カテゴリー「グルメ・クッキング」の94件の記事

2017/08/03

若者の果物離れとは

若者の果物離れが言われて久しい。とくに 20代の若年層は、60代以上の半分しか果物を食べないんだそうだ。そんな中、AERA が "若者のフルーツ離れ  「面倒」 「汚れる」 に現れた救世主とは?" というニュースを紹介している。

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大げさな見出しだが。中身は大したことない。紹介されているのは、「ぶどうのシャインマスカット」 と 「バナナ」 の 2つのみ。シャインマスカットというのは、「高価だが、上品な甘さで大粒なのに皮ごと食べられ、種もない」 ので、「これほど消費者ニーズに合った品種はなかった。救世主」 なんて言われているという。

しかし量的にみれば JA 全農やまなしの場合、たかだか 「14年に約 1100トンの販売量が今年は 2千トン超の見込み」 という程度のもので、消費が減ったといわれるみかんの数十万トンというレベルとは比較にならない。

バナナにいたっては、日本バナナ輸入組合などは 「夜バナナダイエット」 を PR するという話で、それが 「救世主」 なんてことになるのかなあと思うばかりである。まあ、果物の消費は全体的にはずっと低迷したままのようだ。

その要因は、「ダイエット志向の若者に糖分が嫌われた」 とか 「皮を剥くのが面倒」 とか 「手がべとべとになるから」 とかいろいろ言われているが、実は一部で指摘されている 「日本の果物は高すぎる」 ということにとどめを刺すと思う。日本の果物はムダに高級化しすぎて、日常的にひょいひょい食べるものじゃなくなっている。

桐の箱に入れて贈答品として打っている山形のサクランボなんて、その代表格だ。やれ、「甘い」 だの 「とろける」 だのというのがありがたがられるので、生産者もそっちの方向に向かわざるを得ないのだろう。ただそれだと、食の細った高齢者には喜ばれても、量を食べたい若者のニーズからはかけ離れる。その意味で、上述のシャインマスカットも、「高価」 というだけでアウトである。

勝手に高級化して値段を高くして、若者が買いにくいものにしてしまい、そのくせ 「若者のフルーツ離れを食い止めるには」 なんてことを言うのは、話が逆なのではなかろうか。日本の若者は金がないのだから、腹の足しにならないくせに値段ばかり高い果物より、ちゃんと 「食った気がするもの」 を買うに決まっている。

もらえば食うが、自分が買うとなったら、1個 200円もするリンゴなんかより、100円ちょっとのカップラーメンを買うに決まっている。安くてバンバン食える果物が増えれば、そりゃ、買って食いもするさ。値段の安いバナナは消費が増えているという事実をみれば、それは明白だ。

ちなみに私自身も、学生時代に自分で果物を買って食った記憶はほとんどない。それでも実家に帰れば、夏は桃やスイカ、冬は食っても食ってもなくならない箱買いのミカンが溢れていたので、食いまくっていた。

そして今も、果物は買って食うというより、もらい物の場合が多いのだよね。季節になれば到来物であふれる。必死に食わないと腐らせてしまうので、消費量は案外多いと思う。

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2017/04/23

「石パン」 という食べ物

「堅い食い物」 と言えばいろいろある。まず思いつくのがフランスパンとか、堅焼きせんべいとかで、これらは表現するとすれば 「カチカチ系」 だ。

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「歯ごたえ系」 とでも表現したくなるのが、たくあんなどの漬物で。酢昆布などもその流れだろう。コチコチに堅いわけじゃないが、噛み切ろうとすると、その繊維が難敵になる。その他に 「もっちり系」 と表現されるものがあり、歯ごたえのある餅などが挙げられる。

しかし多くの場合、「堅くて噛めない」 というほどのことはない。そもそも 「堅くて噛めない」 というほどのものが食品として存続するのは難しい。多くの食品は、そのままでは堅くて食いにくいものを煮炊きするなりして、食べやすくしたものだ。

しかし世の中には、その常識を打ち破る食い物がある。上の写真は、讃岐の善通寺参道にある熊岡菓子店の販売する 「石パン」 というものだ。先日讃岐に行った時、「金比羅さんは何年か前に行ったし、今回はそこまで足を伸ばす時間がないから、善通寺参りをするか」 と、軽い気持ちで寄ってみたのである。

善通寺は四国八十八箇所霊場の第七十五番で、真言宗善通寺はの総本山としても名高い。行ってみると大変立派なお寺で、参拝客も大勢いた。そして帰りに寄って、軽い気持ちで買ったのが、この 「石パン」 である。

熊岡商店は、葛飾柴又の商店街を思い出させるような、昭和の雰囲気溢れる店作り (参照) で、結構人気店らしく、客が列をなしている。私もいろいろな種類のお菓子を買ったのだが、最も衝撃的なのがこれだった。

何しろ、堅くて噛めない。本当に噛めない。まさに 「石」 である。あまりの堅さに、しばらくは口の中でしゃぶっているしかない。5分ぐらいしゃぶるうちに、少しは唾液でふやけて噛めるようになる。

話のタネにと友人知人にも食べさせたが、「堅い!」 と言う人はあっても (というか、100% そう言うのだが)、「まずい」 という人はいない。「おいしい、クセになる」 という。しかしとにかく堅くて噛めないので、いくらクセになっても量は食べられない。だから太る心配もあまりない。

この食べ物の発祥は、兵隊の非常食料として作られたものであるらしい。なにしろカチカチで水分が少ないから、日持ちがする。1ヶ月は常温でも大丈夫らしい。

「これはパンと思うからいけない。アメ玉と思えばいい」 という人もいた。アメ玉のつもりでしゃぶっているうちに、最後にはなんとか食えるようになる。確かにそう思えば、一粒で長く楽しめる。

とにかく、私がこれまで食べた食い物の中では、最高に堅いものだった。

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2017/04/10

「けんちん汁」 を巡る冒険

世の中には 「けんちん汁」 というものがあり、Google で画像検索してみるとその圧倒的なバラエティが見られる。共通しているのは具だくさんの汁物というだけのことで、体裁は白味噌あり、赤味噌あり、しょう油仕立てあり、豆腐がどっさりフィーチャーされているものあり、豆腐なしのものありと、けんちん汁の定義はかなり難しそうだ。

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Wikipedia で調べてみると、次のようになる。(参照

大根、にんじん、ゴボウ、里芋、蒟蒻、豆腐を胡麻油で炒め、出汁を加えて煮込み、最後に醤油で味を調えたすまし汁である。地域や家庭によって、味噌仕立ての場合もある。

元来は精進料理なので、肉や魚は加えず、出汁も鰹節や煮干ではなく、昆布や椎茸から取ったものを用いた。

というわけで、けんちん汁が元々は精進料理だったのだと初めて知った。さらに語源については次のように説明されている (どうでもいいけど、ちょっと悪文)

「けんちん汁」 の語源については、定かではないが、神奈川県鎌倉市にある建長寺の修行僧が作っていたため、「建長汁」 がなまって 「けんちん汁」 になったといわれる説が有力だが、普茶料理の巻繊 (ケンチャン - 野菜を刻み、豆腐を混ぜて炒め、油揚げか湯葉で巻いて油で揚げた料理) がアレンジされ、けんちん汁になった説などがある。

なにしろ私は東北の日本海側にある地方都市の出身とて、子どもの頃は家庭で 「けんちん汁」 などというものを食べさせられたことがない。小学校に入ると、給食で時々 「けんちん汁」 という献立があったが、きちんと意識して食っていたわけじゃないので、「ああ、あの田舎風の汁物か」 程度の認識で、とくに好きでも嫌いでもなかった。

ところが 30歳前にして茨城県つくばの地に引っ越してみると、当地では 「けんちん汁」 というのが代表的郷土料理と言っていいほどのものなのである。単に食事の際の汁物としてだけでなく、蕎麦でさえもけんちん汁で食すのが定番みたいなのだ。Wikipedia にも、次のように記されている。

茨城県では、特産の蕎麦にけんちん汁をかけ 「けんちん蕎麦」 としても食されており、また、けんちん汁をつけ汁とした 「つけけんちん蕎麦」 も存在する。

まだ 20代の頃、町の主催 (当時はまだ 「市」 じゃなく 「町」 だったのだよ) で催された 「蕎麦打ち講習会」 というものに、2000円 (だったかな?) の会費を払って参加したことがある。ところがその講習会では、蕎麦打ちと同じくらいの時間を 「けんちん汁」 の作り方にも割かれたのである。

この地では、テキトーに太めに打った蕎麦を、具を細かく切ったけんちん汁に絡めて食うのが定番のようなのだ。この 「絡めて食う」 というのは、まさに文字通りの表現で、熱い 「かけ汁」 として使うのでもなく、「ぶっかけ」 といえばぶっかけなのだが、フツーのぶっかけよりもまだ汁気の少ない、生暖かいものにする。まさに 「絡めて食う」 のだ。それを自分で作らされて自分で食わされたのである。

「蕎麦打ち講習会」 というのだから、てっきりすっきりとした江戸前蕎麦の打ち方を指南してくれるものと思っていたのだが、そのイメージは完全に裏切られた。この 「けんちん絡み蕎麦」 とも言うべき食い物は、自分が下手な作り手ということもあっただろうが、あまりおいしいと思えなかった。一緒に参加した人たちと、「なんか、だまされたような感じですね」 と呟きながら帰って来たのを覚えている。

けんちん汁を暖かいたっぷりのかけ汁として使った、いわゆるフツーの 「けんちん蕎麦」 ならまだ食えそうだが、あの時の経験がトラウマとなって、一度も注文したことがない。せっかくの蕎麦を、けんちんまみれにする気には、なかなかなれないのだ。

しかし近頃は、蕎麦を離れたフツーの 「けんちん汁」 なら結構馴染んでしまった。わが家でも時々作って食べている。もっとも庄内風の 「芋煮」 とほとんど区別付かないものになっているので、出自は争えないわけだが。

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2017/01/22

「ちくわぶ」 というおでん種

恥ずかしながら、つい最近まで 「ちくわぶ」 という食い物を知らなかった。先日のラジオで話題になっていたので、妻に 「ちくわぶって、竹輪のこと?」 と聞くと、「ちくわぶは、ちくわぶでしょ」 という答えが返ってきた。

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というわけで私は、生まれて初めて 「ちくわぶ」 という独立した食品があることを知ったのである。それまでは 「ちくわぶ」 という言葉を耳にしたことはあるが、それは魚肉系練り物の 「竹輪」 の幼児語だろうぐらいに思っていた。

あわてて Wikipedia に当たってみると、次のようにある (参照)。

ちくわぶ(竹輪麩)は、小麦粉をこねたものを茹であげた麩である。

東京 (関東) ローカルの食材で、全国的には 「ちくわぶ」 という存在すら知らない人がいる。近年はテレビなどで取り上げられて知名度が上がり、全国チェーンの大手スーパーなどで真空パックの製品が取り扱われている。だが現在でも首都圏以外ではほとんど見かけることがなく、全国的には現物を見たことすらない人がほとんどである。

"東京 (関東) ローカルの食材で、全国的には 「ちくわぶ」 という存在すら知らない人がいる" とあるのがやや救いだが、18歳で上京して以来、半世紀近く関東に暮らしているのだから、やはりちょっとショックではある。そういえば 20代の頃におでんを食っていて、ついつまんでしまい、そのモソモソした妙ちくりんな食感に 「何だ、こりゃ?」 と思った記憶がある。

今から思えば、あれが 「ちくわぶ」 というものだったのか。見るのも嫌というほどまずいわけじゃないが、金を払ってまで食いたいと思うようなものでは決してない。他においしいおでん種はいくらでもあるのだから、何が悲しくてあんなものを食わなければならないのだ。

ちくわぶの入っていないおでんがあっても、個人的にはまったく構わない。そもそも 「ちくわぶ」 という名称からして、「竹輪」 の代用品としか思われないから、たとえこの世からなくなってしまっても、なくなったことに気付くことすらないだろうと思う。

念のために、おでん種の人気がどんな風になっているのか調べてみると、Softtrain という会社の 「~おでん 4700人アンケート~」 というページが見つかった。「好きなおでんの具の全国 1位は大根、2位たまご!」 というタイトルには納得するが、2行目に 「関東で好まれる具はちくわぶ、はんぺん」 とあるのにびっくり仰天してしまった。

全国ベースの人気ベスト 5 は、「大根、たまご、こんにゃく、竹輪、餅入り巾着」 と続き、ちくわぶはようやく 14位に顔を出す程度なのだが、関東だけに絞ると、このベスト 5 にはんぺんを加え、その次の 7位にランクされているではないか。これには驚きだ。関東を除いた地域では、ほぼ最低ランクに近いレベルだというのに。

なんとまあ、しらたき、がんもどき、さつま揚げ、つみれよりも、ちくわぶなんてものを好む関東人が多いというのである。関東ネイティブのおでんの好みって、一体どうなってるんだ。よっぽどおいしいものを知らないんじゃなかろうか。

とまあ、ちくわぶの好きな人には散々の暴言となってしまったかもしれないが、食の好みは人それぞれなので、お許し頂きたい。

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2017/01/03

尾道ラーメンは、申し訳ないが口に合わなかった

昨年暮れ、といってもまだ 1週間も経っていないが、広島県への出張で 「尾道ラーメン」 というご当地ラーメンを食してみた。ラーメンそのものは嫌いじゃなく、むしろ好きな方だが、ポリシーとしてなるべく肉食を避けている身としては、最近では 「ラーメンってチャーシューが入ってるからなあ」 と敬遠気味なのだが、まあ、ものは試しと、駅前の 「たに」 という店に入ってみたのである。

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尾道ラーメンに関しては、予備知識はまったくなかった。だから出てきたものを見て、そのスープの色の濃さにまず驚いた。しょう油そのものの色に見える。チャーシューがやたら大きく、さらに 「背脂ミンチ」 と称されるらしい肉の脂身の細切れがスープにたくさん浮かんでいる。麺は細打ちで縮れが少ない。薬味は青ネギ。

ここから先は悪口に聞こえてしまうと不本意なので、初めに断っておくが、決して 「まずい」 と言っているのではなく、私の好みには合わないというだけの話である。好きな人は好きなんだろうが、私個人としては正直言って 「このラーメンのどこがうまいんだ?」 とぼやきたくなった。

私はできれば魚介系のコクがあってなおかつあっさりしたスープが好みで、脂分はできれば少なくてギトギトしていない方がいい。麺は中太の縮れ麺が好みである。一番好きなのは生まれ故郷、酒田の 「満月」 のワンタンメン (参照) だが、佐野、喜多方、米沢系のラーメンは総じて旨いと思う。

要するに北関東から東北にかけてのラーメンならかなり OK で、やはり生まれた血筋は争えない。一方、西日本系のラーメンは、決して 「まずくて食えない」 ってわけじゃないが、和歌山ラーメンとか博多ラーメンとか熊本ラーメンとか、やっぱりピンと来ないのである。

今回の尾道ラーメンにしたって、「まずい」 というわけじゃないので完食し、スープだって最後の一滴まで飲み干した。だから傍から見たらおいしそうに食べているように見えたかもしれない。

「もしかして、同じ尾道ラーメンでも、この 『たに』 という店がとくに口に合わないだけなのかもしれない」 と思い、念のため翌日にその近くの 「味麺」 という店にも入ってみた。ところがやっぱり、出てきたのは似たようなラーメンで、すっかり完食したのは前日同様ではあるが、やはりおいしいとは思えなかった。

これでどうやら、尾道のご当地ラーメンは自分の口には合わないと確信するに至ったわけである。尾道ラーメンが大好きな方には申し訳ないが、やはり食い物の好みというのは微妙なもので、「絶対的なおいしさ」 なんてものはそうそうあるものではない。こればかりはどうしようもないことなのである。

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2016/10/24

鍋の最後に炭水化物を摂る 「しめの文化」 に馴染めない私

私は鍋の最後に 「しめ」 というものを食う文化に、かなりの違和感を覚えている。さんざん飲み食いした挙げ句にさらにメシだの、うどんだの。ラーメンだのと炭水化物を食い足すというのが、自分自身の 「食のスタイル」 に全然馴染まない。

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私は夕飯はさっさと食って、さっさと腹一杯になりたい人である。ところが日本の、とくにオヤジたちの食文化は、「とりあえずビール」 から始まり、大して腹の足しにもならないものをちびちびつまみながら、だらだらと酒を飲む。しかしそれでは寝る前に腹が減るので、最後に鍋に炭水化物をぶち込んでそれを食うのである。

私はといえば、酒なんて飲むよりもとにかくメシを食いたい。だから酒飲みの家に招かれて夕食に付き合わされると、いつまでもメシが出てこないので、腹が減ってどうしようもなくなる。それで 「あのう、ちょっとご飯をいただきたいんですが」 なんて言うと、「えっ、もうご飯ですか?」 なんて驚かれる。

そんなことを言われて驚くのはむしろこっちの方で、よくまあ、夜も更けてからメシも食わずに空きっ腹を我慢できるものだと思う。それで、さっさとメシを食ってしまうと、最後の 「しめのラーメン」 なんて、「そんなもの、いらんわ!」 ということになる。

これは、私が下戸の家に生まれて育ったからだと思う。私の父は、「酒はお猪口一杯ならおいしいと思うが、二杯飲んだら心臓バクバクになって死ぬ」 という人だった。だから夕食の前にとりあえず酒を飲むという発想がない。飲みたかったら、まず腹を満たしてからゆっくりと飲む。

本来なら、この方が体のためにもいいはずである。空きっ腹のうちに酒を飲んで、寝る前に炭水化物をがっつり食うなんていうのが、健康的なはずがないではないか。それで 「しめの文化」 には、自分自身がオッサンになってからも全然馴染めない。

仲間内で飲み屋に行って、「それぞれ好きなつまみを頼んで」 なんて言われても、私は 「おにぎり 2皿」 なんて注文して、不興を買ったりしているのである。

(写真は 「日清 妖怪ウォッチ 鍋用ラーメン」 というものを借用した)

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2016/10/15

黒パン礼賛

3日前に長崎まで行った際に乗った ANA の機内誌で、黒パンの特集をしていた。ドイツの黒パンのお話である。タイトルの 「今日も黒パン 明日も黒パン」 というのが気に入った。もちろん 「今日もコロッケ 明日もコロッケ、これじゃ年がら年中コロッケコロッケ」 という昔の歌にちなんだもので、「年がら年中黒パン」 というココロなのだろう。

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私が初めて行った外国はドイツである。25歳の時に、出張で行ったのだ。フランクフルトでは年に 2回インターストッフという布地の国際見本市が開かれていて、繊維業界紙の記者をしていた私は、以後何度も訪問した。

そして初めて訪問した時から、ドイツの黒パン文化に馴染んだ。ドイツの普通のレストランで供されるパンは、黒パンしかないみたいなものだったが、そのみっちりとして、やや酸っぱさのある食感が気に入ったのである。「パンというのは、こんなにおいしいものだったのか」 と思ったほどだ。

ドイツを訪れた日本人の、ドイツ独特の黒パンに対する反応は、きれいに 2通りの分かれる。「ドイツのパンには馴染めない」 という反応と、「黒パンも、なかなかいいものですな」 という反応だ。そして 「馴染めない」 派の方がずっと多い。さらに私のようにみっちりとした黒パンの方が気に入ってしまい、「白くてふかふかのパン」 に物足りなさを感じてしまう日本人はごく少数派だ。

日本でパンの定番と言えば、山崎の食パンだろう。まさに 「白くてふかふかのパン」 そのものだが、我が家では 「つまらないものの代表」 みたいに思われている。とくに私なんかは、「何が悲しくて、あんな味気ないパンを食うのだ」 と思っている。「まずい」 とか 「嫌い」 とかいうわけでは決してないが、金を出してまで買って食う理由がまったく思い当たらない。

日本は物が豊富にあって、いろいろなもののが選べると思われているが、ことパンに関しては、やっぱりその奥行きがない。おいしい黒パンを食べたいと思っても、なかなか手に入らないのだ。我が家では手作りの天然酵母パンを食すのだが、ライ麦がフツーに入手できる環境にないので、黒パンはまだ作ったことがない。

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2016/10/09

切干大根は美味い!

実は切干大根の煮付けなんていう料理が得意である。ニンジン、ネギ、油揚をたっぷり炒め、水で戻した切り干し大根を加えてじっくりと煮込む。味付けは鰹だしが理想だが、市販の出汁でも OK。最後に七味とうがらしをさっとふりかける。

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インターネット上に紹介されている切干大根のレシピをみると、たいていは砂糖を使うことになっているが、私は使わない。切干大根だけでなく、大抵の料理に砂糖は使わないのである。それは 「日本人と砂糖」 という記事に書いた通りだ。

砂糖なんか入れなくても、私の作る切り干し大根はうまい。前夜にたっぷりと作ったのを、夕食に食べようと思って楽しみに帰宅すると、娘たちがすっかり食べ尽くしてしまっていて、まったく残っていないなんていうのが、ザラだった。それほどまでに自慢のおいしさである。

とはいえ私は、切干大根なんて誰が作ってもおいしくできると思っていたのだが、実はそういうわけでもないらしい。それにはコツというものがあるようなのだ。私は昔から前世代の見様見真似で当たり前にやってきたことが、実は一般にはあまり知られていないようで、わざわざインターネットで 「コツ」 として紹介しなければならない世の中になったようなのである。

そのコツというのは、たっぷりの水でさっと洗い、少量の水で短時間のうちに戻すということだ。戻す時に水の量が多すぎると、煮込む時にせっかくおいしさの解け出た水を捨ててしまうことになり、もったいない。さらに水に長時間浸しすぎると、やっぱりおいしさが溶け出してしまう。

だから切干大根の煮込みなんて、案外短時間でささっと作れてしまう。あまり構えないで、たっぷり造っておけばいい。どんなに大量に作っても、おいしいからどうせ次の日には食べきってしまうことになる。

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2016/08/29

ノーミートのメニューは選択肢が極端に少ない

今日は群馬県高崎市までの出張で、往復 260㎞ を運転した。帰りは日が暮れてかなり空腹になったが、群馬県内の国道 354号線沿いには、私が入りたくなるようなレストランが見当たらない。ほとんど焼き肉屋とかハンバーグレストランとか、とんかつ屋とかいうのばかりなのである。

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私は肉食 (鶏肉を除く) を止めてほぼ 3年ぐらい経っていて、会食などで出てきてしまったら仕方なく食うが、自ら選択して肉を食うことはなくなった。だから、焼き肉とかハンバーグとかとんかつとかいう料理は、ハナから選択肢に入っていないのだ。

ようやく蕎麦屋を見つけて晩飯にありついたが、最近の外食の世界は、ことほど左様に肉食に支配されているのだと、改めて認識した。つまり肉を避けると、外食の選択肢が極端に減ってしまう。これは紛れもない事実で、ということは、外食をするとほとんどの料理に肉は入ってしまっているのである。

友人の多くは 「肉を食わないなんて言ってたら、食べるものがないじゃないか」 と言う。「今の世の中で肉食を避けてたら、暮らしていけないだろう」 と言う者までいる。動物性タンパク質を摂らなければ、栄養失調になると心配する者もいる。しかし実際にはそんなことは全然ない。世の中には完全菜食主義で活躍しているスポーツ選手もいるし、私は魚と鶏肉は食うしね。

要するに多くの人は、肉食忌避は現代日本における食文化の大勢に合わないから、そんなことにこだわるべきじゃないと言うのだ。逆に会食などで供された肉を仕方なく食うと、「お前は菜食のくせになぜ肉を食う」 と責められたりする。こっちだって食いたくて食ってるわけじゃなく、食べ物を捨てることの方が問題だから仕方なく食っているのに、この世の中は食い物のことになると、余計なお世話というのが妙に多いのである。

私は外食はできるだけ蕎麦とか魚類の定職とかにする。ラーメンすらもチャーシューと出汁に使う肉や骨の類を避けるために、最近は食べないようにしている。嫌いで食べないのではなく、ポリシーで食べないのだ。そしてポリシーで食べないでいると、いつの間にか肉類をおいしいと感じなくなる。不味いとまでは言わないが、あえて金を払って食べたいとは思わなくなるのだ。

そして、このポリシーは確かに現代日本の食文化には適合していないのだが、私としては、だからと言って妥協して肉を食おうとは思わない。そのうちに、日本の食文化もノーミートの選択肢が増えるものと期待している。

ちょっと前までは非喫煙者は少数派で、多くの場で煙の暴力に耐えていたが、今では少なくとも喫煙席が分離されるのが普通になり、むしろ喫煙者の方が肩身の狭い思いをしている。これと同様に、ノーミートのメニューが増えるのも自然の流れと考えている。ただ、それには時間がかかることが確実で、私の目の黒いうちに一般的になるかどうかはわからないが。

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2016/08/27

「コールスロー」 の語源は、オランダ語で 「塩キャベツ」

キャベツなどの野菜をやたらと細かく刻んでマヨネーズで和えたようなのを、「コールスロー」 という。まるで食い物らしくなく、石炭を放り投げるような名前なのだが、"coleslaw" という、いかにも英語らしいつづりなので、多分英語なのだろう。しかしなんでまたそんな風な名前なのか、さっぱりわからなかった。

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自分のお気に入りの食べ物の名前の由来を、いつか調べてみようと思いつつ、ついつい忘れてしまっていたのだが、本日、やっと思い出して調べてみた。調べてみると、やっぱりちゃんとした英語である。ただ、その語源がやや面倒くさい。Wikipedia には次のようにある。(参照

英語の 「コールスロー (coleslaw)」 という名前は 18世紀ごろにオランダ語の "koolsalade" (キャベツサラダ) を短縮した「コールスラ (koolsla)」 から生まれたものだが、1860年ごろまでのアメリカ合衆国とイギリスでは誤って "cold slaw" (冷たいスロー) と呼ばれており、ホットスローという温サラダが作られることもあった。英語の "cole" には本来ラテン語から派生したキャベツの意味があり、これはまたオランダ語 kool の語源ともなっている。その後 "cole" の意味が復活して英語でも coleslaw と呼ばれるようになった。

というわけで、元来オランダ語で 「キャベツサラダ」 という意味だったのが、誤解の結果 「冷たいサラダ」 になりかかり、その後辛うじて 「キャベツサラダ」 の意味に復帰したもののようなのである。ちょっと複雑な経路を辿って定着した言葉なのだ。"Koolsla" が "cool slaw" ではなく "cold slaw" だと思われたってことは、オランダ語の発音が 「クール」 ではなく 「コール」 に近いんだろうね。

で、「サラダ」 と 「スロー」 の関係だが、どちらも 「塩」 (英語では "salt") という意味の言葉を語源としているらしい。語源由来事典によると、英語では "salad" (サラド)、フランス語では "salade" (サラード)、イタリア語では "insalata" (インサラータ)、ドイツ語では "salat"  (ザラート) というとある。なるほど、オランダ語の "salade" はフランス語と同じスペルである。

サラダというのは、今ではいろいろなドレッシングで和えたりしているが、元々は塩で和えていたもののようなのだ。ということは、「コールスロー」 は 「塩キャベツ」 ということなのだね。

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