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2018年8月に作成された投稿

2018/08/31

EU は 「サマータイムの廃止」 なんか望んでいない

EU が既に導入しているサマータイムの再検討に向かっているとの報道が盛んになっている (参照)。これは東京オリンピックの暑さ対策としての、「にわかサマータイム」 のお粗末さへのアンチテーゼとして報じられているという要素が大きいと思う。

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日本ではサマータイム導入は総スカンを食らっている状態で、私も今月 6日に反対論を書いている (参照)。そして日本のマスコミとしても 「本家本元のヨーロッパだって、多くの人たちはサマータイム反対と言っている」 と、ことさらに訴えたいもののようだ。しかし問題は、「EU 圏の 8割以上が サマータイムの廃止を望んでいる」 という表現である。ニュースをよく読めば、決してそんなわけではないということがわかる。

今回の調査では、EU の全 28加盟国から 460万件以上の意見が寄せられ、その 8割以上が希望したのは、「時間の切り替えをしない」 ということなのだ。しかも時間の切り替えを望まない人の多くは 「1年中、夏時間のままで通す」 ことを望んでいるというではないか。

要するに EU 圏の多くの人が希望しているのは 「サマータイムの廃止」 なんかではない。それどころか、「サマータイムをずっと維持して、冬時間 (標準時) に戻すな」 と言っているのである。見出しは正確につけてもらいたいものだ。

私は個人的には、何度もヨーロッパに出張した経験から 「明るいうちに仕事を終えて、寝るまでの時間を長く楽しめる」 というサマータイムを、ずっと羨ましく思っていた。だから 6日の自分の記事でも 「私は基本的にサマータイムに賛成の立場なのだが、今回の政府案はちょっとおかしい」 と書いているのである。

そんなわけで、EU の多くの人たちの 「明るいうちに仕事を終えて、自由時間を楽しみたい」 意識に変わりはないようなのだ。その上で、「1年に 2回、時計を早めたり遅らせたりするのは億劫だし、体もきつい」 ので、「1年中ずっとサマータイムで通す方がずっとマシだ」 と言っているのである。その気持ち、私はとてもよく理解できる。

「時間の切り替えをせずに、ずっとサマータイムにする方がいい」 というのを 「サマータイム廃止」 なんて見出しにしてしまうのは、コトの本質をよく理解していないからで、乱暴すぎる話である。この乱暴さは、日本人の多くがトランプ大統領が安倍首相に 「リメンバー・パールハーバー」 と言ったと受け取っている構造と似ていると思う。

トランプは "I remember Pearl Harbor" (私は真珠湾を忘れていない) と言ったのである (参照)。いくらトランプでも、米国大統領が日本の首相に "Remember Pearl Harbor" (真珠湾を忘れるな) なんて言うわけないじゃないか。

人間はニュースを、受け取りやすいストーリーにねじ曲げて受け取るものなのである。

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2018/08/30

日本の郵便の信頼性は落ちてしまっているようだ

宮城県登米 (「とめ」 と読むらしい) 市の郵便配達員が、37,000通もの郵便物を配達せずに隠していたというニュース (参照) には、ちょっと驚いた。

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郵便物が配達されずに消えてしまうということについて、 私は過去に 2度書いている。1つめは、配達員が郵便物を隠していたことを支局ぐるみで隠蔽しようとした 2012年のケース (参照)。そして 2つめは配達ミスの多発について触れた一昨年の記事 (参照) だ。

2012年の記事で触れたのは、静岡県三島市で 100通以上を隠していたというケースだが、今回の宮城県登米市の場合は 10年前から隠していたらしく、ケタが違う。単純計算だと平均して 1年で 3,700通になるから、少なくとも 1日で 10通以上もの郵便物を届けずに隠していたことになる。よくまあ、10年もバレずにいたものだ。

いずれにしても、とにかく郵便物が届かずにどこかで消えてしまうというのは、そんなに希有なことではないと、私はずいぶん昔から言っている。「そんな馬鹿な」 なんて言う日本人が多いが、そんな馬鹿なことが案外多発するのである。

一昨年の記事には、ハマッコーさんが 「自爆営業」 という事実について触れたコメントを寄せてくれた。これは 「ノルマ達成のために日本郵便の社員が、年賀状などを金券ショップに持ち込み、安く売った分の差額に自腹を切る行為」 を言うらしい (参照)。無理なノルマが課せられるから、こんなことが横行する。日本郵便はブラック企業化しているようなのだ。

こんなことをしていると、社員の士気やモラルが落ちて配達すべき郵便物を隠してしまうなんてことも起きがちになってしまうのかもしれない。日本の郵便の信頼性は既に落ちてしまっている。「これでやっと諸外国並み」 なんていうジョークは言いっこなしにしておきたいところだが。

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2018/08/29

鳥取県から帰ってきた

鳥取県米子市での仕事を終えて、無事帰って来た。暑さが完全に戻ってきていて、街を歩いているだけで汗が流れたが、雨にも、もちろん台風にも遭わずに帰って来れたからよしとしておこう。

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そして、前回の佐賀と博多を 2泊3日で回ったときは、一昨日の記事でも書いたように、蜂に 2度も刺されたせいでかなりぐったりと疲れたが、今回は体力が回復して、ピンピンしたまま帰って来た。自分でも安心している。

写真は米子空港のロビーから眺めた空港の景色。米子空港の近くには、自衛隊の美保基地があるのだが、そこは父が若い頃に志願して入った予科練の基地のあったところで、「若き父はこの山陰の海を眺めていたのか」 と、ちょっと感激してしまった。

そしてせっかく感激した直後に覗いた土産物屋に、「島根か鳥取か分からないけどそこら辺に行きました。」 という名前のチョコレートパイがあったので、その感慨もどこかに吹っ飛んでしまったのだった。なかなか心の琴線に響く自虐ネーミングである。

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鳥取と島根は、どっちがどっちかわからない隣同士の県の中でも筆頭格で、そしてこのチョコパイは一応島根県の土産であるらしいのだが、鳥取県の米子空港で売られているのだった。まあ、米子は島根との県境に近くて紛らわしいし、売り場が増えれば売り上げも増えるってことなのだろう。私自身も米子市というのが島根県ではなく鳥取県にあることを、今回初めて知ったのだし。

ちなみに私の生まれた山形県も、秋田県と区別の付かない人が多く、さらに香川県と徳島県もちょっとした鬼門だ。

ところで、来週は熊本県に行くことになっているのだが、昨日発生した台風 21号が、ちょうどその頃に日本に近付くらしい。さぁて、どうなるか。

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2018/08/28

自分で自分の晴れ男振りを褒めたいほどだ

今日、台風21号が発生した。8月に入ってからの台風発生数はこれで 9個となり、24年ぶりの多さなんだそうだ。(参照

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そして私といえば、今月の 15〜16日に滋賀県の大津、16〜19日に京都、24〜25日に佐賀、25〜26日に博多、そして今日 28〜29日に米子と、5か所に出張しているわけだが、一度も台風に遭わず、晴天に恵まれている。さらにその前の 7月 28〜29日に、台風 12号が西に進むという前代未聞のルートを辿ったため、福島出張が無事に済んだことはこのブログでも書いたとおりである。 (参照)。

先月末からほぼ 1ヶ月の間に 10個も発生した台風をかいくぐり、6回の出張を無事にこなしたわけで、自分で自分の晴れ男振りを褒めたいほどの気持ちになっている。よくもまあ、しっかりと晴れてくれたものだ。

天気予報によると、米子は今月の 31日頃から雨になるらしい。私がいる間は降らず、いなくなってから降るわけだ。

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2018/08/27

1月に 3度も蜂に刺されたら、無事では済まないようだ

一昨日の 「今月は 3度も蜂に刺されてしまった」 という記事で、「どういうわけなのか、それほど腫れ上がっていない。もしかしたら、先日刺された時に耐性ができてしまったのだろうか」 なんて書いてしまったが、やっぱり 1月に 3度も刺されると、さすがに無事には済まないようだ。

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刺された直後は、特有の痛みがあるだけで特段の変化はなかったのだが、かなり体力を消耗したみたいで、その夜は早めにベッドに入った。ベッドの中では刺された右腕に痛痒い感じが続き、翌朝目を覚ますと、驚くほど腫れていた。「左右の腕の太さが、明らかに違いますよ」 と言われたほどである。

今日になって腫れは引いたが、痛痒さはまだ残っている。刺された日の午後からいつにない疲労を感じていて、ネットで調べたところ、やはり蜂に刺されたことと無関係ではないようだ。「熊本シロアリ駆除.com」 という会社のサイトの 「ハチに刺された時の症状と正しい応急処置」 というページを見ると、「危険なアレルギー反応」 がいろいろ書いてある。

その中で 「息がしにくい」 「ぐったりする」 という項目があり、どうやらこれが当てはまるようなのだ。呼吸困難というほどではないが、息苦しい感覚はあり、さらに 「ぐったり」 というのはモロに当てはまる。これらは猛烈な暑さのせいだとばかり思っていたが、それだけでは説明がつかない気がする。

このページには 「意識がもうろうとしている」 とか 「めまい、しびれ、痙攣」 などという項目もあり、私の場合はそこまではいかないものの、はやり蜂にさされるというのはそんなに生やさしいことではないようなのだ。とくに刺された現場には水道もなにもなく、洗ったり冷やしたりという応急処置ができなかったというのも大きいだろう。

「蜂に刺されたら口で毒を吸い出す」 という応急処置が必要と言われるが、これは必ずしも正しくないと、複数のページに書かれている。吸い出した毒が口から吸収されてしまうことの方が危険だというのである。これは全然知らなかった。

さらに、刺されたのはアシナガバチで、これはスズメバチほど大したことはないと思っていたが、ハチの毒としてはアシナガバチの方が強いぐらいのものだというのである。スズメバチは獰猛な性格が問題で、アシナガバチはおとなしい性格ではあるものの、毒は強いのだそうだ。これも全然知らなかった。

今日になって症状はかなり改善したので、医者にかかる必要はなさそうだが、これからはそんなにたやすく蜂にさされないように注意しようと思う。

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2018/08/26

博多の繁華街に漂う生臭さの正体

一昨日に続いて、「肉を食わない」 ことに関する話題である。今日は博多ラーメンの話だ。

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佐賀の街を歩いていた時から、何となく生臭いというか、もっとひどい形容をしてしまえば 「ウンコ臭い」 というか、あまりいい感じではない臭いがすると思っていたのだが、博多に移動して、その臭いの元がはっきりと特定できた。九州のラーメンは博多ラーメンを筆頭に 「豚骨スープ」 が多いため、ラーメン屋からその独特の臭いが漂っているのである。

博多にはこれまでに何度も来たが、この臭いは、今回初めて気になった。今年の 3月に来た時はモロに博多の街に滞在したわけではなく、北九州市と太宰府で仕事があって、博多の街は宿泊しただけだったから、あまり気にならなかった。それに、今年の春は肉食を全面的に止めて間もない頃だったので、まだ体が変わり切っていなかったのかもしれない。

ところが今回は肉食を止めて 1年近く経っているせいか、豚骨系の臭いがかなり気になった。喫煙者がタバコ臭さに気付かないようなもので、普段肉を食べ付け、豚骨系スープに親しんでいると、博多の繁華街に漂うあの臭いに鈍感になるもののようだ。自分自身、肉を食っていた頃は全然気にならなかったのである。

今回博多で会った人の中にも、肉食をしない人がいて、彼は 「豚骨系スープのラーメンは博多名物的な位置づけなので、あまり声高には言われないけど、実は案外 『臭い公害』 と感じている人は少なくないんです」 と言っていた。日本人の多くが喫煙者だった頃には、「タバコ臭さ」 なんてあまり話題にならなかったのと同じ構造だと思う。

ただ喫煙者は減っているが、肉食は減らないどころかますます増えているので、全体的には博多の繁華街に漂うあの 「生臭さ」 は、今後もあまり問題にされずに経過してしまうような気がする。

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2018/08/25

今月は 3度も蜂に刺されてしまった

今月 13日に 「またしても蜂に刺されてしまった」 という記事を書いたばかりだが、今日はまとめて 2度もアシナガバチに刺されてしまった。いやはや、今月は蜂に縁がありすぎだ。

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今日は仕事で有明海沿岸に行き、最近植林された林の様子を眺めながら、木に絡みついたツタなどの蔓を取っているうちに、右腕の付け根と左の肩甲骨の辺りを、服の上から 2度刺されたのである。ただ、どういうわけなのか、それほど腫れ上がっていない。もしかしたら、先日刺された時に耐性ができてしまったのだろうか。

蜂は黒い服をみると攻撃的になると言われるが、私はたまたま今日は黒いポロシャツを着ていたのがいけなかったようだ。黒い服を攻撃するというのは、蜂蜜を狙う熊を攻撃するためだという説がある。私は熊に間違えられてしまったのかもしれない。

いずれにしても、今日の九州は大変な暑さで、大変な汗をかいて博多に移動した。今は博多のビジネスホテルにチェックインしたが、8月最期の週末ということで、値段がやたらと高く設定されている。値段分の元を取らなければならないので、今日は早めにシャワーを浴びて寝ることにする。おやすみなさい。

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2018/08/24

何でもかんでも肉が入ってしまう時代

九州に出張中で、佐賀の駅前のホテルに宿泊中である。駅前は居酒屋風ばかりなので、晩飯はステーションビルの中の店で食べた。

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私は近頃、肉を食わない主義になり、トンカツだのステーキだの、焼き肉だのハンバーグだのが主力の店に入っても、食うものがない。そこで、スパゲティの種類の多そうな店を選び、メニューを眺めて 「大葉と明太子のスパゲティ」 を注文した。メニューの写真を見ても、肉が入っているようには見えなかったのである。

ところが、出てきた現物を見て驚いた。分厚い肉きれ (豚のようだ) が 8個も入っている。だったら、メニューも 「豚肉と大葉と明太子のスパゲティ」 ということにしろよ! きちんと避けるから。

それにしても、最近は何でもかんでも肉が入ってしまう世の中になってしまったようなのである。肉を食わない者としては、なかなかやりにくい。

ちょっと前までは期待に反して肉が入ってたりすると、「捨てるのももったいないから」 と、仕方なく食っていたが、最近は肉を食うと 「変な物が口の中に入って来ちゃったな」 という感じで不愉快になるので、今回はより分けて残した。そして食後のコーヒーを持ってきてくれたウェイトレスにクレームを言おうかとも思ったけれど、クレーマー扱いされるのも面倒なので止めた。

今後はメニューの名称と写真だけを信じるのはやめて、ちゃんと 「肉の入ってないのはどれ?」 と確認してからオーダーしようと思う。「肉の入ってないのはありません」 なんてことだったりしたら、「肉抜きでお願い」 と言うことにしよう。

(上の写真は、今日食った現物ではない。念のため)

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2018/08/23

酷暑が戻って、九州出張

19日あたりまで、3日ほど涼しさを感じる天気だったが、20日からまた猛暑が戻ってきた。今日は新潟県三条市で摂氏 40度を超えたらしい。今年何度目の 40度超えだろう。

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一度涼しくなってからの酷暑再来なので、ことさら体にこたえる。道を歩いているだけで頭がクラクラしそうだ。今年の夏は、「ああ、自分も 66歳の 『前期高齢者』 になってるんだなあ」 と、いやでも認識させられる。無理したら命が危ないと、シリアスに思えるので、素直にエアコンを点けっぱなしでいる。

天気予報では 「9月 4日までは 『危険な暑さ』 が続く」 と言っていたそうで、要するにまだまだ気を緩められないということだ。

できることなら、その 9月 4日が過ぎるまでは北海道、それも釧路辺りの涼しい土地に長期出張していたいところだが、こんな暑い時に限って、明日から 2泊 3日で九州に行くことが決まっている。いやはや、さぞかし暑いことだろう。さらに帰って来て 27日には山陰出張だ。夏バテしないように、気を確かにもとう。

幸いなのは、九州に飛ぶ飛行機の便が、明日の夕方ということだ。昨日辺りまでは台風で欠航になるんじゃないかなどと心配していたが、我ながら立派な晴れ男ぶりである。私が九州に行くというので、台風 20号が遠慮して足早に通り過ぎてくれるもののようだ。

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2018/08/22

つくば市中心部のクレオの悲劇

私の居住地からそう遠くない、つくばエクスプレス (TX) つくば駅近くの商業施設クレオが、空き家状態になって半年が経過した (参照)。今では馬鹿でかいばかりのお荷物施設になってしまっている。

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この建物、私がつくばに居を構えた 38年前には存在しなかった。現つくば市の中心部は、TX の駅もなく、ちょっと離れたところに筑波大学があるだけの、だだっ広い田舎だったのである。間もなくそこに 「クレオ」 と称する大きなビルができ、西武百貨店とイオン (店名変更以前は 「ダイエー」) が、つくば市中心部開発の二大核店舗として入った。

西武筑波店の初代店長は、つくばに来る前は渋谷店の店次長だったという人で、つくばなんていうド田舎に移動せよという辞令が出た時は 「あまりのショックに、一体何がバレたんだろう? と思った」 と冗談を言っていたほどだ。開店してしばらくは、農作業を終えてゴム長のまま来店する客が多かったので、とくに雨の降った後などは床の掃除が大変だったという。

そうこうするうちにバブル経済の時代となって、西武もダイエーもそれなりに繁盛していたが、混雑時はパーキング・ビル入り口で渋滞が発生するなどの問題もあり、決して入りやすい店じゃなかった。そのうちにバブルは崩壊し、他の地方都市同様、市の周辺部にいろいろな店舗が進出してくるようになると、面倒くさい中心部の店に来る客は少なくなった。

で、核店舗の西武はあんな感じで没落して、いち早く撤退。ダイエーもおかしくなった上に 「イオン」 になってからは他の大型スーパー同様、郊外店に力を入れ始め、やっぱり中心部からは撤退した。こうしてクレオは 「誰も入りたくない巨大なる空き家」 となったまま、今に至るのである。

つくば駅に近いのだから、もっと適正な規模であれば乗降客を拾ってそれなりにやって行けると指摘する人もいるが、いかんせん、駅ビルみたいに直接つながっているわけではないし、そのくせ規模が大きすぎる。やっぱりクルマで来店する客がなければ、ガランとしてしまう。しかしクルマで買い物する消費者は、広い駐車場のある郊外ショッピング・モールに行く。どうにもやっかいな物件なのである。

自分自身のことを思えば、西武筑波店で買い物したことなんて 20年以上の間に 2〜3度しかなかった。ましてや生活必需品は近くのスーパーで買うから、ダイエーの方には足を踏み入れたことすらない。百貨店と駅前大型スーパーの使命が終わりに近付いていた時代に、クレオはスタートしたのである。

今から思えば貧乏くじを引いたわけで、スタート直後にバブルがあったために、それに気付くのが遅れただけだ。再生するには、建物の半分は潰して更地の駐車場にし、残る半分でやっていくしかないと思うのだが、それだとなまじ駅前の一等地なだけに、経済効率に合わない。もっと評価が落ちてからでないと、動くに動けないのだろう。ああ、気の毒に。

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2018/08/21

アジア大会でのバスケ選手の不行跡について

アジア大会でバスケットボールの男子選手 4人が 「公式ウェアで」 歓楽街を飲み歩き、買春行為に及んだ不行跡が発覚して、代表選手資格を剥奪され、強制帰国されたというニュースが話題になっている。

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ライブドアニュースでは、「公式ウェアを着用して夜の歓楽街を訪れていたことが、選手団の行動規定に抵触すると判断された」 とある (参照)。具体的には以下のようなことだったらしい。

聞き取り調査の結果、当該 4選手は 16日 22時過ぎ、日本食の店で飲食。その後、女性が接客する店を紹介された。日系人の仲介で 4選手はそれぞれ女性を伴ってホテルへ行き、行為へ及んだ後、17日未明にタクシーで選手村へ戻ったと認定された。

まあ、スポーツ競技のために遠征している者としてはかなり軽はずみな行為であり、非難されても仕方がない。ただ、個人的には 2つの点に疑問が残る。

1つめは、「女性が接客する店を紹介され」 て、「日系人の仲買で」 女性を伴ってホテルに行ったということなのだが、これって、ハニートラップっぽいニオイがしないだろうか。日本のバスケットボールは、世界レベルでは強豪の部類ではないが、アジア大会ではトップクラスの実力はもっているだろう。その日本の選手のうち 4人が減ってしまえば、戦力はかなり落ちる。他チームが上位に行く機会は増えるだろう。

こんなことでなんとなく陰謀っぽいものを感じるのは、私だけではないだろう。

それからもう一つ。今回の問題で重要なファクターとなっているのが、「公式ウェアで」 歓楽街に出たこととされている点だ。これって、公式ウェアではなく、例えば Tシャツにジーンズとかの私服だったら問題なかったのだろうか。

これに関する報道のどれを見ても 「公式ウェアで」 という要素が見出しレベルの扱いになっている。「日本選手というのがバレバレで、公式ウェアに泥を塗る結果になった」 というわけで、「女買いたかったら、私服で行けよ!」 と言わんばかりに聞こえてしまうのは、「何だかなあ」 と思ってしまうところだ。

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2018/08/20

古文漢文は社会で役に立たないか?

シャイニング丸の内という人の 「古文漢文は社会で役に立たない」 と言わんばかりの、半年前の tweet (参照) が 「文春オンライン」 で採り上げられ (参照)、それをきっかけにして、ギャグ的話題にまでなっている。実はギャグというほどでもなく、単に稚拙な tweet でしかないのだが。

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この tweet が 「ギャグ」 になってしまったのは、末尾の "他の学問は役に立ってますが、漢文については眠いときに 「春はあけぼの」 というくらいしか使ってない" というフレーズのせいだ。大方はすぐに気付かれるだろうが、「春はあけぼの」 の出典は決して 「漢文」 ではなく、和言葉で書かれた日本古典の 『枕草子』 であり、その文脈は 「眠気」 とはリンクしない。

「眠いときは」 ということから類推すると、この人がぼんやりとイメージしたのは多分、孟浩然 『春暁』 の 「春眠暁を覚えず (春眠不覺曉)」 というフレーズだったのだろう。結構な 「古文漢文音痴」 のようだ。

さらに言えば、この人は古文漢文に疎いだけではなく、現代文に関しても弱いようだ。「古文漢文が役に立った経験は少なくともありませんね」 というフレーズはどうにも据わりの悪い言い方で、例えば 「少なくとも私に関しては、古文漢文が役に立った経験はありませんね」 などと言い換えるべきである。

この人は 「勉強した」 と自ら言っているわけなのだが、悪いけどこちらとしては、「そんなに勉強しても、この程度の知識と文章力なのだね」 と言うほかない。やっぱり、もう少し古文漢文をしっかり勉強しておけばよかったね。

こんなような下手な言い方をしてしまったせいで、この tweet は単に個人的な印象というレベルを越えた 「一般教養」 の問題として、あちこちで批判されてしまっている。まあ、確実に言えるのは、古文漢文が役に立った経験がないというのは、そうした知識をベースとしたソフィスティケイティッドな会話をしたことも、能や歌舞伎を楽しんだこともないからなのだろう。

というわけで、この tweet は 「古文漢文を馬鹿にすると、こんなところでお里が知れてしまう」 というサンプルになってしまい、「やっぱり古文漢文もしっかりやった方がよさそうだね」 という反語的エビデンスとして機能する羽目になったようなのである。

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2018/08/19

「コーヒーは体に悪くない」 というお墨付き

私はコーヒー好きな方だと思う。少なくとも 1日 2杯は飲むし、多いと 7〜8杯は飲む。砂糖もミルクも入れず、いわゆる 「ブラック」 で飲むから、カロリー取りすぎという心配はないが、「ちょっと多すぎるかな?」 と心配していなかったわけじゃない。

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しかし、"「コーヒーをたくさん飲む人は長生きする傾向がある」 という研究結果" という記事を読んで、少し安心した。いや、別にどうしても長生きしたいってわけじゃないが、記事中の 「日常的にコーヒーを飲んでいる人は、コーヒーが体に悪いということは考えなくてよく、むしろ体にいいものかもしれないと考えて大丈夫」 という専門家のコメントが紹介されている。

また、先日の 「健康に良い食べ物と、悪い食べ物」 の記事で紹介した、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) 助教授、津川祐介氏も、コーヒーは 「ひょっとしたら健康に良いかもしれない食品」 というカテゴリーに分類されている。「これでストレスなくコーヒーを飲み続けられる」 と、単純に嬉しくなっちゃったってわけだ。

ちなみにこの関連で、"諸説ある中で結局 「コーヒーは健康にとって良いもの」 なのか?" という記事もあり、次のように結論づけられている。

1. コーヒーは心臓に良くない→間違い
2. コーヒーは脳の働きを高める→正しい
3. コーヒーで体重が落ちる→間違い
4. エスプレッソにはレギュラーコーヒーよりもカフェインが多く含まれている→正しい
5. 「デカフェ」 は体に良くない→間違い

私はコーヒー飲んでダイエットしようなんて思っていないし、エスプレッソは滅多に飲まないし、「デカフェ」 は飲んだことすらないから、ただひたすらノー天気にコーヒーを楽しんでいればいいようなのである。

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2018/08/18

「オ パッキャマラド パッキャマラド パオパオパ……」 とは

『クラリネットをこわしちゃった』 という歌をご存じだろうか。私がこの歌を初めて知ったのは、前の東京オリンピックの前年、1963年の NHK 「みんなのうた」 で放送されたことによる。私はこの時小学校 5年生で、歌はダークダックス、アニメは久里洋二によるモノクロ動画だった。それが YouTube で見つかったので狂喜しちゃったよ。

ちなみについ最近知ったことなのだが、この歌のリフレイン、「オ パッキャマラド パッキャマラド パオパオパ……」 というのは単なる 「はやしことば」 じゃなく、れっきとしたフランス語で、きちんと意味があったのである。堪能な人なら初めからフランス語として聞き取っていただろうが、私はフランス語は挨拶と 「メルシ」 と 「どういたしまして」 と 4つまでの数 (5つ以上だと、「あれ?」 となっちゃうんだよね) しかわからないので、半世紀以上も知らずにきてしまった。

Wikipedia によるとこのリフレインは、”Au pas, camarade / Au pas camarade / Au pas, au pas, au pas" というフランス語なんだそうである (参照)。"Camarade" は英語でも "comrade" という言葉があるので、「仲間/同僚」 という意味だとすぐに知れるが、"au pas" となると、否定形に用いる "pas" 関連しか頭に浮かばず、「もしかして 『仲間はずれ』 って意味?」 なんて思ったが、実は "pas" には 「ステップ」 という意味もあるのだそうだ。これだからフランス語ってややこしい。

というわけで、”Au pas, camarade" は 「友よ、ステップだ (前進しよう)」 という意味なのだと、ようやく理解できたのである。なんで 「クラリネットをこわした」 という歌でこんな歌詞が出てくるのかというと、Wikipedia には次のように解説されている。

原曲は、「La chanson de l'oignon(玉葱の歌)」 と呼ばれる行進曲とされ、1800年のマレンゴの戦いでナポレオンの軍隊が士気を上げるために歌ったとする説がある。歌詞はクラリネットとは無関係だが、日本で 「オーパキャマラド」 と歌われるサビの 「Au pas, camarade / Au pas camarade / Au pas, au pas, au pas」 は共通している。これは 「戦友よ共に進もう」 という行進曲風にも、「(パパが演奏する) リズムに合わせて演奏しなさい」 という楽器の手ほどき風にも、解釈できるという。

なるほどね。「戦友よ、いざ行かん」 という勇ましい意味と、「一緒に演奏してみようね」 という楽器演奏指導の親心的な意味の、両方が読み取れるというわけだ。なんでまた、軍隊の士気を上げるための行進曲が 『玉葱の歌』 なのかは謎のままだが、一方で 「玉葱」 はフランス語で "oignon" ということは知った。英語の "onion" と共通するので、忘れずにすみそうだ。

で、改めて YouTube でダークダックスの歌を聴いてみると、リフレインの部分が、字幕スーパーは 「オ パッキャマラド…」 と表示されるが、実際には 「オ パッキャマラドゥ」 と発音されている。私はこの半世紀ぶりの気付きに驚いて、「おぉ、さすがインテリのダークダックス、こだわってるなあ!」 と、一瞬思ってしまったが、すぐに 「いや、そりゃ違んじゃないか?」 と気付いた。

というのは、"camarade" の後に "au" が続くのだから、ここは 「オ パッキャマラドゥ」 ではなく、きちんとリエゾンして 「オ パッキャマラド パッキャマラド……」 でいいはずではないか。あるいは、本当は ”Au pas, camarade, pas camarade..." なのかなあ。いや、その後に "au pas, au pas, au pas" と続くのだから、やっぱり ”Au pas, camarade, au pas camarade..." なんだろう。

ダークダックス、やっぱり発音おかしいぜ。

というわけで最後に本題とは関係なく、唐突に 「ダークダックスより、デュークエイセスの方がいいよなあ!」 と再確認してしまったのであった。断っておくが、これは単に個人的趣味の問題である。

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2018/08/17

「しゃっくりが止まらない」 と言って救急車を呼ぶケース

ちょっと前の話だが、下の写真は 4月に出張した石川県小松市の、なぜか JR 小松駅のトイレにあった 「案内掲示」 みたいなものである。「救急車はタクシーではありません!」 という大きな文字があり、下の方に 「このような症状での気軽な 119番はお控えください」 とある。

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「このような症状」 とはどのようなものなのかというと、次の 3点が書いてある。

● しゃっくりが止まらない
● 歯が痛い
● 蚊にさされ

なんとまあ、こんなことで救急車を呼ぶ人がいるんだろうか。いや、わざわざこんな掲示が、小松市消防本部の名前で貼り出されているのだから、実際にいたんだろうね。これではまさに 「救急車はタクシーではありません」 と言いたくもなるだろう。

そんなようなことで救急車を呼んだというケースの、当事者のメンタリティってどんなようなことだったんだろう。単に 「著しく常識に欠ける」 という要素だけで片付けられるんだろうか。まあ、「常識」 なんて言葉すら知らないんじゃないかというような人もたまには見かけるが、実際には 「ちょっとした常識外れプラスアルファ」 というケースが多いんじゃなかろうか

例えばしゃっくりが何時間経ってもどうしても止まらずに頻発して、ついには不安に耐えきれなくなって 119番しちゃったとか、夜中に激烈な歯痛で絶えきれなくなって、藁にもすがる思いで救急車を呼んだとかいうこともあるかもしれない。ちょっと好意的に想像しすぎてるかな。

「蚊にさされ」 となると論外みたいな気がするが、最近では 「人間を最も多く殺している動物は、蚊である」 (参照) という厳然たる事実が報道されたりしているので、「マラリアとかジカ熱で死んだらどうしよう!」 なんて不安に駆られちゃう人がいないとも限らない。人間というのは、一度不安に駆られるとその不安は際限なく膨らんでしまったりするのである。世の中ではそれをパニックと呼ぶのだね。

ごくフツーの人が他愛もないことでパニックに陥り、つい常識を忘れてしまうということもあったりするから、この世はなかなか厄介なのだ。心身症というのも、往々にして不安とか恐怖とかいうところからスタートしちゃったりするようだし。

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2018/08/16

「万系一世」 という言い草は、世が世なら不敬罪

「主権は国民になく国家にある」 という tweet (参照) をして何かとお騒がせの伊藤純子という伊勢崎市会議員が、またまた妙な tweet をしていると話題だ (参照)。下に画像で掲げておく。

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この tweet には彼女が自ら次のような 2つのレスを付けている。

3行目「折衷折衷」は「折衷説」の誤りです。ごめんなさい。

「万系一世」とありますが、「万世一系」の誤りです。以後、気をつけてます。

この程度の人が市会議員というのだから、啞然とするしかない。

まず、主権の所在について、「全国民の代表 + 有権者の代表を足して二で割る」 のが通説と、「法律の専門家」 から伺ったとのことだが、そんな 「通説」 は初めて聞いた。そもそもこのフレーズの意味がさっぱりわからない。

「全国民」 と 「有権者」 は、「含む/含まれる」 の関係である。だから 「全国民の代表者」 と 「有権者の代表者」 を足したら、「有権者の代表者」 の部分が重複することになる。それとも両者は別の基準で選ばれたので、重複は一切生じないというのか?  もしそうだとしたら、そんな事態はいつ生じたのだ?

それを 「二で割る」 って、そしてさらにそれが 「折衷説」 であるとは、自分で自分が何を言っているのか、わかっていないとしか思われない。どんな 「法律の専門家」 がそんなことを言っているのか、明らかにしてもらいたいものである。

そしてもっと言えば、彼女が 「法律の専門家」 の言うらしい無茶苦茶な 「折衷説」 を信じているのだったら、「主権は 『国民』 ではなく 『国家』 にあるのです」 という自身の先の tweet は、一体どんな気紛れで書いたのかも知りたいところだ。

さらに、「万系一世の皇室」 という言葉違いはひどい。「万世一系」 というならしっかりとした日本語だから、四文字熟語としてごく当たり前にかな漢字変換できるが、「万系一世」 となると、あっさりとは変換できない。ふゆひーさんも、「ATOK と MS IME で確認」 したと、Twitter 上で明らかにされている (参照)。

少なくとも 「まん」 で変換し、「けい」 で変換し、さらに 「いっせい」 で変換しなければならない。つまり、「単なる入力ミス」 ではなく、そのように意識的に、面倒を厭わず入力するしかなかったのだ。日本会議のメンバーでもあるらしい彼女なりの、「無駄な努力の成果」 である。

「以後気をつけます」 で済まされるような話ではない。世が世なら 「不敬罪」 になったところだ。日本会議が彼女を除名処分にしてしまわないとしたら、よほど人材不足で放り出しにくいのである。

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2018/08/15

「いつも新鮮」 って、単に 「フツー」 ってことでは?

今日、京浜東北線の電車で気になるポスターを見つけた。キャッチコピーの文字のコントラストが不鮮明なので、"ALWAYS FRESIL" と見えてしまうのだが、 "fresil" なんて単語は知らない。よく見ると "ALWAYS FRESH" である。

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「ミュゼ」 という脇毛処理だかなんだかの会社のポスターで、これに関するウェブページを見ると、"新コンセプトは「Always Fresh」!" とある (参照)。どうもカギ括弧と感嘆符のつけ方が独特すぎるような気がするが、まあ、敢えてそこには触れないでおこう。

それよりも、"always" と "fresh" という 2つの単語が、こんなに簡単に結びついてしまっていいものかという問題である。「いつも、常に」 という副詞と 「新鮮な」 という形容詞は、そんなに安易には両立しないんじゃないかと思ってしまうのだ。

"Fresh" というのは、一定の時間軸の上でのある状態を指す言葉だと思うのである。つまり 「新鮮な」 という状態は、常に継続するものじゃない。

最大限譲って、「常に新鮮な状態」 というのがあると仮定しよう。しかし常にそうだったら、それは特段 「新鮮」 というわけじゃなく、単に 「フツー」 ってことじゃないか。矛盾に陥ってしまう。「新鮮」 というのは、他の状態と比べて差別化されるからこそ、「新鮮」 と言えるのじゃないのか。

あるいは時間軸の問題ではなく、空間軸として捉えて、「いつも、他と比較して新鮮に見える」 ということなのだろうか。しかしそれだったら、"fresher" と比較級にならなければならないんじゃなかろうか。やはり "Always Fresh" というコピーは、私には違和感があるのだよね。

私には関係のない商品だし、言いがかりっぽいと言えば、我ながらその通りでもあると思われるんだけど、言葉に関してはついこだわってしまうビョーキの私の感覚として、「無理筋的」 に座りが悪いと感じてしまうのだよね。Bob Dylan の ”Forever Young" とはちょっと次元が違う気がするわけだ。

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2018/08/14

「かなとこ雲」 が翻訳語という推量は正しかったようだ

下の写真は刀鍛冶の桔梗隼光さんという方が使っている 「金床」 である (参照)。砥石で仕上げた直後というだけに、うっとりするほど美しい。画像検索で見つけたのだが、他の刀鍛冶のものをみても大体似たような形だ。

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今月 9日の "「かなとこ雲」 を巡る冒険" という記事で、「かなとこ雲」 の 「かなとこ」 というのは、鍛冶屋さんの使う道具、『金床』 のことであることに触れた。ただそれに関連して、「もしかしたら、この 『かなとこ雲』 という名称自体が、明治以後にできた翻訳語なのかもしれない」 という疑問を呈しておいたのである。

かなとこ雲の学術名 "Incus" はラテン語で 「金床」 を意味し、英語でもこの雲を "anvil cloud" (anvil は 「金床」 の意) と称する。それで初めは、この雲の特色ある形が 「洋の東西を問わず同じ道具を連想させる」 のだと早合点しそうになった。しかしすぐに、「いや、多分そうじゃないだろう」 と、思い直したわけだ。

いくら何でも、名称が共通しすぎて、「かなとこ雲」 という日本語は、英語 (あるいは他の欧米語で 「金床雲」 を意味する言葉) からの翻訳語なのではないかと考える方が、自然に思われる。ただ、これは私の直観に過ぎないので、客観的にそう言い切るための証拠が見つからない。

江戸時代以前の日本の文献に 「かなとこ雲」 という語が出てきたら、私の推量は崩れるので、ここ 2〜3日、暇を見ては 「金床 古典文学」 というキーワードでググり続けてきたが、検索されない。これは期待通りなのだが、 「見つからない」 ことが 「ない」 と結論づけるためのエビデンスにはならないので、ちょっとウジウジしていたわけだ。

ところが今日、「そうか、テキストではなく、日本の伝統的な金床の形を見ればいいではないか」 と気付き、画像検索して上の写真が見つかった。9日の記事で使った画像を下に再録したが、西洋の金床との形の違いは明白で、両者は別物と言っていい。「かなとこ雲」 の名称は、日本の四角い塊の金床からは発想しようがない。

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どう見ても、かなとこ雲というのは西洋の金床の形から付けられた名前である。ということはどうやら、「明治以後の翻訳語だろう」 という私の推量が正しかったと結論づけていいだろう。

重箱の隅案件、一応解決。ふう、肩の荷が下りた。

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2018/08/13

またしても蜂に刺されてしまった

庭に芝生を敷き詰めるという趣味はないので、我が家ではクリーピングタイムというハーブを庭のグラウンドカバーにしている。背の低い草が地面を這うように広がるタイプのタイムだ。

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気候が暖かくなる頃から白く小さな花が沢山咲くので、蜂や蝶などの虫が蜜を吸いに集まってくる。とくにアシナガバチはウチのクリーピングタイムの蜜が大好物のようで、少し目をこらして眺めると、何匹も飛び交っているのがわかる。

世の中には必要以上に蜂を怖がる人もいて、そんな人は我が家の庭は歩けないだろうが、私は蜂の飛び交う真っ只中を平気で動き回っている。ただ、たまたま運が悪いと刺されてしまうこともないではない。

蜂の止まっている洗濯物を気付かずに無造作に取り込もうとして、ブチッと刺されたり、Tシャツの裏側に潜んでいるのを気付かずにそのまま着ようとして刺されたり、多分、これまで 5〜6回は刺されている。それでも懲りずに共存しているのだから、蜂との相性は悪くないようだ。

蜂に刺された時というのはかなり痛い。いや、痛いというよりも、熱湯を注射されたような熱い刺激を感じる。実は一昨日も、顔に向かってタオルをパタパタさせて風を送った時に、運悪く飛んでいる蜂に左手首が当たったらしく、ブチっと刺されてしまった。

すぐに口で毒液を吸い出し、水道水を出しっぱなしにしてよく洗ったのだが、やはり多少は腫れ上がってしまい、手首が時計のベルト穴 2つ分太くなった。今日になって穴 1つ分に収まってきているので、もう大丈夫だろう。

「蜂に刺されると、2度目は命に関わる」 なんてことをよく聞く。それが本当だとしたら私は少なくとも3〜4回は生死の境を彷徨ったことがなければならないはずだが、別にそんなことはなく、ピンピンしている。そして今日も庭に出て、iPhone で上の写真を撮るほどにクローズアップで近付いているのだから、まったく懲りていない。

「蜂に 2度刺されると云々」 という説は、スズメバチなどに刺された場合に生じる強いアレルギーで、死ぬこともあるという話から出たもののようだ。最初に刺された時に生成されるアレルギンが、2度目で強過ぎる反応を示すことがあり、これを 「アナフィラキシー・ショック」 というらしい。

私は花粉アレルギーには悩まされているが、こっちの方のアレルギーは全然平気のようなのである。まあ、花粉症で死ぬことはないから、ずっとマシか。

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2018/08/12

お盆になって思うこと

お盆の帰省ラッシュは土曜日がピークだったようで、昨日のニュースは高速道路の下り線が軒並み 40km 以上の渋滞になったと伝えていた。その余波は日曜の今日になっても続いているようで、小さな子を乗せての運転はさぞ大変だろうと、20〜30年前の自分を重ね合わせて思いを馳せている。

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盆になってもまともな里帰りをしなくなって、もう 5年になる。東日本大震災のあった 2011年の 10月に父が死に、翌年の新盆で帰郷して以降は、田舎に帰っても顔を見せる親がいるわけでもない (母は父の 3年前に死んでいる) ので、つくばの地に留まっている。そのかわり、秋の彼岸頃に墓参と寺とのやり取りのために帰ることが多いのだが、高速道路の渋滞がないので夏よりずっと楽だ。

先祖代々の土地にずっと住み続ける人もいれば、私のように縁もゆかりもなかった土地に腰を落ち着けてしまう者もある。人間の社会というのは、このようにして流動性をもつのだろう。ずっと一つ所に住み続ける家系の、江戸時代中期の享保年間からの連綿たる系図を見せて貰ったことがあるが、私の家などは分家の分家みたいなもので、4代遡るとわからなくなる。

若い頃は 70歳を過ぎたら田舎に戻ろうと思っていたが、今となってはそれも億劫になってしまった。先のことは流れでどうなるかわからないが、生まれた土地との縁はどんどん薄れてしまうことになりそうだ。我が家の子どもは 3人とも女で、しかも誰も結婚していないから、家系はそれで途絶えることになりそうだし、そこに執着してもしょうがない。

東アジア的思想では 「家」 というものの価値感が絶大で、何としてでも存続させなければならないというプレッシャーがちょっと前まではあったようだが、今となってはそれもあまり感じない。こればかりは、流れに任せているほかないよね。

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2018/08/11

Apple でのコーディネーションのメリット

IT 関連のニュースを見ると、やれ、PC は何がいいとか、スマホは何がいいとかいう情報が溢れているが、個人的にはそうした話にはとんと興味がなくなってしまった。IT 関連のデバイスは 「単品」 で選ぶものではなく、「コーディネーション」 で選ぶものだという考えに落ちついたからである。

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私は今や、Apple のデバイスの組み合わせでほぼ満足している。PC は MacBook Pro、タブレットは iPad、スマホは iPhone、そして腕時計は Apple Watch。この組み合わせがあれば、当面ほかには要らない。

そりゃ、単品としての機能をみれば、iPhone よりも進んだスマホが出現しているのだろう。YouTube の公開した 「次世代技術対応スマホ」 のリストの中に、iPhone は含まれないらしいので、どうやら iPhone は 「次世代動画技術」 の視点からは最先端ではないらしい (参照)。とはいえ、iPhone は 2〜3年ごとに更新するのだから、いずれはより高機能なものを使うことになると決まっており、慌てて変える必要はない。

そして Mac や Apple Watch との組み合わせによる使いやすさという点で論じれば、私としてはこのコーディネーション以外に選択肢はない。スマホだけは Experia にするなんてわけにいかないのである。Apple の強みはここにあるのだろう。

スマホのマーケットをみれば、日本では iPhone のシェアがかなり大きいらしい。Windows PC を使っていた頃から iPhone ユーザーだった私の印象からすると、スマホが iPhone なのに PC が Mac じゃないというのは、日常的にちょっと損してると思う。機能的にはそれほど変わりがないとしても、ストレスが小さいというのは他のスマホでは代えがたい。

Apple のラインナップの強みは、この 「組み合わせによる使いやすさ」 なのだろう。少なくとも当分はこれで行こうと思っている。

今日は Apple の回し者みたいな記事になってしまったが、お金は全然貰っていないのでよろしく。

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2018/08/10

「かなとこ雲」 を巡る冒険

今月 3日の 「和歌ログ」 に、「薄れ行くかなとこ雲といふ雲の名前も知らず見上ぐる子らよ」 という歌をアップした。この日は大きな 「かなとこ雲」 が出ていて、夕方の薄れ行く頃に、それを見上げている子供たちが 「変な形の入道雲!」 なんて言っているのを聞いたことで詠んだものだ。

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「変な形の入道雲」 じゃなくて、「かなとこ雲」 という立派な名前があるのだが、最近の子たちは 「金床」 というものを知らないから、「かなとこ雲」 も当然ながら知らないのだろう。上の画像は 「かなとこ」 で画像検索した結果の一部だが、「かなとこ雲」 でググったわけでもないのに、雲の画像の方が圧倒的に多かった。

Wikipedia で調べると、「金床(かなとこ、鉄床、かなしき、金敷、鉄敷、鉄砧、ハンマー台) とは、鍛冶や金属加工を行う際に用いる作業台のことである」 と説明されている。最近の日本ではこうした作業自体が減っているので、当然ながら 「金床」 という道具を見たことのある子どもも減っているのだろう。

雲の形で言えば、上の画像の左上の雲がまさに上部が平らで、"金床そのもの" みたいな形をしている。ちなみに 「かなとこ雲」 でもググってみて、今回初めて知ったのだが、「学術名 "Incus" も、ラテン語で 『金床』 を意味する」 とある。英語でも "anvil cloud"(参照、anvil は 「金床」 の意) と称するらしいし、この特色ある形は、洋の東西を問わず同じ道具を連想させるのかと思ったが、「いや、待てよ」 と考え直した。

もしかしたら、この 「かなとこ雲」 という名称自体が、明治以後にできた翻訳語なのかもしれない。そう言えば、江戸時代以前の古典で、この名称が現れるのを知らないし (私が知らないだけかもしれないが)。このあたりの事情に詳しい人がいたら、コメント欄に書き込んでいただきたいものだ。

かなとこ雲は入道雲の高く盛り上がった最上部が 「対流圏界部」 にまで達すると、それより上に伸びることができないため、横に広がったものだという。道理できれいに平らに広がったものが見られるわけだ。

私としては 「入道雲」 を気象用語で 「積乱雲」 というように、かなとこ雲にもそれなりのもっともらしい専門的名称があるのだと思っていたのだが、Wikipedia によると 「雲形分類では、部分的に特徴のある雲を細分類した『副変種』 として扱われ、積乱雲だけに見られる」 ということで済まされていて、ちょっと力が抜けてしまった。

あんなに存在感に満ち満ちた雲なのに、学術的見地からは 「積乱雲の副変種」 でしかないのだね。

【追記】

本日の 「和歌ログ」 の方も、かなとこ雲に関する歌にさせていただいた (参照)。

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2018/08/09

台風 13号が去った

台風 13号が去った。茨城県つくば周辺では昨日からかなり風が強まり、とくに日が暮れてから夜中過ぎまでは、聞いたこともないほどの大きなごうごうという風の音が鳴りひびいて、沖縄あたりの人は毎年こんな音を聞いているのだろうが、東北生まれ、関東暮らしとしては、正直なところ結構緊張した。

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心配された雨は時々大粒の雨が叩きつけるように降るだけで、それほどのこともなく、ただひたすら風だけが強かった。夜が明けてみると、我が家の屋外に設置された給湯器の手作りの覆いなど、いろいろなものが庭に散乱していた。強風で吹き飛ばされてしまったようで、ホームセンターで資材を買って、作り直さなければならない。やれやれ。

こんな強風が吹いたのに、雨は大したことがなかったというのは、強い雨雲が台風の中心より東側の海上に集中して、西側の陸地ではあまり発達しなかったためらしい。その代わりに、風だけが吹き荒れたというわけだ。暖かい海面から立ち昇る水蒸気が雨雲を作り、陸地ではそれがなかったのだという。

台風が来る前は 2〜3日、涼しく感じるほどの曇り空が続いたが、去ってしまえばまた元の暑さである。「好きな季節は?」 と聞かれて 「夏!」 と答える子どもは、今年激減してしまったんじゃあるまいか。

それにしても今年の台風は、なんだかいつもとコースが違うような気がする。お馴染みなのは、南の海上から北西に進んで沖縄や九州、四国の辺りを通り、その後に北東に向きを変えて、弱まりつつ東日本に向かうというものだ。ところが今年は、いきなり東海から関東付近を目指して来るような気がする。とくに先日の 12号なんていうのは、それから西日本に行ってしまった。

何しろ温暖化で、地球の自然環境はおかしくなってしまっているらしいから、これからも 「これまでに経験したことのない」 という、最近お馴染みのフレーズで形容される気候現象が頻発するのだろう。気が重くなってしまうではないか。

今月後半はやたらと出張が相次いで、関西と九州と山陰に行かなければならない。台風とタイミングが重ならないように祈るばかりである。

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2018/08/08

東京医科大の 「女子一律減点」 から透けて見えてきた深層意識

例の東京医科大の 「女子受験者の一律減点」 という問題は、丈夫が取り柄で医者にあまり縁のない私としては 「ちょっと別の世界のお話」 という気がして無視してきた。しかしこれに関して 「女性医師の 6割が理解」 (参照) というニュースを読んで、とたんに自分の守備範囲に入ってきたような気がしている。

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まず、「なんだかなあ」 という気がしたのは、西川史子という人 (この人も医師らしい) が 「医大の合格者操作は当たり前のこと」 と発言したという記事 (参照) を読んだ時だ。医大が女子の一律減点を行うのは、東京医科大に限らずどこでもやっていることで、それをしないと女子は優秀だから、合格者が女性ばかりになってしまうと言い、こう続ける。

「そうすると、世の中が眼科医と皮膚科医だらけになっちゃうんです。例えば股関節脱臼のケースなどで人の重たい部位を背負えるかといったら、女性では無理なんですよ。だから女性の外科医は少ない。やっぱり外科医になってくれるような男手が必要なんです。だから、男性と女性の比率等はちゃんと考えていないといけないんですよ」

下手するともっともらしく聞こえてしまうが、「世の中が眼科医と皮膚科医だけになる」 なんてことは、市場原理から言ってもありえない。好きこのんでわざわざ競合の激しい分野に進むという人は多くないから、自然にある程度のバランスはとれるというのが、マーケットの常識というものである。

それに、「外科手術って、医者が 1人だけですると決まってるわけじゃあるまいよ」 と指摘するだけでも、この論理はナンセンスになるだろう。力仕事はそばにいる看護師の手を借りればいいじゃないか。それに、外科医だってそんなにしょちゅう力仕事ばかりするわけじゃなく、ちょっとした怪我の傷口を縫う手術みたいなことも多いだろうよ。

「女性医師は結婚や出産で職場を離れることが多い」 という理窟に対しても、「だったらどうして、看護師は女性ばっかりなんだ?」 と言いたくなってしまう。これは結局、「元々女性を排除したいという男性論理から出た勝手な理窟」 という側面が強いんじゃあるまいか。

誤解を招きやすい表現かもしれないが、女子の一律減点に理解を示す女性医師には、「私ってば、そんな逆境のはるか上を通って、スルッと合格したんだから、並みの合格点の女の子なんて、どうでもいいわ」 とでもいうような、ちょっと嫌らしい優越感すら感じられても、仕方ないかもしれない。当人はそんなつもりじゃないのかもしれないが、深層意識まで踏み込んだら、まったくないとは言えないだろう。

上でリンクした記事には 「背景に無力感か」 というサブ見出しがついているが、無力感どころか 「複雑な優越感」 まで絡み合って問題をややこしくしていると、私は思ってしまう。

さらに私は、例の 「LGBT には生産性がない」 と言った杉田水脈という国会議員とも一脈通じるものを感じる。杉田氏はこの発言が報道されてからというもの、代議士という 「オッサン社会」 の中の 「名誉男性」 的な存在であると、あちこちで指摘された。

女性医師の中にも、意識しないうちに 「オッサン社会の価値感」 に染まって 「名誉男性」 化している人が結構多いんじゃあるまいか。これに関しては 「もし間違ってたらゴメンね」 と、いつでも謝っちゃう用意はあるが、「多分とんでもない見当外れではなかろう」 という自信はある。

この辺りの複雑な感覚に関連するようなことを、河合薫さんが 「日経ビジネス」 に "東京医大事件と 「女医と患者の死亡率」 のねじれ  ジェンダー・バイアスは組織の隅々まで" と題して書いている。なかなかおもしろい指摘なので、一読をオススメする。

そうそう、そういえば、「女性医師にかかる方が死亡率が低い」 という研究があるんだった。先月 14日の 「健康に良い食べ物と、悪い食べ物」 という記事でも採り上げた、津川友介さんという方の研究によって明らかになったデータで、Diamond Onlineの "「死にたくなければ女医を選べ」  日本人の論文が米で大反響" という記事で紹介されているので、これも読んで見るといい。

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2018/08/07

「サギ = 鷺」 のアクセントに関する 「まともな」 レポート

先日、栃木県の大田原市だったかでシラサギが増えすぎて困っているというレポートをテレビで見た時、アナウンサーのアクセントに少々違和感を覚えた。私は 「サギ」 (「詐欺」 ではなく、鳥の 「鷺」 ね。念のため) という名詞のアクセントは、頭高型 (「詐欺」 と同じく、「さ」 が高い) と思い込んでいたのだが、アナウンサーは平板型 (「先」 などと同じ) でナレーションしていたのだ。

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「へえ、鳥の 『サギ』 のアクセントって、平板なんだ!」 と驚いて、さっそくググって見ると、「鷺のアクセント」 というブログ記事が見つかって、こんな風に書かれている。(リンクは敢えて示さない)

NHKを見ていたら 「鷺」 が 「さ」 というアクセントになっていた。いや、平坦アクセントだったかな? 早速調べてみたら、「ぎ」 を強く (高く) 読むのが正しいそうだ。

申し訳ないが、はっきり言って、かなり 「イタい記事」 である。こんなのがググった結果のトップに表示されるのは、日本人として放っておけない。

この人、日本語のアクセント (イントネーションというべきという議論もあるが) ということがわかっていない。まず NHK のアナウンサーの 「鷺」 が、「ぎ」 の字をわざわざ大きく書くように聞こえたという点で、完全に耳がおかしいし、重ねて 「平坦アクセントだったかな? 」 というのだから混乱が深まっている (「平板型」 という用語を知らないようだし)。ダメ押しで、「調べてみた」 結果の解釈が滅茶苦茶だ。

この人が一体何で調べたのか知らないが、私も今日、ようやく図書館に行く時間ができたので、「NHK 日本語アクセント新辞典」 で調べが付いた。下に画像で示す。

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ご覧の通り、「さぎ ≪×鷺≫ のアクセントは、「サギ」 の右側に赤い平らな線が付いており、即ち 「平板型」 であることが示されている。上述のブログの筆者もこの辞典で調べたのだとしたら、「ギ」 の右上に線が付いているので、つい "「ぎ」 を強く (高く) 読む" なんて思い込んでしまったんだろうが、「ぎ」 を高くいうなら 「サ/ギ」 と表示されるはずで、これはすぐ下の 「さぎ 【詐欺】」 が 「サ\ギ」 になっているので分かりそうなものだ。

ちなみに、「き」 に 「ぱぴぷぺぽ」 に使われる小さな 「マル」 が付いているのは、鼻濁音で発音されることを表している。そして 「×鷺」 となっているのは、NHK としては原則的に漢字は使わずに 「サギ」 と表示するということだ。なるほど、結構厳密に決められているのだね。

というわけで、ネットの世界にはこれまで 「サギ = 鷺」 のアクセントについて読むに足る記事が存在しなかったようなので、ここで (多分) 最初の 「まともな」 レポートを掲げさせていただくことにする。

で、これで済ませてしまったら、おもしろくもなんともないので、言葉にこだわるビョーキの私としては、語源にまで遡ってみることにする。「鷺の語源」 について 「語源由来辞典」 で調べてみると、次のように諸説ある。(参照

羽が白いから 「サヤケキ (鮮明)」 とする説
鳴き声が騒がしいことから 「サワギ (騒)」 とする説
「サケ (綿毛)」 「サケ (白毛)」 と羽毛に由来する説
「キ」 は 「トキ」 「シギ」 などと同様、「鳥」 を意味する接尾語で、「白い鳥」 を意味する
水辺の鳥なので 「イサ (磯)」 に 「キ (鳥を意味する接尾語)」 がついた

なるほど。思い込みからすると平板型の 「サギ」 というアクセントにはかなり違和感を覚えてしまうが、語源まで遡ると、いずれの説を採るにしても平板型が自然であるような気もしてくる。ただ、「トキ」 が頭高型で、「シギ」 が平板型なのは、「ギ」 と鼻濁音になると平板になるのかなあ。

まあ、ここまでくると疲れたので、そのあたりのことは今日は目をつむっておこう。

ちなみに、アクセント辞典で調べてしばらくしてから、「シラサギ」 とか 「アオサギ」 とかいう場合には、自然に平板型で言っていることに気付いた。「詐欺」 の場合は 「寸借詐欺」 とか 「結婚詐欺」 とかいう場合にも、元の形通りに 「さ」 にアクセントを置いているから、やはり元々のアクセントが違うのだろう。

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2018/08/06

「オリンピックの酷暑対策」 でサマータイム導入とは

政府・与党が東京五輪の酷暑対策として、いわゆるサマータイム導入の検討に入ったんだそうだ。平成31、32年の限定導入で、夏の間の時間を 2時間早めるのだという。(参照

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私は若い頃はずっと 「日本もサマータイムを導入してくれないかなあ」 と思っていた。夏は日の出が早くて、薄い夏用カーテン越しに日が差し込むから、どうせ早く目が覚めてしまうし、サマータイムにすれば、仕事もかなり明るいうちに終えることができる。とくに緯度の高いヨーロッパ諸国だと、夏時間の間は 「アフター 5」 の時間がやたら長くて楽しいので本当にうらやましかった。

今は 9時 - 5時の仕事から解放されたので、自然に朝の 5時前に起きて、実質的なサマータイムで暮らしているが、なかなか快適である。とくに今年みたいな猛暑の夏は、既に 30度を超した時間帯で朝の通勤電車に押し込まれなければならない勤め人が不憫に感じられる。

というわけで、私は基本的にサマータイムに賛成の立場なのだが、今回の政府案はちょっとおかしい。

まず 2年間限定というのがひどい。現代はどこの世界も IT システムで動いていて、ある日を境に時間を進めたり遅らせたりするのはちょっとした手間なのだが、それを恒久化するというならまだしも、2年経ったら要らなくなるシステム変更へのまともな投資なんて、誰もしたくない。いい加減な対策で不具合続出なんてことになりかねない。

さらに、時計を 2時間進めるというのもびっくりだ。いきなり 2時間も早められたら、体内時計の調節が大変だろう。1時間早めるというのが欧米のスタンダードだから、日本もそうすれば時差の計算に戸惑わなくて済むのに、2時間早めたらますますイレギュラーになってしまう。

そもそもオリンピックの酷暑対策というなら、マラソンのスタートを早朝にすればいいだけのことで、時計を 2時間早める必要はない。そんないいかげんな間に合わせのコンセプトだから、本来の "daylight saving time" (「日光節約時間」 と訳せばいいのかな) の趣旨から外れて、「残業が増えるに決まってる」 などという反対論まで出てくる。

要するに 「仕事を明るいうちに終えて、アフター 5 を楽しもう!」 という意識改革を前提にしなければ、サマータイムは、単なる 「早起き強制・残業促進制度」 にしかならないのだよ。

ちなみに、日本も戦後の一時期サマータイムを実施したことがあって、その時のことが漫画 『サザエさん』 のネタになっている。この頃は 「サンマータイム」 なんて言ってたのね。隔世の感がある。

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2018/08/05

大塚家具は、末期的状態らしいので

朝日新聞が 「大塚家具、日曜なのに店内ガラガラで末期状態」 と伝えている (参照)。この記事は "大塚社長の手腕で不死鳥のように復活を果たすのか、それとも 「倒産」 に向かって進んでしまうのか。同社株主たちの眠れぬ夜は続きそうである" と結ばれている。

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大塚家具といえば、今どき誰も買わない 「婚礼三点セット」 とか 「桐箪笥」 みたいな家具を売る企業だとばかり思っていたが、画像検索してみると、上の写真ようにかなり 「お洒落な」 ソファみたいなものばかりで、いくら何でも婚礼三点セットなどは見当たらない。売っていないわけじゃないのだろうが、少なくとも主力商品の座はとっくに明け渡しているようだ。

そうなると会社のイメージが、現状についてきていないのだとわかる。大方の消費者は、「店に行っても、どうせ 『昭和の世界』 なんでしょ」 と思っているから、当然の如く客足も落ちる。はっきり言えば、「大塚家具」 という社名が悪さをしているのだ。「昔の 『大塚家具』 じゃない。今どきの家具もちゃんと置いてる」 とわかれば、少しは客足も伸びるだろう。

しかし、イメージチェンジに成功したとしても、私のような消費者は決して足を運ばない。価格帯が高すぎて手が出ないと知っているからである。セレブな部屋にセレブなソファやテーブルを並べたいなんて、まったく思っていないから、いくら 「お洒落な家具もありますよ」 と言われても、私は大塚家具のターゲットではないのだ。

朝日新聞の記事も、 「隣接のニトリは客が溢れ返り熱気充満」 と、大衆価格のマーケットとは市場規模が全然違っていることを伝える。一点当たりの平均単価はニトリの製品より 10倍ぐらい高いのだろうが、客数が圧倒的に少ないので、イメージ的にどんどんジリ貧になる。

というわけで、大塚家具のようなビジネスモデルは、既に歴史的使命を終わりかけているのだろう。倒産しないで存続するためには、外聞を気にせずに、規模を思いっきり縮小しなければならない。

朝日新聞の記者の視点では、「不死鳥のような復活か、さもなくば倒産か」 という二者択一の運命しかないような書き方になっているが、「不死鳥のような復活」 なんて求めたら絶対に潰れる。ここは、「近頃はなかなか話題にならないけど、どっこい、高収益モデルとして生き延びてます」 みたいな企業になるしかないではないか。

いずれにせよまったく思い入れのない企業だから、どうなっても知ったことじゃないのだが。

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2018/08/04

「タンパク質を水に変える」 という表現

はるぶーは㍇ヲタクで会うと案外いい人です という長いハンドルネームの方が、とてもおもしろい tweet をしておいでだ。「タンパク質を水に変える」 という触れ込みのハンカチについて、その表示がおかしいと指摘しておられるのである。「花粉・汗・ニオイのタンパク質を水に変えるハンカチ」 という、魔法使いみたいなフレーズだ。

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最初の tweet は 「娘が、【タンパク質を水に変える】 とかいうありがたいハンカチを旅行のお土産に高かったぞ! とか言って買ってきて、元素変換など触媒で可能なはずはなかろうで……」 (参照) というもので、確かに、私のような文系人間でも 「タンパク質を水に変える」 なんてことは不可能だとわかる。できるのは、「タンパク質を水と何らかの物質に分解する」 ことだろう。

問題はその次の tweet で、「元素変換ができると考える時点で、理系的センスゼロである。私大文系あたりに行くのが適当」 とおっしゃっている (参照) のだが、はばかりながら、その 「私大文系そのもの」 出身の私でも、触媒を使って元素変換ができるなどとは、いくらなんでも考えない。だから 「汗のタンパク質を水に変える肌にやさしいハンカチ」 という表示を見た時点で、ひっくり返りそうになった。

これは要するに、最低限の理系知識さえあれば 「言葉として」 こんな表現は成立しないという、文系要素の大きいマターなのだ。このハンカチを展開する川辺という会社 (私は繊維畑のキャリアが長いから、この会社はよく知ってるんだけど) には、お願いだから 「タンパク質を水と〇〇 (例えば 「無臭物質」 というのでもいいかも) に分解する」 と言い換えていただきたいものなのである。「水に変える」 では端折りすぎだ。

「よく JARO が見過ごしてるな」 と思ったが、「かなり曖昧だけど、分解されて水ができるのは本当だから、まあいいんじゃないの」 ってな感じになっちゃってるのかもしれない。知り合いの理系人間の多くも、「化学式じゃないんだし……」 みたいなことで逃げがちだ。

逆に私のような文系人間の方が言葉の表現にこだわったりする。はるぶーさん (悪いけどハンドル省略) は理系のようだが、このあたりにこだわるだけ立派である。

で、最後はこんなオチ。はるぶーさんは続けて 「そもそも、このハンカチの触媒が効き目があったとしても綺麗になるのはハンカチであって、その触媒をパパに吹きかけなければ意味がないのではないか?」 (参照) と tweet しておられて、「そう言や、その通りだわな」 と、私も納得してしまった。

販売元の川辺としては 「これで汗を拭き取るので有効」 というココロなんだろうが、ハンカチで全身の汗を拭き取るわけじゃないしね。

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2018/08/03

飛騨国行きはお預けになってしまった

今年 3月 23日に 「何としても飛騨に行ってみたくなった」 という記事を書いていて、今年のお盆過ぎはそのチャンスだと思っていた。京都と博多に出張することが決まっていて、その前に名古屋で途中下車し、未踏の地である飛騨の高山に寄り道しようと計画していたのである。

180803

で、今日は外出したついでに、名古屋から高山行きの 「ワイドビュー 特急ひだ」 の切符を買うために駅に寄った。この特急は JR 東日本管轄ではないので、指定券の自動販売機では買えず、「みどりの窓口」 に並んで申し込んだら、窓口担当者が 「ありゃ、これはちょっと —— うぅむ、ちょっとお待ちください」 と、難しい顔をして別の端末で何やら調べている。

何事かと思っているうちに調べがついたようで、「申し訳ありません。名古屋からの高山本線は、先日の豪雨で土砂崩れが発生しておりまして、しばらく運行できない状態になっています」 という。いやはや、広島や岡山の路線がメチャクチャになっているとは知っていたが、高山本線まで運行停止になっていたとは知らなかった。

そんなことなら仕方がない。今回は高山への寄り道は諦めて、直接京都に行く切符を買った。飛騨国を訪れるには、まだ縁が熟し切っていないようなのである。

ちなみに、帰宅して調べ直してみてわかったのだが、名古屋から高山までは高速バスも運行していて、特急より 30分余計に時間がかかる程度で行けるらしい。「なんだ、これなら諦めることもなかった!」 と思ったのだが、前もって予約しておいた高山のホテルをキャンセルした直後だったし、改めて計画を練り直すのも億劫になってしまった。

考えてみれば、よりによってこんな暑い夏に飛騨国を訪れることもなかろう。ネットで調べてみれば、この夏の高山の最高気温はフツーに 35℃を越えている。無理矢理に行っても暑さでヘトヘトになりそうだし、下手するとその後に続く京都と博多での強行軍の仕事にも影響しかねない。せっかく初めての土地に行くのなら、もう少し涼しい時分がいいだろうと思い直したのだった。

というわけで、飛騨国行きはお預けになってしまったのである。秋以後に、高山と白川郷をゆっくり訪れる機会を作りたい。

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2018/08/02

FAX という 20世紀文化の力

昨年の 3月 30日に、FAX は 「ここ 2年近くまったく受発信していない」 と書いていて (参照)、翌月下旬には取り外してしまった (参照)。3年以上 FAX とは無縁の生活だが、まったく不便は感じない。

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近頃では、FAX はすっかりその歴史的使命を終えたものとばかり思っていたが、近くに住む知り合いに 「新しい FAX を買ったんだけど、設置の仕方がわからないから、お願いできないかな」 と頼まれてしまった。この人、この類いのことは何でも私に頼めば済むと思っている。

「やれやれ」 と思いつつその家に行き、ヒョイヒョイっと設置して、ついでに「ワンタッチ・ボタン」 と、内臓の電話帳の番号登録もしてあげて、コーヒーとケーキをご馳走になった。

コーヒーを飲みながら、「それにしても今どき、FAX を使うことなんてあるんですか?」 と聞くと、70代前半の彼は、仲間内との連絡で月に 1〜2度は使うことがあるという。しかし最も頻繁に使うのは彼の妻で、手芸とか生け花とかのサークル活動をしているので、メンバーと連絡を取り合うのにほとんど毎日使っているという。

「サークルの連絡だと、同じ原稿で何回も送らなきゃいけないから、電話代かさんじゃうでしょう」 と言うと、「いや、そこはうまくやってるみたいで、1人が 2人に順ぐりに FAX してつないでいくというシステムにしてるみたいだね」 という。昔の 「PTA の 連絡網」 みたいなことをしてるわけだ。

「いずれにしても、奥さんだってケータイもってるみたいだし、メールで連絡し合えば楽なんじゃないの?」
「いやいや、やっぱり紙に手書きしたのを FAX で送る方が、しっくりくるみたいだね」
「だったら、手書きした紙を写真に撮って、メールに添付して送ればお金と時間の節約になるのに」
「メールに写真を添付するなんて、できるわけがない。そんなの私だってできないもの」

なるほどね。この人にかかると、単に使い切ったインクフィルムを交換するのでも、「こないだ FAX が故障して印刷できなくなっちゃったから、取扱説明書見ながら、やっとの思いで自分で修理したよ」 ってなことになっちゃうほどだからね。「消耗品交換」 というルーティン・ワークが、「修理」 という一仕事になってしまう。

そうこうしているうちに、設置したばかりの新しい FAX のベルがなり、しばらくして受信内容がジーコンジーコンと印刷されて出てきた。手芸サークルから、丸っこい文字に手書きのイラストとハートマーク満載の 「お知らせ」 である。

なるほど、ベルが鳴ってから印刷完了まで、どうみても 2分近くかかっているが、とくに急ぐでもないから楽しんでやってるわけね。20世紀は、今もこうして脈々と生きているのである。

帰りに途中のケーズデンキに寄って、まだ FAX 売り場なんてのがあるのか見てみると、1万円台から 4万円台まで、8機種ほど陳列されていた。FAX というのは、今でもしっかりと現役のようだ。

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2018/08/01

女性の校長はまだ少ない

先日、80歳を過ぎた女性で、以前は小学校の校長をしていたという人とお会いする機会があった。さすがに聡明な方で、話をしていても楽しかった。

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「20年以上前は、女性の校長先生がとても少なかったんじゃないですか?」 と訊ねると、「いえね、当時はそんなに珍しいことじゃなくて、今よりも多いんじゃないかという印象だったんですよ。でもね、最近改めて統計資料を眺めてみたら、今の方がずっと多いのね。私の印象と全然違うので、びっくりしちゃったんですよ」 とおっしゃる。

上に掲げたのは、舞田敏彦さんという教育社会学者がまとめられた 「校長・学長のジェンダー指標」 という表である。彼の 「データ・エッセイ」 というブログから転載させていただいた (参照)。確かに、彼女が校長を務めていた頃に近い 27年前の 1991年の小学校の女性校長は 4.93% だが、15年経った 2014年では 19.05% と、比率で言えば 4倍近くにまで増加している。

彼女が言うには、「当時は、女性教員はある程度の年齢になると、田舎の小さな小学校に転勤になる傾向があって、そのままそこで教頭、校長になるというケースが多かったんです。私も田舎の小学校で校長になったので、周囲を見回すと女性校長が多いという印象をもってしまったんでしょうね」 ということだった。

彼女の印象が事実だとしたら、当時は 「二重の女性差別」 があったわけだ。小学校全体での女性校長の割合が 5% にも達せず、しかもただでさえ少ない女性校長は、田舎の小さな小学校に集中していたというのだから、かなり気持ちの悪い話である。

このあたりの事情は、この 20年ほどでかなり改善されてきたようだし、小学校のあり方というのは都道府県によってかなり違う。だから一概には言えないだろうが、まだまだ 「男女平等」 にほど遠いのは確かなようだ。とくに中学校の女性校長の比率は、今世紀に入っても驚くほど低い。

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