カテゴリー「経済・政治・国際」の466件の記事

2017/09/19

「自分の都合解散」 と名付けたい

安倍首相が今月末の臨時国会冒頭での衆院解散を行う意向と報道された。決して唐突というわけではなく、前からするだろうとは言われていたが、「なんでまた、こんな時に?」 と、大方と同じ疑問を抱いていた。しかしまさに単純素朴に解散するとなって、「要するに自分の都合で解散するわけね」 と、納得した。それ以外の理由は考えられないものね。

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というわけで、個人的には 「自分の都合解散」 と名付けたいわけなのである。

人間というのはなかなか勝手なもので、権力を握ってしまうといくら周囲に不都合が生じようとも、自分の都合の方を優先させてしまうものだと、今回の解散報道でよくわかった。多少なりともエレガントさがあれば、こうした傲慢さは引っ込められるのだろうが、安倍首相にそれを期待しても無理のようだ。

私の政治的立場は、一言でいえば 「リベラル保守」 だと思っている。今の日本の政治状況における悲劇は、リベラル保守もウルトラ保守も、自民党という一つの器に集約されていることだ。民進党は 「頼りないリベラルと頼りない左翼の寄せ集め」 に過ぎないのが悲しい。

自民党の中にはちゃんとリベラル保守もいるというのに、ウルトラ保守と一緒になって選挙する方が当選できると思っているので、これまた 「自分の都合」 でやっている。要するに政治というのは、大義名分よりも自分の都合で動くのだね。

本来ならそうした勝手な人たちにはお引き取り願いたいのだが、金輪際そうはならない。政治家たちの都合と自分の都合が一致する少数の人たち (いわゆる 「支持層」 ってやつね) が積極的に投票し、一致しない人たちはシラけて投票しないから、こうした状況がずっと続いている。

まったくもって、困った話である。

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2017/09/11

政治家の不倫という話題に群がる大衆心理

近頃、政治家やタレントの 「不倫」 騒動が花盛りのようだ。個人的には 他人の色恋沙汰に首を突っ込むなんて、面倒くさいにもほどがあると思っているのだが、週刊誌がこぞって取り上げたがり、それが大きな話題になったりするのだから、世間というものは、有名人の色恋沙汰に少なからぬ興味を持っているらしいと察せられる。

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そんな中で、HUFFPOST に吉川慧さんというエディターが 「不倫疑惑」が報じられた政治家は? 山尾志桜里氏への 『文春砲』 で振り返る  総理大臣から野党のリーダーまで、みんなスクープされていた」 という記事を寄せている。「みんなスクープされていた」 というタイトルが、そこはかとなくおもしろい。とにかく政治の世界では、この種のネタに事欠かないようなのだ。

この記事にはこんなことが書かれている。

多数の女性と関係を持つことは、永田町では 「男の甲斐性」 とされていました。政治家の番記者は、担当政治家の女性関係を知りつつ、書かないことは当然だったといわれます。

とにかく政治家というのは、芸者などを妾にするのが当然で、三木武吉などは 「妾が6人いるそうだが」 と指摘され、「事実は7人だ」 と切り返したというのが有名な話だが、決してニュースにはならなかった。こうした 「常識」 が覆されたのは、1989年の宇野宗佑首相 (当時) の 「指三本」 事件に端を発する。

「サンデー毎日」 が 「指三本を握られて 『これ (月 30万円) でどうだ』 といわれた」 という神楽坂芸者の証言をスクープし、これを首相の 「買春」 と報じた。これが大問題となって、宇野首相の在任期間はわずか 69日で幕を閉じた。

確かにこの報道を機に、政治家の色恋沙汰に世論が厳しく当たるようになったような気がする。とはいいながら、今でも週刊誌がちょっと 「その気」 になれば、この種の話題がいくらでも出てくるということから、相変わらず政治家の多くは、「いろいろある」 のだねというのがわかる。そして脇の甘さとネームバリューのからみで、取り上げて金になりやすい順にスクープされる。

ただ、政治家だけじゃなく、まあ、芸能界も大変なものだし、ごくフツーの庶民だって結構 「いろいろある」 のだろう。そんなこともあって、アーサー・ホランドという自称 「不良牧師」 が、「罪なき者のみが石もて打て」 と聖書の言葉を引用したことで話題になっている。

これ、実はかなり鋭い指摘だと思う。少なくとも、「女に縁の無い俺は、石臼を投げ付けてヤル!!!!」  (参照) なんていう次元の話じゃないことは、聖書をきちんと読めばわかるはずだ。

いずれにしても、個人的にはこの種の話題にはあまり興味がない。一昨日の記事から 「興味がない」 の三連発で恐縮だが、どちらかといえば、政治家の不倫そのものではなく、この種の話題に群がりたがる大衆心理ということだったら、かなり興味がある。

【追記】

つい 「この種の話題に群がりたがる大衆心理」 と書いたが、実は 「この種の話題に群がりたがる週刊誌とワイドショーのアヤシい関係」 こそがこの問題の核心と気付いたので、9月 13日付でその辺のところを書いた (参照)。

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2017/09/04

政治家に失言の絶えない土壌

麻生さんがまたまた 「失言」 問題を引き起こして、「不適切な表現だった」 と撤回した。これ、ニュースでは 「祭りにのめり込む人を精神障害者に対する差別的な言葉使い表現」 なんて伝えられたが、はっきりいって、「きちがい」 と言ったのだろう。これについて 「行きすぎた言葉狩り」 と、疑問を呈する人も少なくない。

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私自身としても、「精神障害者に対する差別的な言葉」 なんて、妙にもってまわった表現の方がより気持ち悪いと感じる。この言葉は精神障害とは別の意味で、気軽に使われるカジュアルな言葉になっている部分があるだろう。講演の行われた愛媛県西条市のお祭りの熱狂をたまたま知っているだけに、この土地の人は 「お祭りきちがい」 と言われても、気を悪くすることなんてないと思うし。

ただ、プライベートな場で 「あいつはお祭りきちがいだから」 とか 「野球きちがい」 とか、「釣りキチ」 とか言うのと、公式の場で 「きちがい」 という言葉を使うのとは、ちょっとわけが違うと考えざるを得ない。とくに講演会などの場では、「禁句」 としておく方がいいだろう。

それは、言葉の深い意味とかいう話とは関係なく、「つい言っちゃったら、あとできっと面倒が起こる要注意単語」 だからである。「君子危うきに近寄らず」 だ。

この類いの問題に関しては、4年前に 「政治家の失言という宿業」 というタイトルで書いているが、これについて、ちょっとだけ視点を変えて書いてみようと思う。まあ、煎じ詰めれば同じようなことなのだが。

過去のニュースを振り返ると、政治家の 「失言」 の多くは、支持者を集めた 「講演会」 で発生するようだ。これ、講演を行う政治家のメンタリティと、政治家と支持者の関係性のアヤで生じる現象だろう。政治家はこうした 「講演会」 というのを、「純粋に公式な集まり」 とは認識しておらず、ある意味 「身内に対するサービス会」 みたいなものと思っているフシがある。

そうした場では、「公式の場では危険な単語」 も、つい気を許して使っちゃう。「いいじゃないか、身内同士なんだし」 ってなわけだ。しかしその 「身内同士」 の中にも、地元マスコミとか、反対派などの 「異質分子」 が混じり込んでいて、「口がすべって言っちゃった」 みたいなことをチクって大問題にすることがある。

問題は、政治家が 「公の場」 と 「身内同士」 を全然別のものとして区別しすぎて、その 「中間地帯」 の認識が薄いことである。ローカルな講演会みたいな 「中間地帯」 だって 「公式の場」 に違いないのに、なぜかチヤホヤしてくれる身内が近くに陣取って、どうでもいいところでウケたりするし、終わってからはダハダハの 「交歓会」 なんてのが控えていたりするので、つい 「身内ばかり」 と勘違いして口が滑るのだろう。

「フツーは憚りのある言い方だけど、皆さん、わかってくれるよね。何しろ仲間内なんだからさ」 なんていう、都合のいい 「共犯関係構築」 みたいな意識でしゃべっちゃう。この 「共犯関係」 というのが、ローカルな政治の支持層構築に絶大なる効果を発揮するのが、また問題だ。

政治に限らずビジネスの場でも、古いタイプのオッサンほど一緒に酒飲んで尾籠な話をし、共犯関係に引きずり込みたがる。オッサンたちが大勢集まると、こうしたメンタリティが幅をきかせていて、滅多に近付きたくないほど異質な世界を現出している。

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2017/08/30

茨城県知事選挙の結果

茨城県知事選挙は、自民・公明推薦という、全然魅力を感じない看板をつけた大井川和彦氏が、7選を目指した橋本昌氏を破って初当選した。茨城県在住の私としては、この選挙では誰に投票するか、本当に悩んでしまったことを告白しておく。

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そもそも私は、自分の住んでいる県の知事が既に 6期 (24年) も務めていることに屈辱的な思いを抱いてきた。県に限らず、同じ人間がこんなにも長期にわたって地方自治体の首長を務めていたら、弊害が出るに決まっている。茨城県に住んでいると、県庁の職員が知事の顔色ばかりうかがって、「ソンタク」 なんてもんじゃなくなっているという話をよく聞いていた。

というわけで、いくらなんでも橋本さんは 6期で引退して、7期目はないと思っていたのだが、臆面もなく 7選を目指して出馬すると伝えられた。あまつさえ県内の農業団体や医師会、連合茨城などから推薦を受けているという。私としては 「おいおい、よくまあ恥ずかしげもなく……」 と思ってしまったのである。長い間のうちに、よっぽど共通の利害関係をもつお友達が増えてしまったとみえる。

一方の大井川和彦氏は早いうちから運動を開始していて、大方は 「次は、あの若い人で決まりだね」 と思っていたフシがある。ところがこの人、「自民・公明推薦」 なんていう余計な看板を打ち出してきてしまった。こんな看板のせいで、かえって票を失って接戦になってしまったんじゃないかと思うほどだ。

選挙戦の中で、橋本氏は 「原発再稼働を認可しない」 という方針を打ち出した。これ、結構 "sounds good" なお話である。とくに 「反原発」 の立場を明らかにしている私としては、心が動いた。

ただでさえ大井川氏が 「自民・公明推薦」 なんていう余計な 「ヒモ付き」 で出馬したのが気にくわないのに、橋本氏は 「非原発」 というのだから、当初の 「あの若い人で決まりじゃん」 という思いが、完全に振り出しに戻ってしまった。「多選阻止」 の原則を貫くか、一度だけ 「原発不認可路線」 に乗るか、難しい選択となってしまったのである。

で、よくよく迷った挙げ句、橋本さんの 「原発再稼働を認可しない」 というのは、単に選挙向けの付け焼き刃っぽさが目立ち、信念あってのことじゃなさそうだという結論に達した。当選してしまったら、どう変わるか知れたものじゃない。当選したとしても次はいくらなんでも最後だろうから、何でもできてしまう。

それよりも 「多選 (しかも 「超多選」) 阻止」 の方を優先すべきという結論に達し、この際明らかにしてしまうが、大井川氏に投票してしまった。ただこれは、ひたすら 「多選阻止」 を重視した結果であり、大井川氏の政策を全面的に支持したからというわけではない。彼が 「自公推薦」 でさえなかったら、少なくとも私はこんなに悩まずに済んだのだ。

だから、自民党は 「茨城県知事選挙で信任を得た」 なんて思い上がったことは言わない方がいい。そして大井川新知事には、くれぐれも自民党中央の言いなりにならないでいただきたいのである。こんなことを言っても、行きがかり上、無理だろうけどね。

ちなみにこの記事は、本当は昨日付でアップするつもりだったのだが、北朝鮮のミサイル発射というニュースの影響で 1日遅れになってしまった。まあ、その程度のバリューの話である。

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2017/08/09

「日本ファーストの会」 という、まずいネーミング

若狭勝さんという衆院議員が小池都知事と連携して、「日本ファーストの会」 というのを作るのだそうだ。ネーミング・センスないなあと思う。「都民ファーストの会」 は 「東京ファースト」 じゃないから広く支持されたのである。「国民ファースト」 ならぬ 「日本ファースト」 では、ドナルド・トランプの 「アメリカ・ファースト」 と同じに見られてしまう。

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ただし 「日本ファースト」 をあわてて 「国民ファースト」 に言い換えたとしても、「都民ファースト」 ほどの好感度は期待できないだろう。言葉のもつイメージというのは、なかなかむずかしいものである。

そんなことを思っていたところ、今日になって若狭氏自身が 「日本ファースト」 は新党の名前ではないと言い出した。BLOGOS の記事には次のようにある (参照)。

私が設立して先日発表した 「日本ファースト」 という政治団体の名称につき、マスコミの方を含め、多くの人に誤解があるようですので、説明させていただきます。

これは、あくまで 『輝照塾』 という政治塾を運営する政治団体の名称であって、将来設立される新党の名称ではありません。

要するに 「日本ファーストの会」 という政治団体で 『輝照塾』 という政治塾を運営し、ゆくゆくは新党を設立するつもりだが、その名前はまだ決まっていないという。それだけのことなのに、もって廻っていろいろなことを言うから、わかりにくくなる。

これ、フツーのマーケティング感覚からすれば、とても下手なやり方だ。「日本ファースト」 という、まずいネーミングには違いないが、仮にもインパクトのある名称の団体を、 『輝照塾』 なんていう古色蒼然たるネーミングの政治塾の、単なる運営団体に位置付けているのだから。

『輝照塾』 という政治塾を粛々と運営したいなら、運営団体も 「輝照塾事務局」 とかにすれば、少なくとも混乱はない。しかもこれによって、「○○ファースト」 という使い勝手のいいネーミングを、ここぞという時まで温存できる。逆に 「日本ファースト」 というインパクトのある名称を早い時点から訴求したいなら、政治塾も思い切って「日本ファースト塾」 にすればいい。

「将来設立される新党の名称ではありません」 というのだが、既に確実に 「将来設立される新党」 に余計な負のイメージを背負わせてしまっている。いずれにしても、どうでもいいところで余計なことをゴチャゴチャ言っている割に、実質的に期待できそうな動きは何もないではないか。

そもそも、「将来の政権交代を担える党をつくる」 として動いているのは、若狭氏だけではなく、民進党からも細野豪志氏が離党して同じようなことを言っている。しかしそうした言葉を真に受ける国民は、今や少ない。「民進党もダメだったし、もう甘い期待は抱かないよ」 と思っている。

柳の下の泥鰌は既に採り尽くし、下手な料理人が寄ってたかって腐らせてしまったのだ。

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2017/08/07

加計学園問題をみる基本的な視点

加計学園問題で、安倍首相の政治私物化が悪いと叫ぶ人は、文科省の前川・前事務次官を全面的に擁護する。一方で、元々獣医学部は足りなかったのだから、獣医学会と文科省が死守しようとしている 「岩盤規制」 こそが悪いのだと叫ぶ人もいる。

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両者とも 「自分の側が全面的に正しく、相手は間違っている」 とのスタンスなのだが、これ、きちんと分けて考える必要があるよね。安倍首相と加計学園が悪いのだから、獣医学部新設なんて認めないというのが極論なら、獣医が足りないのだから、獣医学部を新設しようとする加計学園は救いの神であるとするのも同様に極論だ。こんなの、ちょっと考えれば当たり前のことなのに、どうしてごっちゃにして語られてるんだ。

獣医が足りないというのは、事実なのだろう。そして、獣医学部新設に手を挙げたのが加計学園しかなかったというのも、何だかちょっとアヤシいが、まあ、事実としておこう。しかし正式に獣医学部新設を認めてきちんと公募すれば、ほかに出てきても不思議ではない。

問題は、初めから内輪で 「加計学園ありき」 で進められてきたことである。こんなにもあからさまに 「加計学園で決まりだよね、何しろ安倍首相のお友達だし」 という空気が充ち満ちていたのだから、ほかに手を挙げるところが見当たらなかったというのも仕方がない。

獣医学部の新設提案について、内閣府が一昨年に愛媛県と今治市をヒアリングした際、加計学園幹部が同席していたのに、議事要旨に記載がなかった (参照) というのは、いくらなんでもひどすぎる。初めからストーリーは決められていたのだ。公正なプロセスなんて期待できなかったのである。

愛媛県でとくに獣医師不足が顕著で、今治市での新設が望まれていたという指摘もあるが、大学生なんて、卒業したらどこに移って就職するかわからないのである。だから立地が今治市でなければならないという理由はない。

マスコミやネット界隈の論調というのはともすると、一方が正しくて他方が間違ってると決めつけたがるところがあるが、世の中、そんなに単純なものなら苦労はない。規制緩和は一つの課題ではあるが、だからといって、こんなにもアヤシすぎる加計学園を擁護する理由にはならないし、安倍首相のスキャンダルを放置するわけにもいかない。

で、今、より問題にしなければならないのは、安倍首相の 「政治私物化」 であるというのも明らかではないか。獣医師不足を安倍首相の免罪符に使おうなんていうのは、あまりにも甘すぎる。

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2017/07/25

裏で初めから決まってるのは、加計学園問題だけじゃない

昨日の衆議院予算委員会での閉会中審査で、加計学園の特区への申請を知った時期について質問された安倍首相は、「1月20日に申請が正式決定した時点」と、白々しい答弁をした(参照)。まあ、言わせておこう。本当にそんな呑気なことだったら、首相なんて務まらない。

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お役所のやることなんて、大抵のことは初めから裏で決まっていて、表向きの会議は単なるセレモニーにすぎない。そのことについては、5年前に "国の施策なんて、大抵「秘密会議」で決まる" という記事で書いている。

私は昔(といってもそんなに大昔じゃない)、複数の公的な団体に在籍したことがあって、その関係で政府や東京都が実施するいろいろなプロジェクトの「諮問委員会」なんてものに参加させられることがあった。公の施策は、その「諮問委員会」の出した結論に沿って実施される形になっているのだが、実はその内容なんて、初めから裏で決まっているのだった。

諮問委員会の委員は、業界団体代表として「並び大名」のごとくに顔を連ねさせられるが、ほとんど全ての場合は、「業界の意見を広く吸い上げました」 という形式的なアリバイを作るためのダシに過ぎない。会議なんてまったくの予定調和で、あれよあれよという間に進行してしまうのだから、委員が口を挟む隙なんてほとんどないのだ。

たまに当然のことをしつこく質問したり食い下がったりする委員がいるが、そんなのは「空気を読めないヤツ」として白眼視される。どんなに食い下がっても、結局のところはうやむやのうちに無視されるに決まっているのだから、私はこんな委員会ではほとんどシラけているだけだった。

総理大臣が直接関与するほどのものでもない小さなプロジェクトに関しては、諮問委員会を開く前に現場と官庁の役人が「プレ・ミーティング」などと都合の良い名前を冠した秘密会議を行って、概要はこっそりと決める。一方、かなりエラい人が関与しているような利権性の強い案件に関しては、さらに秘密性の高い場を作って、粛々と進行させるのだろう。

だから例えば総理大臣なんかは、プライベートで親しくしている人間が密接に関与しているプロジェクトなんかに関しては、少なくとも公式の場では 「彼のこと、よろしく頼むよ」 なんてことは言わない。そんなことは言わなくても、これ見よがしに一緒にゴルフや会食をしてさえいれば、周囲は思いっきりソンタクしてくれる。そもそも、それが一番の問題なのだが。

つまりたいていの場合は、最高権力者は具体的なことは言わなくても、周囲が勝手にいいようにしてくれるのである。というわけで、今回にしても「初めから加計ありき」だったなんてことは、すべての状況証拠からして、そりゃもう言うまでもないことだ。

安倍さんという人は、憲法改正だの靖国だの教育勅語だのを大きな声で言いさえすればすぐお友達に加えたがるような人らしいので、政界にも民間にも、妙なお友達をいろいろ単純に作りすぎたんだろうね。人を見る目がなさ過ぎなので、そのお友達ラインから自己崩壊が始まっている。

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2017/07/23

艶歌のオッサンが HIPHOP にすり寄ろうとしたけれど

"「政治って意外とHIPHOP」 自民・新潟県連の政治塾ポスターに批判" という記事に、申し訳ないが笑ってしまった。というのも、わずか 6日前に 「艶歌を聞かない若い世代は、選挙に行かない」 という記事を書いたばかりだったのでね。

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6日前の記事は、こうしてみると案外タイムリーなヒットだったかもしれない。虫が知らせて書かせてくれたのだということにしておこう。

自民党新潟県連としてはこのポスターで、精一杯若い世代にアピールしようとしたのだろうが、所詮 「艶歌しか聞かない人たち」 と思われているので、実際の若い世代からしてみると、わかりもしない連中に自分たちの文化が汚されれてしまったような気がしたに違いない。共感を得ようして、反発をくらってしまったわけだ。

というか、おもねるつもりが、結果スベっちゃったというのが、一番かっこわるい。まあ、実は最もセンスがなかったのは、こんなの作っちゃった広告代理店なわけだけど。

私はもうオッサンの年になっちゃってるから (艶歌は聞かないけど)、「はいはい、自民党も少しは若い世代に近付こうとしてはいるのね、かなりズレてるけど」 と、笑って済ませてあげてもいいような気もするのだが、当の HIPHOP 世代としてはマジにムカついてしまったのだね。つまりそれほど、政治の世界に対する反感、というか、「まぁったく関係ない世界」 と思う意識が強いわけだ。

私は 6日前の記事の最後を "あの世代のオッサンたちが消えてしまわないと、もっと直接的に言えば、あの世に行ってもらわないと、若い世代が政治の世界を 「自分たちと関係のある世界」 と感じるのは無理なのだ" と締めくくったが、本当にそうだということなのだね。

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2017/07/17

艶歌を聞かない若い世代は、選挙に行かない

コンビニの店先でウンコ座りしてたむろする若い連中を追い払うのは簡単なことで、スピーカーで小さく艶歌を流せばいいらしい。艶歌が聞こえてくると、ニイチャンたちは居心地悪く感じて、自然にいなくなってしまうのだそうだ。 「ここは俺たちの世界じゃない」 と思ってしまうようなのである。

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選挙で若い連中の投票率が低いのも、実は 「コンビニ店頭の艶歌」 と共通する効果 (逆効果?) によるものだと気がついた。若者たちは政治の世界を感覚的に 「居心地悪い」 ものと感じており、そのため自然に投票から足が遠のく。「俺たちの世界じゃない」 と思っているのだ。

議員のオッサンたちの様子を見れば、それはよくわかる。年齢的には完全にオッサンの私でさえ 「あいつらとは絶対に一緒にメシを食いたくない」 と思ってしまうのだから、若い連中が居心地悪く感じるのは当然のことだ。よほどの義務感でもなければ、進んで 「選挙に行こう」 なんて思わない。むしろ 「関わりを持ちたくない」 世界なのだ。

今の政治の世界は、「艶歌世代のオッサンたち」 の感性で成立しているので、若い世代とは下手すると言葉すら通じない。こればかりは 「感性」 の問題だから、いくら 「社会を変えるのは選挙を通じてしかできない」 なんて 「理屈」 を振りかざしても、若者の足を投票所に向ける力にはならない。それは、オッサンたちにとって EXILE のライブが、地球の反対側に行くより縁遠いものと感じられるのと同じである。

あの世代のオッサンたちが消えてしまわないと、もっと直接的に言えば、あの世に行ってもらわないと、若い世代が政治の世界を 「自分たちと関係のある世界」 と感じるのは無理なのだ。

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2017/07/14

小池都知事とクールビズと築地

小池都知事のこれまでの最大の功績は、2005年、環境相時代に「クールビズ」 を提唱・定着させたことだと思う。それ以前は、「省エネルック」 などという珍妙なスタイルがあって、大昔の大平正芳、羽田孜両首相が着用していたが、冷笑のタネでしかなかった。

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まあ、それ以後にしても民主党政権時代に鳩山さんとかが妙ちくりんなスタイルで登場してくれたりしていたが、最近に至って、ようやくフツーに見られる格好に落ち着いてきたようだ。それまでは 「ムショ帰り」 とか 「草刈り作業中」 とか、いろいろ言われていたものである。

クールビズが提唱された翌年の 6月、アパレル業界のとあるバーティで、来賓として招かれた平沼赳夫衆院議員が挨拶をする際、女性 MC が 「テレビで素敵なクールビズ姿を拝見しました」 と、にこやかに紹介した。しかし登壇した平山氏はにこりともせず、開口一番 「只今、クールビズ姿と紹介されましたが、自慢じゃないが、その格好は一度もしたことがありません」  とやったことがある。

会場は大受けだったが、さすがに MC は真っ青になっていた。あの人たちって、結構テキトーなこと言うのだね。ちょっと考えれば、あのいかにも頭の固そうな平沼さんが、ノーネクタイで公衆の面前に現れるわけないじゃないか。

その場に居合わせた私としては、「平沼さんも、そろそろ降参してネクタイ外したら?」 と思って聞いていた。そしてその翌日の当ブログに、さっそくそのネタを使わせてもらっている (参照)。思えば、あれから 12年以上経つのだね。我ながらずいぶん長く毎日更新してきたものだ。

ともあれ小池さんがクールビズをにこやかに発表した時は、「CO2 排出を抑えるために、室温を 28度以上に保ち、ネクタイを外しましょう」 という建前だった。しかしその後の成り行きをみると、室温を 28度以上にしている会社なんてほとんどないのに、ネクタイだけはしっかり外すという、完全な 「骨抜き」 状態になっている。

つまり日本の男性 (平沼赳夫氏と小沢一郎氏を除く) は、暑い夏はネクタイを外したくてたまらなかったのに、その大義名分を見い出せなかった。そんなところにもってきて、小池さんがいいタイミングでクールビズを提唱してくれたので、温度設定なんかどうでもいいけど、ノーネクタイというスタイルだけは大喜びで受け入れたのだった。私はそのずっと前から、ネクタイなんかしてなかったけどね。

というわけで、小池さん、築地市場問題はクールビズ以上のヒットにできるだろうか。それが問題だ。

「暑い夏にネクタイなんか、締めたくないよね」 という意識にうまく訴えかけたクールビズの成功に倣えば、「築地はやっぱりブランドだよね。豊洲って、ちょっと遠いし」 という声にならない根強い意識にどう答えるかが問題だ。例えば、「マスを扱う豊洲」 に対して、魚介類に限らず 「少量高品質の食材なら築地」 といった棲み分けを訴求するとか。

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