カテゴリー「ニュース」の453件の記事

2018/09/18

「LGBT には生産性がない」 という、懲りない感情論

『新潮 45』 が、本日発売の 10月号で、「そんなにおかしいか 『杉田水脈』 論文」 という企画を組んでいるらしい。あの時に受けた批判は、「見当外れの大バッシング」 だと言っているようなのである。私としてはそれよりも、あんなものを 「論文」 と言うセンスに驚いているのだが。(参照

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同誌 8月号に掲載された彼女の 「『LGBT』 支援の度が過ぎる」 という寄稿記事について、私は 「礼儀として、読んでから批判すべきだろう」 と思い、一応書店で買って読んでみた。その時の記事が、どういう巡り合わせか、私の誕生日、7月 26日付の "「LGBT には 『生産性』 がない」 という発言について" という記事である。

せっかく買ったのに、その感想は 「買って読むほどのレベルのものじゃない」 というものだったが、ただ、せっかく買ったのだからと、彼女の 「LGBT には 『生産性』 がない」 という見当違いの決めつけについて、ごくフツーに (だよね?) 批判し、さらに、次のようなことを付け加えた。

頭の硬い保守派は子どもを産む能力に関して 「生産性」 という言葉を好んで使いたがる。私自身も彼らの口からこうした言葉が発せられるのを度々聞いていて、その度に不愉快になる。この言い方は、実は保守政治の世界の 「ステロタイプで悪趣味な決まり文句」 になっているのだ。

フツーに考えれば、彼女の発言は 「トンデモ」 に違いないのだが、彼女の仲間内は 「一体何が間違ってるんだ。当たり前の話じゃないか」 と擁護する雰囲気に満ち満ちている。それは間違いない。ということは、いくら批判しても彼女は絶対に反省なんかしないということである。

というわけで、今回の 「そんなにおかしいか 『杉田水脈』 論文」 という特集が出ることについては、「ほぉら、やっぱりね」 と言うしかない。「いくら批判しても彼女は絶対に反省なんかしない」 と書いたが、正確に言えば 「彼女を含む勢力は、絶対に反省なんかしない」 ってことである。

彼らの偏見は 「だって、LGBT、おかしいじゃん!」 というプリミティブな 「感情論」 から発するものでしかない。そして 「生産性」 という言葉は、感情論をもっともらしく印象づけるために使われているに過ぎないのである。(それに関しては、上述の 7月 26日付で書いているので、くどくど繰り返さない)

「私は LGBT、嫌いだ!」 というなら、「まあ、それは好き好きだからしょうがないね」 と言うしかないが、無理な理窟とも言えない理屈をまぶして、「客観的意見」 みたいな形で主張されても、そもそもが 「感情論」 に立脚したものなので、まともな議論をするには出発点からかみ合わない。だから先々月の時点でどっと出た批判も、結果として 「暖簾に腕押し」 気味になってしまった。

というわけでそこでやめておけばよかったのに、反撃に出てきたということのようである。ただ私としては、今回の 10月号は買うつもりがない。そんなもの買って読むほど暇じゃないから。

どうせ、まともな議論は期待できないし。

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2018/09/16

例の 「ひき逃げ事故」 の動画と文字情報の差

私は例の 「ひき逃げ事故」 の吉澤ひとみという娘については顔もよくわからないので、特段の興味はなかったのだが、あの尾木ママがブログで 「あれだけひどいひき逃げ事故なのに誰も助けない⁇」 と憤慨されており、ビデオもネットで公開されているというので、「どれどれ」 と見に行ってみた。

なるほど、誰のドライブ・レコーダーに記録されていたものか知らないが、上のように結構鮮明な動画として公開されている。そして見る限り、目の前でひき逃げ事故が起きているというのに、確かに誰も助けようとしないどころか、駆け寄って声を掛ける者すらない。

ただ、このビデオを冷静に見ると、報道ではわからなかったことがいくつか明らかになる。順を追って挙げてみよう。

まず、吉澤容疑者 (敢えてニュースでの呼び方にさせてもらう) は、「交差点に赤信号で進入した」 ということになっているが、動画を見る限り、信号は黄色から赤に変わった直後で、事故が起きたのは 「右折可」 を示す矢印が付いている時だった。

ということは、この状態では右折車が合法的に交差点に進入してくる可能性が残されていたということで、歩行者用信号は赤の状態のままだったはずだ。つまり、まだ渡ってはいけない状態だったにもかかわらず、被害者はいち早く横断歩道を渡り始めている。

このドラレコ動画を撮影したクルマが、信号が黄色に変わったあたりの時点でできちんと停車したものと仮定すると (もし青信号の時からずっとその場に停車していたのならモロに違反だが)、それを見た被害者は見切り発車で横断歩道を渡り始めたのだろう。この推測が事実だとしたら、被害者側にも落ち度がなかったとは言えない。
(注: この私の推測は誤っていた。最下段の 【追記】 を参照されたい)

そこに来た吉澤容疑者のクルマが、信号が黄色から赤に変わったことに気付いていたかどうかは知らないが、気付いていたとしても、「まだ右折矢印が出てる状態だから、えーい、突っ切っちゃえ」 とばかり、交差点に進入したのだろう。こんなようなドライバーは、残念ながら決して珍しくない。

ところが間の悪いことに、この動画を撮影したクルマが左車線に停車していたので、見切り発車で横断歩道を渡り始めていた被害者の姿が見えなかったか、あるいは少なくとも確認しづらかった。これは 「情状酌量」 の理由にはならないだろうが、少なくとも 「運が悪かった」 とは言える。

また報道では 「ブレーキをかけた痕跡がない」 とされていたが、動画を見る限り、ほんの一瞬ではあるが、ブレーキランプが点いている。

そもそもこの時、被害者の後ろから渡ろうとしていた歩行者の意識の片隅には、「まだ赤なのに強引に渡ろうなんてするから、こんなことになっちゃったんでしょうが」 という思いがあったんじゃじゃかろうか。ほんの少しだけそう思ったとしても、責められないだろう。

そして被害者は転倒したものの、すぐに起き上がっているので、近くにいた歩行者も安心して、敢えて助けようとしたり、警察に連絡しようとまではしなかったのだと思われる。ただ、いずれにしても薄情な話ではある。

最後のポイント。吉澤容疑者は事故直後には 「周囲に車が多くて停車できなかった」 と供述していると報道されたが、動画を見る限り、これに関しては完全に 「口からでまかせ」 のウソだったことが明らかだ。まったく 「よく言うよ!」 ってなもんだ。

「百聞は一見にしかず」 というが、まさに伝聞情報による文字だけの報道というのは、ありのままの事実を伝えにくいものである。ニュースに接する際には、このことをしっかりと前提として認識しておく必要がある。

【追記】

らむね さんのコメントによる情報の確認により (参照)、被害者は信号無視をしていたわけではないと判明した。不十分な考えにより決めつけてしまったことをお詫びしたい。この横断歩道は、交差点の向こう側を横断するもののようだ。

ただそうだとすると、この動画を撮影したクルマはどういうわけか、おそらく交差点内に停車していたことになり、それはそれでかなり問題だと思う。

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2018/08/31

EU は 「サマータイムの廃止」 なんか望んでいない

EU が既に導入しているサマータイムの再検討に向かっているとの報道が盛んになっている (参照)。これは東京オリンピックの暑さ対策としての、「にわかサマータイム」 のお粗末さへのアンチテーゼとして報じられているという要素が大きいと思う。

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日本ではサマータイム導入は総スカンを食らっている状態で、私も今月 6日に反対論を書いている (参照)。そして日本のマスコミとしても 「本家本元のヨーロッパだって、多くの人たちはサマータイム反対と言っている」 と、ことさらに訴えたいもののようだ。しかし問題は、「EU 圏の 8割以上が サマータイムの廃止を望んでいる」 という表現である。ニュースをよく読めば、決してそんなわけではないということがわかる。

今回の調査では、EU の全 28加盟国から 460万件以上の意見が寄せられ、その 8割以上が希望したのは、「時間の切り替えをしない」 ということなのだ。しかも時間の切り替えを望まない人の多くは 「1年中、夏時間のままで通す」 ことを望んでいるというではないか。

要するに EU 圏の多くの人が希望しているのは 「サマータイムの廃止」 なんかではない。それどころか、「サマータイムをずっと維持して、冬時間 (標準時) に戻すな」 と言っているのである。見出しは正確につけてもらいたいものだ。

私は個人的には、何度もヨーロッパに出張した経験から 「明るいうちに仕事を終えて、寝るまでの時間を長く楽しめる」 というサマータイムを、ずっと羨ましく思っていた。だから 6日の自分の記事でも 「私は基本的にサマータイムに賛成の立場なのだが、今回の政府案はちょっとおかしい」 と書いているのである。

そんなわけで、EU の多くの人たちの 「明るいうちに仕事を終えて、自由時間を楽しみたい」 意識に変わりはないようなのだ。その上で、「1年に 2回、時計を早めたり遅らせたりするのは億劫だし、体もきつい」 ので、「1年中ずっとサマータイムで通す方がずっとマシだ」 と言っているのである。その気持ち、私はとてもよく理解できる。

「時間の切り替えをせずに、ずっとサマータイムにする方がいい」 というのを 「サマータイム廃止」 なんて見出しにしてしまうのは、コトの本質をよく理解していないからで、乱暴すぎる話である。この乱暴さは、日本人の多くがトランプ大統領が安倍首相に 「リメンバー・パールハーバー」 と言ったと受け取っている構造と似ていると思う。

トランプは "I remember Pearl Harbor" (私は真珠湾を忘れていない) と言ったのである (参照)。いくらトランプでも、米国大統領が日本の首相に "Remember Pearl Harbor" (真珠湾を忘れるな) なんて言うわけないじゃないか。

人間はニュースを、受け取りやすいストーリーにねじ曲げて受け取るものなのである。

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2018/08/30

日本の郵便の信頼性は落ちてしまっているようだ

宮城県登米 (「とめ」 と読むらしい) 市の郵便配達員が、37,000通もの郵便物を配達せずに隠していたというニュース (参照) には、ちょっと驚いた。

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郵便物が配達されずに消えてしまうということについて、 私は過去に 2度書いている。1つめは、配達員が郵便物を隠していたことを支局ぐるみで隠蔽しようとした 2012年のケース (参照)。そして 2つめは配達ミスの多発について触れた一昨年の記事 (参照) だ。

2012年の記事で触れたのは、静岡県三島市で 100通以上を隠していたというケースだが、今回の宮城県登米市の場合は 10年前から隠していたらしく、ケタが違う。単純計算だと平均して 1年で 3,700通になるから、少なくとも 1日で 10通以上もの郵便物を届けずに隠していたことになる。よくまあ、10年もバレずにいたものだ。

いずれにしても、とにかく郵便物が届かずにどこかで消えてしまうというのは、そんなに希有なことではないと、私はずいぶん昔から言っている。「そんな馬鹿な」 なんて言う日本人が多いが、そんな馬鹿なことが案外多発するのである。

一昨年の記事には、ハマッコーさんが 「自爆営業」 という事実について触れたコメントを寄せてくれた。これは 「ノルマ達成のために日本郵便の社員が、年賀状などを金券ショップに持ち込み、安く売った分の差額に自腹を切る行為」 を言うらしい (参照)。無理なノルマが課せられるから、こんなことが横行する。日本郵便はブラック企業化しているようなのだ。

こんなことをしていると、社員の士気やモラルが落ちて配達すべき郵便物を隠してしまうなんてことも起きがちになってしまうのかもしれない。日本の郵便の信頼性は既に落ちてしまっている。「これでやっと諸外国並み」 なんていうジョークは言いっこなしにしておきたいところだが。

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2018/08/21

アジア大会でのバスケ選手の不行跡について

アジア大会でバスケットボールの男子選手 4人が 「公式ウェアで」 歓楽街を飲み歩き、買春行為に及んだ不行跡が発覚して、代表選手資格を剥奪され、強制帰国されたというニュースが話題になっている。

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ライブドアニュースでは、「公式ウェアを着用して夜の歓楽街を訪れていたことが、選手団の行動規定に抵触すると判断された」 とある (参照)。具体的には以下のようなことだったらしい。

聞き取り調査の結果、当該 4選手は 16日 22時過ぎ、日本食の店で飲食。その後、女性が接客する店を紹介された。日系人の仲介で 4選手はそれぞれ女性を伴ってホテルへ行き、行為へ及んだ後、17日未明にタクシーで選手村へ戻ったと認定された。

まあ、スポーツ競技のために遠征している者としてはかなり軽はずみな行為であり、非難されても仕方がない。ただ、個人的には 2つの点に疑問が残る。

1つめは、「女性が接客する店を紹介され」 て、「日系人の仲買で」 女性を伴ってホテルに行ったということなのだが、これって、ハニートラップっぽいニオイがしないだろうか。日本のバスケットボールは、世界レベルでは強豪の部類ではないが、アジア大会ではトップクラスの実力はもっているだろう。その日本の選手のうち 4人が減ってしまえば、戦力はかなり落ちる。他チームが上位に行く機会は増えるだろう。

こんなことでなんとなく陰謀っぽいものを感じるのは、私だけではないだろう。

それからもう一つ。今回の問題で重要なファクターとなっているのが、「公式ウェアで」 歓楽街に出たこととされている点だ。これって、公式ウェアではなく、例えば Tシャツにジーンズとかの私服だったら問題なかったのだろうか。

これに関する報道のどれを見ても 「公式ウェアで」 という要素が見出しレベルの扱いになっている。「日本選手というのがバレバレで、公式ウェアに泥を塗る結果になった」 というわけで、「女買いたかったら、私服で行けよ!」 と言わんばかりに聞こえてしまうのは、「何だかなあ」 と思ってしまうところだ。

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2018/07/31

そんなに綺麗なオネーチャンのいる店で酒を飲みたいか

文科省の汚職事件が次々にニュースになっていて、とくに 「現職幹部とコンサルティング会社の元役員が逮捕された汚職事件で、他にも複数の文科省幹部が東京地検特捜部から聴取」 (参照) を受けているという件では、「お役人も浮世の沙汰がお好きなのだね」 と思うばかりである。

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うした事件で 「腹を立てる」 というのは、私の感覚には合わない。私はそんなに絵に描いたような正義漢ではないので、とくに腹が立つというわけではなく、ただただ 「他人の金で飲み食いするのって、そんなにまで楽しいかなあ」 と、別世界のお話のように思われるだけなのである。

妻と一緒にクルマで出かけた時にラジオのニュースで 「140万円の飲食接待」 と聞き、妻は 「そんなに高い食事って、どんなの?」 なんて言うので、「メシ食っただけじゃなく、綺麗なオネーチャンの接待が多かったに決まってるじゃん」 と答えた。

毎日新聞の記事によれば 「銀座の高級クラブなどで頻繁に接待を受けていたとみられることが関係者への取材で明らかになった。接待は数十回に上っていたという」 ということだ (参照)。やっぱりね。ただ、 本当に 「数十回」 なら 140万円で足りるわけがないから、どちらかの数字がおかしいのだろう。

で、個人的にはさっぱり理解できないのが、「そんなにまで、綺麗なオネーチャンのいる店で酒を飲みたいか」 ということである。私も以前は某業界団体の事務局に勤めていたことがあるので、年に 1度の理事会総会なんかが済んだ後は、高級クラブなんかでの二次会に付き合わされたりしたが、はっきり言って、これが一番苦痛な仕事だった。

オッサンたちに付き合って嫌々ながらクラブに入り、席に座ると、ヒラヒラしたドレスを着たネーチャンがそばに座って、水割りなんか作りながら、いろいろ話しかけたりしてくる。ところが、こっちとしては全然興味のない話題 (ゴルフとか、宝石とかね) しか振ってこないので、つまらないことこの上ない。「銀恋」 のデュエットとかチークダンスなんて、死ぬほどイヤなので、ただひたすら早く帰りたいだけである。

たまにこっちの気配を察して、「こういうところにあまり興味ないの?」 なんて聞いてくれるホステスもいなくはない。そんな場合にはこんな会話になる。

「悪いけど、全然興味ないんだよね」
「どんな話題がいいの?」
「いや、放っといてもらうのが一番ありがたい。いいから、向こうのオジサンたちをかまってあげてて」

まあ、オネーチャンとしても困ってしまう客だったろうが、こればかりはどうしようもない。

「本当にちゃんとしたクラブなら、客に合わせて文学論を語れるぐらいのホステスがいるものだ」 なんて言う人もいるが、そんなオネーチャンに巡り会ったことなんて、一度もない。もしかしたら、川端和明容疑者 (及びその他の何名か) の接待された高級クラブぐらいになると、そのくらいのホステスもいたのかなあ。でも文学論を語るのに、そんな大金を使う必要もなかろうよ。

というわけで、私としてはイヤでイヤでしょうがない 「高級クラブ」 で、文科省の 「高級官僚」 は、「数十回」 も嬉々としてもてなされ、あぶない橋を渡ったのだね。現役の官僚なんだから、私より多少若いはずなのに、そんな連中が前時代のオッサンみたいな話に乗っかってたというのも、驚くばかりである。

いつの時代でも、趣味の悪いオッサンはいなくならないのかなあ。

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2018/07/25

「骨壺で身代金」 は、いくら中国でも通用しなかった

"中国で多発する“死者誘拐”の恐怖……他人の骨壺を掘り起こし 「返してほしけりゃ金出しな」" というニュースがある。同じ内容を扱ったもので、"株で借金苦の中国人、骨壷を奪って 「身代金」 要求の顛末" という記事もある。

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どちらも、中国では伝統的に先祖の遺体や遺骨を大切にするので、墓地から骨壺を盗み出して 「身代金」 を要求するという事件まで生じたというトーンである。日本人とは比較にならないほどに遺骨を大切にする伝統文化というか、メンタリティが、この事件のベースにあるというのが前提のようだ。

「親の遺骨を盗まれた」 なんていうのが知られたら、「親不孝者」 のレッテルを貼られて世間に顔向けならないことになる。遺族としては、こっそり 「身代金」 を払ってでも取り戻さざるを得ない。

しかし、2つのニュースを読んだ限りでは、中国人がそこまで遺骨に執着しているという印象は残らないのだよね。

遺骨を盗まれ、身代金要求のメールが届いた遺族の反応は、いともドライに警察に届け出ただけだったのである。そして借金で首が回らなくなって犯行に及んでしまった犯人は、「メールに返信しない遺族たちにしびれを切らし、電話をかけて金銭を要求した」 ため、あっさりと身元が割れ、逮捕されてしまった。

率直に言ってこのニュースから読み取れるのは、「遺骨に執着する中国の伝統文化」 が、今では薄れてきているんじゃないかということだ。犯人は伝統的なメンタリティに期待しすぎてしまったようで、実際には 「骨壺で身代金」 なんていう犯罪モデルは、もはや通用しにくくなっていたということだ。

とはいえ、「中国の骨壺」 で画像検索してみたら、上の写真のような豪華というか、贅沢というか、私なんかには思いも付かないようなものがどっさりヒットしたのであったよ。私の父の骨壺なんか、シンプルな素焼きだったのに。

もしかしたら犯人としては 「遺骨の身代金」 なんか要求するより、掘り出した豪華な骨壺を闇で売り払う方が、ずっと金になったかもしれない。

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2018/07/16

トランプが 「EU は敵だ」 と語ったらしいが

ラジオで 「トランプ大統領が 『EU は敵だ』 と言った」 というニュースを聞いて、「へえ、トランプもそんなことを言うまでトチ狂ってしまったのか」 と驚いた。日本語のニュースは、EU を "enemy" と言ったのかと思うような印象だったのである。ところが違った。翻訳というのは難しい。

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トランプは EU のことを "foe" と言ったというのが本当らしい。”Foe" を英和辞書で引くと、大抵 「敵」 と出てくるから、「トランプは EU は敵と言った」 という日本語の見出しは決して間違いじゃない。しかしニュアンスとなると、上に示した写真ぐらいの違いがあると言っていい。

左側は Google から産経ニュースにリンクされるもので、トランプが興奮してがなり立てている写真が添えられている (参照)。そして右のガーディアンニュース (参照)へのリンクは、ベースボールキャップ (”USA" のロゴ入りというのが彼らしいが) でリラックスした様子の写真だ。

English Language Learners というサイトの 'What is the difference between “foe” and “enemy”' ("For" と "enemy" の違いは?) というページによると、「"foe" というのは、コミック・ブックなどで 『競合相手やライバル』 という意味で使われる」 とか 「政治やニュースなどで、"enemy" という言葉があまり攻撃的すぎるニュアンスと受け取られるような時に、"foe" と言い換えられる」 というような説明がある。(参照

というわけで、トランプはいくらなんでも EU を "enemy" 呼ばわりするほどトチ狂ってしまったわけじゃなく、"foe" と言ったもののようなのである。「利益の相反する競合相手」 ではあるが、「激しく衝突するほどの敵同士ってわけじゃない」 というような意味合いを、"foe" という言葉で語ったもののようなのである。ちょっと前時代的な言い方のような気はするけどね。

それにしても、"foe" が 「敵」 という日本語に置き換えられた途端に、「EU、潰したる!」 みたいな勢いでがなり立てるトランプという、ステロタイプなイメージの写真になってしまうというのが、ちょっとコワい。言葉は慎重に扱わなければならないし、翻訳においてはなおさらである。

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2018/07/06

オウム真理教事件での死刑執行に絡めて言ってしまう

朝っぱらからオウム真理教事件の麻原彰晃の死刑執行が報じられ、その後に残る 6人の死刑執行も発表された。これ、大方が指摘するように、このタイミングでの死刑執行にはかなり政治的な判断があったものと考えられる。

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さて、ここで私が思い出したように論じたいのは、オウム真理教事件そのものについてではない。「死刑制度」 についてである。私はこのところずっと、「自分は死刑制度廃止論者」 と思っていたのだが、このブログでは、そのことについて表明しそびれていたことに気付いた。

2008年 8月 1日の "死刑制度では旗幟鮮明じゃない私" という記事では、態度を鮮明にしておらず、2009年 12月 23日の "死刑制度に懐疑的になりつつある私" という記事でも、「死刑廃止」 とまでは言い切っていない。吾ながらズルい態度を保っている。

私が最後に死刑制度について触れたのは一昨年の 11月 28日で、その記事のタイトルは "死刑制度と被害者感情をセットで語らない" というものだった。殺人事件被害者の遺族の多くは、犯人をぶっ殺してしまいたいほど憎んでいるだろうが、だからといって、国がその代理で犯人を殺してしまうというのは、単純な 「復讐の肯定」 になってしまうと述べている。この記事は、死刑制度に関する私の考えがかなりきっちりまとめて書かれているので、よかったら読んでいただきたい。

その年の 6月 11日には、"「自殺できないので死刑にしてもらおう」 という虫のよすぎる了見"、2009年 12月 23日の "死刑制度に懐疑的になりつつある私 »" という記事で次のように書いている。

私は池田小殺人事件の宅間某のケースについて触れている。宅間という男は、「おぉ、俺は死にたいんじゃ、さっさと死刑にしてくれ」 とうそぶき、その望み通り、異例の早さでさっさと死刑を執行してもらえたようなのだ。なんというアフターケアのよさだろうか。

人生に絶望して死にたいのだけれど、自殺する踏ん切りもつかず、だったら思い切り無差別大量殺人をし、今まで自分をないがしろにしてきた世間を見返し、思う存分に騒がせて自分に注目を集め、その上でさっさと望み通りに国家の手によって殺してもらうという虫のいい犯罪が、最近いくつかみられるのである。

これでは、死刑制度が無差別大量殺人事件を起こすインセンティブになりかねない。実際に、そうとしか思われない事件が最近散見されるのである。というわけで、これらの記事を書いた時点の私は、「死刑制度の凶悪犯罪抑止力はかなり弱まっていて、逆の力になる場合も生じている」 とはっきり認識しており、最近になってやっと踏ん切りがついて、「死刑制度廃止論者」 になったのである。

遡れば私は 2006年 4月 12日の "なぜ殺してはいけないか" という記事の中で、人を殺してはいけないのは、"「殺す自由」 は 「生きる自由」 を上回らないから" と、単刀直入に書いたことがあり、この考えは今でもまったく変わらない。人を殺してしまっては、被害者の 「生きる自由」 を完全に奪ってしまい、修復不可能だから、殺してはならないのである。言い切れば単純な話だが、詳しくはリンク先をご覧戴きたい。

この記事の中で私は、次の場合だけは態度を保留すると書いている。

「崇高な覚悟の自殺 - 切腹」 などの 「介錯」
「安楽死」
「正当防衛」 (相手がこちらの 「生きる自由」を奪おうとしたので)
「戦争」 (一応は、納得済みでの殺し合いなので)

そして、"「死刑執行」 を挙げなかったのは、それは 「殺す自由」 というよりは、制度で強制的に定められた 「果たすべき業務」 とみる方がいいからだ" と付け加えているが、最近は、「死刑」 という制度を廃止すべきという考えまでまで辿り着いたということだ。

そして今回のオウム真理教関連 7人の死刑執行に関しては、そのタイミングからして言ってみれば 「死刑制度の政治利用」 とも見ることができるので、ますます嫌な感じがしてしまうのである。

【7月 10日 追記】

「死刑制度廃止」 という考えに辿り着いている私ではあるが、実際には簡単に廃止できるなんて思っていない。とても難しい問題だから、そんなに簡単に結論は出ないだろう。

というわけで、内心としては 「死刑判決が出ても、とりあえず実際には死刑執行しない」 ということで、しばらく運用すべきだと考えている。要するに 「実質終身刑」 ということで行けばいいんじゃなかろうか。今回みたいに 「一度に 7人も死刑執行」 なんていうのは、ちょっと人騒がせすぎる。

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2018/07/02

「紀州のドンファン」 の地元に出張する

実は明日から一泊二日で南紀州に出張する。これはだいぶ前から決まっていた予定で、「せっかくだから温泉付きホテルに泊まりたいなあ」 なんて呑気なことを思っていたが、例の 「紀州のドンファン怪死事件」 で、呑気なことでは済まなくなった。

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ホテルの予約を先延ばしにしているうちに、マスコミが多数入り込んでしまったためなのか、「温泉付きビジネスホテル」 なんてのはかなりタイトになってしまって、なんだかわけのわからないホテルしか予約できないことになってしまった。どえらく迷惑な話である。

この怪死事件というのは、一時マスコミが騒ぎまくったが、今ではすっかり下火になってしまったようだ。よくわからん話である。まあ、せっかく行くのだから、多少はどんな事件なのか調べてみようと思い、ネットで検索したら、"紀州のドン・ファン悲しき虚栄 「オムツに大小漏らし、妻に毛嫌いされ…」 脱税、刺され、名字も変える" なんていう AERA の記事が見つかった。

ちょこっと読んで見ると、話題の野村幸助という人は、要するに金と女にしか興味のなかった人のようで、私みたいな者からみると 「なんてつまらん人生を歩んだんだ」 と思うほかないような生き方をしたみたいなのである。記事からは否定的教訓しか伝わってこない。

従業員にその人となりを訊ねても、「本まで出したけど、書いてある内容の半分くらいは、ハッタリです。自分で都合よく書いている」 なんて言われてしまう始末で、全然尊敬されていない。フツーは自分の務める会社の社長が死んだら、少しは殊勝なことを言うものだが、気の毒なほどの言われようだ。

まあ、紀州に行ってもこんな話とは無関係に、粛々と仕事をこなして、さっさと帰ってこようと思うばかりである。

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