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2019/08/10

あいちトリエンナーレの企画展中止に関して、原則的な一言

一昨日の "「表現の自由」と「自己責任」についてのエクストリームなご意見” という記事に basara10 さんが付けてくれたレスに、結構長文の返事を書いた。書くのに結構いろいろ調べたので、単なるレスにしておくのはもったいないということで、もうちょっと付け加えて本日の記事にさせていただく。

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basara10 さんは「やはり許可した知事や芸術監督を選んだ委員は批判されても仕方ないと思う」と述べておいでだが、「表現の自由」もあれば「批判の自由」もあるので、それは当然だと思う。ただ批判するのは OK だが、行政側が「中止してしまえ」と言うのはほとんど「検閲」に等しく、「表現の自由」の否定につながる。

というわけで、愛知県としては企画展中止に関する検証委員会を立ち上げる方針と発表された(参照)。これはいいことだと思う。このまま「あれって、中止になっちゃったんだよね」だけで済ませるわけにはいかない。

ただ、私が今イチ腑に落ちないのは、河村たかし市長の「展示中止」を求めた発言に対し、「憲法 21条違反の疑いがある」と主張した大村秀章愛知県知事自身が、実はこの展示会の実行委員長を務めていて、展示中止を決めた当事者であるということだ。それほど表現の自由を大切に思うなら、中止以外の選択もあっただろうにと思うのである。

で、今回の問題を整理すると、「表現の不自由展・その後」の企画実行に関しては、芸術監督の津田大介氏の力が大きい。そして誰が彼を芸術監督にしたのかということについては、愛知県のサイトの「あいちトリエンナーレ2019の芸術監督が決定しました」というページに、次のようにある。

学識経験者7名から構成される「あいちトリエンナーレ芸術監督選考委員会」を設置し、2回の議論を経て、芸術監督の選考を行い、同委員会の推薦を受けて、あいちトリエンナーレ実行委員会運営会議において芸術監督を選任した。

その「芸術監督選考委員会」なるもののメンバーは、同じページに五十嵐太郎、加須屋明子、建畠晢、中井康之、藤川哲、水野みか子、港千尋の各氏であると紹介されている。このメンバーによる会議は平成 29年の 5月 1日と 6月 4日の 2度開かれており、ここでの議論の結果に基づき、7月 18日開催の実行委員会運営会議の席上で津田大介氏を推薦。そしてこの会議においてそのまま正式決定され、8月 1日には彼の就任が発表された。

つまり、2年以上前から芸術監督の人選は議論されており、開催のちょうど 2年前に津田大介氏と発表された。津田氏はこの芸術監督の依頼には「思わず二度見しましたが」と Twitter に書いている(参照)ほどだから、先立っての「生臭い話」はあまりなかったのだろうと思われる。そして企画展にはほぼ 2年の準備期間があったわけだ。

で、コトの成り行き上「あいちトリエンナーレ実行委員会運営会議」ってどんなのかと調べると、今から約 1年半前の「平成 30年 3月 22日(木)」の会議に関する情報が、やはり愛知県のサイトにある(参照)。「今年度 3回目」とされているが、3月のことなので、「平成 29年度の 3回目」ということだろう。年度末になって「3回目」というのだから、ずいぶんのんびりしたペースである。

この回の議題は「あいちトリエンナーレ 2019 の開催概要について」「平成 30年度事業計画及び収支予算について」ということなので、多分、これが実質的なスタートラインになったのだっただろう。ただし開催時間は「午後 1時 30分から午後 2時 10分まで」のたかだか 40分間なので、かなり形式的なものと思われる。主催者側のお約束通りのご挨拶と原案の読み上げをしたら、あとは「シャンシャンシャン」で承認するぐらいの時間しかない。

過去のリリースを見ても毎回この程度の時間なので、突っ込んだ議論など行われるはずもない。実行委員の名簿を見ても、大村秀章知事自身を委員長として、以下、お役人/地元財界/団体代表と学識経験者が選ばれていて、いかにも「無難なメンバー」という感じだ。

というわけで、「芸術監督選考委員会」の「かなり『攻め攻め』の案」を、「実行委員会」が、「まあ、いいんじゃないの、知らんけど」と簡単に承認してしまったものと想像される。その後の企画の進展にしても、あまり関知していなかったんだろうね。そして実際に蓋を開けてからびっくりしてしまったというわけだ。

ただ、「蓋を開けてみてびっくり」とはいえ、そこには公費を使って正式な会議を開いて芸術監督を選任した当事者としての責任というものがある。そこでこの記事を「かなり原則的な一言」で締めようと思う。

それは「実行委員会としては、形式的な会議とはいえ、仮にも正式に依頼した芸術監督の企画なんだから、きちんと全うさせてやるのが当事者責任というものじゃなかったのかなあ」ということだ。

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