カテゴリー「経済・政治・国際」の448件の記事

2017/05/03

憲法記念日に思う

今日は憲法記念日。このブログを始めて (「ココログ」 を使用する前の 2年間を含め) 15年になるが、5月 3日にまともに憲法問題を論じたことがない。わずかに 「知のヴァーリトゥード」 のサイトを始めた 平成 14年の 5月 3日にほんのちょびっとだけ書いている。(参照 写真の下に引用する)

170503

今日は憲法記念日。テレビニュースは毎年のように護憲派と改憲派の両方の集会の様子を伝え、お茶を濁す。 以前は改憲派の方が危ないタカ派のイメージだったが、最近では護憲派の方がカチンカチンの時代遅れというイメージに変わってきた。

これについては、本日更新のコラムをご覧いただきたい。

この 「本日更新のコラム」 というのは、「知のヴァーリトゥード」 内の 「知の格闘技」 というサブサイトに納めてある "「何が何でも護憲」 の論理に首をかしげる" という一文だ。私がブログで憲法改正について論じたことがないのは、15年前にこのコラムで 「言いたいことは言っちゃった」 と思っているからである。

どんなことを書いたのかというと、日本国憲法の前文の英文で書かれたオリジナル (元々は英語で草案が作られた) を、作家の池澤夏樹氏が翻訳し直したものについて論評したのである。

現行憲法の前文は次の通りである。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

これに対して、池沢訳は次のようになる。

私たち日本人はいつまでも平和を求める。世界の人々が仲よく暮らすためには高い理想は欠かせないから、私たちは常にこの理想を頭においてことを決める。この国の存続、この国の安全は、私たち同様に平和を大事にする世界の人々の正義感と信念に委ねよう。

これは当時の毎日新聞の 『余録』 で紹介されていたのだが、余録子はこの池沢訳を褒めちぎっているのである。しかし私には違和感の大きすぎる訳だったので、自分のコラムで次のように書いている。

池澤訳によると、現行憲法では 「この国の存続、この国の安全」 を、「世界の人々の正義感と信念」 という極めて漠然としたものに、「委ね」 てしまっているのだ。(中略)

しかし、冷静に考えると、相当に怖い話ではないか。「期待」 ならば大いにすべきだろうが、「委ねる」 なんていうのは、どう考えても非常識だ。

私だって人一倍平和を大事にし、正義感だってないわけではないと思っているので、世界の国々の存続と安全を願わないではない。しかしある特定の国から、その国の 「存続と安全」 を勝手に 「委ね」 られたりしたら、はっきり言って大迷惑というものだ。「世界の人々」 だって、きっとそう思うだろう。 そんなものを勝手に委ねられても、責任の取りようがない。責任の取りようのないところに委ねるというのも、ずいぶん乱暴な話である。

これまでの護憲主義、とくに第 9条に関する主張は、究極的には 「自国の存続と安全を、責任の取りようのない他国の人たちに委ねる」 という精神で語られてきたもののように思われるのである。私にはそれは、あまりにもロマンチックすぎる論理に思われる。

国民の大多数が、「このロマンチックな理想のためなら、死んでも本望」 と覚悟を決めているなら憲法は今のままでもいいが、実際には 「いざとなったら、自衛隊さん、よろしくね」 と思っているみたいなので、それなら憲法にもそれなりに明記しておくべきじゃないかと思うのだ。ごく単純な理屈である。

ただ、誤解されると困るので付け加えておくが、私は安倍政権の提唱する 「集団的自衛権」 なるものには反対の立場である。そんなものを振りかざさなくても、国は守れるだろうよ。あれは戦争したくてたまらない人の言うことのように思われてしょうがない。

私は平和主義者である。ただ、この世から戦争がなくならないのは、「平和は総論で語られ、戦争は各論で説かれるから」 だと思っている (参照)。美しすぎる総論は、いざと言う時にはいつもセコい各論に負けるのだ。だから平和を守る総論も、ある程度の 「セコさ」 を担保しておいて、セコすぎる各論に負けないようにしておかなければならない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017/04/26

「業の深さ」 を感じさせる今村復興相の辞任

今村雅弘復興相が、つまらない失言問題で辞任するという。つい先日の記者会見では大荒れ発言などもあって、「つい、いろいろ口走っちゃいやすい人」 みたいだから、気をつけなきゃまたやるだろうなあと思ってはいたが、もうやっちゃった。

17042262

あの東日本大震災の問題を 「まだ東北で、あっちの方だったからよかった」 なんて言ったというのだが、所詮は他愛もない軽口ではある。ただ、私の住む茨城県南部もれっきとした被災地であり、しかも私は東北出身でもあるので、「他愛もない軽口」 とは思っても、正直なところ、ムッとくるところはある。

この人、昨年の熊本の地震に関しては 「九州の方だからよかった」 なんて、絶対に言わないだろう。何しろすぐ近くの佐賀県出身で、選挙区も佐賀県だしね。あの発言の趣旨は 「首都圏に近かったら莫大な被害があった」 ということらしいが、九州よりは東北の方が明らかに 「首都圏に近い」 し、現実に東京都区内でも被害があったことを忘れているようだ。

まあ、やっぱり心の底では東北を軽く見ているってことで、そうした意識がポロッと漏れてしまったのだろう。でも、フツーはこうしたことがつい口をついて出てしまいそうになっても、ギリギリのところで心の中のアラームが鳴るよね。

この人、東大法学部出身だというから、決してお馬鹿ってわけじゃないのだろうが、まるで魅せられたようにお馬鹿な失言を繰り返す。そしてこの人だけじゃなく、政治家というのはなぜか好んで失言をしてしまう 「業」 みたいなものを背負っているようなのだ。

この件に関しては、4年前に "政治家の失言問題と、「上品なジョーク」 がウケない風土" という記事で、「下世話な、あるいはレベルの低すぎるレトリックが問題」 と指摘している。

政治家は地元や支持者の集まりの講演会などで、つい 「リップサービス」 をしてしまうところがある。「私は結構ジョークの通じる、くだけた人間なんですよ」 とばかり、「身近なオッサン」 であることをアピールしたがったりするのだ。これについて、私は次のように書いている。

リップ・サービスしたかったら、少しは上品なジョークを多用すればいいという気もするのだが、私の経験から言わせてもらうと、日本のオッサンたちには上品なジョークって、全然受けないのである。受けないどころか、下手すると 「気取ってる」 なんて受け取られかねない。ウケを狙うとどうしても、下世話に落とさなければいけないというようなところがある。

つまり、我が国の大衆は下世話を欲しながら、まともに下世話で応えられると 「けしからん」 といきり立つ傾向があるのだよね。これはもう、なかなか困ったことなのである。こんな状況だから政治家の方でも、なかなか上品なジョークが上手にならない。

つまり政治家に失言が多いのは、支持者たちが下世話な話を好むからでもあって、こればかりは 「どっちもどっち」 というところがあるのだよね。話し手は基本的に聴衆に合わせて話しするわけだから。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017/03/31

パククネ前大統領、韓国のお約束通りに逮捕

韓国のパククネ前大統領が逮捕された。そういうことになるだろうとは思われていたが、やはりお約束通りのようにそうなった。

170331

方々で指摘されていることではあるが、韓国で大統領なんてやっちゃうと、その末路は大抵まともには収まらない。パククネ以前の大統領は、ざっと見ただけでも、次のような具合だ。

李承晩: 亡命・長男自殺
朴正煕: 暗殺
全斗煥: 光州事件の民衆殺害の罪で無期懲役の刑を受け、後に特赦
盧泰愚: 懲役刑を受け、後に特赦
金泳三: 次男逮捕
金大中: 親族が5人逮捕
盧武鉉: 不正蓄財疑惑の中で自殺
李明博: 実兄逮捕

上記以外にも大統領は一時的な代行職を除いて 2人いるが、その 2人にしても決して平穏な人生を全うしたわけじゃなかった。

1960年に李承晩の後を継いだ尹潽善は、朴正煕に追われるような形で自ら下野し、野党政治家となったため、いい目も見なかった代わりに、悲惨な末路を辿ることもなかったと見られていた。しかし10数年経ってから 「民主救国宣言」 を出したところ、非合法活動として起訴され、お約束通りに、実刑判決を受けた。

朴正煕の後に大統領となった崔圭夏は、全斗煥らによるクーデターであっという間に政権を追われている。大統領職にあったのは、10ヶ月足らずでしかなかった。

というわけで、韓国の大統領を務めた人物は、100%の確率で安寧な人生を全うしていないのである。1993年の文民政権発足以後に誕生した金泳三ら、5人全ての大統領が、「大統領になったことを後悔する」 といった旨の発言しているというのだから、尋常じゃない。これは偶然の結果と言うよりも、韓国社会の構造や、こう言っちゃナンだが、民衆のメンタリティに問題があるとしか思えない。

朝鮮日報は、韓国大統領が不正蓄財事件を起こし続ける問題の原因として、「帝王的大統領制」ともいわれる圧倒的な権力によって、大統領の親類や側近が 「虎の威を借る」 ことが可能な制度にあると指摘している 。つまり、大統領の一族郎党がよってたかっていい目を見たがる構造があるようなのだ。

そんなことだから、大統領の任期が切れて 「フツーの人」 になった途端に、恨み骨髄に徹した民衆に、よってたかって断罪されるという反動が生じる。これって、中国史の 「易姓革命」 みたいなものと指摘する人もいる。つまり、前王朝の歴史を全否定して、初めて次の王朝の存在基盤が確立するのだ。

こうしたメンタリティというのは、現代の民主主義の世の中においては 「極端すぎ」 に思われる。ちょっと韓国以外の世の中に出た経験のある人なら、悲惨な末路が約束された韓国大統領になろうなんて決して思わないだろう。国連事務総長を務めた潘基文が早々に大統領レースから降りたのは、賢明なことというより、ごくフツーの感覚だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/28

政治がつきあいきれない

政治が混迷していて、はっきり言って 「つきあいきれない」 状態になっている。私は米国や英国のような二大政党による政権交代が繰り返されるシステムがこの国にも根付けばいいと考えているのだが、どうもそんなことにはなりそうにない。きっと精神風土が違うんだろうと、ほとんど諦めかけている。

170328

ちょっと前までは、野党が、つまり民進党がだらしないから、こんな状況から抜け出せないのだと考えていた。しかしどうやら、民進党がだらしないというよりは、民進党がだらしなくならざるを得ない政治風土が、この国にあるのだと思えるようになった。

なにしろ 「ソンタク」 で動く政治だもの。表舞台では明確な論戦が行われず、避難の応酬にしかならない。そして舞台裏ですべてが進行する。舞台裏で動くのだもの。明確なことなんか言えない。「みなまで言わなくても、あとは官僚が適当にソンタクしてくれる」 という環境がなければならない。

そうなると、政権が度々移行してしまったら、ソンタクの加減がわからなくなって、やりにくくてしょうがないことになるだろう。だったら、阿吽の呼吸で通じてしまう自民党政権が続く方が楽だ。いや、私がそんなふうに思っているのじゃなく、あの界隈の連中が確実にそう思っているのだ。

民進党の蓮舫代表は、近頃とみに人相が悪くなってしまった。何を言っても言葉に重みがないし、ブーメランになってしまう確率が異常に高いので、仲間内でもまともにつきあってもらえないのだろう。「ソンタク」 の 「ソ」 の字も通じそうにない雰囲気を漂わせているしね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017/03/17

右翼同士で内輪揉めが始まった

先月 27日の 「例の森友学園の問題で思うこと」 という記事で、「昔の左翼運動は小さな違いで分裂に分裂を重ね自滅したが、教育勅語や靖国神社のお好きな人たちの情緒的結束力というのはかなりのもので、思いっきりまとまってしまう」 と書いたが、ごく最近はどうやら事情が違ってきてしまったらしい。右翼同士でも、揉める時にはいろいろ揉めてしまうもののようなのだ。

170317

昔、三島由紀夫は東大 (駒場) での全共闘との討論集会で、「たとえば安田講堂で全学連の諸君がたてこもった時に、天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う」 と発言した。右翼というのはこのくらいの度量の広さというか、情緒的共感力というか、そんな感じのメンタリティを持ち合わせているものと思っていた。

ところが近頃の森友学園問題をみていると、どうやらそうした美しい気概は消え失せてしまったようで、右翼的な姿勢の目立つ政治家たちが、ひたすら保身に走るようになっている。これまで (表面的には) 理念先行で突っ走ってきた右翼の世界も、実利的な損得を無視できなくなったということのようだ。

そうなると当然ながら、三島の憧憬の根源であった 「天皇という言葉の一言」 などはまったく聞かれなくなる。損得がからむと、右翼といえども根本的理念などに構っていられなくなるもののようだ。

安倍首相は先月半ばまでは 「妻から(籠池)先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている」 と言っていたのだが、2月下旬に入ってからは 「教育の詳細は全く承知していない」 「『がんばれ』 とか園児に言ってもらいたくない」 などと手のひれ返ししてしまった。昭恵夫人の新設予定だった小学校の名誉校長就任にしても、森友学園側は 「承認してもらった」 と言い、首相サイドは 「断った」 と言い張っている。

稲田防衛大臣に至っては、森友学園の代理人弁護士として出廷したことをトボけようとしてトボけ切れず、あげくの果てに 「失礼なことをされた」 とか 「一切関係を絶ってます」 とか、言わなくてもいいことまで口走っている。裏で何があったか知らないが、憂国の女傑としては、はなはだセコい印象だ。

橋下徹元大阪府知事は、「大阪府が無理筋の認可を出したのは、『近畿財務局の方から、これはもうなんとか条件付きでもいいから認可を出してくれ、出してくれ』 と圧力をかけられたから」 などと、露骨なまでに国に責任をなすりつけようとしている。この人、「国の言うことなんか簡単には聞かん」 という姿勢が売りだったのに、あれは単なる営業用ポーズだったのか。

その一方で、巷には籠池氏にすさまじい絶叫エールを送り続ける、チョー純真な愛国オバサンもいて、なかなかエラいことになっている。その声は、以下のビデオで聞ける。

このオバサン、かなりうるさいが、何かあったらトボけりゃいいと思っている政治家たちよりは、ある意味ブレることもなくしっかり忠義立てしているともいえそうだ。潔いといえば潔い。それは 「損得抜き」 の立場にいるからだろうね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017/02/27

例の森友学園の問題で思うこと

例の森友学園とやらの問題が、大きく取り上げられている。私の個人的立場としては、私立の学校がどんな教育方針を採ろうが知ったこっちゃないが、それが時の権力と癒着してしまったら問題だと考える。そして森友学園の場合は政権との距離が半端なく近そうなので、いくらなんでもヤバいんじゃないかと思うのである。

170227

ここの幼稚園では、「教育勅語」 を園児に朗唱させているという。このことに関しては、そりゃ私立の幼稚園の教育方針なんだから、別に構わないと思う。個人的には自分の子どもをそんなような幼稚園に入れたいとは決して思わないが、そういうのがお好きな人たちは入れたがるんだろう。

教育勅語がお好きな人たちは、「愛国心や親孝行など、人間として当然のことが謳われている。何がいけないんだ」 と言う。確かに、教育勅語を冷静に読んで見れば、それは言える。そう思うだけ、私の立場は読みもせずにヒステリックに批判するだけの人とは違う。

しかし私は、愛国心や親孝行を教えるのに、今どき敢えて教育勅語を持ち出す必要があるとは思わない。あれは変な手垢がついているところがあるから、敬して遠ざけておきたい。敬して遠ざけずに好んで朗唱したがるような人たちは、フツーの愛国心や親孝行以上のものをそこに期待しているのである。

私は九段の辺りを通りかかって時間があったら、靖国神社に参拝することもある。親戚に戦死した人がいるので、慰霊したいと思うからである。しかし境内にある博物館の 「遊就館」 の展示に関しては、ちょっと複雑な思いがある。

あの博物館の展示のトーンは、どう見ても太平洋戦争 (彼らは 「大東亜戦争」 と言ってるのかな) の全面的肯定だ。しかし私は、「国のために」 と命を捨てた人たちの慰霊と、あの戦争の全面的肯定とは、それほど単純にリンクするものではなかろうと思っている。まったくリンクしないというわけでもないが、あの展示はあまりにも直接的すぎて、私には違和感があるのだ。

中にはああいうトーンに違和感を覚えずに、「そうだそうだ、行け行け!」 と思ってしまうような人たちもいて、安倍首相なんかはそうした勢力の代表的存在なのだろう。昔の左翼運動は小さな違いで分裂に分裂を重ね自滅したが、教育勅語や靖国神社のお好きな人たちの情緒的結束力というのはかなりのもので、思いっきりまとまってしまう。

そして、まとまっている自分たち以外の勢力との対立軸を強調する傾向があるので、そんなメンタリティから時にはヘイトスピーチも生じたりする。安倍首相は米国では 「和解の力 (the power of reconsiliation)」 なんてスピーチをした (参照) のだが、彼らは相手によって和解と対立を露骨に使い分ける。戦争してるわけでもないのに。

その辺に結構な違和感を覚えてしまうので、私なんか靖国神社には参拝するくせに、そっちの方の動きに同調しようとは決して思わないのだよね。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2017/02/23

世の中に 「堂々たる駄々っ子」 が増えている

北陸への出張に出ている間、見逃していた新聞をざっと眺めてみると、まあ要するに、世界は 2人の駄々っ子にかき回されているみたいなのである。2人の駄々っ子とは、もちろん、ドナルド・トランプと金正恩だ。

170223

昨年末までは 「ドナルド・トランプの頭の中って、一体どうなってるんだ?」 と、わけのわからなさを感じていたが、年明け頃からそんなことはなくなった。要するに 「わかりやすすぎるおっさん」 なのである。あんまりわかりやすすぎるので、初めのうちは難しく考えてわからなくなっていたのだった。

この人、特別深い考えなんかないようなのだ。ただ単純に思ったことは口に出さないと気が済まないし、口に出してしまったらやらずには気が済まない駄々っ子なのである。「深い考えがない」 というのはもう公然の事実のようで、とにかく客観的な現状分析なんかしていない。自分の思い込みだけで突っ走る。

まともな現状分析なんかしていないから、とにかく 「なんじゃ、そりゃ?」 と言いたくなるような認識をまくしたてる。そのもっとも顕著な話が、「大統領就任式には史上最大の人数が集まった」 という発表だ。誰がどう見ても世迷い言なのに、側近のケリーアン・コンウェイ大統領顧問に 「オルタナ・ファクト (alternative facts: もうひとつの事実)」 とまで言わせている (参照)。

こんなめちゃくちゃな論理で政治をやられたら、国民はたまったものじゃない。気に入らない事実は 「ジャーナリズムが作ったでたらめ」 と決めつけ、自分の気に入る 「オルタナ・ファクト」 だけをわめき散らすというのは、誰かさんともろに共通する手法だ。

誰かさんというのは、もちろん北朝鮮の金正恩で、今回の金正男暗殺事件にしても、「我が国の顔に泥を塗るための韓国の陰謀だ」 なんて言い張っている。この国はいつもこの調子で、「オルタナ・ファクト」 のオンパレードだ。まともに取り合うことさえ馬鹿馬鹿しい。

そして米国までがそんなふうなことになっているのは、「堂々と駄々っ子でいさえすれば、どうにでもなる」 という風潮を作ってしまいそうで、困ったことだというしかない。で、そんな見地で世界を見回すと、世の中には堂々たる駄々っ子が増えてきているようなのだ。妙に大人でいるよりも、駄々っ子でいる方が楽だし、少なくとも損にはならないというようなことになってしまいつつある。

これは由々しき問題だよ、まったく。「堂々たる駄々っ子」 じゃなくて 「申し訳なさそうな駄々っ子」 とか 「おずおずした駄々っ子」 (両方とも、「そんなのありか?」 と言われそうだが、案外 「あり」 なのだよ) なら許せるんだけど。

【語句についての注釈】

"Alternative facts" という英語を 「オルタナ・ファクト (もう一つの事実)」 と言い換えるのは、あまりいい翻訳じゃないと思うのだが、ほかに適当な日本語が見当たらないので、ちょっと気持ち悪いけど我慢している。ううむ、何と言ったらいいのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/02/10

トランプは任期一杯までもつんだろうか

ドナルド・トランプが Twitter で 「私の娘のイヴァンカはノードストロームに不当な扱いを受けている」 と発言しているというので、かなりビックリしてしまった。百貨店が自らの判断でブランド取り扱いを止めるのに現職の大統領が口出しするなんて、前代未聞である。

170210

トランプだけでなく、大統領顧問のケリーアン・コンウェイというおばさんまでテレビ番組で、「イバンカの製品を買いに行ってください。すばらしい製品ラインだから。私もいくつか持っています。いっそのことここで無料のCMを流しましょう」 と発言した (参照) というのだから、ビックリ以上の成り行きである。今の米国っていったいどうなってるんだ。

トランプが大統領になってしまったとたんに、米国はとてつもなく下品な国になってしまったという印象だ。この駄々っ子にこのまま好き放題なことを言わせていたら、政治がマヒして国がまともに運営されなくなってしまう。この大統領は任期一杯までもたないんじゃないかという気がしてきた。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017/02/05

石原慎太郎のやり口が通用する時代じゃなくなった

下に示したのは、東京都が発行している 「東京いちばガイドブック」 というパンフレットの 2015年度版の一部である。内容は築地市場がどうして豊洲に移転するのかというテーマについて、総合的に説明した物だ。(画像をクリックすると、全体の PDF ファイルを見ることができる)

170205

都庁のサイトの中にある "TOKYO ICHIBA PROJECT" というページには、「東京いちば ガイドブック」 の2012年度版から 2015年度版までの PDF ファイルが登録されているが、2016年度版というのは見当たらない。原稿は準備されていたのだろうが、いくらなんでも出せなかったんだろうね。

こパンフレットには Q&A 方式でいろいろな疑問に対する回答が載っており、「土壌汚染対策はどうなったの?」 という質問 (上図の左中段) には、「土壌汚染対策は完了し、用地の安全性が確認できました」 と、図入りで回答されている。ずいぶん白々しいことを書いたものである。

そもそも築地市場が豊洲に移転することが決まったのは 12年以上前のことで、2004年 7月には 「豊洲新市場基本計画」 が策定された。決定前から 「築地市場が豊洲の東京ガス施設跡に移るらしい」 という話は知れ渡っていて、「よりによって、そんな土壌汚染があるとわかっている場所に、どうして移転したがってるんだろうね」 と囁かれていた。

要するに、豊洲の土地が土壌汚染問題を抱えているということは、今に降って湧いた問題じゃなく、初めから知られていたのである。当時私は、仕事の関係で毎日のように 「東京ベイエリア」 と呼ばれる地域に足を運んでいたので、これを結構身近なことと認識していた。そして 「石原慎太郎のことだから問題はすべて無視して、強引に事を運んでしまうんだろうな」 と、とても悲観的に考えていたのである。

ところがここにきて、豊洲の土壌汚染問題が今さらのように大きく取り上げられ、都が実施した汚染対策なんておざなりなものだという事実が明るみに出された。そこでようやく、移転が棚上げされる事態に至ったわけである。私に言わせたら、「遅すぎるよ!」 ということになるのだが。

この間の推移を早く言ってしまえば、「日本の民度も、ようやくこの程度には向上してきた」 ということになるのだと思う。12年以上前は経済原則最優先で、東京都としては 「土壌汚染問題なんて、テキトーに言いくるめて乗り切れる」 と踏んでいたのだろう。だからこそ、あれだけ危ない危ないと言われていたにもかかわらず、施設がほとんど完成してしまうまで、立ち止まることもなく突っ走ってしまったのだ。

ところが今になってようやく国民、都民の環境問題、食の安全問題に対する意識が高まってきた。まだまだ十分なレベルに達しているとは言いがたいが、「豊洲ってヤバいんじゃないの?」 と、大きな声で言えるところまでは辿り着いたのである。

早く言えば、10数年前の都知事とお役所の連中が、都民を甘く見ていたのだ。1年や 2年で完結してしまうプロジェクトなら、ダッシュで既成事実を作ってしまえたのだろうが、いかんせん、規模が大きすぎて 10数年もかかってしまったので、その間に都民も少しは利口になって、容易には口車に乗らなくなったのである。

思えば壮大な無駄遣いをしてしまったものである。もはや石原慎太郎のやり口が通用する時代じゃなくなったのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/01/27

米、メキシコ国境の壁の建設が始まってしまうのか

米国のトランプ新大統領が、メキシコ国境に壁を建設するという大統領令に署名した。これで実際に壁は建設されることになるのだろう。考えるだに馬鹿なことをするものである。こうなったら彼が大統領でいる 4年の間に壁の建設は完了せず、次の大統領が工事途中の壁をさっさと撤去してくれるように望む。

170127_2

メキシコ国境に壁を建設するなんてことが非現実的なのは、メキシコが 「払わない」 と言い、トランプが 「メキシコ産品に 20%の関税を課して払わせる」 と言っている費用の問題だけではない。環境的な見地からも悪影響が懸念されるし、実際の建設工事が始まったら、複雑な地形による困難さなど、多くの問題が浮上する。

まず壁建設により、砂漠の繊細なエコシステムが破壊されることが懸念される。ただでさえこの地域に生息する野生動物の多くが絶滅に瀕しているというのに、壁によって自由な移動ができなくなったら、食料やパートナーの確保が困難になり、絶滅の可能性がさらに高まる。

合衆国魚類野生生物局の 2016年のレポートによると、壁の建設により、絶滅危惧種 111種、渡り鳥 108種、4つの禁猟区および魚卵孵化場、および数え切れないほどの湿原に影響があるとされている。一度失われた環境は、それを取り戻すのに何倍もの時間がかかる。

また、壁さえ作れば密入国が防げるというわけではない。常に監視し続けなければ、壁を乗り越えるぐらいのことはそれほど難しくはない。3200km にも及ぶ壁全体を、どうやって見張り続けるというのだ。結局のところ、野生動物の自由な移動を妨げるだけのものになってしまう。

元々の地球には、国境なんていう線は存在しない。それは人間が勝手に作ったものだ。それは観念として存在し、物理的なものではないのだが、それを無理矢理に物理的な壁という形で固定化してしまおうというのは、意味のあることとは到底思われない。壮大なる無駄遣いに終わるだろう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧