カテゴリー「音楽」の51件の記事

2017/01/16

『イムジン河』 を遡る冒険

"『イムジン河』 物語" という本を読んだ。「"封印された歌" の真実」 という副題が付いている。高校時代の友人が久しぶりにメールをくれて、この本を読んで 「歌の力はすごいと思いました」 と書かれていたので、その日のうちに Amazon で注文して読んだのである。

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この 『イムジン河』 という歌は、私が中学校 3年生の時に、今は亡きフォーク・クルセダーズの歌 (下のYouTube 参照) で注目されて日本中に知れ渡り、正式なレコード発売直前に、発売中止となった。当時は北朝鮮からのクレームがついたためとしか知らされず、まあ、裏にややこしい事情があるのだろうと思っていた。

何はともあれ歌としてはとても魅力的な作品なので、私は深夜放送で知ったメロディを採譜し、高校に入ってからもギターの弾き語りで歌っていた。いくら政治的に葬ろうとしても、生き残るものは生き残る。歌ってそういうものだ。このほど私にメールを暮れた友人ともコーラスしたりしていたので、彼は自分の読んで感動した本を、いち早く私に知らせてくれたのだろう。

『イムジン河』 のレコード発売禁止事件の裏事情に関しては、後になってからいろいろなルートで聞いてかなり知っていた。北朝鮮で作られた歌ではあるが、本国ではほとんど忘れ去られ、在日朝鮮人を通じて日本でこの歌を知った作詞家の松山猛が、ほぼ忠実な訳詞の 1番に、自由に発想した 2番と 3番の歌詞を加えたものが、放送禁止になったフォークル・バージョンである。

その後、北朝鮮総連主導で、オリジナルに近い 『リムジンガン』 という歌が発表されたが、あまりぱっとしたヒットにはならず、多分 「うたごえ運動」 みたいなところで細々と歌われたのだろうと思う。タイトルが 2通りあるということからして、ややこしい歌なのである。

漢字では 『臨津河』 と書くらしいのだが、なにしろ朝鮮半島では今や漢字はマイナーな文字だから、言っても仕方がない。どうやら北朝鮮の発音に近いのが 「リムジンガン」 で、韓国の発音だと 「イムジンガン」 に聞こえるらしい。

私としては、オリジナルとはメロディと拍子に一部違ったところがあるものの、フォークル・バージョンの 『イムジン河』 の方が気に入っていて、もっぱらそれを歌っていた。下の YouTube で聞いてもらえればわかるように、『リムジンガン』 はちょっとご大層なのである。「将軍様」 のご威光を感じてしまうのだよね。

前世紀末からにわかに復活してメジャーな舞台でも歌われるようになったのは、フォークル・バージョンの 『イムジン河』 が圧倒的に多いのもむべなるかなである。こっちの方がずっと馴染みやすいのだから、こればかりはしかたがない。

メジャーな舞台で復活してからは、キム・ヨンジャが歌って注目されたりしたが、私は彼女のバージョンを聞くと、「うたごえ版 リムジンガン」 以上に息苦しくなってしまうので、かなり苦手である。タイトルは 『イムジン河』 としているが、メロディとリズムはオリジナルの 『リムジンガン』 だしね。やっぱりフォークル・バージョンが一番しっくりくる。

私は 『イムジン河』 という歌を歌う時、音楽と社会 (とくに政治事情) の関わりについて複雑な思いを抱いてしまう。この年になって 「政治には積極的に関わりたくない」 と思っているのは、若い頃の 『イムジン河』 体験が少しは影響しているのかもしれない。

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2016/11/15

ジャイアント馬場の 『満州里小唄』 というレア版

今日の午前 9時頃だったろうか。クルマを運転しながら TBS ラジオの 「伊集院光とラジオと」 という番組を聞くともなしに聞いていると、超レア版レコードの紹介というのがあって、なんと今は亡きジャイアント馬場の 『満州里小唄』 (まんちゅりこうた) というのが紹介されていた。

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これはなんでも旧日本プロレス時代に、ソノシートで限定配布されたもののようで、今となっては入手すら困難となっているらしいのだが、聞いてみると紛れもない、あのジャイアント馬場の声である。しかも、上手とは言わないが、決して下手というわけでもない。少なくとも歌い慣れている。

帰宅してググってみると、なんとニコニコ動画で見つかったので、リンクしておく。上の画像をクリックすると、ニコ動のページに飛ぶ。YouTube と違ってログインしないと再生できないのだが、新規アカウントを作らなくても Twitter や Facebook のアカウントでもログインできるみたいなので、興味のある方は聞いて戴きたい。

で、ラジオの方はといえば、なにしろ伊集院光の番組だから、ただでは済まない。「じゃあ、この録音を早回ししてみるとどうなるか」 ということになって、実際にやってみたのである。私としてはそんな稀な機会を逃す手はないので、慌てて iPhone を取り出して 「ボイスメモ」 で録音した。下のアイコンをクリックすると、そのサワリが聞ける。

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なんと、ジャイアント馬場ではなく、「フツーの人の歌」 になってしまった。音というのはまことにも不思議なものである。ということは、フツーの人の歌をスローに落として聞いたら、ジャイアント馬場になってしまうのかしらん。「あなたもジャイアント馬場になってみませんか」 というビジネスが成立したりして。

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2016/02/08

レディー・ガガ、すげぇ!!!

今朝、何気なしにテレビのスイッチを入れて NHK BS1 を見ると、米国のスーパーボウルのオープニング・セレモニーをしているところで、レディ・ガガの米国国歌独唱が始まるところだった。この日の彼女は奇抜な化粧やコスチュームではなく、赤のスーツでシックに決めている。

歌が始まってすぐに、「レディー・ガガ、すげぇ !!! 」 と思った。自分の国の国歌でもないのに、聞いていてこんなに震えるほど感動したのは初めてである。彼女、やっぱり天才だ。聞いている選手も観客も、完全に魅了されている。

今日はもう、これ以上の言葉はいらないだろう。YouTube の動画を見てもらうだけでいい。下のリンクをクリックしてご覧頂きたい。ただ、NFL としては自由にブログに埋め込まれないような措置を講じているようなので、まず画像の 「▷」 をクリックしてから、さらに 「YouTube で見る」 をクリックし、直接飛んでいただくことになる、

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2015/10/22

"You Light Up My Heart" と "Jesse" が似てる件

本日の記事は、本当に本当に重箱のスミをつつくような話で、ほとんどの人にはどうでもいいことだと思う。しかし私としては 20代の頃からずっと気にかかっていたことで、一度書いておかないと棺桶の中まで持っていきそうな気がしてきたので、ここに初めて書いておくことにする。

それはタイトルにもあるように、"You Light Up My Heart" と "Jesse" が似てるというお話である。

まず、"You Light Up My Heart"。オリジナルは同名の映画のタイトル曲として作られたものらしいが、一般にはデビー・ブーン (Debbie Boone) の歌で知られる。何しろ 1977年にビルボードで 10週連続 1位をとって、「70年代最大のヒット曲」 と言われているほどだから、タイトルに覚えのない人でも、下の YouTube 動画で実際に聞けば 「ああ、知ってる」 となるだろう。

デビー・ブーンは、あの "Love Letters in the Sand" (砂に書いたラブレター) のパット・ブーン (Pat Boone) の娘らしい。日本では当初、 『恋するデビー』 というダッサダサの邦題で売り出され、今でもラジオではこの邦題で紹介されがちで、かなりシラける。

ここでようやく本題に入るのだが。私は若い頃にこの歌を初めて聴いた時、デビー・ブーンという歌手が、ジャニス・イアン (Janis Ian) の "Jesse" という曲をカバーして歌っているのだと思った。聞いているうちに 「あれ、違う曲じゃん」 と気付いたものの、それほど似ていると思ったのである。

"Jesse" も 『我が心のジェシー』 という、どうでもいい邦題でリリースされていて、私としてはやはりちょっとシラけるのだが、とてもいい曲だ。下の YouTube 動画で聞けばわかる。

こちらも結構なヒット曲で、ロバータ・フラック やジョーン・バエズがカバーしている。で、こちら方が 1974年発表と少しだけだが古いから、"You Light Up My Heart" の方は、「パクリ」 とまでは言わないが、かなり  「インスパイアード」 されたのは確実だと私は思っている。

それにしても 「インスパイアード」 とか 「オマージュ」 とかいうのは、本当に便利な言葉だなあ。

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2015/09/13

仙台はゴスペル王国だった

今日、所用で仙台に日帰りしたのだが、たまたま 「定禅寺ストリート・ジャズ・フェスティバル in 仙台」 というイベントが開かれていた。仙台の中心街がすっぽりと野外音楽会場と化していたのである。いやはや、驚いた。

このイベントは 「ジャズ・フェスティバル」 と謳ってはいるが、ジャンルを問わない市民音楽祭といったところで、誰でも参加申し込みができるらしい。こういうとお下手な素人音楽を聴かされるお祭りと思う人もいるかもしれないが、出演者のレベルは結構高い。十分に楽しめる。

私が嬉しかったのは、かなり多くのゴスペル・グループが参加していたことである。何しろ私は黒人音楽大好き人間であって、中でもブルースとゴスペルはたまらないほど好きなのだ。ブルースは自分でもやるしね。

30年以上前に初めてニューヨークに行った時、たまたま乗ったタクシーの黒人の運転手が、それまで聞いていたカーラジオのスイッチをあわてて切ろうとした。それは多分 FM のゴスペル専門局の番組だったが、東洋人の顔をした客なんて 「それ、消してくれ」 と言うに決まってると思ったらしい。

ところが、この日の東洋人はちょっと変わっていた。乗ってくるやいなや、"Don't turn it off!" (消さないで) なんて言い出す。その上、"I love this kind of music." (こういう音楽、大好きなんだ) なんてほざいて、ノリノリになってしまったのである。

彼は信じられないといった表情で、「これ、何だか知ってんの?」 と聞く。こっちは 「もちろん! ゴスペルじゃん」 なんて言っていい気持ちになっている。彼は半分あきれ、半分嬉しそうに、「あんた、きっと変装した黒人だね」 なんて言い出した。音楽で通じ合えるというのは本当のことである。

仙台という街はゴスペルが盛んらしい。何しろ 「仙台ゴスペル・フェスティバル」 というイベントが毎年行われるほどというのだ。今日も仙台駅前ではヤマハのゴスペル教室の精鋭部隊がバッチリきめたパフォーマンスをしていたし、市内の公演や広場では、何組ものゴスペル・グループが次々に演奏していた。それがなかなかのものなのである。

実は私も昔からゴスペルをやりたくてたまらない。ところがゴスペルというのは一人でやってやれないこともないが、本来は合唱が基本だから仲間が必要だ。しかし、ゴスペルを歌えるやつって、そうはいないのである。

日本人の多くはハモるのが苦手で、私より上の年代は 『椰子の実』 とか 『夏の思い出』 とかのクラシックな 「合唱」 ならできても、即興的なハモりとは無縁だったりする。(これに関しては、4年前に 「世代別ハモり感覚」 というタイトルで書いている)

そしてハモりができる少数派でも、その中で 「カタカナ英語」 ではなく、きちんとノレる英語で歌えるやつは、さらに少ない。ゴスペルをカタカナ英語でやっても 「今イチ」 なのは、浄瑠璃を巻き舌でやったら、頑張ってるのはわかるけど雰囲気壊れるのと共通している。だから私は、日本でまともなゴスペルをやるなんて、ほとんど不可能なんじゃないかと思っていたのだ。

ところが仙台に行って驚いた。「まともなゴスペル」 をやるグループが、ゴロゴロいるのである。なんてこった。さすが仙台である。YouTube で、仙台ゴスペル・フェスティバルのビデオが見つかったので、下に埋め込んでおく。

ついでに、今日の仙台のパフォーマンスの中で一番気に入ってしまった "Dash♪" というグループの動画もみつかったので、埋め込んでおこう。これはオススメである。

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最後に一言。ゴスペルは信心の歌だから、歌うにも信心が必要だからね。

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2015/08/06

北京冬期五輪招致ソングのパクリ疑惑

北京冬季オリンピック招致活動のテーマソング 『冰雪舞動』 が、ディズニー映画 『アナと雪の女王』の "Let it go" に似すぎていると、ネット上で話題になっている。中国お得意のパクリがこんなところにまで登場したかと、YouTube で聞き比べてみた。

客観的にいえる事実は、次の通り。

  1. キーが同じ (どちらも C)
  2. テンポもほぼ同じ (どちらも ♩= 144 ぐらい)
  3. リズムの刻み方もほぼ同じ
  4. アレンジ・コンセプトがクリソツ (とくにイントロのピアノの入り)
  5. ミキシングもクリソツ (ピアノのトーンはもろにそっくりに調整されている)
  6. メロディに関しては、とりたてて言うほど似ているわけじゃない

試しに上の方の "Ler It Go" を再生させてから、5.5秒後ぐらいの時間差で下の方の北京五輪招致ソングを再生させてみると、とても面白い。イントロから歌の数小節にかけては、あまり違和感なく同じ曲みたいに聞こえてしまうが、それ以後はありありと別の曲になってしまう。

つまり、曲そのものがパクリっぽいというよりは、キーとテンポとリズムを含めたアレンジとミキシングのコンセプトがほぼ共通しているので、曲想としてもろにそっくりに聞こえてしまうということだ。パクりじゃない曲をここまでパクリと感じさせてしまうのは、逆説的に素晴らしいアレンジ・テクニックである。

ということで私としては、作曲に関しては完全無罪で、アレンジが 「罪作り」 なのだと結論づけたい。大ヒット曲のアレンジにあやかるぐらい当たり前という中国的認識と、関係者の誰も 「レリゴー」 をまともには聞いたことがなかったので、「ヤバいんじゃね?」 とも思えなかったことの合わせ技なのかもしれない。

それから最後に、最も重要なポイントは、映画 "Frozen" (日本語タイトルは 『アナと雪の女王』) の中国語タイトルが 『氷雪奇縁』 だったということだ。今回の招致ソングのタイトルが 『氷雪舞動』 だというので、アレンジャーとしてはつい余計なサービス精神で、同じイメージにしちゃいたかったのかもしれない。

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2015/07/21

アップル・ミュージックの出現で CD がなくなっても困らない

Huffington Post に 「アップル・ミュージックの出現で CD はなくなるか?」 という記事がある。書いたのは 「林伸次(bar bossa)ファンになるバーのマスター」 という方で、(bar bossa) というのは、林伸次さんという人の店の名前なんだろう。

この記事はアップル・ミュージックへの疑問というか、もっと明確に言えば、音楽の価値を下げるアップル・ミュージックに抗して、CD 業界はいかにして付加価値を確保すべきかという視点で書かれている。アップル・ミュージックは水道水みたいなもので、業界はいかにしてミネラルウォーターを提供すべきかということだ。

これを読んで私は、「うぅむ、ずいぶん乱暴なご意見だなあ」 と思った。アップル・ミュージックは水道水だというのだが、それはあまりにも無神経な決めつけである。実際には、アップル・ミュージックで提供される曲には、極上のミネラルウォーターもあれば、泥水みたいのものもある。それらが区別なく、定額で聞き放題なのだ。

よく考えれば、曲の質に関わりなくほとんど一緒の値段ということに関しては、これまでの CD の売り方と変わらない。変わったのは、「1枚いくら」 という売り方ではなく、「何曲聴いても定額」 ということだけである。

つまり、「ミソもクソも一緒」 だったのは、今に始まったことではなく昔からのことなのだ。世の中にはミネラルウォーターが好きな人もいれば、泥水が好きな人もいる。いろいろな消費者がいるので、値段の差は付けられなかったし、これからも多分、付けられないだろう。

つまり、これまでは 「お金のかかる平等な世界」 だったのが、アップル・ミュージックの登場で、「お金があまりかからない平等な世界」 になったのである。私は正直言って、「CD って、どうしてこんなに高いんだ?」 と不満を抱いていたから、アップル・ミュージックの登場は歓迎である。

アップル・ミュージックによって、音楽はより民主的なものになるだろう。これまでの 「わけのわからない権威の世界」 的な様相はどんどん薄れていくはずなのだ。私はそれでいいと思っている。これまでの方がいびつだったのだし。

大切なのはメディアではなく、中身なのだから。CD なんて、なくなっても一向に困らないのである。インターネットで音楽のストリーミングを聴くということにどうしても馴染めない人もいるだろうが、そうした人の多くは、既に好きな曲の CD をきっちり確保しているだろうから、あまり問題ない。新しい曲にはあまり興味がないだろうし。

それに残して意味があるとすれば、それは CD じゃなく、アナログ・レコードだろうし、それは既に一定の市場が形成されている。

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2015/07/07

Apple Music を始めた

Apple Music を始めた。先月 11日に 「Apple の定額制音楽配信サービスは、いいかも」 という記事を書いて以来、ちょっと心待ちにしていたのだが、ついに日本でもスタートしたので初めて見た。最初の 3か月は無料トライアル期間だそうで、それが過ぎたら自動的に月額料金の課金が始まるらしい。

この料金は、月額 9.99米ドルだというので、日本だと 1,200円ぐらいになるのかと思っていたが、実際に始まってみると、個人向けなら 月額 980円だという。覚悟していたより 200円以上も安いので、ちょっとお買い得感がある。

使い始めるにあたっては、最初に "For You" で好きなジャンルやアーティストを綿密に登録しておくと、かなりパーソナライズされたメニューが表示される。「おぉ、こんなのがあったのか」 と嬉しくなるようなアルバムも出てくるのでありがたい。とにかく何をどれだけ聞いても定額なのだから (今は無料だし)、聞いてみるに越したことはない。

さらに、ストリーミング・サービスとはいえ、"My Music" に登録しておけばあとで好きな時に何度でも繰り返して聴くことができる。これは Wifi のないところでも回線を通さずに聞くことができるようなので、データ通信の 1月あたり 7GB という制限も気にしないで楽しむことができる。

さらにもっといろいろな使い方ができるようなので、楽しんでいこうと思っている。

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2015/06/11

Apple の定額制音楽配信サービスは、いいかも

Apple が定額制の音楽配信サービスを本格的に開始すると発表した。月額 9.99米ドル(日本円で約 1,200円) で会員になれば、3,000万曲以上のライブラリーの中から好きな曲をストリーミングで聴けるのだそうだ。当初は日本でも開始されるかどうかは不明と報道されたが、Apple の日本語版サイトに 「まもなく登場」 として紹介されているところをみると、期待してもよさそうだ。

問題は、日本円で 1,200円という費用である。ほぼ毎月アルバム CD を 1枚買っているという人なら全然問題ないが、年間に 3枚ぐらい買うという程度のごくフツーの音楽ファンは、消費税を入れたら多分、年間 15,000円以上になるだろうという金額を払うだろうか?

これはもう、完全に考え方次第である。私としては、「コーヒー 4杯ぐらいの値段で好きな音楽聴き放題」 と考えれば、かなり 「お得」 だと思う。というのは、これまでのように、CD を買うなりダウンロードするなりして、自分のライブラリーに入れるのとは、払う金額の価値が全然違うのだ。

これまで我々はずっと、「限られた予算の中から、あっちを我慢して、こっちを買う」 という購買行動をとってきた。しかし、月額アルバム CD 1枚の半額程度で 「我慢しなくてよくなる」 というなら、音楽の視界は一変する。「聴けば聴くほどお得」 というのは、音楽好きにはたまらない。

さらにもう一つ、別の意味合いもある。私は 100枚以上の LP コレクションを 「死蔵」 している。レコード・プレーヤーはとっくの昔におシャカになってしまったので、まさに「死蔵」 でしかない。再生した曲を MP4 形式で保存できるプレーヤーを買うという手もあるが、100枚の LP を 1枚ずつ再生してデジタルに変換するための膨大な手間を思い浮かべるだけで、ずっと二の足を踏んでいた。

しかし、Apple の音楽配信サービスを利用すれば、私の LP コレクションの多くは多分 3,000万曲以上というライブラリにも含まれているだろうから、「死蔵」 していたコレクションが別の形で復活して、好きな時に聞くことができるようになる。

先月 20日の 「オッサンは、平成の歌が歌えない」 という記事で書いたように、多くの人は 30歳を過ぎると最新の音楽に付いていくよりも、昔の曲の方がいいと思うようになる。これまで私はそうした曲を 「持っているのに聴けない」というフラストレーションを抱えていたが、これからは 「持たなくても好きな時に聴ける」 ようになる。

それだけでも、1,200円は払う価値があると思う。

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2015/03/05

どんなにバタ臭くても 「邦楽」 なのは、思い切りドメスティックだからなのね

5年近く前に書いた "「邦楽」 と 「洋楽」" という記事で、日本のロックやなんやらが 「邦楽」 というジャンルに分けられていることに、思いっきり違和感を示した。「邦楽なんていってるけど、どう見ても (聞いても) 洋楽じゃん!」 と思っていたのだ。私にとっての 「邦楽」 とは、長唄とか清元とかいった類いのものなのである。

昔 NHK テレビに 「邦楽百選」 というのがあった。今は 「邦楽のひととき」 という番組になっているようだが、そこでは謡曲とか長唄とかが流れている。それこそが、私にとっての邦楽なのだが、今は何ということか、「純邦楽」 なんていわれるらしい。ということは、残りは 「不純邦楽」 である。

そんなこんなで私も認識が少しずつ柔らかくなって、昨年 4月には "なるほど、日本のロックは 「邦楽」 なのかもしれない" と、やや理解を示す記事を書いたのである。作りとしてはまごう事なき洋楽なのだけれど、その演奏を聴くとやっぱり、本場のロックとは違ったものに聞こえるのである。「和風」 ってわけではないが、どう聞いても 「日本的」 なのだ。なるほど、これは 「邦楽」 なのかもしれんなあというわけだ。

で、今回さらに理解を示そうと思ったのは、「なるほど、日本のロックは 『邦楽』 以外の何者でもない」 と、しみじみ思ったからである。というのは、「洋楽/邦楽」 というこれほどまでに無意味に思われるなジャンル分けが実効的であるということは、私が思ってきたほど無意味じゃないと気付いたのである。

そう気付くきっかけとなったのは、もし日系二世の米国人が慣れない日本語で作詩し、生粋の日本人が作曲し、黒人と白人の米国人の中に日本人ボーカリストが 1人混じったバンドが演奏し、米国のレーベルからリリースされた曲は、洋楽だろうか、邦楽だろうかと考えてみたことである。はてさて、どっちなんだろう。

しばらく考えてみて、「そんなことを考えても意味がない」 と気付いた。そんなこと、現状ではあり得ないからである。宇多田ヒカルが一時、米国で活動したりしていたが、あれは 「特殊ケース」 である。あれについて 「邦楽か洋楽か」 なんて、誰も問題にしなかった。問題にする必要がないほどのレアケースだったのである。

あんなようなレアケースを別として、日本人のロックを 「邦楽」 というジャンルに閉じ込めるカテゴライゼーションがしっかり実効的であるということは、要するに、日本のロックが思い切りドメスティックであることの証左であると気付いたのだ。

日本人が作って演奏して、日本の会社からリリースして、日本人がプロモートして、日本人が買って、日本のメディアでしか流れないのだから、思いっきり日本だけで完結している。なるほど、ドメスティックな 「邦楽」 である。

多少は周辺のアジア諸国やヨーロッパのカウンター・カルチャーの世界に漏れ出している部分もあるらしいが、メインストリームとしては、こんなにまでドメスティックなやり方だけで商売になってきたのだから、「邦楽」 でいいのである。

ただし今後日本の市場が縮小して、日本のロックが意識的に外国の市場に意識的に打って出なければならない事態になったら、「邦楽」 なんて馬鹿なことは言っていられない。その時になって "Japanese Rock" なんていうジャンルが (一時の "British Rock" みたいに) 国際的に認知されることがあるかもしれないが、それはドメスティックに完結する 「邦楽」 とは別物になっていなければならないはずである。

今のままの 「邦楽」を、ある種の際物扱いにするなら話は別だが。

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