カテゴリー「スポーツ」の45件の記事

2008/03/29

"プロレス 「暗黒」 の 10年" を過ぎて

"プロレス 「暗黒」 の 10年" という本を一気に読み終えた。著者は元 「週刊ファイト」 編集長の井上譲二という人である。

副題は "検証・「歴史的失速」 はなぜ起きたか" という。ここ 10年で進行した日本のプロレス沈没のプロセスを、現場に最も近い場所にいた者のみが持ち得た視点で辿っている。

まず、念のために確認しておくが、著者は、「週刊ファイト」 の今は亡き 「 I 編集長」 と呼ばれた井上義啓氏とは、苗字は同じでも別人である。I 編集長の頃には、井上譲二氏は 「週刊ファイト」 の米国特派員として、なかなか読み応えのある記事を書いてくれていた。あのタイガー・ジェット・シンの自宅訪問記事を書いたのも、彼だったと思う。

「感覚のプロレス」 というコンセプトを掲げてカリスマ的な 「活字プロレス」 を創出した I 編集長とは違い、その跡を継いだ井上譲二氏は、ある意味ではとても常識的な感覚 (といっても、プロレス村での 「常識」 だが) を週刊ファイトの紙面に持ち込んでいたように思う。

プロレスが好きで好きでたまらないのに、I 編集長ほどに全人生をそれに捧げきるほどの思い入れを前面に出すことができず、むしろ、近くで細部を見過ぎたために、客観的に冷めた目を持たざるを得なかったというような、割り切れない編集スタイルだった。

そしてこれは、プロレス衰退をリアルタイムで見送った男の、哀切に満ちたレクイエムのような本である。

この本の中で、井上譲二氏は、「あの時、もし彼が …… だったら」 とか、「もう少し …… していれば」 とか、「たられば」 論法を少なからず使っている。I 編集長がよく言っていた 「引かれ者の小唄」 そのものの書き方だ。彼自身、多分わかっていながら、止むに止まれず小唄を唄っているのだろう。

今さら言っても、時計が逆回りすることなどないと知りつつ、あの血湧き肉躍るプロレスの魅力を、もう少しだけでいいから味わいたかったと言っているように思える。

ちなみに私自身は、もう大分前からプロレスには見切りを付けていて、今や 「格闘技」 に入れあげている。プロレスが衰退するのは、これはもう、歴史の必然だからしょうがない。

井上譲二氏の悲哀は、閃光のような輝きをもちながら、今では滅びの運命を辿るプロレスというメディアに最適化しすぎた、とても特殊なジャーナリズムを背負っていたものの悲哀だと思う。

プロレス向けに最適化された感性は、「格闘技」 という似て非なるものに入り込めない。目の前で見ても、その本質を伝えられない。そのもどかしさが、この本の底流に見え隠れする。

プロレスの沈滞は、もうこれはどうしようもない。さればとて、プロレスラーが格闘技に打って出ても、通用しないのである。プロレスラーは 「技を受ける」 体になりすぎているので、「技を受けない」 格闘技では、勝てないのだ。

プロレス記者にしてもそうだ。プロレスを書ける記者が格闘技を書けるとは限らない。いや、むしろ書けないのだろう。プロレス論の多くの部分は観客論だが、格闘議論は逆に実践論が重要な部分を占める。道場で受け身すら取ったことのない記者に、それを書けと言っても所詮無理なのだ。

私は、往年の 「週刊ファイト」 のような輝きをもつ格闘技専門誌紙の登場を待つ。しかしそれには、実践的格闘議論を、受け身を取ったことのない読者にもわかるように書ける力量をもった記者が育たなければならない。これは相当にむずかしい課題だ。

ああ、私がもう少し若かったら、それを書いてしまうのに。

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2007/11/03

問題の投手交代について

中日が日本一になったのを、私は翌日の朝刊で知ったのだが、落合監督が完全試合目前の投手を交代させたことで、野球ファンはものすごく熱くなっているようなのだ。

「日本一になったんなら、それで結果オーライじゃん」 ということでは済まないらしい。野球ファンというのも、なかなか大変だ。

一方は、「日本シリーズで完全試合達成というドラマに巡り会う、夢のような機会をぶち壊した」 として、落合監督を 「空気読めない」 と罵倒し、他方は 「これでもし、9回で逆転を許して、札幌に舞台を移したら、またしても日本一を逃していたかもしれないではないか」 と、結果の雄弁さを支持する。

はっきり言って、私には不毛な論争にしか思えない。現実に雄弁な結果論と、それを遙かに上回る可能性だって大きかったように思われる仮定の話の対決だからだ。それはそれで結構な結果が出てしまってからのことで、それだけに、どちらにも言い分がある。

もう一つの対決ポイントは、「勝ちさえすればいいのか」 という視点と 「負けたらどうしてくれる」 という視点のギャップだ。これはどちらかというと、野球論から逸脱して、人生論の領域にオーバーラップする。とはいえ、「好きずき」 というレベルの人生論だが。

このへんで、とくに野球ファンというわけでも何でもない私の感想を書かせていただこう。

それは、中日というチーム、結構いいムードで戦ったのだなということだ。監督がどんな采配を振おうとも、選手はそれに文句を言わないという暗黙の了解というか、慎ましい信頼感があったように思える。

エースの川上が初戦でダルビッシュとの投手戦に投げ負けようと、監督の意識としては 「想定内」 だった (つまり、半分は 「捨てゲーム」 と位置づけていた) ようで、そして、それが見え見えでも、川上はプライドがどうしたこうしたといった反抗的態度に出ていない。

それに、問題の第 5戦で、「空気読めない」 投手交代をされても、山井投手は 「自分は一杯一杯だったから、最後は岩瀬さんに投げてもらいたかった」 などとコメントをしている。なんと素敵なフォローイング・アップだろう。

山井投手が本当に自ら 「替わってください」 と言ったのかどうかなんて、そんなのは、わからない。本当は最後まで投げたかったのかもしれない。いや、きっと投げたかっただろう。それでも、そんなことはおくびにも出さずに、模範解答的に殊勝なコメントを発する。

それはもちろん、53年振りの日本一という結果が、全てを許してしまうという雰囲気にもよるのだろうが、そうしたコメントを出させる、ある種のチーム内の信頼感というのが、あるいは瞬間風速的にだったのかもしれないが、少なくとも、あの夜にはあったのだろう。

私は、投手交代そのものを云々するよりも、むしろチーム内でそれを許した、目に見えない信頼感というものを評価しておきたい。

それに、10年後のプロ野球回顧談の中では、「日本シリーズで完全試合を達成した山井」 というエピソードよりも、「完全試合目前の投手を代えてまで、勝利にこだわった落合監督」 というエピソードの方が、是非は別としても、より大きく心を動かすバリューを持つだろうという気もする。

落合監督は 「記憶に残るよりも、結果がすべて」 とコメントしているようだが (参照)、実際にはそれによって、さらに記憶にも残ってしまうことになったと、私は思う。

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2007/10/12

ボクシング業界のしがらみ

スポーツ新聞の一面は、亀田大毅の 「無様な」 敗戦の話題でもちきりだ。もともと実力差は明白だったので、こんなところだろう。

前チャンピオンとのリターンマッチを年内にも要求されている内藤としては、「楽して勝つ」 がテーマだったと思うが、まさかプロレス技でくるとは思わなかったに違いない。

内藤としては、弱小ジム所属の悲哀を内心感じていたことだろう。興行権を挑戦者側の協栄ジムに握られ、チャンピオンは自分なのに、挑戦者の亀田大毅の方が 10倍とかいわれるファイトマネーを取っている。

それに、亀田側の 「最年少チャンピオン記録」 狙い (どうせ勝てないのに) の都合で、無理矢理なスケジュールを押し付けられる。まあ、どうせ近いうちに前チャンピオンとのリターンマッチをするなら、早いとこ片付けといた方がいいということで受けたのだろうが。

今回の試合では、亀田の 「投げ技連発」 という無茶な反則と試合後の態度が非難の的になっているが、少なくとも、反則連発は予定の戦略だったのだろうと、わたしはマジに疑っている。試合経過で敗色濃厚になったら、明らかな反則で失格になることを狙っていたのではないかと思う。

その上で、「あれは負けやない。こっちがちょっと熱くなってしまっただけや」 と後で言い訳をする。こうして亀田の 「不敗神話」 を守るというストーリーだ。

ただ、反則の仕方が中途半端だったのか、レフリーが協栄ジムに余計な気を使ってしまったのか、「失格」 とはならずに、反則による減点なんかなくても覆らないほどの、「大差の判定負け」 という結果が出てしまった。

思惑はずれもいいところだろう。あんなに明々白々な反則を連発したのに、これでは、イメージが地に落ちただけ踏んだり蹴ったりである。

思えば、大毅もかわいそうなものである。兄や弟ほどのボクシングセンスがあるわけでもないのに、「亀田三兄弟」 戦略に否応なく組み込まれて、ボクシング漬けの日々を強要されている。それを拒否したら、家族から排除されてしまう。年端も行かない少年としては、従うしかない。

ある程度のところで芸能界への転進というルートもあっただろうが、今回のイメージダウンでそれも難しくなった。残された道は、早めの 「親父離れ = 亀田家離れ」 しかないだろうと思うぞ。まあ、どうでもいいけど。

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2007/09/21

野球の本質はチマチマした勝負?

私は野球ファンじゃないので、あまり血湧き肉躍る思いはしないのだが、ここに来て、プロ野球のセ・リーグが大混戦の様相である。

ゲーム差 0.5 の中に上位 3チームがひしめく窮屈さだ。それにしても、野球の勝負というのは、とても小さな差が、最終的に雲泥の差になって現われるという特徴がある。

例えば、現在のセ・リーグの順位表をみると、首位が勝率 .555 の阪神で、最下位が勝率 .409 のヤクルトである。つまり、阪神が首位だとはいっても、10回やって 6回は勝てないチームなのであり、一方、どんじりのヤクルトでも、10回やれば確実に 4回は勝つのだ。

それなのに、優勝すればビールをかけ合って大騒ぎになり、最下位になれば監督の責任問題にまで発展する。

これだけわずかな違いにしかならないのは、野球というのはほとんど毎日のように試合をしなければならないからである。

先発投手 6人のローテーションで回すとして、2人は勝てる確率の高い投手を擁していても、残り 4人のうち 2人が勝ったり負けたりで、あまり確実性のない投手、2人があまり勝てない投手だったら、やっぱり、チームの勝率というのは、よくて 5割を越す程度にしかならないのも道理である。

野球の試合が、1週間に  2回とか 3回とかしかなかったら、優勝チームの勝率というのは 7割とか 8割近くになるかもしれない。でも、そうなったら、ペナントレースはつまらなくなるだろう。

チームだけでなく、個人成績でも、10回打って 3回ヒットになれば一流といわれ、2回しかヒットがなければダメ扱いにされる。さらに、100回打って 30回ヒットになるのと、29回しかヒットにならないのとでは、たった 1本の違いなのに、3割打者かそうでないかで、扱いが全然違う。

こうしてみると、野球というのはシーズンを通してみると、ちょっとした数字を効率よく稼ぐために汲々として戦略を立てるスポーツなのだとわかる。

20日現在の成績表をみると、首位の阪神なんかは、総得点が 485点で、総失点が  504点と、取られた点の方が多い。不思議な首位チームである。勝つときは僅差で勝ち、負けるときは大負けしているということだ。だが、戦略的にはそれで正解なのである。

一方、巨人なんかは総得点が 566点とダントツで、総失点の  508点を大幅に上回っているのに、圧倒的に首位を走るというわけにはいかなくて、3位に甘んじている。つまり、戦略が下手なのである。大差で勝ちながら、僅差で負けているのだから。

昨日までの巨人・阪神の 3連戦でも、巨人は 1点差で 2敗し、10点差で 1勝している。あまり利口なやり方とは思われない。勝つにも負けるにも、とてもエネルギーを消耗しているのである。ほぼ勝てると見極めがついたら、余計な点なんか取らずに、さっさと帰って寝ればいいのに。

こうしてみると、こんなにチマチマした勝負を展開するのだから、セ・パ 6チームずつというのでは、スケールが小さすぎる。よくまあ、こんな小さな規模でこんなチマチマした勝負をするのを、そんなに興奮してみていられるものである。

やっぱりアメリカの メイジャーリーグのせめて半分ぐらいの規模がないと、本当にシンパシーをもって付き合う気にはなれないんじゃなかろうかと思ってしまうのである。

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2007/07/31

カール・ゴッチの死

30日、名古屋での会議に出席するために、10時前の新幹線に乗ろうとしたら、静岡県内の豪雨のため運転していないという。

「おやまあ、どうしましょう」 と思ったが、とりあえず東京駅まで行くと、動き始めていた。あらうれしやと新幹線改札口を通った途端に、落雷で再び運転中止。やれやれ。

で、またまたとりあえず、一番先に出発しそうな 「ひかり」 の自由席に座っていると、ほどなく発車して、約 40分遅れで名古屋に到着した。会議にはぎりぎりセーフ。やれやれ。

帰りは 5時前の 「のぞみ」 で、何のことなく帰って来ることができた。やれやれ。で、名古屋駅で 「東スポ」 じゃない、「中京スポーツ」 を買うと (45年来のプロレスファンである私の愛読紙である)、なんと、あのカール・ゴッチが亡くなったという記事が載っている。

今年は、本当に大切な人が死ぬ年である。5月に母が亡くなったのは別格として、カール・ゴッチが死んだというのは、一つの時代の終焉を感じさせるお話だ。

私は昭和 48年にカール・ゴッチの試合を生で見ている。今はなき蔵前国技館で開催された、新日本プロレスの 「世界最強タッグ」 という試合だ。アントニオ猪木、坂口征二組 対 カール・ゴッチ、ルー・テーズ組 である。

この当時、カール・ゴッチは 48歳、ルー・テーズは 57歳だった。ルー・テーズは最盛期にいくら強かったとは言え、今の私の年よりさらに 2歳も上である。2本目で坂口征二をバックドロップで投げて、フォールを奪ったとはいえ、印象としてはちょっと弱々しかった。それも仕方がない。還暦までに 3年しかないという年である。

それに、坂口征二は決して器用なプロレスラーというわけじゃなかったから、あの年のルー・テーズの良さを引き出すというわけにはいかなかった。猪木ならそれができたのだが。だから、バックドロップで投げられた時も、わざわざ投げてもらったという印象だった。

ところが、カール・ゴッチは 48歳にしてまだまだ強かった。猪木と五分で渡り合えていた。30代前半の頃は、うっとりするほど強かったろう。

ゴッチのスタイルは、ショーマンシップを廃した 「ストロング・スタイル」 であると言われているが、それでも、それなりのギミックは要所要所に配していた。猪木のキーロックに決められたまま、彼を肩の上まで担ぎ上げて、コーナーポストの上まで運んでしまうというのは、おなじみの見ものだった。

後に長州力が同じことをしようとしたが、どうしても相手を肩の上まで担ぎ上げることができず、ちょっとみっともなかったのを覚えている (もとろん、相手も下手だったのだろうが)。こうしてみると、ゴッチさん、一面ではなかなかのパワーレスリングの体現者だった。

昭和プロレスの地味ではあるが重要なギミックのひとつに、レッグロックがある。足固めだ。子供の頃のプロレスごっこで、足固めを決めようとすると、空気を読めない素人 (どうせ素人なのだが) の子供は足を思いっきりバタバタさせたり、相手を蹴ったりするので、なかなかレッグロックに入れなかった。まったく困ったものである。

現在の格闘技でも、レッグロックなんていうのは容易には決まらない。思いっきり足をバタバタさせて逃げれば、そんなに決められるものではない。

カール・ゴッチは、いくらショーマンシップを嫌ったとはいえ、足をバタバタなんてみっともないことはしなかった (そんなことをしたら、プロレスにならない)。しっかりとシックに、エレガントに、足首関節の極め合いという状況を演出して見せてくれた。

プロレスで大切なものは、レスラー同士の信頼感である。信頼し合っていればこそ、難しい技も仕掛けられる。仕掛けられれば、受けても見せられる。信頼感のないところに名勝負は生まれない。

今思えば、カール・ゴッチとの信頼感を醸造するというのは、なかなか高いハードルだった。なまじの技量では追いつかないのである。日本のプロレスラーの中には、それを体現する者が多かった。だから、カール・ゴッチは日本のレスラーをコーチするのが好きだったのである。

昭和プロレスの時代は、なかなかいい時代だった。その中での最も高レベルの体現者であったカール・ゴッチの死を、私はとても重く受け止めている。本当に本当に、冥福を祈る。

そして、クラシック・スタイルのプロレスを追求する 「無我」 には、少なからず期待している。

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2007/07/16

「ハンドル投げ」 をめぐる冒険

「ハンドル投げ」 という言葉をご存知だろうか? 初めて聞いたときは、私の頭の中にも 「?」 の文字が 50個ぐらい渦巻いた。

ある時カーラジオを付けたら、たまたま競輪の中継で、ゴール直前のクライマックスにさしかかっている。そしてゴールの瞬間、アナウンサーが 「ハンドル投げー!」 と叫んだのだ。

その瞬間、私は勝った選手が嬉しさのあまり、自転車のハンドルを引っこ抜いて観客席にぶん投げてしまったのかと思ったが、いくらなんでもそれは違うようだ。そんなに簡単に引っこ抜けるハンドルでは、危なくてしょうがない。じゃあ、一体何なのだ?

競輪ファン以外の者で 「ハンドル投げ」 なんて言葉を知っているものはほとんどいないだろうが、アナウンサーはお構いなしで、この業界用語の説明なんて一言もしてくれない。考えてみると、スポーツ中継のほとんどは、特殊な用語の説明なんて全然しないのである。

思えば、私は野球中継を聞いていても、「チェンジアップ」 の何たるかを知らなかった。競馬中継を聞いていても 「こずみ」 の何たるかを知らなかった。しかし、なんとなく当たらずとも遠からずという感じで想像することはできる。

「チェンジアップ」 は、普通のストレートボールとは目先を変えた変化球なんだろうし、「脚に 『こずみ』 が出ている」 と聞けば、何となく違和感があるのだろうなとはイメージできる。そして、今日、上記でリンクするために調べてみたら、ほぼ想像していたとおりの意味だった。

しかし 「ハンドル投げ」 に至っては、いくら何でも表現がぶっ飛び過ぎで、わけがわからない。で、家に帰るまで、この 「ハンドル投げ」 とは何ぞやということが、頭の片隅にひっかかって離れない。私は言葉関係には案外しつこいのである。

インターネットで調べると、「ゴール前にハンドルを両手で突き出すこと。若干だが前に伸びるため、接戦時には有効的だがタイミングが難しい」 という解説が見つかった (参照)。なんだ、「投げる」 んじゃなくて、「突き出す」 んじゃないか。

しかし、本当にハンドルを両手で突き出したところで、伸びが期待できるんだろうか? 自転車がゴムのように伸びるわけじゃあるまいし。

しかし、私は理数系はからきしだから、確かな根拠があって言うんじゃないが、多分、本当に伸びるんだろうと思う。

ハンドルを突き出すような動作をすると、自転車の前輪の斜め上から前方下に向かうベクトルがかかる。このベクトルが前輪の中心を越えるとき、前進方向の加速力に変換されても不思議はない。自転車は後輪駆動で動くが、瞬間的に前輪の方にも駆動力がかかったような形になるんじゃなかろうか。

車輪の回転と上下のベクトルというのは、これとは少し違うが、自動車を運転していても実感することがある。路面に盛り上がりやコブがある時、それを越えた瞬間に、わずかにアクセルをふかしてやると、バウンドを感じないでスムーズに進行することができる。

コブを越えて、車体が一瞬沈みかける瞬間、アクセルをふかすと、前輪 (最近の車の多くは前輪駆動なので) のトルクが上がり、それで上から下に向かうベクトルが地面に伝わるので、沈み込むベクトルと相殺して、バウンドしないで済むのだ。

これとやや共通した力学で、多分自転車もわずかに伸びを見せるんだろうが、それでも、この 「ハンドル投げ」 というテクニックは、微妙である。ゴールラインを越えてしまってからハンドルを突き出しても意味がないし、あまり手前でやると、体が伸びきってしまうので、一瞬後には減速してしまう。

プロのテクニックというのは、なかなかスゴイものである。

ところで、私は言葉としての 「ハンドル投げ」 は、やはり 「あんまり」 だと思う。「ハンドル突き出し」 とか「ハンドル押し」 とか言う方が正確だろうと思うが、語感があまりよろしくないというなら、せいぜい 「ハンドル・プッシュ」 とか 「ハンドル・チャージ」 (「取扱手数料」 (handling charge) みたいだけど) とか言えばいいのに (完全に和製英語だけど)。

英語では自転車のハンドルは "handlebar" なんだけど、この際、固いことは言わない。

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2007/05/04

高野連の都合

高野連の 「最終発表」 によると、日本学生野球憲章に違反するスポーツ特待制度申告は 376校だったそうだ。

要するに、有力校のほとんどなんだろう。あれだけ勇ましくプロ野球側に噛みついちゃった行きがかり上、このくらいの出血は、仕方がなかったのかもしれない。

それにしても、なんでまた、今さら、特待制度の調査なんてことになったのだろう。高野連のお偉方が、こうした制度があるのを知らなかったわけはないだろうに。

これは、部外者の寝言と思ってもらって結構なのだが、私は密かに、これまで 「おねだり体質」 で甘い汁を吸ってきた高野連の一部 (?) のお偉方を守るために、学校に泥をかぶってもらったんじゃないかと疑っている。要するに、個人を守るために、学校をやり玉に上げたんじゃないかということだ。

野球の得意な子の学費を免除するなどの優遇は、私は別に悪いことじゃないと思う。勉強のできる子が奨学金をもらえるのだから、スポーツの得意な子が特待制度の恩恵にあずかって、何が悪いというのだろう。それほど大騒ぎするほどのことじゃなかろう。

それよりよっぽど問題なのは、有力なアマチュア選手をプロ球団に斡旋して、法外な裏金を受け取ることだ。しかも、プロ球団が多額の裏金を出すようになったのは、アマチュア側の指導者が要求したからだという、有力な情報がある。

普通に考えても、需要と供給の関係の常識からいえば、少数の有力選手を複数のプロ球団が取り合えば、そりゃあ、売り手市場にもなろうというものだ。

そんなこんなで、アマチュア側の指導者の中には、叩けば埃の出る人がいくらでもいるだろうと想像される。とくに都道府県単位の連盟の役員の中には、そんな人がいても不思議じゃない。そんな 「おねだりさん」 がぼろぼろ明るみに出たら、それこそ大変なことになる。

こう考えると、連盟が個人としての保身に協力的になったとしても、不思議はない。そのために、学校レベルでの特待制度を 「隠れ蓑」 にするのは、まあ、少し奇異な感じはするが、アイデアとしては 「あり」 ということだったんじゃなかろうかと、思ってしまうのだ。

その上で、「世論に鑑みて」 許されてしかるべきという結論が出たとか何とか言って、近い将来、理事会で修正決議して、野球の特待制度にお墨付きを与えてしまうということだってできる。そうすれば、今回の一時的な出血なんて、取るに足りないことになる。

何度も言うけれど、これは 「部外者の寝言」 なので、そのあたり、よろしく。

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2007/04/27

自分で自分の首を絞める高野連

私はこのコラムで、過去に何度かアマチュア野球関係のお偉方の 「超エラソー」 な態度をオカズにしているが。高野連のお偉方に至っては鬼気迫るものがある。

今回の 「野球特待問題」 への対応 (参照) なんて、自分で自分の首を絞める錯乱状態のようにみえる。

私はこの問題が取りざたされるまで、高野連が野球関連の特待制度を禁じているなんてちっとも知らなかった。だって、スポーツの得意な子が、授業料を免除されたり減額してもらったりするなんて、常識だからだ。野球だけが違反だなんて言ったら、それこそスポーツ界内部での 「差別」 である。

高野連のお偉方だって、これまでその実態を知らなかったはずがないではないか。それがプロ野球の裏金問題の余波なのかどうかしらないが、急に固いことを言い始めた。よくよく建前先行の世界である。

「今後、きちんと授業料を払ってください」 なんて言われたら、野球特待生の父兄の多くは 「そんなんだったら、公立に行かすんだった」 と嘆くかもしれない。「授業料は要らんから、ウチの高校においで」 と誘われたからこそ、その私立校に入ったんじゃないか。

今さら 「あの話はなかったことに」 ということになったら、後に残るのは、高い授業料だけだ。肝心の野球の方は、このゴタゴタで身が入らないだろうし、まったくもって気の毒なことである。

それに、ほかの種目の特待制度は大手を振って残るのだから、今後、高校スポーツ界の重点は、野球からサッカーなどほかの種目に移行するだろう。スポーツは私立校の動く広告塔なのだから、野球がだめなら、ほかで宣伝するだけの話である。

そういうことになったら、高校野球のレベルは低下する。甲子園野球もつまらなくなる。ひいては、そこから選手の供給を受けるプロ野球のレベルも低迷する。そうならないための唯一の防衛策は、クラブチームの振興だ。

これからは、もしかしたら甲子園野球は役割を終了して、クラブチームのトーナメントか何かが脚光を浴びてしまうなんてことにもなりかねない。

高野連は、マーケティング的に見ると、明らかに自殺行為に走っている。

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2007/04/06

野球はビッグ・ビジネスじゃなくなった

西武の裏金問題が浮上した先月、私は "アマ側はずいぶんいい子ぶってるけど、昔は関係者一同、「おねだり体質」 だったこともあるはずなのにね" と書いておいた (参照)。

で、一月も経たないうちに、それがしっかりと証明されてしまった。アマチュア野球の監督って、結構いい商売だったみたいなのだ。

西武側の発表では、アマチュア野球関係者 170人に裏金を渡していたということで、一説には、その 4割が高校野球関係者だという。だとすれば、甲子園野球出場常連校の監督 (あるいは元監督) なんか、心臓がばくばくしちゃってるかもしれない。

アマチュア野球関係者って、表面的にはものすごく 「清く正しく」 みたいなことを言っているけれど、その実、お金が大好きで、さらにものすごくエラソーで傲慢だという印象がある。それが、今回バレバレになっちゃったわけだ。

いずれにしても、西武がこうした 「自爆テロ」 に出たというのは、野球というのがもう、かつてのようなビッグビジネスじゃなくたったということだ。それだけに、かつての堤義明型の金にものを言わせた俗悪な手法から決別するための、ハードランディングなのだろう。

スポーツの世界を牛耳りたいという強烈な野望をもったオッサンがいなくなったんだから、会社としても、もうこれ以上付き合いきれないというわけだ。こんな手荒なやり方で決別宣言するほどだから、元々、会社の中間クラスから下はうんざりしてたんだろうね。

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2007/03/17

裏金騒動を裏から見る

西武ライオンズがアマチュア野球選手に裏金を渡していたことを自らゲロしたため、てんやわんやである。アマチュア野球側は声を揃えて 「希望枠」 の撤廃を要求している。

ふーん、アマ側はずいぶんいい子ぶってるけど、昔は関係者一同、「おねだり体質」 だったこともあるはずなのにね。

そもそも、西武が自ら白状したのだって、良心の呵責に堪えかねてというよりは、その方が得だからということだ。要するに、「もう、これ以上、裏金をつぎ込んでまでチームを強くしようとは思いません」 ということで、もっと正直にいえば、「もう、野球につぎ込むほどの金なんか、ありません」 ということになるのだろう。

で、どうせ裏金をつぎ込むのを止めるなら、いっそのこと白状しちゃうことで大問題にしてしまい、今後は、どの球団も裏金を使うにも使えない状況にしてしまえばいいということなのではなかろうか。

「死なばもろとも」 である。1年ぐらい、ペナルティでドラフトに参加できなくなっても、長い目で見ればずっと得である。だから、今回白状しちゃったのは、自爆テロみたいなものだ。

ごくごく少数の金持ち球団以外は、裏金を使っての有望選手獲得に 「もう、付き合いきれん」 と思っていたのだろう。で、以前は 「付き合いきれていた」 けれど、近頃はどうしようもなくなってしまった西武が、「それならば」 ということで、イスカリオテのユダの役割を果たしてしまったと見るのが、自然のような気がする。

要するに、以前は巨人と 2~ 3の球団がさんざん金を使ってくれて、周りの球団はコバンザメのごとくに、そのご相伴にあずかっていればよかったのだが、近頃では巨人の人気にもかげりが出たし、今までのメソッドじゃ、やっておれんということなのだろう。

だったら、戦力平準化しちゃった方が、球界も儲かるということなんだろうね。

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2007/03/05

K-1 の 3試合観戦記

近頃の K-1、つまらんなんて言いながら、ついまたテレビ観戦してしまった。格闘技中毒である。ただ、見始めたのが 9時頃からだったので、一番の好勝負だった (らしい) カラエフ 対 バダ・ハリ は見逃してしまった。残念。

で、見たのは 武蔵 対 藤本、バンナ 対 澤屋敷、シュルト 対 セフォー の 3試合のみ。

武蔵 対 藤本 は、もう初めから藤本が勝つと予想していた。武蔵はもう、とっくにピークを過ぎている。元々あまり威力のないパンチとキックのヒット・アンド・アウェイのみを武器に、ホームタウン・ディシジョンで勝ってきた選手なのだから、フットワークが衰えたら勝てる要素はない。

それにこの試合、本戦の判定がドローというのは、疑問が残る。終始攻勢だったのは藤本である。有効打のみを評価するという K-1 方式とはいえ、最終ラウンド終了直前のラッシュは十分に有効だったのだから、あれでドローはひどすぎだろう。

あのまま延長戦に突入したら、ブーイング必至だったが、角田審判長 (という立場だったっけ?) がリングに登場して、両者の消極的な戦法を熱烈批判。これで見事に判定への不満をそらしてしまった。

ちょっとわざとらしいギミックだったが、延長で藤本がミルコばり (ちょっとほめすぎ?) の左ハイキックで KO しちゃったから、まあ、結果オーライか。かなり複雑な気分だけど。

K-1  2戦目という澤屋敷がバンナに勝ってしまったのは、本当に本当に驚きだが、バンナは、左肩あたりの妙な湿疹ぽい痕といい、キックをまったく出せなかった動きといい、コンディションがかなりおかしかったのは確かだろう。

それに、澤屋敷のぐるぐる逃げ回ってカウンターだけを狙う戦法が、次からも通用するとは思えない。次に当たる対戦者は、カウンターを食わないように一応追いかけているふりだけして、相手の消極的姿勢をアピールすればいい。そうすれば、澤屋敷の減点ということになって、判定勝ちできる。

シュルト 対 セフォーは、さすがに体力差でシュルトの勝ち。シュルトは、昨年は体がぶよぶよで動きも鈍く、ピークを過ぎてしまったのかと思わせたが、今回は少しだけ締まっていた。とはいえ、全盛期の動きじゃない。

モチベーションがかなり低下しているんじゃあるまいか。だから近頃の彼の試合は、とてもつまらないのだ。

ああ、PRIDE が見たいなあ。

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2007/01/12

「ぬるぬる」 秋山、やっぱり失格

1月 2日のエントリー で触れている、大晦日の K-1 Dynamaite のメーンイベント、秋山成勲 対 桜庭和志 戦における 「ぬるぬる疑惑」 について、K-1 サイドが秋山の不正行為を認め、失格の裁定を行った (参照)。

体にスキンクリームを塗っていたとのことで、K-1 と秋山のイメージダウンは避けられない。

K-1 側の発表は 「ワセリン、タイオイル等の塗布はなかったが、秋山は全身にスキンクリームを塗っていた」 というもの。これは 「クリームは OK だと思っていた」 という秋山の認識不足によるものであり、カメラの前で堂々と塗っていたことなどから、悪意ではなく過失と判断したという。

このあたりは、かなり微妙なところである。秋山は今回の記者会見で、元々 「乾燥肌」 で、それを防ぐために普段から使用し、塗っても大丈夫という認識だったと発言したという。しかし、試合後の記者会見では、自分は 「多汗症」 であると言っていたではないか (参照)。

多汗症で、しかも乾燥肌の人間なんているか? この辺からして、秋山という人間を信頼できるかどうかは、大いに疑問だ。

大汗かくヤツが 「乾燥肌」 とかなんとか言って、体にスキンクリームなんか塗って、照明に照らされたリングで格闘技の試合なんかしたら、汗とクリームが混じり合ってぬるぬるになるのは当たり前である。「悪意ではない」 というが、本当にそうなのか?

そもそも、私が 1月 2日のエントリーで指摘したように、秋山のタックルを切る動きはかなり不自然だった。あんな風に長靴でも脱ぐようにひょいと回ったりは、普通はしない。ぬるぬるを前提として、練習で繰り返し身につけなければ、咄嗟にはできないだろう。

今回の処分を幕引きとして、K-1 側は事を収めたいところだろうが、そうは行かない。まだまだ疑惑がすべて解決されたわけではないのだ。今後、秋山はリングに上がるたびに猛ブーイングを浴びることを覚悟しなければならないだろう。自分で蒔いた種だから、仕方がない。

後から PRIDE の動画を見るにつけ、総合ルールの試合に関しての、K-1 のいい加減さは際立つ。損なわれた K-1 への信頼が、今回の処分発表で回復されるとみるとしたら、それは甘すぎるというものだ。

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2007/01/02

大晦日の K-1 は、もう見なくていい

本来なら昨日付で書くべきネタだが、元日用には 「予定稿」 があったし、元日にふさわしいとも思えなかったので、後回しにした。

何の話かと言えば、大晦日に行われた 「K-1 Dynamite」 についてである。まともな試合は、所 対 ホイラー の一戦だけ。ああ、「PRIDE」 が見たかったといっても、繰り言か。

とりあえず、金子賢 対 アンディ・オロゴン、曙 対 ジャイアント・シルバの 2試合は、金を取って見せるような代物じゃない。金子賢は、格闘技センスなさすぎ (あんなんだったら、私の 30代の頃の方が強かった)。曙の試合は、馬鹿馬鹿しいの一言。

チェ・ホンマン 対 ボビー・オロゴンは、マッチメイク自体が、バラエティ・ショーの発想。ウェイト差ありすぎという点では、永田 対 勝村も、勝村に気の毒すぎた。

明らかにトレーニング不足でバッド・シェイプだったのは、ニコラス・ペタスとセーム・シュルト (曙とシルバは、改めて言うまでもない)。もしかしたら、シュルトはもう下降線をたどってるのかもしれない。

砲丸投げ選手相手に、相手が疲れるまで手こずってしまったのは、武蔵。須藤元気はコンディションの悪さが見え見え (引退は無理もない) だったし、石澤常光は、相変わらず対打撃の防御ができてない。

山本 Kid と魔裟斗も、それぞれ、総合ルールと K-1 ルールで戦ったのだから、勝って当然の試合。

そして、最も後味悪かったのは、秋山成勲 対 桜庭和志のメーンイベント。桜庭のアピールした 「秋山の体、ぬるぬるやんけ」 疑惑は、今となっては検証の仕様がないが、確かに不自然な動きがいくつかあったということは、言っておこう。

普通、タックルを切るとき、下半身を後ろに引いてがぶるものだけど、あんな風に長靴でも脱ぐようにひょいと回ったりはしないだろうよ。そもそも、最初に秋山が道着を脱いだのはいいとしても、下の方まで脱いじゃって、その下から赤いトランクスが現れたのには、ちょっとしらけた。あそこで、何かあると思うべきだったかもしれない。

そして、確実に言えるのはレフリーの試合を止めるのが遅すぎ。ビデオで流された、山本 Kid 対 須藤元気の 「電撃的」 なまでのレフリー・ストップと比較したら、同じ団体の試合とは到底信じられないものがある。

あれで、「裏で何もなかった」 と言われても、にわかには信じられない。試合を裁いた梅木レフリーのブログは、完全炎上である。かばえないと思う。ただ、レフリーなんかよりもっと問題なのは、サダハルンバ谷川だと思うのだが。

見ようによっては、K-1 はなまじテレビ中継があるので、バラエティにしなければならなかったのかもしれない。その点、PRIDE はテレビがなくなって財政的には大変だろうが、コアなファンをメインに想定することができた。世の中、何が幸いするかわからない。

ただ、こんなことでは、せっかく盛り上がりかけていた総合格闘技も、プロレスの二の舞になってしまいそうで、ああ、本当に心配である。

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2006/09/16

「感覚のプロレス」 から 「論理のプロレス」 へ

元祖 「活字プロレス」 の 「週刊ファイト」 が、今月一杯で休刊になる (参照)。私はネット版の 「ウィークリーウェブファイト」 の有料購読者なのだが、こちらの方も休止となるようだ。

発行元の新大阪新聞社は、「活字メディアの衰退とマット界の沈滞などから読者が減少」 したことを、休刊の理由としている。

格闘技フリークである私は、学生時代から 「週刊ファイト」 の愛読者である。私の学生時代は、新日本プロレスの成長期で、試合はゴールデンタイムでテレビ中継されていたが、貧乏学生だった私のアパートの部屋にはテレビがなく、大事な試合も見逃すことが多かった。

それでも、翌日には 「東京スポーツ」 で試合結果を知り、さらに、毎週木曜日になれば、「週刊ファイト」 でその裏事情まで窺い知ることができた。

当時の編集長だった井上義啓氏のカリスマ的編集方針により、「週刊ファイト」 は、単なるリング上の結果よりも、それを保証するリング外の事情まで取り上げて、コアなプロレスファンのニーズに応えていたのである。

本物のプロレスファンにとっては、「プロレス八百長論」 などは極めて低次元の話であって、それを超越したパフォーマンスの評価こそが問題なのだった。それは、時折垣間見られる 「本物の殺気」 にも支えられていて、往年の猪木プロレスには、確かにそれがあった。

「約束事」 の上に成り立ちながら、時にはそれを踏み越えてしまうプロレスというパフォーマンスであるからこそ、井上編集長の言われる 「感覚のプロレス」 ということが、大きな意味を持っていた。

リング上の世界を支えるバックグランドまで精通して、その上で 「わかる人だけがわかる世界」 というものを、彼は 「活字プロレス」 で表現した。そこから、ターザン山本氏、金沢克彦氏などの名物プロレス記者が巣立った。

しかし、私は 「感覚のプロレス」 というのは、「井上編集長一代限り」 のものだと思っている。「感覚で観る」 プロレスは、猪木の引退とともに、とっくに終わってしまっているのだ。長州力があそこ止まりなのは、「感覚のプロレス」 に鈍い感覚で固執しているからである。

時代は 「論理のプロレス」 を志向しているのだ。しかし、プロレスが 「論理」 を志向してしまうと、それはもう 「プロレス」 ではあり得ない。「格闘技」 になってしまう。その意味で、「プロレス」 が衰退し、「格闘技」 が脚光を浴びるのは当然のことなのである。

そして、「プロレス記者」 の多くは、「論理のプロレス」 に対応できなかった。「論理のプロレス」 の記事というのは、道場で実際に打ち合い蹴り合いをし、関節を極め、極められする経験をしなければ、書けるものではない。「観客論」 の立ち位置では無理なのである。

例えばターザン山本氏は、いまだに個人的思い入れに立脚した 「感覚のプロレス」 を書くという流儀から離れられない。それゆえに、彼の書く格闘技記事には、膝を打って 「そうであったか!」 と感嘆することがない。

今では、格闘技のレポートは、活字記者の書く記事よりも、格闘技経験者の書くブログの方がずっと説得力がある。その意味で、「活字メディアの衰退とマット界の沈滞」 というのは、プロレスとプロレス・マスコミの両方が招いてしまったことでもある。

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2006/08/09

今頃になって亀田の試合を冷静に語る

ネット上の亀田興毅バッシングがあまりにもすさまじいので、実際どんな試合だったのか、You Tube で見てみた。

実は、彼がリング上で動くのを見るのは、これが初めてである。私は今月 3日のエントリーで書いたように、亀田親子にはあまり興味がないのだ。趣味が合わないのである。

世間では 「いきなりダウンの 1R」 「しがみつくのがやっとの 11R」 「立っているのがやっとの 12R」 などと言われているので、見た目にもよっぽどの大差と思っていたのだが、まあ、ダウンは文字通りとしても、11R と 12R は、けなされすぎの印象だ。

決して 「しがみつくのがやっと」 でも 「立っているだけがやっと」 でもない。それでも、12Rを 10 - 9 で亀田のラウンドとした金氏のジャッジは、やはり 「いくら何でも、ちょっとね」 と言いたくなる。

You Tube で見たのは 1R、11R、12R の3回だけである。想像だが、中盤のラウンドは亀田も相当がんばって見せたのだろうから、僅差の判定というのは、あながちでたらめというわけじゃない。

しかしそれでも、ランダエダの支配した試合だったというのは、間違いのないところだろう。

まあ、ランダエダにしても、あまり無理をしていない印象だ。きっと裏のからくりをわかっていて、KO かよっぽどの大差を付けなければ勝てないという自分の役どころを、きちんとわきまえていたのだろう。

相手方のリングに来るというのは、そういうことなのだ。本当に何が何でも勝ってベルトを巻きたかったら、自分のホームリングにこだわる。最悪でも、第三国での試合にする。今回は初めから 「亀田興毅のための試合」 だったのだ。

それだけに、無用の過剰な打ち合いを演じてダメージを負うのはまっぴらという戦い方をしている。それよりも、終始紳士的に振る舞って、試合でもちょっとだけ優勢に戦ったという印象を残しておく方が得策だと考えたのだろうと思う。

そうでもなければ、試合後にそんなにさばさばしていられるものじゃない。

いずれにしても、亀田興毅という選手、さんざん強がりを言うほど圧倒的な強さを持っているわけではないという印象だけが残った。技術的には特段見るべきものがない。

当人は無理な減量が響いたと言っているようだが、減量でロスしたのはパワーとスタミナだけである。技術的には、今のところあんなものなのだろう。

まあ、「八百長」 というのは言い過ぎとしても、裏の部分での圧倒的な力関係の構図に支配されたイベントだったのだなという印象が強いとだけ、正直に書かせていただこう。はっきり言って、イメージ悪い。

それにしても、某テレビショーのやくみつる氏のパフォーマンス、あれもちょっとね。普段漫画でやってるスタイルのまんまで、趣味の悪さじゃ、どっちもどっちだ。

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2006/08/03

亀田の試合なんて、見なかったけど

格闘技フリークの私だが、例の亀田三兄弟には興味がないので、TBS の実況も全然見る気がしなかった。

夜 10時過ぎに、ウェブ上のニュースで亀田の勝ちを知ったが、どうやら露骨なホームタウン・デシジョンだったようだ。試合前の猿芝居パフォーマンスでも、負けてたしね。

私はスポーツの世界におけるある種の父親のあり方に、とても戸惑いを感じている。その代表が、死んだ二子山 (初代貴乃花) と、亀田三兄弟の父親だ。

この二人、人前で自分の息子を褒めすぎだ。あまりいいものじゃない。あんなんでは、子供だって、ろくなものにならない。

一時の二子山部屋と、今の協栄ジムは、有力選手 (相撲の場合は 「力士」 だが) を多く抱え、「業界」 における力が強いという点で共通している。だから、かなり見苦しいことがあっても、周りからは何も言われない。

周りで何も言ってくれないと、頭の悪い連中は、自分がよっぽど正しいと勘違いしてしまう。その勘違いが甚だしいと、今の若貴兄弟のようになってしまうのだ。あれだけ栄華を誇った二子山部屋の遺産も、色褪せるのに時間はかからなかった。

亀田三兄弟にも、誰かきちんと礼儀というものを教えてやる人がいないと、いいことばかりは続かない。相手をリスペクトするということを知らない選手の試合には、カタルシスがないので、つまらないのである。

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2006/07/25

役者が不足してた? 本荘高校

アマチュア・スポーツ関係のお偉方たちは、大概びっくりするほどエラソーなのだけれど、個人的な印象からすると、野球の人たちの 「エラソーさ」 はひときわ群を抜いている。

権威ばかり振りかざし、空虚な精神論に終始する。今回の高校野球秋田大会の 「故意の三振問題」 も、そんなようなもんだろう。

既にあちこちで取りざたされているから、改めて触れるまでもないが、22日の全国高校野球選手権秋田大会準決勝の、本荘 ― 秋田戦で、12対 1でリードした本荘高校の監督が、雨天ノーゲームを避けるために、わざと三振をするように選手に指示したという問題だ。

この件で、高野連は、「雨天で試合が中止されることを恐れた故意の行為」 「最後まで全力を尽くすべき理念に反する」 「相手チームに失礼」 などと判断し、校長、部長、監督の連名による始末書の提出を求めたという。

断言してもいいけど、この大会の運営現場は、雨天ノーゲームにもならず、試合予定がサクサク運んだことを喜んでいたはずだ。接戦ならまだしも、12対 1である。再試合なんてことになったら、馬鹿馬鹿しい。連投につぐ連投の、ピッチャーの身にもなってみろ。

そして、報道にも問題があると思うのだが、結果は、「雨天コールド」 では断じてない。あくまでも、7回までに 7点差以上開いたことによる 「得点差コールドゲーム」 である (根拠は こちら)。この点はしっかりと認識しておかなければならない。

雨天というファクターは、雨天によるノーゲームが避けられたという事項のみに関連する。そして、雨天に乗じてノーゲーム狙いの遅延行為をしようとしたのは、相手の秋田高校の方のようなのだ。本当に 「相手チームに失礼」 なのは、どっちなのか。

ほとんど結果の見えた試合を、サクサクと運ばせてきちんと成立させるために、ちょっと手を抜いたぐらいのことで、「校長、部長、監督の連名による始末書」 の提出を求めるなんて、エラソーにもほどがあると思うのである。

「最後まで全力を尽くすべき理念に反する」 と言っても、試合そのものが無効になったら、泣くに泣けないだろう。その結果、ピッチャーが肩でも壊したら、誰が責任を取るというのか。

相手の秋田高校の監督のコメント、「最後まで一生懸命やろうとしていたのに、負けた以上の屈辱だ。悔しい」 というのも、なんだかなあと思ってしまう。

だって、その後にちゃんと 7回裏があったじゃないか。その 7回裏で食い下がって試合を引き伸ばすことができず (つまり、ノーゲームにもちこめず)、7回コールドで負けた時点で、それは、きちんとルールに則った 「最後」 に他ならないのである。

あるいは、7回表の攻撃を延々と続けてもらい、20対 1ぐらいの点差がついた時点で、雨天ノーゲームになれば、「屈辱」 ではなかったのか。よくわからん。

だが、まあ、こうした理屈の通用しないところが、高校野球の高校野球らしいところと、言えば言えなくもなかろう。そのあたりが好きな人は好きなんだろうな。私はうんざりするけど。

私が本荘の監督なら、「故意とはバレないように、必死こいたスイングで空振り三振して来い」 「本盗の途中で、足をもつれさせて転んで来い」 と、そっと耳打ちしただろうと思う。本荘高校、ちょっと役者が不足していたかも。

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2006/06/13

ラグビーじゃないのに

正直言って、今回の W杯、私個人としては全然盛り上がっていない。初めから、ほとんど勝てそうな気がしていなかったし。

初戦のオーストラリア戦にしても、真夜中だったら見ないで寝てしまおうと思っていたのだが、10時からというので、それならばせっかくだからと、TV 観戦していたのである。

前半は 1-0 でリードしていたので、もしかしたらこのままいけるかとも思ったが、スーパーセーブを続けていた川口が調子に乗って前に出すぎて 1点を取られると、あとは浮き足立ってしまい、絵に描いたような逆転負けである。

ラグビーじゃあるまいし、サッカーでオーストラリア相手に、こんな負け方をしては困る。こうなると、残り 2戦は 1勝 1分けでもつらいし、1勝もできずに、1次リーグ敗退というのが、定石通りの考え方になる。

日本サッカーの将来のためには、その方がいいのかもしれない。所詮、ジーコの指導方針は、中学生に大学レベルのパフォーマンスを要求するようなところがあった。次期監督のもとで、選手の世代交代も含め、出直しである。

それにしても、オーストラリア、メチャクチャ荒削りだが、強いじゃないか。ヒディング、すごい。冷静に見たら、俊輔のゴールの時、柳沢が反則を取られていたら、0-5 ぐらいで負けていたかもしれないぞ。

こうなったら、ブラジル相手に、期待通りの 「番狂わせ」 を演じてくれるのを待とう。

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2006/06/07

出直してくれんか、Pride!

フジテレビが、格闘技 Pride の主催団体 DSE の 「契約違反」 を理由に、放映中止を発表した。格闘技フリークの私としては、いやんなっちゃうお話である。

フジテレビ側は 「不適切な事象が起きているとの疑惑」 としか説明していないのだが、どうやら、暴力団がらみが大きな要素らしい。

だいぶ前から、週刊誌の見出しに 格闘技団体 (とくに Pride) と暴力団の関わりといったことが踊るようになっていた。私は電車の吊り広告でそれを眺めながら、「今に始まったことじゃあるまい」 と思うだけだったが、この問題、ついにはじけてしまったようだ。

Pride の会場では、アリーナのいい席にそっち方面らしい人間の姿が目立つとは、よく言われていた。最近は、企業のコンプライアンス (法令遵守) が重視されているので、フジとしても頬かむりはしにくくなっていたのかもしれない。

何しろ、格闘技 (プロレスやいわゆる 「総合格闘技」 の類) は 「興行」 である。フツーのスポーツの試合とは違う。どうして違うのかというと、しっかりしたコミッションがないからだ。好き放題やっちまえの世界なのだ。

選手の契約にしても不透明な部分があって、「引き抜き」 問題が多発する。その度に、その世界の人の出番になりがちだ。

しっかりしたコミッショナー (プロ野球のそれが、「しっかりした」 ものかは、異論があるが) があっても 、ややもすれば、そっちの世界の人が入り込むのである。コミッショナーがなかったら、よほどきちんとしたポリシーで固めなければ、入り込み放題だろう。

ただ、暴力団がらみのコンプライアンスだけかといえば、そうでもないという見方もある。Boutreview というサイトに、興味深い記事がある。DSE は、中量級コンテンツの 「Pride 武士道」 を、フジテレビ以外の局でゴールデンタイム中継してもらうことを画策していたようだ。

これで、フジ側が 「鳶に油揚げではないか」 と、ぶち切れたということも考えられるのである。この辺りは、この世界にありがちな 「自分の思い込みだけで妙な動きをする 」 という伝統 (?) の弊害である。

普段からきちんと話を通せば、単なるビジネス上の話になるのに、こそこそ動くから、感情的な喧嘩になるのだ。あるいは、このあたりの齟齬をきっかけにして、くすぶっていたコンプライアンス問題がはじけてしまったのかもしれない。

格闘技そのものの視点からすれば、ことヘビー級に関しては、K-1 よりも Pride の方が圧倒的にレベルが上だ。K-1 ヘビー級は、近頃しらけっぱなしである。先日も、 「K-1 ワールド GP ソウル大会」 で、チェ・ホンマンがみえみえのホームタウン・デシジョンでセーム・シュルトに勝っちゃったりするし。

それだけに、格闘技フリークとしては、Pride が身ぎれいな状態になって出直してくれるのを望むばかりである。

それから、総合格闘技のテレビ中継は、妙な 「煽り」 で時間を潰していないで、試合そのものをきちんと放映してくれないかなあ。今のままだと、ビデオにとって CM と 「煽り」 をスルーしたら、半分以下の時間で見終えてしまう。

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2006/03/22

「胴上げ」 を世界に広めたい!

私は、野球、ゴルフ、テニス、卓球といったスポーツにはあまり興味がなくて、圧倒的なシンパシーを感じることがないんだけれど、あえてこれらの共通点を挙げるとすれば、「小さいボール」 のスポーツということになりそうだ。

とはいいながら、WBC 初代チャンピオンとは、そりゃ、負けるよりはずっとおめでたい。

てなことをいいながら、少しは儀礼的に、王ジャパンに 「おめでとう」 を言っておくのだが、私としては、優勝そのものよりずっとうれしかったのは、サンディエゴで 「胴上げ」 というパフォーマンスを盛大にやって見せてくれたことだ。

私は、「胴上げ」 大好きである。せっかく初代優勝監督が胴上げで宙を舞うというパフォーマンスをして見せたのだから、これを機に、WBC の優勝チームは監督を胴上げするという恒例にしてはどうかという提案をしてみたいのである。

これ、積極的に提案しないと、国際的には受け入れられないだろう。というのは、「胴上げ」 というのは、多分、日本独特の習慣なのではないかと思うのだ。他の国には決してないと断言するまでには至らないが、少なくとも、日本以外での胴上げというのは、見たことも聞いたこともない。

一節によると、「胴上げの総元締め」 は長野の善光寺で、いにしえの昔から毎年暮れの 「如来ご越年式」 という行事の中で執り行われるのが、日本で、ということは、世界的にみても、「最も権威ある胴上げ」 らしい。

民俗学的発想としては、人の足を地面から離すということにより、「ケ」 (日常) から、神聖なる 「ハレ」 (非日常) の世界に送るということのようだ。道理で、胴上げされると気持ちがいいわけだ。

日本の標準タロウ」 というサイトの第 1回は、「胴上げされた経験があるか、ないか」 のウェブ上アンケートになっていて、その開票結果は、投票総数 129票のうち、「ある」 が 41票、「ない」 が 88票ということになっている。

つまり、日本の胴上げに関しての標準は、「されたことがない」 ということになっているようだ。しかし、願わくは日本人の大半が 「1度は胴上げされたことがある」 という社会にしたいものである。そうなれば、日本はさぞかし平和で豊かな社会になっていることだろう。

私自身は、過去に胴上げされたことが 3度ある。しかし、3度のうち、本当に上手に上げてもらったのは、1度きりで、残り 2度は中途半端に終わり、消化不良的な印象にとどまった。「正しい胴上げ」 とは、実は、なかなか難しいものなのだ。

「胴上げ」 の裾野がより広がれば、「正しい胴上げ」 をするテクニックが、国民的常識となるはずである。そうなることを念願する。

こうなったら、第 2回大会でも日本が優勝して、ダメ押し的に胴上げのパフォーマンスをしてみせて、「ドーアゲ」 を国際語に昇華させてもらいたいものである。こんな気持ちのいい風習を、日本だけに留めておくのは、「モッタイナイ」。

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2006/03/20

「ボブ君」 に助演男優賞

出張先から帰ってくる新幹線の電光掲示板ニュースで、WBC で日本が韓国に勝ったことを知り、思わず笑ってしまった。

この大会、既にほとんど終わっている。我々は、「米国の米国による米国のための大会」 で、米国が見事に消えるという、ナンセンス・コメディを見せてもらったのだ。

現在継続中なのは、日本とキューバのためのサブストーリーというか、ボーナストラックみたいなもので、メインストーリーからみたら、もうどうでもいいお話なのかもしれない。

この大会に最も熱狂的だった韓国は、唯一地区リーグからずっと無敗で突っ走ってきて、しかもあの米国に大勝したナショナルチームが、どうして、それまで 2度勝った相手にたった 1度負けただけで、消え去らなければならないのかと、憤慨しているだろう。

しかし、それこそが、この大会のとてもいびつなシステムの結果なのだから、仕方がない。

フツーの常識だったら、準決勝は、2つのリーグ戦の 1位と 2位同士が対戦することになるのだろうが、今大会では、そうした常識は無視されている。これだったら、トーナメントの準決勝というより、それぞれのリーグの 1位と 2位チームによるプレーオフで、勝った方が決勝進出という方がわかりやすい。

この常識外れのシステムは、元々は、米国が強豪の中南米チームに当たらずに 「準決勝」 を突破し、確実に 「決勝」 に進出するために作られたシステムだと、考えざるを得ない。

その妙なシステムの結果、日本はフツーに闘いさえすれば勝てる相手に勝って、決勝進出を決めたというわけだ。元々の想定では、ここで米国が、日本か韓国に勝っているはずだったのだろうが。

その米国が、日本相手に 「ボブ君」 の奥の手を使って勝ち、そのためにどう気後れしたのか、同じアジアの韓国に大敗した。そして、フツーに戦えば負けるはずのないメキシコ戦でまで、「ボブ君」 が変てこなことをしたために、すっかり諦めてディズニーランド見物なんてしていたチームを、必要以上に奮い立たせてしまった。

「ボブ君」、彼なりによかれと思ってしたことが、すべて反対の効果をもたらしている。最高のボケ役だ。今回の大会のナンセンスさの元凶は、システムをきちんと整備することなく、拙速に大会実現にこぎ着けてしまった主催者の甘い見通しだったが、それを見事に完成させたのは、 「ボブ君」 の大ボケだったと思う。

おかげで、この大会にはほとんど興味のなかった私までが、急に大喜びでウォッチするようになってしまった。「ボブ君」、助演男優賞確実だ。

ちなみに、米国という国は、昔から余計なお節介をしては、かえって失敗するという伝統があるようだ。

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2006/03/18

WBC のいびつさ

ふーん、アメリカン・ベースボールというのも、日本の大相撲と似た状態だったんだ。「土俵」 としてのメジャーリーグは、そりゃ世界一だが、横綱は外国人だったというような。

今回の WBC の主催者、見通しの甘さ加減に地団駄踏んでるかもしれない。準決勝以後のトーナメントが、お金にならないんだもの。

主催者は、米国チームは当然の如く決勝戦に進出して、悪くても 2位ぐらいの目算でいたんだろうなあ。優勝は、メジャーリーガーどっさりのドミニカあたりなら、何とか言い訳できるし。

しかし、野球という競技は、なかなかくせ者である。昨年のパリーグのプレーオフを見ても、レギュラーシーズンではダントツで首位だったダイエーが、ころりと負けてしまうのだもの。

それに、野球の 「実力」 というのは、案外微妙なものだと、私は前々から思っていた。なにしろ、各シーズンの優勝チームの勝率は、大体 6割前後で、5割台での優勝というのも全然珍しくない。

つまり、シーズン平均で、3回やって 2回勝てなくても、余裕で優勝という競技なのだ。短期決戦なら、どこでどう転ぶか知れたものではない。そうした意味では、2次リーグを、アウェイとホームで 2回戦うというシステムにしなかったのは、大いなる誤算だった。

とはいいながら、プレシーズンにそんな時間をかけたご丁寧なことをすることにしたら、メジャーリーグの反対で WBC は実現しなかっただろう。つまり、今回の急ごしらえの大会は、初めからいびつなシステムだったのだ。

そこから目をそらせたのは、「米国が決勝に行けないわけがない」 という信じ込み以外の何物でもなかったろう。その 「信じ込み」 が強すぎて、米国の選手は調整が中途半端だったということもあるだろうし。

彼らにしてみれば、WBC でいくら頑張っても、レギュラーシーズンでその反動が出てしまったら、給料に関わるのだから、かなり歯がゆいところだろう。

その一方で、よく言われることだが、韓国選手のモチベーション、異常に高い。兵役免除という、鼻先にぶら下げられた人参は、ものすごい威力だったようだ。こんなことなら、兵役免除措置はそんなに急がずに、準決勝にも勝って 3位以内が決定した時点で、初めてお墨付きを与えるということにしておけばよかったのに。

せっかく日本に 2勝しておきながら、3度目で気がゆるんで負けたりしたら、今回の微妙なタイミングが揶揄されかねない。そんなことにならないように、それはそれで必死に頑張るだろうけれど。

でも、もし今度は日本が勝ったりなんかしたら、2次リーグで 1勝 2敗のチームが 「世界第 2位」 だなんて (下手したら、もっと上の可能性だって生じるし)、それはそれで、ちょっとこっ恥ずかしいだろうなあ。

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2006/03/15

米国の米国による米国のための・・・

日本中が、「アナハイムの悲劇」 に怒っているようだ。野球を知らない妻までが、「ちょっと、ひどすぎるわよね」 と憤慨している。

しかし、「そりゃ、米国の米国による米国のための大会だもの。そのくらい、十分 『あり』 だろうと、初めから思ってたよ」 と、私は、野球に関しては、かなり冷たく突き放す人である。

ぶちこわしのようなことを言ってしまって、恐縮だが、スポーツの世界の裏側なんて、結局はどろどろした世界である。あまり幻想を抱かない方がいい。

4年前の日韓ワールドカップ、韓国対イタリア戦でどんなことが起きたか、思い出してみるがいい。ましてや、WBC の 2次リーグから先は、すべて米国で行われるのだ。アウェイもホームも、「第三国の審判」 も、「何のこっちゃ?」 という世界なのだ。

元々、この ワールド・ベースボール・クラシックという大会、ずいぶん虫のいいお話なのである。初めから 「公正」 というものがあろうとは思っていなかった。というか、何しろ興味がない。WBC という名称自体、つい最近までボクシングのお話かと思っていた。

だから、サッカーでは少しばかり腹が立ったが、今回はしらけている。

要するに、米国がベビーフェイスで、メジャーリーグに多くの選手を輩出している中南米が準ベビーフェイス、そして、アジアの国 (つまり、日本と韓国) は、ヒール (悪役) という役回りなのだから、あまりきれい事を期待してはいけない。

しかし、見ようによっては、米国はあまりにも早く 「奥の手」 を使うという失策をしでかしてしまったことになるかもしれない。それに、日本は米国全体に 「貸し」 を作ったことになるから、第 2戦以後は、あまりひどい判定は受けずに済むだろう。

元々、米国戦は 「1敗」 と計算していたのだろうから、同じ負けるなら、貸しを作った形で負けた方がいい。あと 2戦を有利に戦えるとすれば、決勝トーナメントに進出する可能性は、逆に高まったといえる。

【同日 朝 追記】

上のテキストは、日付の変わるか変わらないかのうちに書いたものだが、朝起きてニュースをみたら、なんと、米国が韓国にボロ負けしていた。

野球に限らず、スポーツというのは微妙にメンタルな部分の影響力が大きいから、米国の選手、同じアジアの国相手とあって、ちょっと手足がしびれてしまっていたのかな?

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