プロレスというビジネス
日曜の夜遅く帰宅して、iGoogle を開き、MSN 産経ニュースの 「斎藤選手、三沢さんの遺影に涙の土下座」 という見出しに目が止まった。「何だこりゃ?」 と思った。
ニュースをみると、プロレスラーの三沢光晴が、バックドロップの受け身を取り損ねて急死したとある。「何だとぉ !?」
近頃はあまりプロレス・格闘技系の記事を書かないので、知らない人は知らないかもしれないが、私は格闘技フリークである。そして多くの格闘技フリークがそうであるように、昔は熱烈なプロレス・ファンだった。三沢光晴は、二代目タイガーマスクになる前から知っている。
彼が社長を務めたプロレス団体ノアは、全日本プロレスから袂を分かったもので、全日本プロレスは、基本的に受け身のプロレスである。その中でも三沢光晴は、受け身がうまかった。本当にきちんとうまかった。
川田は見栄えのする派手な受け身を取りたがるが、三沢の受け身は実質的だった。「スタンハンセン 脅威の一撃!ウエスタンラリアート15連発」 というビデオをみれば、その違いがわかる。懐かしいジャンボ鶴田の姿もみられるが、三沢の受け身は、どちらかというと鶴田的だ。
川田に対しては元気なうちでも一瞬のフィニッシュに持っていけるが、三沢に対してはダメージの蓄積をきちんと印象づけるプロセスを経ないと、フィニッシュの説得力がない。ということは、今から思えば、三沢の方がより自分の身を削っていたように思える。ちょっと損なスタイルだ。
6月 14日付のスポニチの記事によると、「関係者によると、今年 3月に日本テレビの地上波放送打ち切りが決まったころから 『体調が悪い』 と漏らしていた」 とあり、経営不振という問題もあって、かなりストレスがたまって体調も悪かったのだろう。同じ記事に、決定的瞬間に至るまでの経過が、以下のように記されている。
開始 25分すぎに異変が起きた。時折頭を振るなど不自然なしぐさを見せていた三沢さんだったが、潮崎からタッチを受けて、バイソン、斎藤の合体技と斎藤の蹴りの連発を浴びるとぐったり。とどめに斎藤から高角度の岩石落としを食らった際に受け身の体勢が十分取れずに、体を 「く」 の字に折る不自然な形で落下、頭部と首を強打した。
投げられたときに体が 「く」 の字に折れるというのは、つまり、その時点で体がぐにゃぐにゃになっていたということだ。筋肉に受け身を取るだけの力が残されていなかったということである。
そんな相手に対して、斉藤はバックドロップなんか仕掛けるべきではなかったのだが、こればかりは一概に責められない。一連の技の流れだから、体が自然に反応してしまって、止めようがない。それに、相手は受け身の名人、三沢だ。つい信頼して投げてしまう。
しかしよく考えれば、三沢は昨年も試合中に首を痛めて欠場している。体はガタガタだったのだ。そんな人間を後ろから抱え込んで高角度バックドロップをしかけるのは、やっぱり信頼のしすぎである。「ありゃ、ちょっとやばいかも」 と気付くべきだった。
そして、バックドロップで投げる前にさっさとフォールに行けばよかった。試合としてのアピールは格段に落ちてしまうが、条件反射で多少抵抗されても、無理矢理でいいから押さえ込んでスリーカウントを取り、試合にけりをつけておくべきだった。今となっては結果論だが。
そもそも、近頃のプロレスは見栄えを追及するあまり、派手な技を多用しすぎている。派手な技というのは、受け身を取る側の積極的な協力なしには成立しないのである。格闘技ファンの目からみると、白々しすぎる技のやり取りの過程で、無駄なダメージを体に蓄積するという愚を犯してしまっている。
ファンのプロレス離れの一因は、この 「白々しすぎる技のやり取り」 にあるのだが、プロレスはそのソリューションとして、白々しいやり取りのなかに 「もっともらしさ」 を追及するという悪循環に陥っている。ファンタジーの中にシリアスさなんてものを求めるから、ますます体に負担がかかるのだ。
今回の事件は、プロレス界に大きな影響を与えるだろう。試合のスタイル、選手の健康管理など、根本的な部分で再検討がなされるだろう。今のどつぼにはまりすぎたプロレスは、基本的な部分から変っていかなければならない。その結果、プロレスというビジネスの否定に至るとしてもだ。
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