カテゴリー「芸能・アイドル」の31件の記事

2017/09/21

安室奈美恵の引退というニュース

昨日から愛媛県に出張している。移動の途中、スマホの速報で、「安室奈美恵、引退表明」 というニュースを知ったが、それほど大ニュースとは思わなかった。「ふぅん、そうなの?」 程度の印象である。

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ところが今朝、ビジネスホテルのテレビのスイッチを入れて驚いた。いつもはニュースを聞くのにラジオを聞くのだが、ホテルの部屋にはラジオがないので、ごく自然にテレビを見てしまう。するといきなり 「安室奈美恵引退」 でギンギンに盛り上がるスタジオの光景が映し出された。「へえ、案外大変なニュースなんだね」 と思いつつ、リモコンのボタンを押してチャンネルを変える。

すると、次のチャンネルも 「安室、安室」 の大合唱である。「まあ、それはいいから」 と、もう一度リモコンのボタンを押す。するとまたしても 「安室、安室」 である。結局、民放の朝のニュースショーは、全局 「安室、安室」 だったのだ。

「こりゃ、ダメだ」 と思い、NHK に変える。すると画面は 「赤羽特集」 である。東京下町、赤羽の大特集で、「1000円でベロベロに酔える」 という 「センベロ」 が売り物の飲み屋が登場している。まったくの別世界。そして民放が束になって、NHK の 「センベロ」 に襲いかかっている。

BS なら多少まともなニュースショーを流してくれているかもしれないと思ったが、このホテルでは BS が映らない。結局、「センベロ」 か 「安室」 かの選択肢しかない。しばらく 「センベロ」 に付き合ったが、やっぱり厭きてしまい、再び民放に帰ったが、何分待ってもどの局も、「安室賛歌」 の大合唱が続いている。とにかく延々と続いている。

登場するタレントたちが、「自分はいかに安室奈美恵を愛しているか、いかに青春を安室奈美恵に捧げたか、いかに安室奈美恵のファッションを真似しまくったか」 を、これ以上ないほど熱っぽく語っている。すごいものだ。

ここに至って、さすがに降参した。もう認めるしかない。安室奈美恵の引退は、確かに大ニュースなんだろう。言われてみれば、私としても 「下らん!」 なんて全然思わない。悪くないと思う。彼女はグレートなんだろう。確かにそうなんだろう。

はい、認めました。素直に認めました。

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2016/10/22

ギリギリのタイミングで 「お笑い Big 3」 を語る

既に遅すぎるかもしれないが、今のうちに書いておかないと、あっという間に 「それ、何のこと?」 なんて聞き返されるようになりそうなので、アリバイ作りみたいな意味でもここらで書くことにする。何かというと、「お笑い Big 3」 についてである。

Big3

「お笑い Big 3」 の顔ぶれについては、もう時期的に異論が出ても不思議じゃないが、まあ、ちょっと前までは、「さんま、たけし、タモリ」 の 3人と相場が決まっていた。いくらあまりテレビを見ない私でも、彼らの番組は嫌でも目に飛び込んできていた。

で、この 3人の芸風を私なりに一言で言ってしまうと、こんな感じになる。

さんま: 小さなことを膨らませて笑いを取る。

たけし: 小さなことを異化させて笑いを取る。

タモリ: 大きなことを小さくして笑いを取る。

この 3つのうちでは、さんまの芸風が一番わかりやすいわけだが、はっきいり言って私の好みではない。ストレートすぎて、ひねりを感じないのである。だから聞いているうちに面倒くさくて付き合いきれなくなる。

そこへ行くと、たけしの芸風はかなりひねりが効いている。だが、異化の方向性が決まりきってくると、それはマンネリに陥りやすい。だからいわゆる 「お笑い」 よりも映画などを作る方が、「作風」 という一段上のレベルに昇華されたものとして、世間に認められやすくなる。とはいえ、はっきり言って私の好みではないのだけれどね。

タモリの芸風は、さらにひねりが効いている。せっかくの大きなことも敢えて小さくして、身も蓋もなくしてしまうのだ。その小さくする手法が、決して矮小にしてしまうというのでもなく、ちょっと見過ごしていたようなエアポケットに放り込んでしまうというスタイルなので、意表をついたおかしみになる。

さんまは相変わらず賑やかなお笑い芸人のままのようだが、たけしとタモリは、近頃ではお笑い枠からのはみ出し方をより強めているように見える。たけしは映画作家としての方が評価される方向にあり、タモリは 『ブラタモリ』 で見せる 「ペダンティスト芸人」 としてのスタンスを既に築いてしまった。

ただ、たけしとタモリにしても 「お笑いは男子一生の仕事にあらず」 みたいなスノッブな感じとは一線を画していて、いつでも一瞬にしてお笑いの土台に戻れる中身を維持しているので、気障にならないでいられるのはさすがである。

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2016/01/14

「SMAP 解散か?」 というニュース

「SMAP 解散か?」 のニュースが、全国紙の社会面トップになっているのを見て驚いた。「国民的アイドル」 だから大きなニュースバリューがあるというのだが、じゃあ、あんまり関心のない私は非国民なんだろうか。

トップ記事にまでなっているので一応読んでみると、ジャニーズ事務所内の内輪もめに、所属タレントである SMAP が巻き込まれているという状況のようだというところまで理解できた。察するところ、創業者の身内のわがまま娘とやり手番頭格の女マネージャーが対立して、番頭格の方は退社せざるを得なくなったというのが背景のようだ。

で、SMAP メンバー 5人のうち 4人は恩義のある女マネージャーと行動を共にすると言い出し、キムタクだけは 「恩義は事務所の方にある」 と言って残留を表明しているという。ここまでくるともう、浪花節の世界である。個人的には関わり合いを持ちたくないお話だ。

この問題がもし平和的解決をみて、メンバー全員が残留し、グループ解散が回避されたとしても、そりゃもう、事故車は中古市場でも高く売れないみたいなもので、これまでのような別格扱いはもう期待できないだろう。

解散するにしても、それを回避するにしても、いずれにしてもメンバーが別々の活動をする方向性が強まるのだろう。しかしそれぞれの 「個の力」 といっても、それはあくまでも 「SMAP の看板」 を背負った上でのものだから、その看板が傷ついてしまっては、「個の力」 だってだんだん霞んでくる。

要するに、どちらの道を歩んでも既にピークは越えたということなんだろうね。世の中、変わるのさ。

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2014/08/19

今の世の中のブームって

『アナ雪」 がブームなのだという。ただ、『アナ雪」 なんて言われても、何のことだかわからない人の方が、実は多いんじゃないかと思う。正式の邦題は 『アナと雪の女王』 だっけか。これなんかも。米国在住の emi さんはだいぶ経つまで、"Frozen" のこととは知らなかったそうだ (参照)。

老若男女を含めれば、多分日本人の半分以上は 『アナ雪』 をはっきりとは知らないだろう。私もよく知らない。知ってる人でも、その半分ぐらいは原題を知らないだろうし、ましてや 「レリゴー」 って何のことだかわからない人は日本人の大多数だろう。

それでも、『アナ雪』 は、驚異的な大ヒットで、ブームなんだそうだ。いつの頃からか知らないが、日本人の中のほんの一部が夢中になるだけで、「ブーム」 と呼ばれるようになった。日本人の大多数は興味なしの対象でも、メディアで煽ってテレビに何度も露出させさえすれば、「ブーム」 ということになるのである。

日本人の大多数がフツーに知ってることよりも、一部に認知されて、マスメディアにどんどん登場すれば、「ブーム」 である。何となく、安易なことではあるなあと思うのだよね。

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2013/08/02

例の公演中止の話について

世間は土屋アンナ主演の舞台が中止になったとのニュースで騒いでいる。制作者側は 「土屋アンナが稽古に出てこないので、舞台がこわれた」 と主張し、土屋アンナ側は 「原作者の承諾が得られていない」 と言っている。

この件の最初のニュースを聞いた時の私の印象は、「稽古に出ないなんて、土屋アンナっていい加減な女優だなあ」 いうものだった。その上で、「そんなことだったら、さっさと代役を立てて何が何でも公演を貫徹するぐらいの覚悟がない制作者側も制作者側で、かなり無責任だよなあ」 と思った。

こんな 「いい加減同士」 では、舞台を作り上げていくための信頼関係なんて築けなかっただろう。

その後で、泥沼的な報道がどんどん出てきたので、「土屋アンナ = いい加減な女優」 という印象はかなり和らいだが、逆に制作者側への疑念はちょっと膨らんだ。ただ、舞台化に関する許諾云々に間しては書面での契約書は作られていないようなので、結局は水掛け論になるだろう。

詳しい話は全然わからないので、立ち入ったことは言えないが、個人的な印象としては 「無責任さ加減」 では、制作者側の方が上回っている。舞台への 「愛」 が感じられないのだ。代役を立てて稽古をやり直すより、損害賠償をふっかける方が楽だとでも思ったのだとしたら、歌舞伎論で修士号を取った私としては、ちょっと呆れる。

制作者の代表である甲斐智陽氏は、今回の件について Facebook 上で自分の立場を主張していたというが、何だか炎上しちゃったようで、今は閉鎖しているらしい。ただ、彼の投稿をコピーしていた人がいて、自分のブログでそれを紹介している (参照)。

ここに紹介された彼の投稿文が本物だとしたら、率直に言って、甲斐智陽さんという人は演出・脚本を手がけるにしては、ずいぶん稚拙な文章を書く人のようで、あんまりレベルの高いお話とは思われない。で、この問題に間しては、これ以上追っかける気にはなれない。

以上。

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2013/02/05

AKB の 「異界度」

AKB 48 の峯岸みなみという子が、誰だかとの恋仲がバレて、 「丸刈り」 になって詫びたビデオが YouTube に載っかり、これがエラく話題になったらしい。英国でも報じられたと言うから、ちょっとしたものだ。

私はこの峰岸みなみという子の名前も顔も知らなかったので、ちょっと Google で画像検索してみたら、髪の長かった頃と 「丸刈り」 になってからの印象が全然違うので、もう本当に 「素直にびっくり」 した。まるで、「使用前/使用後」 である。最近は素直にびっくりしっぱなしだ。

このニュース、世間では批判的に受け止められているようだ。「どうして恋愛して丸刈りにならなければならないのか」 というのである。私もそう思う。だが、あの世界というのはそもそも 「異界」 であるから、そういうことになってしまうのだ。隣のおねえちゃんの集まりみたいだった AKB も、年経てしまって、かなり 「異界度」 が上昇してしまっているようなのだ。

これって、AKB もそろそろ賞味期限が近づいてきていることをうかがわせるエピソードである。この手の 「女の子大勢のユニット」 というのは、古くは 「おニャン子クラブ」 に始まり、それから、えぇと、なんだっけ (と、マジにググりまくり) ……、そうそう、「モーニング娘。」 を経て 「AKB 48」 に至っているわけだが、やっぱり寿命というものがあるのだろう。

何しろ、上のパラグラフを書いている途中で、本当に 「モーニング娘。」 という名前を失念して、ググりまくってようやく思い出したぐらいだから、この類のグループの栄枯盛衰は、本当に激しい。そのうち、AKB 48 だって、「えぇっと、何だっけ、アルファベットが、確か 3つのやつ」 とか言われかねない。

共通しているのは、隣のおねえちゃん的雰囲気の女の子を大勢集めて大々的プロモーションを行い、あっという間に 「知らない人はいない」 というほどの存在にしてしまうという手法だ。そのプロモーション・メディアは、おニャン子とモー娘の場合は完全にテレビだったが、AKB の場合はちょっとはみ出しているというのが、時代性である。

そしてこれらのグループのライフスパンにおいて、初期から最盛期にいたる間での間は、初々しい 「素人っぽさ」 という幻想がアピールするわけだが、それを通り過ぎると、「素人っぽい」 とはまったく言えなくなる。すっかり 「芸能界のおねえちゃん」 になる。

しかもその芸能界という広大な海を、徒党を組んで渡っているわけだから、かなり独特の世界を構築することになる。芸能界自体が既に 「独特」 な世界なのに、輪をかけた独特さをもって、「ピュア異界」 となり、規模の小さな宝塚みたいなことになってしまう。これはごく当然の流れというものである。

そうした意味で、今や AKB 48 の 「異界度」 も相当なものになっているようなのである。今回の 「丸刈り騒動」 は、それを世間に認識させてくれた。

ちなみに、異界度では相当なものの宝塚がなかなか風化しないのは、一時的なブームになりすぎるのを巧妙に避けて、ある意味での 「古典」 に昇華させてしまったからかもしれない。

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2012/08/31

高麗屋はどうして 「松本」 と 「市川」 を名乗る?

染五郎が舞台から転落事故を起こしたと聞き驚いた。父の幸四郎が転落の音を聞いて駆けつけた時には、奈落は血の海で、最悪の事態も想定して 「覚悟を決めました」 と語ったという。いやはや、そんな 「最悪の事態」 にならずに済みそうで、よかったよ。

ところで、歌舞伎ファンになったばかりの時に感じた疑問、「どうして高麗屋は、親子で名字が違うんだ?」 というのを、ふと思い出した。高麗屋の跡取りは、「松本金太郎 → 市川染五郎 → 松本幸四郎」 という順で名を継いでいく。途中、染五郎の時だけ、「松本」 ではなく 「市川」 になるのだ。

この当初の疑問は、そのうちに自分の中ではあまりにも当たり前のことになってしまって、きちんと理由を調べることもないままに、今まできてしまった。理由はことさら調べていないが、まあ 「市川団十郎家と松本幸四郎家の、特殊なほど強い関係から、そんな風になっているんだろうなあ」 と、薄々思ってはいた。

市川団十郎家 (成田屋) で跡取り息子に恵まれなかった場合、弟子筋に当たる松本幸四郎家 (高麗屋) から養子を迎え入れて団十郎を継がせるということが、度々あった。最近では、こないだくだらない喧嘩でボコボコにされた海老蔵のお祖父さん、十一代目団十郎が、七代目幸四郎の息子である。

だから、当代の団十郎と幸四郎は従兄弟同士で、その息子の代の海老蔵と染五郎は、はとこ同士ということになる。まあ、梨園の御曹司は従兄弟同士や、はとこ同士がやたらと多いから、珍しいことではないが、成田屋と高麗屋はとくに縁が深い。

遠くは四代目と五代目の団十郎が、それぞれ一度、二代目と三代目の松本幸四郎になってから市川団十郎を襲名し、その後また幸四郎に戻ったりしている。二代目幸四郎は、実は二代目団十郎の種だったという説もあるが、それは今となっては検証のしようがない。

とまあ、それほど成田屋と高麗屋は深い縁にあるので、四代目の幸四郎あたりから、市川染五郎とか市川高麗蔵を名乗ってから幸四郎を襲名するというのがパターンになったようだ。

改めてググってみると、模範解答としてそんなような理由が述べられていて (参照)、私の推測は間違いじゃなかったようだと、少しホッとした。

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2012/06/06

AKB 総選挙といっても

AKB 総選挙というのが行われているらしく、仕組みはよくわからないけれど、やたらと大量の CD を買って投票しているという人がいるらしい。中には 1人で 1770票をという人もいるらしく、それには 200万円以上かけているという (参照)。

まあ、昔もそれに類した話はいくらでもあって、1970年代には 「三波春夫先生・命!」 というオバサンが、公演チケットやお花の差し入れ、プレゼント等々に年間 200万円以上かけているというのが話題になったことがある。当時の 200万円だから、今でいったら多分 2000万円以上になると思う。だから、AKB に 200万円では驚くに足りないわけだ。

そのおばさんの日課は、朝起きると新聞の番組欄をチェックし、三波春夫先生が出演する番組を見つけると、テレビの画面 (当時はブラウン管) を念入りに拭くという作業から始まる。画面に登場した三波春夫先生に頬ずりし、口づけするためなのだそうだよ。すごいね。

今の AKB ファンは、CD 購入に何百万円かけても、オークションなんかで売り飛ばすから、かなりの部分はきちんと回収しているらしい。しっかりしたものである。昔の三波春夫先生に入れあげたおばさんに比べたら、まだ生やさしいのかもしれない。

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2011/08/29

紳助引退に関連して、私もちょっとだけ書いておく

なんだか世の中が紳助引退の話でもちきりなので、私も何か書こうと思ったのだが、書こうにもあまり予備知識がないので書けない。とはいえ、ちょっと前に Twitter に彼について一言書いたことがあったので、行きがかり上、何か書いておく。ちなみにちょっと前の tweet とは、こんなのである (参照)。

島田紳助の出てる番組ってのをみた (タイトル忘れた)。芸能界における処世術を、紳助がドヤ顔でしゃべりまくるだけだった。表であんな調子なんだから、裏ではさぞかし説教好きなんだろうなあと思った。

なんとまあ、普段は全然彼の話題なんか書きそうもない私が、たまたまこんなことを書くと、それから 10日も経たないうちに引退騒動である。これからは芸能界から消したいタレントがいたら、私に言っておくれ。適当なことを tweet してあげちゃうから。

ちなみにこの tweet には、@morikenken さんからこんなような返信があったとお伝えしておく (参照)。

その説教を、無視したりすると殴られて事件になっちゃう訳ですね (笑)

そういえば、そんなような事件があったよなあ。態度がなってないとか言って、女性をぶんなぐっちゃったんだっけか。態度がなってない女性をぶんなぐるというのは、しかるべき行為だったんだろうなあ、彼にとっては。

で、私の tweet に戻る。私の見たのは出演者が簡単なクイズにまともに答えられないというような、バラエティ的にあるべき馬鹿の姿を競い合う番組だったんだけど、この中で紳助は (もう一般人だから 「さん付け」 にすべきだとの説もあるが、芸名なので慣例通り呼び捨てにしておく)、まあ、彼一流という類の話芸を披露していた。

ところがその話芸が、この手のバラエティ番組が好きで好きでたまらないというような視聴者にはよくわかるであろう楽屋落ちばかりちりばめられているので、たまたまちょっと見ただけの私のような者には、何がおかしいのかわからない。単に 「お笑い業界内処世術をドヤ顔で語っている」 だけにしか聞こえない。

で、彼が引退してから、彼に縁のある (のであろう) お笑い芸人、ファン、そして大阪府知事までが彼を惜しむコメントを続々と発しているのを見るにつけ、「ああ、あの世界は、事務所、メディア、タレント、さらにはファンまでもが一蓮托生になった運命共同体であるのだなあ」 と感慨を深くした。

ファンまでもが、まるで業界の一員であるかのような共同幻想を共有しているからこそ、あのような 「業界内処世術」 的なお話が、不思議な広がりをもって 「あるよね、あるよね」 ってな感じで通じてしまうんだろうなあと、しみじみ思ったのである。

この感じ、寿司屋の客まで 「あがり」 だの 「おあいそ」 だのと言ってるのと共通したイヤらしさを感じると言えば、通じる人には通じるだろうか。

上下関係に妙にうるさく、誰かがボケたらすかさずツッコミで応じないとつまらないヤツという烙印を押され、馬鹿を装いながら義理人情だけは欠かさずというような 「空気」 が、あの業界の外の世界までかなり広まっているということだ。今や、一般人の世界もなかなか大変なのである。とりもなおさず、極道の世界のバリエーションである。

この世の中のかなり広い範囲までが、そっち方面の 「勘の良さ」 とか 「如才なさ」 とかがないと、なかなか生きにくい世の中になってしまっているみたいなのだよ。疲れるなあ。正直言って、紳助のようなタイプの人間は、私はあんまりお友達になりたくないなあと思ってしまうのである。本当に、無茶苦茶疲れそうだ。

ただ、お友達になりたくないからと言って、テレビの世界から抹殺したいとまで思っていたわけじゃない (見なきゃいいだけだから) ので、今回の引退騒ぎは 「へぇ~!」 と驚くばかりである。これって、深く裏読みをすればいくらでも小ネタが出てくるんだろうが、そこまで突っ込むほどの興味がわかないので、この辺で止めておく。

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2011/06/25

『虹色の湖』 で思い出したことなど

今朝、いつものように朝食を食べながら NHK ラジオを聞いていると、『虹色の湖』 という曲が流れた。中村晃子という歌手が歌っていたものである。妻と2人で 「そう言えばそんな歌があったねえ」 と言いながら聞いたのだが、調べてみると、昭和 42年のヒット曲だったようだ。私がまだ中学生だった頃である。

「幸せが住むという / 虹色の湖」 という、妙に甘ったるくロマンチックな、当時のステロタイプそのものの歌い出しで始まる曲だ。ググって見たら YouTube に、大分お年を召してふっくらした中村晃子が、ちょっと高音域を苦しそうに歌っているビデオが見つかった (参照)。アレンジは多分当時のままだと思う。

昭和 42年といえば、グループサウンズの全盛時代である。で、思い出してみると、あの頃の曲の歌詞は、今から思えば、妙に甘ったるいロマンチックなものばっかりだった。レコード大賞を受賞したブルーコメッツの 『ブルーシャトー』 なんて、「森と泉に囲まれて……」 とくる。今どきそんな歌をオリジナルで作ったら笑われる。

テンプターズの最大ヒット曲なんて、タイトルからして 『エメラルドの伝説』 ときたもんだ。タイガースの 『花の首飾り』 なんて、大甘の極地で、白鳥の湖のお子様版焼き直しみたいなもんである。おぉ、恥ずかし。

思えばあの頃のグループサウンズに代表される若向けの歌というのは、今みたいにちょっとリアルな感覚を盛り込んで歌うなんて発想は、全然なかった。砂糖菓子みたいにロマンチックで幻想的なイメージをこねくりあげるしか方法論がなかったようなのである。

その意味では、いわゆる 「歌謡曲」 の歌詞の方がずっとリアルだった。要するに、あの頃の若い連中は歌にするための自分の言葉を、まだ獲得していなかったのだ。おとぎ話の言葉に酔うしかなかったのだ。なんて甘く悲しい時代。

あの頃、ロマンチックじゃない不良が、作詞家先生と作曲家先生の作り上げた妙にロマンチックな歌を歌って、あっという間にアイドルになってしまうという、わけのわからない現象が、無茶苦茶に盛り上がっていた。「自分で作って自分で歌う」 のが当たり前の時代からみると、隔世の感がある。

ああいう時代の手法が巧妙に姿を変えて生き残っているのが、AKB 48 とかなのかもしれないと、ちょっと思ったりする。

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