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2018/12/21

日本政府は IWC 脱退を決めたようだが

日本政府が国際捕鯨委員会 (IWC) を脱退する方針を固めたと報じられている。商業捕鯨を再開するためというのが、その理由だ。

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捕鯨に関しては、私は以前は 「少しぐらいいいんじゃないか」 と思っていた。14年前の 9月には 「環境保護と動物保護」 という記事で、 "「環境保護」 を標榜するグリーンピースなどの活動も、クジラなどに関しては、実は 「偏狭な動物保護」 だったりすることがあるのではなかろうか" なんて書いている。

ところがこの言い方は、多分にグリーンピースへの反感から来ているところがあって、私自身は別に捕鯨推進派というわけじゃなかった。そしてとくに最近は肉食を止めたということもあって、「反捕鯨」 の考えに明確に変わっている。

「他に食うものがいくらでもあるのに、わざわざクジラを捕って食わなくてもいいじゃないか」 ということだ。ということは、IWC 脱退にも反対せざるを得ない。

「鯨肉を食うのは、日本の固有文化だから、他国から文句を言われる筋合いはない」 というのが政府の言い分のようだが、その言い方は、一部のアジア地域の人たちが 「犬肉を食って何が悪い!」 と言うのとほとんど変わらない気がする。両方とも 「固有文化」 という点に関しては認めるにやぶさかではないが、今の世の中で、そんなにまで意固地に守らなければならないほどのものとは、私には思えない。

いずれにしても、私自身はクジラは食わない。ここ数年、牛も豚も鶏も食わないことにしているのに、クジラだけは食うなんて言えるはずがない。逆に言えば、牛も豚も鶏も食っているくせに、クジラまで食いたいというのは、「よほど業が深い」 と思ってしまうのである。

最後に 3年ちょっと前の 「そろそろ捕鯨を止めようじゃないか」 という記事の結論として書いた以下の文章を、再録しておく。

必要があるとも思われない 「捕鯨」 という行為を、日本はなぜ継続しているのかという問題を、かなりクールな目で説いたテキストがある。BBC の Rupert Wingfield-Hayes という人が書いた 「日本とクジラ なぜ日本は捕鯨をするのか」 (原文は "Japan and the whale") という記事だ。

「日本が捕鯨を続ける決意が固いのは、捕鯨関係者が多い選挙区から選出された数人の国会議員と、予算を失いたくない数百人の官僚たちのせいと言えるかもしれないのだ」 という文で結ばれるこの記事を読めば、少なくとも捕鯨を続けることに積極的な意味がないと、客観的にも理解される。

 

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自然・環境」カテゴリの記事

コメント

誤解を恐れず申し上げますが、アタクシは決して「反捕鯨」ではございません。
もう一つ申し上げますが、IWC脱退は「別にいいんじゃないの?」ぐらいの感覚です。(クジラ保護して魚が減ったを掲げてウラで利権がどうとかの慮外者は断罪)

クジラ肉が「どーしても食べたい!」種族ではございません。
獣でも魚でも草でも、なんでもいただきます。

「肉はいらん」と言うtakさんの種族とは違う、「肉食は残酷」を看板に掲げておられる方々とは、話し合いでも殴り合いでも折り合わない種族でございます。

「食す=命の享受に感謝」している種族であれば、獣でも魚でも草でも同列だと思いますし、その中から残酷さの軽減のために「ベジタリアンだのその折衷案のヒトだの」がいらっしゃることも、「へー、そうなんですね」と一応理解は示します。

まぁ、「喰らう命に感謝する」種族と、「神様からの享受で喰らうことに感謝する」種族では、話し合いでも殴り合いでも折り合わないと、思っちゃう次第であります!
ここまでは、酔っ払い然の妄言ですが…。

竹と土と紙の家に住む輩のやっていることは、理解してもらえないんでしょう。
人種でも文化でも、差別している方々とは、話し合いでも殴り合いでもでも核ミサイルでも、折り合いも解決も望めないものと、泥酔者の戯言を申し上げます。(実は酒入ってない)

投稿: 乙痴庵 | 2018/12/21 21:45

乙痴庵 さん:

私が肉を食うのを止めた最大の理由は、今の畜産業界は牛や豚のエサとして穀物を使用していて、牛 1kg 太らすのに穀物 7kg、豚 1kg 太らすのに穀物 4kg を消費する (諸説あって、これはまだ控えめな方の数字) という事実からです。

肉を食わない人が増えれば、穀物は世界人類に充分行きわたる量が収穫できているのに、畜産業界が大量の穀物を消費することが、食糧不足の一因となっています。

もちろん、肉を食うのを止めれば自動的に貧困地域に穀物が供給されるというほど、世界経済は単純ではありませんが、貧しい地域の人の口に入ってもいいはずの穀物を、自分の口に入る肉の 4倍とか 7倍の量を消費して育った牛や豚という形を通して食うのは、夢見が悪くてできない体になってしまいました。

それから、屠殺現場を隠蔽した形の食肉流通にも疑問を感じます。

というわけで、肉というものを食わないでしばらくすると、「肉を食いたくない体」に変わってしまうことを実感しています。肉が入っていると気付かずに食ってしまった料理に、実際には少々入っていたりすると、「何だこりゃ? 変な物が口に入っちまったな!」 と思うばかりです。

吐き出すのもナンですから、仕方なく飲み込みますが、全然おいしいと思わない体になっています。

投稿: tak | 2018/12/22 21:36

この問題は中々センシティブですね。あたしは焼肉屋とかはここ十年間ほど入ったことがありませんが、ハム太郎、いや、ハムはパンにはさんだりして食べます。こないだしんだおっかさんが、よくハムステーキを弁当に入れてくれたなぁとか思いだしながらね。

投稿: 黒兎男爵 | 2018/12/22 22:09

私は「他国の食文化の否定」というのが異国の人と付き合ううえで最もタブーだと思っているので、takさんの論には反対になるでしょうか。
以下は全て、自然生物の保護や、家畜の正当な(牛豚と同程度の)飼育・屠殺などがクリアされたうえでの話です。

テレビ番組でアフリカなりに行った芸能人が、昆虫食なりを「ゲテモノ・罰ゲーム」として扱う風潮があります。これが大嫌いです。
逆に、生魚を絶対に食さない文化の人が、日本に来て寿司に対して「うっわ、お前ら、魚を生で食うの!?チョーキモイんですけどww」のような反応をしたら、大多数の日本人はその人に嫌悪感を抱くでしょう。絶対に受け入れないと言っても良いと思います。

他国の文化(特に食文化)に対しては最大限それを尊重すべしというのが私の考えで、つまり韓国の犬食に対しても「どうぞご自由に」というスタンスです。
私自身は鯨食をしませんが、日本に一定数それを好みそれを生活の糧としている人がいる以上、他国にチャチャを入れられたくありませんね。

IWCではお互いに科学的根拠をだして平行線のようですが、とどのつまり感情論です。「クジラは可愛いから食べたくない」という揺るがない価値観ありきで、それに都合の良い情報を集めているだけです(それは日本も同じですが、主観ですが捕鯨国が主張する種類・量の捕鯨を再開しても絶滅の危機などにはならないと思っています)。

反捕鯨国が欧米先進国をはじめ世界の主要国だから、その価値観に従うように強要されているように見えます。
それを受け入れるということは、仮にイスラム教国が世界の主導権を握ったら、日本でも豚肉が禁止になることと同義です。インドが覇権をとったら、牛肉が禁止になるでしょう。極論ですが、ひょっとしたら小麦を神聖視し、コメをタブーとする文化もあるかもしれません。大豆を食べない価値観に従えば、豆腐や納豆どころか味噌醤油も禁止です。

つまり現在の反捕鯨は、”強い国”が自分たちの価値観を押し付け、そぐわないものにイチャモンをつけているようにしか見えないのです。クジラのことでオーストラリア人と殴り合いになった人を知っています。牛豚の扱いでインドでは反英独立戦争になりました。異なる価値観を認めることが世界平和への第一歩と、まとめてしまったら大げさでしょうか。

投稿: らむね | 2018/12/22 23:05

黒兎男爵 さん:

まさにセンシティブですね。

私は感情論から極力離れて論理思考をした上でなお、最後の最後で「夢見が悪い」 として肉食を避けているのですが、大抵の場合は感情論が先立ちます。

投稿: tak | 2018/12/22 23:31

らむね さん:

ええと、誤解を避けるために言うのですが、私はアジア諸地域の 「犬肉食」 を差別的に見て否定しているわけではありません。記事本文の中で "両方とも 「固有文化」 という点に関しては認めるにやぶさかではない" とした上で、冷静に "今の世の中で、そんなにまで意固地に守らなければならないほどのものとは、私には思えない" という考えです。

「クジラを食わなくてもいいじゃないか」 というのは、「野蛮だから食うな」 とか 「可愛らしい哺乳類だから食うな」 とかいう西欧の価値感への迎合ではなく、あくまでも 「別にそんなにまでして食わなくてもいいじゃないか」 ということです。

それに、「クジラを食うな」 と言いながら、牛や豚を平気で食いまくる西欧人の価値感には、違和感を覚えざるを得ません。

西欧的価値感に迎合しているというよりは、「牛や豚を食いまくるくせに、どのツラ下げてクジラがかわいそうなんて言えるんだ!」 と、逆に反発したくさえなります。

そして、昆虫食に関してですが、私は積極的に推奨したいとさえ思っています。私自身、イナゴの佃煮は子どもの頃から馴染んでいますし、「あれのどこがそんなに気持ち悪いかなあ」 と思うほどです。

農薬を使いまくらなければ、イナゴは増えるし、そのイナゴを食う分には、環境破壊にはつながりません。なかなかエコな食べ物です。

要するに、どこそこの価値感とか、強国の価値感押しつけとかいう問題ではなく、私の食い物に関するポリシーの根っこにあるのは 「エコ」 の考え方、もっと言えば、「みんなでちゃんとまともに生き延びようよ」 という思想です。

投稿: tak | 2018/12/22 23:44

大丈夫です。誤解はしていません(笑)

”そんなにまで意固地に守らなければならないほどのもの”かどうかは人それぞれですね。私自身には生物多様性ならぬ「文化多様性」を過剰に重視するきらいがあるのだと思います。「鯨食好きの日本人」と「鯨食否定の外国人」がいるとき、私は前者の肩を持ちたいわけです。同朋意識から、だけではなく、例えば友人が韓国の犬食を短絡的に否定したらそれを窘めると思います。

昆虫食については、ちょっと私の主旨とずれてまして、要は「一般的な日本人が食べるのを躊躇する食べ物」という意味で言っていまして、具体的にはムカデの素揚げとか猿の脳みそなどのことです。前にも書きましたが「絶滅に瀕した類人猿」などの場合は別です。
昆虫食そのものは私も大賛成です(ただ私の食習慣には無かったので、残念ながらイナゴや蜂の子には抵抗があります)。まずは昆虫を養殖魚や家畜の飼料にしようとする事業や、食用ミルワームの研究など、そういう報道は興味をもって見ています。

takさんのように食材の好みにエコが入ってくると、他の肉も含めて「別になくてもいいじゃん」となるかもしれませんが、私は残念ながらまだその境地には達していませんw
あ、でも鰻とマグロは食べなくなりました。「種の危機」のほうが琴線に触れたのかもしれません。

takさんが差別的な観点から今回の件を論じているとは思っていませんのでご安心ください。ただ反捕鯨の欧米人はダメですね。根っこには有色人種(とその国)への蔑視がどうしても見え隠れします。「俺たちの価値観が正しいんだぞ」と。

投稿: らむね | 2018/12/23 02:38

らむね さん:

>takさんのように食材の好みにエコが入ってくると、

「食材の好みにエコが入る」 というのとはちょっと違って、私は 肉にしても決して 「好み」 の問題で食わないのではなく、論理思考の結論として 「食わない」 と決めたから食わないという、まったくシンプルな話です。

基本的に食い物に好き嫌いはないので、何でもおいしく食べます。ただ、肉は 「食いつけないモノ」 になってしまったため、今やおいしくもなんともなくなりました。ただ、「変なモノ」 という感覚です。

知人の家で食事を出され、「野菜の煮物よ」 と言われたので安心して食うと、ちょっと肉が入っていたりすることがあります。そんな時は、「ありゃ、妙なモノが口にはいっちゃったな」 と思うばかりで、おいしいとはまったく思いません。

ただ、吐き出すのも失礼なので、さりげなく飲み込みます ^^;)

食わないことにしてしまえば、まったく気楽な問題で、要するに食わなきゃいいという、ただそれだけの話です。

ちなみに知り合いの多くが 「肉を食べないの!?」 なんて驚き、「そりゃ、肉なんて食わない方がいいよね」 という反応は、滅多にありません。私にはむしろこの方が驚きです。

私が 「肉は食わない方がいいよね」 と言い始めたのは 20数年前からで、どうして多くの人がこの結論に達しないのか、正直なところ、とても不思議です。

私は 20年ぐらい前から、まず牛肉を止め、その 2〜3年後に豚肉を止め、鶏肉だけは長い間食べていましたが、ついに 4年ぐらい前にそれも止めました。

止めてみるとすっきりと気持ちがよく、前から丈夫ではありましたが、さらに健康になっています。

投稿: tak | 2018/12/23 19:05

takさん
今回は、言葉尻を捕らえ過ぎていると感じます。
私の書き方が悪かったかもしれませんが、「食材の好み」と書いたのは「どのような食材を摂取することを好み、あるいは好まないか」という意味であって、「味の好き嫌い」という意図ではありませんでした。「食材の選別にエコが入る」と捉えて下さい。上手く伝わらなかったようで失礼しました。

>私が 「肉は食わない方がいいよね」 と言い始めたのは 20数年前からで、どうして多くの人がこの結論に達しないのか、正直なところ、とても不思議です。

それは、多くの人が肉を食べるときに、その肉がその何倍の穀物を消費していてさらにはその穀物が貧困国に回ればどれほどの人が助かるか、ということを意識せず、「おいしい」ことを重視するからだと思います。(私も知識として知ってはいますが、肉食のたびに脳裏をよぎったりはしません)
takさんが肉を「おいしくもなんともないもの、うけつけないもの」という舌になったことは全く否定しませんが(残念なことにそういった食事が大好きで健康に悩む私としては羨ましい限りですが)、「どうして肉なんてものを食べるのか」と言われても「おいしいからだ」としか答えようがありません。takさんにも「焼肉とビール」のような料理がおいしいと思っていた時期があったはずで、多くの人はその味覚が変わらずに続いているってだけのことです。

また飽食の現代においては確かに過剰な肉食の健康面への弊害はありますが、適正量の肉食と完全菜食とではどちらが健康か、結論の出ないことのように思えますし、とくに体を作ることが重視される20歳ぐらいまではどうでしょうか。動物性たんぱくを取らない弊害のほうが多いような気がします。完全に主観ですが、インドがスポーツでぱっとしないのは菜食人口の割合が多いからだと思っています。

ただ私がtakさんの境地に達し、牛豚鶏を食べなくなったとしても、これまた残念ながらお刺身と白米が大好きなもので、ダイエットになりそうも無いのが悲しいですw

投稿: らむね | 2018/12/24 00:08

らむね さん:

しつこいようですが、重ねて 「肉を食わないのは 『好む/好まない』 の問題じゃない」 と言わせてください。

私の肉食忌避は、「論理的帰結」 であって、もし私が 「お肉大好き! 死ぬほど好き!」 であっても、「食うべきじゃない」 と決めたら食わないということなのです。

「好み」 と 「論理」 は、1人の人間の中でも度々矛盾します。そして私は、嗜好よりも論理を優先したいという人間なわけです。

例えば、ウェイト制スポーツの選手が 「ケーキ大好き!」 でも、減量のために食わないと言ったら食わない」 というようなものです。

「好み」 は各人各様ですが、論理的結論は、まあ、たとえ諸説あるにしても、それほどのバラエティはありません。そうした意味を込めて、私は 「好みの問題じゃない」 と言ったわけです。

そしてさらに言えば、いくらおいしくて大好きでも、食うべきじゃないと結論づけたら食わないという態度も必要なのではないかということを言いたかったわけです。

そしてさらにまた揚げ足を取るようですが、「肉を食べるのはおいしいから」 と言っても、「この世に、肉以外においしいものがないわけじゃあるまいし」 と思ってしまうわけです。「美味しいモノを食べたい」 という欲求は他の食べ物でも代替的に満たされるわけですしね。

というわけで、私の 「肉食忌避」 は非常に論理的なものですので、「食べることにそんなに理窟っぽくなるなんて、信じられない!」 という方に反発されるのは、想定済みでもあります。ただ、言わずにはいられないということで。

投稿: tak | 2018/12/24 18:36

ううん、私と言葉の使い方が違っていたようです。。
私は好む・好まないを好き・嫌いとは別の意味でも使っているようです。weblio大辞林で「好む」を引いたときの②の意味です。
https://www.weblio.jp/content/%E5%A5%BD%E3%82%80
つまり私が「takさんは肉食を好まない」と表現するとき、「takさんは肉食を選ばない」という意図で使っていました。ご納得いただけたでしょうか。
(ただ他の辞書にはあまりこの使い方は無かったので、好む・好まないという言葉を、好悪の感情を含まない選択・忌避の意味で使うのは、一般的では無いのかもしれません)

そして私も揚げ足を取り返すようですが(笑)、「肉以外にもおいしいものはあるじゃないか」と言われても「いや肉だっておいしいし、肉の味は肉で味わうものだろう」と言いたくなります。
takさんの論理を進めていくと「絶対的においしいもの」が1つ残っていれば、それ以外の論理的帰結で問題が判明した食べ物はすべて無くなっても構わないということになりませんか?
水産物でも農産物でも、産業的に生産される食材のほとんどは多少なりとも問題を抱えていると思うのです。

P.S
takさんは、家畜が大量の穀物を消費してしまうから避けておられますよね。ひとつ気になったのですが、乳製品はどうされているのでしょうか。

投稿: らむね | 2018/12/25 00:17

らむね さん:

漠然といろいろな意味を含む言葉を使って議論するのは、ちょっと危険なので、明確な言葉を使いたいものですね。自分も含めてよく注意したいところです。

>「肉以外にもおいしいものはあるじゃないか」と言われても「いや肉だっておいしいし、肉の味は肉で味わうものだろう」と言いたくなります。

これは 「肉は避けたい」 という前提で言ったことですので、よろしく。

ヴィーガン料理では、大豆などのタンパク質を使って、「それは肉じゃないからね」 と言われなきゃ美味しい肉としか思われないようなものもありますので、とくにこだわりさえしなければ、のほほんとしていていいかもという気はします。

ただ個人的には、大豆であたかも肉のような料理を作るというのは、「なんだかなあ」 という気もします。フツーに野菜料理として味わえば済むので。

>takさんの論理を進めていくと「絶対的においしいもの」が1つ残っていれば、それ以外の論理的帰結で問題が判明した食べ物はすべて無くなっても構わないということになりませんか?

「そうなったら、どんなにか楽だろう。カスミを食って生きられたら、最高!」 なんて思うこともありますが、実際には食の多様性は重要ですので、これは冗談にとどめて置きます (^o^)

まあ、「肉を食わない」 というのは、いろいろな選択肢の中で最も効果が高くて取っ付きやすいこととして、自分のライフスタイルとしました。

ただ、農耕が困難な極地の狩猟民族 (今はそうした存在は少なくなっていますが) が肉を食うことまでは否定しません。野生動物は穀物で育てているわけではありませんしね。

>水産物でも農産物でも、産業的に生産される食材のほとんどは多少なりとも問題を抱えていると思うのです。

そうなると、家庭菜園で作った無農薬野菜しか食うものがなくなりますので (究極的にはそうしたところですが)、仕方なく 「遠ざける優先順位の高い物」 から遠ざけているところです。これからもいろいろ 「もう、これ食わない!」 というのが出てくる可能性大です。

例えば我が家には 45年ぐらい前から、白砂糖というものが客用のコーヒーシュガー(スティックタイプのやつ) を除いて存在しません。自家製パンの天然酵母発酵に使う 「きび砂糖」 (いわゆるブラウンシュガー) があるだけです。

自宅の料理に白砂糖は一切使いません (なくても充分においしいので) が、他でいただく料理やケーキで、白砂糖は結構摂取していると思います。痛恨なことですが。

というわけで今のところ、乳製品は食べています。自家製ヨーグルトなんてのも作ってますしね。

動物をつぶして肉として食うのと違って、乳製品は一頭の牛から繰り返しての生産が可能ですので、まだ罪は軽いかなと思っている次第です。

ただ、牛肉を止めてから鶏肉を止めるまで結構長い時間をかけましたので、これから先、「乳製品も止めた!」 ということになる可能性もあります。そうなると、豆乳の世界ですね。

本当にカスミを食って生きられたら、最高なんですがね。仙人の境地に達すると、カスミにも日によってバラエティのあるおいしさがあるかもしれません。

投稿: tak | 2018/12/25 11:50

最近のカスミも、PM2.5とか窒素酸化物とか気にして、よくよく産地にこだわらないとアカンらしいですねぇ。

(ここで冗談ごとを申し上げます)

投稿: 乙痴庵 | 2018/12/25 16:05

乙痴庵 さん:

家庭菜園ならぬ、自家用カスミ発生庭園が欲しくなったりして ^^;)

投稿: tak | 2018/12/25 19:01

老荘思想には到底手の届かない憧れがありますが、私は煩悩の塊なので、今日はステーキ風の霞が良い、明日はトンカツ風の霞が良い、となってしまいそうです(爆)

お付き合いいただきどうもでした。

投稿: らむね | 2018/12/25 20:46

らむね さん:

そう言えば 20代の頃、トンカツはよく食べてましたが、ステーキは一度もおいしと思ったことがないと気付きました。しゃぶしゃぶに至っては、馬鹿馬鹿しい食い物と思ってました。

http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2007/09/post_9fda.html

日本のステーキは小さすぎて満足感がないのだと思い、米国で周りからノセられて 1ポンド (約 450g) ステーキに挑戦した時も、何のことなく軽く食べてしまい、当時の胃袋だったらもう1枚でもイケそうでしたが、「こんなものに余計な金払ってもしょうがない」 という印象でした。

若気の至りで、ただ食べただけでしたね ^^;)

投稿: tak | 2018/12/25 22:49

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