カテゴリー「住まい・インテリア」の14件の記事

2017/02/28

4LDK のマンションの広さ

SUUMO よいう不動産物件サイトの広告で、「4LDKって…ひ、広い!」 というのがある。なんでも、埼玉の新築マンション情報なのだそうだ。でも正直なところ、4LDK って、そんなに広いわけじゃないのだよね。とくに首都圏のマンションなんて、名目 8畳の部屋が、田舎の 6畳間ぐらいのものなんだから。

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実は我が家だって 4LDK である。昔の田園地帯を造成した住宅地の一戸建てだから、多分首都圏のマンションの 4LDK より広いと思う。だけど、我が家の周囲の元から住んでいる人たちの、御殿みたいな家に比べたら、おもちゃみたいなものだ。

何しろ、8畳間のあるマンションに引っ越して 「いやあ、8畳間って広いねえ」 なんて言ってる人に、田舎のオッサンが 「ウチには 10畳以下の部屋なんてねえよとは、気の毒で言えなかったよ」 と苦笑いしていたぐらいのものである。家のサイズに関する感覚というのは、都会と田舎ではかなり違う。

そして米国あたりの人間のスペース感覚はさらに広大だ。ニューヨークの住宅なんて日本人の感覚とそんなに変わらないが、中西部の住宅となると、もう、広いなんてものじゃない。少なくとも 20畳ぐらいのスペースのリビングルームに、ソファが点在している。日本の 「応接 3点セット」 みたいな、コンパクトにまとまったものじゃないのだ。

家族があんなに離れたソファに座るのだから、声だって自然に大きくなる。あのスペースに日本人が入ったら、いつの間にか自然に真ん中に寄り集まって小さな車座になってしまう。

都会に住んでいたら、人間の感覚はどうしてもチマチマしたものになってしまう。時々は自然の中に出て、思いっきり空気を吸って歩き回ることが必要だ。マンションの 4LDK ごときで、「ひ、広い!」 なんて言ってちゃいけないのである。

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2016/05/08

収納の 8割は、分類整理すること

私も一応 「妻」 という女性と一緒に暮らしているので、女性雑誌や女性を主なターゲットにしたインテリア雑誌などに目を通すことがある。で、こうした雑誌は 「収納」 を繰り返し特集しているという印象がある。

あれだけ繰り返して特集を組んでいるところをみると、「収納特集」 の号は売れ行きがいいのだろうと想像される。ところが率直な感想を言うと、この手の雑誌の収納特集は、あまり役に立たない。とくにファッション性の高い雑誌の収納特集ほど、ほとんど絵空事だ。

例えば 「衣類の収納」 のページでワードローブの写真なんかをみると、ハンガーにかけられた服が、シャレオツなブティックみたいなイメージでパラパラっと並んでいる。収納の専門家ではなく。ディスプライの専門家の手によるものだろう。こんなのを見ると、「ウッソだろ!」 と叫びたくなる。本当は小ぎれいな感じでは到底収まりきれないほどぐちゃぐちゃっとあるから、みんな苦労してるんだろうよ。

書棚なんかも同様で、美術系の本や写真集なんかが慎ましく並び、たっぷりした隙間には洒落た置物が飾られている。これも 「ウッソだろ!」 である。蔵書がこの程度しかないとは、よっぽど本を読まない人間だろう。

「主婦も書斎やデスクスペースを」 なんてテーマのページでは、ちゃっちいデスクにおよそ実用的じゃないノートがパラパラっと置いてあるだけというのが多い。最近は申し訳程度にノート PC が登場するようになったが、インターネットに接続するルーターの置き場所がなかったりする。

こんなのを読まされていたら、収納なんか上手になるわけがない。深読みすれば、読者がいつまでも収納下手のままでいるからこそ、雑誌社は何度も何度も繰り返して 「収納特集」 を組むことができる。収納特集を読んで本当に収納が上手になられたりしたら、編集部は困るのである。

それで大抵の収納特集は、「単にお洒落なだけで実用性皆無」 の雰囲気だけのものだったり、「全体のディレクションが無視されて、部分的な収納アイデアが満載」 の実は面倒なだけのものだったりする。あんなものを参考にしていたら、まともな収納なんてできない。

というわけで、我が家の収納メソッドはここ 10年以上、ほとんどすべて私がお膳立てしている。女性雑誌の収納特集なんかでは、「カテゴリーや使用頻度に応じて分類整理し、しかるべきものをしかるべきところに収める」 という原則が理解されにくい。

収納作業の 8割は上手に分類整理することで、それさえできれば、実際の収納作業は、2割ほどでしかない。そしてその 「分類整理」 の 5割ぐらいは、「不要なモノを捨てる」 ということになる。

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2015/06/22

現代の方丈生活

Wired の本日付記事 "カプセル型の自給自足型マイクロハウス「Ecocapsule」" というのがとても気になった。そのまんま 「エコカプセル」 と読むんだろう。下の写真は Wired の記事の直リンクで、本当に小さなカプセルである。ちょっとした 1ボックス車ぐらいのサイズにみえる。

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スロバキアの首都、プラチスラヴァにある建築スタジオ、Nice Architects が発表したもので、「キッチン、バス、寝室を備え、屋根に設置した風車とソーラーパネルにより、自力で電力をまかなうことができる」 とある。屋根のソーラーパネルと風車によって発電した電力は 9.744Kwhバッテリーに蓄電され、飲料水は降水をフィルターで浄化して得る。

電力会社と水道局との契約は要らないし、ガスも灯油も使わないから、自動車を持たなければ、エネルギー代は 1円もかからない。電気に関しては、ソーラーパネルの他に風車とバッテリーがあるので、雨の日や夜でも停電が避けられるのだろう。環境へのインパクトを最小にして生活することができる。

それにこのマイクロハウスは、土台も電線も水道もいらないので、多分 「不動産」 としての登記が要らない。小さな土地さえあれば、いや土地がなくても、ビルの屋上とかにちょこんと置いて住むことができる。その場合の排水処理さえしっかりすれば、ずっと住み続けられる。

内部は写真によればこんな感じだ。左がダイニング兼作業用のカウンター・テーブルで、右が折りたたみ式ベッド。その奥にキッチンが見え、壁の向こうはトイレ兼シャワールームだ。写真では見えないが、手前に収納スペースがあり、さらにキッチンの奥が外から開けられる倉庫である (上の写真の左端のドア)。

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鴨長明は方丈 (一丈四方、大体四畳半の広さ) の宿に住んで 『方丈記』 を著したが、これはさしずめ、現代の方丈である。生活に必要な機能は最低限揃っているし、あとはインターネット接続のための WIMAX かなんかがあれば、仕事にも困らない。

もし私が独身だったら、どっかの屋上を借りてこんなカプセルに住み、ミニマリズム生活をするのもいいなあと思ってしまう。あるいはリゾート地にこんなのをいくつかちょんちょんと置いてしまえば、手軽なロッジ村ができる。建物を建てる必要がないから、コスト的にも有利かもしれない。

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2014/12/07

モノを所有せず、小さな家に住む

Wired に "モノを所有せずシンプルに暮らす、アメリカ発の 「タイニーハウス・ムーヴメント」" という記事がある。アメリカでは 2000年頃から、トレーラーハウスや自作のログハウスなど 「小さな家」 や 「小屋」に住むことを選択する人が増えてきているという。

この「Tiny House Movement(タイニーハウス・ムーヴメント:small houseとも)」は、単に小さな家に住むというだけでなく、なるべくモノを所有せずにシンプルに暮らすという、これまでの大量生産大量消費社会に対するカウンターカルチャーとして発展してきた。

そんなことなら、私は大賛成だ。家具や食器、衣服、蔵書などをなるべく少なくして、手を伸ばしさえすれば大抵のところに手が届くような、小さな家に住むのが、私の理想なのである。

私だけじゃない。日本人は小さな家に住むのが向いていると思う。『方丈記』 を記した鴨長明の時代から、大邸宅なんかより、「庵」 という字が似合う風情の、小さな住まいで暮らすのが粋というものなのである。

ところで、大きな家が必要になるのは、家具、食器、衣服、蔵書がどっさりたまるからである。日本では、方丈記のようなささやかな住まいがもてはやされる割に、食器だけはやたら多い。何しろ、和洋中の 3つのスタイルの食事ができるように、それぞれの食器がある。これが私にはうっとうしすぎる。

私は大中小の 3サイズのボウルと皿、そしてマグカップさえあれば、日常の食器は足りると思っている。我が家にある食器でさえ、多すぎる。家族の誰かが結婚披露宴に呼ばれる度に、引き出物の食器が増えてしまうのが、ものすごく負担だ。

服は、最近ワードローブの中をすっかり整理した。宮仕えを降りてしまうと、着る物なんて本当にシンプルにできる。スーツなんて年に 3〜4回しか着ないので、夏用と冬用が 1着ずつと、夏用の冠婚葬祭用の黒服 1着だけを残して処分した。冬の冠婚葬祭は、ユニクロのヒートテックの下着に夏用を重ねれば OK だ。

外出着としては、ジャケットが夏用と冬用を 2着ずつ。それ以外は、ボタンダウンのシャツ、ポロシャツが3〜4着ずつと、チノパンとジーンズが 2本ずつあれば十分だ。あとは、フリース・ジャケットとダウンウェア、マウンテン・パーカがあればいい。

蔵書はできるだけ処分したつもりなのだが、まだ書棚が 5つも必要なほど残っている。10年ぐらいしたら、これもどんどん処分しよう。どうせあの世までは持って行けないのだから。

あとは PC 周りが確保されれば十分に暮らせる。そうなったら、夫婦で 2DK で十分だ。今住んでいる家は 4LDK もあるから、空き部屋ができてしまう。しょうがないから、それらはがらんとしたゲストルームということにしようかと思う。

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2011/05/16

8年ぶりに椅子を買い換えた

昨日、椅子を買い換えた。私のワーキングスペースは寝室の一画を仕切ったもので、何から何まで手を伸ばせば届くというコンパクトさゆえに、最近は 「コックピット」 と呼んでいるのだが、このコックピットの椅子がへたってしまって、腰痛の元になってしまっていたのだ。

この椅子は、8年前にサラリーマン生活を止めて独立したときに買ったものである。それまではホームセンターで買ってきた 2,800円ぐらいの安物の椅子を使っていたのだが、これは 2~3時間以上座って仕事すると腰が痛くなるというので、多少はマシな椅子に買い換えたのだ。この頃のことが、当時の Today's Crack に書いてある (参照 1参照 2)。

我ながら驚いたことに、8年前はまだココログを使い始めていなくて、この時期の Today's Crack は 「庄内拓明の知のヴァーリトゥード」 という本宅サイト内のウェブページとして保存してある。ココログを使い始めたのは、約 7年前のことだ。ふぅん、もう 10年以上も使っているような気がしていたのだが。

というわけで、独立記念みたいにして買った椅子も、8年経ってガタがきてしまったのである。8年というのは、長いような短いような、不思議な時間だが、ココログを使い続けている実感からしても、やっぱり短いわけではないのだろう。椅子がへたるのも道理である。

近頃、椅子に座って PC のキーボードを叩き続けるのが辛くなってきていたが、これは椅子のせいもあると、ようやく気付いたのだ。椅子がおかしくなると、正しい姿勢をキープするのが難しくなるみたいなのである。

椅子は先週初めに ニトリ で見つけて注文し、日曜日に受け取ることができた。とはいえ、特別注文の高級品というわけではなく、単に店に在庫がなかったので取り寄せに手間がかかったというだけのことだ。

値段は案外安くて 7,880円。総本皮張りの 19,900円のものもなかなかよかったのだが、同じような座り心地なら、安い方がいいに決まっているから、こっちにした。背もたれがメッシュで、今年の夏の省エネにもいいだろうという理由もある。

ただ、椅子はあまり安物に走ってはいけない。上述のように、ホームセンターで適当に買った安物は、3時間以上の作業に耐えなかった。そしてこれまで使っていたのも、確か 5,800円ぐらいだったと思うのだが、買った当初の快適さが 8年もたなかった。軸にがたつきが生じて、座面もへたってしまった。

今回の買い物も、それほど贅沢をしたというわけじゃないのだが、これまでより少しは快適に仕事できるのではないかと思う。

そうそう、安物の椅子はいけないのだが、高級すぎるのもいけないのである。知人が定年退職を機に自宅の書斎の椅子を買い換えた。このときかなりがんばって、重役室で使われるような、革張りの高級品にした。ところが、これが高級すぎて仕事にならないというのである。

重役用の椅子は、仕事をするためではなくふんぞり返るためにあるようで、自ら PC に向かってキーボードを叩き続けるための設計にはなっていないのだ。そこが 「ワーキングチェア」 との大きな違いである。

高級椅子は、深くゆったりすわって心地良い作りになっているが、ワーキングチェアは浅めに腰掛けて両手を前に出してキーボードを叩く姿勢で、リラックスし、安定するようでないといけない。重心の位置が全然違うのだ。

そして私は、一生ワーキングチェアに座り続ける人間みたいなのである。

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2008/10/07

モノ地獄からの脱出

朱鷺子さんが 「病室隅っこの生活」 という記事を書いておられる。以前、ご主人が入院されたとき、20日間ほど病室に泊まり込んだときの経験だ。

ベッドと壁の隙間にせんべい布団を敷き、洗面器一つですべてが間に合ってしまう生活というのも、なかなかいいものである。

私は若い頃にしょっちゅう、背中にバックパックを背負ってあちこち放浪したり山登りをしたりしていたので、本当に 「モノは少ない方がいい」 と思っている。

日常生活だって、食器なんて箸と皿 1枚、カップ 2つあれば十分だ。あとは、下着 3セット、夏冬用の衣類各 3セット、布団があればいい。願わくはノート PC とインターネット回線が加われば、それほど不自由なく暮らしていける。

ところが、モノというのは魔物である。特別なことは何もしていないのに、知らぬ間に増える。収納しきれないほど増える。捨てても捨てても増える。それに、これが人間の業というものか、滅多に使わなくても、「愛着」 なんて称して捨てられないものもいくつもある。

以前、実家の引っ越しをするときのことを書いた (参照)。あれには参った。昨年死んだ母が寝込んでしまう前にやや認知症っぽくなり、同じモノを何度も何度も買い込んでいたせいで、押し入れと納戸の奥が大変なことになっていたのである。以下にちょっと引用する。

一度納戸の奥にしまいこんでしまうと、その品物は 「ない」 ということになってしまって、また新たに買い求めてしまう。そしてその新たに買ったものをまた押入れの奥にしまい、またまた 「ない」 ということになってしまって、さらに同じものを買う。

かくして、引越しのときには、あちこちから同じようなものが、次から次に発掘されることになる。充電式小型掃除機、スリッパ山ほど、魔法瓶型の水筒、タオルケット、毛布、小鉢セット、湯呑みセット、土鍋、卓上コンロ、座布団カバー、目覚まし時計、灰皿、花瓶、旅行バッグなどなど。

その他、いかにも贋作っぽい掛け軸十数本、武者小路実篤の 「仲よきことは美しきかな」 の額、中元で貰ったタオルが熨斗紙付きのまま百数十本、結婚式の引き出物で貰った陶器、漆器の類は数知れず、何とか友の会の積み立てで買ったまま、使いも しない電気毛布、健康器具の数々。

ああ、モノがありすぎるというのは、一種の地獄である。モノ地獄である。あるいは、今の日本自体が、地獄の様相を帯びているのかもしれない。モノは溢れるほどあるのに、それを維持するために金を使わなければならない。それで 「貧困」 なんて言っている。「モノ持ち貧乏」 だ。

娘たちがすべて嫁に行ったら、夫婦二人で慎ましやかに暮らしたい。最小限の鍋釜、食器、衣類、寝具、本ぐらいのものさえあればいい。今ある家の部屋の半分は、たまの来客が泊まれるように、がらんどうにしておきたい。

ちょっと考えてみると、慎ましやかに暮らすためには、PC は有力なツールである。これさえあれば、モノはかなり減らせる。まず既に、百科事典なんてものは要らなくなった。私の本棚を見ると辞書類だけでも相当並んでいるが、これだって 4分の 1ぐらいに減らすべきだろう。

リビングルームに鎮座ましましている大型液晶テレビだって、あんなものは要らない。テレビを見たかったら、PC で見ればいい。音楽だって PC と iPod でいける。書類の山は、デジタル化しておこう。

デジタル・ファイルはそんなに長持ちしないという説もあるが、どうせ一つのメディアが主流から消える時には、必要なものだけ新しいメディアに保存し直すのだから、あまり気にしなくてもいいと思っている。10年経っても必要なファイルなんて、そんなにあるものじゃない。

食事は、でっかい中華鍋と小鍋がいくつかあれば米だって炊ける。食器もあんなにたくさんの種類はいらない。日本人は和洋中でそれぞれ食器を変えたがるが、別にそんなことをする必要はない。

私の身体の中には禅坊主の血が流れているので、「起きて半畳、寝て一畳」 というライフスタイルへのあこがれがある。強烈にある。ああ、それなのに、周りを見ると、モノ、モノ、モノである。こんなにモノがあるというのは、肩の荷が重すぎるということだ。

ああ、今日から要らないモノは処分することを心がけよう。とはいえ、最近は捨てる時でさえ金がかかる。再利用してもらうために、フリーマーケットが盛んになってくれるといい。

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2008/04/07

白熱灯を止めるなんていっても……

「経済産業省が家庭用照明の白熱灯を廃止し、省エネ型の電球型蛍光灯に転換を促す方針」 (参照) とのニュースには、白熱灯派の私としては、ちょっと驚いてしまった。

我が家はかなりエコ意識の高い家庭を自認しているが、蛍光灯だけはやたら少なくて、白熱灯比率が高い。

確かに蛍光灯の方が消費電力が少ないのはわかっているが、こればかりは趣味の問題で、ちょっとだけ贅沢させてもらっている。それでも、要所要所、私のデスクとか、リビングルームのテーブルの上とかは、蛍光灯だ。

白熱灯にしているのは、廊下、階段、玄関、トイレ、台所、寝室など、あまり長時間使わない所である。廊下とかトイレなんかは、ちょっと点けてすぐに消すから、これらを蛍光灯に変えても、消費電力はあまり変わらないと思うのである。

しかも、我が家の白熱灯は、ワット数が最大でも 60ワット止まりである。100ワットの電球なんて 1個も使ってない。あんまりのっぺりと明るすぎるのは嫌いで、40ワットぐらいのうすぼんやりしたのが好きなのだ。廊下とかトイレなんて、20ワットばっかりである。

こんな我が家が全ての電球を蛍光灯に変えたところで、消費電力とか CO2 排出量に大した違いは出ないと思うがなあ。ちょっと白熱灯で贅沢させてもらっている分は、他の部分の省エネでお釣りが来るんじゃなかろうか。

そもそも、白熱灯を蛍光灯に変えて大きな効果が期待できるのは、ヨーロッパ辺りだと思う。とくにドイツとかフランスとかの連中は、蛍光灯嫌いで、白熱灯ばっかりである。そのおかげで、薄っぺらな感じじゃない深みのある陰影のインテリアが実現されている。

彼らが、この深みのある陰影のインテリアってやつをすっぱり諦めて、全部蛍光灯に変えてしまったら、消費電力がかなり少なくなると思う。とはいえ、彼らがそう簡単にインテリアの雰囲気を放り出してしまうとは思えないのだけれど。

一方、日本人の家庭をみると、既にかなりの部分が蛍光灯化されてるじゃないか。我が家みたいに白熱灯だらけの家なんて、あまり見たことがない。オフィスなんてのは、もう、ほとんど蛍光灯みたいなものだし。

こんな日本で蛍光灯化なんて言っても、あまり大きな効果は望めないんじゃないかと思ってしまうのだ。もっと他にやることいっぱいあるだろう。

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2006/09/13

「醤油さし」 のグッドデザイン

グッドデザイン賞が今年で 50周年を迎えるのだそうで、日本産業デザイン振興会と Yahoo が共同企画サイトを展開している。

過去を振り返れば、「何でこれが?」 的なものもいくらでもあった気がするが、「時代を作ったグッドデザイン 100選」 ともなると、さすがに納得できるものが多い。

中でも、私が感心したのは 「キッコーマンしょうゆ (特選) 卓上 150ml びん」 である。場末の定食屋、一人暮らしの学生の台所にいたるまで、まさにどこにでもある、定番中の定番の醤油さしだ。1993年にグッドデザイン賞を受賞している。

私はそのずっと以前から 「これこそ、最高の工業デザイン」 と主張していたのだが、わずか 13年前に受賞とは、遅すぎるぐらいではないか。

我が家では、この形の醤油さしを使い初めて、既に 20年ほどになると思うが、それ以前は、妻がいろいろな形の醤油さしを買ってきてトライしていた時代があった。白山陶器の これ も、もちろん使ったことがある。

しかし、使ってみて初めてわかることなのだが、日常の暮らしにおいては、キッコーマンの卓上びんの方が、断然便利なのだ。

まず、完成された形状である。この形状のおかげで、持ちやすく、倒れにくい。そして、液垂れしない。それに、中の醤油の量が見えるので、自然に最適の傾け方ができるし、詰め替えのタイミングも一目でわかる。さらに、かなり丈夫で、ちょっとぶつけたぐらいでは割れない。

一方、白山陶器のしょうゆさしは、見た目は洒落ているけれど、案外持ちにくい。それに、中身の量が外から見えないので、傾け方に気を使う。蓋の小穴を指先で押さえて出る量を調節できるなんていうが、ただでさえ持ちにくいのに、そんなデリケートなことはしたくない。

さらに、現在はかなり改良されているようだが、以前は口の先から液垂れしやすかった。最後に、陶器の宿命として、欠けたり割れたりしやすい。陶器の醤油さしなんて、その意味でも、子どものいる家庭で使うもんじゃないと思う。

私がいくら 「キッコーマンの卓上びん、最高!」 と主張しても、妻はなお、見た目のお洒落さ加減を追い求め、いろいろな陶器の醤油さしを取っ替え引っ替え買ってくる時代が続いた。

それらがことごとく、蓋が割れたり、口が欠けたりして長持ちせず、ようやく諦めて、キッコーマンの工業デザインとしての優秀性を認めるまでには、一緒に暮らし始めて、10年近くかかったのである。

妻は今でも、「この "萬" 印のロゴさえなければ、確かに最高かもしれないけど」 などと往生際の悪いことを言っているが、私に言わせれば、このロゴがなければ、画竜点睛を欠くというものである。こればかりは、私は自分の価値観を押しつけてしまっている。

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2006/05/15

アンチ収納論

片付け・不用品・部屋片付けの心得とポイント」 というサイトが見つかった。このサイトによると、部屋片づけの際に最も多く出るのは、「本・雑誌」 「ビデオテープ」 「衣類・布団」 「手紙・請求書・明細書」 「趣味の収集品」 で、このベスト 5 で 80%になるという。

なるほど、さもありなんである。

「片づけ」 というと、「収納」 とほぼイコールで語られることが多いが、それに関しては、私はかなり疑問に思っている。

収納スペースにきれいに整理されてしまい込まれたものというのは、要するに、「普段は使わないもの」 というのが多い。「普段は使わない」 というのは 「滅多に使わない」 とほぼイコールで、さらに、「10年に 1度も使わない」 とも、かなり近かったりする。

このような、要するに 「ほとんど使わないもの」 が、貴重な収納スペースにきっちりと整理されてしまいこまわれていると、人はその部屋の住人を 「収納上手」 と誤解しがちである。

しかし、よく見渡してみると、「ほとんど使わないもの」 が、「開ければすぐに取り出せる」 という一等地的なスペースにきちんと整理されているおかげで、「普段よく使うもの」 にしわ寄せがいってしまい、その辺に適当に放り出されていたりすることもある。

さらに、しょっちゅう使う物が、机の上にゴチャゴチャに積み重ねられたりしていると、探し出すのに結構手間取ったりする。

だから、私はいつの頃からか、「きっちりと整理して収納する」 という作業を、いっそきれいさっぱりと諦めたのである。

なまじ 「きちんと整理して収納」 なんてことをしてしまったら、捨てるに捨てられないのである。とっくに捨ててしかるべきものが、後生大事にきれいに整理されて収納されていると、今もっとも現役で活躍しているものの居場所がないのである。

それでなくとも、モノなんてのは、うかうかすると溜まりに溜まって収拾がつかなくなるのだから、溜まらないように、片隅にごちゃごちゃに置いとけばいい。

ただし、横に積み重ねてはダメだ。いったん横にされたモノは、金輪際立ってはくれない。いつまでも寝転がって居座るだけとなる。だから、縦にして並べておくのだ。そうすれば、端から徐々に邪魔になって、適当な頃合いにごっそりと捨てることになる。

このサイクルを円滑にするために、決して 「収納」 なんてことをしてはならない。とにかく、モノはいつでも捨てられる状態にしておかなければならない。いかにも 「邪魔くさい」 場所に、目に付くようにしておいて、いかにも捨てたくなるような雰囲気を漂わせるのだ。

てなことを言いながら、納戸や引き出しの奥に、捨て損なったガラクタが一杯溜まっているのが、痛恨なのだが。

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2005/12/29

男の座り小便

最近あちこちで聞かれるようになった 「社会的 (?) プレッシャー」 に、「男も (洋式便器で) 座って小便をすべきだ」 というのがある。

「へえ、そりゃ面倒な」 と他人事のように思っていたのだが、ついに我が家でも、妻が 「そりゃ、アナタにもそうして欲しいわよ。掃除するのは私なんですから」 と言い出した。

初めは半分冗談かと思っていたが、妻は案外本気である。何と既に 「男が座って小用を足すようになると、かくかくしかじかでトイレの汚れが防がれて、掃除が楽になる」 というような、新聞だか雑誌だかの切り抜きがいくつも用意されていた。油断も隙もない。

さらに、有名人の誰それも、彼それも、皆、家では座って小用を足していると告白しているというのである。しかし、そんなことを告白してどうするのだ。

ただ考えてみると、私は最近、自宅を仕事場としているので、勤め人の男よりもずっと頻繁に自宅のトイレを使用している。ということは、妻にはトイレ掃除の負担を平均以上にかけているということになる。

そう考えると、妻の要求はそれほど理不尽なものではないどころか、もっともなことにさえ思われる。そこで、「座ってしないなら、アナタも応分のトイレ掃除をしなさい」 などと、議論が余計な方向に発展する前に、私は大人しく 「座り小便」 を受け入れることにしたのである。

トライしてみると、確かに跳ね返りがない分、清潔なような気はする。それに、何となく力が抜けて、リラックスして気持ち良く排泄できるような気にもなる。思ったほど悪いものではない。

しかし、思いがけない副次効果があった。座って小便をしてみると、条件反射なのか何なのか知らないが、当初はする気のなかったウンコまでしてしまうことが、ままあるのだ。これについてはどう考えればいいのだろうか。

余計な時間がかかってしまうから、デメリットなのか、それとも、便秘にならずにすむので (元々、私は便秘症ではないが)、メリットなのか。そして、この傾向は慣れるに従って解消されるとの説もあるが、果たして本当なのか?

私はなにぶん座り小便の初心者なので、先のことについては、まったく予測できないでいる。

なお、座り小便についての詳しい情報は、以下をご参照いただきたい。

「男も座り小便をしよう運動」 とは? (ほぼ日刊イトイ新聞)
「男も座り小便をしよう運動」 調査結果があった! (同上)
〜立ちション派、座りション派?〜 「男性のトイレスタイルアンケート」 (TOTO)

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