カテゴリー「スポーツ」の50件の記事

2009/06/15

プロレスというビジネス

日曜の夜遅く帰宅して、iGoogle を開き、MSN 産経ニュースの 「斎藤選手、三沢さんの遺影に涙の土下座」 という見出しに目が止まった。「何だこりゃ?」 と思った。

ニュースをみると、プロレスラーの三沢光晴が、バックドロップの受け身を取り損ねて急死したとある。「何だとぉ !?」

近頃はあまりプロレス・格闘技系の記事を書かないので、知らない人は知らないかもしれないが、私は格闘技フリークである。そして多くの格闘技フリークがそうであるように、昔は熱烈なプロレス・ファンだった。三沢光晴は、二代目タイガーマスクになる前から知っている。

彼が社長を務めたプロレス団体ノアは、全日本プロレスから袂を分かったもので、全日本プロレスは、基本的に受け身のプロレスである。その中でも三沢光晴は、受け身がうまかった。本当にきちんとうまかった。

川田は見栄えのする派手な受け身を取りたがるが、三沢の受け身は実質的だった。「スタンハンセン 脅威の一撃!ウエスタンラリアート15連発」 というビデオをみれば、その違いがわかる。懐かしいジャンボ鶴田の姿もみられるが、三沢の受け身は、どちらかというと鶴田的だ。

川田に対しては元気なうちでも一瞬のフィニッシュに持っていけるが、三沢に対してはダメージの蓄積をきちんと印象づけるプロセスを経ないと、フィニッシュの説得力がない。ということは、今から思えば、三沢の方がより自分の身を削っていたように思える。ちょっと損なスタイルだ。

6月 14日付のスポニチの記事によると、「関係者によると、今年 3月に日本テレビの地上波放送打ち切りが決まったころから 『体調が悪い』 と漏らしていた」 とあり、経営不振という問題もあって、かなりストレスがたまって体調も悪かったのだろう。同じ記事に、決定的瞬間に至るまでの経過が、以下のように記されている。

開始 25分すぎに異変が起きた。時折頭を振るなど不自然なしぐさを見せていた三沢さんだったが、潮崎からタッチを受けて、バイソン、斎藤の合体技と斎藤の蹴りの連発を浴びるとぐったり。とどめに斎藤から高角度の岩石落としを食らった際に受け身の体勢が十分取れずに、体を 「く」 の字に折る不自然な形で落下、頭部と首を強打した。

投げられたときに体が 「く」 の字に折れるというのは、つまり、その時点で体がぐにゃぐにゃになっていたということだ。筋肉に受け身を取るだけの力が残されていなかったということである。

そんな相手に対して、斉藤はバックドロップなんか仕掛けるべきではなかったのだが、こればかりは一概に責められない。一連の技の流れだから、体が自然に反応してしまって、止めようがない。それに、相手は受け身の名人、三沢だ。つい信頼して投げてしまう。

しかしよく考えれば、三沢は昨年も試合中に首を痛めて欠場している。体はガタガタだったのだ。そんな人間を後ろから抱え込んで高角度バックドロップをしかけるのは、やっぱり信頼のしすぎである。「ありゃ、ちょっとやばいかも」 と気付くべきだった。

そして、バックドロップで投げる前にさっさとフォールに行けばよかった。試合としてのアピールは格段に落ちてしまうが、条件反射で多少抵抗されても、無理矢理でいいから押さえ込んでスリーカウントを取り、試合にけりをつけておくべきだった。今となっては結果論だが。

そもそも、近頃のプロレスは見栄えを追及するあまり、派手な技を多用しすぎている。派手な技というのは、受け身を取る側の積極的な協力なしには成立しないのである。格闘技ファンの目からみると、白々しすぎる技のやり取りの過程で、無駄なダメージを体に蓄積するという愚を犯してしまっている。

ファンのプロレス離れの一因は、この 「白々しすぎる技のやり取り」 にあるのだが、プロレスはそのソリューションとして、白々しいやり取りのなかに 「もっともらしさ」 を追及するという悪循環に陥っている。ファンタジーの中にシリアスさなんてものを求めるから、ますます体に負担がかかるのだ。

今回の事件は、プロレス界に大きな影響を与えるだろう。試合のスタイル、選手の健康管理など、根本的な部分で再検討がなされるだろう。今のどつぼにはまりすぎたプロレスは、基本的な部分から変っていかなければならない。その結果、プロレスというビジネスの否定に至るとしてもだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009/03/24

ごめんね、サムライ・ジャパン

昼間から、あちこちのオフィスで歓声が聞こえる。どこでも仕事そっちのけで、WBC 決勝戦の中継に夢中のようだ。

私は 3月 7日付の記事で書いたように、WBC にはほとんど思い入れがないので、「みんな呑気だなあ」 なんて思っていたが、なんと、日本はまた優勝しちゃったようなのだ。

それにしても、日本が決勝に進出したと聞いた時から、「これは一言、謝っとく必要があるな」 とは思っていた。何しろ、私は上述の記事で、「盛り上がってる人は、日本の連続優勝を夢見ているようだが、多分無理だろう。そもそも、前回の日本優勝はできすぎだった」 なんて書いてしまったのだ。

その上、よしゃいいのに、「第 2ラウンドには当然のごとく出場できるだろうが、そこから先はよほど運がよくなければ勝ち上がれないだろう」 なんてことまで書いてしまった。さらに、日本はよくて準決勝止まりだろうといったようなことまで書いている。ああ、書きすぎだった。今さらのように後悔しているのである。

本当にごめんね、サムライ・ジャパン。あなたがたがこんなにまできっちりとした勝負ができるとは、よもや思わなかった。脱帽だ。日本が優勝できたら坊主頭になるとか、逆立ちして神田の街を一周するとか、そんなような悪ノリしすぎたことを書かずにいてよかった。

それにしても、今回の結果を生んだ要因は、日本と韓国における異様なまでの WBC への入れ込み方だという気がする。日本もすごいが、とくに韓国がすごい。野球でこんなにまで熱くなれるのは、世界でもこの二国以外にないんじゃなかろうか。

他の国での注目度なんて、大したことないみたいなのである。米国での試合の中継を見ても、観客席なんかガラガラじゃないか。注目度が今イチな上に、選手の WBC での働きが直接ギャラに反映されるなんてこともないみたいなので、どうもインセンティブ不足のような気がするのである。

そこに行くと、日本と韓国は、なかなか健気なものである。純粋に WBC における優勝の栄誉にあずかろうと、真剣になって勝負している。韓国なんか、グラウンドに国旗を立てるなんてぶっ飛び方をするまでに、チョー・マジになっている。

ああ、私はこの日韓のメンタリティを軽視しすぎていたのである。WBC に関する 「マジさ加減」 が、日本と韓国の両国は飛び抜けて高かったのだ。こんな純粋なモチベーションがあれば、そりゃ、野球ってメンタルなところのあるスポーツだもの、勝ち進んでも不思議じゃない。

恐れ入ってしまったのである。おめでとう、サムライ・ジャパン。かくなる上は、3年前の優勝直後に書いた (参照) ように、日本の誇る 「胴上げ」 という文化を、マジに世界に広めてもらいたいと思うのである。

なにしろ、2回連続優勝というのは、ちょっとした偉業である。この偉業を為し遂げた国に経緯を表して、そのファンタスティックなお約束的セレモニーである 「ドーアゲ」 を、世界のベースボールが取り入れてもいいのじゃないかと思う。願わくは、ワールド・シリーズの優勝チームの監督が胴上げされるなんてことになったら、さぞ素敵だろうなあ。

【3月 25日 追記】

「侍ジャパン」 を 「サムライ・ジャパン」 と表記した意図を書き落としていた。2度も続けて優勝したのだから、国際語に昇格させた方がいいのではないかという思い入れから、敢えて 「サムライ・ジャパン」 と書かせていただいた。

決してふざけてるんじゃないので、念のため。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2009/03/07

WBC には感情移入しにくい私

WBC がいつの間にか始まってしまっている。私は野球というスポーツに、なぜか感情移入しにくいタイプのようで、今回も申し訳ないが、我ながらシニカルな態度である。

盛り上がってる人は、日本の連続優勝を夢見ているようだが、多分無理だろう。そもそも、前回の日本優勝はできすぎだったと思う。

「サムライ・ジャパン」 はそれほど強いチームじゃない。初戦で中国を相手に、ようやく勝っているようなチームである。第 2ラウンドには当然のごとく出場できるだろうが、そこから先はよほど運がよくなければ勝ち上がれないだろう。

そもそも、3年前だって 「瓢箪から駒」 みたいな幸運で準決勝に勝ち上がったのである。(参照 1参照 2)それまでの第 1ラウンド、第 2ラウンドのリーグ戦における日本チームの戦績は 6戦して 3勝 3敗。勝率は 5割でしかなかったのだ。

準決勝に勝ち上がった他の 3チームは、韓国 6勝 0敗、ドミニカ 5勝 1敗、キューバ 4勝 2敗。日本は、「何でここにいるの?」 と言われてもおかしくない、お恥ずかしい戦績でたまたま勝ち上がったのである。

そんなチームが最終トーナメントで幸運にも続けて 2勝できたために、優勝してしまった。そもそも、この時の準決勝というのがおかしい。私は 3年前の記事 (上記の 参照 2) で、次のように批判的に書いている。

フツーの常識だったら、準決勝は、2つのリーグ戦組の 1位と 2位が対戦することになるのだろうが、今大会では、そうした常識は無視され、同一組の上位 2チームの対戦となっている。これだったら、トーナメントの準決勝というより、リーグ戦の 2つの組のプレーオフで、勝った方が決勝進出という方がわかりやすい。

この妙なシステム (参照) のおかげで、第 1、第 2ラウンドで勝率 10割だった韓国は、準決勝で初めて日本に 1敗したために、決勝に出られなかった。私は韓国贔屓というわけじゃないが、この時ばかりはつくづく気の毒に思ったものである。

今回は少しシステムが変わったみたいで、第 1、第 2 ラウンドは、リーグ戦方式ではなく、ダブルエリミネーション方式になって (参照)、2回負けるまでは敗者復活戦に出ることができる。

つまり、勝率 5割でも、うまい具合に勝ったり負けたりすれば、準決勝まではいける。圧倒的な強さがあるわけではない日本には、少しありがたいシステムだろう。

だが準決勝は、異なった組の 1位と 2位が戦うという、ようやく世間の常識通りのシステムが採用されている。これで、余計な 「まぎれ」 的要素が入り込む余地が、少しは減った。日本はせいぜいここまで止まりという気がする。

とはいえ、野球というのはちょっとした成り行きの変化で勝負がひっくりかえるスポーツである。なにしろ、日本のプロ野球だって、優勝チームは 10回やって 6回勝ったわけじゃなく、最下位チームだって 10回やれば 4回ぐらいは勝てるのである。

今回も、いろいろ思いがけない要素 (前回のヘボ審判、ボブ君みたいな) がちりばめられれば、少しはおもしろくなるだろう。しかし順当な結果の積み重ねみたいなことになれば、野球ファンの方々には甚だ恐縮だが、サムライ・ジャパンは途中で討ち死にするだろうと、書いておくことにする。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/08/25

星野ジャパンは、こんなものなのだよ

「金メダル以外はいらない」 との言葉通り、 銅メダルも取れなかった星野ジャパンが、結構なバッシングを浴びている。

個人的には、野球そのものに思い入れがないので、それほどエキサイトしないが、客観的にみれば、出かける前の大言壮語からしたら、叩かれるのも仕方ないなという気がする。

私は星野ジャパンに関しては初めから 「そんなに強かぁないさ」 と言っていた。それに、日本の野球は一昨年の WBC で、ここ数年分の運を使い切っていたのだから、せいぜいこんなものだ。

WBC では、1次リーグと 2次リーグを通じて、3勝 3敗の五分の成績で、とくに韓国には一度も勝てなかったのである。ドミニカとかキューバとかと当たらないのに、6回やって 3回負けているのだ。日本の実力が 「中の上」 か、せいぜい 「上の下」 程度でしかないとは、この時点でわかっていたはずではないか。

それなのに、ラッキーなことに準決勝に進むことができて、韓国とキューバにたまたま連勝しただけで、へんてこなシステムのおかげもあって、「世界一の栄誉」 とやらを手中にしてしまった。この時の 「王ジャパン」 が 「できすぎ」 でなくて何だったのだろう。

逆に韓国なんか、それまで全勝で進んできて、準決勝でそれまで 2勝していた日本に 1度負けただけなのである。7勝 1敗という素晴らしい勝率で決勝に行けなかっただけに、運を使い切っていなかったのだろう。

今回の星野ジャパンは、一昨年のメンバーからメイジャーリーガーがいなくなってしまってるのだから、かなり小粒である。そんなんで、「金メダル以外はいらない」 なんて言うのは、とんでもないリスクを冒してしまってるなあと、私は密かに思っていた。

「3A クラスが主体の米国チームに、星野ジャパンが負けるはずがない」 なんて言う人もいたが、その 3A クラスから 『助っ人』 と称して何人も呼んできて、主軸を打たせてるのが日本のプロ野球なのである。それを考えたら、決してエラソーなことは言えないのだ。

だから、私としては星野バッシングをしようとは思わない。たった一つ言わせてもらうとすれば、「金メダル以外いらない」 なんてことは、言うべきじゃなかったということだ。元々、身の程知らずだったのである。余計なことを言ってしまったために、バッシングも強烈になっているのだ。

まあ、星野さんが余計なことを言いまくったおかげで、あちこちからお金が集まったというのはあるだろうが、女子ソフトボールはお金なんかなくても優勝できたんだしね。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (14) | トラックバック (1)

2008/08/13

抗菌防臭柔道着というもの

オリンピック代表の柔道選手が着用している柔道着には、銀素材が練り込んであるんだそうだ。さぞかし高く付くんだろうなあ。

何のために銀なんか練り込むのかといういうと、抗菌機能を付加するためなんだそうだ。ふぅむ、汗かいてほったらかしにしても、臭くなったりしないようになのかなあ。 (参照

格闘技の選手といえば、むんむんムレムレの中で大汗かいて稽古して、ものすごく汗くさくなってるなんていうイメージがあるかもしれないが、それは昔の話だ。今の格闘技の選手は、とっても清潔になっている。

とくに、寝技などで互いに密着することの多い柔道やレスリングは、相手に不快な思いをさせないように、気を遣う選手が多い。プロレスラーなんか、試合前には香水やオーデコロンなんかを使ったりすることもあるらしい。

ただ、柔道着を清潔に保つのはやっぱり大変だ。試合の前にはそりゃ、きちんと洗うだろうが、稽古するたびに洗うとは限らない。夏場なんて、ちょっと洗濯を欠かしてしまうと、やっぱり汗くさくなってしまう。

私は 30代半ばまで合気道を習っていた。合気道というのは、基本的には柔道着を着て、その上に有段者になると袴をつける。柔道よりは重装備になってしまう。それだけに、夏場はどうしても汗くさくなりがちだ。

ある夏の日の夕刻、いつものように道場で稽古に励んでいると、どうも臭い。かなり臭い。

「しまった、道着 (「どうぎ」 と読んでね) の洗濯を忘れてたよ。この臭い、俺の道着のせいかなあ」 なんて気になってしまって、受け身を取るたびに道着の袖を鼻に近づけて、クンクンやってみるのだが、どうもそれほど臭いわけじゃない。

「俺のせいじゃないみたい」 と、少し安心する。それにしても、この臭いは一体誰の道着のせいなんだ?

ふと気付くと、道場で稽古しているほぼ全員が、やっぱり臭いが気になるらしく、自分の道着の袖の臭いを確かめたりしている。そして、「俺じゃないみたい、それにしても ……?」 と、怪訝な顔つきになる。

そのうちに、誰かが窓の外を指さして、「何だよ~、この臭い、あのせいだよ~!」 と素っ頓狂な声を上げた。何事かと、全員窓の外をみると、隣のアパートの住人が、ドアの前に七輪を出して団扇でバタバタやりながら、何かを焼いている。そこから、強烈な臭いがする。

よくみると、金網の上に魚の干物らしきものが乗っている。あぁ、あれが音に聞く 「くさや」 というものか。なるほど、この強烈な臭いでは、台所のガスコンロで焼いたりしたら、臭いが消えるまで屋根の下で暮らせなくなる。外に七輪持ち出して焼くしかない。

というわけで、あの臭さは、洗濯し忘れた自分の道着のせいではないとわかって、一同ほっとしたのだが、その日は誰言うともなく、全員が道着を持ち帰って洗濯したのであった。

あの頃から、銀素材を練り込んだ道着があれば、くさやの臭いごときであんなに取り乱したりせずに済んだだろうに。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/03/29

"プロレス 「暗黒」 の 10年" を過ぎて

"プロレス 「暗黒」 の 10年" という本を一気に読み終えた。著者は元 「週刊ファイト」 編集長の井上譲二という人である。

副題は "検証・「歴史的失速」 はなぜ起きたか" という。ここ 10年で進行した日本のプロレス沈没のプロセスを、現場に最も近い場所にいた者のみが持ち得た視点で辿っている。

まず、念のために確認しておくが、著者は、「週刊ファイト」 の今は亡き 「 I 編集長」 と呼ばれた井上義啓氏とは、苗字は同じでも別人である。I 編集長の頃には、井上譲二氏は 「週刊ファイト」 の米国特派員として、なかなか読み応えのある記事を書いてくれていた。あのタイガー・ジェット・シンの自宅訪問記事を書いたのも、彼だったと思う。

「感覚のプロレス」 というコンセプトを掲げてカリスマ的な 「活字プロレス」 を創出した I 編集長とは違い、その跡を継いだ井上譲二氏は、ある意味ではとても常識的な感覚 (といっても、プロレス村での 「常識」 だが) を週刊ファイトの紙面に持ち込んでいたように思う。

プロレスが好きで好きでたまらないのに、I 編集長ほどに全人生をそれに捧げきるほどの思い入れを前面に出すことができず、むしろ、近くで細部を見過ぎたために、客観的に冷めた目を持たざるを得なかったというような、割り切れない編集スタイルだった。

そしてこれは、プロレス衰退をリアルタイムで見送った男の、哀切に満ちたレクイエムのような本である。

この本の中で、井上譲二氏は、「あの時、もし彼が …… だったら」 とか、「もう少し …… していれば」 とか、「たられば」 論法を少なからず使っている。I 編集長がよく言っていた 「引かれ者の小唄」 そのものの書き方だ。彼自身、多分わかっていながら、止むに止まれず小唄を唄っているのだろう。

今さら言っても、時計が逆回りすることなどないと知りつつ、あの血湧き肉躍るプロレスの魅力を、もう少しだけでいいから味わいたかったと言っているように思える。

ちなみに私自身は、もう大分前からプロレスには見切りを付けていて、今や 「格闘技」 に入れあげている。プロレスが衰退するのは、これはもう、歴史の必然だからしょうがない。

井上譲二氏の悲哀は、閃光のような輝きをもちながら、今では滅びの運命を辿るプロレスというメディアに最適化しすぎた、とても特殊なジャーナリズムを背負っていたものの悲哀だと思う。

プロレス向けに最適化された感性は、「格闘技」 という似て非なるものに入り込めない。目の前で見ても、その本質を伝えられない。そのもどかしさが、この本の底流に見え隠れする。

プロレスの沈滞は、もうこれはどうしようもない。さればとて、プロレスラーが格闘技に打って出ても、通用しないのである。プロレスラーは 「技を受ける」 体になりすぎているので、「技を受けない」 格闘技では、勝てないのだ。

プロレス記者にしてもそうだ。プロレスを書ける記者が格闘技を書けるとは限らない。いや、むしろ書けないのだろう。プロレス論の多くの部分は観客論だが、格闘議論は逆に実践論が重要な部分を占める。道場で受け身すら取ったことのない記者に、それを書けと言っても所詮無理なのだ。

私は、往年の 「週刊ファイト」 のような輝きをもつ格闘技専門誌紙の登場を待つ。しかしそれには、実践的格闘議論を、受け身を取ったことのない読者にもわかるように書ける力量をもった記者が育たなければならない。これは相当にむずかしい課題だ。

ああ、私がもう少し若かったら、それを書いてしまうのに。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007/11/03

問題の投手交代について

中日が日本一になったのを、私は翌日の朝刊で知ったのだが、落合監督が完全試合目前の投手を交代させたことで、野球ファンはものすごく熱くなっているようなのだ。

「日本一になったんなら、それで結果オーライじゃん」 ということでは済まないらしい。野球ファンというのも、なかなか大変だ。

一方は、「日本シリーズで完全試合達成というドラマに巡り会う、夢のような機会をぶち壊した」 として、落合監督を 「空気読めない」 と罵倒し、他方は 「これでもし、9回で逆転を許して、札幌に舞台を移したら、またしても日本一を逃していたかもしれないではないか」 と、結果の雄弁さを支持する。

はっきり言って、私には不毛な論争にしか思えない。現実に雄弁な結果論と、それを遙かに上回る可能性だって大きかったように思われる仮定の話の対決だからだ。それはそれで結構な結果が出てしまってからのことで、それだけに、どちらにも言い分がある。

もう一つの対決ポイントは、「勝ちさえすればいいのか」 という視点と 「負けたらどうしてくれる」 という視点のギャップだ。これはどちらかというと、野球論から逸脱して、人生論の領域にオーバーラップする。とはいえ、「好きずき」 というレベルの人生論だが。

このへんで、とくに野球ファンというわけでも何でもない私の感想を書かせていただこう。

それは、中日というチーム、結構いいムードで戦ったのだなということだ。監督がどんな采配を振おうとも、選手はそれに文句を言わないという暗黙の了解というか、慎ましい信頼感があったように思える。

エースの川上が初戦でダルビッシュとの投手戦に投げ負けようと、監督の意識としては 「想定内」 だった (つまり、半分は 「捨てゲーム」 と位置づけていた) ようで、そして、それが見え見えでも、川上はプライドがどうしたこうしたといった反抗的態度に出ていない。

それに、問題の第 5戦で、「空気読めない」 投手交代をされても、山井投手は 「自分は一杯一杯だったから、最後は岩瀬さんに投げてもらいたかった」 などとコメントをしている。なんと素敵なフォローイング・アップだろう。

山井投手が本当に自ら 「替わってください」 と言ったのかどうかなんて、そんなのは、わからない。本当は最後まで投げたかったのかもしれない。いや、きっと投げたかっただろう。それでも、そんなことはおくびにも出さずに、模範解答的に殊勝なコメントを発する。

それはもちろん、53年振りの日本一という結果が、全てを許してしまうという雰囲気にもよるのだろうが、そうしたコメントを出させる、ある種のチーム内の信頼感というのが、あるいは瞬間風速的にだったのかもしれないが、少なくとも、あの夜にはあったのだろう。

私は、投手交代そのものを云々するよりも、むしろチーム内でそれを許した、目に見えない信頼感というものを評価しておきたい。

それに、10年後のプロ野球回顧談の中では、「日本シリーズで完全試合を達成した山井」 というエピソードよりも、「完全試合目前の投手を代えてまで、勝利にこだわった落合監督」 というエピソードの方が、是非は別としても、より大きく心を動かすバリューを持つだろうという気もする。

落合監督は 「記憶に残るよりも、結果がすべて」 とコメントしているようだが (参照)、実際にはそれによって、さらに記憶にも残ってしまうことになったと、私は思う。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (20) | トラックバック (0)

2007/10/12

ボクシング業界のしがらみ

スポーツ新聞の一面は、亀田大毅の 「無様な」 敗戦の話題でもちきりだ。もともと実力差は明白だったので、こんなところだろう。

前チャンピオンとのリターンマッチを年内にも要求されている内藤としては、「楽して勝つ」 がテーマだったと思うが、まさかプロレス技でくるとは思わなかったに違いない。

内藤としては、弱小ジム所属の悲哀を内心感じていたことだろう。興行権を挑戦者側の協栄ジムに握られ、チャンピオンは自分なのに、挑戦者の亀田大毅の方が 10倍とかいわれるファイトマネーを取っている。

それに、亀田側の 「最年少チャンピオン記録」 狙い (どうせ勝てないのに) の都合で、無理矢理なスケジュールを押し付けられる。まあ、どうせ近いうちに前チャンピオンとのリターンマッチをするなら、早いとこ片付けといた方がいいということで受けたのだろうが。

今回の試合では、亀田の 「投げ技連発」 という無茶な反則と試合後の態度が非難の的になっているが、少なくとも、反則連発は予定の戦略だったのだろうと、わたしはマジに疑っている。試合経過で敗色濃厚になったら、明らかな反則で失格になることを狙っていたのではないかと思う。

その上で、「あれは負けやない。こっちがちょっと熱くなってしまっただけや」 と後で言い訳をする。こうして亀田の 「不敗神話」 を守るというストーリーだ。

ただ、反則の仕方が中途半端だったのか、レフリーが協栄ジムに余計な気を使ってしまったのか、「失格」 とはならずに、反則による減点なんかなくても覆らないほどの、「大差の判定負け」 という結果が出てしまった。

思惑はずれもいいところだろう。あんなに明々白々な反則を連発したのに、これでは、イメージが地に落ちただけ踏んだり蹴ったりである。

思えば、大毅もかわいそうなものである。兄や弟ほどのボクシングセンスがあるわけでもないのに、「亀田三兄弟」 戦略に否応なく組み込まれて、ボクシング漬けの日々を強要されている。それを拒否したら、家族から排除されてしまう。年端も行かない少年としては、従うしかない。

ある程度のところで芸能界への転進というルートもあっただろうが、今回のイメージダウンでそれも難しくなった。残された道は、早めの 「親父離れ = 亀田家離れ」 しかないだろうと思うぞ。まあ、どうでもいいけど。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/09/21

野球の本質はチマチマした勝負?

私は野球ファンじゃないので、あまり血湧き肉躍る思いはしないのだが、ここに来て、プロ野球のセ・リーグが大混戦の様相である。

ゲーム差 0.5 の中に上位 3チームがひしめく窮屈さだ。それにしても、野球の勝負というのは、とても小さな差が、最終的に雲泥の差になって現われるという特徴がある。

例えば、現在のセ・リーグの順位表をみると、首位が勝率 .555 の阪神で、最下位が勝率 .409 のヤクルトである。つまり、阪神が首位だとはいっても、10回やって 6回は勝てないチームなのであり、一方、どんじりのヤクルトでも、10回やれば確実に 4回は勝つのだ。

それなのに、優勝すればビールをかけ合って大騒ぎになり、最下位になれば監督の責任問題にまで発展する。

これだけわずかな違いにしかならないのは、野球というのはほとんど毎日のように試合をしなければならないからである。

先発投手 6人のローテーションで回すとして、2人は勝てる確率の高い投手を擁していても、残り 4人のうち 2人が勝ったり負けたりで、あまり確実性のない投手、2人があまり勝てない投手だったら、やっぱり、チームの勝率というのは、よくて 5割を越す程度にしかならないのも道理である。

野球の試合が、1週間に  2回とか 3回とかしかなかったら、優勝チームの勝率というのは 7割とか 8割近くになるかもしれない。でも、そうなったら、ペナントレースはつまらなくなるだろう。

チームだけでなく、個人成績でも、10回打って 3回ヒットになれば一流といわれ、2回しかヒットがなければダメ扱いにされる。さらに、100回打って 30回ヒットになるのと、29回しかヒットにならないのとでは、たった 1本の違いなのに、3割打者かそうでないかで、扱いが全然違う。

こうしてみると、野球というのはシーズンを通してみると、ちょっとした数字を効率よく稼ぐために汲々として戦略を立てるスポーツなのだとわかる。

20日現在の成績表をみると、首位の阪神なんかは、総得点が 485点で、総失点が  504点と、取られた点の方が多い。不思議な首位チームである。勝つときは僅差で勝ち、負けるときは大負けしているということだ。だが、戦略的にはそれで正解なのである。

一方、巨人なんかは総得点が 566点とダントツで、総失点の  508点を大幅に上回っているのに、圧倒的に首位を走るというわけにはいかなくて、3位に甘んじている。つまり、戦略が下手なのである。大差で勝ちながら、僅差で負けているのだから。

昨日までの巨人・阪神の 3連戦でも、巨人は 1点差で 2敗し、10点差で 1勝している。あまり利口なやり方とは思われない。勝つにも負けるにも、とてもエネルギーを消耗しているのである。ほぼ勝てると見極めがついたら、余計な点なんか取らずに、さっさと帰って寝ればいいのに。

こうしてみると、こんなにチマチマした勝負を展開するのだから、セ・パ 6チームずつというのでは、スケールが小さすぎる。よくまあ、こんな小さな規模でこんなチマチマした勝負をするのを、そんなに興奮してみていられるものである。

やっぱりアメリカの メイジャーリーグのせめて半分ぐらいの規模がないと、本当にシンパシーをもって付き合う気にはなれないんじゃなかろうかと思ってしまうのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/07/31

カール・ゴッチの死

30日、名古屋での会議に出席するために、10時前の新幹線に乗ろうとしたら、静岡県内の豪雨のため運転していないという。

「おやまあ、どうしましょう」 と思ったが、とりあえず東京駅まで行くと、動き始めていた。あらうれしやと新幹線改札口を通った途端に、落雷で再び運転中止。やれやれ。

で、またまたとりあえず、一番先に出発しそうな 「ひかり」 の自由席に座っていると、ほどなく発車して、約 40分遅れで名古屋に到着した。会議にはぎりぎりセーフ。やれやれ。

帰りは 5時前の 「のぞみ」 で、何のことなく帰って来ることができた。やれやれ。で、名古屋駅で 「東スポ」 じゃない、「中京スポーツ」 を買うと (45年来のプロレスファンである私の愛読紙である)、なんと、あのカール・ゴッチが亡くなったという記事が載っている。

今年は、本当に大切な人が死ぬ年である。5月に母が亡くなったのは別格として、カール・ゴッチが死んだというのは、一つの時代の終焉を感じさせるお話だ。

私は昭和 48年にカール・ゴッチの試合を生で見ている。今はなき蔵前国技館で開催された、新日本プロレスの 「世界最強タッグ」 という試合だ。アントニオ猪木、坂口征二組 対 カール・ゴッチ、ルー・テーズ組 である。

この当時、カール・ゴッチは 48歳、ルー・テーズは 57歳だった。ルー・テーズは最盛期にいくら強かったとは言え、今の私の年よりさらに 2歳も上である。2本目で坂口征二をバックドロップで投げて、フォールを奪ったとはいえ、印象としてはちょっと弱々しかった。それも仕方がない。還暦までに 3年しかないという年である。

それに、坂口征二は決して器用なプロレスラーというわけじゃなかったから、あの年のルー・テーズの良さを引き出すというわけにはいかなかった。猪木ならそれができたのだが。だから、バックドロップで投げられた時も、わざわざ投げてもらったという印象だった。

ところが、カール・ゴッチは 48歳にしてまだまだ強かった。猪木と五分で渡り合えていた。30代前半の頃は、うっとりするほど強かったろう。

ゴッチのスタイルは、ショーマンシップを廃した 「ストロング・スタイル」 であると言われているが、それでも、それなりのギミックは要所要所に配していた。猪木のキーロックに決められたまま、彼を肩の上まで担ぎ上げて、コーナーポストの上まで運んでしまうというのは、おなじみの見ものだった。

後に長州力が同じことをしようとしたが、どうしても相手を肩の上まで担ぎ上げることができず、ちょっとみっともなかったのを覚えている (もとろん、相手も下手だったのだろうが)。こうしてみると、ゴッチさん、一面ではなかなかのパワーレスリングの体現者だった。

昭和プロレスの地味ではあるが重要なギミックのひとつに、レッグロックがある。足固めだ。子供の頃のプロレスごっこで、足固めを決めようとすると、空気を読めない素人 (どうせ素人なのだが) の子供は足を思いっきりバタバタさせたり、相手を蹴ったりするので、なかなかレッグロックに入れなかった。まったく困ったものである。

現在の格闘技でも、レッグロックなんていうのは容易には決まらない。思いっきり足をバタバタさせて逃げれば、そんなに決められるものではない。

カール・ゴッチは、いくらショーマンシップを嫌ったとはいえ、足をバタバタなんてみっともないことはしなかった (そんなことをしたら、プロレスにならない)。しっかりとシックに、エレガントに、足首関節の極め合いという状況を演出して見せてくれた。

プロレスで大切なものは、レスラー同士の信頼感である。信頼し合っていればこそ、難しい技も仕掛けられる。仕掛けられれば、受けても見せられる。信頼感のないところに名勝負は生まれない。

今思えば、カール・ゴッチとの信頼感を醸造するというのは、なかなか高いハードルだった。なまじの技量では追いつかないのである。日本のプロレスラーの中には、それを体現する者が多かった。だから、カール・ゴッチは日本のレスラーをコーチするのが好きだったのである。

昭和プロレスの時代は、なかなかいい時代だった。その中での最も高レベルの体現者であったカール・ゴッチの死を、私はとても重く受け止めている。本当に本当に、冥福を祈る。

そして、クラシック・スタイルのプロレスを追求する 「無我」 には、少なからず期待している。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/07/16

「ハンドル投げ」 をめぐる冒険

「ハンドル投げ」 という言葉をご存知だろうか? 初めて聞いたときは、私の頭の中にも 「?」 の文字が 50個ぐらい渦巻いた。

ある時カーラジオを付けたら、たまたま競輪の中継で、ゴール直前のクライマックスにさしかかっている。そしてゴールの瞬間、アナウンサーが 「ハンドル投げー!」 と叫んだのだ。

その瞬間、私は勝った選手が嬉しさのあまり、自転車のハンドルを引っこ抜いて観客席にぶん投げてしまったのかと思ったが、いくらなんでもそれは違うようだ。そんなに簡単に引っこ抜けるハンドルでは、危なくてしょうがない。じゃあ、一体何なのだ?

競輪ファン以外の者で 「ハンドル投げ」 なんて言葉を知っているものはほとんどいないだろうが、アナウンサーはお構いなしで、この業界用語の説明なんて一言もしてくれない。考えてみると、スポーツ中継のほとんどは、特殊な用語の説明なんて全然しないのである。

思えば、私は野球中継を聞いていても、「チェンジアップ」 の何たるかを知らなかった。競馬中継を聞いていても 「こずみ」 の何たるかを知らなかった。しかし、なんとなく当たらずとも遠からずという感じで想像することはできる。

「チェンジアップ」 は、普通のストレートボールとは目先を変えた変化球なんだろうし、「脚に 『こずみ』 が出ている」 と聞けば、何となく違和感があるのだろうなとはイメージできる。そして、今日、上記でリンクするために調べてみたら、ほぼ想像していたとおりの意味だった。

しかし 「ハンドル投げ」 に至っては、いくら何でも表現がぶっ飛び過ぎで、わけがわからない。で、家に帰るまで、この 「ハンドル投げ」 とは何ぞやということが、頭の片隅にひっかかって離れない。私は言葉関係には案外しつこいのである。

インターネットで調べると、「ゴール前にハンドルを両手で突き出すこと。若干だが前に伸びるため、接戦時には有効的だがタイミングが難しい」 という解説が見つかった (参照)。なんだ、「投げる」 んじゃなくて、「突き出す」 んじゃないか。

しかし、本当にハンドルを両手で突き出したところで、伸びが期待できるんだろうか? 自転車がゴムのように伸びるわけじゃあるまいし。

しかし、私は理数系はからきしだから、確かな根拠があって言うんじゃないが、多分、本当に伸びるんだろうと思う。

ハンドルを突き出すような動作をすると、自転車の前輪の斜め上から前方下に向かうベクトルがかかる。このベクトルが前輪の中心を越えるとき、前進方向の加速力に変換されても不思議はない。自転車は後輪駆動で動くが、瞬間的に前輪の方にも駆動力がかかったような形になるんじゃなかろうか。

車輪の回転と上下のベクトルというのは、これとは少し違うが、自動車を運転していても実感することがある。路面に盛り上がりやコブがある時、それを越えた瞬間に、わずかにアクセルをふかしてやると、バウンドを感じないでスムーズに進行することができる。

コブを越えて、車体が一瞬沈みかける瞬間、アクセルをふかすと、前輪 (最近の車の多くは前輪駆動なので) のトルクが上がり、それで上から下に向かうベクトルが地面に伝わるので、沈み込むベクトルと相殺して、バウンドしないで済むのだ。

これとやや共通した力学で、多分自転車もわずかに伸びを見せるんだろうが、それでも、この 「ハンドル投げ」 というテクニックは、微妙である。ゴールラインを越えてしまってからハンドルを突き出しても意味がないし、あまり手前でやると、体が伸びきってしまうので、一瞬後には減速してしまう。

プロのテクニックというのは、なかなかスゴイものである。

ところで、私は言葉としての 「ハンドル投げ」 は、やはり 「あんまり」 だと思う。「ハンドル突き出し」 とか「ハンドル押し」 とか言う方が正確だろうと思うが、語感があまりよろしくないというなら、せいぜい 「ハンドル・プッシュ」 とか 「ハンドル・チャージ」 (「取扱手数料」 (handling charge) みたいだけど) とか言えばいいのに (完全に和製英語だけど)。

英語では自転車のハンドルは "handlebar" なんだけど、この際、固いことは言わない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/04

高野連の都合

高野連の 「最終発表」 によると、日本学生野球憲章に違反するスポーツ特待制度申告は 376校だったそうだ。

要するに、有力校のほとんどなんだろう。あれだけ勇ましくプロ野球側に噛みついちゃった行きがかり上、このくらいの出血は、仕方がなかったのかもしれない。

それにしても、なんでまた、今さら、特待制度の調査なんてことになったのだろう。高野連のお偉方が、こうした制度があるのを知らなかったわけはないだろうに。

これは、部外者の寝言と思ってもらって結構なのだが、私は密かに、これまで 「おねだり体質」 で甘い汁を吸ってきた高野連の一部 (?) のお偉方を守るために、学校に泥をかぶってもらったんじゃないかと疑っている。要するに、個人を守るために、学校をやり玉に上げたんじゃないかということだ。

野球の得意な子の学費を免除するなどの優遇は、私は別に悪いことじゃないと思う。勉強のできる子が奨学金をもらえるのだから、スポーツの得意な子が特待制度の恩恵にあずかって、何が悪いというのだろう。それほど大騒ぎするほどのことじゃなかろう。

それよりよっぽど問題なのは、有力なアマチュア選手をプロ球団に斡旋して、法外な裏金を受け取ることだ。しかも、プロ球団が多額の裏金を出すようになったのは、アマチュア側の指導者が要求したからだという、有力な情報がある。

普通に考えても、需要と供給の関係の常識からいえば、少数の有力選手を複数のプロ球団が取り合えば、そりゃあ、売り手市場にもなろうというものだ。

そんなこんなで、アマチュア側の指導者の中には、叩けば埃の出る人がいくらでもいるだろうと想像される。とくに都道府県単位の連盟の役員の中には、そんな人がいても不思議じゃない。そんな 「おねだりさん」 がぼろぼろ明るみに出たら、それこそ大変なことになる。

こう考えると、連盟が個人としての保身に協力的になったとしても、不思議はない。そのために、学校レベルでの特待制度を 「隠れ蓑」 にするのは、まあ、少し奇異な感じはするが、アイデアとしては 「あり」 ということだったんじゃなかろうかと、思ってしまうのだ。

その上で、「世論に鑑みて」 許されてしかるべきという結論が出たとか何とか言って、近い将来、理事会で修正決議して、野球の特待制度にお墨付きを与えてしまうということだってできる。そうすれば、今回の一時的な出血なんて、取るに足りないことになる。

何度も言うけれど、これは 「部外者の寝言」 なので、そのあたり、よろしく。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/27

自分で自分の首を絞める高野連

私はこのコラムで、過去に何度かアマチュア野球関係のお偉方の 「超エラソー」 な態度をオカズにしているが。高野連のお偉方に至っては鬼気迫るものがある。

今回の 「野球特待問題」 への対応 (参照) なんて、自分で自分の首を絞める錯乱状態のようにみえる。

私はこの問題が取りざたされるまで、高野連が野球関連の特待制度を禁じているなんてちっとも知らなかった。だって、スポーツの得意な子が、授業料を免除されたり減額してもらったりするなんて、常識だからだ。野球だけが違反だなんて言ったら、それこそスポーツ界内部での 「差別」 である。

高野連のお偉方だって、これまでその実態を知らなかったはずがないではないか。それがプロ野球の裏金問題の余波なのかどうかしらないが、急に固いことを言い始めた。よくよく建前先行の世界である。

「今後、きちんと授業料を払ってください」 なんて言われたら、野球特待生の父兄の多くは 「そんなんだったら、公立に行かすんだった」 と嘆くかもしれない。「授業料は要らんから、ウチの高校においで」 と誘われたからこそ、その私立校に入ったんじゃないか。

今さら 「あの話はなかったことに」 ということになったら、後に残るのは、高い授業料だけだ。肝心の野球の方は、このゴタゴタで身が入らないだろうし、まったくもって気の毒なことである。

それに、ほかの種目の特待制度は大手を振って残るのだから、今後、高校スポーツ界の重点は、野球からサッカーなどほかの種目に移行するだろう。スポーツは私立校の動く広告塔なのだから、野球がだめなら、ほかで宣伝するだけの話である。

そういうことになったら、高校野球のレベルは低下する。甲子園野球もつまらなくなる。ひいては、そこから選手の供給を受けるプロ野球のレベルも低迷する。そうならないための唯一の防衛策は、クラブチームの振興だ。

これからは、もしかしたら甲子園野球は役割を終了して、クラブチームのトーナメントか何かが脚光を浴びてしまうなんてことにもなりかねない。

高野連は、マーケティング的に見ると、明らかに自殺行為に走っている。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/04/06

野球はビッグ・ビジネスじゃなくなった

西武の裏金問題が浮上した先月、私は "アマ側はずいぶんいい子ぶってるけど、昔は関係者一同、「おねだり体質」 だったこともあるはずなのにね" と書いておいた (参照)。

で、一月も経たないうちに、それがしっかりと証明されてしまった。アマチュア野球の監督って、結構いい商売だったみたいなのだ。

西武側の発表では、アマチュア野球関係者 170人に裏金を渡していたということで、一説には、その 4割が高校野球関係者だという。だとすれば、甲子園野球出場常連校の監督 (あるいは元監督) なんか、心臓がばくばくしちゃってるかもしれない。

アマチュア野球関係者って、表面的にはものすごく 「清く正しく」 みたいなことを言っているけれど、その実、お金が大好きで、さらにものすごくエラソーで傲慢だという印象がある。それが、今回バレバレになっちゃったわけだ。

いずれにしても、西武がこうした 「自爆テロ」 に出たというのは、野球というのがもう、かつてのようなビッグビジネスじゃなくたったということだ。それだけに、かつての堤義明型の金にものを言わせた俗悪な手法から決別するための、ハードランディングなのだろう。

スポーツの世界を牛耳りたいという強烈な野望をもったオッサンがいなくなったんだから、会社としても、もうこれ以上付き合いきれないというわけだ。こんな手荒なやり方で決別宣言するほどだから、元々、会社の中間クラスから下はうんざりしてたんだろうね。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/03/17

裏金騒動を裏から見る

西武ライオンズがアマチュア野球選手に裏金を渡していたことを自らゲロしたため、てんやわんやである。アマチュア野球側は声を揃えて 「希望枠」 の撤廃を要求している。

ふーん、アマ側はずいぶんいい子ぶってるけど、昔は関係者一同、「おねだり体質」 だったこともあるはずなのにね。

そもそも、西武が自ら白状したのだって、良心の呵責に堪えかねてというよりは、その方が得だからということだ。要するに、「もう、これ以上、裏金をつぎ込んでまでチームを強くしようとは思いません」 ということで、もっと正直にいえば、「もう、野球につぎ込むほどの金なんか、ありません」 ということになるのだろう。

で、どうせ裏金をつぎ込むのを止めるなら、いっそのこと白状しちゃうことで大問題にしてしまい、今後は、どの球団も裏金を使うにも使えない状況にしてしまえばいいということなのではなかろうか。

「死なばもろとも」 である。1年ぐらい、ペナルティでドラフトに参加できなくなっても、長い目で見ればずっと得である。だから、今回白状しちゃったのは、自爆テロみたいなものだ。

ごくごく少数の金持ち球団以外は、裏金を使っての有望選手獲得に 「もう、付き合いきれん」 と思っていたのだろう。で、以前は 「付き合いきれていた」 けれど、近頃はどうしようもなくなってしまった西武が、「それならば」 ということで、イスカリオテのユダの役割を果たしてしまったと見るのが、自然のような気がする。

要するに、以前は巨人と 2~ 3の球団がさんざん金を使ってくれて、周りの球団はコバンザメのごとくに、そのご相伴にあずかっていればよかったのだが、近頃では巨人の人気にもかげりが出たし、今までのメソッドじゃ、やっておれんということなのだろう。

だったら、戦力平準化しちゃった方が、球界も儲かるということなんだろうね。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007/03/05

K-1 の 3試合観戦記

近頃の K-1、つまらんなんて言いながら、ついまたテレビ観戦してしまった。格闘技中毒である。ただ、見始めたのが 9時頃からだったので、一番の好勝負だった (らしい) カラエフ 対 バダ・ハリ は見逃してしまった。残念。

で、見たのは 武蔵 対 藤本、バンナ 対 澤屋敷、シュルト 対 セフォー の 3試合のみ。

武蔵 対 藤本 は、もう初めから藤本が勝つと予想していた。武蔵はもう、とっくにピークを過ぎている。元々あまり威力のないパンチとキックのヒット・アンド・アウェイのみを武器に、ホームタウン・ディシジョンで勝ってきた選手なのだから、フットワークが衰えたら勝てる要素はない。

それにこの試合、本戦の判定がドローというのは、疑問が残る。終始攻勢だったのは藤本である。有効打のみを評価するという K-1 方式とはいえ、最終ラウンド終了直前のラッシュは十分に有効だったのだから、あれでドローはひどすぎだろう。

あのまま延長戦に突入したら、ブーイング必至だったが、角田審判長 (という立場だったっけ?) がリングに登場して、両者の消極的な戦法を熱烈批判。これで見事に判定への不満をそらしてしまった。

ちょっとわざとらしいギミックだったが、延長で藤本がミルコばり (ちょっとほめすぎ?) の左ハイキックで KO しちゃったから、まあ、結果オーライか。かなり複雑な気分だけど。

K-1  2戦目という澤屋敷がバンナに勝ってしまったのは、本当に本当に驚きだが、バンナは、左肩あたりの妙な湿疹ぽい痕といい、キックをまったく出せなかった動きといい、コンディションがかなりおかしかったのは確かだろう。

それに、澤屋敷のぐるぐる逃げ回ってカウンターだけを狙う戦法が、次からも通用するとは思えない。次に当たる対戦者は、カウンターを食わないように一応追いかけているふりだけして、相手の消極的姿勢をアピールすればいい。そうすれば、澤屋敷の減点ということになって、判定勝ちできる。

シュルト 対 セフォーは、さすがに体力差でシュルトの勝ち。シュルトは、昨年は体がぶよぶよで動きも鈍く、ピークを過ぎてしまったのかと思わせたが、今回は少しだけ締まっていた。とはいえ、全盛期の動きじゃない。

モチベーションがかなり低下しているんじゃあるまいか。だから近頃の彼の試合は、とてもつまらないのだ。

ああ、PRIDE が見たいなあ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/01/12

「ぬるぬる」 秋山、やっぱり失格

1月 2日のエントリー で触れている、大晦日の K-1 Dynamaite のメーンイベント、秋山成勲 対 桜庭和志 戦における 「ぬるぬる疑惑」 について、K-1 サイドが秋山の不正行為を認め、失格の裁定を行った (参照)。

体にスキンクリームを塗っていたとのことで、K-1 と秋山のイメージダウンは避けられない。

K-1 側の発表は 「ワセリン、タイオイル等の塗布はなかったが、秋山は全身にスキンクリームを塗っていた」 というもの。これは 「クリームは OK だと思っていた」 という秋山の認識不足によるものであり、カメラの前で堂々と塗っていたことなどから、悪意ではなく過失と判断したという。

このあたりは、かなり微妙なところである。秋山は今回の記者会見で、元々 「乾燥肌」 で、それを防ぐために普段から使用し、塗っても大丈夫という認識だったと発言したという。しかし、試合後の記者会見では、自分は 「多汗症」 であると言っていたではないか (参照)。

多汗症で、しかも乾燥肌の人間なんているか? この辺からして、秋山という人間を信頼できるかどうかは、大いに疑問だ。

大汗かくヤツが 「乾燥肌」 とかなんとか言って、体にスキンクリームなんか塗って、照明に照らされたリングで格闘技の試合なんかしたら、汗とクリームが混じり合ってぬるぬるになるのは当たり前である。「悪意ではない」 というが、本当にそうなのか?

そもそも、私が 1月 2日のエントリーで指摘したように、秋山のタックルを切る動きはかなり不自然だった。あんな風に長靴でも脱ぐようにひょいと回ったりは、普通はしない。ぬるぬるを前提として、練習で繰り返し身につけなければ、咄嗟にはできないだろう。

今回の処分を幕引きとして、K-1 側は事を収めたいところだろうが、そうは行かない。まだまだ疑惑がすべて解決されたわけではないのだ。今後、秋山はリングに上がるたびに猛ブーイングを浴びることを覚悟しなければならないだろう。自分で蒔いた種だから、仕方がない。

後から PRIDE の動画を見るにつけ、総合ルールの試合に関しての、K-1 のいい加減さは際立つ。損なわれた K-1 への信頼が、今回の処分発表で回復されるとみるとしたら、それは甘すぎるというものだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/02

大晦日の K-1 は、もう見なくていい

本来なら昨日付で書くべきネタだが、元日用には 「予定稿」 があったし、元日にふさわしいとも思えなかったので、後回しにした。

何の話かと言えば、大晦日に行われた 「K-1 Dynamite」 についてである。まともな試合は、所 対 ホイラー の一戦だけ。ああ、「PRIDE」 が見たかったといっても、繰り言か。

とりあえず、金子賢 対 アンディ・オロゴン、曙 対 ジャイアント・シルバの 2試合は、金を取って見せるような代物じゃない。金子賢は、格闘技センスなさすぎ (あんなんだったら、私の 30代の頃の方が強かった)。曙の試合は、馬鹿馬鹿しいの一言。

チェ・ホンマン 対 ボビー・オロゴンは、マッチメイク自体が、バラエティ・ショーの発想。ウェイト差ありすぎという点では、永田 対 勝村も、勝村に気の毒すぎた。

明らかにトレーニング不足でバッド・シェイプだったのは、ニコラス・ペタスとセーム・シュルト (曙とシルバは、改めて言うまでもない)。もしかしたら、シュルトはもう下降線をたどってるのかもしれない。

砲丸投げ選手相手に、相手が疲れるまで手こずってしまったのは、武蔵。須藤元気はコンディションの悪さが見え見え (引退は無理もない) だったし、石澤常光は、相変わらず対打撃の防御ができてない。

山本 Kid と魔裟斗も、それぞれ、総合ルールと K-1 ルールで戦ったのだから、勝って当然の試合。

そして、最も後味悪かったのは、秋山成勲 対 桜庭和志のメーンイベント。桜庭のアピールした 「秋山の体、ぬるぬるやんけ」 疑惑は、今となっては検証の仕様がないが、確かに不自然な動きがいくつかあったということは、言っておこう。

普通、タックルを切るとき、下半身を後ろに引いてがぶるものだけど、あんな風に長靴でも脱ぐようにひょいと回ったりはしないだろうよ。そもそも、最初に秋山が道着を脱いだのはいいとしても、下の方まで脱いじゃって、その下から赤いトランクスが現れたのには、ちょっとしらけた。あそこで、何かあると思うべきだったかもしれない。

そして、確実に言えるのはレフリーの試合を止めるのが遅すぎ。ビデオで流された、山本 Kid 対 須藤元気の 「電撃的」 なまでのレフリー・ストップと比較したら、同じ団体の試合とは到底信じられないものがある。

あれで、「裏で何もなかった」 と言われても、にわかには信じられない。試合を裁いた梅木レフリーのブログは、完全炎上である。かばえないと思う。ただ、レフリーなんかよりもっと問題なのは、サダハルンバ谷川だと思うのだが。

見ようによっては、K-1 はなまじテレビ中継があるので、バラエティにしなければならなかったのかもしれない。その点、PRIDE はテレビがなくなって財政的には大変だろうが、コアなファンをメインに想定することができた。世の中、何が幸いするかわからない。

ただ、こんなことでは、せっかく盛り上がりかけていた総合格闘技も、プロレスの二の舞になってしまいそうで、ああ、本当に心配である。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/09/16

「感覚のプロレス」 から 「論理のプロレス」 へ

元祖 「活字プロレス」 の 「週刊ファイト」 が、今月一杯で休刊になる (参照)。私はネット版の 「ウィークリーウェブファイト」 の有料購読者なのだが、こちらの方も休止となるようだ。

発行元の新大阪新聞社は、「活字メディアの衰退とマット界の沈滞などから読者が減少」 したことを、休刊の理由としている。

格闘技フリークである私は、学生時代から 「週刊ファイト」 の愛読者である。私の学生時代は、新日本プロレスの成長期で、試合はゴールデンタイムでテレビ中継されていたが、貧乏学生だった私のアパートの部屋にはテレビがなく、大事な試合も見逃すことが多かった。

それでも、翌日には 「東京スポーツ」 で試合結果を知り、さらに、毎週木曜日になれば、「週刊ファイト」 でその裏事情まで窺い知ることができた。

当時の編集長だった井上義啓氏のカリスマ的編集方針により、「週刊ファイト」 は、単なるリング上の結果よりも、それを保証するリング外の事情まで取り上げて、コアなプロレスファンのニーズに応えていたのである。

本物のプロレスファンにとっては、「プロレス八百長論」 などは極めて低次元の話であって、それを超越したパフォーマンスの評価こそが問題なのだった。それは、時折垣間見られる 「本物の殺気」 にも支えられていて、往年の猪木プロレスには、確かにそれがあった。

「約束事」 の上に成り立ちながら、時にはそれを踏み越えてしまうプロレスというパフォーマンスであるからこそ、井上編集長の言われる 「感覚のプロレス」 ということが、大きな意味を持っていた。

リング上の世界を支えるバックグランドまで精通して、その上で 「わかる人だけがわかる世界」 というものを、彼は 「活字プロレス」 で表現した。そこから、ターザン山本氏、金沢克彦氏などの名物プロレス記者が巣立った。

しかし、私は 「感覚のプロレス」 というのは、「井上編集長一代限り」 のものだと思っている。「感覚で観る」 プロレスは、猪木の引退とともに、とっくに終わってしまっているのだ。長州力があそこ止まりなのは、「感覚のプロレス」 に鈍い感覚で固執しているからである。

時代は 「論理のプロレス」 を志向しているのだ。しかし、プロレスが 「論理」 を志向してしまうと、それはもう 「プロレス」 ではあり得ない。「格闘技」 になってしまう。その意味で、「プロレス」 が衰退し、「格闘技」 が脚光を浴びるのは当然のことなのである。

そして、「プロレス記者」 の多くは、「論理のプロレス」 に対応できなかった。「論理のプロレス」 の記事というのは、道場で実際に打ち合い蹴り合いをし、関節を極め、極められする経験をしなければ、書けるものではない。「観客論」 の立ち位置では無理なのである。

例えばターザン山本氏は、いまだに個人的思い入れに立脚した 「感覚のプロレス」 を書くという流儀から離れられない。それゆえに、彼の書く格闘技記事には、膝を打って 「そうであったか!」 と感嘆することがない。

今では、格闘技のレポートは、活字記者の書く記事よりも、格闘技経験者の書くブログの方がずっと説得力がある。その意味で、「活字メディアの衰退とマット界の沈滞」 というのは、プロレスとプロレス・マスコミの両方が招いてしまったことでもある。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/08/09

今頃になって亀田の試合を冷静に語る

ネット上の亀田興毅バッシングがあまりにもすさまじいので、実際どんな試合だったのか、You Tube で見てみた。

実は、彼がリング上で動くのを見るのは、これが初めてである。私は今月 3日のエントリーで書いたように、亀田親子にはあまり興味がないのだ。趣味が合わないのである。

世間では 「いきなりダウンの 1R」 「しがみつくのがやっとの 11R」 「立っているのがやっとの 12R」 などと言われているので、見た目にもよっぽどの大差と思っていたのだが、まあ、ダウンは文字通りとしても、11R と 12R は、けなされすぎの印象だ。

決して 「しがみつくのがやっと」 でも 「立っているだけがやっと」 でもない。それでも、12Rを 10 - 9 で亀田のラウンドとした金氏のジャッジは、やはり 「いくら何でも、ちょっとね」 と言いたくなる。

You Tube で見たのは 1R、11R、12R の3回だけである。想像だが、中盤のラウンドは亀田も相当がんばって見せたのだろうから、僅差の判定というのは、あながちでたらめというわけじゃない。

しかしそれでも、ランダエダの支配した試合だったというのは、間違いのないところだろう。

まあ、ランダエダにしても、あまり無理をしていない印象だ。きっと裏のからくりをわかっていて、KO かよっぽどの大差を付けなければ勝てないという自分の役どころを、きちんとわきまえていたのだろう。

相手方のリングに来るというのは、そういうことなのだ。本当に何が何でも勝ってベルトを巻きたかったら、自分のホームリングにこだわる。最悪でも、第三国での試合にする。今回は初めから 「亀田興毅のための試合」 だったのだ。

それだけに、無用の過剰な打ち合いを演じてダメージを負うのはまっぴらという戦い方をしている。それよりも、終始紳士的に振る舞って、試合でもちょっとだけ優勢に戦ったという印象を残しておく方が得策だと考えたのだろうと思う。

そうでもなければ、試合後にそんなにさばさばしていられるものじゃない。

いずれにしても、亀田興毅という選手、さんざん強がりを言うほど圧倒的な強さを持っているわけではないという印象だけが残った。技術的には特段見るべきものがない。

当人は無理な減量が響いたと言っているようだが、減量でロスしたのはパワーとスタミナだけである。技術的には、今のところあんなものなのだろう。

まあ、「八百長」 というのは言い過ぎとしても、裏の部分での圧倒的な力関係の構図に支配されたイベントだったのだなという印象が強いとだけ、正直に書かせていただこう。はっきり言って、イメージ悪い。

それにしても、某テレビショーのやくみつる氏のパフォーマンス、あれもちょっとね。普段漫画でやってるスタイルのまんまで、趣味の悪さじゃ、どっちもどっちだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/08/03

亀田の試合なんて、見なかったけど

格闘技フリークの私だが、例の亀田三兄弟には興味がないので、TBS の実況も全然見る気がしなかった。

夜 10時過ぎに、ウェブ上のニュースで亀田の勝ちを知ったが、どうやら露骨なホームタウン・デシジョンだったようだ。試合前の猿芝居パフォーマンスでも、負けてたしね。

私はスポーツの世界におけるある種の父親のあり方に、とても戸惑いを感じている。その代表が、死んだ二子山 (初代貴乃花) と、亀田三兄弟の父親だ。

この二人、人前で自分の息子を褒めすぎだ。あまりいいものじゃない。あんなんでは、子供だって、ろくなものにならない。

一時の二子山部屋と、今の協栄ジムは、有力選手 (相撲の場合は 「力士」 だが) を多く抱え、「業界」 における力が強いという点で共通している。だから、かなり見苦しいことがあっても、周りからは何も言われない。

周りで何も言ってくれないと、頭の悪い連中は、自分がよっぽど正しいと勘違いしてしまう。その勘違いが甚だしいと、今の若貴兄弟のようになってしまうのだ。あれだけ栄華を誇った二子山部屋の遺産も、色褪せるのに時間はかからなかった。

亀田三兄弟にも、誰かきちんと礼儀というものを教えてやる人がいないと、いいことばかりは続かない。相手をリスペクトするということを知らない選手の試合には、カタルシスがないので、つまらないのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/07/25

役者が不足してた? 本荘高校

アマチュア・スポーツ関係のお偉方たちは、大概びっくりするほどエラソーなのだけれど、個人的な印象からすると、野球の人たちの 「エラソーさ」 はひときわ群を抜いている。

権威ばかり振りかざし、空虚な精神論に終始する。今回の高校野球秋田大会の 「故意の三振問題」 も、そんなようなもんだろう。

既にあちこちで取りざたされているから、改めて触れるまでもないが、22日の全国高校野球選手権秋田大会準決勝の、本荘 ― 秋田戦で、12対 1でリードした本荘高校の監督が、雨天ノーゲームを避けるために、わざと三振をするように選手に指示したという問題だ。

この件で、高野連は、「雨天で試合が中止されることを恐れた故意の行為」 「最後まで全力を尽くすべき理念に反する」 「相手チームに失礼」 などと判断し、校長、部長、監督の連名による始末書の提出を求めたという。

断言してもいいけど、この大会の運営現場は、雨天ノーゲームにもならず、試合予定がサクサク運んだことを喜んでいたはずだ。接戦ならまだしも、12対 1である。再試合なんてことになったら、馬鹿馬鹿しい。連投につぐ連投の、ピッチャーの身にもなってみろ。

そして、報道にも問題があると思うのだが、結果は、「雨天コールド」 では断じてない。あくまでも、7回までに 7点差以上開いたことによる 「得点差コールドゲーム」 である (根拠は こちら)。この点はしっかりと認識しておかなければならない。

雨天というファクターは、雨天によるノーゲームが避けられたという事項のみに関連する。そして、雨天に乗じてノーゲーム狙いの遅延行為をしようとしたのは、相手の秋田高校の方のようなのだ。本当に 「相手チームに失礼」 なのは、どっちなのか。

ほとんど結果の見えた試合を、サクサクと運ばせてきちんと成立させるために、ちょっと手を抜いたぐらいのことで、「校長、部長、監督の連名による始末書」 の提出を求めるなんて、エラソーにもほどがあると思うのである。

「最後まで全力を尽くすべき理念に反する」 と言っても、試合そのものが無効になったら、泣くに泣けないだろう。その結果、ピッチャーが肩でも壊したら、誰が責任を取るというのか。

相手の秋田高校の監督のコメント、「最後まで一生懸命やろうとしていたのに、負けた以上の屈辱だ。悔しい」 というのも、なんだかなあと思ってしまう。

だって、その後にちゃんと 7回裏があったじゃないか。その 7回裏で食い下がって試合を引き伸ばすことができず (つまり、ノーゲームにもちこめず)、7回コールドで負けた時点で、それは、きちんとルールに則った 「最後」 に他ならないのである。

あるいは、7回表の攻撃を延々と続けてもらい、20対 1ぐらいの点差がついた時点で、雨天ノーゲームになれば、「屈辱」 ではなかったのか。よくわからん。

だが、まあ、こうした理屈の通用しないところが、高校野球の高校野球らしいところと、言えば言えなくもなかろう。そのあたりが好きな人は好きなんだろうな。私はうんざりするけど。

私が本荘の監督なら、「故意とはバレないように、必死こいたスイングで空振り三振して来い」 「本盗の途中で、足をもつれさせて転んで来い」 と、そっと耳打ちしただろうと思う。本荘高校、ちょっと役者が不足していたかも。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/06/13

ラグビーじゃないのに

正直言って、今回の W杯、私個人としては全然盛り上がっていない。初めから、ほとんど勝てそうな気がしていなかったし。

初戦のオーストラリア戦にしても、真夜中だったら見ないで寝てしまおうと思っていたのだが、10時からというので、それならばせっかくだからと、TV 観戦していたのである。

前半は 1-0 でリードしていたので、もしかしたらこのままいけるかとも思ったが、スーパーセーブを続けていた川口が調子に乗って前に出すぎて 1点を取られると、あとは浮き足立ってしまい、絵に描いたような逆転負けである。

ラグビーじゃあるまいし、サッカーでオーストラリア相手に、こんな負け方をしては困る。こうなると、残り 2戦は 1勝 1分けでもつらいし、1勝もできずに、1次リーグ敗退というのが、定石通りの考え方になる。

日本サッカーの将来のためには、その方がいいのかもしれない。所詮、ジーコの指導方針は、中学生に大学レベルのパフォーマンスを要求するようなところがあった。次期監督のもとで、選手の世代交代も含め、出直しである。

それにしても、オーストラリア、メチャクチャ荒削りだが、強いじゃないか。ヒディング、すごい。冷静に見たら、俊輔のゴールの時、柳沢が反則を取られていたら、0-5 ぐらいで負けていたかもしれないぞ。

こうなったら、ブラジル相手に、期待通りの 「番狂わせ」 を演じてくれるのを待とう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/06/07

出直してくれんか、Pride!

フジテレビが、格闘技 Pride の主催団体 DSE の 「契約違反」 を理由に、放映中止を発表した。格闘技フリークの私としては、いやんなっちゃうお話である。

フジテレビ側は 「不適切な事象が起きているとの疑惑」 としか説明していないのだが、どうやら、暴力団がらみが大きな要素らしい。

だいぶ前から、週刊誌の見出しに 格闘技団体 (とくに Pride) と暴力団の関わりといったことが踊るようになっていた。私は電車の吊り広告でそれを眺めながら、「今に始まったことじゃあるまい」 と思うだけだったが、この問題、ついにはじけてしまったようだ。

Pride の会場では、アリーナのいい席にそっち方面らしい人間の姿が目立つとは、よく言われていた。最近は、企業のコンプライアンス (法令遵守) が重視されているので、フジとしても頬かむりはしにくくなっていたのかもしれない。

何しろ、格闘技 (プロレスやいわゆる 「総合格闘技」 の類) は 「興行」 である。フツーのスポーツの試合とは違う。どうして違うのかというと、しっかりしたコミッションがないからだ。好き放題やっちまえの世界なのだ。

選手の契約にしても不透明な部分があって、「引き抜き」 問題が多発する。その度に、その世界の人の出番になりがちだ。

しっかりしたコミッショナー (プロ野球のそれが、「しっかりした」 ものかは、異論があるが) があっても 、ややもすれば、そっちの世界の人が入り込むのである。コミッショナーがなかったら、よほどきちんとしたポリシーで固めなければ、入り込み放題だろう。

ただ、暴力団がらみのコンプライアンスだけかといえば、そうでもないという見方もある。Boutreview というサイトに、興味深い記事がある。DSE は、中量級コンテンツの 「Pride 武士道」 を、フジテレビ以外の局でゴールデンタイム中継してもらうことを画策していたようだ。

これで、フジ側が 「鳶に油揚げではないか」 と、ぶち切れたということも考えられるのである。この辺りは、この世界にありがちな 「自分の思い込みだけで妙な動きをする 」 という伝統 (?) の弊害である。

普段からきちんと話を通せば、単なるビジネス上の話になるのに、こそこそ動くから、感情的な喧嘩になるのだ。あるいは、このあたりの齟齬をきっかけにして、くすぶっていたコンプライアンス問題がはじけてしまったのかもしれない。

格闘技そのものの視点からすれば、ことヘビー級に関しては、K-1 よりも Pride の方が圧倒的にレベルが上だ。K-1 ヘビー級は、近頃しらけっぱなしである。先日も、 「K-1 ワールド GP ソウル大会」 で、チェ・ホンマンがみえみえのホームタウン・デシジョンでセーム・シュルトに勝っちゃったりするし。

それだけに、格闘技フリークとしては、Pride が身ぎれいな状態になって出直してくれるのを望むばかりである。

それから、総合格闘技のテレビ中継は、妙な 「煽り」 で時間を潰していないで、試合そのものをきちんと放映してくれないかなあ。今のままだと、ビデオにとって CM と 「煽り」 をスルーしたら、半分以下の時間で見終えてしまう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/22

「胴上げ」 を世界に広めたい!

私は、野球、ゴルフ、テニス、卓球といったスポーツにはあまり興味がなくて、圧倒的なシンパシーを感じることがないんだけれど、あえてこれらの共通点を挙げるとすれば、「小さいボール」 のスポーツということになりそうだ。

とはいいながら、WBC 初代チャンピオンとは、そりゃ、負けるよりはずっとおめでたい。

てなことをいいながら、少しは儀礼的に、王ジャパンに 「おめでとう」 を言っておくのだが、私としては、優勝そのものよりずっとうれしかったのは、サンディエゴで 「胴上げ」 というパフォーマンスを盛大にやって見せてくれたことだ。

私は、「胴上げ」 大好きである。せっかく初代優勝監督が胴上げで宙を舞うというパフォーマンスをして見せたのだから、これを機に、WBC の優勝チームは監督を胴上げするという恒例にしてはどうかという提案をしてみたいのである。

これ、積極的に提案しないと、国際的には受け入れられないだろう。というのは、「胴上げ」 というのは、多分、日本独特の習慣なのではないかと思うのだ。他の国には決してないと断言するまでには至らないが、少なくとも、日本以外での胴上げというのは、見たことも聞いたこともない。

一節によると、「胴上げの総元締め」 は長野の善光寺で、いにしえの昔から毎年暮れの 「如来ご越年式」 という行事の中で執り行われるのが、日本で、ということは、世界的にみても、「最も権威ある胴上げ」 らしい。

民俗学的発想としては、人の足を地面から離すということにより、「ケ」 (日常) から、神聖なる 「ハレ」 (非日常) の世界に送るということのようだ。道理で、胴上げされると気持ちがいいわけだ。

日本の標準タロウ」 というサイトの第 1回は、「胴上げされた経験があるか、ないか」 のウェブ上アンケートになっていて、その開票結果は、投票総数 129票のうち、「ある」 が 41票、「ない」 が 88票ということになっている。

つまり、日本の胴上げに関しての標準は、「されたことがない」 ということになっているようだ。しかし、願わくは日本人の大半が 「1度は胴上げされたことがある」 という社会にしたいものである。そうなれば、日本はさぞかし平和で豊かな社会になっていることだろう。

私自身は、過去に胴上げされたことが 3度ある。しかし、3度のうち、本当に上手に上げてもらったのは、1度きりで、残り 2度は中途半端に終わり、消化不良的な印象にとどまった。「正しい胴上げ」 とは、実は、なかなか難しいものなのだ。

「胴上げ」 の裾野がより広がれば、「正しい胴上げ」 をするテクニックが、国民的常識となるはずである。そうなることを念願する。

こうなったら、第 2回大会でも日本が優勝して、ダメ押し的に胴上げのパフォーマンスをしてみせて、「ドーアゲ」 を国際語に昇華させてもらいたいものである。こんな気持ちのいい風習を、日本だけに留めておくのは、「モッタイナイ」。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/03/20

「ボブ君」 に助演男優賞

出張先から帰ってくる新幹線の電光掲示板ニュースで、WBC で日本が韓国に勝ったことを知り、思わず笑ってしまった。

この大会、既にほとんど終わっている。我々は、「米国の米国による米国のための大会」 で、米国が見事に消えるという、ナンセンス・コメディを見せてもらったのだ。

現在継続中なのは、日本とキューバのためのサブストーリーというか、ボーナストラックみたいなもので、メインストーリーからみたら、もうどうでもいいお話なのかもしれない。

この大会に最も熱狂的だった韓国は、唯一地区リーグからずっと無敗で突っ走ってきて、しかもあの米国に大勝したナショナルチームが、どうして、それまで 2度勝った相手にたった 1度負けただけで、消え去らなければならないのかと、憤慨しているだろう。

しかし、それこそが、この大会のとてもいびつなシステムの結果なのだから、仕方がない。

フツーの常識だったら、準決勝は、2つのリーグ戦の、異なった組の 1位と 2位同士が対戦することになるのだろうが、今大会ではそうした常識は無視され、同一組の上位 2チームの対戦となっている。これだったら、トーナメントの準決勝という意味がない。リーグ戦の 2つの組のプレーオフで、勝った方が最後の決勝進出という方がずっとわかりやすい。

この常識外れのシステムは、元々は、米国が強豪の中南米チームに当たらずに 「準決勝」 を突破し、確実に 「決勝」 に進出するために作られたシステムだと、考えざるを得ない。

その妙なシステムの結果、日本はフツーに闘いさえすれば勝てる相手に勝って、決勝進出を決めたというわけだ。元々の想定では、ここで米国が、日本か韓国に勝っているはずだったのだろうが。

その米国が、日本相手に 「ボブ君」 の奥の手を使って勝ち、そのためにどう気後れしたのか、同じアジアの韓国に大敗した。そして、フツーに戦えば負けるはずのないメキシコ戦でまで、「ボブ君」 が変てこなことをしたために、すっかり諦めてディズニーランド見物なんてしていたチームを、必要以上に奮い立たせてしまった。

「ボブ君」、彼なりによかれと思ってしたことが、すべて反対の効果をもたらしている。最高のボケ役だ。今回の大会のナンセンスさの元凶は、システムをきちんと整備することなく、拙速に大会実現にこぎ着けてしまった主催者の甘い見通しだったが、それを見事に完成させたのは、 「ボブ君」 の大ボケだったと思う。

おかげで、この大会にはほとんど興味のなかった私までが、急に大喜びでウォッチするようになってしまった。「ボブ君」、助演男優賞確実だ。

ちなみに、米国という国は、昔から余計なお節介をしては、かえって失敗するという伝統があるようだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006/03/18

WBC のいびつさ

ふーん、アメリカン・ベースボールというのも、日本の大相撲と似た状態だったんだ。「土俵」 としてのメジャーリーグは、そりゃ世界一だが、横綱は外国人だったというような。

今回の WBC の主催者、見通しの甘さ加減に地団駄踏んでるかもしれない。準決勝以後のトーナメントが、お金にならないんだもの。

主催者は、米国チームは当然の如く決勝戦に進出して、悪くても 2位ぐらいの目算でいたんだろうなあ。優勝は、メジャーリーガーどっさりのドミニカあたりなら、何とか言い訳できるし。

しかし、野球という競技は、なかなかくせ者である。昨年のパリーグのプレーオフを見ても、レギュラーシーズンではダントツで首位だったダイエーが、ころりと負けてしまうのだもの。

それに、野球の 「実力」 というのは、案外微妙なものだと、私は前々から思っていた。なにしろ、各シーズンの優勝チームの勝率は、大体 6割前後で、5割台での優勝というのも全然珍しくない。

つまり、シーズン平均で、3回やって 2回勝てなくても、余裕で優勝という競技なのだ。短期決戦なら、どこでどう転ぶか知れたものではない。そうした意味では、2次リーグを、アウェイとホームで 2回戦うというシステムにしなかったのは、大いなる誤算だった。

とはいいながら、プレシーズンにそんな時間をかけたご丁寧なことをすることにしたら、メジャーリーグの反対で WBC は実現しなかっただろう。つまり、今回の急ごしらえの大会は、初めからいびつなシステムだったのだ。

そこから目をそらせたのは、「米国が決勝に行けないわけがない」 という信じ込み以外の何物でもなかったろう。その 「信じ込み」 が強すぎて、米国の選手は調整が中途半端だったということもあるだろうし。

彼らにしてみれば、WBC でいくら頑張っても、レギュラーシーズンでその反動が出てしまったら、給料に関わるのだから、かなり歯がゆいところだろう。

その一方で、よく言われることだが、韓国選手のモチベーション、異常に高い。兵役免除という、鼻先にぶら下げられた人参は、ものすごい威力だったようだ。こんなことなら、兵役免除措置はそんなに急がずに、準決勝にも勝って 3位以内が決定した時点で、初めてお墨付きを与えるということにしておけばよかったのに。

せっかく日本に 2勝しておきながら、3度目で気がゆるんで負けたりしたら、今回の微妙なタイミングが揶揄されかねない。そんなことにならないように、それはそれで必死に頑張るだろうけれど。

でも、もし今度は日本が勝ったりなんかしたら、2次リーグで 1勝 2敗のチームが 「世界第 2位」 だなんて (下手したら、もっと上の可能性だって生じるし)、それはそれで、ちょっとこっ恥ずかしいだろうなあ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/15

米国の米国による米国のための・・・

日本中が、「アナハイムの悲劇」 に怒っているようだ。野球を知らない妻までが、「ちょっと、ひどすぎるわよね」 と憤慨している。

しかし、「そりゃ、米国の米国による米国のための大会だもの。そのくらい、十分 『あり』 だろうと、初めから思ってたよ」 と、私は、野球に関しては、かなり冷たく突き放す人である。

ぶちこわしのようなことを言ってしまって、恐縮だが、スポーツの世界の裏側なんて、結局はどろどろした世界である。あまり幻想を抱かない方がいい。

4年前の日韓ワールドカップ、韓国対イタリア戦でどんなことが起きたか、思い出してみるがいい。ましてや、WBC の 2次リーグから先は、すべて米国で行われるのだ。アウェイもホームも、「第三国の審判」 も、「何のこっちゃ?」 という世界なのだ。

元々、この ワールド・ベースボール・クラシックという大会、ずいぶん虫のいいお話なのである。初めから 「公正」 というものがあろうとは思っていなかった。というか、何しろ興味がない。WBC という名称自体、つい最近までボクシングのお話かと思っていた。

だから、サッカーでは少しばかり腹が立ったが、今回はしらけている。

要するに、米国がベビーフェイスで、メジャーリーグに多くの選手を輩出している中南米が準ベビーフェイス、そして、アジアの国 (つまり、日本と韓国) は、ヒール (悪役) という役回りなのだから、あまりきれい事を期待してはいけない。

しかし、見ようによっては、米国はあまりにも早く 「奥の手」 を使うという失策をしでかしてしまったことになるかもしれない。それに、日本は米国全体に 「貸し」 を作ったことになるから、第 2戦以後は、あまりひどい判定は受けずに済むだろう。

元々、米国戦は 「1敗」 と計算していたのだろうから、同じ負けるなら、貸しを作った形で負けた方がいい。あと 2戦を有利に戦えるとすれば、決勝トーナメントに進出する可能性は、逆に高まったといえる。

【同日 朝 追記】

上のテキストは、日付の変わるか変わらないかのうちに書いたものだが、朝起きてニュースをみたら、なんと、米国が韓国にボロ負けしていた。

野球に限らず、スポーツというのは微妙にメンタルな部分の影響力が大きいから、米国の選手、同じアジアの国相手とあって、ちょっと手足がしびれてしまっていたのかな?

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/03/06

K-1 の 「つかみ」 規制強化

K-1 NZ 大会で、ピーター・アーツがセーム・シュルトに勝ってしまった。じゃあ、去年のボンヤスキー、ホーストは、何だったのだ?

これは、どうみても今年の K-1 が 「つかみ」 を排除する方向に出たことが大きい。上から押さえつけての膝蹴りを得意とするシュルトは、明らかにやりにくそうだった。

私には、K-1 が、F-1 やスキー・ジャンプ競技におけるヨーロッパのエスタブリッシュメントと同じような手に出たように思えた。

ホンダのターボ・エンジンが F-1 を席巻すると、ヨーロッパ勢はターボ廃止の手に出た。日本のジャンプ選手が飛びすぎると、同様にスキーの長さの規制を打ち出した。

K-1 は、シュルトの膝蹴りが強すぎるので、押さえつけての膝を出しにくくするために、「純粋に打撃の勝負を推進する」 との名目を掲げ、「つかみ」 の規制を強く打ち出し始めた。

シュルトの膝蹴り対策を、個々の選手の技術の向上に任せるよりも、ルールとして、長身選手の膝蹴りを出しにくくするという手法に出た。これにより、実質的に体格の差のありすぎる場合のハンディキャップをつけたことになる。

体格に勝る選手に手枷足枷をはめるという K-1 の戦略は、敢えて無差別級選手権に打って出るPRIDE と、対照的な印象を与える。

「純粋な打撃」 としてのスポーツライクな勝負を目指すという 「名目」 を強調するあまり、ムエタイなどでは十分に有効な 「首相撲からの膝蹴り」 という技術を無効化するというのは、私には、格闘技としての可能性に制限を設けただけのように思えてならない。

K-1 が、ますますつまらなくなってしまうではないか。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/01/06

箱根駅伝の功罪

正月 2日、3日の箱根駅伝の中継には見入ってしまった。日テレにとっては、今や正月のお昼の、最高のキラー・コンテンツである。

しかし、スポーツ・ジャーナリストの古内義明氏によると、箱根駅伝は功罪相半ばしており、とくに最近の男子マラソンの低迷の大きな原因となっているという。

まず、前提としておさえておくべきことは、1980年代以後、日テレが箱根駅伝を中継するようになってから、このレースが関東の大学にとっては、受験者を増やすための最高のマーケティング・ツールになってしまったということである。

だから、大学、とくに新興勢力の大学は、全国の高校から長距離の有望選手を推薦入学させて、箱根駅伝対策を行う。何しろ、このレースでトップ・グループに入って走りさえすれば、数時間に渡って大学名がテレビに出まくるのだから、宣伝効果抜群である。

そのため大学陸上部は、日頃から箱根駅伝に最適化した練習を行う。つまり、20キロ程度の距離を効率的に走るための練習である。42キロ余りを走るマラソンとは、練習の質が違う。

さらに、レースを走る学生の意識としても、マラソンでオリンピックに出ることより、箱根駅伝で上位に食い込むことの方が優先されてしまう。箱根駅伝で名前を売って、後は一流企業に就職できればいいというような気になってしまう。

5日の TBS ラジオで聞いた古内氏の指摘は、だいたい以上のような内容で、かなり納得させられてしまった。

考えてみると、女子陸上には、箱根駅伝に匹敵するようなイベントはない。だから、学生時代に燃え尽きてしまうようなリスクは相対的に小さい。有森裕子や高橋尚子などの選手は、学生時代にはあまり注目されておらず、使い減りしていない。

どうも、甲子園野球で燃え尽きてしまう高校球児と同じような現象が、大学陸上の長距離界にも存在するようなのだ。大学の長距離陸上選手の全体的な器を、オリンピック・マラソンのレベルから箱根駅伝のレベルに (言っちゃ悪いけど) 矮小化してしまうムードというのは、確かに問題だろう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/01/02

PRIDE へのいちゃもん

大晦日から元日にかけて、「Today's Crack」 に 「あけおめメール」 というキーワードで Yahoo で検索したアクセスが急増した。

調べてみると、Yahoo では、昨年の 1月 6日のウチのエントリー が、なんと 140万件中、2番目の位置に表示されているではないか。何でこんなに上位なのか、理解に苦しむ。

それほど重要なテーマでもなく、気張って書いた記事でもないのに、あまりに評価されすぎると、何だかこそばゆい。

翻って、同じキーワードで Google で検索してみると、まずヒット数が 989件と圧倒的に少なく、その中で、私のブログは、少なくとも上位 100件中には見当たらない。大分下の方にあるようで、今度は、ちょっとむかつく。

まあ、いろんな基準があるんだろうということで納得する。どんなランクになろうとも、テキストとしての記事の本質的価値が左右されるわけではない。

と、ここまでは、前フリである。こんなに長い前フリになったのは、大晦日のテレビで格闘技を見たので、その影響である。本当は、格闘技の勝敗の判定基準に、妙なファクターを混ぜて欲しくないということに話を進めたいんだった。

大晦日の PRIDE は、予想通り、K-1 を遙かに上回る内容だったと思う。ただし、昨日のエントリーでもちらっと書いたことだが、「疑惑の判定」 もあったのだ。

近藤有己 対 中村和裕 と、ヴァンダレイ・シウバ 対 ヒカルド・アローナ の 2戦。両試合とも決定打を欠き、判定に持ち込まれた結果、中村とシウバが勝利を収めた。しかし、私にはどうみても、近藤とアローナの方が試合をコントロールしていたとしか思われなかった。

勝者とされた中村は、高田道場の所属、シウバはブラジルのシュートボクセ所属である。この二つのジムは、高田道場の桜庭や中村が出稽古 (と言っていいのかな?) に出かけるほどの友好関係にあるようで、いわば、PRIDE の主流派と言っていいのだろう。

つまり、この 2試合の判定は、露骨なホームタウン・デシジョンであると、私は衆目に触れるテキストとして残しておきたいのである。今後、高田道場とシュートボクセ所属の選手と闘う相手は、一本取るか、大差の判定にでも持ち込まない限り、勝てないのではないか。

この 「疑惑の判定」 を演出した主犯ジャッジは、マット・ヒューム だと、サモアの怪人さんは、ご自身のブログ で指摘しておられる。この名前をよく覚えておこう。

仮にも 「真剣勝負」 を売り物にする限りは、こうしたポリティックな要素を廃してもらいたいと、声をあげておかければならないと思い、新年早々恐縮だが、マニアックないちゃもんを、敢えて書かせていただいた。

それから、もう一つ。K-1 の方は、ビデオ録画しておいたやつを、余計な CM、前フリ、入場パフォーマンス、それから (悪いけど) 永ちゃんの歌を飛ばしたら、3時間番組を 40分で見終えちゃったぞ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/09/24

K-1 GP 観戦記

K-1 ヘビー級の試合は、世界で一番つまらない格闘技になってしまいつつあるのかもしれない。昨夜のテレビで夜 9時から観戦したが、最後のボブ・サップ対チェ・ホンマンなんて、ブーイングする気も起きなかった。

PRIDE があれだけ進化し、K-1 ミドル級だって見応えあるのに、困ったモンだ。

多分、主催者の考えが、プロレス流の悪しきプロモーション・システムの影響下にあるのがダメなのかもしれない。ボブ・サップだの曙だの、話題性ばかりで技術のない選手を使って、大衆人気をとろうなんてしたのが間違いのモトだった。

ボブ・サップはウルトラマンじゃあるまいし、3分動けば息が上がってゼイゼイしだすし、こないだまで K-1 にしがみついていた曙にいたっては、リングに上がって第 1ラウンドのゴングが鳴る前に大汗かいてスタミナを消耗してしまっている。

まともに考えたら、あれではお金は取れない。

相撲というのは、体の小さな力士でも大きな曙にぶつかってきてくれるという、とても不合理なお約束があるから、跳ね返してやりさえすれば勝てたのである。捕まえるまでに足許がフラフラしてしまうようなシステムでは、勝手が違いすぎる。

その意味でも、曙がさっさと 「お約束」 の世界のプロレスに転向したのは正解である。しかし、ボブ・サップが 「お約束」 の世界でうまくやっていけるとも思われないし、今のままで使い潰しになるしかないのだろう。

しかし、同じ使い潰しでも、今回のチェ・ホンマン戦のような試合がメイン・イベント的な扱いになるようなやり方をしていたら、K-1 ヘビー級の将来は暗い。

1ラウンドの中盤あたりから、お互いに息が上がって体が動かなくなり、ベタ足で見合ってばかりいるような試合を、高い金を払って見せられる有料入場者の身にもなってみろというのである。

あれでは、レフリーも大変な気苦労だったろう。いくらファイトを促しても動かないし、だからといって減点の罰則を与えても、両方からどんどん減点してしまうほかないので、有効なペナルティにならず、しらけるばかりになる。

一部では、チェ・ホンマンが今後の K-1 ヘビー級の期待の星みたいなことをいう論調もあったが、あれでは、とてもじゃないが、ジャイアント馬場にもなれない。

ジェローム・レ・バンナ、ピーター・アーツなどのベテランはさすがだったが、アレクセイ・イグナショフは、まだ病み上がりだし、鳴り物入りだったマイティ・モーだって、あのサモアン・フックの間合いさえ外せばいいというのがバレてしまっている。

日本期待の武蔵は、相変わらず踏み込みの足りないパンチとキックを当てては逃げるという、全然リスクを取らないスタイルで、ホームタウン・ディシジョンで判定勝ちするというスタイルから一歩も抜け出ていない。

今回の収穫はセーム・シュルトの成長だけで、あとは 「なーんだ」 という感じの K-1 グランプリであった。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/09/08

読売と星野さんは仲良しのようだ

始めは悪い冗談かと思っていた星野氏の巨人監督就任話だが、着々と実現に向けて動いてしまっているようだ。巨人もいよいよ、焼きがまわってしまったみたいだな。

巨人フロントのやり方は、あまりにも段取りが悪すぎるし、星野さんもちょっと、個人的野心が見え見えで、話が生臭すぎる。

今の堀内監督が出てきたときにしても、前監督の原さんが辞めるという記者会見の席で、「何でお前がそこにいるんだ?」 ってな感じで、見え見えの出来レースを自らバラしていたようなものだったが、今回はそれにも増して身も蓋もない。

ペナントレースが終わりもしないうちからこんなことでは、読売というところは、よくよく常識のない企業だと印象づけられてしまう。もっとも、あのじいさんがまたぞろ復権して、わがまま放題を口走ってしまうのだから、しょうがないが。

星野さんという人も、スポーツマンにしては、よくよく政治的な動きの好きなお人のようだ。

野村さんという人と比べると、よくわかる。野村さんは、どうにも辛気くさいオッサンだが、野球が好きということにおいては、とても純粋なのだろう。そして、野球以外のことでは決してうまく立ち回ることができない人のようである。ある意味、不器用な野球馬鹿である。

ところが、星野さんという人は自己演出がお上手だし、爽やかタッチの弁も立つ。加えて、政財界の人脈作りも達者なようだ。野球だけで人生を終わらそうとは、決して思っていないだろう。

この人、ついに 「元巨人軍選手」 というブランドを手にすることはできなかったが、それだけに、「元巨人軍監督」 というブランドが、喉から手が出るほど欲しいのだろうなあと思ってしまう。

現役選手がフリーエージェントの資格を得ると、何はともあれ巨人に移籍したがるのは、 「元巨人軍選手」 というブランドがあると、現役を引退してからの周りからの扱いが違うからだ。

一方、星野さんは、別に 「元巨人軍」 でなくても、生活にはまったく困りはしないだろうに、このブランドが欲しいのは、早い話が、「実力コミッショナー」 ってな存在になりたいのだろうなあ。その後は、お定まりの政治家か。

今回の騒動は、人気回復 (イコール視聴率回復) を狙う読売側と、星野氏の思惑の利害が一致してしまっているのだろう。

しかし、そんな都合良すぎるお話に、ファンは付き合う気がないのである。そこのところに気付かないと、巨人はますます人気を落とすし、星野さんも晩節を汚すことになりかねない。

一部では、今回の総選挙で、星野さんが民主党から立候補しかけたのを止めるためのウルトラC だったという説まであるが、そうなると、もう本当に食えない話である。

[ 9月10日 追記]

星野さん、記者会見で、巨人移籍を否定。すんでのところで思いとどまったようだ。これだけ話題になったことで、十分に実は取ったということだろう。賢明な判断だ。しかし、いつまたどんでん返しがあるかわからないので、油断がならない。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/08/28

高校野球部の身内の爆弾

高校球児たちには何の含むところもないが、私は高野連を筆頭としたアマチュア野球組織のお偉方の 「超エラソー」 な態度には、腹が立つというより、呆れてしまっている。

その 「超エラソー」 は、個別の高校野球部まで蔓延していて、ちょっとしたことで、「3−4発」 だか 「20発以上」 だか、ぶん殴る。

ぶん殴られた部員だって、「そりゃあ、お前、少しはぶん殴られても、文句言えんだろ」 程度の原因はあっただろう。それでも、殴った当人が、どのくらい殴ったんだか覚えてないなんてのは、ちょっとおかしい。

人を殴るってのは、自分の拳だってかなり痛いもんである。それは、心の痛みでもある。その痛みがわからなくなるってのは、心のマヒ加減がひどすぎる。普段から相当 「エラソー」 な振る舞いをしていて、それがクセになってしまっていたのだろう。

最近、高校野球の 「暴力沙汰告発騒動」 が目立つ。告発するのは、大体において、ベンチ入りも叶わなかった控え選手である。

野球有力校では、他地区からスカウトされた外人部隊が多い。私の郷里から出場した酒田南高校にしたって、実は関西出身者が多いという。

こうした環境では、愛校心よりは、まず 「自分自身の甲子園出場」 が先に立つのも道理である。その希望が叶わなければ、「学校の甲子園出場」 なんて、どうでもいい。

こうなると、ベンチ入りから外れた野球部員というのは、身内に抱えた爆弾である。強豪校ほど鉄拳制裁の一つや二つ、ないわけがない。ただ、明るみに出ないだけである。それを知っているのは部員なのだから、下手したら、いくらでも告発の種はある。

ただ、レギュラー選手はどんなにぶん殴られようが、告発なんてしないだろう。甲子園出場の喜びは、ぶん殴られる痛みを補ってあまりあるだろうから。しかし、ベンチ入りもできない部員は、痛みを補う喜びからも阻害されるのだから、破れかぶれだ。

これからは、ベンチ入りできそうもない野球部員は、腫れ物扱いしなければならない。いくら野球部長さんが 「超エラソー」 でも、暴力事件の告発は最大のアキレス腱である。

そうした馬鹿馬鹿しい状況に陥らないためには、指導者と部員が、レギュラーから球拾いに至るまで、本当に心の繋がりを持たなければならない。ぶん殴ればいいというものではないのだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/18

プロレスの時代的使命は終わった

長らく 「プロレス・ファン」 を自称し、一時は 「知らないプロレス技はない」 とか 「ブレーンバスターの受け身は任せろ」 などと豪語していた私だが、最近はあまりプロレスに執着がなくなってしまったのが、我ながら悲しい。

プロレスへの思い入れは、「K-1」 や 「プライド」 へのそれにとって変わってしまった。

プロレスがショーであることは、やってみればすぐにわかる。プロレスの見栄えのいい大技は、受け身を取る相手の協力がなければ成立しないものである。だから、受け身の上手なやつとでなければ、プロレスごっこだって、こわくてできない。

だから、プロレスというのは勝負論ではなく、パフォーマンス論である。いかに上手に技を受け合って、最後のカタルシスにもっていくかが問題なのだ。それだけにプロレスは難しい。そして、闘う者同士に信頼関係がなければならない。

この信頼関係というのは、悲しいことに、経済的な基盤によって保証されるというところが大きい。プロレスがテレビのゴールデンタイムに君臨したのは、日本の景気が上り調子の時代だった。

力道山とデストロイヤー、馬場とファンク兄弟、猪木とタイガー・ジェット・シンらは、 ビジネスとしての深い信頼関係に結ばれていたのである。

バブル崩壊以後の社会では、プロレス的名勝負を生み出す人間的信頼関係が、脆弱なものになってしまった。いかに身を削り、体を張った受けを取っても、それが十分に報われないとなると、名勝負も生まれにくい。レスラー同士の疑心暗鬼も膨らんでしまう。

一方が 「あいつの技なんか、まともに受けてやるもんか」 と思ってしまえば、それだけでプロレスはつまらないものになる。経済成長期は拡大再生産であったプロレスが、今は縮小再生産になってしまったのも、ある意味では当然である。

こうした縮小再生産の時代の要請に、「相手に技を出させない、技を受けない」 ことによって成り立つ、いわゆる 「リアル格闘技」 は、即してしまっているのである。

プロレス団体は、軒並み赤字経営を迫られている。それも道理である。プロレスの時代的使命は、古き良き時代とともに、終わってしまったのだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/12

ナガシマさんの漢字表記

10日付の当コラムで、あのお方のことを 「長島さん」 と書いてしまった。どうも 「長嶋さん」 の方が本当のところらしいが、それを指摘しようとしてくれた Rtmr さんが、蹈鞴 (たたら) を踏んでおられる (参照)。

メディアには 「長島」 「長嶋」 の両表記があり、要するに、どっちでもいいようなのだ。

鬼の首を取ったようにチョンボを指摘したりはしないところが、さすが Rtmr さんである。きちんと検索して確認の労をとっておられる。

私はと言えば、どっちが本名か知りもせず、漠然と 「長嶋さん」 が正しいのかなあなどと思いながらも、コラムを書く段になると、先に変換された 「長島さん」 のまま、校正もしていなかった。お恥ずかしい。

Rtmr さんが紹介している "「長嶋」 か 「長島」 か?" というページによると、本名はやはり 「長嶋」 のようだ。そして、以下のように説明されている。

現在入手できる本で、この名前表記問題について一番細かく記述しているのは、近藤唯之氏の 『プロ野球 新・監督列伝』 (PHP文庫) である。

これによると、本名は 「長嶋」 で、立大時代は各新聞社まちまちの表記だったが、'58年プロ入りの折、記録テーブル統一の必要性から、当時の東京運動記者クラブ代表幹事・好村三郎氏 (立大野球部OB、朝日新聞) が長嶋に 「テーブルを作るのに簡単な “長島” で統一したいが」 と申し込んだという。

そして本人が 「はい結構です、よろしいように」 といともあっさり了承したため、そのまま第一期監督期終了の'80年までずっと 「長島」 だったのだ、とか。

そして、同じページに順序は前後するが、次の記述 (孫引き) がある。

マスコミ報道 (TV・新聞) では基本的に、当用漢字しか使用しない、という規定があったはずです。(中略) しかし、長嶋監督の場合、たしか平成4年秋に就任が決まった際、自分から 「ボク、戸籍上は 『長嶋』 なんだから…」 と報道陣に頼んで、特例中の特例として当用漢字外の 「長嶋」 表記になった……と記憶しちょります。

さらに、次の記述がある。

加えて、驚くことに現在の長嶋監督は、ゲンかつぎの目的で'99年から 「長島茂雄」 に再改名しているのだ、という。

なかなか錯綜したお話で、要約すれば、戸籍上は 「長嶋」 だが、立大時代は、新聞によって表記はまちまちだった。プロ入りを機に、当人の了承の元に新聞では 「長島」 が主流になったが、平成 4年には当人直々の希望で 「長嶋」 になり、そのわずか 7年後にはその当人がゲンかつぎで 「長島」 に戻してしまったと、そういうことだ。

上記引用部分にある 「マスコミ報道 (TV・新聞) では基本的に、当用漢字しか使用しない、という規定」 という部分については、私も専門的なことは知らないが、たとえそのような規定があったとしても、固有名詞に関してはその限りではないはずだ。

そんなきついシバリがあったら、「轟 (とどろき) さん」 や 「轡田 (くつわだ) さん」 、 「塙 (はなわ) さん」 は、浮かばれない。だから、「長嶋」 程度の表記が 「特例中の特例」 というわけでは決してない。

業界新聞記者上がりの私の経験からすると、社長の名前の 「島/嶋」 などで誤表記があったりしたら、社長本人はのほほんとしていても、社の広報部長あたりからきついクレームが来たりする。だから、氏名の表記の確認にはことのほか気を遣っていた。

そんなわけなので、ナガシマさんがプロ入りした当時の記者クラブが、「簡単な “長島” で統一したい」 という申し入れをしたなどというのは、「ずいぶんいい加減なお話だなあ」 と、呆れてしまう。そもそも、立大時代には新聞によってまちまちだったなんて、どうなっているのだろう。あるいは、スポーツ報道の世界というのはその程度のものなのだろうか。

本名とは違う 「長島」 という表記への統一に対して 、当の本人が "「はい結構です、よろしいように」 といともあっさり了承" したなんていうのも、また超テキトーなお話である。多分、プロ入り以前からの表記がまちまちだったのは、当人が自分の名前を書くのに超テキトーだったからではないかと、私は疑っている。

新聞記者なんていうのは、氏名の表記に関しては、普通は当人に確認するだけで、戸籍に当たったり履歴を辿ったりなんぞはしないから、当人が超テキトーでは、どうしようもない。

発端が超テキトーだった上に、また後になって 「長嶋」 だと言ったり 「長島」 だと言ったりしているわけだから、もうお手上げである。まあ、その超テキトーさが、ナガシマさんのナガシマさんたる所以なのだが。

この上なく 「いい人」 なのだが、上司にもったら部下の気苦労は並大抵ではなかろう。だから、現在の 「象徴」 としての存在は、理想的なポジショニングである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005/04/25

PRIDE にみる日韓関係

23日の PRIDE ミドル級 GP について、昨日はレベルの高い試合が多いと書いたが、桜庭対ユン・ドンシク戦は別だ。

ユン・ドンシクは、韓国柔道界では 「無冠の帝王」 と言われていたそうだが、試合前のインタビューからして、その大言壮語が胡散臭い印象だったのである。

それほどまでの実力者が、どうしてオリンピックに一度も出場していないのかというと、「韓国では実力より学閥が重んじられるため、常に疑惑の判定に泣いた」 のだそうだ。うぅむ、十分あり得ることだが、胡散臭さは払拭されないぞ。

果たして、試合はわずか 38秒でケリがついた。桜庭のフック一発で記憶が飛んでしまったらしいユン・ドンシクが、今どきの総合格闘技の試合では滅多に見られなくなった無様な亀の子状態になってしまい、ぼこぼこに殴られてレフリーストップが入ったのだった。

この日の試合の中では、ダントツにレベルの低い試合で、論評にも値しないほどだった。ユンは多少はボクシングの練習を積んではいたらしいが、いくら何でも打撃に対する対処が下手すぎる。

それに、あんなに簡単に亀の子になってしまうようでは、総合格闘技のディフェンスの 「いろはのい」 も知らないことを露呈してしまったではないか。なめるにもほどがある。

これでは、昨年不調を極めた桜庭復活のための 「噛ませ犬」 だったと思われても仕方がない。桜庭ファンにとっては 「スカッとした試合」 と映ったようだが、格闘技をプロレスと一緒の目で見てはいけないのである。

ところで、こんな情けない負け方をしてしまったユン選手は、国に帰ってどんな迎えられ方をするのだろうか。反日感情の高い韓国のことだけに、もしかしたらとても冷たい仕打ちを受けてしまうのではなかろうか。

元々が学閥から弾き出された存在というし、柔道界に残っても出世が見込めないからこそ、日本人主催の 「素性の怪しい総合格闘技」 なんぞに転出する気になったのだろうが、結果がこれでは 「それ見たことか、恥さらしが」 ということになって、立場がなくなってしまうかもしれない。

先日のサッカー W杯アジア予選で、バーレーン MF サルミーンの絵に描いたような見事なオウンゴールの後でも、我が家では、「あの人、国に帰ったらきっと生卵かなんかぶつけられるよ、かわいそうに」 と心配していたのだが、今回はそれどころではない。

他人事ながら、かなり心配になってしまうのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/04/24

サブミッションの復権を

最近当サイトを見始めた人は、私が格闘技フリークであることを知らないと思う。

というわけで、本当に久しぶりで格闘技のテーマで書こうと思う。このサイトがどうして 「知のヴァーリトゥード」 なんていうタイトルなのか、改めてきちんと認識してもらわなければならないこともあるし。

23日の PRIDE ミドル級 GP 開幕戦はとてもレベルの高い試合が多く、テレビ観戦していても、かなり力が入ってしまった。

これだけ納得させられる試合が連続すれば、PRIDE は大丈夫だろう。あるいは、ミドル級の下に、70kg あたりを中心としたライト級を作れば、日本人選手がものすごく活躍できるだろうに。

ただ、最近の総合格闘技を見ていて感じることは、関節技の不振である。今回の PRIDE でも、中村和裕がケビン・ランデルマンに決めたアームロックなどは、つい 2~3年前までなら確実にタップを奪えていた技だ。それがフィニッシュホールドにならず、すり抜けられてしまう。

近頃では、総合格闘技で決まり手になるサブミッションといえば、逆十字か、首/頸動脈を決める系統の技だけになってしまった。関節を曲がる方向に極限まで曲げる系統の技 (アームロック系) は、アウト・オブ・トレンドである。

それは、以前の桜庭対ホイス・グレイシー戦のように、最後まで我慢してタップしなければ負けたと認めないとかいう不明朗なことが生じて、何となく嫌われたということもあるが、ギリギリまで我慢してクリアする対処法が進んだからでもある。

それは、「曲がる方に曲げる」 という関節技が、「何とか我慢できる」 ものという認識が進んで、気持ちが萎えて諦めるということがなくなったからだ。その点、逆十字と首/頸動脈関係は、まだ生理的恐怖感が瞬時に襲うため (実際に関節が破壊される痛みに襲われることもあり)、すぐにタップを取ることができる。

このままでは、総合格闘技におけるサブミッションのバリエーションが狭くなってしまうことが心配だ。私はノゲイラのような 「関節技の職人」 的ファイターの試合が好みなのである。

ところが、昨年大晦日のノゲイラ対ヒョードルの試合でも、ヒョードルはせっかく上になってもノゲイラのガードポジションからの関節技に一切付き合わず、下から腕を取られそうになると、すぐにふりほどいて自らスタンディング・ポジションに移行していた。

こうした状況が続いたら、総合格闘技で勝つための条件は以下のようになる。

  • 撃ち合いにめげない。
  • タックルを切る技術が高い。
  • バランスがよくて、容易に尻餅をつかない。
  • 寝技での打撃技術が高い。
  • 腕を極められそうになったら、さっさと立ち上がる。

これでは、あんまり面白くないなあ。

今後、組み技系のファイターが総合格闘技で勝つためには、ガードポジションからの関節技をすかされずに極める技術を開発しなければならない。

上からのパウンドを封じるためには、膠着にもっていくよりも、リスクは高いが、相手のパウンドの動きを逆利用して下から揺さぶり、バランスを崩しながら、マウントポジションを維持すること自体を困難にしなければならない。少なくともその方向で技術開発を行わない限り、組み技系の不利は続く。

そして、相手が向きを変えようとする隙に、脚部を効果的にフックして逃げられなくした上で、流れの中で手首か足首を極める。

肘とか膝では、ここまで技術が進歩してしまうとなかなか極められないが、手首/足首なら極まる可能性が高い。足首は慎重にじわじわ極めることも可能だろうが、手首は一瞬にして極めなければすぐにふりほどかれるか、逆にパウンドを浴びせられる。難しいところである。

総合格闘技は、以前はマウントをとってぼこぼこにパウンドを浴びせ、相手が嫌がって亀の子になったら後ろから頸動脈を極めるという単純な勝利の方程式があった。しかし、近頃では、それ以前の立ち技の強さが勝負を決めるようになってしまっている。

この流れを、もう一度サブミッションに変えていくためには、より高い技術開発が必要だ。あるいは、立ったままでのサブミッションを磨くとか。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005/04/05

野球ファンと巨人ファン

1日夜の 「巨人−広島」 戦の視聴率は巨人戦開幕試合のナイターとしては過去最低だったらしい(参照)。

日本テレビ担当者は、「ファンは巨人がリードしていないと見てくれない」 と嘆いている。ふ~ん。しかし、これって野球ファン心理をついているかもしれない。

野球ファンの中には、長年にわたり、巨人以外のある特定の球団に入れあげているコアな人種がいる。その球団の成績がどんなに落ち込もうと、格別取り乱すこともなく、きちんと心中立てする人というのは、なかなか立派なもので、ある意味、人間としても信頼できる気がする。

一方、巨人ファンとなると、すべてとは言わないが、かなりわがままである。勝ちさえすれば単純に機嫌が良く、負けるととたんに不機嫌になる。それは、私の目には 「野球ファン」 というよりは、単に 「勝ち馬」 に乗っているだけのように映る。

巨人ファンだけでなく、いわゆるフツーの野球ファンというのは、案外無節操に  「勝ち馬に乗る」 ことを好むように見える。他のスポーツの多くが 「地元」 とか 「ご当地」 とかいう意識に支えられているのとは、ちょっと様相を異にしている。

一昨年、阪神が優勝したときには、普段はタイガースをケチョンケチョンにしていた関東人の中に、いかにも長年の阪神ファンのような顔をして浮かれるものが出現したし、昨年の中日優勝の時も、10年以上も落合を支え続けてきたような顔をしたのが何人も出てきた。

ヤクルトの場合は、最近まで 3~4年に一度優勝するサイクルを続けていたので、それに合わせて 「オレは東京在住だから、内心ではヤクルトを応援してきた」 なんて、にわかにフランチャイズ意識の謳歌が目立ったりする。

プロ野球というのは、どうもいびつな構造になっており、圧倒的に 「勝ち馬志向」 の強いファン心理に支えられている。それだけに、最も 「勝ち馬」 になる機会の多かった巨人が、人気を集めるのも、無理もないところだろう。案外、実社会での欲求不満のはけ口として、「勝利幻想」 に酔えるというのが重要ポイントなのかもしれない。

だから、巨人ファンの多くは、巨人の負け続けるのを目前にすると、「巨人ファンであり続けること」 の意味がなくなり、アイデンティティの危機に陥る。それで、とりあえず不機嫌になってみせるという 「甘えの構造」 を現出する。

スポーツファンというのは、勝とうが負けようが贔屓し続けるというのが、案外一般的である。その点、巨人ファンというのは、ちょっと特殊である。そして、その特殊さは、野球ファン全体にある特殊さを、凝縮しているものとも言える。

昨今の状態は、巨人一極集中型から地元意識を前面に出した形態に、ようやく移行しつつあるものとみていいだろう。だから、巨人戦の視聴率が下がったといっても、野球全体が地盤沈下しているわけではない。むしろ、野球界全体にとってはいい傾向だと思う。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2004/10/18

派手な名前と地味なイメージ

唐突で恐縮だが、私は辰年の獅子座生まれである。龍のライオンである。

ここまで言えば、既にニヤリとされた方も多いだろうが、まだおわかりいただけない人のために、ダメ押しをさせていただく。

要するに、ドラゴンのライオンである。

もうおわかりいただけたと思う。そう、今年のプロ野球の日本シリーズである。セリーグ優勝は中日ドラゴンズ、パリーグ優勝は西武ライオンズ。龍と獅子の争いである。

私はとりたてて野球ファンというわけではないのだが、日本シリーズを争う 2チームが自分の生まれにちなんでいるというだけで、多少気分がいい。単純なものである。どっちが勝ってもハッピーでいられると思う。単純な上に、気楽極まりない。

私個人としては何となくハッピーな気分なのだが、だからといって球場に行ったり、テレビを見たりして試合を楽しもうという気分でもない。世の中の関心も、それほど盛り上がっていないようなのである。テレビ視聴率もそれほど稼げていないだろう。

チームの名前はドラゴンとライオンという、とても派手やかなものなのに、全国規模での人気は、両チームともそれほどでもないらしい。地味同士の対決ということになっているようだ。

なるほど、プロ野球というのはエンタテインメントであるだけに、少しは派手な話題を提供できるようなチーム作りをしなければならないもののようである。あまりに実質本意でもいけない。

あの巨人の清原をみても、高い給料をもらいながら休んでばかりなのに、たまに打席に立てば大声援を送られている。「勝ちさえすればいい」 というものでなく、いかにファンの心の琴線に触れるかが大切なもののようだ。

このあたりは、研究してみるとマーケティング面での役に立つかもしれない。


tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/10/16

スポーツ紙の風俗情報なら許されるのか?

プロ野球新規参入審査で、ライブドアがアダルトサイト問題でミソを付け、楽天が俄然有利になったと報じられた。

傍から見ている限りでは、NPB (日本野球機構) のオジサンたちは、ライブドアが相当に嫌いらしい。何とか難癖を付けて、排除したがっているという印象だ。

日刊スポーツは、「ライブドアのアダルトサイトに質問集中」 と、次のように報じている。

楽天の三木谷社長がアダルト商品の取り扱いに関して 「成人確認を厳しくすることで青少年への影響は防げる」 と対策を説明したのに対し、堀江社長は 「道路や広場を提供しているようなもので、そこで人々が何をしているかまでは監視できない」 と強調した。豊蔵委員長は会見で 「両社に特徴や差はあった」 と振り返り、西武星野球団代表が 「片方は(規制が)できると言うし、片方はできないと言う」 と対応の違いを指摘するなど、印象の違いは否定できなかった。

要するに、楽天はアダルト商品関連を 「規制できる」 と答え、ライブドアは 「規制できない」 と答えたため、印象点に大きな差が付いたというわけである。その根拠は、野球協約の第 3条 (協約の目的) に 「野球が社会の文化的公共財となるよう努める」 と記され、今回の審査基準にも 「公共財としてふさわしい企業、球団か」 の項目があることだという。

しかし、「規制できる」 というのと 「できない」 というのでは、どちらが率直で正直な答えかは明白で、楽天はかなりいい子ぶっているなという感じである。本当は、規制なんてそんなに簡単にできるはずがないではないか。

しかし、本当に規制できるかどうかというのは、機構側にはあまり関係のない話のようで、要するにライブドアを排除する材料に使えればいいというもののようだ。

それに、インターネットのアダルトサイトにリンクしているのがいけないと言うが、それならば、報知新聞や中日スポーツの駅売り版のアダルトページはどうなるんだろう。

ヌード写真や風俗情報を、新聞紙上で掲載するのは 「社会の文化的公共財」 として問題ないが、インターネットでリンクするのはいけないというのは、ちょっと乱暴なような気がする。

もっと言えば、輸入牛肉を国産と偽ったり、BSE 対策費用を過大請求したりする企業や、株式保有で虚偽の申告を何十年も続けてきた企業や、銀行からの莫大な借金を踏み倒した上に、国民の税金で再生しようとしている企業が 「公共財としてふさわしい企業」 と言えるのかどうか。

鬼の首を取ったようにアダルトゲームのパッケージを振りかざしても、このあたりは、「目クソ鼻クソ」 レベルのお話になってしまう。

現状では楽天とライブドアの二者択一で、裏では楽天で決まりという路線のようだが、そのうち、ダイエーと西武が球団保有から手を引いたら、どうなるんだろう。こんなにもすげなくしたライブドアに、「やっぱりお願い」 なんて頭を下げるのだろうか?

最後にお断りしておくが、私は楽天はビジネスホテルの予約などでしょっちゅう利用するが、ライブドアとは何の関わりもない。ライブドアの企業体質が好きかと聞かれたら、「好きじゃない」 と答える。堀江さんも、一緒に酒を飲んで楽しそうな人には見えないし。


tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/08/31

「国のため」 と 「自分のため」

アテネ・オリンピックが終わった。始まるまではほとんど興味を持っていなかったし、夜中にテレビに熱中するということもなかったが、終わってみれば、そこそこ 「いい大会」 だったような気がする。

派手さばかりを狙った過剰な演出もなく、つつましい運営のようにみえたし。

ところで、オリンピックなどの国際スポーツ大会があるたびに、「選手は国のためではなく、自分のために楽しんで競技すべきだ」 みたいなことを言う論調がみえるが、「ふ~ん、そんなもんかねぇ」 と思ってしまう。

それを言う人は 「国のため」 というのを 「きれい事」 とか 「押しつけがましさ」 のように感じているのだろうが、私は逆に、「自分のため」 を強調する方がずっと 「きれい事」 のように思える。

選手本人にしてみれば、競技している間はただ 「勝利」 のみを考えて集中しているのだろうから、必要以上に 「国のため」 を押しつけて金縛りにするつもりは毛頭ない。しかし見る方は、かなりの部分、やっぱり 「国」 という視点で見ているのである。それは否定できない。

普段の生活ではまったく見ず知らずのくせに、日本人選手というだけで、結構な思い入れで応援してしまうのは、やはり 「日本」 という共通項を強く意識しているからだ。そうでなければ、表彰式で国旗を掲げ、国家を演奏する意味もない。

見ている方にそうした意識がある以上、選手の方にだって、心の片隅でいいから、「国のために」 という意識が少しぐらいあってもいいだろうと期待しても、罰は当たらないだろう。そうした心理をまるでナンセンスのように言うのは、「裏返しの偽善」 のような気がするのである。

ぶっちゃけた言い方をすれば、スポーツの練習をするにも、「国の力」 というのは強い影を落とす。食うにやっとのような環境では、スポーツ振興もままならないのである。自分一人の力だけでオリンピック選手になんかなれるものではない。周囲の環境、強化支援策など、総合的なものの結果なのだ。

それを無視して、ことさらに 「自分のため」 のみを強調するのは、よく言って 「無邪気」、悪く言えば 「恩知らず」 というものである。優勝選手が 「周囲のみんなのおかげ」 なんてコメントするのを 「偽善ぽい」 と言う人があるが、実はそれは偽善でもなんでもない。事実なのである。それは、コメントした選手が一番よく実感しているはずだ。

スポーツ選手はまったく独立した 「個」 ではあり得ず、ある種の 「ネットワーク」 としての何物か (オリンピックの場合は 「国」 ) の 「代表」 という位置づけから免れ得ないのだ。

それに、「まったく自分のためだけ」 に競技するよりも、多少なりとも 「国を背負って」 がんばる方が、いい結果が出たときの喜びだって、増幅するだろう。「自分のため」 を押しつける人は、そうした 「より大きな喜び」 を奪おうとしていることに気付いていない。

最後に、誤解を避けるために付け加えるが、ここで強調した 「国」 は "nation"(国家) と言うよりは "country" に近い意味合いで言っている。ナショナリズムとは一線を画したい。日本語では、この二つが同じ単語なので、ちょっと 「国」 というだけで、右翼的ナショナリスト扱いされてしまう。


tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/08/26

長島さんのコメント

昨日は野球に思い入れがあまりないと書いたが、野球周辺のよもやま話には、興味がないではない。。

今回のアテネオリンピックの銅メダル獲得に際して送られたという長島監督のコメントは、久し振りに 「私の好きな長島さん」 の面目躍如たるものがあった。


まず、徹底したプラス思考である。

いわく 「きのうの負けを引きずらず、きょう有終の美を飾れたことは、諸君たちの精神力の高さの証明です。この精神は、日本のファンの方たちが見ていました」

いわく 「今大会、私の中には金メダル以上のものが幾つかあります。キューバに勝ち、日本プロ野球のレベルの高さを世界に示せたこと。日本のファンの方たちが野球というスポーツを通じて一喜一憂したこと。チーム間の壁を超えて本当に一つにまとまってくれたこと。そして一番は、諸君たちが得たものです」

悪いことを言わない人である。間近にお付き合いしたらどうだかしらないが、遠くから見ている分には、本当に見習いたいほどいい人である。

そして、その真骨頂は 「諸君たち」 という物言いである。本来なら 「諸君」 あるいは 「君たち」 であるべきで、「諸君たち」 は明らかに誤用である。

しかし、長島さんのコメントとしてみると、そこに何か 「溢れ出る思い」 というか、あるいは 「ほとばしるもの」 が感じられて、許せてしまう。同じことを野村さんが言ったら、「オッサンも野球ばっかり詳しいけど、言葉知らんなぁ」 と思われてしまうかもしれないが、長島さんにそんなことを言っても意味がないのである。

やはり、この人は特別な星のもとに生まれた人なのである。


tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/08/25

野球って、かなり退屈

オリンピックの野球で、日本代表チームが準決勝でオーストラリアに負けたらしい。残念なことである。

とは言いながら、私は元々、野球にあまり思い入れがない。そりゃあ人並みに「三角ベース」 で遊んだりしたので、ルールぐらいはきちんと知っているという程度だ。

とにかく、野球というのはよっぽど暇でないと見られない。とくに日本のプロ野球のように、1試合平均 3時間半もかかるようでは、付き合いきれない。

大体において、オン・プレイの時間より、明らかにオフ・プレイの時間が長い。試合が実際に動いている時間は、試合時間の半分もないのではなかろうか。

半分以上は、チェンジによる攻守交代、ピッチャー交代による投球練習、バッターが1球ごとに打席を外して、神経質そうにバットでスパイクをコンコン叩いてみたり、やたらペッペと唾を吐き散らしたりしている時間に取られる。甚だしくは、ピッチャーが 1球も投げないうちに、バッターがじれて 「タイム」 をかけたりする。

こんなに 「タイム」 を際限なく自由にかけられる競技は、他にないだろう。それだけで、ちょっとふざけてると思うのである。そんなつまらない時の流れを延々と見せられる客の身にもなってみろというのである。

ピンチになると、野球放送の解説者が、「ここはキャッチャーが間を取ってあげた方がいいですね」 などという。そんな時、「とんでもない、間なんか取らないで、さっさと投げろ」 と言いたくなる。ちょこまか勝つことだけを気にして、顧客 (観客) 志向をしていない。

客だって、あまり遅くならないうちに電車に乗って帰りたいのだ。そうしないと、郊外の住人は最終バスに乗り遅れて、タクシーに乗らなければならなくなる。それには、6時に始まったら、遅くとも 9時には終わってもらわないと困る。わざわざ球場に足を運んでも最後まで見られないから、観客動員が伸びないのである。

それに、野球というのは、優勝チームでも勝率は大体 5割台の後半から 6割台前半ということが多い。つまり、優勝チームが強いと言っても、3度に 2度勝っていないのである。いかにちょこまかとした勝負が多いかということだ。

野球ファンには怒られるかもしれないが、私はやはり野球という競技は退屈してしまうのである。


tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/08/23

高校野球と地球温暖化

オリンピックの陰で目立たなかったが、高校野球は駒大苫小牧が優勝した。

大会史上、春夏を通じて北海道、東北勢の優勝はなかったが、優勝旗は初めて 「白河の関」 を飛び越し、津軽海峡を渡ったのだそうだ。これって、地球温暖化と関係あるだろうか。

以前は、東北、北海道は野球不毛の地だった。私が高校までは、甲子園野球でもあまり活躍したという印象がない。せいぜい、仙台あたりのあまり雪の降らない地域の高校が準々決勝ぐらいに行く程度だった。

そう、問題は 「雪」 と言われていたのである。東北や北海道は、冬の間はグランドが雪に覆われ、まともな練習ができなかった。一年中グランドが使える関東以南の高校に比べたら、これは大変なハンディキャップだったのである。

しかし、最近は様相が違う。たまに冬に帰郷しても、雪の積もっていることが珍しいのだ。根雪というものがなくなってしまった。これなら、そこそこ練習ができる。最近になって、東北勢がにわかにベスト 8 に入り初めたのは、私はこの気象の変化のせいだとにらんでいる。

その代わり、今回は九州勢がまったく振るわなかった。南国の高校は、多分、夏が暑すぎて練習にならないという、逆ハンディキャップの時代になってしまったのではなかろうか。


tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/08/18

「栄養費」 の裏事情

「なんだ、そうだったのか」 である。巨人軍ナベツネ氏辞任の発端は、右翼団体による不祥事指摘であるらしい。(こちら

それを受けて、袖の下の解決でなあなあに済ませようとはせずに、自分から公表して収拾を図ったのは、さすがに一応大新聞社の見識とは言えるだろう。

しかし、だからといってトカゲの尻尾切りではなく、ナベツネ氏までが辞めてしまうというのは、やはり、これをきっかけに大きな方向転換を読売自体が図った証左とみていいのではなかろうか。私が三日前の当コラムで指摘したように、これまでの 「馬鹿馬鹿しいやり過ぎ」 を是正するのにちょうどいい機会とみる判断が働いたとしても、まったく不思議ではない。

「禍転じて福となす」 という諺があるが、今回のケースはむしろ 「瓢箪から駒」 と言った方がいいかもしれない。これも、奇しくも 3日前に書いたことである。この世は思いがけぬ成り行きが絡まり合って、こけつまろびつ展開していくものである。

いずれにしても、これをきっかけとして、有力選手スカウトに法外な大金が動いていたこれまでの 「裏の慣習」 は、自ずと是正の方向に向かわざるを得ないだろう。

去年までの逆指名選手は幸運だった。たった 1年遅れただけで、大金を手にすることができなくなった今年の大卒有力選手は、とんだとばっちりである。

しかし、世の中、何が幸いするかわからない。これで、プロ野球という業界の悪しき慣習が消えるとなれば、金持ち球団にだけ有力選手が集まるというアンバランス状態が少しは解消し、業界の健全化につながるのではなかろうか。

その改革の過程として、暗黙の了解であった裏金の授受について、プロ野球側が大学野球側に謝ってみせ、大学野球側が一応の不快感を表明してみせるなどの 「田舎芝居」 もして見せなければならないわけだ。こうした手続きも、なかなか大変なことではある。

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/08/17

チョー気持ちいー

世の中はオリンピック騒ぎだが、私はなぜか、それほど夢中になれないでいる。アトランタ、シドニーの時も、サッカーの W杯ほどには熱狂しなかったが、今回はもっと冷めてしまっているのである。

一昨日など、格闘技 PRIDE の "ハッスル"小川の結果の方が気になった。

小川の方は、ヒョードルに秒殺されてしまったが、やはり以前から思っていたように、いくら寝技の重心コントロールがうまくても、鋭い関節技を持っていないので、フィニッシュに持って行くまでにモタモタしてしまう。その間に、ちょっと隙を見せるとすぐに相手に関節を取られる。関節をまともに取られたら、重心コントロールも何もなくなってしまう。

ところで、アテネの方だが、いくら冷めてみていても、水泳の北島選手の 「気持ちいー! チョー気持ちいー!」 は印象的だった。

「おいおい、金メダリストなんだから、もっとマシな言い方はないのかよ」 とツッコミを入れたくもなるが、一方で、その率直なもの言いは、「気持ちは、チョーわかるぜ」 という気もした。今年の流行語大賞候補が、また一つ増えたな。

目標としていたことを達成したときの快感というのは、まさに 「気持ちいー」 のである。ドーパミン出まくり状態みたいな気持ちよさである。そのような 「達成による快感」 というものを、人間はもっと知っておいた方がいいんじゃないかと思う。

小さなことでもいいから、「やったぜ!」 と叫ぶような経験を、持っているかいないかでは、人間の器が違ってくるような気がする。

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/08/15

「栄養費」 の考察

大学野球の選手に裏金を渡していたことの責任をとって、かのナベツネ氏が巨人軍オーナーを辞任したという。

こんなことでいちいち辞任していたら、今まで何度辞めなければならなかったかわからない。ということは、この表向きの理由は、本当の理由ではないということだ。

そもそも、今回の裏金問題が明るみに出たのは、他から指摘されたわけではなく、巨人が自ら白状したのである。黙っていれば、これまで通り、暗黙の了解みたいなことで済んでいたのに、わざわざ自分からゲロったというのは、その方が得策だと判断したからだろう。少なくとも、従来路線を見限ったということだ。

黙ってトボケていたら、どんな不都合があったのか? 

まず最初に思い浮かぶのは、読売新聞の販売部数に悪影響が出るということだ。今回の騒動に限らず、ナベツネ氏のイメージは落ちるところまで落ちていたから、これ以上のダーティ・イメージで動き回られたら、本業に差し障りが出る。

ここは速やかにお引き取り願うために、とってつけたような裏金騒動をゲロしてみせた。最後ぐらいは正義ぶって辞めていただこうということか。

それにしても、大学野球界のエースまで巻き添えにしてしまうというのだから、このあたりの思い切りも凄いものである。自分で金を押しつけておいて、妙なタイミングで白状して、将来ある若者にダーティ・イメージを着せてしまう。裏金を受け取っていたのは、一場だけではなかろうに、気の毒と言えば気の毒である。

ここまで思い切ったというのは、読売としても、野球に金ばかりかけても、決してダントツで優勝できるわけでも、人気がさらに上がるわけでも何でもないという事実に、ようやく気付いたのかも知れない。今シーズンの様相をみても、対費用効果が悪すぎる。一般のビジネス社会では通らないコスト効率の悪さだ。

以前にも指摘したが、自分の相対的優位性を保つために、大金を使って自チームに有力選手を集中させるという戦略は、野球という業界全体をつまらなくしている。他チームにいれば4番打者でいられる存在を、ベンチの奥にしまっておくというのは、業界全体における人的資源の活用という視点から見ても、愚策中の愚策である。

お山の大将の地位にしがみついて業界全体をつまらなくするより、デッドヒートを演じて全体を活性化させる方が、得策なのである。コスト効率だって、その方がずっといい。

そんなこんなで、いくら何でも、これまでは馬鹿なことをし過ぎてきたという反省機運が生じても不思議ではない。体質を多少は改めるために、トップ人事のガラガラポンをする必要があったのだろう。

まったく、この世は 「瓢箪から駒」 的な要素が絡まり合って、こけつまろびつ展開していくものである。

それにしても、読売巨人軍の出金伝票には 「栄養費」 なんて項目が本当にあるのだろうか? お役所などでは 「食糧費」 というのがあるが、「栄養費」 なんてものがあるとしたら、他にはどんな用途で使われてるんだろう? オロナミンC を大量に買い付けて、ベンチ裏に置いたりしてるのだろうか?

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004/08/07

政治的フーリガン

今日、サッカー、アジアカップの決勝となる。中国の日本に対するブーイングは、聞きしに勝るもののようだ。

「欧州のフーリガンは、もっと凄い」 という指摘もあるが、フーリガンは政治問題なんかピッチに持ち出さない。中国の場合は、明らかに政治的に煽動されたものだ。

試合中の熱狂についてどうこう言うつもりはないが、国歌斉唱の際のブーイングは、単なる 「非礼」 の域を超えたものだろう。スポーツにことさらに政治を持ち込むというのは、センスがよろしくない。

日本のマスコミも過敏な取り上げ方をしすぎと言われる。開催地の重慶は、中国でもスポーツに熱狂的な土地柄なのだから、あのくらいは当然と言う、自称 「中国通」 もいる。そんなことも知らずに過敏に反応するのは、中国を知らなすぎると、したり顔だ。

しかし、国際的常識に反するマナーを指摘するのに、どうして中国ローカルの常識に沿う必要があるというのだ。これは単なるスポーツの問題というよりは、政治問題に足を踏み込んでいる。相手方が過激に政治問題を持ち込みすぎるのだから、日本側の反応はまだおとなしいぐらいのものだ。

中国には、今後 4年間で、オリンピック開催国としての資質をきちんと身につけて欲しいと思う。

欧州の場合は一部のフーリガンが騒いでも、当然ながら、マスコミはそれを批判的に取り上げる。ところが、中国の場合は、ジーコ監督の記者会見で、「準々決勝、準決勝の日本の勝利は 『幸運』 によるものではないか」 などという質問が飛ぶ。プレスまで一緒になってはしゃいでいる。

これでは、まともに相手にするだけ馬鹿らしくもなろうというものである。「いわゆる運という言葉はコイントスのようなときに使われるもの。幸運を呼び寄せるためにはそれだけの練習を積まなくてはいけない」 と応えたジーコ監督は、さすがである。

ただ、今夜の決勝戦で、もしかして秩序正しい観戦などということになったら、それはそれで気持ち悪いだろうが。

tak-shonai の本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」 へもどうぞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/02

プロ野球の 「タニマチ」 体質

今回のプロ野球 「近鉄・オリックス問題」 は、普通ならホワイトナイト (救いの騎士) と見られてもいいライブドアが完全に邪魔者扱いされていることからも、「合併 - 1 リーグ制移行」 は、ほとんど 「出来レース」 であることがわかる。

大筋の話は裏で決まっているのだろう。

それにしても、プロ野球のオーナーというのは、かなり狭い特殊な世界で生きているのだとわかった。大相撲の 「タニマチ」 というのもすごいなと思っていたが、プロ野球のそれは、相撲の比ではない。コンベンショナルな企業同士の非常に 「排他的」 な集まりである。

この排他的な親方たちが、これまでは球団を持つなんて 「宣伝費と思えば安いモンだ」 ぐらいのつもりで金をつぎ込んできたのだが、世の中が変わって、なかなかそれもやりにくくなったということで、業界の縮小を画策しているのだと思えば、話は見えてくる。要するに、担ぐ荷物を軽くしたいのだ。

せっかく業界のリストラで話がまとまりかけているところに、どこの馬の骨だかわからないバブリーな IT ベンチャーが乱入してきたわけだから、親方連中としては相当にムッとしているわけだ。自分たちの懐具合が淋しいところにもってきて、「金はいくらでも現金で出す」 なんて言われると、ますます反感はつのる。

もっとも、ライブドアにしてもその辺は読んでいて、どうせ歓迎されるわけはないと踏んでいただろう。それならば、行きがけの駄賃だ。記者会見一発で、全国的な認知度を高めてしまえばいい。コストパフォーマンスで言えば、実際に球団を買収するよりずっと効果的だ。

今回の騒動は、プロ野球オーナーに代表される旧来型の一流企業と、新興のバブリーな企業とのつばぜり合いである。そして、プロ野球はやはり、旧来型のオジサンたちの玩具なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)