カテゴリー「住まい・インテリア」の17件の記事

2017/08/19

食器洗い乾燥機は、ウチのライフスタイルに合わなかった

Business Journal に  「超便利でいいことずくめの食器洗い乾燥機、なぜ売れない? 誤解だらけのデメリット」 という記事がある。百年コンサルティング代表取締役の鈴木貴博さんという人の記事で、基本的に 「食器洗い乾燥機ってこんなに便利なんだから、是非使いましょうよ」 というトーンで書かれている。

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ただ、私は個人的にこの見解には 「そうかなあ」 と思ってしまう。我が家のライフスタイルに食器洗い乾燥機は合わないと、経験則から認識しているからだ。なにしろ我が家では、実際に 2台の食器洗い乾燥機を使ったことがあるのだが、どちらも便利さよりもストレスを感じる方が多かった。

最初に食器洗い乾燥機を買ったのは、我が家の娘 3人がまだ小さかった頃だから、20年以上前のことだったと思う。ウチの食器洗いは、きちんと決められているわけじゃないが、夫の私が担当することが多い。で、個人的な印象としては、「買ったはいいが、使うのはかなりのストレス」 というものだった。

何しろ当時は 5人家族だったから、食器の量が多い。食器洗い乾燥機の中に大きさも形もバラバラの食器をそれなりにうまくセットするだけで、結構な手間がかかる。単に並べればいいだけではなく、食器にくっついた残飯などは拭き取ってからセットする方がいいというので、「洗う前にこんな作業をするんだったら、さっさと手洗いする方が早いわ」 と思っていた。

で、実際やってみると、食器洗い機の中に食器をきちんとセットする時間と、手洗いで済ませる時間の差はごく僅かでしかないのだ。しかも食器洗い機だと、セットしてから延々と電力を使って回し続けなければならない。手洗いならとっくに終わっているのに、ゴーゴージャブジャブやられるのって、結構なストレスなのである。

これは我が家の食事が、あまり脂っこくないということも関係している。ほとんど水とアクリルたわしだけでチャチャッと洗えて、たまに石けん (食器洗い洗剤じゃない) を使えば済む。私は荒れ性じゃないので、冬でも冷たい水で洗う方が手がきれいになるし、水桶に溜めて洗えば、食器洗い機派が言うほどに水の使用量も多くならない。

たまに来客があって食器の数が増えると、食器洗い機では 1度で洗うことができず、入りきれない分は手洗いすることになる。だったらわざわざ 2ラインにわけるより、全部手洗いする方がずっと早く片付く。で、数年して自然に故障したのを機に処分してしまった。使わずに放ったらかしにすると案外故障も早いのかもしれないが、「厄介払い」 という気がして、惜しいとは思わなかった。

2台目は、娘たちがそれぞれ独立して夫婦 2人だけの生活になってから、娘の 1人がプレゼントしてくれたものである。せっかくプレゼントしてもらって申し訳ないが、家族 5人でも食器洗い機がストレスになるというライフスタイルなので、夫婦 2人だけだと、ますます手洗いであっという間に終わる。手間をかけてセットして、延々とゴーゴージャブジャブする気にはならない。というわけで、2台目もそれほど使う機会もないまま、いつの間にか故障したのを機に処分してしまった。

食器洗い機で不便なのは、食器、とくにグラスやカップなどを、洗浄作業中に取り出して使いにくいことだ。つい棚から別の食器を出して使ってしまいがちになり、日常的に使う食器の数が増える。少ない数の食器をこまめに繰り返し使う方が、私の性分には合っているので、これもストレスになる。

「使いもしないで偏見で言ってる」 というわけじゃなく、実際に 2台も使った上で言うのだが、少なくとも我が家のライフスタイルでは、食器は手洗いの方がずっとストレスがない。

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2017/06/14

後楽園の流店がウチにも欲しい!

私は昨年、日本の全都道府県制覇を達成しているだけあって、結構あちこちの名所に足を踏み入れている。日本三名園ということでいえば、水戸の偕楽園はすぐ近所ってわけじゃないにしても、クルマで 1時間ちょっとで行けるところだから何度も行っているし、金沢の兼六園にも 2度行った。そして昨日の和歌ログに書いた通り、今回、岡山の後楽園にも 2度目の訪問を果たした (参照)。

地元といえば地元、水戸の偕楽園は何といっても梅の季節が最高だ。しかし早朝でなければならず、遅くとも朝の 9時頃までに行くことが肝心だ。それを過ぎて昼近くになってしまうと、人混みがひどくなり、さらにせっかくの梅の香りが、出店の焼きそばソースの臭いに消されてしまう。

加賀の兼六園は冬の季節がいいと思っている。たまたま自分の行ったのが冬の季節だったということもあるが、あの 「雪吊り」 というのがなかなかの風情だ。私は雪釣りの施された松の下に入ると、ピラミッド・パワーを感じてしまう。(参照

そして今回再訪の後楽園のお気に入りは、「流店」 だ。何しろ今回は、ほとんどこの 「流店」 だけが目当てで、後楽園を再訪したのである。寄せ棟造り (周囲に壁はないのですっかり素通し) の中を水路が通っているという、なかなか珍しい建物だ。これなら夏でも涼しいだろう。今回もこの建物に上がり込んで、前回同様 30分以上まったりしてしまった。

この中に入ったら、ただ水の流れとその中の石の妙だけを眺め、あとは水と風の音を聞くだけで至福の時間となる。岡山の歴代藩主も同じような至福を味わったのだろう。今回は初めのうちは韓国人のカップルがやたら大きな声でしゃべくり続けていて、ちょっと気に障ったが、彼らが去ってしまってからはなかなかいい時間が過ごせた。

ああ、こんなのがウチにもあったら、どんなに幸せかと思う。しかし、誂えるとなったらとんでもない大金が必要だろうなあ。

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2017/04/12

洗濯槽クリーナー 「洗濯槽快」 の使用レポート

近頃、ラジオショッピングで (テレビでもかな?) 盛んに取り上げられている 「洗濯爽快」 というのを我が家でも使い始めて、多分 1年以上経過したと思う。そろそろ使用レポートを書いてもいい頃だ。私は案外 「家事をする夫」 で、洗濯もほとんど引き受けているので、書く資格はあるはずだ。

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我が家でも大方と同じように全自動洗濯機というのを使っているのだが、これはドラムの外側 (ファイバースコープなんて持ってないから、直接には見えないのだが) にカビが発生するという欠点があるらしい。確かに定期的に専用の洗浄剤でカビ取りしないと、洗濯物に黒いカビが付いてしまう。

そこで妻がラジオで知った 「洗濯槽快」 というのをネットショッピングで買ったのが、1年ちょっと前だった。これはホタテ貝の貝殻成分で、洗濯槽内の水をアルカリ化し、カビの発生を防ぐだけでなく室内干しの際の悪臭も抑えるという。それに天然成分 100%だから、環境にも優しいというのだ。

写真のように小さなパックに入ったものを洗濯槽に放り込んで、洗濯物と一緒に回していればそれで OK というので、ことさら面倒な作業もいらない。面倒くさがりの私も、「それならいいや」 と使い始めた。

そして 1年以上経ってからの結論だが、手っ取り早く言えば 「我が家の場合、効き目がないこともないが、カビはやっぱり発生する」 ということだ。

「効き目がないこともない」 というのは、カビの発生は確かに抑えられるという意味である。以前に比べれば、白い洗濯物に黒いカビがこびりつくことはかなり減った。もう一つの室内干しの際の悪臭を抑えるということに関しては、ウチでは元々臭いがほとんど気にならないレベルだったから、効果があるんだかどうだか、はっきり言えない。

カビの発生が皆無にはならないので、やはり時々は専用の洗浄剤を入れた水を回し、時間をかけてカビ落としをすることになる。どうしてカビがすっかり抑えられないのかというと、これは私の推定で明確なデータがあるわけじゃないのだが、多分、毎回の洗濯に使う水量が少ないからだと思う。

我が家は子供たちが全員独立して、今は夫婦 2人の生活なので、毎日の洗濯物が少ない。だから全自動洗濯機の機能として、水量も自動で調節し、低水位で洗うことになる。ということは、この 「ホタテ貝由来の成分の効果も、下の方の半分ぐらいまでしか及ばず、上の方はほったらかしになる。

それで時々洗濯物の量が多めになり、水位も上の方まで達する時に、洗濯層の上の方で発生していたと思われるカビが、洗濯物に移っちゃうのだ。これ、考えてみれば当たり前のことだが、使い始める前はほとんど想定していなかったよね。というわけで、我が家の使い方では 「効き目はないこともない」 ぐらいの言い方しかできない。

家族が大勢いて毎回たっぷりの洗濯をするというなら、多分満足できるんじゃなかろうか。保証はしないけど。

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2017/02/28

4LDK のマンションの広さ

SUUMO よいう不動産物件サイトの広告で、「4LDKって…ひ、広い!」 というのがある。なんでも、埼玉の新築マンション情報なのだそうだ。でも正直なところ、4LDK って、そんなに広いわけじゃないのだよね。とくに首都圏のマンションなんて、名目 8畳の部屋が、田舎の 6畳間ぐらいのものなんだから。

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実は我が家だって 4LDK である。昔の田園地帯を造成した住宅地の一戸建てだから、多分首都圏のマンションの 4LDK より広いと思う。だけど、我が家の周囲の元から住んでいる人たちの、御殿みたいな家に比べたら、おもちゃみたいなものだ。

何しろ、8畳間のあるマンションに引っ越して 「いやあ、8畳間って広いねえ」 なんて言ってる人に、田舎のオッサンが 「ウチには 10畳以下の部屋なんてねえよとは、気の毒で言えなかったよ」 と苦笑いしていたぐらいのものである。家のサイズに関する感覚というのは、都会と田舎ではかなり違う。

そして米国あたりの人間のスペース感覚はさらに広大だ。ニューヨークの住宅なんて日本人の感覚とそんなに変わらないが、中西部の住宅となると、もう、広いなんてものじゃない。少なくとも 20畳ぐらいのスペースのリビングルームに、ソファが点在している。日本の 「応接 3点セット」 みたいな、コンパクトにまとまったものじゃないのだ。

家族があんなに離れたソファに座るのだから、声だって自然に大きくなる。あのスペースに日本人が入ったら、いつの間にか自然に真ん中に寄り集まって小さな車座になってしまう。

都会に住んでいたら、人間の感覚はどうしてもチマチマしたものになってしまう。時々は自然の中に出て、思いっきり空気を吸って歩き回ることが必要だ。マンションの 4LDK ごときで、「ひ、広い!」 なんて言ってちゃいけないのである。

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2016/05/08

収納の 8割は、分類整理すること

私も一応 「妻」 という女性と一緒に暮らしているので、女性雑誌や女性を主なターゲットにしたインテリア雑誌などに目を通すことがある。で、こうした雑誌は 「収納」 を繰り返し特集しているという印象がある。

あれだけ繰り返して特集を組んでいるところをみると、「収納特集」 の号は売れ行きがいいのだろうと想像される。ところが率直な感想を言うと、この手の雑誌の収納特集は、あまり役に立たない。とくにファッション性の高い雑誌の収納特集ほど、ほとんど絵空事だ。

例えば 「衣類の収納」 のページでワードローブの写真なんかをみると、ハンガーにかけられた服が、シャレオツなブティックみたいなイメージでパラパラっと並んでいる。収納の専門家ではなく。ディスプライの専門家の手によるものだろう。こんなのを見ると、「ウッソだろ!」 と叫びたくなる。本当は小ぎれいな感じでは到底収まりきれないほどぐちゃぐちゃっとあるから、みんな苦労してるんだろうよ。

書棚なんかも同様で、美術系の本や写真集なんかが慎ましく並び、たっぷりした隙間には洒落た置物が飾られている。これも 「ウッソだろ!」 である。蔵書がこの程度しかないとは、よっぽど本を読まない人間だろう。

「主婦も書斎やデスクスペースを」 なんてテーマのページでは、ちゃっちいデスクにおよそ実用的じゃないノートがパラパラっと置いてあるだけというのが多い。最近は申し訳程度にノート PC が登場するようになったが、インターネットに接続するルーターの置き場所がなかったりする。

こんなのを読まされていたら、収納なんか上手になるわけがない。深読みすれば、読者がいつまでも収納下手のままでいるからこそ、雑誌社は何度も何度も繰り返して 「収納特集」 を組むことができる。収納特集を読んで本当に収納が上手になられたりしたら、編集部は困るのである。

それで大抵の収納特集は、「単にお洒落なだけで実用性皆無」 の雰囲気だけのものだったり、「全体のディレクションが無視されて、部分的な収納アイデアが満載」 の実は面倒なだけのものだったりする。あんなものを参考にしていたら、まともな収納なんてできない。

というわけで、我が家の収納メソッドはここ 10年以上、ほとんどすべて私がお膳立てしている。女性雑誌の収納特集なんかでは、「カテゴリーや使用頻度に応じて分類整理し、しかるべきものをしかるべきところに収める」 という原則が理解されにくい。

収納作業の 8割は上手に分類整理することで、それさえできれば、実際の収納作業は、2割ほどでしかない。そしてその 「分類整理」 の 5割ぐらいは、「不要なモノを捨てる」 ということになる。

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2015/06/22

現代の方丈生活

Wired の本日付記事 "カプセル型の自給自足型マイクロハウス「Ecocapsule」" というのがとても気になった。そのまんま 「エコカプセル」 と読むんだろう。下の写真は Wired の記事の直リンクで、本当に小さなカプセルである。ちょっとした 1ボックス車ぐらいのサイズにみえる。

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スロバキアの首都、プラチスラヴァにある建築スタジオ、Nice Architects が発表したもので、「キッチン、バス、寝室を備え、屋根に設置した風車とソーラーパネルにより、自力で電力をまかなうことができる」 とある。屋根のソーラーパネルと風車によって発電した電力は 9.744Kwhバッテリーに蓄電され、飲料水は降水をフィルターで浄化して得る。

電力会社と水道局との契約は要らないし、ガスも灯油も使わないから、自動車を持たなければ、エネルギー代は 1円もかからない。電気に関しては、ソーラーパネルの他に風車とバッテリーがあるので、雨の日や夜でも停電が避けられるのだろう。環境へのインパクトを最小にして生活することができる。

それにこのマイクロハウスは、土台も電線も水道もいらないので、多分 「不動産」 としての登記が要らない。小さな土地さえあれば、いや土地がなくても、ビルの屋上とかにちょこんと置いて住むことができる。その場合の排水処理さえしっかりすれば、ずっと住み続けられる。

内部は写真によればこんな感じだ。左がダイニング兼作業用のカウンター・テーブルで、右が折りたたみ式ベッド。その奥にキッチンが見え、壁の向こうはトイレ兼シャワールームだ。写真では見えないが、手前に収納スペースがあり、さらにキッチンの奥が外から開けられる倉庫である (上の写真の左端のドア)。

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鴨長明は方丈 (一丈四方、大体四畳半の広さ) の宿に住んで 『方丈記』 を著したが、これはさしずめ、現代の方丈である。生活に必要な機能は最低限揃っているし、あとはインターネット接続のための WIMAX かなんかがあれば、仕事にも困らない。

もし私が独身だったら、どっかの屋上を借りてこんなカプセルに住み、ミニマリズム生活をするのもいいなあと思ってしまう。あるいはリゾート地にこんなのをいくつかちょんちょんと置いてしまえば、手軽なロッジ村ができる。建物を建てる必要がないから、コスト的にも有利かもしれない。

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2014/12/07

モノを所有せず、小さな家に住む

Wired に "モノを所有せずシンプルに暮らす、アメリカ発の 「タイニーハウス・ムーヴメント」" という記事がある。アメリカでは 2000年頃から、トレーラーハウスや自作のログハウスなど 「小さな家」 や 「小屋」に住むことを選択する人が増えてきているという。

この「Tiny House Movement(タイニーハウス・ムーヴメント:small houseとも)」は、単に小さな家に住むというだけでなく、なるべくモノを所有せずにシンプルに暮らすという、これまでの大量生産大量消費社会に対するカウンターカルチャーとして発展してきた。

そんなことなら、私は大賛成だ。家具や食器、衣服、蔵書などをなるべく少なくして、手を伸ばしさえすれば大抵のところに手が届くような、小さな家に住むのが、私の理想なのである。

私だけじゃない。日本人は小さな家に住むのが向いていると思う。『方丈記』 を記した鴨長明の時代から、大邸宅なんかより、「庵」 という字が似合う風情の、小さな住まいで暮らすのが粋というものなのである。

ところで、大きな家が必要になるのは、家具、食器、衣服、蔵書がどっさりたまるからである。日本では、方丈記のようなささやかな住まいがもてはやされる割に、食器だけはやたら多い。何しろ、和洋中の 3つのスタイルの食事ができるように、それぞれの食器がある。これが私にはうっとうしすぎる。

私は大中小の 3サイズのボウルと皿、そしてマグカップさえあれば、日常の食器は足りると思っている。我が家にある食器でさえ、多すぎる。家族の誰かが結婚披露宴に呼ばれる度に、引き出物の食器が増えてしまうのが、ものすごく負担だ。

服は、最近ワードローブの中をすっかり整理した。宮仕えを降りてしまうと、着る物なんて本当にシンプルにできる。スーツなんて年に 3〜4回しか着ないので、夏用と冬用が 1着ずつと、夏用の冠婚葬祭用の黒服 1着だけを残して処分した。冬の冠婚葬祭は、ユニクロのヒートテックの下着に夏用を重ねれば OK だ。

外出着としては、ジャケットが夏用と冬用を 2着ずつ。それ以外は、ボタンダウンのシャツ、ポロシャツが3〜4着ずつと、チノパンとジーンズが 2本ずつあれば十分だ。あとは、フリース・ジャケットとダウンウェア、マウンテン・パーカがあればいい。

蔵書はできるだけ処分したつもりなのだが、まだ書棚が 5つも必要なほど残っている。10年ぐらいしたら、これもどんどん処分しよう。どうせあの世までは持って行けないのだから。

あとは PC 周りが確保されれば十分に暮らせる。そうなったら、夫婦で 2DK で十分だ。今住んでいる家は 4LDK もあるから、空き部屋ができてしまう。しょうがないから、それらはがらんとしたゲストルームということにしようかと思う。

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2011/05/16

8年ぶりに椅子を買い換えた

昨日、椅子を買い換えた。私のワーキングスペースは寝室の一画を仕切ったもので、何から何まで手を伸ばせば届くというコンパクトさゆえに、最近は 「コックピット」 と呼んでいるのだが、このコックピットの椅子がへたってしまって、腰痛の元になってしまっていたのだ。

この椅子は、8年前にサラリーマン生活を止めて独立したときに買ったものである。それまではホームセンターで買ってきた 2,800円ぐらいの安物の椅子を使っていたのだが、これは 2~3時間以上座って仕事すると腰が痛くなるというので、多少はマシな椅子に買い換えたのだ。この頃のことが、当時の Today's Crack に書いてある (参照 1参照 2)。

我ながら驚いたことに、8年前はまだココログを使い始めていなくて、この時期の Today's Crack は 「庄内拓明の知のヴァーリトゥード」 という本宅サイト内のウェブページとして保存してある。ココログを使い始めたのは、約 7年前のことだ。ふぅん、もう 10年以上も使っているような気がしていたのだが。

というわけで、独立記念みたいにして買った椅子も、8年経ってガタがきてしまったのである。8年というのは、長いような短いような、不思議な時間だが、ココログを使い続けている実感からしても、やっぱり短いわけではないのだろう。椅子がへたるのも道理である。

近頃、椅子に座って PC のキーボードを叩き続けるのが辛くなってきていたが、これは椅子のせいもあると、ようやく気付いたのだ。椅子がおかしくなると、正しい姿勢をキープするのが難しくなるみたいなのである。

椅子は先週初めに ニトリ で見つけて注文し、日曜日に受け取ることができた。とはいえ、特別注文の高級品というわけではなく、単に店に在庫がなかったので取り寄せに手間がかかったというだけのことだ。

値段は案外安くて 7,880円。総本皮張りの 19,900円のものもなかなかよかったのだが、同じような座り心地なら、安い方がいいに決まっているから、こっちにした。背もたれがメッシュで、今年の夏の省エネにもいいだろうという理由もある。

ただ、椅子はあまり安物に走ってはいけない。上述のように、ホームセンターで適当に買った安物は、3時間以上の作業に耐えなかった。そしてこれまで使っていたのも、確か 5,800円ぐらいだったと思うのだが、買った当初の快適さが 8年もたなかった。軸にがたつきが生じて、座面もへたってしまった。

今回の買い物も、それほど贅沢をしたというわけじゃないのだが、これまでより少しは快適に仕事できるのではないかと思う。

そうそう、安物の椅子はいけないのだが、高級すぎるのもいけないのである。知人が定年退職を機に自宅の書斎の椅子を買い換えた。このときかなりがんばって、重役室で使われるような、革張りの高級品にした。ところが、これが高級すぎて仕事にならないというのである。

重役用の椅子は、仕事をするためではなくふんぞり返るためにあるようで、自ら PC に向かってキーボードを叩き続けるための設計にはなっていないのだ。そこが 「ワーキングチェア」 との大きな違いである。

高級椅子は、深くゆったりすわって心地良い作りになっているが、ワーキングチェアは浅めに腰掛けて両手を前に出してキーボードを叩く姿勢で、リラックスし、安定するようでないといけない。重心の位置が全然違うのだ。

そして私は、一生ワーキングチェアに座り続ける人間みたいなのである。

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2008/10/07

モノ地獄からの脱出

朱鷺子さんが 「病室隅っこの生活」 という記事を書いておられる。以前、ご主人が入院されたとき、20日間ほど病室に泊まり込んだときの経験だ。

ベッドと壁の隙間にせんべい布団を敷き、洗面器一つですべてが間に合ってしまう生活というのも、なかなかいいものである。

私は若い頃にしょっちゅう、背中にバックパックを背負ってあちこち放浪したり山登りをしたりしていたので、本当に 「モノは少ない方がいい」 と思っている。

日常生活だって、食器なんて箸と皿 1枚、カップ 2つあれば十分だ。あとは、下着 3セット、夏冬用の衣類各 3セット、布団があればいい。願わくはノート PC とインターネット回線が加われば、それほど不自由なく暮らしていける。

ところが、モノというのは魔物である。特別なことは何もしていないのに、知らぬ間に増える。収納しきれないほど増える。捨てても捨てても増える。それに、これが人間の業というものか、滅多に使わなくても、「愛着」 なんて称して捨てられないものもいくつもある。

以前、実家の引っ越しをするときのことを書いた (参照)。あれには参った。昨年死んだ母が寝込んでしまう前にやや認知症っぽくなり、同じモノを何度も何度も買い込んでいたせいで、押し入れと納戸の奥が大変なことになっていたのである。以下にちょっと引用する。

一度納戸の奥にしまいこんでしまうと、その品物は 「ない」 ということになってしまって、また新たに買い求めてしまう。そしてその新たに買ったものをまた押入れの奥にしまい、またまた 「ない」 ということになってしまって、さらに同じものを買う。

かくして、引越しのときには、あちこちから同じようなものが、次から次に発掘されることになる。充電式小型掃除機、スリッパ山ほど、魔法瓶型の水筒、タオルケット、毛布、小鉢セット、湯呑みセット、土鍋、卓上コンロ、座布団カバー、目覚まし時計、灰皿、花瓶、旅行バッグなどなど。

その他、いかにも贋作っぽい掛け軸十数本、武者小路実篤の 「仲よきことは美しきかな」 の額、中元で貰ったタオルが熨斗紙付きのまま百数十本、結婚式の引き出物で貰った陶器、漆器の類は数知れず、何とか友の会の積み立てで買ったまま、使いも しない電気毛布、健康器具の数々。

ああ、モノがありすぎるというのは、一種の地獄である。モノ地獄である。あるいは、今の日本自体が、地獄の様相を帯びているのかもしれない。モノは溢れるほどあるのに、それを維持するために金を使わなければならない。それで 「貧困」 なんて言っている。「モノ持ち貧乏」 だ。

娘たちがすべて嫁に行ったら、夫婦二人で慎ましやかに暮らしたい。最小限の鍋釜、食器、衣類、寝具、本ぐらいのものさえあればいい。今ある家の部屋の半分は、たまの来客が泊まれるように、がらんどうにしておきたい。

ちょっと考えてみると、慎ましやかに暮らすためには、PC は有力なツールである。これさえあれば、モノはかなり減らせる。まず既に、百科事典なんてものは要らなくなった。私の本棚を見ると辞書類だけでも相当並んでいるが、これだって 4分の 1ぐらいに減らすべきだろう。

リビングルームに鎮座ましましている大型液晶テレビだって、あんなものは要らない。テレビを見たかったら、PC で見ればいい。音楽だって PC と iPod でいける。書類の山は、デジタル化しておこう。

デジタル・ファイルはそんなに長持ちしないという説もあるが、どうせ一つのメディアが主流から消える時には、必要なものだけ新しいメディアに保存し直すのだから、あまり気にしなくてもいいと思っている。10年経っても必要なファイルなんて、そんなにあるものじゃない。

食事は、でっかい中華鍋と小鍋がいくつかあれば米だって炊ける。食器もあんなにたくさんの種類はいらない。日本人は和洋中でそれぞれ食器を変えたがるが、別にそんなことをする必要はない。

私の身体の中には禅坊主の血が流れているので、「起きて半畳、寝て一畳」 というライフスタイルへのあこがれがある。強烈にある。ああ、それなのに、周りを見ると、モノ、モノ、モノである。こんなにモノがあるというのは、肩の荷が重すぎるということだ。

ああ、今日から要らないモノは処分することを心がけよう。とはいえ、最近は捨てる時でさえ金がかかる。再利用してもらうために、フリーマーケットが盛んになってくれるといい。

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2008/04/07

白熱灯を止めるなんていっても……

「経済産業省が家庭用照明の白熱灯を廃止し、省エネ型の電球型蛍光灯に転換を促す方針」 (参照) とのニュースには、白熱灯派の私としては、ちょっと驚いてしまった。

我が家はかなりエコ意識の高い家庭を自認しているが、蛍光灯だけはやたら少なくて、白熱灯比率が高い。

確かに蛍光灯の方が消費電力が少ないのはわかっているが、こればかりは趣味の問題で、ちょっとだけ贅沢させてもらっている。それでも、要所要所、私のデスクとか、リビングルームのテーブルの上とかは、蛍光灯だ。

白熱灯にしているのは、廊下、階段、玄関、トイレ、台所、寝室など、あまり長時間使わない所である。廊下とかトイレなんかは、ちょっと点けてすぐに消すから、これらを蛍光灯に変えても、消費電力はあまり変わらないと思うのである。

しかも、我が家の白熱灯は、ワット数が最大でも 60ワット止まりである。100ワットの電球なんて 1個も使ってない。あんまりのっぺりと明るすぎるのは嫌いで、40ワットぐらいのうすぼんやりしたのが好きなのだ。廊下とかトイレなんて、20ワットばっかりである。

こんな我が家が全ての電球を蛍光灯に変えたところで、消費電力とか CO2 排出量に大した違いは出ないと思うがなあ。ちょっと白熱灯で贅沢させてもらっている分は、他の部分の省エネでお釣りが来るんじゃなかろうか。

そもそも、白熱灯を蛍光灯に変えて大きな効果が期待できるのは、ヨーロッパ辺りだと思う。とくにドイツとかフランスとかの連中は、蛍光灯嫌いで、白熱灯ばっかりである。そのおかげで、薄っぺらな感じじゃない深みのある陰影のインテリアが実現されている。

彼らが、この深みのある陰影のインテリアってやつをすっぱり諦めて、全部蛍光灯に変えてしまったら、消費電力がかなり少なくなると思う。とはいえ、彼らがそう簡単にインテリアの雰囲気を放り出してしまうとは思えないのだけれど。

一方、日本人の家庭をみると、既にかなりの部分が蛍光灯化されてるじゃないか。我が家みたいに白熱灯だらけの家なんて、あまり見たことがない。オフィスなんてのは、もう、ほとんど蛍光灯みたいなものだし。

こんな日本で蛍光灯化なんて言っても、あまり大きな効果は望めないんじゃないかと思ってしまうのだ。もっと他にやることいっぱいあるだろう。

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