カテゴリー「経済・政治・国際」の530件の記事

2019/09/01

香港の自由を求める闘いにエールを送る

私は過去に香港と中国の政治的関係については 2度書いている。先月 15日の「香港の自由を守る運動と、ベルサーチの Tシャツ」と、5年近く前の「香港の自由を守る運動に心の底から共感」という記事だ。

190901

はっきり言って、私は香港が好きである。前世紀(80年代〜90年代)は何度も仕事で行って、気持ちのいい交流をもった。その香港が今、中国政府によって蹂躙されようとしている。これは見過ごすことができない。

Newsweek は、"「生きるか死ぬか」香港デモ参加者、背水の陣" と伝えている。香港市民の気持ちはよくわかる。「自由がなければ生きている意味がない」とまで思い詰めているのだろう。

「死んだら終わりだ。中国本土でも何億という人たちが生きているのだから、それほどの危険を冒してまで戦う意味があるのか?」と言う人もいるだろう。しかし、一度自由というものを知ってしまったら、それを失うのは命を失うのと変わりないと思うのも自然だ。自由とはそれほどまでに重要なものだ。

自由を抑圧した体制は、いつか滅びる。人間は自由を求める生き物だからである。中国の現体制は、「欲」と「自由」を天秤にかけて、「欲の優先」を選択しているとしか思われない。私のような「貧乏しても自由を求める」タイプには、到底耐えきれない価値観だ。

さらに言えば、実際には自由を保障する方が世の中は栄えるのである。ただ、一部の層への権力集中がなくなってしまうだけだ。これは長い歴史が証明している。私は「一部の層」という存在には嫌悪感しか持たないから、香港の自由を求める闘いには心からエールを送る。

こうしたことを論じた私の記事には、どういうわけかあまり賛同のコメントが付かない傾向がある。香港の事情は日本からは遠いものと感じられるのかもしれないが、私はこの姿勢は変えるつもりがないので、よろしく。

| | コメント (4)

2019/08/15

香港の自由を守る運動と、ベルサーチの Tシャツ

8月 12日付の FNN PRIME に "Tシャツの「香港」が... ベルサーチ謝罪 アンバサダー女優も批判" という記事がある。

190815

どういうことかというと、ベルサーチの Tシャツの背中に世界の大都市と国名を記したプリントがあり、その中で "Hong Kong - HONG KONG" "Macau - MACAO" (「香港 - 香港」「マカオ - マカオ」)と記されていたというのである。なるほど、写真を拡大して見ると明らかだ。

1908152

このため、香港とマカオの領有権を主張する中国では批判が相次いでおり、ベルサーチの「アンバサダー」(海外セールス・プロモーションのキャラクター?)を務める中国女優まで「中国の主権と領土保全を侵害した疑いがあり、非常に憤りを感じる」と、契約を解除する声明を出すまでになっているという。

この記事を読んで私は思わず、「その Tシャツ、欲しい!」と画像入りで tweet しちゃったよ(参照)。できればこれを来て街を歩き、香港の自由を守る運動を展開している香港人(私の知り合いも参加しているはずだ)を及ばずながら応援する姿勢を示したい気持からである。

1908153

ところがその真意が伝わらなかったようで、この tweet には「いいね」が 1個も付かなかった。こうした話はくどくど書いたら粋じゃないと思ったのだが、どうやらいくら何でも説明不足だったようだね。というわけで、今さらのようにこうして野暮な記事を書いている。

実際にはベルサーチの Tシャツなんてやたら高いし、ベルサーチも大市場の中国を失うことを恐れて市場から回収しているだろうから、もう入手できないと思う。こうなったら誰かコピーを作って安く売ってくれないかなあ。"Versace" の文字さえ入れなかったらデザイン侵害じゃないと言い張れるだろうし。

香港の民主化運動については、4年近く前にも「香港の自由を守る運動に心の底から共感」というタイトルで書いている。その時から、というか 30年以上前から私の気持ちは変わらない。

というわけで、この記事のことは Twitter に載せるので、賛同する方は思いっきり「いいね」を付けたりリツィートしたりして広めていただきたいものである。

| | コメント (0)

2019/07/22

参院選結果に関して

参院選が終わって、結果が出た(下の図はクリックで拡大表示される)。一口に言えば「改憲勢力は 3分の2 をわずかに下回った」ということで、昨年初めに「当分の間 「本籍・改憲派、現住所・護憲派」 で行きたい」と表明した私としては少しだけホッとしている。ただ、それはあくまでも「少しだけ」のことだ。

190722

「少しだけ」というのは、野党勢力の中にも下手すると改憲に傾きそうな議員がいるからで、もしかしたらこのあたりで切り崩しが行われるかもしれない。こうした連中はちょっと甘い餌を示したら平気で寝返るので、油断がならない。

私としては、実は投票率が 50%を下回ったことの方を危惧している。「改憲」という大きな争点のある選挙で無関心を決め込む有権者が多いtというのは、かなり「ヤバい」ことのように思われるのだ。

「政治のことは、専門の人たちでどうぞお好きなように」という姿勢が、とくに若い層で目立つような気がするのである。「どうぞお好きなように」と言っているうちに、とんでもないことになるリスクまでは考えていないようなのだ。

私としては、上述の昨年初めの記事で書いたように、安倍首相主導による改憲というのはアブなすぎると思っている。どうみても現代の民主国家の憲法観を逸脱している。彼の思いのままに改憲なんてされたら、やたらと息苦しい国になってしまうだろう。

右傾化は世界的な傾向という認識があるが、トランプにしろ安倍首相にしろ、頭の中が単純で幼すぎる。こうした単純な幼さに共感する有権者が多いというのは、世界の頭の中まで同様に幼くなっていることを意味する。

きちんとした大人であり続けることが、ちょっと難しい世の中になっているようだ。

| | コメント (2)

2019/07/18

お父さんの恋人は現在進行形、お母さんの恋人は過去形

安倍首相が参院選の応援演説で「お父さんも恋人を誘って...... お母さんも昔の恋人を探し出して、投票箱に足を運んでいただくよう......」と発言したというのは、当初のニュースでは「言い間違えた」みたいなニュアンスで伝えられていた。しかし動画(下の画像をクリックすると表示される)を見るとそんなものじゃない。どう聞いても「確信犯」としか思われないよね。

190718

彼としては軽いユーモアを交えたぐらいのつもりだったのかもしれないが、まともな常識さえあればこんなことは恐ろしくて言えない。欧米だったら非難囂々の大問題になるだろう。この程度の取り上げられ方で済んでいる日本という国は、妙な意味で大人すぎるところがある。ちなみにこの演説の「ヤバい点」を挙げると、次のようになる。

  1. 日頃強調する「家族の大切さ」は、「お妾さん」を当然とする価値観だった
    選択的夫婦別姓に関しては「家族の解体を意味する」として反対を表明していた安倍首相が「お父さんも恋人を誘って」と、不倫を前提とする文脈で語るのは、「妾がいて当然」という戦前的家族観への回帰願望を反映しているよね。

  2. お父さんは恋人がいても、お母さんは不倫しちゃいけない
    「お父さんも恋人を誘って」の対句のように続くのが「お母さんも昔の恋人を探し出して」という言葉である。お父さんの恋人は現在進行形でも、お母さんの場合は過去形でなければならず、しかも「探し出す」必要があるほど縁遠くなっていなければならないというわけだ。かなり歪んではいるが厳然とした女性差別的価値観が表明されている。

  3. 「投票所」じゃなく「投票箱」に足を運んでもらいたいのね
    世間一般では「投票所に足を運んでいただきたい」というのが「ごくフツーの表現」になっているが、安倍首相は敢えて「投票箱に足を運んでいただきたい」と、一種異様な言い方をしている。彼の関心の対象が投票所に行く有権者の意識よりも「投票箱の中身」でしかないことが、無意識的かつ、あからさまに表現されている。

元々安倍首相は「あんまりオツムのよろしくない人」と思ってはいたが、いよいよ「アブない人」の本性が無意識的な言い方の中に露骨にさらけ出される段階に達したようだ。このような「戦前的思想」の持ち主を、この国は総理大臣としてありがたがっているのである。

ちなみに彼が「選択的夫婦別姓」に反対なのは、「妻が別姓だと、妾と区別つかないじゃん!」と心のどこかで思っているからに違いないと、今さらのように思い当たった。彼の価値観としては、「本妻ならつべこべ言わずに、夫の姓を名乗れることを幸せに思え」ってことなのだろうね。

| | コメント (4)

2019/06/02

「七段ピラミッド」とか「子どもは最低三人産め」とか

桜田議員が「子どもは最低 3人産んで」と、またしても「言わなくてもいいことを、いい気持ちで言っちゃった」ケースで炎上してしまっている。よくよく懲りない人である。

190602

「悪気があって言ってるわけじゃないんだから」と擁護する向きもあるようだが (参照)、この人の場合、確かに「悪気」はなさそうだが、それ以上に「深い考え」というのもなさそうなのが問題なのだ。なにしろ国会議員なんだしね。私が時々言う「知らずに犯す罪は、知って犯す罪より重い」というテーゼを想起されたい。(参照

5月 30日付の "「放言・暴言・失言の製造機」桜田議員が「子ども最低 3人産んで」発言で炎上の何が問題なのか" という記事で、在英ジャーナリストの木村正人氏は、第二次大戦の敗戦国である日本やドイツ、イタリアがいずれも少子高齢化に苦しんでいることについて、戦勝国側の人口抑制アタックがあったからではないかと、次のように指摘している。

昭和 16(1941)年 1月 22日に閣議決定された人口政策確立要綱で「昭和 35年総人口 1億(内地人)」「今後 10年間で婚姻年齢を現在より約 3年早めるとともに夫婦の出生数を平均 5児に達すること」を目標として定めました。戦争遂行と版図拡大のためでした。

(中略)

婦人参政権が認められた戦後の総選挙で39人の女性代議士が誕生し、第1号の加藤シヅエさんらの議員立法で 48年、人工中絶の違法性を阻却する優生保護法(現・母体保護法)が施行されました。米国で連邦最高裁判決が「中絶は女性のプライバシー権」と認めたのはその 25年後です。

つまり、太平洋戦争直前の日本は「超」の字を付けてもいいくらいの積極的人口増加促進策を遂行していたが、戦後は対照的なまでの人口増加抑制策に転換した。そこには戦勝国である米国の意図があったのではないかと、木村氏は指摘しているわけだ。

思えば私が中学時代の社会科の教師は、日教組そのものの左翼教師だったが、彼もまた「子どもは 3人以上産まないと、日本の人口が減ってしまう」なんてことを言っていた。昭和40年代初頭(1960年代半ば)のことである。彼のこの発言の裏には、暗に人口抑制を押しつける米国への本能的反発があったんじゃないかと思う。

そして時代はめぐり、平成から令和の時代となった今、今度は自民党の議員がやたらと「子どもは 3人以上」なんてことを言い出した。これはもう、「戦後への反発」としか言いようがない。昔は共産党を含めた左翼が「子どもはたくさん産んで楽しい家庭を」なんて言っていたが、今はモロに逆である。本当に時代は変わるものである。

昨今の保守派からの「子どもは 3人以上」というプレッシャーには、一昨日書いた "「七段ピラミッド」だの「四段タワー」だの" という記事で触れた、七段ピラミッドにこだわりたがる体育会系教師と共通した意識を感じてしまう。「個人は全体(国)のために」という妙な美意識だ。

そりゃあ私だって、公(おおやけ)ために尽くすのは尊い行為だと思う。しかしそれは自発的なものだからいいのであって、上から押しつけられるのは真っ平ご免だ。娘を 3人育てた私が言うのだから、「文句あるか!」ってなものである。

 

| | コメント (2)

2019/05/24

英国のメイ首相が「イタドリ」呼ばわりされているらしい

Yahoo ニュースの ”「日本から持ち込まれたイタドリ」と呼ばれたメイ英首相が 6月 7日辞任 しかし本当のイタドリは別にいる” という記事の見出しに、「一体どういうこっちゃ?」とつられて読んでしまった。

190524

イタドリというのは結構おいしい山菜で、別名「スカンポ」とも呼ばれる。春先になると山の中の日当たりのいいところに生えて、節のある茎が空洞になっているので、根元から折るようにして採ると「ポンッ」と小気味のいい音がする。メイ首相がどうしてイタドリ呼ばわりされるのか、記事を読んで初めてわかった。

イタドリはシーボルトが日本から欧州に持ち込んだらしいのだが、英国の地で帰化植物として大繁殖し、コンクリートや道路の舗装に亀裂を入れながら広まってしまったのだそうだ。家の床を突き破るほどの繁殖力で、英国全体で 1億 6600万ポンド(約230億円)の被害をもたらしているという。

そんなわけで、EU との間で結んだ離脱合意が下院で 3度否決されてもなかなか辞めず、国に大損害をもたらしたとみられるメイ首相は、「イタドリ」と言われてしまっているのだそうだ。ちなみにイタドリは英語で ”Japanese knotweed" というらしい。

この記事の筆者で在英ジャーナリストの木村正人氏は、本当のイタドリは別にいると主張する。それは EU を離脱しても英国経済はこれまで以上に繁栄するという幻想を撒き散らす主権主義者の強硬離脱派たちだというのである。たしかに常識的に考えれば「合意なき離脱」は大きなリスクだが、英国では「とにかく離脱しちまえ!」という声が大きいようなのだ。

大繁殖して忌み嫌われている帰化植物といえば、英国でのイタドリ同様に、米国の「葛(クズ)」が挙げられる。ケンタッキーあたりでは、下の写真のように葛に覆われ尽くした村から、住民が逃げ出すというほどにまでなっているらしい。

1905242

日本では「葛の葉伝説」というのまであるほど人々の心の琴線に触れる植物なのだが、所変わればこんなになってしまうのだね。こんなところからも排外主義のポピュリズムが台頭してしまうのかもしれない。

 

| | コメント (6)

2019/05/22

丸山穂高をガス欠にするには、シカトし続ければいい

世間は丸山穂高とかいう国会議員の話題でもちきりだが、このニイチャンのことはそろそろシカトしちゃってもいいんじゃないかと思う。関わり合うだけ馬鹿馬鹿しい。

190522

私の感覚からすると、彼は「世の中で一番関わりを持ちたくない」タイプである。今回の問題の発端となった北方四島交流事業のいわゆる「ビザなし訪問」における問題発言にしても、私は録音を聞いた当初から「こんな酔っ払いにはまともに取り合わなければよかったのに」と思っていた。

1905222

上の写真からリンクされる YouTube 動画中の録音を聞いても、記者の取材中に突然割り込んできた丸山に、訪問団長の大塚小弥太さんが精一杯丁寧に対応しているのがわかる。おそらくとても真面目な方なのだろう。

しかし本来なら、こんな無礼千万なやつにまともに対応する必要はなかった。無視すればよかったのである。無視しても絡んできたら、場所を変えて彼を入れなければいい。少なくとも訪問団の中で、「丸山穂高というのはちょっとエキセントリック過ぎるヤツだから、取扱注意」という情報共有をしておくべきだった。

とにかく徹底してシカトするに限る。こういうタイプにまともに対応するのは、結果として相手に燃料を注入する結果になるだけだ。この事件後の世間の騒ぎ方にしても、この男にさらに無駄な燃料を注入し続けているにすぎない。

"丸山議員の言動に臨床心理士「感情に支配されているのでは」 成功者は “失敗の検証” が少ない?" という記事がある。この中で臨床心理士で明星大学准教授の藤井靖氏は「自分の判断や思考、行動が感情に支配されているということをあまり自覚していないのではないか」と指摘している。鋭い指摘だ。

彼は子どもの頃から優秀で、注目され続けて育ったのだろう。ただ悲しいことに彼は「論理を駆使できる」という優秀な能力を、自分の感情を満足させる方向に限って使い慣れてしまったようだ。巷の人々のためとか、自分の反省のためとかには、アタマを使うことができないカラダになってしまったのである。

ユングの心理学的には、論理と感情は本来対立的なものと位置付けられる。しかし彼の場合は論理を自分の、敢えて言えば幼いままの (だって、「駄々っ子」そのものじゃないか)感情に従属させて(つまり「屁理屈」に落とし込めて)までいろいろなことを口走り、注目を集めることになる。注目されることが彼の燃料であり、存在意義なのだからどうしようもない。

彼の Twitter のジャニーズ系と見まごうようなプロフィル写真をみても、それは感じられるよね。意識しすぎのスマイルがちょっと冷や汗ものだけど。(ここ数年でちょっと酒太りしてしまったようでもある)

というわけで彼はガス欠しかかると、ついますます突飛な言動をしてでも目立ちたがるのが「業」になってしまった。なにしろ「業」だから、意識的、理性的にコントロールするのがとても難しい。それどころかさらに悪いことに、酒の力を借りてでも理性を麻痺させたがる。

こういう男は、まともに取り合わないことである。ただひたすらシカトして、「ガス欠」にしてしまえばいいのだ。気の毒(あるいは残酷?)なことだけど。

 

 

| | コメント (6)

2019/05/03

新天皇にみる新しい皇室像を歓迎

新天皇が多くの海外メディアで「近代的で語学堪能な環境保護活動家」といったトーンで紹介されているようで(参照)、あの日本会議系の期待する天皇像とはちょっとズレがあるようだ。個人的には歓迎したい風潮である。

190503

上に掲げた写真のリンク先の Hufinngton Post の記事では、次のように触れられている。

ドイツのTV局Deutsche Welle は「海外留学をし、キャリアウーマンと結婚し、英語を話し、ジョギングを楽しみ、ヴィオラを奏でる『近代的』な新天皇陛下」だと紹介した。

シンガポールの TV局 CNA は、皇太子時代の 59歳誕生日の会見で述べられた次の言葉を引用している。

その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代によって変わってくるものと思います.....古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと思います。

右派系の信奉する「天皇」が、自らとてもリベラルな路線を選択されているということは、歴史的にみても大きな意味を持っている。今後は右派も自ら路線を変更して時代に対応していくか、あるいはあくまでもスクゥエアな国粋主義路線を堅持してある種の自家撞着に陥るかという 2つの道の間で選択を迫られるだろう。

平成後半頃から、右派系の人間が「最近の天皇の言動はおかしい」などと呟くことが多くなっているようだ。まさに自家撞着そのもののように思える。時代と共に妥当なあり方を模索することを忘れることの方が「おかしい」のだと気付くべきだと思うのだが。

 

| | コメント (2)

2019/04/12

下手に大臣なんかになっちゃったから

桜田さんがようやくオリンピック・パラリンピック担当大臣を辞任した。辞任したといっても自分で判断して辞表を書いたってわけじゃなく、「書かされた」ってことのようだけどね。ただ、この人に関しては蓮舫さんみたいに鞭を手にした女王様のごとき責め方をしてもしょうがないから、政治家たちの世界にあまり期待しすぎないように冷静に総括・解釈しておこう。

190412

桜田さんの迷言、失言は枚挙に暇がないが、今回の辞任の直接の引き金になったのは、あの震災の被災地、岩手県で「復興以上に大事なのは高橋比奈子さん」なんて発言しちゃったことだ。先月 31日の記事で書いたようにこの人は、話の流れの中で自分が発する言葉の前後の脈絡がぶっ飛んでしまうので、アドリブ発言はアブなくてさせられない。

さらに今回の発言で確認できたのは、「前後の脈絡」だけでなく、その時まさにリアルタイムで口走っている短いセンテンスについても、ほとんど自覚的でないということである。だから後になって「そんなことを言ったつもりはないが、言ってしまったようだ」なんて、こっ恥ずかしいコメントを発することになる。「当人の意識」がボンヤリなのだから、「結果」のコントロールなんて不可能だ。

こんな風だから、「決して自分で判断しない」「責任の生じることをしない」「周囲の用意したミコシに乗る」という生き方に徹しなければならない。あまり表に出過ぎなければ 「結構お馬鹿だけど、お膳立てさえしてやれば逆らわずに汗だけはかくから、実害は少ない人」で済むが、下手に大臣なんかになってしまうと、それまでは「知る人ぞ知る」程度だった「自分で言ってることを自分で理解していないお粗末さ」が、満天下に知られてしまう。

安倍首相としては、このような人を大臣になんか任命しちゃいけなかったのだ。任命しても務まらないというのは、結果が雄弁に物語っている。ということは、安倍首相、あるいはその取り巻き連中はよくよく「人を見る目」がなかったのだ。自らの歴史観にはこだわるが、大臣の能力には必ずしもこだわらないということなのだろう。なんだかなあ。

要するに、政治家の世界には期待しちゃいけないってことで、これは元々わかっていたことがよりはっきり確認できたということに過ぎない。当たり前すぎる結論でごめん。

| | コメント (4)

2019/04/07

私が「忖度」を「ソンタク」とカタカナで書く理由

「ソンタク発言」の塚田副大臣が辞任を表明したそうだ。下の写真をクリックすると、彼の発言の録音が聞けるニュース動画に飛べる。ここまではっきりと録音が残されているのだから、辞任は当然の流れだ。 190407一昨年 3月 17日の「立場が上のオッサンに対して 「ソンタク」 なんてしたがるから」という記事で私は、次のように書いている。

『大辞林』 によれば 「忖度」 とは、次のようなことになる。

( 名 ) スル
〔「忖」 も 「度」 もはかる意〕
他人の気持ちをおしはかること。推察。 「相手の心中を-する」

とくに会社や役人の世界なんかでは、ついつい 「上に対してのソンタク」 ばっかり横行しちゃうのが問題だ。今や 「ソンタク」 という言葉は 「他人の気持ちをおしはかること」 というより 「上の意向をおしはかること」 という意味に堕落しちゃってる。

とくに中堅からやや上ぐらいの役人になると、上からの見えない圧力なんか、加えられる前から敏感に感じてしまって前もって準備したりしている。一般の人たちの苦労なんて、どうでもいいと思ってるくせにね。私が 「忖度」 というもっともらしい漢字で書くより、茶化して 「ソンタク」 と書きたくなる所以である。

というわけで私はこの時以来、この種の問題では一貫して「ソンタク」とカタカナ表記している。今の世の中、「そんたく」と入力してスペース・キーを叩けばすぐに「忖度」と変換されるのだから、「ソンタク」と標記する方が手間なのだが、あえてそうしているわけだ。

そもそも「忖度」とは本来、さりげなく目立たない形でするもので、大っぴらにアピールするものではない。ところが最近の政治や役人の世界では、これが点数稼ぎの手段となっているので、自分のした「ソンタク」を妙に強調したがる向きがある。

今回の塚田副大臣の場合も、山口県と北九州という安倍首相と麻生副総理の地元を結ぶ道路の建設に関する北九州市の集まりで、「そりゃ、総理とかですね、副総理とかがそんなこと言えません」「でも私はソンタクします」とはっきり言っている。どう聞いても「我を忘れて事実と異なる発言をした」ようには思われず、「ここまでソンタクする私にご褒美ください」とのアピールとしか聞こえない。

というわけで、これこそが「ソンタク」とカタカナで書いてしまいたい理由である。本来の「忖度」ではなく、小物の政治家や役人の保身や出世のための道具と化しているのだ。こんな次元の「ソンタク」は、すればするだけ害になる。

 

| | コメント (4)

より以前の記事一覧