« 2018年3月 | トップページ | 2018年5月 »

2018年4月に作成された投稿

2018/04/30

金正恩の腹はへこまずに済むみたいなのだね

今、朝鮮半島で 「最後の冷戦」 が終わろうとしているかのごときニュースが進行していて、世界はその成り行きを注視している。特大のニュースなので、私としてもそれについて何か書かなければと思ってはいるのだが、はっきり言って何をどう書いていいのか、まだ見当が付いていない。多くのジャーナリストたちだって、そんなところなのだろうと思う。

180430

国際政治は 「ショー」 の要素をもっているから今回の 38度線を挟んだ両首脳のパフォーマンスも、かなり練り上げられた台本と演出があってのものだったろう。そして今回の会談は、この 「ショー」 としての成功が最大の目的であって、具体的な成果はその後に徐々に作っていくという合意のみがあるとしか思われない。

だから、このパフォーマンスの初めの方だけをとれば、相当クールな人間だってちょっと胸の熱くなる想いがしただろうが、見終わってしばらくすれば、「まだ何も解決されていない」 という現実に立ち返らざるを得ない。北朝鮮側で今回のニュースがまともに見られたとすれば、人民たちは淡い期待を抱かされただろうが、その期待が実現するまでにはまだ長い時間がかかるのだろう。

確実に言えることは、金正恩の政治生命がもう少し続くということだ。あのままの強硬路線を突き進むのと、「対話路線への切り替え」 を天秤にかけたら、どうみても路線変更する方がリスクが小さい。あの腹を引っ込ませなくても済むのは、この路線だとふんだわけで、もう大きな後戻りは不可能だ。

本来は自分の腹を引っ込めてでも、民衆をできるだけ早く飢えから救わなければならないのだがね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/29

「アイフル (Aiful)」 という社名

「アイフル」 という名前の消費者金融会社がある。その英文表記について、私は当然ながら、ずっと "Eyeful" なのだろうとばかり思っていたが、ある日電車内の吊り広告を見たら、"Aiful Corp." と表示されていた。家に帰ってウェブで調べたら、公式ウェブサイトの一番上の部分に、堂々と "AIFUL CORPORATION" とある。ここまでやられたら、「ああ、そうですか」 と納得せざるを得ない。

1804292

”Eyeful“ という単語なら、英和辞書でも簡単に見つかって、「たっぷり見ること、目に入ったほこりなどの少量、人目をひく素敵なもの、美人」 などとの訳が付いている。しかし "aiful" なんて単語は見当たらない。「ない」 と証明するのはエラいことなので、ここではとりあえず 「見当たらない」 にとどめておく。

"Aiful" という社名については、同社のサイトの 「アイフルの社名の由来」 というページに、次のように説明してある。

このアイフル (AIFUL) の社名は、『愛情 「Affection」 と努力 「Improvement」 をもって誠実 「Faithfulness」 に仕事に臨み、結束 「Unity」 と活気 「Liveliness」 に満ちた会社』 を意味しており、社内公募で決まった名前です。

なんだか、いかにも素人の考えたこじつけ風で、読んで脱力してしまう 「由来」 なのだが、まあ、先方としてはマジのようだから、こんなことでどうのこうの言ってもしかたがない。しかしまあ、(一部の) 日本人は、こういうの好きだよね。似たような発想の社名 (とか、あるいは高校生のバンド名とか) は、探したら日本全国にいくらでもあるような気がする。

今日は連休初日というのにあちこち回って仕事をし、最後にこのページなんか見たものだから、どっと疲れてしまった。よって、これにて失礼。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/28

「女子相撲」 というのがあるとは知らなかった

相撲の土俵に女性を上げないのはいかがなものかと、あれこれ話題になっている中で、「私立高で相撲を指導していた夫婦、セクハラを繰り返す 『気持ち悪い』 と退部した女子部員も」 なんて報じられた。このニュースのおかげで、女子部員の在籍する高校相撲部があるということを、初めて知った。

180428

検索してみると、「日本女子相撲連盟」 という組織があって、平成 9年に 「第1回全日本新相撲選手権大会」 というのが開催されていたという。「世界女子相撲選手権大会」 まで開催されているなんてことまで書いてあって、私はそんなこと、ちっとも知らなかったよ。ちなみに競技は体重別で行われ、レオタードの上にまわしを付けるというスタイルで行われるという。

この日本女子相撲連盟という組織は、大相撲の 「土俵に女性を上げない」 という問題では 「我関せず」 と沈黙を守っていて、少なくともこれに関する公式発言は探しても見当たらなかった。女子相撲は 「あくまでもスポーツ」 というスタンスであるらしく、大相撲のような神事的要素は極力排しているようなのである。

一方の大相撲協会の方も、Wikipedia によると相撲のオリンピック競技化を目指し、「新相撲」 として女子相撲連盟の設立に協力したという経緯があるというのだが、この件に関する公式発言はまったくない。そりゃそうだ。表沙汰にしてまさに 「同じ土俵」 に立ってしまったら、たちまち自己矛盾に陥る。ここは、お互いに 「似て非なるもの」 という建前で触れないことにしているようなのである。

まあ、ちょっと考えてみれば、女子レスリングや女子柔道があるのだから、女子相撲があっても何の不思議もない。ただ、レスリングや柔道は同じスポーツの中に男子部門と女子部門があるということなのだが、相撲の場合はしっかりと 「別物」 というご都合主義を採用しないと、いわゆる 「大相撲」 の存在基盤が崩壊する。

そして、このような 「スポーツとしての相撲」 が定着すると、「大相撲」 の 「異界的要素」 がいやが上にもクローズアップされる。少なくとも、「大相撲はスポーツじゃない」 というのが共通認識となってしまうだろうから、「スポーツのような、見世物のような、神事のような」 という、摩訶不思議な曖昧さの上に成り立ってきた大相撲にとっては、かなり複雑なところだろう。

元々しっかりあったけど、まさにそれこそが大相撲の存在意義であった 「世間とのズレ」 が、ここに来てちょっと別の意味を持ち始めているような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/27

高速道路上の、ちょっとした、けれど大きな変化

14年も前に、私の 「知のヴァーリトゥード」 のサブサイト、「知の関節技」 に "「高速道路と 「キープレフト」 あるいは 「高速道路のパラドックス」" という記事を書いた。当初は結構な注目記事だった。

180427

どんな内容かというと、3車線ある高速道路では、もっぱら左端の車線を走り、時々極端にトロいクルマがいたら、その時だけ真ん中車線に出て追い越してまたすぐに左端に戻るというのが、最も速く走れるスタイルだというものである。これはつい最近まで、紛れもなく本当の話だった。

どういうことかというと、日本の高速道路は真ん中車線が一番混み、それを追い越そうとするクルマがみんな右側に行くので、左端の車線がガラガラだったからだ。ウソだと思ったら、上で紹介した私のページ (参照) に行ってみるといい、右側 2車線がびっしりと混んでいるのに、左端車線がガラガラという不思議な証拠写真が、4枚も載せてある。その部分を下に再掲しておこう。

1804272

本当に、右側 2車線はかなり混んでも、左側は見渡す限りガラガラの状態が多かったことがわかっていただけるだろう。ところがこの変則的な状況が、最近になって急に変化してきたのである。最近は遅いクルマがきちんと左端の車線を走るようになってきているのだ。これはまだ完全な変化というわけではなく、まだ真ん中車線をのんびり走るクルマも多いが、いずれにしても上の方の写真のように、左側車線がガラガラというわけではなくなってしまったのである。

この変化の直接的要因は、時速 80km/h に制限されるようになった大型トラックが、きちんと左側車線を走るようになってきたからだと思う。前は高速道路の真ん中を平気で 70km/h 台で走っていたのだが、最近はようやくその 「お行儀悪さ」 に気付いたのか、あるいは当局や事業所の指導が強まったのか、きちんと左端をゆっくり走るようになったのである。

これに伴い、以前はどんなにのんびりでも真ん中車線を走っていた一般車両も、大型トラックにつられるように左側を走るように変わりつつあるのだ。誰かが先例を作ると、皆がぞろぞろとそれに従うという日本人の不思議な習性が、ここでもしっかり現れているというわけだ。

おかげで、真ん中車線がのんびり車両のために塞がれるということが目に見えて減ったため、 「当たり前の状態」 が、日本の高速道路でもようやく現出するようになったのである。ただ個人的には 「キープレフト」 の原則に従っていさえすれば右側車線のクルマより速く走れた変則的な時代の方が、快適でありがたかったような、複雑な気分もあるのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/26

Donald Trump のTwitter

ドナルド・トランプが Twitter で、ああ言った、こう言ったとかいうのがよくニュースに採り上げられたりしているが、私は憚りながら、これまで彼の Twitter ページを直接見たことがなかった。今日になって初めてちょこっと覗いてみようと思い立ち、検索してみると、Donald Trump 名義で 2つのアカウントが見つかった。

180426

1つは Donald J. Trump@realdonaldtrump (リアルのドナルド・トランプ) で、もう 1つが President Trump@POTUS というアカウントである。"POTUS" というのは "President of the United States" の頭文字だろう。

リアルのドナルド・トランプの方が、多分トランプ本人が自由に書いているアカウントで、POTUS の方はフォーマルなアカウントとして、ホワイトハウスの誰かが管理しているんじゃないかと思われる。2つのアカウントを使い分けることで、「リアル」 の方でより率直なことを tweet してしまおうという戦略かもしれない。

で、実際に行ってみると、リアルの方に約 5,120万人、POTUSに約 2,300万人のフォロワーがいる。どうしてもリアルの方が注目されているようだ。ただ、この数字は思ったほど多くはないなという印象で、やはり 「トランプをフォローするなんて、死んでもイヤだ!」 という人も多いのだろう。

驚いたのは (別にことさら驚くほどのことでもないが)、私の SNS 上での 「知り合い」 が 9人も 「リアル」 の方をフォローしている。「フォロー」 というより、意識としては 「ウォッチ」 なんだろうが、さすが動きが早いなあ。及ばずながら、私も 「フォロー」 のボタンをぽっちりした。かなり抵抗あったけど、あくまで 「ウォッチ」 のためだからね。

ちなみに 「リアル」 の方の注目度が高い傾向は私の知り合いにも反映されていて、"POTUS" の方の 「知り合い」 は 6人しかいない。やっぱり、ざっと見ただけでも "POTUS" の方まで付き合う必要はないかなという印象だ。リツィートばかりだしね。

ニュースを見ていると、ドナルド・トランプがもっぱら Twitter を使っていて、Facebook なんてのは無視しているような印象だが、調べてみるとしっかり Facebook アカウントも持っていて (参照)、ちゃんとまめにかき込んである。タイトル写真には大きな文字で "MAGA" とあり、これ、"Make America Great Again" (アメリカをもう一度偉大に) の頭文字だ。

ただ、トランプとしてはややエスタブリッシュ臭のある Facebook より、どちらかというとやはり Twitter の方が好みのようで、「ノリ」 が違う印象なのである。これではやっぱりマスコミとしては、Twitter の tweet の方に注目しちゃうよね。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2018/04/25

「弱り目にたたり目」 の政権

近頃、麻生さんの人相が悪くなったんじゃなかろうか。昔はもう少し柔らかみがあったような気がするが、安倍さんなんかとみっちり付き合っているうちに、こんなような顔になってしまった。まあ、最近は芳しくないニュースでしか取り上げられないから、たまたま悪いタイミングの表情を撮られちゃうケースが多いだけかも知れないが。

180425

それにしても、例の財務官僚の 「セクハラ事件」 について 「はめられたんじゃないか」 なんて発言するのは、考えがなさすぎる。このところずっと、自ら墓穴を掘っているようなところがあるが、その穴をどんどん深くしている。

「はめられたのかも」 と内心思ったりするのは、人間誰しも安易な保身本能から発してありがちなことであり、「そんなこと思うな!」 なんて言ってもしょうがない。しかしつい思ってしまったからといって、公式な場でそれをぽろりと口に出しちゃっうのは、「危機管理」 の理解のない証拠である。

ここで百歩譲って (いや、一万歩ぐらいかな?)、今回のセクハラ疑惑が、一部の人たちが言うように 「ハニートラップ」 だったと仮定する。断っておくが、これはあくまで 「仮定」 であって、私がそう思っているわけじゃないので、いきり立たないでもらいたい。

仮に今回の件がマスコミの女性記者によるハニトラだったとしても、財務省のトップ官僚がそれに簡単にひっかかってしまい、シンネリムッツリ食事を共にしながらアホな発言をして、あまつさえ気付かぬうちに録音までされるというのは、品性の問題だけでは済まず、ノー天気すぎる。本当に中国や北朝鮮の策略だったら、どうする気だったんだよ、まったく。

「あんな程度の発言はかわいいもので、田中角栄の時代までの官僚はもっと豪快で、無茶苦茶なことも言っていた。今の官僚は小粒すぎる」 なんて懐古的なことを言い出す向きもあるが、今どき、そんな昔話を持ち出してどうしようというのだ。「野蛮な時代があったのだね」 と言われ、自分の品性まで下げてしまうだけである。

で、こんなような状況で、財務大臣がつい思っちゃったことをぽろりと口にしたり、「お前、NHK?」 なんて言い方をするのは、この状況をまともに 「危機」 と思ってないのか、あるいはこの期に及んでまだささやかな虚勢を張りたいのか。

いずれにしても、「危機的状況にある」 ということにまともに気付きたくないという潜在意識が働いていて、そのことによって、ますます 「弱り目にたたり目」 という状況に自らを追い込んでしまうのは、これまでも散々繰り返されてきたことである。

エラい人たちって、本当に 「危機管理」 をわかっていない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018/04/24

「葬頭河の婆」 というのは?

昨日の記事では 「おんば様祭」 の話の関連で、「脱衣婆」 についてちょっと触れた。亡者が三途の川の渡し賃の六文銭を持ってこないと、衣服をはぎ取るのでそう呼ばれる。そして私の生まれた山形県の庄内では 「しょずがのばば」 (葬頭河の婆) と言われる。

180424

上は天橋立の近くの知恩院という寺にある、地獄巡り絵図の中の三途の川の場面で、なるほど、川のほとりで葬頭河の婆が亡者の衣服をはぎ取ろうとしている。後の柳の枝には、既にはぎ取られた着物がかけられてあり、一説には、この着物の重さで業の深さがわかるのだともいう。

この絵の葬頭河の婆はかなり恐ろしげな形相で、体も見上げんばかりの大きさだが、庄内の民話には 「年は 25歳で女の盛り」 としているものがある。

昔、大層仲のいいい爺さん婆さんがいて、どちらが先に死んでも再婚などしないという約束をした。ところがこの約束をした途端に、爺さんの方が死んでしまうのである。婆さんは悲しくて寝込んでしまうほどだったが、周囲に励まされてやっと立ち直った。

「爺さんはお茶が好きだったから」 と、堰に流せばあの世に届くと聞いて、新品のお茶道具を盆に載せて流してやったり、寒くなる前に綿入れの着物を墓の境内に置いてあの世に届くようにしたりと、甲斐甲斐しくやっていた。

ある日あの世の爺さんと話をしようと、「口寄せ」 のできる弓張り巫女のところに行ってみる。弓張り巫女とは、弓の弦をベンベン叩いて音を出し、トランス状態になって死者の霊を呼び出すのである。果たして口寄せされた爺さんが巫女の口を通して話し始める。

「あら、懐かしや」 と喜んだ婆さんが 「お茶道具や綿入れは無事に届いたか?」 と聞くと、「届いたことは届いたが、途中であちこちにぶつかったり引っかかったりして、ボロボロの状態だった」 と言う。婆さんは 「あれ、口惜しい、もったいない」 と嘆く。

「ところで、私は約束通りずっと独り身でいるけど、そっちはどうか?」 と聞くと、「俺のことは心配ない。閻魔様の仲人で葬頭河の婆と一緒になる」 と言う。ひどいジジイである。婆さんは驚いて、「その葬頭河の婆というのは、どんな風なのだ?」 と聞くと、「年は 25で女の盛りよ!」 という返事が返ってきた。

秋祭で 「地獄極楽の生き人形」 という見世物があり、婆さんが三途の川の場面のところに行くと、女の人が立っている。小屋の親方に 「これは誰?」 と聞くと、「葬頭河のお婆さん」 なんて言う。「年はいくつ?」 と訊ねると、その返事は爺さんと同じく 「年は 25で女の盛りよ!」 というのだった。

婆さん、遂に逆上して、見世物小屋をズタズタにぶち壊して帰って来たというお話である。庄内って、我が故郷ながら変なところである。

ちなみに、上の三途の川の絵のある知恩院というお寺は、5年ほど前に天の橋立の近くで仕事をした時に、ついでだから訪ねたことがあって、この絵も実際に見ている。行ってみれば、なかなか呑気な雰囲気のお寺さんだった。そしてブログを読み返してみると、この頃から私はお酒をあんまり必要としなくなったということがわかる (参照)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/23

「おんば様祀り」 というもの

食工房のブログ 「飯豊の空の下から...」 に、青木さんが集落の会計係を担当することになり、その関係で地域の 「おんばさま祭り」 に参加したという記事があって、興味深く読ませてもらった。

180423

東北方面には 「おんば様信仰」 というのがあって、大体は安産の神様を祀るものである。「おんば様」 というのは、御神体を見るとたいていは 「婆さん」 の姿をしていて、その正体は三途の川で渡し賃の六文銭をもたずにやってきた者の衣服をはぎ取る 「脱衣婆 (だつえば)」 だとか、あるいは鬼子母神だとかいろいろ言われるが、それはまあ、後からこじつけられたもので、元々は太古の昔からある民間信仰なのだろう。

インターネットで検索して 「おんば様」 の姿を見ても、上の画像にあるように、別に恐ろしげな顔つきをしているわけじゃなく、どちらかといえば、隣の婆さんみたいな身近な雰囲気だ。こんな感じだから、気軽に安産のお参りができたりするのだろう。

で、食工房のある会津は、この 「おんば様信仰」 の本場であるらしく、年に一度のお祭りをしっかりやっているようなのである。大昔からの民間信仰が今の世にしっかり生きているというのは、なかなかいいものだと思う。今も昔も、人間はこんな風に素朴に生きるのが一番の平和への道だ。

ところで、うちの地域の産土神社は 「あんば様」 という神様を祀っていて、この大元締めは茨城県稲敷市の、その名も阿波 (あば) というところにある 「大杉神社」 である。それについては、ほぼ 4年前に 「信心はキャッチボール」 というタイトルで書いている。

「あんば様」 と 「おんば様」 は、音がよく似ているので、どこか関係があるのかとも思っていたが、調べてみるとまったく別の神様のようだ。神様は別でも、信心は一つだから大切にしたいものである。

ちなみに脱衣婆は、私の生まれた山形県庄内地方では 「しょずがのばば」 というのだが、これは三途の川の別名である 「葬頭河」 (しょうずか) の婆ということである。これがいろいろ転じて 「正塚婆」 とも表記されたりするのだが、民間信仰というのは、とにかく細かいことには頓着しないのだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018/04/22

『教育勅語』 についてちょこっと書いてみる

押し入れの整理をしていたら掛け軸を巻いたのが出てきたので広げてみると、『教育勅語』 の原文と現代語訳が麗々しく書かれたものだった。そう言えば大昔、知り合いに 「床の間に飾っておくと子どもの教育にいい」 とか言われて押しつけられたことを思い出した。

180422

「子どもの教育にいい」 なんて言われても、この類いのものを床の間に飾る気には到底なれず、押し入れの奥にしまいっぱなしにしてすっかり忘れていたのである。今回たまたま出てきたので、惜しげもなく捨ててしまった。Yahoo オークションなんかを見ると 4000円ぐらいの値が付くらしいが、この手のものを欲しがるような人とお金のやりとりをしたいとは思わない。

私は九段の辺りで時間の余裕がありさえすれば気軽に靖国神社を参拝するような人間なのだが、教育勅語をことさらにありがたがって掛け軸を飾るほどの 「絵に描いたような右側の人」 ってわけじゃない。憲法改正問題にしても、今年初めに 「当分の間 「本籍・改憲派、現住所・護憲派」 で行きたい」 と表明しているし。

ところでこの教育勅語の内容に関しては、左側の人たちが蛇蝎の如く嫌うほどのものとも思っていない。冷静に読めば、決して邪悪なことが書いてあるわけじゃない。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」 という箇所がよく問題にされるが、私としては自らの国の存亡が危うくなったら断固戦うぐらいの心づもりはあるので、「当たり前のことじゃないか」 とさえ思う。現代においてその余地があるのは、せいぜいゲリラ戦的な抵抗だろうが、ただ、決してそれが必要になるような事態にならないよう祈る。

私が教育勅語を床の間に飾る気になんかならないのは、「邪悪なことが書かれているから」 ではなく、「重要なことが書かれていないから」 である。「書かれていない重要なこと」 とは、「自由」 に関することだ。私は今どき自由を尊重しない教育は、教育の名に値しないとさえ思っているのだが、教育勅語には 「自由」 という言葉そのものだけでなく、「自由を連想させる記述」 すら一言もない。

これは明治 23年当時の時代的制約なのかも知れないから、全否定してしまおうとは思わない。しかし現代の世の中でことさらにありがたがるようなものでもなく、あくまでも 「歴史的遺物」 であることを確認しておこうと思うのだ。

ところが今の世で、教育勅語を宝物の如くありがたがるようなことを大きな声で言いたがる人が少なからずいる。そしてそうしているうちに、なぜか割と簡単に安倍首相のお友達になれて、学校設立に無茶苦茶な便宜を図ってもらえたりするなんてこともある。そういう類いの人が首相なのである。これは本当に困ったことと思っている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/21

「愛を込めて醸造」 された 「正直の美徳」

Boredpanda というニュースサイトに、"German Beer Ad Shows Men Cradling Their Beer Bellies Like Pregnant Moms" (ドイツのビール会社が広告で、妊娠した母親のように自分のビール腹を慈しみ抱く男性を取り上げている) という面白いニュースがある。

180421

ニュースは 「ビールが健康のための最良の飲み物ではないことは誰もが知っているが、従来のビール広告は完璧な見かけの男性モデルを使って消費者を欺いてきた」 という書き出しで始まる。しかしこのほど、Bergedorfer Bier (「ベルゲドルフェル・ビア—」 と読むのかな) というビール会社が 「正直なアプローチ」 を試みたというのである。

典型的なビール腹の男性をフィーチャーした、「ビールを好きなだけ飲み続けていると、こんなようなお腹になっちゃいますが、でも、それもなかなかいいものでしょう」 というメッセージである。広告コピーはまさに "Brewed with love" (愛を込めて醸造しました) というものなのだが、写真は見方によって美しいような、はたまたちょっと冷や汗かいちゃうような、アサヒやキリンなどの日本のビール会社なら絶対に採用しないような類いのものである。

記事によるとこの広告は、「暑い日に飲む冷たいビールのような爽やかな結果となった」 という。日本も、少なくともこの程度の広告で炎上しちゃうようなことのない 「愛を込めて醸造された」 成熟した社会を目指したいと思ってしまったよ。。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/20

"HASSYON" という名のファッション通販サイト

スマホの無料アプリで頻繁に広告が表示されるのはお馴染みのことだが、今日は "HASSYON" という名のファッション通販サイトの広告が現れた。下の写真がそれである。それにしても "HASSYON" とは、いくら何でもアヤし過ぎる名称ではないか。

180420

ちょっと検索してみると、あまりいい評判ではないようで、届いたのが不良品だったので交換を希望したが応じてもらえなかったなどという書き込みがみつかった (参照)。まあ、その一方で 「安いんだから利用している」 みたいな書き込みも多いのだが。

試しにこの "HASSYON" という会社の通販公式サイト (参照) に行ってみると、いろいろなアイテムの写真が並んでいるが、値段を見ると、とりたてて 「安い」 というほどではない。せいぜい 「高くはない」 程度の値段で、このくらいのものなら、フツーのジャンクショップでいくらでも見つかる。

「会社案内」 というページを見ても、正式な会社名は表示されていない。"www.hassyon.com" というドメインネームが 「域名」 として表示されているが、これ、"domain name" を漢字に直訳したようで、中国の会社というのがバレバレである。さらにアヤシいことに、この会社案内の表は画像で表示されていて、つまりテキストベースの検索にはかからないように作られている。

「特定商取引法表記」 というページをみると、「会社名」 が 「株式会社キラバイ」 となっており、この部分もまた画像である。この社名をキーワードにして検索してみると、さらに芳しくない情報が出てくる。

この通販サイトで特徴的なのは、ページ上部のイメージ画像を除くと、すべての商品写真でモデルの顔がカットされていることだ。これは自社で契約したモデルではないので、顔を載せると訴訟を起こされるのが確実で、どう見ても勝ち目はないからだろう。

早く言えば、掲載されている商品は自社商品ではないということで、せいぜい欧米の企業から製造を請け負って、その中で出た不良品を販売しているか、あるいは中国内の消費者市場で安く販売されている品物をフツーに買い求めて、日本向けに値段を付け直して売っているかというようなことが考えられる。

いずれにしても私の感覚からすると、ファッション商品を ”HASSYON" なんていうサイトで買うなんて、気持ち悪くてできないと思うがなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/19

晴れ男、されど向かい風男

今月になってから、晴れさえすれば強風が吹くということになっているようで、今日のつくば周辺も昼過ぎからかなり強い風が吹いた。なんとかしてうららかな春爛漫の日というのを過ごしたいのだが、なかなかそうはいかない。風が弱ければどんよりとした曇り空で、晴れれば決まって強風だ。

180419

近頃は往復 20km 程度なら自転車で行くことが多くなっているのだが、自転車の大敵は強風である。今月 11日の 「大変な強風だった」 という記事でも書いたが、とくに向かい風だと、登り坂などでは漕いでも漕いでも進まなくなってしまうことがある。

今日もつくば方面に用があって、いつもの如く自転車で出かけた。我が家からつくばは北に向かってペダルを漕げばよく、今日は南風っぽいし、帰りは風も弱まるから大丈夫だろうと安心して出発したのだが、実際には南西からの強風だった。だから進路がちょっと西に向くと、とたんに向かい風になる。

実際には 「斜め向かい風」 という様相だったが、これがかなりきつい。道路の向きが北東方向になると、とたんに追い風になって 30km/h ぐらいのスピードが楽に出ちゃうのだが、ちょっと左向きに進路を取ると、急に 20km/h 以下になる。

さらにきつかったのが、用が済んで帰ってくる時に、この風の向きがさらに西風っぽくなったことだ。常に横から煽られるし、ちょっと西向きの進路になっただけで、往路の時よりさらに向かい風要素が強くなる。どうしても楽させてもらえない。

私は仲間内では有名な晴れ男で、ここぞという時の晴天率は 99%ぐらいになるのだが、風に関しては案外恵まれない。風向きの変化のせいで、往きも帰りも大変な向かい風というケースも、全然珍しくないのである。

「晴れ男、されど向かい風男」 ということなのかもしれない。まあ、雨男よりはずっとましか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/18

水面に飛び出した鯉の背びれ

下の写真は、我が家の裏を流れる川の水面を撮ったものである。何の変哲もない画像に見えるが、よくみると左右に 2つ、黒い筋状のものが見えるのがわかる。これらは実は、水中にいる鯉の背びれのようなのである。

1804182_2

春になって陽気がだいぶ暖かくなり、運動のために土手を散歩していると、あちこちで鯉 (多分、鯉だと思う) がジャンプして水面に落ちる 「バシャッ」 という音が聞こえる。耳を澄ましていると、ほぼ 10〜20秒に 1度ぐらいの頻度で聞こえ、水中に戻る一瞬の姿がちらりと見えたりするので、水の中には結構な数の鯉が生息していると思われる。水が濁っているので、人間の目には見えないだけだ。

一度でいいから鯉のジャンプする姿を写真に撮ってみたいと、iPhone のカメラを構えて待ち受けたが、なかなか撮ることができない。あちこちで  「バシャッ」 という音は聞こえ続けるものの、カメラの視野は限られるし、仮にジャンプする姿が画面で見えたとしても、シャッターを押して写真に収めるのは至難の業だろうと諦めた。

ところが散歩しているうちに、上の写真の光景に気付いた。初めは藁屑か何かが浮いているだと思ったが、どうも様子が違う。藁屑だとしたらどんどん下流に流されて行くはずだが、この 2つの筋は一つところに留まったままなのだ。

近付いてよく見ると、この黒い筋の後ろ (「後ろ」 と言いたくなったのは、下流の方向なので) の水面下で、何やら動く様子がある。これ、多分鯉の尾びれ (尻尾) なのだろう。流れの中で上流方向を向き、ゆっくりと尾びれを動かしているので、ずっと一つ所に留まっていられるようなのである。

「へえ、呑気でいいなあ!」 という言葉が、思わず口をついて出てしまった。まさに春である。

通り過ぎて引き返し、再びこのポイントにさしかかった時には、2つの黒い筋は見えなくなっていた。さすがの呑気な鯉も、退屈して河岸を変えたのかもしれない。こういう時に 「河岸を変える」 というのは、果たして適当かどうかわからないが、ちょっとした趣きとして使ってみた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/17

「ハッシュタグ」 という言葉

14年以上もブログの毎日更新を続けていると、「世の中、確かに変わった」 と思うことがかなりあり、その一つに、「#」 という記号の読み方がある。10年以上前は 2007年 8月に 「"#" は 「シャープ」 じゃないんだって」 という記事を書いたぐらいのものだが、今はごくフツーに 「ハッシュタグ」 と言われている。

180417

「ハッシュタグ」 という言葉が日本で急速に広まったのは、明らかに Twitter の普及による。ただ、米国で Twitter がスタートしたのが 2006年 7月で、その 1年後の 2007年は、まだ日本語対応すらできておらず、国内での本格的普及がスタートしたといわれる 2009年になっても、まだみんな 「シャープ」 と言っていたように思う。

Twitter がごくフツーに日常生活に入り込み、それとともに 「"ハッシュタグ〇〇" で検索してください」 なんて言い方がごく普通になったのは、ここ 10年足らずのことだ。考えてみれば大変な変化である。

ただこの 「ハッシュタグ」 というのは、あくまでも SNS における 「タグ」 の一つとして使われる場合の呼び方で、普通の英語としては単に 「ハッシュ (hash)」 とか、番号を示すために付けたりするので 「ナンバー・サイン (number sign)」 とか呼ばれる。

そんなわけで、"hash" というのは昔からある言葉だが、"hashtag" となると新語だから、2013年になって始めてオックスフォード辞書に採用されたらしい。一方、日本では 「ハッシュ」 を素通りしていきなり 「ハッシュタグ」 という言葉が浸透したため、単に 「ハッシュ」 と聞いて 「#」 の記号を思い浮かべられる人はごく少数派で、まだ 「シャープ」 の方が一般的だろう。

しかしそもそも 「ハッシュ」 と 「シャープ」 は別物のようで、よく見ると上図の通り、「ハッシュ」 は横の線が水平で縦の線が斜めだが、「シャープ」 はそれが逆になっている。西洋音楽ではシャープが 1個付くと 「ト長調 (G major)」 で、「ファ (F)」 の音を半音上げるため、五線譜では一番上の線 (ここが 「ファ」 の音に当たる) に付けられる。このあたりのことはあまり認識されていないから、ウンチク・ネタとして使えると思う。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2018/04/16

固形石けんで髪を洗うのだ

私はこの 30年近く、髪を洗うのにシャンプーを使わず、固形石けんを使っている。何だかよくわからないが、自然に近い原料で添加物を使っていない石けんで、頭の先からつま先までこれ 1個で済ませている。

180416

これを使い始める前は 「石けんシャンプー」 という商品名の、一見シャンプーのボトルのようなものに入った液体石けんで洗髪していたが、ある時ふと 「同じ石けんなら、分ける必要ないじゃん!」 と気付き、以後は固形石けんだけにした。この方が面倒がなくて、本当に楽だ。

妻の弟は美容師をしていて、私が固形石けんで髪を洗っているなんて聞くと、前は 「そんなことしてたら禿げちゃいますよ」 なんて言っていたが、何年経ってもちっとも禿げず、白髪すらほとんどない (参照) ので、最近では何も言わなくなった。まさに論より証拠である。

最近、ふと思い立って 「石けんとシャンプーでは、どちらが髪にいいのか」 というのをインターネットで調べてみた。複数のページが検索されたが、結論的には 「別にどっちでもいい」 という感じで、要するに好きな方を使えばいいということのようだ (参照)。多くの人が当然のごとくシャンプーを使っているのは、メーカーの CM の成果でしかないようなのである。

ただ、どのページを見ても 「石けんはアルカリ性なので、弱酸性のリンスが必要」 との注釈がある。かなりもっともらしいが、私は面倒くさがりなので、単に固形石けんを両手の平で泡立てて洗い、後はシャワーですすいでおしまいである。リンスなんてことは、この何十年もしたことがない。

それでも禿げもせず、白髪にもならないのだから、「弱酸性のリンス」 なんてのは気休めに過ぎないのだろう。考えてみれば、髪以外の肌だってノーマルな状態では弱酸性なのに、石けんでゴシゴシ洗いっぱなしで何の問題もないのだから、髪だけことさらに 「リンスが必要」 なんていうこともなかろうという気がするのである。これもまた、「論より証拠」 である。

ことさら面倒なことをせずにストレスフリーでやるのが、禿げもせず白髪にもならないための最善の策なのかもしれない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018/04/15

「とろぺず」 という言葉

フランスの観光地に 「サントロペ」 (St.Tropez) というところがあり、世界中に知れ渡っているので、いろいろな店がこの名前を勝手にいただいている。下の写真の 「都会的娯楽」 が売り物の 「サントロペ」 はパチンコ屋さんらしい。

1804152

で、フランス語の綴りでは最後の発音しない "z" の文字が付いてしまうので、私なんかつい "St." 以後の部分を 「トロペズ」 と読みたくなってしまい、それが引き金となって庄内弁の 「とろぺず」 を連想して、苦笑いしてしまったりする。

庄内弁の 「とろぺず」 というのは 「いつも、しょっちゅう」 という意味の言葉で、英語で言えば "always" に当たる。で、「おめだば、とろぺずものくてんなだものの〜!」 (日本語訳: お前ってば、いつもモノ食ってるんだものね〜) なんて呆れたりするのである。ニュアンスとしては、あまり褒められるような意味では使わない。

これはとくに庄内地方に限らない方言のようで、インターネットで検索すると 「とろぺし」 「とろぺじ」 「とろっぺじ」 「とろっぺず」 などのバリエーションでいくらでも出てくる。いずれも 「いつでも」 という意味だが、秋田などでは、「際限なく、いつまでも」 (forever)という意味合いでも用いられたりするようだ。

語源に関しては、どう探しても確たる言及がない。柳田国男の 『蝸牛考』 という書に、新しい言葉は中央から発して地方に伝わり、辺境になるほど古い言葉が残る」 というようなことが書いてあり、「とろぺず」 はどうやら東北地方にしか残っていないようなので、かなり古い言葉なのだろう。

というわけで古語辞書をひくと、「とろ」 は 「とろとろ/たらたら」 という言葉の流れで、「牛のよだれのような粘液状のものが流れ落ちる様子」 とか 「ゆっくり、ゆったり、のろのろ」 という意味となっている。これは今でも 「トロいやつ」 みたいな言い方に痕跡を留めている。

残る 「ぺず/ぺす/ぺじ/ぺし」 はなかなか難しいが、古い言葉とすれば、「はひふへほ」 の古い発音は 「ぱぴぷぺぽ」 の P音だったというから、辞書的には 「へす」 という言葉にヒントがあるかもしれない。「へす」 という古語は 「圧す」 と表記され、「押しつける」 という意味である。「押せども圧 (へ) せども」 なんて使い方をする。

この 「へす (圧す)」 が 「とろぺず」 の 「ぺず」 の部分に当たるとしたら、「とろぺず」 は 「際限なくのろのろと押しつける」 というようなイメージになる。これだと、褒められるようなイメージからほど遠い 「いつも、しょっちゅう、いつまでも」 というような意味合いに重なるだろう。もしかしたら案外、こんなようなところが正解なのかも知れない。確証はないけど。

ちなみに 「サントロペ」 というカナ書き表示だと、「さんごろぺ」 というのを思い出してしまうのだが、これについては 13年以上も前に "「かすと」 と 「さんごろぺ」" というタイトルで書いているので、参照されたい。

ああ、私としては、サントロペまで避暑になんか行かなくていいから、1週間ぐらい休みを取って、トロトロゆったりと暮らしてみたいものである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/14

英語は、単にお洒落な演出のための小道具なので

今月 5日に 「JR のペットボトルは、ぼってる」 という記事を書いた。東京駅の新幹線ホームにあるゴミ箱の 「ペットボトル」 の表記が "P.E.T.Bottels" となっているのを、下記のように写真入りで紹介したものである。

180414

その隣の表記がきちんと "Bottles" になってる (違い、わかるよね) のに、このラベルに関わった人たちは、制作者から現場で貼り付け作業をした人に至るまで、誰も気持ち悪くならなかったもののようなのだ。おそらく関係者の誰も、このラベルをまともに 「読んでなかった」 のだろう。「文字を目にしたら、とりあえず読んじゃう」 という体質の私みたいな人間にとっては、びっくりの現象である。

とはいえ私としては、この種の問題には既に諦観しているというか、「まあ、世の中そんなもんだよね」 程度の感慨で済ませてしまうのが身につきかけている。前は羽田空港のスナック・カウンターで "flesh juice" という看板を見てちょっと青ざめてしまい、店員のオネエチャンに 「これ、ちゃんと直しといた方がいいよ。『肉体ジュース』 って意味になっちゃってるから」 と注意したりもしたが、最近はあまり動じなくなった。

あの時にしても、"flesh juice" の店のオネエチャンは、「え、何がいけないのよ。生ジュースは生ジュースでしょ」 みたいな顔をして、ちっとも理解してくれなかったから、注意するだけ無駄だと悟ったのである。5日の記事にハマッコーさんが付けてくれたコメントでも、衣料品店の売り場案内に "Ladeis" とあったので注意したら、"Ladies" になってたというのがあった。

一方で紳士服売り場に "Men's" とあるので、婦人服の方も "Ladies'" としてもらいたかったわけだが、単にアサッテの方向にスペル修正されただけだったようなのだ。まあ、”Men's wear/Women's wear" ぐらいが一番わかりやすいんだろうけど、男子トイレの表示が "Men Toilet" なんていうのもあることだし (参照)、多くを望んでも仕方がない。

こんなことでは 2020年の東京オリンピックを前にしてお恥ずかしいというのは、至極もっともな指摘だが、まあ、この国の英語のレベル (というよりも、言葉総体のレベル) がこの程度のものなので、急に直そうったってそう簡単にはいかないだろう。

奇しくもこの記事の翌日に発表された、文科省による全国中高生の英語力に関する調査によると、政府が目標としていた 「中学生、高校生の 50%以上が、それぞれ英検 3級、同準2級相当以上の実力をもつ」 というレベルに届かなかったという。英検 3級なんて、はっきり言って馬鹿馬鹿しいほど簡単なんだけどね。

この報告を紹介した個別指導塾の先生のブログに 「木曜5割基準、到達は4割」 と書いてある (参照) ので、「一体何のこっちゃ?」 と思ったが、多分 「目標5割基準、到達は4割」 のミスタイプなのだろう。上の方で 「言葉総体のレベル」 と書いたのは、こうしたこともあるからである。

私は、この国の 「英語」 というのは、「お洒落な感覚を強調するための小道具」 でしかないと思っていて (だって、それ以上の意味づけは実際の生活でほとんど必要ないのだもの)、2015年 10月 21日の 「テキスト派と感覚派の間の深い溝」 という記事で、次のように書いている。

プロモーション用のウェブページを作成したり、お洒落なメニューを作ったりというアートワーク系の 「感覚派」 の人たちは、まず辞書なんて引かないのだ。言葉を意味のある言葉としてではなく、お洒落な感覚を演出する小道具ぐらいにしかみていないためだと思われる。

せっかくのお洒落な小道具なのに、正確な意味なんか調べてしまうと 「理に落ちて台無しになる」 みたいな気がして興醒めするので、そんなことしたくないのだろう。意味や正しいスペルを調べるよりも、感覚的なテンションを維持することの方が大切なのだ。

(中略)

しかし感覚派の人たちにしてみると、多少の語法やスペルの間違いなんて、大したことじゃないらしい。「何かおかしい?」 ってなぐらいにしか感じられないようなのである。「いいじゃないの。わかれば」 と言いたいみたいなのだが、テキスト派にしてみると、「いや、わからないから」 と言わざるを得ないのだ。

というわけで、日本の半数以上の人たちはあの 「一見英語のような表示」 を 「言葉」 と思っていないみたいだから、「左脳を使って読む」 のではなく、「右脳で眺めてるだけ」 のようなのである。だから 「言葉」 として間違いを指摘してあげても不興を買うばかりという結果になるわけだ。ましてや、英検何級相当のレベルなんてなことを言っても、ほとんど意味がない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/13

「机に寝るための便利グッズ」 というもの

昼前のラジオを聞いていたら、「机に寝るための便利グッズ」 というのを紹介していた。「机に寝る」 って、どんなに身を縮こめたらいいんだと、頭の中がモチャモチャになりかけたが、どうやら昼休みなどに机に突っ伏して寝るためのグッズらしい。

180413

ラジオの音声だけではなかなかイメージがつかめないのでインターネットで検索してみたら、上の画像のようなのが見つかった (参照)。「おひる寝っしょん」 という商品名らしいが、決してお昼におねしょするというようなものではない。他にも、腕にクッションを巻き付けて突っ伏して寝るという 「らくらく快適腕枕」 など、なんとまあ、いろいろな種類がある。

市場には 「便利グッズ」 と称する商品がいろいろあるが、私の印象ではそのほとんどは、ことさら 「便利」 というほどのものじゃない。他のありモノで充分に代用がきくし、どちらかと言えばあるだけ邪魔くさい。そのうちどこかにしまい忘れて、頭の中から消え去ってしまうという程度のものである。

で、こう言っては申し訳ないが、この 「おひる寝っしょん」 は結構かさばるし、「あるだけ邪魔くさい」 ものの典型なんじゃあるまいか。そもそもこんなもの、普段はどこに置いとけというのだ。まあ、中には 「お昼休みのチョイ寝に欠かせないので、使う時以外はロッカーの最上段に大切に保管してます」 なんて人も、稀にはいるかもしれないが。

で、話はそれだけでは済まない。オフィス用品のメーカー、KING JIM が 「着る布団」 なんてものを出しているというのだ。つなぎの服みたいなイメージの寝袋のようなもので、「大規模災害発生時の帰宅困難者に」 という触れ込みである。「靴を履いたまま脱ぎ着することができて、着たまま歩ける」 のだそうだ。

しかし大規模災害発生で会社から帰宅困難になった時なんて、実際にはまんじりともせずに夜を明かすことになり、時々うとうとするぐらいで、横になって寝ることなんてまずないだろう。「着る布団」 なんてものを会社がまとめ買いしても、何十年経っても 1度も使わずに、倉庫で探し物をする時に 「なんか、あるな」 と思う程度のものになってしまのが関の山なんじゃなかろうか。

とはいえ、世の中には 「便利グッズ」 といわれるものが大好きで、いろいろ買い揃えたがるタイプの人が少なくないようなのだ。こうした商品はそんな需要に支えられながら、次から次に現れては消えていくのだろう。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2018/04/12

JR 東労組の組合員大量脱退というニュース

東洋経済オンラインによると、JR 東日本の最大労働組合 「東日本旅客鉄道労働組合」 (JR東労組) の組合員が、今年 2月中旬以降の 1カ月余りの間に約 28,000人も脱退しているという (参照)。今年 1月時点では約 46,000人 (社員の約8割が加入) いた組合員が、半数以下の 18,000人まで減り、その減少にはまだ歯止めがかかっていない。

180412

これはどうみても異常事態だろう。なんでこんなにも脱退が相次いだのかといえば、それはもう、組合のやり方が組合員の期待とするところと全然合っていないからというほかない。組合に入っている方が自分たちのためになると思えば、脱退なんかしない。「組合に入っていても、デメリットがメリットを上回る」 とわかったからこそ脱退するのである。

記事によると、大量脱退の引き金になったのは、今年 2月の 「スト権確立決議」 だったという。従来の 「格差ベア」 を止めて、組合員一律の 「定額ベア」 にするように求めて、ストも辞さない構えを見せたというのだが、実際にはストは行われなかった。

そもそも JR 東日本は昨年まで 4年連続ベアが行われ、社員の平均給与も比較的高い。つまりそれほどまでには 「飢えていない」 のである。そこにもってきて、給料から高額の組合費をさっぴかれ、休日になれば政治闘争の勉強会だ、デモだと動員をかけられるのだから、「付き合いきれない」 と思われてもしかたがない。

ちなみに JR 東労組の内部には、革マル派がかなり浸透していると認識されている。そしてこの 「革マル派」 という言葉を聞くと、私なんか、とても 「いやぁな感じ」 になってしまうのだ。

1971年に早稻田大学第一文学部 (一文) に入学した時、早稻田は革マル派の拠点で、とくに一文キャンパスは革マル派が我が物顔でのし歩いていた。彼らは 「オルグ」 と称して、クラスの授業中にも頻繁に押しかけてきて政治的議論の場にしてしまう。しかし私は彼らの言い草をしばらく聞いているうちに、正直言って 「この連中とまともに付き合ったら、こっちまで馬鹿になってしまう」 と思うようになった。

当時の早稻田大学は、学生ストによる 「ロックアウト」 が続いて、まともな授業なんかほとんど行われなかった。私はアルバイトと音楽活動に明け暮れているだけだったから、よくまあ親は学費を出していてくれたと思う。あれは日本がまだ高度経済成長期にあったからこそだろう。つまり当時の学生運動は、自らの否定する資本主義経済の繁栄によって支えられていたと言ってもいい。

革マル派の連中は、「資本主義経済が究極まで行き着くとその矛盾が露呈し、共産主義に移行せざるを得ない」 なんて言っていた。今どきそんなことを言っても誰も信じないが、当時はそんな寝言が共産革命理論として通用していたのだ。

さらに 1972年の秋には、革マル派による学内でのリンチ殺人事件が発生して、大学は長期休講に追い込まれた。これが世に言う 「川口大三郎君事件」 である。この事件を境に、キャンパスを闊歩していた革マル派活動家たちは地下に潜って姿を見せなくなった。そりゃそうだ。姿を見せればすぐに逮捕される。あの連中が今どうなっているのか、全然知らない。

こんな体験をしてきているから、私は今でも 「革マル派」 と聞くだけでイヤになる。まあ、革マル派だけでなく、中核派だろうが社青同だろうが、あの当時のセクトの名を聞けばすべてイヤになってしまうのだが、革マル派はなまじ物理的距離が近かっただけに、嫌悪感がより強い。

というわけで、JR 東労組がどうなろうが、知ったことじゃないのである。約 7年前の 「質素の楽しみ」 という記事で、我々はもっと別の方向を向かなければならないということを書いているので、興味があったら読んでいただきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/11

大変な強風だった

今日の朝のうちはほとんど無風状態だったのだが、昼前から急に風が強まって、さながら 「春の嵐」 の状態になった。4月になって風の強い日が何日か続いていたが、今日の風は断トツに強い。

180411

近所で販売されている新築住宅の幟や旗、掲示板などはすべてなぎ倒されて地面に寝かされている。ラジオの交通情報では、首都高でも強風のため閉鎖や車線規制が相次いでるようだ。

実は私は、この風が吹き始める直前に、15日からの出張のための指定席券を買おうと、自転車で取手駅に向かっていた。片道約 9km、往復 18km と、普段なら手頃な運動になる。ところが今日は出発して 5分足らずで急に向かい風が強くなった。「ありや、こりゃどうしたことだ?」 と思ったが、軽く考えてそのままペダルをこぎ続けたのが間違いのもとだった。

あまりの向かい風に、スピードメーターはママチャリ並みの 10km/h を越えたり越えなかったり。それどころか、登り坂ではほとんど止まってしまいそうになる。普段は 30分足らずで着くのだが、今日はひいひい言いながら 50分ぐらいかかった。その分、帰りは楽に時速 30km/h 出せて、20分足らずで帰って来たのだが。

帰り道は時速 30km/h 以上で走っても風をまったく感じず、耳のそばで風切り音もまったくしない。背中に吹き付ける風速と同じぐらいのスピードで走っていたからだろう。これは気持ちいいような悪いような、かなり不思議な感覚である。

ただ、これほどの風は関東では珍しいが、私の生まれた山形県の庄内地方では、それほど稀なことではなかった。とくに冬の季節風は台風並みの強さで、猛烈な地吹雪を引き起こす。

私の生まれ育った酒田市はこの季節風のおかげで冬でもそれほどの積雪にはならなかず、せいぜい 30cm ぐらいのものだった。降った雪はほとんど山際まで吹き飛ばされてしまうのである。ただ、地吹雪のせいでしょっちゅう 「ホワイトアウト」 してしまい、視界がほとんど効かなくなる。冬山でもないのに。

地吹雪の時に風に向かって歩くときは、上体を極端に前にかがめて歩く。そうしないと風に煽られて前に進めないし、地面がアイスバーンになっていたりすると、帆掛け船のように流されてしまう。妻が初めて冬の酒田に来た時は、はからずもこの 「帆掛け船状態」 になってしまった。彼女は今でも 「咄嗟に身をかがめる余裕もなく、気付いた時は流されてた」 と述懐する。

こんなことを言うと、冬の酒田は恐ろしいところのように聞こえるが、逆に追い風の時 (つまり南東に向かって歩く時) はとても楽だ。背中から吹き付ける強風が、背もたれ付き椅子のように背後から支え押してくれるので、足を軽くちょこっちょこ動かしているだけで移動できてしまう。子どもの頃、学校から帰ってくる時はよく 「風に座っているうちに家に着いた」 なんて言っていた。

だから酒田で育つと、「苦あれば楽あり」 という諺を、かなり身を以て実感することができる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/10

「ターミナルホテル」 という名称のホテル

先日の出張で、某都市の 「〇〇ターミナルホテル」 (〇〇は地名) という名称のホテルに一泊した。外壁や内装は最近お色直しした形跡があったが、設備的にはかなり古色蒼然としたホテルだった。

180410

私は古いホテルに泊まることは全然厭わない。むしろ味があっていい感じだったりすることもある。甲府インター近くの 「ホテル昭和」 なんて、名前の通りかなり古いが、私はとても贔屓にしている (参照)。しかし先日の 「〇〇ターミナルホテル」 はいただけなかった。設備が古すぎて、ガタがきている。次にこの都市に来ても、このホテルに泊まることはないだろう。

一番驚いたのは、トイレの水洗レバーが壊れていることだ。水を流そうとしてレバーを捻ったところ、壁からレバーが外れてしまって、作動しない。外れたレバーを壁にはめ込み直し、手で押さえて捻ったら、やっと水が流れた。しかしそれからもちょっとさわっただけで外れてしまい、水が流れている状態ではずれてしまうと、今度は水が止まらない。

このホテルに泊まった日はいわゆる 「寒の戻り」 で、日が暮れてからはかなり冷え込んだのだが、集中制御式エアコンの吹き出し口がドア近くにあって、そこからベッドのあるスペースまで風が届きにくい。そもそも壁に取り付けられたエアコンのコントローラーが古すぎて、調節目盛りの文字がかすれて読めず、ということはまともな設定ができないのである。

さらに夜中にあまりにも寒いので、ごそごそ起き出してエアコンの吹き出し口に手をかざしてみたら、冷たい空気が吹きだしていた。暖房が故障したか、あるいはもしかしたら、前日まで初夏の陽気が続いたので、冷房に切り替えられていたのかもしれない。これには驚いてしまい、慌ててエアコンのスイッチを切ったら、多少は寒さが和らいだ。

ちなみに 30代後半から数年間、月イチのペースで尾州の一宮に出張していた時期は、「名古屋ターミナルホテル」 というのを定宿にしていた。これは JR の名古屋駅から一歩も出ずにチェックインできる立地で便利だった。今は 「ホテルアソシア」 とかいう名前になってるのかなあ。

当時は JR ホテル・グループの運営する 「ターミナルホテル」 というのが各地にあって、いずれも泊まってハズレのないホテルだったが、ある時期を境にこの名称がどんどん消えて別の名前に変わった。多分 「ターミナル」 という言葉が 「終末」 という意味をもつので、「終末医療の施設じゃあるまいし」 ということになったんだと思う。

ところがあの頃に、各地でJR ホテル・グループの尻馬に乗って、JR とは関係のない 「●●ターミナルホテル」 というのが続々とできていた。これらは名前だけいただいた 「なんちゃってターミナルホテル」 だから、JR 系の 「本家ターミナルホテル」 と比べたら、かなり落ちることが多い。

そして本家が 「ターミナルホテル」 の名称をどんどん廃止したので、今に残る 「●●ターミナルホテル」 というのは、建物も設備も、かなり古くなっている場合が多いのだろう。私が先日泊まった 「〇〇ターミナルホテル」 も、その例に漏れなかったわけだ。

というわけで、先日は他が満室だったので仕方なく予約したのだが、これからは 「●●ターミナルホテル」 という名称のホテルはなるべく避けようと思う。この名称のホテルが全て 「ハズレ」 というわけじゃないだろうが、敢えて選ぶだけの積極的な理由はないしね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/09

「困った時の再起動」 という金言

下の画像は、約 6年前の 「Windows PC でフォトストリームがどうしても同期できない時は」 という記事へのコメントで、めぐみさんが紹介してくれたマンガである (参照)。PC 関連の相談窓口を担当しているわんこが、どんな質問にも決まって答えるたった一言の解決策だ。

180409

電話の向こうで 「もしもし、えぇとですね…」 と誰かが相談しかけると、みなまで聞きもせずにたった一言、「黙って再起動」 と言う。2コマ目で 「あ、直った」 という声が聞こえると、「黙って電話を切る」 と言い放ち、それでおしまい。3コマ目では 「平均通話時間は改善しつつあるな」 とつぶやいている。まるっきりの愛想なしだが、実感としてはこれで充分に役に立つ。

IT の世界には 「困った時の再起動」 という金言があり、原因不明の不具合は再起動してやれば大抵解決する。スクロールができなくなったり、文字入力ができなくなったり、ファイルがどうしても開けなくなったり、コピペが全然機能しなくなったりしたら、慌てず騒がず、一度 PC を終了して再起動すれば、嘘のようにサクサク動くようになるのである。

時として 「画面がフリーズして全然動かないので、終了させることもできないんです」 なんて言う人もいるが、そんな時には、「電源スイッチを長押し!」 と応える。

とにかく再起動は万能薬だから、まさに上のマンガのワンコのように 「黙って再起動」 とさえ言えば用は済む。これは PC に限らず、スマホだろうがタブレットだろうがルーターだろうが、大抵のものに応用できる。

私の妻も 「iPad が動かなくなっちゃった」 なんて助けを求めてくることがあるが、「これまで何度も何度も言った 『困った時の再起動』 を思い出すこと」 と答える。そして毎回これで解決する。この金言をいつまで経っても覚えられない人は、永遠に初心者であり続けるのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/08

「尾頭付き」 を食えない人がいるようなのだ

魚の尾頭付きをまともに食えない日本人が増えているらしい。先日もラジオで某有名タレント (中年男性) が 「尾頭付きなんか食えねえよ。切り身ならいいけど」 と大いばりで言っているのを聞いた。こういうことは恥じらいながら言うものだと思っていたのだが、今や堂々と公言できるというのは、尾頭付きの食えない人が決して少数派ではなくなったことの証しだろう。

1804082

そもそも 「尾頭付き」 という言葉を 「御頭付き」 と勘違いしている人、つまり魚の頭だけを意識して尻尾は関知してないという人も増えているらしい。フツーに考えたら、頭だけ付いて尻尾がないというのは不格好だろうけど。

で、尾頭付きが苦手というのにも 2通りあって、一方は単に箸を使うのが不器用で、上手に食べられない人。そして残るは、「魚の頭と尻尾が付いてるのは生々しすぎて苦手」 という人のようだ。まあ、この両方の合わせ技の人も少なくないだろうけど。

後者の中には 「目が付いてるのを見ると、気持ち悪くて食べられない」 という人も少なからずいて、甚だしくは、ししゃもやわかさぎの天ぷら、ちりめんじゃこまで食えない人もいるらしい。ああいうのはフツー 「尾頭付き」 の範疇には入れないんだろうけど、人の感覚にどうこう言ってもしかたがない。

ただ、こうした感覚から類推すると、牛や豚なんかを食えるのは、決して目なんか付いてなくて、いわゆる 「切り身」 で供されるからなのだろう。つまり、生々しくて見るに堪えない作業 (要するに 「屠殺・解体」 のことね) は目に見えないところで他の誰かがやってくれているから、牛や豚は平気で食えるのである。最近ではその感覚が、魚にまで及んできつつあるというわけだ。

私が肉を食うのを止めたのは、魚なら尾頭付きを自分でさばけるけど、牛や豚でそれをするのははちょっと御免蒙りたい気持ちがあるからでもある。屠殺・解体のプロセスを他人に代行させて、自分はまったく手を汚さず、それに関する後ろめたささえも感じることなく、最後のおいしいとこだけ (果たして本当においしいかなあとも思うのだが) 享受するというのも、なんだか虫がよすぎると思うようになったのだよね。

どうしても肉が食いたいなら、狩りをして得た獲物を自分でさばいて食えるぐらいなら OK と思ったりもする。自分で釣った魚を自分でさばいて食うみたいに。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018/04/07

土俵と女性

京都府舞鶴市で行われた大相撲の春巡業で、土俵上で倒れた多々見良三・舞鶴市長に心臓マッサージを行っていた女性に、「土俵から降りてください」 と呼びかけたというニュースが結構な問題になっている。これに関して、専門医師が女性の取った措置は完璧と太鼓判を押したことが HUFFPOST に報じられている。(参照

1804072

私はこれに関するビデオを今日初めて見たのだが (上の写真にリンクする HUFFPOST の記事で見ることができる)、土俵に上がった男性がほとんどおろおろしている中で、女性 2人がとても冷静に必要な措置を講じているのが確認できる。舞鶴市長は、倒れた現場にこうした女性が居合わせたことを、「不幸中の幸い」 として天に感謝すべきだろう。

この問題に関して私は、4月 5日に次のように tweet している。(参照

心臓マッサージしてる女性に「土俵から降りろ」 は言語道断だが、それとは別の次元の話として、土俵には命を落としても本望という覚悟で上がらねばならないのだ。たとえ単なる挨拶のためとはいえ、あくまでも「覚悟」としてはね。

この tweet は、その 2日前の 「東京駅のゴミ箱、ぼってる」 より多少はわかりやすかったようで、「リツィート」 と 「いいね」 が 1件ずつあった。

私は 「慣習」 というのか 「伝統」 というのか定かではないが、「女性は土俵に上げない」 という不文律に関しては、大相撲関係者には恐縮だが、「本質的にはどうでもいいこと」 と思っている。あまり語られないことだが、昔は 「女相撲」 という色物的興業もあったことだし、それほどしゃっちょこばって語っても仕方がなかろう。

ただ、宝塚市の中川智子市長が 「土俵上で挨拶したい」 と申し入れて断られた (参照) という件に関しては、上の tweet で述べたように 「『土俵上で命を落としても本望』 という覚悟があるならどうぞ」 と言うほかないと思っている。極端な話ではあるが、狂信的な男性至上主義者が土俵に駆け上って襲いかかり、結果的に命を落としたしても後悔しないほどの覚悟だけはもって上がるべきだということだ。

一方東京都の小池知事は 「東京・両国国技館で自身が土俵に上がり、優勝力士に都知事杯を授与することに関しては、『手渡すことにチャレンジするエネルギーを費やすつもりはあまりない』 と答えた」 と報じられている (参照)。これはこれで賢明な考えだと思う。

こんなことを言いすぎると 「お前は土俵に上がった女性は殺してもいいというのか」 とか 「女性が土俵に上がることについて、不等なプレッシャーを与えるのか」 なんて短絡的な批判が出かねないので、実はあまり直接的には言いたくなかった。しかし冷静に読んでもらえば、そんな馬鹿なことを言っているわけではないと理解してもらえるだろう。「土俵で命を落としても本望」 という覚悟が求められるのは、男女共通のことだし。

この 「覚悟」 というのは、昨日の記事 (参照) で 「私なんか 『伝統』 というのはかなりラジカルな側面をもつと信じているのでね」 と書いた一つの要因でもある。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/06

西部邁氏に関する最近の報道から

西部邁氏の 「自殺」 に協力したという人物が 2名いて、自殺ほう助容疑で逮捕されているのだという (参照)。「なんだかなあ」 と思ってしまう話である。自らの死生観に沿って自分で命を絶つのは、まあ勝手にすればいいことだが、複数の人間に自殺を手伝わせて警察沙汰にしてしまったことで、その美学の価値は損なわれてしまったと思うのだ。

1804062

逮捕された 2人は、西部氏の 「信者」 と言われているらしい。こうなるともう、宗教みたいな言い方である。そんなことで他人まで巻き添えにしてしまうのは、いかがなものか。自分で死を選ぶなら、最後まで自分の責任で完遂すべきだった。

西部邁という人には、実はほとんど関心がない。その昔、「新しい歴史教科書を作る会」 という団体の肝いりで出版された 「国民の道徳」 という本を買ったが、内容的に賛成とか反対とかいう以前にあまりの退屈さに匙を投げて、3分の 1も読み進まないうちに古本屋に売ってしまった覚えがある。多分、思考の回路の波長が合わないんだろう。

西部氏は 「経済学者」 という経歴をもつが、 「正統的経済学」 には批判的で、Wikipedia によると次のような思想をもっていたという。(参照

人間の社会的行動とは、合理的な面と不合理的な面の二重性を本質的に保持し、この不安定な二重性を均衡させる力を、西部は 「慣習」 または 「伝統」 と名付けた。

というわけで、この 「慣習」 「伝統」 という要素への積極的信頼が、彼をして 「保守思想家」 たらしめたんだろう。しかし私の感覚からすると、こうした思考そのものが、彼なりの 「合理主義への忠義立て」 みたいに思えるのだよね。

彼の著書を読んで退屈でたまらなくなった要因の一つは、「伝統」 という要素を 「合理」 と 「不合理」 の緩衝材みたいに位置付けているのを感じてしまったことだと思う。私なんか 「伝統」 というのはかなりラジカルな側面をもつと信じているのでね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/05

JR のペットボトルは、ぼってる

この写真、ちょっとわかりにくいかも知れないが、東京駅の新幹線ホームにあるゴミ箱である。きちんと分別して捨てるようになっていて、「カン・ビン」 と 「ペットボトル」 も専用の口がある。

180405

写真の左側が 「カン・ビン」 用で、右側が 「ペットボトル用」 だ。で、一見して 「ありゃ?」 と思ってしまったのだが、英文表記が左側が "Can/Bottoles" で、右側が "P.E.T. Bottels" になってしまっている。それで、昨日の朝、「東京駅のゴミ箱、ぼってる」 として Twitter に画像をアップしといたのだが、皆さん忙しい時間帯で、スペルの間違いに気付いてくれなかったようで、何の反応もなかった。

それにしても、おそらく同じ人間が担当してこの表示ラベルを作成したんだろうに、どうして片方を "Bottles" と正しい表記にしながら、もう片方を "Bottels" なんてことにして気持ち悪くならなかったんだろう。さらにこのラベルを貼り付ける人も、誰一人として 「ありゃ?」 と気付かなかったらしいということに驚く。

まあ、もっとえば、左側も "Cans/Bottles" としてもらいたかったところだが、日本人の英語力って、まだこの程度のものなんだなあと、しみじみした気分になってしまった。

というわけで、今日は度続く (旅続く?) 出張帰りでヘトヘトなので、この程度の軽いお話でおしまい。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018/04/04

広島市と福山市

今日は広島県の福山市に出張している。関東では東京で初の夏日になるなど、かなり暑くなったようだが、こちらは晴れたり曇ったりの天気で、ちょうどいい暖かさ。対照的に青森では雪が降って真冬の寒さに戻ったというから、日本の天気は一体どうなっているんだろう。

180404

で、今日は別に天気の話をしたかったわけではない。広島県には何度も来たが、県庁所在地の広島市と、県内第二の都市である福山市とは、駅から降りた時の感覚がかなり違うということを言いたかったのだ。広島の 「県民性」 として一括りにはできない。

広島市民は激情的というイメージがあるが、福山市民は比較的穏やかだ。福山の人たち自身もやはりそのことは意識しているようで、「広島市は安芸国だけど、福山市は備後国じゃから」 なんて言う。なるほど、国が違うのだ。距離からしても広島市より岡山市に近いし。

こうした気質の違いは別に広島市と福山市だけに限らず、多くの地域でみられる。私の生まれた山形県庄内の人間にしても、「山形県人」 と言われるのは甘んじて受けても、「山形人」 と言われるとかなり抵抗を感じる。あくまでも 「庄内人」 なのだ。内陸の山形市周辺とはかなり違う。

長野県でも、県庁所在地の長野市は県の北端に近く、中央部の松本市とは、物理的な距離以上の違いを感じることがある。福島県なども、「浜通り、中通り、会津」 という地域によって、「ビミョー以上」 の違いがあるように思う。狭い日本もよく見ると、しっかりと多様性があるのだね。こうしたこととなると、「小さな違いが大きな違い」 になってしまう。

で結局、福山で買う土産は、広島名物の 「もみじ饅頭」 ではなく、岡山名物の 「きびだんご」 になってしまうのだ。マジな話、きびだんごはおいしいし。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/03

ゆっくりメシを食うことができない体なので

ゆっくりメシを食うことができない体である。昔から早飯だったが、還暦を過ぎて 5年以上経った今でも、周りの人よりずっと早く食い終わってしまう。

180403

自分のブログを検索してみると、14年近くも前に 「早飯は美学か」 なんて記事を書いている。昼飯を手っ取り早く食わなければならない外出先などでは、迷わずカウンター式の牛丼屋であっという間に食い終わるみたいなことを書いている。

今は肉食を止めたので牛丼屋でメシを食うことはなくなったが、かわりにそば屋かうどん屋で、やはりあっという間に食ってしまう。麺類はすするので、米のメシより早く食ってしまいがちで、年を取っても全然落ち着きがない。

若い頃に業界紙の記者なんて仕事をしたので早飯が身についたのだろうと言われることがあるが、そんなことはない。学生の頃からずっと早飯だった。タッタカターっとリズム感で食ってしまうので、途切れがないのである。

妻には 「よく噛んで食べたらどう?」 なんて言われるが、食い物を噛む回数で言えば、そんなに少なくはないはずで、かなり超高速で噛んでは飲み込んでいるのだ。だから 「早食いは太る」 なんて言われるほどの肥満にはならずに済んでいる。

ただ、いくらなんでも人と一緒にメシを食っても、あっという間に食い終わってしまうので、間が持たないことがある。こればかりは何とかしたいのだが、ゆっくり食うことができない体なのでコントロールできない。

仕方なく食わずに話をすることになるので、tak はメシを食うときによくしゃべるなんて思われているようだがが、そうでもしないと場が持たないのだからしかたがない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/04/02

「春に三日の晴れなし」 というが

ことわざに 「春に三日の晴れなし」 といって、春は天気が変わりやすくて、晴れは 3日ともたないということになっているが、今年は 3月 22日から今日まで、11日間も晴れの日が続いている。こんなことは本当に珍しい。

180402

私の仲間内では、これは私が 3月下旬からずっと旅が続いているからだということになっている。何しろ私は、熊本出張の日に九州に上陸するはずだった台風の進路を一夜にして変えて、高知に上陸させてしまったことまであるのだ (参照)。

この時は、高知在住の知り合いが 「九州に行くはずだった台風がいきなりこっちに来たんで驚いたけど、そうか、あれはあんたの都合だったのか」 と納得していた。とまあ、それほどまでに、少しは知られた晴れ男なのである。

実は 3月の 20日から旅続きで、この間、仕事の空白日だった 21日を除いて、すべて天気に恵まれた。こんな具合である。

3月 20日 北九州市 曇り
3月 21日 (空白日) 福岡市 曇り時々雨
3月 22日〜25日 長崎市 ずっと晴れ
3月 26日 水戸市日帰り 晴れ
3月 27日 日立市日帰り 晴れ
3月 28日〜29日 奈良市 晴れ
3月 30日〜 4月 1日 水戸市日帰り 晴れ
4月 2日 (本日) 仙台市日帰り 晴れ

というわけで、旅先でほとんど晴天に恵まれているのである。そればかりか、明日はまた水戸に日帰りして、さらに明後日の 4日から 1泊 2日で広島県に出張することになっているが、天気予報によると、この旅から帰ってくるまでは晴れるらしい。これが実現すれば、連続 2週間のお天気ということになる。

こんな旅続きの、しかも 「3日の晴れなし」 というほどの期間に、なんとまあ、ありがたい巡り合わせである。

とはいえ、このところは朝起きてスマホのカレンダーを覗いて予定を確認するまでは、自分でも何をすればいいのかわからなくなるほどの旅続きで、さらに今日は仙台までの日帰りドライブという無茶をしたので、くたくたに疲れてしまった。というわけで、早めに休ませて頂くことにする。お休みなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/01

「雰囲気」 の読みが 「ふいんき」 で定着するのは 2035年頃

国立日本語研究所は、「雰囲気」 という言葉に関して、2035年頃に 「ふいんき」 という読みが定着し、多くの国語辞書にも新項目として加えられるだろうと予測している。

180401

上の画像は Goo 辞書の 「ふんいき 【雰囲気】」 の項目だが、既に "「ふいんき」 と発音する人が増えているという調査結果がある" という補足がある。私も昨年のクリスマスイブの記事で、iPhone で 「ふいんき」 と入力すると、変換の第一候補に 「雰囲気」 が表示されると書いていて (参照)、なかなか忌まわしいことになってしまっているのだ。

いや、それだけではない。ATOK でも 「ふいんき」 と入力すれば一応 「雰囲気 ≪ふんいきの誤り≫」 と表示されるが、そのまま確定キーを押すと、なんのことなく 「雰囲気」 に変換されてしまうのである。IT の世界では既に、「ふいんき」 の市民権獲得が進行中なのだ。

国立日本語研究所が 2035年頃までには多くの国語辞書で、「ふいんき 【雰囲気】」 という項目が加えられ、本来の 「ふんいき 【雰囲気】」 という項目と共存することになるだろうと予測しているのは、こうした状況を踏まえていると思われる。まさに 「言葉は生き物」 である。

ただこの時点では依然として 「ふんいき 【雰囲気】」 の項目の方がメインで、語義の末尾に "近年は 「ふいんき」 とも言う" 程度の説明が加えられるに留まるだろうとしている。そして新しく加えられる 「ふいんき 【雰囲気】」 の項目では単に "「雰囲気」 (ふんいき) に同じ" 程度の説明になるだろうということだ。

ところがコトはそれだけでは済まない。さらに進んで 2050年頃には一転して 「ふいんき 【雰囲気】」 の項目の方がメインとなってしまい、「ふんいき 【雰囲気】」 の項目は 「雰囲気の古い言い方」 として掲載されることになるだろうとしている。いやはや、とんでもないことになるわけだ。

こうした予測の根拠として同研究所は、「山茶花」 が 「さんさか」 という旧来の読みから 「さざんか」 に変化するまでにかかった時間を挙げている。中世後期までは 「さんさか」 または 「さんざか」 と呼ばれていた花が 「さざんか」 に変化し、定着するまでには、17世紀初頭までの 約 100年という時間がかかった。

しかし最近は 「ドッグイヤー」 で時間が 7倍のスピードで進むと言われている。そのため 「雰囲気」 が 「ふいんき」 になるには、長くても今後 20年はかからないだろうと考えているようなのだ。

ちなみに 「小正月 (こしょうがつ)」 の読みとして 「しょうしょうがつ」 が定着するのは、やや遅れて 2045年頃だろうと予測されている (参照)。

【4月 2日 追記】

大方は既にお気づきと期待しますが、これはエイプリルフール・ジョークです。そもそも冒頭の 「国立日本語研究所」 からしてヤバくて、実在するのは 「国立国語研究所」 なのでありますね。

ただ、今頃言い出すのもナンですが、このネタが 17年後に誰かの目にとまって、「単なるマジネタじゃん」 なんて言われちゃうようなことにならないよう、祈るばかりです。

| | コメント (16) | トラックバック (0)

« 2018年3月 | トップページ | 2018年5月 »