カテゴリー「音楽」の57件の記事

2017/06/23

馬鹿はひたすら 「進め!」 と叫ぶ

近頃、『腰まで泥まみれ』 という昔のフォークソングを思い出して歌っている。原曲は Pete Seeger 作詞・作曲の "Waist Deep in the Big Muddy" という歌。中川五郎の訳詞で、日本でも 60年代後半から 70年頃まで多くのフォークシンガーが歌っていた。

その歌が今、もう一度意味をもってよみがえっているように思う。比較的新しいところでは元ちとせも歌っているし、訳詞した中川五郎が沖縄で歌うビデオ (2012年制作) も YouTube に収録されているので、ちょっと聞いてみてもらいたい。歌の内容は次のようなものだ。

昔、軍隊の演習で隊長は歩いて川を渡れと命令したが、軍曹は 「危ない、引き返そう」 と諫める。しかし隊長は 「そんな弱気でどうするか、俺についてこい」 と渡り始める。腰まで、そして首まで泥まみれとなったところで、隊長は溺れ、軍曹以下の隊員は引き返して命拾いする。

この歌にはとりたてて押しつけがましい教訓は含まれない。ただ歌の後半、「馬鹿は叫ぶ、進め!」 というフレーズが繰り返されるだけだ。

この歌は60年代のベトナム戦争が泥沼にはまりかけていた状況を反映したものと言われるが、いつの時代でも馬鹿はただ闇雲に 「進め!」 と叫ぶ。 Pete Seeger の原詞では、「馬鹿」 は "big fool" で、タイトルの "Big Muddy" (大きな泥地) と共通の、ズブズブのイメージが喚起される。

そして途中までは "the big fool said to push on" (馬鹿は 「進め」 と言った) と過去形だが、最後は  "the big fool says to push on" (馬鹿は 「進め」 と言う) と現在形で繰り返される。今も変わらないのだ。

ここにことさらではないが明確なメッセージがあるだろう。あれから 50年以上経ち、21世紀となった今も、馬鹿どもは相変わらず 「進め!」 と叫びたがり、「お友達」 同士で寄り集まり、幻想に酔いながら好き放題をし、泥沼の中で自滅の道を辿る。

最後に元祖 Peet Seeger のビデオも紹介しておく。最後のリフレインで現在形の繰り返しになるのに注目だ。彼がこの歌を最初にテレビで歌った時には、実際の放送ではカットされていたという。

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2017/06/05

ストラディバリウスの音を聞き分けられるか

いつだったか忘れたが (3〜4年前だった気がするが)、テレビでストラディバリウスの音色を聞き分けることができるかどうかという企画を見た。娯楽番組のことだから全然厳密なものではなく、プロの演奏家が 2台のバイオリンを弾き、どちらがストラトバリウスかを、出演していた何人かのタレントたちが当てるという趣向だったように思う。

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2台のバイオリンのうち、1台は正真正銘のストラトバリウスだが、もう 1台は安物ではないにしても、ごく普通の普及品ということだった。そして出演者たちは、それら 2台の演奏を聞いても違いがわからないらしく、完全に戸惑っていた。

しかしその番組を見ていた (聴いていた?) 私にとっては、「なんでまた、この違いがわからないかなあ?」 と言いたくなるほど、音色の違いは歴然としていて、簡単に言い当てることができた。しかしたまたま一緒にその番組を見ていた友人たちは、「全然わからん」 と匙を投げていた。

友人たちは、「tak は、さすがに昔から音楽やってただけあって、耳がいいなあ」 と感心してくれて、私もちょっと悦に入っていたのだが、それからしばらくして、「ストラディバリウスと現代のバイオリンの音色は大差なし」 というレポートが出され、わけがわからくなった。はたして私の耳は、本当にいいのだろうか。

権威あるレポートによると、ストラディバリウスと現代の最高級品のバイオリンの 「音色の良さ」 には、ほとんど違いがないらしい。それどころか、超一流のバイオリニストたちの多くは、現代の最高級品の音色を支持したというのである。その詳細は、こちらの記事に書かれている。

じゃあ、あの時のテレビでは、どうしてあんなにも歴然とした違いがあったのだろう。一緒に見ていた友人たちは 「さっぱりわからん」 と言っていたが、私にははっきりとわかったのだから、やはり 「音の艶」 にはちゃんと差があったのだ。

考えられる理由の 1つは、あの番組では、ストラディバリウスと比較されたのが、「ごく普通の普及品」 だったからというものだ。それなら、違いがわかって当然だ。普通のリスナーの耳には違いがわかりにくいというのは、ちょっと悲しい現実だが、少なくとも 「聞く耳」 さえ持っていれば、ちゃんとわかる。

もう 1つ考えられる要素は、テレビの音響技術者が音をコントロールしたのではないかということだ。ほとんどのテレビ視聴者にとって 「違いなんてさっぱりわからない」 なんてことになったら、さすがにまずいという配慮が働いて、「聴く人が聴けば、ちゃんとわかる」 程度にコントロールした音を電波に乗せたということは、十分に考えられる。

もしかしたら、「ストラディバリウスと現代の最高級品を聞き分ける」 というテーマだったとしても、テレビの音響技術者は、現代の最高級品の音質を意図的に落として電波に乗せたりしたかもしれない。そのくらいの微妙な演出 (ビミョーなソンタク?) は、ありがちなことではないかという気がする。

というわけで、私は本当に 「ストラトバリウスと普及品の音の違い」 を聞き分けることができたのかどうか、よく考えるとわからなくなってしまった。もしかしたら、音響技術者の演出に乗せられただけなのかもしれない。何しろ、ナマ音を聞いたのではなく、ごくフツーのテレビを通して聞いただけなのだから。

いや、それでもやはり、「私は音が聞き分けられた」 ということにしようと思う。ストラディバリウスと現代の最高級品の違いは、最高レベルのプロでも言い当てることは難しいというのだが、どこにでもある普及品との違いぐらいなら、私のレベルでも聞けばちゃんとわかると信じたい。

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2017/06/02

「パイノパイノパイ」 から始まる冒険

先月 12日の 「笠置シヅ子の偉大さ」、27日の 「川上音二郎の 『オッペケペ節』 オリジナル」 という記事の流れで、行きがかり上、「東京節」 から始まるいろいろを紹介しよう。「東京節」 と言ってわからなくても 「パイノパイノパイ」 と言えば、「ああ、あれか!」 と思い当たる人も多いと思う。まずは桜井敏雄となぎら健壱の最強コンビによるパフォーマンスを、下に埋め込んでおく。

これは添田唖蝉坊の息子の添田知道 (さつき) の作詞によるもので、原曲は米国の 『ジョージア・マーチ』 (Marching Through Georgia)。実にちゃんとした行進曲なのだが、こなし方によっては 「パイノパイノパイ」 になってしまう。

この歌のリフレイン 「ラメちゃんタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ」 の、「ラメチャン」 というのが何なのか、子どもの頃から謎だったが、最近 Wikipedia で調べたらあっさり解決した。これは 「出鱈目」 の 「らめ」 に 「ちゃん」 が付いたものというのである (参照)。私はまた、きんきらきんの 「ラメ」 かと思っていたよ。これ、「パイノパイノパイ」 と 「フライフライフライ」 でちゃんと韻を踏んでいるのだから立派なものである。

この歌をドリフターズの歌で知っているという人は、まだ若い層で、私はあのバージョンは個人的には好きになれない。だからここにも埋め込まない。私がこの歌を最初に知ったのは、森山加代子のバージョンだった。森山良子じゃなく、森山加代子である。こんなのだ。

森山加代子はなかなかスゴい人で、昭和 30年代に、今ではキワモノ扱いされそうな 「じんじろげ」 なんていう歌まで世に出していた。これ、聞いていても意味がさっぱりわからないが、歌唱力は圧倒的なものである。なにしろ、一発録音の時代だったのだよ。

妻に 「"パイノパイノパイ" って歌は、誰の歌で知ってる?」 と聞いたら、「エノケンで知ってる」 と言っていた。大したものである。ただ、YouTube でエノケンの 『パイノパイノパイ』 を探したが見つからず、その代わり、『ダイナ』 が見つかった。エノケンが 『ダイナ』 を歌うとこうなる。『月光値千金』 と 『私の青空』 との圧倒的メドレーを紹介しよう。

「ああ、いいなあ」 と、私はため息をついてしまうのである。

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2017/05/27

川上音二郎の 『オッペケペ節』 オリジナル

どうやら川上音二郎の 『オッペケペ節』 の録音レコードというのがあるようで、その再生音が YouTube にアップされている。1900年のパリ万博における川上音二郎一座のパフォーマンスを録音したもののようだ。

それは三味線を使ったラップみたいなもので、なかなか軽快な味わいである。これが進化して壮士芝居となり、さらに新派の舞台となったのかと思うと、感慨深いものがある。

そして川上音二郎よりは年が若いはずの添田唖蝉坊の方は、YouTube を探しても本人の録音は見つからない。その代わり、土取利行によるパフォーマンスをいくつか聴くことができる (参照)。土取利行は 『オッペケペ節』 も歌っているが、オリジナルに比べると、好むと好まざるとに関わらず、少々洗練されている。

添田唖蝉坊の歌は、人によっては、高田渡のフォークギターでの弾き語りの方がお馴染みだろう。高田渡の場合は、『ノンキ節』 は原曲に近いが、『ああわからない』 はアメリカン・カントリーのメロディに乗せて歌っている。自由自在である。

こうしてみると、反権力の歌は明治の昔からあり、さらにそのずっと昔からの系譜があるようだ。日本ではそれが途絶えてしまうのではないかと悲しくなるほどの状態だが、外国ではちゃんと今につながっている。レゲエやラップはその最前線だ。

日本では 1980年代から 「政治の季節」 がすっかり色褪せてしまい、ノンポリばかりになってしまった。それは、その前を行く 「団塊の世代」 が、政治の季節をはき違えて跳ね返ってしまった反動だと思っている。このノンポリ世代が今、50歳を過ぎて世の中の中枢を占めようとしている。団塊の世代からノンポリ世代につながってしまっているから、日本ははつまらない世の中になってしまったのだろう。

その狭間である 1952年頃の生まれの我々は、団塊の世代の尻ぬぐいばかりに追われてしまい、その後に残すものを生み出せずに来てしまった。これは痛恨である。

もう 10年経てば、また少しはおもしろい世の中になるかもしれない。

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2017/05/10

三味線やギターを手にすると、縄文人の血が騒ぐ

学生時代に、今は亡き武智鉄二氏が 2年間にわたって伝統演劇に関する講義をしたことがあって、私はそれを結構熱心に受講した。内容はちっともアカデミックではなかったが、縦横無尽の展開で心が躍った。

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武智氏の講義の中で妙に印象に残っているのは、「三味線の盛んな土地の人は歌がうまい」 という話である。日本の三味線は、まず沖縄に入ってきて、彼の地では今でも 三線 (サンシン) として盛んに演奏されている。それが九州以北で三味線に改良され、大阪や江戸でも盛んになったが、新潟や津軽などのひなびた土地でも不思議なほど定着した。

武智氏もおっしゃっていたが、NHK の 「素人のど自慢」 という番組を見ていても、沖縄、そして新潟を中心とした北陸から津軽にかけての土地の人たちは、歌のうまさの平均点が高い。一方、山陽路から東海道だと、申し訳ないがどうもレベルが落ちる。

東海道でも京阪、江戸はいろいろなところから人が集まるので、文楽や長唄などの隆盛に伴って三味線が盛んで、レベルが高くなるのは当然だが、沖縄、北陸、津軽というのは、人口の割に歌の上手な人が多すぎる。

弥生人の音楽の代表は能楽である。そしてこの能楽の 「謡い」 というのは、基本的にまともなメロディがない。一本調子で延々と続き、苦手な人にとっては死ぬほど退屈だ。実は私も、文楽は好きだが能楽はやや苦手である。

弥生人はどうやら、メロディが苦手のようで、それと対照的に三味線で自由自在にメロディをかき鳴らすのは縄文人の系譜だ。どうやら同じ日本人でも 「血が違う」 と言ってもいいようなのである。

日本では古くから伝わる琵琶や箏などの楽器は、演奏できる階層が決まっていた。誰でも自由に弾けるようなものではなかったのである。そんな中で、中世以降に入って来た三味線という楽器は、身分に縛られなかった。日本の音楽は、誰でも楽しめる三味線によって一気に大衆化したと考えていい。

三味線という楽器は、現代のロックンローラーにとってのギターのようなものだったに違いない。ギター、バンジョー、三味線、シタールの系譜というのは、同じ弦楽器でも弓でこすって弾くバイオリンのようなお上品なものと違って、かなりアナーキーな性格を持つ。

この三味線という楽器を取り入れることによって、日本の音楽は新しい次元に入った。その三味線を抵抗なく取り入れることのできる血をもっていたのが、縄文人の系譜ということのようなのである。

かく言う私も北陸から津軽につながる 「縄文ベルト地帯」 の出身だから、ギターは誰にも習わずに見様見真似でいつの間にか弾けるようになったし、一昨年の沖縄出張で衝動買いしてしまった三線も、その日のうちにまねごとぐらいはできるようになった。これも血のなせる技なのかもしれない。

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2017/03/19

チャック・ベリーが死んだ

チャック・ベリーが死んだ。90歳だったという。ずいぶん長生きしたものだ。ジョン・レノンもジョージ・ハリスンもとっくに死んでいるのに、チャック・ベリーが生きていたとは、死んだというニュースが流れるまで意識していなかった。というわけで今、改めて彼のベストアルバムを聴いている。

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私はチャック・ベリーをリアルタイムで聞いていたわけじゃない。彼のデビュー曲とされている "Maybellene" が出たのは 1955年で、私はその時まだ 3歳だった。この年に日本で大ヒットした春日八郎の 『別れの一本杉』 や、菅原都々子の 『月がとっても青いから』 なんかでも、後になって懐メロとして半ば冗談みたいに知ったのだもの、チャック・ベリーなんて知るわけない。

私がチャック・ベリーを意識したのは、完全にビートルズを通じてである。ビートルズなら、私は完全にリアルタイムで聞いていたのだよ。彼らのデビュー曲は 1962年の "Love Me Do" だが、日本で本格的に話題になったのは翌年の 1963年頃からだったと思う。私は小学校 5年生だったが、「歌謡曲なんかより、ずっとカッコいいぜ!」 と、一発で夢中になった。ちょっとマセていたのかもしれない。

蛇足だが、私はビートルズとボブ・ディランを歌いたいがために、英語をしっかりと勉強したのだった。当時は 「不良の音楽」 扱いされていたが、後になってこの英語で仕事ができたのだから、ずいぶん役に立ったのである。

このビートルズが、初期には案外チャック・ベリーの曲をレコーディングしていたのだ。当時の私は "Roll Over Beethoven" や "Rock'n Roll Music" なんかはビートルズのオリジナルだとばかり思っていたが、「伝説のロックンローラーの曲をビートルズがカバーしてるんだ」 と聞かされ、初めてチャック・ベリーという偉大なる存在を意識した。

「そう言えば、あの ”Johnny B. Goode" というご機嫌な曲も、このチャック・ベリーというおっさんの曲だったのか! すげぇや!」 ってなもんである。有名な 「ダック・ウォーク」 を初めて動画で見たのは、中学校に入ってからだったと思う。昔は今みたいに情報があっという間に入ってくるわけじゃなかったのだ。

で、当時の私はこのダック・ウォークを真似したなあ。若い頃のチャック・ベリーぐらいにぐっと腰を落としてやるのは、結構足腰が強くないとできないのだよ。彼が長生きしたのは、ダック・ウォークで鍛えたからかもしれない。うん、きっとそうだ。そうに違いない。

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2017/01/16

『イムジン河』 を遡る冒険

"『イムジン河』 物語" という本を読んだ。「"封印された歌" の真実」 という副題が付いている。高校時代の友人が久しぶりにメールをくれて、この本を読んで 「歌の力はすごいと思いました」 と書かれていたので、その日のうちに Amazon で注文して読んだのである。

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この 『イムジン河』 という歌は、私が中学校 3年生の時に、今は亡きフォーク・クルセダーズの歌 (下のYouTube 参照) で注目されて日本中に知れ渡り、正式なレコード発売直前に、発売中止となった。当時は北朝鮮からのクレームがついたためとしか知らされず、まあ、裏にややこしい事情があるのだろうと思っていた。

何はともあれ歌としてはとても魅力的な作品なので、私は深夜放送で知ったメロディを採譜し、高校に入ってからもギターの弾き語りで歌っていた。いくら政治的に葬ろうとしても、生き残るものは生き残る。歌ってそういうものだ。このほど私にメールを暮れた友人ともコーラスしたりしていたので、彼は自分の読んで感動した本を、いち早く私に知らせてくれたのだろう。

『イムジン河』 のレコード発売禁止事件の裏事情に関しては、後になってからいろいろなルートで聞いてかなり知っていた。北朝鮮で作られた歌ではあるが、本国ではほとんど忘れ去られ、在日朝鮮人を通じて日本でこの歌を知った作詞家の松山猛が、ほぼ忠実な訳詞の 1番に、自由に発想した 2番と 3番の歌詞を加えたものが、放送禁止になったフォークル・バージョンである。

その後、北朝鮮総連主導で、オリジナルに近い 『リムジンガン』 という歌が発表されたが、あまりぱっとしたヒットにはならず、多分 「うたごえ運動」 みたいなところで細々と歌われたのだろうと思う。タイトルが 2通りあるということからして、ややこしい歌なのである。

漢字では 『臨津河』 と書くらしいのだが、なにしろ朝鮮半島では今や漢字はマイナーな文字だから、言っても仕方がない。どうやら北朝鮮の発音に近いのが 「リムジンガン」 で、韓国の発音だと 「イムジンガン」 に聞こえるらしい。

私としては、オリジナルとはメロディと拍子に一部違ったところがあるものの、フォークル・バージョンの 『イムジン河』 の方が気に入っていて、もっぱらそれを歌っていた。下の YouTube で聞いてもらえればわかるように、『リムジンガン』 はちょっとご大層なのである。「将軍様」 のご威光を感じてしまうのだよね。

前世紀末からにわかに復活してメジャーな舞台でも歌われるようになったのは、フォークル・バージョンの 『イムジン河』 が圧倒的に多いのもむべなるかなである。こっちの方がずっと馴染みやすいのだから、こればかりはしかたがない。

メジャーな舞台で復活してからは、キム・ヨンジャが歌って注目されたりしたが、私は彼女のバージョンを聞くと、「うたごえ版 リムジンガン」 以上に息苦しくなってしまうので、かなり苦手である。タイトルは 『イムジン河』 としているが、メロディとリズムはオリジナルの 『リムジンガン』 だしね。やっぱりフォークル・バージョンが一番しっくりくる。

私は 『イムジン河』 という歌を歌う時、音楽と社会 (とくに政治事情) の関わりについて複雑な思いを抱いてしまう。この年になって 「政治には積極的に関わりたくない」 と思っているのは、若い頃の 『イムジン河』 体験が少しは影響しているのかもしれない。

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2016/11/15

ジャイアント馬場の 『満州里小唄』 というレア版

今日の午前 9時頃だったろうか。クルマを運転しながら TBS ラジオの 「伊集院光とラジオと」 という番組を聞くともなしに聞いていると、超レア版レコードの紹介というのがあって、なんと今は亡きジャイアント馬場の 『満州里小唄』 (まんちゅりこうた) というのが紹介されていた。

Manchuri

これはなんでも旧日本プロレス時代に、ソノシートで限定配布されたもののようで、今となっては入手すら困難となっているらしいのだが、聞いてみると紛れもない、あのジャイアント馬場の声である。しかも、上手とは言わないが、決して下手というわけでもない。少なくとも歌い慣れている。

帰宅してググってみると、なんとニコニコ動画で見つかったので、リンクしておく。上の画像をクリックすると、ニコ動のページに飛ぶ。YouTube と違ってログインしないと再生できないのだが、新規アカウントを作らなくても Twitter や Facebook のアカウントでもログインできるみたいなので、興味のある方は聞いて戴きたい。

で、ラジオの方はといえば、なにしろ伊集院光の番組だから、ただでは済まない。「じゃあ、この録音を早回ししてみるとどうなるか」 ということになって、実際にやってみたのである。私としてはそんな稀な機会を逃す手はないので、慌てて iPhone を取り出して 「ボイスメモ」 で録音した。下のアイコンをクリックすると、そのサワリが聞ける。

Man_2_2

なんと、ジャイアント馬場ではなく、「フツーの人の歌」 になってしまった。音というのはまことにも不思議なものである。ということは、フツーの人の歌をスローに落として聞いたら、ジャイアント馬場になってしまうのかしらん。「あなたもジャイアント馬場になってみませんか」 というビジネスが成立したりして。

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2016/02/08

レディー・ガガ、すげぇ!!!

今朝、何気なしにテレビのスイッチを入れて NHK BS1 を見ると、米国のスーパーボウルのオープニング・セレモニーをしているところで、レディ・ガガの米国国歌独唱が始まるところだった。この日の彼女は奇抜な化粧やコスチュームではなく、赤のスーツでシックに決めている。

歌が始まってすぐに、「レディー・ガガ、すげぇ !!! 」 と思った。自分の国の国歌でもないのに、聞いていてこんなに震えるほど感動したのは初めてである。彼女、やっぱり天才だ。聞いている選手も観客も、完全に魅了されている。

今日はもう、これ以上の言葉はいらないだろう。YouTube の動画を見てもらうだけでいい。下のリンクをクリックしてご覧頂きたい。ただ、NFL としては自由にブログに埋め込まれないような措置を講じているようなので、まず画像の 「▷」 をクリックしてから、さらに 「YouTube で見る」 をクリックし、直接飛んでいただくことになる、

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2015/10/22

"You Light Up My Heart" と "Jesse" が似てる件

本日の記事は、本当に本当に重箱のスミをつつくような話で、ほとんどの人にはどうでもいいことだと思う。しかし私としては 20代の頃からずっと気にかかっていたことで、一度書いておかないと棺桶の中まで持っていきそうな気がしてきたので、ここに初めて書いておくことにする。

それはタイトルにもあるように、"You Light Up My Heart" と "Jesse" が似てるというお話である。

まず、"You Light Up My Heart"。オリジナルは同名の映画のタイトル曲として作られたものらしいが、一般にはデビー・ブーン (Debbie Boone) の歌で知られる。何しろ 1977年にビルボードで 10週連続 1位をとって、「70年代最大のヒット曲」 と言われているほどだから、タイトルに覚えのない人でも、下の YouTube 動画で実際に聞けば 「ああ、知ってる」 となるだろう。

デビー・ブーンは、あの "Love Letters in the Sand" (砂に書いたラブレター) のパット・ブーン (Pat Boone) の娘らしい。日本では当初、 『恋するデビー』 というダッサダサの邦題で売り出され、今でもラジオではこの邦題で紹介されがちで、かなりシラける。

ここでようやく本題に入るのだが。私は若い頃にこの歌を初めて聴いた時、デビー・ブーンという歌手が、ジャニス・イアン (Janis Ian) の "Jesse" という曲をカバーして歌っているのだと思った。聞いているうちに 「あれ、違う曲じゃん」 と気付いたものの、それほど似ていると思ったのである。

"Jesse" も 『我が心のジェシー』 という、どうでもいい邦題でリリースされていて、私としてはやはりちょっとシラけるのだが、とてもいい曲だ。下の YouTube 動画で聞けばわかる。

こちらも結構なヒット曲で、ロバータ・フラック やジョーン・バエズがカバーしている。で、こちら方が 1974年発表と少しだけだが古いから、"You Light Up My Heart" の方は、「パクリ」 とまでは言わないが、かなり  「インスパイアード」 されたのは確実だと私は思っている。

それにしても 「インスパイアード」 とか 「オマージュ」 とかいうのは、本当に便利な言葉だなあ。

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