カテゴリー「ファッション・アクセサリ」の30件の記事

2008/02/09

安物の中国製ダウンウェア

巷は中国製毒餃子の話でもちきりだが、問題は食品ばかりではない。衣料品は口に入るものではないだけに、それほど騒がれないが、やっぱり問題が多いと言わざるを得ない。

私は中国製の安物のダウン・ジャケットやダウン・コートは買う気がしない。中身が見えないだけに、ちょっと気持ち悪い。

最近、中国製のダウン・コートなどで 「臭いが気になる」 という苦情が増えている。薬品系の目にしみるとか鼻の奥を刺激するとかいうような類ではなく、むっとするような有機的な臭いで、甚だしくは吐き気を催すほどだという。

そんな臭いのなら、購入するときに気付きそうなものではないかと、普通は思うだろうが、店で買うときには気付かないことが多いのだそうだ。着用して体温で暖まると、なんだかむっとしてくるというのだから、始末が悪い。

ダウンにはグース・ダウン (ガチョウの羽毛) とダック・ダウン (アヒルの羽毛) があり、一般的にはグース・ダウンの方がずっと高級だと言われている。しかし、中国製はダック・ダウンが圧倒的に多い。食料としてのアヒルからむしった羽毛が豊富に供給されるのだろう。

しかし、ダック・ダウンはグース・ダウンより臭いがきついと言われ、きちんとした洗浄が必要になる。だから、臭いのきついダウン製品というのは、羽毛がよく洗われていないことを示す証拠でもある。

いい加減な洗い方で残ってしまった不純物といえば、まず考えられるのが、アヒルの体から分泌される脂分である。水鳥は自分の体から出る脂分を体中の羽根にすりこんで水を弾いているのだが、そうした脂分は有機物であるだけに、特有の臭いがある。

脂分が残っているとすれば、他の不純物だってこびりついている可能性があり、衛生的にみてもちょっとどうかと思う。ウンコなんかついてないことを願うばかりだ。

臭いはきつくないとしても、安物のダウン衣料品は、生地の織目の隙間からダウンやフェザーが飛び出してきて、中に着ている服にびっしりとついてしまうという苦情も多い。ダウン・ウェア用の生地というのは、目のびっしりとつんだものが望ましいのだが、適当な安物の生地を使うとこうなる。

本来なら、一度不織布などで包んでから、衣料品の中に詰め込むという手順を踏めば、ダウンが飛び出すという不具合は滅多になくなる。しかし、中国製の安物にそこまでのていねいな処理を要求しても無理だろう。

今や、日本で流通する衣料品の約 80%が中国製と言うのだから、中国製を避けたら着る物がなくなってしまうのだが、安物のダウンウェアはお奨めしない。

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2008/01/17

「ロシアリス」 を 「ロリス」 って言うなよ!

いやはや、近頃一番驚いてしまったのは、毛皮製品のタグに 「ロリス」 と表示されていたことだ。ロリスといえば、あの可愛らしい顔のおサルの仲間で、絶滅危惧種じゃないか。

それに、「ロリス」 の毛皮は高級品として流通しているようだが、熱帯に棲むおサルの毛皮が、防寒用の高級品になるわけなかろう。

アパレル業界でメシを食っている私としては、これは放っておくわけにはいかないと、さっそく調べてみたのである。そしてわかったことは、毛皮業界で 「ロリス」 と言ったら、あのおサルの仲間のロリスじゃなく、「ロシアリス」 (ロシア産のリス) の略称だというのである。

「ロシアリス、ロリス」 の 2つのキーワードで検索すると、こんなにたくさんのページがヒットする。ほとんどは、「ロシアリス」 の略称として 「ロリス」 という呼称を何の疑いもなく用いている。

これはひどい。ひど過ぎる。業界内部で 「ロシアリス」 を略して、符丁的に 「ロリス」 と呼び習わすなら、趣味悪すぎだけど、まあ、今さらしょうがない。しかし、それは業界内部にとどめておくべきだろうよ。

品質表示のラベルに堂々と 「ロリス」 と表示してしまったら、まったく別の動物を指すことになる。しかも、可愛らしい顔が子どもたちにも人気のおサルさんで、絶滅危惧種の毛皮だなんて誤解されてしまう。いくらなんでも、人騒がせにもホドってもんがあるだろう。

フランスの踊りを 「フラダンス」 なんて言ったら、ハワイの人たちが怒るだろう。毛皮業界は、それと同じことをして、本物のロリスの面目を潰しているのである。

まったくもう、「ロシアリス」 なら、ちゃんと 「ロシアリス」 と表示しろよ! (本当はこれも通称で、本来は 「キタリス」 という種類らしいけど) 「ロリス」 なんて書いたら、誰にとってもおいしいところのない、まったく無意味で馬鹿馬鹿しい偽装表示じゃないか。

これはプロでも誤解している人がいる (参照) ぐらいだから、過激な環境団体が誤解して、その結果つるし上げをくらったとしても、それは身から出た錆ってものである。こんな風だから、アパレル業界の体質はいい加減だなんて後ろ指をさされるのである。私は怒るというより、呆れてしまっているのである。

ちなみに、ロシアのリスは腹をすかすと犬をもかみ殺すそうだ (参照)。なんと空恐ろしいことである。

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2007/11/29

毛皮市場のタヌキとラクーン (アライグマ)

日本毛皮協会というところの出している "「ラクーン」 の表記に関して" というプレスリリースが面白い。かなりすったもんだしたようで、第 2 弾第 3 弾まで出ている。

品質表示ラベルで、タヌキの毛皮の表示を 「ラクーン」 としていいかどうかという問題が、かなり論議を呼んだようなのだ。

最近、とくに女性物のコートの襟や袖口に毛皮をあしらったものが増えている。流行りというのはコワイもので、あまり値段の張らないものでも毛皮の ディテールは重要ポイントの一つになっていて、そうした毛皮は、当然ミンクとかテンとかいう高級なものではなく、「ラクーン」 と表示されていることが多い。

「ラクーン」 (raccoon) というのは、辞書で引けばすぐにわかるように、アライグマのことである。で、フツーの日本人は、自分の着ているコートの襟や袖口についているのは、アライ グマの毛皮だと思う。しかし、実はそれはアライグマではなく、タヌキの毛皮であることが多い。

日本の品質表示法では、毛皮製品については動物の種類を表示する義務がない。だから、単に 「毛皮」 と表示すればいいということになっている。ところが、そこはそれ、せっかく高級な毛皮を使っているのだからと、普通はミンクとか、シルバーフォックスと か、テンとか、動物の種類まで誇らしげに表示するのが慣習になっている。

しかし、だからといって、タヌキの毛皮に 「タヌキ」 と表示するのでは、ちょっとイメージが悪い。というわけで、流通業界では 「ラクーン」 という表示にしておこうという意向が強かったようなのだ。

元々、タヌキは東アジア特有の動物で、欧米にはいなかったから、英語には 「タヌキ」 に相当する単語がない。だから、しかたなく "raccoon dog"  なんて言っているようなのだ。

世界の毛皮市場の流通においては、1970年代までは日本産タヌキがかなりのシェアを占めていて、業界では "tanuki" が国際語になっていた時代もあったようだ。しかし今では円高と鳥獣保護法の指定により、日本産タヌキの毛皮は、ほとんど姿を消してしまった。

一方、ロシアでは昔からタヌキを "Russian raccoon" の呼称で輸出しており、それを養殖したフィンランドが "Fin raccoon" の名で安定供給し始めた。さらに最近では中国産のシェアが高まり、"Chinese raccoon" として流通している。

そんな状況を背景に、日本の毛皮業界でも、タヌキだろうがアライグマだろうが、両方とも 「ラクーン」 でいいじゃないかということになり、毛皮協会では、上述の方式、つまり 「原産地 + ラクーン」 という表示にしちゃおうということになったようなのである。

ところが、公正取引委員会から、「それでは日本国内の消費者段階で混乱を生じる」 との危惧が表明されたようなのである。確かに、「チャイニーズラクーン」 はタヌキだが、「アメリカンラクーン」 はアライグマであるというのでは、わかりにくい。「要するに、『タヌキ隠し』 じゃん!」 と言われかねない。

そこで、結局は、11月 15日付のプレスリリース第 3 弾で、「タヌキ (チャイニーズラクーン)」 のように、タヌキであることを明記した上で 「何とかラクーン」 の名称を併記するという指導になったようなのだ。なかなか大変なことである。

まあ、この背景には伝統的日本語より横文字の方がなんとなくファッショナブルな感じがするという幻想がある。

「輸入品」 だと中国製の安物だが、「インポート物」 だとイタリア製の高級品みたいなイメージがある。「長靴」 だと調理場のゴム長だが、「ブーツ」 だとオシャレな靴になる。そんなようなことで、「タヌキ」 よりは 「ラクーン」 の方が歓迎されそうだったのだが、やっぱり 「タヌキはタヌキ」 で落ち着いたようなのである。

キツネは 「フォックス」 という単語があるが、タヌキに正確に相当する英単語が存在しなかったのが、致命傷だった。

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2007/11/22

「お友達と同じ服が欲しいの」 という女性

洋服の売り場とかブティックに、「お友達の着てるのをみて、あんまり素敵だから同じものが欲しくて」 と、品番指定で買いに来る女性というのが少なからずいる。

中には、わざわざ自分でアパレル・メーカーに在庫確認の電話をしてくる女性までいる。それはそれは、大した執念なのである。

私は、そんなことは夢にも思わないが、世の中には 「お友達と同じ服が欲しい」 と、本気で思ってしまう女性というのが、少なくないようなのである。

そういう女性は、「まぁ、その服、素敵! どこで買ったの? いくらしたの?」 と聞きまくり、果ては、洋服の裏側に縫い込まれたケアラベルまで点検して、メーカーと品番まで手帳に控えてしまうようなのだ。

これって、私には本当に信じられない行為なのだ。その理由を以下に挙げてみよう。

  1. まず第一に、友達と同じ服を着るということを、ちょっと恥ずかしいと思わないのだろうか?
  2. さらに、友達には似合っても、自分には似合わないということもあるということを、想定しないのだろうか?
  3. そしてまた、自分は友達と同じ服を着ることに抵抗がなくても、その友達の方が、同じ服を着られることに抵抗があるかもしれないということを、想定しないのだろうか?

一番問題なのは、友達というのが、「知人に同じ服を着られることに抵抗があるけれど、頼まれたら断り切れない性格」 だったりする場合である。

「まぁ、その服、素敵ね!」 と言われるのは、何の問題もない。しかし、同じ服を買うためにケアラベルに印字された品番まで控えさせてと頼まれたら、心中おだやかではないだろう。放っておいたら、自分と同じ服を着て、嬉々として街を行く女性が、身近に存在するということになってしまう。それって、普通、やだよね。

定番的なブレザーとかセーターとかなら、まだ抵抗はないが、そんな品物ならわざわざ品番まで聞かなくても、普通に探せばすぐに見つかる。ちょっと変わったデザインだから、問題なのである。

だから、本当はどこで買ったかとか、ましてやメーカーや品番なんてことまでは教えたくないのだが、そんなことを言い出す女性というのは、基本的に図々しいから、断ったらどんなしっぺ返しがあるかしれない。

聞かれた方は、実はいやいやながらだが、表面上は喜んで、品番をメモさせてあげ、買った店まで教えてあげる。そして次の瞬間、店、果てはメーカーの在庫まで切れてしまっていることを、密かに、しかし強烈に祈るだろう。

そして幸か不幸か、同じ服の在庫があり、友人が嬉々としてそれを買い求め、その日のうちから、それを着て外出するようになってしまったら、悲劇である。いやいやながら教えてあげた女性は、先に買ったお気に入りの洋服を、もはや身につける気がしなくなってしまうだろう。気の毒に。

というわけで、私は 「お友達と同じ服が欲しくて」 なんてノー天気なことを言い出すタイプの女性とは、あまりお近づきになりたくないと思う。こうした類の女性にとって大事なのは 「自分の都合」 だけで、「相手の都合」 なんてことは、どうでもいいようなのである。

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2007/10/04

ビニールも塩ビもビニールのうち

シャネルの 「ネイキッド・バッグ」 なるものが、一部で熱烈に話題になっている。なんでもテロ対策で最近とみに厳しくなった空港の手荷物検査に対応し、中身が見えるスケスケのビニール素材にしたんだそうだ。

素材はビニールとはいえ、値段はシャネルらしく、12万円というのが笑える。

「テロ対策で厳しくなった空港の手荷物検査云々」 というのは、当然にも、取って付けたようなジョークのようなものなんだろうなあ。だって、それだったら、飛行機に乗るわけでもないのに、その辺にお出かけするときに持つ意味がないから。

要するに、単に 「見せたがり」 なのである。おへそだろうが、ブラのひもだろうが、胸の谷間だろうが、バッグの中身だろうが、「見たきゃ、見れば?」 ってなものである。で、意識して見せているくせに、露骨に見られると不愉快そうに睨み返す。

このあたりが、今をときめく 「女王様メンタリティ」 における基本の基本である。

ネットの世界での反応をみると、「だって、それって、要するにビニール・バッグでしょ?」 という疑問というか、冷笑というか、そんなトーンが多い。確かに、海水浴に持っていく 500~600円ぐらいのビニール・バッグと比べたら、そりゃあちょっとは細部に金をかけて、オシャレな作りになってるんだろうが、それにしても、12万円とはね。

で、この 「要するにビニール・バッグでしょ?」 という反応だが、私としては、同じことをあのルイ・ヴィトンのバッグにも言ってみたい気がするのである。だって、あれって、要するに 「塩ビ」 でしょ。

塩ビ、塩化ビニール、PVC、ポリ塩化ビニル …… どう言い換えようと、塩ビは塩ビ。どんなものかは、Wikipedia でどうぞ (参照)。「スモモもモモも桃のうち」 というが、塩ビもビニールもビニールのうちである。(組成的には別物だけどね)

塩ビのバッグが 30万円とか 40万円とかするなら、ビニール・バッグが 12万円でも、まんざらおかしくないかもしれない。でも、実際に市場で売れているのは、せいぜい 5000円ぐらいの安物コピーらしい。「安物」 とはいえ、利益率から言ってもかなりおいしいと思うけど。

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2007/09/12

「見た目」 と 「安全」

ちょっと古いニュースだが、今年の春に東京都が 「子ども用衣類の安全確保について」 という報告書をまとめている (参照)。

報告によると、フードやひもが遊具に引っかかって首つり状態になるなどのケースが少なからずあり、安全対策が求められているのだが、実際にはなかなか難しい問題だ。

業界に対しても安全基準の策定などが求められているわけだが、子供服業界ではフードやひも (ドローストリングス) などがデザインポイントになっていることもあって、「あんまり杓子定規にやると、デザインが制約される」 という反発の声も上がっている。

私はこの問題で、昔の 「白すぎる食品」 の問題を思い出した。

あれって、いつ頃のことだったのだろう。白すぎるパンやうどんやかまぼこが問題になったことがあった。要するに、小麦粉や魚肉を漂白して真っ白にしていたのだが、健康への影響を考えたら、漂白なんてしない方がいいんじゃないかという声が上がったのだ。

ところが、当時の食品業界の反応は、「消費者は真っ白な食物を求めている」 「白くないと売れない」 という声が圧倒的主流だった。今では信じられないような話だが。

私なんぞは、「あんまり白い食い物は、かえって気持ちが悪い」 と思っていて、わざわざ 「漂白剤不使用」 という表示のある、自然な色のものを選んで買ったりしていたので、「食品業界って、なんてアホなことを言ってるんだ?」 と呆れていた。

結論から言うと、その頃から徐々に食品添加物への関心が高まって、余計なものは入れない方がいいということになり、今ではスーパーの売り場を見ても、パンもうどんもかまぼこも、自然な色の食品が増えている。

要するに、消費者がちょっとだけ利口になったのだ。子供服だって、同じような道をたどるだろうと、私は案外楽観的に考えている。

今では、必要もないフードやドローストリングスでコチャコチャ飾ったデザインが人気だが、なまじそんなものが付いているせいで、滑り台に引っかかって首が絞まったり、テーブルの脚に引っかかって、ガラガラドッシーンになったりすることがあるとわかれば、フツーの考えの親なら自然に避けるようになる。

「可愛らしいデザインでなきゃ、売れないんだもの」 と言っている業界も、「やっぱり、安全の方が大事だよね」 という消費者が増えてくれば、そうしたニーズに応えざるを得ない。そもそも、「可愛らしいって何か」 というコンセプトだって、その時々でずいぶん変わるのだ。

要するに、消費者が利口になりさえすればいいのだ。中国製の危ない薬や食品や衣料だって、怪しげな謳い文句や安さに目がくらんだ消費者にも、責任がないとは言えないのだから。

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2007/09/11

オジサンの半袖シャツ、袖口が広すぎ

私は 「クールビズ」 なんていう言葉が出てくるずっと前から、夏はジャケットとネクタイを着用しないことに決めてきた。

ネクタイは一年中しないし、6月中旬から 10月に入るまでの約 3ヵ月半は、ポロシャツ 1枚で通す。汗をかいても、布帛 (織物) のシャツより、「べったり感」 がなく、快適だ。

それに、ポロシャツというのは半袖の袖口が広くないので、周りに迷惑をかけない。それにしても、オジサンたちが好んで着用する布帛の半袖シャツというのは、どうしてあんなに袖口が広いんだろう。

あの類の半袖シャツの袖は、腕が 2本通るぐらいの広さである。そして、無闇にきちんとプレスしてあるので、袖口がぴんぴんと両側に広がっている。

あの半袖シャツを着たオジサンに、電車の座席で隣に座られると、こちらはかなり迷惑なのである。私は背が高いので、自然 (もしかして自然以上に) 座高も高い。だから、こちらの半袖でむき出しになった二の腕の中間あたりに、隣のオジサンの半袖の袖口が当たる。

何しろ、あの広すぎる上に、プレスが利いてピンピンに張った袖口である。相手がじっとしていてくれればまだいいのだが、新聞や雑誌を読んで、ページをめくろうとすると、当然腕も動くので、半袖の袖口の先っちょで、私の二の腕を絶妙にコチョコチョとくすぐる。

これは、とてもくすぐったいのである。イライラするほどくすぐったいのだ。本当にやめてもらいたい。オジサン、頼むから、そのピンピンに張り出した半袖の袖口を、輪ゴムか何かで縛っておいてくれ。

しかしオジサン、まさか自分の半袖の袖口でこちらの二の腕をくすぐるなんていう変態的行為を働いているとは気づかないものだから、全然平気である。こちらがいくら迷惑そうに腕を動かしても、もぞもぞしても、一切動じない。これって、あまりにもデリカシーなさすぎじゃないか。

日本中のシャツメーカーにお願いしたい。あの外側にピンピンと張った広すぎる袖口の半袖シャツは、何とかして欲しい。迷惑以前に、デザインだってダサダサでおかしいぞ。

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2007/08/06

偽カシミヤセーターのお話

カシミヤ製品の虚偽表示が問題になっている。またしても、中国製である (参照)。

近頃、ずいぶん安い値段のカシミヤ・セーターが出回っているなあとは思っていた。しかし、よく考えれば、1万円以下でカシミヤ 100%のセーターができるわけない。それは、自ら 「偽者です」 と公言しているようなものだ。

「いくらなんでも、安すぎ。虚偽表示に決まってるじゃないか」 というと、「いや、あれは、カシミヤはカシミヤでも、紡績の際に床に落ちた、カシミヤのクズ繊維を使っているので、カシミヤであることには間違いないんだ」 なんて言い訳をする人もいた。

馬鹿を言っちゃいけない。「クズ繊維を使ったカシミヤ 100%糸」 なんてものは、矛盾なのである。それ自体、 「真っ赤なウソ」 と公言しているようなものだ。

床に落ちるようなクズ繊維ということは、「紡績にかからなかった」 ということだ。繊維長が短すぎて、いくら縒り合わせても糸になりようがないということである。つまり、「クズ繊維」 は、合繊などと混紡しないとまともな糸にならない。要するに、値段のものすごく安いカシミヤ 100% の商品なんて、あり得ないということだ。

毛製品検査協会に提出されたものは、特別に作った検査用のサンプルだったらしい。なかなかやるもんだ。こうなったら、中国製の製品は抜き打ち検査をするしかない。

そもそも、安いセーターを買いたかったら、初めからカシミヤ 100%なんていう選択肢はないと割り切らなければならない。あり得ない商品を信じて仕入れてしまったというのは、ちょっと問題だと思う。

詐欺にひっかかるメンタリティには、「うますぎる話にまんまと乗っかる」 という共通点がある。「うますぎる話」 なんてないんだといくら言われても、乗っちゃう人は乗っちゃうのである。

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2007/07/23

東京ガールズコレクションを巡る冒険

一昨日のエントリー、「ファッションとウェブのお話」 の、はてな版 (ココログのリザーブに位置づけてる) が、kumi, the Partygirl のはてぶに載っけてもらえてるのに気付いた。

「東京ガールズコレクションは携帯やPCと連動してるよ」 と、彼女はコメントしてくれている。もっともな指摘だ。

東京ガールズコレクションというのは、とても頭のいい人の考えた企画だと思う。従来のファッション常識からしたら、こう言っちゃ悪いけど、B級のそしりを免れないコンセプトを堂々と表面に押し出して、 ちょっと別の次元で成功しちゃってる。

モデルだって、身長 175センチなんか全然必要ない。だって、フツーの女の子が買う服なんだもの。ショーのために市場には出さない服を特別にデザインするなんて、手間と金ばかりかかる手法は採用しない。だって、売れなきゃしょうがないんだもの。

そして、ターゲットとなるのは、徹底的に日本独特な 「若い女の子」 という市場だ。彼女らをメインターゲットとして、ステージでショーをしてみせるなんてのは、欧米の発想ではちょっとマイナーすぎる。だが、おっとどっこい、日本では最もメジャーなファッション・マーケットなのだ。

だから、東京コレクションは、多少なりとも、あるいは建前だけでも、インターナショナルな市場を志向しているけれど、東京ガールズコレクションは、あっけらかんとドメスティックだ。その独特のドメスティックさゆえに、アジア地域では親和性があって、北京でも開催されたりしているのだが。

東京ガールズコレクションというのは、頭のいい人の企画と書いたが、どんな点がそうなのかというと、徹底して 「雑誌的」 なのである。若い女の子向けのファッション雑誌の雰囲気を、ステージ上に、ウェブ上に移植しているのだ。

雑誌の手法なら、こうした企画の関係者は、すっかり手慣れている。お手の物なのだ。余計な背伸びをしないですむ。で、すっかり自分たちの土俵上で勝負していて、余計なところに手出ししない。だから、破綻しない。

本当に、頭のいいマーケッターの考えたことである。なかなかのものである。

と、ここまでさんざん褒めておいて、なんなのだが、私としては、個人的にこれ以上のシンパシーを表明するのが、とても気恥ずかしい。

というのは、どうせドメスティックなビジネスなんだから、どうでもいいようなことなのだが、「東京ガールズコレクション」 (Tokyo Girls Collection) というネーミングは、ちょっとね、ということなのだ。

どういうことかというと、先月の "「ヤンキー」 が、好きラー!?" というエントリーで、レッドソックスの岡島は 「ヤンキース・キラー」 じゃなく、正しくは 「ヤンキー・キラー」 なのだと書いたのと同様のことなのだね。(英語では名詞を形容詞的に用いるときは単数形になる)

つまり、「東京ガールズコレクション」 (Tokyo Girls Collection) じゃなく、「東京ガールコレクション」 (Tokyo Girl Collection) と言ってもらいたかったのだよ。「ジーンズ・ショップ」 というのも、本当は "jean shop" なんだしさ。

本当に本当に、どうでもいいことだけど、ここにこだわらなかったら、tak-shonai というブロガーの存在意義は、ほとんどなくなっちゃうじゃないか。

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2007/07/21

ファッションとウェブのお話

昨年の 5月 12日 「ファッションとウェブは、水と油」 というエントリーを書いた。要するに、ファッションはビジュアルの世界で、ウェブはテキストの世界だと書いたのである。

で、このほど RinRin王国 経由で、「アパレル業界が web に手を出さない理由」 という興味深い記事を見つけた。

この記事は、東京コレクションに参加しているデザイナー・ブランドを中心にして、彼らのウェブサイトがどんなものかを紹介している。

で、まず、驚くべきことに、52のデザイナー・ハウスのうち、公式ウェブサイトがみつかったのは、32しかない。たったの 61.5%。東京コレクションに参加するデザイナーのうち、3人に 1人以上は、ウェブサイトを持たないのである。

ほぼ、3人に 2人がウェブサイトを持っているんだから、そんなに驚くほどのことじゃないといえるかもしれないが、やっぱり、ちょっと変なんである。どんなに変なのかというと、上記の記事から、デザイナー達のウェブサイトに飛んでみればわかる。

はっきりいって、ほとんどのデザイナーのサイトは、極端にというか、異常に使い勝手が悪い。で、不思議なことに、その作りはとてもよく似ていて、非常に共通した使い勝手の悪さが際立っている。デザイナー・ハウス御用達みたいな感じの、同じ制作会社が作ってるんだろうと創造してしまうほどだ。

多くのトップページは、真っ暗闇の中でなにやらもぞもぞとフラッシュが動いて、ブランドロゴがようやく浮き上がってきたり、動いたりひっくり返ったり、消えたり現われたり、シンボルマークがくるくる廻ったりするだけで、ほとんど意味のない時間を取られてしまう。

で、フラッシュが動き終わっても、きちんとしたメニューが表示されないということが多い。何とか見当を付けてあちこちクリックしてみても、さらに画像 (多くはコレクションのビデオか静止写真) がフラッシュでゆっくりと現われては消えるだけで、とにかく時間がかかる。「さっと見せてくれよ、さっと!」 と言いたくなる。

とにかく、これらのウェブサイトは、「他のサイトになんか目もくれず、じっくりと時間をかけて付き合ってくれる人」 だけを想定して作り込んでいるもののようなのだ。実際には、よっぽどのファン以外は (多分、10人中 7~8人は)、すぐに焦れてウィンドウを閉じてしまうだろう。

はっきり言って、ウェブの世界で常識とされる 「見やすい構成」 とか 「わかりやすい表示」 とか、「ユーザー視線に沿ったインターフェイス」 なんてことは、ことごとく無視されている。ということは、ファッションの世界に馴染んでいない人にとっては、かなり 「異様なサイト」 ということになる。

まあ、あちこちクリックすればなんとか画面が変わるなら、まだいい。中には、トップページのフラッシュが終わると、それだけで他には何のコンテンツもない (もしかしたら、あるのかもしれないが、どうしたら表示されるのか見当もつかない) というサイトもある。一体、何のためにドメイン取得したんだ?

で、私はまた、したり顔に言いたくなってしまうのだ。「ほぉら、だから 1年以上も前に言ったでしょ。『ファッションとウェブは、水と油』 だって」 と。ほんと、そうなんだから。

「アパレル業界が web に手を出さない理由」 という記事では、デザイナーがウェブサイトに関心を示さない理由は、「単純に web にかけられるお金がない」 「ブランドコンセプトであえてweb に力を注いでいない」 「大衆的なイメージをもたれたくない」 という 3点ではないかと言っている。

デザイナーの多くが、金銭的にはそれほど潤沢じゃないことは確かだ。バブル以前なら、いろいろなスポンサーが付いて、どんどん資金を提供してくれたものだが、そんな 「古き良き時代」 はとっくに過ぎ去った。しかし、それでも、デザイナー達は、コレクション (いわゆる 「ファッション・ショー」 ね) には、かなりの金をかけるのである。

ファッション雑誌の片隅に写真で紹介されるために、少なくとも数人のモデルをフィーチャーし、会場、ディレクション、音楽、設備、メイキャップ、ヘアメイク等々に、惜しげもなく投資するのだ。そんな投資に比較したら、今どき、気の利いたウェブサイトを作るぐらいは、お小遣い程度の金額でできる。

でも、それはしない。だったら、やっぱり 「ブランドコンセプトであえてweb に力を注いでいない」 とか、「大衆的なイメージをもたれたくない」 ということなのだろうか。

まあ、この世の中には、ファイブフォックスのように、リクルートサイトしか持たないという大企業もあるぐらいだから、そうであっても不思議じゃないが、中小ブランドなら、ウェブで訴求しても、損はないだろう。

それに、大衆的なイメージを嫌ったようなそぶりを見せても、日本のデザイナー・ブランドの多くは、それほどエスタブリッシュメントに向けたファッションであるというわけでもないし。

というわけで、私はやっぱり、ファッション (とくに、東京コレクション系のデザイナー・ブランド) とウェブは、「馬が合わない」 のだと思っている。親和性に欠けているのだ。

多分、デザイナー側はウェブ制作会社に、ロゴと画像をどっさり渡して、それで素材は提供したものと思っているのだろう。ところが、そこには 「テキスト」 が欠けているのだ。だから、制作会社としては、フラッシュで絵を動かすぐらいしか、できることがない。

雑誌なら、ライターという存在もいるし、また、端から順にページをめくらせさえすれば、何とか伝わるものがある。しかし、ウェブはそう単純じゃない。ファッション・デザイナー達は、ウェブ上で自分を表現するという手法を、ほとんど身につけていないように見える。

多分、服作りのように、みっちりと集中して作り込むということは得意なんだろうが、キャッチボールのように言葉をやりとりするインタラクティブな表現というのは、苦手なんだろう。

ウェブ技術が進化して、ファッションの感性を、ストレスを感じさせることなく表現することが可能になったら、「ファッションとウェブは水と油」 というのは 「過去のお話」 ということになるのかもしれないが。

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2006/08/18

「かりゆしウェア」 がうらやましい

「クールビズ」 なんてことが言われ始める 20年も前から、ずっと自主的にクールビズなので、何を今さらという気もするが、沖縄で 「かりゆしウェア」 を 1着、衝動買いした。

これはアロハシャツの沖縄バージョンみたいなもので、沖縄ではこれさえ着ていれば、どんな公式の場でも、文句は言われない。

クールビズがスタートしたばかりの頃、確か、小泉首相も着ていたような気がするが、今ではあまりセンスの良くない長袖ワイシャツにノーネクタイというスタイルに落ち着いてしまったようだ。

沖縄では、本当に誰でもかりゆしウェアを着ている。官公庁だろうが、会社だろうが、サービス業だろうが、立派なビジネスウェアとして完全に認知されている。ホテルのフロントのお兄さんも、かりゆしだった。

内地では、ホテルのフロントがノーネクタイというのは、あまり考えられないが、沖縄では、そんなことでどうこういうような無粋な人間は、皆無である。

確かに、沖縄の夏にネクタイをしてジャケットを着ていたら、死んでしまう。からっとしていて、日陰に入れば、蒸し暑くてたまらないということはないのだが、日の当たる外を歩いたら、それはもう大変で、汗が吹き出すだけでは済まない。頭がくらくらする。

沖縄でも、かりゆしウェアの普及にはかなりの時間を要したようだが、平成 11年から県議会議場内での着用が容認されたことが決定的な契機となったようで、今ではすっかり定着している。

沖縄のかりゆしウェアは、けっこう派手な色柄のものが多くて、まあ、確かに沖縄の風土だからこそ、あれが似合うのかもしれず、内地で着たらちょっと浮き上がってしまうだろう。しかし、ちょっと地味目の色柄なら、十分通用すると思う。

私の衝動買いしたのも、写真のように藍染めっぽい色で、地味な小柄である。これなら、東京でも全然違和感がないだろう。

しかし、実はこれは 「フェイクかりゆし」 なのであった。本物の 「かりゆしウェア」 は沖縄県工業連合会の登録商標で、このブランドを使用するには、以下の条件に適合しなければならない。

  1. 沖縄県内で縫製されたもの (布地は県外で生産されたものでも良い)
  2. 沖縄観光をピーアールする柄のもの

私の買ったのは、"Made in India" で、柄がかろうじて沖縄絣調であるというにすぎない。要するに 「かりゆしもどき」 である。道理で安いと思った。

だが、内地で着るには、このくらいの 「もどき」 の方がいいかもしれない。どうしても本物にこだわりたい場合は、ミンサー柄がシックでいいだろう。ミンサーというのは、帯などに使われる細幅の織物である。これがなかなかいい。

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2006/06/23

葬式に着る服は面倒くさい

アパレル・メーカーには、消費者からのクレームや問い合わせの電話が、案外頻繁にかかってくる。某月某日、あるメーカーに、こんな電話がかかってきた。

「おタクのレースのジャケット付きのスリーピースのブラック・フォーマル・スーツ、買ったんだけど、葬式に着てって大丈夫かしら?」

品番を聞いて照合すると、黒の半袖ブラウスに黒のスカート、その上に、黒の総レースのジャケットというデザインだ。その消費者は、お店で 「結婚式にも、葬式にも着ていけます」 と言われて買ったのだが、いざ、葬式の前日になって、「総レースのジャケットは、ちょっと派手過ぎないか」 と、不安になったらしい。

問い合わせを受けたアパレル・メーカーの担当者は、自信満々答えた。「大丈夫です。葬式にでも着て行けます。黒のレース使いは、元々そういうものです。むしろ、葬式の場には、それこそが正式な着こなしなんです」

うぅむ、立派な教科書通りの回答だ。文句なしである。ただ、教科書通りということなら、これでいいのだけれど、私はそれを聞いて、少しだけ取り越し苦労をしてしまったのである。

というのは、葬式に集まる一族郎党の中には、決まって口うるさいバアサンがいるものなのである。そして、そうしたバアサンに限って、ファッションの教科書なんて知ったこっちゃないのだ。

「まあ、あそこんちのヨメは、葬式にあんな派手なレースの服なんか着てきちゃって!」 と言い出すに決まっているのである。「半袖ブラウスの上にレースの服なんか着たら、腕が透けて見えちゃってるじゃないの!」

その日一日で済めばいいが、何年経ってもくどくどと同じことを言われるのである。たかが、レースの服で葬式に出たというだけで。

もし、そんな雑音をシャットアウトできるだけの自信と威厳を持って、堂々と着こなしていけるなら、何の問題もない。しかし、わざわざメーカーに電話をかけて聞いて来るという自信のなさで、そんな格好をしていったら、いびりのネタになりかねない。

ファッションによっぽどのポリシーがあるのでなかったら、葬式に着ていく服なんていうのは、思いっきり当たり前の地味なブラック・スーツにしておくのが、一番間違いないのである。

電話をかけてきた消費者は、店員のセールス・トークに、まんまと乗せられてしまっただけとしか思われない。

その葬式に集まる一族郎党に、意地悪で口うるさいオバサンがいないことを祈るのみである。

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2006/06/15

「スパンコール」 は日本語

ドレスのスパンコールがピラピラ~っと飛んで、おへそが見えてしまうというジンジャーエールの TVCM が受けているらしい(参照)。

スパンコールだけでできたドレスなんて、初めて見たというツッコミはおいといて、「スパンコール」 という言葉は実は日本語で、英語圏では絶対に通じないという話をしよう。

スパンコールは、英語では "sequin" (普通は、複数形で "sequins") という。発音は、「スィークウィン」 という感じに近い。それで、いわゆる 「スパンコール・ドレス」 のことは、"sequined dress" という。

私は長い間、どうして "sequins" のことを日本では 「スパンコール」 なんて言うようになったのか、ずっと疑問だった。ところが、昨日ググってみたら、あっけなくわかってしまったのである。

「スパンコール」 は、英語の "spangle" の訛りだというのである (参照)。"Spangle" を Goo 辞書の英和辞典で引いてみると、「スパングル, スパンコール (舞台衣装などにつける光る飾り); ぴかぴか光る小片 (星・雲母・霜など)」 と出てくる。

へぇ、「スパンコール」 を英語で "spangle" ともいうなんてことは、初めて知った。しかし、私としては、実際の会話や文書で、スパンコールの意味で  "spangle" という単語が使われるのは、見たことも聞いたこともないぞ。

普通は、"sequins" だろうよ。これは、永らく繊維・ファッション関係のニュースを横文字にしたり日本語にしたりしてメシを食ってきた私のいうことだから、信用してもらっていい。

試しに、Google で検索してみると、"sequined dress" では約 51,600 件ヒットしたが、"spangled dress" では、わずか 514件と、1%以下だった。"Sequined dress" の圧倒的優勢勝ちである。ほうらね。

しかも、"spangled dress" でヒットした中には、日本発の 「ドラゴンクエスト」 関連のページが 100件以上紛れ込んでいて、「スパンコールドレス: Supanko-rudoresu (Spangled Dress)」 とか、「Shimmering Dress = Spangled Dress」 (光るドレス = スパングル・ドレス) とかいう、英語的にはちょっと怪しいのが多い。

よくわからんが、Supanko-rudoresu (Spangled Dress) というのは、3000 トークンで手にはいるらしい。

また、"star-spangle dress" というアイテムも多くて、それは、どうやら星の形をした飾りをチョコチョコと縫いつけた子供服のようなのだ。いわゆる 「スパンコール・ドレス」 からはほど遠いのである。

そんなこんなで、やっぱり、「スパンコール・ドレス」 は "sequined dress" とする方が無難のようだ。

そうなると、"spangle" が 「スパンコール」 の語源であるとする説も、アクセントの位置も全然違うし。本当かなあという気がする。でも、まあ、ほかに根拠となりそうな材料もないので、必要以上のツッコミは自粛しておこう。

とは言いながら、まるで 「ワイシャツ」 が "white shirt" から来たと言われて、なんだか、うまく煙に巻かれたような気がするのと似た感覚である。だって、あれ、普通は "dress shirt" であって、"white shirt" なんて言わんもんね。

ちなみに 「ぐっすり」 という日本語が、英語の "good sleep" からきたという説が、巷の一部でとても有力なのだが、これは、はっきり 「ガセビア」 である。すでに、トリビアで沼に沈められてもいるようだ。詳細は こちら

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2006/06/02

クールビズは、ネクタイから解放されるための錦の御旗

クールビズが 2年目に突入した。今年の市場規模は約 1500億円 (昨年比 6割増) という予測もあるが、本当の目的である省エネや CO2 削減は、あまり進んでいないようなのだ。

昨年も指摘した (参照) のだが、クールビズは、「ネクタイから解放されるための錦の御旗」 としてしか機能していないのだと思う。

百貨店などでは昨年、クールビズは商売になっても、ウォームビズは、鳴かず飛ばずだった。当たり前である。またしてもうっとうしいネクタイに逆戻りするウォームビズなんて、何の魅力もないのである。

日本の男は、毎年夏になると、「女はいいなあ」 と思ってきた。「半袖で会社に来ても怒られないんだから」 と。オジサンたちは、背広にネクタイ姿で炎天下を歩かなければならない身の不運を嘆いてきたのだ。

ところが、昨年になって急に、夏になったらノーネクタイで会社に出ろと、お上が認めたのである。何と素晴らしい善政ではないか。やれうれしや、これで、暑苦しい姿から解放される。

というわけで、日本のオジサンたちの多くは、夏にはネクタイをしなくてもよくなって、あまり表には出さないが、内心では大喜びしたのである。

しかし、根が暑がりなのは相変わらずだから、会社の冷房の設定温度を上げることまでは、忘れたふりをした。その辺は、ちょっとズルイのである。

だから、「クールビズが成功」 というのは、ファッション業界だけの話で、省エネだのいう話とはまったく無縁のことなのだ。あまり誇れるようなことではないのである。

ちなみに、昨年は大打撃を蒙ったネクタイ業界だが、今年はメッシュなどの軽い素材、はたまた、シャツの第一ボタンにくっつけるだけの姑息なタイプなど、かなりいろいろな商品開発をしていて、少しは売れ行きが回復しているらしい。

まあ、いろいろな商品を売っちゃえばいいのである。ほとんどの人は、試しに買ってはみても、実際には着用しないだろう。だって、ノータイの方がずっと快適なのは、身体にしみこんでしまったのだから。それでいいのである。

アイデア商品の 「クールビズ・ネクタイ」 は、ワンシーズンに、1度か 2度の着用のためだけに売れればいいのである。それでも、売上げは売上げだから、業界はハッピーになる。資源の無駄といえば、確かに無駄だが。

私個人でいえば、サラリーマン時代から 10年以上も、自主的にクールビズしていた。もちろん、冬になってもネクタイなんかしなかった。それでも、別になんの苦情も出なかったから、それでいいのである。

参考

クールビズの背景 : ネクタイ好きは出世好き、ネクタイ嫌いは現場好き

クールビズ その2 : 「相手がある」 ことを妙に気にする日本の営業マン

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2006/05/12

ファッションとウェブは、水と油

ululun さんBBS で、ウェブ化・ネット化されていない業界の代表格として、ファッション業界を挙げる記事を紹介してくれた。

「ファッション」 は、「医療」 「政治」 「宗教」 をしのいで、その筆頭に挙げられている。「されていない」 とは言い過ぎだと思うが、確かにその度合いはものすごく低い。

私のビジネス上のバックグラウンドは繊維・ファッション業界なので、この問題については、いつも意識せざるを得ない。本当に、ファッション業界というのは、ウェブとの親和性がものすごく低いのである。

上記の記事は、ファッション関連の媒体が雑誌に片寄っていて、ファッション雑誌は腐るほどあるのに、ファッション・ウェブが極端に少ないということを言っている。確かにその通りである。

これに関して、ululun さんは、ファイブフォックス (あの 「コムサ」 の会社) が自社のホームページすらもっていないことに 「興味がある」 とおっしゃっている。

ファッション雑誌に相当するファッション・ウェブが少ないことと、ファッション企業があまりウェブの世界に積極的に関わっていないということは、多少別の問題だが、根っこの部分は共通していると思う。

それを語るキーワードは 「テキスト」 だろうと思う。今回は、「ファッション人間におけるテキスト感覚の欠如」 という仮説を語ってみたい。

ファッション人間の代表格、デザイナーにインタビューを試みると、彼ら/彼女らの多くは、自分を表現する 「テキスト」 を持ち合わせていないことがわかる。「作品を見てもらえばわかる」 というのが、その常套的なコメントである。

確かに、ファッション・デザイナーなのだから、第一義のメディアが 「作品」 であるというのは当然だが、それらはあくまでも 「商業デザン」 なのだから、「テキスト」 でフォローする方法論がないのは寂しい。

欧米のデザイナーの多くは、このあたり、かなり意識していて、自分のデザイン・コンセプトを言葉として (つまり 「テキスト」 として) 説明するのは、当然の義務と思っているようだ。しかし、多くの日本人デザイナーは、そのことにほとんど無頓着である。

このことを前提とし、翻って、ウェブの現状をみてみよう。誤解を恐れずに言えば、ウェブは ("Web 2.0" はどうだかしらないが)、ほとんど 「テキストの世界」 なのである。検索エンジンの要は、「キーワード」 であり、それは画像検索においてすら例外ではない。

ありていに言って、現状のウェブの世界は、ファッション人間にとって、とても違和感があり、入りにくい世界なのだろう。「見てもらえばわかる」 が通じないのだから。「見てもらう」 までには、否応なくテキストの世界をくぐり抜けなければならない。

ウェブの世界に居心地よく定住するには、そのコンセプトをキーワードに置き換えなければならないのだが、彼ら/彼女らは 「テキスト感覚」 が欠如しているので、「ピタピタ」 とか 「テレンテレン」 とか、感覚的なオノマトペに頼るのがせいぜいのところだ。

それならいっそ、それでもいいのだが (ファッション雑誌なんか、それで押してきてる部分がある)、 それで開き直る技量もなかったりするので、テキストの世界を自由に泳ぐのは、荷が重すぎる。

それで、「ファッション」 における 「テキスト」 の構築という役割は、ファッション雑誌が果たしている。さまざまな 「キーワード」 「キャッチフレーズ」 を提案し、それに適合する商品を見繕ってきて、画像として紹介するのが、ファッション雑誌の役割だ。

ということは、ファッション人間は 「テキスト」 の世界においては、徹底的に 「受け身」 でしかない。自ら能動的に 「テキスト」 の切り口で表現するということに関しては、赤子同然である。

ファッション業界のウェブ・ページは、やたらと Flash が多い。ファッション企業のウェブサイト作成を請け負うと、トップページに重い Flash をもってくることを要求されたりする。

いくら、Flash は今どき流行らないと言っても、彼らは、テキスト表現が苦手なので、画像 (しかも押しつけの強い画像) をもってくるほかないのである。それで面目躍如だと思ったりしている。いきなりスキップされるなんて、よもや思っていない。

こうして、現実世界ではオタクはファッション人間にさげすまれる一方だが、ウェブの世界では、ファッション人間の方がオタクに呆れられる側にまわるのだ。両者は、それほど水と油の世界なのである。

このギャップを埋めるには、ファッション人間の感覚を 「テキスト」 にきちんと翻訳できる能力のある人間が、コーディネーターの役割をしっかりと務めなければならない。ファッション雑誌編集者には、この能力のある人材がいるだろうが、彼らが ウェブを作れるかといえば、それはまた別の問題だ。下手したら、二重の通訳が必要になる。

なお、当然ながらテキストで、さらにウェブででも自己表現のできる貴重なファッション人間も、決していないわけではないということを、最後に付け加えておく。

【平成 19年 7月 19日 追記】

アパレル業界がwebに手を出さない理由」 という興味深い記事を見つけた。東京コレクションに出ているデザイナーの中で、公式サイトを持っているデザイナーが少なく、あってもフラッシュばかりで、使い勝手が 「?」 なものが多いということがわかる。

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2006/04/27

ファッションは無駄の固まり

今年の 4月は、いかにもといった感じの新入社員が、5~6人も寄り集まって昼飯を食いにいく姿を、神田近辺でもよくみかける。

この何年も、中小企業の多い街で、新入社員がそんなに連れ立って歩く姿など、あまり見かけなかった。なるほど、少しは雇用環境が好転しつつあるのだと実感する。

彼らがいかにも新入社員とわかるのは、顔立ちがまだ青臭いからでもあるが、スーツ姿が、まだ全然こなれていないということもある。それが半年もしないうちに、どこから見ても 「サラリーマン」 になってしまうのだから、世間というものはおそろしい。

ところで、スーツのサイド・ポケットについているふた、いわゆる 「ポケット・フラップ」 は、外に出しておくべきなのか、それとも内に入れておくのが正しいのか。着こなしにかんする疑問の定番だが、正解をご存じだろうか。

ポケットの中の物を入れたり出したりすると、ポケット・フラップは、自然に内側に入ってしまう。そもそも、作り自体が内側に入ってしまっても全然おかしくないようにできている。

若かりし頃、初めてスーツを買ったときだったろうか、ポケットフラップは、初めから内側に入れておくのが正しいのだと、誰かに教わった。そのために、あのような面倒な作りなのだというのである。

それを聞いて私は、内側に隠しておくためのものに、わざわざ余計な工程を費やして値段を高くしているとは、紳士服というのは何とあほらしいものかと思った。江戸時代の羽織の裏地じゃあるまいし。

まず、あのラペル (折り返した襟) からして妙だ。これは、昔の軍人が詰め襟を楽に着こなすために折り返したのが始まりで、あの会社のバッジなんかが付けられる穴は、第一ボタンホールの名残なのだという。

コートを着ないで出た秋の夜など、急に強まった木枯らしに向かって帰り道を辿りながら、このラペルの折り返しを戻してボタンで留めることができたら、首廻りと胸元が覆われて、凍えるような風を少しは防げるのにと思ったことはないだろうか。

本来できていたこうした機能を切り捨てて、デザイン優先に走ってしまったのが、テーラード・ジャケットの今日の姿なのである。

ラペルの穴は、「フラワーホール」 などと称され、花を挿すためのものであって、決して会社のバッジを付けるためのものではないなどと、偉そうなことを言うファッション評論家もいる。しかし、それだってどうせ 「こじつけ」 だ。元々はボタン穴だったんだから、

袖口のボタンにしても、今ではほとんどが 「偽装」 デザインになっていて、実際にあのボタンを外して袖口を広げることのできるジャケットなんて、滅多に見当たらない。

メンズ・ファッションは、女のファッションに比べると機能的だといわれるが、よく見れば、テーラード・スーツ、とくにジャケットというのは、ほとんど無駄なデザインばかりで成り立っている。

ところで、ポケット・フラップを内に入れるか外に出すかは、「どっちでもいい」 が正解だそうだ。ただ、出すなら出す、入れるなら入れるで、両方を揃えさえすればいい。(参照 : 「のんびりとまったりと」  4月 14日付のリンクより)

なるほどね。改めてクローゼットの中の私のジャケットを確認したら、ほとんど右側だけが内に入っていた。右側のポケットの中身を入れたり出したりすることが多いからだろう。ああ、我ながら無神経なことである。

そもそも、サイドポケットは物を入れるためのものではないというのが定説なのだが、男のジャケットは女のハンドバッグ替わりなのだから、物を入れるなといっても、土台無理な話である。

試しに、安物の貸衣装のタキシードみたいに、サイドポケットを見せかけだけにして、物を入れられないようにしたジャケットを売り出してみるがいい。誰も買わないから。

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2006/02/03

「テトロン」 という名称のベタな由来

今日はトリビア・ネタ。「テトロン」 という繊維があるのをご存じだろう。これはポリエステル繊維の日本での商標の一つである。

衣料用の合成繊維として最もよく使われているのがポリエステルで、女性のドレスやブラウスなどは、シルクでなければ、あとはほとんどがポリエステルと言ってもいいぐらいだ。

ポリエステルを最初に工業生産したのは米国のデュポン社で、1953年から 「ダクロン」 の商標で展開している。日本では 1958年に、帝人と東レが共同で、ICI 社から技術導入し、「テトロン」 の商標で展開開始した。

察しのいい人なら、ここまで読んだだけで、「なーんだ、そうか!」 と思うだろう。「なんて、ベタなネーミングなんだ」 と。

そう、帝人と東レの合成繊維だから、「テトロン」 なのである。これ以上説明したら、野暮になってしまうので、はい、これでおしまい。

「テトロン」 があまりにもポピュラーになったので、日本の繊維業界では、ポリエステルの別名として 「テトロン」 を使うようになってしまった。ステープラーのことを 「ホッチキス」 というようなものである。

だから、日本の繊維業界では、「TC」 と言ったら、トラベラーズチェックではなく、ポリエステル/コットンの混紡を指す。「TC 65/35」 などと言ったら、ポリエステル 65%/コットン 35% の混紡素材である。

ただ、最近は 「テトロン」という名称は手垢が付きすぎてダサダサのイメージになってしまったため、当の帝人、東レでも、この商標を表に出したマーケティングはしたがらなくなってしまった。

米語では (イギリスではどう言うか知らないので、あえて米語という) 「ナイロン」 を複数形にして "nylons" というと、女性のストッキングのことである。パンストは、pantyhose という。これは、かなり英語に強い女性でも、案外知らなかったりする。

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2006/01/12

冬物は売れても、ウォームビズは不透明

読売新聞が 「ウォームビズ、寒波で不発、ネクタイ業界がっかり」 と、ちょっとわかりにくいストーリーを記事にしてくれている。

要するに、消費者は寒さのために厚着はしているものの、環境省が推進する 「暖房を抑えて省エネを」 という運動には結びつかず、冬物商戦も不透明ということらしい。

だから言ったでしょ。私は 11月 1日付の記事で、ウォームビズについて、「こんなもん、成功するだろうか」 と、疑問を呈し、今月 8日の記事でも、ちょっと皮肉を述べている。

環境省には、「この寒さでは暖房を我慢するのは無理」 との声が寄せられているというが、それもおかしな話である。ウォームビズの趣旨は、暖房の温度設定を上げすぎず、20度にしろということだ。それは、暖冬だろうが厳冬だろうが関わりないお話である。

本来関係ない外気温の低さを持ち出して、室内暖房の設定温度を金輪際下げたくないというのは、要するに、ウォームビズはやりたくないと言っているのと同じである。

クールビズは、ネクタイの束縛から解放されるという、とても明確な訴求ポイントがあった。いまさらネクタイに逆戻りするウォームビズなんて、あまりそそられない。つまり、そういうことだ。

百貨店などの冬物商戦も、昨年同期よりはずっといいが、ウォームビズのプロモーションによるというよりは、単に、寒さと景気回復のおかげである。三越本店の広報も、「売り場で 『クールビズにしたい』 と尋ねてきたお客様は多かったが、『ウォームビズにしたい』 という相談はほとんどない」 と言っているという。

つまり、昨年夏のクールビズのヒットは、省エネの謳い文句を隠れ蓑とか免罪符のように利用した 「ネクタイの呪縛からの逃亡」 にすぎなかったと解釈すれば、概ね納得がいく。男たちの積年の怨念の賜物なのだ。

その証拠に、ウォームビズで起死回生を狙ったネクタイ業界は、「結局、ネクタイの売上高にはほとんど影響なかった」 と明かしているというではないか。

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2006/01/04

男のファッションと 「私の中の乙女」

「煩悩即道場」 の ululun さんが、「男がファッションの事を (あまり) 考えたくない理由」 というエントリーを書いておられる。(参照

彼はその中で 「メンズファッションを否定する男性の中身は乙女である」 という大胆な推論を述べておられるのだが、これは、かなりの慧眼ではないかと思うのだ。

この、かなり直観的な、しかもメタファー要素たっぷりのレトリックに何事かと思う方も、彼の "所謂マニュアル本に書かれた 「こうすれば、こうなる」 を試しても自分の中の乙女が満足出来ないからと言って諦めてはいないだろうか" という言辞を吟味すれば、感じるところがあるかもしれない。

かくいう私も、最近妻から 「もう少し、着るものに気を遣ってもいいんじゃない」 と意見される日々である。「昔は、もう少しちゃんとした格好してたじゃないの」

そう。今や、ファッションに気を遣わないオジサンの典型 (?) と化した私も、昔はそれなりに、ファッション人間の端くれだったのだ。なにしろ、繊維関係の業界紙の記者として、アパレル関係を担当していたのだから、少なくとも知識だけは人後に落ちない。

1980年代前半からのほぼ 10年は、毎年の東京コレクションを最前列のプレス席で取材して、レポートを書いていたぐらいのものである。凄いだろ! カタカナのファッション用語なんて、その辺の今どきの女の子よりずっと詳しいのだ。

それに、コレクション会場に出入りしても、それなりに恥ずかしくないような格好はしていたのだ。今とはエライ違いだ。

年間にデザイナー・コレクションを何十本も取材していた頃は、見たばかりのショーを、頭の中でさながらビデオのごとく再生しながら、レポート記事を書けた。その脳内ビデオは、2日後ぐらいにはフェイドアウトして、要所要所しか残らないのだが、それでも、我ながら大したものだった。

その私が、妻 (彼女も元はファッション・デザイナーの端くれである) にもっとファッションに気を遣えと苦言を呈されるまでに零落してしまったのは、ululun さんのいうところの 「自分の中の乙女」 によるところが大きいのではないかと、忽然と気付いたのだ。

私はある意味、ファッションにはお腹一杯になってしまったのである。それに、ファッション業界でそれなりに 「我こそはファッション人間である」 みたいなことを言う男のほとんどが、実はチンケなオッサンにしか見えないことに、「私の中の乙女」 は絶望してしまっているのである。

「ファッションに気を遣いまくっているチンケなオッサン」 より、「ファッションに気を遣わないように見えるいっぱしのオッサン」 でいる方が、「私の中の乙女」 は安心していられるのである。これは、形を変えたナルシシズムかもしれないのだが。

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2005/11/01

ウォームビズの成否を占う

もう 11月。古い言い方では 「霜月」 で、いかにも寒そうだが、旧暦でいえばまだ 9月 (長月) 30日で、明日からようやく 10月 (神無月) になる。急に冷え込んできた気がするが、本格的な寒さは、まだまだ先だ。

今日は 11月 7日の立冬を前に、「ウォームビズ」 の成否を占ってみよう。

この夏、「クールビズ」 はヒットして、アパレル業界でも多少は潤ったようだが、これ、本来の 「省エネ」 を実現するためというよりは、別の要素が大きい気がする。それは、「クールビズ」 を大義名分に、男たちがネクタイの束縛から解放されたということだ。

それで、今度は 「ウォームビズ」 である。こんなもん、成功するだろうか。なにしろ、ネクタイ着用に逆戻りなのである。積極的な開放感がないではないか。いっそ、冬でもネクタイしなくてもいい提案にしてくれ。

何しろ、近頃の都会の冬は、それほど寒くない。それどころか、場合によっては 「暑い」 のである。朝夕の通勤ラッシュに乗り合わせてみるがいい。ただでさえ人いきれでむんむんしているのに、座席の下からは暖房の熱気がこれでもかというように迫ってくる。

窓ガラスは外気との温度差で曇り、満員の乗客は額と鼻の頭に玉の汗をかきながらふうふう言っているのが、都会の朝夕の通勤風景である。電車の中は、夏が寒いほどで、冬になると、逆に暑苦しくてたまらなくなるのだ。

こんな時に、「ウォームビズ」 なんかで、暖かい下着にウールのベストを着て、その上にコートなんか重ねてみるがいい。会社に着くまでに大汗かいて消耗してしまう。ただでさえ、オジさんたちは暑がりの汗っかきなのだ。

もしかして需要があるとすれば、レディスの 「ウォームビズ」 である。冬でも厚ぼったくならないために、保温性のある機能性肌着かなんかは売れるかもしれない。さらに夏のオフィスの過剰冷房対策に、年間通して需要があったりするかもしれないではないか。

「ウォームビズ」 が大ヒットするとしたら、石油価格という要因が考えられる。石油高騰で暖房コストが大幅に上がったりしたら、どこもかしこも暖房設定温度を下げる。そうなったら、オジさんもネーチャンも関わりなく、皆 「ウォームビズ」 に走るだろう。

ただ、これって、実は本末転倒である。本来は CO2 削減のために 「ウォームビズ」 を促進するはずだったのだが、結果的には、背に腹は代えられないということで、暖かい服を着ざるを得ないということになるかもしれないのだ。

でもまあ、それならそれで OK と言っておこう。通勤電車でサウナ状態を我慢しなくて済む方がありがたい。

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2005/08/01

街の洋品店は、本当はよく潰れてる

私は見たことがないのだが、「世界一受けたい授業」 というテレビ番組があるらしく、その番組で、今年の 5月頃 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』 の著者・山田真哉氏が、講師として登場したらしい。

その中で彼は、「街の洋品店はなぜ潰れないのか?」 という質問にも答えたという。

いつ見ても誰一人として客の入っていないような街の洋品店が潰れないのはなぜかという質問に、彼は、「彼らは地元の金持ち夫人を相手にしたダイレクトセールスで生計を立てているのです。つまりは外商ですね」 というような答え方をしていたらしい。(詳細は、こちらのブログ

つまり、彼らは街のお金持ちマダムを固定客としてがっちりと抱えていて、いわば 「ソフトな押しつけ販売」 をすることで商売を維持しているのである。そういえば、私の母なんかも、たいしてお金持ちというわけでもないのに、お友達のブティックのおばさんが持ってくる洋服を、言われるままに毎シーズン買っていた。

その代わり、そのブティックのおばさんも、うちの実家の商売物をしょっちゅう買っていたので、狭いサークル内でお金が行ったり来たりしているだけである。「そんなことなら、毎月の売った買ったの差額だけ、月末にどちらかが請求すればいいんじゃないの?」 と言ったことがある。多分、1万円以内の請求額で済むだろう。

しかし、すべての洋品店がそうして商売を維持しているわけではない。

これは、kumi, the Partygirl のブログのコメントにも書いたのだが、自分のブログでもきっちりと書かせて頂こう。

街の洋品店は、実はよく潰れる。本当によく潰れる。この方面に特化した資料は経済産業省にもないので、だれも正確にはわからないが、実感としては多分、毎年、全体の 2割以上の店が潰れている。私は以前、アパレル関係の団体に勤務していたので、その辺は詳しいのだ。

昭和 40年代のアパレル発展期に開店した街の洋品店のオーナーの多くは、既に 60歳を越え、70歳に近づいた。このあたりの店は今、バタバタと店を閉めている。ただでさえ物が売れない時代なのだから。息子や娘が後を継ぐというのは稀だ。

ところが、世の中には、頭は悪いけど、お金と暇だけは余ってるというオバサンがいくらでもいて、「あたくしも、ブティック経営なんか、してみたいわぁ」 というおばかな夢を持っていたりする。

アパレル団体に勤務してた時、「あたくし、子どもの手も離れたので、昔からの夢の、ブティックを開きたいんですけど、さしあたり、商品はどこから仕入れたらよろしいんですの?」 なんて、ノー天気な問合せ電話が、しょっちゅうあった。

普通の感覚なら、「どこから仕入れたらいいかも知らずに、よく商売始める気になるなぁ」 と思うところだが、何しろ、「ファッション」 のお話である。そんな生臭いことより、夢の方がずっと大切ということのようだ。

「あたくし、世の中の流行よりも、自分のセンスで、本当にいいと思ったお洋服だけを取りそろえて、自分の好きな人たちに売りたいと思ってるんですの」 なんてことを、いともあっさりと言う。「武士の商法」 も真っ青なのが、「ファッション・オバサンの商法」 だ。

こうした金持ちのオバサンの好きそうな一流ブランドは、昨日や今日オープンしたばかりの店になんか、絶対に品物を卸さない。だから、本当に気に入った商品を仕入れるには、自分の足で探し廻らなければならない。電話一本で済まそうなんて、了見違いも甚だしい。

こちらとしては、「失っても諦めのつくお金がどっさりあるのでなければ、止めときなさい」 というような意味の返事を、失礼のないように、遠回しに言うのだが、ほぼ 100%のケースで、こちらの真意は通じなかった。

というわけで、この市場の実体は、頭の悪い小金持ちのおばさんが次から次に参入して、次から次に挫折し、撤退していくのである。撤退しないまでも、赤字をこきながら見栄と体裁で続けていたりするのである。

このようにして、亭主、あるいはどこやらの 「悪いパパ」 の稼いだ尋常ならざる額の金の一部は、世間に還元されるのである。世間に還元されるならまだいい。多くの場合は、仕入れ先のアパレル・メーカーへの支払いが滞ってしまうので、メーカーは大迷惑なのである。

店は潰れても、別のオーナーが引き継いだりするので、潰れたとは気付かれない場合も多い。よく見ると、店の名前が変わっていたりする。

この分野では、「おしゃれの店 絵留座」 とか 「モード 真美衣奈」 とか、「族」上がりかと思うような名前の多いのも大きな特徴だ。(これらの名前は、思いつきで挙げただけで、同じ名前の店があったとしても、他意はないので、そのあたり、夜露死苦)

いずれにしても、全体としては街の洋品店は急激に減少しつつあるのである。これで、こちらのブログ の管理人さんの疑問にも答えられたと思う。

毒を食らわば皿まで・・・