カテゴリー「スポーツ」の94件の記事

2018/09/08

私が e スポーツのオリンピック種目化に反対する理由

「e スポーツ」 がオリンピック種目として採用されることに関して、賛成・反対の論議が盛んになっている (参照)。昨日だったか一昨日だったか、ちらっと見たテレビ番組でもタレントやスポーツ選手がそれぞれの意見を述べていた。

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驚いたのは、何とかいう元プロ野球選手が 「反対」 を表明していたことである。彼が反対なのは、「そもそもその言葉、今日初めて知ったし、そんなのスポーツじゃない」 からだという。今日初めて知ったことについて、テレビで賛成だの反対だの、よく言えるものだと啞然とした。

こうした、いわば 「好きか/嫌いか」 だけで物事を判断するタイプというのは、飲み会では楽しいだろうが、議論の場にはいて欲しくない。真摯な態度としては、「知ったばかりのことなので、現時点では賛成か反対かを表明できない」 と言うべきだったろう。自分の好き嫌いは、脇に置いといて。

で、私の意見を述べるとすれば、「反対」 である。その理由は 「e スポーツがオリンピック種目としてふさわしくない」 というようなことではなく、オリンピックはこれ以上際限なく種目を増やし続けるべきではないということだ。それには 「貴金属の確保」 という問題も含まれる。

これ以上 「いいわ、いいわ」 で種目を増やし続けたら際限がない。幸いなことに e スポーツは、これまでのコンベンショナル・スポーツとは明確に一線が引けるから、オリンピックとは別の次元のものとして、勝手に発展すればいいと思う。自動車レース (F1、ラリーなど) はずっとその路線で独自のステイタスを作り上げているし、e スポーツもその方向性でいけるはずだ。

貴金属の確保という問題に関しては、2020年の東京オリンピックでも、銀の確保の見通しがまだ立っていないと報じられている (参照)。銀は金メダルの地金 (金メダルは、銀にメッキしたもの) としても使われるので、桁違いの量が必要になるのだ。この上まだ種目が増え続けたら、資源の確保にも関わる問題になりかねない。

いずれにしても、昨今のオリンピックの過度の商業主義化は、規模の拡大によって必然的にもたらされたものだ。規模をさらに拡大し続け、さらに e スポーツなんかが加わったりしたら、どんなにケバいものになるか想像もつかない。

あるいは、オリンピックがとてつもなく大規模でケバケバしいものになりすぎて、制御不能に陥り、自滅してしまうのを待つという手もあるかもしれないけど、そこに至るまでのプロセスが鬱陶しすぎる。

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2018/06/15

体を動かす方が、疲労回復のためにいい

一昨日、昨日と大阪に出張して、交通機関は新幹線を使った。片道約 2時間 30分の旅である。私が初めて東海道新幹線に乗ったのは 1970年のことで、この時は東京、新大阪間が 3時間 10分かかったという記憶がある。そして前世紀末頃には 2時間 30分ぐらいになった。この差は結構大きい。

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いつも不思議に思っていたのだが、新幹線車内では 2時間半の間、ただ座っているだけで、せいぜいスマホを眺める程度のことしかしないのに、なぜか結構疲れるのである。東京駅で下車し、つくばの自宅に着く頃にはぐったり疲れたりしている。

昨日、東京駅で下車して 「上野東京ライン」 の快速電車に乗り換えたときは、それほど混んではおらず、空席もかなりあったのだが、疲れているのになぜか座席に腰を下ろす気になれず、取手駅で下車するまでの 50分以上、ずっと立っていた。立ったままで、車両の揺れに任せて微妙に体を動かしている方が楽なのである。

そしてタイミングのいいことに、帰宅してから読んだメルマガに、どうして立っている方が楽なのかという解答があった。「休日に動かない人ほど疲れが取れないワケ 逆に体を動かした方が回復を図れる」 という東洋経済の記事である。人間の体は本来動くようにできているので、最新の研究では動かない方が不自然で、疲れることが分かっているのだそうだ。。

記事によると、疲れを取るには 「ゆっくり走る」 「泳ぐ」 といった軽い有酸素運動を 20分ほど行うのがベストで、"「疲れないためにじっとしている」 よりも、体を軽く動かしたほうが、「血流が促進されて脳と体にたくさん酸素を運ぶことができ、疲労物質の対流 (ママ: 多分 「滞留」 の変換ミスだろう) を防ぐ」 ことになるとある。ということは、新幹線から乗り換えて座席に座らなかったのは、体が無意識のうちに正しい選択をしていたわけだ。

現代のスポーツ医学では、「ある程度体を動かしたほうが回復が早くなる」 という 「動的回復」 が主流で、従来の 「休む=じっとする」 ままであれば、体のダメージを余計に増大させてしまうことになりかねないというのである。

とはいえ、アスリートならぬごくフツーの人間としては、ぐったり疲れてしまうと体を動かすことも億劫になる。疲れた時にきちんと体を動かそうという気分になれるためにも、普段からエクササイズしておくことが必要だろう。要するに 「動く方が気持ちがいい」 と、よく知ってる体に保っておきたいということだ。

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2018/05/15

車いすバスケットボールのポスターでちょっと

先日、電車内でみかけたパラリンピック関連の吊り広告で、なんだか納得いかないのがあったので、ここに掲げておく。もしかして単に私の知識足らずに過ぎないのかも知れないので、詳しい人のコメントを期待したい。

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何が納得いかないのかというと、車椅子バスケットボールに関する解説で、「ジャンプの代わりに片輪を浮かせる」 ということに関してだ。上に画像を掲げておく。これに関する説明として、次のように書いてある。

一般のバスケットボールと同様に、高さが有利に働く車いすバスケットボール。車いすではジャンプができない代わりに、片方の車輪をあげて高さを確保する 「ティルティング」 というテクニックがあります。絶妙なバランスで繰り出す凄技は必見です。

しかし、実際のイラストを見ると、2人の選手が競り合ってボールを奪い合っているが、2人ともボールに伸ばした腕の、反対側の車輪を上げているのである。これではボールに対する 「高さ」 が、ちっとも確保されていない。

一方、「ティルティング バスケットボール」 のキーワードで画像検索すると、下のような写真が表示された。これなら、シュートしようとしてボールを持った方の手の 「高さ」 をしっかりと確保できていて、なるほど 「高い打点を維持」 という字幕も納得できる。

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ポスターのイラストから考察すると、競技用の車いすは車輪が前後から見て 「ハ」 の字型に付いているので、この場合は 2人の選手がお互いに伸ばした腕の側の車輪を垂直にして、ボールの真下に入ろうとした結果なのかもしれない。ただ、これは必然性はあるが、「高さを確保するため」ではなく 「位置を確保するため」 なので、解説文とそぐわない。

あるいは、2人の選手がボール下に勢いよく入り込んだ際に、勢い余って反対側の車輪が持ち上がってしまっているとも想像できる。いずれにしてもこのポスターは、イラストにするための写真の選択を、ちょっと誤ってしまったのではないかと思うのである。

ちなみに 「ティルティング」 とは "tilt" (傾ける)  という英単語から来ている。クルマの世界ではハンドルの角度を変えられるのを、誰が言い始めたのか、ダサダサに訛って 「チルト・ステアリング」 なんて言っている。

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2018/04/28

「女子相撲」 というのがあるとは知らなかった

相撲の土俵に女性を上げないのはいかがなものかと、あれこれ話題になっている中で、「私立高で相撲を指導していた夫婦、セクハラを繰り返す 『気持ち悪い』 と退部した女子部員も」 なんて報じられた。このニュースのおかげで、女子部員の在籍する高校相撲部があるということを、初めて知った。

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検索してみると、「日本女子相撲連盟」 という組織があって、平成 9年に 「第1回全日本新相撲選手権大会」 というのが開催されていたという。「世界女子相撲選手権大会」 まで開催されているなんてことまで書いてあって、私はそんなこと、ちっとも知らなかったよ。ちなみに競技は体重別で行われ、レオタードの上にまわしを付けるというスタイルで行われるという。

この日本女子相撲連盟という組織は、大相撲の 「土俵に女性を上げない」 という問題では 「我関せず」 と沈黙を守っていて、少なくともこれに関する公式発言は探しても見当たらなかった。女子相撲は 「あくまでもスポーツ」 というスタンスであるらしく、大相撲のような神事的要素は極力排しているようなのである。

一方の大相撲協会の方も、Wikipedia によると相撲のオリンピック競技化を目指し、「新相撲」 として女子相撲連盟の設立に協力したという経緯があるというのだが、この件に関する公式発言はまったくない。そりゃそうだ。表沙汰にしてまさに 「同じ土俵」 に立ってしまったら、たちまち自己矛盾に陥る。ここは、お互いに 「似て非なるもの」 という建前で触れないことにしているようなのである。

まあ、ちょっと考えてみれば、女子レスリングや女子柔道があるのだから、女子相撲があっても何の不思議もない。ただ、レスリングや柔道は同じスポーツの中に男子部門と女子部門があるということなのだが、相撲の場合はしっかりと 「別物」 というご都合主義を採用しないと、いわゆる 「大相撲」 の存在基盤が崩壊する。

そして、このような 「スポーツとしての相撲」 が定着すると、「大相撲」 の 「異界的要素」 がいやが上にもクローズアップされる。少なくとも、「大相撲はスポーツじゃない」 というのが共通認識となってしまうだろうから、「スポーツのような、見世物のような、神事のような」 という、摩訶不思議な曖昧さの上に成り立ってきた大相撲にとっては、かなり複雑なところだろう。

元々しっかりあったけど、まさにそれこそが大相撲の存在意義であった 「世間とのズレ」 が、ここに来てちょっと別の意味を持ち始めているような気がする。

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2017/12/04

日本プロ野球の 「黒船」 とは

野球にはそれほど強い興味がないのだが、敢えて言えば昔から 「アンチ巨人」 の立場を貫いてきた。というか、私の場合は 「アンチ巨人」 というよりは 「アンチ巨人ファン」 という方がいいかもしれない。

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巨人ファンというのは、まあ決して全員がそうというわけじゃないが、単純に 「勝馬に乗っていれば幸せ」 的な人が多いという印象である。ただそれは何も巨人ファンに限った話ではなく、時々ヤクルトが優勝したりすると、急に 「自分は前々からヤクルト・ファン」 などと言い始める人がいるのと本質的には変わらない。

ただ、巨人ファンの場合はその優勝する機会が多いので、「自分は巨人ファン」 と公言する機会が多くなっているだけで、要するにしょっちゅう勝馬に乗っているわけだ。それが昂じると巨人が勝っているうちはいいが、負ければ堂々と機嫌が悪くなったりする。これははっきり言って大人げないわがままで、私としては 「負けて当たり前、勝てば嬉しい」 という阪神ファンの方にずっと親近感を覚える。

というわけで私はジャイアンツに特段の恨みはないが、巨人ファン的体質が嫌いなので、当然ながら、巨人が調子よく連戦連勝を続けるよりは、コロコロ負けてくれる方が世の中のためになると思いながら生きてきた。

ところが最近はプロ野球自体が一時の勢いがなくなってきて、私としてもその勝ち負けを意識することもあまりなくなってきたのである。そしてふと気付けば、ジャイアンツは 3年続けてリーグ優勝を逃していて、さらに 4年前はリーグ優勝したのに 「クライマックス・シリーズ」 とやらで負けて、日本シリーズに進めなかった。

というわけで 「アンチ巨人」 であり続けるのが馬鹿馬鹿しくなるほど、最近の巨人は強くないみたいなのである。福岡のソフトバンクとか北海道の日本ハムとか、東北の楽天とかが力を付けていて、従来の中日、阪神、広島といったセリーグの球団だけに限らず、全体的にフランチャイズ制の意味が実感できる状態に近付いてきた。これはなかなかいい傾向だと思う。あとはいっそ、企業名ではなく地名をチーム名にすればいい。

ちょっと過去に遡って調べてみたところ、2003年から 2006年にかけて、巨人が 4年連続リーグ優勝を逃した時期があって、この時は 3位、3位、5位、4位と、今回より始末が悪かった。2004〜05年に監督を務めた堀内恒夫は、こう言っちゃナンだが 「監督としては無能」 の烙印を押されて、3年契約完了を待たず辞任している。

2003年に優勝を逃したのは、第一次原監督時代の最終シーズンで、松井秀喜がメジャー・リーグのヤンキーズに FA 移籍していなくなった年だった。結局この穴を埋めることができず、翌年の堀内監督時代にはチーム内のモチベーションまで下がっていたようだ。

こうしてみると松井秀喜の国外移籍は、かなり象徴的な出来事だったわけだ。それまでの読売巨人軍は日本プロ野球界の頂点に君臨していたのだが、これ以後、優秀な選手は狭い日本の頂点の巨人なんかよりも、メジャー・リーグに行きたいと思うようになったのだ。

ちょっと前まで日本の野球界ではドラフト制度があるとはいえ、結局は FA 制度とやらのおかげで、良い成績を残した選手は何年かすれば大抵巨人に移籍できた。そのせいで、それまでは他チームで四番打者だった選手が巨人では代打要員になったりして、野球界全体の人的資源活用という見地からすると、いかがなものかという状態にまでなっていた。

ところが最近は、優秀な選手は FA でどんどん国外に出て行くようになった。ということは、巨人はいい選手を独占できなくなったのである。

ドラフト制度で実現できなかった日本プロ野球界の戦力平準化は、こうしてメジャー・リーグへの移籍拡大という現象で、ようやく実現されつつあるわけだ。やはり日本という国は、「黒船」 がなければ根本的な変化は遂げにくいようなのである。

【付け足し】

私としては 「メジャー・リーグ」 なんて表記するのはちょっと痛恨で、「物差しリーグ」 じゃあるまいし、"Major League" の本来の発音に近い 「メイジャー・リーグ」 と書きたいところなのだが、最近は不本意ながら大勢に従っている。「メイジャー・リーグ」 と書くと、気取ってると思われたり、果ては 「メジャー・リーグの間違いでしょ」 なんて言われちゃったりすることまであるし。

日本では、音楽の "C major" (日本語では 「ハ長調」 のことね) はあくまでも 「シー・メイジャー」 であって、「シー・メジャー」 なんて言わないのに、その他の分野ではなぜか 「メジャー」 と言うのがマジョリティになってしまったようなのだ。

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2017/06/09

巨人が 13連敗してるんだね

先日電車に乗っていたら、隣に座った若いサラリーマン風の 2人がやたら熱心に 「巨人はどうしたら連敗脱出できるか」 を語り合っていた。やれ、誰それと誰それを 3番、4番に据えて、守備陣をどうだかしてテコ入れするとか、ずいぶん専門的な用語を使って、それはそれは、日本の将来でも語るような情熱だった。

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その時は、「一体、何をそんなに力んでるんだろう」 と思っていたが、昨日ふと思い立って新聞をみると、巨人は 12連敗してるんだった。へぇ、ちっとも知らなかった。そして昨日の夜にまたしても負けて 13連敗なんだそうだ。

元々、いわゆる巨人ファンという人種にはあまり好感を抱いていない。彼らは 「勝って当たり前、負ければ機嫌が悪くなる」 というところがある。「負けて当たり前、勝てば上機嫌」 という阪神ファンとは対照的で、要するにゴーマンなところのある種族だと思っている。

そのゴーマンな巨人ファンが、あれだけ悲壮になっちゃってるんだから、やはりこれは一大事なのだろう。その昔、長島さん (巨人は嫌いだが、長島さんは好きなのだ) が監督を務めた年に最下位になったことがあると思うが、それ以来のニュースである。

しかし、そろそろ日本の野球界も変わっていいんじゃなかろうか。日本全国に巨人ファンが溢れているというのは異常としか思われない。それぞれの地域でご当地チームを応援するのが、望ましいというか、当たり前の姿なんじゃなかろうか。

最近は夜のテレビでもナイター中継が減ったようだ。ちょっと前まではどのチャンネルも巨人戦ナイターを中継していたが、あれこそ馬鹿馬鹿しい姿である。まだラジオはそんなようなところがあるが、そのうち変わってくるだろう。

巨人は今シーズンばかりでなく、4〜5年間ぐらいはボロボロに負け続けて、妙な幻想を壊してしまうぐらいでちょうどいい。「巨人にしがみついていれば商売になる」 という状況を木っ端微塵にしてしまえば、プロ野球界だけでなく、日本人のおかしな精神風土も少しは変わるかもしれない。

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2017/05/25

子どもの野球離れ

子どもの野球離れが進んでいるのだそうだ。今月 22日の NHK ニュースの伝えていたところによると、「指導者不足」 が最も大きな問題らしい。中学校あたりの野球指導者はほとんどが素人同然で、自分の野球部体験が唯一の拠り所のため、旧態依然とした根性論が横行しているという。

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私の故郷の隣町、山形県鶴岡市では、公的な指導者講習を受けなければ野球指導ができないシステムになっていると伝えられた。ニュース画面で流れたのは、「古い指導では、何かあると 『走ってろ!』 と命じてきたが、それが何の役に立つのか?」 と、講師が疑問を呈する場面だった。講習を受ける指導者予備軍は、それを指摘されて初めて、旧来の根性論優先の指導の弊害に気付くようだ。

こうした根性優先主義は、あたら若い子たちが自分の体を壊してまで滅私奉公することを美化する妙な精神主義となり、最終的には高野連のお偉方の権威主義につながる。私なんかちょっと極端な印象をもっていて、北朝鮮の TV ニュースの、あのすごいオバサン・アナウンサーの口調を聞くと、高野連のもろ権威主義のおっさんの口調を思い出したりしてしまう。

高野連の坊主頭強制は、北朝鮮の弾道ミサイル開発とそれほど変わらないレベルの 「誇りの象徴」 なんだろうという印象までもっている。かの朝日新聞は、こうした妙なシステムの頂点に位置するという、不思議な側面ももっている。世の中、まことに一筋縄では語れない。

ともあれ野球というスポーツは、今となっては 「ダサい」 「オヤジっぽい」 というイメージを強めているようだ。日本では一流選手になれば、まだサッカーよりも金になるが、団塊の世代の大多数があの世に行ってしまう頃には、その差はかなり縮まるか、逆転されるかしているかもしれない。

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2017/03/10

バットやラケットなどを使う球技が苦手

今の丈夫で病気知らずみたいな私を知っている人には、「小学校の 4年生までは虚弱児だった」 なんて言っても信じてもらえないが。本当のことなのである。小学校 4年生、いや、5年生の春ぐらいまでは、私は痩せてガリガリな体格で、かき氷を食べてもすぐに下痢してしまうようなもやしっ子だった。

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ところが 5年生の夏ぐらいから 「ありゃ、俺って、こんなに丈夫だったっけ?」 と、自分で驚くほどめきめき健康になった。それまでは運動会の徒競走でいつもビリから 2番目だった (私よりもっと遅いでぶっちょが 1人いたのだ) のが、急に トップから 2番目になり、翌年は僅差のトップ争いをするようになった。そして中学校に入るとしっかりトップでテープを切るようになり、女の子にキャアキャア言われる楽しみを味わった。

小学校 6年までは自分でも自分の健康さが信じ切れないようなところがあり、走って人を追い越したりすると妙な違和感を覚えたりもしていたが、中学校になると、「クラス対抗リレーには、俺が出なくて誰が出る」 みたいな自信までついていた。わずか数年間でエラい変化である。

ところが小学校高学年になってようやく丈夫で健康になったような子は、残念ながら運動全般が得意ってわけにはいかない。例えばバットやラケットなどの専門用具を使った細かいテクニックが必要なスポーツは、今イチ入り込めない。

基本的に素手でやるバレーボールやバスケットボールなどはいい。特別上手というわけじゃないが、少なくとも下手じゃない。しかし野球や卓球、テニスなど、「ソフトボールより小さなボールを、バットやラケットなどの用具を使って操る」 というのは、ちょっと苦手なのである。

ああした類いの種目は、かなり幼い頃から親しむことによって得られる 「慣れ」 とか 「勘」 みたいな要素が大きな比重を占めると思うのだが、それが私には欠けている。体力では劣らなくても、細かいコントロールのテクニックで負けてしまうのだ。

同様に体操競技も苦手である。何しろ高いところが苦手みたいなところもあるので、跳び箱や鉄棒で回転するなんてのが下手なのだ。これでも合気道の黒帯だから、投げ技で取る受け身はどうってことないが、人の身長より高いところで回転するのは心臓に悪い。

ガキの時分から日が暮れるまで野球をやったり、草っ原で飛んだり跳ねたり、でんぐり返ったりというような幼児体験が、虚弱児だった私には決定的に欠けているのだ。そういうわけで、私の心の底にはちょっとねじ曲がった運動コンプレックスが残っている。

というわけで、「体力がものを言う」 みたいなことなら、還暦をとっくに過ぎた今でも 「任せてちょーだい」 と言えるのだが、細かいテクニックとなると 「ちょっとゴメンね」 になることがあるのだよね。

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2017/01/21

稀勢の里は横綱になれるだろう

暗くなった道をカーラジオを聞きながら家路を辿っていると、大相撲初場所で稀勢の里が優勝を決めたというニュースが入った。これで横綱昇進を決定づけたかもしれない。3年前に 「稀勢の里は横綱になれない」 と予言した (参照) 私としては、不明を恥じるほかない。

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私が 3年前に稀勢の里を見限ったのは、下半身の弱さ故だった。四股を踏めば 「悪い四股の典型」 だし、腰を下ろして見合う時も素人みたいな腰高だ。とにかく、上半身の力強さに比べて腰回りが小さすぎるのである。いかにもバランスの悪そうな体つきだった。だから安定性に欠けて、負けなくてもいい下位力士にポロポロ負けていた。

大相撲中継を見るところでは、稀勢の里の四股の踏み方は今でもかなり腰高で、決して褒められたものじゃない。しかし腰回りのアンバランスなほどの小ささは目立たなくなっていて、「よほど下半身強化に取り組んだんだろうな」 と思わせる変化が見られる。30歳を過ぎてこれほどの変化が現れるとは思っていなかっただけに、ちょっと驚きだ。

元々上半身の強さは抜群だから、下半身が安定すれば、序盤戦での取りこぼしも少なくなる。最近の勝率の高さはそれを証明しているだろう。3人のモンゴル人横綱の衰えが目立ち始めているのも追い風だ。

というわけで、3年前の 「稀勢の里は横綱になれない」 発言は撤回させていただくことにする。 ただ今場所も中日を過ぎてからすぐに腰が浮いてしまいがちなので、この欠点は完全に払拭されたわけではない。調子の良い時はいいが、やや体調が悪い時でもそれなりに安定性を確保できるかは疑問だ。

だから横綱になれても、名横綱になれるかどうかはちょっと悲観的である。それに横綱土俵入りの四股は、通常の四股とはちょっと違うけど、きちんと腰を入れてないとカッコ悪くなってしまうから、意識してもらいたいものだ。

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2016/12/18

アントラーズ、準優勝なら立派なもんだ!

日曜日だというのに外で仕事があり、家に帰った時にはすっかり日が暮れていた。サッカーの FIFA クラブワールドカップ ジャパン 2016 の決勝は既に始まっていて、テレビのスイッチを入れた時には前半終了間際だった。

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私は茨城県在住なので、当然鹿島アントラーズに勝ってもらいたい。しかし相手はあのレアル・マドリードである。到底勝ち目はないと思っていた。前半で 3点差ぐらい付けられてるんじゃあるまいかと思っていたが、なんと、1対1 の同点ではないか。こりゃ、エラいことだ。

それどころか、後半開始早々に、柴崎の見事なゴールで逆転してしまった。あれは、なかなかカッコよかった。「後は、必死に守ってくれ! こりゃ、とんでもないことになるかもしれない」 と、少なからず胸が躍ったのである。

もし相手が同じスペインのチームでも、バルセロナだったら、アントラーズ贔屓の私でも、バルサを応援していたところだ。私はバルセロナが世界で最も贔屓とするサッカー・チームであり、アントラーズは 2番目なのである。レアル・マドリードはお呼びじゃない。

いかにも体制派の王室御用達みたいなレアルは、趣味じゃないのである。スペインという国は一度も行ったことがないが、昔から仕事で会うカタルーニャの人とはなぜか馬が合うのだ。だったら、バルサを応援せずにどうするというのだ。

試合はロナウドに同点 PK を決められて振り出しに戻り、延長前半にロナウドに 2ゴールを決められて、ということは、癪なことにハットトリックなのだが、結局 4−2 で敗れてしまった。でも、まあ、初めから世界ナンバー・ワンのクラブチームになるなんて期待はあまりしてなかったから、準優勝なら立派なものである。

J リーグのクラブが世界一になるのは、もう 10年かかっても無理かもしれないが、「2016年に、アントラーズが決勝まで残ったんだぜ!」 という実績は、大きな誇りとして残り、それ以上に大変な励みになるだろう。あとは、ワールドカップでちゃんとした実績を残せるナショナル・チームを実現してもらいたいものである。

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