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2018年1月に作成された投稿

2018/01/31

「好きなサービス」 と 「嫌いなサービス」

"日経ビジネス・オンラインに "「店員が出口までお見送り」 好きですか? 1000人に聞いた 「好きな接客」 「嫌いな接客」" という記事がある。

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まず、客に歓迎されている接客というのをあげると、筆頭は 「いらっしゃいませ」 という声がけで、「好き」 が 663人で、「好きではない」 の 24人を圧倒。他には、「弁当に添えられる 『おしぼり』」 は肯定派が 521人、否定派は 18人。「温かい食べ物・冷たい食べ物を別々の袋に分けて入れる」 は肯定派が 604人、否定派は 14人だった。

ホテルや旅館などで 「従業員が、部屋まで荷物を運ぶ」 も、肯定派 473人で、否定派の 78人を大幅に上回ったというのである。

ふぅん、世間一般の受け取り方って、こういうものなのかと、私はかなり違和感をもってしまった。「いらっしゃいませ」 ぐらいは、まあ、フツーのことなんだろうが、弁当に添えられる 「おしぼり」 なんて、私には資源の無駄にしか思われない。

コンビニで従業員が温かいものと冷たいもので袋を分けようとしたら、私はいつも 「分けないで、一つの袋にして」 と逆注文する。そして従業員が部屋まで荷物を運ぶというのは、そんな高級ホテルには泊まらないから、私には関係ない。

記事で 「要注意」 とされた、「好きではない」 という回答が 「好き」 の 3倍を超えたサービスは、飲食店などの 「ご友人同士ですか、会社の同僚ですか」 や、「どちらからお越しですか」 などの声かけ。プライバシーの侵害と思われるようだ。また、タクシー運転手の自己紹介や、「何をお探しですか」 という声かけも歓迎されない。

私は逆に、前の二つ程度の声かけは、フランクな会話のきっかけとなるサービスとして悪いものじゃないと思うがなあ。ただ、タクシー運転手の自己紹介なんてされた覚えがない。そもそも、タクシーってあまり乗らないし。ただ乗った時には大抵楽しく会話が弾むがなあ。性格のいい運転手さんに巡り会う運命なのかもしれない。

ただ、売り場で店員が近寄ってきて 「何をお探しですか」 と声をかけられそうになったら、これ見よがしに売り場を離れることにしている。あれって、邪魔以外の何物でもないんだよね。そもそも、本当に商品知識が豊富で相談するに値する店員なんて、ほとんど出会った例しがない。

調査では 「黄信号」 とされた、「好き」 と 「好きではない」 が拮抗しているサービスの中で興味深いのは、「開店時、入り口に店員らが並んでの一斉の挨拶とお辞儀」 で、「好き」 が 133人、「好きではない」 が 223人という結果だった。私に限って言えば、何が苦手と言って、これが一番苦手なので、百貨店の開店時の入店は絶対に避ける。というか、これのせいで百貨店そのものが嫌いになってしまった。

今回の調査でも 「好きではない」 の方が 2倍近くに達しているのに、どうしてあんなことやるのか、さっぱりわからない。要するに私は、「慇懃無礼」 が嫌いなのだよね。ただ、世の中にはウルトラ慇懃無礼なサービスが大好きな人種もいるから、一筋縄ではいかない。

記事でも、"これら 「黄信号」 は好きな人も一定数いるため、単純にやめてしまえば 「おもてなしが後退した」 と客に受け止められるリスクがある。ある意味では「要注意」よりも要注意なサービスといえるだろう" とされている。つまり一度始めてしまったのが、そもそもの間違いの元だったのだね。

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2018/01/30

関東の道路は少しばかりの雪で悲惨なことになる

今朝は茨城県の中央から北の地域では結構な雪が降ったようだが、県南のつくば地域はちらほら舞ったぐらいで積雪には至らずに済んだようだ。積雪による立ち往生で大渋滞という事態にはならなかったが、早朝の道路凍結でスリップ事故が多発して、それなりの渋滞があちこちで発生した。

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朝からひっきりなしにパトカーのサイレンの音が聞こえていたので、一体何が起きたのかと思っていたが、9時頃に出かけたところ、あちこちでスリップによる衝突や自爆事故が多発していたのだった。私は東北生まれなので、この程度のことで事故が多発するなんて、あまり考えられなかったのである。

路面が凍結している早朝にノーマル・タイヤで出かけ、カーブの直前でフツーにブレーキ・ペダルを踏み込んだら、大抵自爆する。関東のドライバーは、そのことをあまり知らないようなのである。というか、ブラック・アイスバーンというのを知らないので、自分の走っている路面が凍結していると意識できないのかも知れない。

雪が積もり、路面が白くなって凍結していると、必要以上にビビるのに、雪のない状態 (つまり路面が黒っぽい状態) で凍っているという状態が、存在することを知らない。それで軽い気持ちでブレーキ・ペダルを踏んで、制御不能に陥る。

タイヤというのは転がっているからコントロールできるのであって、氷の上で回転がストップしたら、スケートやそりと同じになり、そのままスーッと直線的に行ってしまう。その際に横の回転運動が加わっていたらさらに悲惨で、スピンしてどうしようもなくなる。雪国では当たり前の常識が、関東ではあまり知られていない。

というわけで、今朝は自爆車があちこちに転がっていて、普段は 20分で行けるところに、1時間近くかかってようやく到着した。こんなことなら、関東でも毎年雪がそれなりに降って、ドライバーがいやでも学び、雪用タイヤに履き替えるのが当たり前ぐらいになる方がずっとマシかも知れない。

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2018/01/29

成人式と 「同調圧力」

既にちょっと古いニュースになってしまった感があるが、例の成人式で晴れ着が着られなくなった 「はれのひ」 騒動について、一体どういう意味があるのかを探ってみたいと思う。

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そもそも成人式って、世間で言われるほど大切なものなんだろうか? 私自身は、ずいぶん前の話になるが、「そんなもの、出席するだけ馬鹿馬鹿しい」 と思っていたので、完全無視していた。そして改めて成人式の出席率を調べようとしてみると、まともなデータを探すこともできないほど曖昧な状態になっている。

ざっとしたところでは、「出席率は 50〜70%」 と言われている。「ほとんどの新成人がお洒落にキメて参加するもの」 と思っていた人にとっては 「低すぎる」 印象かもしれないが、私のような者にとっては 「え、そんなに出てるの?」 とびっくりするような数字である。

そもそも成人式とは、住民票をおいてある自治体の儀式に出るのが原則らしい。ニュースなんかをみると、田舎の成人式では晴れ着を着て 「久しぶり〜」 なんて言って、あたかも高校の同窓会みたいなことになっている光景が映し出される。

田舎では高校を出たら都会に出ちゃうケースが多く、私の場合も成人式の知らせは、当時住民票をおいていた東京都国分寺市から来たはずだ、そんなわけで、「こいつら、住民票を移してないんかい!?」 と驚く。あるいは、飛び入りでも参加を断られるケースは少ないらしいから、どうでもいいから田舎に帰っちゃうというのが多いのか。

いずれにしても、最近の成人式は退屈な儀式が終わったら二次会で高校の同窓会になってしまうことが多いらしい。近頃の連中って (いや、親雄頃に限らず)、群れるのが好きだなあ。

で、例の 「はれのひ」 問題に移るが、晴れ着が着られなくなったということで、「人生に一度の成人式を台無しにされた」 という論調が多いのにも、ちょっと驚かされる。どうせ 「同窓会」 なら、べつにいいじゃんと思うのだが、どうもこの日ばかりは特別な 「勝負同窓会」 であるらしい。

それで女性は 9割が振り袖姿で現れるということになるようなのだが、この辺りに、日本という国のものすごい 「同調圧力」 を感じる。日本の高校では金髪の外国人留学生でも、黒く染めさせるなんて言うところもあるらしく、その根っこは同じなんじゃないかと思うのだ。

私なんか、このあたりがとても気持ち悪いことに感じられてしまうので、やっぱり成人式にはハナから出る気がなかったのだよね。こんなことは人生に一度、一日で済んでしまうのが、救いと言えば救いである。しょっちゅうあったりしたら、頭がおかしくなってしまう。

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2018/01/28

「りんりんロード」 とイノシシ

茨城県のサイクリングロード、「りんりんロード」 で、利用者ら 2人が相次いでイノシシに襲われたというニュースが入ってきた (参照)。この 「りんりんロード」 というのは目立った高低差もなく、初心者にも走りやすいコースとして最近人気が高まってきているので、ちょっとびっくりしているところである。

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実はこの 「りんりんロード」 というコースは、昨年冬に私も走っていて、その時のことを 『和歌ログ』 に書いている。ただ、あまりにも平坦すぎてつまらないので、途中から筑波山への道にコースを変え、ロープウェイの発着所となるつつじヶ丘まで、結構ハードなヒルクライムをやっちゃってる (参照)。上の写真はそのりんりんロードから筑波山を撮影したものだ。

あの時はイノシシに遭遇なんてリスクはほとんど意識しなかったが、まあ、この辺りはイノシシが多いと言えば多いようで、畑を荒らされる害が増えている。私は幸か不幸か、ナマのイノシシには遭遇したことがないが。イノシシの足跡はしょっちゅう見る。

今回イノシシに襲われた 70歳の男性というのは、たまたまこの道を走っていたらしい。昨日みたいな寒い日にサイクリングしていたのだから、相当元気な人なんだろうが、指を噛みちぎられたというのだから、本当にお気の毒なことである。

雪が降った直後で、山の中は雪に覆われてしまったので、イノシシとしては餌を漁りに日のあるうちに下まで降りすぎたのだろう。今回のニュースで、もしかしたらこの道を走りに来る人は少し減るかもしれない。

私としては去年だってものすごく寒かった記憶があるので、今年はもう少し暖かくなるまで待とうと思っていたところである。またつつじヶ丘まで登るつもりだから、こんな寒さの中を走ったら、イノシシに噛まれなくても冷気で指先の感覚がなくなってしまう。

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2018/01/27

私は 「インフルエンザにかかりにくい免疫力」 をもっているようだ

日本気象協会の tenki.jp というサイトに、「インフルエンザにかかりやすい人ってどんな人? 〈免疫力〉 について考えよう」 というページがある。どうやら免疫力の高い人と低い人というのは、確実にいるらしいのだ。

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で、自分自身のことについて考えてみると、子どもの頃の確実な記憶なんてないが、少なくともここ 50年ほどのことでいえば、インフルエンザというものにかかったことがない。というか、多少風邪気味でも滅多に医者にかからないので、「インフルエンザですね」 と診断されたことがない。

さらに 「もしかして、あの時って、インフルエンザだったのかな?」 と思えるような、しんどかったという記憶もないので、ということは、私は確実に 「免疫力が高いタイプ」 なんだと思う。

このページの情報によると、「免疫」 というものには 「自然免疫」 と 「獲得免疫」 の 2種類があり、前者は 24時間休まずに体内をパトロールして、侵入してきた病原体に最初に反応し、「獲得免疫」 に知らせる役割を持つ。

そして 「獲得免疫」 というのは、病原体との戦いを積み重ね、経験値を高めていくタイプの免疫力なのだそうだ。その防御作用は強力だが、初めて出会った病原体に対して有効性を発揮するまでには、少し時間がかかるという。

日ごろから 「自然免疫」 を高めておくと、警報を受けた 「獲得免疫」 も素早く戦え、免疫力全体が高まるというので、要するに、じゃあ、その 「自然免疫」 はどうしたら高まるのかというのが問題だ。記事によると、「規則正しい食生活、十分な睡眠、適度な運動、ストレスフリーを心がける」 という 4点が重要だという。

うむ、私の場合、食生活に関してはそれほどメチャクチャというわけじゃないから、ギリギリ 「規則正しい」 ということにしておこう。睡眠は、忙しくて睡眠不足の時はチョコチョコ細切れに居眠りして補っているから、これもギリギリ合格ということにする。

「適度な運動」 ということに関しては、まあ、イケてると思うし、「ストレスフリー」 ということについても、元々細かいことを気するのは面倒くさいと感じる性分だから、合格だろう。ということは、私のライフスタイルははからずも 「インフルエンザにかかりにくい免疫力を高めている」 と言えそうだ。ありがたいことである。

というわけで、この冬もなんとか乗り切れそうだ。寒さに震えてはいるけれど。

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2018/01/26

いきなり 「私自身でありなさい」 と言われてもなあ

今、大阪出張中なのだが、電車内でみたポスターに 「???」 となってしまった。写真からはちょっと読み取りにくいかもしれないが、「森林の仕事 ガイダンス」 というポスターのキャッチ・コピーが "Be myself" というのである。

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直訳すれば 「私自身でありなさい」 となる。注意していただきたいのは、「あなた自身でありなさい」 ではなく、あくまで 「私自身でありなさい」 だということだ。

前に自動車のマツダの "Be a driver" (運転手であれ) というコピーにも一言文句を言わせていただいた (参照) が、今回の 「私自身であれ」 には、「そんなこと言われても、俺、お前自身になるなんて不可能だし」 と反応するしかない。

マツダのコピーのココロが 「マツダは、ドライバーでありたい」 ということらしいのと同様に、このコピーもまた、その下に日本語で書かれているように 「らしく、行こうぜ」 というココロなのだろう (参照)。 だったら、素直に "Be yourself" と言えばいい。(わざわざ言われるまでもないことだが)

どうも日本のコピーライターはこの手の英語に関して、センスがおかしくなっているのだね。動詞を原形で使ったら命令形という単純な英文法を、広告コピーを作る段になると、完全に忘れてしまうようなのだ。

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2018/01/25

つくばの里も、このくらい寒くなれるんだ!

近頃のつくば周辺は、ちょっと記憶にないくらいの冷え込みだ。明け方はマイナス 6度を下回ったようで、「つくばの里も、このくらい寒くなれるんだ。なかなかやるじゃないか!」 と言ってあげたいぐらいの様相を呈している。

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空だけは晴れ渡って太陽がさんさんと輝き、風もかなり吹いているので、白いタオルの洗濯物を外に出して乾かしていたところ、午前 10時過ぎに気付いたら、かちんかちんに凍っていた。昼前頃までは氷点下の気温だったようだ。

ダークカラーのシャツはさすがに日光を吸収して乾いていたが、白い物は熱を反射してしまうので、こんなことになる。田んぼや畑に雪が積もったままだと、なかなか解けにくいのと同じ理窟だ。だから雪の積もった畑に黒い土をまいて、解けるのを早めたりするところもある。白い雪に黒土をまくと、見た目はかなり興醒めなんだが仕方がない。

最近なかなか自転車に乗れていないので、今日は用足しのため、取手までの往復約 20kmの道でペダルを漕いだ。行きは完全に追い風で、スピード・メーターを見ると時速 35km ぐらい出ているのだが、全然疲れない。普通は時速 20km 以上だと耳元で風切り音が鳴るのだが、妙に静かだし寒くもない。きっと秒速 10m 以上の風速と同じぐらいのスピードで走っていたので、無風状態のような感覚だったのだろう。

その代わり帰りは大変な向かい風で、時速 20km をキープするのが一苦労だった。耳当てとグローブを着けてはいたが、とくに指先が千切れるほど冷たい。明日の出張は取手駅まで自転車で行こうかと思っていたのだが、朝早くそんなチャレンジをしたら寒くて凍えそうなので、諦めてバスにすることにした。これでももう、「前期高齢者」 なので。

写真は橋から見下ろした小貝川。川面の色が、完全に冷たい冬の青だ。

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2018/01/24

南方熊楠のことは 「一人ビッグ・データ」 と呼ばせてもらう

昨年暮れから上野の国立科学博物館で開催されている 「南方熊楠生誕 150周年記念企画展 南方熊楠 100年早かった智の人」 という展示会を見てきた。"An informant-savant a 100 years ahead of his time" という英語タイトルがすごくいい。"informant-savant" というのは 「資料・情報の大御所」 とでも訳したらいいのかなあ。日本語原文の 「智の人」 より具体的で相応しい言い方だと思う。

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南方熊楠という人をフツーの人名辞典的に理解しようとしても、まず無理で、私もこれまで、「スゴいけど、よくわからん人」 と思ってきた。で、今でもその思いは基本的に変わらないのだけれど、今回の企画展を見て、「ああ、だからこの人、『よくわからん』 のだな」 というところは見えてきた。

つまりこの人、「一人ビッグ・データ」 なのである。子どもの頃から天才的な記憶力の持ち主で、一度読んだことは後になってからそのまま筆写できたというのだからすごい。その能力を遺憾なく発揮して、古今東西の博物学などの書物を 「抜書」 という形で筆写しまくり、自家薬籠の知識として蓄えてしまった。

またその 「抜書」 というのがすごい。虫眼鏡を使って読みたくなるような細かい字で、びっしりと書き込んであるのだ。私なんか、展示された 「抜書」 の細かい字を見て、頭がクラクラしてしまったよ。よくもまあ、こんなことを日本、米国、ヨーロッパを舞台にしてまで何十年も続けられたものだ。

こんなに細かい字で百科辞書にも収まらないほどの知見を書き留め続けていられたのも、自分の 「癇癪持ち」 の性分を鎮めるためというのである。実はこれ、一種の 「ビョーキ」 が昇華したカタチなんじゃなかろうか。

で、既存の知識を 「抜書」 するだけでなく、実際のフィールドワークも精力的にこなして、結構な生物学的発見もしちゃってるのだから、またまたすごい。ただ、いくら発見しても既存のアカデミズムと別の世界で生きていたので、「発見者」 として名を残している部分は少ないらしいのである。

で、そんな 「名誉」 的なことには案外無頓着で、ひたすら自分なりの方法論でやってきたらしい。そしてその知見集積と処理の仕方が、現代のコンピュータを駆使したデータ処理の手法に通じるものだったようなのだ。そりゃそうだろう。それだけの膨大なデータを処理しようとしたら、ごくフツーの三段論法や散文的処理の仕方では追いつかない。

フツーなら 「詩的直感力」 の領分になってしまいそうなところである。例えば柳田国男なんか、かなり詩人 (歌人) だし、折口信夫となると、詩人・歌人としての資質の方が大きいと思っている。しかし南方の場合は、あくまで個別サンプルのデータをもとにして、「ビッグ・データ」 的な情報処理を行ってしまっているのだよ。

こんなのだもの、そりゃ、近代的な学問の世界からははみ出してしまったのも当然だろう。フツーのアカデミズムの世界では生きられなかったのだ。まさに 「100年早かった」 んだろうね。

それが今になって急に 「具体的な注目」 を浴びてしまっている。学問的アプローチや情報処理の仕方が、ようやく追いついてきたのだろう。で、我々に残されたタスクは、彼の残したビッグ・データをどう運用・解釈して、具体的な知見とするかということなのだろう。

ただそれに取り組むには、彼の膨大な 「抜書」 をすべて 「読み起こす」 作業を完成しなければならない。「読み取って、改めて書き起こす」 ということを、ここでは便宜的に 「読み起こす」 と言ったのだが、彼は何しろ昔の人なので、「抜書」 も変体仮名駆使しまくりで、ほとんど 「古文書」 の域に近いから、今の理科系研究者には手強いかもしれない。

このまま 「一人ビッグ・データ」 として残る期間がやたら長くなって、「スゴいけど、よくわからん人」 と思われ続ける可能性も高いよね。

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2018/01/23

雪にもいろいろある

今朝の我が家の近辺は一面の銀世界だった (本日の 「和歌ログ」 参照) が、どうしても出かけなければならない用があったので、2時間がかりで県道まで出る道の雪かきをした。いつもの冬は早めにスタッドレス・タイヤに履き替えているのだが、今年は油断していてノーマル・タイヤのままだったのだ。

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ようやくの思いで県道に出てからも慎重に運転して目的地に着くことができ、ミッションは果たすことができてほっとした。そして日が暮れてから道路を走ると、何と雪がほとんどないのである。自宅近辺の道路も、道の端に雪は残っているものの、ほとんど影響がないくらいに解けている。昨日の記事で触れた 4年前の雪と同様の推移を示したようで、あっという間に解けてしまったもののようだ。

それにしても、関東の雪というのは呆気ないものだ。私の生まれた山形県庄内平野では、雪が降り出したら、大抵降り続く。そんなに深くは積もらないが、翌日にほとんど解けてしまうなんてことはほとんどない。

庄内平野の雪がそんなに深くは積もらないというのは、強風に飛ばされてしまうからである。何しろ、雪は上から降るのではなく、下から吹き上がるのだ。これを日本語で 「地吹雪」 という。私の故郷、酒田市は、人間がフツーに都市生活をするところとしては、「世界最凶のブリザード地帯」 なのだそうで、先が見えない地吹雪の中を、手探りするように学校に行ったことが何度もある。関東だったら確実に休校になるところだ。

ところが、同じ日本海側の雪でも、所変われば様相がずいぶん違ってくる。私にとっての雪は、「びゅうびゅう吹き付けるもの」 だが、新潟県上越市生まれの友人の記憶の中の雪は、「しんしんと降り積もるもの」 なのだそうだ。一晩静かだと、翌朝は 1メートル以上の積雪になっているというのである。

「雪で感電するなんて、わからないだろ」 というので、素直に 「わからん」 と言うと、電線が隠れてしまうほどの積雪になるので、知らずに手で雪を掘っていると、「ビリッ」 とくるのだそうだ。そりゃ危なすぎるというものだが、実際にあったことらしい。そんなところに生まれなくて、本当によかった。

「上には上があるものだね」 と言うと、「いや、俺は手探りで学校に行くほどの地吹雪は経験ないから、そっちの話を聞いて 『上には上があるものだ』 と思ってた」 と言う。一口に 「雪」 と言っても、一様ではないのである。

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2018/01/22

思っていたより本格的な雪になってしまった

22日午後 5時を過ぎたところ。つくばの地にもしんしんと雪が降っている。裏の川も、水面以外は土手も中州も真っ白だ。正直なところ、思っていたよりも降り方が激しい。日付が変わって午前 3時頃までは降り続くらしいので、夜が明けた頃にはもっと積もっているだろう。

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明日はクルマで出かける用があるのだが、果たして大丈夫かなあ。今年はちょっと天気を甘く見ていて、スタッドレス・タイヤにも履き替えていないし。

こんな時にちょっと頼りになるのが、自分のブログだ。ニュースでは 「4年前の大雪の時と似た状況」 なんて言っているので、遡ってみよう。私は 「和歌ログ」 で 14年も前から毎日写真付きで歌を詠んでいるので、どんな様子だったかわかる。

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というわけで、平成 26年 2月 4日の 「和歌ログ」 をみると、添えられた写真はこんな具合である。

日が暮れかけた時分に家に戻って撮った写真のようで、今日のよりだいぶ暗いが、やはり土手は真っ白に雪に覆われている。階段の踊り場から撮った今日の写真とは角度も違うのでなかなか見分けにくいが、積もり方としては、ほとんど同じ位なのかなあ。

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そしてその翌日はどうなったのかというと、こんな具合で、既にだいぶ解けてしまっている。4年前は、翌日が上天気だったので、雪解けがあっという間に進んだようで、今回も明日はよく晴れるという予報だ。ということは、朝のうちに慎重にでかければ、案外大丈夫かも知れない。

ただ、4年前はどのくらい夜が更けるまで降り続いたのかという記録が手元にない。今回は夜半過ぎまで降るというから、こんなにあっという間に解けてしまうことはないかもしれない。判断が難しいところである。まあ、結局のところは、文字通り運を天に任せるしかないのだろうね。

いずれにしても 「和歌ログ」 は我ながら酔狂なブログと思いながら続けてきたのだが、ひょんなところで少しは役に立つとわかって驚いた。何事も長く続けさえすれば、それなりの存在意義をもってしまうものである。

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2018/01/21

タクシー離れは、何も若者だけじゃない

東京ハイヤー・タクシー協会が昨年の 4月から 9月まで、就活中の学生に運賃 1000円分が無料になるチケットを配布したのだそうだ。このチケットを使えば、「就活応援タクシー」 のステッカーを貼った東京都内のタクシーに約 3km分乗車できるということだったようだ。(参照

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「若者のタクシー離れ」 に歯止めをかけようというプロモーションらしいが、効果のほどは怪しいものだったらしい。記事は次のように報じている。

2017年に配布した5780枚のうち、実際に利用されたのは1422枚。チケットを渡した人の約25%が利用したということになる。

「1000円分無料でタクシーに乗れる」 という特典を用意しても、4人に 1人しか使わなかったのである。そのココロは、「実際に乗ったら 1000円で済みそうにないし、だったら、バスか徒歩にするわ」 ってなことだったのだろう。近頃の学生の経済観念はかなりしっかりしてる。さすがにバブル崩壊以後の世代だけのことはある。

ただ、タクシーを使うことに抵抗があるのは、なにも若者ばかりとは限らない。私だってタクシーに乗るなんて、1年に10回未満だ。これは領収書添付で仕事の受注先に請求できる場合を含めてのことで、 プライベートでの利用に限れば、年に 1回あるかないかである。2〜3km なら歩くし、かなり遠くだったら、レンタカーの方が安くて自由がきく。

世の中には大した距離でもないのに平気でタクシーに乗りたがる人種がいる。前に勤め人をしていた時は、同僚の女性が月に 3万円分ぐらいタクシーに乗っていた。ほとんど都内で移動するのにどうしてそんなにタクシーを使うのか、想像もつかない。

経理担当は、「到底そんなにかかるはずのない距離で、5000円近くの領収書を平気で出してくるんだもの。プライベートにまで使ってるとしか思われない」 と呆れていて、遂に 「タクシー利用をできるだけ控えるように」 というお達しが出るに至った。私としてはどうせタクシーなんか使わないから影響はないのだが、彼女はかなり不満そうだった。

そんなようなこともあって、私は個人的には 「タクシーは贅沢以上の傲慢な乗り物」 というイメージすら抱いていて、できるだけ避けたいと、今でも想う。何も若者に限った話なんかじゃないのだ。

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2018/01/20

ウナギは食べないんだもんね

HUFFPOST が "このままでは絶滅?  「うなぎ」 の危機に私たち日本人ができること" という記事を載せている。ネタ元は Greenpeace Japan。この組織、シーシェパードとごっちゃにしている人が多いが、別の組織なので、変な色眼鏡で見ないように。読んで見ればわかるが、極めてまっとうな記事である。

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要するに、絶滅に瀕したウナギを守るには、我々日本人がウナギを食わないようにすればいい。少なくとも食う量を減らせばいいという、当然のことを述べた記事なのである。"いつまでも 「うなぎ離れ」 できない日本人" というサブタイトルが、かなり効いている。

まさにサブタイトルにある通りで、日本の新聞なんかはこの問題を扱うと、「日本の伝統的食文化の問題もあり、極めて難しい問題だ」 なんて、曖昧にぼかした書き方しかできない。そんなような記事に接してしまうと、「要するに、記者のお前が食いたいだけなんだろ!」 と言いたくなってしまうのだよね。

私は結構前から、ウナギに関しては明確に 「食わないことにする」 と宣言している。代表的な記事だけを挙げても、こんな具合だ。

当面、ウナギとマグロは食わないことにする (2013.6.14)

「ウナギとマグロは食わないことにする」 ということについて (2013.8.3)

ウナギを食うのは早めに諦める方がいい (2016.9.26)

高いウナギなんか食わなくても生きていけるし、スーパーなんかで売られている安いのはアヤし過ぎだ。日本市場で流通するウナギの 8割は中国産 「薬漬けウナギ」 のはずなのに、スーパーで売られるウナギはほとんどもっともらしく 「国産」 と表示されている。これを見ただけで、私なんかは世をはかなんでしまうよ。

最近では土用丑の日には休業するという、志の高い鰻屋さんも出現している。我々も潔く 「ウナギが種の絶滅という危機から抜け出すまで、食べないもんね!」 という姿勢を打ち出しさえすればいいのだ。もっとも、「危機から抜け出すまで」 と言っても、実際にはもう一生食べられないってことだろうけど。

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2018/01/19

「痛散湯」 の世話にならずに済んだ

昨年の 11月頃、自転車でいきなり 140km のロングライドをしてから、ちょっと足腰にキテいて、普段はとくに意識しないのだが、朝起きてからしばらくの間、階段の上り下りなどで、体の後ろ側、お尻から太股にかけての筋肉の痛みに往生していた。しばらく放っておけば治るだろうと思っていたが、年を越しても痛いのである。

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そんな時というのは、ラジオで流れる 「痛散湯」 というクスリの CM が妙に気になってしまう。生島ヒロシが 「お尻から太股にかけての鋭い痛みに、痛散湯がよく効きます」 なんて言ってるのを聞くと、「まさに、ソレだよ!」 と思いつつ、その 「無料の試供薬」 ってのを試してみようかなんて、妙に弱気になっていたのだ。

ところが今月のある日、自分の体がやたら硬くなっていることに気付いた。ぺたんと座って前屈しようとしても、上体がほとんど前に曲がらないのである。これには驚いた。昔は結構体が柔らかかったのに、いくら 65歳を過ぎたとはいえ、こんなにも筋肉が硬くなってしまっているのか。

そこで一念発起して、ストレッチに取り組んだわけだ。知識は元々あって、ただ近頃はさっぱりやっていなかったというだけのことだから、その気になれば早い。入念に 30分近くかけてやると、コチコチだった体もそれなりに柔軟になる。とくに腰から太ももの後ろ側にかけての筋肉は、しっかりと伸ばした。

すると、「何ということでしょう!」 と、どこかで効いたことのある言葉を言いたくなるほど、朝方にあれだけ痛かった筋肉痛がどんどん軽くなってきたのである。今日で 1週間目だが、ほとんど気にならないくらいにまで回復した。

痛散湯の無料の試供薬なんて、取り寄せなくて済んだわけだ。それよりも、ストレッチングの重要さがよくよくわかった。あちこちの筋肉痛に悩んでいる方がいたら、試してみるといい。とにかく金がかからずに楽になるのがうれしいではないか。ただし、最初はあまり無理をせずに、徐々に伸ばしていくことをお薦めする。

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2018/01/18

つくば市、終わったか?

最近、私の居住地の隣町であるつくば市の毀誉褒貶が激しい。都心との間を結ぶつくばエクスプレスのつくば駅前にあった西武筑波店とイオンが撤退してしまって、市の中心部が空洞化しつつある。そんな中、市民の意識調査で 「科学のまち」 であることに 「恩恵を感じない」 との回答が過半数を占めたのだそうだ (参照)。

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読売新聞の記事は、次のように伝えている。

科学のまちに恩恵を感じる人は、「どちらかといえばある」 が 22.0%、「ある」 は 14.8%で、4割に満たなかった。回答は 「あまりない」 が最多の 26.9%を占め、「ない」 は 23.5%だった。市の中心部では 「ある」 と答える人が多く、周辺部では 「ない」 と答える人が多い傾向があった。

「まあ、そんなもんだろうね」 という印象である。のほほんとした農村地帯だったところに、突如として筑波大学という大学ができて、理工系の街になった。何しろ、つくば市中心部では 「石を投げれば博士に当たる」 と言われるぐらいである。

とはいいながら、それはマジョリティってわけじゃなく、依然として 「茨城のオッサン」 がフツーに暮らす地域なのである。今は撤退してしまったが、西武筑波店は西武百貨店の中で床掃除が日本一大変な店舗だったという。農家のオッサンが長靴履いたまま来店するので、泥汚れが半端なかったのだ。

市の中心部には、石を投げれば当たるほどいる博士とその家族が大勢暮らしているので、彼らは 「科学でメシを食っている」 という実感が、そりゃあるだろう。しかし周辺部の人たちは 「別に」 ってなことになるのは当然だ。

早く言えば、住民の間に大きなギャップがあるのだ。中心部の 「ハイテク感覚溢れた街並み」 が、妙に浮いちゃってるのだよ。市としても、「つくば市は 『科学のまち』 なんだから、しっかりありがたがりなさいよ」 といったような意識があるみたいで、「恩恵を感じることがあるか」 なんて、妙に大上段に振りかぶった設問のアンケートを実施するあたりに、それを色濃く感じてしまうよね。

元々の住民とすれば、そんな聞き方をされたら、ムッときてしまって、ことさら否定的な回答をしたくなったりもするだろうよ。このあたりの 「空気感」 をどうにかしないと、「つくば市、終わった」 と言われちゃうのも仕方ないところかもしれない。

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2018/01/17

まだまだ寒い季節が続く

昨日辺りまでは、今日 17日は雨模様になるが、気温としては暖かくなるだろうという予報だった。ところが実際には、確かに雨模様とはなったが、決して暖かいというほどではなく、むしろ肌寒い一日なった。近頃の天気は、そう甘くはないようだ。裏の川に浮かぶ鴨たちも、寒そうな佇まいである。

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そういえば今月初め頃の天気予報で、某気象予報士が 「寒気は今がピークで、今後だんだんと緩んでくるとみている」 と発言していた。その根拠は、「この冬は、12月頃からずっと厳しい寒さが続いているので、そろそろ北極付近の寒気団も、「寒気の在庫」 が尽き始めているのではないかという話だった。

ところがあに図らんや、週間天気予報を見ると、今月末あたりから再び厳しい寒さとなり、「この冬一番の冷え込み」 になるだろうとされている。「寒気の在庫」 はまだまだ尽きていなかったようなのだ。まさに天気は甘くない。

毎年のことながら、今の時期は 「寒い寒い、春はまだか」 と、季節が変わるのを心待ちにするようになる。ところが待つ身にとっての時間の流れは長く感じるもので、なかなか進まない。そして来月中頃に一度春っぽさを観じてしまうと、そこから先は怒濤の早さだ。

というわけで、またあっという間に 1年が経って、来年になってしまうというのだろう。やれやれ。

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2018/01/16

「小正月」 が 「しょうしょうがつ」 になってしまうんじゃないか

昨日 1月 15日は 「小正月」 だった。読みは 「こしょうがつ」 である。関東の正月は、元日から 7日までが 「松の内」 だが、関西ではこの日までとするところが多い。そして関西式の方が歴史的な慣例に則っている。

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ところがこの 「小正月」 を、「しょうしょうがつ」 と読み違える人がやたら多い。4年前の 1月 16日に、"「小正月」 は 「しょうしょうがつ」 とも読むのかと思っちゃうほどに" という記事を書いているぐらいに多いのだ。もちろん辞書を引いても 「しょうしょうがつ」 なんて項目はないから、「こしょうがつ」の読みが正しいのは言うまでもないのだが。

ところで 4年前の記事には、次のように書いている。

「"しょうしょうがつ"」 というキーワードで検索しても、本日のところはわずか 23件しかヒットせず、しかもその中には、それまで 「しょうしょうがつ」 と読み間違えていたという記述の方が多い。とりあえず一安心したくなる。

ところが、4年前に 23件だったのが、今年はなんと、354件に増えてしまっているのだ。その中にはもちろん私の記事も含まれていて、 ”「しょうしょうがつ」 は誤り” であることを指摘したものも多いのだが、気がかりなのは、完全に 「しょうしょうがつ」 と思い込んでいるページがかなり増えていることである。

上の写真は、4年前の記事でも指摘した大阪心斎橋の 「作一」 という日本料理店 (ミシュランの 1つ星を獲得しているらしい) のサイトの中で、季節の風物を紹介したページ (参照) の中の拡大である。もっともらしく書いてはあるのだが、「小正月 (しょうしょうがつ)」 というのは、ちょっとね。あれから 4年以上経つのだから、早く修正してもらいたいものだ。

ただ、昨年暮れの "「雰囲気 — ふいんき」 問題を巡る冒険" でも書いたように、いくら間違いでも間違える人が圧倒的多数になってしまうと、そっちの方が認知されてしまうということがある。そのうち 「小正月は、『しょうしょうがつ』 とも言う」 なんてことになってしまいかねないではないか。何しろ 「ふいんき」 とは違って、「しょうしょうがつ」 と入力すれば何の問題もなく 「小正月」 に変換されてしまうし。

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2018/01/15

「光セラピーランプ」 という商品

今はどうだか知らないが、昔の漫画雑誌の一番後ろのページあたりは、アヤシい広告が満載だった。「運命が変わるブレスレット」 とか 「モテるフェロモン」 とか 「背が伸びるヨガ講座 (ビデオ付き)」 とか、甚だしくは、「服が透けて見える眼鏡」 などというトンデモ商品まであった。つい買っちゃうのがいるからこそ、ああいう商売が続いていたのだろう。人間は騙されやすい動物である。

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こんな昔の漫画雑誌の広告を思い出してしまったのは、Gigazine にあった 「Amazon で 9割近い高評価を集める光セラピーランプの中身は単なる電球型蛍光灯と判明」 という記事を読んだためである。「太陽光を浴びない生活で崩れがちな体調を回復させてくれる光セラピー効果を持つ」 という宣伝文句で販売され、結構満足度の高い商品として位置付けられている。

記事によると、シンガポールでのクリスマス休暇から戻ったとたんに、寒くて日照時間の少ない生活で体調を崩してしまったカナダ人のジャスティン・ラムさんという人が、Amazon で見た Therapy Energy Lamp (光セラピーランプ) を購入したのだそうだ。ところが、中の電球がごくフツーの電球型蛍光灯 (CFL 電球) とそっくりだったので疑問を抱き、分光器を使ってこの商品の光を計測した。

その結果、詳しいことは省くが、この商品はほとんど CFL 電球と変わらないことがわかったというのである。フィルターによって紫外線がカットされているという謳い文句もあったが、測定の結果は、「紫外線をカットするという特別な光学特性はないが、光自体を減退させることで紫外線量が気にならないレベルまで減退させることには成功している」 とわかった。

Amazon に行ってみると、これの類似商品がいくつか紹介されているが、「自然の太陽光に近い光で、エネルギーをチャージする」 とか 「冬の間の気だるさを解消して体の自然なリズムを取り戻す」 とかの謳い文句が踊っている。安いもので 39ドル 99セント、一番人気は 79ドル 95セントの商品である。結構な星印が付いて満足度が高いようなので、つい買ってみたくもなるのだろう。

しかし実際には単なる蛍光灯の光をちょっとマイルドにして、紫外線を少なくしているだけという商品のようなのだ。それでも人間はこの光を浴びて、「うん、いい観じ!」 なんて思ってしまうのだろう。気分の問題だけでいい気持ちになれるのだから、フツーに明かりを付けて暮らしていればいいのだろうがね。

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2018/01/14

PC 市場で Mac のシェアが 7.6% になったらしい

IPhone Mania が、「Mac が注目集めた 2017年、Apple は約 2,000万台の Mac を出荷」 という記事の中で、PC 市場における Apple の世界シェアが 7.6% に達したと伝えている。道理で近頃、Mac を広げて仕事をしている人を見かけることが増えたわけだ。

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Apple の 2017年の PC 出荷は1,996万台で、前年比 5.9%増。6年連続で出荷数を伸ばしている。PC 市場が世界的に縮小傾向にあり、2017年の出荷もトータルで前年比 0.2%減となっている中で、これだけ出荷数を伸ばせばシェアがアップするのも当然で、出荷台数が 10.6%減の ASUS を抜いて 4位にランクアップしている。

ちなみにシェアの上位 3社は、HP (22.7%)、Lenovo (21.1%)、Dell (16.1%) で、5位、6位は ASUS (6.8%) と Acer (6.6%)。以下は気の毒なことに "Others" (その他) と一括りにされて合計 19.1% と、束になっても HP と Lenovo の単体ベースに敵わない。PC 市場もずいぶん集約化されたものだ。

私が Windows 7 を OS とした Panasonic の Let's Note から MacBook Pro に乗り換えてから、既に 4年経ったが、同じようなことを考えて乗り換える人が増えているということなのだろう。あの頃は Mac のシェアは 5%と言われていたが、ざっくりと言って 5割増しぐらいに増えたわけだ。

4〜5年前ぐらいまでは、空港で PC を広げて仕事をしている人をみると Lenovo、Mac、Let's Note (Panasonic) の 3種類しか見当たらないという風情だったが、最近は Let's Note がすっかり少なくなって、その分、ASUS と Acer が増えているという印象だ。ただ、圧倒的に多いのは PC なんかではなくスマホで、そのスマホの半分は iPhone なんじゃなかろうかという気がする。

これだけ iPhone が多いと、PC の方も連携しやすい Mac に乗り換えるのに抵抗がなくなるのも当然だろう。私の感覚としても、スマホは iPhone なのに PC はWindows という連携の人は、正直言ってかなり損していると思う。

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2018/01/13

広島県の別の表情

昨日の記事で書いた 「寒風吹き付ける広島県でのミッション」 を、予定よりも早い時間で完了してつくばの地に戻ってきた。写真はスタッドレス・タイヤ付きのレンタカーを返却し、新幹線に乗るために戻ってきた広島駅北口広場の様子。

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「和歌ログ」 の方にアップしてある雪景色の写真 (参照) と比較すると、別の国のような様相だ。今回の出張で初めて知ったのだが、広島県というところはスキー場が多いのだそうだ。温暖な瀬戸内の地というイメージが、かなり狂ってしまった。まったく、世の中知らんことだらけである。

「知らんこと」 と言えば、広島県の北部にある市の 「三次」 という地名は 「みよし」 と読むのだということも、今回初めて知った。どう読んでも 「みつぐ」 だ信じ込んでいたが、「みつぐし」 と入力してもさっぱり 「三次市」 に変換されないので、「おかしいなあ」 とは思っていたのだった。帰ってきて 「みよしし」 と入力したら、あっさりと 「三次市」 になったので驚いた。

広島県にはこれまでも何度か行ったが、広島市、尾道市 (因島を含む) という瀬戸内沿岸だけに限られていた。同じ安芸国でも、中国山地に分け入ると、別の表情を見せてくれるのだった。行ってみるものである。

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2018/01/12

寒風吹き付ける広島に出張中

仕事で広島に出張している。広島という所は瀬戸内だから温暖なところと思っていたが、今日は風も強くかなり寒い。冬の季節風が関門海峡をすり抜けて入って来ているようだ。中国山地もそんなに高い山々というわけじゃないので、時々山を越えてきた小雪までちらつく。

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風が強いので川面も波紋が一杯で、映り込んだビルが揺らいでいる。明日はこんな中を中国山地の裾野を越えたところまで、クルマで分け入らなければならないのだが、雪は大丈夫かなあ。一応レンタカーはスタッドレス・タイヤ付きを予約してあるのだが。

瀬戸内といえども冬は寒いということだ。今年の冬は本当に久しぶりに寒い冬になっている。信越線では大雪のために列車が半日以上立ち往生したというが、雪で列車が動かなくなったなんてニュースは久しぶりのような気がする。除雪車の性能があまりよくなかった昔と違い、今の世の中でこんなことになるのだから、相当の大雪だったのだろう。

とにかく明日は雪道を必死に運転することになるので、今日は早めに休ませていただく。お休みなさい。

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2018/01/11

整理・整頓・収納の三原則

昨日の 「整理収納」 関連の続きである。私はずっと自分が 「整理収納が下手な人間」 だと思っていた。ところがよく自己分析してみるとそういうわけでもないと、ある日突然気付いた。自分は 「収納」 は得意で、結構な量の品物でもきちんとコンパクトに収納できる。この才能は旅行やキャンプの際の荷物のパッキングなどに十分に発揮されている。

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自分に欠けているのは 「整理」 能力なのだと、30年ほど前に気付いた。「整頓」 ならできる。きちんとコンパクトに収納するために、多くの品物を種類・用途別に分類して、使いやすいように収めることは、自分でいうのもナンだが上手なのだ。ところがその前に、「整理」 ということをしないと、結局のところ、収納スペースが隙間なくぎっしりになりすぎて、わけがわからなくなる。

「整理」 という作業のかなりの部分は、「捨てる」 ことだ。例えはよくないかも知れないが、「人員整理」 と言ったら、クビを切ることである。「整理・収納」 における 「整理」 というのは、言うまでもなく 「不要品を捨てる」 ことと割り切れば話が早い。

以後、いろいろ試行錯誤しながら、「整理・収納」 に 「整頓」 という項目を加え、自分なりの 「整理・整頓・収納の三原則」 に行き着いた。こんな具合である。

  1. 「整理」 : 「捨てる」 作業をみっちり行う
    「そのうち使うかも」 というモノは、結局使わない。「思い出の品」 なんて、なくても困らない。よほどのセンチメントがあるなら、モノとしてではなく写真にして残す。
    この作業をみっちり行うと、収納しなければならないモノは半分以下に減る。

  2. 「整頓」 : モノを種類・用途ごとに分類する
    同じ類いのモノは 1カ所にまとめる。分散させると結局ありかがわからなくなって、つい買い直すことになり、ある日突然、「同じモノが家中のあちこちに売るほどある!」 と気付く。
    1カ所にまとめると収納スペースが足りないというなら、それはとりもなおさず 「まだ持ち過ぎてる」 ということだから、収納スペースを増やすのではなく、モノの方を減らす。つまり 「もっと捨てる」。

  3. 「収納」 : 棚や引き出しに 「平ら」 に収める
    床に直接置くのはテーブルや椅子などの他は、棚やキャビネットなどの収納家具のみ。それ以外のモノを床に置くのは 「ゴミ屋敷化」 の第一歩である、
    収納スペースにモノを整然と収めるには、棚の段を調節するか、ボックスに入れて 「平ら」 に重ねる。「角が丸くてフワフワ (ペーパーバッグに詰め込んだ衣類など)」 とか 「小物が剥き出し」 の状態のまま積み重ねると、悲惨な 「雪崩現象」 につながる。

上の写真は、「小物」 を種類別にまとめて 「平ら」 に重ねたものである (上のトレイは左右にスライドする)。こうした状態で収納すると、ゼムクリップやホッチキスの針、画鋲などを無駄に買ってしまうことがなくなる。前は私の引き出しの中も、使い切れない 「マックス針」 が奥の方に 3箱眠っていた。

この単純素朴な 「三原則」 を徹底すれば収納に困ることはなくなるが、いろいろ試行錯誤を経なければ、本当には身につかない。「そう言えばこれ、1年以上触ったことすらないな」 とか 「なんでこんなもの後生大事にしてたんだろう」 なんて気付きながら、その度に処分していくことで、だんだん身の回りがすっきりする。

要は 「必要最小限のモノ」 で暮らす方が快適と知ることだ。大切なのは 「モノ」 ではなく、形のない 「コト」 なのである。今は情報化社会だから、「なければ困るモノ」 なんて少なくなった。本当に 「なければ困るモノ」 というのは、「生産活動のなれの果てとしての消費財」 ではなく、「コト」 を生み出すための 「道具 = ツール」 なのだ。

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2018/01/10

整理収納 Before After、そしてその後

テレビ番組などで、ごっちゃごちゃにちらかって半ばゴミ屋敷状態の家に整理収納のプロが訪問し、あっという間にすっきり片付けて 「別の家みた〜い!」 なんてことにしてしまうといった企画が時々ある。本当に見事なまでに片付けてしまうので、「我が家にも来て欲しい」 なんて思ってしまう人もいるだろう。

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だが私は、こうした企画でその家がその後ずっときれいな状態であり続けるかということについては、かなり懐疑的だ。半年後にその家を訪ねたら、おそらく元のゴミ屋敷寸前の状態に戻っているのではないかと思う。

整理と収納のセンスのない人というのは、確実にいる。彼らの周囲はありとあらゆるものがゴチャゴチャに積み重ねられ、今にも崩れ落ちそうになっている。何かモノを探そうとしても、あちこちひっくり返してようやく見つかる。必要なものが奥深くに眠っていて、取り出しやすい手近にあるのは、「何じゃ、こりゃ?」 みたいなガラクタばかりだ。

周囲の者から 「あんまりだから、そろそろきちんと整理したらどう?」 と促されても、「うん、そのうち」 と生返事するばかりで、一向に手がつかない。「なんであんなにだらしがないのだろう」 と言われるばかりだが、彼または彼女は、だらしがないというより、整理収納のセンスがないので、どうしても手がつかないだけなのだ。

これはもう、音痴の人がどうしてもきちんと音程を取れないのや、運動の苦手な人がどうしても鉄棒の逆上がりができないのと同じで、生理的なものと思った方がいい。簡単に教えてもらって身につくものじゃないようなのだ。

妻は 「でも大丈夫よ、ああいう企画では、まず最初にごっそりとモノを捨てることから始まるから、ゴミの山にはならないわ」 と言う。しかしいくらモノを捨てても、整理センスのない人はあっという間に不要品をため込むのである。そしてため込んだモノをきちんと収納できず、いずれ元の木阿弥でゴチャゴチャになる。

整理収納下手な人というのは、要するにモノを捨てられない人なのである。不要なものでも 「そのうち使うかもしれないから」 などと言って、適当な場所にしまい込む。ところが 「そのうち使うかもしれない」 というものを実際に使うことなんてまずないのは、多くの経験の示すところである。

稀に実際に使う場面が生じたとしても、その頃にはどこかにしまい込んでおいたことすら忘れてしまっているから、つい同じようなものを買って来ることになる。そして気付いた時には、同じモノが家中のあちこちに売るほどあると知る。

こうした人というのは、いくら 「収納特集」 なんていう雑誌や 「断捨離」 の本なんて買ってきて読んでも、まず身につかない。心の底で 「自分はちょっと別。だって大切な思い出の品が一杯なんだもの」 なんて思っていたりするから、捨てたり整理したりする作業にとりかかれない。「自分が死んだらあれもこれも、棺桶に一緒に入れてもらいたい」 とまで言うが、そんなに大きな棺桶なんて世の中にない。

こんな人は、整理収納が上手な人と暮らすしかないだろう。

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2018/01/09

Time's gonna be up in Japan

今年のゴールデン/グローブ授賞式では、"Time's up" がキーワードになったようだ。アンチ・セクハラの動きが、ようやく大きな潮流となっている。

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ことの発端は大物映画プロデューサーのハービー・ワインスティーンの数々のセクハラ行為が、昨年秋頃から明るみに出たことだ。まあ、何しろハリウッドの 「大物プロデューサー」 という連中はめちゃくちゃ好色揃いで、まあ、いろいろやってたらしいのだよね。だが 「もうそんな時代じゃない」 ということで、炎上状態に追い詰められてしまっているようなのだ。

米国のビジネス社会は既に女性が大きな力をもっているので、前世紀末あたりでも、米国出張中 (主にニューヨーク) に露骨なセクハラなんて、見たことも聞いたこともない。なにしろ女性が管理職で、オフィスでも女性の方が多かったりするので、セクハラなんていうムードじゃないのだよ。まあ、私の観察不足というだけかも知れないが。

ところがハリウッドという別世界では、まだまだ露骨にあったようなのである。この点では米国のフツーのビジネス社会より 20〜30年は遅れている。逆に言えば、フツーのビジネス社会がそのくらいに進んでくれたので、ハリウッドの女優たちも当たり前に声を上げやすくなったのだろう。ところが我が日本においては、フツーのビジネス社会でも相当に遅れているような気がする。

「社会人の教科書」 というサイトに、「部下を持ったら気を付けましょう! これもセクハラ 50選」 というページがある。「えっ、それもセクハラなの?」 と驚くようだと、結構オッサンし過ぎてるということになるだろう。

最初に挙げられているのは、「肩に手を置く、肩を揉む」 という行為だ。これ、昔はよくいたなあ。やたらと若い女の子の肩を揉みたがるオッサン。気持ち悪がられてるのに、当人は 「健全なスキンシップ」 だと思ってる。その他に 「頭をポンポンしたり髪に触る」 「壁ドンする」 「お尻や胸を触る」 なんてのも挙げられていて、「あり得ないだろう!」 と思うかもしれないが、まだ結構あるのだよ、これが。

「仕事の場」 からちょっとだけ離れてしまうと、ますますエスカレートする。飲み会でやたらカラオケのデュエットを強要したり、チークダンスを踊りたがったりするというのも多い。端から見れば 「よくやるなあ!」 と思うばかりだが、当人はかなり悦に入っている。

ところが女性の方も妙に慣れてきて、「そんなこと言ってると、奥様に言いつけますよ」 なんて、軽く受け流したりする技を身に付けたりする。そう言われて 「デヘヘ」 とやに下がりながら、「彼女も結構喜んでる」 とか、「自分は部下とフランクなコミュニケーションとれてる」 なんて誤解するオッサンが、今でも結構いるので困りものなのである。

まあ、だんだん少なくなってきてはいるようなので、"Time's up" ではなく、"Time's gonna be up in Japan" (日本でもタイムアップになるだろう) というタイトルにしたが、結構時間がかかるかもしれないなあ。

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2018/01/08

まだ Windows 7 がトップシェアを占めているらしいが

マイナビニュースが 「12月のデスクトップ OS シェア、Windows 10 が Windows 7 に肉薄」 というニュースを伝えている。「StatCounter の 2017年 12月分 Windows バージョンシェアデータによると、Windows 10 が Windows 7 に肉薄したものの、わずかに及ばなかった」 という。

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Windows 10 のシェアは 0.33ポイント増の 41.69%で、Windows 7 は0.62ポイント減の 41.89%だったが、0.2ポイント差で 1位を維持したというのである。この記事を読んで、「Windows の世界では、今でも 7 が優勢なのか」 と驚いてしまった。

Windows 8 が 2012年 8月にリリースされて、既に 5年半近くになり、Windows 10 のリリースからでも 2年半になる。2世代も前の OS が、まだトップシェアを維持しているのか。長らく使った Windows 7 を見限って Mac ユーザーになってから既に 4年の私としては、別世界のお話のような気がする。

しかし、このニュースは、「デスクトップ OS シェア」 であることに注目したい。デスクトップとラップトップ (いわゆる 「ノート PC」) を合わせたシェアではないのだ。デスクトップ PC はラップトップより長持ちすrので長く使われる傾向があるから、OS の更新スピードもやや遅くなってしまうのだろう。

ただ、今やいろいろなオフィスを訪問してみても、仕事で使われるのはラップトップがずっと多いという印象がある。だからこの調査は、PC 全体の動向を反映したものとは言えないだろう。ラップトップ市場は、Windows 10 への移行がデスクトップよりも早いと思われる。

ただ、ハードウェアは同じデスクトップ PC を使っていても、OS をアップグレードするという手はある。それが進まないのだから、Windows 8 と 10 は、よほど評判が悪いのだろう。私のよく訪問するオフィスでも、Windows 7 ユーザーがまだまだ顕在で、Windows 8 と 10 は少ないという印象がある。私だってもし Mac に鞍替えしていなかったら、Windows 8 以降は気持ち悪いから、できるだけ長く Windows 7 を使いたいと思うだろう。

さらに言えば、既にどうしても PC を使わなければならない世の中ではなくなった。文系の卒論ぐらいならタブレットで十分だろうし、そんなに複雑な表計算をしなくて済むなら、やはり PC なんて使わずに済む。

ということは、iOS や Android などのタブレットやスマホなどの OS を加えたら、Windows のポジションはずいぶん低下してしまっているのだろう。私としては、MacOS と iOS の連携で十分に満足しているので、今さら Windows を使おうなんていう気には到底なれない。

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2018/01/07

時の経つのが恐ろしく早い

1月 7日の日が暮れようとしている。いつも思うのだが、新年になりたては時の経つのが恐ろしく早い。ちょっと前に大晦日直前で大掃除だ、年賀状印刷だと大忙しだったのに、ふと気付けば松の内ももう終わりだ。

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こんなようなことを前にも書いたことがあるような気がして、自分のブログを検索してみると、5年前の 1月 4日に 「三が日が過ぎて」 という記事を書いている。こんな感じだ。

それにしても、年末年始ほど早く過ぎ去る休暇はない。暮れのうちは年賀状作りや大掃除でひたすらバタバタして、年が明けると、やれ初詣だ、年賀状の整理 (出してない人から来たりすると、大あわてで返事を書くなど) だとバタバタする。そして、ふと気付けば三が日は終わりだ。

三が日があっという間なのだもの、松の内だってあっという間である。

5年前にもほとんど同じようなことを思っていたのかと、我ながら笑ってしまうが、今年の正月の時の経つ早さは、5年前の比ではない。あの頃の 3が日が終わったくらいの感慨で、もう 7日が終わろうとしているのだから、そのスピード感は 2倍以上だ。これって、年のせいなのかなあ。

これも何度も書いたことなのだが、「松の内」 というのも、関東では 1月 7日までとされているが、関西では 15日の小正月までが松の内とするところが多い。その方がずっとのんびりさせてもらえるような気がするが、現代は関東式のせかせかした正月になってしまった。

ただ、これもまた何度か書いたことだが、これから春になるまでのほぼ 1ヶ月半は、結構長く感じる。寒さに震えながら、「春はまだか、春はまだか」 と言っている間が、結構長いのだ。人間、何かを待っている時間というのは長く感じるようなのである。そして私はこの季節、毎年同じことを思っているようなのだ。どうも進歩がない。

進歩はないが、私は今年もまた仕事であちこち駆け回ることになる。日本全国を訪れながら、ふと気付けば年末を迎えるということになるのだろう。

それにしても寒い。春はまだか。

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2018/01/06

膵臓がんで死んだ仕事仲間に捧げる記事

プロ野球の、えぇと、何と言ったらいいのだろうとググってみたら、朝日新聞は 「中日、阪神、楽天の元監督で、楽天球団副会長」 と書いていたが、とにかくその星野仙一氏が、膵臓がんで亡くなったのだそうだ。ご冥福を祈りたい。

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私はとくに星野仙一ファンというわけでもないのだが、このニュースに思わず反応してしまったのは、私の仕事仲間もつい最近、同じ膵臓がんで亡くなってしまったからだ。彼は関西在住だったが、つい最近までかなり頻繁にコンビを組んで仕事させてもらっていた。私よりも 5〜6歳は若いはずなのに、死んだという連絡をもらった時は本当にショックだった。

彼は一昨年頃に体調を崩し、1ヶ月ほど入院して仕事に復帰した。退院してきた時はかなり痩せてしまっていたが、案外元気そうだったので安心した。がんに違いないとは思ったが、彼は話したがらなかったし、こちらも敢えて詳しい話は聞かないようにしていた。

昨年の 9月下旬に、「11月に 1ヶ月ほど検査入院しますが、12月には復帰できると思います」 と言っていたので、心配と安心が五分五分ぐらいの感覚でいた。果たして 12月になってもまだ仕事復帰は叶わなかったので、年賀状には 「今年はまた、一緒に仕事しましょう」 と書き添えておいた。

ところが元日の夜、彼が亡くなったとのメールが入った。退院後、12月 30日に急に病態が悪化して緊急入院し、辛うじて年は越したものの、元日に亡くなったのだそうだ。ということは、これからずっと元日が彼の命日ということになる。誕生日が元日という友人は 3人もいるが、友人の命日が元日になったのは初めてのことである。

このことについて、今日までは書かないでおこうと思っていたが、同じ病気で亡くなったという星野氏のニュースを見て、やはり書いておこうという気になった。これも何かの巡り合わせだろう。

改めて膵臓がんという病気について調べてみると、"闘将・星野仙一監督が闘った 「膵臓がん」 は、こんなに怖い" という記事が見つかった。この記事によると、「がんと診断されてからの 5年生存率が他の部位のがんと比べて格段に低い」 とある。

そうだったのか。そんなこととは知らず、ただ今年も一緒に仕事ができると思っていたのだが、ユーモアに溢れ、他人を悪く言うことがなく、人情に厚く、いつも確実な仕事をこなす彼は、密かにそんなにひどい病気と闘っていたのか。思いやりの言葉をかけることもできなかったのが心残りだが、彼としてはきっと、ことさらな気遣いは望まなかったに違いない。

というわけで、今日は彼の冥福を祈る記事とさせていただく。

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2018/01/05

当分の間 「本籍・改憲派、現住所・護憲派」 で行きたい

安倍首相が伊勢神宮での年頭記者会見で、戌年にちなみ、「声なき声に耳を傾ける」 と語ったという (参照)。「声なき声」 というのは、彼の祖父にあたる岸信介元首相も使った言い回しだが、政権側にとってはよほど使い勝手のいい便利な言葉のようだ。

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あまりにも便利なのでどうしても使ってみたかったのだろう。「戌年にちなんで」 などというのは強引すぎる後付けの屁理屈で、彼の言葉を意訳すれば、「たとえ誰も声を発しないことでも、こちらの都合で聞いたことにできるんだもんね」 ということだ。ある意味、民主主義を否定しかねない宣言である。

私は何度か書いてきたように、改憲派である。日本国憲法はいずれ改憲しなければならないと思っている。だが安倍首相の主導による改憲には、乗っていけない。それは彼の憲法観がまともじゃないと感じられるからだ。

彼は 2014年 2月 3日の国会答弁で、 憲法について 「考え方の一つとして、いわば国家権力を縛るものだという考え方がある」 としながら、「しかし、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方であって、今まさに憲法というのは、日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないか」 と述べた (参照)。

私は当時、このニュースに接して 「何だ、そりゃ?」 と思っていた。「憲法は国家権力を縛るもの」 というのは、立憲主義の基本コンセプトであって、決して 「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方」 なんかではない。むしろ安倍首相の憲法観こそが、絶対王権時代のコンセプトに近い。一体何を勘違いしているんだ。

まあ、論理的な言い方の下手くそな彼としては多分、「絶対王権時代に発生したカウンター的な考え方だった」 と言いたかったのだろう。しかし、そのカウンター的な考え方こそが、現代の立憲主義という主流コンセプトとして確立しているのである。むしろ安倍首相の考え方こそがアナクロなのだ。こんな人の主導で改憲なんかした日には、行け行けドンドンで何をされるか、あぶなくてしょうがない。

というわけで、当分の間は、「本籍・改憲派、現住所・護憲派」 で行くことにしたいと考えている。

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2018/01/04

赤信号では停止線の手前で停まるということの意味

赤信号で停まる時、できるだけ停止線より前に出て、いつも前輪を横断歩道に乗せたぐらいの位置に停まるというドライバーが、少なからずいる。信号が変わるギリギリのタイミングで止まりきれなかったというわけでもなく、十分に余裕があっても、スピードを緩めながらだらだらと前進し続けて、結局止まった所は横断歩道の上という人は、いつも決まってそうした位置に停車する。

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上の写真のワゴンのドライバーも、そんなタイプの人だった。赤信号で停まる時は、意味もなく少しでも前に出た状態で停まりたいらしい。あまり呆れたので、iPhone で撮影してしまったのである。

たまたま 2車線の道路をしばらく併走する形になったのだが、彼は追い越し車線をどこまでも私と並んで走るので、後ろには追い越したくても追い越せないクルマのパレードができていた。こちらが気を使って減速すると何故か彼も減速するので、後ろでイライラしているクルマをどうしても前に出してあげることができない。

というわけで彼は、「急いでるんで、赤信号でもちょっとでも前に出ておいて、青になった途端にダッシュしたいんだ!」 というわけじゃないことは明らかで、ただひたすら無意味に 「ちょっとでも前に出た状態で止まりたい」 というだけのようなのである。

かなり昔のことだが、知り合いのクルマの助手席に乗せてもらって、都内の住宅街を通り抜けたことがある。なにしろ都内だから頻繁に赤信号にひっかかるが、彼も上で述べたタイプのドライバーだった。先頭で赤信号にさしかかると、ゆっくりと減速し、十分に停止線で止まれるにも関わらず、必ずそのままだらだらと前進して、できるだけ前に出てから停車するのである。

「こいつ、ちょっとヤバいな」 と思っていたところに、たまたま白バイが通りかかり、停車位置が前すぎるということで厳重注意をくらった。その時の警官はなかなかよくデキた人で、頭ごなしに叱らずに、なぜ停止線で止まらなければならないかをしっかりと説明してくれた。こんな説明だった。

交差点でこんなに前に停まっていると、左側から右折してくる大型車が、あなたのクルマが邪魔になって曲がりきれないという事態になるんです。停止線というのは、それを計算して引いてあるんだから、きちんとそこで停まらないと、大変な交通妨害になってしまうんですよ。

こんなことはフツーに考えれば常識的なことである。ところが彼は、警官に説明されて初めて 「停止線」 というものの存在を意識したようなのだった。ただ、意識したはいいがそれもほんの一瞬のことで、次の交差点で赤信号になると、またしてもだらだらと前進して、ギリギリまで前に出て止まったのである。「蛙の面に小便」 とはこのことだ。

ところがまさにその時、左から大型トラックが右折してきて、我々の乗ったクルマが邪魔になり、曲がりきれないという、警官に言われたばかりの事態が現実化してしまったのである。

「ほぅら、停止線で止まらないとこんなことになるって、さっき警官に言われたばかりじゃん」 と言ったのだが、どうしようもない。後ろには数台のクルマが続いて止まっていて、急にはバックすることもできない。大型トラックが立ちふさがった交差点は、本当に交通マヒになり、クラクションが鳴りひびいた。

その時は後ろにいた数台のクルマに少しずつバックしてもらって、何とかなったのだが、この経験をしたことで、彼は初めて 「停止線の手前で止まる」 ということの意味を理解したようだった。実際に痛い目に遭わないとわからないタイプの男である。

そして私はと言えば、停止線を越えて止まるクルマの後ろに停車するときは、そのクルマがいつでもバックして来れるだけのスペースを空けて停車することにしている。交差点が交通マヒしたら、自分も困ってしまうのでね。

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2018/01/03

アクセサリーの類いにまったく興味がない

アクセサリーというものに、まったく興味がない。興味がないだけでなく、邪魔くさくてしょうがないので、服を別とすれば腕時計以外の余計なものは身に付けないことにしている。

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ただ、いくら興味がないと言っても、浮世の義理でいくつかは持っている。婚約指輪と結婚指輪は慣例に従って取り交わしたはずだが、セレモニーが終わってすぐに外してしまい、どんなデザインだったかも記憶にない、そしてどこにしまってあるかも知らない。

カフスボタンは 2セット (いや、1セット半) あるはずだ。当然ながら自分で買ったものではなく、小学校時代の恩師が結婚祝いにくれたものと、30代の頃に何だかの記念に受け取らされたものである。恩師のプレゼントは、申し訳ないことに誰だかの結婚式の時に付けて、片方をどこかに落としてしまったので、役立たずになったままどこかに眠らせてある。

どこかに落としてきてしまったのは確かなのだが、内心では 「これで厄介払いができた」 という気もしてしまうので、探したり問い合わせたりする気にもなれない。そしてもう 1セットの方はどこにしまったかも忘れた。

ネクタイピンも、もらい物 (というより、押しつけられたもの) が 3つぐらいどこかにあるはずだが、何しろネクタイを滅多にしないので、ましてやネクタイピンなんてものは、ただでさえうっとうしいものに何でまたさらにうっとうしいものをつけるのか、理解できない。だからもらった翌日から、しまい場所がわからなくなっている。そしてネックレスやブレスレットの類いも、身に付けるとうっとうしくてたまらなくなるので、1つも持っていない。

興味がないものは、当然ながらことさら大切にする気にもなれないし、心の底では 「邪魔くさい、うっとうしい」 と思っているから、恩師にもらったカフスボタンのように、つい、というか、必然的にどこかに落っことしてきてしまう。落っことしたり置き忘れたりしないようにするには、常に意識していなければならず、それは気詰まりでしょうがない。

要するにアクセサリーを身に付けるのは、ストレスの元になるばかりなのだ。余計なストレスはご免だから、遠ざけておくに越したことはない。だからマフラーや帽子、手袋の類いも、防寒用、日除けなどの実用以外のものは一つもない。ましてや貴乃花のような毛布みたいなストールなんかかぶせられたら、意識的にどこかに置き忘れて来たい。

そもそも、身に付けることに興味がないばかりか、宝石や貴金属の類いをありがたがる価値感を持ち合わせていない。「そんな何の役にも立たない、ちまちましたうっとうしいものを、なぜ持ちたがるのか」 と不思議でしょうがない。個人的には邪魔くさくてしょうがないのに値段的には 「結構なお値打ち」 なんてものを持たされるのは、人生で最大のストレスだから、持ちたくない。

当然ながら、妙なブランドが付いただけでやたらと高い値段になっているネクタイや財布、バッグの類いも、欲しいとはまったく思わないし、例えもらったとしても持ち歩きたくない。世の中の金持ちの多くは、金目のものを持ったり身に付けたりすることが好きなのだろうが、私はこんなようなメンタリティだから、金儲けにも自然と縁遠くなるのだろうね。

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2018/01/02

「〇〇学院大学」 という名前の大学は

今日は恒例の箱根駅伝をテレビで観戦した。何だかこれを見ないと年が明けた気がしないほどで、テレビのコンテンツとしては最強の部類になってしまったなあ。これで CM がなければ最高なんだが。

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早稲田は東洋、青学に次ぐ 3位。最近はずっと 「まあ、このくらいは走ってくれなきゃ困るよね」 程度の、可もなく不可もなし的な順位に甘えていたから、上位 2チームからはかなり離されていたとはいえ、よく健闘したと言えるだろう。復路でも遅れずに頑張ってもらいたいところだ。

ところで今日の話題は箱根駅伝とは直接の関係がないが、大学の名前についてである。今年の駅伝には、「〇〇学院大学」 という名称の大学が、3校出場していた。青山学院大学、中央学院大学、山梨学院大学である。

私は今日の今日まで、この 「〇〇学院大学」 という名前の大学は、キリスト教系、いわゆる 「ミッション系大学」 なのだとばかり思っていた。関東学院大学、明治学院大学、関西学院大学などが、一応名の知られたところで、東北では東北学院大学もミッション系である。

ところがよく調べてみると、すべてがミッション系とも言い切れないようだ。今回の出場校の中では、青学は紛れもなくミッション系だが、残りの 2校、中央学院大学と山梨学院大学は、キリスト教とは直接の関係がないみたいなのである。

中央学院大学というのは、私の居住する茨城県つくばの地からちょっと東京寄りの、千葉県我孫子市にある大学なのだが、Wikipedia によると 「仏教学者の高楠順次郎らが南岩倉具威男爵を初代校長に迎えて創立した日本橋簡易商業夜学校を起源とする大学」 とある (参照) 。どちらかといえば、キリスト教よりは仏教に縁があるようだ。

残る山梨学院大学も、「1946年、古屋眞一により創立された山梨実践女子高等学院 (後に山梨女子高等学院、山梨高等学院と改称) が前身」 とあり (参照)、創立者に関してはインターネットで調べてもキリスト教との関わりがあったとは確認できないから、多分関係ないのだろう。

そういえば、栃木の作新学院というのもキリスト教とは関係なさそうだし、「『〇〇学院大学』 という名前だったら、ミッション系」 というのは、単に私の思い込みにすぎなかったようだ。そして、いわゆるミッション系の大学の学生がみんなキリスト教徒というわけでもなさそうである。

世の中、本当によくわからないことと知らないことばかりである。

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2018/01/01

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。平成 30年 (2018年) の幕開けです。今年もよろしくお願いいたします。

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今日の画像は、 Wakalog と共通。iPhone X の中は戌年にちなんで、Photoshop の円 (楕円含む) 描画機能と塗りつぶし機能だけを使って描いてみた。郷土玩具によくある張り子のイヌの顔と思っていただければ幸いだが、どうしてもサイバーっぽく見えてしまう。

どうせサイバーっぽく見えるなら、いっそしゃべらせてみようというので、「あらたまの〜」 の和歌を読み上げさせてみた。画像の下の ▶ 印をクリックすると音声が流れるので、静かにしていなければならない環境ではご注意。

英語の部分はネイティヴの声で録音することも可能で、その方がずっと自然に聞こえるのだが、敢えてまだ不器用なサイバーっぽさを感じるままにした。最近はあまり聞かれなくなった言い回しだが、「ドッグイヤー」 のスピードで進化するということでよろしく。

ちなみに、私のこれまでの年賀状コレクションは、こちら

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