カテゴリー「経済・政治・国際」の177件の記事

2008/07/02

居酒屋タクシー余談

昨日の 「居酒屋タクシー」 に関するエントリーに、中央官庁勤務経験のある風花さんから、現場視点の貴重なコメントをいただいた。

風花さんは一時期、中央官庁にいらして、深夜にタクシーでの帰宅を余儀なくされることもあったが、「居酒屋タクシー」 というものは知らなかったとおっしゃっている。

風花さんによると、タクシーチケットに表記されたタクシー会社に電話して車をまわしてもらい、それに乗るのが普通だったという。だから 「客待ちの列」 なんてものはなく、タクシー側も個人営業でなく 「タクシー会社所属」 のはずということである。

さらに、風花さんの記憶によれば、深夜帰宅のためにはタクシー会社所属のタクシーを使い、業務上でやむを得ず近距離の移動をするときに個人タクシーを使っていたいうことで、次のように書いておいでだ。

そんなわけで、会社タクシーは帰宅(長距離)、個人タクシーは会議場等(近距離)というイメージなのです。
タクシーチケットの管理・払い出しをしてる部署に帰宅用のチケットをもらいに行っても、原則として個人タクシーのは貰えませんでした。

かなり奇々怪々なお話である。もしかしたら、省庁によって運用が違うのかも知れないと思い、Google でそれらしい情報を検索してみると、「現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ」 に 「居酒屋タクシー  これが実態」 という興味深い記事がみつかった。

この記事によると、居酒屋タクシーを利用するのは、基本的にノンキャリア組なのだそうだ。彼らの官舎は埼玉だの三多摩のはずれだの、霞ヶ関から遠いところにある。いっぽう、キャリア組の官舎は、都心近くにあるので、タクシー側にとってもあまりうまみはない。

すこし前述の記事から引用させていただく。

 役所では基本的にタクシー券の使用は深夜終電がなくなったから使うことになっている。
 にもかかわらず個人的な都合で繁華街で飲み、帰宅には役所が出すタクシー券を使う猛者もいるそうだ。

(中略)

 酷いのはあの国交省だ。ノンキャリ・ダラカンのボスともなればタクシー券を数十枚、束で持っている。それを飲み会などで遅くなったとき「おい、お前はこれ」などと「タクシー券」をカッコよく子分の小役人へ渡しているのだそうだ。人の金なんだから平気。
 また、同僚の分として2~3枚要求しながら同僚に渡さずポケットにしまい込み、私的な飲み会などで使うやつもいる。

とまあ、かなり管理がユルユルみたいなのである。中でも国交省の管理はめちゃくちゃユルイみたいで、ちょっとしたインチキをすれば使い放題だったようだ。風花さんは悪事に手を染めることなく過ごされ、恭敬の至りである。

さらに面白い (と言っては語弊があるかも知れないが) のが、日刊ゲンダイの 「居酒屋タクシー処分で財務省ノンキャリア組の反乱が始まった」 という記事だ。キャリア組がほとんど無傷で、ノンキャリだけが槍玉にあがっているのに、どえらい反感があるのだそうだ。

役人にとっては、処分されたという事実は今後の出世に致命的な妨げになる。そして、役人というのは、三度の飯より出世がお好きな種族なので、これにはカンカンになって怒っているのだそうだ。「だったら、これからは定時に電車で帰る」 なんて言い出しているので、下手すると、来年度の予算編成に支障をきたすおそれもあるという。

逆ギレもいいところだが、無駄な残業をしないで 「定時に電車で帰る」 というのは、ぜひ実行してもらいたいものである。どうせ口だけなのかもしれないが。

まあ、とにかくお役人の世界というのはかなりの魑魅魍魎なのである。官僚上がりで選挙なんかに打って出るのは、定期的な人事異動の際に受け入れたがる部署がなくて浮き上がってしまった、生意気なやつが多いなんていうウワサもあるしね (誰とは言わないけど)。

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2008/06/27

衣料品業界からみた中国の裏事情

私のメシのたねであるアパレル業界内の話で恐縮だが、服を着ないで済む人はいないので、身近な問題としてお付き合い願いたい。

最近は日本国内で流通する衣料品の多くが中国製で、そのシェアは 7割を超えたといわれている。この中国製衣料品の品質問題が、業界の頭痛の種なのだ。

中国製品の品質というのは、別に衣料品に限らず問題が多いが、自分の関係する業界内の問題は具体的に耳にするので、やはりインパクトが大きい。ことは技術的な問題ではなく、あの国の人たちの精神構造にあるのではないかと思われるほどだ。

縫製が雑だというクレームは、これはもう、数え上げればきりがない。まともな縫い代が確保されていないので、本来縫い合わされているべき部分が穴になっていたりする。これなんか、縫い代をけちって用尺を節約し、余った生地を他に流用するためとしか思われない。ロットが大きいと、塵も積もればなんとやらで、かなりの量を流用できるだろう。

さらに、ズボンのサイドのステッチが中のポケットを縫い込んでしまっていたり、腕や脚の部分の裏地が中で一回転して通せんぼしていたりするのもある。どうやったら、こんなふうに縫えるのか、不思議になるが、中国の縫製工の賃金は出来高制なので、失敗してもお構いなしにどんどん流してしまうのだろう。

「両側に右袖が付いている」  なんていう例もそれほど珍しくないが、やはり前述の事情で、途中で失敗に気付いても気にしないという事情によると思われる。両方に右袖の付いた服が 1着出荷されたら、当然の結果として、両方に左袖の着いたのも 1着存在するだろう。

ベビー服のカバーオールで、ドットボタン (ホックのようなタイプ) を外そうとして引っ張ったら、凸が凹から抜けず、ボタン自体が生地から外れてしまって、生地の方に穴が残ったなんていうクレームは、ものすごく多い。多分、日本全国で 1日に何百件と起きていることだと思う。

これなんか、以前は生地が弱いのと、若いお母さんの取り扱いが荒いせいだと思っていたのだが、よく調べると、ボタン取り付けの際にきちんと位置決めのコマを使わずにテキトーに付けるので、中心線が合わず、外そうとすると無理な力がかかってしまうためのようだ。

全国の若いお父さん、お母さんは、ベビー服のドットボタンを外すときは、くれぐれも慎重に一つずつ外してもらいたい。そうでないと、生地に穴が開くから。それから、直接肌に触れる服を着せる前には、念のため一度洗濯しておく方がいい。以前に書いたこんな問題も気になるので。

ドットボタンだけでなく、普通のボタンもかなりいい加減に付けるので、外出から帰ったら 5個のボタンのうち、3個が消えていたなんてのも珍しくない。中国製の衣料品を買って、ボタンの取り付けが甘いと思ったら、自分で補強しておくことをお奨めする。

さらに問題なのは、企業ぐるみの不正としか思われないケースだ。

近頃、ドライクリーニング指定の衣料品を、洗濯屋さんが指定通りにドライクリーニングしたら、色落ちしてしまい、一緒に洗った他の服まで染まってしまったという例が多く報告されている。

これを調査してみると、日本のメーカーは仕様書で染料による染色を指示しているのに、中国側が勝手に顔料で染めてしまっているというのが原因ということが多い。顔料で染めたものをどっとドライクリーニングしてしまったら、これはやばい。

これは、顔料の方がずっと安いという事情による。勝手に安く上げてしまい、工賃の差額を横領してしまうのだ。それではやばいというので、日本側が必要量の染料を確保して送りつけてやると、敵もさるもの、その染料を他に転売してまで、安い顔料を買ったりする。

彼らはどうも、顧客との長期的信頼関係を築いておこうなんていう意識がないようなのだ。儲けられるうちに、手段を選ばず儲けておこうということらしい。これに関しては、中国人自身が、今の共産党独裁体制が長くは続かないと感じているためと指摘する人もいる。

こうした事情を知っていると、四川大地震で救援物資を軍が横流ししていると聞いても、全然驚かない。むしろ、そうなるものと初めからわかっているので、四川の被災者には気の毒だが、具体的な行動を起こす気になれないでいるのである。

まあ、日本においても食品偽装や耐震強度偽装の問題があって、五十歩百歩かもしれないが、少なくとも、衣料品のほとんどが国産という時代 (つい 15年前には、中国製なんて探してもなかなか見つからなかった) には、こんな問題はほとんどなかった。むしろ 「過剰品質」 なんて言われていたものだ。

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2008/06/10

福田首相の曲がったネクタイ

いささか旧聞で、しかもどうでもいいといえば本当にどうでもいいことなので、触れないでいたが、あまり誰も触れないので、ここは私が触れなければならないのかと思い、おずおずとだが、書いてみることにする。

何かといえば、欧州訪問を終えて 5日に帰国した福田首相のネクタイの曲がり方である。

羽田空港に着陸した専用機のタラップに姿を現した福田首相のネクタイが、かなり曲がっていたのである。わが家では、「福田さん、もっとちゃんとネクタイしないとだめじゃん」 と話題になった。

ネットで検索したら、毎日新聞のサイトにその時の写真を添えた記事が見つかった (参照)。この記事の写真では、撮影角度のせいかあまり目立たないが、当日のテレビニュースではかなり曲がり方が目立っていた。

福田さん、「スーツの方が "かりゆし" より肩が凝らない」 (参照) なんていうぐらいなら、ちゃんと気を付けてもらいたいものだ。なお、毎日新聞の記事は、放っておけばすぐに消えてしまうのが確実なので、不本意ながら魚拓を取っておいた (参照)。

で、ネクタイの曲がり方なんていうのは、実はどうでもいいことなのである。私はネクタイなんか年に 20回もしないので、別に締め方に特別なウンチクをもっているわけでもなんでもないし。

ただ、私が気にかかったのは、総理の周辺には、ネクタイの曲がりに気を配ってくれる側近がいないんだねという、そのことなのだ。

欧州歴訪を終えて着陸した飛行機のタラップに姿を現せば、新聞やテレビのカメラが一斉に首相の姿を捉えるのはわかりきっている。それなのに、誰も首相のネクタイの曲がりを直してあげようとしなかったのは、一体どういうことなのだろう。

気の利いたスタッフが一人でもいれば、飛行機の出口に向かう首相の姿をさっとチェックし、小声で 「首相、ネクタイが曲がってます」 と注意してあげるぐらいのことはするだろう。あるいは、さりげなく直してあげてもいいかもしれない。

私みたいに妙なところで重箱の隅をつつくのが好きなやつも少なくないから、首相側近というのは、ネクタイ一つとはいえ、きちんと気を配っていなければならないのである。少なくとも、米国大統領だったら、あんな姿で飛行機のタラップには現れない。

ところが、同行スタッフの誰一人として、首相のネクタイに気を配ったりはしなかったのである。福田さん、よっぽど人望がないんだろうか。あるいは、既に見放されてるんだろうかなどと、おずおずながら思ってしまったりするのである。

あのネクタイの曲がり方は、いろんなことを象徴しているように思えてしまったのだ。

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2008/06/05

お国のやり方は、おいといて

大阪府の橋下知事が職員との対話集会で、「国が考えていることは全然都道府県のためになっていない」 と批判したそうだ。(参照

「官僚が霞が関で現場を知らずに考えても、政策立案できない」 と、なかなかまっとうなことをおっしゃったようなのである。はっきり言って、まったくその通りだと思う。

お国が新政策だの新規事業だの改革だのと大げさに言い立てる場合、そのベースとなる理論武装は、まあ、どっかの学者とか大手コンサル会社とかのブレーンがまとめた筋書きである場合が多い。

で、その筋書きというのは、学者とかコンサル会社とかがまとめたものだけあって、メジャーな論理で一貫している。で、ストーリーの最大公約数は、「従来の因習的な手法は限界に達しているので、新たなメソッドに沿った運営を大胆に取り入れなければならない」 というようなところに落ち着くことになっている。

言われてみればその通りの、「正しい」 筋書きの提案なのである。この正しさについて行けないものは、「負け組」 になるのも仕方がない。どうして、みな 「勝ち組」 になる選択をしないのか不思議になるほど、まったくもって 「ご無理ごもっとも」 なのである。

ところが世の中というのは、いつも 「正しい選択」 をするとは限らないのだ。考えてみれば、今の勝ち組は、たまたま 「正しい選択」 をしたから、「勝ち組」 たり得ているのである。

だが、過去に 「誤った選択」 をしたか、あるいは何も選択せずに成り行きだけでやってきたために 「負け組」 になっている 「その他大勢」 に、「お前ら、そんなことだからダメなんだ。ちゃんと正しい選択をすれば、もっといい目が見られるんだ」 とけしかけても、それは無理な相談なのだ。

「正しい選択」 とやらができるほどの能力と資力があれば、とっくにやっている。それができないからこそ、苦労を重ねているのだ。

ある中小企業の社長は言う。「お国の主催する経営セミナーなんかに出ても、『お前ら、これを理解しろ。理解できないやつは、滅びる』 と説かれ、『ああ、だから俺んとこはうだつが上がらないのだ』 ということがわかるだけで、帰り道はますます絶望的になるんですよ」

うんうん、その気持ち、よくわかる。

今、地方が不況にあえいでいるのは、中央が 「正しい選択」 やらをして、「勝ち組」 と化し、地方を 「その他大勢」 に落とし込める構造になっているからである。中央を 「大手企業」、地方を 「中小企業」 と言い換えても、ほとんどそっくりそのまま通じる。

だから、お国が中央の論理で立案した政策が、地方の役に立つことはほとんどないのだ。そうした構造から脱却する道は、「道州制」 どころか、ちゃんとした 「連邦制」 に移行することだと思うのだが、それはいつのことになるやら、見当がつかない。

なにしろ、世の中はいつも 「正しい選択」 をするわけじゃないから。とりあえず、連邦制になると中央のお役人はメシの種が減るから、まともに取り組むわけがないし、役人がまともに取り組まなければ、国は決して動かない。

我々は、あまりお国のいうことに一喜一憂しないで、ぼちぼちやっていくしかないのである。

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2008/06/02

減反見直し? 大豆と小麦?

世界的な食糧不足傾向に関連して、町村官房長官が 「コメの減反政策見直し」 を言い出すと、とたんに、加藤さんが 「全く逆で、大豆や小麦を作らなければ」 と応酬した。

私は農政に関しては、まったく素人だけれど、いろんな見方があるものだなあと感心してしまう。正解ってどこにあるのだろう。

正解は多分、「やってみなけりゃわからない」 ということだと思う。どちらかが完全に正しくて他方が完全に誤りということは、世の中にはほとんどない。それに、お二人の選挙区の事情だって、それぞれあることだろうし。

町村さんは北海道、加藤さんは、私の故郷、山形県庄内である。北海道は大規模な農業経営が多いから、コメが多少値崩れしたところで量で勝負できるだろう。逆に庄内の農家は、手間暇かけたコメ作りをしているので、値崩れしたら死活問題だ。

こうなると、それぞれの地元の都合でモノを言ってるだけなんじゃないかと、勘ぐりたくもなろうというものである。

正攻法で考えても、減反政策を撤廃してコメを増産し、食糧不足の国に輸出するなんて言うが、日本の高いコメを買える 「食糧不足の国」 って、それほどあるのだろうか? 中国の富裕層は日本のブランド米がお好きだそうだが、それは特殊な例だろう。

それとも、政府が高い価格で買い上げて、一括して安く輸出するなんていう慈善事業をするつもりだろうか。そのための外郭団体を作って、またまた役人の天下り先を確保しようなんていうのだろうか。

逆に、大豆や小麦の生産を急に増やして国内の自給率を高めようとしても、贅沢な日本の市場で受け入れられるだけの品質のものを、一朝一夕に作れるのだろうか。これも疑問である。

実際には、両面作戦でぼちぼち様子を見ながら進んでいくしかないのだろう。日本全国を一律に考えてどうこういうから、まとまる話もまとまらなくなる。中央集権的制度の悪いところだ。各地域でより現実的な方策をとればいい。それしかないじゃないか。

農政に関しては、昔からお国がああだこうだと、余計な口を出しすぎみたいなところがある。おかげで、お国と農協の言いなりで、あまりまともにモノを考えない農家が大量生産された。

全体が 「右向け右!」 で動いてもろくな事にならないというのは、歴史が証明していると思うがなあ。

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2008/05/24

「残業」 と 「超過勤務」 の微妙な違い

最近、「残業手当」 があちこちで話題になっている。マクドナルドの 「名ばかり店長」 や、トヨタの 「カイゼン」 活動にも残業手当が支払われるようになったという。

まあ、考えてみればごく当然のことなのだが、これまでの日本人のメンタリティでは、支払わないことが許容範囲内だったのだ。

私なんかも、勤め人時代は 「サービス残業」 ばっかりだった。とはいえ、私の場合はかなりドライに割り切っていて、勤務時間が終わればさっさと帰ってしまう人だった。昔からチームで動く仕事というよりは、「会社内個人商店」 みたいな仕事が多かったから、それでなんの不都合もなかった。

それにこう言っちゃ何だが、私は仕事はかなり早い方だから、てきぱきこなしてしまえば、残業するほどのことはほとんどなかったのである。そして、たまに勤務時間内に終わらないことがあっても、夜遅くまで残らなければならないことなんて、滅多になかった。元々 「会社内個人商店」 的発想だから、残業手当が欲しいと切実に思ったこともない。

ところが、チームで動くことが必須のサラリーマンが、どうしても勤務時間内に仕事を終えることができなければ、残業手当をもらうのが当然である。それは議論以前の問題だ。ところが、これまではこうした残業でも 「サービス残業」 で対応することが多かったし、おそらく今でもそうなのである。

唐突だが、私はこれは 「言葉」 の問題が大きいと思っている。我々は少なからず言葉に縛られた存在である。

英語で 「残業手当」 のことを "ovetime allowance" という。"allowance" には 「許容」 という意味もあるので、下手すると日本人は 「サービス残業」 のことと誤解してしまうが、この場合は 「給与」 とか 「支払い」 とかいう意味合いである。

つまり、英語では直訳的には 「超過時間給与」 というのだ。はなはだドライで割り切った言い方である。契約した勤務時間を超えたら、それなりの手当がついて当然という考え方だ。

一方、日本語の 「残業」 という言葉は、「残って仕事をする」 という意味合いで、契約時間を超過して云々というニュアンスはかなり薄まってしまう。「仕事が終わらなかったんだから、残ってこなすのも仕方ないじゃん」 ということになりがちだ。

ところが、米国では、アシスタントのおねえちゃんが、書類コピーの途中で勤務時間が終わったら、もうそのままに放り出して帰ってしまうのが当然のことなのである。ボスが 「最後までコピーしてよ」 と要求したら、それなりの  "ovetime allowance" が発生する。

それしきのことで余計な支払いが生じるぐらいなら、そのまま帰ってもらって、翌日の朝イチで仕上げてもらう方がずっと楽なので、誰も文句を言わないのである。

日本でもようやく、「残業手当」 というのはとりもなおさず 「超過勤務手当」 なのだという認識が一般化しようとしている。これは国際常識からすれば、「いいこと」 というよりむしろ 「当然のこと」 ということになるだろう。

しかし、そのために日本の産業の目に見えない微妙な国際競争力が、またまたそがれることになる。というか、これまでは、日本が勝手にハンディキャップをもらって競争していたとも言えるのだが。

ちなみに、私なんか、ワンマン・カンパニーなので、毎日が 「サービス残業」 である。

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2008/05/20

すべての無駄遣いは 「必要な無駄遣い」?

業界団体事務局というところには、時々、要りもしない荷物が届くことがある。どっかの役所や団体主催のイベント・ポスターとか、そのキャンペーン用パンフレットとかである。

で、余計なポスターを貼る壁のスペースもないし、パンフレットだって引き取り手がほとんどないから、結局捨てることになる。

先日も関係先の某団体事務局に、某独立行政法人から、某イベント用に作成したはいいが、多分大量に不良在庫として残ってしまったのであろう冊子が、段ボール 2箱分、有無を言わさず送りつけられた。

申し訳ないがはっきり言わせてもらうと、配布されても誰も喜ばないような、制作者の都合のみで作られた代物である。

こんなもの送りつけられても、誰ももらってくれず、団体所属企業に 1部ずつ送りつけようとすれば、かなりのコストがかかる。それに、たとえそうしたとしても、送りつけられた先で、あっという間にゴミ箱行きになるのが見え見えである。

放っといてもスペースを無駄に取るだけなので、当然ながら 「捨てちまおう」 ということになる。で、段ボール箱から出して、いくつかの山に分けてビニール紐でくくり、ゴミの日に出すという、余計な仕事をすることになる。考えれば、いや、考えるまでもなく馬鹿馬鹿しいことである。

つまり、この冊子は何割か (あるいは半分以上?) を捨てるために、高いコストをかけて製作されたわけである。さらに、自分で捨てるのは忍びないので、わざわざ佐川急便に運賃を支払って、関係諸団体に送りつけ、他人の手で処分してもらっているのである。

とまあ、今回は一つの馬鹿馬鹿しい例を紹介したが、行政や公的団体というのは、詳細に見るとものすごく無駄なことをしている。何のために無駄をしているのかというと、結局は役人や職員を食わすためである。

役人や職員が食えると、少しは他にも利益が廻る。その利益が巡り巡って経済発展に役立つのかもしれない。しかし、それなら初めからもっと意味のあることで金を使って、ストレートに経済発展させたらいいじゃないかと思う。

しかしそれはそれで、今度は 「意味のあること」 の見極めというのが、とても難しい話になるのだ。「見極め作業」 をするための 「諮問会議」 とかいう名のセレモニーのために、またまた余計な金を使うことになる。

そして、そのセレモニーで 「意味のあること」 と答申されたので、大変な意気込みで実施された事業が、結果として本当に意味のあることだったというのも、実はそれほど多くはないのである。なかなか悲しいものがある。まあ、「諮問委員」 自体がお役所の人選なのだから、しかたないことなのだけれど。

そんな余計な上にさらに余計なことで金を使うぐらいなら、テキトーに使う方がまだましというのも仕方のないことなのかもしれない。経済というのは、かなりの比率の無駄遣いを当初から織り込んで廻っているもののようで、それをすべて切りつめると、大変なデフレになってしまうだろう。

あるいは、「すべての無駄遣いは、『必要な無駄遣い』 である」 とも言えるのかもしれない。なにしろ経済は 「複雑系」 だから。しかし、それは少なくとも 「エコ」 じゃないよね。

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2008/05/17

日本は高級車と軽自動車の市場になるのか

日本の自動車保有台数が、初めて減少に転じたそうだ (参照)。オイルショックでも、バブル崩壊直後でも、前年同月比が 3ヶ月連続減少なんていうことはなかったのに。

これは、新規購入が廃車に追いついていないということを示す数字だろう。買う人よりも手放す人が多くなったのだ。

私の父は 77歳だが、2年ほど前に購入した車を 「人生最後の車」 と思っている。この車を乗りつぶすまで乗り、廃車にしたら、その後は運転免許を返上するという。今でも、年間で 数百 km しか乗らないようなのだが。

昨年までは今年 3月の運転免許更新をしないつもりでいた。高齢者になると、運転免許更新にいろいろな検査が必要になり、時間がかかる。しかし母の看護のために、そんなに長く家を空けているわけに行かなかったのだ。

ところが、昨年 5月に母が亡くなったために、「もう一度だけ、免許を更新してみよう」 と思い立ったそうだ。更新にあたって、視力だのなんだの、もろもろの検査を受けたところ、実年齢より 10歳以上若いと言われて、ご機嫌になっていた。これなら、あと 5年は車を運転しても大丈夫だろう。

ところが、世の中は高齢化の波にもまれて、車を運転できなくなった層が増えており、彼らは次々に車を手放して、運転免許の更新もしなくなっている。団塊の世代が 70歳を超える頃になったら、この動きはますます加速するだろう。

一方で、少子化はずっと前から続いているので、新たに運転免許を取得する人数はそうそう増えるわけがない。さらに、運転免許は取得しても、車を購入できるとは限らない。低所得の若年層はかなり増えている。車の台数は減るに決まっているのだ。

それでも、3ヶ月前までは日本人の保有する自動車台数は増え続けていたというのだから、思えば自動車市場はずっと 「ビミョーにバブル」 だったのだ。バブルさ加減がビミョーだったために、思い切りはじけずに済んでいたのだ。

こうした状況は今後も続くだろうから、自動車業界は利益確保のために、1台売れば利益の大きい高級車の開発に力を入れるだろう。ただ、それだけではマーケットが限定されるので、一方では低価格の大衆車にも力を入れなければならない。

これまで日本の自動車市場は、カローラを代表とする 「性能のいいコンパクトカー」 が主力だった。この構造が今、崩れつつある。極端にいえば、高級車と軽自動車の市場になる。そして、それは日本経済全体を象徴することにもなるのだろう。

「優秀な普及品」 を得意としてきた日本の産業界は、その性格を根底から変えることになる。

8割が中国製といわれるようになった衣料品市場では、既にその傾向が顕著になっている。「ブランド品」 と 「廉価品」 が増えて、それなりの値段で品質は高級品なみという定評のあった国産品 (いわば 「カローラ」 みたいなもの) のレンジが、極端に薄くなっている。

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2008/05/11

賞味期限切れのヒラリー

米国の民主党大統領指名候補者は、いよいよバラク・オバマ氏で決まりのような雰囲気になってきた。ここまで来てしまうと、ヒラリーの逆転は難しいだろう。

ブッシュの任期が 2年前だったら、そりゃもう、圧倒的大差でヒラリーが大統領になっていただろうに、運命とはわからないものだ。

2006年の中間選挙は、ブッシュ対ヒラリーの対決みたいな様相を呈していて、ジョージ・ブッシュのイラク政策失敗とヒラリー人気で、民主党が上下両院で多数党となった。そして今だから言ってしまうが、この頃が、ヒラリーの一番いい時期だった。

私はこの中間選挙の結果を受けて、「どのように振る舞い、何を言えばスマートに見えるかを熟知しているヒラリー・クリントンと、どのように振る舞い、何を言えば馬鹿に見えるかを知らないジョージ・ブッシュとでは、勝負は目に見えていた」 と書いている (参照)。この件に関しては、これ以上の総括を私は知らない。

その上で、私は次のようにも書いている。

彼女のインタビューなんかを聞いていると、何を聞いたらどう答えるかというのが、大体想像通りだったりして、意外性というのはほとんどない。アメリカのベビー・ブーマーズの最大公約数的な 「スマートさ」 というのを、意識して身につけているだけという気がしないでもない。

(中略)

私はビル・クリントンが大統領に選出される前、彼を 「アメリカの口先男」 と呼んでいた。同じように、今のうちに言っておこう。「ヒラリーは、ただスマートなだけ」 と。

私は案外直観だけでものを言っちゃう傾向があるのだが、ヒラリーのケースについては、その直観が当たったみたいな気がしている。

ヒラリーの野心満々さが世界中に決定的に印象づけられたのは、3年前の自伝 "Living History" の発売の頃だった。この自伝が出た 2005年 6月に、私はちょうどアメリカにいた。発売前から、テレビではこの本のプロモーションがガンガンに流されていた。

6月 9日の発売当日、11時開店の書店には、9時から行列ができたそうである。政治家の自伝でそんな大騒ぎになるなんて、日本じゃ絶対に考えられない。で、その日私はシカゴの空港にいたので、空港内の書店で、全然並ぶこともなくサクサクと立ち読みできた。

この時のことは、"Today's Crack" がココログに移行する 1年前、"ヒラリーの 「あざとい」 自伝" という記事で、次のように書いている。

あまりの話題なので、空港の書店でちょっと立ち読みしてみた。

「私はファーストレディとして生まれたわけでも、上院議員として生まれたわけでもない。ましてや、民主党員として生まれたわけでもない」

ちょっと立ち読みしただけなので、細部は違っているかもしれないが、彼女の自伝は、のっけからこんな調子で始まる。これで、買って帰る気がしなくなった。

ベビーブーマー的スマートさはあるけれど、スーザン・ソンタグをいやらしくしたような、かなりあざとい書き出しである。マーケティング的分析で練りに練った上で、印象的な 「つかみ」 として採用された文章だったのだろうが、個人的にはうんざりするスタイルだ。

私はこの時の記事を、「多分、彼女は米国で初の女性大統領になれるだろう。しかし、それは米国社会の底の浅さを物語るものでもあるような気がする」 と結んでいる。

この 3年前の直観は、どうやら外れそうだ。米国初の女性大統領になるのは、ヒラリー以外の誰かだろう。米国社会は、それほどまでには底が浅くなかったというより、ただ単に、彼女の賞味期限切れのためのような気がするのだが。

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2008/05/08

パンダと キティ、ドラえもん

いやはや、驚いた。日本中この話題でもちきりだが、中国からパンダを 2頭借りるのに、年間 1億円を払うんだそうだ。

「友好のシンボル」 なら無料と思っていた私が馬鹿だった。恥ずかしながら、甘すぎた。しかし、「貸すから金寄こせ」 で 「友好」 とは、なんだか割り切れない感覚だなあ。

これまでも中国は 「友好のシンボル」 として、何頭かパンダを日本に貸し出していた。日本側は 「友好のシンボル」 を真に受けていたが、その割には、向こうはその時々で 「日中友好」 を強調したり、「反日」 で盛り上がったり、ずいぶんなご都合主義だなあと思っていたわけだ。

ああ、これでわかった。パンダが日中の 「友好のシンボル」 というのは、単なる名目で、実際は単なる 「レンタル契約」 というビジネスに過ぎなかったのだ。それならば日本人も、パンダを見るたびに 「日中友好」 なんてことを条件反射的に思い浮かべる必要は、全然ないわけだ。金払って借りてるだけなんだから。

その上で、さらに思ってしまうのだが、1億円も払ってパンダを借りるというのに、日本は、「ドラえもん」 でも 「キティちゃん」 でも、ほとんど無料で貸し出しているようなもんじゃないかということである。だって、向こうじゃ知的所有権無視で使いまくりだし。

それを考えると、パンダのレンタル料 1億円なんて踏み倒してしまっても、貸し借り関係は日本側が圧倒的に貸しを作ってるという状態じゃなかろうか。

いやいや、日本は中国人の発明した 「漢字」 というものを無料で使いまくりだから、それでも貸し借り関係は圧倒的に中国優位だという立場もあるかもしれない。戦争中の植民地支配のどうのこうのも考えろとか。

しかし、そこまで無理矢理にさかのぼると、今度は中国のチベット問題が出てくるだろうから、両刃の剣である。止めといた方がいいんじゃないかなあ。

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2008/05/01

ガソリンがまた高くなるので

私は茨城県つくばの里、つまり、車で動かないと人間の暮らしができない地域に住んでいるので、ガソリンはそりゃあ、安い方がいいに決まっているのである。

てことは、暫定税率復活というのは、バッドニュースである。日本中の田舎にとっても、バッドニュースなのだ。

1ヶ月間、ガソリンがリッター 120円台で入れられた。これでも、ちょっと前までは 100円以下だったことを思えば、かなり値上がりしているのである。とはいえ、原油高騰のおり、なんとか一息つけた。しかし、それも短い夢で終わろうとしている。

田舎の人間にとっては、ガソリンがリッター当たり 150円以上というのは、かなり痛いのである。できることなら、120円台で据え置いてもらいたかったのである。そして、田舎の人間というのは、とりもなおさず、これまでの 「保守王国」 を支えてきたのである。

「暫定税率は必要」 なんて、ものわかりのよすぎることを言っているのは、車なんて必要ない都会の人間だけである。田舎の人間は、いくら道路ができても、自分が運転するためのガソリンが買えなければ、どうしようもないのである。

車を運転しなければ、CO2 は減るだろう。そりゃ、素晴らしい。だったら、道路も造らなければいいのである。道路が要らなければ、税金も要らないのである。

長い間自民党の支持基盤であった 「保守王国」 の土台がガタガタになっているというのは、既に何度も触れた。一昨日は 「既にぶっこわれている自民党」 と書き、昨年夏には "近頃 「いい目」 を見てなかった保守王国" という記事を書いた。この保守王国の屋台骨崩壊は、今回の暫定税率復活で、決定的となった。

「暫定」 のはずだった税率を恒久的なものと考えて、その上で何の疑いもなく毎年使い放題の予算を組んできた自民党政権が、どうかしていたのである。無駄遣いを抑制すれば、なんとでもなるのに、そうしなかったのがいけなかったのである。

そして、自民党は今、さらに我と我が首を絞め続けているのである。私は自民党に義理なんてないから、どうでもいいのだ。この国も、少しは政権交代が可能な国になれば、代議士も官僚も、少しは目が覚めるのである。

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2008/04/29

既にぶっこわれている自民党

衆院山口 2区の補選は、サンスポの見出しの言葉を借りれば、民主党が自民党を 「秒殺」 してしまった。これは大方の予想通り。

で、自民党の敗因だが、驚いたことにアサヒは "敗因は 「後期高齢者医療制度しか考えられない」 (参院自民党幹部) との見方が強まっている" と伝えている (参照)。

これには驚いた。本当にそう思っているとしたら、この 「参院自民党幹部」 さんを初めとした自民党とアサヒ、相当ヤキが回ってしまったとしか思えない。そりゃ、後期高齢者医療制度も敗因の一つだろうが、「しか考えられない」 というのでは、頭悪すぎる。

本当の敗因は、自民党の制度疲労である。すでに自民党という組織が半分以上ぶっこわれて、時代に合わなくなっているのだ。それについては、昨年夏の参院選直後に、"近頃 「いい目」 を見てなかった保守王国" というエントリーで少し触れている。

私はこの記事の中で次のように述べている。

田舎は最近、全然いい目を見ていないのである。大都会との格差は広がるばかりで、さっぱりいいことがない。自民党が天下を取っているうちは安心だとばかり思っていたが、どうやら、この頃の自民党は 「改革」 なんてきれい事を言い出して、都会志向ばかりしているように思われる。

(中略)

「改革」 を推進しないことには、日本が危ない。しかし、それをやりすぎると、自民党が危ない。ある状況でうまくできすぎていたシステムは、その状況が変わると、とてつもなくしんどいことになる。

小泉さんの時代、自民党は衆院選で歴史的な圧勝をした。小泉さんは、いわゆる 「保守王国」 とか、特定郵便局長とか、そういった因習的自民党支持基盤を思い切りよく切り捨てて、日本の人口の多数を占める都市労働者を取り込むために、自民党を 「ぶっこわし」 てしまった。そして、直後の選挙でそれが大当たりしたのである。

小泉さんの政策が正しかったのか間違っていたのかはともかくとして、なにしろ、わかりやすかった。これは、彼の最大の功績である。わかりやすくしさえすれば支持されるという素晴らしい教訓を、なぜそれ以後の首相が踏襲しないのか、気が知れない。

昔の竹下さんは、自分で 「言語明瞭、意味不明瞭」 なんて称していたが、とんでもない。あれは 「言語不明瞭、意味さらに不明瞭、されど下心みえみえ」 というのである。「言語明瞭、意味不明瞭」 というのは、むしろ、今の福田さんのような人のことだろう。

小泉政権時代の衆院選での自民党大勝利の要因は、「モノ、はっきり言うちゅうこってすわ」 という、塩じいこと塩川正十郎氏の鋭い指摘に、端的に象徴されている。それについて、私なんか、3年近く前に書いてるぞ。

政治というものは、わかりにくくてしょうがないと思われていたところにもってきて、日本で初めて (あるいは、田中角栄以来、30数年ぶりに) 保守政治家がわかりやすい、もしくは、わかりやすい気がすることを言ったのだから、小泉政権は支持されて当然だったのである。

ところが、この小泉さんの時代で既に、自民党は半分以上 「ぶっこわされていた」 のだから、ぶっこわされる前の手法に逆戻りしても、その手法は機能するはずがないのである。あんまり機能しないものだから、安倍さんは心身症になり、福田さんはマヒ状態に陥っている。

じゃ、小泉さんが 「ぶっこわし」 をしなければよかったのかといえば、そうでもないだろう。小泉さんが自民党をぶっこわさなければ、日本が沈んでしまうところだったのである。日本が沈むよりは、自民党がぶっこわれる方がまだマシである。

自民党は既に、相当の部分をぶっこわされているのである。そこに目をつむっていては、今の日本がわからなくなる。民主党が頼りになるわけでは決してないけれど、一度ぶっこわされた政党がまともに機能を発揮できないのは当然と気付かなければならない。

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2008/04/28

IOC会長、上から目線で中国擁護

IOC 会長が 「中国建国の 1949年当時は、多くの西欧諸国も植民地問題を抱えていた」 として、中国への人権問題関連の非難を中止するよう呼びかけたのだそうだ (参照)。

ことの是非はともかくとして、私はこの呼びかけの趣旨を、当の中国共産党がどう評価するかにものすごく興味をそそられる。

IOC のロゲ会長が英国の Financial Times のインタビューに応えて語った基本的な前提は、「西欧社会が現在に至るまで、フランス革命から 200年を要した。中国は1949年に建国したばかり」 ということだ。その上で、「(西欧諸国が) ようやく植民地の独立を承認したのは 40年前。(我々も) もう少し謙虚な立場を取るべきでは」 との見方を示している。

この指摘は一見謙虚に見えるが、よく吟味してみると、「我々が歴史においてとっくに通り過ぎたことを、中国は今、ようやく経験しているのだから、まあ、暖かい目でみてやろうじゃないか」 という、かなり 「上から目線」 的発言である。

欧米諸国のバッシングを牽制してくれたという意味では、中国にとって悪い話ではないかもしれない。しかし、誇り高き中華思想の中国人が、「本当にそうだよ。わかってくれてありがとう」 と、素直に受け入れて喜ぶようなものの言い方では、基本的にないのである。

とはいえ、「ふん、余計なお世話だ」 と、くってかかるわけにもいかない。IOC 自身の利害から発する発言でもあるので、純粋に中国擁護の意図から出たものとは言えないにしろ、この発言にくってかかったりしたら、さらに火に油を注ぐようなことになる。

中国語では 「がんばれ!」 というのを 「加油!」 というらしいが、こんなところで油を注いだら、ややこしいことになってしまうのである。

だからといって、この発言を素直に認めてしまったら、今度は自らの後進性を認めることになる。さらに、現在の自国の人権抑圧やチベット問題を、自らが非難してきた西欧諸国の植民地政策と同じ次元のものと追認することになる。ということは、あれだけ力を入れてきた反日教育も、根拠を失ってしまう。

というわけで、中国としては、今回の IOC会長発言はあまりにビミョーすぎて、素直なリアクションをとるわけにいかないだろうと思うのだ。この発言、意図したわけじゃないだろうが、かなり 「両刃の剣」 的性格を持っている。

多分、中国は今回の発言にはとぼけてしまうのだろうが、直接的な反応をぜひ見てみたいと、わたしなんか思うのである。ちょっと意地悪かも知れないけどね。

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2008/04/22

中小企業のオヤジさん、10月まで死ぬな!

息子に社長を譲るつもりの中小企業の経営者で、どうも老い先が長くなさそうな気がしている人は、何としても今年の 10月までは、死なないでがんばってもらいたい。

10月以後、「事業承継税制」 というのが変わって、株式相続に関する相続税の納付が猶予されたり免除されたりするからだ。

私は基本的にこの方面の話にはうといのだが、近頃初めてこの話を聞いて、「おぉ、政府もたまにはいい法律を作ってくれるじゃないか」 と、拍手したい気持ちになったのである。これで中小企業の跡取り息子が、相続税を払えなくて会社をたたんでしまうなんてことが避けられそうなのである。

現行では、非上場の中小企業の株式を相続した場合、相続税は 10%減額という措置しかないらしいのだ。これだと、これから社長を継いで苦労しなければならないという矢先に、「さあ、相続税を払え」 ということになって、腰砕けになるのである。最悪は会社をたたむことになる。

ところが、新しく創設される 「取引相場のない株式等に係わる相続税の納税猶予制度」 というもののおかげで、相続した株式の課税価格の 80%分が、納税猶予されるのだそうだ。ありがたい話じゃないか。

さらに、相続して 5年間事業を継続し、その後も死亡時まで株式を保有し続ければ、最終的に猶予された税額の納付も、免除されるのだそうだ。要するに、事業を継いだら 5年間は何としてもがんばって、その後も株を売らなければ、残りの相続税も払わなくていいのである。

私は基本的に中小企業の味方である。必死にがんばっている中小企業のオヤジさんには、頭の下がる思いがしているのである。それなのに、せっかく築き上げた会社を、自分が死んで息子が継ぐという段階で、お国に召し捕られてしまいかねない今の制度は、やっぱり気の毒な限りなのだ。

これまでの措置は、欧米に比べて十分じゃなかったので改めたということらしい。日本は中小企業を大事にしてこなかったということなのね。大企業はなんだかんだと優遇措置が大きかったのに。

で、これ以上のことを私に聞かれても、実はちんぷんかんぷんなので、詳しいことは こちら をご覧いただきたいのである。

とにかく、オヤジが死にかかっている中小企業の跡取り息子は、10月までは延命措置でもなんでもして、生き延びてもらった方がいい。オヤジの最後の仕事は、最低あと半年生きることだ。がんばれ、オヤジ!

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2008/04/13

長野の聖火リレーに

世界中にて混乱の聖火リレー、今月 26日には長野にて実施さるるなれば、我が国も何もせぬわけにもいかじ。

長野の聖火リレーを何事もなく終わらせては、日の本が世界の笑ひものになるなり。さりとて、あまりに事荒立つるも、和を以て尊しと為す我が国らしからず。

あらまほしきは、聖火ランナーの粛々と走りゐる沿道を、日の本の青人草、"Free Tibet" のプラカードとチベットの国旗にて埋め尽くすといふ景色なり。はたまた、「不忘毒餃子 (Remember Poisoned Chaotzu)」 てふプラカードありてもよし。

あの悪名高き青ジヤージの中国人ガードの無用なるは、とりたてて言ふに及ばざらることなれど、日の本と長野当局の、毅然として断るを期待するものなり。あの青ジヤージありては、火に油を注ぐに他ならじ。

オリンピツクを政治利用すべからずとの綺麗事、この期に及びてはすさまじくも意味なきことなり。オリンピツクは元々、多分に政治的なるものにしあれば、かくの如き沙汰のつきまとふは避けられぬことなり。

近頃、様々なる企業、「北京オリンピック観戦ツアーご招待」 なるキヤンペーンの宣伝行ひゐるも、わざわざ北京まで行きたき者の数、さほど多くはあらず、今回のオリンピツクほどスポンサーのアドバンテージ期待されまじきもの、他にあらざらむ。気の毒の限りなり。

長野の聖火リレー当日、我は地元に仕事ありて長野に馳せ参ずること能はざるも、心ある人、沿道に集ひて中国政府に抗議の姿勢を占めさんことを心より願ふばかりなり。我はここに、意識してアジテーシヨンするものなり。

ちなみに、三日続けて怪しき文語のブログ書きたるに、そろそろ明日あたりよりは常なる口語に戻すもよしと思ひ始めたるなり。されど、また気の向くところあらば、時々は文語にて書かむとぞ思ふ。

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2008/04/08

何でも 「やりすぎ」 の中国的乱暴発想

またしても中国製衣料品のホルムアルデヒド残留問題である。前回 (参照) のはニュージーランドからの情報で、まだ他人事的感覚があったが、今度のは国内のケースだ。

大阪の子供服メーカーの販売した Tシャツに残留したホルムアルデヒドで、ひどい湿疹ができたというのである。(参照

前回の記事でも書いたように、ホルムアルデヒド自体は非常に水溶性の高い化学物質なので、水洗いすれば被害は防げる。しかし、購入したばかりの Tシャツを水洗いしてから着るという消費者は、案外少ないだろう。

店頭で販売されていた Tシャツからも、基準値を超えるホルムアルデヒドが検出されたというが、この物質は水に溶けやすいだけじゃなく、空気中でも容易に飛んでしまう (他に移染してしまう) 性質があるので、中国での出荷直前の段階での残留値はどんなに高かったかと思うと、かなり怖い。

ホルムアルデヒドは、繊維製品にハリをもたせたり、染料の定着をよくしたりする加工に用いられる。中国の場合は、服の見栄えのために見境なく大量のホルムアルデヒドを投入しているのだろう。

野菜を作るのに、農薬を見境なくバシャバシャかけまくっているのと同じ発想だ。要するに、何でもやりすぎてしまうのだ。

私は中国の縫製工場の従業員に、既にかなりの健康被害が生じているだろうと危惧している。中国の経営者がそこまで気を遣っているとは、到底思われないし。

一つには、彼らの 「無知」 が挙げられる。農薬や加工薬品を大量に使いすぎると健康被害をもたらすということを知らないか、知っていても、それほど切実な問題と捉えていないようなのだ。

彼らの 「無知」 は、コピー商品の氾濫においても指摘されるところである。中国税関当局は、中国のメーカーが有名ブランドのコピーは犯罪だと知らないで作っているケースが多いと指摘 (言い訳) する。

しかし、今の世の中で 「知らない」 という言い訳は通らないのである。「知らずに犯す罪は、知って犯す罪より重い」 というお釈迦様の一見奇妙に聞こえる哲学的指摘 (参照) を、とことん納得させられる事例である。とくに国際的経済活動においては、常識を知らないこと自体が罪なのだ。

さらに大きな問題は、「作って売ってしまったらそこから先のことは知らん」 という、彼らの基本的に乱暴な発想である。市場経済における 「責任」 ということを無視している。

「責任」 を無視しても、「成長」 することを選択しているのだ。途上国の経済においてはありがちなことだが、中国の乱暴さは、その影響力からして度を超している。そしてこの乱暴な発想は、今回のチベット問題の底流にもあると思う。

北京オリンピックの聖火リレーがヨーロッパで大混乱しているらしいが、それは中国の乱暴な姿勢が招いたものである。途上国的乱暴発想と、オリンピックで国威発揚しようという発想が、絶望的にバランスしていない。

聖火リレーの妨害行為を擁護するわけじゃないが、かなりの部分、中国の自業自得というものだ。

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2008/03/31

「ガソリン国会」 にもならなかったのに

1月 27日に 「ガソリン国会で何が悪い?」 という記事を書いたが、実際には 「ガソリン国会」 というほどの突っ込んだ論議もないうちに、期限切れで暫定税率が失効する。

民主党の戦術が珍しく功を奏して、ガソリンは確実に値下げになりそうだが、この先はまだまだうっとうしい話になりそうだ。

新聞の社説は、どれもみな、「政府がこれだけ譲歩したのだから、後は民主党が論議に応じる番」 というトーンで書かれているが、私個人としては、せっかくここまで来たんだから、もう暫定税率なんてものは撤廃してしまった方がいいと思っている。

あんな余計な税金があるから、地方で必要もない道路やどうでもいい施設を造り、それでもなお、「余ったお金をどうして使おうかしら?」 状態で、わけのわからない無駄遣いをしたりして、利権の巣窟になってしまっている。

そもそも環境のためにガソリンを高くしろというなら、その環境を護るために、道路も造るなという議論には、なぜかならないところがおもしろいところだ。人間のかざす理屈は、常に自分だけに都合のいい理屈である。

これからガソリンの値段は下がるだろうが、いったん下がってしまった値段はなかなか上げにくいだろう。無理矢理上げても、景気に悪影響を与えてしまい、他の税収が減ってしまって、「行って来い」 になりかねないじゃないか。

自民党が 「まず暫定税率ありき」 の姿勢のままでは、本当に政権交代が実現しちゃいそうな気がするぞ。私は決して民主党に過度の期待をしているわけじゃないが、政権交代のない社会よりはある社会の方が健全だと思っているので、どんどんやってもらいたいのである。

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2008/03/23

「亡命政府」 の意味を直視すると

RNN 時事英語辞典 3月 18日付に、「亡命政府」 の英語が出ている。 "Government-in-exile" というのだそうだ (参照)。

「エグザイル」 なら、今の若い子なら誰でも知ってるだろうが、亡命政府のことを 「エグザイルの政府」 (追放中の政府) というなんて、ちょっと意外かもしれない。

日本語では一口に 「亡命」 なんていうが、これ、翻訳にはちょっとやっかいな言葉なのだ。何しろ、英語に 「亡命」 という日本語にきっちりと相当する元があって、それの翻訳語として 「亡命」 という日本語を作ったというわけじゃないらしい。こんなケースでは、英語に翻訳しにくいことが多い。

試しに Goo 辞書の和英辞典で 「亡命」 を引くと、「(a) defection;  《政治的》 political asylum.・~する seek [take] refuge ((in Japan)).  亡命者 a (political) refugee; an exile.」 などと出てくる。少なくとも、defection, asylum, refuge, exile という 4つの言い方がある。

それぞれをさらに英和辞書で引き直すと、次のようになる。

  • defection: n. 亡命; 変節, 脱党[会].
  • asylum: n. 養育院; 〔古〕 精神病院; 収容所; 一時的避難所, 逃げ場所 (refuge); 【法】亡命者保護
  • refuge: n. 避難(所), 保護; 隠れ家, 逃げ場所; 急場の助けとなる物[人,口実](など); (妻が夫の家庭暴力から逃れるための)駆け込み寺(的施設); 〔英〕 (街路の)安全地帯.
  • exile:  vt. 追放する ((from, to)); 流刑にする.  exile oneself (他国に)亡命する. n. 追放, 流刑(の地); 追放人, 流人(るにん); 亡命(者); 放浪者.

要するに、日本語で 「亡命」 というとなんとなくもっともらしい響きがあるが、英語では、「避難」 とか 「追放」 とかとの厳密な区別なんかないみたいなのである。

MSN エンカルタ百科事典でも、次のように述べられている。

英語の refugee は 「亡命者」 とも 「難民」 とも訳されるが、大量の場合を難民とし、単独の場合を亡命としたり、個々の事例における庇護の付与を亡命とするなど、扱いは多様で、移民、難民、亡命のおのおのを画然と区分けすることは困難である。

事実、国連の 「難民の地位に関する条約」 (難民条約) では、上記した政治的、宗教的、人種的迫害により本国をのがれている人々を難民としており、亡命との区別はない。また自然的、経済的理由で流出する人々を条約では難民の規定にいれておらず、その点からも亡命と難民は同一のものと理解される。

ふぅむ、日本語の 「亡命」 というのは、近代において、悲壮感とロマンチシズムにまみれた結果、ちょっとだけかっこいいかもというようなイメージまでついちゃったみたいなのだ。やはり日本は地続きの隣国がないから、「亡命」 とか 「難民」 とかいうのがピンと来ない。

日本人の多くは、財産持って大威張りで逃げるのが 「亡命」 で、食い詰めて逃げるのが 「難民」 だと思っている。現実の 「亡命」 は 「難民」 と区別つかない悲惨なものであるにもかかわらず。

いずれにしても、明治の男は政治的亡命をするぐらいなら腹を切ったし、いくら食い詰めても、日本に残る方がまだ飢え死にしなくて済むから、現実感がない。外国に逃げるのは、せいぜい、やばいことをして高飛びする時ぐらいのものだ。

ちなみに、本来は区別つけられないものを、日本語では区別しちゃってるというのに、「博物館」 と 「美術館」 がある。英語では両方とも "museum" だ。日本語でいうところの 「美術館」 は、"museum of art" なんていうケースが多い。「芸術の博物館」 といったところだ。

それにしても 「亡命政府」 なんていうとちょっと曖昧になってしまい、事態が直視できなかったりするが、より直接的に言えば、ダライ・ラマは 「追放の身の政府」 の代表なんだな。

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2008/03/21

チベット騒乱はなかなか難しい

チベット騒乱を、我々はどう捉えたらいいのかわからないでいる。ロイターは、「西側諸国が中国政府の対応を声高に非難する姿勢はさほど見られない」 と伝えている (参照)。

「中国経済の影響力の大きさが暗に示される形になった」 というのだが、これは、我々が中国共産党と同じ穴のムジナという意味だ。

西側社会は原則的に経済的アドバンテージを追う。経済大国となった中国との関係を悪化させたくはない。しかし、そうした姿勢でいる限り、我々は根本的に中国共産党と大差ない地平でのらりくらりしていることになる。

我々は経済的に豊かな暮らしをしたいと思っている。経済的に豊かならば、神や仏は二の次ということだ。それに対して、チベット人は自らの文化であるチベット仏教を守りたいとして、経済発展の方を二の次だと考えている。

とまあ、こう書けばちょっとした美談になりかねないが、現実はそういう話ばかりではないだろう。

騒乱を起こした者の中には、自らの固有の文化を尊重したいというセクターもあるだろうが、その尻馬に乗って漢民族系の商店の打ち壊しに走った群衆には、単に経済格差による欲求不満のはけ口を求めた者も多いだろう。

ダライ・ラマの指摘するように、中国共産党はチベットの貴重な文化 - それは多くの部分をチベット仏教という基盤の上に存在するのだが - を破壊しようとしており、チベット人はそれに対して強い反感を示している。

それは確かだ。どんな民族でも、自分たちの文化をないがしろにされれば、怒りの炎を燃やす。しかし、そうした文化破壊への怒りだけでは、大規模な騒乱にはなりにくい。人々が破壊行動に出るのは、経済的な不満爆発によることの方が圧倒的に多いものだ。

文化破壊は目に見えにくいが、経済格差は一目瞭然だ。人間は嫉妬によって突き動かされる。

世界に 「親中派」 と呼ばれるセクターは多いが、彼らは要するに、近い将来に世界最大の経済大国となることが確実な中国と、いい関係を築いておこうというだけのことである。中国共産党の非民主的な姿勢を支持しているわけじゃない。それだけに、こうした経済最優先の姿勢には、ある種自己嫌悪の情がつきものだ。

ダライ・ラマの高邁な仏教思想は、掛け値なしに尊敬に値する。彼を守るためなら、国際世論も動くだろう。しかし、チベットで騒乱を起こしているすべての人々が、ダライ・ラマの理想主義を仰いでいるという保障はない。

世界の精神主義を掲げるセクターとしても、固有の文化を守りたいんだか、経済格差に腹を立てているんだかわからないチベット人とは、100パーセント安心して手を組めないというところもある。それほどのリスクを負うほどには、思い切りがない。

図式的に言えばチベットと最も近い立場にいるのはイスラム社会なのだろうが、チベット仏教は彼らが唯一絶対の信仰対象とするアッラーではない生き仏を信仰対象とする。この一点だけで、彼らの管轄範囲ではなくなり、共闘できない。

というわけで、チベット問題は、世界がなかなかストレートな行動に出にくい特殊なファクターを、あまりにも多く含んでいる。

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2008/03/18

嘘の臨界点

嘘というのは、一度言ったら言い通さなければならない。そして、さらに嘘を重ねて塗り固めなければならない。

チベット問題に関する中国政府の公式アナウンスが、真っ赤な嘘であることはバレバレなのだが、それに固執するために、さらに多くの嘘を言わなければならなくなる。

中国はもはや経済大国である。中身がどんなにゴチャゴチャであろうとも、中国の動向を無視しては世界経済は語れない。それだけに、以前はチベット問題なんて世界の果ての出来事だったが、今では重大問題になってしまった。

中国にとってのチベット問題は、「家庭の事情」 なのだからほっといてくれということなのだろうが、経済大国の中の騒動だけに、そういうわけにもいかない。有名人の家庭問題が、週刊誌の注目記事になるようなものだ。

有名人が体面を取り繕うために、家庭問題を隠そうとして嘘をつけばつくほど、その矛盾は拡大して、臨界点を越えたときに、一気に内部から崩壊してしまう。チベット問題にしても、それと同じような経路を辿るだろう。

誰が見たって別の国である台湾を、自国の一部だと言い張り、貴重な文化をもつチベットをずたずたにしようとする。それもみな、「大国の体面」 を守ろうとするためである。この体制を維持するために、中国はこれからもバレバレの嘘をつき通さなければならない。

それによって得られるアドバンテージよりも、失うものの方がずっと大きいことに、中国は気付いていない。

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2008/03/12

確定申告をサボったら国の思うツボ?

今年は 3月 15日が土曜日なので、確定申告の提出期限が 17日なのだが、私は 14日から出張なので、あせりまくりである。

毎度ながら、この類の書類作成は苦手で、今年もできるだけ後回しにし続けてきたのだが、ついに尻に火がつき、昨日は他の予定を何も入れない日にして、ようやく書き終えた。

確定申告といえば、3月 6日付の産経新聞コラム 「断」 に、劇作家 (という肩書きでいいのかなあ?) の伊藤えん魔氏が 「申告しないと損かも !?」 という一文を寄せていて、これがなかなか面白い (参照)。

芸能人といえども、まともに食えているのは一握りで、その辺の劇団に所属する役者のほとんどは、食うや食わずである。それで、座長の伊藤えん魔氏が 「確定申告に行け」 と発破をかけても、次のような反応だという。

「ぜ、税金まで払う金はないです!」
「年金もらうまで死ぬから大丈夫」
「行くと捕まる」 (意味不明)

貧乏役者たちのこの 「うざい、怖い、眠い」 で済ませがちな反応を、伊藤氏は 「金のない奴ほど申告の意味を知らない」 と嘆く。

実は伊藤氏も若い頃は似たようなもので、「確定申告の暇があったらバイト入れちゃう」 手合いだったらしい。しかしある日、「裕福なニート友達」 が確定申告で税金が戻ってきたと話すのを聞き、確定申告は貧乏人ほど得する制度と知ったのだという。

そのニート友達によると、「領収書集めに 1日。用紙記入に 1日。税務署で 1日。これで約 10万円の還付。日給 3万のバイトだぁ。あはは」 ということだったのだそうだ。これは、無名俳優のギャラの 3倍以上だそうである。

こんなに素晴らしい制度である確定申告を、全然利用しない人間が多い。しかも、それは貧乏人ほど多い。それは、この制度がわかりにくいためだと伊藤氏は言う。

税金や確定申告の意味について国税庁に問い合わせると、担当官が懇切ていねいに教えてくれる。国税庁のウェブサイトにも、詳細な説明が載っている。しかし、いくら詳しく聞いても調べても、結局のところ、「よくわからん」 のである。

よくわからんものは、嫌なのである。怖ろしいのである。敬して遠ざけておきたいのである。それは、人として当たり前のことなのである。ところがよく考えると、それは国税庁の思うツボなのではなかろうか。

貧乏人ほど収入はガラス張りだ。バイト代にしても、前もって真っ正直に源泉徴収されているものばかりで、それ以外に自分から申告して、「もっと税金取ってください」 と言わなきゃいけないような収入なんて、幸か不幸か、ほとんどないのである。

サラリーマン収入だけで食っている人は別として、自由業的貧乏人のほとんどは、税金を納めすぎている。確定申告の書類を作るのは本当にうっとうしい作業だが、大抵の場合は、申告すればそれが戻ってくるのだ。

というわけで、貧乏人がこぞって確定申告をするようになると、還付金は確実に増える。しかし、彼らが申告をサボってくれれば、税金を還付しなくて済む。つまり、あんまり真面目に確定申告をされると、国の収入が減るのである。

そんなわけで、国は 「確定申告は 3月 15日まで」 (今年は 17日までだが) なんて、おざなりの CM を繰り返すだけで、「申告すると、フツーは結構なお金が戻るぞ」 ということを、あまり声高には言わない。

私なんかも、原稿料なんかは有無を言わせず 10%を税金としてもぎ取られているので、きちんと申告すると、5月に車の税金を払っても、まだ一晩では飲みきれないほどお釣りが来るほどの金が戻ってくる。それで、ひぃひぃ言いながらも、「これも仕事」 と割り切って、申告書類を書くのである。

ああ、それでもよく考えれば、つくづく因果なことである。

もし、源泉徴収なんてことはせずに、国民全員が確定申告で税金を払うことにし、申告した者とその扶養家族だけが公民権を行使できるなんていう制度にしたら、世の中どんな風に変わるだろうなんて、思うことがある。

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2008/03/03

中国は貧しい親戚をたくさん抱えた成金

今年は閏年で 2月が 29日まであって、月末の原稿締め切りがいつもの年の 2月より 1日余裕があり、ちょっと助かった。

で、まだまだ先のことのような気がしていた北京オリンピックまで、ふと気付けば、とっくに半年を切っている。本当に大丈夫かなあなんて、つい思ってしまうのである。

今回のオリンピックに関しては、代表選考に惜しくも漏れてしまった選手も、いつものオリンピックよりほんの少しだけ悔しい思いが小さいんじゃないかなんて、ノー天気な想像をしてしまう。「ああ、北京に行かずに済んだ。4年後のロンドン目指して、またがんばればいいや」 とかね。

3年半ほど前、TBS ラジオの朝の番組で、中国に対する印象のアンケートをとったことがあり、結果は 「好き」 より 「嫌い」 がやや多い程度だった (参照)。しかし今、同じことをしたら、「嫌い」 が断然上回るだろう。近頃いろいろあって、中国のイメージはかなり落っこちてしまった。

思えば気の毒なことである。中国というのは、いわば貧しい親戚をたくさん抱えた成金のおやじのようなものだ。所詮成金だし、しかも、大勢の貧しい親戚までそこそこ食わせてやらなければならないので、エレガントな振る舞いはあまり期待できない。

さらに、その貧しい親戚がいつ歯向かってくるかしれないのである。内輪揉めの要素が多すぎて、対外的にエレガントに見える振る舞いをしている余裕なんてさらさらない。

日本で流通している衣料品の 70%以上が中国製だと言われ、一説には 80%以上だとも言われる。最近、中国製品の信用度ががた落ちなので、中国製の服は着たくないと言う人が増えているが、中国製衣料品を選択肢から除外すると高級品ばかりになって、金がかかってしょうがないのである。

というわけで、中国はアパレル業界にとって重要な国なので、アパレル業界でメシを食っている私も、一度は視察に行くようにあちこちで勧められるのだが、私はなんだかんだ言って渋っている。時間が経てば経つほど、行きたくない気持ちが強くなる。

中国内でぶら下がっている貧しい親戚たちが少しは豊かになれば、状況は変わるのだろうけれど、そうなると、今度は安価な労働力というアドバンテージが失われるから、生産市場としての地位が低下してしまい、視察に行く意味も薄れるだろう。

というわけで、あまり先にならないうちに、一度は行かなければならないんだろうが、やっぱり行きたくないなあ。

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