんの掲げる具体的政策にあるのではなく、「排除」 という一言への反発だというのだから、これまた 「なんだかなあ」 と思ってしまうのである。この件に関して、私は上述の記事でこんな風に書いている。

私は当初、「希望」 としても数は欲しいから民進党系を最大限受け入れるんじゃないかと思いつつ、しかしそれでは、後になってから内輪もめで内部崩壊につながる可能性が高いと危惧していたのである。小池さんとしては、初めからその危険性を包含したスタートはしないというわけだ。まあ、「彼女的には賢明」 なスタンスだろう。

ところが世間というのはおもしろいもので、近い将来の破綻につながる要素を冷静に避けるという姿勢に、ほとんど情緒的に反発しているわけだ。よほど 「仲良しこよし」 が好きなようなのである。民進党がそんなような曖昧なスタンスで失敗したのを目の当たりにしたくせに。

まあ、もう投票は棲んじゃったから、個人的にはどうでもいいけどね。ちなみに考えの整理が付いたので、希望の党へは投票せずに、すっきりとした気持ちである。(参照

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2017/10/18

高速道路上の 「煽り」 問題を、ちょっと別の視点から

高速道路上で注意されたことに腹を立て、さんざん相手の車を煽った挙げ句に、こともあろうに追い越し車線上で無理矢理に停車させ、追突をくらって死亡事故につなげてしまった事件が話題を呼んだ。この関連で、"「あおり運転」 摘発、7625件=昨年、9割近くは高速上 - 警察庁" という事実がニュースになった。

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1年で 7625件が摘発されているというのだから、平均すると 1日 20件ぐらいが摘発されているわけだ。多いような少ないような、ちょっと複雑な数字である。

その一方で、日本自動車連盟 (JAF) が昨年 6月に実施したインターネット調査によると、運転中に後方からあおられることが 「よくある」 との回答が 7.9%、「時々ある」 が 46.6%にのぼった。半数以上が 「煽られ経験がある」 と答えたわけだ。(参照

この数字も、かなりビミョーなものだと思う。私の印象では、「煽るクルマ」 が必ずしも一方的に悪いのではなく、「煽られるクルマ」 の方も追い越し車線を不必要に塞ぐというマナー違反をしている場合が案外多い。後ろで急いでいるクルマが、ついジレてしまって車間距離を詰めてしまうというケースもみられるのだ。

で、上の調査で 「煽られたことがある」 と答えたドライバーは、「煽られている」 と気付くだけマシだと感じる。煽られていると気付いたら、左側の車線に移るなりして危険を回避できる。一方、「煽られた経験がない」 という回答の中には、実際には煽られているのに、それに気付かないドライバーの回答もかなり含まれると思う。

そうしたドライバーは周囲に注意を払わないので、自分が追い越し車線を不必要に塞いで通行を妨げているという自覚がない。そしてバックミラーなんか滅多に見ないので、煽られていることにも気付かない。(バックミラーは 「化粧確認用」 だから、自分の顔が映る角度に設定してあるという恐ろしい女性ドライバーを、私は何人も知っている)

実際に高速道路を走っていると、後ろから散々煽られていることに気付かず、ゆっくりと追い越し車線を走るクルマを時々見かける。「早く走行車線に戻ればいいのに」 と思うのだが、そうしたクルマのドライバーは、「一番右の車線は追い越しのための車線」 というルールを知らないかのように、そのままいつまでものんびり走り続ける。

そうしたドライバーがいると、高速道路上は時々、上の写真のようになってしまう。こんな場合私は 「煽り」 なんていうムダなことはせずに、一番左の走行車線をスイスイ走って団子状態から脱出することにしている。日本の高速道路では不思議なことに、3車線のうち左側がガラガラに空いていて、右側 2車線が密集状態というケースが多いのだ。

この現象に関しては、私の本宅サイトで詳しく論じているので、興味があったらのぞいてみていただきたい (参照)。

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2017/10/17

「筋肉は熱発生装置」 というのを実感

近頃寒い日が続き、昨日は東京都心の気温が札幌よりも低くて、10月中旬としては 60年振りの寒さだったという。近頃の天気は、50年ぶりとか 60年ぶりとかいうのがやたらと多い。一昨日までいた山形県酒田市の気温もかなり低くて、一緒に行った妻や娘は震えていた。

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ところが、私自身はそれほどの寒さを感じていない。みんなが 「寒い寒い」 と震える中で、「そんなに寒いかなあ」 などとうそぶくので、「年取って、体が鈍くなってるんじゃないの?」 なんて言われてしまった。

実は筋肉から発する熱のせいで、あまり寒く感じないで済んでいるようなのだ。先週、千葉市までの往復 100km を自転車で往復して、筋肉がパンパンに張っていたのである。この程度の距離は何度も経験しているので、それほど気負わずに出かけたのだが、最近 3ヶ月以上いろいろあって極端に運動不足だったので、帰り道はかなりしんどい思いをしてしまった。

翌日、下半身にかなりのハリを感じていたが、まあ、そのうち自然に治るだろうと軽く見ていた。ところが週末に父の七回忌で田舎に片道 6時間のロング・ドライブをしてしまったので、ただでさえ筋肉疲労を起こしていた下半身が、今度はコチコチに固まった状態になってしまい、結構な筋肉痛を起こしてしまったのである。

というわけで、私の背中から下の筋肉は、コチコチの状態から 「治ろう、治ろう」 と一所懸命に頑張っていたので、結構な熱をもった状態になっていたのだと思う。とにかく、みんなが 「寒い、寒い」 と言っているのに、ちっとも寒くないのだ。

一般的に筋肉ムキムキの人は、かなり寒さ強い、とにかく 「筋肉は熱発生装置」 と言われるぐらいで、寒さを感じにくいのだ。世間では皮下脂肪たっぷりの太った人が寒さ強いと思われているが、実は脂肪というのは自分で暖まることができないので、一度冷えてしまうと今度は寒くてたまらなくなってしまう。

というわけで、この 「筋肉は熱発生装置」 というのを、今回はもろに実感してしまった。私は決して筋肉ムキムキというタイプではないのだが、筋肉疲労状態から元に戻ろうと必死に頑張っている筋肉というのは、通常にも増して大量の熱をもった状態になってしまうようなのである。

今日になって、少しは筋肉のハリが引いてきたので、人並みに寒さを感じ始めたところだが、まだまだそんなに震えるほどではない。

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2017/10/16

「物知り」 は、ものを知らない

世の 「読書家」 と言われる人は、ベストセラーと言われる書籍を読まない。「物知り」 と言われる人は、世間の誰でも知っていることを知らない。

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私はありがたいことに仲間内では 「物知り」 扱いされているが、若いおねーちゃんなら誰でも知っているテレビ・タレントの名前、流行りの歌、朝の連続ドラマなどはさっぱりわからない。とくにお洒落な食べ物の名前に関してはほとんど知らない。周囲には、カタカナ名前の食べ物はラーメンとカレーライスしか知らない人と思われている。

上の写真は、フツーの若いおねーちゃんたちがよく知っていて、フツーのオッサンたちがさっぱり知らない分野である。テレビに出てくるアイドル、舌の回らない名前の洋食、そしてなんたらかんたらいうケーキという分野だ。はっきり言って、みんな同じに見えてしまうのだよね。

ところが私は、同年代のオッサンたちなら誰でも知っていることも知らない。ゴルフのルール、小難しい病気と薬の名前 (「サロメチール」 と 「葛根湯」 以外よくわからない)、株式関連の用語、クルマの車種などは、何が何やらチンプンカンプンだ。

「そんなことも知らずに、よく生きていけるね」 と言われるほどだが、私としては、そんなことを知っている方がずっとストレスになると思っている。病気と薬の名前に妙に詳しいのは、医者か病人である。知らずに済んでいるのは健康なればこそで、ありがたいことである。

ただ、いわゆる 「お洒落」 の分野はさっぱりわからないかというと、そういうわけでもない。私はその昔、ファッション関連の記事を書いていたほどだから、そっち方面の知識は結構豊富である。ただ、自分自身がことさらファッショナブルな格好をしないというだけだ。

要するに人間は、自分の興味のある分野、生きていくのに必要な分野、そしてメシの種になる分野の知識しか吸収できないもののようなのである。私自身も、興味がなくて、知らなくても生きていけて、メシの種になるわけでもない分野の知識は、何度教えてもらってもすぐに忘れてしまう。

とくにケーキの名前なんて、チーズケーキとイチゴショート以外は、30分と覚えていられない。

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2017/10/15

父の七回忌

父の七回忌のために、一泊二日という強行軍の帰省をし、たった今戻ってきたところである。山形県はほんの時々霧雨が舞ったが、その合間に青空ものぞいたので、まあ、まずまずの天気だった。写真は奥羽山脈を越える山形自動車道の風景である。

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父の兄弟は既に全員あの世の人となり、妹 2人 (つまり私の叔母) がまだ生きているが、体はガタガタで法事に出席できるような状態ではない。仕方がないので、私と妹の二家族のみで執り行った。さらにお寺の和尚さんも 80歳を過ぎて、4ヶ月の入院から生還したばかりというので、田舎はもう、年寄りばかりの世界である。

再来年は母の十三回忌となる。わずか 2年後とはいえ、田舎の状況はどんなことになっているだろうか。まさに諸行無常である。

昨日と今日、合計 14時間のクルマの運転で疲れたので、これでおしまい。

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2017/10/14

好きな食べ物を最後までとっておくと

前にも何度か書いているが、私は食べ物の好き嫌いがない。「好きな食べ物」 はいくつも挙げられるが、「嫌いな食べ物」 を挙げろと言われたら途方に暮れてしまう。だって、そんなものないのだから。

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どうして人によっては食べ物の好き嫌いを言うのかということに関して、私は好き嫌いを言うのは心の安定を得るための代償行為なのだろうと推定したことがある (参照)。で、私はその類いの代償行為を必要としていない。好きだの嫌いだのと面倒なことを言うより、さっさと食っちまう方が話が早くて楽だと思っている。

ただ、食べ物に関しては 「好き」 と 「フツー」 しかなく、なんでも淡々と食ってしまうことに関しては、余計なリスクの伴うことがある。とくに好きでもないものが好物だと誤解されてしまうのだ (参照)。それで最近は、本当においしいと思ったらきちんとそれを表現するようにしている。

思えばそんなようなことは、子どもの頃からよくあった。母が 「今日の夕食は、お前の大好きな〇〇だよ」 とか言って、別に好きでもないものを食卓に並べるのである。せっかくだからと気を使い、いかにもおいしそうに食べる。すると 1週間もするとまた 「お前の大好きな……」 と、同じものが並ぶ。別に嫌いってわけじゃないからいいのだが、「どうしてこれが好きと思われてるのかなあ」 と、長らく疑問だった。

これ、「好きな食べ物は最後まで取っておいて、とくに好きじゃないものから先に片付ける」 という、私の食べ方流儀による誤解なのだと、よほど後になってから気付いた。先にどんどん食べてしまうものだから、母親としては 「これは息子の大好物なのだな」 と誤解してしまったのだろう。そして最後まで大事に取っておく本当の大好物は、「できれば食べたくないもの」 と思われてしまうようなのだ。

というわけで、私の 「好きじゃないものから先に片付ける」 というのは、食べ方としてだけでなく、生き方としても 「ちょっと損」 なものと思っていた時期がある。好きなものから無邪気に手を付ける方が、自分の好みがストレートに伝わるのだから、それは自然な考えだ。

しかし今は、好きなものを親に誤解してもらったお陰で、「いろいろな食物をバランス良く食べることができた」 というだけでなく、「つべこべ言わずに、誰とでも分け隔てなく接する」 という態度が身についたと思っている。つまり結果的には、好きなものばかり与えられるよりずっとありがたいことだった。

「好き嫌いを言う」 というのは、やはり結果的にはマイナス勘定になるのだね。

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2017/10/13

選挙カーの 「連呼」 について再び

HUFFPOST に "「選挙カーってうるさくない?」 「名前を連呼する意味あるの?」 現役ウグイス嬢に聞いてみた" という記事がある。どういうわけか、大昔の田中角栄の選挙運動の写真がでっかく使われている。

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記事の内容は実際のウグイス嬢へのインタビュー形式になっているのだが、「アナウンス原稿は選挙事務所が用意するんですか?」 という質問に、このウグイス嬢は 「私の場合、原稿は自分で用意しています。政党の公約や、候補者のホームページ・パンフレットなどを参考に、事前に調べて原稿にします」 と言っている。

そして 「アナウンス原稿を作る上での注意点は」 という質問には。次の用に答えている。

アナウンスのルールなどは、それほどガチガチに決められているわけではありません。たとえば、アナウンス原稿の内容に合わせて、声の抑揚を変えることなど基本的なことを大事にしています。

あとは、学校・病院・斎場などの近くでは、TPOに合わせてアナウンスをしないようにしています。これらも公職選挙法で定められています。

これにはちょっと驚いた。というのはこのウグイス嬢、「公職選挙法 第140条の二の3」 にある 「学校 (中略) 及び病院、診療所その他の療養施設の周辺においては、静穏を保持するように努めなければならない」 という規定には気を使っているようだが、その次の条文に関しては全然知らないみたいなのである。

これに関しては、私の 「本宅サイト」 である 『知のヴァーリトゥード』 の中の ”選挙カーの 「連呼」 は 「迷信」 から生じているらしい” というページで詳しく論じてあるし、このブログの右側の 「サイト内検索」 という窓に 「連呼」 と入力して 「検索ボタン」 をポチッと押してもらいさえすれば、それに関する記事がどっさり出てくる。

一言で言ってしまうと、いわゆる 「選挙カー」 では、停車している時以外は、連呼しかしちゃいけないと、公職選挙法で決まっているのである。それを規定した条文をそのまま引用しておこう。

第141条の3 
何人も、第141条(自動車、船舶及び拡声機の使用)の規定により選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない。ただし、停止した自動車の上において選挙運動のための演説をすること及び第140条の2第1項(連呼行為の禁止)ただし書の規定により自動車の上において選挙運動のための連呼行為をすることは、この限りでない。

のっけから 「選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない」 という条文には笑ってしまうほかない。つまり選挙カーでは原則的に選挙運動をしちゃいけないのだが、「連呼行為をすることは、この限りでない」 と書いてあって、要するに 「連呼だけはしてもいいよ」 というお目こぼし規定が付いているのだ。

嘘か冗談としか思われない法律だが、これ、マジに本当のお話である。このウグイス嬢は 「アナウンスのルールなどは、それほどガチガチに決められているわけではありません」 なんて言っているが、実は彼女が知らないだけで、馬鹿馬鹿しいほどガチガチに決められているのだよ。何しろ、選挙カーが動いている間は、「連呼」 しかしちゃいけないというのだから。

それで長らく選挙の度に、選挙カーはうんざりするほど候補者名の連呼ばかり繰り返してきたのだが、最近はちょこっとだけ趣向を凝らして、気の利いたことも言うようになっているようなのだ。

しかしこれ、原則的には立派な公職選挙法違反なのである。とはいえ選挙管理委員会としても、あまりにも馬鹿馬鹿しい条文を杓子定規に適用することは敢えてしない方針になっているようで、うるさいことは言わないみたいなのだ。まあ、日本人お得意の 「なあなあの事なかれ」 主義だよね。

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2017/10/12

大量の写真の始末をどうするか

zakzak のサイトに 「遺品整理で出てきた大量の写真 どうしたら…?」 という記事がある。最近は全部スキャンしてデジタル保存してくれるサービスが注目されているという。

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しかしこの記事では、デジタル媒体でも長くて数十年で再生不能になるし、残された遺族にも寿命があるのだからとして、「写真を全て処分し、心のなかに思い出のみを残すようにする」 という葬儀アドバイザーの提案に全面的に賛同している。まあ、確かにそれも一案だが、業者に頼んで一括デジタル保存するか、すべて処分するかの二択という論調には 「はあ?」 と言いたくなってしまう。

知り合いに、1年半かけて家中の断捨離をしたという奥さんがいる。まず手を付けたのが、食器棚を占領する数年使ったこともない食器だったという。捨てるのはもったいないのでバザーに出したが、誰もそんなもの引き取らない。しかたなくリサイクル業者に二束三文で売り払ったという。

さらに、今は独立して結婚している子供たちの中高生時代の制服と部活のユニフォーム、教科書、答案用紙、連絡書類の束が膨大な量だったというから笑える。そんなものを何でまた 20年以上も後生大事に取っておいたのかと聞きたくなるが、「なぜか、捨てたら絶対後悔すると思ってた」 と言うのでさらに笑える。

さらに故障したまま何年も触ったことすらない家電製品、バブル時代のもろにバブリーな内容の雑誌の山、数年袖を通していない洋服、40年前に親にもらったけど一度も着たこともなく着方すらわからない山ほどの和服などなど、思い切って処分したら、家の中がずいぶんすっきり広くなったという。

こうした断捨離作業の中で一番悩んだのが、実は写真の整理だったという。親の古い写真、自分の思い出の写真、子どもたちの成長記録などなど、アルバムにして 30冊以上あるほかに、段ボール箱で 2つ分のバラ写真があった。

「初めは 『思い出の写真だから捨てられない』 と思ったんだけど、考えてみれば、アルバムに貼り込んだ当初は何度か眺めたけど、最近は 20年以上開いて見たこともないし、段ボール箱の中なんて、そんなのがあることすら忘れてた」 と言うのである。「それに最近の写真は全部デジタル・メディアの中にあるけど、撮りっぱなしで、眺めたことすらないし」

で、彼女はどうしたかというと、「改めて眺めてみると、保存しておく価値のある写真なんて、1冊のアルバムの中に数枚しかないのよ。それだけ取り出してまとめたら、30冊以上のアルバムと段ボール箱 2箱の写真が、たった 1冊のアルバムに収まっちゃった」

そしてその 1冊のアルバムは、子どもたちには、「私が死んだら、欲しい写真だけ取って、あとは棺桶に一緒に入れて」 と言っているという。なるほどね。これが一番現実的な処分方法だろう。

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2017/10/11

茨城県が 5年連続で 「魅力度ワースト」 の指定席に

恒例の 「都道府県魅力度ランキング」 で、茨城県が最下位の 47位となり、これで 5年連続の指定席なんだそうだ (参照)。私は茨城県つくばの地にほとんど成り行きで越してきて既に 35年になり、多少は 「地元愛」 みたいな心情も持ち始めてはいるものの、まあ、最下位は順当だろうと思っている。

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なにしろフツーのランキングなら、「トップは今年も北海道」 みたいなニュースになるところだが、どのメディアを見ても 「茨城県が 5年連続最下位」 という見出しなのだから、これはもう、一種の勲章である。下手に上なんか狙わない方がおいしい。ここまで来たら 「10年連続ワースト」 を狙う方が、戦略として正解だろう。

上の写真は、だいぶ前に常磐高速道のサービスエリアで買った 「ねば〜る君 クリアフォルダー」 である。水戸納豆から出たゆるキャラなんだろうが、なかなか全国区には出て行けないようなのだね。どうせ茨城県民は内弁慶なんだから、それでいいだろう。

茨城県でも、県南のつくば市中心部だと、最近はかなり洗練されてきてしまった。県外から移転してきた住民が多いから、いわゆる 「茨城色」 は薄い。それでも一步はずれれば、そこは昔ながらの茨城である。群馬、栃木、茨城の 「北関東 3県」 は、「関東ではあるが、全然首都圏ではない」 という特殊な色合いがあって、中でも茨城県はそれが一番強いと思う。

これが東北地方なんかに行ったら、「田舎の素朴さ」 を売り物にできるのだが、茨城県民は決してそれをしたがらない。前にも書いたことだが、御殿のような家に住み、スーパー銭湯にベンツで乗り付けたりして、周囲の連中に 「大将、立派なもんだねえ!」 と言ってもらうことに無上の喜びを感じるようなのだ。

だったらいっそのこと、その 「一生ヤンキー」 の気質を極めればいいのである。オッサンになっても、ジジイになっても、「おらぁよぅ、昔は鳴らしたもんだぜ」 ってな雰囲気で行けばいい。ただ、それを 「上手に演じる」 という器量があるかどうかが、運命の分かれ道だ。

「自らをビミョーに客観視しながら演じる」 という 「自己演出力」 が多少なりともあれば、大阪人みたいになれる。それができず、ストレートすぎるナルシシズムでただ 「大将、立派なもんだねえ!」 と言ってもらいたがるばかりだと、何年経っても 「単純にダサい」 ままで終わる。

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2017/10/10

川魚の 「泥臭さ」 って何だ?

私は東北日本海側の港町、酒田で生まれたので、子どもの頃からおいしい魚を食べつけている。土地柄からしてもちろん、海魚がほとんどだが、たまに川魚も食べる。

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清流沿いの土地などで 「鮎の塩焼き」 なんてのを食べると、本当においしい。ところが中には 「川魚は泥臭いから食わない」 と言って箸を付けない人がいる。しかし一体どんな風味を指して 「泥臭い」 なんていうのか、私にはずっと不可思議そのものだった。

あまりのことに最近、「川魚/泥臭い」 の 2語でググってみたところ、泥臭さの正体には大別して 「鯉の血なまぐささ」 「内臓の臭さ」 「河川のヘドロの臭さ」 という 3つの説があるとわかった。

まず、「鯉の血なまぐささ説」 である。merlin WEIN というブログの 「川魚は泥臭い?」 という記事 (参照)からちょっと引用してみよう。

「川魚 (淡水魚) が泥臭いというイメージは鯉からきてるんだよ。」
鯉を料理する際に血抜きをしっかりしないと血なまぐささが残るので
それが川魚全体に泥臭いというイメージが着 (ママ) いたようです。

2番目に挙げられるのは 「内臓の苦み」 を 「泥臭い」 としているという説である (参照)。Yahoo 知恵袋から引用してみよう。

雑魚と呼ばれる小さな川魚 (ハゼ科やコイ科の魚の小さい種類や小さいもの) を内蔵など取り除かずに丸ごと天ぷらやから揚げ等にして食べる習慣があるからです。

さらに魚の生育環境によるという説もある。上記の Yahoo 知恵袋の解答でも少し触れられていが、今度は "POKEBRAS コラム" というサイトの記事から引用してみよう。(参照

日本の平野部にある湖沼、河川の中下流にはヘドロが溜まっています。そういう場所にいるコイやフナも泥臭がします。対して清流や渓流のように水質のよいところにいるアユ、山女魚 (やまめ) や岩魚 (いわな) などが旨い魚であることには定評があります。

しかしこの 3種の説にしても、血や内臓は川魚に限った話ではないし、日本中の河川のヘドロが問題になるずっと前から 「川魚は泥臭い」 と言われていたことから考えると、どの説も今イチの感がある。

ちなみに同じ種類の海魚でも、湾の奥で獲れたものは 「泥臭くて食えたものではない」 と、よく言われる。それが本当なら干潟に棲むムツゴロウなんて泥臭さの極みということになるが、「えん食べ」 というサイトの記事によると、「ちょっと小骨が多くて食べにくいですがクセなどはない」 ということのようだ (参照)。

日本人の意識の中には 「海魚が上位で川魚は下位」 という 「序列」 が固定観念として形成されているような気がする。潜在意識として 「いいとこ取り」 しようとすると、海か海辺になっちゃうようなのだ。山家育ちより、湘南ボーイの方がカッコいいと思われてしまうようなものである。

古事記に出てくる 「海幸彦・山幸彦」 の物語も、弟の 「山幸彦」 の 「山」 というのは結局は名ばかりである。兄の海幸彦の釣り針を借りて失ってしまってからというもの、「山幸彦」 なのに、なぜか海の神であるワダツミノカミに愛でられ、その娘の豊玉姫と結婚する。そして生まれた子の孫が神武天皇となる。

元々は 「山の系譜」 (もっと言えば、その先は 「高天原の系譜」 だし) なのに、不思議にも海において新生するのだ。このあたりはフォークロアの視点で検証し直さなければならないだろう。

というわけで話が膨大な方にずれかかったが、私としては 「川魚の泥臭さ」 という固定観念に関しては、要するに 「気のせい」 と 「好き嫌い」 の合わせ技ということで片付けたいと思う。私がよく使う言い方だと、単に 「雰囲気のもの」 ということだね。

少なくとも川魚一般を 「泥臭い」 で片付けてしまっては、川魚に気の毒ということだ。

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2017/10/09

コカコーラは洗浄剤? ただし蟻んこに気をつけて

Instagram で blossom さんという方の動画が話題だ (参照)。恥ずかしながらまったく知らなかったけど、Instagram って、静止画像だけじゃなく動画も投稿できるのね。で、blossom さんの投稿のコンセプトは、"DIY ideas, tips and tricks. Do it Yourself, Do it For Great!" (DIY のアイデア、ちょっとした小技でイケる!) ということらしい。

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この人の投稿で最近日本でも話題になったのが、"Coke: drink it or hack it?" (「コーク: 飲むか、それともやっちゃうか」 って感じかな) という動画だ。どんなのかは、クリックして飛んでみていただきたい。

コークに小麦粉を加えてベイクするだけで一見おいしそうなケーキになったり、さび付いたレンチをコークに浸すだけで新品みたいになったり、野菜にスプレーするだけで虫除けになったり、湯沸かしポットやタイルの目地、窓ガラスの汚れが落ちちゃったり、Tシャツの漂白剤代わりに使えたり、髪の毛にこびりついたチューインガムが簡単に取れちゃったり、トイレがピカピカになっちゃったりするのだ。結構衝撃的である。

衝撃的というのは、「コークだけでこんなにいろいろな汚れが落ちちゃうの?」 という以上に、「こんなの、飲んじゃっていいの?」 という驚きもあるということだ。確かに、「こんなの胃の中に入れちゃって、大丈夫なの?」 とは、多くの人が感じる疑問だろう。

実際に、この投稿には、"If it can be used as a cleaning product, one probably shouldn't drink it lol!!!" (もし洗浄剤として用いられるなら、多分誰も飲まなくなっちゃう!!!) という率直なコメントが寄せられている。

しかし最も率直なコメントは、"Second day you're gonna find ants all over your house" (翌日には家中が蟻んこだらけになっちゃう) というものだろう。「コカコーラ・ゼロ」 を使わなきゃね。

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2017/10/08

ビジネスマンのランドセルって?

読売新聞のサイトに 「ビジネスマンがランドセルで通勤し始めたワケ」 という記事があって、この見出しを見た途端、私は 「へえ!」 と驚いた。この 「ビジネスマン」 という用語も 「ちょっとなあ」 という気がするし、とにかく、「ランドセルを背負って通勤するビジネスマン」 というのを、私は一度も目撃したことがない。

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最近は男性の会社員を 「ビジネスマン」 と呼ぶことはほとんどなくなったと認識していたのだが、まだこのように用例として現役のようなのである。言うまでもなく 「ビジネスマン」 は "businessman" という英語からきているわけだが、本来は 「実業家」 とか 「経営者」 を指す。だから 「ランドセルを背負って通勤するビジネスマン」 というのは、ちょっと変だ。

まあ、フツーのサラリーマンがリュックを背負って通勤するというのは今に始まったことじゃない。私はずっと昔からリュック派だったし、昨年の 3月も次のように書いている。(参照

私は40年近く前に、ワセダで多分最初にデイパックで通学した男で、それからずっと、荷物は背中に背負うのが一番だと思っている。外出の途中でちょっとした買い物 (本や雑誌など) をした時にも、手に持つのはうっとうしいから、リュックに入れてしまうし、とくに最近は駅まで自転車で行くので、背中に背負うスタイルは不可欠なのだ。

しかし 「ランドセル」 というのは、私には違和感がある。というか、滑稽さすら感じられる。記事によると、東京のランドセルメーカー・土屋鞄製造所が発売した "OTONA RANDSEL" (大人ランドセル)」 というのが売れているのだそうだが、値段が 10万円もするのだそうだ。私はそんなの要らない。そもそも、小学生があんな大きなランドセルを背負って通学するというのも、「気の毒」 と思っているほどだし。

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2017/10/07

日本人の私でさえ 「旅館」 には戸惑ってしまうのだから

「ニュースの教科書」 というサイトに、「インバウンド増加なのに稼働率低迷で観光庁が指導? 日本旅館の何が問題なのか」 という記事がある。ホテルは盛況なのに、日本式の旅館が低迷しているというのである。本当に出張で宿泊先を探すと、ホテルは満杯なのに旅館が空き空きという場合が多いのだ。

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この件について私は、今年の 7月に "「旅館」 という施設には、できるだけ泊まりたくない" という記事を書いているので、日本式旅館を敬遠する外国人観光客の気持ちもよくわかる。とにかく 「旅館」 って、まるでブラックボックスなのだ。一口に 「旅館」 と言っても、その実体は泊まってみるまでわけがわからないのである。

日本人の私でもびっくりしてしまうのは、夕方ちょっと外出して、部屋に戻ってみるといつの間にか布団が敷いてあったりすることだ。旅館の従業員とはいえ、知らぬ内に部屋に入られて、荷物がテキトーに片隅に寄せられて、見かけだけはやたらと豪勢な布団を敷かれちゃうというのは、何だか複雑な思いがしてしまうのだよね。

夜にちょっと PC に向かう仕事があるので、布団を片隅に寄せて、壁際に立てかけられちゃったテーブルを戻すというのも、何だか馬鹿馬鹿しい気がしてしまう。それに長時間座卓に向って PC のキーボードを叩くと、腰に来てしまうのだよ。

それから、「旅館」 というのは、一人旅には部屋が広すぎる場合が多い。大抵は団体さんを目当てにして建てられているものだから、4〜5人が布団を並べて寝るというコンセプトになっている。ムダに広いのに、布団を敷くときにテーブルを片付けるって、一体どういうことなのかわからない。

それから、「素泊まり」 ならまだ気楽だが、晩飯付きだったりすると、女中さんが入って来てあてがい扶持の夕食を勝手によそってくれたりするのも、こちらとしてはやりにくい。なにしろ、こちらの好みなんて一切考慮されず、ひたすら提供する側の都合によるメニューなのだ。これだったら 「素泊まり」 にして、晩飯は食いに出る方がいいと思ったりしてしまう。

とにかくたった一晩泊まるだけで、こんなに戸惑わせられてしまうのである。日本人の私が戸惑うのだから、外国人だったらなおさらだろう。さらに宿泊料が一般的なビジネスホテルより高いのだから、そりゃ、敬遠されて当然だ。

「旅館」 というのは、もう 「下にも置かぬおもてなし」 の高級旅館しか生き残らないんじゃあるまいか。あとはいっそ、「ゲストハウス」 みないな形態にしてしまう方が、いっそすっきりするだろう。

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2017/10/06

Mac ユーザーになって、3年 9ヶ月以上経った

今日になって突然気付いたのだが、MacBook Pro を使い始めて既に 3年と 9ヶ月以上経っている。あんまりしっくりきてしまっているので、いつ買ったんだか忘れてしまっていたのだが、自分のブログ記事を検索して 2014年の 1月 20日に購入したことが確認された。思えば同じ PC を メインで 3年以上満足したまま使い続けたのは、これが初めてである。

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この Mac の前に使っていたのは Panasonic の Let's note だったが、2013年 4月の記事で、3年近く使い続けて動作が不安定になってしまった旨を書いている (参照)。しかしそれからさらに 8ヶ月以上も使い続けたのだから、まあ、よしとしておこう。その前の 小型 Let's note は 4年以上使ったが、これはモバイル用として使ったので、使用頻度はそれほど高くなかった。

平均して 3年前後で PC を買い換えているというのは、ライト・ユーザーからはずいぶん贅沢に思われるかもしれないが、ヘビー・ユーザーとしてはごくフツーか、あるいはちょっと長く使い続けている部類なんじゃあるまいか。PC というのは 「消耗品」 というところがあり、結構ヘタリが早いのだ。

ところが、この MacBook は、ヘタラない。全然ヘタラない。3年と 9ヶ月以上経った今でも、新品の時と同じようなパフォーマンスを発揮してくれている。このままでいけば、あと 2〜3年は不満なく使い続けられそうな気がするほどだ。Mac の製品は Windows マシンよりお高いイメージがあるが、この 「もちの良さ」 を考慮したら、お釣りが来るかもしれないと、今気付いた。

ちなみに上の写真で、MacBook の左側に立ててあるのは iPad で、この写真は iPhone で撮ったので、めでたく Apple の三役揃い踏みである。この iPad は私としては 2台目で、前に使っていた "iPad 2“ は妻に譲ってあって、今でも現役だ。

で、外付けのテンキーを、Mac 本体の左側においてあることに注目していただきたい。私は 2014年 6月 8日の 「ノート PC のテンキーは、邪魔以外の何物でもない」 という記事で書いているように、キーボードの右側にテンキーが付いている PC は使う気になれない。だって、正しいポジションでキーを打とうとすると、体が右にねじれてしまうじゃないか。

この写真のようにキーボードの左側にテンキーを置くと、スプレッドシートで数字の入力をする時に、右手のマウスでセルを指定し、左手で数字を打ち込めるから、いちいち右手をあちこちにやる必要がなくて快適そのものなのだ。これはデスクトップ PC でも同様なので、是非一度試してみてもらいたいほどだ。

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2017/10/05

立憲民主党は、政治の世界の 「SMAP 現象」 ?

立憲民主党の Twitter フォロワー数が、結党宣言から 2日とちょっと経った 5日午前 10時現在で 12万2千となり、自民党を抜いて日本の政党でトップに立ったんだそうだ。これに対して立憲民主党自身が、「中の人が 1番びっくりしてます」 と反応している。(参照) ちなみに不肖私もフォローした。

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こんなことを言ったらマジメな立憲民主党支持者に怒られちゃうかもしれないが、この間の推移を見ていて私は、最近の 「SMAP 独立騒動」 を想起してしまった。いや、もしかしたらマジメな SMAP ファンからも怒られちゃうかもしれないが、私としてはシリアスな話である。

SMAP の件に関してはビミョーな部分はほとんど知らないのだが、ジャニーズ事務所から独立した 3人がネットに活路を求めているのだという。スポーツ新聞の Daily News が 「新 SMAP: 新しい地図の独立劇は ”テレビvs.ネット” の新旧メディア戦争だった」 という記事を載せていて、ちょっと興味深く読んでしまった。

ジャニーズ事務所がテレビ依存の "B to B" とするなら、3人の独立メンバーの戦略は "B to C" なんだそうである。なるほどね。ある意味、言えてる。テレビの制作なんて流通に喩えれば旧態依然とした 「問屋」 みたいなものだから、つまらない番組が多いのも道理だ。(「旧態依然としてない問屋」 もあるにはあるが)

だからそんなものすっ飛ばして、ユニクロ的に 「製造小売業」 みたいな存在になってしまえばいいというのは、うなずける戦略である。問題は、SMAP 独立組にそれだけの才覚と戦略があるかどうかだ。ブレインが付いてはいるんだろうが。

とすると同様に、立憲民主党も 「後援会」 なんていう地域のオッサンの利益誘導グループや、「連合」 みたいな労働団体 (いわば典型的な 「旧態依然とした問屋」) なんかに頼るよりも、より自由な個人との結び付きでやっていくことができたら、日本の政治状況も少しは変わるだろう。

問題は SMAP 独立組同様に、それをしっかりやっていける才覚と戦略があるかどうか。それと、結局 「連合」 に頼ったりして、彼らの代弁者になり下がるリスクがあるということだ。

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2017/10/04

「希望の党」 への複雑な思いを振り切る

来たる衆院選には、私は一言では言えないごちゃごちゃした思いを抱いていた。まず先月 17日の "「自分の都合解散」 と名付けたい" という記事でも書いているように、安倍内閣の仕掛けた今回の衆院解散には腹が立っていたのである。「よくまあ、そんなに勝手なことができるものだ」 と思っていた。

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ところがそのうちに小池さんが 「希望の党」 なんてのを立ち上げたものだから、急に 「へえ、おもしろくなっちゃったんじゃないの?」 という気になった (参照)。自民党にしてみれば、「とんでもないブーメランが返ってきてしまった」 と思っただろう。

ただし私としては、小池さんのやり方にはかなり複雑な印象をもっている。まず、手垢の付いた古い政治手法に対してアンチを突きつけている点に関しては、かなり評価してきた。それについては、今年 7月の "都議選は 「団塊の世代の尻尾」 の勝利" という記事で率直に書いている。

ただし小池さんの政治信条そのものに関しては、決して賛成しているわけではない。昨年の都議選直後の "「団塊の世代の尻尾」 の都知事が生まれることについて" という記事で 「彼女の具体的政策に関しては、必ずしも賛同しないのだが、旧世代の価値感に一撃を加えるという点では、ちょっと期待している」 と書いているように、我ながら少々 "モニョモニョ" になってしまうのである。

そんなわけで、8月 14日の "「ちょっとデキる女」 の話し方スタイル" という記事で、次のように書いている。

私は小池都知事という人に関して 「団塊の世代以前の価値感とスタイルを壊してくれること」 を期待しつつも、「この人、やることにそつがないよね。そつがなさ過ぎて可愛くないところもあるけど」 と、ちょっと警戒もしている。

言ってしまえば、「旧来の枠組みを無力化する道を開いてくれさえすれば、そこから先は誰かに代わってもらう方がいい」 というのが本音だ。というわけで、これから始まる衆院選に関しては、「希望の党にはそこそこ頑張ってもらって、安倍政権を停めてくれさえすれば、それでいい」 みたいに考えていた。我ながらちょっとズルいスタンスではあるが。

ところがそうこうしているうちに、枝野さんが 「立憲民主党」 を立ち上げてくれた。これ、安倍自民は論外として、「希望の党」 よりもずっとしっくりくる。「ズルいスタンス」 で 「希望の党」 に投票するしかないかなあと思っていたのだが、個人的にはおかげで複雑な思いを振り切ることができた。

細かいことを言い出せばキリがない (例えば辻元さんは要らないし) が、次はこれで行こうと思っている。しかし問題は、ウチの選挙区に立憲民主党が候補者を立ててくれるかどうかだ。もし候補者がいなかったら、小選挙区は希望の党、比例区は立憲民主党なんて、ますますズルい投票をすることになるのかなあ。まだわからんけど。

いずれにしても、6年半前みたいに 「枝野、いいから寝ろ!」 なんて言わない。

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2017/10/03

カメムシの味は青リンゴの清涼感らしい

半月ほど前に 「カメムシの話」 という記事を書いた。クルマのボンネットの横にカメムシがひっついていたので、潰さないように放っておいたところ、勝手にどこかに飛び去ってくれていたというお話である。とにかくカメムシは潰してしまうとやたら臭い臭いがするので、扱いに注意が必要なのだ。

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ところが朝日新聞の女性記者が、そのカメムシを食べてみるイベントに参加したというのである。その体験記事がインターネット上に掲載されている (参照)。

私は 4年ちょっと前に 「イナゴの佃煮」 という記事で書いた通り、イナゴは平気で食べられる。というか、好物ですらある。この記事の中で、私は次のように書いている。

私からすると、虫が食えないくせに、どうしてエビやカニは食えるのだろうと思う。シュリンプなんて、気分はほとんど虫だし、カニなんてチョー大型の虫だ。それに、エビを生で食えるくせに佃煮にしたイナゴが食えないなんて、どうにも理解できない。

今後、地球温暖化によって食料問題が取りざたされる時が来る。必ず来る。そうなると牛や豚なんていうのは、生産効率からしたら問題ありすぎだから、食肉業界は遠からず衰退するだろう。そうなったら、動物性タンパク質は魚と虫で摂るのが一番いい。

イナゴがフツーに食えるんだから、昆虫食は平気という自信があったが、さすがに 「カメムシを食う」 と聞いて 「ギャッ!」 と思った。あの臭いの元を口に入れるなんて、相当のことだ。ところが記事を読むと、「ホシハラビロヘリカメムシは青リンゴ風味で甘酸っぱく、マルカメムシはパクチー風の清涼感」 とある。

へえー、そうなんか、そんなに 「食えるもの」 だったんかと、機会さえあれば食ってみてもいい気がしてきた。もっとも、自分でわざわざカメムシを捕まえて料理してみようとまでは、まだ思っていないのだが。

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2017/10/02

22℃で 「肌寒い」 と感じるのが新人類なのか?

小学生の頃に買ってもらった 「気象天文の図鑑」 (確か小学館発行だったと思う) に、正確な言い回しは忘れてしまったが、「18℃が快適な気温 」 というようなことが書いてあった。刷り込まれるというのは恐ろしいもので、以来私は、気温が 18℃ になると快適さを感じてしまう体になってしまった。

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私の生まれ育った山形県庄内地方は、少なくとも 1970年代までは、真夏でも最高気温が 30℃を超える日は多くなかった。だから子どもの頃は気象台発表の最高気温が 29.7℃なんていう日でも、暑くてひいひい言っていた記憶がある。そして秋になれば一挙に 20℃を下回る日が多くなり、快適な涼しさを感じていた。

その庄内地方でも最近は、真夏の最高気温が当たり前のように 32〜33℃ぐらいになっている。フェーン現象が発生したら平気で体温以上になってしまうのだから、昔の常識は通用しない世の中になった。

最近、ラジオの天気予報などを聞いていると、気象予報士が 「明日はぐっと秋らしい天気になって、最高気温も 22度ぐらいまでしか上がらない見込みです」 なんて言うと、MC が 「22度ですか。そうなると、ちょっと肌寒く感じそうですね」 なんて反応する。気象予報士も 「そうですね。明日は長袖の上着を用意してください」 なんて言っている。そんなことでは、18度では震えてしまうだろう。

最高気温が 25℃になったら 「夏日」 なのだから、人間には 「暑い」 と感じられて当然で、22℃ぐらいではむしろ 「少し暖かい」 ぐらいに感じられても不思議ではない。私はとくに暑がりというわけではないと思うのだが、22℃の気温でパタパタ動き回っていたら汗をかいてしまうので、ポロシャツ 1枚でも十分いける。

ただ最近は 「温暖化」 のせいで、夏から初秋にかけては 30℃を超えて当たり前になったので、人間の体も暑い方に順応してしまっているのかもしれない。22℃で肌寒く感じるぐらいが、最近の気候には合っていると言えないこともない。そうでないと、35℃なんかになったら死にそうになってしまう。

ということだと、22℃で 「肌寒く感じそう」 と言うのが新人類で、「18℃ぐらいが一番快適」 なんて言っている私は旧人類ということになってしまいそうだ。なんだかなあ。

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2017/10/01

「はたいてしまう悪い癖」 という、相撲協会の日本的論法

取り立てて好きでもない政治ネタを 3日も続けてしまったので、珍しく 「相撲ネタ」 なんかで書いてみようと思う。前々から書いてみたいと思っていたのは、「はたき、引き」 を相撲解説者は全然歓迎していないようだということだ。できれば押し出したり、寄り切ったり、投げ飛ばしたりしてもらいたいみたいなのである。

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しかし相撲に 「引き」 や 「はたき」 は付きもので、実際にはこれで勝負がついてしまうことがかなり多い。そして、引いたりはたいたりした力士が勝つと、解説者は別段悪くは言わないのに、それで失敗して負けてしまうと、「また、はたいてしまう悪い癖が出てしまいましたね」 と、散々な言いようになってしまう。このあたり、私には典型的な 「結果オーライ主義」 にしか思われないのである。

ちなみに、相撲には 「突き落とし」 という決まり手がある。これ、正面から突き飛ばして土俵から落っことしてしまう技のように聞こえるが、実際には、前のめりになった相手の背中を上から突いて這いつくばらせる技である。

はっきり言って 「引き落とし」 と区別がつかない。Wikipedia にも 「引き落としと判別しにくいことがある」 とあるほどだ (参照) 。私に言わせたら、「判別しにくいことがある」 ではなく 「判別しにくい」 と言い切ってしまえばいいと思うのだが。

これ、便宜上 「突き落とし」 という決まり手を用意しておかないと、「引き落とし」 と 「はたき込み」 ばかり多くなってしまって、相撲協会としては決まりが悪いからじゃないかと、私は疑っている。

さらに言えば 「はたいてしまう悪い癖」 ではなく 「はたきが下手ですね」 で済むことだとも、私は思っている。はたきが上手だったら、「悪い癖」 なんて言われずに済む。このあたり、どうも相撲協会という組織は建前論が先行して、実質論が育たないところだと思うのだよね。

まあ、とても 「日本的」 ということなのだが。

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