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2018年6月に作成された投稿

2018/06/30

「潜伏キリシタン」 ということ

日本が推薦していた 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」 が、UNESCO の世界遺産として登録された。これまで 「隠れキリシタン」 と言われていた存在が 「潜伏キリシタン」 と、聞き慣れない名称になっているのが興味深い。

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日本は 2007年に UNESCO への推薦の前段階としての 「暫定リスト」 に、「隠れキリシタン」 関連の資料を追加、そして 2015年に推薦書を提出した。しかしこの時点では却下され、UNESCO の世界遺産関連の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS = International council on MOnuments and Sites) の 「日本の特徴である禁教期に焦点を当てるべきだ」 との中間報告に沿って申請し直しを行った結果、今回の登録につながったらしい。

なるほど、頷ける話である。キリスト教関連の遺跡というのは、日本だから珍しいだけであって、世界的に見ればいくらでもあるのだから、とくに 「世界遺産」 として登録するほどのものでもなんでもない。登録する価値があるとすれば、「禁教期」 において、250年もの間、カソリックなのにバチカンの指導から隔離された信仰を継続してきたという、極めて特異な点だ。こうした状況では、日本独自のフォークロアリスティックなものに変化しないはずがないじゃないか。

私は長崎に旅行した際に隠れキリシタン関連の遺跡を結構訪問している。その印象から湧いたのは、「隠れキリシタンの信仰は、正当なカソリックとはかなり違っているんじゃあるまいか。そのあたりを、どうやって折り合いつけるんだろう」 という疑問だ。祈りの言葉を、彼らは 「オラショ」 というようなのだが、それはかなり 「呪文」 の如くに変化しており、当の隠れキリシタンにさえも正確な意味は知られていないものもあるというのである。

これに関して 『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』 という本があることを知り、早速 Amazon で購入申込みをした。著者の宮崎堅太郎さんという方は宗教学者で、自身も隠れキリシタンの家に生まれたという人らしい。

これに関する 「サライ」 の記事に、次のようにある。(参照

宮崎さんは長年の調査研究の結果、「潜伏キリシタン」たちにとってキリスト教とは仏教や神道の神さまと同列か、あるいはそれよりちょっとご利益の大きい神様だったということに気がついた。それはキリスト教本来の一神教の神ではない。実際のところ、彼らの家には仏壇や神棚とともにマリア像がなかよく祀られていた。

彼らはなぜキリスト教風ともいうべき教えを守ってきたのか。聞き書きしたひとりの信者がこう語っている。「先祖たちが大切にしてきたものを、絶やすことなく守り続けるのが子孫としての大切な務めであり、自分の代で絶やしてはならない」。これは形を変えた先祖崇拝だと、宮崎さんはいう。

これはとても興味深いことである。一神教の代表格であるキリスト教が、多神教の国で存続してきたのは、こうした風土があったからだろう。

これ以上のことは、本が届いて読んでみてから、改めて書こうと思う。

【7月 2日 追記】

この件に関して、コラムニストの堀井憲一郎氏が "「潜伏キリシタン」世界遺産へ…日本人がしがちな誤解を解いておこう" という記事を書いている。これは 「制度」 の視点から書かれたもので、「信仰そのもの」 について深く考察したものではないが、確かに 「日本人のしがちな誤解」 を解く助けにはなるから、一読をお勧めする。

【7月 4日 追記】

「これ以上のことは、本が届いて読んでみてから、改めて書こうと思う」 と宣言したので、本日 "「潜伏キリシタン」 ということ その2" を書いた。

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2018/06/29

強風の真夏日

カンカン照りの真夏日だ。何もしていなくても汗が流れ落ちる。ただ、いつもの夏の真夏日とは少々様相が違う。空は真っ青でも風がやたら強いのだ。だからこんなに暑いのに入道雲がない。

上のビデオは、近くの田んぼの様子だ。真っ青な田んぼが強風に波打っている。穂の出かけた稲が台風の風に波打つという景色はお馴染みだが、青い田んぼがこんなに波打つ光景は、あまり馴染みがない。そして繰り返すが、背景の青空に入道雲のないのも、違和感の元だ。

ジリジリと照り輝く太陽の下で、そよとも吹かぬ風を待つというのが、いつもの夏である。しかしこの数日間、 「そよとも吹かぬ」 どころか、轟轟と音を立てて吹く風の止み間がない。まったくおかしな夏空である。

関東はこんなに晴れているのに、北九州は記録的な大雨だったのだそうだ。川崎町というところでは、1時間に 110ミリの猛烈な雨が降ったというから、尋常じゃない。雨雲レーダーを見ると、西日本から東北日本海側にかけて濃い青色で示される分厚い雨雲が連なっている。いわゆる 「線状降水帯」 ってやつだ。

関東にはこの雨雲がかかっていないが、強い風が吹きまくっているのは、低気圧に向かって吹き込む風がかかっているのだろう。とにかく、強風に煽られながら熱中症の心配をするという、あまり経験のない状況になっている。

「近頃天気がおかしい」 というのは、何年も前から何度も繰り返して言っている気がするが、その 「おかしさ加減」 は年々際立ってきている。今からこんな具合だと、本当の真夏になったらどんな猛暑になってしまうのかと、思いやられる。

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2018/06/28

熱中症にご注意

暑い日が続いている。梅雨明けは公式にはまだ発表されていないが、ラジオに登場する気象予報士の中には 「私の中では既に梅雨明けしてます」 なんて言う人が何人もいる。気象のプロが軽い気持ちでそう口走るのだから、例年の梅雨明けと共通した状況になってしまっているのだろう。

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昨日と今日は、朝方にパラパラッと雨が降ったが、昼前にはすっかり止んでじりじりと夏の日が照りつけた。実は昨日は笠間方面で自転車のヒルクライムをし、現地まではクルマで往復したので、自転車は前輪を取り外して、クルマの荷室に入れっぱなしだった。

今朝の雨が止んだ頃にクルマから自転車を下ろし、前輪を取り付ける作業をしていると、急に目まいがして立っていられなくなった。「ありゃ、これって、貧血?」 なんて思っているうちに、目の前が真っ暗になって、しゃがんでいるのもしんどい。這うようにしてリビングルームに戻って、ソファに倒れ込んだ。

「一体、どうなってるんだ?」 と思いながら自分の腕を見ると、手の甲から肩にかけて玉の汗である。それだけでなく、いつの間にか顔から首筋、胸にかけても汗びっしょりだ。ようやく 「やば、これって、熱中症ってやつかも!」 と気付く。世の中というのは皮肉なもので、水を持ってきてもらおうにも、こんな時に限って妻は外出中でである。

またまた這うようにして冷蔵庫まで辿り着き、冷えた水をがぶがぶ飲む。しばらくすると目まいは収まってきたので、今度は塩をなめる。しょっぱい塩が、やたらおいしく感じる。10分ほど横になるうちに、嘘のように生き返った。

こんなことが起きてしまったのは、気温はそれほど上がっていない午前 10過ぎ頃である。ただ、気温は上がっていなかったが、湿度はやたら高くて、汗がダラダラ流れた。ラジオなどで 「カンカン照りでなくても、熱中症は起きますのでご注意」 と呼びかけられることがあるが、まさにその通りだった。

というわけで、このブログを読んでくださる方々にも、自分自身の初めての経験から 「熱中症にはくれぐれもご注意」 と呼びかけたいと思う。症状は突然来るので、クラクラッとなって初めて 「やば!」 と気付くのだね。

そうならないように、朝のうちからきちんと十分な水分と塩分を摂っておく方がいい。

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2018/06/27

滑舌の悪い人に、2種類ある …… 一音一拍の大切さ

世の中には滑舌の悪い人というのがいる。最近はそれを 「カミラー」 なんていうらしいが、滑舌の悪い人がすべて 「カンじゃう」 ってわけじゃない。滑舌の悪い人は、2種類に大別される。やたら饒舌にまくし立てるのに、結局何を言っているのかわからない人というのも多いのだ。

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上の画像の右上の人 (名前は知らない) のように、「降水確率」 を 「こうしゅいかくりちゅ」 なんて言っちゃうのは、まだいい。そう言われれば大抵 「これは 『降水確率』 と言ってるつもりなんだろうな」 とわかる。わからない方がおかしい。

困るのは、やたら早口に 「母音抜き」 の発音でまくしたてる人だ。最近よく言われるのは 「過失致死」 という言葉の発音である。母音を入れて 「一音一拍」 の原則を守ってくれさえすれば、たとえ 「かしちゅちし」 なんてことになっても、話の前後から大抵 「過失致死」 なんだろうと想像がつく。

しかし一音一拍の原則を無視して母音を抜き、ローマ字で表記すると "kshtzush" (フツーの発音は "kashtsuchishi") という発音をされてしまうと、「は?」 と聞き返してしまうことになるだろう。当人の脳内には 「過失致死」 という四文字があるのだろうが、敢えてカタカナで書くと 「クシツシ」 (実際の発音は、「ツ」 以外がすべて 「息」 だけの無声音) としか聞こえない。

最近は結構なインテリに 「コロヌケーがティセッ」 と言われて面食らったことがある。当人はどうやら 「心のケアが大切」 と言ったつもりらしいのだ。いずれにしてもこの人、「心」 という言葉をまともに 「ココロ」 と発音できずに、必ず 「コロ」 としか言わない。同様に 「朝日新聞」 のことは 「アッスィ」 としか言わず、「法則」 は 「ホスク」 (「スク」 の部分は無声音) になる。

で、何しろ早口なので、半分は何を言っているのかわからない。その度に聞き返すのもあまり度々のことになってしまうので、要するにまともに聞くのが嫌になる。強いて言えば、こちらも想像力を駆使すれば何とか話の内容を理解できるのだが、ずっと想像力を駆使しまくるのも疲れるので、すぐに上の空になる。当人は必死にまくし立てても、その 「伝えようとする努力」 のほとんどが空しいものになってしまうのだ。

こうした人に 「ゆっくり落ちついてしゃべるように」 とアドバイスしても、「リズム感がメチャクチャの 『母音抜き』 でしゃべるだけ」 になってしまうので、ますます疲れる。よほど 「一音一拍センス」 がないようで、こればかりは 「体質」 なのだろう。鉄棒でどうしても逆上がりができないようなものだ。10日間ぐらい合宿して専門的矯正トレーニングを受ければ、少しはマシになるかもしれないが。

というわけで、彼はコミュニケーション面でかなり損をしているのだが、当人はそれには全く気付いていない。たまに 「私は、早口すぎるのかなあ」 なんて言い出すのだが、それは大きな問題ではなく、「一音一拍」 さえ守ってくれれば、相当な早口でも通じるものなのだ。黒柳徹子さんを想起すればわかる。

私は昔、アナウンスの修行をしたから。「裏の竹垣に竹立てかけたのは、竹立てかけたかったから、竹立てかけたのです」 ぐらいは、ものすごい早口で言えるのだが、一音一拍センスのない人は 「裏のテケキにトゥキトゥクットゥヌハ……」 みたいになってしまって、それでも当人だけはちゃんと言えたつもりになっている。

発音機能だけでなく、自分の発音を認識する 「モニター機能」 にも問題があるようで、むしろ、この 「モニター機能障害」 の方が、欠陥のより大きな原因かもしれない。自分の発音をきちんとモニターできていたら、彼らは自分で気持ち悪くなるはずじゃないか。

さらに最悪なのは、一音一拍を守らず、さらによくカンじゃうって人である。ちょっと話を聞くだけで疲れまくるから、申し訳ないけど、まともな会話をしたいとも思わなくなる。

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2018/06/26

「セレクトショップ」 って、改めて考えると一体何なんだ?

言葉というものには、物事を明確に指し示すという機能もあるが、逆に曖昧なままにとどめておくという機能もあると思う。何気なく使っている言葉で、その指し示す内容もなんとなくわかったつもりになっているが、「それってどういうこと?」 と改めて聴かれると分かってないことに気付くことがある。

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その代表格が 「セレクトショップ」 という言葉だと思う。この言葉の明確な定義を言える人っているだろうか? 「有名ブランドを揃えたお洒落なブティックだよ」 と言えばいいのかもしれないが、じゃあ、その 「有名ブランド」 って何なんだ?

とりあえず、いわゆる 「セレクトショップ」 の品揃えにある 「ブランド」 は、「有名ブランド」 とは言われがちだが、はっきり言ってよほど興味のある人たちにしか知られていないものがほとんどだ。まあ、ファッションに興味のあるマニアックな消費者たちが通う店なのだから、それでも十分なのかもしれないが。

まあ、細かいことを言えばキリがないが、とりあえず 「セレクトショップ」 というのは、「わかるようでわからない言葉」 の代表格と言っていいだろう。世間というのは、それでも十分に通用しているのだから、案外テキトーなものである。

言うまでもないことだが、「セレクトショップ」 というのは和製英語で、海外ではまず通じない。私は 「言葉の意味を明確にしたかったら、それを英語しかわからない人に英語で説明するにはどう言えばいいかを考えればいい」 と提唱している。英語で説明しようのない言葉は、元々曖昧な言葉なのだと諦めればいい。

で、「セレクトショップ」 をウェブ辞書の Weblio で引いてみたところ、次のような 「対訳」 が出てきた。

セレクトショップ
文法情報 (名詞)
対訳 shop that carries a selection of products from several different brands (※「select shop」は和製英語)

この長すぎる対訳をそのまま日本語に訳し直すと、「いくつかの異なったブランドから厳選して品物を扱う店」 ということになる。これだったら、ごくフツーに "high fashion boutique" (ハイファッション・ブティック) と言ってしまえばいいようなものだが、日本の市場というのはちょっと変わったところで、なんとなく 「セレクトショップ」 と言う方がしっくりくるみたいなのである。

曖昧なままの言い方の方がしっくりくるというのは、なかなか面白いことで、まあ、ファッションというのは元々曖昧なものなのだよね。

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2018/06/25

「新聞を読まない人は自民党支持」 という麻生発言

"「新聞読まない人は全部自民党」 麻生氏の持論は本当なの?" というニュースの見出しを見て、つい笑ってしまった。今じゃ、新聞読まない人はずいぶん増えているが (私も最近はネットで記事を読むことの方が多いかも) 、麻生氏の年代で一般的な価値観だと、「非インテリ層は自民党支持」 と受け取られかねない言い方である。

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J-CAST の記事によると、発言のいきさつはこんな具合である。

麻生太郎財務相兼副総理が 2018年 6月 24日に新潟県新発田市で行った講演で、10~30代に自民党の支持者が多く、この世代で新聞を読む人が少ないことから、「新聞を読まない人は全部自民党 (支持) だ」 などと述べた。

この人、安倍さんの腰巾着みたいになってしまう前まではなかなかユニークで面白い発言も多かったが、最近はめっきり頭の回転が雑になってしまったようで、単に無茶な発言が目立つだけのジジイになってしまった。

ちょっと思い出してみても、「セクハラ罪という罪はない」 とか 「日本海側に朝鮮半島から武装したテロリストが、難民に混じって上陸してくる。日本海側の人たちはみんな、そうした危機意識をもっている」 とか 「ヒトラーはいくら動機が正しくても……」 とか、「ずいぶん頭の中が、とっ散らかっちゃったみたい」 と思われることを口走って、ニュースになっている。

「ヒトラーは…」 発言を取り上げた私の記事でも触れたが、この人もう、77歳で、今年の秋には 78歳になる。「頭の回転具合」 が本気で心配になっても、ちっとも不思議じゃない年だ。

世の中にはものすごくインテリで、80歳を過ぎても胸のすくほど見事な論理思考を展開するお年寄りもいないことはない。しかし恐縮な言い方だが、それほどインテリというわけでもない周りのオッサン連中は、70代半ばを過ぎたあたりから、まともな理窟が通じない無茶を言い出すことが増えて、扱いにほとほと難儀することがある。

この際だから言わせていただくが、見たところ、麻生さんは (ついでに言うが、安倍さんも)、周囲によくいる 「それほどインテリというわけじゃないタイプのオッサン」 である。で、例に漏れず、まともな理窟の通じないムチャクチャ発言が多くなっているみたいなのであるよ。

これを称して 「アンチ・インテレクチャリズム (反知性主義) の勝利」 と見ることも可能ではあるが、私としては 「巷によくみられる反知性主義」 とは 「滅茶苦茶な論理でも、大きな声で言ってしまえば勝ちさ」 というような態度であると解釈しているので、「何だかなあ」 と思ってしまうのだよね。

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2018/06/24

「酒離れ」 の実態

MONEY ZINE が 「酒類販売業者の倒産21.3%増、4年ぶりに増加/安売り禁止の改正酒税法やビール離れも影響か」 と報じている。「酒類販売業者」 というのは、いわゆる 「酒屋」 のことかと思ったら、定義としては 「酒類卸」 「酒類小売」 「居酒屋」 の 3業種で、とくに 「居酒屋」 の倒産件数の増加が顕著なのだそうだ。

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記事では、「2017年6月に施行された改正酒税法の影響が指摘されている」 として、「行きすぎた廉価販売」 が規制されたことが大きいとしているが、年の半ばの法改正が主要因となって、半年でそんなにいきなり倒産が増加するんだったら 「大変な悪法」 というしかない。しかしグラフを冷静に読み取れば、2016年度に一時的に減っていた倒産件数が、それ以前の数年間の水準に戻っただけということでしかない。

結局のところ、「ずっと継続していた日本人の 『酒離れ』 の影響が 2016年の好況で一時的に軽減されたように見えたが、すぐに長期傾向の波の中に戻った」 と解釈する方が自然だろう。「酒離れ」 の傾向は依然として続いている。

「酒離れ」 傾向を表す数字として 「若者の酒離れ」 が強調される。IT Media ビジネス Online はこのことについて次のように報じている。(参照

20代のうち 「週に 3日以上飲酒する習慣がある」 のは男性が 18.0%、女性が 8.8%と、全平均の 30.8%よりも大幅に少ない──東京都生活文化局がこのほど実施した「健康と保健医療に関する世論調査」でこんな結果が出た。50代の男性の半数近くが 「毎日~週 5・6日は飲む」 としているのと対照的だった。

20代男性の飲酒習慣が大幅に減っているのは、私としては 「飲まなくなった」 のではなく 「否応なく飲みに付き合わされる機会が減った」 のだと見ている。昔は 「職場の付き合い」 とやらで、勤務時間が終わってからの 「酒飲み圧力」 というものが存在していたが、最近は 「正社員」 の雇用も減り、自由に使える 「経費」 も激減したので、「嫌なら付き合わなくても済む」 ようになった。

実際、「職場の飲み会」 なんて、楽しいものでもなんでもない。若い社員は、上司や先輩の自慢や愚痴ばかり聞かせられ、時には理不尽なことまで言われる。「こうした 『飲みニケーション』 こそが、日本企業の強み」 などという屁理屈で (本当は、オヤジが経費で飲みたいだけ)、夜が更けるまで時間の無駄遣いをさせられる。

日本では、タイムカードを押すまでの 「残業」 以外に、会社を出てからの 「職場の付き合い」 とやらいう 「数字に表れない残業」 に至るまでが長いのだ。それが最近になって少しは軽減されてきたのだから、これは悪いことでは決してない。

「若者の酒離れ」 は、ある意味 「目に見えない残業」 の軽減という要素が大きいのである。その証拠に、若者は完全に 「酒嫌い」 になったわけじゃない。本当の仲間内などでの 「飲み会」 はちゃんと存続しているし、「女子会」 という新しい飲みの場も出てきている。

数字だけ見れば確かに 「酒離れ」 だが、その実態としては 「飲みたい酒」 は減らず、「飲みたくもない酒」 が減っているだけなのだ。言い方を変えれば、日本の酒の消費量のかなりの部分は、長らく 「飲みたくもない酒」 で支えられてきたのである。

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2018/06/23

「右回り/左回り」 と 「時計回り/反時計回り」 ということについて

先日、ちょっと驚いたことがあった。数人が輪になって、順番でくじを引こうというときに、「右回り/左回り」 の概念が、人によってまったく反対になってしまっていることがあると、この年になって初めて知ったのである。

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日本の常識では上図のように、「右回り」 とはいわゆる 「時計回り」 のことで、「左回り」 が 「反時計回り」 である。ところが、「右回りは反時計回り」 であると主張して譲らないオッサンがその場にいた。彼は 「右回りとは、自分の右側にいる人に順送りに回していくことだ」 と言い張るのである。なるほど、それだと結果的に反時計回りになる。

しかし、例えば競馬場の言い習わしにしても、時計回りの中山競馬場が 「右回り」 で、反時計回りの東京競馬場は 「左回り」 と称される。そりゃそうだ。時計回りはずっと 「右カーブ」 を切りながら進んでいくのだから、「右回り」 と称するのが自然であり、反時計回りの東京競馬場はその逆に 「左カーブ」 を切りながら進むので、当然にも 「左回り」 と称されている。

しかし彼はあくまでも、「自分の右側にいる人に渡していくことを 『右回り』 と称するのが、人間の感覚的に言っても自然だ (それは、強いて言えば 「右回り」 じゃなくて 「右回し」 だろうがなあ)。競馬場のコースの言い方は、単に上から見下ろした言い方で、普通の人間の感覚じゃない」 と主張して止まない。「上から見た言い方と、地面に立った人間の感覚での言い方は、違って当然」 と言い張るのだ。

その時の議論で私が初めて認識したことは、人間が 10人いれば、そのうちの 1人か 2人は、「右回り」 とは 「自分の右側にいる人に順ぐりに渡していくこと」 (つまり 「反時計回り」) と思っていて、さらにもう 1人ぐらいは 「場合によって違う言い方になってもいいじゃないか」 なんて言い出すやつがいるという事実である。これは由々しき問題だ。

念のため iPhone の 「大辞林」 アプリを引いても、「右回り」 は 「時計の針と同じ方向にまわること」 と出てくるし、英和/和英辞書アプリ ("The Wisdom Japanese English Dictionary") でも 「右回り」 を引くと "clockwise" (つまり 「時計回り」 のこと) と出てくる。どう見てもこれが常識というものである。

しかしその常識の通じない人が世の中にいるとわかったので、私はその時、「今後は 『右回り/左回り』 というアブナい言葉は使わない。もっぱら 『時計回り/反時計回り』 という言い方にしたい。皆さんもそうすることをオススメする」 と宣言したのである。

ところがそのオッサンは、「そこまで堅苦しいこと言わなくてもいいじゃない。場合によっていろいろな解釈があっていいんだし」 なんて言い出す。あきれたことに、まだわかっていない。こんな 「右か左か」 というデジタルなことで 「いろいろな解釈」 されたんじゃ、まとまる話もまとまらなくなる。「あんたみたいな人がいるから、厳密に気をつけなきゃいけないんだよ」 と言いたくなったが、言ってもどうせ通じないだろうから、ぐっと堪えた。

ちなみに技術畑の現場では、「右回り」 のことを "CW"、左回りのことを "CCW" と言い習わすのがもっぱらということを、その場の話の成り行きで初めて知った。それぞれ "clockwise" と "counterclockwise" の省略形である。なるほど、これは便利だが、その言い方を知っている者同士でないと通じないのが痛恨だ。

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2018/06/22

土用の丑の日にウナギの 「代用食」 を食べようという提案

私は 5年前に 「当面、ウナギとマグロは食わないことにする」 と宣言した。もっとも、出先であてがい扶持の弁当などで出てきてしまった場合には、捨てるのもナンだから仕方なく食うが、自分で選んで食うことはもう一生ないだろう。

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これはもちろん、絶滅危惧種であるウナギを絶滅から救いたいという意識からである。生物多様性を守ることは、我々人間自身の存続を守ることにもつながるから、単なるもの好きというわけではない。

そうした意識が、年間 2.7トン のウナギのかば焼きをムダに廃棄しているという日本の流通業界にもようやく出てきたようで、宅配大手のらでぃっしゅぼーやが、「土用の丑の日にウナギの 『代用食』 を食べようという提案を初めて行うことになった」 というニュースが流れた (参照)。私からすれば 「ようやくか!」 と言いたいところだが、とりあえずは歓迎すべきことである。

土用丑の日に、「体のために」 ウナギを食べようなんていう話になっているが、今どきのウナギは 「国産」 の表示があってもまったく信用できない。供給がタイトな国産ウナギのかば焼きが、あんなに日本中のスーパーにずらりと並ぶはずがない。多くは中国産のクスリ浸けウナギと思う方がいい。

それでも、丑の日に我も我もとウナギのかば焼きを食べたがるというのは、そのこと自体がもはや 「ビョーキ」 である。日本人の多くが大喜びでビョーキになって、クスリ浸けのアヤシい食い物を食いたがっている。そろそろ目を覚ました方がいい。

タバコの場合は、嫌煙権が言われ始めて 40年以上経ち、最近になってようやく 「タバコを吸うのはカッコ悪い」 という意識がメジャーになってきた。ウナギの場合、「土用丑の日だからと言って、我も我もとウナギを食うのはカッコ悪い」 という意識になるまでに、あとどのくらいかかることだろう。

まあ、もっと端的に言ってしまえば、土用丑の日に、絶滅危惧種のウナギを避けるために、その 「代用食」 を食おうというのも、まだ 「半分ビョーキ」 という気もするのだが、それでもモロにウナギに群がって、挙げ句の果てに大量のフード・ロスを生じさせるよりはずっとマシということにしておこう。

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2018/06/21

夏至の日の入りが一番遅いってわけじゃない

昨年 12月 1日に、「今日は日の入りの一番早い日」 という記事を書いた。一年で一番日の短いのは冬至ということになっているが、冬至は日の入りが一番早いというわけではなく、12月 1日を過ぎると、日の入りはだんだん遅くなる。ただ、日の出がさらに遅くなって、年が明けてからようやく早くなり始めるので、冬至が一番 「日が短い」 ということになっている。

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同じように、今日は夏至で、「日の一番長い日」 だが、だからといって日の入りが一番遅いというわけではない。上図は気象庁のサイトからコピーさせていただいた東京の日の入り時刻で(参照)、今日は 19:00、そして今月 24日以後は 19:01 と、さらに少し遅くなる。ちなみに左から 2番目の列が日の出時刻だが、今月初めからずっと 4:25 のまま、早い夜明けが続いていて、明日からは 1分遅くなる。

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というわけで、本日付の読売新聞の連載漫画 『コボちゃん』 は、残念な間違いを犯してしまっている。テーマはまさに 「夏至」 なのだが、左のコピーを見ていただけばわかるように、4コマ目で街灯が 「おしいねー わたしらセンサー付き街灯が一年で一番おそくつくとこみないの」 と独り言を言っている。

ところが上図で明らかなように、センサー付き街灯が夏至の日に 1年で一番遅く点灯するというのは、ありがちな誤解である。天気が一定と仮定すれば、理窟から言えば夏至の 3日後あたりから点灯時刻がより遅くなるはずなのだ。まあ、わずか 1分だから微妙な違いではあるが。

そして日没時刻は、来月の 4日までは 19:01 のままで、それが過ぎても 5日間は 19:00 となっている。だから、電柱の街灯が 「おしいねー」 なんて呟くのは完全な勘違いである。まず今日が 「センサー付き街灯が 1年で 1番遅く点く」 日というわけではないし、さらに 24日から 4日までの 11日間もの長きにわたって、「1番遅く点く」 ことになっているのだから、「惜しい」 なんてことはまったくない。

1年で 1番日の長いのが夏至で、日の短いのが冬至というのは誰でも知っているが、「日の長さ」 というのが正午を中心としてきっちり対称をなしているわけじゃないというのは、案外意識されていない。学校でもとくに教えてくれるわけじゃないしね。ということは、学校の先生も案外知らないのだろう。

この辺りのことを身体的知識としてよく知っているのは、早起き仕事をする農家の人とか、新聞配達の人とかなのかもしれない。漫画家という職業は、早起きとはまったく縁がなさそうだから、知らなくても仕方がないか。

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2018/06/20

「イバラキング」 という名のメロン

既に何度か書いていることなのだが、私はメロンにアレルギーがあって、食べると口の周りが痒くてたまらなくなってしまう。蕎麦アレルギーのように命に関わるなんてほどではないが、とにかく半日以上痒みが続くので、食べないようにしている。

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食べ物の好き嫌いは一切ないのだが、メロンはアレルギーのため、そして肉類はポリシーによって食わない。結婚披露宴などで私の隣に座った人は、ステーキとメロンを 2人前食えることになっている。

ちなみに私の住む茨城県は、メロンの生産量が日本一なんだそうだ。ただ、量は日本一だが、北海道の 「夕張メロン」 や静岡の 「クラウンメロン」 のようなブランド化がなされていないので、イメージが今イチ高くないのが悩みのようなのである。

この 「ブランド化」 の遅れを解消するために、茨城県でも 2010年から 「イバラキング」 という名の品種を訴求しているらしい。「全国一のメロン生産量を誇る茨城県の 『メロンの王様 (キング)』 として茨城の顔になってほしい」 との願いを込めて命名された」 ということのようだ。

ただ、こう言っちゃナンだが、「イバラキング」 という名称は、いかにもダサダサだよね。高級メロンを買おうという消費者が、店頭でそんなダジャレっぽいラベルの貼ってあるヤツを手に取るものだろうか。かなり疑問である。この名前が気に入っているのは、当事者の生産者と茨城県のお役人たちだけかもしれない。

高級メロンというのは、贈答需要が大きい。病気見舞いとかお祝いの品で持って行くのに、「イバラキング」 はスベり過ぎだ。展開開始から 8年も経つのに全然定着していないというのは、この名称のせいだと思ってしまう。

まあ、私自身はメロンなんて食わないから、全然どうでもいい話なんだけどね。

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2018/06/19

「カジノ法案」 が衆院通過したらしいが

「カジノ法案」 なんて言われる 「IR 法案」 が、衆議院を通過したんだそうだ。「IR」 というのは 「統合型リゾート施設」 のことだそうで、要するに Integrated Resorts のことなのね。

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私は過去に日本におけるギャンブルについて論じたことが、記憶しているだけで 2度ある。最初は 2011年 1月 4日の 「カジノ合法化について」 という記事で、2度目は 2014年 11月 14日の 「日本人はギャンブル中毒か?」 という記事だ。

最初の記事では、私はカジノ合法化について、むしろ賛成の立場で次のように述べている。

私はカジノの合法化に反対というわけではない。むしろ賛成である。私自身は興味がないが、興味のある人はやればいいというスタンスである。下手に非合法としているから、暴力団の資金源になったりする。やるならやるで、公明正大にやればいい。

その 3年 10ヶ月後の記事では、日本人男性の 8.7%が 「ギャンブル依存症」 の疑いがあるとの厚生労働省研究班の発表をとりあげている。日本人男性のかなりの部分は、パチンコや競馬・競輪などで、ギャンブル依存症に近い体質になっているというのである。こんなんでカジノまで合法化したら大変なことになるんじゃないかという危惧があるという。

しかし私は、あまりそれは気にしていない。日本人の多くはラスベガスのカジノでも、単にスロットマシンに興じているのみで、ルーレットやポーカーなどの 「オシャレな」 ギャンブルにはあまり興味を示さない。これは、単に英語ができないのでビビってるというより、どうもマシン相手の方が好きみたいなのである。

だったら、カジノ法案なんかが通っても、日本人の大部分はこれまで通り街のパチンコ店で打ち興じるスタイルを捨てないんじゃないかという気もするのである。「統合型リゾート」 とやらの、「お金のかかるカジノ」 には、もっぱら金持ちが行って、沢山の金をすればいいのだ。

ただ、基本的なことを言えば、私は個人的にはギャンプルには興味がないので、カジノができてもまったく関係ない。仕事でラスベガスに行った時も、ギャンブルは全然やらなかったし。

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2018/06/18

大阪の地震について

今朝、出かけようとしているところで緊急ニュースが入り、大阪の地震を知らされた。大阪には知り合いが何十人もいて、とくに 13,14日にはまさにその大阪に出張したばかりだったので、かなり気がかりではあったがそのまま出かけ、途中スマホのニュースで経過を追っていた。

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結論的には私の知り合いで大きな被害に遭った人はおらず、少しは安心したが、震源地に近い大阪北部の人たちは、肝を潰すほど驚いたようだ。先日の出張の時も、「関西の人は地震慣れしてないから、ちょっと揺れただけで大騒ぎする」 なんて話をしていたが、震度 6弱の揺れでは、大騒ぎどころではない。

ちょっと勝手なことを言うが、「大阪出張が今日でなくてよかった」 と思ってしまったよ。大阪の人たち、ごめんなさい。

今回の地震は、大阪北部にとってはまさに直下型地震である。私の住むつくばの地もしょっちゅう直下型地震があり、震度 4ぐらいの揺れがいきなり突き上げるように来るのは、「おなじみ」 になっているほどで、特段慌てもしないのだが、いきなり震度 6弱ではさぞかし驚いたろう。

震度 6弱といえば、7年前の東日本大震災で茨城県南部の揺れがまさにそれだった。この規模の揺れは経験したことのない人が多いだろうが、はっきり言って 「生きた心地がしない」 ほどである。

観音扉は開き、食器棚の中の皿がぶっ飛んで割れる。書棚の本はバラバラに落ちて、後始末が大変なことになる。固定していない家具などは、下手すると倒れる。今回の死者も、ブロック塀や倒れた家具の下敷きになったというケースのようだ。

インフラが整うまでは不便な暮らしになるだろうが、震源地を外れた所ではそれほど大きな被害は出ていないようなので、7年前の時ほど影響が長期にわたることはないだろう。大阪の人たちの暮らしが早く平穏に戻るように祈る。

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2018/06/17

すい臓がんってのは、なかなか怖い病気らしい

今年の元日、長年の仕事仲間がすい臓がんで亡くなった。私より若く、還暦を迎える直前の死だった。その時のことは、このブログの 1月 6日付で 「膵臓がんで死んだ仕事仲間に捧げる記事」 というタイトルで書いている。

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その時の記事にも、すい臓がんは 「がんと診断されてからの 5年生存率が他の部位のがんと比べて格段に低い」 と書いてあるが、約 3年前の 「教えて 健康!」 というサイトの約 3年前の記事 (参照) にあったグラフをみても、その生存率の低さは、上に転載したように圧倒的だ。さらに、すい臓がんの患者数は、全がん患者数の中でも 4位に上昇しているという。

それだけではない。すい臓がんというのは、「痛い死に方」 として多くの医師がトップにランクしているという (参照)。あのスティーブ・ジョブズも、かなりの痛みに耐えたのだろうか。

一方で、前立腺がん、乳がん、子宮がん、大腸がん、胃がんにかかっても、60%以上は 5年経っても死なずに済んでいるというのは、心情的にはいいニュースだ。人間はどうせいずれは死ぬのだが、そんなにすぐに死ぬわけじゃないってことは、いろいろな身辺整理ができるということだ。ただ、男の場合は乳がん、子宮がんというのはないから (乳がんは皆無ではないらしいが)、女性よりややハンディがあるが。

さらに、「予防可能!膵臓がんの原因は肥満・飲酒・喫煙 (タバコ)・糖尿病・慢性膵炎など」 という指摘もある。とくに、肥満、糖尿病、タバコ、酒の悪影響は大きいらしい。周囲の例を見ても、大酒飲みででっぷり太り、タバコもスパスパ吸っていた人は、大抵早死にしている。私の父は酒はほとんど飲まなかったので、同年代の友人の中では長生きの方だったが、スモーカーだったので、最後には肺がんで死んだ。

男性に比べて女性の平均寿命が長いのは、男女の遺伝子の差もあるのだろうが、女性に大酒飲みやヘビースモーカーが比較的少ないということも影響しているんじゃないかと思う。

私は父の遺伝で大酒飲み体質ではないし、タバコも止めてから 40年になる。これといって持病もないから、下手するとどえらく長生きしても不思議ではない。ただ、それはそれで案外リスクといえばリスクだ。「適当なところで死なないと、妙な気苦労が増えてしまうかもしれないしなあ」 なんて思ってしまうのである。

人間はつくづく贅沢なものだ。

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2018/06/16

「フツーの愛国心」 を表現しづらい国

当ブログが 1週間前に 「若い兄ちゃんたちの変な歌」 というタイトルで論じた曲が、どういうわけか大問題になっているようで、RADWIMPS という当事者バンドのライブ会場前で抗議集会を行うなんて話まで持ち上がっているらしい。おいおい、それって、いくら何でも騒ぎ過ぎだろうよ。

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J-CAST ニュース (参照) によると、この動きの主催者は 「(RADWIMPSは) 絶対に許されない歌を出してしまいました」 と訴えていて、次の 3点を求めているらしい。

  • 「HINOMARU」 シングルを回収し、廃盤にすること
  • ライブなどで2度と歌わない事
  • 「HINOMARU」 の内容と、これまでの釈明が間違っていたと早急に表明すること

いやはや、驚いた。何が 「絶対に許されない」 のかわからないが、廃盤にしろだの、ライブで歌うなだの、謝罪しろだのというのは、明らかに行きすぎである。RADWIMPS というバンドは憲法で認められた「表現の自由」 を行使しているだけだが、それに対して上述のことを求めるのは、「表現の自由の否定」 であり、その方がずっと 「許されない」 ことだ。

私は上述の 6月 9日の記事で確かにこの 「HINOMARU」 という歌を思いっきりディスったが、もっぱら 「歌のできばえ」、とくに歌詞の拙さについて批判したのである。一方、この歌で表現されている、というか、作詞者当人が表現したと思っているらしい 「ある種の思い入れ」 については、表現スタイルがだいぶエキセントリックすぎる気はするが、否定するつもりはさらさらない。

この歌の当事者は 「みんなが一つになれるような歌が作りたかった」 などと、結構ナイーブ (元々の意味の 「幼稚な」 という意味で言っている) なことを述べていて、一方それについて騒ぎすぎている勢力は、単なる 「変な歌」 の背後に誇大妄想的なまでに邪悪な思想を想定している。この 「どうしようもない行き違い」 のかなりの部分は、表現する側と受け取る側の、両方の 「拙さ」 から生じている。つまり、両方ともナイーブすぎるのだ。

多くの国の価値感では、「愛国心をもつなんて、ごく当たり前」 のことで、それが非難の対象になることの方がどうかしている。ところがどうやらこの国は、「フツーの愛国心」 を表現しづらい国であるようなのだ。それは、戦前戦中戦後の歴史がごちゃごちゃしちゃったせいで、「フツーの愛国心が成熟する機会を持たなかった」 という特殊事情からくるのだろうね。

逆にみれば、この問題を感情的にならずに理性的に論じることができれば、もしかしたらこの国は 「新時代にふさわしい高次元でインターナショナルな愛国心」 のモデルになれる可能性だってあるのだが、今のままでは、ぶっちゃけ到底無理だろう。

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2018/06/15

体を動かす方が、疲労回復のためにいい

一昨日、昨日と大阪に出張して、交通機関は新幹線を使った。片道約 2時間 30分の旅である。私が初めて東海道新幹線に乗ったのは 1970年のことで、この時は東京、新大阪間が 3時間 10分かかったという記憶がある。そして前世紀末頃には 2時間 30分ぐらいになった。この差は結構大きい。

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いつも不思議に思っていたのだが、新幹線車内では 2時間半の間、ただ座っているだけで、せいぜいスマホを眺める程度のことしかしないのに、なぜか結構疲れるのである。東京駅で下車し、つくばの自宅に着く頃にはぐったり疲れたりしている。

昨日、東京駅で下車して 「上野東京ライン」 の快速電車に乗り換えたときは、それほど混んではおらず、空席もかなりあったのだが、疲れているのになぜか座席に腰を下ろす気になれず、取手駅で下車するまでの 50分以上、ずっと立っていた。立ったままで、車両の揺れに任せて微妙に体を動かしている方が楽なのである。

そしてタイミングのいいことに、帰宅してから読んだメルマガに、どうして立っている方が楽なのかという解答があった。「休日に動かない人ほど疲れが取れないワケ 逆に体を動かした方が回復を図れる」 という東洋経済の記事である。人間の体は本来動くようにできているので、最新の研究では動かない方が不自然で、疲れることが分かっているのだそうだ。。

記事によると、疲れを取るには 「ゆっくり走る」 「泳ぐ」 といった軽い有酸素運動を 20分ほど行うのがベストで、"「疲れないためにじっとしている」 よりも、体を軽く動かしたほうが、「血流が促進されて脳と体にたくさん酸素を運ぶことができ、疲労物質の対流 (ママ: 多分 「滞留」 の変換ミスだろう) を防ぐ」 ことになるとある。ということは、新幹線から乗り換えて座席に座らなかったのは、体が無意識のうちに正しい選択をしていたわけだ。

現代のスポーツ医学では、「ある程度体を動かしたほうが回復が早くなる」 という 「動的回復」 が主流で、従来の 「休む=じっとする」 ままであれば、体のダメージを余計に増大させてしまうことになりかねないというのである。

とはいえ、アスリートならぬごくフツーの人間としては、ぐったり疲れてしまうと体を動かすことも億劫になる。疲れた時にきちんと体を動かそうという気分になれるためにも、普段からエクササイズしておくことが必要だろう。要するに 「動く方が気持ちがいい」 と、よく知ってる体に保っておきたいということだ。

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2018/06/14

大阪から新幹線で帰ってくる時のこと

今日、大阪出張の仕事を終え、15時 45分頃に新大阪駅構内の切符自動販売機で帰りの新幹線の指定席券を買おうとすると、16時前後に新大阪駅を発車する便は、軒並み窓側と通路側の席が取れない。3列シートの真ん中 (B席) にはまだ余裕があるが、フツーの日本人の体格より一回り大きな私としては、東京駅まで窮屈な思いをするのが憚られる。

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しかたなくずっと後の便の座席を探して、16時 40分発の 「のぞみ 36号」 に 1つだけ A席 (3列シートの窓側) の空きを発見してそれを予約。待っている間に、構内の TULLY'S で Mac を広げ、メールのレスを書いたりして時間を潰した。

そして 16時 35分頃に新幹線のホームに昇ると、のぞみ 36号は、山陽新幹線での人身事故の影響で、10分遅れの到着となり、16時 50分発の 「のぞみ 244号」 を先に発車させるというアナウンスが流れている。どうやら、その事故の影響で博多発の便に運休が出たため、ダイヤが乱れているらしい。

なるほど、そのせいで 「のぞみ」 の本数が減り、いつになく指定席が混んでいたのかと納得した。で、「のぞみ 36号」 はアナウンス通りに定刻より 10分遅れて新大阪に到着し、12分遅れて発車したのだった。まあ、もともと 40分ほど待ったのだから、そのくらいの遅れは別にどうということもなかったのだが、発車してからの時間の取り戻し方がかなり見事だった。

先に発車させていた 「のぞみ 244号」 を名古屋駅でギリギリにキャッチし、絶妙のタイミングで追い抜いた。その際に 「名古屋駅で乗務員を交代しました」 というアナウンスが流れ、「なるほど、新幹線は遅れが出ると、ベテランの腕利き運転士に交代して遅れを取り戻す」 という噂は本当だったのかなんて思ったのである。まあ、実際には予定通りの交代だったのかも知れないが。

そうこうしているうちに、横浜駅では定刻の 5分遅れまで回復し、東京駅には定刻通りに到着してしまったのだった。

ニュースを見ると、人身事故は今日の午後 2時過ぎに起きたようで、事故車両が小倉駅に入ってきたときは、ホームにいた乗客がボンネットの破損に気付いたのに、JR の駅員は気付かずにそのまま発車させてしまい、行きすぎてから途中で停車して調べて事故を確認したということになっている (参照)。

そのあたりのずさんさはいかがなモノかと思うが、ダイヤの遅れの取り戻し方だけは、それはそれは見事なものだった。

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2018/06/13

動物性の食材を使っていないラーメン

何ヶ月ぶりかでラーメンというものを食べた。ラーメンそのものは決して嫌いではないのだが (というか、ラーメン嫌いな人って、会ったことがない)、近頃は肉を食わないことにしたので、チャーシューが付き物のラーメンも、自然食わなくなっていたのである。

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食べたのは、東京駅構内の 「T's たんたん 東京駅京葉ストリート店」 という店だ。大阪出張で昼前に家を出て、昼食はいつもの駅弁 「深川めし」 にしようとしていたのだが、ちょっと時間に余裕があったので、駅構内で食べたのである。

この店の本店は自由が丘にあるらしく、メニューは動物性食材 (肉、魚、卵、乳製品) や化学調味料を一切使わず、植物性食材だけで作ったラーメンということだ。「白胡麻たんたん」 「金胡麻たんたん」 「黒胡麻たんたん」 「白たんたん」 「ベジラーメン・とんこつ風」 など、結構いろいろなメニューが用意されている、

私はとりあえず、一番ベーシックな 「ベジラーメン・醤油」 というのを選んだ。余計なことをしていないだけ、ラーメンそのもののできがわかると思ったからである。値段は 750円。結構リーズナブルだ。

で、結論。「十分美味いじゃないか!」

巷でもてはやされている 「ギトギト」 と言いたくなるような、濃厚な食感とはほど遠いが、十分にコクはある。植物性食材だけでこれだけの味が出せるのなら、やれ、鶏ガラだの豚骨だのをやたらに放り込む必要がないし、チャーシューなんて、まったく要らない。このような店がフツーに増えたら、私も 「ラーメン絶ち」 する必要が全然ないのに。

というわけで、ちょっとオススメしておこう。東京駅構内の新幹線乗り場、南口に近いところにある。

ちなみに私は、肉は食わないが魚介系は食うので、魚介系出汁のラーメンなら、チャーシュー抜きで注文して食う。しかしそうした系統のラーメンも、巷では少ないのだよね。私の田舎の酒田のラーメンをみれば、魚介系出汁の美味さが分かろうというものなのだが。

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2018/06/12

森田童子が女性シンガーだったことすら知らなかったよ

カーラジオで 「森田童子が死んでいた」 というニュースを聞き、「はて、森田童子ってどんな歌を歌ってたんだっけ?」 と思ったが、全然思い出せない。サングラスをかけたロングヘアーの白黒写真のイメージだけはおぼろに浮かぶが、今イチはっきりとはせず、どうも私の守備範囲から微妙に外れていたようだ。

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聞けば 66歳だったというから、来月でその年になる私と、もろに同世代である。西荻ロフトで歌っていたというし、私も荻窪ロフトには出損なったが (その間の事情については、こちら を参照のこと)、70年代の西荻ロフトには何度か出演していたのだから、直接会っていてもおかしくないくらいである。ところが今日初めて YouTube で歌を聴いてみて、「あれ、森田童子って女性シンガーだったのか?」 なんて初めて知ったぐらいだから、その縁のなさ加減は半端じゃない。

いやはや、おぼろに浮かぶ写真はユニセックス調だし、歌のタイトルも 『さよなら ぼくの ともだち』 とか 『ぼくたちの失敗』 とか言うから、てっきり男性シンガーかと思っていたよ。日本の歌には 「クロスジェンダー・パフォーマンス」 というのがあるから、本当にややこしい。

カーラジオで聞いていると、その死のニュースに 「ショックだった」 とコメントする人が少なくなく、「一時代が終わった気がする」 なんてことを言う人までいる。こうなると、そんなにまで影響力のあったらしい同世代シンガーに、自分はどうしてこんなにまで縁がなかったのかということの方に興味が高まった。

つらつら考えてみると、70年代に 20代を過ごしていた私は、あの時代の 「閉塞感」 がたまらなく嫌いだったのである。ただでさえ 「団塊の世代」 の連中が荒らしまくった世の中の後始末ばかりさせられがちな 「団塊の世代の尻尾」 世代として (その間の事情については、こちら を参照のこと) 、そんな 「閉塞感」 をもろに自分のパフォーマンスのテーマにしようとは、決して思わなかったのである。

ところが、森田童子というシンガーソングライターは、そうした 「団塊の世代の尻尾の閉塞感」 をぽつりぽつりと呟くように歌っているらしい。私としては 「ああ、それは聞きたくないわ!」 と思い、意識的、無意識的に避けようとしていたというのは、十分にあり得る話である。そしてその歌を聴いていたのは、当の 「団塊の世代」 と、彼らのやりたい放題の後始末をしなくて済んでいた、もっと若い世代なんじゃあるまいか。

というわけで、私は YouTube で彼女の細い声で呟くような歌を、長くは聞き続けることができず、早々にずらかったのだった。

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2018/06/11

アスペルガーはアスペルガーなりに

昨日、朝早くからの仕事があり、そこで 13日に予定されているイベントに関して、「ごめんね、その日は大阪に出張だから、参加できないよ」 と言うと、「新幹線で行くの?」 と聞かれた。「もちろん」 と答えると、相手は 「気を付けてね」 なんてことを言う。

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その日はかなり早起きしていたので、前夜から当日朝一番のニュースをチェックしていなかった。それで、「ことさら、何に気を付けるんだろう」 なんて思っていたが、ほどなく例の新幹線車内殺人事件のニュースを知って、「まあ、確かに気を付けるに越したことはないけど、一体どうやって気を付けたらいいんだ?」 なんて思ってしまった。

今朝になってちょっとテレビのニュースショーを覗いてみると、小嶋容疑者の父親のコメントが報道された。「幼いころから、人の言うことを言葉通りにしか理解できなかった。変わった子だった」 なんて言ってる。

結構他人事みたいな言い方で、思わず 「おいおい、それって、俺のことか?」 と言いたくなってしまったじゃないか。「言葉通りにしか理解できない」 というのは、アスペルガー症候群の典型的な症状である。ただ、調べた限り 「アスペルガー症候群」 という言葉で報じているニュースは見つからなかった。そう言及することに、何か問題があるのかしらん。

私は自分のことについて、このブログで何度も 「アスペルガー 1歩手前」 なんて書いている。6年近く前に書いた 「自閉症スペクトラム指数自己診断」 というのをやってみた」 という記事では、私の 「社会的スキル」 は結構問題ありなのだが、結構大雑把なところがあるのと気分転換の速さでなんとか救われているとわかった。

私がいつまでも細部に執拗にこだわる性格だったら、ほぼ確実に自閉症になっていただろう。まあ、そんなところも決してなくはないのだが、そうした心的傾向はいい具合にこのブログで昇華されているようで、幸いなことに社会生活に大きな問題は生じていない。

AERA の今年 3月の記事に "日本人の 20人に 1人は 「隠れアスペ」? " というのがある。この記事で紹介されているのは 『隠れアスペルガーという才能』 という著書もある吉濱ツトムさんという人で、彼は著書の中で、アスペルガー的傾向はあるが症状が比較的弱い 「隠れアスペルガー」 は、異常な才能を発揮することがあるなんて言っているという。

私の場合は 「異常な才能の発揮」 なんてレベルには至らないが、幸いにも 「自分はアスペルガー的傾向がある」 と自覚できているので、それなりの対策ができている。ただ、この 「対策」 というのは結構な努力を要するもので、実は大きな声じゃ言えないが、「いわゆる 『フツーの人』 と付き合うのって、ほんっとに疲れる。できれば避けて通りたい」 なんて思っちゃったりもしてるのである。

で、そのまま深みにはまらずに生きるためには、自分の心的傾向を客観的に知った上で、自己肯定感につながる方向に向くことなのだろう。「それが簡単にできれば苦労はない」 と言われそうだが、今回の事件の容疑者に関しては、親がちゃんとした対応をしていれば、少なくともこんな陰惨な事件は起こさずに済んだかも知れないのに。

例の父親には、「自分の息子が 『人の言うことを言葉通りにしか理解できない』 とわかっていたなら、彼がきちんと理解できるように的確な言葉を使って育てればよかったのに」 と言いたい気もするのである。あの父親はどうやら、それをせずに放り出してしまったようなのだ。

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2018/06/10

「ギネスビールの注ぎ方」 の考察

Gigazine に 「あなたの飲むギネスビールの注ぎ方は間違っている可能性がある」 という記事がある。"GUINESS" というロゴマーク入りの 「ギネス用公式グラス」 は、実はギネスのような 「スタウト」 という種類のビールを飲むには適していないという。要するに、泡が落ちつくまで時間がかかりすぎるらしいのだ。

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私は 4年前に 「ビールの飲み方の比較文化学」 という記事で、ドイツ流のビールの注ぎ方について、次のように書いている。

ドイツのバーでビールを注文すると、サーバーからジョッキに注ぐのに結構な時間をかける。最初にドバーッと注いで、全体の 3分の 2以上を泡にしてしまい、それをしばらく放置して泡が減ってくると、またしてもドバーッと注ぐ。これを 3度ぐらい繰り返すと、きめ細かいクリーミーな泡が、全体の 3分の 1弱ぐらいになって、見るからにおいしそうになる。

私は初め、これが待ちきれなくて、「そんなに時間をかけないでいいから、さっさと出してよ。日本人とアメリカ人は、ウォーム・ビアーはダメなんだから」 と言っていたが、ドイツ人のバーテンダーは誇りにかけても、そんな無粋な注文には応じない。

で、この記事の中で、英国流のビールの注ぎ方にも少し触れていて、こんな風に書いている。

それと対照的に、英国の 「エール」 ってやつは、ジョッキの縁まですっかりビールにしないといけないんだそうだ。泡でごまかすなんてのは、許せないらしい。味音痴の英国人らしい話である。ただ、泡が消えるのを待つために、やはり時間がかかり、生ぬるくなる。

ここでいう 「エール」 ってのは、いわゆる 「スタウト」 と共通した種類の、ローストした大麦を使って上面発酵させたビールである。で、スタウトの場合は、上記の記事を見てもわかるように、泡の割合がかなり少ない。私の記事は 「ジョッキの縁まですっかりビールにしないといけない」 と、かなり極端な表現にしちゃってるが、ドイツ流からみれば、それも大袈裟には聞こえない。

私はこれを 「味音痴の英国人らしい」 と、偏見に満ちたことを言ってしまったが、実はビールの種類の違いによるところが大きいようだ。件の記事によると、スタウトやエールの 「窒素による泡」 (我々が馴染んでいるラガーやドラフトの泡は、二酸化炭素) を落ちつかせるためには、結構な時間がかかり、その間に泡の割合も少なくなってしまうというのが本当のところらしい。英国人のみなさん、ごめんね。

ただ、スタウトやエールの注ぎ方は、上の写真にあるようにグラスを 45度に傾けるのが流儀らしいが、これはドイツでは決して取られない手法である。グラスを傾ければ泡の落ちつくのはやや早くなるが、それだとクリーミーな泡になりにくい。

つまり、グラスを傾けるという時点で、英国流はハンディを負っている。そして件の記事が主張するように、「大きめのマティーニ・グラス」 を使うのは、「グラスが全面的に 45度に傾けられている」 みたいなものだから、結局は簡便法みたいに思えるのだよね。

まあ、最近はビールをあまり飲まなくなったし、エールなんてほとんど飲まないから、どうでもいいか。

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2018/06/09

若い兄ちゃんたちの変な歌

当ブログのコメント欄でもお馴染みの ふゆひーさんが、Twitter で 「笑いを取ろうとしているとしか思えない…。日本スゴイって言いたがる人が日本語を破壊する方向に行くのは、まぁ当然の流れなんだろうね」 と、一見謎の tweet をしておられるので、一体何事かと リンク先に飛んでみて、Retweet させていただいた (参照)。

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飛んだ先は、J-Lylic.net といういろいろな歌の歌詞を紹介するサイトで、現れたのは Radwimps というロックバンド (らしい) の "HINOMARU" という歌の歌詞である。著作権の関係もあるから、ここでは部分的な引用にとどめておくが、こちら に飛べばきっちり表示される。

なるほどねえ。「日本語を破壊する方向」 という意味がわかった。確かに日本語の破壊につながる歌詞である。しかも 「創造的破壊」 ってわけでもない。とにかくこんな具合だ。

意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに
胸に手をあて見上げれば 高鳴る血潮、誇り高く
この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊
さぁいざゆかん 日出づる国の御名の下に

なんだか気持ち悪いのは、ステロタイプすぎる文語と甘ったるい口語がテキトーに入り交じっているところから来るのだろう。最近の歌では、日本語の中にいきなり ”Dont't you" とか何とか、どうでもいい英語をチョコチョコッと安易なアクセサリーみたいに入れ込むのが流行っていて、聞いていてシラけてしまったりするのだが、ここに至って、文語をアクセサリー的に入れ込むなんていうところまで来てしまったようなのだ。

ネット界隈では 「軍歌かよ」 なんて揶揄する向きもあるようだが、それはまともな軍歌を知らない者の言い草で、軍歌がこんなんだったら、お話にならない。あくまでも若いにいちゃんたちの 「変な歌」 である。とくに 「この身体に流れゆくは」 というのは、プレバトだったら問答無用で 「〜流るるは」 と添削されるところだ。

で、上述の J-Lyrics.net で歌詞は知れたものの、サウンドがどんなんだかわからない。試しに YouTubeで検索してみたら、間違って 「こんなの」 がヒットしてしまった。「お、サウンド的には悪くないじゃん」 と思ったが、これは 「カタルシスト RADWIMPS cover by Uh.」 ってやつで、Uh. という女性ボーカリストが Radwimps の 「カタルシスト」 という妙なタイトルの歌をカバーしたもののようだ。

ようやく探し当てたのが、上の画像をクリックすると飛ぶページで、まさしく Radwimps の ”HINOMARU” が聴ける。はっきり言って、「この程度のモノなのね」 というだけの印象だ、軍歌と揶揄するほどのものでもない。Uh. のカバーの方がずっといいかも。

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2018/06/08

刈り草を 「可燃ゴミ」 として集積所に出すという発想

私はかなり自然豊かな地域に住んでいて、家のすぐ後ろは川土手になっている。今の季節は背の高い雑草の宝庫になり、ヤブ蚊が大量発生するから、草刈り作業が結構大変だ。そんな昨今、町内のゴミ集積所に、刈ったばかりの枝と草が出されていた。真ん中辺りの紐で束ねてあるのが刈り枝で、奥の方のゴミ袋に入れてあるのが刈り草である。

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私は常々、刈り枝をゴミとして出すのはしょうがないところもあるが、刈り草を市の焼却処理に任せるのはいかがなものかと思っている。水分たっぷりの草を燃やすには、他のゴミと適当にブレンドし、重油と混ぜて無理矢理燃やさなければならないと聞いている。面倒な作業である上に、かなりの環境負荷になる。

ゴミとして出さないまでも、人はなぜか刈った草をかき集めて高く積み重ねておきたがったりするが、そんなことをすると、積み重ねた草の下の方がいつまでも乾かず、虫が湧いたりする。そして刈り草を集めて剥き出しになった地面は日当たりがいいので、またすぐに雑草が生える。これからの季節は、雑草が伸びるのと刈り取るのとの競争になってしまう。

土手付近の刈り草は、芝できれいにした庭とは違うのだから、そのまま地面に寝かせて敷いておくに限る。そうすれば適当なグランドカバーになって日当たりを抑制するので、新たな雑草が少しは生えにくくなる。これは、土手際に住む者としての経験知から、自信を持って言える。

ウソだと思うなら、今日の私の 「和歌ログ」 の写真を見てもらいたい (参照)。刈り草をそのまま地面に寝かせておいても、すこしも目障りじゃない。晴れて 3日もすれば草は乾燥して地面と同化するプロセスが本格化し、ますます自然な景観になる。積んでおく方がよほど目障りな上に、ジメジメして面倒なことになる。

ところが休日に町内の共同草刈り作業などをすると、実際の草刈りという重労働には手を出さないのに、刈った草を鋤で集めて積み重ねるという、楽だが無意味な作業をして、「私も一応働いてるんですよ」 という免罪符にしたがる人がいる。

私は 「そういう余計なことはしないでくれ」 と言うのだが、いくら言ってもわからないようだ。せっかくのグランドカバーをどかされたら、またすぐに雑草が生えるから、私は共同作業が終わった後に積み重ねられた雑草の山を崩して、再び平らにならしたりしている。

というわけで、土手際の刈り草を積み上げるのは無意味以上に、後でさらに面倒になる作業なのだが、あまつさえ、ゴミ袋にパンパンにつめてゴミ集積所に出したりされると、「この人、一体何を考えてるのか」 と暗澹としてしまう。刈り草は 「ゴミ」 なんかじゃなく、元々自然のものなのだから、刈ったらそのまま自然にしておけば別に目障りなわけでもなんでもないのに。

それどころか、家庭菜園をしている人の中には、落ち葉や枯れ草を堆肥にして貴重なバイオ肥料にしている人もいるというのに、ムダに油をかけて燃やすという発想が私にはどうにも理解できない。しかし世の中ではこうしたエコロジカルな考えの方が、まだまだ理解してもらえないようなのだ。

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2018/06/07

梅雨入り翌日は上天気という、最近のお約束

関東甲信の梅雨入りが昨日発表されたが、今日はもう気持ちのいい五月晴れである。「五月晴れ」 なんていうと 「6月なのに?」 と不審に思う人がいるだろうが、本来の五月晴れというのは、旧暦の 五月 (新暦だと、ほとんど 6月にかかることが多い) の、梅雨の晴れ間を言うので、今日は正しく 「五月晴れ」 である。

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ところで、気象庁が 「関東甲信が梅雨に入ったとみられる」 と言って梅雨入り宣言すると、大抵は翌日から晴れの日が続くという皮肉な現象が、かなり前から続いている。

私は 2005年以来 『和歌ログ』 という酔狂なブログを続けているので、このあたりはしっかり記録してあって、今年までの 14年間のうち、2011年と 2014年の 2年を除いて、残りの 12年は、梅雨入り宣言の翌日か、遅くとも翌々日から上天気が続いてしまっている。

2011年は、5月下旬というかなり早い時期に梅雨入り宣言が出され、しばらくは雨の日が続いたのだが、6月に入ってからはずっと上天気になってしまった。そして 2014年は、梅雨入り前後からずっと出張が続いて西日本にいたので、和歌ログを見ても関東の天気がわからない。

つまり、この 14年間では、2011年と 2014年の 「よくわからないケース」 をのぞいて、ずっとまともな梅雨が続かなかったのである。とくに一昨年の 2016年なんか、梅雨入り宣言が出た当日の午後には雲間が晴れて上天気になってしまっていた。

昭和の時代には、梅雨時といえば 「しとしと雨」 がずっと降り続くというイメージだったが、最近ではすっかり様子が変わってしまったようなのである。梅雨入りしてすぐに天気が回復して夏空が広がってしまうが、あまり強力でない梅雨前線が、時々熱帯低気圧か何かで刺激されたときだけ、梅雨というより台風みたいな大雨になる。

つまり最近の梅雨は、「どっと降るか、ピーカンに晴れるか」 という両極端の天気の間を行き来する季節ということになってしまったようなのだ。これもまた最近の気候変動のせいなのだろう。やれやれ。

まあ、いずれにしても 「実際の梅雨入り」 は後になって修正されることが多いらしいのだが。

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2018/06/06

「ゴミ箱」 を英語で何というかは、案外厄介な問題だ

いろいろな公共施設で、「ゴミ箱 Trush Box」 という表示を見かけるが、この "Trush Box" というのは 「ゴミ箱」 を直訳しただけの和製英語であるらしい。はたまた "Dust Box" というのもあり、ネットで調べたら、この名前のパンク・バンドまで見つかった (参照)。

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上の写真は、左が私の書斎の 「ゴミ箱」 で、右側は、上が Windows 7 (Windows 8 以後はどんなんだか知らない)、下が Mac の 「ゴミ箱」 のアイコンである。どちらも日本語で 「ゴミ箱」 と称してはいるが、どうみても 「箱 (box)」 じゃないよね。全然ボクシーじゃない。

ちなみに、元々の英語では、Windows の方は "Recycle bin" というらしい。削除してもすぐに復元できるということで、アイコンにもリサイクルマークが付いているのだろうけれど、厳密にはあまり意味のない名称だ。この方面の先駆者、Mac の方は "Trash Can" で、ずっと潔くもシンプルである。

それにしても、フツーの英語で 「ゴミ箱」 はなんと言うのかと考えてみると、そもそも 「ゴミ箱一般」 を指す 「フツーの英語」 って、ないんじゃないかという気がする。行った先々でいろいろな言い方があるから、郷に入っては郷に従うしかない。その意味では ”trush box" も、「日本のローカル英語」 なのだろう。

とりあえず Weblio に当たってみると、wastepaper basket, waste basket, circular file, waste-paper basket, wastebasket, garbage can, garbage box, rubbish bin, trash can, dust bin, dustbin など、いろいろな言い方が出てくる (参照)。同じ 「ゴミ」 でも、waste, garbage, rubbish, trash, dust など、いろいろな言い方がある。"Bin" というのは 「瓶」 じゃなく、「容器」 という意味で 「かいばおけ」 が語源らしい。

一概には言えないが、"garbage" は 「生ゴミ」 的なニュアンスがあって、”rubbish" と "Trash" は 「乾いたゴミ、がらくた」 のニュアンスが強いと思う。どうやら英国では "rubbish"、米国では "trash" が主流ということのようだ。とはいえあまり囚われずに、現地の言い方に従えばいいだけのことだろう。ちなみに私が若い頃に勤めていた外資系のオフィスでは ”waste basket" が主流だったから、私も素直にそう言っていた。

こうしてみると英語って、たかが 「ゴミ箱」 を言うのにやたらと面倒なところがあって、案外厄介な言語である。

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2018/06/05

縦書き引用符の不細工さを解決するには

Word には縦書き入力の機能があって、これこそが私が Mac でも MS Office を使っている最大の理由である。Apple の Office セットにある Pages というワープロ・ソフトには、残念なことに縦書き機能がないのだ。

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日本の社会には縦書き文書を作るというニーズが根強くあって、例えばいろいろな団体の 「〇〇会報」 みたいな印刷物だと、まだまだ縦書きの方が半数以上だと思う。そのために、テキストボックスを駆使して段組で割り付けたページを作るという仕事がなくならないのだ。

ところで、縦書き文書を作っている人たちの間でも、「引用符」 (ダブル・クォーテーションマーク) の縦書き表示に苦労している人がかなり多い。横書きの場合は  「shift + 2」 で、上図 ③ のようにきれいな表示になるが、縦書き入力でこれをやってしまうと、① のように、今イチ不細工なことになってしまう。

上図 ② のような、当たり前の表示にしたいと思っても、どう変換してもまともに変換されてくれない。どうしても ① になってしまうのである。これ、大抵の日本語入力ソフトで試しても、同様の結果になってしまうようだ。なかなかの困りものである。

これを解決するためには、Word だと次のように操作すればいい。

  1. メニューバーの 「挿入」 をクリックし、表示される項目の中から 「記号と特殊文字」 を選択
  2. 表示される 「記号と特殊文字」 ボックスの 「記号と文字」 タブを選択
  3. 表示される一覧の中から 「〝」 "MS明朝 0x0088 (Unicode 文字 301D)" を選択
  4. 同様に 「〟」 ”MS明朝 0x0088 (Unicode 文字 301F)” を選択
  5. 入力の度にこんな操作をするのは面倒だから、それぞれを単語登録しておく

この手順を踏めば、縦書き引用符の入力をする時でも不細工な体裁に悩まずに、上図 ② のような表示にできる。横書きの場合でも、④ のような表示の方がお好みの人もいるだろう。お試しいただきたい。

ちなみに、「〝 」 と 「〟」 は、「ダブル・クォーテーションマーク」 ではなく、「ダブル・ミニュート」 と言い習わしているらしい。「ミニュート」 の綴りは ”minute" で、英語の 「ミニット」 に他ならないが、この場合はどういうわけかフランス語読みを採用している。「ダブル」 は英語読みだから、横文字の重箱読みである。

どういう事情でこんなことになったかまでは知らないが、まったくもってややこしいことである。

【6月 6日 追記】

改めて調べてみたところ、ダブル・ミニュートは多くの日本語入力システムで 「かっこ」 と入力して変換していくと出てくるとわかった。デフォルトの変換候補としてはかなり後の方になるが、一度確定してしまえば、次からは優先順位が上がるので楽になるだろう。

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2018/06/04

ウナギのかば焼きが 2.7トンも廃棄されている

本日付の毎日新聞に "ウナギ 捨てられた 「かば焼き」 2.7トン 小売り調査" という記事がある。有料記事のため、無料では 921文字分の 612文字めまでしか読めないが、とりあえずそこまで読めば十分という気がする。

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グリーンピース・ジャパンの発表によると、大手 18社の小売業への調査で、賞味期限切れなどにより売れなくなったウナギのかば焼きを、年間合計で 2.7トンも廃棄処分にしていることがわかったという。かば焼きは大手 18社以外でも売られているのだから、実際にはもっと大量の廃棄が行われているはずだ。

私は 5年前に 「当面、ウナギとマグロは食わないことにする」 という記事で、次のように書いている。

ウナギは資源枯渇が最も危惧される魚種であるらしい。だったら、簡単な話で、ウナギが増え始めるまで食わなければいいだけのことだ。ウナギを食わない人間が増えれば、ウナギの減少にもストップがかかり、ほどなく増加に転じるだろう。しかし、それは私の生きているうちは実現しないだろうから、生きているうちにウナギを食う機会は激減するだろう。

この記事を書いた頃から、仕事などの出先であてがい扶持の弁当で出てきた場合は、捨てるのももったいないから、仕方なく食うが、自分で選んでウナギを食うことは一切なくなった。土用丑の日にウナギを食わなくても病気もせずに生き続けているから、別に食う必要なんかないことは実証済みである。

それどころか、最近のかば焼きは中国で薬漬けで大量飼育されたウナギを使っていることが多いから、体に毒でこそあれ、薬になんかならない。薬漬けのウナギが薬にならないというのも、皮肉なレトリックである。

いずれにしても、絶滅危惧種を大喜びで食うなんていうのは夢見が悪い。はっきり言って、そんなもの、食っちゃいけないのである。喜んで食うやつが多いから、大量仕入れの結果としての廃棄も増えるのだ。ウナギを食わない同志が増えることを望むばかりである。

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2018/06/03

「らくらくスマホ」 は絶対にオススメしない

とある集まりで、年配の女性 (と言っても、私よりほんの 3〜4歳上の、要するに団塊の世代) に、「私も Facebook ってのをやりたいから、教えて」 と頼まれた。趣味の会のお友達の何人かが Facebook をやっていて、「楽しいわよ〜」 というので、自分もやりたくなり、スマホというものを最近買ったのだと言う。

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「どれどれ」 と、そのスマホというのを出してもらうと、なんだか見たことない代物である。iPhone じゃないし、中身の OS はどうやら Andoroid らしいのだが、よく見かけるやつとも全然違う。こりゃ、一体何なんだ? どうやって Facebook アプリをインストールしたらいいんだ?

聞けば、「らくらくスマホ」 というものらしい。私はそんなものがあるってことを、今日初めて知ったよ。なんでも、Docomo ショップに行って 「私もスマホにしたいんですけど」 と言ったら、「このらくらくスマホなら、年配の方でも操作に戸惑わずに済みますよ」 と勧められて買わされたのだという。

そんなこと言っても、現実にしっかり操作に戸惑っちゃってるじゃないか。それどころか、相談された私さえも、わけがわからず戸惑いっぱなしだ。とにかくこの類いの 「年配の初心者向け」 と称して売り出された商品にろくな物がないというのは、経験上わかっている。

バリバリのスマホユーザーである私が相談されて 「???」 になってしまうような代物を、IT 音痴のオバサンがまともに使いこなせるわけないじゃないか。まったく高い買い物をさせられてしまったものである。

しかたがないから、自分の iPhone を使って操作法を web で調べまくり、ようやく Facebook アプリをインストールしてはみたのだが、そこから先の登録もやたら面倒くさい。入力のインターフェイスが今イチやりにくいのだ。ブチ切れそうになるのを必死に堪えて、ようやくの思いでアカウントの設定画面に辿り着いたのだが、顔写真の登録が、いい加減にしてくれというほどやりにくい。何が 「らくらくスマホ」 だよ、まったく。

年配の女性に言いたい。ケータイ・ショップで奨められても、決してそれを信じて 「らくらくスマホ」 なんて買っちゃいけない。iPhone にしておけば、周り中にヘビー・ユーザーがいくらでもいるから、相談すればひょいひょいっとやってもらえる。しかしわけのわからない 「らくらくスマホ」 なんてものは、ヘビー・ユーザーでも難儀してしまうのだよ。

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2018/06/02

何事も諦めが肝心

昨年秋の 「東洋経済」 の記事だが、"不安に強い人は 「諦める」 を習慣にしている" というのがある。慈眼寺住職で大阿闍梨のお坊さんの文章だ。

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私の座右の銘の一つに 「何事も諦めが肝心」 というのがあって、自分でも諦めのいい方だと思っていたのだが、大阿闍梨というまでの偉いお坊さんの身に余るお墨付きをもらったような気がして、かえって 「それで本当にいいの?」 と不安になった。こんなことで喜んじゃいけない。こりゃちょっと、どこかに落とし穴がありそうだ。

件の文章を読んで見ると、まず 「四苦八苦」 の話が出てくる。「四苦」 とは仏教でいうところの 「生老病死」 (「しょうろうびょうし」 と読んでね) の 4つの苦しみで、これらは 「どうあがいても、誰も決して逃れることのできない必然的な定め」 であるという。そして 「八苦」 とは 四苦に以下の 4つの苦しみを足したものだ。

「求不得苦 (ぐふとくく))」 欲しいものが手に入らない苦しみ
「愛別離苦 (あいべつりく)」 愛する者と別れなければならない苦しみ
「怨憎会苦 (おんぞうえく)」 嫌な人と出会ってしまう苦しみ
「五蘊盛苦 (ごうんじょうく)」 世の中はままならないものだという苦しみ

これらは、四苦と違って、避けられないものではなく、自分の心でコントロールすることができるものだという。つまり、心次第で 「八苦」 のうちの半分はなくすことができるのだ。イラッとしたりムッとした時などに、「心の針」 をプラスに戻すことによって、苦しみはなくすことができるのだと説かれている。

うむ、これなら、特別難しいことじゃない。それどころか、「生老病死」 の四苦だって、私はことさら耐えられないほど苦痛だと思ったことがないから、根っから 「プラス志向」 で生きてきたものらしい。

既に還暦を 5年も過ぎているから、これからどんどん 「老いの苦しみ」 というのが出てくるのかもしれないが、私としては、「年取るのも結構楽しいしね」 なんて思っている。安倍首相は 「高齢者と言われるのは嫌だ」 なんて言って、名称見直しを言い出しているらしいが、もっと他にやることあるだろうに。

私は早く 「後期高齢者」 と呼ばれる年になりたいとまで思っているほどだし、なんなら 「末期高齢者」 と言われてもいい。このことについては、6年近く前に "「後期高齢者」 という呼称を巡る冒険" という記事で書いているが、この記事、今読み返しても、我ながらなかなかいいことを言ってる。

安倍首相はどうでもいい呼称問題に国民の目を向けさせて、肝心の高齢者医療制度をウヤムヤにしたいんじゃなかろうかと、私なんか疑っているのだよ。

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2018/06/01

今年は季節の推移が早い

下の写真は、我が家の裏の空き地のシャリンバイの木の様子である。ついこないだまできれいに咲いていた花がすっかり枯れて、こんな茶色になってしまった。今年は季節の推移がいつのの年と比べて滅茶苦茶になっているようなギガする。

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いつもの年なら、まだまだきれいな花が咲き続けているはずなのである。昨年の 5月下旬の和歌ログの写真は、こんな具合だった。(参照

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きれいに咲いた花の香りに誘われて、ミツバチが蜜を吸いに来ている。こんな状態が、6月初めまで続くのが、例年の様子なのである。そして、その隣のアジサイの花が、今年はやけに早く満開になっている。やはり、今年は季節の気が早い。

おそらく昨年よりずっと早く梅雨入りして、夏はかなり暑くなるんじゃあるまいか。今から覚悟しておこうと思う。

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