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2018年10月に作成された投稿

2018/10/17

ゴロゴロ (キャスター付スーツケース) の扱いについて

先日 「一番やりたくないことは何ですか?」 と質問されて、即座に 「人の邪魔になること」 と答えた。ということは、自分自身が、他人に邪魔されることを一番苦痛に感じるということなのだろう。それだからこそ、他人の邪魔もしたくないというわけだ。

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今日も 2泊 3日の出張から戻ってきたばかりなのだが、旅行中に駅のホームなどの混雑したところを歩いていて、他人が目の前に立ち塞がってしまうのには本当にいらいらする。まあ、大抵は旅慣れていないオバサンの団体だったりするのだが、通路一杯に広がって立ち話に花を咲かせ、自分たちが通行の邪魔になっていることをちっとも意識していない。

団体で通路一杯に広がるだけでなく、人の歩いている前に急に横から現れていきなり立ち止まったりするのも、それほど混雑しているわけでもないのに人の目の前スレスレをぶつかりそうになりながら横切ったりするのも、大抵オバサンだ。

ホテルのビュッフェスタイル (ホントの発音は、「バフェイ・スタイル」、いわゆる 「バイキング形式」 のこと) の朝食で、多くの人が食材を自分の皿に取るために列に並んでいるのに、4〜5人で 「まあ、サラダもいろいろあるのね、どれにしようかしら」 とか、「目移りするわねえ」 なんてキャアキャア言いながらちっとも前に進んでくれないのもオバサン連である。

そして散々迷いながら目一杯のおかずを皿に盛り付け、結局食い切れなくてどっさり残飯入れに捨てるのもまた、オバサンたちである。まあ、それはもう、どうこう言ってもしょうがないので、じっと耐えているわけなのだが、たった一つ、本当に気をつけてもらいたいことがある。

それはキャスター付きのスーツケース (いわゆる 「ゴロゴロ」) を、ずいぶん体から離して後ろ手に斜めにして引きずって歩くことだ。混んでいるところでこれをやられると、目の前を横切ったオバサンの後ろに引きずられているゴロゴロにつまづいたり、蹴飛ばしたりしてしまう。これ、案外危ないのだ。

混雑したところでは、お願いだから、体の横にぴったりと付けて転がしてもらいたいのである。それから、エスカレーターに乗るときは、大きなゴロゴロを自分の横においてステップの両側を塞いでしまわずに、自分の直前のステップにおいてもらいたいものだ。

本当にこの、「ゴロゴロの扱い」 だけは気をつけていただきたい。本当に危ないから。

旅慣れなくて人の邪魔にばっかりなってしまうというのは、多くのオバサンたちのほんの一部なのだろうが、こうした人たちのおかげで、オバサン全体が変な目で見られてしまうのは、ちょっと気の毒なことでもあるのだよね。

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2018/10/16

「こたべ」 という名の京都のお菓子

今日、京都駅のみやげ物売り場でいいものを発見した。京都名物 「生八ツ橋」 の子ども版である。生八つ橋は 「おたべ」 という商品名で売られていることが多いのだが、その子ども版なので 「こたべ」 なのだろう。「おたべ」 は 2口サイズで、「こたべ」 は 1口サイズである。

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実は、私は生八ツ橋が好物なのである。普段の食事では甘いものは避けたいクチなのだが、生八ツ橋ときんつばは好きなのだよね。どういうわけか。

で、これまでは京都土産に生八ツ橋を買っても、土産を持って行く相手の口には入っても、自分の口には入らないのが少々不満だった。「実は俺だって食いたいんだけど」 と思ってしまうのである。

ところが、この 「こたべ」 は値段が 350円と非常に手頃なので、自分用に軽い気持ちで買ってしまえるのだ。それで、人にあげるのはちょっと大きめのを買って、自分はこっちを買って食べることで、これまでの不満解消ができるというわけだ。

調べてみると、2013年から季節限定で販売されているらしい。これまで知らずにいたのがちょっと悔やまれてしまうよ。

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2018/10/15

「プサプサ」 って何かと思ってたよ

ずっと気になっていた CM があって、最近ようやくその謎が解けた。自動車メーカーのマツダの CM で、なんだか知らないが、必ず 「プサプサ」 という呟きみたいなのが入る。「一体、それ何のこと?」 と思っていたのだが、最近まともにテレビの画面を見る機会があって、そこには "ZOOM ZOOM" と表示されているではないか。

「なるほど、そうだったのか」 と合点した。マツダとしては "ZOOM ZOOM" と言ってるつもりなのだが、何しろ気取った調子の無声音なので、画面を見ずによそ見してると 「プサプサ」 としか聞こえないわけなのだよね。試しに上に貼り付けた動画の最初の音だけ聞いてみてもらいたい。どう聞いても 「プサプサ」、最大限好意的に聞いても 「プサンプサゥン」 がせいぜいだ。

それにしても、同じ無声音で気取って囁くにしても、もう少しちゃんと "ZOOM ZOOM" に聞こえる発音の仕方があるだろうよと言いたくなってしまう。なんでまた、こんなにも 「プサプサ」 になってしまうのだろうか。録音に立ち会ったエンジニアたちは、気持ち悪くなったりしなかったんだろうか。

ところでこの "ZOOM ZOOM" というのは、一体どういう意味合いで使っているのだろうと不思議に思い、ちょっと調べてみると、「日刊英語ライフ」 というサイトの 「マツダの CM の “zoom zoom” ってどんな意味?」 というタイトルのページが見つかった。このページの説明によると、 “zoom zoom” というのは、要するに 「擬音語」 なんだそうだ。

念のために Weblio 辞書にも当たってみると、「ブーンという音を立てる、ブーンと音を立てて走る、急角度で上昇する、急騰する」 という意味の動詞で、名詞としては 「ブーンという音」 という意味になるとわかった。なるほど、要するにクルマのエンジンの 「ブーン」 という音が、英米人の耳には "zoom" と聞こえるというわけなのだ。

ただ、クルマのエンジン音を表しているというなら、やっぱり 「プサプサ」 に聞こえてしまう 「囁き」 はおかしいだろうと思ってしまうのだよね。同じようなことを指摘している人が他にもいないだろうかとググってみたが、驚いたことに、1件も見つからなかった。みんな気にならないのかなあ?

それとも、きちんと画面を見ながら聞いていると、表示された文字の強制力で "ZOOM ZOOM" に聞こえてしまうのだろうか? 人間の五感というのは、本当に当てにならないものである。

【追記】

何だか、私が 「英語の発音」 について問題にしていると受け取られているような気がするので、誤解防止のために念のため書き添えておくが、これはそういう問題じゃなく、気取って無声音 (息だけ) で囁くと 「プサプサ」 に聞こえるんだから、ちゃんと有声音 (声帯を震わして) で "ZOOM ZOOM" って言ったらどう? という話である。

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2018/10/14

きのこ狩りの遭難が増える

今年はきのこが豊作らしいのだが、一方できのこ狩りで山に入った人の遭難も増えているらしい。NHK ニュースまで 「きのこ狩りで遭難相次ぐ 急斜面などでは注意を」 と呼びかけている。

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本当に、今年はちょっと山に入っただけできのこがどっさりなっていることに気付く。きのこ好きの人は大喜びだろう。ただ、私は食べられるきのこと毒きのこの区別がつかないので、いかにもおいしそうなきのこが固まって生えているのを見つけても、採ることもせず、泣く泣くそのままにして帰って来ている。

きのこ狩りで遭難するのは、圧倒的に老人が多いらしい。近頃は団塊の世代が軒並み 70代に突入している。若い頃は足腰が達者だったのだろうが、70代に入ればさすがに衰える。自分の体力を過信して山奥に入ったり、急斜面に踏み込んだりして遭難してしまうケースが増えているのだろう。

地方に行けば行くほど平均年齢が上がり、田舎では子どもの姿がほとんど見えず、年寄りばかりである。ちょっと前までは、「どこから見ても年寄り」 という 70代半ば以上の層の下に、段階の世代の分厚い層が存在した。せいぜい 60代の元気なオッサン、オバサンたちである。

ところが、最近は彼らが 70代となり、その下の層は急に手薄になっている。つまり、「田舎は年寄りばかり多い」 ということがますます明白になってしまったのだ。こうした老人たちが、若い頃のようなつもりで山に入るのだから、遭難も増えるだろう。本当に気をつけなければならない。

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2018/10/13

「サイレンスタクシー」 という取り組み

京都の都タクシーというタクシー会社が、昨年から 「サイレンスタクシー」 という試みを実施しているのだそうだ。運転手から客に必要以外の話しかけをすることを控えているという。下は車内の表示だ。

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先月、九州の某都市に出張した際にタクシーに乗ると、カーラジオで沖縄県知事選に絡めて 「米軍基地の辺野古移転反対運動」 についてのニュースが流れていた。すると中年過ぎの運転手が舌打ちしながら、「お客さん、この問題どう思います?」 と話を振ってきたのである。

「やべ、またこのシチュエーションだ!」 と私は身構えた。勝手な思い込みかも知れないが、経験則からして、政治的議論をふっかけたがるタクシー運転手のほとんどは 「心情右翼」 である。単に左翼が嫌いで、心情的に政権側の方にシンパシーを覚えるというタイプだから、「だって、そうでしょ」 という言い方しかできず、まともな議論になんかならない。

「今の嘉手納基地の方が人口密集地にあって危ないんだから、辺野古に移す方がいいに決まってるじゃないですか。左翼の連中が反対してるのは、反対のための反対でしかないでしょ。そう思いませんか、お客さん」

「そう思いませんか、お客さん」 という言い方は、「そうですよね」 という返事を強要する言い方でしかない。何しろこちらの命の安全は向こうの手に握られているのだから、真っ向切って対立的議論なんてしたくない。運転手があんまり熱くなって事故なんか起こされたら最悪だ。

心情右翼の基本的メンタリティというのは、「軟弱な左翼を見下して、自分の優位性を確保したい」 ということにに尽きると思っている。ということは、「軟弱な左翼以外の反対論というのもあるのだよ」 という当たり前のことを冷静に示すと、彼らはとたんにストレスを感じてうろたえる。こちらの命のリスクが増すってことだ。

仕方なくのらりくらりと相づちを打っているうちに目的地に着いてほっとしたが、あの類いの 10分か 15分という時間を過ごすのは、かなり苦痛だ。タクシーに乗っている間は天気の話とか、他愛のない話題だけにしたいものである。

その意味で、都タクシーの 「サイレンスタクシー」 という試みはありがたい。「無音タクシー」 という言葉はちょっと変だけど。

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2018/10/12

「人間ドック」 と 「人間犬」

先日夜遅く、カーラジオを聞きながら帰宅する途中、番組に登場した某お笑いコンビが 「人間ドッグ」 の話題で盛り上がっていた。「人間ドッグって、入ったことある?」 「こないだ初めて入ったけど、やっぱり若いうちに入っといた方がいいよ、人間ドッグ」 などと続き、聞いていてムズムズしてしまった。

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言うまでもなく 「人間ドッグ」 では 「人間犬」 ということになってしまい、正しくは 「人間ドック」 である。船の点検や修理などをする 「ドック (dock)」 を、人間の体の総点検に喩えた言い方だ。

しかし私の印象では、日本人の 60%以上は 「人間ドッグ」 と言っているんじゃないかと思う。Yahoo 知恵袋にも、「人間ドッグの意味を教えて下さい。なぜドッグ (犬?) なのでしょうか」 なんて質問が寄せられているぐらいのものだし。

先日のラジオ放送でも、さんざん 「人間ドッグ」 を連発し続けても、スタッフからのダメ出しがなかったように見受けられる。スタジオには 「人間ドッグ」 が間違いと知る者がいなかったのだろうか。それとも、単にうっかり気付かなかったのだろうか。

で、ふと思いついて 「人間ドッグ」 でググってみると、さすが Google で、正しい言い方の 「人間ドック」 での検索結果もちゃんと気を利かせて表示してくれるが、「人間ドッグ」 もかなり多く引っかかる。とにかく日本中の 「人間ドッグ」 機能のある病院が、いくつも表示されてしまうのだ。

ただ、Google 検索では 「人間ドッグ」 で引っかかっても、そのページに飛んでみると、ちゃんと 「人間ドック」 と表示されている場合がほとんどだ。

病院からの発注でウェブサイトを制作したやつが 「人間ドッグ」 と思い込んでいて、そのように作り込んでしまい、チェックの段階で 「おいおい、ウチは人間犬じゃないよ、ちゃんと 『人間ドック』 に直しといて」 と言われて慌てて修正したのだろう。ただ、ソースの 「ページタイトル」 の部分までは修正し忘れがちなので、Google 検索結果では 「人間ドッグ」 で表示されてしまうのだろうと推察する。

やっぱり定期的に受けた方が良い? 人間ドッグ」 なんていう大真面目なページでは、「人間ドッグ」 と 「人間ドック」 の表示が混在してしまっていて、かなりの混乱が見て取れる。これは病院の営業用ページじゃないので、ついチェックがいい加減になっちゃったんだろうね。

そうかと思うと、”越谷レイクタウン内科 「人間ドッグについて」” というれっきとした営業用ページは、ソースのページタイトルも、実際のページの表現も 「人間ドッグ」 で統一されている。大したものだと思いかけたが、URL が "https://laketown-clinic.jp/dock/index.html" となっているために画竜点睛を欠く。一貫性の確保のために "dog" としておけば満点だったのに。

関連業界まで範囲を拡げると 「健診・人間ドッグ向けサプライアイテム セール一覧 【AXEL】 アズワン」 というページは破綻なく 「ドッグ」 で一貫している。

ちなみに 「人間ドック」 というのは和製英語 (和製半分英語?) で、英語で "human dock" なんて言っても通じない。しかしよく調べてみると、イギリスの口語表現で 「彼は入院中だよ」 ってことを "He is in dock now." とか言うことがあるみたいなので、もしかしたら、こうしたところから 「人間ドック」 という言葉ができたのかもしれない。

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2018/10/11

魚の 「中骨」 って、背骨だったのか!

いやはや、知らないことってあるものだ。還暦を遙かに過ぎて初めて知ったことというのがいくらでもある。そのうちの 1つが、魚の 「中骨」 というヤツだ。

 

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マルハの缶詰に 「さけ中骨水煮」 というのがある。確かにコリコリした感触の骨が煮込んであるが、全然問題なく食べられる。私はこの 「中骨」 というのは、「中ぐらいの骨でも、食べられるように柔らかく煮込んだもの」 ということなのだと思っていた。なにしろ 「なかぼね」 と読むのか 「ちゅうこつ」 と読むのかさえアヤシかったのだから、困ったものである。

ところがふと思い立って調べてみると、「魚の身の中央を通る骨。魚の背骨」 であるというではないか (参照)。何ということか、「中ぐらいの骨」 なんかではなく、「中央を通る骨」 だから 「中骨 (なかぼね)」 で、要するに 「背骨」 であるというのである。

「おいおい、だったら初めから 『背骨』 と言えよ!」 ってなものである。しかし考えてみれば、「中ぐらいの骨って、一体どのあたりの骨なんだ?」 と聞かれたら返答に窮してしまうのだから、そもそもまともな考えじゃないよね。強いて言えば 「背骨と小骨の中間」 ってことなのかもしれないが、そこだけ選り分けるというのもなかなか厄介だ。

調べてみると、魚の背骨まで柔らかくして食うには、酢など、「酸性の食品」 を利用する方法と、「加熱」 とがあるという。「水煮」 缶詰の場合は、ただひたすら加熱して、骨の組織中のコラーゲンを分解しゼラチン化することにより、柔らかくしてまるごと食べられるようにしたものだというのである。

いやはや、驚いたものである。これからは心して 「中骨水煮」 をいただこう。本日は酒田から 6時間クルマを運転して帰って来て、疲れたのでこれにて失礼。

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2018/10/10

庄内に帰省している

今、妻と一緒に山形県庄内に帰省している。今年は 8月から 9月にかけて大忙しで、盆も彼岸も墓参りができなかったので、いささか季節外れだが戻ってきているわけだ。

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早朝に発って妻の実家のある仙台に寄り、久しぶりに家族に顔を見せて墓参。そして昼過ぎに仙台を発って、今は鶴岡のホテルにいる。本来なら実家のある酒田のホテルに泊まりたかったところだが、どういうわけかどこも満室だったので、隣町の鶴岡にしたわけだ。酒田は何かイベントでもあるのかなあ。

明日は墓参をして、美味しいものを食べたら、早々に帰路につこうと思う。何しろ両親ともにあの世に行ってしまって、実家に寄っても空き家だから、しょうがない。それに、明後日からはまた仕事が入っているので、残念だがゆっくりしてもいられない。

上の写真は、宮城県との県境、笹谷峠から望んだ谷の光景。笹谷峠の最高地点は雲の中で何も見えなかったので、それより少々宮城県側の地点からの眺めである。東北の山ではそろそろ紅葉が始まりかけている。ちなみにさすが東北の山の中で、あちこちに 「熊出没注意」 の看板がある。

本日は長時間の運転で疲れたので、これにて失礼。

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2018/10/09

Windows アップデートの不具合

Microsoft は Windows 10 の "October 2018 Update" の配信を一時中止したらしい。アップデートしたらファイルが勝手に削除されてしまったとの苦情が多く寄せられたためだという。(参照

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私自身は 2014年 1月から Mac ユーザーになっているので、ほとんど他人事ぐらいにしか思えないが、Windows ユーザーにとっては由々しき問題だろう。もしかしたらこのブログを読んでくれている人の中にも、いち早くアップデートしてファイルが消えるという被害に遭った人もいるかもしれない。

私は Windows ユーザーだった頃 (Windows 3.1 時代から使っていた) から、OS のアップデートには結構慎重だった。元々 Microsoft をそれほど信用していなかったので、アップデートするにあたっては悪いニュースがないことをしっかり確認してから、おもむろに取りかかっていたものである。

今回の不具合は、「マイ ドキュメント」 の中のファイルが勝手に削除されてしまう (とくに画像ファイルが消えやすいらしい) というのだから、始末が悪い。ニュースによると、ファイルのバックアップをきちんと取っlている人というのはそれほど多くなく、ファイルが消えてしまって途方に暮れてしまうケースがめずらしくないらしい。

Microsoft は消えてしまったファイルの復旧に責任をもつと発表した (参照) というので、最終的には何とかなるだろうが、いずれにしても面倒な話ではある。ローカルの別ドライブと、3種類のクラウドにバックアップを取っている私としては、自分のファイルのバックアップをしないユーザーが多いということに、かなり驚いている。

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2018/10/08

「新高橋橋」 という橋

昨日まで 3日連続でシリアスなテーマで書いてしまったので、今日は軽い話題である。茨城の地名というか、橋の名前に関する話だ。

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上の写真は Google Map から拝借したものだが、国道 6号線を水戸から土浦方向に南下していて、茨城町 (という町があるのだ) で涸沼川 (ひぬまがわ) という川を渡る橋に差しかかる直前の光景である。手前左側に橋の名前の看板があって、「新高橋橋 Shintakahashi Bridge」 と表示されている。「しんたかはしばし」 とはカンじゃいそうなので、通る度に印象に残ってしまう名称だ。

それでつい最近、ふと思い立って橋の名前の由来を調べようとググってみたのだが、「新高橋橋」 という橋が見当たらないのである。その代わりに 「新高橋」 という橋が見つかった。どうやらいつも通っている 「新高橋橋」 のことらしい。(参照 実際に地図に飛んだら、橋の部分をクリックすると、下の画像のような詳細説明が表示される)

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地図によると、この 「新高橋」 (あるいは 「新高橋橋」) の東 (右側) に平行して 「水戸街道」 (いわゆる 「旧水戸街道」 あるいは 「旧 6号」) が通っており、いつも通っている国道 6号線は、新しくできた 「6号バイパス」 とされている。で、旧道が涸沼川を渡る橋は、下図のように 「高橋」 ということになっている (参照)。バイパスの方の橋は 「新しい高橋」 なので 「新高橋」 ということのようなのだ。

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初めは 「高橋」 という地名があって、そこにかかる橋なので 「高橋橋」 ということになり、Google などでは紛れてしまって、橋の名前が 「高橋」 と表示されているのかとも考えた。しかし地名検索してみても、この辺りに 「高橋」 という地名はない。

「高橋」 という地名がないということは、橋の名前を 「高橋橋」 なんてクドいものにする必要は、まったくないということである。一体どうなっているのか。

さらにググって見ると、「目的地までが目的地」 というサイトが見つかった。いながらにしてドライブ気分を味わえるサイトで、本当に主要道路を辿る画像が満載されている。この中に 「新高橋」 というページもあり、「新高橋橋」 という名称表示のある写真に 「『新高橋橋』 と書いて在るが・・・手元にある国土交通省から開示請求して取り寄せた資料だと 「新高橋」 とあるので・・・」 とのキャプションがある。

国土交通省の資料に 「新高橋」 とあるというのだから、正式名称はやはり 「新高橋」 でいいのだろう。で、東側の古い方は 「高橋」 だ。となると、「じゃあ、『橋』 の前の 『高』 というのは、一体どこからきたのだ?」 という疑問が当然湧いてくるが、それに関してはどうにもわからないので、とりあえずこだわらないことにしよう (気になるけど)。

とにかく、茨城県の地名にはわかりにくいのが多い。例えば関東鉄道バスの取手・守谷間を結ぶ路線には 「岡」 というバス停がある。知らない人は岡の上か麓にあるバス停を想像するだろうが、まったくの平地なのだ。よく調べるとこの辺りは 「岡」 という地名で、確かにはずれの方にちょっとした岡がある。ただ、バス路線は岡を外れた平地を通るので、違和感の元になっているようなのだ。

ちなみに広島県の JR 呉線には 「坂」 という名の駅があるのだが、これもまたスゴいと思う。

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2018/10/07

天皇のあり方に関する自家撞着があるか、ないか

昨日の 「左も右も、情念の劣化から迷走が始まる」 という記事に貼り付けておいた YouTube 動画 「三島由紀夫 vs 東大全共闘 (長尺版)」 について、今日もまた蒸し返そうと思う。昨日の書き方だけだと、私が三島シンパだなんて誤解されないということもあるし。

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この討論会では 「天皇と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐ」 という三島の発言が世間の注目を浴びた。ところがこの当時、大方はこれを三島の 「トンデモ発言」 としてしか受け取らず、全共闘側もそれほどシリアスな発言としては考えていなかったと思う。つまり 「天皇」 は革命における打倒すべきターゲットとしては考えられていなかった。

「打倒」 とまでは行かないが、(現在の) 天皇の存在というか、あり方を否定する傾向が強いのは、むしろ右側の勢力においてであるだろう。これは注目していいし、実はその傾向は戦前から強かったとも思われるフシがある。

上に貼っておいた画像は、9月 30日付で 「News ポストセブン」 に載った "「陛下は靖国を潰そうとしてる」 靖国神社トップが 「皇室批判」" という記事だ。靖国神社のトップ、小堀邦夫宮司が 「教学研究委員会」 で 「今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ」 と語ったと伝えられているのである。充分あり得る発言だ。

これはほぼ半世紀前の三島の発言と重なる要素を多く含んでいる。昨日の記事に貼り付けた動画の、8分 22秒あたりから先に注目してもらいたい。この時の三島発言を以下に引用しておく。

「私が今、天皇、天皇と言うのは、今まさに洞察されたように、今の天皇は非常に私の考える天皇ではいらっしゃらないからこそ言える。そして私の考える天皇にしたいからこそ、私は言っているんであって……」

「……ところが天皇というものはそれほど堂々たるブルジョアじゃないんだ。もし天皇がたらふく食っているような堂々たるブルジョアであったら、革命はもっと容易だったんだ。それでないからこそ、革命は難しいんじゃないか。そしてその難しさの中で諸君は闘い、私も戦っている。それは日本の民衆の底辺にあるものなんだよ」

「それを天皇と呼んでいいかどうかわからない。たまたま僕は天皇という名前をそこに与えるわけだ」

この発言は非常に重要なものであって、戦前だったら完全に不敬罪になってしまうところだ。右側の少なからぬ人たちは、口では 「天皇、天皇」 とあがめ奉りながら、その実、天皇に非常な不満を抱いている。上述の靖国神社宮司の発言は、それを象徴するものだ。

いわば天皇論に関して自家撞着に陥っているわけだが、この自家撞着は戦前の価値感に立ち返れば一挙に解決する。「教育勅語」 問題に代表されるような彼らの 「戦前回帰欲求」 は、根本的にはここに由来するとみて間違いない。

しかし彼らにとっての最大の問題は、当の天皇陛下ご自身が、戦前の価値感に立ち返るようなお考えは微塵もお持ちでないように見受けられることだ。そして私自身は、こうした今の天皇のあり方についてとても肯定的に捉えている。私は 「愛国者」 を自負しているが、いわゆる右翼との基本的な違いは、天皇に関する自家撞着のないことだと、最近明確に気付いた。

10月 5日付の "柴山文科相の 「教育勅語発言」 の土壌" からの 3日連続シリーズは、ひとまずこれで一区切りとする。

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2018/10/06

左も右も、情念の劣化から迷走が始まる

昨日の 「柴山文科相の 「教育勅語発言」 の土壌」 という記事で、柴山氏を散々くさしてしまったわけだが、まあ、彼も仮にも東大を出て司法試験にも合格しているわけだから、まんざらバカでもないはずなのだ。まんざらバカでもないおっさんが、こと 「教育勅語」 の話になるとあんなにまでおバカになってしまうのは、そこに何か特別な構造があるとしか思われないのである。

まず思い当たるのは、この類いの話になると、人間は 「論理」 ではなく 「情念」 が先走るということだ。上の YouTube 動画は大昔も大昔、1969年 5月に東大教養学部 (駒場キャンパス) で行われた、三島由紀夫と東大全共闘による伝説の討論会 『討論 三島由紀夫 vs. 東大全共闘 ― 美と共同体と東大闘争』 の模様だ。

この動画では、全共闘側は徹底して空疎な論理 (のようなこと) をまくし立て、一方で三島は情念ほとばしる発言を繰り返す。三島の 「天皇と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐ」 という発言は今も語り草だ。彼がこの発言の前に 「これはあなた方に論理的に負けたということを意味しない」 と言っているのは重要なポイントだと思う。

つまり、彼の中で情念は論理に優先しているのだ。そして 2011年にこの動画が YouTube で公開されると、全共闘側の言辞に関して 「口先だけ」 「小賢しい理窟だけ」 とするコメントが付けられまくっているのはご覧の通りで (参照)、あれから半世紀経った今日、勝利したのは三島の情念の方だったようにさえ見える。

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上の画像は、この討論会の前年、1968年に開催された第19回駒場祭のポスターである。「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」 というのは、横尾忠則によるポスターのコピーフレーズだが、今はこれが 「テーマ」 だったと受け止められている。こんなにまで情念迸っていたと思いきや、そのわずか半年後の討論会の場では、あんなに上滑りになる以外の現実的な方法論がなかったのだね。東大全共闘は。

で、私が大学に入ったのは 1971年 (東大じゃなくてワセダだったんだけどね)。この討論会の 2年後で、三島自決の半年後だった。何度か書いているが、私が入学した頃には左翼運動は早くも論理的にも劣化していて、「こいつらと議論していたら、こっちまでバカになってしまう」 としか思われなかった。

そしてさらに言えば、今の日本会議系のお歴々の口走ることを聞くと、やっぱりかなり劣化してしまっているのである。皆ステロタイプの決まり文句を繰り返すばかりで、仲間内だけでいい気持ちになっているのは、私が大学に入った頃の左翼と同じだ。志 (こころざし) 低すぎで、三島的情念は薄れてしまった。

で、例の柴山文科相の 「教育勅語発言」 も、お友達同士だけで通じて 「そうだよね、よくぞ言ってくださった」 と、右側サークルの中での点数稼ぎになっているだけとしか思われないのである。単なる 「点数稼ぎ」 発言だから、論理的であろうはずがなく、その上、情念的にも救いがたいほどに劣化している。

ちょっと前の稲田朋美議員や今回の杉田水脈議員など、女性議員にこうした発言が目立つのは、趣味の悪いオッサンたちに可愛がられて、よほど 「点数稼ぎ」 が身についてしまってるんじゃないかと思ってしまう。ちょっとセクハラじみた言い方になってしまったが、女性全般が点数稼ぎ体質と言ってるわけじゃないからね。その意味では、今回の柴山文科相もその体質に変わりない。

左も右も、情念の劣化から迷走は始まるのだ。そして私としては、その迷走が不健康な方向に進まないように常にチェックしなければならないと思っている。「不健康な」 というのは、端的に言えば 「ナチスのような」 という意味である。ナチスのプロパガンダは、論理よりも感情に訴えることを優先させた。

経験則からすると、一番威勢のいい時期をちょっと越えてしまうと、情念の劣化が目立ち、不健康さも露わになる。そして安倍政権は、既に 「不健康」 の度を増しつつある。

【追記】

この記事は結果的に、前日の "柴山文科相の 「教育勅語発言」 の土壌" から翌日の "天皇のあり方に関する自家撞着があるか、ないか" まで、3日連続の 1シリーズとなったので、時間があれば通して読んでいただきたい。

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2018/10/05

柴山文科相の 「教育勅語発言」 の土壌

柴山昌彦文科相が就任早々舞い上がった上にいきり立って口走っちゃった 「教育勅語」 問題が、もう政治問題というよりも 「お笑いの種」 みたいなことになってしまっている。これはもう本当に、「舞い上がった上にいきり立った」 上での発言としか言いようがない。

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彼の言い草を端的にまとめたのが、上の写真で紹介した BUZZAP の記事の 「教育勅語アレンジしたら今も道徳で使える、普遍性ある」 という見出しだ。これはそのまま機械的に言い換えれば、「アレンジしなきゃ使えない、普遍性はあるけど」 ということで、フツーは、「はいはい、寝言はそこまで。他に何か?」 で、おしまいになるところだ。

そこでおしまいにならないのは、その辺のオッサンの酒飲み話ではなかったからで、さすがに 「文科相発言」 だと、こんな寝言でもここまで問題になる。まったくうっとうしいことだ。

そもそも 「普遍性」 云々なら、ふゆひー 9 さんの tweet にあるように、「普遍的な要素であればわざわざ教育勅語を持ち出す必要はなく、歴史的な背景を考えれば有害無益」 ということになる (参照)。なにしろ当人も認めているように 「アレンジしなきゃ使えない」 のだから、一手間も二手間もかける意味がない。

問題はなんでまた彼が、こんなにも舞い上がった上にいきり立たなければいけなかったのかということで、それはもう、「日本会議の皆さんに向けた御礼とご機嫌取り」 としか思われないのだよ。

そもそも今回の (今回に限らないが) 新内閣の顔ぶれは、President Online でも言っているように 「"右寄りのお友達" で固めた」 ものだ (参照)。それはもう、すごいもので、顔ぶれの大半が 「日本会議国会議員懇談会」 とか、「神道政治連盟国会議員懇談会」 とか、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」 とかに所属している。

なかでも問題の柴山昌彦氏は大したもので、上に挙げた 3団体に加えて、「創生 『日本』」、はたまた 「国際観光産業振興議員連盟 (通称 「カジノ議連」)」 なんていうのにまで所属している。いわゆる 「右方面」 に関してはずいぶんマメなお人のようなのだ。

というわけで、彼は初めて大臣なんかになったものだからつい、舞い上り、いきり立ち、「お世話になった」 これらの日本会議系の皆様に御礼かたがた、精一杯のリップサービスで喜んでいただこうなんて妙なソンタク意識まで加わって、 「教育勅語云々」 の発言になってしまったのだろう。

そして 「お世話した方々」 としては、「よくぞ言ってくれました!」 なんて喜んではみたものの、その 2日後には 「国として検討するとか、積極的に推奨する準備を進めているとか、そういうことはみじんも申し上げていない」 なんて釈明で一歩 (二歩か三歩かな?) 後退してしまうのだから、まさにお笑いぐさだ。笑ってばかりもいられないが。

「もう、ホントに、こういうのやめてくれないかなあ!」 と、つくづく思ってしまう今日この頃である。

なお教育勅語に関しては、今年 4月 22日付の "『教育勅語』 についてちょこっと書いてみる" という記事で触れているので、お暇があれば読み返してみていただきたい。

【追記】

この記事は、結果的に 10月 7日付の 「天皇のあり方に関する自家撞着があるか、ないか」 まで、3日連続の 1シリーズとなったので、時間があれば通して読んでいただきたい。

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2018/10/04

まず、見で、聞いでみでくっちゃ (まず、見て、聞いてみてくれ)

私の生まれた町、山形県の酒田市に、阿部彩人さんという青年がいて、とてもおもしろい活動をしている。下に紹介した庄内弁ドラマも、彼のプロデュースによるものであるらしい。2013年制作というので、もう 5年も前になるというのだが、最近初めて知ったというのは、我ながらお恥ずかしい。

タイトルの 「んめちゃ」 は、「美味しいなあ」 という意味である。他の地域の方言でも 「〜ちゃ」 とか 「〜っちゃ」 となるのはそれほど珍しくないので、ドラマなんかでは 「おいしいっちゃ!」 なんてのが、「日本共通方言」 みたいになったりしてるよね。

でゅーわげで、上の YouTube 動画、まず、見で、聞いでみでくっちゃ。(というわけで、上の YouTube 動画、まず、見て、聞いてみてくれ)。

何しろ 「庄内弁ドラマ」 というほどのものなので、他の土地で生まれ育った人にはチンプンカンプンかもしれないが、必要な場面には日本語訳の字幕スーパーも出るので、ストーリーはきちんと理解できるはずだ。津軽から秋田平野、新潟北部ぐらいの人なら、字幕スーパーなしでもいけるかもしれない。

言うまでもなく、私は 100%理解できる。というか、この動画の中で語られる庄内弁すら、私にとっては、ずいぶん新しめの言葉みたいに感じられてしまった。何しろ1971年に酒田の高校を出て上京してしまったので、私の中に息づいているのは、半世紀前の庄内弁なもので。

というわけで、酒田に帰って話し始めると、「おめさんみだいだだむがしの庄内弁しゃべる人だの、今、よっぽどの年寄りでねばいねでば」 (お前さんみたいな昔の庄内弁をしゃべる人なんて、今、よほどの年寄りでなければいないってば) なんて言われてしまうのだよね。まるで 「生ける化石」 みたいな言い方である。

ただ、同じことを私が言うと、「おめさんみでだむがしの庄内弁しゃべる人だの、今、ごんげだとしょりでねばいねでゃ」 と、難解さに輪を掛けた状態になってしまう。高校時代の同窓会に出ても、私の庄内弁が同世代の友人たちよりクラシックに聞こえてしまうらしいのは、私が爺さん、婆さんに育てられたせいかもしれない。

とくに私の祖母は 「はましょ (浜衆)」 だったので、私の中にもちょっと荒めの 「はましょ言葉」 が入っちゃってるようなのだ。それで、八幡とか大沢などの農家の言葉は、とても優しく感じてしまったりする。

先日、仕事で酒田に帰り、酒田の 85歳過ぎの人たちと庄内弁で会話する機会があった。同行した仕事仲間は 「悪いけど、一言も理解できなかった」 と言っていて、周りが笑ったら、しょうがなく合わせて笑うしかなかったらしい。

どうやら私の庄内弁は時間軸でいうと、20歳ぐらい年上の人と同レベルのものであるようなのだ。

ともあれ私は、阿部彩人さんがされているような活動を知って、とてもうれしく感じてしまったのであるよ。ちなみに、この動画には第2話もある。こんな具合だ。

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2018/10/03

「左上右下」 と 舞台の 「上手/下手」

昨日の 「トイレの上座/下座」 の件で、「左上右下(さじょううげ)」 という伝統文化について触れた。東アジア地域では、左が上座で、右が下座であるというコンセプトである。これと舞台の 「上手/下手」 について、昨日の記事の中で詳しく触れようと思ったのだが、長くなりそうなので分割して今日の記事として書く。

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左が上座で右が下座なら、どうして舞台では右側が上手で左側が下手なのだと問う人がいるが、舞台に関しては見る主体が違うのである。観客の側からは確かに上手が右側に見えるが、実は日本の民俗芸能の考え方では、主体は観客ではなく舞台に立っている役者なのである。

これに関連したことは、10年も前に 「黒森歌舞伎による観客論」 として書いていて、さらにその 4年前にも 「清水の舞台」 というタイトルで書いている。私の田舎で真冬に奉納される 「黒森歌舞伎」 でも、清水の舞台でも、ちゃんとした観客席がない。それは芸能というのは本来神様に奉納されるもので、人間の観客はそのご相伴にあずかって見ている 「余計者」 だからだ。

それ故に、神と役者の視点により、左側が上手、右側が下手になるのである。観客からの視点では逆になってしまうが、観客は本来的には想定外の存在なので、この際問題にならないのだ。

日本の伝統芸能では、舞台上の立ち位置も原則的に 「上手/下手」 のコンセプトで決定されていて、上に掲げた役者絵でも、上手に関守の富樫がいて、中央に弁慶、下手に判官 (源義経) が配置される。おもしろいのは判官の位置で、安宅の関を通過するために身をやつしているので、徹底して下手にいる。

しかし関所を通り過ぎてしまうと、弁慶の上手という本来の立ち位置に移る。そうでないと、 「判官、御手を取り給ひ〜」 で、判官が弁慶の機転を誉めるというくだりが成立しないのだ。

これは歌舞伎ばかりでなく、落語の世界でも同様だ。長屋の大家さんが八っつぁん熊さんの店子と会話するシチュエーションなどでは、咄家が大家さんを演じる時には顔を下手を向け、店子を演じる時には上手をに向ける。つまり一人で演じてはいるが、大家さんは上手、店子は下手にいるというココロでやっているわけだ。

ただ、上座とか下座とかいうのは今の世の中では、伝統芸能や茶の湯などの古典的な世界か、よほど格式張った場以外では、ことさらこだわってもしょうがないというのが、私の考えである。ましてやトイレの序列なんて滑稽ですらある。問題があるとすれば、いい年したオッサンがぞろぞろ連れだって一緒にトイレに行くという妙なメンタリティの方だ。

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2018/10/02

トイレの 「上座/下座」 って?

「痛いニュース」 で、「若手社員がトイレで上座の便器を使った」 という話が話題になっている (参照)。元になったのは、「はてな匿名ダイアリー」 の 「上座のトイレを使う若手」 という記事だ。

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ちょっと鬱陶しいが、元記事を引用してみよう。

先週出張に行った時の話。
グループで出張に行った時にトイレに行こうという事になった。
みんなで一斉にトイレに入ったんだけど、一番の若手が上座の便器を使用していた。
もう2年目なのに。

「痛いニュース」 では、「便所に上座とかあったのか」 とか 「いや、そんなこと気にしてるのはお前だけだ」 とか、散々笑いものになってしまっている。しかし私が気になってしまったのは、「トイレの上座って、あるとしたら一体どこなんだ?」 ということだった。

で、軽い気持ちでググって見たところ、見つかったのが、上の写真で紹介している Excite ニュースの "訪問先のトイレでは 「一番手前の便器」 を使わなければいけない理由" という記事だった。こんな風なことが書いてある。

男性用便器が並んでいる場合は、一番奥が上座となる。さらに、目上の人と一緒に用を足すのであれば、1席空けなければいけない。というわけで、訪問先では、自分が最も目下になるため、手前で用を足すのが正解ということになる。

この記事では 「上座/下座」 というコンセプトの元になる考え方は、「左上右下 (さじょううげ)」 の原則だとしている。左側が上座で、右側が下座なのだ。これに関しては、日本の (だけでなく、東アジアの) 伝統文化の常識として正しい。

しかしトイレの 「上座/下座」 となると話は別で、甚だ根拠に乏しくなってしまう。だって、便器が入り口からみて右側の壁に並んでいれば 「一番奥が上座」 で問題ないが、左側に並んでいたら、一番奥ではなく手前が最も左、即ち 「上座」 ということになってしまうではないか。

というわけで、そんなことは気にする方がナンセンスということになる。さらに言えば小便の時は座らないから、「上座/下座」 という言葉自体がおかしいよね。

そもそもの話として、一斉にぞろぞろ連れ立ってトイレに行くってこと自体、私としてはあまり美しい光景じゃないと思ってしまうのだよね。そんなシチュエーションで 「上座/下座」 なんてことにこだわること自体が、滑稽でしかない。

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2018/10/01

手応えたっぷりの台風だった

台風 24号は沖縄から列島に沿うように北上して、昨日20時過ぎに紀伊半島に上陸した。そこから 「非常に強い」 勢力のままスピードを上げて東海から東北を縦断し、今朝岩手県を通過して太平洋に抜けるというコースを取った。

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私個人に限っては、昨日付でも書いたように、仕事先への往復でもほとんど雨に降られることなく、問題なく帰って来た。上の写真は午後 5時過ぎの取手駅西口の様子である。ほとんどの店は早仕舞いして暗く、駅前にも人っ子一人いないのだが、パチンコ店だけは皓々と明かりを灯して営業しているのが、そこはかとなく異様なイメージだった。

帰宅してもしばらくは 「本当に台風なんて来るの?」 と言いたくなるほどの静けさだったが、夜の 11時を過ぎた頃から風の音が大きくなり、締め切った雨戸が大きくガタガタと鳴り出した。さらに 12時を過ぎると、風はさらに強まり、ゴウッという大きな音がする度に家がユサユサ揺れる。「なかなか手応えたっぷりの台風だなあ」 と思っているうちに日付が変わり、1時過ぎに部屋の明かりがフワッと消えた。

一度消えてすぐに点いたが、それも一瞬で、再び消えてしまうとあとは闇である。夜中の停電は怖い。iPhone でニュースを検索すると、あちこちで停電が発生しているという。

ほどなく TEPCO 停電情報というページに、私の住む地域で 1800軒以上が停電になっているとの情報が載った。「複数箇所で停電が発生しており、復旧には時間を要する見込みです」 なんて、嬉しくない但し書きまでついている。

私の住む地域は、7年前の東日本大震災の時でも停電せずに済んだので、思い出す限りでは 1984年のいわゆる 「五九豪雪」 の春先に関東でも結構な雪が降り、電線が付着した雪の重さのために切れて数時間停電した時以来、34年ぶりである。

停電直後は 「朝までには復旧するといいなあ」 と思いながら眠りについたが、何しろ家が揺れるので熟睡はできない。朝になっても停電のままで、所用で家を出る 12時頃になってもまだダメだ。そしていろいろ用を足して 2時半頃になって帰宅したら、やっと通電していた。12時間ぐらい停電していたようで、つくばの地に移転してきて最長停電記録である。

今年は日本列島が災害列島と化してしまった感があるが、こうしたことは日本だけにとどまらず、世界規模で進んでいる。世界気象機関 (WMO) は一連の異常気象が 「温暖化ガスの増加による長期的な地球温暖化の傾向と関係している」 と分析している (参照)。

地球はちょっと住みにくい星になりつつあるようなのだ。「環境対策より経済成長が優先」 なんていうのは、「命を失っても金さえあれば」 と言っているようなものだ。そして実際にはいくら経済成長策をとっても、環境悪化と災害による経済損失は成長を上回ってしまうようになるので、いずれにしても愚策である。

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