カテゴリー「映画・テレビ」の45件の記事

2016/11/16

昔のビデオでもの悲しい郷愁に浸る

BS 放送に力が入っているのは、NHK と WOWOW などの BS 専門局ぐらいのもので、フツーの民間放送はショップチャンネルや QVC などのテレビショッピングの他は、韓国ドラマや昔の時代劇の再放送なんかでお茶を濁している。で、たまたま昔の時代劇なんかをちらっと見ると、その解像度の低さにびっくりしてしまう。

我々は今、ハイビジョンやらフル・ハイビジョンやらの高解像度の映像に慣れてしまっているが、昔のテレビの解像度なんて、めちゃくちゃ低かった。試しに YouTube で昔の CM なんかを見てみると、その画像の粗さとコピーのダサさに唖然としてしまう。

レナウンの 「イエイエ」 なんて、名 CM として語られたりするが、改めて見てみれば、こんなものである。「これがニットのトータルルック、上の色と下の色がぴったり」 とか 「ボンネルで作ったヤング・カジュアル」 とかのダサダサ・コピーとそれに見合うお笑いみたいな振り付け、それにレナウンの現状を重ね合わせると、もの悲しさが先に立つばかりだ。

上にはめ込んだ小さな画面だと、粗さは辛うじて目立たないが、直接 Youtube のサイトに行って (参照) 全画面モードにしてみると、これがもう、どえらい粗さなのだ。画像表示というのは恐ろしいもので、「そんなに解像度上げたって、シワが目立つだけでしょ」 なんて言ってても、慣れてしまうと元の粗さには戻れない。

とくに昔のビデオを今の大きなテレビ画面でみると、その粗さがますます目立ってしまい、もの悲しいまでの想いにとらわれる。テクノ社会では、昔のイメージに積極的な意味を付加する努力を怠ると、ペシミスティックな方向にのみ流れてしまいがちだ。

その点、音楽は強いもので、60年代のビートルズの曲が今でも新鮮に聞こえたりするし、クラシック音楽なんて不朽の輝きをもっている。動画というジャンルは、テクノロジー的にはごく最近になってようやく使い物になる段階に到達したのかもしれない。

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2016/06/12

『笑点』 について

Nifty News に 「たけし"笑点"の番組作り批判」 という記事があった。あの番組のレギュラーになるとギャラが大幅アップするらしいし、答えのほとんどは番組の裏側にいる作家が作っているというのは、前々から知る人ぞ知る話だったから、まあ、たけしの批判は何も目新しいものではない。

私の知り合いにも 『笑点』 のファンは何人もいて、あの番組をみて無邪気に笑っているらしいが、ほとんど 65歳以上の高齢者である。若い世代では、せいぜい 「たまに見て、大喜利のことも知ってはいる」 程度のものだ。

で、不思議なのは 『笑点』 のファンだから、落語も好きなのかというと、どうもそういうわけではないらしい。信じられないことに、70歳を過ぎて、「大喜利は笑えるけど、古典落語は難しくてわからない」 なんていう人がいくらでもいるのである。彼らの子どもの頃のラジオ番組なんて、落語と浪曲がやたら多かったはずなのに、一体何をして育っていたのだろう。

子どもの頃はむずかしくてわからず、年頃になって以後は落語や寄席芸なんて遠い世界のことになって、辛うじて 『笑点』 の大喜利で何十年も笑いながら、じいさん、ばあさんになってしまったというのだろうか。なるほど、この番組の視聴者の年齢層がものすごく高いというのも頷ける。

視聴者の年齢層が高いから、出演者も年寄りが多い。出演者の新陳代謝が進まないのも当たり前だ。見る人が年寄りばかりなのだから、出演者が頻繁に変わったら付いていけない。そしてたまに若い出演者に変わっても、新しめのギャグは通じないから、年寄り連中におもねる。そして暇な年寄りが毎週見るから、視聴率は高いまま維持されている。

若い作家が考えたギャグを、年寄りの出演者がしゃべって、それを聞いた年寄りたちが無邪気に笑っているという構造なのだ。この番組のファンの年寄りたちが、実は古典落語をわかっていないというのも、こう考えれば道理である。つまり 「寄席芸入門」 的な役割すらほとんど果たしていない。

そのくせ出演者の営業ギャラはやたら高くなっていて、「利権の巣窟」 と化しているというのだから、たけしの批判も当然だ。繰り返すが、何も目新しいことじゃないけど。

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2016/02/07

懐かしのシネサロン

なぜか急に、故郷酒田の 「グリーンハウス」 という映画館のことを思い出した。小さな田舎町の映画館ではあるが、知っている人にとってはとても大きな意味をもつ。その素晴らしさは、あの淀川長治さんが絶賛したというほどのものだった。詳しくは Wikipedia の記事をご覧いただければわかる。

Wikipedia の記事にもあるが、グリーンハウスは昭和 51年 10月 29日の酒田大火の火元となって焼失した。映画館 1軒が消滅しただけではなく、吹き始めていた強烈な冬の季節風に煽られて火は上ではなく横へ横へと広がり、風下の 1767棟が焼け落ちた。繁華街の中心だったこともあり、私の高校時代までの思い出の街並みが、たった一晩で消え去った。

私は中学後半から高校時代に至るまで、グリーンハウスに入り浸った。とくに足繁く通ったのは、客席 14席というミニシアター、「シネサロン」 。正確な金額は忘れたが、当時 200円以下の低額で、田舎の一般の劇場では絶対にかからない、もっといえば都会の名画座でもあまり見られないような、ハイブロウな洋画が見られたのである。

スクリーンの大きさは、畳 1帖より一回り大きい程度のものだったかなあ。私はあのこじんまりとした空間の小さなスクリーンで、昔の名画や、興行的な大成功を収めたわけではないが玄人筋には好評をもって迎えられたアバンギャルドな映画を、毎週のように見ていたのである。思えばませたガキだった。おかげで今でもハリウッド大作とかアクション大作みたいな映画は全然性分に合わない (参照)。

私はこのシネサロンをたまらない懐かしさで思い出す。できることなら、もう一度でいいからあの小さな空間で映画を見たい。そしてその 「もう一度でいいから」 見たい映画は、『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』 にとどめを刺す。

これはペーター・ヴァイスの前衛的な戯曲の映画化で、フランス革命時にジャコバン派に属して過激な共和制を主張していたジャン=ポール・マラーが、シャルロット・コルデーというジロンド派を支持する若い女性に浴槽で滅多刺しに遭って暗殺された事件を描いている。ただしその描き方が劇中劇になっていて、事件当時シャラントン精神病に実際に入院していたマルキ・ド・サドが、この病院の患者たちを俳優として使い上演しているという設定になっている。

とまあ、設定からしてかなりややこしいうえに、劇中劇 (いや、この場合は映画中劇という方がいいかな) の演出がまたとびきり前衛的なので、わからない人にはさっぱりわからなくて、死ぬほど退屈ということにもなるだろうが、演劇好きにはたまらない映画だった。高校生の私は 「こういう演劇に浸りたい!」 と思いながら、わくわくして見ていた。

ああ今どき、あんなに心躍るような前衛的フィルムを、劇場映画として見られることは稀になってしまった。そうした稀なタイプの映画を、もう一度小さなハイブロウなシネマ空間で見たい。私の小さな、しかし途方もない願いである。

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2015/12/19

『スターウォーズ』 の新作が話題だが

『スターウォーズ』 の新作公開とやらで巷はえらい話題だが、申し訳ないことに私はまったく興味がない。『スターウォーズ』 だけでなく、『ロッキー』、『ジョーズ』 なども、全然見る気がしない。

先日カーラジオで聞いていただけなので、誰がそんなことを言っているのかも忘れてしまったが、アメリカン・ニューシネマは 1967〜8年から 1976年までのものなんだそうだ。で、1976年前後からアメリカ映画は新しい段階に入る。そういえば、スピルバーグの 『ジョーズ』 は 1975年、ジョン・G・アヴィルドセンの 『ロッキー』 は 1976年、 ジョージ・ルーカスの 『スターウォーズ』 は 1977年の公開だ。

私は音楽的にはリアルタイムでザ・ビートルズとボブ・ディランで育ち、映画は同様にアメリカン・ニューシネマで育った。『俺たちに明日はない』  『卒業』 『イージーライダー』 『明日に向かって撃て』 『ファイブ・イージーピ・ーセズ』 『真夜中のカーボーイ』 『スケアクロウ』 『ロンググッドバイ』 なんかは、私にとっての 「映画のスタンダード」 である。

何しろ私は、これらのアメリカン・ニューシネマを一渡り見てから遡る形で 『サウンド・オブ・ミュージック』 とか 『第三の男』 とか 『マイ・フェア・レディ』 とか 『街の灯』 とかの 「クラシック」 を見たのだよね。こんな形で遡ったから、私の中にはジョン・ウェインの西部劇みたいな 「アクション大作」 の系譜はないのだ。

これが、私が 『スターウォーズ』 にも 『ロッキー』 にも 『ジョーズ』 にも興味を抱けない理由である。同様に 『ミッション・インポッシブル』 にも 『マトリックス』 にも興味が向かない。

4年前に間違って、トムクルーズの 『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』 というのを見てしまったが、映画を見てあれほど後悔したことは、後にも先にもない。それは、こちらの記事に書いた通りである。

ならば、日本映画ならどうなるかというと、それはもう、小津安二郎監督作品ということになってしまうのだよね。要するに 「ハリウッド大作」 みたいなものには、ちっとも興味が向かない体になってしまっているのだ。

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2014/08/27

モンティ・パイソン復活ライブと、世界一おもしろいジョーク

8月 24日に放送された 「モンティ・パイソン復活ライブ・前編」 を、ビデオで録画しておいて、ようやく見ることができた。放送では、以前に放映されたビデオを取り混ぜ、さらに、いとうせいこう、宮沢章夫、松尾貴史、須田泰成の 4氏が解説者的に登場して、モンティ・パイソンのおもしろさを伝えている。

以前テリー・ギリアム (モンティ・パイソンのメンバー) が来日した時、いとうせいこうがわざわざ会いに行って 「あなた達に大影響を受けた。おかげで今の自分がある」 というようなことを言ったら、「それについては謝る」 と言われたというエピソードには、笑ってしまったよ。

ところで、モンティ・パイソンの数あるネタのうち、私が一番おもしろいと思っている 「世界一おもしろいジョーク」 (The Funniest Joke in the World) について、このココログでも既に紹介したとばかり思っていたのだが、いくら検索してもヒットしないのである。

実は、Today's Crack をココログに移行する前、平成 15年 3月に、「知のヴァーリトゥード」 のサイト内で紹介 (参照) しているのだが、これだとあまりにも目立たなくて Google 検索にもひっかかりにくく、話題にならない。それで、ココログでも書き直したつもりでいたのだが、痛恨にもどうやら書き忘れていたらしいのだ。

どんなギャグかというと、次のようなものである。(以下、再録)

あるギャグ作家が自宅で 「世界一おもしろいジョーク」 を書き、それを自分で読み返し、あまりおもしろすぎて笑い死にしてしまう。大笑いして一瞬のうちに体が引きつり、パッタリと死ぬのである。これが発端。

それ以後、その家に突入した人間は、すべて引きつってパッタリといってしまう。件のジョーク原稿を読んで大笑いし過ぎたのが原因である。

これが第二次世界大戦中の出来事だったので、いっそ対独戦争の武器にしてしまえということになる。しかし一人で全体を翻訳したら死んでしまうので、分割してドイツ語訳する。(ちょっと多目の分量を受け持った翻訳家は、病院送りになってしまうのだが)

次の画面には、ヨーロッパ戦線で苦戦する英国軍が登場する。彼らは手に手にドイツ語で書かれたジョークの原稿を持ち、「フェン・エスト・ダス……ヤァ……」 と、声を揃えて読み上げる。すると、どこに潜んでいたものか、大勢のドイツ兵が笑い転げながら現れて、一様に引きつってパッタリといく。(読み上げている英国兵は、ドイツ語がわからないので、無事でいられるというわけだ)

それでドイツ軍も対抗して英語のジョークを作り、英国向けに放送するが、おもしろくもなんともなくて、全然効果がない。ドイツ人はユーモアのセンスが皆無らしい。

結局は、あまりおもしろすぎて危険ということになり、戦後になって永遠に封印されて土に埋められる。その上には、「世界一おもしろいジョーク、ここに眠る」 という記念碑が建てられたというのが、オチである。

とまあ、以上のストーリーを理解して下のビデオをみれば、英語が聞き取れなくてもちゃんと笑えるはずだ。

今月 31日の後編も、しっかりとチェックしよう。

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2014/02/24

大河ドラマのテイストが苦手

相変わらず NHK 大河ドラマのテイストが苦手である。今やってる 『軍師官兵衛』 は黒田官兵衛が主人公なのだが、そもそも私は、黒田官兵衛と山本勘助と柳生十兵衛と竹中半兵衛の区別がつかない。

いや、いくらなんでも、よく考えればこの 4人の違いぐらいはわかる。ただ、急に言われると、咄嗟には誰が誰だかわからなくなるぐらいの、立派な歴史音痴である。だからそもそも、大河ドラマに出てくる主人公には思い入れがないし、その人物に関するドラマを 1年間も見守るだけの根気がない。

それに、大河ドラマというのは、見ていてどうもピンとこない。具体的にいうと、ストーリーを合理的に説明しようとする流れと、登場人物の心理主義的描写が、生理的に苦手なのである。

あれって、まさに我々が飽き飽きしているはずの 「近代主義的技法」 の権化なんじゃなかろうか、リアルに表現しようとされればされるほど、私にはおとぎ話に思えてしまう。それよりは、歌舞伎の荒唐無稽の方がずっとおもしろい。

同じ歴史ドラマでも、もうちょっと別の、例えばポストモダン的な視点で眺められるようなものって、できないものなのかなあ。いや、そんなスタイルで大河ドラマを作っちゃったら、メイン・ターゲットの中高年層に総スカンを食らってしまうのだろうか。

団塊の世代は絶対数が多いし、皆テレビが好きだし、ステロタイプの解釈を受け入れやすいし、それに何より、まだまだ長生きしそうだし、それを考えると、大河ドラマのテイストはなかなか変わりようがない。つい諦めの境地になってしまうのである。

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2013/10/13

WOWOW オンデマンドはありがたい

WOWOW オンデマンド」 というのを使い始めた。このサービスは今年 7月初めから開始されたもので、開始当初から意識はしていて、iPhone にも iPad にもアプリはしっかりインストールしていたのだが、登録するのをつい忘れていて、使い始めたのは今月に入ってからである。

私はテレビはあまり見ないのだが、サッカーと格闘技だけはしっかりと見る。そのほかに、音楽ライブと映画も時々見るので、トータルのテレビ視聴時間はやたら短いのに、WOWOW にはかなりお世話になっているのだ。

ところが、サッカーと格闘技のライブは、欧米の時間に合わせて配信されることがほとんどなので、つい見逃してしまう。私はビデオの録画予約が苦手で、時々は成功するが失敗することもやたら多いので、大事な試合を見逃してしまうことも度々なのだ。

家族には、「まったくもう、お父さんはパソコンが上手なくせに、どうして録画予約ぐらいできないの?」 と言われるのだが、どうもテレビのシステムというのは、性に合わないというか、時間をかけて理解してみるだけの価値を感じないというか、操作をちゃんと覚えようという気になれないのである。

ところが、WOWOW オンデマンドのおかげで、録画予約にイライラする必要がなくなった。大事なサッカーや格闘技の試合を見逃しても、後からストリーミングで配信される番組を見ることができる。しかも、WOWOW 加入者ならば、無料で見ることができるというのだから、なかなかありがたい太っ腹である。

放送の画質は、Wifi 接続の iPad で見る分には十分にきれいで、不満な点はない。それどころか、格闘技の余計な 「あおり」 の部分は飛ばして見ることができるので、時間も節約できる。今や BS 放送も、実際の放送時間にとらわれずに、個人的に見るという時代になったようだ。

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2013/09/01

テレビドラマを巡る冒険

私はテレビドラマというものをほとんど見ない人である。今話題の 『あまちゃん』 にしても、ちらちらっとしか見たことがないし、大河ドラマも全然見ない。民放のドラマなんて、どんなのをやってるかも知らない。

で、最近、車を運転しながら TBS ラジオを聞いていると、やたらと 「はんざわなおき」 というのが聞こえてくる。初めは漫画家の浦沢直樹と区別がつかなかった。彼が 『なんとか倍返し』 とでもいう漫画を連載し始めたのかと思っていた。

で、どうも漫画の話でもなさそうなので調べてみると、TBS テレビでやってるドラマなんだという。道理で TBS ラジオがずいぶん押してるわけだ。キャストをみると、まず主役の名前は知っているが、顔と一致しない。片岡愛之助の名前があるのには、ちょっと驚いたが、ほかはあんまりよくわからない。

私がテレビドラマというものを見なくなったのは、いつ頃からなのだろうと考えたが、大学に入って一人暮らしを始め、テレビのない生活を 4年間続けたことが、決定的な境目になったのだと気付いた。1970年代初頭は、一人暮らしの学生でテレビと冷蔵庫と電話をもっているなんて、よほどのお坊っちゃまだった。

それまでは結構みていたような気がするが、それでも記憶に残っているのは NHK の大河ドラマ 『赤穂浪士』、連続ドラマの 『事件記者』、バラエティ・ドラマの 『若い季節』、洋物の 『逃亡者』 ぐらいのものだ。すべてテレビドラマの古典中の古典である。あ、そうそう、『ツィン・ピークス』 にははまってしまい、レンタル・ビデオですべて見たなあ。

それ以外では、あまり印象に残っているドラマはない。トレンディ・ドラマなんて、どれがどれだか、さっぱりわからない。とりあえず、気を入れて見続ければ多少ははまってしまうドラマもあるんだろうが、そもそも、テレビは格闘技とサッカーしか見ないので、はまるチャンスがない。

というわけで、しばらくはテレビドラマにははまらない人であり続けてしまいそうだ。『半沢直樹』 は、結局よくわからないままである。

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2013/08/05

「山場 CM」 という業

私はテレビというものをあまり見ないし、見るとしてもほとんど BS の NHK と WOWOW だけで、時々見る地デジの民放も、『サザエさん』 とか 『ちびまる子ちゃん』 とかの、一段落して CM が流れるタイプが多い。それで、いわゆる 「山場 CM」 というものにほとんど耐性がない。

「山場 CM」 というのは、例の、いいところで入る CM である。さあ、これからというところで、突然 CM が入る。CM が終わってからも、その前の繰り返しから始まるので、30分で済む内容を 1時間かけて流しているとしか思われない。

これに関してはアンケートでも、いらいらしたり不快を感じたりするという回答が圧倒的だというのだが、私の場合はそこまでもいかない。「あ、多分この辺で CM になっちまうな」 と思ったら、それだけでスイッチを切るか、席を外してしまう。

「いらいらする」 という反応は、民放の制作者にとってまだ救いだと思う。それはまだ、番組に期待しているということだ。私なんか、期待もしていないものでいらいらだけさせられるというのは馬鹿馬鹿しすぎると思うから、初めっから見ないのである。

それで、たまに見るテレビと言えば、サッカーと格闘技ばかりということになってしまう。WOWOW のボクシング番組なんて、ラウンドのインターバルでも CM が流れないから、コーナーでの選手の様子まで見られてありがたい。そんなこんなで、最近のお笑いや流行りのドラマにはまったく疎くなってしまうのである。

「山場 CM」 に関しては、各種の調査でも、広告効果はないとか、悪印象の方が強いとかいう結果が出ているのに、一向になくならないのは、これはもう、テレビの制作者が、とにかく視聴者を他の局に行かせないでつなぎ止めるということしか考えていないということだ。

つまり、番組コンテンツとか実際の広告効果とかいうよりも、「単純数字としての視聴率」 しか意識していないということである。

制作者側だって 「山場 CM」 の馬鹿馬鹿しさはわかっている。それでも止められないのは、もう、「わかっちゃいるけど止められない」 現象というほかない。仏教ではこれを、「業」 というのである。「山場 CM」 をみるだけで、「業」 というものの厄介さ加減がわかるのである。

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2012/11/09

『ゲバゲバ 90分』 の DVD Box をゲット!

その録画が残されていことを知り、しかもそれが DVD で入手可能というので、つい脊髄反射的に Amazon でポッチリしてしまった 「巨泉×前武 ゲバゲバ 90分 傑作選 DVD-Box」 が、今日届いた。開けてみると、ディスク 2枚組である。

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この伝説的バラエティ番組は、第 1期が 1969年 10月 7日から 1970年 3月 31日まで、第 2期が 1970年 10月 6日から 1971年 3月 30日まで、日本テレビ系列局で放送された。リアルタイムで見て知っている人には余計なお世話だろうが、知らない人には Wikipedia の解説がオススメだ。

高校生だった私は、この番組が始まるとテレビの前に釘付けになっていたのである。放送の時期を見ればわかるように、野球のオフシーズンの番組だった。第 1期の放送が終了した時は大きな楽しみを奪われたような気がしていたが、第 2期が始まって狂喜したものである。なにしろ、野球なんかよりずっとおもしろいのだから。

ちなみに、下の写真は知る人ぞ知る 「言いたいこと言ってら〜 Say Say」 の場面である。これ、高校で流行ったなあ。

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この番組の放送が 1971年 3月までだったというのは、私にとって大きな意味がある。というのは、この年の 4月、私はワセダに入学して上京し、テレビのない生活に突入したからである。当時の一人暮らしの大学生にとって、テレビは贅沢品だった。私がテレビに縁遠くなると同時に、「ゲバゲバ 90分」 も終了した。

私にとって人生の大きな転機にさしかかる直前の、ギフトのような記念碑的番組が、この 「ゲバゲバ 90分」 だったのである。

一般的にこの頃のテレビ番組の録画なんて、まず残っていない。なにしろ、あの NHK の名番組 「ひょっこりひょうたん島」 のビデオでさえほとんどないぐらいのものである。当時はビデオテープがまだ貴重品だったので、「NG 大賞」 なんていう企画はあり得なかった。何しろ、エビデンスが残らないのだから。

ところが、日本テレビが麹町から汐留に移転する際に、倉庫の整理をしていたスタッフが偶然、旧式ビデオテープを発見したというのである。探してみるものである。日テレの技術スタッフが映像の修復作業を試み、辛うじて再生に成功した映像を集めたのが、この DVD-BOX なんだそうだよ。

というわけで、ゆっくり時間をかけて楽しもうと思う。そういえば、「シャボン玉ホリデー」 の方は、今 Youtube で見られる (参照) 以上の内容でこんなような DVD Box を作れるほどの遺産は、残ってないのかなあ。

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